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忍草 (しのぶくさ) 26-18儚さも 悲しからずや 忍草 伊賀の野辺には 春きたりなり おっと、汚桜金四郎の巻 2 魑魅魍魎 江戸城は伏魔殿 妖怪かい?化けものかい? 老中は妖術使いでございますね、 庶民の長屋にも、貧乏神や座敷わらし、 幽霊にお化けお岩さんも現れますが、人を落とし込むような野暮な人はおりませんよ、 江戸城御用部屋の上之間で老中首座の水野忠邦は陰鬱な表情で 他の老中や下の間に控える若年寄りの顔をなぞるように眺めていた。「こやつらも、いつかは儂の寝首を掻こうと狙っていいるのであろうな、」己の昇進のために猟官運動や賄賂、謀略を目いっぱい使って老中の座に座ることができたことの裏返しで疑心暗鬼になっていたのだろうか、 将軍徳川家斉のもとで頭角を現し、文政8年に大坂城代となり、文政9年に京都所司代となって侍従・越前守に昇叙し、11年に西の丸老中となって家斉将軍の世子・徳川家慶の補佐役を務め、天保5年には本丸老中に任ぜられ、同8年に勝手御用掛を兼ねて、同10年に老中首座まで上り詰めるとんとん拍子の出世街道を歩んできた。 だが、老中となれども、大御所徳川家斉公の放漫な財政に打つ手を見出せないまま、 幕府に強い危機感を抱いていた。 十一代将軍徳川家斉在世中は天保の三侫人と云われた水野忠篤、林忠英、美濃部茂育、 をはじめ家斉の側近が権力を握っていて、水野忠邦の幕政改革の意見は無視され続けた。 天保8年に家慶が第12代将軍に就任し、ついで天保12年1月に大御所・家斉の薨去を経るや、 間髪を入れず、水野忠邦は家斉の旧側近たちを罷免、追放し、 遠山景元、矢部定謙、岡本正成、鳥居耀蔵、渋川敬直、後藤三右衛門らを登用して天保の改革に着手したのだ。 ここまで、順風漫歩に老中首座まで上り詰めたが、その間には賄賂、調略、謀略の限りを尽くして生きた。 いずれ其の火の粉が降りかかって老中首座の座を追われる日が来るかもしれない不安に苛まれていた。 徳川の家臣は誰もが疑心暗鬼の渦の中で、いつその座を追われるかもしれない不安と戦っていたのだった。 水野忠邦が登用した水野三羽烏の一人鳥居耀三は天保の改革の先頭に立って働いてくれたが、いかんせん、人望がなかった。 諜報やおとり捜査で厳しい取り締まりをし、謀略を張り巡らせる腹黒奉行であり、蝮の耀三、妖怪と呼ばれ、人を裏切りることも平気な男であった。水野忠邦は鳥居耀三の腹の底に蠢く黒い虫を見抜いていた。 <必ずや老中に登りつめ徳川幕府を意のままに動かすのだ!> 老中の座から引き下ろそうと企んでいる危険な男だ <いつ寝首を搔かれるやもしれぬ、今、手を打つ時だ!> 甲賀飯道山の調薬の妖術師下柘植薬左衛門に <鱗蝮の調合を依頼した。鰻の鱗と肝に阿呆薬を調合した秘薬で、 飲めば肌が蝮の鱗状態になる> という効能のある秘毒薬の調合を五百両で頼み込んだのだ。鳥居耀三が水野忠邦の罠にかかり、白蛇に抱かる時に飲まされ、臍下から腿に蝮の鱗ができた粉薬がその鱗鰻薬だったのだ。 水野忠邦が鳥居耀三の臍下が蛇腹になっていることは当然のことお見通しだった。 いざという時の天下の宝刀に仕える。「鳥居よ、奉行たるものが臍下に彫り物をしていては示しがつかぬ、 袴を下ろして見せよ!」 