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認知症の祖母を見舞いに、老人ホームに行ってきた。毎度のことながら、人生の最晩年の老人たちの姿を目の当りにすると、強い衝撃を受け、人生観が揺らぐ。お金も暇も元気もあり、ゆったり人生を楽しんでいる両親の世代を見ると、「年をとるのも悪くない」と思う。が、老人ホームでは、そんな呑気なことではない。朦朧とした老人が車椅子に連なり、エルビスプレスリーをBGMに、居眠り、うめき声、奇声を上げたり、泣いたりしている。お昼ごはんは大変だ。うつむききった老人の口を、無理やりこじ開けて、食事を流し込む。「おしっこ!」と叫ぶ人がいれば、ホームの人が、あわてて、トイレに連れて行って、渾身の力で、老人を便器に乗せ、用を足させる。そこで働いている方々の献身には、頭が下がる。家族として、そうした世話を日々、行なえないことを申し訳ない、と思う。と同時に、もう、トイレにも自力で行けないのなら、オムツ垂れ流しでいいんじゃないか、とも思う。食事を食べたくない人に、三食、無理やり、与えなくてもいいんじゃないか、とも思う。思うと同時に、そんな風に思う自分に後ろめたくも思う。祖母には長生きしてほしい。生きている限りは、気持ちよく、人間らしく、生きてほしい。が、どれだけホームの人に良くされても、祖母には、満足も、感謝も、ない。これまでの人生を振り返ることも、肉親が見舞いにきて嬉しいという感情も、将来に対する希望も、ない。耳が聞こえず、周囲の状況も把握しにくくなってきている祖母にとって、生き続けることは、苦痛でしかないのではないか、と思う。思うが、推測に過ぎない。夫、子ども、孫に囲まれ、機知に富んで、愛情豊かだった祖母。富貴にも、健康にも恵まれ、起伏はあったものの、大正、昭和、平成と、長く幸福な人生を歩んだ女性だった。所詮、人間、いつまでも右肩上がりに上り続けることも、得たものを溜め込むことも出来ない。徐々に体力が衰え、知力が衰え、感情も磨耗する。お金も意味がなくなる。いつかは、自分も身の回りのことすら、自分で出来なくなる。それでも、死期を自分で選ぶことは出来ない。いつか、私もそうなるのであれば、そうなる前に、うんと人生を楽しもう、と思う。と同時に、どれだけ楽しんでも、着地点がこのようなことであれば、所詮はむなしい、とも思う。全ての楽しみは、過去になり、消えていくのだから。あるいは、富める者にも、貧しい者にも、全ての人に死が平等に訪れるということで、救われる部分もある。閑話休題。私の、白金台と大手町の日々も、7月で終わろうとしている。永遠に続くかと思われた、周回する時間のなかで、いつか季節は過ぎ、一つの時代が終わったのだ。5年あまり続いた、この季節が、このように突然、終わりを告げるとは、数ヶ月前には、想像もしていなかった。でも、考えてみれば、そのように、私はいくつかの季節を生き延びて、今日まで生きてきたわけだ。人生の流れは、滑らかではなく、唐突で意外な、いくつかの大きな断層の連なりだった。40歳という年齢で、新たなステージを希望を持ってスタートできることを、天に感謝したい。その新しいステージも、いつまでも続くものではない。いつか、私にも最期のステージが顕れ、ついに、現世で新しい希望を持てないときが来るだろう。それは、はっきりしている。そのとき、私は、来世のことを考えるのだろうか?いずれにせよ、いつか、今生に終わりが来ることを、忘れないで生きていきたい。一ヶ月ほど、東京を離れるのを機に、ブログはしばらく、お休みとします。再開するかどうかは、新しいステージの展開のなかで考えることにします。3年近く、おつきあいいただいて、ありがとうございました。また、お目にかかれることを楽しみに。
2007.07.22
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切なくなる本だった。そして、共感する本だった。引用してみる。。。。日本の三万の河川のうち、ダムのないのは三つだけだと云われています。何千キロもある海岸の30パーセント以上はコンクリートブロックになってしまい、国の補助金により全国の雑木林は伐採され、そのあとは杉が列をなして陣立てよろしく並んでいます。そのために秋に山の紅葉を見に行っても少ししか見ることができず、たとえ紅葉が見られても、それは山肌のなかであちらに一箇所、こちらに一箇所と点在し、まるでパッチワークのような有様で情けないとしか言い様がありません。。。。そして電線!先進国の中で都市と街で電線を地下に埋めていないのは日本だけであって、日本の街の独特のごみごみした雰囲気はそのせいです。郊外に行くと電線の張り方は更にひどくなり、たとえば、横浜の新しい住宅地である港北ニュータウンなどは巨大な鉄塔と小さな電信柱が無数に立ち並び、人の頭の上は電線の網地獄になっています。。。。現代の中国人や日本人の服装、家などは東洋の伝統文化とは全く関係のないものです。日本人は京都や奈良の古い町を見て、「美しい」と感嘆はしても、その心の中では、自分達の現代の生活とは関係がないことを知っています。換言すれば京都が「ウソ」の世界になってしまっているのです。そのため、東洋には「パリ」や「ローマ」は無く、京都、北京、バンコックは次々と粗末にあつかわれて、コンクリート・ジャングルと化してゆきました。それと同時に田舎は、立て看板、電線、アルミサッシなどがあふれて、伝統的生活様式はすっかり忘れ去られていきました。これは日本に限ったことではなく、東洋全体の悲劇だと思います。。。。タイや香港に行きますと、ある程度お金のある家庭はきれいな生活をしています。でも日本の場合、貧乏人も金持ちも、教養のない人も偉いお茶とお花の先生も、みな醜悪な環境の中に住んでいます。。。。日本の美が消えていくことは避けられないでしょう。それにしても僕は幸せだったと思います。美しい日本の最後の光を見ることができました。消えていってほしくない。私に何が出来るか、後半生、ゆっくり考えよう。
2007.07.12
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着道楽というほど、お洒落にお金を使えるわけではないけど、高いなりに、安いなりに、自分の好きな服を選ぶのは、楽しい。50代になったら、着物ばかり着るオバサンになりたいと思いつつ、40の坂を越えても、なかなか、着物を買うお金も、着物を着こなす時間も場所もなく、私のお洒落の中心は、やはり通勤着である。最近、出会って、大好きになったのが、マルニの服。最初に三越でマルニのブティックの吊るし服を見たとき、「こんなに奇抜で高い服、誰が着るのかねえ」と思っていたのが、その後、有楽町のエストネーションでスーツを試着して、衝撃を受けた。私が日ごろ着ていた、いわゆるOL向けの定番スーツとは、全然違う優美さ、カットの美しさ。吊るしを見た印象と、着てみた印象がこれほど違うブランドはない。アシメトリーであったり、不思議な部分にタックが入っていたりして、吊るしてあると、不恰好でさえあるのだが、着てみると、女性の身体のラインが実によく計算されている。肩の落ち感とか、袖からの手首の見え方とか。プリント物が多いのだが、色使いや柄も、実に、オリジナルで、美しい。が、マルニの服は、高価である。ただのTシャツが5万円であったり、スカートが10万円であったり。スーツを正価で買うと20万円近くする。最近、「マルニ風」の服が、ワンランク下のブランドからも出ているが、やはり、着てみると本物とは似て非なるものである。で、私の、マルニ購入は、もっぱらネットオークション専門だったのだが、ついに、先日、東京ミッドタウンで吊るしの上下を購入。日ごろの節約と、質実剛健はどこにやら。着てみたら、どうにも昼も、夜も、その服のことが忘れられなくなり、「ええい!私も40だ!体型がこれ以上崩れて、遊びに行く場所もなくなれば、もう着道楽もないんだから!これくらい、許して」で、買ったのが、この上下。通勤には、明らかに、エレガントすぎる。PCを前に汚い机に向かってレポートを書く服じゃない。会議でガンガン、発言する服でもないし、保育園に子どもを迎えに行く服でもない。ええん、どこに着ていくんだよ!庭園美術館に展覧会を見に行ったり、お芝居を見に行ったり、ホテルでお茶をするための服。それくらいなら、そろそろ、しても良い年かもしれない。パーティドレスも、オートクチュールも縁がなくても、マルニの服を着て、フレンチを食べに行く。都市生活の悦楽。最近、やっとネイルを整えたりする余裕も出てきた。これから、この服を着ていくチャンスが沢山、あるといいな。
2007.07.09
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大好きな高峰秀子さんの映画を見、そして本を読み、思ったことがある。映画を見ても思ったこと:高峰秀子さんは、めちゃくちゃ素晴らしい女優さんだった、ということ。どの本を読んでも分かったこと:高峰秀子さんは、死ぬほど、映画女優という仕事が嫌いだったこと。養父母の意向で5歳で映画界に入り、スターになった秀子さんは、シナリオを読むとゲップが出るくらい、女優の仕事が嫌いだった。が、若くしてスターになってしまったがゆえ、親戚縁者に次々にたかられ、10代、20代を映画に出演しまくって出演料を稼ぐ、「金銭製造機」として過ごし、仕事を辞めさせてくれない養母との暗い葛藤の日々を送った。それが、30代になり、運勢が変わった。松山善三氏という、良き夫を得てからは、幸福な家庭生活を築き、夫の稼ぐが増えるにつれ、徐々に出演作は少なくなり、やがて50代で完全引退。そして、生活エッセイストとしての、第二のキャリアを築くことになる。不思議なのは、そんなにも嫌っていた映画界で、暗い精神生活を送っていたはずの若き日の秀子さん、映画のスクリーンでは、微塵も暗さが見えないことだ。これ以上ないほどの、幸せオーラが出ていて、何の屈託のない、清らかな人に見える。庶民的でありながら、品が良い。目鼻立ちのバランスも、中肉中背のバランスの良いプロポーションも、「可愛い!」という言葉がぴったり。30代以降になると、少し、影のある薄幸の女性が似合うようになり、年相応の、落ち着きのある表情になる。さらに40代以降になると、自他共に認める、神経質で気難しい性格が表情に出てくる。相変わらず美しいものの、幸福感が匂いたつような感じはなくなる。インテリ「賢女」に変身し、全盛時のかわいらしい雰囲気は全く、消えうせる。つまり、本人の実感としての幸福カーブと、外見上の幸福感カーブが見事にミスマッチなのだ。彼女は、日本映画史を代表する女優。嫌いな仕事で、これだけの見事な成果を残すって、どういうことだろう。エッセイストとしても、優秀だが、女優としての素晴らしさにはかなわない。秀子さん自身の著作によると、「嫌いだけど、お金をもらっている以上は頑張った」と、ある。オペラ歌手について発声訓練をしたり、医者から解剖学を学んだり、非常にプロ意識の強い人だったようだ。が、それよりも何よりも、本人の好みや精神性にかかわらず、天賦の才能とスター性を授かってしまった、というのが、まず先にあったと思われる。そう。好きこそものの上手なれ、は、現実の世界では、当てはまらないことが多いのだ。仕事を選んだのではなく、仕事に選ばれてしまった。そして、天から与えられたものに、不満は感じても、精一杯、答えよう、とした結果が、あの輝きにつながったのである。嫌いであっても、彼女は、女優という与えられた仕事を一生懸命やった結果、さまざまな著名人との豊かな交友が生まれ、いろいろな意味で、常人には得られない大きな恵みも受け取った。好きなことをして暮らせる後半生が与えられたのも、女優という仕事を一生懸命やったおかげだ。そのエッセイストとしての後半生、秀子さんは、嫌いだったはずの、撮影所でのエピソードを実に、懐かしそうに、沢山、書いている。嫌いなのに、一生懸命やった自分の過去をいとおしんでいる。その事実を知ると、「若いことに好きなことを見つけ、とことんやるのがいい」「直感を大事にしよう」「人生の目標を見つけよう」という一般的な人生論は、きわめて怪しく思えてくる。実際、好きなことと、得意なこと、というのは、必ずにも一致しないことが多い。パラドクスめいているけど、職業的成功の秘訣は、好きなことより、得意なことを優先することだと思う。これまでに、自分が好きで経営者になったわけではない、名経営者を沢山見てきた。そうなるつもりじゃなかったけど、そうなってしまった成功者たち。仕事だけじゃなくて、恋愛や結婚にも、言えるかもしれない。主観的な好きか、嫌いか、だけを尺度にした選択は、必ずしも長期的に見て、幸福な生活をもたらすわけではないように思う。大事なのは、好き、嫌い、よりも縁だ。好き嫌いには、意味はないが、縁には、何かの意味がある。人間、本当に、自分が選べることなんて、限られている。好き嫌いをぐだぐだ言わず、自分にもたらされた状況で精一杯頑張り、縁を生かすこと。それが出来る人だけに、運命は微笑むのだ。
2007.07.01
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4才半の息子のマイブームが恐竜だ。いきおい、私も恐竜の絵本を読む。恐竜滅亡の原因は、隕石衝突説が有力だそうな。6500万年前、直径10キロの隕石がメキシコ辺りに衝突した。原爆数千個分の衝撃で、辺りの動植物は瞬間的に熱死した。土砂、噴煙が大気圏に巻き上がり、3年ものあいだ、地球全体が闇に包まれた。それで、植物が死に、それを食べていた草食恐竜が死に、それを食べていた肉食恐竜が死に絶えた。かろうじて生き延びた、昆虫や爬虫類や哺乳類が、やがて訪れた新しい地球環境のなかで、繁殖し、進化し、現在に至る。恐竜が地球を支配した期間は1億6000万年。思いをいたせば、とんでもない長い時間であるが、それが、隕石衝突というアクシデントで、あっけなく、ジ・エンドとなった。翻って、人類の文明の歴史は、わずか、1万年ちょっとだ。星の欠片である隕石は、宇宙にウヨウヨしていて、一定の確率で、地球の引力圏に入れば、地上に落ちてくる。今、この瞬間に、隕石衝突で、あっけなく人類が滅んでしまうことも、まったくありえないことではない。なにせ、原爆の数千倍の威力だ。たとえ、隕石接近が事前に分かったとしても、たとえ、最新鋭の科学技術を駆使しようとも、人類が巨大隕石の衝突を阻止することはできないだろう。隕石が衝突したら、地球温暖化を心配することも、京都議定書を遵守することも、もう、意味がない。公害による二酸化炭素の増加などとは比較にならない衝撃なのだから。末期がんの患者も、生まれたばかりの赤ん坊も、皆、同時に逝ってしまう。アメリカの億マン長者も、スーダンの難民も、一気に、平等に、逝ってしまう。経済活動は、瞬時にストップ。年金問題も、株式市場の低迷も、地方財政の困窮も、ヘッジファンドの繁栄も、円安も、木っ端微塵だ。パレスチナとイスラエルの対立も、イラクの治安問題も、北朝鮮の核問題も、一瞬に、問題でなくなる。バリでガムランを奏でる民も、アラスカでアザラシの狩猟に励む民も、オーストラリアで神と交信するアボリジニも、その文化も、宗教も、生活も、静かに、厳かに、終焉のときを迎える。いじめっ子、不実な夫、不条理な上司、言うことを聞かない子どもも死ぬ。親切な子ども、誠実な夫、慈愛溢れる人々も、またしかり。地下鉄の通勤も、宅配便の不在届けも、保育園の父母会の集まりも、自動車のタイヤ交換も、靴の修理も、パソコンのバージョンアップも、もはや不要だ。明日がないのだから。チャリティも、小さな善意、親切も、ささやかな貯金も、学習も、信仰も、希望も、努力も、全て無に帰す。地球上の人類の、全ての日常の営みがストップし、昨日の問題は、もはや今日の問題ではありえない。そんなことが、まったく、ありえないことではなく、まさに、その、滅多にありえないことが起きたことで、恐竜が滅びたということを実感として感じて見る。恐竜が一匹もいなくなった6500万年後の、地球の平和な日常。恐竜を記憶する者も、その死を嘆く者もいない。そう、隕石がぶつかった後も、地球は自転し続け、いつかは光の差し込む朝が来る。たとえそれを見る人類が一人もいなくなっても、地球の現実は続く。一日は24時間で、夜空には月が光り、天空にはおうし座や、おとめ座が楕円を描いて、地を照らす。そう考えると、思い悩むことが実にちっぽけで、くだらないことに思えてくる。何を希望しようと、何に向かって努力しようと、起きるときに、起きるべきことが起きるのだ。生かされているあいだは、思い悩むことなく、与えられた時間を精一杯生きる。呼吸する。食べる。眠る。食べて、眠るために、働く。所詮、それ以外に出来ることはないのだと、つくづく思う。運が良ければ、個体保存が出来、種族保存ができる。出来なかったからといって、何かを恨むのは、間違っている。根本的に間違っている。自然界は、そもそも峻厳なものだ。悩んだら、地球の歴史と宇宙の本を読んでみる。これは、悩める人に、かなり有効なセラピーになる。ぜひ、お勧めします。
2007.06.23
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朝、都営三田線の車内には、30代、40代の女性が沢山乗っている。内幸町、日比谷、大手町で下車するワーキングウーマンの彼女たちは、皆、とてもスタイリッシュ。10年前、日経新聞を電車で読んでいる女性は珍しかった。今じゃ、日経新聞に男女はまったく関係なし。女性の日経新聞比率は上がったが、それ以上に男女ともに、携帯をピクピクやっている人が増え、時代の移り変わりを感じる。10年前は、通勤電車に乗っている女性といえば20代が圧倒的だった。それが、今では、30代、40代、そして50代と、女性は働き続けるようになった。さらに、一般に服装のカジュアル化が進むなか、反対に、ビシッとスーツで決めた女性も増えた。営業担当や、管理職の女性である。スーツの仕立てが圧倒的に良くなり、身体にフィットした女らしいデザイン。ハイヒール、アクセサリー、ヘアスタイル、化粧、小物からネイルまで、うっとりするほど美しい女性がいる。ぐんぐん進化して、東京の働く女性の洗練度は、おそらく世界一だ。しかし。問題は、帰りの電車である。当たり前のことではあるが、夜の電車は、皆、仕事で疲れている。とくに、30代以上の女性の疲れは尋常ではない。アフターファイブを楽しむ20代の女性が、夜になっても、きゃぴきゃぴ生き生きとしているのと比べ、年齢の格差は歴然とする。夜も重い書類を持ち帰る女性、保育園の迎えに急ぐ女性、山のように家事が待っている女性。本当に、24時間、自転車操業で、戦っている人は多いのだと感じる。その疲れが、ファッショナブルな容姿からにじみ出る。目の充血。化粧のムラ。肌の乾燥、髪の乱れ、足のむくみ。バシっと決めているだけに、染み出る疲れが痛々しい。そもそも、一日十時間、乾燥したオフィスでPC相手にする仕事という労働形態が、本来の人間の営みとかけ離れているのかもしれない。そして、人間の生理から言って、7センチヒールや、身体を締め付けるスーツなどは、本来、10時間を超える連続装用に耐えられないようにも思う。かくして、朝の颯爽とした姿が嘘のように、皆、ショボショボし、長年の疲れに寄る年波がオーラのように彼女たちを包む。よく見ると、剥げかけた爪。カラーが落ちて少し白髪が見える髪の毛。それらに、カルティエの時計やエルメスのカバンとコーディネートされると、その落差に、いっそう、哀れさが漂う。自分へのご褒美、ブランド品は30代から、などとメディアは働く女性の物欲を煽る。ハイヒールを履いてブランド品を身に着け、疲れきってつり革に縋る女たちを見ると、「これを買うために彼女は、どれだけ働いたんだろう」と思う。貨幣社会で翻弄され、回転し続ける彼女たち。ブランド品やハイヒールは、本来、一日、10時間働く必要がなくて、パーティや展覧会で日々を過ごす有閑階級のものだ。本当のエレガンスとは、疲れていないこと。夜になっても、青白い白目と、輝く笑顔を持つ女性でいること。楽しみのために働き、物欲や生活のために働かないこと。都営三田線に乗る、スーツを着た女性は、誰も、どこか、少し可哀相である。私も含めて。
2007.06.13
