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弔辞全文。
2009年05月09日
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たった今速報でキヨシローの訃報!58歳、たった58歳。最近噂を聞かないのが気になっていた矢先。参ったなぁ・・・・・・ やっとでた記事。 大津留さまもこの話題なので。 保坂展人のどこどこ日記。
2009年05月02日
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名前を聞いたことがある程度でどういう人か知らなかった。毎月届く生活クラブの冊子「生活と自治」は読み応えがあるものが多い。以下、記録のために書いておく。[メディアを読み解く力を] この3月まで大学で教鞭をとり、メディアについての授業を行ってきたのですが、気付いた事があります。 それは世の中には決まりごとや答があって、それを教えてもらいさえすれば、生きていけると考えている若者がとても多いという事です。 彼らは幼少期から親や教師が認める唯一の答を与えられ続け、それ以外の考え方を言ったりすると、馬鹿にされ否定される、異論を認めない生き方を身に付けているように思います。 だから自分で考えることをしない。たとえば、靖国問題について調べなさいと宿題を出す。そのときに条件として、インターネットで検索するだけでなく、本や新聞、雑誌など、いくつかのメディアを網羅して、その上で考えをまとめなさいと言うのです。でも出来上がったレポートを読むと、半分くらいの学生が右翼的なことを書いている。彼らがインターネットだけで宿題を済ませようとしたことは一目瞭然です。インターネットの上位には"右より”の情報が多いのですから。 そのことを指摘するとこう答えるのです。「先生、右翼って何ですか」と。 私は彼らに説明します。思想やものごとの考え方には座標軸があることを。右も左も上も下もみて、全体を捉える姿勢を見につけなければいけないと話すのです。 自分がもっている考え方がどこから来るかと言えば、「誰かが言っているから」だと思います。自分だけで考えたことがいったいどれだけあるかといったら、ほとんどないですよね。全部どこからか入ってきた情報です。 それをあたかも自分の考えのように思っているところからして間違っている。その区別をつけなさい、ということを授業の最初のやらなければならないのです。 次に情報の集め方を教えます。たとえばジェネリック医薬品について調べるとする。すると学生達はこう尋ねてきます。「先生、どうすればいいんですか。いったい誰に聞くんですか」。 情報として 最も価値が高いのは第一次情報です。これは当事者に直接会って話を聞くことで得られるので、薬剤師に聞いたり近所の医師に取材することが出来ます。 ところがほとんどの学生が、「出来ない」というのです。恥ずかしくて気後れしてしまうのだと。 そういう若者達がメディアの世界に入って仕事をした時に、どうなるか。いろいろな情報があるのを横目で見て、知っているけど無視する。おそらく、そうするようになるでしょう。 実はこれは今のマスメディアの現場では、当たり前のように行われていることです。この情報を入れると内容が複雑になり、より困難な取材をしなければいけないということが分かると、そこは知らないふりをして、簡単に取材してメディアを作ってしまう。 そしてきれいな物語、より分かりやすく形が整ったものが提供され続けることで、そういうことをしてもよいのだと若者たちは直感的に感じ、刷り込まれていくのです。 先日、久しぶりにテレビ番組を作ろうと思って、ある局に企画を持ち込みました。市民が国産より安価な中国産たけのこを選んだがために荒れた竹林を活用し、バイオガスを作って発電しようとしている農業者を取り上げたいと提案したのです。しかしディレクターは「農業には興味がない」と一言。環境を取り上げている番組ですらこうなので、がっかりしてしまいました。 取り上げられない情報に関しては視聴者は分かりません。そこにはさまざまな矛盾や、自分にとって都合の悪いこともあるかもしれない。でも、そういう面倒なことは知りたくないし、なかったことにしたいというのが、日本社会の現状なのです。こうしたなかで近年、メディア・リテラシー、分かりやすく言えばメディアを読み解く力ということが叫ばれるようになっています。最高のメディア・リテラシーは自らメディアをつくることだと私は思います。そのためには自分で直接、見聞きすることです。 どんなに客観的な事実を伝えようと努めても、メディアをつくる過程では必ず主観に基く情報の取捨選択が行われます。自分達がいかに作為をするかを学べば、他のメディアを読み解く力もおのずと養われていくのではないでしょうか。」第一次情報!そうなんだよね。伝言ゲームよろしく、中身が変貌してしまうのはよくある話。私の弱小ブログも、誰も知らない私固有の話題なら書く意味もあると考える。もしくは私の中に取り込んで沈みこんだ後改めて浮き上がってきたもの。
2009年04月19日
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がっくり・・・・・今からやり直すのはもう止めにする。明日改めて。疲れました・・・・・ 今日見つけたこぶし。 同じく梅。
2009年04月11日
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さっきから何回か転載を試みたが、無効なタグが含まれているとかでエラーになる。時間が無いので後で再挑戦するとして、とりあえずご紹介。 再挑戦。ではここから転載はじめ。 「 「世界の進路を決める50人」(英フィナンシャルタイムズの記事)、そして、世界の進路を決めない日本人 ジャンル : 政治・経済スレッドテーマ : このままで、いいのか日本 「世界の進路を決める50人」と題された、イギリスFinancial Timesの記事に日本人は改めて考えさせられてしまうのではないでしょうか。フィナンシャル・タイムズの記事「世界の進路を決める50人」はこちらで原文と和訳が読めます。■Financial Timesの記事原文http://www.ft.com/cms/s/0/2fe0826a-0dac-11de-a10d-0000779fd2ac,dwp_uuid=ae1104cc-f82e-11dd-aae8-000077b07658.html?nclick_check=1■日本語版記事http://news.goo.ne.jp/article/ft/business/ft-20090318-01.htmlhttp://news.goo.ne.jp/article/ft/business/ft-20090318-02.html選ばれた50名一人一人についてのフィナンシャル・タイムズのコメントはリンク先で読んでいただくことにして、50人の氏名、年齢、役職だけ書き出してみましょう。(名前の表記を当ブログの表記にあわせて一部だけ直してあります。)<政治家>1. バラク・オバマ(47) アメリカ大統領2. 温家宝(66) 中国首相3. アンゲラ・メルケル(54)ドイツ首相4. ニコラ・サルコジー(54) フランス大統領5. ゴードン・ブラウン(58) イギリス首相6. ウラジーミル・プーチン(56) ロシア首相7. ティム・ガイトナー(47) 米財務長官8. ローレンス・サマーズ(54) 米国家経済会議(NEC)委員長9. ハマド・ビン・ジャシム・アルサーニ(50) カタール首相、QIA最高経営責任者10. 王岐山(60) 中国副首相11. バーニー・フランク(68) 米下院金融委員会委員長12. スティーブン・チュウ(61) 米エネルギー長官13. オリヴィエ・ブザンスノー(34) フランス反資本主義新党党首<中央銀行家>14. ベン・バーナンキ(55) 米FRB議長15. ジャンクロード・トリシェ(66) 欧州中央銀行(ECB)総裁16. 周小川(61)中国人民銀行総裁17. マーヴィン・キング(60) イングランド銀行総裁18. 白川方明(59) 日本銀行総裁19. マリオ・ドラーギ(61) イタリア中央銀行総裁、「金融安定フォーラム(FSF)」座長20. マーク・カーニー(43) カナダ中央銀行総裁21. ミゲル・オルドネス(63) スペイン中央銀行総裁22. ウィリアム・ダドリー(56) ニューヨーク連銀総裁23. ジャック・ド・ラロジエール(79) フランス銀行名誉総裁<規制当局担当者>24. アデア・ターナー(53)英金融サービス機構(FSA)長官25. シーラ・ベアー(54) 米連邦預金保険公社(FDIC)総裁26. メアリー・シャピロ(53) 米証券取引委員会(SEC)委員長<組織トップ>27. ハイメ・カルアナ(56) 国際決済銀行(BIS)総支配人28. ドミニク・ストロス=カーン(59) 国際通貨基金(IMF)専務理事29. ロバート・ゼーリック(55) 世界銀行総裁30. パスカル・ラミー(61) 世界貿易機関(WTO)事務局長<投資家>31. 楼継偉(ルー・ジーウェイ)(58) 中国投資有限公司(CIC)会長 32. ジョージ・ソロス(78) ソロス・ファンド・マネージメント創設者、Open Society Foundation 創設者33. ウォーレン・バフェット(78) バークシャー・ハサウェイ会長34. ローレンス・フィンク(56) ブラックロックCEO<エコノミスト>35. ロバート・シラー(62) イェール大学経済学教授36. モンテク・シン・アルワリア(65) インド計画委員会副委員長37. ポール・ボルカー(81) ホワイトハウス経済回復諮問会議議長38. ポール・クルーグマン(56) プリンストン大学教授、ニューヨーク・タイムズ・コラムニスト39. ヌリエル・ルービニ(49) RGEモニター会長40. レシェク・バルツェロヴィチ(62) ワルシャワ経済大学教授<銀行家>41. ロイド・ブランクファイン(54) ゴールドマン・サックスCEO42. ジェイミー・ダイモン(53) JPモルガン・チェース会長43. スティーブン・グリーン(60) HSBC会長44. ミシェル・ベブロー(67) BNPパリバ会長<産業界の代表者>45. カルロス・ゴーン(55) 日産自動車・ルノーCEO46. インドラ・ヌーイー(53) ペプシコCEO47. エリック・シュミット(53) グーグルCEO<マスコミ・学術者>48. アリアナ・ハフィントン(58) ニュースサイト「ハフィントン・ポスト」編集長49. ラッシュ・リンボー(58) ラジオ番組「ラッシュ・リンボー・ショウ」司会 50. キショア・マブバニ(60) シンガポール国立大学リー・クアンユー公共政策大学院院長この人選にはフィナンシャル・タイムズの「個性」が反映していることを考慮しながらリストを眺めても、日本にとってやはり重い事実がここには示されています。(1) 政治分野では日本は世界の中で存在感がゼロに等しい。主要な欧米先進国や大国の指導者は当然のように入っているだけでなく、中国の指導者も二人入っています。さらには、フランスの極左政党の若いリーダー(当秘書課広報室でもこちらをはじめ、こちらで言及しました)まで入っています。それなのに、日本の政治家は、麻生太郎はもちろんのこと、小沢一郎も誰も入っていません。これは日本にとって大きな恥辱ではないかと思います。(2) 国別にみても、日本人は一人だけ、それも、独自の見識を示したり独自の活躍をしたりすることのできる立場の人というよりも、中央銀行の総裁です。(3) 日本は世界的な企業も多い「経済大国」ですから、日本の経済人が入っていてもよさそうなものですが、それも皆無。入っているのは、ルノー・日産、ペプシ コ、グーグルの代表者。たとえば、トヨタ、ホンダ、キヤノン、ソニー、パナソニックの代表者は世界の進路を決める力があるとはみなされていないのでしょう か。(4) マスコミ・学術者にも日本人はいませんね。マスコミ部門に、当秘書課広報室でもサイドカラムにリンクを置いているリベラル系有力政治ブログ、「ハフィントン・ポスト」が入っていたのには、フィナンシャル・タイムズの見識を感じました。日本ではこの面でも遅れていますね。たとえば、植草一秀さんのような有名政治ブログがここに入る日は来るのでしょうか。(5) 銀行家のところは、フィナンシャル・タイムズですから仕方ないのでしょうが、政治家部門で選ばれたフランスの若い極左政治家のような新鮮な驚きがなく、ア メリカ、イギリス、フランスの普通の(?)銀行のトップが選ばれています。日本の銀行家が入らないのは仕方がないのでしょう。ただ、この部門には、バング ラデシュにある貧者の銀行、ノーベル平和賞まで受賞した「グラミン銀行」のトップ、ムハマド・ユヌスを入れてみたかったですね。(これが言いたくてこの記事を書いたようなものです...。)●グラミン銀行http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%B3%E9%8A%80%E8%A1%8Chttp://www.grameen-info.org/この50人の人選は、『「日本にもまだ政府は必要だ」(英フィナンシャルタイムズ紙) (不定期連載「日本のことを知るためには外国の報道を読まなければならない」)』という記事でも書いたように、日本に対してきびしい目、しかも、正確な目を持っていると感じさせるフィナンシャル・タイムズのことでもあり、少なくとも結果的に、日本人にとって痛いところを突いたものだと言えるのではないでしょうか。ところで、日本人としての誇りを持つ青年が8割に達するという内閣府の国際調査が発表されていると先日の記事で書きました。日本は世界の進路の決定に参加する能力はないという宣告に等しいこのフィナンシャル・タイムズの記事を見たら、「日本人としての誇り」を持つ者は、知性や思想や国際感覚を磨いて発奮しないといけないと思います。」以上です。 白川さんだけ・・・・・・・白川さんと言えば、中川(酒)が、あんな醜態を演じて日も浅いのに、北の発射に関して勇ましい発言をしたとニュース報道。政治家として終わったわけじゃないとNHKがお墨付きを与えているのか??
