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一月は、浅草公会堂、歌舞伎座、そしてこの国立劇場で歌舞伎を観る楽しみを覚えてしまいました。そういえば昨年は3日の初日に国立劇場で、関係者による鏡開き、休憩時間の獅子舞、その他おめでたい芸の披露に、日本のお正月の気分にどっぷりとつかって新春を祝い、一日を楽しみました。テレビでその日の公演が生中継されていて、大変華やかな初日でした。今年は千穐楽に観ることになりましたが、一月も終わりだというのに着物姿の観客も多かった。上演中の屋号の掛け声が普段より多く、お馴染みさんが集まっていたように思いました。一月の公演中は毎日「手拭まき」(劇中で行われました)がありましたが、まく量が少ないので、一階席にいてもなかなかキャッチするのは困難です。受け取った人は、本当におめでたく思います。 国立劇場開場40周年記念公演の通し狂言『梅初春五十三驛(うめのはるごじゅうさんつぎ)』は、尾上菊五郎を中心とした’ないまぜ’の賑やかな舞台です。題材は五十三次もの。主要人物のほとんどが、なんらかの縁で東海道を東に進んで行きます。最初に登場人物全員が同じ場面で観客に顔見せをするのですが、ここで見知っては面白くありません。夜の闇の場面に’だんまり’(暗闇で何も見えないという設定で、登場人物がパントマイムで動くのです)で、隣に誰がいるのかわからない中、事件の発端が起こる、という歌舞伎ならではの趣向があります。そしてみどころは、菊五郎の四役。菊五郎だけは、その場その場別人として登場人物とからむのです。他の役者も主要な役を二役演じているので、それぞれ工夫が観られて観客も存分に楽しんだ感があります。中でも菊之助の演じた権八と吉三郎は、外見が似ているという別人です。その違いを見せる工夫に、彼の表現力の豊かさを感じました。これからもいろいろな役に挑戦した姿を観たいと思わせる役者です。(さすが、蜷川演出の歌舞伎の『十二夜』で、双子の兄妹を見事に演じ分けただけあります。) 歌舞伎と言えども、おめでたい賑やかな作品の楽日の盛り上がりは大変なものです。出演者も、弾ける場面では弾けています。若手は、余裕を見せるベテランの中で、一生懸命役作りをして臨んでいる印象を受けました。 若手が大きな役で作り上げる新春浅草歌舞伎、そしてベテランがサービス精神いっぱいに舞台を盛り上げる新春の国立劇場。それぞれ特別な催しだけに、特別な趣向が楽しめます。 歌舞伎を初めて観る方には、これらの舞台から観るのはいかがでしょう?特に国立劇場での催しは、他に比べて価格が押さえてあるので有り難いです。 ※27日で一月の公演は終わりました。来年をまたお楽しみに。(国立劇場にて)
2007.01.27
原作・山本周五郎。ギラギラした鋭い目つきの青年の顔が浮かび上がります。それは与兵衛(綱島郷太郎)の眼差し。世間を睨みつけるような、そんな目付きをしています。舞台には飲屋の店内が。幾造(山本龍二)の店、安楽亭には、お客に混じっていつも若い衆が酒を飲んで入り浸っています。血気盛んな若い衆が外で暴れないように、幾造が自分の手元に置いて面倒を見ている男たちだということがわかってきました。ある日、与兵衛が怪我人を安楽亭に連れて来ました。身売りされた恋人のために奉公先の金を横領し、袋だたきにされていた男・富次郎(檀臣幸)です。二人が幸せに暮らせるよう、居所を探して金を工面することを富次郎に約束する与兵衛。捕まるかもしれない危険な仕事でその金額が作れるのがわかると、同志を募り行動を起こします。果たして、その結末は・・・損得関係なく「任せておけ」と言い切る与兵衛。どうしてそこまでできるのか、最初は理解できませんでした。世間に迷惑をかけないかわりに、安楽亭の若い衆は皆、大きな声では言えない危ない仕事を引き受けています。そのために命を落とす仲間を見て、なかなか引き受ける気になれなかったはずなのに、他人の幸せのためにどうしてそこまでできるのか・・・。彼らは生きるための「理由」を求めていたのかもしれないと思えてきました。決して正当化できる仕事ではありませんが、誰かのために働くことが彼らなりの「ここに生きている証」になるのかと考えると、世間を生きることに不器用な彼らが、どうにかうまく生きられないものか、もどかしく思えてくるのです。