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バリの結婚式に行ったとき、参列女性のエレガントな姿にドキリ。そう、民族衣装のクバヤサロン(クバヤがブラウス、サロンがスカート)である。道でおばあさんがくたびれたクバヤを着ているのを見ても、「?」という感じだが、スタイルの良い若い女性や、肉感的な中年女性が、一張羅をきりっと着こなしているのは、とても素敵だった。クバヤサロンというのは、バリに限らず、マレー、シンガポール、インドネシアで幅広く着用されている。ちなみに、シンガポール航空のスチュワーデスの制服は、それをアレンジしたものです。アジアの民族衣装は、チャイナドレス、アオザイ、どれも身体にぴったりした、女らしいシルエットが特徴で、惹かれるものがあります。結婚式の後、「私も着たい!」と言ったら、ロイヤルさんは、「マーケットで布を買って、知り合いのおばさんに作ってもらいましょう」と言ってくれました。ギャニャールの市場で、2本、布を選び、おばさんの家に行って、採寸した。結婚式で良く見た、レース地の透けるタイプは避け、あまりエスニックではない柄を選びました。できあがったクバヤが、これです。もろ、ボディコンなので、大声で笑ったり、食べ過ぎたり、座ると、途端に、前開きのホックが開いて、おなかが丸見えで、補正用のガードル(200円くらい)も売ってまして、それも買いました。これは、とても重宝。日本の高級補正下着の数十分の一の価格です。ガードルをつけて、クバヤを着ると、既製品のブラウスやカットソーにはないフィット感があり、われながら、女っぷりが上がり、なかなか、素晴らしいちょっとナラカミーチェのブラウスにも似ているが、フィット感が強い分だけ、より、格好いい。バリの人は、これに、サロンというロング巻きスカート(ただの長方形の布)を合わせて、ウエストに帯を巻く。東京でそれをやってしまうと、さすがに痛い。で、私は、タイトスカートがクロップドパンツにハイヒールを合わせる。これで、通勤もするし、顧客訪問も行う。「これ以上、太れない!」という緊張感が心地よい。肌を見せすぎないエレガンスというのもグッドだ。ウブドのブティックでは、観光客向けのバリ風モード服のお店も沢山あり、かなりハイセンスのものも見た。が、クバヤは、もろ民族衣装であるせいか、普通のお店では売っていなかった。バリ風モード服は、あくまでリゾート用だが、クバヤは、十分、街着として通用する。これをいろいろな布、デザインで作るためだけに、またバリに戻りたいくらい。何でも、バリの州都、デンパサールには、ものすごい品数の生地屋さんがあるそうな。今回、ウブド周辺で終わってしまった旅行。次回は、デンパサールでのクバヤ作りを旅程に入れるつもりです。
2007.06.09
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バリの景色、人の生活。どこか、昔の日本を思い出すようで、懐かしかった。棚田や、路地、路地で遊ぶ子ども、中庭のにわとり、物売りの声。初めて見る、ヒンズー世界。なるほど、仏教とヒンズーは親戚なだけあって、仏像や、お地蔵様や、はたまた、お狗さまや、獅子やら、そこここで見る石像は、日本の寺社にあるものと同じじゃないか顔つきも日本人に似ている人がいる。日本人のルーツの一つは南方系というが、バリの小学生の顔を見て、「あ、この人、東京の○○さんと似ている」なんて考えていた。が、違いも多い。バリには、お箸はない。人々は、手で食べるし、レストランやワルンでは、フォークとスプーン。そして、同じ米食ではあるものの、味覚は随分、違う。いろいろなところで食べた、ナシチャンプルー。ココナツやピーナッツ風味のおかずが多い。お豆腐など、似た食材もあるのだけど、質感や調理法は随分違う。タイ、ベトナム料理などとと比べても、和食との距離は遠く感じた。荷物は、頭に荷物を載せる。子どもはオンブではなく、小脇に抱えて運ぶ。お寺の構造は、まるっきり日本とは違う。家の造りも違う。トイレ。紙を使わず、水で処理するやり方は、慣れてしまえば、そっちの方が清潔な気もするが、やはり、一週間の旅行ではなかなか慣れなかった。気候、植生。熱帯雨林のモンキーフォレストを散歩して、日本の森が、懐かしくなった。類似点と違いのリストは、長く住めば住むほど、大きくなっていくんだろう。もっと知りたい!が昂じて、リピーターになる人や、移住してしまう人の気持ちが分かる。帰国して一週間。夢のような旅だったが、早くも次は、いつバリに行こうかと考えている私がいる。
2007.06.03
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旅の醍醐味は人情、というが、今回のバリ旅行は、景色よりも、音楽よりも、食べ物よりも、人々との出会いが心に残る旅だった。ひとえに、ロイヤルさんのおかげだ。ロイヤルさんは、たまたま、ホテル経由で頼んで、空港に迎えに来てくれたドライバー。トヨタのバンを運転し、日本語を話す。「明日からアテンドしますよ」と言われた。最初は、自分たちだけで散策したり、団体のエクスカーションなどに参加する予定だから、少し、戸惑った。とりあえず、翌日だけアテンドしてもらうことにして、別れた。ホテルに着いてみると、子どものリュックサックを車の中に忘れたことに気がついた。最悪、失くなってしまうかもしれないけど、まあ、翌日、ロイヤルさんに会えば、車の後部座席に残っているかな、なんて思っていると、一時間ほどして、なんと、本人が、息を切らせてドアの前に立っている。「家に帰ったら、気がついて、困っていると思って、持って来ました。僕も気がつかなくて」それで、この人を信用して、ゆだねる気持ちになった。短い時間に、自分の家族、親戚、知り合い、友人、沢山の人を紹介してくれて、いろいろなお宅を訪問した。突然の訪問者の私たちに、皆、お茶を出してくれたり、コーヒーを出してくれたり、子どもにオモチャをくれたり。結婚式ではご馳走をいただいて。誰もが、つましい庶民だが、心が広く、穏やかで、卑しくなかった。果たして、この人たちが、日本を訪れたとき、私は、同じように余裕を持って、他者を暖かく受け入れることが出来るだろうか。村の小学校の先生と、子どもたち。先生の笑顔が最高!集団下校。二十四の瞳みたい。お祭り用の豚の丸焼き。これがバリの家庭の個食風景。皆、好きなときに、好きな風に、こそこそっと食べてる。ロイヤルさんの遠縁の結婚式に飛び入り参加。バリの花嫁さん。どこか懐かしい光景。こんな素敵な旅を作ってくれたロイヤルさん。信頼できる水先案内人に出会ってよかった。Royal I Kadek Dwitatmaja (ロイヤルさん)Br. Teges Kanginan, PeliatanUbud, GianyarBali-IndonesiaMobile 081 2395 3554Phone 0361 974 234ロイヤルさんは、個人営業。本人は、ウブド近くの村に住んでいるけど、山間部、ビーチも含め、バリのどこでも案内してくれるそうです。お泊りのホテルのフロントに頼んだら、ホテルが電話して、ホテルに迎えに来てくれますよ。バリは公共交通機関が発達していないので、ガイド、ドライバーにお願いしないと、おのぼりさんは、なかなか、動きがとれません。別れ際。ロイヤルさんは、気が抜けるほど、お金に対して恬淡として、清潔だった。「日本の知り合いがバリに来るときに、紹介してください」と言葉を残して。
2007.05.31
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バリの女性は、皆、お供え物を作っていた。器用にこよりのような草で葉っぱをつなぎあわせて、器を作り、そこに、お花、お米などを乗せる。一辺15センチくらいのお供え物を毎日、数十個作り、道に、石像に、神棚にと、飾る。お供え物の材料(花、葉っぱ、線香など)は早朝にマーケットで買ってくるそうな。毎日、毎日、その繰り返し。ホテルでもそうだし、訪れた家でも大抵、女の人は軒先でお供え物を作ったり、お供えしたあとのお皿を洗ったり、お祭りの準備をしたり。だから、そこらじゅう線香と花の匂いであふれているし、道端には朽ち果てたお供え物の残骸が散らばっている。他にも女性の仕事は、買い物や、子守りや、料理や、洗濯やら、あるので、とても大変そう。ちなみに、料理は一日一回、朝に大皿料理を盛り付けておいて、それを朝昼晩と、家族のめいめいが適当な時間に勝手にそそくさと食べるシステムだそうで(個食、ファストフードですね!)、意外に、おさんどんに関しては、日本の主婦よりは楽かも、と思った。お供え物作りは、見たところ、とても風雅。でも、家に女性を縛りつけ、個人の自立や社会の経済成長を阻害しているんじゃないだろうか?で、地元の結婚式に参列していた十代の女性とお話してみた。「大人になったら何がしたい?」彼女は、「本当は、アメリカか日本に留学したいの。でも、それはお金がかかり過ぎるし」と言った。「ガルーダ航空に就職したてキャビンアテンダントになったら外国に行けるよ」と言ったら、「背が低いからダメよ」と笑った。その女の子は、ガムランが鳴り響き、お坊さんが祭祀を執り行っているあいだじゅう、妹とケラケラ談笑しながら、携帯メールのチェックをしていた。聡明そうな彼女。アメリカか日本に放り込んで、みっちり勉強をさせたら、外資系金融でだって働けそうだ。が、バリの庶民にとって海外は遠い。どんなに聡明でも、ほとんどの女性が、結局、島を出ることはなく、近隣の男性と結婚して、母親と同じような伝統的ライフスタイルを送るのだろう。それは、幸せか、不幸か。昭和17年生まれの私の母は、すでに、祖母と同じようなライフスタイルではなかった。結婚後、マンション暮らしとなった彼女の家には神棚も仏壇もなく、お嫁入りのときに揃えた着物に手を通すことはほとんどなかった。そして、その娘である昭和42年生まれの私は、「家事を手伝うくらいなら、本を読みなさい、勉強しなさい」と言われて育った。田舎のない私は、お盆にお墓参りに行ったこともほとんどない。お茶、お花、長唄より、スキーや語学や経済理論だった。バリの女性のライフスタイルを素敵に思うのは、ないものねだりなんだろうか。伝統的な服を着て、お供え物を作る女性の姿が、美しかった。回転する貨幣社会のなかで生産や消費のことばかり考えている女性には決して手に入れることのできない、手仕事で養われる叡智や品格があり、神々や先祖に対する敬虔の念が生み出す、心の安寧が感じられた。
2007.05.28
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無知な私は、バリは小さな島だと思っていたのですが、大きさは東京都の二倍半、人口は300万人。存外に大きく、だからこそ、海を見ないで一週間いることもできたわけです。東京だって、海に面しているけど、住民は全然、海を見ないで生活しているわけですしね。空港からウブドまで1時間半。夜の車道は、ネオンが光り、バイクと車がガンガン走っていて、マクドナルドのドライブインもあって、日本の地方都市とあんまり変わらない。バリではウブドのアラムインダーというホテルに5泊しました。http://www.alamindahbali.com/10部屋しかない、奥まった小さな隠れ家ホテル。泊まっている人たちは、ヨーロッパから来たカップルばかりで、日本人は私たちだけでした。ここが泊まった部屋です。テレビも、電話も、なくて、エアコンだけ。部屋はとても大きくて、清潔で、センスが良くて。ウブドは海抜600メートルくらいなので、昼間は暑いですが、夜は熱帯夜ではなくて、エアコンは使わないで、窓を開けて寝ていました。蚊帳を張った大きなベッドが気持ちいい!床はひんやりする大理石で、ホテルにいる間は、ほとんど裸足でした。部屋のすぐ前がプールになっていて、ほとんどプライベートプール状態で朝に晩にと泳ぎました。昼間は東京の真夏と同じくらい暑いので、少し外出すると汗で服が濡れてしまい、ホテルについた途端、ドブンとプールに入れるのは極楽でした。最初はパスポートやら、財布やら、心配で持ち歩いていたのだけど、部屋の鍵を閉める必要がないくらい安全な場所で、最後の方は鍵開けっ放しで手ぶらでホテルの中を歩き回っていました。10部屋に対して従業員は20人。サービスは日本では考えられない充実ぶりでした。レストランがなく、基本的に朝食以外は外食なのだけど、昼も夜も、頼めばケーキや食事を出してくれました。そして、ウブドの町や、近くの劇場に、いつでもどこでも車で無料送迎。楽チンです。貧乏性の私は、最初のうちは、サービスを受けるたびに「チャリンチャリン」とお金の音が鳴るようでビクビクしていたのだけど、実にリーズナブルでした。感心したのは、ハードもさることながら、ソフト。スタッフの人間性。ホテルのどこにも、お地蔵さんとお供え物のお花が沢山あって、お線香の匂いがします。女性のスタッフは、日中、長い時間をかけて、ホテルの軒先でお供え物を作っていました。私もお供え物を作るのを少しお手伝いしました。外出して、バリの人たちの家を訪れたら、皆、女の人はせっせとお供え物を作っていました。Aさんというホテルのスタッフの女性と話をしました。小さな子どもが二人いて、彼女が働いている間は義理のお母さんが子どもの面倒を見ていること、子ども食べ物の好き嫌いが多くて困っていること、夫はもう少し大きいホテルで働いていたけど、テロの後の不景気で解雇されてブラブラしていること。本当はもっと勉強して医者になりたかったけど、父親が早く死んで妹や弟の生活の面倒を見なくてはならなくて勉強ができなかったこと、家族の面倒を見なければならなかったので、結婚が遅くなった(28歳)こと。結婚したら、嫁ぎ先の家族の習慣に慣れるのが結構、大変だったこと。もう一人、男性スタッフとお話しました。結婚して10年になるけど、子どもが出来ないこと、去年やっと子どもができたけど、流産してしまったこと。自分も一人っ子なので、子どもが出来ないと、家の跡取りがいなくなって困ること、不妊治療はお金がかかること。皆が、「子どもは?」と聞くのがとても嫌で、子無し社会のプレッシャーが強くて、たまに逃げ出したくなること。バリは観光収入が過半の島で、誰もが外人慣れしていているはず。ましてやホテルの従業員はプロのサービス業者。それなのに、あまりに人間的。行きずりの金を持った外人観光客に過ぎない私が、彼らのプライベートな身の上を聞いていること自体、シュールな感じがした。日本の旅館じゃ、よほどの民宿じゃなきゃ、身の上話なんか、しない。近所の人とだって、こんな話しない。それもプロのサービスの一環なのか。バリの人たちの生来の傾向なのか。アラムインダーの過去10年の宿帳には、「ここは地上の楽園です」との書き込みが沢山あった。楽園ではない。この世に、楽園はない。皆、悩みや苦しみを抱えて生きている。でも、バリの人たちは、少しだけ、私たちより神様に近いところで生きていると感じた、今回の旅行でした。
2007.05.27
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初めてバリに行ってきました。アジアンリゾート初体験で、ビーチサイドのホテルで子どもは預けてひがなプールサイドでトロピカルカクテル。。。。のはずだったのが、内地のウブドの宿泊となり、毎日、汗をかきかき、マーケット、農村、劇場や、地元の人々のお宅訪問。なんと、一度も海を見ないまま、東京に帰ってきてしまいました。思いがけずディープな旅となり、帰りの飛行機では涙がぽろぽろ。数回に分けて、ゆっくりレポートします。
2007.05.26
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なけなしの時間、睡眠不足になりながら、高峰秀子の出演している昭和20年代から30年代の邦画ビデオを見つけては、見まくっている。どれもこれも、派手なアクションやラブシーンはないのだが、ストーリーが素晴らしく、高峰秀子の演技はとても説得力があり、思いっきりヒロインに感情移入してしまう。そのなかでも気に入ったのが、成瀬巳喜男監督の、女が階段を上る時。銀座のバーのマダムの話なのだが、私の渡世物語などで知った、高峰秀子自身の人生を重ね合わせると、彼女の表情に、まことに味わい深いものがある。マダムの圭子は、水商売が大嫌いなのだが、夫に死なれ、経済力のない実家の母や兄一家を抱え、金のために働かざるを得ない。毎晩、着物を着て、髪をセットして、覚悟を決めて、ビルの階段を上る。店に一歩入るや、見事な笑顔を作り、虚構の世界を生きるのだ。衣装や音楽が、クールでかっこいい。高峰秀子という人は女優という仕事が大嫌いだったが、養母をはじめとする扶養家族を抱え、やらなければいけない以上、一生懸命やった。一生懸命やった結果、後世に残る仕事をした。哀しみをたたえたその細い肩、つりあがった眉毛、後ろ姿が、見事にヒロインの姿にはまる。銀座、大手町、丸の内、佃。私がまだ生まれる前の、昭和30年代の東京。バーの客は、銀行の支店長、工場主や、関西の中小企業オーナー。財力をバックしにした男は大枚をはたいてバーに通い、女は玄人と素人に厳然と分かれている。半世紀近く前の、東京の風景、男と女の有様は、今とはとても違っていて、エキゾティックですらあるのだが、映画のなかでどきっとするシーンがあった。主人公の高峰秀子が、ひそかに愛する、自分の客の銀行支店長の森雅之に集金に行くシーンだ。大手町ビルの1階の廊下を着物姿の高峰秀子が歩いていくのだけど、私が毎日通っている、今の大手町ビルと同じなのだ。大手町の風景はまるっきり変わってしまったようでいて、大手町ビルは不思議なくらい、半世紀間、変わっていなくて感動した。今の私の年齢は、映画の中のバーのマダムより10歳も上だ。私は、彼女ほどの人生の重みと哀しみを抱えて生きていているわけではない。でも、幸せを求めて、仕事か結婚か揺れる彼女、金と義理にまみれながら、男への純な愛情を抱き続け、だまされて、振られて、どうしようもない気持ちを抱えながら、今日も階段を上る彼女の気持ちが痛いほど分かる。男は今も昔も、ずるいね。そして、私もまた、明日も階段を上る。
2007.05.16
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ゴールデンウィークはどこも人の山。というわけで、前半は野尻湖の山の家で新緑に触れ、後半は地元をうろうろしている。5月4日、5日は、清正公のお祭り、そして、フリーマーケット。白金高輪の支所前のフリーマーケットは、2年に一度くらいのペースで出品している。今年も、家の要らないものをかき集めて、真夏の日差しの下、束の間、露天商に変身した。出品にあたり、家の整理をしたら、今年は、うんざりするほど、要らない本の山が出来た。「もう一度、開くことがあるだろうか」と自問をして、「ノー」であれば、迷わず、本棚から下ろした。作業のなかで思ったのは、ものごとって賞味期限がある、ということ。株、金融、経済関連の本は、3年たつと、ほとんど読み返すことはない。いまだに金融業界に身を置く私だけど、これから、経済学者になるわけでなければ、もう、モジリアーニミラーの理論を勉強し直すことは永遠にない。それがだいたいなんだか、分かっていればいいのだ。企業金融の本も、株の罫線分析の本も、もう、これからの私の人生に役立つとは思えない。ヨーロッパやアメリカに行くごとに買い込んだ、インテリアの写真集、横文字の小説や、美術、絵画の本。高価だったわりには、読み返すことは少なかった。やたら大きくて重くて、場所をとる。思い切って処分。とくにフランス語の本は、帰国したら買えないと思い、やたら買い捲った。20代、パリに留学していた私は、「古典はこれからの思索の基礎」と思い込み、ギリシャ神話、フランスの歴史、ボルテール、トクヴィルなどの啓蒙時代の名著から、現代哲学までそろえたが、その後、人生の波に押し流され続けるうちに、いつしか、フランス的教養や思索への志は完全に消えうせ、せいぜい、今でも役立っている本は、ワインの本とパリの地図くらい。さらに、より最近、大手町の地下鉄構内の本屋で手にとるベストセラーの類。一応、衝動買いは避け、3日くらい考えてから買うのだけど、30分くらいで読んでしまえば、二度と読むことはなく、内容も覚えていないものが大半だ。さて、私の本棚で、生き残っている本、いまだに手放す気がしない本とは、どんな本か。アンナカレーニナ、細雪、宮沢賢治の童話など、高校時代に読み、その後も3度以上読んでいる数少ない文庫本(高校時代に制覇できなかった古典は、もういまさらダメです)。料理本(意外や意外、これは何度も何度も古い本でもボロボロになるまで読み返します)。老子、易、仏教の本(これは、30代後半以降の趣味です)。でも、こうしたマイブックも、10年後には、どうなっているか分からない。時間の洗礼を浴びて生き残るモノは、まことに少ない。私のほぼ全ての持ち物は、やがてくる私の死によって、無価値のガラクタになるだろう。服も、家具も、思考も、人間関係も(ガラクタ化しないのは、不動産と現金!)。私のなかで、モノや知識を溜め込む時代はいよいよ終わりです。
2007.05.05
