捨てハンのブログ

PR

×

プロフィール

捨てハン

捨てハン

カレンダー

バックナンバー

2026.05
2026.04
2026.03
2026.02
2026.01

カテゴリ

コメント新着

捨てハン @ Re[1]:マジで頭狂ってやがる(08/04) ナナシィ1190さんへ 確かにそうですね。 …
ナナシィ1190 @ Re:マジで頭狂ってやがる(08/04) 昔の悪ノリが過ぎる2ch全盛期の時代とかだ…
捨てハン @ Re[1]:倫理観0を自ら証明するスタイル(07/01) ナナシィ1190さんへ >「喜多川姉弟」や「…
ナナシィ1190 @ Re:倫理観0を自ら証明するスタイル(07/01) >ジャニーズの問題を安倍が隠蔽した こ…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2023.07.08
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
まず、​ こちら ​をどうぞ。
https://plaza.rakuten.co.jp/bluestone998/diary/202307070000/

元ネタは東京新聞ですが、まあ、何というか。「自分らは特別扱いされたい」という戯言以外の何物でもないという。

大学で学生と接していると、メディアに「完璧さ」を求める声が強い。この「感情」は学生だけにとどまらず、社会全体を覆うメディア批判とも重なると思われる。その中身として主に3つが挙げられる。

第一は「無謬(むびゅう)性」だ。報道は絶対に間違いが許されないとの思い込みがある。

絶対に間違いが許されないも何も、 マスコミにとって手前の扱う情報て 何ですか? 「 商品 」でしょうよ。基本的に商品に瑕疵があってはならないのですが、 商品扱う側が「瑕疵があって当然」なんて態度取りますかね

例えば、週刊誌の憶測(おくそく)記事はもってのほかとされるが、果たしてそうか。

『新聞のいやなところは、実際、俗耳に入り易い俗論を、しかもしばしば間違いだらけの俗論を、正義面して書き立てる点ですね。もちろんそうでない立派な新聞記者だっているんだけど、ともかく昔は彼ら、羽織ゴロと言われて、まともな人間として見られてなかったから、それでもよかった。背広着てネクタイしめて、一人前の紳士の顔して、尚それをやるのが少なくない。』
(阿川弘之 「国を思うて何が悪い」より抜粋)

例えば東京スポーツみたいに「日付以外は出鱈目」と豪語しているなら、そりゃ憶測だらけでも多少は許されますよ。 日付以外出鱈目な内容を信用する方が間違い ですから。でもね、新聞各社、「社会の木鐸」を自称しておりませんでしたか?  社会の木鐸を自称しておいて、内容は憶測だらけとか羊頭狗肉そのもの でしょうよ。
憶測を許してほしいというのであれば、「 東京新聞は親会社の中日新聞含めて羽織ゴロ集団だ。間違いだらけの俗論を書き列ねるぞ 」と 断言してくれ ませんかね。 そういうものとして扱います ので。

事実は一つだから、さまざまな報道があるのはおかしいとの声もよく聞く。しかし、ものの見方は多様で、同じ事象を見ても受け取り方は人によって異なる。

そう、なので例えば「LGBT法案が成立した」ならそれに対して賛成、反対と受取が人によって異なって当然なわけですね。ですが、東京新聞みたいに「LGBT 法案」と 捏造する のは果たして許されますか?

受け手側はメディアの違いを理解し、情報を見分ける力を身に付ける必要かあるし、ましてや公権力に「浄化」を求めるようなことがあってはならない。

一番ふざけているのはここですね
例えばメーカーさんだと、商品に瑕疵があってリコールとなればその商品の回収に努めるわけでして。例えば金融機関、最近の話では関東の金融機関が仕組債だったかな? その関係で監督省庁から〆られたようですけど、あれとて業界で「(省庁から睨まれたのが起点かもしれんけど)仕組債は宜しくないね」と自主規制をやっていたわけでして。それでも足らんかったから〆られたという見方もできる。
では、マスコミ各社、『公権力に「浄化」を求めるようなことがあってはならない(キリッ』言うてますけど、相応に自主規制をやっておりましたか? 最近の東京新聞は持逃げ遺書子を見ても、 自主規制どころか野放し状態なのが現実 でしょうよ。 自浄作用が働かないなら、公権力に浄化してもらう。当然じゃないですか。

そもそも締め切りに迫られて報じるにあたり、完璧さを絶対条件にしては、記事や番組は出せないだろう。大切なのは、不確かなことを断定しない「誠実さ」や、とことん真実に迫ろうという真摯な「追求努力」があるかどうかだ。