いつの間にか店の常連となった客の男は、酒浸りでありながらも、核心をついた物言いをしています。彼もまた、何かを求めてここにいる。ここにいる人々は皆、自分の行き場が外にはないことをよく承知しています。この安楽亭は、そういう人たちが人とつながりたくて集まるのかもしれません。いつもそんな彼らを見守っているように見える幾造。舞台では、小説には描かれていない、彼もその中の一人なのだと思わせる僅かな一言が描かれていました。物も情報も、そんなに無い世界。そんな中で、本当に必要なものが見えてくる作品です。いつの時代でも、実は同じものなのかもしれません。原作・山本周五郎、脚本・小松幹生、演出・高木達、装置・阿部一郎、照明・野地晃劇団青年座創立50周年記念公演として2004年に上演された作品の再演です。8/17~9/3 全国公演があります。(東京芸術劇場・小ホールにて)☆新潮社「深川安楽亭改版」
2007.01.26
◎2月1日-4日、『フィリピン ベッドタイム ストーリーズ』演出・吉田智久、訳・珍田真弓、桑山沙衣子、日本語上演台本・芸術監督・坂手洋二2004年秋にフィリピンと日本の演劇人とのコラボレーションで上演され、私自身は昨年3月に初めてこのシリーズを観ました。今回はシリーズ集大成として前2作の短編群を再構成し、東京・伊丹だけでなくフィリピン国内でも2ヶ所で上演されるそうです。(燐光群公演案内より)上演作品リストに、前回観た「アスワン ~フィリピン吸血鬼の誕生~」作・ロディ・ヴェラ「フィリピンパブで幸せを」作・内田春菊も、載っていました。静かに物語が展開する「アスワン~」は、演者の秘める力が作り上げる神秘的な作品でした。リニューアル・バージョンということで、期待が高まります。今回も公演期間が短いので、お早めに!(森下スタジオにて)公演情報は、燐光群のサイトで。※チラシ画像(イラスト・内田春菊)について、燐光群に掲載の許可をいただいております。無断で転載はなさらないでください。
2007.01.25
歌舞伎の作品を観て最近書き連ねることは、同じ作品を様々な役者が演じるのを度々楽しめるということです。今月の歌舞伎座・夜の部には『廓三番叟(くるわさんばそう)』『金閣寺』『春興鏡獅子』『切られお富』が登場します。『廓三番叟』は平成17年10月に異なる役者で観ました。その様子はこちらです。そして、祇園祭礼信仰記『金閣寺』。この作品も、平成17年8月の納涼歌舞伎で、豪華な顔ぶれで楽しませてくれました。登場する雪姫は、歌舞伎で代表される”三姫”(三本の指に入るほど有名なお姫様という意味です)のひとつの大役です。雪姫は祖父が雪舟(言わずと知れた絵の名手)という設定になっています。捕えられている彼女の夫、狩野之介直信は、縄をかけられたまま舞台上手から登場し、雪姫と目だけ合わせながら花道に引っ込む。ただこれだけの登場シーンなのですが、ここで全ての状況を観客に納得させる力が必要な難しい役どころ。そこで有名な役者が扮することになっているそうですが、こういうところに観客を喜ばせようという歌舞伎のサービス精神を感じます。謀反を企み、雪姫を自分のものするために彼女の夫まで捕らえるという敵役、大膳。たいてい悪役は赤い顔で登場するのですが、大きな役の悪役は白塗りだそうです(イヤホンガイドは本当に歌舞伎を何倍も楽しませてくれます!)。そうして、颯爽と現れる正義の味方、此下東吉。さて、舞台の上の役者が揃いました。福助の雪姫も美しかったですが、今回の雪姫は、玉三郎。雪姫と言えば木につながれたまま桜の花びらの上に足でネズミを描くのが名場面としてあります。その様を、気品を保ったまま「足で描く」表現、玉三郎のそのしっとりとした憂いのある表情は見逃せません。そして前回は勘三郎が演じていた雪姫の夫、直信。こちらは梅玉が、品のある男の悲哀を見せてくれました。三津五郎が演じていた悪役の大膳は、幸四郎がいやらしく憎々しげに、いかにも敵役という存在で見せています。そして染五郎が扮していた正義の味方、東吉を、吉右衛門が役柄そのままに全てを引き受ける力量を感じさせてくれました。まだ歌舞伎観劇初心者の私の楽しみ方として、作品の名場面を様々な役者で見比べたり、その演出方法に注目したりしています。今回の『金閣寺』では、雪姫がつながれる桜の木が舞台向かって左側にありました。この前観た時は中央だったのに、その舞台効果の違いは何だろう、なんていう関心を抱きながら。大道具さんの腕の見せ所、金閣寺がセリで上下する豪華な演出も見事です。またまたイヤホンガイドからの豆知識ですが、今では世界の劇場で当たり前となっているセリと回り舞台。これは日本で同じ人物が歌舞伎の舞台装置のために発明したのだそうです。(歌舞伎座にて)※公演の詳細はこちら。