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陰と陽をうまく組み合わせて素敵に年をとっている女性として、桐島かれんさんと、中村江里子さんを挙げました。では、男の人は、というと、私は、まっさきに小泉純一郎前総理を思い浮かべます。小泉さんの選挙区に昔、住んでいたことがあって(小学生の頃!)、そのとき、30代だった小泉さんのポスターの顔を覚えています。線が細くて、神経質な狐のようで、とても一国の首相になりそうな顔じゃなかった。それが、厚生大臣になったくらいから、がぜん、男を上げ、首相になってからは、他の人にはまったくないオーラを出していていました。背が低くても、堂々としていて、海外の首脳に混じっていても、まったく見劣りしない、日本の顔でした。辞めたときには、60歳を過ぎていたけど、爺くささがまったくなくて、最期まで頭は切れていたし、精力的でした。まずは、外見上は、髪型を長髪にして、パーマをかけたのが、大正解でしたね。細面の顔には、黒い七三分けより、グレーのフワフラライオンヘアがぴったり。髪型って、大事です。見事なイメチェンです。そして、内面的には、修羅場をいくつもくぐり抜け、地位と権力を獲得したことが自信を生み、いい男の顔を作ったのだと思います。が、陰陽理論を考えたとき、小泉さんのサクセスストーリーの重要なポイントは、飯島勲さんという秘書じゃないかと思うのです。飯島さんという人は、見事に小泉さんとは正反対の、恰幅の良い大男。髪の毛は少なく、丸顔で、汗っかきそうで、体質から、性格から、見るからに、小泉さんとは正反対。小泉さんが若い頃からずっと彼の秘書をしているのですが、ご本人の本によると、昔はよく、飯島さんが政治家で、貧相な小泉さんが秘書だと間違えられたそうです。そして、雑誌によれば、飯島さんは、生まれ育ちも、政治家三代目のサラブレッドの小泉さんとは、まるで正反対の雑草育ちだそうです。長年、小泉さんに私淑して、良いときも、悪いときも、修羅場も、絶頂のときも、ずっと寄り添ってきたのです。小泉さんは、変人で一匹狼で、独身で、一人で何でも考えて行動する方だったそうですが、ああいう地位を得、功績を残したのは、小泉さんとは異質な個性を持った飯島さんと、一枚岩のタッグを組んでいたおかげのような気がしてなりません。小泉さんと飯島さんは、いろいろな意味で、陰と陽の関係で、飯島さんのサポートのおかげで、あそこまでのパワーとエネルギーが生まれたのでしょう。飯島さんだけではなく、表に出ない実のお姉さんとか、数少ない味方の人々が見事な協力体制を敷いていたからこその小泉純一郎だったのでしょう。一国の首相だけでなく、リーダーとなる人には、良いスタッフが必要。「良い」というのは、陰と陽を補いあう関係という意味です。そして、補いあうことによって、一人では生むことのできない、強さ、柔軟さが生まれるのです。そういう相手に恵まれるかどうか、出会えるかどうかは、もしかしたら、生まれる前から決まっているのかもしれません。陰と陽を補いあうというと、男と女、夫婦の関係が真っ先に思い浮かびますが、小泉さんのケースにもあるように、必ずしも、男女でなくてもいい。一般に外資系金融では、だれもが個人主義で群れないといわれますが、二人で血を分けた兄弟よりも強い関係を構築して、一人では獲得できない人材としての商品価値を作っている人たちをこれまでに見てきました。その人たちを見ていると、決まって陰と陽、ボケとツッコミの関係を確立していて、単に仲良しの似た者の二人というのとは違います。叶姉妹なんかも、二人でいることで、パワーを増幅してますよね。そうはいっても、変転極まりない、何一つ確実なもののないこの世の中。違う個性を持つ、二人の人間が、ずっと同じ目的を持って、近い距離で協力していくというのは、まことに、難しい。だからこそ、成長していくスピードや価値観のズレで、ほろ苦い別れもあり、一時は一卵性双生児かと思っていたパートナーと縁が途切れてしまうこともあるわけです。腐れ縁になってしまい、二人でいることによって、一人のときよりパワーダウンしてしまうことも。人間、所詮、死ぬときは一人。袖振り合うのも他生の縁。できれば、少数の人と、深い縁を持ちたいと思います。気の合う、理解できる人たちと、長い関係を築き、互いにエネルギーとパワーを分かち合っていきたいものです。
2007.04.25
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陰と陽をうまく取り混ぜて、上手に生きているなー、と思える人がいる。桐島かれん。桐島洋子の娘で、写真家、上田義彦の妻で、4児の母。42歳。この人、ハーフなのだけど、とても整った、昔のハリウッド女優のような顔で、痩せて背が高くて、若いころは、ちょっとお人形さんみたいな人だった。化粧品のキャンペーンガールや、歌手などをやっていたけど、バタ臭い感じが強くて、大人気タレントではなかった。頭もよさそうだけど、近寄りがたい、玄人好みの個性派だった。それが、40代になって、とてもいい感じになって、同年代のほかのタレントや女優にはない、温かい存在感をかもし出している。尖った感じが生活感で中和されて、独特の風合いがある。上田義彦さんというのは、サントリーのウーロン茶とか、伊右衛門とかのコマーシャルを撮った第一線の写真家なのだけど、どこかレトロで、東洋的な絵を作る人。ご本人も、とても優しくて、柔らかそうな人だ。一度、広尾の愛育病院で、赤ちゃんと一緒のご夫婦を見たことがある。かれんの方が背がずっと高くて、ノミの夫婦みたいだったけど、仲がよさそうだった。上田義彦さんがかれんと子どもたちを撮った、AT HOMEという写真集。葉山や麻布の昭和初期風の洋館、熱海の古い旅館。お雛様を祝う和服の子どもたち、籐の椅子、自転車、アジアのアンティーク小物。古いものが好きなのは、かれんの趣味なんだろう。おしゃれなのだけど、モードっぽい感じではなく、温かいのだ。桐島洋子のお父さんは、財閥の番頭で、戦前は上海に暮らしていて、かれんは、その未亡人であるおばあさんに、横浜で育てられたと読んだことがある。そして、桐島洋子自身は、大の旅行家で、三人の子どもを連れて、アメリカのイーストハンプトンに移住したり、世界中を旅したり。育ちで培ってきたセンスの良さを、大人になって家庭を持って、見事に生活に花咲かせている。そして、小さいとき、母親が働いていて寂しい思いをしたからか、自分は4人の子どもに3歳まで母乳をやり、何でも手作りの、マイホームママ。かつ、雑誌から引っ張りだこの、現役モデル。山王病院の個室に、かれんの四人目の子どもを見に行った桐島洋子が、「あんな状況で生んだ娘(洋子はかれんを、世間に隠れて、こっそり一人で生んだ)が、こんな贅沢な、幸せな人生を送るなんて」と、ホームページに感慨深げに書いている。洋子さん、よかったね。かれんの今を可能にした基点は、なんといっても、上田義彦さんという夫とのめぐり合いだろう。上田さんと出会って、四人の子どもを生んで育てるうちに、かれんの、とがってキンキラした、バタ臭い、生活離れした感じが、地に足がつき、根が生え、灰汁が抜け、かつ、所帯じみる一歩手前で留まっている感じ。それが、今の時代にマッチしている。40代後半、50代と、ずっと活躍していきそうな感じだ。全然、タイプは違うのだけど、やはり、20代より、今がずっと綺麗なタレントとして、中村江里子がいる。彼女も、結婚して、フランスに行ってから、昔のきゃぴきゃぴしたいかにも薄っぺらい局アナ風の感じが消えて、大人のゴージャスな女になった。彼女は、かれんとは逆に、もともとは、普通の日本の女の子だったのが、ヨーロッパ的なキンキラしたものをどんどん、自分の個性に取り入れて、厚みが増した。桐島かれんも、中村江里子も、本能的に、自分の潜在的個性を知っていて、それを開花させる方向に、足し算や引き算をやっていったのだと思う。要するに、陰に陽を加え、陽に陰を加え、ということだ。でもそれは、単に、背が低いからハイヒール、顔が丸いから、フェイスシャドーを入れる、という対症療法とはちょっと違う。彼女たちみたいに年を重ねるのは、簡単そうで、難しい。20代を過ぎて、少しずつ輝きを失っていき、息切れしていく、たくさんの女を見ていて、そう思う。
2007.04.21
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恋人や夫にどんなにバカにされても、女性は占いが好き。私も、そんな占い好きの女の一人だが、最近、ミーハーな占い好きから一歩踏み出し、四柱推命なるものに、はまっている。なぜ、四柱推命が、ミーハー以上のものかというと、四柱推命は、細木数子の六星占術などと比べると、とても鑑定が難しいからだ。というか、本を読んで、自己流に判断するのは、ほとんど不可能と言ってもいい。というのも、四柱推命は、○○星だから、○○という性格、という方程式がストレートに当てはまらない。生まれた年、月、日、時間の四つの変数に対して、8個の干支が導きだされ(いわゆる命式)、性格や運勢や何やらは、全て、その8個の干支の陰陽五行のバランスによって判断される。つまり、絶対評価ではなく、相対評価である。「良い星(格局)」がありすぎても、ダメ。ぜんぜん、なくてもダメ。悪い星があっても、打ち消す星があればオーケー。そして、○○という星と、△△という星が隣り合わせにあると、○○でもなく、△△でもなく、××という運勢になる。そして、対立しすぎても、ダメ、相和しすぎてもダメ、という具合。というわけで、自分の命式が分かっても、それが何を意味するのか、今、どんな運勢のなかにいるのかは、いまだもって、雲をつかむようで良く分からない。分からないなりに、陰と陽のバランスという考え方や、元素の化合や対立という考え方には惹かれるものがある。実世界には、「絶対的に臆病な性格の人」や、「絶対的に積極的な性格の人」は、存在しない。また、美人というのは、「ものすごく美しい鼻」を持った人や、「ものすごく目の大きい人」ではなく、目鼻のバランスが絶妙な人のことを言う。人と人の相性。一緒に仕事をするには良い相性が、夫婦になるには良くなかったり、ウマが合うはずの人が、何かの拍子に関係悪化して、大敵になったりする。さらには、良くない相性の上司がいたおかげで、会社を辞めたら運が向上したり、貧乏な夫を持ったおかげで、自分が仕事をして結果的に金運があがったり。お金持ちになったと思ったら、お金が原因で人間関係が悪化したり。吉凶は、あざなえる縄のごとし、なのだ。四柱推命の基礎になっている五行陰陽の思想は、昔の日本(そして東洋世界)では、暦、方位、健康法、民間信仰から、易、さらには株の相場観にまで、全部つながっていて、まことに奥深い。たとえば、土用の丑のイベント、というのは、夏の火気のはじめに、水気のおわりの象徴である丑(がウナギに転じた)を食べることで、火気を中和する、という意味を持つ。分からないなりに勉強していくと、一番大事なのは、「中庸」「バランス」だということが分かる。陽が極まれば、陰が生じ、陰が極まれば陽が生じる。大事なことは、極端に走らないこと。人間は自然の一部。あせらない、あきらめない、期待しない、流れに任せる。「あくまでポジティブに」「とにかく目標と夢を持ってがんばる」「悪は撲滅する」「成長し続ける」「自分で自分に責任を持つ」「絶対的真理や幸福を見つける」という考え方とは相容れない思想で、私には新鮮だ。熱くなることなく、突き詰めることもなく、ゆっくり、ゆっくり、ライフワークとして勉強していきたいな、と思う。
2007.04.13
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人の親になると、誰しも一度は環境問題への関心が高まる。ましてや今年の暖冬。地球温暖化。これ以上、東京の夏が暑くなったら、大手町や白金台で生きていけやしない。南洋では、ツバルという島が沈みかけていて、中国では、ものすごい勢いで国土の砂漠化が進行しているそうな。というわけで、できる範囲で、エコな生活を心がけている。やっていることは、1 ひたすら、お店で袋は要りません、と言い続ける。たとえ、高級服をブティックで買ったときも(意外と、どのお店も、「ありがとうございます」と言って、快く対応してくれる)。2 「始末のいい生活」を心がける。ごみをきちんと分別し、ペットボトルやビンは洗ってラベルを取る。食品は買いすぎない。油は下水に流さないようにし、フライ物は、ペーパータオルでなく、新聞のチラシで油を切る。お風呂のお湯は、洗濯と、プランターの水遣りに再利用。3 暖房と冷房は、最低限。洗剤、化粧品は、なるべく、自然のものを。4 車は出来るだけ、乗らない。だが、悲しいことに、一日の半分以上を過ごすオフィスでは、エコとは程遠い生活。窓閉め切りのオフィスの室温は、冬も夏も、20度から25度で、ウォームビズもクールビズもあったものではない。パソコンは昼も夜もつけっぱなし、プリンター紙は使い放題。皆でランチをテイクアウトした後は、ペットボトルと、発泡スチロールと、紙と、残飯を、分別もしないで、捨てる。経済効率性至上のオフィスでは、個人の好みでエコに走ることは許されないのだ。というわけで、ちまちました心がけだけでは、私という人間が排出する二酸化炭素とゴミの量は減らない。地球上の全ての人が、私と同じくらいに二酸化炭素を放出して、ゴミを捨て続けたら、地球はもっとひどいダメージを受けると分かっていても、グローバル経済システムに組み込まれた個人に出来ることは限られている。本当にエコな生活とは、つまり、農村での貧乏な生活なのだと思う。都会を離れ、物資とお金がなければ、必然的にエコな生活になれる。資本主義社会を生きる、地球上のほとんどの人は、経済レベルの向上を目標に生きている。生活レベルが上がれば、必然的に、消費量ーーつまり、ゴミや、二酸化炭素排出量は増えていき、地球を汚してしまうのだ。これは、精神論で解決できない。50年前には、皆、東京都民は銭湯に行っていた。今は、一人一人が一日に二回、自分だけのお風呂とシャワー。金持ちは、個人用ジェットを持って、大量に二酸化炭素を撒き散らしながら、ものすごいスピードで空間移動をする。実は、私も、死ぬまでに一度くらいは、個人用ジェットに乗ってみたい。贅沢は素敵だ。そして個人が贅沢をしても、直接に、すぐに、環境から罰が下るわけではない。見も知らぬ、熱帯雨林が減り、氷が溶けているのだ。環境問題の抜本的解決策は、二酸化炭素やゴミの排出のコストをうんと高くして、環境に悪いことをすると、うんとペナルティが課される仕組みを作り出すことだろう。京都議定書、家電リサイクル法、粗大ゴミの有料化、スーパー袋の有料化。。。環境破壊のコスト化という仕組み作りは徐々に進んでいる。電気や水道やガソリンの消費にかかわる値段もうんと高くしたら、皆、もっとエコになるだろう。問題は、そんな風にしたら、GDPも大きく落ち込んで、世界的大不況になっちゃうってこと。何せ、アメリカ人や日本人がアホみたいに石油を使って贅沢な消費生活をしているせいで、世界経済は回っているのだ。ううん、難しい問題だ。直感的には、中国やインドなど大国の消費水準がアメリカや日本に近づいていくなかで、環境問題を地球レベルで改善していくのは、ほぼ不可能なんじゃないかと思う。過去の文明が滅びた原因の多くが、木を切りすぎた環境破壊だったという。だとすれば、今の環境問題も、究極の解決法は、大戦争や大災害、大凶作での、大幅人口減少と地球レベルでの経済停滞しかありえないのかな、と感じる。もっと環境問題を本腰を入れて学びたい気がする反面、無力な私がいまさら何かを学んでも、学んでいるうちに人生のタイムアウトになり、所詮、大勢には逆らえない気がする。悲観的すぎるでしょうか。とにかく、東京の夏がこれ以上暑くならないように、ツバルという島がなくならないようにと私は祈っている。そのために、できるだけ、冷暖房は控え、ゴミも減らそうと思う。
2007.04.07
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「浮雲」で衝撃を受けて以来、高峰秀子さんの映画、著作をボチボチ、見たり、読んだりしています。高峰秀子さんが女優として活躍したのは、主に1940年代、50年代で、私は、リアルタイムの彼女の姿を銀幕で見たことはありません。これまで私がテレビや雑誌で見たことのある高峰秀子さんは、ひっつめで、小作りな顔立ちで、どちらかというと、地味で、保守的な教養ある年配の女性、という印象でした。往年の大女優というと、原節子とか、岸恵子なんかは、よく知っていましたが、子役時代から長く活躍してきたけど、高峰秀子は美人系ではないのかな、と思っていました。知らないとは、恐ろしいこと。今年になり、初めて浮草を見て、その妖艶さ、セクシーさ、芸の巧みさにひっくり返ってしまいました。高峰秀子は、子役時代から400本以上の映画に出演していて、日本を代表するアイドルで、大女優だったということを知りました。そして、高峰秀子さんの書いたエッセーを読んで、もう一度ぴっくり。その大女優が、後半生、幸せな結婚生活を送りながら、料理、生活、人間について、センスの良い文章を紡いでいたのです。さらに、びっくりしたのは、その秀子さん、生みの父母と縁遠く、養母との因縁深い、壮絶な母子家庭生活。4歳で銀幕デビューして以来、学校に行く暇もなく、「お金のために」30年の芸能生活を送っていたという事実。貧乏だったということ。2007年現在、大正13年生まれの高峰秀子さん、今年84歳で、ご主人とともに、まだ健在(のはず)である。一人の人間が、名子役、国民的アイドル、大女優、妻にして名エッセイストと、年齢とともに、見事に、変容していき、長寿を全うする。こんな女の一生があるのか、とびっくりするとともに、元気づけられる。私の固定観念のなかでは、若くして頂点、栄華を極めた人間は、深い影の部分を持ち、どこかで人生が暗転し、悲劇的な結末を迎えるケースが多いと思っていた。ましてや、高峰秀子さんのように、あれほどの美貌に恵まれ(子ども時代は、ありえないほど可愛い。昭和30年の彼女は、女神のように美しい)、ちょっと普通ではない生い立ちをして、性格的に問題のある養母に育てられ、10代でスターにり、絢爛豪華な人々に可愛がられれば、金銭関係から、男女関係から、糸がもつれて、どこかで転落しても不思議ではない。ところが、エッセーで読む秀子さんは、ちっともエゴが肥大していない。徹底して、自分にも他人にも、客観的で、冷静なのだ。自分のことを、「ノータリン」といい、「チビで地味な顔」といい、「映画はお金のために出たが、映画界は好きじゃない」と言う。そして、自分をもらってくれた夫に心底感謝している。堅実で幸せな日常生活のために努力をする。栄華を栄華として、苦労を苦労として、自分を自分として、他人を他人として、サラっと流して、前に進んでいくのだ。「大女優時代」の高峰秀子さんは、あらゆる日本女性の役を説得力を持って演じている。ひとつひとつの映画で、顔と姿が違う。なんと素晴らしい感受性と柔軟性のある人だろう。それでいて、映像のイメージに負けない、充実した現実の人生があった。後半生は、圧倒的に強い個性と好悪を持った、見識のある一人の人間として、夫を助ける妻として生きた。たくさん、旅行し、よく食べ、一流の人々と交流をもち、センスの良い小物に囲まれて。おそらく、「捨てること」「現在を生きる」ことがとても上手な人だったんだろう。どうして、そんな風になれたんだろうか。人生のお手本。高峰秀子さんの映画をもっと、もっと見たいと思う。
2007.04.01
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ブルータスのお取り寄せ特集に、会社から近い日本橋のお店が出ていたので、昼休みに足を伸ばしました。春の素晴らしい陽気、昼休みに大手町から日本橋にウォーキング。目と鼻の先なのに、ご無沙汰の日本橋。マンダリンオリエンタルの入った日本橋三井タワーや、最近出来たプラネタリウムを横目に、トンカツの宇田川へ。朝から予約しておいたカツサンドを二つ購入。ひと包み、1700円。うーん微妙な値段。やはり一人で食べるのは勿体ない。お昼に食べるのは我慢して、我慢して、夜、家に持って帰る。ひとつは、家族用、ひとつは、子どものお迎えでお世話になっている方に。食べてみて、肉のボリュームに感動。美味しいソースと、パンのバランスに感動。美味しいよー!さすが、評判が評判を呼んでいるだけのことはある。やはり、普通のカツサンドとは違う!これ、もらったら、とてもうれしいだろう。誰かにお礼したいときは、これを買おう。予約して、30分かけて歩いて取りに行き、うんと空腹にして、宇田川のカツサンドを食べる。身の丈にあった、贅沢。次回は、自分のお昼用に買おうと思いましたよ!