? 先に「憶測を許してほしい」と言っておいてこの戯言。 不確かなことを断定しない「誠実さ」があるなら憶測なんぞやれるわけがない 。そもそも自主規制対象になるでしょうよ。
こういう同一記事内で矛盾することを書けるのも、「自分らは特別なんだ。特別扱いされて当然なんだ」という傲慢さが為せる業なんでしょうね。

第二は「品行方正」だ。プライバシーを侵害するなどもってのほか、記者は社会の迷惑にならないよう範を示す立ち振る舞いが必要というわけだ。

いや、 取材するにも最低限の品行は必要 でしょうよ。まあ、どこぞのレイパー西山(元毎日新聞記者)を持ち上げたいであろう東京新聞からしたら「俺の取材は社会倫理に優越する」なのやもしれませんがね。
ただね、性犯罪に対して年齢に限らず嫌悪感が強いでしょうけど、その中で特段強いのが若者なのに、どこぞのレイパーを持ち上げるような(しかもドラマ化して美化までした)ことをやらかしたら、「品行方正」の四文字がでるのはある意味必然でしょうに。

何より取材で政治家や公務員から情報を聞き出す行為自体、形式的には情報漏洩(ろうえい)をそそのかす行為にほかならない。

オフレコの全否定ですか?

あえて言えば、みんなが聖人君子のように振る舞えば、私たちの知る権利は満たされないことになる。しかし、今の学生には、そこまで無理しなくていいのではないかとの気持ちが強い。必要以上に行儀のよさが強調される社会は息苦しく、多様性を失うことにならないか。

オフレコて 「記者限りであり、情報漏洩しない」前提 、それこそ 聖人君子のように振舞うのが前提 ですけどね。最近のマスゴミどもはオフレコの意味すら知らんで平気でオンレコとして報道しているのが一部いるようですけど、そういう醜態を学生さんに見せたら、 「信義にもとる取材はどうよ?」となるのは必然 では?

第三は「中立性」だ。主張することは良くない、報道は常に不偏不党であるべきだとの判断基準は、時に政府が言っていることは正しいはずで、否定するのはおかしいとの思いにつながる。いわゆる偏向批判ということだ。

事実を中立に伝えるなら「政府はAと言った」なら「政府はAと言った」と報道するのが正しく、そこに肯定も否定もないわけでして。そして、 「政府がAと言った」について判断するのは我々国民であり、そこで肯定否定が入る
別に「政府はAと言ったが、それは正しい」とやってくれてもいいですよ? 自身の政治信条を明言して、それに合致するから肯定するとしてくれるなら。当然、東京新聞みたいに「政治信条が異なるから、政府を全否定する」でもいいですよ。
社会の木鐸、中立を自称しておいて、その実がアジビラ、偏向だから叩かれる のであって、最初からアジビラで偏向しているのを明示してくれるならそう扱いますよ。

ちろんジャーナリズムが党派性を帯び、政治的、社会的対立をあおることに精を出してしまっては、分断が進み、報道機関の重要な機能である議題設定も、社会的合意を生み出すこともできなくなる。

そうですね。東京新聞や琉球新報、沖縄タイムス、大手なら朝日毎日辺り等、いずれも党派性を帯びて政治的、社会的対立を煽ることに精を出していますよね。
・・・普通、手前で戯言書いたなら、その戯言に手前が合致するか否かくらい確認するはずなんですがね。
なお、読売産経辺りも「党派性を帯びている!」と入れてくれてもいいですよ? 読売産経がそうだからといって、東京新聞が免罪されるわけではないので。

だが、日本の報道機関は客観中立をうたいつつ、取材先と協調的な関係をつくる中で情報を入手してきた結果、メディアと政治の距離の近さが問題になった。一方、市民運動や住民運動に肩入れすることは、運動と一体化することで許されないと評価されてきた。

いや、流石にこの物言い、 市民運動や住民活動(その実左翼活動)に肩入れしている東京新聞や毎日朝日、「ヤンキーゴーホーム」連呼のレイシストを擁護する沖縄二紙に失礼 では?
それと、モリカケサクラがいい例でしょうけど、「中立と称して政治に遠慮した」なんて話になってました? 普通に(しかも東京新聞に至っては改ざん前文書が出た後も改ざん後文書を持ち出して)政府たたきをやっていたはずですが。
この記事を書いたバカ、どこの異次元の住民なんでしょうね?