2009年04月08日
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益川さんの講演があるそうです。行けないけど、お知らせします。
2009年04月06日
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忙しく送る毎日だけど、見過ごせない気になることが多い。ゆっくり考える時間が欲しい。ついついひとさまの記事をお借りしてばかり・・・ 『柴田鉄治さんの「メディア時評」から』 「千葉県は日本のフランス」 村野瀬さまは教育問題。 今日はまたバナーを追加した 。 「赤旗志位之助はイチローくんを見習え」 ブログBluesさま、如何でしょう?
2009年03月26日
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サムライジャパン。聞くたびに気持ち悪い。ハラタツノリ。見るたびに気持ち悪い。話すことも、何から何まで気持ち悪い。中継。アナウンサー氏の物言い。同じことしか言わないまぬけな解説者。とってもとっても気持ち悪い。オリンピックの中継も近いものがある。金メダル(優勝)でゼロ。それ以下だと許さない論調。千葉すずさんではないけれど、「なら、あんたやってみなさいよ!」と言ってやったほうが良いと思うような中継の連中ばっかり。 だいたい、あの監督の決め方からして変だった。日本一になったチームの監督を、と言った筈なのに負けた巨人の監督が選ばれる。誰も文句を言わないの?
2009年03月19日
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先ずはこれ。「 AIG、ボーナス百万ドル超73人 米議会が全額徴税案 【ワシントン=西崎香、ニューヨーク=丸石伸一】高額のボーナス支給が明らかになった米保険大手アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)に 対して米議会は17日、ボーナスのほぼ全額を課税で回収する法案の採決を検討し始めた。巨額の公的資金投入で救済された同社のボーナス支払いに批判が噴き 出しており、同社首脳陣は命をかけて引責すべきだとの声も一部議員から出ている。 ボーナスは08年分の一部で、13日に幹部ら400人に1億6500万ドル(約160億円)が支払われた。この問題を調べているニューヨーク州の クオモ司法長官は17日、結果を公表。計73人が各100万ドル(約9800万円)超を支給され、うち11人はすでに退社。200万ドル(約1億9600 万円)超が22人おり、最高額は640万ドル(約6億2700万円)という。 議会では同社のボーナスのほぼ全額を課税する複数の法案が既に提出されている。オバマ政権も議会と連携して課税強化を検討。課税率が100%の法 案もあり、AIGが支給を見直さない限り、議会指導部は法案を一本化して採決に踏み切る姿勢だ。金融危機対策を決める幹部議員は、支給を無効にする訴訟の 可能性も示唆している。 議会指導部は税金の使途に神経 をとがらせている。上院財政委員会幹部のグラスリー議員(共和党)が16日、「(AIGの幹部が)日本での例を見 習っていれば、彼らに対する私の気分も少しは良くなる。深々と頭を下げて謝罪し、辞任か自殺するということで、日本人の場合は謝る前にたいてい自殺する」 とラジオで発言したと伝えられるなどひんしゅくを買う言動も出ているが、「ウォール街(金融業界)の強欲だけでなく、腐敗さえも象徴している」(民主党の リード上院院内総務)との声が多い。 ガイトナー財務長 官は17日、高額報酬を規制した金融救済法をもとに回収を検討する一方、過剰なボーナスを公的資金から差し引くことができるよう 同社と調整していることを明らかにした。米政府は既にAIGに総額約1700億ドルの公的資金を投入。オバマ大統領は支給されたボーナスの回収を長官に指 示していた。」 【ワシントン=西崎香、ニューヨーク=丸石伸一】高額のボーナス支給が明らかになった米保険大手アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)に 対して米議会は17日、ボーナスのほぼ全額を課税で回収する法案の採決を検討し始めた。巨額の公的資金投入で救済された同社のボーナス支払いに批判が噴き 出しており、同社首脳陣は命をかけて引責すべきだとの声も一部議員から出ている。 ボーナスは08年分の一部で、13日に幹部ら400人に1億6500万ドル(約160億円)が支払われた。この問題を調べているニューヨーク州の クオモ司法長官は17日、結果を公表。計73人が各100万ドル(約9800万円)超を支給され、うち11人はすでに退社。200万ドル(約1億9600 万円)超が22人おり、最高額は640万ドル(約6億2700万円)という。 議会では同社のボーナスのほぼ全額を課税する複数の法案が既に提出されている。オバマ政権も議会と連携して課税強化を検討。課税率が100%の法 案もあり、AIGが支給を見直さない限り、議会指導部は法案を一本化して採決に踏み切る姿勢だ。金融危機対策を決める幹部議員は、支給を無効にする訴訟の 可能性も示唆している。 議会指導部は税金の使途に神経 をとがらせている。上院財政委員会幹部のグラスリー議員(共和党)が16日、「(AIGの幹部が)日本での例を見 習っていれば、彼らに対する私の気分も少しは良くなる。深々と頭を下げて謝罪し、辞任か自殺するということで、日本人の場合は謝る前にたいてい自殺する」 とラジオで発言したと伝えられるなどひんしゅくを買う言動も出ているが、「ウォール街(金融業界)の強欲だけでなく、腐敗さえも象徴している」(民主党の リード上院院内総務)との声が多い。 ガイトナー財務長 官は17日、高額報酬を規制した金融救済法をもとに回収を検討する一方、過剰なボーナスを公的資金から差し引くことができるよう 同社と調整していることを明らかにした。米政府は既にAIGに総額約1700億ドルの公的資金を投入。オバマ大統領は支給されたボーナスの回収を長官に指 示していた。」( 朝日com)どうなるのか楽しみ・・・
2009年03月18日
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記録http://s03.megalodon.jp/2009-0305-2008-56/www.47news.jp/CN/200903/CN2009030501000738.html内橋克人さん!
