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この寒いスイスで、冬をどう楽しく過ごすか。大好きな温泉があるわけでもなく、おいしい鍋パーティ三昧なのでもなく、かと言って、家にひきこもっているのもつまらない。多趣味の相方は冬は冬で、ホッケーに、スノボにと相変わらず楽しそうに忙しくしている。ホッケーは全くかじる気もないのだが、スノボは若かりし頃、そこそこはまって毎年スノボ旅行には出掛けていた時期もあった。が、年重ねる毎に、寒さに耐え切れず引退。そんな去年の冬、もうスノボする事はないと信じていた私に素晴らしいスノボのプロ救世主が現れた。このスノボ大好きボーイ2人と、スノボ毎年行きますガール1人がなかなか腰の上がらない私をスノボ旅行に導いてくれまたまた素晴らしい指導の下、なんとめちゃめちゃ楽しくスイスイ滑る事が出来た。彼らのおかげで『スノボってやっぱり楽しいね!』と再びスノボにはまりそうな予感大の中、幸運にも従姉妹からBurtonの板をゲット私も毎週末、相方と一緒にスノボに興じる事が出来ればこの寒い冬も楽しくなるのではないか!との思いを胸に今回、我が村から車で1時間弱のゲレンデの村、『BoscoGurin(ボスコ)』へスノボしに行く事となった。常々相方には、『日本でスノボに行っていたのは、 温泉付きだったからダゼ』とか『寒いのが苦手な私が、 雪山に行くのは相当な心構えが必要なんダゼ』とか、グチグチとスイスでスノボするには悪条件が揃っている旨を伝えていた。しかも初心者の私は、苗場の様になだやか且つタダっ広いゲレンデに慣れている事も伝えていた。思い起こせば数年前、『春スノボは気持ちいいよ』のうたい文句に踊らされ、あの マッターホルンで果敢にもスノボに挑戦してしまった事があった。しかも、間違えたリフト選択により超初心者の私が中級コース目白押しのそれはそれは恐ろしいゲレンデに到着。。。人一人が滑れる程のほっそいコースで、左はガケだから気をつけて的な状態が続く中、最後には身の危険を感じ、スノボをソリ状態にしてゲレンデを滑り降りた経験あり。『あんなゲレンデなら私スベランよ』と忠告するも『これから向かうBoscoのゲレンデは初心者向けだし、 広いから大丈夫、大丈夫!』と笑顔の相方。幸運にも平日に雪が続き、パウダー間違いなしの天気のよい日曜。準備万端で車に乗り込んだ。車でちょっと走ると真っ白雪化粧。山道を登るとそこはまさに雪山。すかさずチェーンをつける相方。『手が凍りそうダネ~』真っ白山道を越え、ついにBosco到着!ドキドキワクワクを胸にリフトへ向かうと、人だかり。よく見ると、前日から泊りがけでスノボに来ていた友人達がリフトの最前線で地団駄を踏んでいた。今朝のラジオ情報では、ここボスコは昨日夕方から積雪による断線で停電状態が続いており、が、今朝11時には復旧、リフトも稼動しているとの事だった。我が家が到着したのはお昼の12時。すでに動いているはずのリフトは未だ停止状態。しかもいつ稼動するか不明との事で、スノボしたくてたまらない人々はフラストレーションが溜まりまくって雪をむしゃむしゃと食べ始めたり、雪山で人を落として楽しもう合戦が始まっていた。陽の当たらない雪の上で例えウェアを着ていようが、さすがに冷えてくる体。リフトは動き出したと思ったら、すぐに停止。また動く→止まるの繰り返しのまま状況変わらず。時計を見るともう14時。遅めに到着した我が家でさえ、もう2時間も待っていることになる。ゲレンデは16時まで。いつオープンするか分からないし、オープンしたとしても2時間も出来ないから帰ろう、と思っていた矢先、あっさりリフトオープン。リフト券も売り出した。待ちに待ったリフト再開で、人々は興奮しながら雪山へ。もちろん我が家も雪山へ。そんなリフトからの絶景にみとれる我が家。さてさて、始めましょうか。という軽い調子でスノボを始めようとした私。が、へ?