江戸こぼれ話 笑左衛門残日録

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月夜の傘 New! 朽木一空と五林寺隆さん

2020.01.15
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​​   ​忍草  浅草花川戸町 七軒店 ​​

  戯噺 老忍礫の退四朗衰記 7


 にゃあん、にゃあん、、にゃあん、、にゃあん、
 食いねえ、食いねえ、猫肉食いねえ、
 えっ、姐さん、猫の肉は気色が悪いって?
 鶏も豚も牛も馬も同じなんじゃねえのかい、
旨いよ、一度食べたらやみつきになる、
  浅草花川戸町七軒店の名物、『猫のやみつき丼』でぃ、

 浅草寺の参道から左に折れて、馬道を横切り、勝蔵院の塀に沿って右に曲がり、
千住街道に出る手前の角を入ると、唐辛子屋の七兵衛の持つ浅草花川戸町の七軒店があった。 その店の一軒が一膳めしや『猫まんま』である。
 店先には、今戸焼の招き猫が座って、手招きしている。
 浅草寺の暮れ六ツの鐘がゴーーンと鳴り、軒先の提灯に灯がはいる頃になると、
『猫まんま』の店には仕事を終えた職人や、商店の番頭や手代、長屋の連中に 浅草寺詣での旅人まで混じり、賑やかになる。
 この一膳めしや『猫まんま』では『やみつき丼』が人気だった。
 飯の上に猫肉をのせ、鰹節を散らし、青菜を振る、それに醤油をかけた丼だった。
常連はほとんどその味を求めて『猫まんま』にやってきていた。
主人の歌右衛門は二足の草鞋を履いていて『猫まんま』の亭主と、 浅草下谷に職人を抱えて三味線作りをしていて、山谷町から猫腹の皮を仕入ていた。 三味線用に猫の腹の皮を剥げば、猫の肉が余るのは自明の理であった。
 歌右衛門はその猫の肉が無駄に捨てられるのがもったいなかった。
 当時、江戸の庶民の間で、肉を食うという習慣はなかったが、 両国橋の袂には、『ももんじや」』という、山くじら料理(猪肉)の専門店があり、 味噌肉丼や牡丹鍋(猪鍋)が名物で、通人には人気があったし、 本所の小料理屋、五鉄の軍鶏鍋( しゃもなべ) は鬼平こと、長谷川平蔵も贔屓 (ひいき) にしていた。
 歌右衛門は密かにももんじやと五鉄でその味を確かめ、真似し、一膳めしや『猫まんま』を開業することにした。
 『猫まんま』の店には亥の刻 (夜十時) になると、頬っ被りした山谷町の夘助が桶に入って油紙に包まれた肉を 勝手口からそっと運びいれる。牛の肉のような赤肉で、煮ると、脂も程よく、繊維が溶けて柔らかい肉質の肉だった。
 その肉がなんの獣肉なのかは捌かれた肉なのでわからないが、、へっへっへっ、、にゃおーん、
 『やみつき丼』」は今まで食したことのない美味な味で、たちまちその味に客は惚れ、やみつきになる。  噂が噂を連れて、一膳めしや『猫まんま』の『やみつき丼』は花川戸の知る人ぞ知る名物料理になりつつあった。
 おきみ、およしの二人の茶汲み女を抱えた、歌右衛門の一膳めしや『猫まんま』には、 精進料理しか食べられない、寺の坊主までが内緒で通うようにもなっていた。
 天保13年、徳川幕府は緩んだ幕政を立て直すため、天保の改革を推し進めていた。
 倹約令を発し、贅沢禁止、奢侈 (しゃし) の禁止、風俗取り締まりを強化し、 歌舞伎や芝居小屋など寄席や、春本などの出版物の統制強化、着物、帯、簪に至るまで、 派手なものはみな取り締まり、江戸の庶民は息の詰まりそうな閉塞感を感じていた。
 『猫まんま』でも、そんな幕府の取り締まりに対して、煩 (わずらわしい) いだけの野暮なご改革だと、 不満や愚痴を肴にして酒を飲み、鬱憤を吐き出していた。
「おいっ、絹の褌はいけえねえとよ、うっかり尻しょっぱりもできやしねえな」
「褌つけてるだけ御立派だよ、こっちなんざ、ガキが産まれて褌までおしめになっちまった、 お陰で袷は捲れねえが、股の下がすーすーして屁も気持ちがよさそうだ」
「なあに、もっとかわいそうなのが、黄金虫さんよっ、名前からして贅沢だ、 見つかれば、打ち首獄門だってんで、もう地面の中に潜りっぱなしだよ、あっはっはっ」
「おそういえば、金魚様だって、色鮮やかな肢体をくねらせて、ついこの間まで優雅に泳いでいたのが、 今じゃ、石の陰に隠れたままで出てきやしねえそうだ、、馬鹿馬鹿しいねえっ、」
「ところがよ、お奉行の鳥居様の下谷のお屋敷の池じゃ、錦鯉が優雅に泳いでいるっていううじゃねえか、」