2007.01.24
武漢雑技団による公演です。その技をテレビで観たことはありましたが、実際の演技を観たのは初めてでした。身体能力の優れた若者たちが披露する難度の高い芸です。タイトルに英雄列伝と記されているとおり、ただの芸の披露ということではなく、大きなストーリーの中でそれぞれの芸が展開されていました。中国四千年の歴史の英雄の存在。春秋時代の孔子、秦の時代の始皇帝、漢の時代の劉邦、三国時代の関羽や諸葛亮、唐の時代の武則天、元の時代のチンギスハン、清の時代の西太后…など。(公式サイトより)技としては、「竿登り」「絹帯のアクロバット」「帽子のジャグラー」「皿回し」「輪くぐり」・・・などが、歴史の英雄たちを背景に構成されています。いくつか紹介すると、オープニングに続く「竿登り」では好漢英雄(雄雄しき勇者)をテーマに、日々鍛練に励む若者の姿が描かれていました。(まるでワイヤーアクションや特撮のようでしたが、もちろん、彼らは身一つで、時にはゆっくりと腕だけで一本の棒を登り、降りするのです。)そして「絹帯のアクロバット」侠心英雄(英雄の義侠心)では、一人の少女と、馬のいななきとともに登場する精悍な青年。天井から下がる絹の長い布に腕や体の一部を巻き付けるだけで、二人が宙を舞う姿には、ロマンスを感じました。(少女が細い首に絹を巻き付けるだけで、空中で体を回転させることができるなんて!)少年少女による「椅子のバランス技」聖潔英雄(神聖なる英雄)は、ハスの花の衣裳を着た可憐な姿で技に挑みます。(斜めにいくつも椅子を積み上げた傍らで、椅子の数と同じくらいの少年たちがバランスを取りながら逆立ちしていくのです。)それぞれの芸の初めに、日本語で登場人物のおかれている状況のナレーションが入ります。そして舞台の両端には技が表示されます。想像を膨らませながら、彼らの演技の持つ意味を考えながら観ていました。余談ですが、あまりにも素晴らしく美しい技を見せられて、初めのうちは観客は声も出ないくらいに魅了されているのを感じました。そのうちに、まるで自分の得た感動を彼らに伝えるのは拍手しかない!という想いが発するかのように、観客は拍手を送り続けていました。舞台の技とともに、この場内の一体感にも感動を覚えました。(東京国際フォーラム ホールAにて)
2007.01.21
ロンドンミュージカルの日本版です。かつてはロンドンの劇場の舞台に立っていたメイヴィス(前田美波里)。今はイギリス北部の田舎町で、近所に住む人々に週に一度タップダンスを教えています。ある日、チャリティショーに彼女のクラスの生徒たち(女性7名、男性1名)がチームで参加する話が舞い込みました。最初から「できないから」と尻込みする生徒たちを励まし、参加を決意させるメイヴィス。楽しむことだけが目的で、舞台に立つこととは無縁だった彼女たちです。そんな折、仲間に亀裂が生じ、なんとメイヴィスが妊娠・・・果たし幕は上がるのでしょうか?―――と、言葉で述べるのは簡単だなぁ・・・と改めて実感しました。客席から観ていて、彼女たちの個性の強さ(我の強さ?)のぶつかり合い、練習風景は、とにかく大変な騒ぎでした。百聞は一見に如かず。その様子は観ていただかなくては伝わらないと思うので、ここでは作品について述べることにしましょう。構成がしっかりした作品です。最初にレッスン風景 → メイヴィスのクラスでの人望 → 新入りの参加 → 生徒たちの人間関係 → 思いもよらない話、同時に徐々に浮き上がる彼女たちのバックグラウンド。練習の様子は、ドタバタ。それぞれの家庭の事情が世間話。誰もが余計なおせっかいを焼き、騒々しい限りです。・・・実は二幕になってから、この背景が彼らのチームワークに欠かせないものだったと思い知りました。チームでダンスを踊るのに必要な、目に見えない思いやりを感じた瞬間。その時には目頭が熱く、熱く・・・。この舞台には、取るに足らない素人のダンスレッスンの話だけしかありません。しかし最後に彼女たちの晴れ姿を観て、客席からは大きな手拍子。そして「カンバレ、ガンバレ」という心の声援もあったように思いました。「ステッピング・アウト」とは、ここでは’踏み出すこと’の意味のようです。そう、自分の人生においても。芝居を楽しめるミュージカル。その理由は、元は戯曲として書かれた作品が後にミュージカルになったのだそうです。(プログラムより)脚本・リチャード・ハリス、音楽・デニス・キング、歌詞・マリー・スチュワート・デヴィット、演出・振付・竹邑類、翻訳・高橋知伽江、訳詞・保坂磨理子(博品館劇場にて)
