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ついに明日からGW。ってもう今日なんだけどね(^^;今年は去年と比べてたった1日すくないだけで、海外へ出る人の人数が激減してるそうです。いいな、GWに海外なんて。。。。そんな私のGW、せっかくゆっくりしようと思っていたのに。。。。結局仏事です。温泉にでもドップリ浸かったりグウタラした日々送ってみたり・・・なんて思ってたのに丸つぶれです。いきなり30日に【手明け】があるので朝からご飯を炊いておにぎり作り。そしてそのまま3日には【四十九日】があります。ホッとしたのもつかの間で、5,6日と旦那ちゃんは休日出勤なので休みなのにお弁当作り。。。。最低でも29日から3日の夜までは旦那ちゃんの家に滞在です。いくら最近半月居たって言ってもヤッパリ環境の合わないところに長く居たくない!!ってか慣れないよ_| ̄|○ガクリしかも今回はお義姉さん一家も一緒だし。旦那ちゃんは何も言わない私がなれたと思ってるみたいだけど、私は長く居れば居るほど嫌になってるの気がついてないよね(^^;そんなこんなで明日からまたしばらく日記の更新が止まります。皆さまは良いGWをお過ごしくださいませ。♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪↑【GW世界まるごといいもの巡りフェスタ】<海外> 【¥980】ボージョボー人形・携帯ストラップGW予定のない人はとりあえずネットショッピングでもしませんか???一世を風靡したあのボージョボー人形が安いです。これで同居しないように願いかなえてくれないかな・・・・。↑4月はポイント10倍車に乗るなら必需品!?ハンズフリーの究極版ドライビングトーク見つかると罰金ものです。帰省などで長距離を運転する人!!とりあえずこれつけてると不意の電話に慌てなくて済んじゃいます。
2006.04.28
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まだまだ花粉が飛んでます。いい加減外で洗濯物干したい!!そして毎日毎日今日の夕飯何にしようそんなことを考えながら日々過ごしてます。コレが続にいう主婦頭なのです。事の始まりは実家での話。祖母の姉さんが何年か前に亡くなりました。悲しいかな子供がいなかったので、その方の財産が祖母へとやってきました。しかし、祖母はすでに認知症で財産の事なんて自分でどうにもならない状態。なので息子である私の実父が代理人として財産やら仏壇やらを管理することになりました。財産といってもそんな多額ではないそうです。(良くわからないですが)仏壇はお寺に頼んで処分(だったかな?)してもらったそうですが、問題は家。その方がなくなる前は施設に入っておられたので、家は誰も手入れしてない状態でシロアリがあちこち食い荒らしたり、湿ったにおいがする最悪の状態だそうです。そんな最悪の状態の家ですが、場所はわりと中心地なので便利なんですが、何せ狭い。とにかく狭い。しかも大通りから狭い道をチョット入ったところという微妙な立地条件。人に貸すにもちょっと微妙。そんな家の立っている土地をお隣の家の人が買いたいと申し出があったそうです。ですが、登記を調べていくと大変なことに名義人が随分前の人。祖母の姉さんの旦那さんのお爺さんの名義だそうです。名義人がそんな前の人のままという事は、土地を勝手に売る事が出来ないんです。相続の資格をもつ人全員の稟議書が必要になります。祖母ですら90にもなろという高齢なのでもちろん名義人の方は亡くなってます。ってことは。。。。要するに祖母の姉さんの旦那さんのお爺さんからみた相続の資格を持つ人。。。。そのお爺さんの子供のその又子供の子供。。。。鼠算式に増えていったい何人に稟議を貰うのか判らない状態(^^;はっきり言ってメンドクサイの一言。でも投げておけば投げておくほど先の人は稟議書を取る数が倍倍ゲームで増えていくわけです。祖母の姉さんも途中までやりかけてたらしいですが、結局途中で断念したらしいです。そんな面倒な財産を何とかしようと実父はやきもきしてます。財産って何もプラスばかりじゃないんですよね。そのとってもメンドクサイ財産の話を時々愚痴ってる父ですがなぜそこまでやきもきするかと言いますと、祖母に相続権がある為に固定資産税を私の父が払ってるんです。 年間8万円。箸にも棒にも引っかからないようなものに8万円です。そんな金あるなら私に8万投資してくれって感じ(ーー;仮に祖母が亡くなるとその権利は実父と伯父の所へ行きます。なので伯父も全く他人事ではないのですが、伯父は固定資産税を払ってないのもありますが、ただ単純に稟議を取るのが面倒なのでそのまま固定資産税を未納にして国に土地を返還しろといいます。ですが、それまで固定資産税を払い続けてた父はみすみす国に土地を返したくないそうです。せめて借り手が入れば更地にして資材置き場でも駐車場にでもするらしいですが、なかなか借りても見つからないのが現実。はじめ実父の考え方をケチだと思いました。そういえば去年の今ぐらい前に父の話を書いた気がします。コチラ参照でも話を聞いてみるとコレが面白い。単に払った分のお金を取り戻したいだけじゃないんです。稟議取るにもそれなりのお金が必要になるので必ずしも儲かる話でもないです。ただ、自営業を営んでいた父としては儲かる儲からないの話じゃなく、諦める事がいやなんだそうです。解かりやすく言うと、会社を立ち上げて社員を雇ったものの、思ったよりも儲からないからじゃ、倒産します。というわけにはいかないのであれこれ手を尽くしますよね?会社としては。その精神が根付いてるので簡単に諦めるのが嫌なんだそうです。損してでも何とかしてやろうと思ってるんだそうです。コレがいわゆる自営業頭。なるほど。。。。確かに会社の業績が思うように伸びないからすぐ倒産じゃこまりますよね?それなりに創意工夫して欲しいもんだし。そして稟議を取るのが面倒だから税金を未納にして国にかえしてしまえ!!と言って、面倒なことはさようならと切り捨てる、あるいは誰かに押し付ける。要するに使えない社員や部下は面倒なのでどこか他の部署に回したり、やめるように仕向ける、もしくは会社任せ。コレが続に言う会社員の頭。う~~んどこの会社でも良く耳にする話だ。そんなややこしいやり取りを聞いていた母は・・・・「売れないんだったら、チャッチャと建物壊して更地にして誰かに貸したら?」といいました。コレを聞いた父が言うには。誰かに貸すのはいいし、誰かが何か文句言っても固定資産税を払ってるのは自分なのでうっぱらって財産を独り占めしたならともかく、固定資産代を稼ぐぐらい文句は言わせない。だけど、建物を壊して更地にしてと手間を考えると大体200万は必要になるからそれだけの価値があの土地にあるのか、というのも疑問で、それなら稟議を取って回った方がいいのではないかと迷ってるそうです。そして母のようにとりあえずという処置を考えてしまうのがいわゆる主婦頭。主婦は10年先、20年先も気にはなるけど、それよりも今日のオマンマ、明日のオマンマが食べれるのかが重要なんです。簡単に言えば目先のお金が大切とでも言いましょうか。。。なんかがめつい言い方になってしまった。。。でもどことなく納得。今日のオマンマ食べれなかったら困るし、お腹すかせてる旦那ちゃんは(子供がいたらきっと子供も)どうしたら良いの???なんてこんなことばかり考えるようになったら立派な主婦頭なんでしょうかね?そんなまだまだ主婦暦は短いはずなのにすっかり体中に主婦がしみこんでます。そういえば知る人ぞ知るはるるさん!!はトリ頭だったし(^^;でも言われてみたらそういう傾向が強いのかも知れませんね。今会社員をやってる人でも私の実父のような考え方が少しでもあるなら案外自営業向きなのかも知れないですね。逆に自営業の人でも伯父のような考え方の人は自営業よりも会社員向きかも知れませんね。ってじゃあ男の人で主婦頭の人はどないセイッ!!って感じですけど・・・・(^^;え???とり頭ならどうするかって???それはヤッパリトリ頭の先輩はるるさん!!に聞くのが一番でしょ(笑♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪↑《GW特別セット販売!》★送料無料★《任天堂》NintendoDS『脳を鍛える』&『もっと脳を鍛えるD...どんな頭だろうととりあえず脳を鍛えてみませんか???↑任天堂 DSライト(クリスタルホワイト)そういえば以前よりは手に入りやすくなったみたいですね、DSって。
2006.04.27
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昨日ついにたんやが終わりました~~自分でも良く勤め上げたと感心してます。(人はコレを自画自賛という^^;)昨日のたんやは最後だけあってもうホント疲れました。近所の話し好きのお婆さん(80代半ば過ぎ)がやって来たので、始まるまでいつもなら1時間がこの日は一時間半。。。。(^^;あげくお経歌の後のおもてなしが、いつもより30分延長、その後四十九日の打ち合わせがあったので誰もが帰られて片付けが始められたのがもう日付が変わる頃・・・。そこから1人で泣く泣く片付けました。旦那ちゃんは夜勤なので手伝うのは無理なんですが、お義父さんは「眠くなったからわしゃ寝る。」と言って寝ちゃいました。結局すべてを終えて、旦那ちゃんの自宅を後にしたのが一時半でした。おかげさまで今日は一日ぐったり。毎度のことだけど今回はさすがに疲れました近いところで残す仏事【手明け】【四十九日】【忌明け】です。それが終わると3ヶ月もすれば初盆です。人が1人死ぬとどういう事があるのかそれすら知らなかったのに、田舎の風習にブンブン振り回されてます。こんなことなら仕事でもしてれば良かった。。。なんてつい楽なことを考えてしまいます。でも、今回のことで思ったのは。義両親が健在のうちに嫌でもそういった地域風習を少しずつでも覚えてればもっと楽だったろうな。。。って思います。当時はついつい話半分に聞いててまた聞けばなんて思ってケド、ついにバチが当った気分です。そうは言っても逃げられない、次の行事も相変わらず戦うお嫁さんです♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪↑コーセー プレディア ボディケア ハンドセラム 150ml メーカー希望価格\1,800円(税込\1,8...洗い物ばかりで手アレしちゃいました。これがあちこちで売り切れてるみたいだけど、効果あるんでしょうかね?↑カワモト KBM プラスチック手袋 M 100枚最近思ったんです、痒みの酷い手アレはもしかしたらラッテックスアレルギーかも。。。コレはプラスチック手袋なのでラテックスアレルギーでも安心らしいです。↑さわやか下ばき用綿手袋ラテックスアレルギーの方、もしくは疑わしい方、面倒でも下ばき用の綿手袋してみたらいかが???100均にあるようなのでなく、手首辺りまである長いものがいいですよ。