2007.03.31
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高峰秀子扮するゆき子に対して、森雅之扮する富岡。こんな男。超ダメなダンディ男がぴったりはまっている。森雅之という俳優は、作家の有島武郎の息子。お母さんは5歳のときに病死、お父さんは11歳のときに自殺している。そして、京大の哲学科中退だから、相当のインテリ。こんなダメ男(小説、映画の富岡のこと)を、どうして、可憐なゆき子はじめ、沢山の女が好きになってしまったかというと、林芙美子の小説には、その理由がしっかり出てくる。ずばり体臭。男くさい体臭が女をひきつけるのだ。すごい、リアルですねー。説得力ありますねー。森雅之という人は、そんな「体臭」を発散してたのだろうな、と、感じられる。今の俳優で、誰がこの役を演じられるのかな、と思うと、ちょっと見当たらない。前回、女の心理を分析したので、今度は、男の心理を考えてみたいと思います。浮雲という作品は、男女のズレを描いて秀逸だけど、女の私には、女のことは良く分かっても、男のことは分かりにくい。それでも、あえて考えを進めていくと、富岡が運命の下り坂を下り続け、まわりの人間を不幸にし続けた根本原因は、日本の敗戦だったのだろう、と思う。富岡は、農林省の高級官僚。敗戦で、これまでの価値観とか、プライドとか、心の張りとか、目標とか、全部、崩れてしまったのだと思う。女の人には、分かりにくいが、男の人にとって、「組織がなくなる」「負ける」というのは、本当にひどいことなのかもしれない。私がパリにいたとき、働いていた銀行が、他の二行と統合を発表した。東京の本店の、若手のファンドマネージャーにセールス電話をしたら、「ショックで仕事が手につきません。皆、そうです」と、涙声。本店から派遣されていた行員たちも、意気消沈、呆然自失。私にしてみれば、「泣くなよ。このままだと、つぶれるかもしれなかったんだから、統合で恩の字じゃん。あんたの仕事がなくなるわけでもないし」、くらいのものだった。女の人は、たいてい、そうだった。よく分からないけど、フセイン政権下の元官吏なんかは、今のイラクで、やはり、価値観崩壊、精神ボロボロ、家族に当り散らしているんだろうな、と思う。北朝鮮の幹部が、あの手この手を使い、経済が崩壊し、国民が疲弊しても、体制存続させようとするのは、とにかく、「勝てば官軍、負けたら終わり」、の一心なんだと思う。一方、イラクの女も、北朝鮮の女も、大きい声では言えないものの、ご飯が食べられ、いい生活ができ、家族が元気なら、おそらく、組織や体制なんて何だっていいんだと思う。男の人は、どのようなレベル、環境であれ、社会のなかで、ポジションがあって、責任を果たし、女子どもを守れるという自信があって、初めて、「幸せ」になれるように思う。そして、その幸せ感があって初めて、思いやりや、優しさが生まれるんだと思う。その自信、幸せ感の背景になっているものは、たいてい、社会的で観念的なもの。一方、ゆき子は、社会的なことはどうでもいい。昔のいい生活がなくなったのは残念だけど、いい生活だから富岡が好きだったわけではない。富岡の体臭や富岡の声が好き。そのそばにいて、優しい言葉をかけてもらえれば、昔と同じように、幸せになれる。だけど、富岡は、枠組みのないところに、ゆき子の体臭や声だけがあっても、幸せになれないのだ。じゃあ、結局、男は、所詮、地位や名誉や金が一番で、女への愛は二の次なのか、となると、そうとばかりはいえない。世の中には、地位や名誉を捨てて、妻の介護をする男性がいる。育児や家庭の幸せが、仕事より大切という男性もいる。成功している男でも、自分の所属する組織や秩序は永続的なものではなく、それらが虚構に過ぎないと知っている人は沢山いる。最終的に大切なのは、やはり人間同士の関わり。母親の愛によってはぐくまれた男は、最期は、「お母さん」と言って死んでいく。死んだゆき子を前に、富岡は号泣した。富岡のように腐っていかず、敗戦日本の焼け野原から、力強く、新しい価値観を見つけ出し、生き延びていった男は沢山いる。「負け」から立ち直れない男と、立ち直れる男。崩れた価値観を立て直せる男と立て直せない男。どこで違いが生まれるのかというと、正直、良く分からない。本人の性格、親の教育、そのとき、そのときの運、どのような形で「負け」を受け入れたのか、など。ただ、明らかに、女と比べると、一般的に男は不器用で、よほどのことがないと、価値観を変えていくことができない。女にとっての問題は、うまく立ち回り、転換期をうまく生きる勝ち組の男が、必ずしも、魅力的な体臭を発散しているわけではない、ということ。男にとって、一度信奉した価値観を手放すのが難しいのと同じくらい、女にとっては、一度好きになった体臭から自分を切り離していくのは難しいということだ。所詮、人は、「うまく生きる」ことなんてできない。できるのは、「自分の人生を生きる」ことだけなのかもしれない。
2007.03.24
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林芙美子作の小説も読みました。映画は、高峰秀子がヒロインだから成功したんだな、と思いました。男女の腐れ縁、と一言で言うけれど、富岡とゆき子の互いへの思いを秤にかけると、ゆき子→富岡の方が、圧倒的に強い。ゆき子は一途に富岡を追いかけているのだけど、富岡は、ゆき子に最初から、「結婚できない」と宣言し、以降、自分の都合のいいときだけしか、ゆき子に会わない。ゆき子と温泉宿に行ったら、他の女と出来てしまったり、ゆき子が富岡の子どもを堕胎しても、金も出さなければ、見舞いにも来ない。妻が病死したら葬式代を借りに来たり。終盤、ようやく独身になった富岡を見て、ゆき子は、いちかばちか、全てを捨てて出奔し、富岡を呼び出したら、案の定、富岡は、ノコノコやってきて、早速、ベッドインした後は、ゆき子を置いて一人、東京に帰ろうとするのだ。「結婚して、一緒にやろうと努力して」と、屋久島に赴任しようとしている富岡に土壇場のゆき子は激情をぶつけるのだが、富岡の眼はニヒルに宙を浮くだけ。とうとう、ゆき子が屋久島までついてきて、瀕死になってなお、富岡は、「良くなったら東京に一人で帰れ」と言うのだ。ゆき子は、言う。「ねえ、私って可哀相な女だと思わない?」思う。可哀相。こんな、うっとうしい、痛い、女の役を、見るからに業の深そうな、寺島しのぶか、大竹しのぶ(二人って同じ名前だったんですね)に演じさせてみよう。暗くて、重苦しくて、見てられやしない。高峰秀子は、タバコを吸っても、パンパンになっても、飲んだくれても、清潔だ。ウエストが細くて、肩の線が細くて、肌が白磁のようで、眼が澄んでいて。富岡を口汚く罵りながら、少しでも優しいそぶりを見せられると、パッと子どものように顔が輝く。富岡が後盤、落ちぶれてすさんでいけばいくほど、輝きを増すのだ。一体全体、こんなに素敵な女性に、よくもひどい仕打ちをよくするものだ、と思う。と同時に、仏印の思い出を象徴するゆき子を見るたびに、重苦しく暗い気持ちになる富岡の気持ちも分からないでない。富岡からどうしても自分を引き離すことのできないゆき子は、苦しい、苦しいといい、富岡を罵倒しながら、結局は、富岡を愛することをテコに美しくなっていくのだ。そして、富岡はゆき子がいようといまいと、抗いがたく運勢の下り坂をひたすら下り続ける。社会的に行き場を失った男は惨めである。女に愛されたって救いにならない。だから、見かけと違い、本当に可哀相なのは、ゆき子でなく、富岡なのだ。富岡は、捨てられて路頭に迷い、米兵の情婦としてその日暮らしするゆき子を「元気に生きている君がうらやましい」という。「君は、僕がいなくても、立派にやっていける」と言う。よく言うよ、と思うが、それはそれで彼の正直な気持ちなんだろうと思う。だが、ゆき子の元気の素は、他ならならぬ富岡なのだ。富岡を愛することで、自分が自分らしくいられるのだ。運勢のサイクルの違う男女が宿命的に出会うと、かように事態は悲劇的である。新聞紙面をたまににぎわせる妻殺し、夫殺し。単に相手が嫌いになったら殺さないで別れればいいのに、と思う。問題は、愛憎が深すぎて別れられない場合である。どちらが善玉で悪玉かは、あるいは外から見えるのと違う。実際の高峰秀子は、この映画を撮った後、結婚。映画のヒロインとは対照的に落ち着いた結婚生活を送り、中年以降は、エッセイストとしても活躍、現在も健在である。本来、すがすがしい女性である彼女が演じたからこそ、鑑賞に堪える映画になったのかな、と思う。
2007.03.22
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すごい話である。普通の恋愛映画だったら、どちらかが裏切れば、そこで終わりだろう。ましてや、家庭ある男に恋をして、物語の最初に別離を宣告され、それなのにヤケボックリから火で一緒に旅行に出かけたと思ったら、妊娠。それを告げると男はもう、別の女と暮らしている。こんなひどい男となら、いよいよ、終わりだろう。ところが、別れ切れない。この男女は、延々と腐れ縁が続き、堕ちていく。男は、女に冷たくしながら別れきれず、女は、男を罵倒しながら、男と一緒になる夢を捨てきれない。最後の最後まで、歯切れが悪い。とんでもない腐れ縁の男女が延々と二時間以上、互いを罵りあい、決定的にズレまくりながら、絡み合っていく。女は何度も絶望し、別れを決意し、生活のために他の男に囲われながらも、男を思う気持ちを持ち続けるのだ。そして、最後まで修羅を抱えながら死んでいく。昔の日本の恋愛小説といえば、なんだか小奇麗過ぎてあっけなかったり、妙なところが大胆だったりして、今の世の中じゃリアリティのないものが多いと思っていた。ところが、この話は、60年近くの前のものなのに、めちゃくちゃ、リアルだ。どうしようもないダメンズ男と昔の夢にすがり続ける女。これでもか、これでもかと現実に打ちのめされながら、駄目男の駄目さを、ずるさを、卑怯さ、弱さを、知り尽くしながら、男から別れられない女。硫黄島の水無し地獄のなかで、壮絶に散っていった栗林司令官と兵隊たちと同じ時代、農林省勤務の富岡とゆき子は、日本軍が占領したベトナムの小洒落た避暑地で、日本の現実から遊離した贅沢で甘美な恋愛の時間をすごしていた。戦時中といえば、日本人は誰もが苦労していたと思いきや、案外、いろんな現実があったんだ。ところが、男は、そんな海外生活を長く送ってしまったがために、戦後の苦しい日本でいっそう心がすさび、身を持ち崩して崩壊していく。女に当たり散らす。結局、男のもう一人の愛人は、その夫に殺され、男の妻は病死。女は男とようやく一緒になれる夢見て、情夫の金を持ち逃げし、逃避行さながら、男の赴任地である屋久島に一緒に旅立つ。女にその途中で、病に倒れ、屋久島で死ぬのだ。映画では、病に倒れた女は、宿の女中に奥さんと呼ばれ、男に親切に介抱され、束の間の幸福の表情を見せる(高峰秀子の美しいこと)。が、現実は続き、最期まで、男が他の女のところへ行ってしまう妄想の恐怖から逃れることはない。男は、元気になったら、東京に一人で帰りなさいと言う。女はどこにでもいる、と言う。結局、女は男が不在のときに死んでしまう。男は、女が死んで、初めて、感情をむき出しにして故人の前で泣き崩れる。が、その男の姿を女が見ることはない。このような腐れ縁は、このようにしてしか終わることができなかったのかもしれない。女にとって、こんな形で訪れた死が唯一の救いだったのかもしれない。最近、本を読んだり、映画を見るときには、教訓を得られるもの、読んだり見たりして、自分が高められるものばかりを求めていた。ストーリーはハッピーエンドが好きだった。が、このリアルな話に出会い、自分の半身であるどろどろの救いのなさのなかから、カタルシスを得た。どうしようもなく、救いがない。そういう現実もあるのだ。そういう現実しか生きられないこともあるのだ。浮雲は、噂にたがうことのない名作でした。
2007.03.15
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その昔、パリで仕事をしていたとき、日本から来たお客さんに、魚久の粕漬けをお土産にもらったことがある。異国で一人暮らししている私のことを思って、わざわざ箱崎に行く途中で買ってきて下さったのだ。「冷凍すれば日持ちしますから」とおっしゃって、5パックくらい下さった。が、あろうことか、恩知らずの私は、結局、上等な粕漬けを冷蔵庫の肥やしにして、結局、全部は食べなかったように記憶している。なぜか。だって、粕漬けを食べるような、食生活じゃなかったんだもん。企業の駐在員でもなく、フランスに嫁いだ主婦でもなかった私は、電気炊飯器すら持っていなかった。ご飯は、近所のチャイニーズレストランでおかずと一緒にテイクアウト。パサパサして匂いの強い外米だ。当然、味噌汁を作りもせず、お漬物も、惣菜もなし。日本茶もティーバッグだけ。そもそも、和食器というものを全く持ち合わせていなかった。粕漬けなどというものは、ホカホカのご飯、お味噌汁、お漬物とセットで食べて初めてシミジミと美味しいのであって、ただそれだけを焼いて、洋皿に載せて、フランスパンと一緒に食べろと言われて食べられるものではない。つまり、粕漬けをおかずに食べるような食生活のシステムが全くなかったわけだ。では、全く日本食と無縁の生活をしていたかというと、さにあらず。近所の魚屋で生鮭を塊で買って、刺身にして醤油とわさびで食べたり、あるいは、豚のヒレ肉を薄く切って、しょうが焼きにしたり。こうした食材だと、フランスでも手に入ったし、ご飯とお味噌汁とお漬物の三点セットがなくても、それだけで美味しく食べられる。そして、本格的に日本食が恋しくなったら、日本人の友人と、お寿司やラーメンや焼き鳥をレストランに食べに行った。パリは食の都だけあって、お金を出せば、美味しい日本食を食べられるお店は沢山あった。そして、帰国。自分の所帯を持ち、お漬物や、乾物などの食材がいくらでも簡単に手に入る環境、和食器が当たり前のように揃えられる生活になり、とても嬉しかった。醤油にみりん、鰹節、昆布、米酢、ごま油、七味唐辛子に、ゆずコショウ。山椒、和がらし、ゴマ。ワカメとキュウリの酢の物と明太子。最近、ようやく、食器がそろい、何気ない和食を家で気軽に食べられる環境に。我が家での食事は、小さいときから食べている和食。出来合いのものを買ってくるだけでも、それなりの食器にちゃちゃちゃと入れて、お茶を入れてお味噌汁を作れば、それなりに形になる。フランス料理もいくつかレシピを学んできたけど、結局、宝の持ち腐れ。今度は、逆にフランスご飯のシステムを日本でそろえるのが困難なのだ。ワイン、チーズ、パンがあれば、それなりに形になるし、洋食器は和食器ほど数をそろえる必要はないけど、オードブル、メイン、デザートと、一皿づつ、順々に食べるやり方というのが、家だと面倒くさい。ついつい、大皿に料理を出して、ゴチャゴチャと一緒に食べるという日本風のやり方になってしまう。そういうなんちゃってフレンチでもいい、という考え方もあるが、外人の作るなんちゃって和食同様、ちょっと気持ち悪いものがある。というわけで、結局、フレンチのシステムを内製するのは放棄、もっぱら外食にお任せ、となっている。魚久の粕漬け、もし、今貰ったら、とても嬉しいのだけどなあ。パリで粕漬けを下さった会社の部長さんとも15年以上、会っていない。きっともうリタイヤの御年だ。元気にしておられるかしら。みすぼらしいアパートで、一人、生鮭に醤油をかけて食べていたあの時代。ときどき、胸がしめつけられるほど、懐かしい。
2007.03.01
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正式の題名を、上海プリンセスーー上海のデパート王の娘が経験した日中戦争・中国革命・文革ーーと言う。著者は、陳丹燕といって、四十代の上海育ちの女性ライター。突然、硫黄島と栗林中将にハマったのをきっかけに、昭和史や戦史の本を何冊が読んでいて、そのなかで、この本に出会った。中国の人たちの側から見ると、日中戦争はどんな風だったのか、知りたかったのだ。だが、読んだあとも、上海事変のことも、日中戦争のことも、あまり分からないまま終わった。不思議な本だった。本は、徹底的に、デイジー個人の生涯の変遷にフォーカスを当てていて、歴史的事件は、ごく背景的に語られるに過ぎず、その功罪についての著者の見解もない。デイジーこと、グオワンインは、華僑の娘としてシドニーに生まれ、幼少期を過ごした後、上海に移住、資本家の娘、妻として豪奢な生活を送った。だが、共産中国、文革の嵐のなかで、財産を失い、夫を失なった。そんな苦難を経て、88歳の天命をまっとうした女性だ。物語の展開が一風変わっている。1910年にデイジーが生まれて、1998年に亡くなるまで、0歳、3歳、6歳。。。など、年齢を章割りにし、挿入された何枚もの写真をもとに、著者が、彼女の感情生活、内面の変化などを推理し、読み解いていく。そこに、デイジー自身の回想や、周囲の人々のコメントが加わり、時間は行きつ、戻りつする。あたかも一冊のアルバムを眺めているようだ。決して読みやすいとはいえないが、女の一生をさまざまなアングルから捉えていて引き込まれるものがある。感心したのが、戦前の中国上流階級の華やかさだ。10歳までシドニーにいたデイジーは、完全に英語、洋食の世界で生まれ育ち、本国に戻ってからも、学業は全て英語。その結果、生涯、中国語には不自由だったと言う。デイジーという洋風の名前も、ニックネームではなく、本名だったようだ。デイジーだけではなく、上海の上層階級の人たちは、皆、欧米風の教育を受けていたようだ。25歳のデイジーは、米国留学帰りの実業家に嫁ぎ、セレブのマダムとして、戦前の国際都市、上海で、ジニー新装店という社交界向けのモードも店を経営する。そのころの写真やイラストの、スタイリッシュでエレガントなこと!良きにつけ、悪しきにつけ、中国は、スケールが大きい。デイジーのお父さんは、桁違いに成功した資本家で、本当に贅沢な生活をしていたようだ。1930年代の上海という魅力ある都市の雰囲気が伝わってくる。本の後半には、より静かな大きい感動がある。プリンセスさながらだったデイジーが、文化大革命で、全ての財産と名誉を失うのである。日中戦争ではデイジーの家族はあまり痛手をこうむっていないようである。中国では、日本の敗退後、1949年に共産政権が樹立したのだが、その後も、すぐに資本家が弾圧されたということは全くなかったらしい。1954年ごろくらいまでは、お金持ちも随分、呑気だったみたいで、だからこそ、デイジーの家族も、いまさら、亡命、移住という気にならなかったのだろう。ところが、その後の10年で、中国は、ブルジョワにとってどんどん、生き苦しい社会になる。とうとう1966年に文化大革命が始まると、デイジーの夫は逮捕され、全財産は差し押さえられ、息子は大学にいけなくなり、自分は農村で強制労働ーーと坂を転げ落ちていく。その辺は、ナチスドイツ下でのユダヤ人の状況と似ていると思った。著者は、そんな苦難を経た晩年のデイジーが、自殺することもなく、愚痴っぽく僻みっぽい老人にもならなかったことに感嘆する。デイジーは、便所掃除などの強制労働を60歳過ぎまで行い、ようやく文化革命の終焉とともに、穏やかな老後を迎える。最晩年、企業のコンサルタントや英語教師の仕事をしつつ、オーストラリア、アメリカなどを旅行する。兄弟と再会し、オーストラリア国籍を取得しつつも、上海に戻り、死す。大資本家の家庭に生まれ、何一つ不自由のない少女時代を送った。その後、浮気性の男性と結婚した。文化大革命でその夫を殺され、自身は極貧の晩年を送った。どちらかというと右肩下がりの辛い人生だ。ところが、写真に写っている最晩年のデイジーは、本当に、穏やかで素晴らしい顔をしている。デイジーの息子は言った。「ママは何も話さない。他人がママにどんなにひどいことをしても、話さないし、恨みを抱かない」。デイジーは、文革に興味を持つ外国メディアに対し、「外国人が聞いてもその真実は分からないから」と言って、取材に応じようとはしなかったと言う。著者は言う。「困難な生活を強いられてきた婦人にとっては、自分が受けた不公平を他人に語ることなく、沈黙を保ち続けることは、女としての最大の自尊心であろう。」自尊心をもつこと。愚痴らないこと。自分を哀れまないこと。新しい事物に対する好奇心をもち続けること。デイジーの両親は、デイジーがこのような後半生を迎えるとは想像もしていなかったかもしれない。だが、彼らは、おそらく、小さな女の子に、高貴に生きる姿勢を教えた。そのおかげで、デイジーは、苦労をしても、醜くはならなかった。ますます磨かれて美しくなった。70歳を過ぎたとき、彼女のような顔をしていたい。
