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明日から小生84歳になります。 思えば小生、いままでいたずらにこの84年間馬齢(なんで馬齢というのでしょう 馬に対して失礼ではありませんか。馬だって一生懸命に人間以上に頑張って生きている 馬だっているのです。)を重ねて生きてきました。 おそらく、これからも後何年生きるかわからないが今と同じような生活をつづけて 生きてゆくことでしょう。大多数の人々と同じように。 昭和7年の2月5日秋田県は北秋田郡大館市の近郊(正確には北秋田郡七日市村字 嶋35番地)に生まれ、四男として父忠嗣が出生届を出したと戸籍簿にはある。余談 だが当時は多産だった。成年時まで生きていた兄弟姉妹は6人、今は姉、小生、弟の 3人が生存している。 明日は小生の84歳の誕生日ということでささやかな誕生日パーテイを私たち夫婦 と姉夫婦,姪の5人で近くの焼き肉店で開く予定。 少年時代の時と比べればまあったくありがたいご時勢と言わねばならない。 幸いというか戦前、戦中、戦後の時代を生き抜いてくることができた。 この間のわが祖国日本は大変な転換を敗戦によって余儀なくされた。 民主化日本の誕生によって今日の日本がある。 いまも民族間の対立、主義主張の異なることによる熾烈な対立感情が現存する。 今日はここまで。
2016.02.04
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近況報告 十一月十八日水曜 サイキンスッカリゴブサタ(ミナサンニ),実はちよっとした家庭内の事件があって忙しくしていたものですからブログも書きそびれていました。事件というのは家内が部屋の中で転倒して体をテーブルに当ててしまい肋骨に四か所ばかり骨折してしまいました。肺に血液も少し出血しましたが、それは今は吸収されてなくなりました。 というわけで病院の医師はあとは家庭内で安静にしていれば良くなると言ってもらえたのですがいまは大事を取って市内の泉地区にある「やすらぎの郷」という施設にショートステイさせています。 そんなわけでお互いに一人暮らしです。私もその間内外の家事や食事の支度をせねばならずちょっと弱っています。あとは日数が経過するのをまつばかり。 人間生きていればいろいろあるものですね。これも自分の不覚と悟り反省しておりまする。まあこんな状況のなかで暮らしております。
2015.11.18
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10月24日の日記 たったいまブログを書いたがどう云う訳か消されてしまった。 何度も書いているがブログ書きには難渋してしまう。 書き直し! 十一月も後僅か。いよいよ厳しい冬に入る。小生も83歳10か月の 年齢となった。厳しい人生の最後の期間を迎えている。 年を取ると心身の欠陥があちこち見えてくる。現に持病とともに心身の 衰えが目に見えてではじめてきた。まずは足から。市立病院の坂を歩き病院内 各階を歩行しただけで翌日、 膝腰が痛くなる。治るのにまる二日かかる。 昨日は友人の神田が碁を打ちに来た。我々のルールは続けて三敗すると一目置く というルールだ。お互い勝ったり負けたり実力伯仲といったところだ。以前は 小生が優勢だったがこの頃は旗色が悪い。いまは後一勝すると黒先というところで時間 切れ。次回に望みをかけているところだ。 今晩夕方、次男が仙台から帰秋する予定だ。母親の見舞いをかねて帰ってくる。 ヘルパーの元締めをしている今野さんが家内のアクシデントの実情をおs
2015.10.24
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>近況と心情報告 ながらくご無沙汰しました。近頃は在宅していても家内の世話というかケアが 気にかかりなかなかブログを書く気になれず今日に至ってしまいました。 いままでも何度か書いたのですが突然消されてしまいほんとうに腹立たしい限りです。 網書くのはやめようかと思っています。 おわり
2015.10.21
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いよいよ今年も九月 毎年思うのですが八月は速く過ぎますね。 いよいよ秋の始まりです。 例年感じるのですが八月って速いですね。秋の夜長は何をしたらよいのでしょう。 若い時だったら小生の場合は車で遠出の時、行楽、魚釣り、キノコ採り。それに 読書、物思う秋、何でも来い。の季節ですよね。それが小生何もできなくなりました。 家内の病気のせいです。寂しがりで日中でも一人で家におれないのです。 これには全く参ります。病気のせいだとわかっていてもなかなか納得できません。 日中外出できないのは本当に辛いし健康にもよくありません。 でも、これも運命だとあきらめるしかありません。 今日は友人の神田君がきて碁を打ちました。今日は惨敗、次回からは黒先になりました。 気をとりなをして来週がんばろう。今晩は珍しいことに家内が大人しく一人で寝て くれたのでこのブログが書けました。虫が鳴いています。秋ですね。 終り
2015.09.02
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近況報告 最近、毎日のようによく夢を見ます。ほとんどは現職時代の職場の夢とか ですが趣味だった魚釣りとか山菜とりの夢も見ることもあります。 教科指導では発声指導がうまくできた夢なども見ることがあります。 芭蕉ではないけれども「夢は荒れ野を駆け巡る」といった状況ですね。 夢心理学の学者先生に相談しなければならないような夢でもありません。 夢はすぐ忘れてしまいます。書き留めるとなると一定の努力が必要となり 増す。とにかく、女房のぶんまで家事、買い物などをしてそのほかに家内の 子守りまでしないといけないので自分の時間が少なくなってそれが打撃です。 年老いると意志力、実行力ともに薄弱となり思いがけなかった家族の病期 などがそれに加わり老人生活も容易でないな、という気がひしひしと身に 伝わってくるという心境が現在の小生の状況です。 今日はこれまで。
2015.08.17
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近況雑感 永らくこのブログごぶさたしました。 それで近況報告をまずしたいと思います。簡潔に。想いだすままに。 家内の病状、だいぶ落ち着いてきました.とは言ってもやはり一人で いることは無理ですし歩き方は相変わらずよちよち歩きです。リハビリの時などは 相当大股で歩けるのですが実際歩道など歩くときはまた短いステップになってしまいます。 だから近くのIクリニックに週二回一緒に通うときはその場でリハビリの先生のいるところで 指示されると大きいステップで正常に近い姿姿勢で歩けるのですがそれ以外になると 元の木阿弥です。まあ、就寝時奥の寝所へ一人で寝にここ数日前からゆける様になった のは大きな進歩と言えるでしょう。 小生となると最近は何時も彼女の傍にいなくてはならず隣室でピアノの練習のときも すぐ家内が入ってきて気が散って仕方ない状況でしたがやや好転、一定の時間は待てるよう になりました。小生が外出した時なども帰宅する頃になると外へ出てることはなくなったよ うです。 姉夫婦などと毎年一度は近くの温泉場などへ小旅行をしたものですがそのような意欲は まだありません。当方はそれが欲求不満となっています。 まだ外出するときはいろいろ気を遣わなくてはなりません。 明日は市民市場やコメリに行って足の胼胝にはるゴム紙や除草剤を買ってきたいと思ってい るのですが順調に行けるかどうか心配です。 以上すが
2015.07.09
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>現在の状況について 久しぶりで日記風にブログを書く。 毎日のように家内を見守らないといけない。家内は病気によって不安神経症となった。 特に一人ぼっちになるのが怖いらしくために小生他に誰もいないときは常に彼女の傍に いないといけない。したがって小生の行動は大幅に制限されている。彼女が病気になる 以前のように勝手に自分が好きな時に外出するというようなことはできなくなった。 今日は英会話の日、幸いヘルパーさんが来宅してくれる日に当たっているので10時 45分から12時半くらいまで外出できた。 後は昼食の支度なども小生が準備しなくてはならない。朝食、夕食の支度はなんとか 彼女が準備できる。 夜は一人で寝室にゆけないので9時ごろには一緒に寝なければならない。 小生の行動は大幅に制限されることになった。もしこれを無視して行動するとなると大変な ことになる。いままでの悶着からとうとう小生の方が折れて彼女に同調しなければいけなくな なった。大幅に私の生活設計が狂ってしまった。今も彼女が寝る時間だと督促してきた。 この問題はどのように解決したらよいのだろう。 今晩はここまで
2015.06.16
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ご難続き 仲良くしていた友人が四月二十六日に亡くなってからあまり良いことがない。 英会話にゆく途中マイカーが自動車事故にあった。小生は慎重に左右を見渡して 小路を左折したつもりだったが急激に走ってきた直進車にぶつかった。ノンブレーキ 軽自動車、相手は警官を呼んでから後は私と何も話そうとはせずもっぱら携帯で 何か知り合いのっ自動車屋か何かに「おれの車が動かないからレッカー車を呼んでくれ」 の一点張りで電話をかけてばかりいる。警官も私たちが体に怪我はないかを尋ねあとは 当事者と保険屋とでの交渉ということで立ち去った。 私のほうからみると何かためにした衝突事故のように思える。スピードをおとしていない、 左側に寄った走り方をしている、当方との交渉に応じようとしない。など、それでも相手方の 住所、氏名は紙切れに書いてよこした。牛島に住んでいる二十代の青年で無職、だそうだ。 おじいさんを同乗させていてパークホテルまで送ってゆくところだという。小生、しかたない からおじいさんはタクシーに乗せ相手の電話がやまないのでそのまま帰宅した。 いま、くるまが直ってこないので不便だ。でも代車は使いたくない。保険には入っているが自 賠責費用は払わないといけない。憂鬱、憂鬱。