これだけ?めっちゃせまいやん~。って思うほどの幅。ムリムリ。アタイ ヒロクナイト ムリッテ~と私。でも、無いものは無い!ガンバルノダ!と相方。少し滑り下りると、小さいリフトがあるので下ってはそのリフトで上がり、またそのリフトまで滑るのがいい初心者コースなり!なんて言うもんだから、後のない私はその通りにしてみる。しかもそのリフト、なんとよく見ると、いやよく見なくてもあの恐怖のTバーじゃないか~!あのお尻のしたに入れるTバー。あの不安定なTバー。あの転ぶ率高いTバー。泣きそうになりながらもTバーに乗る?挟む?私。転ばないように精神集中させ、一点を見続け無事ゴール到着を祈る。が、それでもTバーで転ぶこと2回、しかもパウダーにどっぷりはまり、抜け出せなくもがく事1回。そんなこんなで雪まみれになりながらも、何とかちょっと感覚を思い出し滑る事が出来た少しだけ満足の私。時間も時間だし、付きっきりにさせてしまった相方を大好きなパウダーへ送り込む。そして私は一人で、一番下まで滑り下りる事にした。が、よく見ると、いやいや、よく見なくても、めっちゃ急。しかも狭い。ムリムリ。でも滑らないと、おうちに帰れない。私よりもずいぶん小さい子供達はしょげている私を背に、かっこよくスイスイ滑って下りている。マッターホルンのようにソリして滑るのはもうイヤだ。だってかっこ悪いもん。って事で、これでもか、と言うほどのブレーキ効かせながら相当な時間をかけ、無事に下山終了。ハ~、と安堵のため息をつく私。『パウダーたまらんかったゼ』なんて楽しそうに話す相方とお友達。雪山もリフトも何一つ私の好きなものではなかったけど冬の楽しみのため、これに懲りず、私のスノボ合宿は続く。パウダーで気分すっきり来週も滑るであろう相方の下に。スノボしてから今日で2日目。なんとスノボに付き物の筋肉痛が全くない。若さ一杯の体で筋肉痛を蹴飛ばしてくれたのか、それとも老化現象により、出現までに時間がかかっているのか。来週のスノボで様子を見ることにしようっと。
2008年01月14日
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今回この旅で久々にバックパッカーをしてみて、勘弁してよ~と泣きそうになった事もしばしば。が、やっぱりバックパッカーは楽しい!沢山の人達との出会いと別れがあり、思いがけない偶然があり、観光名所を訪れるだけではなく、地元の人達とのふれあう事が出来た。インドネシアの人達はどこでも明るく、外国人である私達を気持ちよく、暖かく迎えてくれた。道を歩いていると、子供も大人も『ハローミスター、ハローミス』と言って手を振って近寄り、『フォト、フォト』と言って写真を撮って欲しがる。そんな明るい彼らに何度も励まされ、明るい気持ちになり、この1ヶ月とっても素晴らしい旅をする事が出来た。沢山の思い出を胸に、インドネシアを去った我が家。スイスへ戻る前に、シンガポールで一休み。今回の旅で初シンガポールエアーを利用した我が家。噂だけあって、そのサービスは素晴らしいの一言!機内エンターテイメントが充実しすぎてて、寝る時間が惜しいほど。本当すごいね、こりゃ。そしてシンガポール空港のサービスもこりゃまたすごい。乗り換えの時間がたっぷり8時間あった我が家。シンガポールをちょいと見て周りたいと相談した所、『観光名所を回る3時間無料バスツアー』と、『空港~中心街の無料往復シャトルバス』がある、との事。我が家は無料シャトルバスを利用し、リトルインディア、ラファエルホテル、そしてかの有名なマーライオンを拝み、夜景を眺めひと時のシンガポールを十分楽しみ、雪降るスイスへ戻った。そして帰国した翌日から雪が降り続け、旅気分から一気に現実へ引き戻された。~関連日記~インドネシアの旅~バリの巻~ インドネシアの旅・2~スラウェシ島・トギアン諸島の巻~インドネシアの旅・3~スラウェシ島・タナトラジャの巻~
2008年01月08日