2007.02.22
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2007年2月18日、東京。朝起きると冷たい雨が降っていた。どしゃぶりだ。やれやれ、有楽町の青空骨董市に行こうと思っていたのに。今日は中止だ。テレビをつけると、東京市民マラソン。石原知事がスタートのピストルを鳴らし、新宿副都心に花吹雪が舞う。雨のなか、沿道の観客は少ないようだ。なんだか、いてもいられなくなり、雨合羽を着て、自転車で品川に直行。折り返し地点でランナーを応援した。先頭集団は、ものすごく、早い。悪天候のなか、ものすごい人数のランナーが後から後から走ってくるのに驚いた。東京メトロの雨合羽を来た選手もいれば、コスプレみたいな格好をした選手もいる。外人や、女性も多い。近くにあった救護ポイントに飛び込んでくる人が沢山いたが、これはダウンしているのでなく、寒いので途中で用を足したくなった選手たちだ。さまざまな顔した、さまざまな走りっぷりの人々を見ているうちに、すがすがしい気持ちになった。知り合いは一人もいないのだけど、走っている誰もを、心から応援したくなる。マラソンというのは、肉体的にも精神的にも、辛いスポーツだ。そのマラソンに、この悪天候のなか、こんなに沢山の人たちがチャレンジするなんて!マラソンは馬鹿正直なスポーツだ。まっすぐに、真剣に自分と戦うスポーツだ。マラソンをやろうという人に、悪い人はいないと思う。そして、マラソンは、大人のスポーツだ。10代より20代、20代より30代になって選手が記録を伸ばす。子供を生んだ女性が現役選手だったりする。40代、50代、そして60代になっても走っている。サラリーマン、主婦、商店主、定年退職者。さまざまな悩みや現実を抱えた、酸いも甘いもかみ分けた大の大人が、ひたすらゴールを目指して、走る、走る!太った人、小さな人、白髪の人、いかり肩の人、車椅子の人。みんな、走る!そして、全てのランナーに、家族がおり、サポーターがいる。まだまだ走りが続くなか、再び自転車で家に戻った。冷えた足をお湯につけ、コーヒーを飲みながらテレビで観戦を続ける。トップ走者はすでに佃大橋からベイエリア、そして、ゴールの東京ビッグサイトへ。新宿、四谷、皇居から、東京タワー、品川、銀座、浅草、そして、ベイエリア。全ての場所に、思い出深い、馴染みがある。生まれ育った街、東京。私の街なんだなーと改めて思った。なんだか、涙が出そうになった。多分、ニューヨークの、ロンドンの、パリの市民マラソンで、多くの住民たちが、同じような感慨をもって、自分たちの街のマラソンを観戦しているのだろう。石原都政、賛否功罪、いろいろあるのだろうが、このマラソンを始めたことは、本当に素晴らしいイニシアティブだと思う。多分、今年を一回として、これから、長く、長く、続いていくだろう。
2007.02.18
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20年ぶりに、東京ディズニーランドに行って来ました。ミッキーさん、ミニーさんだけじゃなくて、イッツアスモールワールドも、ホーンテッドマンションも、20年前と変わらず。東京ディズニーランドの不思議なところは、歴史を刻んでも、全然、レトロにならないところ。それどころか、リゾートが出来て、シーができて、集客効果は高まり、ますますパワーアップしてる。当然、ミッキーマウスも、ドナルドダックも、シンデレラも、白雪姫も、バリバリの現役だ。確か、私が高校生や大学生の頃は、アトラクションに乗るのが主目的だったけど、今度行って見たら、ショーやパレードが充実していて、むしろ、それを目的に来るフリークの人たちが相当、いるようだ。そして、パレードが通るときには、一時間くらい前から、道端にビニールシートを敷いて、毛布にくるまって、座り込む人たちであふれているのに衝撃!パレードはこんな感じ。アトラクションは、20年前と比べて、そんなに変わっていない印象を受けた。それでも、2月の平日という閑散期にも関わらず、一時間待ち。ファストパスという、時間指定の予約券みたいなシステムがあったが、それでも、すぐ入れるというわけではない。そして、お昼のポリネシアンレストランの予約にも、やはり一時間待ち。救いだったのは、異常気象の暖冬で、待つのがそれほど苦痛じゃなかったこと。これが、真夏なら、キツイだろうねー。パーク内は、意外にも、子供は少なく、ティーンエイジャーが多かった。10代の若者を日ごろ、大量に観る機会がないので、新鮮だった。そして、カップルや友達連れに混じって、一人で来ている中年女性や、老人もいる。それらの人々の大半は、庶民。そして、その庶民が、一人当たり1万円以上のオカネを軽く落とし、そして、何度も舞い戻る場所。世の中に、停滞し淀んでいる不景気スポットと、ヒトとカネが回転する好景気スポットがあるとすれば、間違いなく、ディズニーランドは後者だ。ありえないほどサクセスフルなビジネス。そしてすごいのは、栄枯盛衰の理に反して、ずっと優位性を保ち、繁栄し続けていることだ。アルコールもタバコもない清潔なパーク内。陰影のない単純なストーリー。ポップカルチャーの頂点に君臨するベタなキャラクターたち。徹底的に娯楽性を追及した本物志向のアトラクション。香港やパリのディズニーランドは、東京ほどには成功していないという。世界一、アメリカ文化に洗脳された国民が日本人ということか。あるいは、オリエンタルランドの経営が卓越して優れているのか。最後に、東京ディズニーの中は、やたら中国語の会話が目立った。それだけ、中国人の来園者が多いということだろう。が、服装を見ただけでは、もはや、日本人と中国人の区別は全くつかない。それどころか、お洒落で垢抜けた家族だなと思って見ていると中国語をしゃべっている。リッチ中国人の洗練度は、すでに平均的日本人を軽く超えてしまっていると実感しました。
2007.02.09
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テレビ画面にオオカミがヒツジをかみ殺す光景が映し出されるのを観て、オオカミに憎しみを抱く。一緒にテレビを見ている子供に言う。「ホントにヒツジさん、可哀相ね、オオカミさんは、悪い子だね」それって全く間違った正義感、教育だ。私が言っているのではない。年末からの愛読書、トランサーフィンで、ヴァジムゼランドが言っている。私たちは、いつも正義感に突き動かされていろいろな人を非難し、それはすぐ習慣となってしまう。そして、多くの人が、非難することに関してはプロ化してしまう。あなた個人に向けられたのではないある人の考え方や行動を理由に、その人を非難することは、極めて有害な習慣である。ほとんどの場合、何があなたを駆り立てて、そのようにふるまわせたのか、非難されている当人にはさっぱり分からない。どのような理由があろうとも、決して人を軽蔑してはならない。このこと、人生40年生きてきて、分かりはじめた。私は、どちらかというと他人に対する好悪の感情が強くて、それをわりとむき出しにして生きてきた。私を振った男、電車の中で足を踏んだ人、人前で恥をかかせた先生。ゴミの分別をしない人。私の実生活に苦痛や損害をもたらした人だけでなく、なんとなく、ウマが合わない、好きになれない、生き方が好きになれない、という人が山ほどいた。今でもいる。そういう好悪の情を持つのが普通の人間だと思ってきた。が、ふと辺りを見回すと、好悪の情の強弱には、かなり濃淡がある。世の中には、「嫌いな人があんまりいない」という人が結構いることに最近、気がついた。逆に、私以上に、好き嫌いが激しく、いつも何かに反感を持ったり、人の悪口を言っている人がいる。ある知り合いは、「太った人を見るとムショウに腹がたつ」と言う。またある人は、「ドンくさいオヤジが大嫌い」と言う。ある人は、「ブランド物を着て、子供を私立小学校に送り迎えしているマダムが嫌い」と言う。根拠のない好悪の情は、幼児体験とか、自分のコンプレックスとかが、原因となっていることが多い。無意識のことなので自分でコントロールできない。もっと始末が悪いのは、自分の状況によって、好き、嫌いの線引きをすることだ。私は、自分が忙しい仕事をしていたとき、隣の部署でチンタラ仕事をしている人々に軽蔑の念を抱いていた。やがて自分が閑職になった。すると、今度は、私生活を犠牲にしてアクセク仕事をしている人たちに、白けた感情を抱くようになった。自分と違う状況の人々にケチをつけたい気持ちの原因は、実は自分自身の中にあり、ケチをつけたい対象にはない場合が多い。だから、自分の状況が変われば、好き嫌いの線引きの位置は、あまりにあっけなく変わってしまう。他人を好き嫌いで線引きすることは、非生産的であるだけでなく、純粋に損得勘定の点で、損である。なぜなら、自分が、軽蔑したり、ケチをつけたりした人は、決して自分の味方になってくれることがないからだ。批判のための批判は不毛だ。できれば、人生には、味方が多いに越したことはない。不要な敵を作る必要はない。それに気がついてからは、なるべく、他人を嫌いにならないように努めている。人を無理に好きになるのは難しいが、嫌いにならないようにするのは、わりと簡単だ。嫌いなモノやヒトをあまり突き詰めて考えないようにするのだ。接触を減らして、自分がやるべき行為に集中する。反感、不満、嫌悪という感情と無縁で生きようという意志を持つのだ。幸せになろうとするのは、難しい。が、不幸になるか、ならないかは、ある程度、技術的にコントロールできるかもしれない。数々の痛い失敗を経て、最近、そういう心境になっている。
2007.02.01
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手作りは大好きなのだけど、根が面倒くさがりで、飽きっぽいコクリコ。三日坊主で終わることが多い。気持ちは、目指せ!ターシャチューダー!なのだが、なにせ、小家族、都会のマンション暮らし。おのずから限界がある。お赤飯、いなり寿司、散らし寿司。どれも、作るのは好きだが、近くのお店でよほど美味しいものが、安価に買える。ケーキも同じ。作っても、食べてくれる人がいない(泣)。ぬか漬け。これも、毎日、かき混ぜる余裕なく、出来た漬物を食べきることもできない。1ヶ月で挫折。生ジュース。半年ほど、頑張ってみたけど、結局、今は、出来合いを買っている。続いているのは、梅酒と、石釜炊きご飯くらいか。続いている理由は、そんなに手間もお金もかからないことか。逆に言えば、手間がかかり、不経済なものは、結局、長続きしないのだ。そんなコクリコがこのたびチャレンジしたのが、味噌作り。味噌は、意外と高価な食材で、しかも、毎日使うので、すぐに切らしてしまう。保存食品なのだから、何キロも作って一年かけて食べればよいのでは、と思い、カメ(4キロ用)、大豆(1キロ)、こうじ(1キロ)を購入。<手作り味噌の作り方>1 大豆を洗い、一晩、水につけておく(面白いくらい、量が増えます)2 鍋で3時間ほど、煮る(家中、いいにおいがします)3 指でつぶせるくらいの柔らかさになったら、ざるにとる。4 ビニール袋に入れて、棒でつぶす(これが一番、大変) 5 カメをアルコールで拭く(衛生上の配慮です。汚いと、カビがはえちゃう) 6 こうじ一キロと、塩480グラムを混ぜる(こうじって独特のにおいがします)7 200グラムの種味噌(天然発酵の市販の味噌)を入れて、混ぜる。8 冷ました大豆ペーストと混ぜる(これは快感)9 混ざれば、出来上がり。これをカメに詰めていきます。10 おにぎり大の味噌玉を作ります(ハンバーグの要領ですね) 11 かめに詰めていきます。ある程度入れた後、ぎゅうぎゅうと上から押して、空気を逃がします。12 かめ一杯に、味噌を詰め終わったら、かめの口の周りをもう一度、アルコールで拭き、ラップで空気が入らないように蓋をします。 13 ラップの上から、塩や砂糖の1キロ袋を重しにし、蓋を乗せます。 14 新聞紙で包んで、できあがり。冷暗所に置き、10ヶ月ほど待ちます。 意外に、簡単でした。あとは、上手く発酵してくれるといいのですが。発酵には10ヶ月かかります。6月くらいに、一度、カメから出してひっくり返す作業が残っています。美味しいお味噌が出来るかどうかは、秋のお楽しみ!
2007.01.28
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お楽しみの冬のバーゲン。毎年、お正月明けには、銀座に行くのが恒例だったのに、今年は、とうとう何も買わなかった。こんなこと、前代未聞。なぜか。去年の10月10日に、オークションのことを書いて3ヶ月。すっかりオークションに嵌ってしまい、冬物衣料、一切合財、25点以上、ヤフオクで取り揃えてしまったのだ。初めてコンタクトレンズをしたとき、クレジットカードを使ったとき、飛行機に乗ったとき、ドキドキした。同じように、初めてオークションに入札を入れるときは、相当、不安で緊張した。落札したときには、身体が熱くなった。ところが、一度、出品者との連絡、代金の振込みから商品の受領までを済ませると、次に入札するときの心理的バリアーはぐっと低くなる。そして、次の落札からはずっと、スムーズでリラックスした気持ちで一連の作業が出来た。なぜ、オークションに移行したかというと、実に単純。お店で買うより、明らかに安く、かつ品揃えも、圧倒的だからだ。ヤフオクで「カーデガン・赤」と検索すると、価格10円から10万円までの、300点くらいの赤いカーディガンが出てくる。およそ、市価の5割より高いものは少なく、安いものは95%ディスカウント!仮に銀座の街で赤いカーディガンを探すとしよう。意外にも、店頭に赤いカーディガンがあるお店は少ない。見つけるのには時間がかかるし、せいぜい、物理的に比較できるのは、5点くらいだろう。そして、価格帯は、オークションとは比較にならないくらい、高い。そして、狭い。私がオークションを気に入った、もう一つの理由は、モノを売って買うプロセスが至って、シンプルなこと。ポイントだとか、メルマガだとか、店長のブログだとか、アフィリエイトだとか、余計な包装だとか、広告だとか、売り手の押し付けがましさが一切ないことである。振込み先、配送先についての最低限の情報交換を行う。送られてくる商品には、最低限の包装が施され、納品書さえ付いていない。買う側からすれば、それで十分なのだ!ちなみに新品に混ざって中古の品も落札したが、予想外に汚いというような品は皆無。まだまだ、十分に着られるものばかり。着られる服を日本国中でリサイクルするのは、実にエコだ。迅速に指定口座に振込むのが面倒臭いという問題は、ネットバンキングで解決した。平日、宅配便の不在届けが沢山、ポストに入っていて、連絡が面倒くさい、という問題はあるが、郵便局を含む、ほとんどの業者が夜間の配送もしてくれるので、受け渡しが滞る、ということはない。配送料は、安い。定形外の郵便物が行方不明になる可能性は、限りなく低い(日本はいい国だなー)。というわけで、オークションのない生活は、もう考えられない。家電だとか、雑貨、家具の購入も、今後は、オークションに移行していきそうである。いわゆるネットショップでの買い物は、化粧品、食品、トイレタリーなどに限られそうである。聞いたところでは、世界中のEベイとヤフオクのあいだを巨大な商流がうねっているそうな。アメリカ、香港、フランス、イタリアなんかのサイトをチェックしてみた。なかなか面白い。全員参加の究極のグローバル市場社会。買い手としてだけでなく、売り手としても、そのエネルギーのなかに身を委ねてみたいような気持ちがどんどん、高まっている。当分は、オークション漬けの日々が続きそう。
2007.01.25
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振り返れば、15年ほど、金融業界で仕事していることになる。働いた会社は計3社、転職は二回。まあ、転職回数は、平均並みか。金融のお仕事というのは、分野が多岐にわたっていて、働いている人も、ものすごく多様だ。政府系金融から、保険、クレジットカード、リース、不動産まで。銀行と証券ではカルチャーがすごく違うし、同じ証券でも、株式と債券ではまったく違う。リテールと、ホールセールは交わることが少ない。同じホールセールのなかでも、インベストメントバンキング系は、マーケット系とはちょっと違うお仕事。さらに、同じ債券営業でも、フロー系とストラクチャード系は毛色が違う。様々なお仕事が、業種ごとというよりは、会社ごとに綺麗に棲み分けられていたのが、2000年までの金融業界といえるだろうか。2000年以降の金融業界は、再編や新規参入により、垣根が崩れ、それらがゴチャゴチャと混ざりあり、日系から外資、起業へと大規模な民族移動が起きた。その流れは、今日に至るまで、とどまることがない。日系から日系、証券会社からファンドへ、など、動きは複雑化している。旬の職種は、毎年、めまぐるしく、変化し、ヘッドハンターが、業界になくてはならない潤滑油として、暗躍している。かくいう私も、会社から会社に移り、職種を変わるごとに、さまざまなカルチャーや人種と知り合い、さまざまな異なる掟を生きてきた。今、思うと、この15年、会社から会社への移動、地理移動、部署の移動で味わった喜怒哀楽、人間関係の機微が、私の金融業界の経験知になっている。会社ごとの棲み分けがなくなったきた代わりに、最近、とみに強くなってきたのが、業種ごとの棲み分けだ。たとえば、私が今、やっている証券会社の信用リスク管理。マーケットリスクと信用リスクに最近、オペレーショナルリスクが加わった。信用リスクは、トランザクション系とカウンターパーティ系に専門が分岐し、別の仕事になっている。対応するフロントサイドを見ても、フローのデリバティブとストラクチャードのデリバティブは違う職種になり、クレジット、金利、為替のデリバティブは、全く異なる三分野である。同じレストランの厨房で、ジャガイモの皮を剥く人、ジャガイモを切る人、パスタをゆでる人、玉ねぎをいためる人が並存し、毎日、口も聞かず、隣が何をしているかも知らず、与えられた仕事をやっている。。。。という感じだろうか。同じ職種で会社を転々とするのは、昔よりずっと簡単になったけど、いろいろな職種を経験するのは、昔よりずっと難しくなっている。社内でさまざまな職種のさまざまな人たちと知り合えた日本企業時代が、ちょっと懐かしい。人は、徐々に変わっていくけど、同じスピードや方向で、仕事が変わっていくわけではない。もちろん、仕事自体も刻々と変わっていくだけど、その変化が、自分が望む方向に行くとは限らない。私が本業でぶつかっている一番の壁は、ここかな。。。。めずらしく、仕事のことを書いてみました。やはり、ちょっと苦手かな。
2007.01.21