2015.05.12
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無事退院 おかげ様で4月2日午後2時過ぎ市立秋田総合病院から無事退院できました。 手術は順調に経過したようで自分としてはなんら今のところ自覚症状のようなものは ありません。右手首にカテーテルを挿入した傷跡がありましたがそれもほとんど 消えてきています。なんだか起床時少し頭が重いような気がしますがまあ大したことは ありまんせん。あとはこのまま無事に経過することを祈るだけです。 ただ少し気になるのは入院中血糖値が45まで下がったことがありました。 低血糖は自覚症状(冷や汗が出てきて眠くなる)がありますので、即、対応処置をすれば 治るのでこれからは常時ポケットにブドウ糖を入れておくよう気を付けます。 以上、退院報告まで。 終り
2015.04.10
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入院決定 なんの気なしに市立病院の心臓検査の結果を聞きにいったら唐突に入院決定と いう結果となった。持病の糖尿病と付き合いだしてからもう20有余年となる。 主治医のM専制に最近どうも少し息切れがするし体のどっかに異常があるのではないか。 と訴えたら、「そうだね、最近諸検査をしていからやりましょう。ということで検査を してもらった。最後の心臓超音波検査で見事にひっかかった。 自覚症状もないし気楽な気分で受診科にいったのだが診察のF医師に超音波検査の私の 写真を見せられて何気なく「何も異常なところはないでしょう。」と聞いたら「いや、あり ます。」という返事。写真で心臓の冠動脈で二か所血管が細くなっているところを指摘 された。ここが破れたら一発であの世行きです。といわれ、さすがの小生も一瞬愕然と なった。 それで早速症状改善のためにはその細くなっている血管部分を広げる処置をしなければ ならないといわれた。よく聞く話だがそのためには血管を膨らませステントという金属の 管を埋め込まないといけないらしい。 それで早速今月の30日から三泊四日の日程で入院ということになりました。 家内もひとり家に置いておける身体状況ではないし、すったもんだの末ようやくリンデンバ ウムというショウトステイ施設に入所してもらうことに決めて今日は一段落、家内はそこへ ゆきたくない、とだだをこねましたが何とか説得できました。生活相談員の今野さんにも 自宅にきていただきずいぶんお世話になりました。まずはこれで安心して入院できそうで す。 この項 終わり
2015.03.27
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春日 その2 うらうら、うらうら、今日も本当に良い天気、あまりいい天気なので落ち葉が 散らかっている中庭、後ろの空き地に生えている欅の大木からの落ち葉が中庭いっぱい に散乱しているので意を決して掃き集めようと思い庭に立った。 たいした労働量でもないのにいわゆる中風で六年ほど前に倒れた私にはこたえる。健康な 体ならば心地よい仕事で終わった後は縁側でゆったり休んだであろうが今の私には体の あちこちが痛く立っている事すら辛い。それでも午後から囲碁をするにくる友達のK君に 雑然とした庭を今日は見られないで済む。なにしろ彼の家の庭は広くて木々も草花も 整然としていてまことに見事なのだ。私には彼のような気心もないしもし時間があった としても他のことに使ってしまうだろう。人それぞれ. 終わり
2015.03.18
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春日 今日は珍しく穏やかな春日が外に満ち満ちている。こんな春の陽気になる日なんど 秋田では滅多にない。ほんとにほんと、老妻を誘って玄関前へでる。家の前は通りを 隔てて公園になっているが今日は日曜日昼近くになっているので通行人も少ない。 しばし向かい側を眺めていたがおそらく散歩だと思われる老人が一人通ったきり、今日は 公園で遊ぶ子供の声一つすら聞こえない。 この広場はもともと学校が建っていた。私たち家族が移り住んだとき(昭和14年9月の 12日頃ではなかったか。この地には市立の商業学校が建っていた。この敷地のまわりは 秋田城の外堀のなごりが汚い池になって残っていた。私たち近所の子供はこの近辺でよく チャンバラごっこをして遊んだものだった。桜の花が咲くころには蛙も目覚めて夜には 一斉に鳴き出しそれはそれはかまびしいものだった。 商業学校が移転し第二次大戦中はここに女子医学専門学校ができた。戦時中の医師不足を 補充するための国策だったのだろうが戦後廃校になった。この学校の経緯歴史については その後どうなったのか全然知らない.わずかに記憶しているところでは戦後まもなく進駐軍の 宿舎となり火災で一部焼失。我が家にも専門の医学書が何冊か運び込まれたぐらいのことしか 知らない。当時の在学生はその後どうなったのだろう。戦後の生活が苦しい時代で我が家も 父が病死し姉、兄も同じ運命をたどった。これもまた戦争の大きな犠牲だったといえる。 つづく
2015.03.08
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今日の1日 マイカーの修理は来週にならないとできてこないと修理工場の人が電話で告げてきた。 代車を置いていった。ありがたいがギアの操作に慣れておらず車庫でちょっと動かしてみ たが車の運転技術にうとい老人の私には路上の運転でストップさせる可能性が高いので 車庫に入れたまま。日常病人でさしたる車を必要としない身の上であるからして代車は使わ ないことにした。また事故を引き起こしかねないと思うからだ。どうしても怯えが先に たつ。それに保険屋が契約を今年で打ち切ると連絡してきたからだ。 何のための保険契約かと言いたくなってくる。確かに昨年も事故を起こしたがこれは 状況からみると多分に仕組まれたもので相手の悪巧みにうまくひっかかったようなものだ。 当事者とデーラーの会社員の一人が組んで仕掛けた罠にはまったといってよい。でなければ だれが直角に曲がって駐車場で隣の車の後部にきずをつけたりするものか! まあ。このたびは自損事故ということで言い訳はないということになるがそれにしても 保険ということの意味を業者はもっときちんと考えてもいいのではないか。営利ばかりを 考えた事業をするべきではない、と思うのだが、、、、。 まあ、来年のことは他の業者に当たってみるなりしてからどうするか決めたいと 考えている。いい知恵がありましたら読者諸賢どうぞ教えてください。 この項終わり
2015.02.26
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今日の一日 私の一週間の曜日ごとの行事日程は月曜日と木曜日は予防通所リハビリですぐ近くの Iクリニック通所クリニックリハビリテーションセンターへ午前9:30頃から11:00 まで通う。火曜日は年寄の冷や水のただ好奇心だけで通っているような英会話教室へ1時間 水曜日は我が家で中学校時代からの友人K君と我が家でざる碁をして遊ぶ。金、土、日は 特に決まった行事仕事とてない。全くのフリータイムの三日間である。こう書けばまことに 人も羨む優雅な日々を過ごしているように思われそうだがどっこい人生そんなに甘くはできてい ない。仏教でいうところの生病老死が厳然と控えているのだ。どんなことかというと小生自身が 脳梗塞の後遺症で日常生活が拘束されているところへもってきて家内がパーキンソン病という大 変な病気になってしまいその兆候が特に昨年の夏ころから顕著になりはじめたのだ。 いったい何が原因でそんな病気になるのか。そもそもの原因は現代の医学をもってしても わからないらしい。脳内のドーパミンという物質が足りなくなってなるらしいがどうもその物 質を補うことはできないらしい。症状としては認知症と似ているところもある。違うところもあ る。私の感ずるところでは孤独感が非常に強くなって家に一人でいることに耐えられなくなって いることだ。身体的には手、体の震えが日常的にみられ、歩く時の歩幅が非常に狭くなりちょこ まかちょこまかとしか歩けない。いろいろな家庭器具の操作もままならず話し方ものろく緩慢に なってしまった。だからどうしても小生の手助けが万万事につけて必要だ。 このような家庭内事情が生じているので悩み事も増えてしまった。 ただ、家事や洗濯などはある程度できる。いまは月~金間毎日来るヘルパーさんの日々1時間の 家事手伝いや料理、買い物で大いに助けられている。 人生いつどんな事態が生じるものか。予測できることもあるができないこともある、というの が現実の姿であろう。 この項終わり
2015.02.18
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ブログをまた、書き始めることにしました。どうぞ宜しく。
2015.02.11
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歳末の気分 今年の年の瀬は私のパソコン生活にとっては最低の時節になりました。 何故だか知らないが年賀状を書き上げてやれやれ!と思った瞬間突然ローマ字 から平仮名変換が突然できなくなりあせりやら口惜しさ、不愉快さでここ一週間ばかり いらいらしどうしでした。しかるべきところに電話を掛けて復旧するかどうか尋ねてみたり 修理専門の方を自宅に呼んだりしましたが結局埒が明かずNECの本家本元に修理 を依頼やっと今日機器本体がわがやにもどってきたところです。 そのせいでブログも書けず今日に至りました。ごめんなさい。 今日は忙しい日、家内を秋田大学医学部付属病院に連れてゆき半日を費やし外は雪で 天候が厳しいので歳末の準備もなにもせずに自宅へ帰ってきました。医師の対応は きわめて単純不愛想なもので二カ月間のくすりが投与されただけ、これだったら我が家の近くの 精神内科に行ったほうがましという結論に達しました。 パソコンもいったん初期化されると大変なものですね。小生のような老人になってからの物好きな 者にとっては再設定も大変。NTTのリモートサポートセンターに問い合わせてやっと深夜近くになっ