2007.01.19
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2月17日公開の映画『ドリームガールズ』の試写を観ました。1981年12月にマイケル・ベネットの演出でブロード・ウェイで開幕し、ヒットしたミュージカルの映画化です。1960~70年代が舞台となっています。(以上、公式サイト※サイト上の「ENTER THE SITE」をクリックすると音楽が流れます!からの情報です)ストーリーは知りませんでしたが、耳にしたことがあるミュージカル・ナンバーがありました。・「ドリームガールズ」・「ワン・ナイト・オンリー」ミュージカルの舞台で映画化された作品に『シカゴ』や『プロデューサーズ』『レント』がありますが、この作品も同様に登場人物の心中は歌で表現されています。上の作品と異なる点といえば、コーラスグループが主人公の作品であるため、舞台で歌が披露される華やかな場面が随所に存在する、ということでしょうか。「ワン・ナイト・オンリー」は有名な楽曲ですが、歌だけで聴く華やかさとは逆に、エフィー(ジェニファー・ハドソン)が去りし日の行いを悔やんで人生をやり直したいという心情をこめて歌う場面に、胸が熱くなりました。この作品は、R&Bの覚え易いミュージカル・ナンバーというだけではなく、それぞれが夢を持ち、自らの手で栄光を掴み、挫折を味わい、それを乗り越える者もいれば、打ちのめされる者もいるという、個々の立場が丁寧に描かれているのが魅力です。そして作品の背景には、登場人物がいつも直面する人種問題も描かれています。一方の側から見た視点ですが、彼らがどういう気持ちでその問題に対するのか、気にかけながら観ていました。エディ・マーフィーが脇役としてそのカリスマ性を発揮する存在は見事です。流れる年月の速さ、そこで関わる人々のことを考えると、しっかり作品を追いかけていなければ、人間関係を見失ってしまうかもしれません。この映画を観て、元となるミュージカルの舞台も観たくなりました。そして実在してモデルとなったグループの歌声も。出演は、ジェイミー・フォックス、ビヨンセ・ノウルズ、エディ・マーフィー他監督・ビル・コンドン※映画のための新曲があるそうです~公式サイト情報より~☆「ドリームガールズ」オリジナル・サウンドトラックCD☆「ドリームガールズ」 Soundtrack / Dreamgirls (Deluxe Edition) アメリカ版CD
2007.01.16
昨年から観に行っている新春浅草歌舞伎。劇場の往き返りに浅草寺をお参りするのが常となりました。さて、新年のこの舞台には「お年玉」という、出演者が日替わりで登場する年始の挨拶があります。この日は中村獅童。演目に関する説明を行い、緊張がほぐれたところで客席に語りかけ、和やかな雰囲気を作っていました。そして舞台中央に正座して、年始の挨拶を述べ、深々と頭を下げたまま幕の中へ。いよいよ開演です。演目は写真のとおり「義経千本桜―すし屋―」、新古演劇十種の内「身替座禅」。今回はこの新春浅草歌舞伎の魅力を記しましょう。私自身はまだ観て二年目の浅草歌舞伎ですが、プログラムによると昭和55年に浅草での歌舞伎興行が復活して以来、一月の浅草公会堂での公演が続いているそうです。11月に新橋演舞場での花形歌舞伎を紹介しましたが、この浅草歌舞伎も若手が古典の大役に挑む場であり、古典歌舞伎の伝承に大きな位置を占めているということですが、こちらはメインキャストを演じる出演者のほぼ全員が若手です。「義経千本桜―すし屋―」では白髪の’弥左衛門’の役に30代の市川男女蔵が扮していたり、同作品の’いがみの権太’の役は上方の片岡仁左衛門が有名ですが、こちらも上方若手の片岡愛之助が演じています。