この一言と脅せばよい。これで一安心であった。 だが、もうひとり、天保の改革にも何かと難癖をつける北町奉行の 遠山影元がいたのだ。この男も油断がならなった。 吹上げ御所においての公事上聴(将軍が裁判を見学すること)で、 遠山影元の裁判を見学した将軍家慶は、江戸庶民から名奉行だと評判の高かった 遠山影元の鮮やかな取り調べ裁判にすっかり感服し、 <奉行たるべき者、左も右もこれ在るべき事> と、べた褒めで、将軍家慶の厚い信頼を受けたのである、 大名、老中の間でも、遠山は名奉行であるという評価は 江戸城中に広まっていたのだった。 水野忠邦にとっては目の上のたん瘤になっていたのである。 <遠山に刺青をして身動きできぬようにしてしまおう、 儂に逆らうようなら体にある刺青を暴露すれば失脚せねばならぬだろう、」 水野忠邦は<草>の元締である伊賀曲崖郷の柘植孫太夫に <遠山影元の肩から腕にかけて桜の入れ墨を入れてもらえぬかな> と。使者を送った。<三百両でお受けいたそう> 返事が来ると、間髪を入れずに伊賀曲崖郷に三百両届けた。 蛇抜け長屋のぽん吉という名で潜んで暮らす伊賀のくノ一、霞のお銀に<遠山影元の肩から腕にかけて桜の入れ墨を彫れ> というけったいな秘命が下ったのは間もなくであった。 お銀もまた、あの水猿の鯉兵衛の暮らす蛇抜け長屋に辰巳芸者のぽん吉という仮の姿で 身を隠して暮らしている<忍草>だったのだ。 つづく 朽木一空
2026年05月20日
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忍草 (しのぶくさ) 26-17 忍草や 萎えて枯れざる 江戸の町おっと、汚桜金四郎の巻 1焼き芋 焼き芋 ほくっほくっの焼き芋でぃ、おいっ焼芋屋!屁の素の芋は口にできねえよっ、忍者は禁屁、屁をひることもできない、忍屁も漏らせねぇ、音も臭いもなく、煙のように消えて行くのが運命(さだめ)、ぷぅーと、一発気持ちよくぶっ放してみてみてえが、思いをぶちまけちゃならねえ、閉ざされた闇の中で息をしてるのが忍草、暁七つ(午前四時)蛇抜け長屋が寝静まっている薄暗い朝、赤ら顔の鯉兵衛は水場に来て、桶に張った水の中に顔をつけ、息をせずに四半刻も耐えている。ぷくっぷくっと、泡が浮かぶ。息切れせずに顔をあげる、水猿の修業時代からの水術訓練の習慣であった。「、、、ふっー、まだまだ、でいじょうぶ」手拭いで、顔を拭うと、険しい下忍の貌は消え、のんびりとした皺だらけの老人の顔になる。それから、筵(むしろ)をぶら下げただけの厠に入り、音も臭いも消し一尻、大糞を捻りだす。忍法、『無音無臭の糞ひり』の技も、大事な必須忍術のひとつ。鯉兵衛はしょっちゅう女房を変えている。今の女房のお鮒は10人目の女房だった。お鮒が長屋に来たのもまだ半年前だ。新しい女房が来る度に、長屋中にご祝儀と称して、鯛や鰹を配るので、長屋の連中は呆れながらも、ごっつあんですと、馳走を頂いていた。大御所の徳川家斉様は40人の妾を持ち、55人の子供を持った。それに比べりゃ、「俺なんざ、まだまだでぃ」が鯉兵衛の口癖だった。とっくに六十を超えているのに、精力絶倫、毎夜のお勤めが盛んで、たいげえの女房は初めこそ感涙を流すものの、終いには毛饅頭が擦り切れて、うんざり、げっぷが出て、「何方へ嫁入候共、一切かまい不申」という、三行半の離縁状を鯉兵衛に書かせて、長屋を後にする。 