2014.12.26
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最近の読書傾向 最近、私の読書は司馬遼太郎の著作からがらりと趣を変えて立花 隆の著作に 変わりました。なぜそうなったか。という理由はこの人の著作が枕もとの本棚に あったからです。とは言うものの本の内容はがらりと一変しました。 司馬作品とは違ってこちらはあくまで科学に立脚した学問的記事です。 本の名前は「マザーネイチャーズ・トーク」(立花隆ほか著)となっていてこの本は 科学の世界、各領域の日本における超一流の学者達との対談集です。 もう一冊は「脳を究める」(脳研究最前線)朝日文庫です。 最前線とはいうもののこちらは2001年三月の発行ですから2014年の現在からは 一昔以上経っているこ͡とになるわけでして、マザーネイチャーズのほうは平成9年 ですから大分年月は経っている訳ですがいずれにしても科学、特に理系音痴の小生 には理解困難な本なのですがわからないままあえて挑んでみました。今も読書継続中で 寝ながら読書とはまこと不謹慎きわまることですがあえて著者にお許し公私大です。 なんでも地中の土小匙いっぱいには地球の人口に匹敵するぐらいの微生物が住んでい る。などという記事をみるとびっくり仰天、宇宙も何百億光年の世界だが微生物の世界も 天文学的数字の世界になるのだなあ!と痛感した。 脳の組成もまた複雑怪奇だ。シナブスによる伝達速度より脳細胞間の化学反応による 伝達速度が速い。とか、、、、、、、。一例を挙げたが枚挙の間がないので書くことをやめる がいまはそういう内容の本をわからないままに読んでいること報告しておきます。 以上
2014.11.11
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前回のブログ以降 その後大分ご無沙汰してしまいました。もうブログの書き方も忘れたぐらい。 その間何をしていたか、といってもさしたることはしていませんがこの間私にとって 大きな出来事といえば長時間のドライブが二回、とあとは平凡な日々の行事、例え ばリハビリ、週二回、英会話、㈫。友人との囲碁、各週一、あとは時々の食品買い出し ぐらいなものですが今月の十九日珍しく今秋田県で開催されている「第29回 国民 文化祭・あきた2014」の一環として行われた(オーケストラの祭典)秋田市県民会館、 へ聴きにいきました。 人づてにマーラーの「巨人」を演奏するというのであの交響曲の大曲をアマチュアが 演奏できるものかと半信半疑のきもちで聴きにいったのですが見事に私の予想を 裏切って素晴らしい演奏で最後まで表現しきりました。うーん。と私も唸らざるをえませ んでした。すごいことです。アマチュアがここまで演奏しきるとは! もっともいまは全国のアマオケの腕に覚えのある連中が大勢助っ人として参加してく れていますし各楽器のセクションリーダーにNHK交響楽団の団員の方々とか他のオケの プロのかたも指導者として招かれていました。それにしても一糸乱れぬ演奏で曲のニュア ンスまで見事に表現されていました。短期間何回の練習が行われたか知りませんが見事 でした。この演奏に先立ち青少年オーケストラの演奏もありました。(曲は「幕開きの音楽、 ハスラー、セントポール組曲)。こちらも見事! 企画、練習計画、参加人員の選択、じゅう ぶんな 資金などによって見事に花開いたのでしょう。 来年は県文化祭は鹿児島だそうです。オケの演奏曲はストラビンスキイの三部作だ そうです。それを聞きかって鹿児島での小中学校音楽研究会全国大会に参加した時の 光景を想い出したりしました。噴煙上がる対岸に見晴るかす丘にその会場はありました。 多分あそこがオケの会場になるのではなどと、、、。 とにかくわが秋田県でこんな素晴らしい企画で全国のアマチュア音楽家の皆さんとの コラボレーションですごいオーケスtラの演奏会が聴けたことを幸福に思った半日でした。 終り
2014.10.24
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日々の感想報告 高校時代からの友人Tが久しぶりに遊びに来た。遊びに来たと言っても何かして遊ぶ、 という訳ではない。ちかごろの同期生たちの動静や亡くなった友人たちが多くなった。とい う話、家族縁者のことなど、話し出すと際限なく話題が口から湧き出してくる。 彼は小生と違ってさしたる持病もなく元気だ。ただお腹がせりだしているところが気にな る。三時間際限なくしゃべりどうしだった。昔からの友達はいい。何の気兼ねもなく話し合 える。 九月になってもう五日、今年の夏は天候不順、夏らしく太陽がじりじり照り付けるという 日はほとんど私の住んでいる地域にはなかった。 来月の4日㈯から~11月3日㈪まで「第29回 国民文化祭・あきた」が始まる。 わが郷土の文化が全国に発信される月だ。私も人並みに見物見学に歩きたいものだ。 と思っているがこの我が体調では事情ではどのくらい参加観覧できるかどうか。 秋田県の文化がどんなものか小生もこの文化に触れ感じてみたいと思っている。 この項 終り
2014.09.05
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異常気象 今年の夏の天候は異常だ。 特に私の住んでいる秋田市は快晴で入道雲がもくもく天高く上がりじりじり 太陽が照り付けるような快晴の日はただの一日もなかった。 これからどうなるかはわからないがこんな異常気象は珍しい。 毎日のように曇り時に雨で豪雨の日も何回かあったが深刻な土砂崩れや 洪水はわが秋田市は免れている。だが、私の82歳の人生の中でこんな天候 曇り時に雨、といった天気が続くのは初めてのような気がする。 広島市のような大規模な山崩れ土石流のせいで多くの家々が崩壊している 惨状を見せつけられると何とも言えぬ気持というかこういう天変事故で命を落とされた 方々を想うと本当にやりきれない気になる。人生の無常さというか不条理一体 どう考えたらいいのだろう。むなしい!実に空しい!人口急増の時期山を切り開いた 住宅用造成地のせいもあるかもしれない。テレビでその惨状を見ていると人間の 造った建物など自然の手にかかればまさに一ひねりといった感じだ。 百人近くの尊い人命が失われている。さりとて自分には何もできない。 はからずも人間の運命、生死について考えざるを得ないひと時となった。 終り
2014.08.24
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広島、長崎への原爆投下 いまから59年前の八月六日と同九日広島と長崎に一発の原子爆弾が投下され一瞬の 閃光とそれに続く熱波によっておよそ二十万人の一般市民が一瞬の間にその命を絶たれた。 いま毎年のように両市では市民たちの手で鎮魂と不戦の誓いも新たに厳粛に慰霊の式典を 挙行している。 遺族は勿論日本人ならば誰しも罪なくして何事も知らないまま突然命を奪われた二十万人 以上の人々のことを思うと、老若男女それぞれあるべき人生の路を突然絶たれたその不条理 のすさまじさに何とも表現のしようのないおもいに駆られる。 いくら大戦のさなかであれこの新型爆弾を二度も使用して無辜の市民を二十万人以上殺害 の命令を下したときの大統領やその作戦支持者たちはこの事実をどう考えたのであろうか。 時に日本政府は敗戦を予期してソ連などにその収束の処理を斡旋してもらおうと模索し始め ていたという。米国の良識ある人びともこの原子爆弾投下には反対していた。 かの占領軍司令官マッカーサーもこの事実を知って激怒していたという。 日本人はこのことについてあまりにも寛大過ぎないだろうか。遺族の方々、関係者,われわれ 日本人は戦後原爆投下による人命殺戮について緘口令が敷かれていたにせよあまり人が好過 ぎはしないか。 韓国における従軍慰安婦問題が大きく取り上げられているが、日本人は不戦の誓いこそすれ いくら戦争中とはいえ二十万人プラス何万人かの原爆後遺症で悩んできた人々のことを想うと その惨害の大きさにびっくりさせられてしまう。政治家の責任の重さ、命令することの難しさに いまだもって臍を噛むような辛さを覚えるのだ。 終り
2014.08.10
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おっちょこちょいな一日 今日は忙しいひになる。とは前々からわかっていた。午前中にリハビリと市立病院に定期の 診察日に当たっていたからだ。 朝起きて朝飯前の一仕事と思ってまずは中庭の草木の枝の切取りや草むしり、掃いてきれい にした。作業着を着換え朝食、そのあと今度はリハビリ。一時間半ほどで終えて今度は病院へ 行く支度、今日は代謝外来に行く日なので診察後栄養士による食事指導がる。事前に三日分 食事で何を食べたか記録してゆかねばならない。めんどうで何も記録していなかった。 しかたなくようやく一日分想い出しがきをした。リハビリを終えてマイカーで出かけたのは良い が受診の前廊下で待っている時ズボンのポケットに触ると財布がない。念のため駐車場に戻り 窓越しに財布がないか探しても見えない。診察券は無くても幸い血糖値測定はできた。 診察はいつもより遅い。その間に栄養士さんによる栄養指導を先にしてくれた。親切に ドレッシングオイルや万能味噌などの試供品をくれたりしてもらったのだが心の内は気が気でな い。診察を終えて会計と処方箋をもらったのだが金がなく払えない。やむ得ず家にも公衆電話 で問い合わせたが無いという。仕方なく家に帰って出直そうと思って車のシートを見たらチョコン と財布がのっかてあるではないか。 今日は気がせいていてお医者さんに見せるための日々の血糖値記録帳も失念して持ってゆ かなかった。夏帽子は Iクリニックに置き忘れてくるしもうさんざん! 歳のせいか、はたまたせっかちなのか、それとも認知症? 二度あることは三度あるでは なくて将来無数にある。そう考えるとこれからの先が思いやられる。ぼけ老人の一日でした。 おわり
