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昼から息子と津堂城山古墳へ行きました。この古墳はは宮内庁の陵墓指定には入っていませんが、古墳の規模や精巧なつくりの石棺や出土品などから大王クラスの古墳とされています。中世には墳丘を削って築城されたり、八幡さまが祀られたりしました。明治以降も陵墓指定から外れたために、古墳内に道路はできたり、畑や住宅が作られたりで、原型を想像するのは難しくなっています。明治時代末期に神社の石碑をたてるために、地元の人が知る後円部頂上にあった大きな石を掘り出したところ巨大な石棺だとわかり、学術調査が進み、後円部のみ陵墓参考地となっています。前方後円墳、墳丘長208m。前方部(左)と後円部(右)。後円部のみ柵があります。後円部の西側にある八幡神社。古墳の内濠は畑になったり、しょうぶ園になっています。墳丘の斜面や造り出しは子どもたちの恰好の遊び場。ドッジボールしてる子たちがいたので、息子はすぐに混ぜてもらって1時間ほど遊びました。ほかにもおにごっこや缶けりや木登りなどやってました。こんな遊び場が近所にもあったらなと羨ましがっていました。古墳の主は喜んでいるような気がしました。外濠に建てられた城山古墳ガイダンス棟「まほらしろやま」。知識を深めるにはいいところ。休憩所にも使えます。出土された埴輪が展示されているだけでなく、埴輪のかけらも触れます。水鳥型の大きな埴輪が有名なんです。 実は今日の目的はしょうぶ園の花。今が見ごろなんです。人も少なくゆったりと見れます。お近くの方は是非。
2010.06.06
自転車でお買い物に行くついでに白鳥陵に寄ってきました。日本武尊(ヤマトタケル)の墓と伝えられている古墳です。古事記や日本書紀にはヤマトタケルのことが記されています。父は景行天皇、息子は仲哀天皇。父の命で東国征伐に行くも、国に戻る途中で亡くなり、その魂は白鳥となって故郷に戻ったというお話です。ヤマトタケルの陵はこの軽里のほかに絶命した三重県の能褒野、白鳥が休んだとされる奈良県の琴弾原にもあります。三重の名はヤマトタケルが「足が三重に曲がるほどに疲れた」と言ったことに由来するとも言われています。羽曳野の名も羽を曳くように飛び去った白鳥から来ているそうです。日本武尊白鳥陵税金を投じて周辺の道が整備されいます。古墳の濠に沿った北側はお散歩によいです。白鳥陵拝所のとなりは民家。というか民家の並ぶ中に突然あるというかんじでした。お濠に亀はつきものなのか…私がヤマトタケルの伝説を初めて読んだのは手塚治虫の「火の鳥・ヤマト編」でした。中学生の頃だったと思います。その後、大学で梅原猛さんの講義を選択したときにも授業で白鳥伝説について聴きました。西洋と日本の古代文化を比較するような内容でしたが、梅原猛さんの説は日本の古代文化やアニミズムが西洋のものに比べて圧倒的にすぐれているという内容でした。当時は信じられませんでした。そのころ執筆されていたのが戯曲「ヤマトタケル」です。後に市川猿之助がスーパー歌舞伎として演じた古典歌舞伎の常識をやぶる作品でした。梅原猛さんはギリシャ悲劇、シェイクスピア悲劇、モリエール喜劇、能、狂言、新派などあらゆる舞台芸術の長所短所などを比較しながら、ヤマトタケルを書いている、楽しみしてください、といつも言われいました。そんな思いを抱きつつ初演ヤマトタケルを京都南座に観に行ったのでした。舞台芸術は朝倉摂。衣装は毛利臣男。あまりにも強烈な印象でこれこそが日本の芸術だって感動したことを今でも覚えています。そんな私が今、羽曳野に住んでいるのも何かの縁なのかもしれません。
2010.05.31
息子と二人でキトラ古墳壁画に行ってきました。飛鳥資料館の玄関です。石像の形がユニーク。明日香村には奈良飛鳥時代の面白い形の石があちこちに残っていて、それだけを見てまわっても面白いかなと思います。雨でしたがお客さんは多かったです。晴れていたら待ち時間が出るほどだそうです。キトラ古墳は高松塚古墳と並んで、石室に極彩色の壁画が施された古墳です。どちらもこの飛鳥のお互いにそう遠くない場所にあり、学者さんによっては同じ画家によるものではないかと考えられています。年代的には天智・天武天皇の皇子で、墓所の判明していない人の墓ではないかということです。1300年前にできた古墳ですが、500年後に盗掘され、豪華な副葬品の残骸も展示されています。今回は四神の中で唯一未公開だった朱雀の修復が終わり、全部まとめて展示されるということで楽しみにしていました。後の3つは白虎、玄武、青龍ですね。図録より。現物はもっと色が薄く感じました。息子の感想がわかりやすいと思ったので、敢えて書きます。青龍…一番好きな神獣。かっこいいから。でも絵はほんの少ししか残ってないので残念。白虎…顔がオモロイ。笑ってる。真ん中(胴体)が見えん。玄武…あんまりかっこよくない。朱雀…一番綺麗。博物館ではおきまりのパズルコーナー。四神のパスルです。わりと難しいし、順番待ちなどで1時間近くやってました。白虎以外全部やりました。白虎もやりたかったみたいだけど、私がもう限界…入館のときにもらった当たりくじつきクイズ。結構難しくて来館者のほとんどの人が真剣にやってました。にわか飛鳥オタクの私はスラスラ~だったので、周りの人から、そして息子から尊敬されちゃいました(^^;)こっちは入館時にもらえる資料。右のカード付き謎解帳は子供だけ。子供無料なのにすごいサービスです。このほかにもいろんなイベントやってます。四神を漆喰の石盤に彩色する体験(1000円)やぬり絵。もちつき(雨天中止のようでしたが)、飛鳥時代の衣裳(子供から大人まで)でコスプレ&撮影会など。特にコスプレは大人気で順番待ちでした。展示室にも衣裳を着た美しいお姫さまが随時来て、飛鳥時代の歌と踊りを披露してくれます。今日は額田王の「茜さす紫野行き…」ほか、数首歌ってはりました。あれ見ると、私も着たい~と思っちゃいますね。お昼は資料館向かいの食堂で。吉野葛を使った餡かけきつねうどん(京都のたぬき)と柿の葉寿司。お土産は店の外のワゴンで売っていたかぼちゃとブルーベリーの大福。(ほかにもいろいろありました。)半日で駆け足の見学だったし、息子は連れて行く前はあんまり興味なかったけど、結局はもっと資料館にいたかったようです。興味をもってくれてよかったです。今度は一緒にあちこち散策してみたいだとさ♪たぶんスタンプラリーがしたいようです。
2010.05.23
朝はPTAの会合で学校に行ってきました。全ての役員、委員の顔合わせと今年度の活動計画を確認です。その後ちょこっとおやじの会の畑に行って、雑草など抜いて帰ってきました。昼からは娘は塾で(テスト前で夜遅くまで缶詰)ダンナも試験勉強。買い物しなくちゃいけないので、息子を連れて自転車で出かけました。久しぶりにマクドナルドに行きたいそうです。Wi-Fi USB買ってから、行く口実がなくなっちゃいました。行く途中、少し回り道して野中ボケ山古墳(仁賢天皇・埴生坂本陵)に寄りました。前方後円墳 墳丘長122m。古市古墳群では比較的新しい(6世紀はじめ)の古墳だそうです。ボケ山古墳を離れたところから。古墳の北側にはため池があって、釣りをしている人を何人かみかけました。(釣りは禁止です)ため池には亀がいっぱいいました。甲羅干しする亀をボーっと見ているとなんだか癒される。あまりにもたくさんの亀が甲羅干ししているので息子はちょっと興奮気味。亀ってすごく大きくなるんですね。やっぱり安易には飼えないな。大きな鳥も何羽かいました。帰って調べたらサギの仲間。双眼鏡がないとわかんないですね。(バードウォッチングにまで手を出すのか!)駅近くのマクドナルドでは学校帰りの私立中高生がたまっていました。土曜日も授業があるんですね。彼等が座っている横の窓の向こうに娘が缶詰になっている塾が見えました。がんばれよ~
2010.05.15
小学校の家庭訪問の日でした。担任は若いイケメンK先生♪会社休んで(!?)リビングまでがんばってお掃除したけど、結局玄関で立話で終わりました。ガックシ…教師になって2年目ということで、私の話をすごくよく聞いてくださいました。いろいろ勉強中なんですよね、きっと。自分が余計なこと言わなかったかちょっと心配です。懇談は早い時間に終わったのでお買い物かねてサイクリング~♪娘が試験前なので、息子は友達と外で遊び、今日はそのまんま英会話教室直行なので夕飯まで帰ってきません。古墳に寄りました。岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵)墳丘長242m、前方後円墳。このあたりでは大きい古墳です。濠もちゃんと残っていますし。「御陵前」というバス停からすぐです。今まで御陵前の名の意味すら考えたことがなかったよ。