記憶の欠片

記憶の欠片

2006年11月10日
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テーマ: 心の病(7263)
カテゴリ: カテゴリ未分類
登下校中にいじめられていた私は



とても厳しい人で、遊びに行きたくても、おつかいをしてからじゃないと
遊びに行けなかったりするほどでした。

おばあちゃんとは仲良しでした。

お母さんが帰ってきたときに居ない分、学校の話は
おばあちゃんにすることも多かったこともしばしばです。


そしてある日。


私は、おばあちゃんについに、いじめられていることを打ち明けようと思ったのです。








やっぱり詳しい内容は言えない、言ってお母さんに言われたら
心配をかけちゃう。おばあちゃんにも心配をかけちゃう


・・そう思った私は、遠まわしに、今自分がどうするべきかを聞きました。


 「おばあちゃん、あのね。もしもすごく辛いことがあって
  逃げ出したくなった時はどうしたらいいの?」


その質問に、おばあちゃんはこういいました。


 「とにかく、泣いたらあかん。泣いたら負けだ。
  相手の思うつぼ。こっちの負けだ。
  歯を食いしばって、おさまるのを待つんだ。
  辛いことがずっと続くわけじゃない。
  何もせず、ただ治まるのを待て」





泣いたら負け、泣けば相手に屈したことになる、
と教えてくれたのです。

そして、辛いことばかりじゃないという言葉を信じて
私は立ち向かうことを、そのとき決意したのです。



おばあちゃんからその言葉をもらってからの私は変わりました。



何をされても泣かない。
何をされても反応しない。
何をされても反論しない。
何をされても平然とする。


コレをしていきました。


それまでの私は、いじめられて、くやしくて後から歩きながら泣いていたり
必至で投げ出された教科書を拾ったり
必至で抵抗したり言い訳したりしていました。


しかし・・。


上記のように、何事もなかったかのような対応をしていくうちに
いじめている側は、いじめる面白さがなくなったらしく
気が付けば、いじめられなくなっていきました。


投げ出された教科書は、ちらっと落とされた場所を確認してから
何食わぬ顔でひろってホコリを払いカバンに直す。
相手の顔すら見ません。

そうすることで相手に、闘志を失わせることが出来たのです。


念のため、学校の先生にも相談したこともありましたが
学校の先生は私に向かって


 「貴方みたいなクラスの中心人物がどうやったらいじめられるの?」


っと言い放ちました。


コレを聴いた瞬間、先生を信じなくなったのは言うまでもありません。
先生を今でも好きですが、信用はしていません。

先生というのは、やはり今も昔も同じで
ある一定の先入観をもって生徒を見ていて、
それに付け加えて、いじめなどうちのクラスには無い、
あってほしくないという思い込みで生きています。

それを私はわずか小学校2年生で悟りました。


 この人には何を言っても信じてもらえない、伝わらない
 先生は、私を一方的にしか見ていない

っと。


先生も、悪気があってそういったとも思っていません。

ただ単に、単純に、そういう見方しか出来ない人だったのでしょう



そして、私がいじめを乗り越える時に最大の支えとなったのが
「友達」の存在でした。


一緒に登下校をしてもらっていた幼馴染の存在は
私の中でかなりの支えとなっていました。


一緒に登下校をしないといけない理由がわからなかった幼馴染に
私は、真実の理由を告げようかどうか悩んでいました。
ですがある日。

幼馴染の方から私に、
「何か登下校中に困ったことでもあるの?
 一緒に言ったり帰ったりするのが嫌とかそういうんじゃないけど
 何かあるなら聞いておきたいと思って。
 体調が悪くて休みたい時に、気になってしまうから」
っと切り出してくれたのです。


そして私は、はじめて、事細かにその幼馴染に
いじめられていることを告げたのでした。

幼馴染は驚いていた様子でした。

今でも記憶に鮮明に残っています。

事実を知った幼馴染は驚いていましたが、
最後にこういいました。

 「標的がこっちに来たら怖いから
  一緒に登下校することぐらいしか出来ないけど
  それだけでもいいなら毎日でも一緒に行こう」

っと言ってくれました。


この一言が、どれほど私の心を温めたことか。


死にたいほど辛いとおもったときに、
私は、この言葉を思い出していました。


 私は、「独り」じゃない。
 孤独じゃない
 支えてくれる人が居る
 信じてくれる人が居る
 私のいう事をありのまま信じてくれる人が居た
 「一人」でも私の言葉を着てくれる人が居た


それだけで、生きていける気がしました。


 「独り」じゃない


これを・・忘れてはいけないと思います。

今の現代社会では
きっと家に帰ってから「独り」の子供たちも多いでしょう。


そういう子供たちはやはり、「独り」=「孤独」であるがゆえに、
ココロの悩みの渦から抜け出せず
サイアクの方向へと考えが映るのではないでしょうか。


一番良いのは、親が感じ取れることが一番です。


そして、相談された場合、学校や相手の親のところへ行くのではなく、
自分の子供の親友に、いじめられているのを見かけたら
勇気を出して助けてあげて欲しいとお願いしたりすることが一番です。


学校では、友達が一番身近な存在。


先生は、「多数」の為の存在なのでアテにするものでもありません。


先生が、一人の子をかばうだけで
それだけでまたいじめの理由にもなりかねません。


どんな子にも、クラスに一人くらい、しゃべる友達を持ってるはずです。


その子に、自分の子がいじめられていたら
教えてもらえるぐらいの関係にまで慣れたら一番いいでしょう。

自分の子供が、どういう友達と仲良しなのか、
仲良しの友達を知ることが先決だと思います。


そして、なによりも

  子供が帰ってくる時間帯に家を空けていないこと


これが大事だと思います。

たとえそこから塾に通うから・・とはいえ、
帰ってきたときに、親の顔・もしくは祖父母の顔が
あると無いだけで全然違います。


学校から帰った直後の表情を知ってると知らないとでは
いじめられていたり、学校で起きているかもしれない
問題を見抜くことは出来ないと思います。


子供は、親が思っている以上に子供なりの優しさというもので
自分の困ったことを隠すものです。


それを踏まえて、子供と接していくことが重要なのではないでしょうか。


 生活に苦しいおうちもあるでしょうし
 夕方に働かないとだめな状況もあるでしょう。

 ですが、あえて言いたい。


 お金よりも、進学よりも
 子供を知ることが一番大事だと。

 子供を見ていられる時間なんてわずかの間だけ。


やっぱり、心の教育は家でしか出来ません。

いじめられていても帰ってくるのは家だけ。


支えを作ってあげなければいけないと私は思います。


「忙しさ」という現代の荒波の中に
人は「ココロ」を支えあう、
「ココロ」を満たしあう
「お互いを見詰め合う」という時間を取らなさ過ぎているのではないでしょうか?


そして何よりも

「自分以外の他人(親を含める)を信じてなさ過ぎる」

のではないでしょうか?


人は「独り」じゃないです。



だから決して「死」に急がないでほしいです。





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最終更新日  2006年11月10日 04時45分48秒


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