鯉兵衛は泣きながら女房を変えているのである。 忍であることを悟られぬように用心するのである。 長く同じ屋根の下で暮らせば、本性が疑われるからである。 長屋の隣の駕籠かき、熊さんはいつも飲みすぎて、まらは役立たず。女房のお福は、瓢箪を股に挟んで、お鮒の喘ぎ声を聞きながら、鯉兵衛さまぁと、身を捩っていることの方が多かった。その鯉兵衛、いつもの挨拶で、女房のお鮒の尻を撫ぜ、「行ってくらあっ」と、言って、厠の裏から、舟溜りに繋いだ鰻舟を漕いで鰻捕りに出かける。昨夜仕掛けた鰻筒から、二尺五寸以下の鰻は解き放ち、大ぶりの鰻の肝を生のまま吸いこんだ。どうやら、精力絶倫の源は「うなぴん」にあったのかもしれない。鯉兵衛が鰻筒から引き上げた鰻を湯島の料理茶屋『川鵜亭』に届けたあと、いつものように、縄暖簾の居酒屋『瓢ひさご』で、お天道様が明るいうちから、昼酒を飲んでいるところへ、湯上りの婀娜(あだ)な姿の柳橋芸者の洗い髪、色香をぷんぷん振りまいて、ぽん吉姉さんがやってきた。男客ばかりの縄暖簾の酒場は、ぱあっと、花が咲いたように、明るくなった。「ぽん吉姉さん、こっちにもお酌頼むよ」下っぴきの粂次がにやついて、ぽん吉にせがむ。「ちょいと、ここは茶屋じゃないよ、お酌してほしかったらね、ちゃんと『梅の囲』においで、うんと、いいい気持ちにさせたげるよっ!」「冷てえなあ、ぽん吉姉さん、熱燗が冷めちまうよっ、おいらだって、お銭がありゃあ、こんな湿気た店じゃなくて、吉原あたりで、どんちゃん騒ぎのひとつもしてみてえよっ」「なんだい粂次、湿気た店で悪かったね、下っ引きが、酒飲んでの見廻り者じゃあ、豆腐の角に頭ぶつけて怪我するよ!」おかみのお瓢も黙っちぁいない。おとなしくしていたら、野暮天相手の居酒屋はやっていけない。ぽん吉は涼し顔して、鯉兵衛の前の酒樽に腰を降ろした。「ちょいと、鯉さん、相談があってね、あっ、お瓢さん、お銚子ちょうだい、三本ね」ぽん吉姐さんも『草』だったのである。女の躰を使って相手を篭絡する忍術を使う『くの一』だった。「女」の字を分解すると「くノ一」になる。人には目鼻口耳臍肛門尿道、と九穴あるが、女にはもうひとつ、膣口があり、一つ多いので、「9+1」で「くノ一」という説もある。ぽん吉は『霞のお銀』と呼ばれていた下忍の草だ。辰巳芸者になりすまして、男を手玉に取り、内密な情報を探り出す間者だった。 粋な姉さんを演じていたが、誠の恋や愛を捨てて生きていかねばならぬ、悲しい女でもあった。昨夜、くノ一、霞のお銀に、『秘命』が下ったのだった。十年ぶりの『秘命』だった。「もう、命が下ることはないと思ってたんだけどねぇ、きちまったものはやらなきゃねぇ、掟に逆らって、抜忍成敗されるのも、哀れだしねえ。ちょいと、こみいった仕事でね、鯉さんに助けてもらおうと思ってさぁ、後生だから、いいでしょう?」「手助け料は高くつくがね」赤ら顔に淫乱な笑いが浮かぶ。「いいわよ、お鮒さんには悪いけど、辰巳芸者の技量で鯉さん、筒枯らしにしちゃおうかな?」「おいっ、そいつはくノ一の忍法かい、筒枯らしにされたんじゃたまらねえなぁ、勘弁勘弁」ぽん吉姉さんこと草の下忍、霞のお銀に下された『秘命』は突飛で奇妙だった。仕事の相手は、遠山の金四郎こと、北町奉行遠山左衛門尉影元だった。 つづく 朽木 一空
