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東京で働き始めて三年。実家に帰るたび、この川沿いの道を歩くのが習慣になっていた。理由はうまく説明できない。ただ、この鈍い水の流れを見ていると、自分の中の何かが正しい速度を取り戻すような気がするのだ。
そのくせ、彼女が本当に恋しくなるのは、川ではなく、あの匂いだった。人形町、柳屋の店先で焼かれる、皮の焦げるかすかに甘い匂い。東京駅から地下鉄で数駅、路地に入ったところにある小さな店。行列ができるたび、優子は仕事帰りにわざわざ遠回りをして並んだ。焼き型がジュッと鳴る音、薄く均一に焼かれた皮の下で、粒あんがぎっしり詰まっている、あの一尾。
不思議なのは、花見川の水の匂いを嗅ぐと、なぜかあの店先の匂いを思い出すということだった。似ても似つかない二つの匂い――片方は緑がかった水と草の匂い、もう片方は小麦と炭火の甘い匂い。それでも優子の中では、どちらも「戻ってきた」という感覚と分かちがたく結びついていた。花見川は幼い自分がいた場所への回帰であり、柳屋のたい焼きは、今の自分がどうにか根を張ろうとしている東京への、ささやかな帰属の儀式だった。
二〇二六年の夏、彼女は思い立って、その二つを一日のうちに繋いでみることにした。朝、始発に近い電車で千葉に帰り、花見川沿いを歩く。日が高くなる前に土手を一周し、汗だくのまま実家で麦茶を飲む。そして昼過ぎ、また電車に乗って人形町へ向かう。柳屋の列に並び、焼きたての一尾を、店先の熱気の中でそのまま頬張る。
皮はぱりっと薄く、あんは思ったよりも熱く、舌の上で溶けていく。優子はふと、その甘さの奥に、朝の川の匂いがまだ残っていることに気づいた。汗の塩気か、草いきれの記憶か、それとも単なる思い込みか。理由はどうでもよかった。
遠く離れた二つの場所が、彼女という一つの体の中でだけ、静かに手をつないでいる。それだけで、この暑い一日は、どこか特別なものに変わった気がした。
――花見川の水は、今日も海へ向かって流れていく。人形町の路地では、また新しい皮がジュッと音を立てて焼き上がる。二〇二六年の夏、その二つの音は、優子の記憶の中でだけ、同じリズムを刻んでいた。
(文:Claudeによる)
真夏の花見川と柳屋のたい焼き(写真1+Google)
真夏の花見川と柳屋のたい焼き(写真2+Google)
真夏の花見川と柳屋のたい焼き(写真3+Google)
真夏の花見川と柳屋のたい焼き(写真4+Google)
真夏の花見川と柳屋のたい焼き(写真5+Google)
真夏の花見川と柳屋のたい焼き(写真1〜5) コラージュ
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