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デチベル (compl) Decibel

1977 年ミラノでパンク・ロック・バンドとして結成され、時代とともにバンドの音楽性を変えながら、ソロ歌手として脱退したエンリコ・ルッジェリ (Enrico Ruggeri) が2016年に復帰し、現在まで活動を続けています。

活動期間 1977 - 現在

所属レコード会社 Spaghetti(RCA Italiana) Top Studio, Sony Music, Anyway Music

サンレモ音楽祭出場2回: 1980 11 , 2018 16

公式サイト: http://www.decibelmusic.com/

現在メンバー構成(太字は1980年サンレモ音楽祭出場メンバー)

エンリコ・ルッジェリ (Enrico Ruggeri) ヴォーカル ( 在籍 1977 年~ 1980 年、 2016 年~現在 ) 1957 6 5 日ミラノ生。

・フルヴィオ・ムツィオ (Fulvio Muzio) ギター、コーラス、鍵盤楽器 ( 在籍 1978 年~現在 ) 1960 3 1 日ミラノ生。

・シルヴィオ・カペッチャ (Silvio Capeccia) 鍵盤楽器、コーラス ( 在籍 1978 年~現在 ) 1960 6 30 日ミラノ生。

1979年構成メンバー (太字は1980年サンレモ音楽祭出場メンバー)

エンリコ・ルッジェリ (Enrico Ruggeri) ヴォーカル ( 在籍 1977 年~ 1980 年、 2016 年~現在 )

・フルヴィオ・ムツィオ (Fulvio Muzio) ギター、コーラス、鍵盤楽器 ( 在籍 1978 年~現在 )

・シルヴィオ・カペッチャ (Silvio Capeccia) 鍵盤楽器、コーラス ( 在籍 1978 年~現在 )

・ミノ・リボーニ (Mino Riboni) コーラス、ベース ( 在籍 1978 年~ 1985 ) 1961 11 14 日ミラノ生。

・トミー・ミナッツィ () ドラムス ( 在籍 1978 年~ 79 )

 1979年11月からシェル・シャピロ (Shel Shapiro) のプロデュースで新メンバーによるアルバム制作に入ります。サンレモ出場曲“コンテッサ”(シングル盤は4万枚の売上)も含まれています。新加入のドラムス、トミー・ミナッツィはハード・ロック・バンド、ヴァナディウム (Vanadium) に移籍しいたようですが、ヴァナディウムのメンバー構成には彼の名前は見られませんでした。

 と言うことでデチベルは4人編成のバンドで動き出し、欠員となったドラムスはアルバム吹込み時にはP . . . にも在籍経験があるウァルター・カッローニ (Walter Calloni) がサポートしています。3ヶ月かけて制作し、サンレモ音楽祭出場曲“コンテッサ”が先行発売され、その後アルバム「 Vivo Da Re 」とアルバム・タイトル曲“ Vivo Da Re ”がシングル・カットされました。

ZBSR- 7192 (1980 Spaghetti Sony Music Entertainment Italy) Decibel/Vivo Da Re [Cantagiro 1980]

ZBSR- 7192  ZPLSR-34093

ZPLSR-34093 (1980 Spaghetti – RCA Italiana) Decibel ‎– Vivo Da Re

ORL-8716 (1984 Orizzonte Dischi Ricordi) Decibel ( )

MPCD- 273 (1993 Spaghetti BMG Ricordi) CD Decibel ‎– Vivo Da Re [801315002734]

74321-74647 2 (2000 Spaghetti – BMG Ricordi) CD Decibel ‎– Vivo Da Re [0 74321 74647 2 1]

1※2 .Il Mio Show

2※3 .Supermarket

3※4 .Pernod

4※5 .Ho In Mente Te

5※6 .Sepolto Vivo

6※7 .Vivo Da Re

7※1 .Contessa ( コンテッサ )

.A Disagio

.Teenager

10.Tanti Auguri

11.Peggio Per Te

12.Decibel

ORL-8716MPCD- 273                 74321-74647 2

 シングル・カットされた“ Vivo Da Re ”でデチベルはカンタジーロとフェスティヴァルバールに出場しています。秋にパッケージ・ツアーに参加しましたが、このツアーはあまり成功しませんでした。エンリコ・ルッジェリの分析はファンは十代が多く、、夜のコンサートより休日午後のコンサートの方が向いていたのではないかと考えました。

 このコンサート・ツアー中に大変な事が起きました。デシベルは明らかにこの事件の被害者でした。スパゲッティ・レコードの設立者にロークス (The Rokes) のシェル・シャピロと作詞家でプロデューサーのアレッサンドロ・コロンビーニ( Alessandro Colombini )、プロデューサーのシヴィオ・クリッパ( Silvio Crippa )3人に起きた内紛でした。

 この内紛の結末はスパゲッティ・レコードの経営権はアレッサンドロ・コロンビーニが取り、他の2人は出ていくことになります。シェル・シャピロは彼らのプロデューサーであり、シヴィオ・クリッパはデチベルのメンバーの面倒を見ていましたが、コロンビーニとは特に関係を持っていませんでした。