2026年05月17日
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忍草 (しのぶくさ) 26-16 ~忍草や 隠れて咲いて 隠れ散る 闇に息づき 名もなき草よ ~ 白蛇に抱かれた奉行 7ならぬ堪忍するが堪忍 いやあ、堪忍ならねえよ、 人の心にゃ鬼が住むか蛇が住むか 奉行の腹には蝮が住み込んだようでございますな「鳥居のお殿様 さあ、お待しておりますよ、」お蝶は、すくっと立ち上がると、襖をあけ、三枚重ねの赤蒲団の敷いてある隣部屋に行くや、恥ずかしがりもせず、帯を解き、襦袢を脱ぎ、着物を脱いだ。 白い身体は眼を眩むような美しさだった。鳥居耀蔵も慌てて褌を解いた。 肥満した白い腹から、びゅうんと起立した黒い逸物が天を仰いだ。だが、酩酊したのか体がよろけた、足元がふらつく、眩暈がする、天井が廻る。蜘蛛左が銚子に注いだ粉末は伝蔵の配合した目眩(めくらまし)の秘薬だった。 鳥居耀蔵はふらふらとやっとの思いで体を運ぶ、 性欲が勝るのか、這いずりながら、お蝶の寝床に躰を滑り込ませた。鳥居の手がお蝶の身体を弄る。お蝶は身体をくねらせる。 そのくねくねとした柔らか肌が鳥居耀蔵の身体に巻き付いた。鳥居は昏迷状態のまま無我夢中の境地にいた。 鳥居耀蔵に絡みついていたのはお蝶ではなく、あの白蛇だったことにも気が付かなかった。 お蝶と白蛇が入れ替わる『身代わりの術』だった。鳥居耀蔵の意識が白蛇に奪われると、天井板が音もなくずれた。 黒装束の蜘蛛左が紐を伝って降りてくる。忍法『下り蜘蛛の術』である。「そなたは?」「白蛇様の使いの者にございます。後は白蛇様に任せて、さあっ、お蝶様、引き上げますぞ!」忍者が黒装束を裏返すと、茶色の商人が着る着物になる、お蝶はそれを被せられたまま、抱きあげられ、天井裏に消えた。蛇を使って、敵の隙を作って逃げる作戦を「蛇遁の術」と云う。 屋敷の裏の堀に出ると、小舟が待っていた。 頬っかぶりした船頭が船棹を漕ぐ、わずかに酒の匂いがお蝶の鼻を掠めた。 鯉兵衛と蜘蛛左の仕業だったがこの仕事が草の秘命によるものなのかは 知る由もなかった。 鳥居耀蔵は白い肌に絡みついて蠢いたままだった。こんな快感は初めてだった。朝までに五回放出した。お天道様が昇った巳の刻まで、死んだように眠っていたが、目が覚めると、「お蝶、お蝶、これほどの歓びはないぞ」といって、再び、お蝶の体を強く抱く。お蝶の手足も鳥居耀蔵の躰にしっとりと、纏わりついている。鳥居耀蔵はまだ、快楽の淵にいた。 が、次の瞬間、「あぎっあっっ!」と呻いた。腰が抜ける。鳥居は蒲団から飛び跳ねる。呻きは歓喜ではかった。驚愕とも違う。酔いは醒め、心臓が高鳴る。股間は縮む。鳥居が抱いていたのはお蝶ではなく大白蛇だったのだ。『身代わりの術』にかかっていたのだ。大白蛇はゆっくりと、蒲団から這い出しきて、妖しく光る紅色の眼を鳥居に向け、先の割れた舌でぺろっぺろっと鳥居の萎んだ一物を舐めてから、ゆっくりと、壁を伝って、天井を這い、やがて、天井裏に消えて行った。「蛇遁の術」と云う。蒲団の上には脱皮した白蛇の抜け殻が残されていた。鳥居耀蔵は萎んだ股間にめをやると、地獄の底へ落ちる羽目となった。股間から膝まで蛇(蝮)の鱗がまとわりついていたのだ。手でごしごし擦っても剥がれない。