2006.04.26
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今年は花粉症、最悪です(T▽T)病院へ行きたかったんだけど、お義母さんの看病から葬儀にいたるまでホント忙しくて自分の病院なんて行けなかったんです。しかも、花粉症の症状が出始めたのがちょうど葬儀あたり。なので失礼を承知でマスクのまま葬儀に出てましたよ(^^;私は世間様で騒がれる杉よりもヒノキの方が症状が酷いので葬儀中はまだ良かったんですがそれ以降、どんどん酷くなってきて、4月の半ばから最悪のきわみです。今年はスギ花粉は少ないけど、ヒノキは多いみたいです。鼻なんて詰まりながら出てるから苦しいったらありゃしない。普段この時期はアパートにこもって季節的に軽く引きこもりがちなんですが、今年はそうも行かないのが悲しいところ。週の半分は旦那ちゃんの実家で片づけやら掃除やら家事してるんですが、旦那ちゃんの家系には花粉症は1人も居ない。うらやましい・・・・。なのでもちろん気持ちなんて分かってもらえるわけがない。それでも旦那ちゃんは気をつけて出来るだけ窓やドアを開けっ放しにしないんですが、お義父さんは開けっ放しに平気でするから大変。家の中でももちろんマスク(二重)しかも。。。大きな声ではいえませんが、マスクのしたは、鼻にティッシュ詰めた状態(^^;こうでもしないとマスクしてても鼻水は出てきて大変なんです。マスクなかったら百年の恋も冷めるような酷い状態。死んでもマスクはずせないよ、これじゃ。それでですね、例年でしたらこの時期、私はいつも黒柳徹子さんのマネが誰よりもうまくできると自負してました。でも今年は鼻が詰まりながら出てくると言う最悪の状態。いつも鼻をかんでいるのでなんとなく耳がツーンとなった状態。(花粉症の人ならわかります?)なので声がチョット低め。あの早口でチョット高めの声が出てこない。。。。まぁそんな持ち芸なんてどうでもいいや♪と思いながらテレビを見ていると今年はやたらあちこちの番組で長州小力を見かける。今旬なんだねぇ。と思ってみてて気がついた。案外この人って鼻づまりっぽい声じゃない???って事でもちろんまねしてみた。(するなって^^;)『キレてないっすよ(‐ω‐)b゛』すると。。。。キタ━━━━━(゚ ∀゚ )━━━━━!!!!!似てるじゃん、私。大喜びで(?)旦那ちゃんにご披露。すると大爆笑で「みゆ、お前今年から長州小力だな。_| ̄|○∠))バンバン」そのとき何にも考えないで旦那ちゃんに見せたんです。私、今前髪がすごく長くなってよくおでこ全開でハーフアップみたいにしてるんです。だからなにげにみた旦那ちゃんは髪型も真似してると思ったらしく腹を抱えて大笑い。。。。(ーー;髪型まではまねしたつもりないんだけど。。。。しかもなにげに黒のカットソー着てたりするし、私。とりあえずお腹がアレだけたるんでないのだけが救いだわ。ちょっと不機嫌になってると。「ホントはキレてんだろ?」と旦那ちゃん。もちろん私『キレてないっすよ(‐ω‐)b゛俺キレさせたらたいしたもんだ。』と返す。もう旦那ちゃん腹抱えてのたうち回ってます。散々笑ったあげく「ちょ、今度それを披露しようぜ。」と言い出す始末。ってかさ、人は花粉症で苦しんでるのに何笑い取ろうとしてるのよ。誰に披露する気なの旦那ちゃん(ーー;冷ややかな目で見る私に旦那ちゃん。「や~ごめん、そんな怒るなよ。もしかしてキレた? (* ̄m ̄)プッ」これって明らかに例の答えを要求してるわね・・・(ーー;いや確かにさ、私も似てると思うよ。でもさ、なんていうの?どうしても息の長い芸人さんには見えないのよね。。。そんな人のマネなんてねぇ・・・・。お願いだから長州小力、来年もその勢いを保って~~、そして来年もこのものまね使わせて(笑でももうしばらくこのマネ、使えるかも。(* ̄m ̄)プッ『キレてないっすよ(‐ω‐)b゛』♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪↑パラパラレスラーといえば、西口プロレス公認!長州小力Tシャツ(黒)いくら似てるといわれても。。。。さすがにこのTシャツだけは着る気持ちになれませんわ(^^;↑西口プロレス公認!小力弾(こりきだま)【投げテープ】(パラパラ レスラー利用)パラパラ踊って最後にコレ投げるぐらいならまだね。。。。ってでも今更パラパラですか。。。。↑パラパラレスラーのフリツケをマスター~お笑いど真ん中~in西口プロレス 長州小力VSアントニ...パラパラマスターしたい人はコチラどうぞ~~小力のパラパラ完全マスターだそうです。
2006.04.24
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女の敵は女です( ̄ε ̄)b" チッチッチだから女は敵に回しちゃダメです。これが社会に出てから学んだことの一つ。コレを学んでからなんとも私、腹黒くなった気がします。そのお陰か、親戚のおばちゃん達には嫌われることなく丸く丸くすべてを運ぶ事が出来ているわけです。ここに以前から来てる人なら記憶に残ってると思いますが、同居について個人攻撃してきた例の伯母を覚えてるでしょうか?あの伯母にも葬儀では出会いました。そう、葬儀で私に喪服を貸してくれた伯母です。あの時、喪服一緒に黒いストッキングも貸してもらいました。って言っても黒いストッキングも横ジマだらけで穴が開いたもう捨てた方がいいんじゃない??ぐらいくたびれたストッキングでした。でも洋服の喪服を準備し忘れた私も悪いってことで、その場を頭を下げて借りたんですが、葬儀が終わった後、もちろんその喪服をクリーニングして返そうと思ったんですが、すぐ着る予定があったのでそのまま持って帰られたんです。けど、そのままそこで終わるのはきっとマズイ、女の敵は作るべきじゃない。。。経験上そう感じた私は次に伯母に会うまでのところで新しいストッキングを一枚用意して、初回のたんやで会った時にこっそりと手渡しました。もちろん伯母は遠慮しましたが、それでも無理やり押し付け、あげく。。。『葬儀で着た着物(喪服)のタタミ方がわからないので都合の良い時でいいのでまたたたみ方を教えてください。』といって深々と頭を下げました。この伯母さん、でしゃばりな性格なんです。しかも伯母さんというのは若い子から頭を下げられると気分が良いのか「そうね、着物は天気の良いカラッとした日にたたまないといけないから、また天気の良い時にたたみ方を教えてあげるわね。」といわれました。そしてその日のたんやが終わって帰り際にもう一度お願いをしました。すると。。。。次のたんやから伯母の態度が一変しました。それまでは手伝うと言うことを一言も言わなかったのに、「みゆちゃんも1人で大変だろうから、大変だったら何でも言ってね、伯母さん手伝うから。」と言い出しました(ーー;それだけじゃないです、食事の時に伯母の長男の嫁の悪口まで始まる始末。「姉さん(お義母さん)はほんと良かったと思うよ、みゆちゃんが一生懸命看病してくれて。私の時あんなふうにお嫁さんに看病してもらえないかも知れないわ。 そしたら寂しいわぁ。」といってチラッと私を見たり、「解からないなら解からないでそれでも一生懸命やることが大切よね、なんだかんだと理由つけて逃げても何にもならないからね。 最近の子は逃げる子が多いって言うけど、みゆちゃんはホントすごいわ。」といって他の伯母たちにアピールしてくれたりして、おかげさまで私の株はどんどんうなぎのぼりに急上昇。もちろんお義父さんも鼻が高い。女の敵は女です( ̄ε ̄)b" チッチッチだから女は敵に回しちゃダメです。とは我ながら良く得た教訓だと思うわ。ストッキング一つでココまで態度変わるんだねぇ・・・・。そんなことならストキング一年分とかあげたら味方になってくれるかも。。。。(* ̄m ̄)プッストッキング一枚、サジ加減一つで楽に過ごせるようになるならお安いものだと思いません??♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪↑神田うのプロデュースGUNZE Tuche Uno Collectionストッキングそういえば神田うのってストッキングで御殿が建ったんだよね・・・・あなどれません、ストッキング。↑心地よい引き締めが大人気♪【送料無料】サポートストッキング(20足組)電線しにくいとは言っても案外消費物なのよね、ストッキングって。どうです?このさいどど~んとまとめ買いなんて。コレで態度が丸くなるならお安い!!(笑↑フォーマル パンスト:【Roberta di Camerino】そうは言っても不幸は急にやってくる。。。。タンスに、会社のロッカーに。。。。一つ黒いストッキング入れておくととっさの時に便利です。ってかコレ、安すぎ(^^;
2006.04.21