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10日に40歳になりました。この1年ぐらい、40代になる心の準備をしていたせいか、なってしまえば、さばさばとしたもの。女としての時間はそろそろ最終章かな、と思う半面、人生80年と考えれば、まだ半分。そして、社会人としては、これから、同年代のなかで第一線で活躍するひとが増えてくる。そんななか、1961年生まれの梯久美子さんの書いた、「散るぞ悲しきーー硫黄島総指揮官・栗林忠道」は、大いに刺激になった。全ての日本人が読むべき、後世に残る名著だと思う。アマゾンの書評欄でも、ほぼ全ての人が激賞。彼女の書いた、初めての単行本だと言う。40代の女性が、こんな本を書けるなんて。太平洋戦争関連の本は、記述が難しすぎたり、感情的思い入れが強すぎたり、はたまた、あまりに残虐な記述が多かったり、はたまた、現代を生きる自分には、関係のないことに思えたりして、あまり得意ではなかった。それが、この本は、栗林中将という人の人となり、昭和史の流れのなかの太平洋戦争、そのなかでの硫黄島の戦いの位置づけ、そして、陣地作りから、米軍上陸から玉砕までの流れ、さらには、遺族のその後の人生までが、見事に、有機性を持って紡がれている。文章は無駄がなく平易、端正であり、表現は的確であり、構成は見事だ。感情に流れることなく、それでいて、とんでもなく切なく、叙情的だ。語り部としての彼女自身の歴史観や、事実に対して持つ感慨が、実に優れているのである。。。。栗林家だけではなく日本中のいくつもの家で、出征を控えた父親が家族のために金槌を手にしたかもしれない。それが最期の”日曜大工”になったかもしれない。しかし栗林には、それらの父親と一つだけ違うところがあった。戦場とは上官の判断と命令によって兵士が命を落とす場所である。死ぬとわかっていても、突撃しろと言われればそうするしかない。しかし、陸海軍を通じての最高指揮官である栗林だけは誰からも命令されることがない。逆に死ねと命じる立場なのである。しかも栗林は、総指揮官としての自分の役割が「勝つ」ことではないと知っていた。父として夫として、最期に家じゅうに棚を作って回ったその翌日。やがて必敗の戦場となる島、2万余の将兵が自分の命令ひとつで死んでゆく島に、栗林は立っていた。まだ幼さの残る声のまま、少年兵たちは死んでいった。父の最期について語ったときも、「たこちゃんへ」ではじまる手紙が話題に上ったときも平静だった彼女が、彼らを思って泣いた。それはまるで、父の悲しみが60年近い時を超え、娘の涙となってあふれ出たかのようだった。「世間」も「普通」もどうでもよい、信念をもって自分らしく生きよ。きびしい現実に立ち向かい、子供たちとともに強くあれーーそれが、もう自分が家族を守ってやることはできないと覚悟した栗林が妻に求めたことであった。それに応えて、義井は見栄や外聞とは無縁の強さをもって戦後を生きたのだった。戦術思想においては合理主義者だった栗林だが、生き方においては、前線に赴き敵弾に身をさらすことこそが軍人の本分であるという愚直なまでの信念を持っていた。あるいは、私が、この本で書かれていることを身近に感じたのは、自分の40年のささやかな人生の経験があるように思う。組織の非条理、大きな世の中の流れのなかで翻弄される個人。戦うときには戦わないといけない男性の宿命、銃後を守る女性の宿命といったものが、若い頃は分からなかっただろう。今は、残した子供のことを心配して手紙を書く栗林中将の気持ちが、痛く心に突き刺さってくる。驚いたのは、閣僚級の人物で、国の英雄であるはずの栗林が、留守の妻子の疎開先やら、自分の死後の家族のことを、庶民並みに心配していることだ。そして、案の定、未亡人の義井さんは、露天商、寮母さんなどで食いつなぎ、トイレ共同のアパートにずっと住んでいたということだ。敗戦でいかに秩序がひっくり返り、戦前エリートの特権が吹っ飛んでしまったのかが分かる。義井さんにして、この状態だったとしたら、戦死した庶民の遺族たちはどんなに苦労したのだろう。この本を読んだあと、クリントイーストウッドの映画を見た。前評判は高かったが、この本に描かれた物語と比べると、どうしても浅薄な気がしてしまった。日米の圧倒的な戦力の差、負け戦を承知で玉砕ではなく、ゲリラ戦に持ち込もうとした栗林の事情と計算、その意を汲んで、「鬼神を哭かしむる敢闘」をした日本兵の頑張りなどは、映画からは見えてこなかった。見えたのは、「所詮、日本兵もアメリカ兵も同じ血の通った人間」というヒューマニズム。いくつかのシーンや人物像は、いかにも陳腐だった。最期の司令壕で、栗林中将が、東京大空襲のニュースを聞いたとき、一体、どんな気持ちだっただろう。その気持ちを考えただけで、辛い。そして、硫黄島での日本軍の頑張りが、結果的に、原爆投下につながったとしたら。。。。おそらく、もう二度と起きることはないであろう、空前の悲劇。そして、それを含む、もろもろの因果関係の帰結として、今の日本がある。もう少し、時間をかけて、昭和史や戦史を読んでみようと思う。
2007.01.17
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いわゆる、スピリチュアル系の成功論なのだけど、書いたのがロシア人の物理学者だというのが異色だ。正式な題名は、振り子の法則ーーリアリティ・トランサーフィンーー幸運の波/不運の波の選択、と言う。トランサーフィンというのは、自由自在に人生の座標軸を選び、波に乗って行く、といったイメージだろうか。ちょっといかがわしい、眉唾な感じ。ところが、それを乗り越えて読んでみたら、あらま、年末年始、二度、精読した。同じ本を二度、続けて精読するなんて、もう10年くらい、なかったことだ。ゼランドさん、物理学者なので、使っている語彙が科学用語。そして、心理学の世界を物理学で説明している。思いきり、要約すると、ゼランドさんは、過剰ポテンシャルを作らないように注意しなさいよ、そうしないと損をしますよ、と言っている。過剰ポテンシャルとは、均質なエネルギー場における緊張や局地的な乱れのことだ。なんらかの対象に必要以上の大きな意義を与える思考エネルギーによってもたらされる。具体的には、願望、不満、非難、歓喜、崇敬、美化、過大評価、軽蔑、虚栄心、優越感、罪悪感、劣等感なんかのことだ。そういう感情を持つと、エネルギー上の気圧差が生じて、その結果、平衡力の嵐が吹き荒れる。平衡力とな何か。それは、過剰ポテンシャルを解消し、異質性をなくそうとする物理的な動きだ。その作用の結果、人はブーメランのように、意図したものと正反対の結果を受け取ることになる。つまり、何かを回避したいと思う気持ちが強ければ強いほど、それを受け取る確率が高くなる。そうあって欲しくないものと積極的に戦おうとすることは、すなわち、それが人生上で起こるよう、全力を尽くすことになるのだ。たとえば、戦争が起こって欲しくないとする。ゼランドさん、そのことに重要性を与え、戦争反対運動に熱中することは、ゲームに参加していることに他ならず、結果的に戦争推進者に加担していることになる、と言う。最も、有効な戦術は、そのことに一切重要性を置かないこと、無視すること、忘れること。病気も同じ。病気にかからない最善の方法は、ヴィールスを避けることではない。自分が病気になるかもしれない、という考えを頭の中から一掃すること。失業も同じ。会社で人員整理が起きたとき、「ヤバイな、イヤだな」と最初に不安を感じた人から、リストラされる。だから、少しもそういう不安を頭に抱いてはならない。恋愛対象と、相思相愛になりたいという願望。「お願いですから、○○さんが、私を好きなりますように」と神様に祈るのは、逆効果。逆説的に自分が相手を好きだ、という気持ちに集中することが、相思相愛になる秘訣。お金も同じ。お金のことで不安に思ってはならない。お金がなくなると思うと、本当になくなってしまうのだ。まず、持っているものに満足して、心穏やかにしていること。目的を持ち、そのことを考えよう。大金持ちになれるのは、自分の目的について考えている人だけであって、富めることについて考える人ではない。とにかく、何かにこだわったり、のめりこんだりすると、自然界からシッペ返しが来る。バランスをとって、サーフィンをするように、自分の立ち位置を決めるのだ。問題を作り出さない行き方をするのだ。日本では12月に一巻が刊行されたばかりのこの本、ロシアでは7巻まで出ているそうな。早く、二巻が読みたい。。。。徳間書店に電話して、いつ出るか、聞いてみよう。その後、徳間書店に確認したところ、二巻以降が出るかどうかは、今のところ未定。一巻の売り上げに因るそうです。。。。
2007.01.06
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みなさま、あけましておめでとうございます!昨年は、ブログをお読みくださり、ありがとうございました。どうぞ、今年も沢山、ご訪問ください。 平成18年は、怒涛のように暮れていき、あっという間に平成19年です。平成元年ーー昭和天皇が崩御された年。私は22歳、大学卒業の年で、皇居に記帳に行ったのを昨日のように覚えている。でも、もうすぐ、人生の半分以上が平成になる。人生って、短いですねー。初詣に行き、おせちを食べ、神棚の掃除をしていると、何も変わらないみたい。 とりあえず、リセット。昨年の垢を落として、由緒正しいお正月。でも、お正月って、変質しているみたい。親戚中が挨拶に集って、おせち料理食べて、お年玉をいただいて、百人一首をして。。。みたいのが、少子化と都会の個人主義の影響で、どんどん、なくなっている。今の子供にとっては、お正月は、大した行事じゃなくなってるんだろうな。門松と注連縄、国旗のお宅もどんどん、減っている。半面、元日からやっている商店やスーパーは年々増えている。メール賀状へのシフトや、個人情報保護なんかで、年賀状もどんどん、減ってるしねー。かく言う私も、面倒くさい思いを抑え、喪中やら、住所変更やらを管理し、義務感で必死に書いた年賀状。蓋を開ければ、随分、沢山の人が年賀状を辞めてしまっているみたいで、がっかり。昔のようなワクワクはない。あるいは、我が家も、来年こそ、年賀状全廃、元日は海外を実現したいような。あるいは、子供の教育のためにも、伝統と季節感の継承をしていきたいような。まあ、悩んでも、悩まないでも、年が明けるごとに、一つ一つ、年を取っていき、確実に、残り時間は少なくなっていく。何より、私にとって、大殺界明けの記念するべき種子の年!笑うことが多く、泣くことの少ない1年にしよう。皆様、宜しくお願いします。
2007.01.02
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日記では、それほど頻繁に更新できなかったけど、思い返せば、2006年は、歯列矯正のための歯医者通いが私の生活の通奏低音だった。20年後に2006年はどんな年だったか、思い出そうとすると、「矯正してた年」という記憶になっていると思う。歯医者通いをはじめて2年、ワイヤーを付けはじめて1年。歯が動くスピードが遅かったり、口内炎が出来たり、下の歯が前に出てきて人相が悪くなったりと、いろいろあった。それが、秋以降、ググっと下の歯が綺麗に揃ってきて、口の締まりも良くなってきて、ひそかに満足感に浸っている。矯正を始める直前、ずいぶん、沢山の人から、「えっ、必要ないじゃん」「お金がもったいない」と言われた。実際、抜歯して、ワイヤーを付けると、相当、痛くて、人相も悪くなった。100万円を超す出費も痛かった。それで、今年の夏ぐらいは矯正を始めたことを後悔して、随分、落ち込んでいた。それが、今年の後半から、急に歯が動いて、鏡を見るのが楽しみになってきた。矯正を始めるにいたった最大のきっかけは、「少なくとも、来たる2年は、転職も引越しも、外国への長期滞在もなく、地元で歯科通いに専念できる」と確信したからだった。逆に言うと、2年という長期のプロジェクトを自分に課すことで、気まぐれに、不安定になりがちな自分を律したかった、という面もある。案の定、転職も、引越しも、長期の旅行もなかった。病気もなかったし、身内の不幸も、大きなトラブルもなかった。歯並びは確実に改善した。上出来といえよう。今になって、矯正前の歯並びを写真で見ると、いかにも貧乏たらしい。40歳直前で決断できて本当に良かった。励まし、導いてくれた先生、ありがとう。矯正は2年かかるので、今はちょうど、折り返し地点。ワイヤーはあと一年、ついたままだ。他人からみれば、ワイヤーのついた歯は美しいとはいえない。本当に、おしゃれを楽しんだり、大口開いて笑うには、あと1年かかる。矯正が終わると、41歳か。白い歯とともに歩む、第二の人生。どんな花が開くだろうか。停滞も長かったから、きっと、飛躍するだろう。すばらしき四十代。今から、イメージトレーニングをしては、胸を弾ませている。
2006.12.26
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久しぶりに六本木に遊びに行った。ふと、ロンドンのチェルシー、メイフェア界隈を思い出した。滞在したのは、もう10年近く前だろうか。お金の音がしゃらしゃらと聞こえてくるような、贅沢で、高級で、お洒落な場所だった。ロンドンは好況に湧いていた。土曜日のホテルのレストランは、5000円以上もする朝食バイキングを楽しむお客で一杯だった。ロンドンのホテルで私が気がついたことは、利用者に、法人客でもなく、海外旅行客でもない、地元の30代、40代の個人が多い、ということだった。サッチャリズムが生んだ、ロンドンの若き成功者たちである。デザイナー、金融トレーダー、起業家。スポーツカーに乗り、1億円以上する家をキャッシュで買い、パーティーを楽しむ人々。パワフルでスタイリッシュな金持ち文化の匂いは、ニューヨークも同じだった。バーニーズで売っている服や靴は、ほとんど、1000ドル以上だった。売っている服は、セクシーで、きらびやかで、東京のOLの仕事服とは、明らかに一線を画していた。それは、夜の社交界を持つ人たちの服だった。ロンドンやニューヨークには、若いスタイリッシュな金持ちが、ごろごろいた。日本育ちの私にとって、金持ちというのは、功なり名を遂げた50代以降のオジサンであり、その象徴は、ゴルフであり、田園調布であり、ベンツであった。が、スタイリッシュ、というのとは、ちょっと違っていた。日本で、30代の成功者といえば、一流大学を出て、官庁や一流企業に働くエリート。が、彼らは金持ちではなかった。有休もとらず、深夜まで働いていたから、遊ぶ時間はなかった。贅沢な夜遊びは、会社がらみの接待に限られていた。妻たちも、エステやスパやパーティには縁がなく、郊外で子育てしていた。それから10年。ITブームが起きて、小泉構造改革が進み、ホリエモンが登場し、ゴールドマンサックスが不良債権で大もうけした。東大生は、官庁ではなく、投資銀行を目指すようになった。東京の地価は再び高騰し、都心に高層マンションが立ち並び、コンラッドや、ハイアットや、マンダリンオリエンタルがオープンした。ビジネス街には、再び白人人口が急増した。六本木ヒルズは富裕なパワーエリートと、その家族が生活する、さながら東京のメイフェアだ。ケヤキ通りを通ると、クロエやマルニを着た若いお母さんたちが、バギーを押しながら散歩している。そこで売っている服は、OLのスーツではなく、パーティのためのセミオートクチュール。子供には、早期の英語教育と金融教育が叫ばれるようになった。フィリピン人のベビーシッターが解禁される日も近いだろう。チャリティパーティが増え、新富裕層向けビジネスはますます隆盛するだろう。知らないうちに、東京は、どんどんロンドンやニューヨークや香港に近づいている。世相の移り変わりを感じた師走の一日でした。
2006.12.20
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白金高輪から大手町までのウィークデー朝8時台の都営三田線は、それほど混んでいなくて快適な10分だ。座れる可能性は半分くらいだろうか。乗客のほぼ全員が通勤客で、三田、芝公園、御成門、内幸町、日比谷と、進むごとに、どんどん降りていくのが特徴である。もし、座れたら、10分の仮眠あるいは、読書。結構、お気に入りの時間だ。そんな今日、乗ってきたのは、70台と見受ける老人。草臥れたスーツを着て、使い古された紙袋を持って乗ってきた。白髪を振り乱し、顔には深い皺が刻まれている。が、背筋はピンと伸びている。老人は、電車に乗るなり、空いた席を見つけようと、車内をうろうろしはじめる。こんなとき、席を譲るかどうかは、とても悩ましい。譲っても、譲らなくても、通勤電車は、どうせ、どんどん、人が降りていくから、すぐ空き席はできる。老人は一見、不自由なことろはなさそうだし、よぼよぼの年寄りではない。譲るか譲らないか、ギリギリのラインというところ。その人は、見るからにとても不機嫌で、イライラしていた。仮に席を譲ったとしても、お礼も言わずに座るか、無視されそうな予感がする。第一、うろうろしているから、声をかけようにも、かけにくい。座っている誰もの頭に、一瞬にして、似たような思いが浮かんだのだろう。誰もが、一瞬、顔を上げるが、結局、席を譲らない。老人は、そんな冷たい車内にますます、苛立ちを高める。もちろん、「座りたい!」「譲れ!」と大声で叫ぶわけではない。御成門に到着し、席が一つ、空いた。老人が座ろうとそちらにダッシュしたときには、すでに時遅し。近くの若者がすばやく腰を下ろしていた。内幸町でも、かなりの人が降りた。私は思わず、老人を目で追った。老人は、またしても、座ろうとダッシュした。が、動作が鈍いこともあり、すわり遅れる。ますます、怒りがこみ上げているようで、形相が険しい。怒りの老人とは目を合わせたくない。誰もが下を向く。皮肉なもので、老人が怒れば怒るほど、ウロウロと席を探してさまよえばさまようほど、席は見つからない。はっきりいって、老人はとんでもなく、損していた。そもそも、最初にいた場所でじっとしていれば、いずれ前の席は空いたのに。あるいは、温厚な様子であれば、近くの人が席を譲ってくれたかもしれない。老人は、何も始まらないうちから怒っていた。老いて疲れている自分に。自分を無視して、暖かい手を差し伸べない世間に。どうせ、自分は無視され、暖かい手は差し伸べられず、席に座ることはできない。90%の諦め。それでも、100%は諦めきれず、期待が捨てられない。絶え間なく裏切られ続ける10%の期待。それが、イライラの原因だ。イライラは、皮膚を通じて、周りに伝播し、周囲の人を落ち着かない気持ちにさせる。人は、親切をしたら、感謝されたい。感謝されないまでも、他人と関係を持つことで、イヤな思いはしたくない。だから、イライラした人とはかかわりを持ちたくない。あるいは、電車のなかで起きたことは、老人の人生の縮図だったかもしれない。90%の諦めと10%の期待。思うようにならない人生。求めるものが手に入らない。いつも不利で、損をする。そう思いこむことで、本当に、そんな人生になる。天は平等である。今、手に入らないものも、いつかは入る。悪いことはいつまでも続かない。人生は良いものだ。それを信じて、泰然としていれば良かったのだ。もって他山の石としたい。
2006.12.15
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自叙伝が好きだ。それも、女性の書いたものが。同年代の女優、石原真理子のふぞろいの秘密も、興味がある。でも、42歳というのは、自叙伝を書くにはちと、早すぎる。13人の男性との思い出というのも、痛い。ヘアヌード写真集に類する起死回生の一策なのだろう。でも、この人は、米国のライフスタイルの紹介とか、もう少しグレードのあるモノを書けたんじゃないか。もともとグレード感のある女優だったんだし。もとい。92歳のときに養老静江さんが書いた自叙伝、紫のつゆ草を読んだ。養老静江さんは、鎌倉の小児科医で、養老孟司さんの母である。95歳で亡くなるまで、現役の町医者であり続けた。地元では有名人であった方らしい。養老孟司さんの本で、お母様の半生は、おぼろげながら知っていた。同書を読み、その詳細を、改めて知る。静江さんは、地方官吏の家の三人姉妹の長女として生まれ、教育熱心な親のもと、医学校に進み、女医になる。が、妻子ある裕福な弁護士に見初められ、後妻として結婚。一男一女をもうけるも、10歳年下の帝大生と不倫関係になり、10年後に結婚生活は破綻。離婚後、帝大生との恋を成就させ、再婚。養老孟司が生まれる。が、5年後に、夫は結核で死亡。以降、鎌倉の小児科医として、3人の子どもを立派に育て、95歳で亡くなるまで現役を貫く。とまあ、結構、激しい人生である。「本当に、私はわがままで」「どうしてそうなってしまったのか分からないけど」と、含羞の混じった清新な語り口。自分に正直で、明朗で、気持ちのまっすぐな、素敵な女性だったのだろうと、想像できる。母ひとりの子育て、開業医という仕事、とても大変だったろうと思うのだが、自叙伝には、子育ての話も、仕事の話も殆ど出てこない。一番、良く出てくるのが、恋愛における自分の感情の記述である。人生、終わりになって、思い出すのは、長い時間を費やした日常ではなく、魂を燃やしたほんの短い時間なのかもしれない。静江さんは、最初の結婚生活の最後が、人生で最も苦しい時期で、第二の夫との恋愛が、最も大切なもので、彼と結ばれたあとの、短い第二の結婚生活が人生で幸せだったと明言している。いずれも、95年の人生のなかでは、わずかな時間だった。次に気がつくのは、彼女の、「わがまま」な人生は、実家のご両親の、あふれる愛情でフォローアップで実現している点である。今も、昔も、我を通す人の周りには、かならず、それを受け止めて、後始末してくれる人がいる。そのようなご両親がいたからこそ、彼女は、自我を通すことができた。単にわがままなのではなく、両親に迷惑をかけたという念があったからこそ、自分の子どもたちは立派に育てられたのだと思う(夫と両親亡き後の、後半生は、開業医をしつつ、父親の違う3人の子どもおよび亡妹の子どもを育てた。結局、人間、長い人生のどこかで、落とし前をつけるのかもしれない)。さらに。彼女は、自分のことを、わがまま、わがまま、と言いつつ、「どうしてそうなるのか分からない」「結局、流れに身を任せてしまった」ともつぶやいている。人生、さまざまなことを自分の意思で選んできたようでもあり、所詮は、あらかじめ決められた運命の下を歩んだだけのようでもある。わがままに生きようが、生きまいが、時が経てば、全てのことは変わっていく。前の世代は死に絶え、自らは老い、次の世代が、新たな意思と運命の元に歩きはじめる。養老孟司さんの著作には、頻繁に、お母さんのこと、生まれ育った鎌倉のこと、亡くなったお父さんのことが出てくる。養老孟司さんは、お母さんが立派な人だったと、生まれ育った鎌倉の環境が大好きだったと書いている。最愛の人の息子を生む。その息子が後に立派な学者になる。有名人になる。母のことを本に書く。最晩年に自叙伝を記し、愛した男の記録を残す。前書きを有名人となったその息子が書く。幸せな人生だなあ。30代女性にお勧めです。ひとりでは生きられないーー紫のつゆ草 ある女医の95年養老静江かまくら春秋社 2004年http://www.amazon.co.jp/gp/product//4774002518/ref=cm_aya_asin.title/249-8297175-3321957