2014.07.31
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驚いたこと 二つ 人間齢八十も過ぎればあんまり驚くようなこともなくなるが、昨日は感動の びっくりと意外のびっくりのふたつを体験した。 其の一番目は小山美稚恵のピアノ演奏だった。小山さんはよく秋田市の アトリオンホールで演奏してくださっている。言うまでもなく彼女はチャイコフスキー国際 コンクールとショパン国際コンクールの二大コンクールに入賞した卓越した大ピアニスト だ。日本のピアニストの最高峰といっても過言ではないだろう。 彼女の演奏するショパンやリストを聴いて当然ながらその卓越した演奏技術の 凄さにびっくりした。言うまでもなくピアノも演奏は瞬時に沢山の音を弾かなければ ならない。一秒間に10ぐらいの音を単音や重音でひくことはざらにある。 彼女がミスタッチもなくそれらの音を縦横に強弱をつけて弾きこなしているところを みながら聴いていると神は万物の霊長たる人間に脳と十本の指を与えてなんたる 能力、技能を与えてくださったものか、脳と何千何万という音を記憶しそれを瞬時に 手の指や腕に伝える神経と筋肉、そのことを考えるとまさに気が遠くなりそうだ。 どんな他の動物もこれだけは真似できない。無神論者たる小生にとってはこの現象 人間の臓器の肉体の進化の極地ともいうべきことであろう。しかしこの現象は、あるいは 能力は選ばれた人間の絶えざる訓練とか練習によってのみ到達できることがみそである。 これらの演奏作品を作曲した大芸術家たちもまた見事な人たちと言わねばならない。 帰途、ピアノ練習用に百円ショップ「だいそう」により高度の老眼鏡を買った。+5という 正しくは高度老眼鏡(+5.00)というのを選んだ。いくらなんでも4,500円、はするだ ろうと思って出口近くの会計に持って行ったらば立派なつくりのフレームとレンズ付きの 眼鏡がなんと108円。この現実はなんというべきか。いま、この眼鏡を使用してこの ブログを書いている。資本主義もここに極まれり。とでもいうべきなのだろうか。終り
2014.07.13
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伊豆旅行 その2 伊豆旅行も終わって大分日数も経ってしまった。 大部記憶も薄らいでしまったが少しは事前学習を司馬遼太郎の「街道を往く」の 「三浦半島」の巻でしていったのでより実った旅になったと思う。 伊豆は秋田とは大分土地柄がちがう。地形で言ったら平野とリアス式海岸の違いか。 それに植生が大分異なる。車窓から眺める木々も秋田の山里だとほとんど杉木立だが 伊豆は照葉樹林地帯でウラジロガシ・アラカシ・スダジイ・タブノキ・イチイガシ。などの 小生の知らない南方系の木々ばかりだった。民家も都会の人たちが時折来て住むような 瀟洒な建物が多い。特に二泊目に車で回った伊東でその感が強かった。 一泊目は下田の大浦湾に面したホテル、二泊目は伊東の八幡野という小さな湾に面した 民宿の宿、下田ではサスケハナ号で湾岸一周観光,後ゴンドラで寝姿山頂上近くの展望台へ 伊東では八幡神社来宮神社,湾岸の公園、さくらの里という全山草の山周りがサクラという 珍しい景色にも接することができた。
2014.07.05
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旅への期待 今年の兄弟姉妹旅行は伊豆下田方面に決定した。 今年は姉が幹事役で小生の希望を入れてくれて下田と伊東にそれぞれ一泊する ことにした。JRの「大人の休日旅行」切符を利用しての一行6名三組の旅である。 ついてはこの地域の参考資料として何かないか。と思い探し出したのが私の 愛読書シリーズ司馬遼太郎の「街道を往く」三浦半島偏であった。 先日、ジュンク堂に行きこの文庫本を買い求めてきた。 何時もの如く朝、目覚めに七時半まで読み始めたら興味津々、すうじつで読了、今、 二度目を読み返しているところだ。房総、三浦、伊豆の三半島の地勢から鎌倉を 中心にしてその歴史、鎌倉時代という歴史の大いなる転換点とその中心人物源頼朝、 彼に従属したこの地域の豪族たちの栄枯盛衰,平家の没落、頼朝の存念など、どの項を 拾い読みしても興味深い。以前もう二十年ほどは経たであろうか。一度弟の案内でこの地 を訪れたことがある。何ら歴史的事情も地勢も知らずに訪れた。 それらを知っていると知らないで訪れるのとではまさに雲泥の差があるというべきかもしれな い。今回の小旅行はこの伊豆と三浦の半島をかすめての旅である。 せめてこの風土の匂いだけでも嗅いできてみたい。と期待している。 終り
2014.06.05
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老齢 朝、寝床の中でいつものように司馬遼太郎大作家のエッセイを読んでいると「自分は もう、たい齢なので語学の勉強はしない、というような意味のことを書かれていた。 たい齢とは要するに老齢のことであるらしい。小生などはもうとっくに心身ともにこの境 地に達していてほとんどなにもかもできることはない。 ただ、心の奥底ではあれもこれもやりたいなあ。という願望は常に渦巻いている。 年も年だが宿痾に苦しむ身の上だからどうしようもない。 今はただ昔この時節に楽しんだ山菜取りや魚釣り、外国旅行などを懐かしく想いおこす だけだ。僅かにできることと言えば友人と週一度の笊碁を楽しむくらいだ。 最近、左足の膝の後ろ部分が歩くとつる感覚がある。リハビリにも通っているがなか なか効き目は表れてこない。 北国秋田でも桜は散ったが天候が雨だったり曇りだったりするとまだ寒い。 畳の上でごろ寝をすると風邪をひきそう。灯油が切れてあわてて注文する始末。 南国が恋しい、という訳で今年の兄弟姉妹旅行は伊豆半島は下田、伊東方面というこ とにした。 今回は姉が幹事役でJRの「大人の休日切符」を使って旅行することにした。 その旅行の資料として司馬大先生の「街道を往く」三浦半島偏を読んでいるがこれが またなかなかに面白い。 まだ読みかけたばかりだがこの旅行の風物を眺める時の良い参考に なるのではないか、とひそかに期待しているというのが現状です。 おわり
2014.05.22
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最近の健康状態 患者とは現金なもので自分の病状が医師の処方によって快方に向かうと あの先生は良い先生だ、名医だ。ということになる。小生の場合も例外では なく初回診察時は喘息用の飲み薬(錠剤)を処方された時はあまり効かず二度 目の時はホクナリンという貼り薬だけ40日分投与された。「 あれ!これだけ?」 と半信半疑の気持ちで帰宅した。最初、貼り始めた頃は少し効いたかな。という 感じだったが次第次第に良くなってきて今ではもう貼らなくてもよいのではないか、と いう状況にまで回復してきた。感謝、感謝。 しかし、小生の場合常人のようにこれで元気に飛び回るというう訳にはゆかない。 もう一つ脳梗塞の後遺症状の筋力の衰えからくる歩行困難の病状を抱えているからだ。 足だけではない。手首なども庭仕事など少々しただけで炎症を起こす。少し遠出して 歩いても明け方にこむら返りをおこす始末。欲75歳ころの昔を想い出して「ああ今頃は 友人のKと山菜を採りに行ったなあ。あいこ、ほんな、しどけ、うど、など。あの仙北の山の 山菜はどうなってるかなあ。などと懐かしく想いおこす。 現在は家内も病気持ちなのでふたりでやっと老老介護の状態です。 まあそれでもヘルパーさんが週二回三時間家事を手伝ってくれるし小生はすぐ近くの介護 施設で週二回リハビリを受けることができます。年取ってからの持病は回復は見込めません がそのような援助によって病気の進行を遅らせることができます。 自分は他人さまのことは何もしてあげたことはないので気が引けますが有り難くお世話にな っているような次第です。日本の社会福祉政策はりっぱです。他国とは比較して考えたことは ないのですが。最近の新聞で読んだのですが、豊かさでは日本は十位なんだそうです。 一位は北欧の国かと思いましたがさにあらず以外にもオーストラリアだそうです。 では日本が一位になっているのはなんの分野でしょうか?お考えください。 今晩はこれまで。
2014.05.13
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私の健康昨今 ここ数日、ようやく持病の喘息の症状が薄れつつある。 市立秋田総合病院呼吸器科の佐々木医師から処方されたホクナリンテープがようやく効き はじめたようだ。ありがたい。しかしまだ油断はできない。 入浴すると風邪症状みたいな頭痛、悪寒がいままでも何回も起きているからだ。 先日受診に同病院へ行ったとき気管支拡張剤のこの貼付薬がやく四十日分投与された。 ほかののみぐすりは一切処方されなかったのでいささか心配した。 確かにこの薬を胸の気管支あたりに貼ると呼吸の息苦しさは楽になった。でも、頭が重い、 とか朝方のぜいぜいとかはなかなか治らず、この薬だけでいいのかな。とか体のどこかに 炎症があるので風邪みたいな症状が続いていてるのじゃないか、と考えたりした。 ここ数日、家の前の公園の桜が咲きだした頃から喘息症状が取れてきた。 なんというか、薄紙をはぐように次第に良くなってきているという感じだ。 一時はこんなはり薬だけで治るかいな。と担当医師を疑ったりしたが人間病気が快方に向か うと急に医師を信頼したりする。愚かな患者だ。でも嬉しい。厳寒期からずうっと続いていた病気 が良くなってきたのだから。また再発しないようホクナリン貼付薬は毎日続けよう。 終り