そして「身替座禅」では、幕間のイヤホンガイドのインタビューで「こんなに早く父親が演じている役をやるとは思わなかった」と語っていた中村勘太郎。彼は大名・山蔭右京を演じています。この作品は狂言で有名な作品です。浮気相手が都に来ているから、一晩だけでも屋敷を抜け出し会いに行きたい右京。妻に座禅修行をするから一晩放っといてくれと言い、妻が立ち去ってから身替の者に座禅をさせて自分は抜け出す、というものです。右京の奥方の玉の井とは、当然のように上座について主人に対して威圧的に話をするような人物です。結果、自分に内緒で抜け出した夫を厳しく攻め立て、それから逃れる夫の様子が観る側には面白いのですが、その奥方を獅童が見た目も凄い迫力で演じています。このように、古典ものでは一つの作品を様々な役者で観る楽しみが歌舞伎にはあります。そしてこの新春浅草歌舞伎では、この第2部でも同じ演目で(今回は「身替座禅」)一部役者が入れ替わって上演しています。1部と2部のこの趣向、役者にとっては競演の場となっているようです。(浅草公会堂にて)
2007.01.13
マクベスを彷彿とさせるような呪縛にかかる主人公・ライを市川染五郎が演じています。その呪縛とは、森の中、シャレコウベの山に足を踏み入れ、地獄のような場所で出会った三人の朧(おぼろ)たちが語る契約。ライの命と引き換えに、彼がこの国の王となるという予言。それは彼が自分で自分を殺さない限り果たされるというものです。ライは契約に承諾し、剣を授かります。そして彼の舌と森はつながりました。舌、つまりは彼が発する言葉、真実の宿らない言葉で、これから彼は人々を翻弄することになります。朧たちは最初の男を殺し入れ替われ、と言い残して消えて行きました・・・。ライは食べるものに困らない金稼ぎができればいい、と、弟分のキンタと一緒に森をさまよっていたような男でしたが、心の奥底を朧たちに見透かされ、ならば王になろうと、そこから欲望の赴くままに生きていくのです。恐れを知らぬライの生き様、その変貌していく様に関心が集まりました。純粋な心を持つ人々との対比も興味深かった。時代も場所も、あえて特定しない作品ですが、それがファンタジーの世界でもあり、フラストレーションを感じるところでもあります。登場人物は、みな刀で戦っている時代。染五郎の刀さばきの美しさも見所の一つです。人に生じた欲の醜さが一つの作品となる、なんとも悲しい物語。つまるところ、朧の森に棲む鬼とは・・・。不浄の精神を洗い清めるかのような、たっぷりと水を使った滝の場面は迫力があります。教訓めいた作品ではありますが、ライの行く末は最初にシャレコウベを踏み付けた時点で暗示されていたようです。染五郎が鬼へと変わっていく様を、とくとご覧ください。作・中島かずき、演出・いのうえひでのり、美術・横尾幸男、照明・原田保、衣裳・小峰リリー(新橋演舞場にて)※公演の詳細はこちら。プレビュー公演:2006年12月29日(金)・30日(土)カウントダウン公演:2006年12月31日(日)が、本公演前に行われたようです。
2007.01.11
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ウィーン・ミュージカル『エリザベート』が、今年の春に来日公演を行います。それを記念してのコンサートが年末に大阪、そして年始に東京で行われています。二部構成の第一部は、宝塚の同作品に出演した俳優、ウィーン版の主要キャスト、そして作曲のシルヴェスター・リーヴァイ氏のトークショー。第二部は、宝塚でフランツ・ヨーゼフを演じた稔幸を交え、ウィーン版エリザベート役のマヤ・ハクフォート、トート役のマテ・カマラス、そしてリーヴァイ氏がウィーン版で最高のルドルフ役と絶賛したルカス・ペルマンによるミュージカルの楽曲のコンサートです。シルヴェスター・リーヴァイ自らがオーケストラを指揮して第二部が開幕。マヤの、声に羽があるかのような軽やかな歌声に、すぐに魅了されました。品と儚さを備えた彼女の歌の表現には、言語がドイツ語ということも忘れてエリザベートの喜びと苦悩を分かち合ったような気持ちで聴いていました。マテのトートの迫力は圧巻です。ハンガリー生まれでハンガリー公演にも参加した彼は、「愛と死の輪舞」(以下全て邦題)をハンガリー語で披露。