2006.12.09
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子育てで、人間が磨かれてキャリアにもプラス、などと日経新聞系の女性雑誌なんかによく出ているが、綺麗事だと思う。たしかに、子育ては、忍耐力や責任感を養う機会ではある。でも、それが仕事やビジネスにすぐに役に立つとは思えない。スポーツ選手やダンサーなど肉体を使う仕事でなくても、出産、子育てにともなう社会的空白期間はマイナスだ。子育てのノンビリ、ゆったりした時間の流れは、時間厳守、夜昼なしの第一線の社会活動とはなかなか両立しない。それに、子育てで求められる忍耐力と、職場の忍耐力はちょっと、種類が違う気がする。債券トレーダーや、スチュワーデスのような仕事では、出産後、続けることが難しいのだが、小学校の先生や保母さんのような職種でさえ、子持ちであることが、果たして長期的なキャリア形成に役立つかどうか疑わしい。現実には、子どもはなくとも立派に教育界で重要な仕事をしている女性は山ほどおり、子持ちの方が人間力が上かといえば、そんなことは全くない。ほとんどの仕事が子育てとは両立しがたい。よしんば両立したとしても、高すぎる理想を掲げるのは危険、というのが私の経験的実感である。そんななか、唯一、子育てが確実にプラスに働く仕事を見つけた。料理。なぜか。現代の女性は、子どもが生まれて初めて、一日三食、毎日料理を作るというライフスタイルになる。買い物、下準備、火の管理、テーブルセッティング、後片付け。一日3時間から4時間くらい、食事に関わる。それも毎日。実際、子どもが小さいと、外食もできないから不可抗力でそうなってしまうのだ。さらに、わが国ではお母さんのお弁当の「美風」がある。子どもが幼稚園に入ってからは、下手をすると10年以上も早起きして弁当作りに励むことになる。そのようにして、主婦の料理のウデは磨かれる。子育て中は、自己実現の欲求は満たされないことが多いけど、料理だけは別だ。そんな風にして、上達した料理を職業にしたのが、栗原はるみさんであり、ウーウェンさんであり、有元葉子さん。皆、子持ちの主婦である。彼女たちのレシピに共通しているのが、身近な食材で、簡単で、美味しく、センスが良いということ。そうしたレシピは、簡単なようでいて、創作するのは、とても一朝一夕にできないというのは、自分が実際やってみるとわかる。やはり、最低5年くらい一日3食、作り続け、一つ一つの食材に真摯に向かいあわないと駄目。ほうれん草は、何と合うのか、レンコンをどうやって美味しく食べるかと、考え続ける。どの食材は、どこで買えばいい、という、データベースを自分のなかに作る。食材と器の調和を考える。一日、最低2時間は、料理のことを考える。そうして学んだ料理術は、間違いなく、キャリアなのだ。一度獲得すれば失われることがないし、日々、アウトプットするものだから、宝の持ち腐れになることもない。定年もないし、リストラもない。まあ、料理研究家にまでなるには、もともとの素地とずば抜けた情熱が必要でしょうけれど。。。。私は、人生折り返し地点。仕事のキャリアは頭打ち気味だけど、料理はまだまだビギナー。下手だけど、一応、やる気はある。今年こそは、おせち料理に挑戦してみるつもりです。
2006.12.03
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小説を読まなくなって、どれくらいになるだろうか。大学を出たくらいから、本のなかのお話よりも、実際の人生の方が楽しくなった。子どもが生まれてからは、より切実に、小説を読む時間がなくなった。というわけで、私のディープな読書体験は、大学時代の村上春樹が最後だ。「風の歌を聞け」から「羊をめぐる冒険」、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」、「ノルウェイの森」、そして、数々の短編、紀行文、翻訳物を、一時は同時代的に、完全にフォローしていた。あれから20年近くの時間が過ぎ、トレンディな若手作家だった村上春樹は、アメリカで、ヨーロッパで、アジアで翻訳され、多くの読者に読まれ、批評され、いつの間にか世界の文豪となり、ノーベル賞候補にさえなっている。先日のカフカ賞の記者会見で、村上春樹が57歳だと知って、びっくり。というわけで、久しぶりに村上春樹を読むことにした。海辺のカフカ(上)(下)を入手。村上春樹のテーマと文体は、20年前から驚くほど変わっていなかった。バルザックの人間喜劇シリーズでは、違う作品に、何度もおなじみの人物が登場する。海辺のカフカでも、これまでの村上の作品に出てきたとおぼしき、懐かしい人物が、名前や姿を変えて登場する。主人公が、無意識の世界と意識の世界を行きつ戻りつするのは、ノルウェイの森と同じだし、図書館や森が出ているのは、世界の終わり。。。を彷彿とさせる。太平洋戦争中の出来事がキーエピソードになるのは、ねじまき鳥。。。と同様だ。そして、主人公の性格と、女性との関わりは、どの作品も非常に類似している。作品の持つ不思議な力に引っ張られて、最後まで息つく間もなく、読了した。読んだあと、心がザワザワした。数日間、日中、何度も、ナカタさんや高松の図書館のことを考えた。海辺のカフカという架空の歌謡曲のメロディを聞こうと何度も、耳を澄ました。夜には、不思議な夢を見た。日常生活で、表層に出てくることにない無意識が活性化されるような感じだ。おかげで寝不足で、ぼんやりしていて、日常生活には、支障を来たすほどである。上巻の緻密な展開に比べ、下巻の田村カフカの章が急ぎすぎの感があると思った。戦時中のエピソードとナカタさんが知恵遅れになった因果関係が分からなかった。そのほか、佐伯さんが自分の日記を焼いた理由や、田村カフカとの父親と佐伯さんとの関係、父親がナカタさんに殺されなければならなかった理由、ナカタさんと田村カフカの関係など、分からないところが沢山。筋立ての不思議さ、不条理さは、これまでの作品のなかでピカイチじゃないだろうか。15歳のカフカ少年の老成ぶり(50代のハルキそのもの?)は不自然だし、登場人物のスノッブすぎる会話には、ときとして辟易。それなのに、こんなに強い力を持って読者をひっぱり、余韻を残す物語って、一体何なんだろう。村上春樹は、長編小説を書くとき「物語が展開されることを信じて机に向かう」と言っていた。普通の人には見えない、異次元世界にアクセスする、一種の巫女のような能力を持っているのではないか。同じテーマに、何度も何度も、何十年も果敢にアプローチし、目には見えない何かを表現しようとしている。その世界は、村上春樹の内的世界の忠実な表現であると同時に、普遍的、元型的なものであるからこそ、こんなに読者の心に残るのだろう。老年にさしかかっても、内的世界に集中し、巫女的能力を維持し続ける村上春樹はすごい。どんどん、オヤジっぽくなって、社会的な方に進んでいる村上龍とは対照的だ。実際、村上春樹には子どもがいない。いろいろな代償を払ったうえで描き続けている世界だと思う。20年のタイムラグのあいだに、まだ読んでいない作品がいくつかある。エネルギーを貯めて、ゆっくりひとつずつ、読んでいこうと思う。
2006.11.27
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一泊二日で箱根にに行き、明治11年創業の富士屋ホテルに泊まりました。私は、かねてからクラシックな建物に弱い。純日本風も良いが、戦前の洋風建築が好きです。東京ですと、明治学院のチャペルとか、東京ステイションホテル、庭園美術館などがお気に入りです。また、箱根、日光、軽井沢などの、歴史のあるリゾートの雰囲気が好き。というわけで、この旅行を前から楽しみにしてきました。富士屋ホテルは、想像にたがわぬ、素敵なホテルでした。漆喰と無垢の木、上質の赤絨毯がかもし出す、静謐で温かい雰囲気。アルミではない、木のサッシから見える、紅葉。シティホテルではありえない、寝室の天井の高さに感動しました。一階だったこともあるが、軽く4メートルはあったような。洋間の住空間の格の高さは、まずなによりも、天井の高さによって示される。こういう広い室内空間で、細長い窓にボックスから垂れているのが、カーテンの正しいあり方なのだ、と改めて認識しました。日本の団地サイズのリビングには、カーテンなんて要らない。外人向けキッチュな和風洋館も、時代の洗礼を受けて、今では素晴らしい文化遺産に。オカネをかけて、贅沢に作ったからこそ、古びて良い感じになったのだろう。自家製パン、ハウスワイン。クルトン入りのポタージュ。クレープシュゼット。フランスでは食べられない、日本のフランス料理。古風で丁寧なサービス。老舗のホテル経営というのは、本当に大変なものだと思う。伝統と格式を保ちつつ、新しい客層や嗜好に合わせて絶えずマイナーチェンジしていく必要がある。そもそも、このホテルの本来の客層は、外国人と華族、実業家、官僚などからなる上流階級だった。彼らは、ホテルに長逗留し、ビリヤード、ダンスなどの社交を楽しんだ。ホテルなんて、そもそも庶民には無縁なものだった。そして21世紀も6年を過ぎた現在。創業129年。戦前からの上流階級はとうに、全滅。日本経済の勃興で、金持ち白人も激減。今どき箱根に来る外国人は、アジアからの廉価な団体旅行が中心だ。今日の富士屋ホテルの主たる客層は、近場でプチ贅沢を味わいたい小市民である。時間的にも経済的にも長逗留などありえない。誰もが、一泊二日のセットメニュー。はとバスが一日中、ガンガンやってきて、慌しい客を乗せたり、下ろしたり。石川さゆりのディナーショーをやったり、ウェディングチャペルを新設したり。格式のわりに比較的リーゾナブルな価格でサービスを提供。富士屋グループの一員として効率経営しているからこそだろう。驚いたのが、富士屋ホテルだけでなく、箱根全体の盛況ぶり。今回は、平日なので、どこも空いているとタカをくくっていたら、とんでもない!登山電車も、大涌谷も、芦ノ湖も、ヒト、ヒト、ヒト!気がつけば、周りの8割は、日帰りか、一泊で、紅葉を見に来た、50代から70代の女性。子育てが終わった主婦は、夫のいない平日の方が気軽に旅行できる。高校の友達同士や、趣味のグループなんかで。国内観光地は衰退しているというが、箱根は別格なのだろうか。紅葉が見えたり、富士山が見えたりするたびに、歓声。皆、やたら明るい。幸せそう。12月も近いというのに、とても暖か。紅葉だって、まだ始まったばかりの、晩秋の箱根でした。まだまだ紅葉は楽しめそうですよ。
2006.11.22
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私、実は細木数子が大好き。金星人(マイナス)の私は、一昨年、昨年、今年と、陰影、停止、減退の大殺界が続いた。一昨年の春くらいから、不調、不運なことが少し起きて、その後も低空飛行が続いたことから、ふと手にとった彼女の本で得た、大殺界の知識。大殺界は、12年に3年、誰にでもある期間で、エネルギーが低下して、体力、気力が充実しない。女性であれば、化粧のノリが悪くなって、鏡を見るのもイヤになる。それって、単に、もう、トシなだけじゃないの!と言われれば、返す言葉もない。翻って、一周期前の大殺界の時期(25、26、27歳)の時期を思い返せば、それほど化粧のノリは悪くなかったのは事実。もとい。人生、思うようになることと、ならないことがあるだが、ある時期、自分が選んだわけでもない困難が降ってきて、克服しようにも、逃げようにも、どうにもならないときというのが発生する。身動きができなくなる。細木先生は、大殺界の時期は、第一に、とにかく自分を抑えるように努めること。そして、第二に、自分と相性の悪い人と付き合うこと、を推奨している。たとえば、私が属する金星人は、派手好きで行動的な性格だが、大殺界の時期に、派手に化粧して、今まで通りに振舞おうとすると、周囲の人は、「何だか無理しているな」「まるで化け物みだい」といった印象を持つことになる。であるからして、化粧も控え、おとなしくし、あちこちに出歩かないようにするのが一番。結婚、就職、転職、引越し、出産、転校、起業、開業、マンションを買うのは、すべてご法度。というわけで、過去3年、ほとんど、コトを起こさなかった。ご法度だから、というよりは、積極的にコトを起こす気力が失われていた、というのが実際である。そのせいで、残念なことに、いくつかの人間関係がフェイドアウトした。カウンセリングにいったり、不動産の勉強を始めたり、と、いくつか取り組んだことはあった、方向感がつかめず、中途半端に迷走した。人間関係にせよ、仕事にせよ、そこから大きなうねりが生まれてくる、ということはなかった。面白いと思ったのは、大殺界は、運気がマイナスに転じることなので、もうひとつマイナスを持ってくればプラスに変わるという点だ。つまり、自分を徹底的に殺すということ。たしかに、この3年間、私は、意に反して自分を殺さざるを得ない状況がずっと続いた。そのことは、主観的には、とても辛いことだったが、あるいは、低空飛行だったからこそ、忍耐して自分を殺したからこそ、起きたかもしれない大きな災厄を免れた、と今は思う。歯科矯正やブログを継続するといった、地道な取り組みも、大殺界ならではかもしれない。その大殺界もやっとあと2ヶ月で終わり。来年は、種子。運勢がよい方向に動くとき。心なしか、11月に入ってから、心が少しだけ、軽くなってきたように思う。これから、いろいろなことが好転したら、ますます細木先生に心酔してしまうのだけど。あるいは、物事が動きはじめたら、占いなどどうでも良くなってしまうのかもしれない。とにかく、運勢のバイオリズムと大殺界の概念が、わりと長く続いたStandstillの難しい時期を乗り切る助けになったことは間違いがない。ありがとうございます。細木先生。
2006.11.15
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先日、読書感想文を書いた梅田望夫のウェブ進化論ですが、一箇所、とても心に残ったところがある。アメリカに住んでた梅田さん、41歳のときにニューヨーク同時多発テロがあって、それが前半生と後半生の分岐点になったそうな。何でもそれまでは自分より少し年上の層から尊敬できる人を探してつきあってきたそうな。それが、同時多発テロへの日本の有識者の反応に失望感を抱き、以来、1970年生まれ以降の若い人と付き合うことにしたそうな。私は今、39歳。なんとなく似たような地点にいるように思う。年上の人と話をして、あまり楽しくないのだ。もちろん、若いときから、オジサン、オバサンは苦手、という人はいる。ところが、私の場合、20代から30代半ばまでは、年上大好きであった。とくに職場では、自分より経験があり、人格的にも磨かれた人から、いろいろ吸収したい、相談してアドバイスされたい、という気持ちが強かった。敬愛の念というのはテレパシーのように相手にも通じる。数々の年上の方々に可愛がって頂き、さまざまなことを教えてもらった。「先輩に可愛がられるキャラ」というのが自分の天然だと思い込んでいた時期が長かった。ところが、30代後半に入って、ガラリと立ち位置が変わった。20代前半に可愛がって下さった、当時40代から50代の部長クラスの方々が第一線を退いたこと、また私の職場が、日本人のオジサンを対象とする営業から、若い人や外国人が多いリスク管理に移ったことも関係あるかもしれない。そもそも、私自身が子持ちになって「女の子」のカテゴリーから外れちゃったということがあるだろう。オジサン方と会っても、世間話や説教が面白いと思えない。話を会わせようとすると疲れる。かといって、あまり、自分のことを相談しようという気にもならない。衰えつつある相手にエネルギーをぶつけることが、気が引ける。むしろ、20代、30代の年下から、面白い遊びやキャリアの目標の話なんかを聞く方が刺激になって面白い。最近の若い人はしっかりしてるなー、と本当に思う。私が年上を敬遠するようになり、若い人に興味を持ち始めたのは、とりもなおさず、私自身、あまり若くなくなってきて、柔軟性、エネルギー、好奇心といった特性が、徐々に衰えてきていて、外から取り入れる必要を感じているからだろう。反対に、年上に興味がなくなってきたのは、一通り、世間を見たことで、経験値を外に求めなくても、自己充足できるようになったからだろう。人間て、現金なものですね。ハリウッドの女優なんかに、若い頃は父親ほどの男性と結婚し、その後、同年代の男と再婚し、晩年になると若い愛人と付き合う、なんていうのがある。同じように、魅力的な男は、若いときには熟した年上女に指南を受け、年取ると若い女性と付き合う、とかね。多分、理想的パターンなんだろう。普通の人には、なかなか出来ないけど。上記の梅田さんは、セプテンバー・イレブンが分岐点になったと言っている。でも、それは、たまたまで、なにも同時多発テロがなくても、年上から年下へのシフトは起きていたんじゃないかと思う。40歳は、潮目ですね。
2006.11.09
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縁あって、連休に静岡市の大道芸ワールドカップに行ってきました。相変わらず11月にしては暖かすぎる秋は続いている。それでも暑いというほどではなく、一日、屋外で過ごすにはちょうど良い気候で、素晴らしい休日でした。徳川家康がリタイヤした後を過ごした駿府城跡の公園は、子どもの遊び場が沢山ある。城壁にも自由によじ登れるし。そこここで行われるパフォーマンスやうろうろするピエロに加え、屋台や物産市のテントが所狭しと立ち並び、誰が行っても楽しい。しばし、平和で穏やかな時間。大道芸には、意外にも、子どもよりも私が大感動してしまった。プロのロードパフォーマーは、暑い日も、寒い日も、道端で集客し、芸をして、集金して、生活している。雨の日は、演技できないし、うまく人が集まらないこともあるだろう。風が吹いて、演技が難しいときもあるだろう。何より、自分が病気だったり、怪我したら、芸そのものが出来ない。自分の肉体を使って、喜ばせ、オカネを取る。緊張感を持って、ギリギリのところまでやらないと、お客さんは喜ばない。多分、一日、二回か、三回、パフォーマンスしたらクタクタ。新しい芸を仕込んで、練習することも考えると、あんまり余暇もないんじゃないだろうか。ふと、自分は、この人たちと同じくらい、毎日、真剣勝負してるかな、と思った。サラリーマンは、毎日、限界まで緊張感を持って生きなくても、お給料はもらえる。エアコンで、暑い日は涼しく、寒い日は暖かい。有休休暇がある。そして、「リストラされたら、年収が下がったら、老後はどうしよう」なんて、余計なことばかり考えている。ロードパフォーマーを見ていて、つくづく、人間は、今の瞬間、ぴんぴん働けてナンボなんだ、って思った。今のこの瞬間に集中して生きよう。自分の芸を向上させよう。今の瞬間を輝かせよう。未来のことや、過去のことを考える余裕がないほどに。。。。