2014.05.01
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あれやこれや ようやく持病の喘息がよくなってきて体の悪寒をあまり感じなくなってきた。 市立病院の伊藤先生が処方してくれた気管支拡張のはり薬が効いてきたいかにして ようだ。なにはともあれ病状回復がいまの私にとっての人生の第一目標だ。 朝、寝ながらの読書、ようやく司馬遼太郎から村上春樹に移行した。 この作家の本はいま手元にあるのは「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」の一冊だけ、 これだけを読んで両者を比較するなんてまことに不遜の極みでそんな気持ちはさらさらありませ んが、どうしても二人の作風の大きな違いに頭がゆく。村上朝日堂のほうは週刊朝日にかって 連載された一般読者向けのエッセイで身辺雑記や著者の感じるもろもろの社会現象を面白お かしく論じたものでとにかく同日に論じるべきものではないことはいかに馬鹿な小生でも心得て いる。だが何と言おうか。両大先生の文章を通して見えてくる表現の仕方の違いには本当に 大びっくり!真面目と卑俗、公のことと私事。昭和と平成。社会現象の公的な観方と個人的観方 究極的にはどちらも正しく人生の、社会の真実を突いていると思うがどようなの観点から書いて いるかの相違かとおもう。 わかったこと。村上。体育人。ランニング、水泳が趣味、語学(特に英語)が達者でアメリカ文 学の翻訳あり、ジャズ、ポップスが好き、かって7年ばかり喫茶店経営もしていた。 司馬は皆さんご存知のとうり。世界の、日本の歴史、文化にくわしい。語学は特に中国、韓 国、専門に勉強した蒙古語などに堪能、英語も、絵画批評もしていた。 趣味嗜好としてコーヒーはすき、魚は嫌い、酒は?村上ほど飲めなかったのではないか。 私は彼にもし、偏食の傾向がなっかたならばもっと長命ができたのではないか。と今も残念に 思うひとりである。かれは絵画には詳しかったがクラシック音楽やジャズにはほとんど興味を しめさなったようだ。資料精査収集の達人、歴史的事項、じんぶつの記憶抜群。 両者に共通して言えることは旅行好きであることか。世界各国を旅行し彼らの著作の中で とりあげている。お二人とも外国語にたいして抜群の才能と好奇心を有している。 まだとりあげたことは巨人たちの一部分の才能でしかないが今晩はこのくらいとどめたい。 続く
2014.04.10
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なにやらかにやら ここ数週間何も書けず本当にご無沙汰してしまいました。 ここしばらく持病の喘息が頭を持ち上げ小生を苦しめているのです。≫ いつもの伝で最初は風邪かな、そのうち治るだろう。とあまり気にしなかったのですが 例のごとく息苦しさが続くようになり明け方には呼気にぜいぜい音が入るようになる のです。仕様がないから三人ほどの医師の診察を受けましたが、最初はよりイーズイに 考えて知人の神経内科のS先生、次に昨年回復期にかかった市立病院の耳鼻科にゆき 副鼻腔炎から派生した喘息を考えてくすりを処方してもらいました。これまたはかばかしくありま せんでした。で次に同病院の呼吸器科で診てもらいましたが担当のI先生には何故こちらの科に まっすぐに来なかったのか。ねちねちと叱られてしまいました。まあ当然ですね。叱られて。 最初の二週間はユニフィルという錠剤を投与されて服用しましたがあまり効果がなく次回には ホクナリンテープという貼布剤をしょほうされました。これは皮膚を通じて気管支を広げる効能 があるらしいです。確かに息苦しさは軽快しました。しかしこれを二三日続けただけで治るような 簡単なしろものの病気ではありません。それに四月一日に病院に行って風邪をもらってきまし た。左足関節痛がひどく歩行困難と微熱、悪寒、頭重などで何もする気がなく気ばかり焦ってい るというような状態でした。昨日は幸いよくなってきたので晴天のもと中庭の欅の枯葉(隣家の 木のもの)を約三時間かけて集めました。もちろん、携帯用の椅子に時々腰かけてです。 いろいろな身体的な条件があっても仕事ができるのは幸せを感じます。 なにやかやと書きたいことはいっぱいあるように思いますがひとしきり病気のことを書きまし た。 以下次回
2014.04.04
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金のなる木 先日、冬用の靴を買おうと思いコメリにいった。 冬用の靴なのに安物の耐水用になってない靴しか置いておらず買うのを断念した。 花売り場についでに立ち寄ってみると二、三種類の花鉢の中に混じって金のなる木 の小鉢があった。よくみると緑色の分厚い葉の間から小粒な花芽が沢山顔をのぞかせて いる。どんな花を咲かせるだろうと思い一鉢、玄関用にと思い買って帰った。 はじめ、玄関の靴箱の上に置いたが秋田の冬は寒い。花の咲くのが遅くなるばかりか 寒さで凍ってしまうことになりかねないなと思いわが書斎のストーブの上に鉢を置いた。 数日を経て固まっている花芽のなかから小さな花が一二輪貌を出した。 ご存知のむきの方も多く居られるだろうが金のなる木の本名はフチベニベンケイと 言い南アフリカ原産の常緑性低木である。葉っぱの姿かたちが小銭に似ているから 金の生る木という俗称で呼ばれるようになったという。 花芽はグループをなしていて大きなのは20蕾、ちいさなもので6~7蕾ずつ固まって いる。いまはそれらの蕾グループが花開いて鉢の木の天辺を盛大に彩って割いている。 花の様子を仔細に観察してみた。花びらは五つ小さいのだがみな正五角形の形の中に おさまっている。花びらの色は中心部に近い方は白っぽく外側は淡いピンクだ。度の花も 四本のめしべと雄蕊をもっている。どうして度の花もこんなに正確な模様を形作って 咲いているのだろう?まさに造化の妙とはこのことだ。と私は感じた。このような小さな低木の 花、一般の人々が気にも止めないような花にも造化の主はちゃんときちんと配慮してくれてい るのだ。 改めてこの花を作った創造種の偉大さ計り知れない知恵の深さに感銘させられたひと時で あった。 終り
2014.03.06
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雑感 2 聾作曲家佐村河内守氏の全作品がまったく別人のゴーストライター新垣隆氏の 作品だったことが明るみに出てわが秋田市でも彼の作品の公演が中止になった。 私の感想は「よくもまあこんなことができたもんだ!秘密裏のうちに作らせた方も 作曲をした方もいったいどんな抜き差しならぬ人間関係でこんな事ができたのだろう」 とただ驚き呆れるしかない。 そもそも、佐村河内氏はどんな口説で新垣氏に彼のゴーストライターになることを 承諾させたのだろうか。耳の聞こえない僕と組めばあんたの作品は絶対売れるよ。 とでも示唆したのだろうか。それ以前にこんなことを持ちかけられる関係にどのようにして なったのか。知りたいところだ。常識的に考えるとこんな立派な作品を書ける人が 自分を売って(十八年間の新垣氏のえた収入は700万円余だという。) 第一に自分の作曲家としての誇りがそれを許さないだろう。正直なところ私は彼の 作品交響曲第一番「広島」もヴァイオリンソナタもテレビで報じられたほんの一部しか 聴いたことがない。が、優れた曲にきこえた。 これだけの能力があってしかも音大の作曲科の先生の職もあってなぜこんなことを! と、腑に落ちない。これだけの曲を書ければ本名で公開しても十分世間に通じるはずだ。 と小生などは考えるのだが、、、。それとも、佐村河内氏の肉体の疾病にのって売り出せば より早く作品が世に出るとでも考えたかどうか。 ゴーストライターとしての名前が世の中に喧伝された以上、新垣氏が本名で作品の成果を 世に問うことは極めて困難になった。これだけの才能のある人が自らを卑しめる行為で世人に 見捨てられることは極めて残念なことだ。書画骨董の世界では偽物が世の中に跋扈している 話はよくきくが音楽の世界でこんなことがニュースになるなんて初めて聞いた。 このことは歪んだ人間関係の極めて特殊な事例といえるだろう。人間の心理現象としてみても なぜこのような事態が長く続いたのか興味ある事件だ。
2014.02.21
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雑感 毎日朝起きて隣家の屋根を見ると雪が積もっている。 多いときで7,8センチ。少ないときは3,4センチ、この程度だと 日中の気温の上昇でみな溶けてしまう。 二月といえばどういう訳か例年あまり印象に残らない月だったのに 今年は違った。とにかく寒い。年のせいか、病のせいか。 二月ともなれば立暦の上では春ともなり日差しも長くなり空の色も春 めいてほんわりと青くしろい雲などで覆われいかにもはるはもうすぐ だなあ!という感じになる日が多くなるものだが今年はなかなかそういう 天候にならなかった。今年は関東、関西、九州、四国まで数十年以来の 大雪で車の事故、転倒事故、停電、交通事故、落雪事故など頻発して いるらしい。特に山梨県など降雪による道路の途絶で生活物資の供給も 途絶えて各市町村も難渋しているらしい。雪国に住んでいる我々にとっては 日常茶飯事的な雪害もこれらの経験の少ない地域の人々とにとっては大変な 事態であるに違いない。あらためてご同情もうしあげる。
2014.02.21