ミサンザイって名前が古墳にはよくあるけど陵(みささぎ)が訛った言い方のようです。仲哀天皇の父は日本武尊(ヤマトタケル)です。この時代のお話はどこか伝説めいたところがありますが、こうやってお墓がリアルに残っているとやっぱり本当に生きていた人なのだと感じます。古墳ができた頃は盛り土だけで木なんてなかったはずだけど、1600年の時を経て生態系ができあがっている。すぐそばにバス道があるはずなのに、すごく静かでした。葦の群生が目に付きました。それから大きな白い鳥が飛んでいました。白鳥か?ヤマトタケル?と思ったけど、白鳥じゃありません。でもけっこういろんな鳥が渡ってくるそうですよ。古墳は古の人が現代の私たちにプレゼントしてくれた自然のような気がします。陵拝所向かって右側へ。古墳の東側に駐車場があり、そこに小さな古墳(というか盛土)が二つありました。その後、周囲を自転車で走ろうと思ったけど、住宅街に迷い込んでしまいました。でもおおかげで小さな前方後円古墳を見つけました。鉢塚古墳墳丘長60m。向こう側には保育園や小学校があり、なんだか秘密基地になりそうな雰囲気です。今日はちょっと探検気分でした。ここなら息子も面白がるかも。
2010.05.14
中学校の参観と懇談会がありました。今年は受験を控えているせいか、いつもよりたくさんの保護者が来ているように感じました。担任の話では落ち着いたかんじのクラスだそうです。授業も集中して聞いている子が多いということでした。3年生になるとガラリと雰囲気が変わるのがこの学校の校風だとは聞いていました。まだガラリとまではいってないよですが、授業中に先生や友達の気を引こうとしたり、横座りするような子はいないようです。授業態度は内申点に影響するからでしょうね。現金なものです。学校に行く前に近所にある古墳に寄りました。家から一番近くにある古墳なんです。子どもが小さい頃に連れて行ったことのある公園(今は駐車場)の横にあるのですが、それがなんと聖徳太子と同母の弟のお墓だったのです。本を読まなかったら知らんかったなー。以前に古墳の隣で土地を造成してるなと見ていたことがあったんですが発掘調査だったようです。今は調査が終わってどこかの宗教施設が建っています。その場所には古墳の外堀が発見されたそうです。自治体が遺跡として保存したくても私有地の場合はその土地を買い取らない限り難しいようです。3月に古市古墳群のウォーキングに参加した時に市の職員さんがそんな話をしておられました。来目皇子(くめのみこ)の墓・塚穴古墳 50m方墳 「飛鳥三昧」というHPを発見。面白そう。ここに塚穴古墳発掘調査現地見学会の報告があります。
2010.05.12
家族で二上山に登りましたー と書きたかったのですが、娘は昨夜、友達の家でたこやきパーティー&泊まり、ダンナは風邪でダウンとなり、残された息子と私で行ってきました。普通ならやめちゃうかもしれないですが、私のテンションが高い時は一人でも行っちゃいます。最近はイタリア旅行してた頃の感覚を思い出すほどです。今日はみどりの日ですし、思いきり新緑を楽しもう♪もちろん、電車でGO!です。10:45 近鉄南大阪線・二上山駅を出発しました。上の池横登山口からの沢沿いの登山道。頂上に近くなるほど新緑が美しい。それにしても息子の足取りは速い…追い付きません。こういう場所に来ると子供は元気になりますね。でも、いつのまにこんなに体力がついたんだろう。否、私が衰えたのね、きっと。11:45 雄岳に近いところに大津皇子の墓があります。天武天皇の第3皇子。天武天皇の死後、鵜野讃良皇后(持統天皇)が我が子草壁皇子に皇位継承させるために画策し自害させたとする説があります。その魂を鎮めるために飛鳥の地から日の沈む方角にある二上山に墓があるということです。12:00 雄岳到着。ここで昼食を取りました。といってもおにぎりだけ(^^;)あとはお菓子を食べました。 12:30 雄岳を出発。馬の背に向かう途中の道と雌岳。馬の背とは雄岳と雌岳の間のなだらかに凹んだところ。休憩所になってます。トイレや売店あり。12:50 雌岳に到着。こちらの方が公園らしく整備されています。人も多い。飯盒炊飯してるグループもいます。日時計がありました。西洋の時刻と東西南北と干支で表示されています。奈良盆地と大阪平野両方の景色が見えます。13:15 馬の背から祐泉寺方面から下山しました。途中湧き水が2か所ありました。沢沿いの道です。たけのこがニョキニョキ頭を突き出している風景を珍しがる息子。14:00 登山口到着。さらに少し下ったところに鳥谷口古墳があります。これも大津皇子の墓かも…ということです。石室も見ることができます。14:20 道の駅・ふたかみパーク當麻にて休憩。珍しい紫蘇のソフトクリーム。さっぱりしていいですね。それから蒟蒻のおでん(蒟蒻しかないんです!)100円も食べてみました。これ味がしっかり染みて、蒟蒻も歯ごたえあって美味しい!息子は蒟蒻が大好きなので大喜び。14:50 近鉄南大阪線・二上神社口駅到着。始終息子が先に行き、待ってもらって私が追い付くというかんじでした。昨年息子の小学校の3階から撮影した二上山と朝日の写真。右側の白丸のところが二上山です。左が雄岳・右が雌岳。今日は少し暑かったけどいい汗かきました。足は疲れていますが、気持ち的には疲れてないので、帰宅してからもバタバタと家事を片付けたりご飯を作ったりできました。明日は連休最終日。ゆっくり家で過ごすつもりです。
2010.05.04
お天気もよく遠足日和でした。そして仕事も休み。明日香まで行ってきました。一番の目的は平山郁夫展。今ハマっている古墳めぐり。平山郁夫さんの存在を知ったのは高校生のとき。NHK特集「シルクロード」にかじりついて観ていた頃です。この時期に作家の井上靖さんや司馬遼太郎さんの作品と出会ったり、平山郁夫さんの絵をテレビで見たりしたのでした。社会人になってから中国を旅行したときも、中国の人からも三山に数えられる日本画家として尊敬されていることを知りました。あとの二人は東山魁夷、高山辰雄だったかナ?バスから眺めたのどかな明日香の田園風景です。静かですね。どこでも鳥の声が聞こえます。奈良県立万葉文化館。古代建築を思わせながらもモダンな建物です。せんとくんもお出迎え。エントランスの棟と展示室の棟をつなぐ渡り廊下の下は飛鳥池工房遺跡跡。日本最古の通貨「富本銭」の鋳造などが行われたようです。平山郁夫さんの作品は圧巻です。テレビや画集などで見たことのある作品ばかりです。たぶんいくつかはほかの美術館でもみたことがありますが、これだけ揃うと画家の世界観がよくわかります。特徴的なのはやはりアースカラー。オレンジと黄土色とそして青。赤を主に使った作品は二つ。その一つが原爆で燃える広島を描いた「広島生変図」。釘付けになります。平山郁夫さんは被爆を体験されているんです。図録は迷いました。本棚がパンパンなので諦めました。売店には飛鳥に関する資料や本やお土産がいっぱい売ってます。お寺、施設、駐車場などの割引券がついたパスポート、明日香の航空写真地図、古代飛鳥京絵図を買いました。また来るつもり満々。里中満智子さんの「長屋王残照記」買ってしまいました。(-_-;)万葉文化館のお隣は亀形石造物と酒船石があります。亀形石造物は宮殿の庭に置かれていたもの、酒船石お薬とか作るためのもの。断定はできないようですが。万葉文化館から1kmほど持ってきたおむすびを食べながら歩いて石舞台に行きました。遠足の子供たちでいっぱいです。封土がくずれて石室がむき出しになっちゃった古墳なんですね。蘇我馬子の墓かもしれないということです。石舞台からバスに乗って天武・持統天皇陵に行きました。全然人がいません。私だけでした。今いろいろ本を読んでいてどうしてもお二人に会いたくなって…古墳で夫婦合葬は珍しいと思います。やはり壬申の乱以降夫婦でありながら同志でもあったわけだから、絆も強かったのかな。そう思いたいです。1.2kmほど歩いて飛鳥駅へ。途中高松塚古墳のある大きな公園などを通り過ぎました。また別の機会にゆっくりと来たいです。飛鳥駅の案内板にはたくさんの名所旧跡。全部行ってみたいです。
2010.04.28
珍しく家族4人揃って出かけられる日となり吉野まで行ってきました。下千本は七分咲き、中千本は五分咲きでしたが、お天気は最高♪ハイキング日和となりました。吉野山とそこにある5つの社寺はユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として資産登録されています。私としては全部見て回りたいけど、テンションがそう高くはない家族と一緒のときは最初からそれは諦めています。娘は夜、クラスの打ち上げがあるし、早く帰らなくちゃね。回ったコース:約3時間近鉄吉野駅→ロープウェイは使わず下千本→金峯山寺(蔵王堂)→昼食→中千本から下山→近鉄吉野駅下千本国宝・金峯山寺(蔵王堂)の仁王門国宝・蔵王堂内陣と本地堂の特別拝観は有料。