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2006年04月08日
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テーマ: 本日の1冊(3706)
カテゴリ: 思想・哲学・宗教
日本人のための憲法原論

 「日本国憲法は死んでいる」といきなりショッキングなメッセージを小室直樹先生が読者に投げつけるこの本は、碩学の小室直樹先生による憲法を中心とした資本主義・民主主義・人権・平等がいかにして西洋で生まれたか、その憲法をいかに活きたものにするかを説いている。

 自分もそうだけど、多くの人は、そもそも憲法(日本国憲法を言っているのではない)が、一体どのようにして生まれ、どういった意味を持つものなのかというのを理解していないのではないだろうか?今回はそんな思いから早速この本を購入して読んでみた。

 そもそも憲法とは国家を縛るための命令で、憲法で定められている基本的人権は、国家権力によって国民の基本的人権が侵されないことが保障されているわけである。なぜ、そうなのか、それはイギリスの思想家ホッブスが近代国家を「リヴァイアサン」という旧約聖書「ヨブ記」にある無敵に怪物にたとえるように、国家権力を縛りつけ、抑え込んでおかないととんでもないことになるという考え方が根底にあるからだということだ。

 なぜ、「国家がリヴァイアサン」と考えるようになったのか、中世ヨーロッパにおいて、王国とはいえ、封建領主が割拠し、封建領主と農奴の世界から、貨幣経済の進展と共に商工業者が成長し、都市が発展していく中で、農奴が都市に流れ減少する中で封建領主が没落し、商工業者と手を組んだ王の力が相対的に強くなっていく。そういってもまだ相対的に強くなっただけで、封建領主に対して一方的に力を行使できる状態ではなかったので、力をつけてきた商工業者も自分の仲間に引き入れる形で議会を創設した。封建領主=貴族も王に好き勝手に自分たちの特権をなくすような法律を作られても困ることから議会に参加した。そこには民主主義はない。お互いがお互いの思惑(自らの特権を守るor強化)から議会が作られた。そして1215年にイギリスでヨーロッパ最初の憲法といわれる「マグナ・カルタ」が公布された。といってもこの「マグナ・カルタ」は今の憲法のようなものではなく、その当時のイギリス王ジョンが、貴族や教会にフランスとの戦争を進めるための戦費調達でどんどん税金をかけたために、貴族たちが既得権益を守るために王に結ばせた契約であった。すなわち、憲法も議会も民主主義とは関係ないところから生まれたのである。

 王権が増大していくなか、フランスのルイ14世が、「朕は国家なり」という名文句が出るように、絶対王権の状態になる。ついに国家は大きな力を持つリヴァイアサンになる。このリヴァイアサンを縛り上げたのが、キリスト教、特に、宗教改革で名を馳せたカルヴァンか築き上げた思想体系「予定説」であった。

 この「予定説」とは、「誰が救われるか救われないかは、その人がずっと前から決まっていることである」ということなんだそうだ。小室先生が説くキリスト教の理解は、「神はあらゆることから超越している」ことと、「一人の例外もなく、人間は堕落した存在である」ということで、アダムとイブがエデンの園に住んでいたが、神の命令に逆らって禁断の木の実を食べたことで楽園を追放され、罰として「死」を与えられた。そしてその「死」は、アダムとイブだけに限らず人類全体の連帯責任として同じ罪=「原罪」が与えられた。ただ人間の死は、「仮の死」であって、本当の死は、世界の終わりに人々の前に髪が現れて、最後の審判で神に救われたものは神の国で永遠に生き、救われないものには本物の死が与えられるのである。すべての人間が背負った「原罪」を免除して救うや救わないを決めるのは、神である。その基準は、全知全能の神が決めることであり、人間をはるかに超越した存在である神のことを推測できるわけがない。そして全知全能の神ほどの力があれば、その人が生まれるから、どんな人生を送るかもお見通しだし、どのような人生を送るかを決めているのも神であり、その時点で救いの可能性も決定されているとカルヴァンは考えたんだそうだ。ただ、この考えはカルヴァンの思い付きではなく、カルヴァンが聖書を読み込んで考え抜いた末の結論だった。

 となると信じている意味がなさそうに感じるのだが、確かに救われる基準が分からなくても、「結果として」どのような人間が救われるかは人間の頭でも想定できるものらしく、それはキリスト教を信じ、神の万能を信じ、予定説を信じている人間だ。神から救われるくらいの人間は、単なるキリスト教徒ではなく、筋金入りのキリスト教徒=プロテスタント、そしてカルヴァン派というわけなんだそうだ。

 この圧倒的な神の存在、無限で万能な神の存在を信じた結果、王や領主や農奴や商人も、その神の存在からはほとんど差がない。無限大の数字から見れば、1も1000もたいした差はないんだという中から、平等の思想が生まれた。他にも民主主義や資本主義が生まれたことが説明される。

 ヨーロッパのキリスト教を軸にしたキリストという無限万能の圧倒的な存在を抱いた結果として生み出されたものだということだ。

 このことを明治の伊藤博文は、自らが明治憲法を制定するためにドイツに行き、研究した結果として気がついた。ただ近代化を図るとはいえ、いきなり日本の宗教をキリスト教にしてしまうことができるわけではなかった。しかし、縦の機軸が必要であった。その縦の機軸を、天皇にしたというわけであった。「現人神」である天皇の下にすべての日本人が平等であるという発想を生み出した。伊藤博文の慧眼ともいえる判断で、この判断などから日本は非欧米諸国で初の資本主義国家になりえたということだった。

 小室先生の話は、とても分かりやすく、知的好奇心をくすぐられる。ページ数も多くてかなり読み応えもあるが、憲法や人権・平等・民主主義・資本主義がどうして生まれたかが分かる。憲法改正論議が10年以上前と比べたら、想像できないほどに盛り上がっている中、そもそも憲法が楠であるかを学ぶのにいい1冊だと思う。


日本人のための憲法原論
著:小室直樹 発行所:集英社インターナショナル
2006年3月30日第1刷 定価:1,800円+税





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最終更新日  2006年04月08日 22時53分31秒
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