富永仲基は・・・知的領域では徳川時代の学者の中でもっとも激しく因習に挑戦した人で、当時の三つのイデオロギー、すなわち神道・仏教・儒教のすべてを真向から批判した・・・徳川時代の儒教的世界の中で、おそらくは西洋思想と何の接触もなしに、富永仲基が最近まで誰も予想もしなかった新しい学問の可能性を、ともかくも予測し、しかもある程度まで発展させたということは、驚嘆に値する。その新しい学問とは、過去のさまざまな思想の連続をいくつかの大きな流れに沿った歴史的発展としてとらえる厳密に経験的な科学で、それらの流れはまた思想そのものの展開に内在的な法則、言語の歴史的発展、それぞれの文化の環境的特質によって規定されるものである。(「日本の名著」第18巻、p.10)自分の生きている<世界>(家庭、仕事場、共同体、宗教、国)の慣習・規範・きまりごとといったものを、そこにあり続けるものとして、その正当性を疑うことはあまりない。これはいわば、それらを<絶対化>している、つまり<相対化>できていない、ということだ。富永仲基が生きた18世紀前半は、朱子学への批判はあったものの、孔孟の儒教そのものを疑うことはなかったようだ。そんな時代に、仲基は儒教、仏教、神道に歴史的分析を加えて<相対化>した、これはすごいことだった。仲基の「出定後語」は、本居宣長などの国学者からは快哉を叫ばれたが、それは単に国学者たちが仲基の著作を仏教批判と読んだからだろう。それ以外では、時代を先取した仲基の独創性が同時代もそれ以降も正しく評価されたという話はあまり聞かない。「出定後語」出版の翌年、仲基がわずか32歳で世を去ったということも、彼にたいする過小評価の一因だったかもしれない。
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