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中央スラウェシの港町アンパナに到着した我が家。次のディスティネーションは日本でも『トラジャコーヒー』で有名な『タナ・トラジャ』。このアンパナから距離にして600km程度だが、クネクネ山道と恐ろしいロードコンディションにより所要時間はなんと怒涛の約12時間。。。幸か不幸か、到着した翌日がイスラム教のお祭りの日に当たり、トランスポートが全く機能しないという事で我が家はこのアンパナで足止めを食らった。が、このおかげで我らの向かう『タナ・トラジャ』からアンパナまで客を運び、これから再び『タナ・トラジャ』に戻るという車付きタナ・トラジャ人ガイドのユフツに出会う事が出来た。彼との出会いでタナ・トラジャはますます特別な物となった。値段交渉の末、格安で快適なジープで我が家を『タナ・トラジャ』まで運んでくれる事に。朝9時にアンパナを出発。途中雨に打たれ山道が洪水と化し、一時は無事にタナ・トラジャまでたどり着けるのだろうか・・・と不安にもなったが、夜21時、無事に到着。ユフツお薦めの宿を拠点とし、約一週間このワンダーランド『タナ・トラジャ』を活発に探検ここ『タナ・トラジャ』は、今でこそキリスト教の土地だが、キリスト教が広がる前は独自の方法で自然神を信仰していたそう。宗教は変われど、そのトラディショナルなライフスタイルは今もなお、強く引き続けられている。まずは家の形。バッファローの角のような屋根を持つ家と米塚が沢山。そしてここ『タナ・トラジャ』で有名なのは、独特なセレモニー。ガイドのユフツに連れられ、地元人のお葬式とハウスセレモニーに参加させてもらった。まずはお葬式。この土地のお葬式は2種類あるそう。一つは人が亡くなった直後に行うお葬式。そしてもう一つは、我が家が参加した、ある期間をおいてからと行うというこのお葬式。この期間は長ければ数年にもなるとの事で、その間故人は家族と共に家に置かれる。家族はお葬式用に出来る限りのバッファローと豚を買い、一週間にも及ぶこのお葬式に参加するゲスト用の簡易寝床をバンブーで作り上げる。バッファローは安くても7万円から。豚でも4万はするという。外食一食が100円前後の彼らには相当な金額。しかもそれを数等。相当な費用が必要になる。それらを生きたまま裁き、その肉がゲストへの食事となり、余った肉はオークションにかけられる。あまりの血なまぐさい光景に、またまた怯んでしまった私。どんな貧しい家族でも、このお葬式の為最低1頭のバッファローを用意するのだそう。そしてこの1週間に及ぶお葬式の後、埋葬され本当のお別れをするという。その後、別のセレモニー、新しい家を建てたお祝いであるハウスセレモニーへ向かった。ここでも豚が数頭用意され、神に捧げられその後裁かれ、ゲスト達へ振舞われる。そして同じく豚肉のオークションが始まる。その後かわいい少女達のお祝いの舞踏が披露された。周りにいる人達は、踊っている彼女達の頭にお札をはさんでいく。そして男達は雄叫びをあげ、その場を盛り上げていた。とっても独特なセレモニーに参加した後、我らのガイドであるユフツが彼のお友達アリの結婚式に我が家を招待してきた。なんとタナ・トラジャ人のアリと、ドイツ人女性がこの地で結婚式を挙げるのだというその日はクリスマス・イブ。晴天結婚式にも参加する事になった幸運な我が家。興味深々。まずは教会式。教会へ向かう新郎新婦。そんな教会も独特。新郎新婦をナスコートしたかわいい少女達。長い教会式の後、タナ・トラジャ式披露宴へ。野外で行われるこの場所にもゲスト用に簡易床が用意され、他のセレモニーと同じく豚がゲストに振舞われ、豚肉のオークションが始まり、そして少女達の舞踏が披露され、人々は雄叫びをあげつつ、おひねりを彼女達の頭へはさんでいった。こんな貴重なセレモニーを体験できた大満足な我が家。その後はブンブン原付バイクで近くの村を探検・探検。