2003
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Feb 28, 2017
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ユーチューブにゴードン・ハスケル氏のチャンネルが開設されました。まずは彼の今までの楽曲サンプラーが公開されています。Gordon Haskell - Songbook Sampler Part I Gordon Haskell - Songbook Sampler Part IIGordon Haskell - Songbook Sampler Part III 今後何か展開があるのか無いのか分かりませんが、活発化した活動の一貫とも言えそうです。
Feb 25, 2017
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原題には沈黙は付いていないそうですね。当たり前ですがw セガールさんご本人も日本語ペラペラですから日本での特殊タイトルの事情をご存知のようで。かれ~なというカレー味のスナック菓子、30個に1個激辛が混じってるものでした。あなたは覚えていますか?1985年当時早とちりされると言い直すのがメンドクサイです。放課後は色んなお店で食べたりしましたが、たまにがっつり食べたい時もありましたよね。味一番になっちゃんがいなかった理由は舞台があったからでしたwレスポール好きなナギ先生にお誕生日プレゼント♪蜥蜴な日々、辛抱の人
Feb 21, 2017
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ナイス結成前キース・エマーソンがオルガンパフォーマンスで影響を受けたオルガン奏者ドン・シンが動いてるレア映像。
Feb 18, 2017
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ツイッターでルーマニアの方から1968年ヘレン・シャピロのバックバンドで演奏旅行に行ったジョン・ウェットンが出演したフェスティバルについての情報がありました。1968年夏ブカレストでウェットンらが出演してる映像は、The Golden Stag Fest Brasovという名称のフェスティバルだったそうです。この時ツイートをくれた彼は8歳だったそうですw彼の話ではこのフェスは1967年に企画され、71年独裁者によって止められるまで毎年行なわれたそうです。民主化後に復活し96年から2013年まで毎年フェスが開かれていたようで多くの有名アーチストが参加していたようです。写真はウェットン68年映像をシド・スミスさんがフィルム風に加工したものです。歌手がシャピロ、背後でウェットンがベースを弾いています。
Feb 16, 2017
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Feb 12, 2017
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当4コマは基本的に70年代末を舞台にしたシリーズでございます。たまに次元を跳躍しますがw三脚が無いと色んな物の上にカメラ置いて撮影したりしますがバレンタインのチョコはいつ頃からはじまったのでしょう?70年代中頃から?お気楽バンドにもまとめ役の気苦労があるようです中には何言われても馬耳東風でマイペースな人もいます毎度のおまけです画像クリックで拡大します
Feb 7, 2017
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ウェットンの半世紀近い活動暦で残された映像も沢山ありますね
Feb 5, 2017
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元アバ、アグネッタ・フォルツコグの歌うジョン・ウェットン+ジェフ・ダウンズ楽曲PV
Feb 4, 2017
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ここの所70年代に活躍したアーチストの訃報が続き、正直がっくりしてる方々も多いのではないでしょうか。先程ツイッターにてココモJP様から元MANのディーク・レナードが亡くなったとまたも訃報が知らされました。丁度ジョン・ウェットンと同日だった為日本にニュースが伝わり難かったのもあるのかもしれません。BBCニュースDeke Leonard: Rock band Man's guitarist dies, aged 72http://www.bbc.com/news/uk-wales-south-west-wales-38827091 昨年秋、私がディークさんに、アンディ・マカロックがあなたのレコードでたたいたのは本当ですか?と質問した事にお返事を頂いておりました。まさか亡くなってしまうとは。ディークさんに感謝を捧げ、ご冥福をお祈りいたします。アンドリュー・マカロック参加セッションについては、以下のリンクをご覧ください。 Deke Leonard - Iceberg(1973, 2015 re-master CD) http://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/201610150000/
Feb 4, 2017
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The opening act from The Ahmet Ertegun Tribute Concert at the O2 Arena in London.追記:寝ぼけて、タイトル欄に動画タイトルコピペをミスってました。失礼いたしました。
Feb 4, 2017
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Feb 4, 2017
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ゴードン・ハスケル氏がセカンドアルバムでジョン・ウェットンを起用した件について質門をした所、お返事がいただけたので毎度の意訳です。( )内が質門。・(以前1970年にジョン・ウェットン氏と知り合ったとおっしゃられてましたね。)ジョンと私は1970年良き友となりました。その後彼はファミリーに加入しました。・(セカンドアルバムにウェットンとアトキンソンを起用した件について)彼のとてもメロディックで暖かい音にリズム感、ジェームズ・テイラー風の演奏と彼を選んだのは私にとって極自然な選択でした。彼は共にプレイすると相性が非常に良いとビル・アトキンソンを私に推薦してきました。(※ウェットンとモーガル・スラッシュで同僚だったドラマー、別名ビル・ハリソン)。私たちはよく一緒に楽しい時間を過ごしていたものですが、それは彼がキング・クリムゾンへ加入するまででした。彼は私と独裁者フリップとの確執を知っていたので、(私に対し)加入で気まずくなってしまっていたんです。私は彼が好きだったから、2004年に故郷ボーンマスの彼の家を訪ねて逢いました。以上です。やはりウェットンとは友人関係という点でアルバムで演奏してもらったと言う事ですね。その点ではギタリストのアラン・バリーと同じと言う事になります。ドラマーをウェットンが推薦してきたと言うのが、今回判った新事実でした。モーガル・スラッシュが春に解散してしまい、ウェットンもアトキンソンに仕事を紹介したかったのでしょうね。今世紀に入ってからも二人が旧交を温めていたというのは初耳でした。ハスケル氏の新ベスト盤は彼のサイトに近日設置されるショップページで購入できると言う事なので、絶対買いますと謝辞を送りました。今の所日本人で彼の新ベスト盤を持ってるのは、コンサート会場で手売りされてるものを買った人だけ、ロンドンにお住まいの会長様だけですwはやくサイト上で発売されると良いですね♪ あまりせかしちゃいけませんがw
Feb 2, 2017
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