 エンリコ・ルッジェリはシェル・シャピロのプロデュースとシヴィオ・クリッパのマネージメントを受けたいので、スパゲッティ・レコードから出たい意向でした。残る3人はルッジェリの考えはわかるがレコード会社との契約が残っており、破棄すると莫大な違約金を請求されるので、そのリスクは負えないという意見でした。

 結論はエンリコ・ルッジェリはソロ歌手として独立し、デチベルを脱退、シェル・シャピロとシヴィオ・クリッパと行動を共にすること。残りの3人はデチベルとしてスパゲッティ・レコードとの契約を続けていくことになりました。バンドの分裂です。普通バンド・メンバーの音楽性の違いやメンバー同士の感情のもつれで分裂することは通常ですが、レコード会社の内紛でバンドが分裂することは非常に珍しいことです。(バンドのメンバーにとって悲劇です。)

 2016年にエンリコ・ルッジェリがデチベルに戻り、旧メンバー3人で再結成されましたが、彼らは当時の事はもう思い出したくないと語っています。

再出発メンバー

・フルヴィオ・ムツィオ (Fulvio Muzio) ギター、コーラス、鍵盤楽器 ( 在籍 1978 年~現在 )

・シルヴィオ・カペッチャ (Silvio Capeccia) 鍵盤楽器、コーラス ( 在籍 1978 年~現在 )

・ミノ・リボーニ (Mino Riboni) コーラス、ベース ( 在籍 1978 年~ 1985 )

 3人のバンドはシルヴィオがメイン・ヴォーカルを受け持ち、ドラムスはエッラデ・バンディーニ (Ellade Bandini) がサポートする体制で、マウロ・パオルッツィ (Mauro Paoluzzi) とアレッサンドロ・コロンビーニがプロデュースして新しいアルバムの制作に入りました。

ZPLSR-34169 (1982 Spaghetti – RCA Italiana) Decibel ‎– Novecento

.Novecento

.Tutti Contro Tutti

.Valzer Bianco Radioattivo

.Stregoneria

.Calde Sere Di Milano

.Islamabad

.Uomini In Coda

.Novecento (Strumentale)

                      ZPLSR-34169

 82年3人のデチベルの作ったアルバム「 Novecento 」がリリースされました。ポスト・パンクのニュー・ウェイヴからアート・ロックの時期を迎えたアルバムでした。評価がエンリコ・ルッジェリの支持者とバンドとしてのデチベル支持者とは明確に分かれた作品となります。

 ルッジェリ派の評価は、『エンリコのいないデチベルを責めるのは酷だが、構成的な観点からするとひ弱である』、デチベル派は『ロマンチックな退廃的な雰囲気で間違いなくよく構築され、アルバムは慎重に聞かれるに値する』というものでした。

 またアルバム・ジャケットの弾丸が真空管を打ち抜くデザインは数々の賞を受賞しました。

 スパゲッティ・レコードのオーナー3人は法廷闘争を始め、会社はマルチメディア制作に重点を置きます。レコード制作は85年まで続けますが、経営不振で活動を停止しました。

 エンリコ・ルッジェリはフランス・バークレイのイタリア現地法人S . . . でソロ歌手として活動を始めました。サンレモ音楽祭はソロ歌手として84年出場して以来、デチベルのメンバーとして出場も含め、現時点で11回を記録しています。87年にはジャンニ・モランディ (Gianni Morandi) 、ウンベルト・トッツィ (Umberto Tozzi) とのトリオで“もっと、もっと (Si Può Dare Di Più) ”、93年にはソロで“ Mistero を歌い、2度目の優勝をしています。エンリコ・ルッジェリについては84年サンレモ音楽祭の後に話を続けていきます。

 フルヴィオ・ムツィオとシルヴィオ・カペッチャはバンド活動をしていたため滞っていた大学での学業を再開し、ムツィオはミラノ大学医学部で、カペッチャはボッコーニ大学で経済学マーケティングの学位を取得して研究を終えました。

 二人はミノ・リボーニと再びバンドを始めたいと願っていました。85年にリボーニはデチベルを脱退したことになっていますが、80年代中頃から末の間、彼らはミノ・リボーニのグループに歌手のマウリーロ・メンツィンガー( Maurilio Menzinger )、ベーシストのアンドレア・ミラネーゼ( Andrea Milanesi )も参加したライヴにピノ・マッサーラ (Pino Massara) 、シェル・シャピロ、ビアジォ・アントナッチ (Biagio Antonacci,) などの友人たちが顔をだしていたようです。

 また北部にある一部のクラブへデチベルの名前を使わず出演を続けていたといわれています。

 これらの時期は彼らのテクノ時代にあたります。しかし91年にフルヴィオ・ムツィオがアメリカのカンザス大学病院勤務でイタリアを離れるということになり、彼らの活動は休止となります。

デチベルの国内盤はありません、デチベル 3 は 2018年サンレモ音楽祭の後に、エンリコ・ルッジェリ 3は1984年サンレモ音楽祭の後 に続きます






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Last updated  2020.10.21 08:40:05
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