いくつかの、この土地独特のお墓を訪れた。この特別な木には、穴を彫り、生後3ヶ月までに他界した赤ん坊が埋葬されている。木が母体として、樹液が母乳として意味し、赤ん坊が母親の体の中で安らかに眠れるように、との事だそう。続いて別のお墓。このお墓も自然の岩山に穴を彫り、故人を埋葬するのだそう。洞窟のような中は真っ暗で、そこらじゅうに棺と骸骨が散らばっているというとっても不思議な光景だった。また別の日には6日に1度行われるマーケットへ。ここでは野菜、魚、挽きたてコーヒー、生活用品、そしてこの土地でとても重要な意味をもつバッファローをはじめニワトリ、豚が生きたまま売買されていた。また別の日には周囲の山々をブンブンブブブン。お米の収穫。大仕事。ここタナ・トラジャはスイスの様に山々こ囲まれており標高は600mから2000mので、インドネシアらしからず夜はエアコンなしでも快眠出来た食事は手で食べる事も多く、道はガタガタで普通に走る事が困難。貧しい地域であるのだろうけど、豊かな素晴らしい自然があり、人々は明るくそして外国人の私達に何よりもやさしい。このスラウェシ島で、暖かい現地の人の気持ちを存分に受け取り、まだこの島にいたい気持ちをおさえ、泣く泣くバリ島へ戻った。~関連日記~インドネシアの旅~バリの巻~ インドネシアの旅・2~スラウェシ島・トギアン諸島の巻~シンガポールとあとがき
2008年01月08日
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時差ぼけもなくなり、旅の疲れも取れ、インドネシアの暑さ&湿度にも慣れてきた頃、我が家はバリ島から、今回の旅のメインとなるスラウェシ島へ飛んだ。スラウェシ島はイスラム教徒が多く住む島でアルファベットの『K』の形をしたインドネシアでも大きめな島。観光客がそれほど多くない事は知っていたのだが、どのくらいの規模で、どの程度なのかさっぱり分からなかった我が家は不安と期待を胸に、北スラウェシの港街ゴロンタロへ到着。空港からして、今までいたバリ島とは全く違う土地であると理解。その日の夜に、相方希望のトギアン諸島へ向かうフェリーに乗る予定だったので、港まで向かいたかったのだが、どうやって向かっていいのかがさっぱり分からず。空港にはインフォメーションカウンターも無く、人々は英語が全く通じない・・・中心街までパブリックトランスポートがあるのか、そしてどのくらいの距離にあるのかすら分からない。空港を一足抜けると、ハイエナのごとくタクシーの運転手達が、我先にと我が家に襲い掛かってくる。こ、怖い・・・やっとの思いで港へ向かいたいという事と、値段交渉を終えでも無事に港に到着出来るのか、不安を隠しきれずタクシーへ乗り込んだ。不安とは裏腹に無事に港へ到着。ここで、奇跡的に英語が話せるインドネシア青年に出会い、彼のおかげでフェリー内のキャビンの獲得と、フェリーチケット、これから向かうトギアン諸島の詳細情報をゲット出来た。ご縁だね~言葉が通じるというだけで、胸にうずいていた不安は一掃された。フェリー出発まで街をブラブラし、夜20時にフェリーは出発した。このフェリーで約12時間かけてトギアン諸島へ到着する。夜に出発するフェリーと言っても、基本的には椅子のみ。追加料金を払った人が、リクライニングシート、雑魚寝ゾーンそして、我が家の取得した4ベッドあるキャビン一部屋で寝れる。そんな雑魚寝ゾーン。一晩中、男達はタバコをふかし、あーでもないと話し続け、赤ちゃんは泣き叫び、他の人たちは携帯で音楽を鳴らし続けていた。キャビンという個室で、外部と少しでも隔離出来ただけでも、少し高めの追加料金を支払った甲斐があった。そんな朝8時頃、無事にトギアン諸島最大の村ワカイへ到着。最大と言っても、村の様子はこんな感じ。村の人に『マクドナルドはどこにあるの?』と聞いたらオドロキと不安で慌てふためいてしまったので、『ジョークだよ』と誤り、我が家が滞在する宿のボードへ乗り込んだ。スピードボードで約30分。我らの『BlackMarlinDiveCenter&Resort』へ到着。この島には隣接するもう一つのダイブセンター&リゾートがあるのみで村もなく、誰も住んでいないまさにデザート状態の島。リゾートは3食付で、ゲスト&スタッフみんな一緒にご飯を食べる。島自体に水源がないので、スタッフが買ってきた水をトイレ&シャワー水として利用する。電気は夜18時~23時のみ。それ以降はロウソク使用。もちろんシャワーは水のみ・・・私にとって久々となる水シャワー。一瞬気持ちが怯んだ。が、リゾーとのスタッフは愉快でフレンドリー。みんなで食べるご飯もおいしいく、楽しい。これぞバックパッカー。やっぱり人との出会いは最高っすね~。宿には冷蔵庫というものもないので、毎日食事に出される魚介は新鮮そのもの。そしてなにより、見渡す限り美しい海・海・海。リゾート裏にある小道を歩くとすぐにこんなジャングル。そしてそのジャングルを抜けたらこんな無人ビーチを発見スノーケリングだけでも楽しいこのパラダイスでもちろんダイビングも楽しんできた。珊瑚も魚も元気一杯。初めて近くでイカを発見。イカスミぶっかけてもらったそしてボートからはイルカの群れ発見。私も連れてって~同じ宿に泊まるバックパッカー達と旅の情報収集をし旅の話からプライベートな話まで花が咲く。TVもインターネットもないこの島で原始的かつ、心温まるスバラシイ6日間を過ごした水シャワーだってもう大丈夫そして我が家は旅を続けるべく、リゾート全員が見送る中、このパラダイスを離れた。更に小さい木製ボートに乗り、中央スラウェシの港町アンパナへ向かった。たくさんの思い出と、新しい土地への不安と希望を胸に。~関連日記~インドネシアの旅~バリの巻~ インドネシアの旅・3~スラウェシ島・タナトラジャの巻~ シンガポールとあとがき
2008年01月08日
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Happy New Year!!今年もどうぞよろしくお願いいたしますル。お久しぶりでござる。アパカバ~(お元気ですか)?我が家は、今週半ばにインドネシアの旅から無事生還。もちろん焦げてまっせ~スイスに帰国した翌日から今日まで、外は真っ白、雪三昧寒さに増し、あまりの乾燥に肌がカッピカッピな今日この頃。時差ぼけも徐々に取れてきているので、来週からはスイス活動を活発に再開出来そうでなにより。実は年始そうそう嬉しいお便りを聞き、幸先よし2008年、今年もいい事たくさんありそうな予感でいっぱいさてさて、1ヶ月近くに及んだインドネシア・ハネムーンの旅出発前の予定では、一、お決まりのバリ島二、相方熱望のスラウェシ島三、お友達推薦のフローレス島四、出来ればコモド島と大方の旅程をたてていた。が、行き急ぐ旅が苦手な我が家は最終的にバリ島5日間→スラウェシ島2週間半→バリ島4日間の感動ロマン不思議発見怒涛の旅をすることになった。今回は、メジャーなディスティネーションではあるが、我が家にとっては初の魅惑の島、バリ島からアップ。飛行機を降りた瞬間、体全体にベタベタとへばりつく、湿度たっぷりの熱気に早くも大興奮!初日は、バリ島随一の繁華街クタで一泊。メインストリートとビーチを大興奮の中、弾むように散策次のディスティネーションでもあるスラウェシ島の情報収集も無事終わり、エアーの手配も済み一安心。楽しそうな場所ではあるが、にぎやかな都会で安眠出来ない、という心きれいな自然少年、相方の希望によりクタを離れ、アートの街ウブドで4日間過ごす事にした。時差ぼけ、気温差、湿度により活発に一日をフル稼働出来る状態ではなかったのでホテルのプールで暑さをしのぎつつ、まずはモンキーフォレストを訪問。『カメラには慣れてますが、なにか?』そしてウブドを基点とし、バリ島北部を訪れる事に。ウブド近郊、Gua Gajah(エレファントケイブ)。続いて、Semarapura。Agung火山ふもと。マザーテンプルことBesakih。インパクトのある名、キンタマーニ。水浴びが印象的だった、Tampaksiring。そしてウブドでは、お決まりバリ舞踏を鑑賞。レストランはバリ島一と言われるウブドで、連日連夜インドネシア料理に舌鼓を打ち相方のお誕生日ディナーも滞りなくすませ、バリ島前半の旅は無事終了。この後、エアーで未開拓スラウェシ島へスラウェシ島でのアドベンチャーは、後日アップ予定なり。スラウェシ島からのワイルドな旅からバリ島へ生還した私達は最後の4日間をハネムーン気分満点のホテルでゆっくり過ごす事にした。といいつつも、前半のバリ島の旅で訪れなかった南部をグルグル。交通手段は、お決まりの原付をレンタル。ブンブンブブブン。サルに襲われたUlu watu。ウッキー夕焼けで有名なTanah Lot。そしてもちろんクタビーチでのサーフィン三昧かっこいいね~、いい男たちだね~。ホレちゃうよ。私は日本でボディボードをかじっていたので、基本の心を忘れず、サーファー達の中ボディボードを楽しむ。相方はオーストラリア以来なので6~7年ぶりのロング。クタの波は、想像以上に大きく高くうねっていた。波が後から後から押し寄せてくるので、一度波の中に落ちると、一瞬おぼれかける。が、それがたまらんのよね~。めっちゃ楽しいんよね~。相方もなかなかな腕前でサーフィン出来ていたし、私も久々に満足できる程、波乗り出来たし、地元サーファーの華麗な腕前を拝見出来たし、サーファーならではのスバラシイ肉体を拝めたし、2007年を波乗りで納めた。2007年ご苦労さまでした。さて、バリ島でのカウントダウン人が溢れかえっていたビーチに我が家も向かっていた。カウントダウンまであと30分という時、突然の嵐参上いつも通りすぐに去るかと思っていたが、なかなか雨がやまない。気がつけば、道は雨水で洪水状態。我が家は幸運にも、店の軒先で雨を逃れ雨に打たれ、かつカウントダウン直前で興奮している人々を眺めていた。ビーチにいた人々は、土砂降りの中、センターへ戻り始めている。こんな状態でも原付で移動している人もチラホラ。そんな勇気ある行動に、ギャラリーは声援と拍手で迎える。どこからか商売人バリ人が現れ、カサとレインコートを売り裁き始めている。既に飲んだ暮れのオージーは、雨の中歩きながらリバースしている。洪水と化したこの道で、水掛ごっこが始まった。『年越しは、店の軒先か~』とややブルーになったその瞬間なんと雨が止んだのだ!カウントダウンまであと5分。この奇跡に感謝し、洪水の道を走りぬけ、我が家もセンターへ。センターには人がごった返し、その瞬間をみんな待っていた。センターだったので、小さくではあったが花火があがり、地元も観光客も浮かれポンチのどんちゃん騒ぎ(古っ)道端で人々は笑い、水を浴び、酒を飲み、踊り、叫ぶ。我が家も例に漏れず、近くの人たちとニューイヤーのお祝い。と浮き足立っていたら、またあの嵐再来店の軒先に逃げる我が家。雨が止むのを祈り続け約1時間。雨水にぬれたくない我が家だったが、よりにもよってホテルからクタまで原付で来ていたし、プラス翌日はフライトがあるので、泣く泣く雨に打たれバイクで帰宅することに。道では出来上がっちゃっている酔っ払いたちに、水溜りぶっかけにより新年の祝福をされ更に雨に打たれたバイカー我が家は、新年そうそう風邪をひいてスイスへ戻ることになった。短くではあったが、合計9日間過ごしたバリ島。観光客が集まるこの島の魅力が買い物だけではないこと、リゾートだけではないことが、この旅で分かった気がした。~関連日記~インドネシアの旅・2~スラウェシ島・トギアン諸島の巻~ インドネシアの旅・3~スラウェシ島・タナトラジャの巻~ シンガポールとあとがき
2008年01月05日
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