2009年03月05日
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大型スーパーセンターと聞いて、イオンのようなものを想像したが全然違った。AZスーパーセンター 。従業員に定年がない。そのほかにも目から鱗のさまざまなユニークな方針。ここには今後の地方を再生する凄いヒントが満載だ。自治体がやることはできないだろうか・・・社長が地元の人というのが良い。利益が出なくなったらさっさと撤退してゆくのが常の、他所から来る大型店とは全く違う。
2009年03月02日
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朝日新聞にいろいろな人が語る加藤周一さんのシリーズ記事がありました。クマさんにまとめがあったのでお借りします。 記事本文はいずれ、記録したいと思っています。いつになるか判りませんが・・・・
2009年02月23日
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記録です。1年経ったなんて信じられない。あの時から何て色々なことが変わったことだろう。
2009年02月19日
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「絶望に慣れることは、絶望そのものよりさらに悪いのである。(カミュ、ペストより)」さっき偶然途中から見たNHK教育のETV特集で辺見庸さんの話を聞いた。ひとことの無駄もない、胸にグサグサ刺さる話。 大病を患い死を間近に感じながらの生きようが、血が滲むような切実さで伝わってくる。
2009年02月01日
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先週に続き今回も完全休みとはいかないが、今回は仕事でなく出かける。店を開けた後、先ずは今年もT松の池へ。今年はこんな看板が・・・ そんな訳で今回はパンはなし。でも、ひとりだけブリキのバケツで、いかにも鳥のエサ然としたひき割りコーンなどの混合のものを投げ与えていたおじさんが・・・ えさがもらえないと、白鳥はいないかと思ったが去年と同じくらいの数のように思った。そのご、近くにある図書館へ行く。探す本は1冊も見つからなかった。念のために聞いてみた県民文化祭の作品集だけはあった。貸し出しの準備ができたら連絡を貰うように頼んできた。
2009年01月15日
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クロネコさまのガザ関連記事1.2 最近は映像付きのニュースが流れるようになりました。 さて、、、 TBいただいた記事の転載です。ブログブルースさまです。はじめ。 「 共産党比例区名簿トップは湯浅誠 それは、まごうかたなき革命的ゲリラ戦だった。彼らは、先ず砦を築いた。場所は、花の都のど真ん中、日比谷公園に定めた。恐るべき慧眼と言わねばなるまい。要所に砦を築けば、自ずと人は押し寄せる。人が押し寄せれば、運動は勢いづく。砦は「年越し派遣村」と名づけられた。このネーミングのパンチ力はどうだ!可哀想だは惚れたってことよ。庶民感情を大いに揺さぶり、体制御用のTVマスコミさえ動かした。機を逃さず、反転攻勢に打って出る。虚を衝く厚労省への遊撃出陣だ。日比谷公園から霞ヶ関までは目と鼻の先、練りに練った奇襲作戦に相違ない。直江兼続か!かくて直談判の末、省舍の講堂を開放させた。歴史的勝利と申し上げたい。民草の力が、国家組織の門戸を開かせたのだ。立役者は、湯浅誠。派遣村の村長さんですね。あらためて、ありったけのエールをお贈りする。よーし!異議なーし!村長!大統領!Yeah!ブラボー!派遣村に最も献身したのは、既成政党の中では、共産党だった。日本国民周知の事実だ。さあ、そこで、赤旗志位之助クンに相談なんだが。来たる総選挙の比例区代表名簿のトップに、湯浅村長をリストアップしてはどうか。有権者の多くが立ちすくむ「アカの壁」が、乗り越えやすうなるで。3百万票は上積みできまっせ。いやホンマ。戦いなんです。ソロバンも弾かにゃなりません。マスコミも惹きつけにゃなりません。当の湯浅村長が、実戦で示した通り。勝利を望むなら、何より、他者の力を求めよ!真の革命は愛という偉大な感情によって導かれるとゲバラは言った。直江兼続の兜の前立は「愛」一文字である。共産党につきまとう「独善」の汚名を返上し、市民運動の旗手、湯浅誠を三雇の礼で以て迎え入れるのです。すべては、政治の中身を変えるために。やってみなはれ。あなたも、太陽の下で。他者の力を求めよう。」 以上です。
2009年01月13日
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今日は成人式。子ども会で一緒だったTさんのお母さんが、娘さんが成人で帰っていると話してくれる。今教育大生で、中学の英語教師を目差しているという話。でも、地元で教職に就くのは、とても難しいらしい。 息子の中学の同級生のU君は産業短大を卒業して就職していたが会社が倒産して今はフリーターだと言う。 厳しいはなしばかり聞こえる。
2009年01月12日
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楽しい事はなかなか無いが、面白くない事ならいくらでもある。友達のM子さんが最近元気が無いと思っていたら、「適応障害」で通院しているという。単身赴任の夫は、優秀な人で完璧に何でもこなせるので人にも完璧を求めるらしい。義母がなかなか難しい人でその対応でも長年苦労してきたようだ。2人の息子は彼女のよき理解者だけれど、一番わかって欲しい夫は状況が飲み込めていないらしい・・・・・「そんなに頑張らなくていいのに」と息子は言ってくれる。傍から見れば幸せな家族も聞いてみればすれ違いで苦しんでいる。何もしてあげられないのがもどかしい。時々、ぼそっと話してくれるのをただただ聞くだけしかできない。
2009年01月12日
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久しぶり、村野瀬さまの転載です。特に保存版としたのは、何度もなんども読み返したい内容と思ったからです。今、そう今だから、是非とも胸に刻みたい文です。 はじめ。「 「死をうながす死刑」 (作家、星野智幸氏) ジャンル : 政治・経済スレッドテーマ : 死刑 東 京新聞紙上で、星野智幸さんという作家を知りました。共感できる文章があったため、調べてみると、別の日の紙面にも共感する文章が載っていました。星野智 幸さんと、星野さんに原稿を依頼しようと考えた東京新聞の編集担当者に深く感謝しながら、特に、生と死の問題、死刑問題に触れた文章を三つ、ここに転載さ せていただこうと思います。死刑は死を抑止するのではなくて死をうながす、という見方は、今の日本が、年間3万件以上の自殺を起こす原因 を放置し、労働者切りを容認または促進する制度をつくってきたこと、経済力や権力のある者たちの横暴など、社会が荒れ果てるにまかせている現状とあいまっ て、納得できる観察です。社会が荒れ果てれば、それなりの暴力的方法を用いる者が出てくるのも必然ですから。2008年11月28日 東京新聞夕刊 第一面コラム「放射線」より死をうながす死刑 星野智幸長いこと、私は死刑を必要悪だと思ってきたが、ここ数年で、死刑はなくすべきだと考えが変わった。刑 罰には、社会に対する警告やメッセージという側面がある。乱暴に言えば、死刑は「殺したものは殺される、それでもよいのか?」という抑止だったはずだ。だ が、今は本当に抑止として機能しているかと言うと、私には正反対の効果を及ぼしているようにしか見えない。すなわち、「余計な人間の命は奪ってもよい。生 きているに値しない人間は、死んでよい」とでも言うような、人を死や殺人へと駆りたてるグロテスクなメッセージに変わったと感じる。「誰でもいいから殺して死刑になりたかった」という理由で通り魔事件が相次いだのは、今年の前半だった。元厚生事務次官らの殺傷事件も、同類だと私には思える。それだけではない。毎年三万人以上が自殺するのも、死刑執行が発するこのメッセージの圧力と無縁ではなかろう。私 たちは自覚できないほど深く、自分のまわりにいる人間から影響を受ける。大人が次々と自ら命を絶っていく環境は、「自殺は普通のことだ」というメッセージ となり、死へのハードルを低くする。同様に、死刑判決が乱発され、次々と執行される世では、他人の命を奪うことへのハードルが低くなる。死へ駆りたてられ る社会では、「死ぬこと」も「殺すこと」も同じ行為になってしまう。死刑が目立つ社会は、戦争下にある社会とあまり変わらない。だから死刑は廃止する必要があると思うのである。(引用ここまで)2008年12月19日 東京新聞夕刊 第一面コラム「放射線」より「生きるな」 星野智幸社会には文脈があり、同じ行為でも、例えば時代背景という文脈の違いによって、意味が変わってくる。カウンターカルチャー全盛期の1960年代に大麻を吸えば、反権力の犯罪とも解釈されただろうが、現在の大麻は、麻薬へと続く自己破壊でしかない。私は今、「マリフアナ」とは書かなかった。「大麻汚染」など、報道は「マリフアナ」でなく「大麻」を使う。その結果、「大麻」には犯罪イメージが染みつく。私はあえて犯罪の印象を強めたのだ。これも文脈である。文脈を読む能力とは、リテラシーである。リテラシーが低いと、世の中の情報を何でも鵜呑みにしやすくなったり、暴力的な失言が増えたりする。だから、社会的文脈を作る力を持った権力者やメディアには、高いリテラシーが求められる。だが、実態はどうか。巨額の利益を上げ体力のある大企業が、非正規雇用者の首切りを、率先して行う。皆やっていることだからと、内定取り消しを平然と行う会社が続出する。加えて、ここ何代かの首相の、無責任なさま。これがどんな文脈を作り出すか。損をしないためなら、人を死に直面させても構わない。他人の命など気に掛けるより、自分のことを考えろ。大人は下の世代を壊そうとしている。無用な人間は、強引にでも排除してよい...。社会の文脈を読めば読むほど、「生きるな」というメッセージばかりが目立つ。今、権力者に必要なのは、死を促す文脈を断ち切り、「生きよう」と思わせる文脈を作り出すリテラシーではないのか。(引用ここまで)2008年12月21日 東京新聞朝刊 書評欄より『愛と痛み』 辺見 庸 著 (毎日新聞社、1050円) 書評 星野智幸裁判員制度が始まる今、自分が選ばれたら死刑判決をくだせるのか、という不安を抱く人は多いだろう。そんな人には、死刑を巡る講演録である本書を強くお薦めする。日 本の大多数同様、私も死刑は必要悪だと思ってきた。けれど、ここ数年、死刑判決や死刑執行が急増するうち、殺すことが奨励されているような嫌な空気を感じ 始めた。「誰が死刑と決めたんですか?」「みんなですよ」と、まるで雰囲気で死刑が決まるかのようだ。裁判員制度が始まれば、「死刑と決めたのは自分だ」 とはっきりする。もう、他人に責任転嫁はできない。私たちはその重責に耐えられるのか。辺見庸は言う。「死刑は国権の発動ではないのか。国権の発動とは、自国民への生殺与奪の権利を国家にあたえるということです」死刑の責任主体は、国家だというのだ。ところが日本では、その仕組みがよく見えない。「世間」が存在するからだ。本 書で最も厳しく批判されているのが、この「世間」である。個人が集まって共存する「社会」とは異なり、「言葉で強要されることはないけれど、かわりに気配 や空気で無私であることが期待される」、自分のない者たちの集合体。誰も自分を持たないのだから、国が暗黙のうちに死刑を欲すれば、「そうだ、死刑だ」と 空気を読んで同調する。死刑判決にお墨つきを与えながら、痛みを感じるべき自分がない。裁判員になると、国家が負うべきこの責任を、数人の個人が負わされる。辺見庸は、死刑が執行される場面を執拗に描写する。私たちは間接的に、こんなグロテスクで残虐で痛みに満ちた行為を行っているのだ、と認識するために。私たち個人が責任を負えない死刑を、制度として認め続けてよいのだろうか。もう、「みんなの責任」と逃れることはできない。自らの心で考えて結論を出す時期が来たと、本書は告げている。(引用ここまで)ついでにと言ってはなんですが、もう一つ、日本の社会と人心の現状についての文章。2008年12月26日 東京新聞夕刊 第一面コラム「放射線」より右傾化10年 星野智幸来年は2009年だが、1999年の日記に私は次のようなことを書いている。「1999 年は日本の右傾化元年だと記憶することにしている。右傾化とは、国旗国家法や通信傍受法を成立させガイドライン改定を行うといった出来事だけではなく、自 己を何か曖昧で集団的なものに委ねることが本格的に始まった動きを指す。オウム真理教の代わりに、誰もが納得でき言い訳の立つものに帰依しようとしてい る。そして政治がそれにお墨付きを与える」当時の私は、「何か曖昧で集団的なもの」が「日本」であり、ナショナリズムが沸騰して全体主義的な暴走を始めることを危惧していた。けれど、右傾化十年目を迎える今の社会を見渡せば、日本社会がいかに壊れているかばかりが目立ち、国に「誇り」を持つどころではない。今 から思えば、十年前に起こっていたのは、「国権の発揚」だったのだろう。それまでの主権在民を尊重する姿勢をかなぐり捨て、国家が権力をあからさまに振る い始めたのだ。90年代の停滞を一気に変えてくれるかもしれないと期待して、小渕政権や小泉政権に帰依した結果、国民は国の経済に奉仕する奴隷と見なされ た。「日本」に身を委ねれば委ねるほど、隷属させられ、搾り取られ、使えなくなれば捨てられる。この状況を一気に打開してくれるカリスマを求めるような真似はもうやめにして、来年こそは自分たちで変える意思を持とうではないか。この10年をさらに悪い形で繰り返さないためにも。(引用ここまで)星野さんのサイトもありますが、残念ながらマスメディア媒体に発表されたすべての文章が読めるわけではありません。http://www.hoshinot.jp/東京新聞に載せられたこれらの貴重な文章ができるだけ多くの人に読まれるように転載させていただきました。あ、何度でも言うようですが、初めてこのブログを見る方のために...。私は死刑制度にはっきりと反対しています。その理由を知りたい方はこちらの一連の記事を一つ一つ見てくださいね。(私の書いていることに異議があるなら特に...。私がすでに詳しく説明したことを尋ねられても困りますので。)」以上です。
2009年01月11日
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今日の薔薇豪城さんでこんな面白い替え歌発見!面白いなんていっては不謹慎だけど、実に巧い替え歌色々。「 昨日、ふと口をついてでたロシア民謡の囚人の歌。(でしたっけ?) 「物を盗んだわけじゃない、人を殺したわけでもないーさ」が、派遣切りにあった人たちの心みたいな気がしたのです。 まずは、それ。 「派遣の我は 首切られ路上に 思うはいつか 母のおもかげ 物を盗んだわけじゃない 人を殺したわけでもない~さ ただ毎日を人並みに 暮らせることを 望んでる だけさ」 次が黒の舟歌 「正社員と派遣の間には 暗くて深い川がある 容易に渡れぬ川なれど エンヤコラ 今日も就活だ ILO ILO~ 条約守れよ Oh Oh! 」 次が八代亜紀の舟歌 「派遣の仕事は明日がない~ それでもまじめに働いて~ 首切り呑めば 明日からは 家も仕事も ない 自分 (沖のカモメ~にふうに) 国のエライさんの コメント聞けばよ 負けたおまえ~の居場所~などない ダンチョネ~ *我ながら気に入ったのは、黒の舟歌の「ロウエンドロウ」の所をILOにひっかけた所であります!よかったら小声で歌ってみてください。」 この中で、はじめの歌は知らないけれど、次の「黒の舟歌」は野坂昭如ですね。これは秀逸!薔薇豪城さんが2番3番も作ったら、といってますから、皆様お試しください! そしてみんなで歌いましょう。誰かにレコーディングしてもらうのも良いかもしれません 。誰が良いでしょうね?考えて見ましょう・・・良いのができたら教えてくださいね!
2009年01月08日
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派遣村にカンパを振り込む時は、■金銭カンパ 以下の口座にお振込みください。 みずほ銀行 銀座支店 普通 2692964 派遣村寄付金口座 弁護士 棗 一郎これの、名義人欄を、派遣村寄付金口座以下全部書かないといけないらしい。名前の読みはナツメです念のため。さっき銀行から電話が来て訂正票を出してきました。名前だけでは駄目でした・・・以上参考までに 今日の派遣村。 追記。kuronekoさまに、文章版のレポートがアップされましたのでぜひご訪問を!
2009年01月05日
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あけましておめでとうという挨拶は今年は何だか憚られる。2008年は本当に酷い1年だった。2009年になっても何もそれは変らない。 年越し派遣村は、その活動がマスメディアにとりあげられるにつれようやく国も動かざるを得なくなったようだ。何故今まで放っていたと言いたい。地図で見れば日比谷のあの場所は霞ヶ関にすぐのところ。kuronekoさまのレポートで様子がわかる。 役人ものんびりお正月休みをしている場合じゃない。アマゾネスの仲間だけどあまり交流は無いハムニダ薫さま。こちらはぜひ読んでもらいたい所。仕事続きで、時間も体力も無いけれど、過ぎてゆく事象を心に留めながらすすみたい。
2009年01月03日
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さっき、支援カンパを送金しようと銀行ATMまで行って、支店名をメモし忘れたので帰ってきて確認しようとサイトにアクセスしようとしたが不能。■金銭カンパ 以下の口座にお振込みください。 みずほ銀行 銀座支店 普通 2692964 派遣村寄付金口座 弁護士 棗 一郎 これだけ改めて書いておきます。マスコミもようやくニュースで毎回取り上げるようになり、関心が急上昇しているのだろう。妨害だとは思わないけれど、情報が取れないのは困る。改めて銀行に行ってきます。 追記。年越し派遣村。 夜になってやっと繋がるようになった。国がやっと重い腰をあげたらしい。トヨタは?キャノンは?? 本田宗一郎さんが生きていたら今なんと言うか聞いてみたい。保坂さんの記事。
2009年01月02日
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年末年始は無休で、今日の仕事が今終わったところなので、間抜けだけれど2008年のまとめ。 たくさんの人が亡くなったが、とりわけ堪えたのは「筑紫哲也」「加藤周一」「伊藤和也」この3人。 年末の特番ラジオで天野祐吉さんが的確な追悼コメントをしていて共感した。詳しくはまたの機会に。年賀状書きしなくては・・ 村野瀬さま今年もお世話になります!コメント欄も充実!
2009年01月01日
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明日は大晦日。 ここから薔薇豪城さん の転載です。はじめ『2008年12月30日 このブログを購読する 歳晩その3 [ 現代社会 ] 昨日の東京新聞に雨宮処凛ちゃんが出ていました。 「私の提言」です。 「非正規労働者率が50%もある韓国を8月に取材し、ストライキやハンストをしている人たちに会った。1997年の経済危機でIMFの緊急融資を受ける代わりに構造改革を要求され,98年にできた労働者派遣法で一気に非正規化が進んでいる。」 (中略)(韓国版秋葉原事件のようなものも起き、日本とすごく似ている) 「こうした非正規化はグローバリゼーションの下、世界的に進んでいる。ただ、ドイツやフランスでは非正規社員を守る法律が作られ,日本ほどワーキングプアの問題はない。」 (中略) 「日本の若者は、今回は仕事や住む場所を奪われ、具体的な寒さや飢えに襲われている。それでも「国際競争力のためなら、あの人たち死んでもいいよね」というのが大企業。バッシングを承知でやっており、政治の力でしか動かせない。 麻生太郎首相は大企業のトップに「非正規を切るのはやめろ」とメッセージを発してほしい。」 ☆という雨宮処凛ちゃんの言葉でした。麻生さん、聞いてますか?今こそ人気ばん回のチャンスです! 今朝は、日比谷の年越村で明日から炊き出しをするというニュースが載っていました。もやいのみなさんなどが実行委員会になって行なう「年越し派遣村」です。 31日から、来年1月4日まで、日比谷公園で開設です!!記事は 「年末年始休業のハローワークや福祉事務所の代わりに生活相談を無料で行なうほか、1日3回の食事、寝泊まりができるテントや布団も用意される。 主催する特定非営利活動法人「自立生活サポートセンター、もやい」などの実行委員会は「ここで温かい年越しをしてほしい」と呼びかけている。 運営ボランティアやカンパも募っている。」 ☆とのことです。詳しくは「派遣村ホームページ」へ、とあります。年末年始、家にいても暇だな~という人は、ぜひ日比谷公園へお手伝いに行ってください。いろんな出会いが待っていると思いますよ。 お手伝いする体力、または少しのカンパ、または、「こんな世の中許せな~い」という思い、その3つのうち一つでも持っていけば、すごくいいと思います。 私は、ちゃらちゃらして見えるので、野次馬おばさんみたいで悪いので、行かないでカンパを送ります。郵便局が混んでいるかな? 国会議事堂のそば、厚生労働省の前、日比谷公園にできるテント村って、なんかフランス革命、パリコミューンのパリ市民みたいです。ここを借りるのだって稲葉さんや湯浅さんが大変な折衝をしてくれたんでしょうね。日本中からおいしいさくらんぼを届けましょう。 最終更新日 2008年12月30日 08時46分26秒コメント(2) | トラックバック(0) | コメントを書く タグ: もやい , 雨宮処凛 , パリコミューン 』 以上です。 改めて、年越し派遣村はこちらから。
2008年12月30日
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暮れもおしせまり、いろんな人が今年を振り返っている。まだバタバタしているので、きょう読んだこの記事を借ります。 落合恵子さんは「セイヤング」の頃はあまり好きでなかったけれど、いまこんな文章を目にするととても好ましく思う。押さえた筆致から沸々と怒りが伝わる。何をして生きようと、生きるのはゆるくない。目の前の一つ一つのプロセスをおろそかにしないで、人任せにしないで「とにもかくにも」前にすすもう。 きょうの村野瀬さまは2年前に改悪された教育基本法関連。 今、NHKでは「ジュリー祭り」を放送中!第2部の1曲目に「我が窮状」。
2008年12月27日
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今月はもう余裕の時間はない。気になることは多々あるが、ゆっくり考える時間も書く時間もない。それでも時は過ぎてしまうので、メモくらいはしたい。今日気になった じゅんさんのブログ。12月7日付けが何本かあるが、どれも読み過しできないものばかり。あとで転載したいと思うがとりあえずメモです。
2008年12月07日
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どうもデッサンが正しくない論が多い。瑣末な枝葉を語れば語るほど本質から離れてゆく。しつこいようだがkuronekoさまのこのエントリー。さらッとかいた素描だが、お願いすればきっと重厚な大作の油彩画にしあげてくださると思う。書くならこういう文章を目指したい。
2008年11月12日
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落ち込んでいるが、やっぱり今記録しておかないと。オバマ大統領実現でkuronekoさまのこの記事はぜひ記録したい。リンク先に1963年の奴隷解放100周年の、ワシントン大行進のときのキング牧師の演説の翻訳あり。 暗誦されるような、何十年も語り継がれるような、多くの人の指針となるような「言葉」は確かにある。言葉の力を信じたい。 リンク先のル・モンドの記事は面白い!