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もうぐったりです_| ̄|○ガクリたんやって行事は疲れます。さて、そもそも【たんや】とは何ぞや?と思われる方のためにご説明。簡単に言ったら故人が亡くなられてから6日ないし7日ごとにお経をあげ、魂が迷わずあの世へ行けるように導くのが一般的なたんやだと思われます。お経を上げる以外に色々あります。例えば私のところのようにお経のような歌をあげるところ、お経のテープを流すところ、線香が燃え尽きるまで般若信教(字あってます?)を唱える所、大きな数珠をみんなで持って回しながらお経を読み上げたり、お坊さんがやってきてお経をあげる所など、地域によって本当にさまざまです。って事で本編。旦那ちゃんのところはお経のような歌を【たんや】ごとに歌うという風習がありますが、コレがまた面倒。たんやの夜になると極近しい親族の代表が集まります。マズお茶を誰もでいただき、やがてお経歌が始まり、それが終わるとおもてなしが始まります。用は簡単なお食事を振る舞い、お開きの時にはお土産を手渡してお終い。というのが旦那ちゃんの所の【たんや】の流れ。たんやに集まる人の人数はまちまちだけれど、少なくて5人、MAXで10人。この人数をおもてなし。。。。。本来は作るそうですが((((( ̄ー ̄;、同居してないのをいい事におすしやお惣菜などを買って来て並べるだけと簡素化してもらってます。このおもてなしをホボ1人でやります。なのでこのたんやの日は私は朝から大忙し。家のことをやり、旦那ちゃんの実家へ移動して、たんやの買い物、そして掃除に仏さんへのお膳の準備、そしてもちろんおもてなしの準備。お惣菜を大皿にもり、チョットした煮物や和え物、酢の物を作り、おすしを準備。果物を切って盛り付けて食器を人数分用意して出来あがり。文章にするとアッと言う間だけど、実際はそうでもないのよね。間で仏さんのお膳の準備(仏さんのお膳には知っての通り動物性のものはすべてアウトで新しいもの、作りたてのものしかのせちゃダメです。)に夜にはこれないお客様のお相手とお茶の準備もこなします。そして時間と共に本来の【たんや】が始まるわけですが、はじめのお茶の時間が長い(^^;1時間お茶飲んで話し込むんです((((( ̄ー ̄;肝心のお経歌はわずか3分足らず。。。。いったい何がメインなんだか・・・。その後のおもてなしはホボ宴会。ってかおっさんおばさんの集まりなので、健康座談会だったり、最近の若い人への不満だったりします。(時々間違った知識あり)その宴会は大体1時間ぐらい。早くても9時半、平均10時半です。そしてそこから私は食い散らした後を1人モクモクと片付けるわけです。おもてなしの最中に私も一緒に食事をしますが、お醤油がないとか冷たいお茶もだけど、熱いお茶も出せといわれたり、貰ってきたお漬物を出せといわれて食べたような食べてないような状態。あげくお酌しろとか言われます。いい加減私は家政婦か(ーー;旦那ちゃんがいると結構助けてくれますが、夜勤があるのであまり参加できないからホボ私1人。ってか初回のたんやの時は前日の夜までお義父さんは「女性が1人しか居ないからお茶だけで勘弁してもらおう。」といってましたが、結局当日の朝になってから「やっぱり簡単におすしとお惣菜でオードブルのようなものをしてくれ。」と言われ、今のような形になりました。初回に沢山買いすぎてもダメ、少なすぎても失礼になるから量を気をつけろといわれて、頑張りすぎたのが仇となりました。以外に低価格で豪勢な雰囲気になったのでお義父さんは鼻が高々になり、私を自慢して何でもこなすすごい嫁扱い、しかも私もお義父さんを人前で恥をかかせるわけにはいかないと思ったので、言われるがまま準備してたら態度がどんどん大きく。。。。結果家政婦扱い。なんとなくイライラするのでじみ~に仕返ししてます(^^;そろいのグラスを納屋から出すのも大変なのでお義父さんだけチョット小さめだったり、とり皿も小皿二枚だったり、割り箸忘れたり。。。(^^;それでもお義父さんの顔はつぶれてません。むしろ伯母たちの間で私の評価はうなぎのぼり。何も解からない中で良くやってると褒めちぎられてます。それどころか、お義母さんの入院していた看護師さんたちの間で私は良く病院に来ると噂がされてたのを伯母たちが知っているので余計に評価が高い。なのでお義父さんもうかつに私に注意は出来ないわけです。(* ̄m ̄)プッ私って案外腹黒いかも。そんなたんやも残すところ後一回。この一回にすべてを注ぐわけです(何の?コレが終わるとようやく四十九日がやってきて大まかな仏事がひと段落です。これで面倒な伯母たちとの付き合いから解放されるかも。。。。早く終わらないかな。。。♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪↑一度は食べてみたい!高級黒毛和種でつくった牛トロ寿司:【食べ尽し5倍1213】これ、何だと思います???実は生の牛肉なんです。あぶった牛の握り寿司は食べたことあるけど生は食べたことないな~↑ギフト用「すぐできる冷凍寿司」よもやお寿司も冷凍の時代ですか。。。。
2006.04.20
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次なる問題【たんや】に行く前に、チョット寄り道お義父さんのお話。私は今は同居していないけど、いつかはいわれるかも( ̄ー ̄;と思いながら日々お義父さんの面倒を見ていたわけです、半月。まぁプレ同居ってヤツです。お義母さんは私とは正反対といっても良いぐらい性格が違いました。ってかそう思っていました。でも亡くなってみて、誰もの話を聞いていると案外似ていたのかも。。。と思うところもしばしば。。。。元々嫌いとかじゃなかったので、もしかしたら一緒に暮らしてみたら、時々言い合うかも知れないけれど案外解かりあえたかも、と思いました。まぁ故人のことを悪く言う人は居ませんからもしかしたらいい話しかしてないのかも知れないけど(^^;でもヤッパリお嫁さんという立場の人間ってお義母さんとお義父さんだとどうしても同性のお義母さんに目が行ってしまうので二人が健在だとどうやってもお義母さんの方を犬猿してました。そしてお義母さんがなくなってお義父さんという人をじっくり観察できるわけです。半月かけてプレ同居までしてじっくり観察しました。その結果・・・・お義母さんと同居するよりもお義父さんと同居の方が辛いかも。。。という結論に達しました_| ̄|○ガクリもちろんお義父さんも悪い人じゃないんです。嫌いでもないです。でもヤッパリお義父さんは男なんですよ、しかも昭和初期の。若い人に理解あるようで実際はフリ。男女平等に理解を示してるようで実際は男尊女卑。あげくジェンダーフリーまで掲げておきながら結局年功序列。近年の個性化の時代に理解を示しつつどこかマニュアル人間。私のように蓋の開いた箱入り娘には辛いかも(^^;お願いだから縛り付けないで~~~でも、とりあえず半月じっとがまんして、仮に同居を出されたときの条件を出すためにじっくり観察しました。なのでこの半月の間でお義父さんはもしかしたら黙ってなんでもするいい嫁♪と私のことを思っている可能性大です。だって旦那ちゃんですら、何も言わない私に恐れを感じているようです(どんな恐れだ?)人には我慢できることと出来ない事があります。その一つに私はタバコがあるんです。少し前にも書きましたが、とにかくお義父さんはタバコをとめどなく吸うんです。1人で勝手に吸うのはかまわないんですが、家の中で吸う事が私にとっては我慢できない。副流煙って吸ってる人が吸う煙よりも発がん性が高い。好きで吸ってる人が癌になるのは、自分でもある程度覚悟しての事。でも嫌いなのに無理やり副流煙を吸わされて癌になるのは覚悟なんて出来ない。ってか私だったら訴えたい!!って勢いで嫌なの。しかもタバコの煙で鼻がムズムズする私にはほんとに辛い(涙それなのに、そのタバコをキッチンで換気扇回しながら吸うんです。コレは煙が外へ出るからいいでしょ。ってことで許されてる家庭が多いらしいですが、私はコレが許せない。タダでさえ嫌いなタバコなのにキッチンで吸うなんて言語道断。キッチンなんかでタバコ吸われたら料理すべてがタバコの臭いしかしなくなるし、美味しくなくなる。まぁ私の作ったものが美味しくないという説もあるけど。。。(^^;しかも、ダイニングキッチンに二階へ上がる階段が設置されてるので、換気扇が煙を吸うよりも早く二階へと上がってくる。早起きのお義父さんは新聞を読みながら優雅にタバコをふかしている。二階で寝ている私は完全に副流煙の中で寝てるわけ。寝起きからタバコのにおい満載。不機嫌この上ないったらありゃしない。それにお義父さんは全く気を使わない。気を使われて息苦しいのも嫌だけど、全く気を使わないのに私が気は遣うので精神的に疲れる_| ̄|○ガクリ逆にお義母さんは目に見えて気を使う人だったので、私も気を使ってました。当時はそれが疲れるって思ってたけど、気を使う相手に気を使うのはまだお互いだから良いけど、まったく気を使われないと自分が気を使ってるのがばかばかしくなるし、イライラしてくる。でも気を使わないわけには行かない。。。。つ、疲れる_| ̄|○ガクリ言いたい事が山のようにあるのにどれ一つ言わないって。。。。でもおかげさまで同居するときに出す条件というか決めておくべきことが幾つか見つかりました。忘れないようにどこかにメモしなくては( ..)φメモメモ変な話ですが実際問題お義父さんが残ったのは良い事なのかそうでないのか疑問に思いました。お義父さんが残ればお金に困らない、けど嫁という名のお手伝いさん扱いされる。お義母さんが残ると家のことを頼んで働きに出れるし、地域行事などはほとんど変わりに出てくれるし、地域の風習もじっくり教えてもらえる。でも寂しがり屋なのでたちまち同居だろうし、同性なので相容れない部分で衝突しやすいだろうし。。。。私のわがままと言われたらそれまでですが今になればどちらが残ったのが良かったのか。。。なんてバカなことを考えてしまいます。♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪↑ガラスすっきり綺麗!『グラスクリン』汚れタバコのヤニも完全除去 室内でタバコ吸うとヤニであちこち汚れるんですよね。。。。(ーー;ムカデは出なくなるけど、家中がヤニで汚れるのは勘弁して欲しい。↑チョーコー だし入り かけ醤油 400mlお義父さん、塩分摂り過ぎなのがとっても気になります。このお醤油とっても美味しいです♪私も愛用してますが、塩分も普通の醤油の半分以下なのに、何にでもあう美味しさ♪塩分気になる人はこれつかってみませんか?