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おかしなレシピ 今日は私のたわいもない話を披露したい。 先日、久しぶりに総合食料品店「せきや」に立ち寄った。 ふと魚売り場の一画を見ると本県海域産の鮟鱇の肝がひとつ置かれて いるではないか。私の最も好物としている食品のひとつだ。普段は鍋物を するために鮟鱇の身や皮と一緒にほんの少し親指と人差し指をまるめてでき るひと塊ぐらいしか一パックに入っていないのに今日はなんと肝の形そのまま にでんとひと塊一個だけ置いてある。 値段や如何にと見れば1500円也だ。私の小遣いでは少し高価だとは思っ たが滅多にお目にかかれない代物、勇を鼓して買った。 その日の晩はこの肝を味噌仕立てにして煮て数回に分けて食した。 皆様ご存知のとうり鮟肝は脂分は多いのにさっぱりした味で口に入れてもしっ こくない。肝は勿論だが味噌仕立ての煮汁も捨てるのは惜しく冷蔵庫に入れて とって置いた。 それから数日経ったある日、娘の家で食べたようなリゾットが食べたくなっ た。でも俺は作ったことはないし家内はそんな料理?にはとんと興味がない 女だ。「待てよ!あんこうの肝汁があった。あれでなんとかリゾット風の料理 ができるんじゃないか。我流もいいところ、滅多に台所に立たない小生が勇 を越してガス台の前に立った。 まずフライパンに冷や飯を入れそれに鮟肝の煮汁をたっぷりいれお湯を さした。次にチーズとバターをひとかけらずつ入れた。ガスの火は強いので どんどん汁が煮立ってくる。何もその他に入れないのも淋しいかと思い急遽 玉ねぎを細かく切って入れることにした。その間に煮汁はどんどん蒸発して ゆく。最後にはかき回している間に焦げ目まで付く始末。 出来上がりはリゾットどころかおこげのついた焼き飯チャーハンとでもいう ような変な食品に仕上がった。 食べてみては鮟肝味焼き飯というところか。美味しかった。見た目は 悪かったが。リゾット変じてチャーハンというお粗末な一席でした。 これにて御免
2014.02.10
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平野政吉と藤田嗣治 続き もちろん平野政吉と藤田嗣治とを同日に談じることはできないが、しかし我々 秋田県民にとっては世界の藤田の作品を秋田県にもたらしてくれた一大恩人 であることはまちがいない。世の中に金持ちの奇行人は数多いる。彼もまた 若い頃は乗り物に熱を上げていてオートバイ、モーターボート、自動車、飛行機 となんでも乗廻し、そのことで秋田市では知らぬ人が居なかったという。 しかし幸いなことに同時に書画骨董類の収集にも若い頃から熱を上げていて そのことが端緒となって藤田作品を収集しはじめたことは前述した。 藤田が昭和十年代の始めごろ来秋したのは国から日本国の実情を世界に 宣伝するための映画作成を委嘱されその映画を撮るために知己の平野宅を 訪れた様である。これらの経緯については渡部琴子氏の著作に詳細に 述べられているようだが残念ながら私は未読である。今度是非読んで みたいと思っている。 いずれ政吉が藤田作品を購入したり描かせたりするのに費やした金額は 莫大な額で「秋田の行事」に支払った額は五十万円という 大金で当時は300円あればいえが一軒建つ、と言われていたという 話は私もよく母から聞かされていた。よくぞ支払ったというべきだろう。 彼で三代目という平野家はとち300町歩の水田と小作人600人をかかえる 大地主でそのほかに金融業(質屋)も営んでいたというからできた ことだろう。が、親兄弟、親戚はどうだったろうか。いずれ後日渡部氏の 著書を拝見してみたい。旧県立美術館名も平野美術館にするか藤田美術館に するかでいろいろ悶着があったそうだがそれらについても近藤史人氏の 著作を読むとわかるらしい。機会をみて読んでみたい。 了
2014.02.07
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平野政吉と藤田嗣治 私は最近秋田市の新県立美術館で開催されている藤田嗣治のレオナール・ フジタとパリ」展を観て秋田におけるフジタの強烈なプロモーターであり唯一の パトロンであった平野政吉という人物に強く興味をもった。 秋田市に住んでいる人間だから平野という人物についていくらかは知ってい た。彼が大地主の子として生まれ数々の奇矯な行動をした人であったぐらい は、、、。でも、仔細には知らなかったのでここ数日かけて調べてみた。 彼は大地主の子として明治28年(1895年)に秋田市大町に生まれ た。幼少年時代はどんな子供だったかは資料がなくわからない。 長じて青年になった頃は乗り物に熱狂する青年となり時期として丁度開発 売り始められてきた米国製?のオートバイやモーターカーを乗り回した。 その当時のことであったろうか。彼の小遣いは月に75円(当時、巡査の月給 は10円)だった。というからいかに破格な金持ちのお坊ちゃまだったかがわか る。両親はその頃どうされておったのか。その後、乗り物狂が高じて軍から 飛行機を350円で払い下げてもらい千葉の房総沖で飛行中墜落、あやふく 九死に一生を得たというハプニングも経験している。 同時に彼は美術品の収集もずっと続けていた。 藤田との初めての出会いは昭和9年上野の二科展の会場だったという。 おりしもその時は平野政吉は藤島武二の作品見ていて「私も藤島さんの 絵がすきです」と藤田に話しかけたところ「ああいう人の絵を買っておくと やがてただになりますよ。僕の絵は全部国宝ですからね」と言われた。 という。さすがの平野もこの時は誇大妄想てきなことを言う画家だな。と 思ったらしい。その時から二人の交友が始まった。 続く ※ お断り このエピソードは Auther:akitabunka という著者の 方のブログから拝借したものです。沢山の感動的な二人の 言動が載っていて感動を禁じ得ませんでした。
2014.02.01
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藤田嗣治展を観て 続きー1- 近藤史人氏の講演を聴いてから新装なった秋田県立美術館へでかけた。 会場へ入って驚いたことの一つは展示されていた作品の数が多かったことで 123の作品が展示されていた。小学生の頃描いた鶏と卵の作品からあとは ほとんど1915年から1934年頃までのパリ時代、ピカソやマチスやモジリアニ ルソー、パスキン、ヴラマンク、キスリンクなどの著名画家と交友があった頃の 作品群である。 魅惑の乳白色の肌で一躍有名になった裸婦の絵にもお目にかかる ことができた。近くでしげしげと眺めると肢体の肌にうっすらと黒い薄墨の ような具材がそこに塗られているのがわかる。しかし、少し離れてみるとそれ がミルキーな肌に輝いて見えるのが不思議だ。彼は具材に何を用いたかは生 涯明かさなかったのだが土門拳の唯一の写真などから判明したという。 いずれにしろ藤田作品の多さ多様さに驚かされた。やはり天才は努力家でも ある。当事交際のあった著名画家たちの作品をほとんど網羅し模索している。 ついでに述べると「秋田の行事」として描かれた一大壁画(高さ3,65m幅2 0、5m)延べ170数時間、旬日ぐらいで描いている。画力のすごさはこれでも わかるが、彼は生来下戸でパリの画壇の寵児としてもてはやされていた頃も 巷で浮かれているようでもアパートに帰るとひたすら画業に専念していたらし い。 講師の近藤氏がスクリーンで紹介してくれた「アッツ島玉砕の図」などは 戦死した日本兵が画面に累々と描かれていて戦意高揚どころか私などには 厭戦気分や反戦気分がひたすら湧き上がってきた。それほどリアリスチックに 描かれている。戦後、従軍画家として非難され国を追われるようにしてフランス に戻った彼の心境を考える時なんともいえぬ一抹の哀れさと淋しさを感じる。 展覧会を観終わっての感想は天才偉人はみなその業において精勤である。 ということをつくづく感じさせられた。ということであった。 おわり
2014.01.24
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藤田嗣治展を観て 今日(19)日の午後新設の秋田県立美術館へ目下開催中の藤田嗣治展を 観に行ってきた。彼が昭和12年の一月と二月の初めにかけて秋田市の大地主平野政吉の委嘱をうけて描いた秋田の行事という大作はこれまでも旧平野政吉美術館(旧県立美術館)に以前から飾られていたのでなんどか観たことがあった。でも彼のその他の作品は観たことがなかったので今日、意を決して観に行ってき た。 ちょうどこの時期に合わせて「藤田嗣治 パリの異邦人」と題してNHKの近藤史人氏の講演会が秋田明徳ビルであったので事前学習を兼ねて家内と聴講してから藤田作品を鑑賞することにした。 この講演会での近藤氏の講演の中身もかずかずの映像や藤田の肉声録音テープの披露まであって有意義でかつ楽しい内容のものでした。 以下次回
2014.01.19
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新春所感 寒い日が続きますね。秋田県の横手市や大仙市では降雪量が多く 多いところでは降雪量180cmぐらいになっているのではないでしょうか。 今日のテレビニュースでは大仙市だったか、家屋が雪の重みで二軒 潰れたとか。屋根の雪下ろししていて屋根から落ちて亡くなる方も毎年 何人かおります。大抵老人男性です。屋根に重く降り積もった雪を見ると どうしても雪下ろしをせざるを得ない心情に駆られるのでしょうね。 寒さの被害は經濟にも甚大な影響をおよぼします。今年は灯油が高くて リッターあたり100円を超えました。冬季の暖房費だけでガス、灯油代で 一冬25万円ぐらいかかりそうです。年金暮らしの身には何とも辛いです。 そのほか、落雪のため小生宅のストーブの排気口がふさがれました。 この排気口をプロテクトするための覆いを大工さんに作ってもらわなければな らずこれの費用が1万3千円、冬道の自家用車運転は危険なので病院に通院 するのもタクシーにしようかと思っています。 北国の冬はいろいろ経費が掛かります。まだ除雪、屋根や玄関口、車庫前 など。雪はきれいですが南国の人たちには想像できないような難儀をもたらし ます。あと二か月くらいは辛抱しなくてはなりません。スキーやスケートのできる 人には愉しみもありますが私の場合はただひたすら冬ごもりがあるのみです。 家に閉じこもって読書とテレビと少しばかりの勉強でゆきますか。それしかな いでしょう。病気老人はそれだけでも幸せと思って生きなければなりませんね。 おわり