日本で3人のトートを観ましたが、どのタイプとも異なる力強さ、強引さが魅力となる魔力のようなものを感じていました。そしてルカス。前半に「嵐も怖くない」をフランツのパートでエリザベートとデュエットした時に見せた包容力から一転して、トートとの「闇が広がる」、母であるエリザベートに救いを求める「僕はママの鏡だから」では、寂しげな青年の表情で二人に接していました。ここで特筆すべきは、メークなし、特別な衣裳なしで、聴衆を作品の世界に引き込む彼らの表現力の豊かさです。トークショーでは、先日行ったカラオケがいかに楽しかったかを語っていた彼らでしたが、相手の目を見つめながら歌う姿に、その場で作品が出来上がっていくのを感じました。海外作品の日本版と言われるミュージカルで感じるのとは全く異なる感動がそこにはありました。ウィーン・キャストによる舞台を以下に紹介するDVDで既に観ていたのですが、LIVEで成立する世界を目の当たりにして、初めてその作品を聴くような感動を抱きながら一曲一曲鳥肌が立つ想いで聴いていました。3月28日から4月30日まで梅田芸術劇場メインホールだけで行われる引越公演(ウィーン・オリジナルバージョン)。それをアピールするのにこのコンサートは充分な役割を果たしていたと思います。大阪での公演を観に行きませんか?舞台のセットこそ持ってこられないそうですが、本番の衣裳を着た公演に準じたコンサートも、5月7日から20日までここ新宿コマ劇場で行われます。※詳細を参照できるよう、梅田芸術劇場、新宿コマ劇場のサイトへリンクしました。(1/9)(新宿コマ劇場にて)☆ウィーン・キャストによる『エリザベート』輸入DVD※ルドルフ役はルカス・ペルマンとは違う俳優が演じています。
2007.01.07
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昨年、舞台作品をたくさん観ました。特に年の初めに観たのが国立劇場での歌舞伎だったので、歌舞伎の舞台を例年になく多く観ることができました。(か、どうかわかりませんが。)今年最初の観劇作品は、ブロードウェイ発18世紀末のロンドンの街を舞台にしたミュージカルです。(それでは今年はミュージカル三昧かな、という期待をしています。)さて、この『スウィーニー・トッド』の舞台のロンドンはと言うと、産業革命期だけあって空気が汚れて悪臭を放ち、そして薄暗い路地には切り裂きジャックが出てきそうな危険な街というイメージがあります。ここに登場するスウィーニー・トッドというお客を次々とカミソリで殺す理髪師も、実在の人物がモデルになったと言うのですから驚きです。出演者に注目すると、市村正親(スウィーニー・トッド)、大竹しのぶ(トッドに2階を貸すパイ屋の主人)、武田真治(インチキ理髪師の助手の純真な青年)、キムラ緑子(女乞食)・・・などなど、芝居が楽しみな俳優ばかり。大筋、あるパイ屋の2階で理髪師が殺した人間を、高価な肉の代わりに階下でパイの具として詰めて安価で売り、それが美味しくて(?)大当りするのですが、これは作品の根底にある「復讐」の過程に過ぎません。この作品の面白さは、登場人物がターゲットにするそれぞれの目的に向かってのみ生きている、それらが織り成す人間模様にあると思います。それが彼らの個性を生み、物語の伏線が最後に観客をあっと言わせることにもなるのです。そしてドラマチックに作品を作り上げるのが、ミュージカル作品でありながら出演者の芝居の上手さにあります。ベテラン勢が作品に深みを持たせる中で、昨年の『エリザベート』のトートから今回は脇役としてその存在が光る武田真治、純粋な恋に生きる青年アンソニーを演じる城田優、若手の彼らが作品中に人間の理性を知らしめてくれる存在として心に残りました。耳に心地良いミュージカル作品とは一線を画していますが、ストーリーを楽しみ、芝居を堪能し、作品の主題を探るという点で魅力的な作品です。原作・クリストファー・ボンド、脚本・ヒュー・ホィーラー、作詞・作曲・スティーヴン・ソンドハイム、演出・振付・宮本亜門、美術・松井るみ、照明・中川隆一、衣裳・前田文子(日生劇場にて)☆DVD『スウィーニー・トッド』イン・コンサート(米国版)
2007.01.05
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