2008年11月08日
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夕方のラジオ。不意打ちだった。早すぎる死・・・・・一度は勝利宣言をしたものだった。それがどうして、こんな事になるのだろう。ちょっと眩暈がする。小田実さん、筑紫哲也さん、何でイマなんですか! 朝日com。 関連ニュースは50ほどあったが、最初に見つけたこれを貼っておく。 「変わらぬもの」。と題した 多事争論。 保坂展人どこどこ日記。 追記琉球新報 47ニュース
2008年11月07日
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お題は「くじら」くじらとかけて お子様ランチと解く その心は 日の丸にグリーンピースがついてきます
2008年10月31日
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会ったことはないけど、長い付き合いのうちにはいろんなイメージが湧く。たとえばヨーコさんはクシャナ。トルメキア王国の皇女。アニメでなく、コミックスの方。たとえばクマさんは、長井さん。(ミャンマーで殉職した)村野瀬さまはもちろん自由の女神。自由の旗をうち立てて民衆を率いる、なんてかっこいいんでしょう!kuronekoさまは石川淳。博学で、飄々とした様子。Gedさんは「博士」。例の数学者の博士です。生徒にとって最高の先生。ルートはすくすくと伸びました!Blog bluesさまは楊海(ヤンハイ)さん。「ヒカ碁」で数少ない「大人」の碁打。薔薇豪城さんは、懐の深さは紫式部。でも、全然ちがうところは、あんなに意地悪じゃないところ。心配りは凄いけど、温かみがある!皆さん、勝手なこと言ってすみません・・・・反論などありましたらお知らせください。
2008年10月26日
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ちょっと時間がないので、転載はしませんが、確保!
2008年10月22日
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今回で終わります。楽天の禁止ワードに引っかかる言葉を、ひとつローマ字標記に変えました。 『エリュアールは、「穢れた」(souillée)という語と「獣」(bête)という語を二度繰り返す。彼はそれらの語の 重要性を強調しているのだ。なぜなら、その二語はその若い娘の最も重要な性質を意味しているからである。その二語には不潔さと道徳の欠如という二つの強い 意味が秘められている。エリュアールは「汚されたけれども、汚されたことも理解できない」(Souillée et qui n'a pas compris / Qu'elle est souillée)と言いながら、一つの問いを投げかけている。それはこの詩の最初のいざないに似ている。彼と読者との関係はとても私的で緊密なものであ る。「汚された」(souillée)という語は第一行の最初と第二行の最後に配置されている。これは一つの語の中に二行を封じ込めて強い印象を残すもの だ。この詩でのエリュアールの技法は、女性たちを責め苛んではならなかったと読者を説得するために力を込めて証拠を提示するというものである。最 後の段落はこの若い娘の悲しい状況に私たちを再び導く。女性たちの命の環は「女性」(femme)と「母」(mère)という二語によって完結する。エ リュアールは一人の若い娘について語り、次に一人の母親について語った。エリュアールは、彼女の母親はこの追い詰められたこの娘のイメージを彼女よりも強 く意地悪な力によって守りたいと望んでいると言っている。最後の行で、エリュアールはこの状況の不幸は彼女の母親の不幸であると言っている。しかし、彼女 の母親というのは単に彼女の母親だけにとどまるものではない。なぜなら、エリュアールは最初の行で「女性たる彼女の母親」(ma mère la femme)と言っており、彼女の母親はすべての女性たちという最も大きなカテゴリーの一部であると示唆している。こうして、彼女の母親をフランスのすべ ての女性と娘のための象徴として見ることができるようになる。エリュアールは、この不幸は女性一人一人の不幸であると言いたいのだ。女性たちは現実を詩的 に表現したイメージであるこの「理想的なイメージ」(image idéale)を「やさしくあやし」(dorloter)たいと願っていると彼は言っている。「やさしくあやす」(dorloter)という動詞は非常に 母性的で、女性たちの苦悩を強調している。本当の愛の代わりに「この理想的なイメージ」(cette image idéale)を守る一人の女性、子どもや夫のための自分の愛を苦悩の肖像に置き換える一人の女性をエリュアールは示唆している。エリュ アールは、女性の髪を刈り取ることはもはや無視することのできない大きな問題であると伝えたいのである。これが彼の詩のねらいである。つまり、彼は女性た ちに、彼女たちの姉妹たちの髪を刈り取ることに反対するように呼びかけようとしている。「不幸」(malheur)という語はまた、この詩の最初で使われ た「不幸な女性」(la malheureuse)という名前を示唆している。最後の語句、「地上で」(sur terre)も、二重の意味を持っている。最初の意味は生きている間の「この世」ということである。この不幸はもっと大きな不幸であり、あらゆるところに 生きる女性の不幸である。第二の意味は、この若い娘が「舗道の上」(sur le pavé)、あるいは地べたに倒れていているという、この詩の最初の部分との関連である。この不幸は特にこの若い娘と関連しているので、もっと具体的なも のである。「その気があれば理解せよ」(Comprenne qui voudra)の最後はこの詩の環になった構造を完成させている。最初に、エリュアールはフランス人たちに挑みかけた。この詩の本体は、ある女性について の彼の目撃事例のための証拠を示している。詩の最後では、この若い娘の問題をすべての女性たちに広げて、なぜ彼女のことを無視することがもはやできないの かを説明している。誰からであっても自国民に対して暴力が加えられることをエリュアールは決して受け入れなかった。フランス人たちが他のフランス人たちを その行為によって罰した時、本来最大の敵と闘うために団結することが必要なのに、フランス人が二つに分断されてしまったとエリュアールは思っていたのだ。(翻訳引用ここまで)長い記事をお読みいただきましてありがとうございます。これだけでは何のためにこれだけの手間をかけて訳したかピンとこない人もいるかもしれないと思いますので、あえて個人的な思いの一言を付け加えたいと思います。高 遠さんや今井さんや郡山さんといったイラクでの日本人人質に向けられた恐ろしいまでの非難や罵倒、マスコミで煽られるある種の殺人犯と担当弁護士たちへの 過剰なまでの憎悪、沖縄や岩国での米兵による[goukan]の被害者女性に向けられた非難のことを思います。あるいは、少し状況はちがいますが、集団的暴力に歯止め のきかない状態であったある相撲部屋での「かわいがり」や、自衛隊内での「はなむけ」のことも思います。そ れらのことは、ナチスドイツへの憎しみが高じて、衆を頼んでこの同国人女性の服を破り、殴り、丸刈りにして路上に放置した1944年当時のこのフランス人 群衆のことを思わせました。彼らは自分の行いを正義と信じていたのでしょうが、エリュアールはこの詩を通じて彼らの行いに異議をとなえたのです。私 自身は改めて、このような一方的で暴力的な集団的狂気(fanatisme)には決して加わらないと自分に誓います。こういう文学作品に長い間触れると、 集団的暴力に加わりたくないという歯止めの感情が自然に自らの中に肉体化されずにはいられないと思うのです。こういう文学作品が残っている社会には、集団 的誤りへの歯止めが残っていると思うのです。』 以上でした。 分割しない本記事はこちらで・・・
2008年10月21日
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続きです。『このページには、詩だけではなくて、ていねいな解説も載せられています。フランスの歴史や当時の情景を知らないとピンとこないかもしれない詩句まで一つ一つ解説しているので、訳してみることにします。(あ、もちろん、私も当時の情景は知りませんけど...。)ポール・エリュアールは20世紀前半の非常に重要な詩人であった。二つの第二次大戦の間に発表された彼の詩はフランス民族の価値と自由の大切さを強調していた。しかも、彼はサルバドール・ダリ、アンドレ・ブルトン、ルイ・アラゴンとともに超現実主義(シュールレアリスム)運動に参加していた。また、彼はピカソ、マックス・エルンスト、マン・レイの友人でもあった。彼の詩はその率直さとその明晰さで多くの人に感動を与えている。ポー ル・エリュアールは「その気があれば理解せよ」を1944年に発表した。この詩は、『ドイツ軍の集合地にて』(Au rendez-vous allemand)と題された一群の詩の一つであった。しかし、この詩「その気があれば理解せよ」だけはそれ以外の詩とは異なっている。それは、エリュ アールがフランス人への激怒を表現しているからである。彼は対ナチスドイツ協力者の粛清の間に髪を刈り取られて丸刈りにされた女性たちをこの詩のテーマに している。「丸刈りにされた女性たち」とは、ナチスに協力したりナチス高官と「寝た」ために「罰せられた」女性たちのことである。それは、フランス人に対 する、フランス人による暴力の儀式であった。しばしば、レジスタンス運動家自身によってその暴力行為はおこなわれた。ここでは、エリュアールはナチスへの 怒りは表明していない。彼はただ、フランス人への暴力はこれ以上必要ではないと示唆しているだけである。特に、フランス人が自らの国の人々に暴力を向けて いるならば。エリュアールは、もちろんナチスを嫌っていたが、女性たちへの同情も抱いていた。彼はいつも女性たちの苦しみを理解していた。母親や娘や(ナチスドイツの)愛人(だったフランス人女性)たちが戦争の間に失ったものがいちばん多かったと彼は信じた。このテーマは、フランス人女性たちに対して加えられた暴虐を語るこの詩の全編にわたってはっきりしている。こ の詩の前に、エリュアールは、自分の詩を紹介しその意味をはっきりさせるための短い一節を書き加えており、そこに彼の落胆ぶりが明らかに示されている。彼 は、本当に罪ある責任者はナチスなのに、ナチスが責められるのではなく、女性が虐待されていたと言う。この詩のそれ以降の部分はその女性たちの濡れ衣を晴 らすためのものだが、エリュアールはここに本当の犯罪性が存するという彼の信条を表現している。彼は過去形を使い、戦争中の行為と戦争の後の行為を分けて いる。丸刈りにされた女性たちはそれによって歴史的存在、歴史と戦争の犠牲者となるのである。この詩の最初の一行はこの詩の題名でもあ り、この詩へのいざないであるが、ひょっとしたら、挑戦かもしれない。「その気があれば理解せよ」とエリュアールは言い、そして、聞くことを求める。当 時、政府の人間だけではなく、多くのフランス人たちが女性たちを丸刈りにした。そこで、エリュアールはすべてのフランス人に向けてこの詩を書いたのであ る。題名と最初の一行はあらゆる人に向けて開かれている。最初の一行から、彼はフランス人たちに対して、「考えを変えよ。彼女たちを断罪することなく、当 時彼女たちが必要としていたことと彼女たちの行いを受け入れよ」と挑む。このいざないの後、彼は自分の「悔恨」を語る。彼自身の声で語ることが有用なの は、彼の言うことに耳を傾け、彼の気持ちを分かちあうようにいざなうという考えがあるからである。さらに、エリュアールは、彼の悔恨がフランス人たちが止 めようとしたナチスの暴力に向けられているのではないと言おうとしている。彼の悔恨は、フランス人によるフランス人への暴力に向けられているのである。そ の後、彼は、丸刈りにされて路上に放置された一人の女性を見た個人的経験を語る。彼は彼女のことを描写するのに、短く単純な行の中で悲しい言葉を使ってい る。彼はその娘を「不幸な女性」(la malheureuse)と呼んでいる。これは、この状況の特徴である悲哀と絶望を示している。続く数行が表現しているのはこの女性の性格である。彼女は 「思慮ある」(raisonnable)犠牲者であり、そのことは、彼女の行ないの理由が理性的で人間的であることを示している。彼女の衣服は「破かれ」 (déchirée)ている。ふつう、犠牲者の女性は丸刈りにされるときは半裸または全裸にされたものである。その不幸な女性は「迷子になった子ども」 (enfant perdue)のようで、歳若く、無力な存在である。エリュアールは彼女が犠牲者であると強調している。続く二つの形容詞は韻をふみ、彼女の美しさが破壊 されたことを示唆している。彼女は「冠を奪われ」(découronnée)、社会の中での自らの価値と居場所を失っている。彼女はナチスドイツに協力し たりそのことで丸刈りにされたりしてその美を失ったのかもしれない。しかし、その組み合わせは彼女の名誉にとって確実に致命的であった。彼女はまた、(殴 られて)「歪んだ顔にされ」(défigurée)ているが、その言葉は彼女の名誉が失われたことを示唆しているだけではなく、物理的暴力があったことも 示唆している。この暴力は二つのことを示しているのかもしれない。一つは、彼女がナチス高官と「寝た」という仮定、もう一つは、彼女が公衆の面前で暴力的 に丸刈りにされたときのことである。したがって、エリュアールは、この二カ国、この戦争の敵どうしが一人の娘を陵辱したと言っているのかもしれない。エ リュアールは続ける。服を破かれて舗道の上に放置された「彼女は死者に似ている」(ressemble aux morts)と。たとえ彼女がナチスによって冠を奪われて(殴られて)「歪んだ顔にされた」のだとしても、彼女を死者に似せるようにしたのはフランス人た ちだったことに疑いはない。さらに、彼女は「愛されたゆえに命を落とした」(qui sont morts pour être aimés)ようなものである。そのことは、彼女が似たような理由で「死んでいた」ことを示している。フランス人たちが彼女を「殺した」のは、たぶん、彼 女がナチス高官と寝たからだろうが、彼女は「愛されている」と感じるためにそうしたのかもしれない。戦争は誰にとっても困難なことであった。エリュアール は対ドイツ抵抗運動の価値を信じたが、同時に、彼は愛の大切さも信じていた。彼にとって愛とはいつも特別なことであり、この歴史的瞬間をかえりみることな く愛さなければならないのである。しかし、この女性は、そんなに単純ではない。彼女はまた、ナチスの犠牲になったフランス全土を表してい るのかもしれない。つまり、一つの暴力の階層があるのだ。ナチスがフランス人たちを陵辱し、フランス人たちがこの女性を陵辱した。もし、この娘がフランス であると考えたら、これらの人物たちの二つの側面を見ることになる。もしこの若い娘がナチスに協力したのなら、彼女には正当性はたぶんないであろうが、彼 女を責め苛む前に彼女の理由を理解しなければならない。多くの場合、丸刈りにされた女性は、政治にかかわることのできない娼婦であった。彼女も食べていか なければならなかったのである。同様に、フランスという国も、より力の強かったナチスの支配を受け入れなければならなかった。彼らは抵抗してはいたが、生 き、食べていかなければならなかったのである。それなら、もしこの不幸な女性がフランスを表しているとしたら、ナチスがその価値を破壊したことは明らかで ある。「冠を奪われた」(découronnée)という語は、この女性がフランスの象徴であることを強く示唆している。フランスは歴史的には強力で巨大 な君主国であり、そのイメージを本当に破壊したのはナチスである。ナチスはフランスの栄光と壮麗さを奪い去った。ナチスはまた、長い間仏独二国の間で争い の対象であったアルザス地方を占領してフランスを歪めた。第一段落の最後の語句は、祖国と自由のために死んだフランスの兵士たちのことかもしれない。彼ら は愛されたがゆえに命を落としたと言うこともできるかもしれない。なぜなら、彼らは祖国と自由への愛のために、そして、続く世代が生きて愛することができ るようにするために死んだからである。第二段落は、陰気な雰囲気の三行から成り立っている。「一輪の花束が添えられて 覆われた」 (faite pour un bouquet / Et couverte)一人の若い娘は、死という考えを表している。しかし、その若い娘の死には立派な埋葬をする価値がなかったのである。彼女の人生すべては 一輪の花束の価値しかなかったのだ。そのうえ、彼女は豊穣な土で覆われているのではない。普通の埋葬ではなくて、彼女は舗道の上に打ち捨てられ、「暗闇か ら吐かれた黒い唾で」(noir crachat des ténèbres)覆われているのである。唾とは、不名誉の中で迷子になった彼女を尊重する気持ちが(当時のフランス人には)欠けていたことを示してい る。反対に、続く段落は彼女が「みやび」(galante)であると言っている。そこで、彼女の運命が不当なものであることをエリュアー ルは強調している。彼は彼女を「5月1日のオーロラ」(une aurore de premier mai)、つまり、大きな希望を示す天気にたとえている。5月1日は労働者の祭典(メーデー)であり、歴史的に、無産階級や普通の人々によって祝われる日 である。5月1日のオーロラはフランス人全員にとって多くの希望の瞬間を示す。なぜなら、それは彼らにとって勝利の日の始まりだからである。この日は、フ ランス人全員にとっても世界中の人々にとっても、新しい平等の始まりを象徴している。最後の行で、エリュアールはこの若い娘を「とても愛らしい獣」(la plus aimable bête)にたとえている。「獣」(bête)という言葉は、たぶんその娘をナチス高官との性的関係に導いた性的本能を示唆している。同時に、この語は彼 女の無垢さと無力さを示唆している。獣という発想はその次の段落でも続く。エリュアールは彼女を「罠に落ちた獣」(une bête prise au piège)と呼び、彼女の純朴さと無垢さを示唆しつづける。もしこの若い娘をフランスの象徴と見るなら、フランスにとっての「罠」(piège)とはヒ トラーの沈静状態であったと言うこともできるだろう。ペタン元帥は 強制労働の労役を若いフランス人たちに与えようとしていたが、実際は、やり取りがヒトラーの罠だったのである。「汚された」(souillée)という、 美の破壊という発想を示す語は第一段落の発想の続きである。かつて彼女は美しく、無垢で純粋だった。しかし、彼女はナチスとフランス人に同時に陵辱された のである。彼女は堕落した、穢れた存在になった。最初の二行の形式にも意味があるのである。』さらに続く
2008年10月21日
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転載です。村野瀬さまは、秘書として八面六臂の活躍ですが、今日のような仕事が私はいっとう好きです!長いので、3分割になります。保存版ですよ。はじめ。 『 狂信的集団暴力への抵抗: ポール・エリュアール(フランスの詩人) (不定期連載『異議申し立てのための文化的インフラ』) ジャンル : 学問・文化・芸術スレッドテーマ : 自由への道程 『異議申し立てのための文化的インフラ』シリーズ、今回は、ポール・エリュアール(Paul Eluard)というフランスの詩人の話をさせてください。●Wikipedia 「ポール・エリュアール」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%ABhttp://fr.wikipedia.org/wiki/Paul_%C3%89luardポール・エリュアール(Paul Éluard、(1895年12月14日 - 1952年11月18日))は、フランスの詩人。ダダイズム、ついでシュールレアリスム、の運動を盛り上げた一人。反ファッショ、レジスタンスの闘士、そして『愛』を多くうたった。(引用ここまで)以前何度か取り上げた、ルイ・アラゴンとも交流があった人です。ポール・エリュアールの作品のいくつかはこちらで読むことができます。●大島博光の詩と訳詩を読むポール・エリュアールhttp://www.geocities.jp/oshimahakkou/eluard/eluard.html「自由」という詩が特に有名です。フランスでは大部分の生徒が習うんじゃないかな。この詩を知らないのはフランス人のモグリ、みたいな。「よき正義(法則)」という詩もすばらしいです。興味ある方はリンク先でお読みになることをおすすめします。「二十面相の娘」というアニメでさりげなく(公式サイトのトレイラーで)使われてもいるんですよね。オタク文化に理解のあるという麻生太郎氏は知っているかどうか知らないですけど。参考→ http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E4%BA%8C%E5%8D%81%E9%9D%A2%E7%9B%B8%E3%81%AE%E5%A8%98%E3%80%80%E3%82%88%E3%81%8D%E6%AD%A3%E7%BE%A9&lr=今 回紹介したいのは、残念ながら大島博光さんのサイトには載っていない、だからこそここで紹介したい、「その気があれば理解せよ」(Comprenne qui voudra)という1944年、フランスがナチスドイツのくびきから解放された直後の作品。第二次大戦でドイツが敗北した時、ナチスドイツに「協力」し ていた同国人やナチスドイツの将校の「愛人」だった同国人女性たちをフランス人たちが集団リンチしていた情景を悲しみをもって見つめている詩です。こちら↓に解説付きで原詩が載っています。まず原詩を訳してみましょう。http://www.french.pomona.edu/MSAIGAL/CLASSES/FR102/SPRING02/Alejandra/Paul%20Eluard.htmその気があれば理解せよ (Comprenne Qui Voudra)ポール・エリュアール (訳 村野瀬玲奈)【その時代、本当に罪ある責任者が責められるのではなく、女性が虐待されていた。彼女たちの頭髪を刈り取って丸刈りにするまでに。】その気があれば理解せよ 私の悔恨、それは舗道の上に取り残されたその不幸な女性 服を破かれた思慮あるその犠牲者 迷子になった子どものようなまなざし冠を奪われ、顔が歪んでいる愛されたゆえに命を落とした死者に似た彼女 一輪の花束が添えられて暗闇から吐かれた黒い唾で覆われた娘 5月1日のオーロラのようにみやびな娘 汚されたとても愛らしい獣汚されたことも理解できない獣罠に落ちた獣美を愛でる者たちの罠そして、女性たる彼女の母親はこの地上の彼女の不幸のこの理想的なイメージをやさしくあやしたいと願っている(翻訳引用ここまで)』つづく
2008年10月21日
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村野瀬さまの転載です。 文字数制限で半分くらいだけ・・・はじめ 「ノーベル賞学者の平和主義 ジャンル : 政治・経済スレッドテーマ : 戦争・原爆 日本からノーベル賞受賞者が出たことを喜ばしいとするなら、今回は二重の意味で喜ばしいニュースだと思います。それはなぜ?海舌さんがトラックバックで知らせてくれた毎日新聞の記事を紹介します。●『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsuhttp://blog.kaisetsu.org/?eid=686543<ノーベル物理学賞>反戦語る気骨の平和主義者…益川さん10月8日10時35分配信 毎日新聞中略こういう益川敏英先生の姿勢を日本の誇るべき古き良き伝統として根付かせようとすることに私は異存ありません。ところが、一部の「政治」ブログでは、益川先生を「反日」扱いしていてびっくり。...はあ。『反戦歌「脱走兵」は、「従軍した者」への侮辱ではない。 (ボリス・ヴィアンの公開書簡より) (不定期連載『異議申し立てのための文化的インフラ』)』に出てきた、アインシュタインの言葉の部分だけこちらにも転載しておきましょう。軍事優先主義思想、国家主義に対する強烈な批判が込められた一節です。「こ の話題が出ると、私は最悪の人間について語らなければならなくなる。それは軍事政体の武装した群衆という人間である。私はそれを嫌悪している。音楽に乗っ て隊列を組んで喜んで行進できる者を私は心から軽蔑している。そのような者が頭脳を得たのは何かの間違いでしかありえない。そのような者にはおおむね脊髄 だけで十分なはずである。できるだけ早く、文明からこの恥を消さなければならないはずである。命令に応じて発動される英雄的行為、愚かな事実の道筋、国家 主義という厄介な心性、これらすべてを私がどれだけ憎んでいることか。どれほど戦争が醜悪で軽蔑に値することであるか。私は戦争というこのような悲惨な行 為に加わるくらいなら八つ裂きにされたほうがましである。そういうことすべてにもかかわらず、私は人類についてとても良く思っているから、もし諸民族の良 識が一貫して腐敗していないとしたならば、学校教育によって、報道によって、政界と実業界の当事者によって、戦争というこの幽霊はずっと前から消え去って いたはずだと確信している。」(引用ここまで)「そのような者が頭脳を得たのは何かの間違いでしかありえない。そのような者にはおおむね脊髄だけで十分なはずである。」の一節、ちょっとすごすぎです。国家主義に対する批判も容赦ありません。それから、ついでと言ってはなんですが、今回ノーベル賞を受けた三人の科学者の出身大学である名古屋大学には、こういう平和宣言があるということも偶然知りました。■名古屋大学平和憲章http://www.nagoya-u.ac.jp/out/heiwa.html名古屋大学平和憲章 わが国は、軍国主義とファシズムによる侵略戦争への反省と、ヒロシマ・ナガサキの原爆被害をはじめとする悲惨な体験から、戦争と戦力を放棄し、平和のうちに生存する権利を確認して、日本国憲法を制定した。 わが国の大学は、過去の侵略戦争において、戦争を科学的な見地から批判し続けることができなかった。むしろ大学は、戦争を肯定する学問を生みだし、軍事技 術の開発にも深くかかわり、さらに、多くの学生を戦場に送りだした。こうした過去への反省から、戦後、大学は、「真理と平和を希求する人間の育成」を教育 の基本とし、戦争遂行に加担するというあやまちを二度とくりかえさない決意をかためてきた。 しかし、今日、核軍拡競争は際限なく続けられ、核戦争の危険性が一層高まり、その結果、人類は共滅の危機を迎えている。核兵器をはじめとする非人道的兵器のすみやかな廃絶と全般的な軍縮の推進は、人類共通の課題である。 加えて、節度を欠いた生産活動によって資源が浪費され、地球的規模での環境破壊や資源の涸渇が問題となっている。しかも、この地球上において、いまなお多 くの人々が深刻な飢餓と貧困にさらされており、地域的および社会的不平等も拡大している。「物質的な豊かさ」をそなえるようになったわが国でも、その反面 の「心の貧しさ」に深い自戒と反省がせまられている。戦争のない、物質的にも精神的にも豊かで平和な社会の建設が、切に求められている。 今、人類がみずからの生みだしたものによって絶滅するかもしれないという危機的状況に直面して、われわれ大学人は、過去への反省をもふまえて、いったい何をなすべきか、何をしうるか、鋭く問われている。 大学は、政治的権力や世俗的権威から独立して、人類の立場において学問に専心し、人間の精神と英知をになうことによってこそ、最高の学府をもってみずから を任じることができよう。人間を生かし、その未来をひらく可能性が、人間の精神と英知に求められるとすれば、大学は、平和の創造の場として、また人類の未 来をきりひらく場として、その任務をすすんで負わなければならない。 われわれは、世界の平和と人類の福祉を志向する学問研究に従い、主体的に学び、平和な社会の建設に貢献する有能な働き手となることをめざす。 名古屋大学は、自由濶達で清新な学風、大学の管理運営への全構成員の自覚的参加と自治、各学問分野の協力と調和ある発展への志向という誇るべき伝統を築い てきた。このようなすぐれた伝統を継承し、発展させるとともに、大学の社会的責任を深く自覚し、平和の創造に貢献する大学をめざして、ここに名古屋大学平 和憲章を全構成員の名において制定する。一、平和とは何か、戦争とは何かを、自主的で創造的な学問研究によって科学的に明らかにし、諸科学の調和ある発達と学際的な協力を通じて、平和な未来を建設する方途をみいだすよう努める。 その成果の上に立ち、平和学の開講をはじめ、一般教育と専門教育の両面において平和教育の充実をはかる。 平和に貢献する学問研究と教育をすすめる大学にふさわしい条件を全構成員が共同して充実させ発展させる。二、大学は、戦争に加担するというあやまちを二度とくりかえしてはならない。われわれは、いかなる理由であれ、戦争を目的とする学問研究と教育には従わない。 そのために、国の内外を問わず、軍関係機関およびこれら機関に所属する者との共同研究をおこなわず、これら機関からの研究資金を受け入れない。また軍関係機関に所属する者の教育はおこなわない。三、大学における学問研究は、人間の尊厳が保障される平和で豊かな社会の建設に寄与しなければならない。そのためには、他大学、他の研究機関、行政機関、産業界、地域社会、国際社会など社会を構成する広範な分野との有効な協力が必要である。 学問研究は、ときの権力や特殊利益の圧力によって曲げられてはならない。社会との協力が平和に寄与するものとなるために、われわれは、研究の自主性を尊 重し、学問研究をその内的必然性にもとづいておこなう。学問研究の成果が人類社会全体のものとして正しく利用されるようにするため、学問研究と教育をその あらゆる段階で公開する。 社会との協力にあたり、大学人の社会的責任の自覚に立ち、各層の相互批判を保障し、学問研究の民主的な体制を形成する。四、われわれは、平和を希求する広範な人々と共同し、大学人の社会的責務を果たす。 平和のための研究および教育の成果を広く社会に還元することに努める。そして、国民と地域住民の期待に積極的に応えることによって、その研究および教育をさらに発展させる。 科学の国際性を重んじ、平和の実現を求める世界の大学人や広範な人々との交流に努め、国際的な相互理解を深めることを通じて、世界の平和の確立に寄与する。五、この憲章の理念と目標を達成するためには、大学を構成する各層が、それぞれ固有の権利と役割にもとづいて大学自治の形成に寄与するという全構成員自治の原則が不可欠である。 われわれは、全構成員自治の原則と諸制度をさらに充実させ、発展させる。われわれは、この憲章を、学問研究および教育をはじめとするあらゆる営みの生きてはたらく規範として確認する。そして、これを誠実に実行することを誓う。(1987年2月5日 名古屋大学豊田講堂にて制定宣言)(転載ここまで)科学的思考と理性の声が軍事優先主義や国家主義に明快に反対していることに勇気がわいてきます。なお、最初のところで「日本からノーベル賞受賞者が出たことを喜ばしいとするなら」という書きかたをしましたが、本来、研究者の偉大な成果が日本のために喜ばしい、のではなくて、人類のために喜ばしい、ということであるべきだという意味です。...と記事を書いて公開の順番を待っていたら、「大脇道場!」さんが現在の日本の「基礎研究軽視」の政策への警鐘を鳴らしながら良い記事を書いていらっしゃいますので、リンク。●大脇道場!NO.642 ノーベル賞4人受賞の快挙の教訓は?http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-704.htmlまた、益川先生が京大基礎物理学研究所の所長だった当時、国立大学の独立行政法人化に反対する運動「独法化阻止全国ネット」に益川さんが賛同者として名前を連ねていらっしゃったそうです。ペガサス先生のブログを見てください。●ペガサス・ブログ版2日前に講演を聴いた人がノーベル賞をhttp://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2008-10-07-1明月さんの橋下徹批判も苛烈。●反戦な家づくり橋下徹はノーベル賞益川氏らの言葉を聞けhttp://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-621.html」ここまでです。 コメント欄も面白いので読みに行くことをお勧めします。
2008年10月15日
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今日の国会はアソーさんの所信表明に各党の質問。小沢さんのところは聞き逃した。面白かったのは鳩山由紀夫氏。政治家は喋りが肝心。充分 堪能しました。 ラジオと言えば、この前の日曜喫茶室。落合恵子さんが、仕事の「本」の関係でアメリカへいった話をしていた。ポートランドの「パウエルズ」という本屋の話。 msn journal 。ポートランドと言えばル=グウィンと思っていたら、案の定パウエルズには時々ご本人がひょっこり現れるということ!こんな本屋、近くにあったら良いなぁ!!
2008年10月01日
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今日のラジオに、溝本定子さんが出て、子供たちに論語の素読を教えている話を聞いた。この方、安岡正篤さんのお孫さんだそうだ。論語の中で、子供たちに一番人気のフレーズは 「巧言令色、鮮矣仁」 (こうげんれいしょく、すくなし、じん) これだそうだ。解説は、「言葉巧みで顔つきもにこやかな人物にかぎって、徳の少ないことが、おうおうにしてある。うわべだけで人を判断してはならないことの戒め。詐欺師に限って、ヘラヘラ口であるし、愛想もよい。そんな人間に引っかかると、後悔してもしきれない。心して、人物を見極めよ。」 子どもたちなかなかやるなぁ・・・今日のアソー総理の所信などは巧言というにはあまりにトンデモで、 引っかかりようも無いか・・・井上メールを参照。
2008年09月29日
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「十五夜の豆ぬすみ(十五夜に各家庭が御供えした豆や菓子などを子どもたちが盗んで歩く。どの家庭でも子どもたちが盗みやすい縁側などにお供え物を置き、子どもたちのやってくる家には福が宿ると言い伝えられている)」何だかハロウィンを思い出すが、子供たちがぞろぞろとうち揃って、お供えのお菓子を盗んで歩くというのが良い!!これは今日ラジオで聴いた、岩手県は沢内村の話。お月見団子ばかりじゃない、いい感じだね。大人公認で、貰うんじゃなくて盗むというのが面白い。残って欲しいねこういう風習!
2008年09月15日
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はじめに、井上議員のメール。総選挙の前哨戦としては上々の滑り出しです!イブキ氏の地元だそうです。 村野瀬さまでは、自衛隊は国民を守らない話。 実生活はナカナカにしんどい毎日。ぱーっと爽快になれるような音楽は何だろうと考えたら「LonelyWoman」が浮かんだ。 でも、LPしかないからすぐかける訳にいかないなぁ・・・CDで有るもので何か、と思いながら夫に任せたらかけたのが「至上の愛」!あーこれは聴く”時”を選ぶ音楽の最たるもの・・・・ そして、今日は最適のタイミングだった!LonelyWomanの替りとして最高だ。生前にLiveで聴きたかったナンバー1か2だ。 (もうひとりはマイルス)
2008年09月07日
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県立美術館へ、モジリアニ展を見に行った。 平日なので空いていてゆっくり見られた。
2008年09月05日
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福田総理の突然の辞任で明日の朝刊トップはそれになるのかもしれないがこちらの方こそしっかり記録したい。ヨミウリ。 アサヒ。 マイニチ。 天皇の最初のアクションの功でやかましい外野の声は聞こえない。ご両親の気丈なコメントには胸が詰まったが、ネットニュースには省略されていたお母さんの言葉・・・・・「皆さんが立派だとかなんとか、今になって褒めてくれますが、親に骨を拾わせるなんて親不孝だ。1日でも長く(親よりも)生きてくれなくては。 ばかやろう!と怒ってやりました。」こんな風なことを搾り出すように言われた。伊藤さんの写したアフガンの子供たちは美しい笑顔を見せていた。女性や子供の写真を外国人にはなかなか撮らせないのだという。
2008年09月01日
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じゅんさんの転載です。この記事だけでなく、できれば前後も読んでください。 はじめ。「2008年08月31日 一兵卒たりと、出さない。 [ カテゴリ未分類 ] 天皇の名代が伊藤さんの家に来たそうや。 若干31歳の若者のところにな。 大胆なことしたな。よめさんが言うたんやろけどな。 アメリカに遠慮して、知らん顔しとった政府もあと大変やろ。 「海外派兵」やインド洋の自衛隊アメリカ給油のことね。 もうこんなことは、続けられん、と、はっきりいうたらなアカン。 彼は、日本の良心やった。 これぐらいのことして、当然や。 歌舞音曲もやめたらしいな。 総理大臣死んでも、知らん振りなんが、今回は、特別や。 これぐらいのことせんと、国民が黙ってヘン、自分らの地位も危ないとおもたんやろ。 政府の意見が全てやない、国民もっと頑張らんかい、いうエールのようにも、取れるわ。 ―そうやな、平和の象徴としての国民の総意、という意味で、政府と違う天皇、っちゅうもん、利用できる、と生まれてはじめて、おもたわ。 でも、そのままとっていいか・・保守政治が、逆の利用をするんじゃないかって、心配・・ きのうは悲しくて、なんも手につかんかったけど、 そや、みんなで、喪に服して、伊藤君のことを大声上げて泣こう。 そんで、どうしたら、伊藤君の遺志をまっとうできるか一晩胸に手を当てて考えたらいいんや。 政府の言葉になんか騙されずに。 ペシャワール会は、現地で事業を継続する、と誓った。 わたしたちは、ここ日本で、何をしたらいい。 あなたの遺志を全うするために。 わたしは、今後、一兵卒タリとも、海外へ出させん。 アーも、ウーも言うてられへん。 そう、伊藤君に誓う。 自衛隊を出したら現地NGOが危ない、とわかっていたのに「でてしまった」と政府の逸脱行為を結果的に許した我々が悪い。 命の危険に晒されることを、ひしひしと感じていたあなた方の危機感を我がこととせず、 許してしまったわたしたちが悪い。 事の重大さを、肌では感じず、あなたを殺してしまった。 あなたは一億人のなかのひとり、掛け替えのない人だった、 勇気のない私などより、よっぽど大切な人だった。 それを、支えてあげれんかった。 外で、平和を作るひとあれば、うちでそれを裏付け支える保障が、車の両輪のように必要なのだ。」以上です。 関連ニュース。東京新聞。 毎日。
2008年08月31日
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色々あった北京オリンピックが終わった。なんとなく見ていた閉会式に・・・・・白髪ですっかり丸顔になったジミー ・ページが登場!太ったのは知っていたが、あまりの変りように唖然とした。ホウルロッタラブを演奏したので団塊近いアナウンサー氏は興奮気味だった。次回はロンドンなんですね。ベッカム何ぞよりこっちが嬉しい人選ではありました。
2008年08月25日
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http://s02.megalodon.jp/2008-0824-2156-01/www.asahi.com/special/08009/TKY200807180307.html?ref=reca 野茂に関する記録の記事を見つけたので、残しておく。リンク色々。
2008年08月24日
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女子マラソンは意外な人が優勝。ヌデレバは流石の強さだった。スタイルも抜群ですね・・・ラジオ解説の増田明美はちっとも面白くない。テレビの方は有森裕子で、こちらの方が数段的を射た解説だった。どうも、スポーツ解説の質が悪いのが多い。二宮清純は別格としても、まともに聞く気がするものが少なすぎる。 選手経験者がいい解説ができるとも限らない。有森さんと、松岡修造は最近気に入っている。 松岡は暑苦しいと思っていたが、先日の北島のインタビューで見直した。
2008年08月17日
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バタバタしていておそくなってしまったが、どうしても記録しなければ。この記事はリンク先、特にえぼりさま方を必読です。 しんみりしましたが、読んでよかったと思います。 その他平和宣言など記録の必要なものばかり。毎度ありがとうございます!(村野瀬さまへ)
2008年08月16日
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石井は新しいタイプの柔道家なのだろうか。色々な報道を見た。一つ目。二つ目。 三っ目。
2008年08月16日
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あと150で10万アクセスです!そこで、10万アクセスを踏んだ方、又は99999アクセスの方、お知らせください!楽天ブログなら良いですがそれ以外だと特定はむづかしいので自己申告をお願いします。前回88888は不明でした。今回は何か記念品をお送りしたいと思います。わくわく。 村野瀬さまはフランス原発事故関連。
2008年08月01日
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