もともとが鱗であったのかのように びっしりと張り付いていた。 精気もやる気も希望も野望もすべて失せてしまい、ぼろぼろと泪が零れ落ちた。 鳥居耀三は白蛇との幻怪な騒動を誰にも口外することはできず、 歴史にも封じ込められ、墓に埋められて闇に葬られた。 蜘蛛左が銚子の酒に混ぜた邪毒を含む包薬には目眩の秘薬と、 体に魚鱗癬が現れる薬種問屋蛇惚堂の伝蔵が調合した劇薬が混ぜられていたのだった。 この事件以来、鳥居耀蔵は蝮の鱗のついた下半身を表に晒すことはできず、 小便さえ隠れてしなければならず、まして、女という生き物を信用することはできなくなり、近習から女、特に生娘、美女を避けて暮らすようになった。 風紀を乱す不埒な女だとお縄にし、小伝馬町の牢屋敷に閉じ込めていた遊女たちが 夜毎夜毎に蝮に化身して牢内を這い回る恐ろしい悪夢に魘された。 鳥居耀蔵は、拘禁していた、遊女や夜鷹を、次々に解き放った。妖怪と呼ばれた、鳥居耀蔵が罪人に恩赦を与えた唯一のことであった。 北町奉行の遠山の金さんには肩から桜の入れ墨で 南町奉行の蝮の耀三には股下へ蛇模様とはお釈迦様でも知るめえな、、蛇ぬけ長屋の巻 おわり 朽木 一空
2026年05月13日
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忍草 (しのぶくさ) 26-15 ~忍草や 陽当たり嫌う 暗き者 天井裏で 気配伺う~白蛇に抱かれた奉行 6捨てちまいなよっ、脱いじゃいなっ、古い着物をいつまでも着てちゃ、重くてしょうがねえ、木だって、冬になりゃあ、葉を落とすんだぜっ、蛇は脱皮して命を繋ぐんだし、脱皮できない蛇は死んじまうんだぜぃ、五葉松が斜めに門に押しかかるように被さり、塀の中には、槇が庭の親分といった恰好で庭全体を睥睨しているように見えた。庭には、水の流れる池があり、錦鯉が優雅に泳いでいた。本所松井町にある、このお屋敷は、両替商松前屋が吉原の花魁、夕霧を身請けして住まわせた、絢爛豪華、贅を尽くしたものだった。鳥居耀蔵はこの屋敷が気に入って、贅沢禁止令をたてに松前屋から強引に取り上げた。 伝蔵の娘、お蝶はこのお屋敷に監禁されていた。お屋敷の門や庭には浪人者や小者が篝火を焚いて、見張り役をさせられていた。暮れ六つ、警護に囲まれた引手籠がその屋敷の門を潜った。鳥居耀蔵は籠の中でさえ、淫逸な気持ちを押さえられなかった。駕籠を降りると、足早で、お蝶のいる部屋へに向かった。酒と膳が用意してあり、襖の向こうには蝋燭に照らされて、三枚重ねの赤蒲団が敷かれていた。 お蝶は掛け軸を背にして座っている。媚びていない、恐がってもいない、ように見えた。そこが、また、鳥居耀蔵の心を擽った。面白い女だ。今までに出会ったことのない女だ。「儂が鳥居耀蔵だ、あの白蛇を抱いていた、お主がお蝶と申す女子か?」「はい、お蝶と申します、でぃ、何の御用で、こんなところまで連れてこられたのでしょうか?」「伝蔵が白蛇に生卵を与えている。これは、質素倹約令に違反しておる。白蛇は火あぶりの刑にして蒲焼にして食味するという罰だが、白蛇を捕えて連れてくるまでは、お蝶が身代わりだ。」「白蛇様はきっと参ります。」「んんっ?それほど白蛇が恋しいか?白蛇どころか、本来は蛇惚屋の店も裏長屋も取り潰すところなのだが、まあ、今回はお蝶に免じて、見逃してやってもよいぞ、その代わりにな、儂の女になるのだ」「わたしは、恐い女ですよ、御覚悟はよろしいでしょうか?」鳥居耀蔵を睨んだお蝶の眼には蛇のような紅い色の光が宿っていた。「面白い女じゃっ、よし、まず一献、飲もう、今宵は楽しくなりそうじゃ」「お殿様からどうぞ」お蝶がお酌をする。「旨い、旨い、旨い酒じゃ、愉快じゃ、愉快じゃ」ご機嫌だった。自分に靡かず、怯えず、怖がらぬ女子と酒を飲むのは始めてだった。鳥居耀蔵は厠で放尿した。小便をしながら、早く、あのぴんとした娘を抱きたいと、爆発しそうな勢いの、逸る息子に、もう少しの辛抱だぞ!と諫めた。大御所や将軍のお下がりでない生娘が抱ける。凛とした生娘だ。どんな味がするのだろうか?お蝶は凛とした強気な姿勢とは裏腹に心臓の弁が激しく鼓動するのを抑えきれなかった。膝の震えがとまらなかった。怖くて、もう、だめかもしれないと、心が折れそうになった。そのお蝶の目の前を、天井から蜘蛛左が糸を伝ってすっぅと下がってきた。まるで蜘蛛そのものの動きだった。 お銚子の上でぴたりと止まると、薬包から粉末を銚子の中に垂らした。 <伝蔵妙薬でござる、耀三は眠るのでご安心を、> そう言ううと、蜘蛛左は再び天井裏に消た。その天井裏から、白蛇が見守ってくれる気配をお蝶は感じ心が落ち着いた。 凛としたお蝶に戻った。「おお、待たせた待たせた、さあっ、これを飲んだら寝るとしようか、なっ?」厠から帰った鳥居耀蔵は逸る気持ちを隠そうとはしなかった。「はいっ、もうひとつ飲みください、」鳥居耀蔵は御猪口の酒をぐいっと飲み干して、淫乱な目付きをお蝶に向けた。 つづく 朽木一空
2026年05月10日
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忍草 (しのぶくさ) 26-14 ~陽の射さぬ 隅の葉陰の 忍び草~ 白蛇に抱かれた奉行 5所詮この世は水の泡、いつか流れて消えていく、いいも悪いも似た者同士、野暮も、もまれて粋になる、夜は番太郎と呼ばれる木戸番の蜘蛛左が、拍子木をを打ちながら「七つ半でござい」と、時を告げて長屋の中を歩いていた。 仕事じまいの時刻の丁度その時だった。『どんな病もケロリと治る、薬種販売蛇惚屋』の店に、昨日鳥居耀蔵の命で長屋を引っ掻きまわした、岡っ引きの権六が子分を引き連れ、意気揚々、帯の結び玉に差してあった十手をこれ見よがしに、振り回しながらながら、荒々しく、店の木戸を開けて入ってきた。「おいっ、伝蔵、おめえの長屋じゃ、でけえ白蛇を飼っているそうだな、 昨日お目にかかった気色悪い蛇のこったい、おまけに、毎日、生卵三個もその蛇に喰わしているっていうじゃねえか、」「へいっ、娘のお蝶を助けてもらったお礼のつもりで、面倒をみております」「おいっおいっおいっ、戯言ぬかすんじゃねえよっ、 天保のご改革の質素倹約令を忘れたわけじゃあるめえなぁ、人様でも贅沢は禁止されてるのに、蛇に生卵だとっ、とんでもねえ料簡だ。その蛇は縛り首の刑した挙句蒲焼でもされる運命だ、 さあ、さっさと、その白蛇とやらをに縄をかけてもらおうか、!」権六たちはご丁寧に、蛇を護送する竹駕籠まで用意してきている。