せっかく来たので入りました。内陣には金剛蔵王権現のひとつと思われるものがありました。大きくて迫力がありましたよ。ご本尊の3体は秘仏でめったに見れませんが、それを思わせる権現様でした。焼失を逃れたのかなと思ったり。裏手の本地堂には新しい金色の美しい仏像(釈迦、千手観音、弥勒)が祀られ、たくさんのお坊さまがエンドレスでお経を上げておらました。私も手を合わせて反省したりお願いしたりしまくりました。息子もなにやら一生懸命お願いしていました。私より長い。娘はさっさと出てしまっていたので、「いっぱいお願いしたよ」と言ったら、「叱られてるのかと思った。損した。」などと。(笑)その隣では、桜の写真展もやっています。本堂前より南朝妙法殿を臨む。後醍醐天皇の行宮があった所。写真だけで行ってません。お昼は桜蕎麦と柿の葉寿司中千本吉野駅で桜アイス。よく歩いた後は美味しい♪家に帰って、お土産の桜茶で一服。下界は桜満開♪近所の四天王寺大学の桜のトンネル蔵王堂の秘仏&国宝・金剛蔵王権現像は平城遷都千三百年記念行事として、9月1日より100日間開帳されます。参考←これは世界遺産登録されたのを記念して公開されたときのもの。すごい仏像ですよ。是非見たいです。金峯山寺のHP
2010.04.04
私が住む羽曳野市には古墳がいっぱいあります。こういった古墳群が今世界文化遺産の暫定リストに載りかけているんです。「百舌鳥・古市古墳群ー仁徳陵古墳をはじめとする巨大古墳群ー」として大阪府、堺市、羽曳野市が共同で世界遺産登録に向けた取り組みが進められています。今日はその取り組みのイベントにダンナと息子と私の3人が参加しました。(娘は部活で地域のお祭りに参加です)「ウォーク&クリーン」と称して、古墳群についての理解を深めながら、周辺のゴミを拾って歩きます。ガイドは市の職員さんがつくということでしたが、古墳の専門家ってかんじで無茶苦茶詳しくて、歴史マニアになりそうでした。集合は市役所。そこから歩いて行けるところに日本で二番目に大きい応神陵古墳があります。墳丘の長さ425m。2重の濠(ほり)があったそうですが、今残っているのは内濠だけ。外濠は一部を市が買い上げて管理しています。応神陵の外濠でゴミを拾う息子。つくしがいっぱい生えていました。応神陵北側の拝陵所にて。前方後円墳の前方側中央になります。撮影した場所の後ろには高さ6mほどの陪冢(ばいちょう)丸山古墳(円墳)があり、国宝の馬具が出土されているそうです。応神陵の北側にある大鳥塚古墳(前方後円墳、墳丘長110m、藤井寺市)にて。後円部に盗掘痕が4つほどあり、その中に立って記念撮影。息子も掘りました。このあたりから宝探しをはじめております。さらに北側に移動。高速道路の下にも小さな盛り土にしか見えない古墳があって、橋脚が上に築かれないように設計されています。高速道路の北側にあるのは古室山古墳(前方後円墳、墳丘長150m、藤井寺市)。墳丘の周りに梅などが植えられて奇麗です。息子は茶わんのかけらなどを拾う度に説明員さんにみてもらっています。何を考えているのやら…ここの後円部からの景色はなかなかのものです。この地域の古い歴史の話などを聞くのによい場所です。古室山古墳の北東に隣接する仲姫陵古墳(前方後円墳、墳丘長290m、藤井寺市)。今度は応神陵の東側へ行きます。その途中にあった盾塚古墳公園。かつて古墳があった場所に、古墳を思わせる墳丘を作っています。応神陵の東側の陪冢、二ツ塚古墳(前方後円墳、墳丘長110m、羽曳野市)、栗塚古墳(方墳、一辺43m、羽曳野市)の説明を受けて、誉田八幡宮に行きました。誉田八幡宮は応神天皇を主祭神とする古い神社です。八幡さまも祀られているので、息子の七五三はここでお世話になりました。本殿の右側の通路を行くと応神陵の南側の拝陵所があります。普段は入れない太鼓橋がある中まで行かせていただきました。写真があまりよくないですが、墳丘へ向かう入り口になります。扉の格子から見える中はこんなかんじ。9月の大祭には神輿が通るらしい。一度見に行かねば。今日は天気もよく、ウォーキングにはよい1日でした。まだまだ見ていない古墳がいっぱいあるので、遠足がてらまた訪ねてみたいと思います。
2010.03.20
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