2014.01.13
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新年所感 今年の正月はほとんど何もしないうちに正月四日間が過ぎようとしていま す。年を取るとこんなにもボケてしまうのかと我ながら苦笑せざるを得ませ ん。本年もよしなしごとをくだくだと書いてゆくつもりです。ご笑覧くだされば ありがたき幸せです。 さて、百年の計は元旦にあり。と申しますが私にはさしたることもありませ ん。強いていえばこの楽天ブログを書き続けることでしょうか。 世の中になんの役にも立たないよしなしごとを書き続けてゆくばかりです。 迷惑なむきもあるでしょうが平にご容赦を! さて、この四日間何をしたか。と言えば正月のおせちを食べたこと。次男 夫婦と会話したこと、食事の世話をしてもらったこと、テレビでNHKの恒例 のクラシック音楽を視聴したこと、そして日本の名だたるオペラ歌手の美声 に酔いしれたこと、キュッヒルさん率いるウィンフィルのメンバーによるアンサ ンブルもよかった。 あとは父祖の地太田町の記念百年誌のページをぱらぱらとめくった程度 か。百年の計も八十一年も経過したのでたてませんでした。 できればこのブログもほそぼそと続けてゆきたいと考えています 頭の具合が時々おかしくなりますのでどうなりますやら! とにかく新年ですので皆様のご多幸を祈ってご挨拶と いたします。 終り
2014.01.04
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私の人生一年(平成25年)の回顧 今年もあと二日になった。 人生81年ほど生きてきて珍しく年末に時間の余裕ができた。 80年経過してやっと時間の使い方に余裕ができたと言うべきか。 小生のささやかな人生にも日常生活において僅かばかりの生活の変化が みられたのでそれらを心の記録として留めておきたい。 今年の私として大きな出来事は何といっても一月の下旬に宿願の富士の お山を十分に満喫するほど眺められたことである。 場所は静岡県富士宮市、休暇村「富士」田貫湖温泉からである。 富士のお山は曇りの日が多くなかなかその全容見せる日が少ないという。 そこでこの度は前回の轍を踏まぬよう比較的姿をよく見せるという真冬に この田貫湖に出かけたのだ。当地に着いた日の午後は曇り気味で小山の 全容がよく見られるかどうか心配だったが翌日からはよく晴れて宿舎の部屋 から終日眺めることができた。ただ山頂には襟巻のようにひっきりなしに雲が 浮かびとうり過ぎてゆく。 日も月も 山頂飾る 田貫富士 - 憲 - そよ風も 浪間も立たず 富士の山 ただ燦々と 空をさえぎる 駄句,駄首で私の感懐を紹介してみました。 その他の小旅行ことしは五回ほど、体調は確実に筋肉が次第に衰え 歩行困難、筋肉痛がからだのあちこちで起き、あとは英会話、とピアノを 少々、変わったところではマネーゲームとしてネット株投資を少額、ここ 二週間ほど前から始めました。今のところマイナスです。なににしても 問屋はそう簡単に卸してくれませんですね。金もありませんしあくまでも ゲーム感覚です。認知症の予防になるかそれとも増進させるか疑問の 残るところです。 それではこの拙文をお読みくださった皆様。 よいお年を!
2013.12.29
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近況報告 長い間ご無沙汰しました。少しばかり野暮用?があってそちらに慣れようと 思い熱中しましたのでついついブログの方がおろそかになってしまいました。 さいきんの体調はというとだいぶ歩くのが辛くなってきています。 最初の二三十歩はまあまあ歩けるのですが直ぐ背中から腰にかけて 筋肉が硬直してきて痛くなるのです。 昨日も友人のK君の家へ碁を打ちに行ったのですが歩いて約10分の 距離のところ7,8回も立ち止まって休まないといけないのです。 退院した五年前は一度も休まずにいけたのに。この分だとそのうちどこへも 歩いていけなくなるなあ!前途暗澹。そのくせ、家の中ではどこえでも行けるよう な気でいるから呑気、現実は甘くないぞ! 今月の十九、二十日、二十一日と娘が孫たちを連れて帰省しました。 たった一晩我が家に泊まり翌日は角館駅から15キロほど離れた山奥の温泉 「都忘れ」に行ってきました。ここは昔は夏瀬温泉といい、玉川の源流、ダムの 近くで抱返り渓谷の最上流部にある秘湯でした。いまは、すっかりリニュウアル して建物は町の中の温泉などよりセンスのよい温泉宿になっています。 ここで韓国映画のスタッフが映画ロケの際に宿泊逗留したせいか今では韓国 や台湾のお客が多いとか。えっ!こんな山奥まで?と、びっくりしましたが現に 私達が泊まった時も台湾人らしいご夫婦が滞在していました。 いまでも宿の手前5キロほどはガードレールなしの羊腸の 細道でまことにスリリングです。宿では自家用車では来ないでと 言っています。 温泉そのものの効用は抜群でしょうせいの肌もすべすべし保温 効果もよく帰宅してから一日くらいはからだがほかほかしていました。 季節としては春から秋がよいでしょう。娘の奢りでしたから文句は 言わず世話になってきました。孫たちも大きくなっていましたが都会 育ちのいいめん悪い面も感ぜられました。 以上
2013.12.26
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断想 続き 2 最近、友人知己、同僚だった人の訃報に接する事が多い。 当方の年齢を考えれば当然そうなるであろうが、あの人も逝ったか とおもうと、やはり寂しい。 死をどう考えるか。 これは永遠の命題だとおもうが、私は無宗教、無信心な男だから 来世は信じない。「千の風」ではないが無数の塵になってなんの 想念もなくこの大空を漂うことになるのではないか。と思うことに している。それがわたしの来世だ、と。 そう考えるのが一番気が楽になるような気がする。 よけいなしがらみを引きずらなくてよい。と思うのだが みなさんはどう考えますか。 終り
2013.12.05
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断想 続き 1 毎日が曇りか時雨、ときに霰、ときに雨、雪、ときに突風、滅多にないが ときに薄日がさすこともある。昔からいう。「女心と秋の空」今じゃ男心か それとも両方か。だけどストーカーとなって相手を殺すのはいつも男、世の中 人間の半分は女だ。殺して豚箱に入るより新しい相手を見つけて見返してや る方がいいと思うんだが。不思議と女のストーカーは聞いたことがない。男の 方が心変わりした女への未練がつよいようだ。 明日は日曜日。勤務していたころの日曜日は貴重だった。とかく平日と 違った一日にしたかった。秋のキノコ採りや釣りも終わった今頃は何をした か。多分、ドライブにでも出かけていたかも。ついでに温泉に行き一風呂 浴びてきたこともある。あれは秋口であったか、西目のおんせんに立ち寄り 外湯としゃれたのまではよかったが急に皮膚に赤い湿疹がでてきて息苦しく なり脱衣場の棚につかまってしばし動けなくなってしまったことがあった。 何の薬のせいか、とにかく薬疹だったとおもう。糖尿病は当時から持病だっ たので何種類か飲んでいた薬の副作用だったのではないかと今でも思う。 今はどうか。直接インスリンを打っているのでその被害はないと思うが 近々二の腕をお日様にさらして人体実験やってみなくては。と考えている。 埼玉に住んでいる甥からきりたんぽを送った礼状が届いた。 最近趣味として手品を始めたという。定年退職で少し時間的余裕が できたらしい。服装まで準備して芸を披露したらしい。 じぶんの専門と全然違う趣味を持ったのか。となんだか微笑ましく おもえた。人生定年を迎えたら自分の趣味を深める事。 これが長生きの秘訣だ。 続く
2013.11.30
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断想 徒然ではなく心の落ち着きのないままに心に浮かんでくる想念を書き綴って みる。これが今の自分の実相を報告するに適した最良の表現かもしれない。 今日で私の歯の治療一段落、長年治療に通っていたK歯科医院のK先生 私と同年だが先月末で廃業された。今度奥様、お孫さんといっしょに渡米され 優雅に過ごされるとのこと。羨ましきかな。長年のお仕事ご苦労様でした。 今度通院しているN診療所は歯の治療に従事している医師は3名、歯科衛 生士、技工士の方々が沢山いて患者治療用椅子も20ある。 其のせいだろうか治療の仕方がまるで正反対の感じがする。 肝心の治療は医師だがそれ以外は全部女性の衛生士の方が歯の手入れ、 磨きなど全部してくれる。いままでだったらせいぜい2,30分で終わるところ 毎回一時間以上かかる。丁寧なようなマンマンデイなような?あまりの激変 でびっくり! 今までだったら一,二回の通院で済んだだろう。それが回数も 時間もこの度はかかった。さて、どちらの治療がよいのだろう? さて、この度の中国の一方的な防空識別圏設定宣告、貴方だったらどう 考えますか。尖閣諸島周辺をも入れているのは見え見えですね。 かって中国は覇権主義による領土拡大はしない、と宣言したこともあったの に。中国の共産主義体制がそうさせるのか。 あと数日で師走です。十二月どのように過ごしたらよいか、目下考慮中。 六年前の師走にわたしは苦い経験がある。年賀状づくりをしていて 印刷ソフトのあつかいがうまくゆかずいらいらしたまま夜遅く寝て翌日、 見事に脳梗塞という大病を当ててしまった。糖尿病、高血圧などの持病 お持ちの方、くれぐれもご用心ですぞ!もしも少しでもそのような症状が 現れたら躊躇せず一刻、いや一分も早く脳専門の病院に行くべきです。 時間があなたの予後を左右しますぞ! きょうはこれまで。