「まったく、老中の水野様や奉行の鳥居耀蔵様の考えてることは庶民虐めだねえ」
 言いたいことを言いながら愉快に酒を飲んでいたところへ、 『猫まんま』の看板猫の今戸焼の招き猫を蹴飛ばし、暖簾を破って入ってきたのは、 赤田左膳率いる御存じ『天保赤鳥党』という柄の悪い五人の無頼者だった。
 女物の襤褸古着を重ね着して引きずり、金ぴかに飾った鞘の三尺を超える大太刀を落とし差しにし、 蛇のような眼で睨み付け、捲りあげた腕に龍の刺青をしているのが、赤田左膳だった。 今、江戸の町中で、最も評判の悪い暴れ旗本奴『天保赤鳥党』という、荒くれ者の集団だった。
 店にはいると、ドカンと腰を降ろし、あたりを睥睨し、
「おやじ、酒だ、樽ごと持ってこい、それに、なんだ、猫飯か、そいつも持ってこい、早くしろ」
 店の空気は暗転した。常連の客らはさっきまでの勢いはどこへやら、触らぬ神に祟りなしと、 目を合わさないようにして、一人二人と姿を消していった。
 店の中に残ったのは、おきみ、およし、の二人の茶汲み女と、亭主の歌右衛門、
それに奥の小上がりで居眠りをしている陰庭退四朗しかいなかった。
 無頼者たちは、しこたま酒を飲み、
「さてと、亭主、われらはこれから吉原遊郭へ繰り出すのだ、ついては軍資金が不足しておる、 地獄の沙汰も金次第だ、幕府のご改革のためだ、三十両もあればよい」
「そんな、銭があるわけもございません、」
「何をぬかすか、この店では猫の肉を食わせてたんまり儲け。貯め込んでいることは、先刻承知の助だ、 よいか、われらは、北町奉行鳥居耀蔵様直属の天保赤鳥党であるぞ、 奉行所に、猫の肉を食わしていると報告してよいのだな、なにしろ店の看板に猫飯と書いてある、」
「旨ければいいじゃありませんか、猫の肉などと、洒落でございますよ、」
「何をほざく、お主が下谷の三味線作りで猫の皮を剥いでいるんのは調べの上だ、
皮は三味線として、猫肉はどう始末しているのだ、んっ?答えてみいっ、これがその肉か? まあよい、三十両で水に流そう、よいな、金ができるまで、われらはこの女と遊ぶことにしよう」
 暴れれば暴れるほど、見逃し料が高くつくのを赤田左膳は体で覚えている。
「いやぁ、いやぁ、許してぇ、助けてぇ、、」
おきみ、およしが腰をひねって悲鳴を上げる。
「退四朗様、起きてください、出番でございますよ、」
 万事休すかと、歌右衛門も諦めかけたが、小上がりで眠りこけてる退四朗に、だめもとで声をかけた。 こんな時のためにただ酒を飲ましていたのだ。
 その退四朗、ゆっくりと欠伸をして、立ち上がった。
「うむう、騒々しいなあ、赤鳥党とやら、静かに飲まんか、」
「何をほざく、貧乏浪人め、天保赤鳥党に逆らう奴は許さんぞ!!」
 赤田左膳は刀を抜いて、退四朗を恐喝する。
「煩くて寝ておれぬわ、分からぬ奴めじゃ、唐辛子でも御馳走しようか!」
 退四朗の手から礫が飛んだ、礫は赤田左膳のこめかみにあたり、凄まじい炸裂音をあげ、 唐辛子の粉末の赤煙が飛び散った。無頼者たちの双眸に激しい痛みが走り、泪があふれ、眼を開けていられない。
「おのれ、戯け者めが、許さんぞ、この店叩き潰せ!!」
 開かぬ目で、台の上の丼や銚子を払いのけ、長脇差(ながどす)をめったやたらと振り回す。 だが、次の瞬間、次々と男たちの腕は背中のほうへ捻り上げらえ、ぼきっと骨が折れる音がする。
「痛えっ痛えっ、手が動かねえ」
 天保赤鳥党の五人は何がどうなったのかかわからない、両手が後ろに回ったまま痛くて動かない。
 赤い煙幕が消えていくと、狼藉者たちは這う這うの体で退散していった。
 旗本奴の赤鳥党の五人をあっという間にやっつけたのは、もちろん、礫の退四朗である。 素手で関節を締めあげて腕を折っていった。忍法、骨法術である。
 どうにでもなりやがれという、やけっぱちで生きている下級武士の赤田左膳が、
忍者の下層で蠢 (うごめく) く死にぞこないの退四朗に、痛みつけられたのは、 それぞれの身分制度の下の底辺で生きる者同士の宿命の因縁であったのだろうか、
 陰庭退四朗は何事もなかったかのように、飯の上に残り酒をかけた酒茶漬けをかきこんだ。
 にゃおーん、空耳だろうか、猫の鳴き声が聞こえてきた。

   つづく 朽木一空






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最終更新日  2020.01.15 10:25:04
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