2006.04.17
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葬儀が終わり、ホットしたのもつかの間、お義姉さんが旦那ちゃんの実家に滞在してる間にお義母さんの荷物を整理しなくてはならないのです。葬儀の片付けが終わりひと段落、落ち着きたいのですが、そうも行かないのが悲しいところ。お義母さんの荷物を整理して、四十九日の形見分けに分ける形見を選定しなくてはなりません。始めのうちはお義父さんが居ない時にこっそりやっていましたが、なかなかお義父さんが居ない間だけでははかどらない。ってかそれだけ物が多いのよ(涙仕方がないのでお義父さんも巻き込んで大騒ぎしながら躊躇させる暇を与えない勢いで片付けをしました。それがもうホント泣きそう。まずお義母さんの物というのに定位置がない。家の中のあちこちに散らばってる。ってか今はもう誰も使っていない離れにもたんまり。。。。いったいどこから手をつけたらいいのか。。。。ボー然とする私にお義姉さんが「みゆちゃん、とりあえず裏の部屋が一番物が多いと思うからそこから行こうか。」と声を掛けてきたので、裏の部屋からスタートしました。が、一番物が多いといわれるだけある。二人係でその日に出来たのは押入れとタンス2つだけ。まだタンス二つと小物を入れてる小さい引き出しのついた棚が残ってる。。。。(^^;しかも、他に二つタンスのある部屋と、葬儀で使った場所にこまごまとしたもの、もちろん台所にもなにやらごちゃごちゃと。。。。そして恐るべし離れの8畳の部屋。ってかね、定位置がないって大変。タンスの一つの引き出しの中にお義母さんの服とお義父さんの服が入ってるからとにかく全部の引き出しを開けて一つ一つ広げないと誰のか解からない。神経衰弱みたいだよ。ってか神経衰弱するよ、これじゃあ。しかも間で昼食はもちろんだけど必ず2回お茶の時間(休憩時間)が入る。コレが田舎の大切な風習。さらに間で近所の人が様子見がてらにお茶を飲みに来る。なのでお茶を飲んだと思ったらすぐに近所の人が来てお茶を出さなくてはならない。大変なの解かってるんだからお茶なんて飲みに来ないで欲しい(涙そう思いながらもとにかく1週間以内にすべてを片付けるのが目標だったんです。次の日もまた次の日もとにかく家の中で見つけたお義母さんのものは処分。そうやって母屋のキッチンを除くところだけ片付けるのに4日かかりました。次の日からは恐怖の離れです。離れは人が普段使わないのでホコリっぽいことこの上ない。花粉症の季節とハウスダストが苦手な私はとにかく離れに行くとくしゃみが止まらない。もちろんマスクは使い捨てを二重にしてるのに全くだめしかも若い時にお義母さんは縫製工場に出ていたので手先がかなり器用だったので何かを作ろうと溜め込んだらしい布が沢山。。。。(^^;模様はかなりクラシックというかアンティーク。今じゃほとんどお目にかかれないような珍しい模様も沢山ありました。きっとこういうの欲しがる人沢山居るだろうな。。。。と思いつつ、そんなの悠長に選別してたら何時までたっても終わらないのでまとめて処分。他にも田舎らしく、まだ袖を通していないような着物も沢山。。。。そして驚くことに旦那ちゃんとお義姉さんの幼稚園の頃からの通知表が。。。。。(* ̄m ̄)プッ笑いながら見ていると、お義姉さんが「みゆちゃん、もう後ココとキッチンだけだから私、3日後には帰ろうと思って。。。」といい始めました。話をよくよく聞いてみると、上の子は小学校があるので1週間近く旦那さんの実家に預けっぱなしでそれが気になるので早く帰りたいそうです。気持ちは分かる、うん、子供ちゃんは心配よね。そう思っていると「でもね、じいちゃん(お義父さん)も気になってね。。。みんないっせいに帰ったらどど~んと寂しくなるでしょ? だから私たちが先に帰るけど、その後しばらく居て上げて欲しいの。」は?!な、なんで私達が残ることになるのよ。。。そしてさらにお義姉さんの話は続く「私子供連れでしょ?居なくなると急に静かになりすぎると思うの。だからフェイドアウトっていうの?私たちが居なくなって、いなくなったことになれたぐらいにみゆちゃんたちが帰るの。大体私たちが帰ってから一週間ぐらい居てもらえると良いんだけど。。。。」もうホボ確定といわんばかりの口調でした。ってかどうしてお義姉さんたちが帰った後どれぐらい残るかの日程まで勝手に組むのよ((((( ̄ー ̄;言われなければ一週間ぐらいかな?って思うけど、言われるとなんかいやだわ。この余計な一言が相変わらずなお義姉さんだこと。。。でも子供ちゃんのことを出されると何も言えないのよね。渋々うなずくと、「そう、良かった~♪ ○○の事(上の子)心配だったのよね。それに実はさっきバスチケット予約しちゃったのよね~」だそうです。。。悪気ないんだろうけどさ、最後の一言ヤッパリ余計なのよね(ーー;という事で有無を言わさずに一週間滞在期間が延びちゃいまいした。その結果半月もココ(ブログ)をあけてしまうという事態に見舞われたのです。でも仕方ないと腹をくくり、片づけを再開。とにかくくしゃみの止まらない私を見かねたお義姉さんが「みゆちゃん、ココはいいから夕食の準備お願いしていい??」と言ってくれたので、まんまと退散して夕食を作りました。そして夕食時、「そういえばみゆちゃん、【たんや】のとき1人だけど宜しくね」と急に言い出しました。【たんや】ってナンジャらホイ???そう思っていると、説明が始まりました。ようは、亡くなった日から6日ごとに極近い親族だけあつまって葬儀の日に歌ったお経歌を歌いましょうという習慣だそうです。。。。でも、単に集まって歌うだけなら楽ですが、どうやらお茶と簡単な食事を出すのが一般的だそうです。へ?????その【たんや】に来るのが少なくても3人、多くても7人を越える事はないでしょ。といった具合。3人きてもお義父さんと旦那ちゃんと私入れて6人、MAXで10人です。う、ウソでしょ(^^;唖然としてるとお義父さんが「人も居ないからお茶だけで勘弁してもらおうや。女1人で準備は大変だから。」と付け加えました。ってかね、実際はどんなことするのが普通なの???6日ごとに集まるのって何???何にも解からない私に押し付けてお義姉さんは帰るってこと?しかも、お義姉さんが帰ってからわずか2日後にあるんですよ、それ。たった2日だったら残ったらいいじゃない!!自分の実母なんだから2日ぐらい。。。。と心の中で大絶叫いったいどうなる1人の【たんや】ってか、もしかしてもしかするとこれはお義姉さんの陰謀?いや、まさか。。。。そしてそうこうしてる間に日にちは過ぎて行き、お義姉さんはまんまと帰っていき、1人(旦那ちゃん付)残された私。もうこうなったらやけっぱち。田舎の習慣なんて知ったこっちゃない、迎える次の敵は【たんや】どうする、私?♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪↑超立体マスク 業務用ソフトークI 100P片付けにはマスクは必需品。今年は私、大人買いして100枚入りを買いました。でも、どうせ買うならユニ・チャームのコレにすればもっとフィット感良かったろうな。。。。↑お経テープ内蔵仏前台お経院2こんなのあるの知ってました???もちろん私知りませんでした。
2006.04.14
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毎度どこのカテゴリに入るのか悩むのでついに自分でテーマ設定しちゃいました。 《ココまでの流れ》1年と少しの闘病生活の末、お義母さんが亡くなりました。悲しむ暇もあるような無いような。。。産まれて初めての葬儀、ドタバタの田舎の葬儀でぐったり。でもぐったりもしていられない旦那ちゃんの実家の滞在期間は一週間の予定だもん。ふと目を覚ます。今日はどうやら布団の中。。。。隣を見るとものけのから。一階からゴソゴソとと音と話し声が。。。。時計を見ると、10、10時?!旦那ちゃん、どうして起こしてくれないのよ~~とにかく手早く身支度を整えて一階に下りると、すでに伯母さんやらおじさんが片付け中。絶対ヤバイ・・・・。葬儀で届けられた花や供物のカゴの仕分け、取っ払ったふすまや障子を元に戻して。。。とりあえず挨拶も出来ない嫁では困る。って事で手近な人に挨拶をしていくと、誰もが口々に「旦那ちゃんは何時から熱あったの?」とか「大丈夫かね?熱は。」とか言ってくる。どうやら旦那ちゃんは風邪を引いて高熱がでて病院に朝から出かけたらしい。それならそうでどうして一言言ってくれないのよ(ーー;とりあえず朝食もろくすぽ食べずに片付けに取り掛かる。何も解からないけど何もしないわけにもいかない。とにかく沢山のお客さんに使った茶碗を片付けることに。ってかこの沢山の茶碗、どこで借りてきたんだろう?公民館とかかな??なんて思いながら割れないように新聞紙で包んでいると伯母さんが「これね、このフチまで青いのがウチので、このチョット白の分量が多いのがココのだから間違えないようにね。」と言って来ました。ん??ココのって??不思議そうにしてると。「コレはこの家の茶碗。コレは私の家の茶碗なのよ。ココラあたりの集落の人たちはみんな家にお客様用として最低でも20はそろいで持ってるのが普通なのよ。」はぁ~?ココは公民館ですか?そう思っていると、小皿やら中皿、やがては大皿までよく見たらそろいのものが多い。それどころか、徳利やお猪口、湯飲みまで・・・。田舎の家にどうして大きな納屋があるのか今判明しました。どうやら食器一そろいしかも20人分以上常時あるのが普通だそうです。それどころか、赤ちゃんのお風呂みたいな鍋が何個もあります。これじゃそれ専用の収納場所必要よね(^^;唖然としながらも片付けなくてはなりません。とにもかくにも必死で仕分けしながら延々茶碗やお皿を新聞紙で包んでは箱に入れていきます。お次はいくつもある保温ポットを乾かすために逆さにしておきます。ふと目をやると布巾の山。。。。どれが食器拭きなのか、テーブル拭きなのかさっぱり解からない。しかもどれもびしょびしょにぬれてるし(ーー;って事で洗濯です。まぁ洗うのは洗濯機がやってくれるのでいいのですが、こんどは干す場所がない。普段ならどうとでもなるけれど、庭は軽トラが2台そして人が周りをバタバタ。。。干せない。ってか干したそばからおじさんたちが手拭にしちゃうし。いい加減にしてくれ。とにかく今私が洗ったのは漂白もしてすっきりきれいにしたんだから食器用にしたいのよ。タオル=手拭って考えやめて欲しいわ。そして何とか布巾を干すと、次は葬儀の間に出された精進料理の片付けです。材料が沢山あまったもので腐らないものは次の機会(四十九日らしい)に回す為にキッチリ保管。腐ってしまうようなもの(残った煮物など)はそれなりにだそうです。それなりにってことは。。。。。食べて処分ってこと?!え~~~じゃああの缶入りの大量の豆腐は??ってかまだ煮物だってお漬物だって酢の物だってお味噌汁だって沢山あるしチョット引き気味の私にお義姉さんが「豆腐、さすがにコレはね。。。。今日片付けに来てる人たちに配ろう。」と言ってくれたので一安心。かと思ったら、まさか豆腐をそのまま渡せないので、コレもまた新聞紙(田舎らしいでしょ^^;)に適当な数包んでいく。煮物や酢の物はその日のお昼と夕食となるそうですが、それにしたって、酢の物なんて30センチ以上ありそうなボール二つ半あるし、煮物にいたってはヤッパリ豆腐が。。。。(涙とりあえず酢の物は人に分けることも出来ないので大人5人とちびっ子2人で処分です。さて、困ったのは豆腐と油揚げ。迷ったあげく、豆腐を渡した人には煮た油揚げをつけ、油揚げを渡した人には煮た豆腐をつけて手土産にしました。とりあえず減りましたが、それでも豆腐5丁はあろうかって量の煮物が残ってます(^^;この食べ物の片づけがある意味一番大変かも。。。。(^^;明日も明後日もきっと煮た豆腐が出てくるに違いない。豆腐嫌いになりそう(涙結局その日は葬儀の片付けだけで一日が終わりました。ってか私、食器を新聞紙で包む以外の仕事してないような気がするんですが。。。なんであんなに大量の食器持って無いとダメなの?あれじゃ食器のために小さな小屋が必ず必要じゃない。田舎の葬儀ってお金かからないって言う割りに(お義父さん談)実は水道光熱費がかなりかかってるんじゃないの?!ってか葬儀の片付けだけで一日が終わるってそんなもんなの?そしてどとうのような片付けは実はまだまだ続くのです。残りの片付けは、お義母さんの使ってたものです。コレがまたすごかったです。まだまだ私の戦いは終わりを告げません。人が1人亡くなると大変だとは聞いていましたが、まさかこれほどとは。。。。トホホ(涙♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪↑ライトロン割れ物を包む時は新聞紙よりもコレの方がクッション性があって割れにくいのよね。お引越しの際はどうぞ。↑エアーパッキンこれみると無心になってプチプチつぶしたくなりません?コレだとさらにクッション性もUPフリマなどにも使えますよ。
2006.04.13
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「おはよ~朝ですよ~コケコッコ~」突然耳元で聞こえました。この声は。。。。姪です(ーー;目を開けて見ると二回で寝てるはずの姪が。。。。慌てて目を覚ますと6時半。ちょうど良い時間♪そう思って起き上がると、台所に人影が。。。。。あっ!!すでに【組みかた】さんたちが台所に(^^;慌ててお義姉さんの方を見るとまだ寝てる。。。。。≪話がわからない人は、一日だけ戻ってね。≫とにかく慌てて起き上がってお義姉さんを起こし身支度を整えて台所に出ると、準備があるって聞いてたのに、ほぼ邪魔者扱い。。。。。(^^;仕方がないので葬儀会場へ行くとすでに片付け終了しており、会場準備のために縁側の障子とガラスサッシまではずす準備。完全に力仕事なのでもちろん出番なし。そうこうしてると、一同揃ったので一度集合して【組みかた】さんたちに、今日一日お願いの挨拶をして朝食へ。。。しかもまた前日と同じメニュー。。。。ご飯と豆腐と生姜の味噌汁、豆腐や油揚げ、お麩やしいたけの煮物、漬物だけの質素な精進料理。私しょうが苦手なんです(涙なので今日も味噌汁なしのご飯。そして会場準備をあわただしくしてさっき食べたはずなのに、もう早めの昼食。しかも同じ料理。食べ終わると同時に伯母さんに呼ばれて喪服の着付け。お義姉さんを着付けて、次は私。出棺があるのでとりあえず慌てて着付けてもらって、出棺です。火葬場について納骨して。。。。と一連の出棺作業が行なわれ、家に戻ると、程なくして葬儀が始まるのことに。葬儀の出迎えは女の人はしてはいけないといわれ、奥の部屋で待機してました。やがて葬儀がしめやかに始まり、そしてお墓への納骨を行いました。と、ココまでは普通の葬儀とホボ同じ手順。家に戻ると、今度は初七日の始まりです。で、始まる前に昼に着付けてもらった喪服を脱ぎ、洋服の喪服へ着替えろといわれました。え~?!洋服の喪服なんて持ってきてないし、必要だなんて聞いてない。ただ、和服の喪服は持ってきてって言われてたから準備してたけど。。。(^^;困り果てていると、伯母さんが「あら、もしかしてって思ったけど、こういうときは和服と洋服両方持ってくるのが常識よ。お義姉さんのは持ってきてるけど、みゆちゃんのは・・・・仕方ないから私が着る予定だったの貸してあげるわ。」といやみを言われました(ーー;でも仕方がないので洋服を借りて着ましたが、サイズなんて合うわけがないし(^^;しかし、なぜ何もする事がないはずなのに洋服へ着替えるのか???そう思いながら着替えて会場に行くと、お坊さんと親族が揃っていて初七日の始まりです。コレも普通に行なわれ、ひと段落すると、どこに居たのか【組みかた(男)】さんがワラワラと出てきてテーブルと座布団を出してきてセッティング。そうこうしてると、【組みかた(女)】さんが出てきてお膳代わりの食事の準備です。もちろん同じような、ご飯と豆腐と生姜の味噌汁、豆腐や油揚げ、お麩やしいたけの煮物、漬物だけの質素な精進料理。またコレですか。。。。(涙もちろん私たちも一緒に食べ、終わると同時に誰もがさっさと帰るようです。ココは私の実家近辺よりも簡素化されてます。私の実家付近は食事をしながら飲めや歌えのチョットした宴会が始まるんですが、ここはそれはないそうです。そして誰もを見送り、(手土産のようなものつき)終わったと思ったら次はなんと【組みかた】さん達をおもてなし。コレのために洋服の喪服が必要だったようです。例のご飯と豆腐と生姜の味噌汁、豆腐や油揚げ、お麩やしいたけの煮物、漬物だけの質素な精進料理を用意して、食べ終わるとそれを下げてお茶菓子やらおつまみやらを出して宴会の開始。。。。着替えたのはその準備と片付けの為と、お酌して回るため。もちろんこのお酌は男の人も女の人も関係なく葬儀を出した家の人がしなくてはならないんです。コレがまた大変。お酌しながら年齢も環境も違う人たちと和気あいあいと会話しなくてはならないんです。しかもなに言ってるのかさっぱり解からないぐらい訛りがキツイ。中には酔っ払って絡んでくるおっさんも。。。。しかし、【組みかた】さんは神様です。手伝ってくれた大切な人たちなので絡まれても笑って逃げる。私はホステスか・・・・(^^;そうこうしてると【組みかた】さんをまとめてる人がお開きの挨拶。コレが夜の9時。やっと終わった。。。。そう思っていると、「じゃあ恒例のアレをしようと思います。今日はお坊さんも居ますし。。。」と始まりました。ちなみにお坊さんはすでに帰宅されてます。どこにお坊さんが????と思っていると、1人の酔っ払いのおっさんが咳払いをして、葬儀を出した家の人たちを前へと招きます。な、なんだ????そう思っていると、並べてあったテーブルを片付けて誰もが祭壇の方を向いて並びます。????するといきなり酔っ払いのおっさんが前に座っておりんを鳴らし始め、「な~む~あみだ~ぶつ♪・・・・・」と歌のようなお経が始まりました。な、な、なんなの~~~このカルト宗教めいた雰囲気は?!すると幾度か【南無阿弥陀仏】というフレーズを繰り返すと、周りの人たちが「な~む~あみだ~ぶつ♪・・・・・」と繰り返し始める。唖然としながら周りを見ると、目を閉じ手を合わせて歌ってる。結局この歌のようなお経は南無阿弥陀仏×何回か南無御地蔵陀仏×何回かせんたい御地蔵陀仏×何回か延命御地蔵陀仏×何回かだそうです。回数は決まってないそうなのでそのあたりは気分次第のところもあるとか。。。。(^^;このなぞめいたお経歌(私はこう呼びます)は四十九日まで6日ごとに歌うのが慣わしだとか。で、この日は葬儀の分と、初七日分を合わせてさらにおっさんの上機嫌もあわせて各30回ずつやりました。はじめての事で唖然。ってかその場に残ってた人ではじめての人は私と同じように目を丸くしてました。な、なんでしょ。この怪しげな風習は。。。。コレって全国的にどうなの???ってかどう考えてもココだけよね(^^;そのお経歌が終わると誰もが挨拶しながら帰り支度。お義父さん、旦那ちゃん、私、お義姉さん一家は水のみ人形みたいに頭を下げてはお礼の品を渡していく。。。。。頭の下げすぎでだんだん気分が悪くなってきたよ。誰もが帰ると、待っていたのは【組みかた】さんたちが飲み食いした食器の片付け。それが終わると、そこに残っている血の濃い血縁関係者だけでまたも宴会。ってかまた宴会ですか。。。。_| ̄|○ガクリこのときすでに10時。これから宴会で近い親族ばかりだと先が思いやられる。。。。疲れてるから本当は早く寝たい、なのに、なのに。。。。。なんだこれ目の前にビールの入ったコップが。。。。半ばやけくそになって宴会開始。結局誰もが帰ったのが12時前でした。とりあえずその日は食器を下げるだけにして。。。。とおもって台所へ行くと。。。山のような煮物、そして給食センター並みの大きな鍋に入った味噌汁。そしてまだ使われていない豆腐が。。。(缶入り)コレって一缶の中に何丁入ってるの豆腐(^^;明日から豆腐三昧かしら?あ~目眩が。。。。きっと何かの悪い夢、きっとそうに違いない。ってかビールで酔っ払ってるのよ。そうよ、みゆ目の前にある豆腐も何かの間違い、もしくは業者に返品されるのよね、きっとそう。目の前にあるものから現実逃避をして葬儀の日の夜は更けていくのであります。そしてこのときは予想だにしていない恐ろしいほどの片づけが明日から待ち構えてるのです。♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪↑新・お葬式の作法こういうのって一般的なことしか書いてないのよね。まさかあのお経歌までは書いてないでしょ(^^;↑掛け軸 南無阿弥陀佛そういえばこんな掛け軸かかってました。
2006.04.12
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今週からいつもの調子に戻りますってかいつもの調子ってナンだ?!とツッコミを入れつつ、いつもの調子で旦那ちゃんの実家での出来事です。マズね、コレってココでテーマあってるのかな???話はお義母さんが亡くなった日から。お義母さんが亡くなったとたんに急に周りが流れ始めました。マズは遺体の搬送やら葬儀やら。。。悲しんでばかり居られないのが葬儀を出す人たちの性といっても手配はほとんどお義父さんがされたんです。普通というか一般的な流れとしては私は葬祭センターや葬祭会館など葬儀会社に頼むのが普通だと思っていました。これがどのくらい普通の話か知りませんが、葬儀会社だと遺体の搬送から葬儀の会場まで何から何まで手配してくれるというイメージでした(今まで葬儀を出す側に回ったことないのであくまでイメージ)ところが、田舎は違いました_| ̄|○ガクリいきなり遺体の搬送からつまづきました。田舎の葬儀は自宅葬儀で会館葬ではないので、少し違うようです。しかも葬儀会社もまだ決めてないとか。。。。へ?一応の話では近所の人がそういう車を持ってるらしいのでその人に頼むと聞いてました。ところが当日になってお義父さんが「アホ臭いからやめた。息子(旦那ちゃん)の車で運ぶ。」と言いはじめました。へ??アホ臭いって何が????と思い聞いてみると、遺体搬送専用の車を一台頼んで病院から自宅まで運ぶのに七万円かかるそうです。ちなみに病院から家までは時間にして40~50分。遠すぎるわけでもないけど、決して近くもない。七万って確かに高いけど、最初からその葬儀会社でお願いするとたぶん七万円はゼロになると思うんだけど。。。。でも決定権はお義父さんにある。ってかワリと一直線な人なので他の事が耳に入らない人。っていう事で旦那ちゃんの車で遺体を搬送することになりました。お義父さんの車もおおきいのですが、会社から支給されてる車なのと、お義父さんが勤めてる会社が住宅関係なので縁起を担ぐため、遺体を乗せるのは気がひけるからだそうです。ゞ( ̄∇ ̄;)おいおいまぁ会社の車で遺体を運ぶのはね。。。遺体を搬送するのって遺体を支える人が居るのでその役目はもちろんお義父さん。お義父さんの車はサイズも大きいのと、セダンタイプなので後ろが長いので慣れてない私は却下で旦那ちゃんが運転することになりました。そしてお義母さんの遺体を乗せた車を運転するのは私の役目。車を搬送口まで持っていき、お義母さんの帰宅です。お義母さんを乗せた車は雨の降りしきる中進んでいきます。朝だったので渋滞もしていて思うように車は進みません。すると、お義父さんが「ちょっとその灰皿貸してくれ。」といいました。お義父さんはヘビーというより、チェーンスモーカーに近いんです。どうやらタバコが吸いたいらしい。私はもちろんタバコ嫌い。旦那ちゃんはタバコを吸うけど、私と車に乗るときは極力吸わないようにしてくれる。副流煙(こんな字?)のことを気にしてくれてるのと、旦那ちゃんはそういうところで気を使ってくれる人。狭い車内で外は雨が降ってるから窓を大きく開けるのはNG。。。。そのうち一本火をつけて吸い始めました。タバコって吸わない人にはそりゃもう迷惑はなはだしい。。。ってか煙たくてむせる。咳払いしても全く気がつかない。お義母さんもお義父さんのタバコのにおいが大嫌いだったのに。。。。死んでからも隣でプカプカ吸われてかわいそうそしてあっという間に一本終わったんです。車内は煙たいどころかタバコ臭い(><)寒いけど、車の窓を少しだけ開けました。ようやく煙が外へ排出された頃、窓をやっと閉めれるって思ったのにお義父さんたらまた吸い始める。。。。お義父さんが肺がんになるのは自己責任だけど、私がなったら間違いなくあなたの責任です(ーー;そんなことを幾度か繰り返し(たかだか4、50分の間に4~5本吸ってました)自宅にやっと着いたんです。やっとお義母さん帰宅出来たね。なんて思いながらふと見ると家の中から見慣れない人が。。。。ってか知らない人だよ、あれ。唖然としてると、ドカドカと人がやってきて車のドアを開けてお義母さんを下ろそうとする。何者?そう思っていると、見慣れた顔が。。。お義兄さんだ。なんとなくホッとしましたが、ホッとしたのもつかの間、誰かにむんずと肩をつかまれてアレヨアレヨというまに家の中へ連れて行かれました。アタフタしてるとすでに家で待機していた伯母さん(義父の兄弟)が「遺体を寝かせるから、中から受け取って。」といわれました。しきたりなのか、そういうものなのか、遺体は玄関から室内へ入れるのではなく縁側から入れるそうです。しかも外からそのまま一緒に上がると忌みが着くといって縁起が悪いので外から中に居る人に受け渡すんだそうです。言われるがままに見知らぬおじさんやおばさんに混ざって遺体を受け取り、用意されていた布団に遺体を寝かせました。何も解からない私がオロオロしてるとお義姉さんが近づいてきて、さっきからウロウロしてる見知らぬおじさんやおばさんについて説明してくれました。どうやらこの見知らぬおじさんとおばさんは【組みかたさん】と言って近所の人だそうです。旦那ちゃんの実家の周りではまだ古い週間が根付いていて、この【組みかたさん】達がいわゆる葬儀会社の人の代わりをしてくれるんです。もちろん葬儀会社の人も居ますが、葬儀会社の人は祭壇の準備程度だそうです。説明を終えた頃、急にまたあわただしくなりました。通夜の準備です。二間つづき部屋のふすまをとっぱらって、どこからともなく持ってきた会議机やらストーブやらを並べて・・・・気がついたら伯母さんに服装チェックされてました(^^;「うん、うん、赤はないからとりあえず今日はこのままでOK。」赤っぽい色が入っていたら着替えないといけないのですが、ブラックジーンズにボーダーTシャツ、スウェット生地の紺色のジップアップを羽織っていたので着替えることなく通夜となりました。とは言っても特に何もする事がない私。旦那ちゃんはお義父さんに葬儀について教えてもらっていたし、お義姉さんは自分の子供の面倒やらナンやら。結局何をするでもなく、気がついたら食事の準備が出来てました。食事といっても、ご飯と豆腐と生姜の味噌汁、豆腐や油揚げ、お麩やしいたけの煮物、漬物だけの質素な精進料理。朝は何も用意されてなくて困っていたらお義兄さんがコンビにでおにぎりを買って来てくれたのでそれを食べ、昼と夜は全く同じものでした_| ̄|○ガクリ少し早めの夕食を済ませると、通夜が始まり、気がつけば【組みかたさん】達はさっさと撤収。アレヨアレヨというまに就寝時間です。ほとんどココしばらく寝ていないというのに翌日の朝、私とお義姉さんは少し早めに起きて準備があるとか。。。。しかも【組みかたさん】達が朝早くやってくるからお出迎えもあるらしい。他の親族は一昨日から病院で付っきりだったから通夜の線香当番は自分達がやるから病院についてた人たちはゆっくり布団で。。。といわれたんです。でも布団で寝ることも出来ず、すぐ動けるように入浴後はまた黒っぽい服を着て寝ました。ま、まじっすか、田舎の葬儀って。。。。ってか葬儀ってそんなに大変なものなの?!身内をなくして意気消沈してる暇なんてない!!とにかくめまぐるしく流れる周りについていくのが必死!!ってか【組みかた】って何?近所の人が亡くなったら手伝いに行くのが風習って。。。。それって同居したら私もそれに出ろって事よね?だってもうお義母さんが居ないんだもん。仕事してたらどうなるの?休まなきゃダメなの?そんな都合よく休ませてくれるところなんてないって!ってか仕事ある人は勘弁してくれるなら仕事しなきゃ大変じゃない!!何なのこの田舎の風習は!!ってかこういうのって普通にある風習?解からない、解からないわ~~こんな何も解からないままやがて葬儀の日へと続くのであります。。。。。あ~おそろしや田舎の葬儀♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪↑基礎からわかる仏事のしきたりコレってどこでも一般的なんでしょうかね?何も知らないよりは転ばぬ先の杖として一読しておくべきでした。(反省↑2割引価格で販売中【★】カンサイ エプロン 30 ブラック KA3000【組みかた】という風習があろうがなかろうが、黒いエプロンは一枚準備しておくといいかも知れませんよ。
2006.04.10
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何とか復活しました。結局原因はよくわかりませんが、Cドライブをスキャンしてみてゴミといわれるものを削除して何とか復活です。さて本題。先月他界したお義母さんの病気についてまとめのようなものを書き記したいと思います。元々は糖尿病を患っていたお義母さんですが、食べる事が大好きなためなかなか食事療法がうまく進みませんでした。事の発端は一昨年2004年の秋です。背中の中心あたりが痛いと訴え始めたお義母さんは痛くなるとお義父さんに頼んでそのあたりを叩いてもらっていました。肩でもない、肩甲骨の下でもない、背中の真ん中辺り。。。変なところを痛がるなと思いながらも叩いていたお義父さん。それがあまりに頻繁になるので、糖尿病の関係で病院へ行く時についでに聞いて来いと言いました。病院で症状を話し、血液検査をしてみたところ、血糖値が上昇して、白血球の量が増えていました。血液検査もおかしいし、血糖値の上昇具合も急激でおかしいと感じた医師はお義母さんにカメラを飲んで検査することを進めました。ただ、胃カメラを飲むのとは少し様子が違うようです。「カメラを飲み、胃よりも更に奥の膵臓の組織も少し採取したい。から麻酔を使うかも。。。」と医師から言われました。この膵臓の組織を採るのは非常に難しいと聞きました。なにぶん鉛筆よりも細いところを通り抜けて組織を採取するからです。なので、管を傷つけて大量出血するかも知れないとまで言われました。コレを行なったのが2004年の11月でした。やがて月が替わり12月の中旬になりました。私ところへ一本の電話が入りました。お義母さんからです。「ちょっとお金が必要になって旦那ちゃん(息子)の保険を一つ解約したいから本人に行ってくれって伝えて。」保険を解約してまでお金が必要って。。。。。?こういうお金の作り方は正直あまり良い予感がしませんでしたが、とりあえず旦那ちゃんに解約させました。(保険料は旦那ちゃんの両親が払っていたものです)そして年末。いつもなら年末はみんなですき焼きを囲んでワイワイ。。。というのが常でしたが、今年はどうも様子が違う。お義母さんだけが水炊きのようなものを別皿で食べていました。今思えば、あの時もう少し早く相談してくれたらすき焼きではなく、しゃぶしゃぶや水炊きといったお義母さんだけが違う食卓を囲まなくてもいいように出来たのにと思います。どうも様子がおかしいと思っていると、甥や姪が寝静まってから話がありました。「来年(2005年)に医大に移って手術することになった。」といわれました。ただ、そのときはまだ血糖値が安定しないのですぐに手術には踏み切れないといわれ、1月の半ばから入院して血糖値の安定をさせてからの手術となるといわれました。そして入院して半月後の2月1日に手術は行なわれました。その日はその冬一番の寒さと言われるほど朝から冷え込み、雪が吹き荒れていました。医大から一番遠くに住んでいた私と旦那ちゃんは時間もかかることだし。。。。という事で2時間前にはアパートを出発しました。案の定道が凍っていたので、安全運転で急ぎました。それでも2時間かかってギリギリに到着しました。。。。。が、お義父さんも叔母たちも間に合わず、以外にも一番乗りで結局私たちが手術室前まで見送りをしました。私たちだけでも間に合ったのですが、ヤッパリ不安だったらしく、手術室が近づいてくると涙を流していました。そして6時間後、手術が終わり病室に帰ってきたお義母さん。説明を受けることになった私たち家族。。。。始めは良性腫瘍だと誰も聞いていたのですが、開けてみるとそれは良性ではなく、完全に悪性でした。悪性という事は、いわゆるガン。見つかった場所は膵臓。これは非常に見つけにくい場所で、2センチの大きさで見つかるのはかなり早期だといわれました。普通はもっと大きくなってから見つかり、見つかった時はすでに末期というパターンがほとんどだそうです。なので膵臓ガンの中でもかなり早期だそうです。ガンの出来ていた場所は膵臓のホボ真ん中辺り、なので膵臓の2/3を切除、転移しやすい脾臓やリンパ線など、取り除けるものすべてを取り除いたそうです。とは言っても膵臓ガンというのは再発しやすいらしく、もし再発すればもう手術することは出来ないといわれました。旦那ちゃんは帰ってから必死で膵臓ガンについて調べました。。。そのとき解かったこと。5年生存率数%その後順調に回復したお義母さんは退院をしました。が、そのときもお義母さんには膵臓ガンの手術をしたことを伏せてありました。ただ、糖尿病の関係で時々病院へ行って検査したりしなくてはならないとだけ伝えてありました。お義母さんはそれを信じて食事に気を使い、通院していました。やがて夏が近づく頃、病院から体調が良くなったので放射線治療をすることを告げられました。このときすでに再発していたと思われます。放射線治療というと、ガンだとばれてしまうので、レーザー治療で痛みをとるとだけお義母さんには伝えられていたそうです。放射線治療は思っているよりも過酷でした。膵臓というのは胃の裏にあたるところにあるので、放射線治療は胃の上から当てることになるのでかなりの吐き気を伴うようです。それでもお義母さんは耐えました。誰もが副作用で髪が抜けないことを願っていました。でも運良く髪が抜けることはなく、放射線治療は順調に終わりを告げました。そして季節は移り変わり、秋へと変わって行きました。。。。秋になるころ、お義母さんの放射線治療は終わり、退院となりました。それから3ヶ月もしないうちに不調を訴え始めました。まさか。。。。誰もがそう思っていました。そう、転移です。またも入院となったお義母さんは何かを疑り始めました。ですが、お義母さんの性格上黙っている事が決まりました。このとき、嫁の私にはまだ何も知らされておらず、ただ不調で入院とだけ教えられていました。そしてそのままあわただしく年末に入りました。年の瀬も近づいたのでお義姉さんが帰ってきて、またあわただしく年越しを迎えることとなりました。このときお義母さんは年末という事で外泊許可を貰って帰ってきていました。が、運悪く腸感冒になり、吐いたり下したりの大変な状況でした。このときすでに痛み止めの【オプソ】を飲んでいました。結局新年2日目にして病院へ戻ってしまったお義母さんはそれからまた病院で安静の日々を送ることとなりました。このときあまりに年末年始に掛けての症状がおかしかったので、さすがにお義母さんも勘ぐっていましたが、運がいいのか悪いのか腸感冒だったのでそれが原因だと医師から断言されて希望を見出しました。そしてそれと同時期に家族や親族に再発と転移を知らされました。年末にCTを摂ったのですが、すでに肝臓に小さな黒い点(ガン)が見られたそうです。お義母さんには前回同様異常なしと告げられていましたが、実際は大きく変化していました。このとき医師から家族に「長くてさくらの咲くころでしょう」と告げられました。そしてその結果からついにデュロテップパッチ(貼るタイプの痛み止め)を一枚貼られることとなりました。これからは吐き気と痛みとの戦いになります。医師から病状を告げられて程なく、腹水が溜まり始めました。このときお義母さんの体重は40キロ半ばでした。私が結婚した当初(4年前は)70キロ近くあったのですが、2004年の入院以降劇的に痩せています。食事療法のお陰もありますが、ガン細胞のせいもあります。それでもガンではないと信じて戦っていました。1月は割りと安定した病状で過ごしていましたが、1月末にまたCTを撮りました。結果はかなりの腹水が溜まっているとの事。それにあわせて現在痛み止めもMAXで使っていると知りました。(デュロテップパッチ2枚)完全に末期です。まさしく余命3ヶ月だそうです。見た感じとてもそんな風には見えません、笑って話してる姿から末期で余命3ヶ月ですから。。。2月に入りさすがにお義母さんも疑い始めました。あまりに強すぎる吐き気と痛みですから疑うのも当然です。やがて食べ物を口にする事ができなくなったお義母さんは鎖骨の辺りから栄養点滴を開始しました。そしてこの頃から私自身見にしみてお義母さんが末期だと感じ始めました。体重40キロとなりました。40キロが切れるのは時間の問題です。点滴により、一時的に回復しましたが、それもやはり一時的でした。3月に入る直前に4人部屋から個室に移りました。そしてこの頃から時々別人のようなことを口走り始めました。これは肝臓が機能しないために毒素のようなものが脳に回ったためだそうです。この頃は体重がすでに40キロをキリ、35キロとなっていました。3月に入るととたんに病気が悪くなりました。一日の大半を寝て過ごすようになり、うわごとを言い出すようになりました。この頃から誰もが順番で病院に泊まりこみとなりました。寒くなって暖かくなると病状が悪くなるように思えます。そして今月に入って16日目の早朝、お義母さんは天国へと旅立ちました。最後は体重も30キロあったのか解からないぐらい痩せていました。臨終を確認した医師の話ですが、膵臓ガンというのは本当に発見が遅れがちになり、病状が進むのがとても早いガンだと告げられました。なので普通なら見つかってから半年ぐらいでトントンと亡くなってしまうケースがほとんどだそうです。しかも50代だとなお更早いそうです。なのでお義母さんのように見つかってから1年と少し生きた患者さんというのはかなり珍しいケースだといわれました。なので、お義母さんを担当した医療チームもそれにどうにか答えたいと思い、かなりの努力をしたそうです。お義母さんは本当に本当によく頑張ったと思います。そして後になってわかったもう一つの事。それは私以外の誰もがお義母さんに病気について聞かれなかったことです。お義父さんも叔母さんも誰一人として本当の病気について教えてくれと言われた事がなかったそうです。聞かれたのは唯一私だけ。私は何回も聞かれました、私だから聞いたのかも知れない、そう思うと教えてあげなかったのは罪だったのではないかと思ってしまいます。
2006.04.08
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昨日から何度もアクセスしても日記が書けませ~ん(涙 ログインは出来ます。 コメントも書けるのに、【日記・記事を書き込む】をクリックすると 《問題が発生したため、終了します。》 とエラーメッセージが出て画面が全部閉じてしまいます。 お義母さんの病気のまとめとその後わかったことや、半月の旦那ちゃんの実家暮しについて書こうと思っていましたが、いつになることやら… しかし急にかけないなんてどうしたんだろう??
2006.04.07
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お義母さんが亡くなった日は生憎の雨模様。まるで空もお義母さんが亡くなったのを悲しんでいるかのようでした。冷たい雨の降りしきる中、お義母さんの帰宅です。昨年のほとんどを病院で過ごして家に帰りたいといっていたお義母さん。家に帰ると吐き気と痛みに襲われて病院に帰りたいといっていたお義母さん。。。。吐き気がなかったり痛みがなかったら病院なんて帰りたくなかったよね。今日からは帰っても痛みも吐き気もないからね、お義母さん。お義母さんを乗せた車を運転するのは私でした。早過ぎないように最新の注意を払って自宅までたどり着きました。自宅へ着くと近所の人やお義兄さんがすでに待ち構えていてお義母さんが横たわる布団も敷いてありました。旦那ちゃんの自宅のあたりは自宅葬がまだ主流なのですでに近所や親戚の人たちが準備しておいてくれたんです。やがて棺が届き入棺となりました。体を拭き、棺に入ったお義母さんの周りには思い出の品や好きだったものを入れてくれと言われました。次々と棺の中に納められていく数々の。。。。。食品(^^;お義母さん、とっても食べることが大好きだったので好きなもの、思い出のものと言うと誰もが口々に「じゃがいも。」「おにぎり」「桜餅」などなど。。。。食事制限もやっとなくなったからと言うのもあるんでしょうが。。。。これでお義母さんが食べたかったもの何でも食べれるね。じゃがいもが特に好きで、外泊した時も、吐き気が酷い時もそれでもじゃがいもだけは食べたいと言って、そのたびに作って持って行ってました。そんなことももう今日からなくなってしまうんです。食品以外のものは家族の写真、孫達からの最後の手紙、好きだった演歌歌手のテープ。。。。。そして前に私がプレゼントした携帯ストラップとココにUPされていない毛糸で編んだきのこのマスコットが入れられました。花の中で眠るお義母さんは今にも動き出しそうな感じすらありました。しめやかに通夜が執り行われ、翌朝を迎えました。その日は驚くぐらい晴れ渡った空でした。まるで天に旅立つお義母さんへのはなむけのような青空でした。昼過ぎに出棺、その後夕方からの葬儀となります。火葬場で最後のお別れの時です。それまでも何度も何度も涙を流してきましたが、コレでお義母さんの姿を見るのは最後かと思うと言葉にならない思いがわきあがりました。色々と言いたい事はありましたが、結局最後まで桜を見せてあげれなかったことは謝る事が出来ませんでした。そのことを口にすると自分が普通で居られないような気がしたからです。やがて骨を拾い、家へと帰り、葬儀が静かに執り行われました。元々兄弟の多いお義母さん、親族だけで40人はいたと思います。友人や知人、お義父さんの会社の関係者などを合わせると総勢200名の葬儀となりました。花も沢山着ており、話によれば旦那ちゃんの実家周辺でもあまり見ないぐらいの参列者だったと聞きました。それだけお義母さんは誰からも愛されていたんでしょうね。もちろんそれだけじゃないです。ココで私がお義母さんの病状を綴ることによって顔も知らない名前も知らない沢山の人が気に掛けて心配してくれて。。。。そういう人たちを合わせるともっともっと沢山の人たちがお義母さんのことを悲しんでくれていたと思います。励ましの書き込みやメールなんかも沢山もらいました。とっても気を使うお義母さんだったので今頃お饅頭片手に皆さんの所へも挨拶に寄っていることと思います。本当に色々とありがとうございました。
2006.04.05
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前日が山だと言われたにも関わらず、お義母さんは頑張って頑張って一山越える事が出来ました。8人近くの人間が一晩ほとんど寝ずに過ごしたのですが、容態も安定していたので順番の一度家へと帰宅することになりました。年齢の若い私たち夫婦は一番初めに帰った人が病室に戻る頃に帰宅することとなりました。自宅まで帰った私と旦那ちゃんは手早くお風呂に入り、身支度を整え、葬儀の準備をして病院へ向かいました。着いたのは昼の勤務の人がお義母さんの歯磨きをしているところでした。病室に入るといきなり看護師さんが「痛い!!」そういって指を押さえて足早に病室を出て行きました。何があったのだろう???と思っているとその看護師さんが戻ってこられました。話を聞いてみるとどうやら指を噛まれた様子。うつろな目をしていてもどうやら意識はしっかりしている様子。なぜならその看護師さん、お義母さんが嫌ってた看護師さんだったんです(^^;指を噛まれながらも手際よく(?)歯磨きを済ませるとそそくさと部屋を出て行かれました。そしてまた何事もない穏やかな時間が流れました。しばらくしてまた別の看護師さんが口の中の洗浄にやってきましたが、その看護師さんはお義母さんのお気に入りの人だったので、それはそれは素直にスムーズに口をあけ、きれいに洗浄してもらっていました。夕方になり、それでも容態の安定しているお義母さん。コレは長期戦になると予想した私たちはやはり若い私たち夫婦が夕ご飯の買出しへ行きました。戻ってきてもまだお義母さんの容態は安定していたので、まずは叔母たちから食事を取ってもらうことにしました。病室にはお義父さん、お義姉さん、旦那ちゃん、私とそしてベッドの中のお義母さんの5人となりました。すると旦那ちゃんがお義母さんに「今家族しか居ないから言いたいことあったら今のうちにいいなよ。 久し振りの家族団らんだぞ。」と言いました。すると聞こえていたんでしょうね、お義母さんは体を大きく揺らし、「あー、あー」と何かを伝えようとしてました。ですが、体力がなくなり衰弱してるお義母さんはその動作を2,3回繰り返すとまたパタリと眠るように大人しくなりました。何を伝えようとしてたのか解かりません、もしかしたら本当のことを教えてくれといっていたのかも知れません。真相は結局わからないまま、お義母さんは最後の家族団らんを過ごしました。順番に食事を済ませ、しばらく部屋に居ましたが、さすがに誰もが前日からあまり寝ていないので順番に仮眠を取ることにしました。元々寝つきの悪い私は、病院という環境とお義母さんの危篤という状況で前日からほとんど一睡もしていない状態でしたが、どうしても寝付けずに居たので、お義母さんの妹にあたる叔母と話をしていました。するとその叔母がお義母さんに目をやると「みゆちゃん、ちょっと!!ヤダ!!」と急に声を上げました。言われるままにその目線の先を見ると、お義母さんが痙攣を起こしていました。とにかくナースコール!!無意識に手がナースコールを押し、叫ぶ。『痙攣してます!!』看護師さんがすばやく病室にやってきました。そして私はすばやく食堂で仮眠をとるお義父さんや旦那ちゃんたちを呼びに行きました。結局そのときの痙攣は約1分という短いものでした。でもそれから夜中の3時まで一時間に8回も痙攣を起こすようになり、何度か舌を噛みそうになったりもしました。やがて体力がなくなったのでしょうか、痙攣すら起こらなくなり、代わりに息を吐くときに「アー、アー」と声を上げるようになりました。看護師さんの話では、意図的に出してるのではなく、無意識に出ているものだと言われました。静まり返る病室にただお義母さんが呼吸するときに偶然発せられる「アー」という声だけが響き続けました。やがて声すら出なくなり、肩を使って大きく息をするようになりました。誰もがそのときから感づいていたのかも知れません、もう少しだと。。。。。夜が明けていくのと同じくしてお義母さんの呼吸も浅く、間合いが大きくなって行きました。呼吸のやり方が少し変わってきた頃です。お義母さんは肩を使ってそれはそれは大きく息を吸い込みました。そしてそのまますぅーっと息を引き取りました。お義母さんが大きく息を吸う少し前にナースコールを押して居たのですが、運悪く隣の病室の人もきわどい状態で、しかも誰も付き添いをしてなかったので、看護師さんがホボそちらにかかりっきりだったので、看護師さんが病室にやってきたときは息を引き取った後でした。それでも死亡確認は医師しか行なえないので看護師さんは慌てて先生を呼びに行きました。程なくして先生がやってきて死亡確認を行ないました。「3月16日 AM6:25 誠に残念ですがご臨終です。」医師の口からそう告げられた瞬間、お義父さんは大泣きしました。仕事一筋で生きてきて、家のことはほとんどお義母さんにまかせっきりだったお義父さん。すい臓がんになってからは毎日のように病院に通い詰めていたお義父さん。いつも仕事で1人っきりで寂しがっていたお義母さんへの罪滅ぼしでもするように病院に通っていました。なので思いも人一倍。。。。もちろん他の誰もが涙が止まりませんでした。一年と少しの間の闘病生活。結局最後の最後まで何も知らされなかったお義母さん。やっと楽になれたね、お義母さん。温泉連れて行って上げられなくてごめんなさい。桜を見せてあげられなくてごめんなさい。最後まで嘘つきな嫁でごめんなさい。。。。。
2006.04.04
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随分とご無沙汰しておりました。一週間のつもりが予定は未定、結局2週間空けてしまうことになりました。まだ【たんや】が四十九日までの間数回あるので完全に落ち着いたとはいえませんが、でもホボ落ち着いたので今日から再開です。という事で【お義母さんの最後】から【葬儀】の話など書きたいと思います。なにぶん半月の間色々とバタバタしたので記憶をたどりながら書きたいと思います。それは14日の午後2時ごろお義父さんからの電話で始まりました。「もうあまりよくないから(容態が)病院へ着てくれんか。」そういわれて旦那ちゃんに連絡を取り、大至急病院へ向かいました。二日前まではうつろな目をしながらも意識がはっきりとしていたお義母さん、確かにうつろな目をしてる姿を見たらそろそろかも。。。と言う気持ちはあったものの、まさかこんなに早く来るとは思っても居ませんでした。とにかく急いで病院へ着くと、病室には叔母たちが揃っていました。私たちの姿を見たお義父さんが「今晩が山だそうだ。」どうやら婦長さんにそういわれたので血縁関係の濃い人たちを集めたようです。今晩はこのメンバーで泊り込みです。ベッドへ目を向けるとそこにはもう体力が低下して言葉を発することのないお義母さんの姿。。。。かすかな目の動きで自分の意思を伝えるのが精一杯。つい最近までうわごとでも言葉を発していたのに。。。なんともやりきれない気持ち。しばらくその部屋でたたずんでいると、お義母さんの中の良い友達が駆けつけてくれました。友達の姿が目に入ったのでしょうか、お義母さんは少し笑みを浮かべて手を握る友達の手を握り返そうと指先に力を入れようとして震えていました。お義母さんの精一杯の歓迎なのでしょう。それが返っていた痛々しくも感じられました。お義母さんの友達と言う方も心配で今夜は付き添うと申し出られましたので、快諾して病室にとどまることとなりました。兄弟の多いお義母さんの病室には私たち夫婦を含めて8人が滞在することとなりました。遠くに住むお義姉さんにも昼間連絡したのですが、どれだけ急いでも夜の10時になります。とにかくお義姉さんが間に合うことだけを誰もが願い、それを希望にお義母さんを励まし続けました。幾度かタンが絡み呼吸がしづらくなりましたが、吸引してもらいなんとか乗り越えていきました。が、それでも9時半過ぎに一度呼吸が止まりそうになりました。そのときは誰もが慌て、お義父さんが必死でお義母さんを揺すり呼び戻しました。そして10時半前になりようやくお義姉さんが到着しました。夜遅くなったので孫(甥と姪)は車の中で寝ていましたが、病院に着くと目を覚まし、お義母さんの居る病室までやってきました。まだ6歳と4歳という小さな子供なのに何かを感じ取ったのか、4歳の姪は寝起きにも関わらず大きな声でお義母さんを呼びます。お義母さんにもその声が通じたのでしょうか、目をあけ、また先ほどのように必死に手を伸ばし、言葉にならない声を上げて喜んでいるようでした。しばらく甥と姪も居ましたが、さすがに夜も遅くなり、少し興奮状態の子供達は旦那ちゃんの実家へと帰宅させることにしました。今夜が山・・・・。そう思いながらも孫にあったときのお義母さんを見ていたらもしかしたら。。。。そんな思いに駆られてしまいました。そしてお義母さん自身も孫に会って良い意味での欲が出たのでしょう。山と言われたその日は一晩何とか持ちこたえる事が出来ました。その調子でまた一日、そしてまた一日と生きていて欲しい。。。。そう誰もが願っていました。
2006.04.03
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