2013.11.27
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山王中学校創立60周年記念式典に参加して 今月の二日上記の記念式典にお招きを受けて参加した。 山王中は私が中学校教師として勤務した40年間の中で一番長い。 教師になったのが昭和27年四月、まだ高陽中学校と称していた時期だ。 ところが翌年茨島国道に面した成和中学校と突如合併して山王中学校と なった。一躍生徒数が倍増した。 それから4,5年の間に生徒数がみるみる 間に増えてゆき一学年で十六学級、全校では手元に資料がないので概数で しか言えないが在籍生徒数が約2700人ぐらいおったのではないか。 当事の学校長がよくひきあいにだしたのが全県一の大規模校だ。ということ だった。 今、考えるととんでもない生徒のマスプロダクションでしの教育行政は とんでもないことをしてくれたということだが、戦後の児童生徒数が一番増えた 年代と言える。秋田市の財政も逼迫していてそうするより仕方なかったのかもし れない。近隣のどの中学校もぎゅうぎゅうの寿司詰め状態で私が昭和29年に 受け持った三年四組なども大きな男の子が教室の後ろ壁に背中を押し付けるよ うにしてぎっしり並んで授業を受けていたものだ。 この年月のことを書き出せばきりがないのでこれでやめるが、60年という歳月 での変遷はただただ驚くばかりだ。 私が勤務仕立ての頃は校舎の周りは全部田んぼで国道と校舎をつなぐ道路が 一本あるだけの田園風景が広がっていた。現在の県庁も市役所もまだ建って いなかった。その後昭和41年に失火で校舎が焼失しその後も二度コンクリー トビルに改築されたようだ。ようだと推定で書いたのも焼失後全然訪れる機会 もなく外観だけを横目で見る機会はあったがその校舎の外観もまた変わってい た。校舎の周りもびるが林立していて学校そのものを探すのも一苦労だった。 約50年間のこの地域の変遷はめまぐるしい。改めて50年の歳月の重さを 感じさせられた。田園から地価一等地の官公庁街、会社街に変身していたの である。 山王中学校といえば世間の人々は何を想像するだろうか。なにお隠そうこの 学校は吹奏楽で全国に名をはせている名門校でいままで全国大会に出場する こと16回に及びその成績は殆ど金賞という輝かしいものだ。たしか金賞受賞 の翌年は一回お休みとなる規定があった。(いまもそうなのかわからないが) だからその出場回数と金賞受賞の見事さはいまはや、もはや伝統として確固 としたものとなった。この伝統を作り上げた創始者が木内博先生だ。 わたしはこの木内先生と11年間同僚として一緒に勤務することができた。 但し、吹奏楽指導にわたしが参画することはなかった。 続く
2013.11.14
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渡辺玲子のレクチャ-コンサート 今日の午後二時から秋田市のアトリオンびるの四階にあるアトリオンホールで バイオリニスト渡辺玲子の青少年のためのレクチャーコンサートがあった。 幸い、席に余裕があってシニアの私もこのコンサートを聴講することができた。 渡辺玲子は小生が説明するまでもなく世界のバイオリン界をりーどする逸材、 ヴィオッテイ、パガニーニコンクールで最高位受賞の大バイオリニストだ。 今日の講義と演奏内容は第一部ー音のパレットー文学、絵画から音へ。 第二部 ダンス戸音楽 と題して自らマイク握って音楽の解説しながら愛器の ストラド「ウイルヘルミ」でピアノ伴奏者の江口玲氏とともに音楽を形作ってゆく のである。 今日の受講者は女子高校生が大部分を占めていたが殆ど身動き一つせずに 120分の講義と演奏に耳を傾けていた。 演奏者であり講師の渡辺、江口の両氏もステージに出じっぱりである。 このような音楽会は初めての経験だ。 ビバルデイ(バロック音楽)からカルロス・ガルデル(現代音楽)に至る9曲で 今日の表題による音楽を鮮やかに切り取って見せた。 説明をすると長くなるので省くが、今日の演奏会が行えた陰には国際教養 大学学長の故中島嶺雄氏の尽力(渡辺玲子氏を同大学の特任教授として ニュウヨークから招聘したこと)とアトリオン音楽ホールが座席数わずか700の ホールながら素晴らしい音響効果をもった国内でも有数の名だたる音楽ホール であること。それとこの度のれくちゃーにかかわる諸経費をどのようにして捻出 しているのか。 お蔭さまで私のような老音楽愛好者まで無料で鑑賞することができた。 素晴らしい音楽を解説とともに享受できた。 今日は日頃にはない有り難い一日となった。この感動に浸りながら床に 就くことにしよう。 おわり あること。
2013.11.08
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記念式典や懇親会に参加して この秋は戦後新制中学校が創設されて60年になる。 全国的にも各地域で祝賀式典が執り行われているのではないか。 ご多聞に漏れずわが秋田県でも記念祝賀式典を挙行している中学校が多い。 私が勤務した40年間に七校の中学校に転勤したがそのうち秋田東中学校と 山王中学校がこの秋式典を挙行ということになった。すでに秋田東中学校は 今月の19日㈯に式典を挙げた。以下にその所感を述べたい。 式典に参加して驚いた事は式典運営それ自体全部を生徒達の手に任せてい たということだった。勿論そのように生徒の手ですべて事が運べるようになる までは先生方の並々ならぬ長い間の指導があったに違いない。 一切の式典運営がこのようにして運ばれていったのにまずびっくりした。 四十年前、私がこの学校に赴任した当時だったら生徒にこんな大切な行事 いっさいを任せるなどということは想像もできなかっただろう。前任校の秋田 北中では生徒指導の指定校として校内の生徒指導主事のF先生の主導のも とに生徒へのカウンセラーを基盤に「ベルの鳴らない学校」をテーマに掲げ生 徒の主体的な行動と学習を育てようとしていた。それはそれで当時としては画 期的指導法だったと考えるが秋田東中ほどの様変わりではなかった。 今秋田北中ではどうであろう。相変わらずこの学習システムを継続している だろうか.継続しているとすればどのような変化発展定着をしているのだろう。 一度現状を参観させてもらいたいと思うがなかなかその機会を得ない。 ところで私がこの項で一番書きたかったのは上記のことではない。 式典の一部でアトラクヨンとして歌われた五人の合唱グループ(そのうち一人 は男の子)によるアンサンブルだった。曲名は「ほたる」というわたしの聴いた ことのない曲だったがアカペラで歌われたその声は見事に同質でウイーン少 年合唱団に比較しても劣らないのではないかというくらいの演奏だった。 察しるに多分この子たちは明徳小学校時代から合唱部員として活躍してき たのに違いない。たった一人の男の子は当然ながらまだ変声していなかっ た。一体だれがこの子たちを指導してきたのだろう。このグループの成り立ち の課程や日頃の練習ぶりを知りたい思いに駆られた。それほど見事な出来栄 えだった。 最後のステージでは秋田県出身の作曲家石井歓氏の作曲された交声曲、 奏楽と合唱による「大いなる秋田」も全校生徒によって演奏された。 この曲の第3、第4楽章には秋田県民歌と秋田県民の歌が挿入というか テーマとして使われている。成田為三作曲のこの県民歌は全国の県民歌の 中でも最上の県民歌と自負している。また、県民の歌を作曲したのはかって 私の山王中学校時代の教え子だった菅原良明君の作曲によるものだ。 かって私も県の第19回の記念日に同じ県民会館のこのステージで数校の 合同演奏の指揮をしたことなど思い出したりした。秋田県民歌を聴くと涙が滲 みでてくるような思いになる。 秋田東中学校の全校生徒諸君の主体的活躍ぶりを見て心の洗われる想い のひと時を過ごすことができた。心が驚きと感動で満たされた半日だった。 完
2013.10.27
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韓国旅行回想 続き 4 韓国人の特性。韓国は中国の中華対して儒教が全土に浸み渡っているから 朝鮮を小華の国と名づけている人もいる。司馬遼太郎大先生もその一人だ。 日本には学問としてあるいは学術思想の本として輸入されたが日常規範とし て生活のなかに溶け込むには至らなかった。ところが韓国では儒教がしっかり と生活に根付いている。私が滞在した四日ばかりの間に体験したことを紹介し その証としよう。 ソウルの公園だったか、私達観光団が観光地を移動していて僅かばかりの石 段を登っていた時私の傍を登っていた見知らぬ男性がすっと寄ってきて私の腕 を支えてくれたのだ。その一瞬私は何をされたのか判らなかったのだがその行 動の意味が分かって石段を登りきる時あわててお礼を言った。日本語だったか 英語だったか。まだ私が病人になる前の普通人だったのにすうっと寄ってきて 手を差し伸べてくれた。 それと韓国の女の人は年中祖先を祭る行事が各家庭であって一家の主婦 はその世話で大変だ。ということをガイドの女性がいっていた。 これらからも韓国は儒教の教えが生活の中に浸透している、即ち祖先や年 長者敬うことが韓国人の生活の中にごく自然に浸みついて習慣化されている ことに気付いた。 それからもう一つは韓国人は理詰めであることだ。何気なく韓国ガイドと会 話している時、朝鮮や沿海州、日本で囲んでいる海をなぜ「日本海」と名付 けなければならないのか。という趣旨のことをいった。私達日本人が当然の ごとく使っている名称も韓国の人々には気になっていることなのだ。 小さな体験だったが日頃思いもつかない体験や習慣、思考の違いを感じ させられた外国旅行だった。 完 (もちろん日本語で)
2013.10.24
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