しかし、社会の弱い立場に寄り添い、小さな声を拾う作業こそが「公正さ」の発露であるはずだ。そもそも課題解決のためにも一歩踏み込んだ「主張」が必要な場合は多いだろう。

そうですね。 バックに公党である共産党がいるとされるColaboなんぞ強者そのもの ですよね。一方で、逸般人なんて言われてますけど、 暇の字は個人そのものでColaboとの比較では弱者 でしょうよ。その暇の字がColaboの経理の杜撰さに対して声をあげたのに対して、東京新聞や毎日朝日辺り、どういう反応してましたかね?

いやはや、全体通しても 『政治信条を前面に出して、社会の木鐸、中立という自称を捨てる』だけで割と解決する のですが、それをやらないのは何故なんでしょうね(棒)

では、都合がいいから東京新聞を盲信しているバカの反応でも。

>「報道は間違いが許されない」というのは、見方によってはジャーナリストを過信しているためと言えるかも知れません。ジャーナリストだって人間ですから、それはたまには間違いをすることもあるでしょう。大事なことは「間違い」であることが分かったときに、それを誤魔化すのか訂正するのか、という点です。どこかの政治家のように、言を左右して責任の所在を不明にしてしまうようなことこそ問題視されるべきであって、頭から「間違いは許されない」と思うことこそ「間違い」なのです。

で、佐原は朝日が所謂従軍慰安婦問題で見苦しい言い訳をしていた時に、どういう反応示してましたかね?
『言を左右して責任の所在を不明にしてしまうようなことこそ問題視されるべき』という反応ではなく、これまた 見苦しく擁護していた はずですがね。

>「品行方正」については、今どきの学生は誰に吹き込まれてそんな思い込みをしてるのか、不思議です。取材対象の政治家が何か不都合な事実を持っている場合には、あらゆる手段で隠蔽を試みるわけで、そういう相手から真実を引き出す場合には、時や場所を選ばず夜討ち朝駆けをしなければならない場合もあるでしょう。インターン活動などを通して世間の厳しさを体験すれば、「品行方正」とばかりは言っていられないという現実を知ることでしょう。

「20歳までに共産主義にかぶれないのは情熱が足りない。20歳過ぎても共産主義にかぶれているのは知性が足りない。」でしたっけ?
世間を、現実を知れば知るほど、理想ではなく現実的な解決方法を探るようなるわけですが、60歳70歳過ぎてもなお世間や現実の厳しさから目を背け、相も変わらず知性の足りない行動をしているのはどこの佐原なんだか。
ついでに言えば、世間の厳しさを知っているなら 「己の扱う商品である『情報』に対して極めて不誠実な態度を取るマスゴミども」とか、批判の対象になる のですがね。
本記事とか批判の対象そのものでしょうよ。

>「不偏不党」については、現場のジャーナリストを統括する責任者が判断しコントロールするものであって、個々のジャーナリストが考える話ではないと思います。

その責任者は、例えば新聞社ならデスクなり社長(総責任者)なんですが、そこが 佐原好みの記事を「偏向しすぎ」として不採用にしたら烈火のごとく怒る のでしょう?

>個々のジャーナリストは己の信念に従って、労働者の声を多く集めて「日本の労働政策はこうするべきだ」という記事を書けばいいのであって、また、あるジャーナリストは多くの経営者の声を集めて「経営戦略の観点からは、一定程度従業員の協力も必要だ」という記事を書くこともあるでしょう。

そうですね。いずれも佐原好みの記事ですね。この時点で 「俺の主張以外認めない」言うに等しい じゃないですか。
これ、「労働者の声を集めて、経営戦略の観点から、 一定程度経営者への協力も必要だ 」「 経営戦略の観点から労働政策はこうすべき 」だったら、やはり佐原は人体発火するんじゃないかという勢いで激怒すると思いますよ。

>いろいろな立場から、さまざまな記事を集めて、それをどのように紙面に配置して中立性を発揮するのか、そこが編集部の腕の振るいどころというものでしょう。

でも、前述みても 「中立性と言いつつ、その実手前好み」でしかない ですよね。

>若い学生諸君も、これから世間に出て、いろいろ体験を積んで、より良い社会にするために自分はどう貢献するのか、考える機会がきっとあると思います。

ここだけは同意。ただ、その結論が『朝日毎日東京沖縄二紙のような偏向は徹底的に潰すべし』だとしても、それを一つの意見として受け入れる度量が大人には必要なわけでして。
まあ、私もいい加減、歳食ってますけど、そこまでの境地には至っていない。大人というのは中々に難しい。『 言うは易く行うは難し 』という奴ですな。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023.07.08 12:00:07
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: