アメージングコーチング
2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
ヤングアメリカンズのプログラムに参加した。 46人の若いアメリカ人を中心としたメンバーが 子供に歌と踊りを教える。そこのから自分の殻を破り 表現することや心から楽しむことを学ぶ。 今回は大人に向けて行われたものだ。 といっても新入社員の人も多く36歳の私はかなり年長者の部類に入っていた。 今回、講師,インプロをやる自分、初対面で自分から表現できる力を鍛えるために参加した。 その感想。 初日、まずはすばらしいステージを見せてもらう。 見ているだけならすばらしいだけで終わるが、自分がやると思うと 結構ハードル高いなーと感じる。 人種の違いだけでなく、パフォーマーとして一流である彼らのエネルギーの高さも感じる。やたらとオープンな対応に面食らう。 たのしく、テンションあげて楽しもう。うまくいってハイタッチ、 Let,s enjoy! Have fun! のメインメッセージ 初め戸惑いながらもついてゆく勢いと流れの速さアメリカンなテンションの高さについていけなくなる。 彼らは自分のオープンさから相手のオープンさを引き出してゆく。楽しいときもある。けど 教える、教わるの構造がありすぎるように感じてしまう。 犬のようにテンション高いアメリカンに囲まれて、日本人が羊のようにわけもわからないままついていく走っているような感覚に陥る。 悪意はないがそう感じてしまった。 楽しませようとする彼らの関わりに、やらされ感が勝手に出てしまい、 心から楽しめない自分にギャップを感じてしまい戸惑う。 テンションが下がってしまう。 自分の感情は戸惑っているが戸惑っている暇なく、テンションの高い アクションや歌を覚えていく、自分の感情を無視してテンションの高くいるのは結構 つらい作業だった。 テンションの高い彼らにアメリカンな方法でハイにさせられる感じがどうもいやだった。 最近の状況とリンクする。コーチングはやりがいをもって取り組んでいるが 新規で自分を売り込むこと、研修でありのままの自分で場をリードすることにつかめきれない感覚、まだ出せるのに出せない感覚がある。 自分が乗れていないことを被害者になって、相手に何とかしてもらおうとしている自分がいないか? 自分が考えすぎていることを感じる。 エネルギーが内に向いている。 ハイになることが目的ではない、そこを合わせることは大事なことではない。パフォーマンスを覚えること、相手に届けることだけ考えればいい自分が繋がりたいなら、自分からいけばいい。 相手に期待しても意味ない。 1日目終わって 以前持っていたメンタルモデル:「仕事は自分を殺して場に合うことをする 」が残っていることを感じた。 今回のことは仕事でもなんでもない、 ただ楽しむだけだっていい、 仕事だとしたって自分が望むのは自分のありのままを出し切って思いっきりやる。 自分の枠を超えることがあれば、思いっきり飛び込んでそこに自分をさらすをことをしたいのだ。そこに自分の成長があるだろうし、枠を広げることになるということは知っている。 わかっちゃいるけどなー 友人と帰り際話をしながら、地に足をつけていない自分を感じていた。 わからない歌詞、覚えられないダンス、上がっていくテンションに完全に 地に足が着かなくなっていた。そのことに気づかずにまた上げようついていこうとするから、自分がない状態であげていくつらさがあった。 2日目に向けて 「心から楽しむ」そのために 地に足をつけることをしたいと感じた。 自分が自分につながる。 それは何のためにいくかという目的だったり、 自分はどんな存在なのか知っていることだったりする。 どんなときに地に足をつけた状態なのか、大地とつながる根を張る感覚だったりする。 自分の中に志を持つことだったり、光を感じることだったりする。 また一緒に行うメンバーとの横のつながりだったりする。 直前にある異業種法人会に参加した。 目的はそこでアメニモのデモセッションの紹介や自分のコーチングの紹介なのだが すでに出来上がっている会の空気感に自分が飲み込まれて、自分を発揮できていないことが体感として残っていた。 初めての場所、場の空気になじめずに自分が出せない。もったいないことだ。 自分が地に足は着いているか? 問いを持ちたい ハイな盛り上がりが続いて、自分の心がついてきてないときは 地に足が着いているかチェックしてみたい。 「座禅」で自分の呼吸に意識を持ったりして、自分を取り戻すことはそういうことなのかなと思う。 今、自分は流されているか、自分で決めてそこにいるか、 目的は何、意図は何、問いを持ちたい、 2日目に向けて 自分とつながり、目的とつながり、相手とつながり、流れに任せ 場に乗っていく、ダンスしてゆく そんなHave Funをしたいと思った。 そう思うとうずうずしてきた。 覚えるだけでせーいっぱいだった歌の歌詞を書いてもらった。 I have got a little guiding light. I am gonna let it shine. This little light of mine Everyday everyday everyday and eveyway 導かれる小さな光を持っていたんだ、 その光を輝かせよう、 この光は私のものなのだから 毎日毎日毎日どんなやり方だって そんな歌詞だった。 2日目 1日目よりも地に足をつけて楽しめている感覚があったが、 公演にむけて心をこめるというステージに場が進行している感があり 1日目のようなパフォーマンスを詰め込んでアップアップという感覚はなくなった。 心をこめるということを伝えてくれる。 理屈じゃないところだ。魂こめれば形はどうであれ全身全霊は 動きとしてダイナミックになり、場の一体感も出て40人以上の人たちが全身全霊で歌い、踊る姿に涙した。 好きな所でもある。リハーサルがあり、本番を迎える。 もてる力を最大限出す、感動がある。 楽しいすばらしい感動の経験だった。 そ・れ・で・も 自分をジャッジする内側の声はまだ聞こえていた。 誰かと比較する自分がいたりした。 「私・よ・り・も」オープンに自分を表し、回りの人たちと分かち合い、俺よりも汗をかき、出し切っている人がいた。 うらやましく思う、自分よりも思いっきり表現し、楽しみ、涙している。 出し切ろうと思って、出し切っているわけじゃないだろうなと そのときに気づく、 自分なりに葛藤を乗り越えて、やりきった感はあるが まだ、残尿感がある。 ジャッジする自分はいるのだ、それを無理に消そうとすることは無駄な努力のような気がした。あきらめのような感覚だ。 次の日トイレで筋肉痛を感じながら、それでもやった自分を認めようと思った。 そして読みかけの本「インナーゲーム」を読む。 「インナーゲーム」はテニスをするときに 頭でテニスを覚えようとしたり、頑張りすぎて力んだり、自分をコントロールしようとする意識を手放し、 体に任せて自然発生的なプレーすることを自分に「依頼する 」。そうして上達したほうがはるかに早くうまくなるそのための手法が書いてある本だ。 その中にコントロールしようとする意識を静かにさせるためには 心に「黙れ!」と言わないこと、戦わないことが大事「自分を非難することを非難しないこと」と書いてあった。 な・る・ほ・どーー。 いっぱい戦っていたなー また戦うかもしれない でもそれを非難することはやめていこう、 ボールに集中するように 音や今のステップに集中すればよかったのだな。 出し切っていた人たちは出し切ることを意識してはいなかっただろう。 今の自分のやることに集中して続けただけなのだろう。 前後裁断今ここに集中だ。 番外の感想 ヤングアメリカンでは はじめのアイスブレイクや自己紹介は少なかったように思えた。 一見乱暴なようにも思えた。 主催者側にもリスクはあったはずだ、もっと丁寧にアイスブレイクしたら 場のつながりは早かっただろう。 でも自分からオープンになることで作られ場は自分が主導権を握り、 相手がオープンで自分が閉じている場にいると自分を出すことにハードルが上がる。そもそもオープンだったのか、「テンションの高さ=オープンさ」と勘違いしていたかもオープンってテンションの高さではない、どんな気分の人も受け止める、それでもいいと受け入れることだと思う。 すでに場が出来上がっていてそこにいる人たちは皆テンション高い 今の自分のテンションと違う場はいくらでもあるだろう。そこで楽に自動発生的な自分でいるためにジャッジをする自分を非難することなく 自分の意識にフォーカスするのではなく、ただ見ている。ただやりきることができればいい。
2009.07.20
コメント(0)