2006.11.05
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それにしても、暖かい。もう、11月なのに。一回、会社にロングブーツを履いていったら、ムレムレ。室内はおろか、屋外でも昼間は半そでで大丈夫なくらい。電車には相変わらず冷房が入っている。男の人だったら、コートはおろか、背広も要らない。カットソーや半そでブラウスが大活躍する半面、セーターや、ハイネックニットの登場は皆無。多分、真冬になっても、手袋や、厚手のタイツは要らないような気がする。真夏の酷暑は、地球温暖化や大気汚染を感じてイヤだけど、この季節の温暖な気候には、あんまり誰も文句言わない。でも、こんなに暖かい秋って、やはり、何かオカシイ。大好きな焼き芋や乾燥芋も、このもわっとした気候では、あんまり美味しく感じない。やっぱり、朝晩は手足が冷たくなるくらいの、わびさびを感じられる秋の深まりがほしい。閑話休題。最近、遅ればせながら、梅田望夫のウェブ進化論を読みました。技術オンチの私でも、この10年間の世の中の変化に漠然と感じていたことが、専門家の視点から分かりやすく述べられていて良かった。ウェブ2.0とか、ロングテールとか、聞いたことがあっても、あんまり良く分からなかった言葉が、どいういうことを示しているか、おおよそ分かるようになった。そして、ウェブ2.0の普及過程こそが、19世紀の産業革命に次ぐ、ブレークスルーだということも。面白かったのは、ネット世界の最前衛企業のグーグルの社内では、電子メールじゃなくて、ブログ形式でコミュニケーションがとられ、開かれた空間で情報を淘汰メカニズムに委ねることで、仕事を進めていく、という点。翻って巷のコミュニケーション手段は、なんといっても電子メールが圧倒的。とくに企業内メールは、誰を受信者とし、誰にCCし、誰にBCCするか、がメチャクチャ重要だ。メールの送り手が、誰が誰より偉くて、誰が情報をコントロールするかを一方的に決める。受け手には選ぶ権利はない。情報の受け手を送り手が選ぶことって当たり前と思っていたけど、あるいは当たり前じゃなくなるかもしれない。ビジネスのコミュニケーション方法や、組織のあり方って、ドラスティックに変わっていく気がする。参入障壁の低いブログで、「中の上」の表現者が増えてくることで、既成メディアの権威が形骸化していくというのも、実感として分かる。私が大学生のころ、マスコミは学生の憧れの職場だった。20年近くたった今、新聞記者なんかは、あんまり面白い職業には思えない。成熟産業から徐々に斜陽産業に移行中のように感じられる。テレビのキー局、大手広告代理店なども、かつての石炭産業みたくなっちゃうんだろうか。最後に、このサイトにアドセンス(広告)を掲載するべくグーグルに申し込んだら、グーグルの承認は下りたのだけど、肝心の楽天が掲載を禁じているみたい。そうしたことも、これから変わっていくんだろうか。
2006.11.01
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セゴレンヌ・ロワイヤル。フランスの政治家。52歳。4児の母。こんな人。 来年の大統領選の有力候補だとは聞いていたけど、最近、にわかにメディア露出が増え、ついに先週は、NHKの海外ニュースにも出ていた。社会党のなかでは抜群の人気と支持率を誇り、大統領選挙では、右派のサルコジと一騎打ち!になりそう。フィナンシャルタイムズでも、フォトジェニックな彼女を大きく特集していた。 フランスの政界は、汚職と腐敗にまみれていて、国民の政治離れが進んでいる。与党最有力候補のニコラ・サルコジは、公安委員会出身で、安倍晋三顔負けのこわもてタカ派だ。でも、フランスはタカが大嫌いな人、心情左翼がとても多い。いきおい、タカ嫌いのあいだで、柔らかくて清新なイメージのこの人の人気がどんどん、高まっているらしい。フランスを離れて長いので、政治のことは良く分からないのだけど、この人を見て驚きなのが、30代の15年前より、50代の今の方がずっと綺麗なこと!私がフランスに住んでいたとき、当時弱冠38歳で、ミッテラン政権の環境相に就任したばかりだった。当時から、スレンダーで女らしくて、へえ、4人の子持ちで大臣なんて、すごいねー、という感じだった。しばらくぶりに最近、テレビで見たら、15年前より、ずっと垢抜けて、明るい感じになって、本当に輝いているの!長いストレートだったヘアスタイルは、肩のラインのボブにして、眉毛も短く揃えて、服装も前より洗練されている。綺麗なのに、ボトックスとか、レーザーとか、人工的な感じが一切ない。髪、肌、体型すべてに適度なメンテを施しつつ、キャリアを積み、女として、母としての人生も生きてくるなかで、自然に成熟した、という感じ。フランスの女優さんにはそういう成熟した感じの人が多いのだけど、セゴレンヌは、トップレベルの政治家なのに、女優さん並みの女っぷりなのだ。知性と、パワーと、母性とセクシーさ、若々しさと落ち着きの絶妙なバランス。日本で政界に長くいる女性を見ると、そうしたバランスを40代、50代で開花させていくことが、いかに難しいことかが分かる。知性、セクシーさは兼ね備えた女性はいる。そこに母性も感じさせる人というのはちょっといない。パワーを追求する世界に長くいると、人相まで一般社会から乖離してモンスターみたいになってくる?フランスでこういう政治家に人気が出るというのは、もともと、フランスという国柄が、とりわけ、見た目の美しさを重要視する風土であるということでもある。フランスの政治家は、一般に、女性だけじゃなくて、男性も、見た目重視である。そして、見た目というものに、単に「造形的な綺麗さ、若々しさ」だけでなく、「バランスの良さ、内面の個性がにじみ出る感じ」を求めるのもまた、フランスらしさである。そうした風土であることで、20代より、30代、30代より、40代、そして、50代になってさらに美しくなる人々がゴロゴロいる。セゴレンヌ・ロワイヤルがその生き証人!セゴレンヌが大統領になったら、ジャッキーやダイアナ並みのファッションアイコンになるかも。世界中にミーハーなファンが増えて、フランスのイメージアップ間違いなし。これからロワイヤル旋風がますます、高まり、いろいろなセゴレンヌのショットが見られるのが楽しみである。
2006.10.26
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若き日をすごしたパリ。ときどき思い出して懐かしいのは....ハマム(公衆浴場)である。ハマムは、セーヌ側左岸のパリ5区、森林公園に隣接するイスラム教寺院モスクのなかにある。モスクは数百年前に建立された歴史的建築物。戒律の厳しいイスラム教のこととて、礼拝場であるモスクは、一般に異教徒は立ち入り禁止である。が、パリでもここだけは例外で、一般市民に公開されている。レストラン、サロンドテ、アラブのケーキショップまで併設されていている。境内は隅々までエギゾティックな非日常空間。庭は憩いの場だし、レストラン、カフェは美味しい。アラブグッズのスークもいい。ハマムの仕組みは、日本の銭湯と似ている。違うのは、浴場なのに、”お風呂”がないことか。そう、お湯がなくて、あるのは湯気だけ。ハマムとは、巨大なミストサウナなのである。連なるアラビア風の小部屋、大部屋に、湯気が立ち込めており、入浴者は、そこここにあるベンチに腰掛けたり、寝そべったりして、まずは汗が出るのを待つ。やがて、耐えられないほど熱くなると、水道やホースで冷水を浴びる。そして、またごろごろして温まる。そのうち皮膚がふやけてくる。太った女三助に全身を洗ってもらったり、垢すりしてもらったり。一人で来ている人より、女同士、複数で来ている人が多い。クマのように互いに垢すりしあう姿も目立つ。いくつかの部屋は微妙に室温が異なっており、一番、熱い大部屋には小さな冷水のプールがしつらえてある。入浴者たちは、涼しい部屋と熱い部屋やプールを移動し、最後に、バスタオルで身体を包んで、天井の高いティールームへ。これで、サウナは終わり。この湯上りのティールームがまさに、アラビアンナイトさながらのゴージャスさ。入湯者は寝転びながら甘いミントティーを飲むのだ。マッサージを受け、身体を磨き、女だけの話をし、昼寝をする。ああ、極楽。イスラム教徒の女性は、禁欲的なベールを脱げば、こんなに官能的な時間を過ごしているのだ。お香とジャスミンオイルが混ざった匂い、モザイクタイルで覆われたひんやりとした天井と壁、甘くて熱いミントティー。男、子どものいない、裸の女だけの空間で、ゴヤの名画の一部になったような気分である。ハマムの、数百年前から変わらぬそのメニューはきわめてシンプルである。湯気の立ち込めたミストサウナは、ドライサウナと比べると身体に優しく、お風呂と比較しても、身体への負担はさらに軽く、しかも発汗性は良いように思う。とくに乾燥した気候のパリでは、皮膚がみるみる潤う感じがなんともいえず気持ちいい。そして、なによりも、中東の風土を彷彿とさせる、鷹揚でけだるい感じの時間の過ごし方が、いい。イスラム教徒のみならず、一般のフランス人女性にもファンが多いのもうなずける。日本にハマム第一号が出来るのはいつだろう。秋深まる今日この頃。ハマムに入りたい。La Grande Mosquee de Paris2, bis place du puits de l'Ermite 75005 PARIS http://www.mosquee-de-paris.net/
2006.10.19
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昔、サンテクジュペリの星の王子様を読んだとき、なぜ、きつねが王子様に、「大切なものは目に見えないんだよ」って言ったのか、分からなかった。今は、おぼろげながら、分かる気がする。必ずしも、意識に上ることだけが現実じゃない、ということではないか。現実は、意識に上る主旋律以外の膨大な事象から成り立っている。日本橋三越で買ったケーファーのペパー付のハムをサンドイッチにしてぱくつきながら、ふと、思った。40年近い人生で、一体、どれくらいハムを食べたか。豚肉を食べたか、と。通算、20頭くらい?じゃあ、鶏肉は?200羽くらい、食べてるかなあ。動物だけじゃない。私が食べてきた、すべてのものは、食べられる前には生きていた。ほとんどの場合、食べられるために死んだ。つまり、私が食べるために、殺したのだ。殺すことで、生きている。以上は、他のどんなことよりも、厳正な事実。なのに、やれやれ。そんなこと、とんと忘れている。食べモノだけじゃない。私たちは、身の回りのものごとの成り立ちにあまりにも無頓着だ。意識の上るのは、喜んだり、腹が立ったりしているのは、現実に起きている無数の事象の、ほんの表層に過ぎない。私たちが、思い出すことができて、自分のストーリーとしてつむいでいくのは、粗いフルイで掬った感情と印象の断片だけだ。それを社会の価値体系の縦糸と、自分の人生の時間軸の横糸で織り込んで、幸せだ、とか、不幸だ、とか、ラッキーだ、とかアンラッキーだ、とか、損だとか、得だとか。「私は、どうしてこんなふうになっちゃうんだろう」「なんで、あのことは、うまくいかないんだろう」って。ぐるぐる、いろいろ考えて眠れなくなるときもある。一日中、頭のなかで繰り返している言葉をノートにしてみたら、膨大な愚痴であったり、怒りであったり、後悔であったり。でも、それは、あんまり生産的なことじゃない。頭で考えることなんて、悩みなんて、あんまり当てにならない。というか、考えることで問題の解決策は生まれない。なぜって、「こんなふう」とか、「あんなこと」って、自分が自分の価値観で掬いとった、歪んだ現実に過ぎないから。ハムを食べるとき、ほんの少しだけ、死んだ豚のことを考える。目に見えないものを見ようとする。今日は、40年間に、私のために死んだ20頭の豚のためにお経を上げよう。
2006.10.14
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当ブログのお買い物履歴を見ていただければお分かりの通り、コクリコは相当、ディープなネットショッパー。当然、楽天市場の上得意でプラチナ会員だし、ヤフーや独立系のネットショップでも、頻繁に買い物している。ディノス、オルビスなどの通販も入れると、平均月10万円くらいはネット経由の買い物だろうか。3年ほど前。恐る恐るコンタクトレンズを通販で購入した。以降、プリンターのジェットインクなどの事務用品、化粧品、そして、雑貨、書籍、贈答品、アクセサリー、家電、衣料品、家具と、どんどん購入単価は高くなり、最近では、10万円以上するキリムの敷物までネットで購入した。振り返るに、購入商品の7割にはおおむね満足度。3割くらいは、はっきり言って、失敗している。やはり、質感が決め手となるような商品は、お店で実際に手に取って買ったほうがいい。たとえば、陶器やアンチークなどは、どうしても写真はあてにならない。だからネットでは買わないようにしている。でも、基本的に配送、決済などでトラブルは一度もない。それに、百貨店で買うことを考えると、随分、安い買い物ができている。街に出てショッピングをするまとまった時間がとれない私にとって、ネットでの買い物はなくてはならない。そんなおり、最近、ネットショッピングの焦点がショップでの通常の購入からオークションに軸足を移しつつある。掘り出しものが多いこともあるが、株の売買にも似たマーケット感覚が何とも言えず面白いから。そもそも、トレーディングや競売というのは、インターネットがない時代には一般小市民には無縁な世界だった。つまり、価格が自由に変動するマーケットは、金持ちかプロのものだった。マーケットの面白さは、瞬間瞬間、変動する現実のなかで、自分の欲望と他人の欲望に向き合って、将来を予測しながら、自己責任で決断をしていくことにある。恐る恐る、安い価格で最初の入札者になる。しばらく様子を見て、ほかの落札者が現れなければ、落胆と安堵が入り混じった複雑な気分になる。高く札を入れすぎた?あるいは私以外の人は興味のない商品?まあ、この値段で落札できるならラッキー?しばらくして、他の入札者が現れる。「ああ、やはり他の人も狙っていたんだ。魅力的な商品なんだ」「このまま何もしなければ負けてしまう」。すぐさま札を入れ直すと、すかさず、他人の札に追い抜かされる。「ちぇっ。甘い値段を入れてしまった」「悔しい!追い抜かせ!」「でも、今入れると又、入れ返されるから、暫く待って、相手を安心させて、ギリギリで入れよう」。高まる不安。見えない他人の心理に対する計算。熱くなる自分を抑制する。競争を繰り返しているうちに、「これは明らかに割高な水準になっている。辞めておこう」「いや、絶対に欲しい。こんなに人気があるということは、やはり商品価値が高いんだ。私は見る目がある」「でも、ちょっと類似商品をのぞいて、値ごろ感を確かめてみよう。他に割安モノがあったら、そっちに行こう」「だけど、本当に欲しくないものを割安に買っても仕方ない」。終了まであと5分。突然、高まるアドレナリン。「やっぱり、どうしても欲しい。高めの入札を入れて、ノックアウトしてやる」「だけど、もう予算はオーバーしているし、どうせ負けそうな気がする」「入れるとしても、どれくらいの水準で入れるかが問題。ライバルを牽制でき、かつ高すぎない水準は」「ああ、あと2分。入れるなら今入れないと、今までの苦労は水の泡」。頭のなかはグルグル回り、その後、一瞬、真っ白になる瞬間がある。最後は、自分の本能と直感を信じて、自分にやりたいようにやらせる。どうしても手が出なかったり、無意識に手が動いたり。終了!ゲームイズオーバー。落札できた。やったー。落札できなかった。やっぱり縁がなかったんだ。諦めよう。高い札を入れないで良かった。どっちにしても、戦った自分に満足。いわゆる、マーケットも魔力というやつ。時間を忘れ、日常を忘れる。文章を書いたり、食事をしたり、友人と話をしたり、景色を見たり、という日常生活とは異質の世界だ。安いところで始まった購入価格をどんどん、上げていくという点では、フリマなんかで値切って買うのと正反対だけど、やってみたら競売の方が数倍、快感は大きい。これ、はまりすぎると堅気の生活ができなくなるかも。時間とオカネの無駄遣いに、自戒をこめて、用心、用心。。。
2006.10.10
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40歳を前に、衣食住に目覚め、「スローで伝統に根ざした、落ち着いた、丁寧な日常生活」が目下のテーマとなりつつあるコクリコ。過去を振り返ってみると、あほらしいな、無駄だったな、と思うことが少なからずある。20代、30代にやっておいて良かったな、と思うのは、沢山の国を旅行したこと。大学時代のマレーシアを皮切りに、フランスで長いこと生活できたし、ロンドン、ニューヨークといった大都市に滞在することができた。そして、仕事で、ブラジルやチュニジア、インドネシアといったところを訪問できた。イスラエル、パレスチナとちょっとした縁ができて何回か訪れたのも、今思うと豊かで貴重な思い出だ。一回でも訪れた場所の記憶は今でも鮮やかに残っていて、懐かしく思い出すことができる。外国経験は、日本にいて、情報として見聞きするものとは大違いだ。今思うと、フランスに住んでいたとき、どんな貧乏旅行でも、もっと近隣の国や都市を訪れていたら良かった。たとえば、ローマやマドリッド、北欧や東欧なんかは、行こうと思えば行けたのに、まだ時間は沢山あると思って、行くのを先延ばしにしてしまった。未踏の地で訪問したいと思っているのが、中国やインドやアフリカ、ロシア、アメリカ西海岸。国内でも、東北地方や沖縄なんかはまだ行ったことがない。時間的にも状況的にも、今すぐはいけないところばかり。子育てが一段落したら、いけるところもあるだろうけど、あるいは、インドなんかはもう、行く機会がないかもしれない。というわけで、自分の子どもや若い人には、とにかく所帯を持つ前に、行きたいところはどんなに貧乏旅行だって行っておくことをお勧めする。一方、無駄だったな、と思うのは、哲学や難しい金融工学の勉強をしようと努力したこと。高くて難しい本を読もうとしていた私は、今思うと、「金融業をやっている以上、キャリアアップのためにやらなきゃいけない」という義務感や、「理解することで一段階人間がランクアップする」という幻想に捕らわれていた。結局、心から好きなことではなかったから、読んだ内容は少しも身についていないし、読んだことで、自分の人生や人格が変わることなんてなかった。キャリアアップにもならなかったですね。そして、苦しい恋愛に身を焦がしたこと。これも、今思うと、「苦しい思いをすればするほど人生に深みが増す」というような変なイデオロギーに縛られていたように思う。三角関係の辛さ。愛している人に愛されない辛さ。今となって本当に役立っているのは、むしろ、幅広くて、淡い人と人との交流。恋愛の対象に対する自分の思いの深さより、恋愛のプロセスで見た景色や、会話。内面の深いところにあると自分で思い込んでいた思いは、時がたてば、あっけないくらい、消え去っていく。孤独のなかの格闘から得られたものは、存外、少ない。というわけで、そのとき自分が大切だと思っていたものは、後になって考えてみるとそれほど、大切でなく、そんなに大切とは思っていなかったものが、今となっては、大切なものだったように思う。あるいは、60歳になったときには、今、自分が大切と思っているものが、錯覚だったな、と思うかもしれないけど。たとえば、キレイな生活、とか。たとえば、歯列矯正とか。あるいは、今、私にとって、キャリアはそんなに重要じゃないけど、60歳になってみたら、案外、40歳の今は、もっと仕事に打ち込むべきだった、なんて思うかもしれない。60歳の自分に逢って、聞いてみたい気がします。これからの10年間、何を一番、大切にしたらいいの?って。
2006.10.03
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