2003
全10件 (10件中 1-10件目)
1
短い活動期間だったレフュジーの映像。以前からアップされていたのより若干状態がいいかも?Refugee 1974 - Ritt Mickleyモラーツの顔を見ると近所にいた床屋さんを思い出します。個人的ですみませんw
Jan 31, 2012
コメント(0)
一年で一番寒い今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?こんなときにブリンの歌とギターでほっこりなごむのも悪くないです♪彼が自宅などで収録した弾き語り映像がちょこちょこ公開されていますので、昨年末のを筆頭にいくつかご紹介します。最後に今まで数回紹介してきた、ゴードン・ハスケルと一緒だったFleurs時代44年前の映像で。ブリン本人も評価を入れてるようですね♪
Jan 30, 2012
コメント(0)
以前当ブログでアンドリュー・マカロック最後の参加作品と紹介したロンドンフィルのオパス・ワン。このアルバムをYOUTUBEにアップしている人がいました。残念ながらA面収録曲でドラムスは、デイブ・マタックス(アンディはB面)。ですがどんな感じの作品だったかを大体把握できると思います。
Jan 22, 2012
コメント(0)
元StraydogのW.G. Snuffy Waldenが、最近関わってるシンガーがSara Niemietz。いくつか彼女の動画がYOUTUBE上で公開されているのでご紹介。当然スナッフィーもギター弾いています!!いくつかの曲では彼の色気たっぷりのソロプレイが久しぶりに堪能できますよ。
Jan 22, 2012
コメント(0)
以前もYOUTUBE動画で取り上げたマーティン・ブライリー。プログレファンなら末期のグリーンスレイドに参加した事でも知られていますが、80年代にソロとしてMTVで彼のヒット曲が流されたのを覚えてる方もいらっしゃるかもしれません。60年代末にマンドレイク・ペダル・スチーマーという期待されつつもアルバムも出さず消えたバンドでデビューしましたが、その後ジョージ・マーチンのプロデュース作品でセッションギタリストとして活動し、解散前のグリーンスレイドにベースとギターで参加。4枚目にクレジットされていましたね。バンドの解散後、グリーンスレイドで一緒だったアンドリュー・マカロックと共に元イエスのピーター・バンクスの演奏に参加しましたが、これはトランスアトランティックのギター・ワークショップVol.2に2曲を残すのみでした。マカロックが音楽界で最後に参加した演奏であるといわれる、London Philharmonic Orchestra / Opus One (1980) には、デイブ・ロウソンと共にブライリーも参加してます。80年代以降ソングライターとして様々なアーチストに楽曲提供をしてきたブライリー氏ですが、ソロ活動でも活躍しセカンドアルバムからこの曲The Salt In My Tearsがビルボード最高位36位とスマッシュヒットしてます。以前ご紹介したのより若干映像状態が良かったので、こちらで。【送料無料】Martin Briley / One Night With A Stranger 輸入盤 【CD】価格:3,300円(税込、送料込)このアルバムには、ドラマーとしてパット・マステロットが全面的に参加し、ずっしりとしたプレイを響かせています。歌声はちょっぴりフィル・コリンズを思わせる声質で、曲はいかにも80年代前半のヒットチューンらしさに溢れてます。マーティン・ブライリー氏のオフィシャルサイトでは、彼の過去参加した作品や曲を提供したアーチストのリストを閲覧もできます。Martin Briley's official websitehttp://www.martinbriley.com/index.htm
Jan 22, 2012
コメント(0)
抽選とか運任せですがwhttp://clubcitta.co.jp/001/uk-2012/ 果たしてとれるかなぁ・・・
Jan 21, 2012
コメント(0)
エディ、ジョン、テリーの三人での来日公演が決まったそうですね。詳細は近日発表だとか。でも、会場が狭いのでチケットを買える自信が全くありませんwでも、観たいですよねー。見られない多くの人の為にもどこぞのテレビで収録とかしてくれないだろうか?むりかなやっぱw
Jan 17, 2012
コメント(0)
元日早々風邪を悪化させて未だに寝込んでおります。皆様はいかがお過ごしでしょうか。 今回は昨年春に書いたなんちゃって妄想インタビューの続編です。今回のネタも過去のインタビュー記事から実際にキースの語った内容から再構成されていますが、あくまでも本インタビュー自体はでっちあげですw ジョークですので深く突っ込まないように。質問「アケマシテオメデトウゴザイマス、キースさん。」キース「うむ、賀正だな。」質問「昨年色々と質問させて頂きましたが、ちょうどフィードバックの話題で終わっていたので、今回はその続きをお聞かせ願いたいと思います。」キース「そうだっけ?オルガンの下敷きになる話じゃなかったっけ?」質問「あ、ははは(汗)。ま、それは置いといて。60年代末期にフィードバックと言うとギターの専売特許という印象だったのをよくオルガンでやろうとしましたよね。」キース「あの頃はジミ・ヘンドリクスが話題だったしね。」質問「ナイスの最初にいたオリストさんもサイケなプレイヤーでしたが。」キース「うーん、サイケというか。音がでかかった・・・」質問「そんなに?」キース「アマチュアバンドとかでもよくいるだろ?ギタリストが音でかくて他のバンド音が聞こえないという。」質問「確かに、以前と比べると減りましたが、ギターバンド全盛時代はそうでしたね。しかもギターは耳に付く音だから他のサウンドがかき消されちゃう。」キース「そうそう、だからアイツはいらんなとw」質問「質問を戻しますが、前回のお話ではオルガンでのフィードバックはハモンドのL-100じゃないと出来ないって言ってましたよね。」キース「ハモンドL-100の電源スイッチをオフにしながらやってたよ。内蔵のスピーカーを共振させたりするからファズボックスも使ったりしたけどね。」質問「ジミヘンの影響はやっぱ大きいですか?」キース「そうだね。彼と一緒にツアーしたしね。」質問「ステージで一緒にやったりもしましたか?」キース「うーん、一緒と言うか何というか。ジミは毎回ステージに来るんだけど、ギターじゃなく映画を撮ってたよ。」質問「へ?」キース「アンプの隙間とか色んなところからナイスの演奏を毎回8mmカメラで撮影していた。」質問「おお!それは残ってたら凄い貴重じゃないですか!」キース「・・・」質問「あれ?」キース「ある時、ジミの楽屋から奇声が聞こえてきてね。覗きにいったんだよ。」質問「?」キース「部屋に入るとナイスのステージ映像をスピードアップしたり逆回転させて映写してはギャハギャハ馬鹿笑いしててね。なにしてんだこいつと。」質問「ははは」キース「だから、ちゃんと撮ってたのがあるとは言えないよね。」質問「ところで、ジミというと、ELP結成時に加入した可能性があったと昔から言われてますよね。どの程度まで話が進んでたんですか?」キース「可能性も何も無いんだけどねw」質問「へ?」キース「グレッグと新バンドを考えてる頃、ミッチ・ミッチェルもまじえて話し合ったのさ。」質問「たしか彼もドラマー候補でしたね。」キース「うん。で、その時にミッチが『今夜ジミと会うから、ちょっと声かけてみるわ』と、当時の音楽業界のノリで提案してたのが、廻りまわってマスコミに漏れてね。」質問「あること無いことがドンドン書かれたと?」キース「ヘンドリクスが参加するって勝手に書かれたね。僕は彼のプレイをよく研究したし、彼も見てくれてたと言うけど、参加については信じられないね。」質問「なるほど、よくあるマスコミの先走りということだったんですか。」キース「一緒に出来たらファンタスティックだったけどね。」それは皆様もお風邪など召しませぬよう、御身体をご自愛くださいまし。※注(過去発言に基づくインチキ仮想インタビューなので、当然原文はありませんw あしからず。)
Jan 6, 2012
コメント(2)
ジェフ・ベック・グループを抜けたロッド・スチュワートが、ミック・ジャガーの恋人で共通の古い知人だったクリッシー・シュリンプトンの仲介で行ったレコーディング。ウィルソン・ピケットのカバーナンバー、Come Home Baby。作者はキャロル・キング。PPアーノルドとロッドがヴォーカルで、他にキース・エマーソン、ニッキー・ホプキンス、キース・リチャード、ロン・ウッドらが参加したらしい。レコード会社がセッション費用を払わず、ミックに負担を求めたためにお蔵入り。レコード発売されなかったということだが、ここらへんの情報にはトンと疎いのです。古いインタビュー記事だとロッドが「レコーディング音源はミックが持ってるはず」と言ってますが、果たしてその後日の目をみることがあったのかわかりません。ブートでもでてないのかな?ご存知の方がいらっしゃいましたなら、コメント、またはツイッターにてご一報いただけるとありがたいです。
Jan 1, 2012
コメント(0)
今年はより明るい年にしたいものですね。
Jan 1, 2012
コメント(4)
全10件 (10件中 1-10件目)
1