「権六の旦那、蛇はそう、簡単には掴まらねえんですよ」「そうかいそうかい、ご政道に逆らおうってなら、しょうがねぇ、娘のお蝶を預かっていくぜ」「えっ、娘が蛇の代わりとは、そいつはまたごむたいなことを」「えいっ、ごたごたいうと、店も、腐りかけの裏店も、ひと暴れすりゃぁひとたまりもねえ、ごみになっちまうぜ!娘のお蝶を返してほしかったらな、さっさっと白蛇を連れてくるんだな」今にも、暴れ出しそうな権六に、伝蔵は 「ご勘弁を!ご勘弁を!」と、頭を下げる。騒がしい店内を察してか、奥から、暖簾を分けて娘のお蝶が出てきた。「おとっつぁん、心配しなく大丈夫よ、私の命の恩人の白蛇様を蒲焼にするというなら、さあ、私を天麩羅にするなり鍋にするなり、焼くなり勝手にして頂戴!」と、お蝶が啖呵をきる。いい度胸だった。凛としている。 白蛇にイチャモンをつけて、お蝶は柄の悪い鳥居耀蔵配下の男どもに両抱えされて、連れて行かれてしまった。 もう、陽がたっぷりと暮れて、提灯に灯を入れてもいい頃だった。 赤ら顔の鯉兵衛は縄暖簾『瓢ひさご』の酒樽に腰を降ろして、もう、一刻も飲んでいた。毎日のことだ。「てえへんだいっ、ちょいと、鯉の旦那、あっしゃあ、とことん嫌になっちまった」蛇ぬけ長屋に住んでいる、下っぴきの粂次だ。八丁堀の同心、間河長十郎の配下の下っぴきだ。配下といっても、同心の下には岡っ引きがいて、その岡っ引きの下で働く小者だった。捕り物の後ろから提灯を持って、うろうろしたり、尾行や、見張り、聞き込みなどをして、おこぼれを預かったり、小遣いを貰う程度の仕事である。 町の商店から見ヶ〆料や目溢し料も頂く、まともな仕事とはいえなかった。半分はやくざ稼業だ。「鯉の旦那、聞いてるでしょ、お蝶のこと、岡っ引きの権六に連れて行かれちまったんですよ。 それがねえ、鳥居様のご指示だってさぁ、白蛇のことなんざぁ、云いがかり、いつもの、汚ねえ、やりかたよ。はなっからお蝶さんが狙いだったんですよ。鳥居様はね、大御所様や将軍様が大奥でやりてぇ放題やりまくった後、押し付けられた、腐れ饅頭ばかりじゃ、美味くねえ、生娘が欲しいと思っていたところへ、この間の見回りで、目に留まったのがお蝶さんだったんだ。ああ、可哀そうだよ、ねえ、鯉の旦那、どうにかならねえもんかねえ」「粂次、おめえだって、、一応は鳥居様の下で働く、下っ引きなんだろう、そんなことを、べらべら喋ってると、終いには、舌抜かれて、放り出されるぞ!」「てやんでえ、こちとら、お江戸の庶民の味方なんでえ、お奉行様の色恋の犠牲になってる、町娘を助けなきゃあ、男が廃れらあっ! なあっ、鯉さんそうじゃねえのかい」「男粂次、粋にきなすったねえ。それにしても、鳥居様、よく、お蝶が生娘だとわかったな」「それそれ、灰吹き女っての知ってるかい?観音様の横っちょに灰神様がおいでになってね、その灰の上にしゃがんで、尻も饅頭も出してね、すすきの穂で鼻を擽る、くしゃみをする、灰がとべば、穴が開いてる、生娘じゃねえってことよ」「おいっ、粂次はそれを見てたのかい」「いやっ、見ちゃいねえが、娘っ子はいつも灰神様で、遊んじゃあ、笑ってる。そんで、お蝶も生娘だってことは、誰でも知ってらあ、虫食女じゃねえってこと、ああちくしょうめ、鳥居の野郎、初心なお蝶を手籠めにしようってか」「お蝶が監禁されてる場所を知ってるのか?」 「へえ、以前は、本所松井町の両替商松前屋が持っていたお屋敷でござんすよ、」「まあ、そんなに心配することもねえだろうよ、お蝶さんはね、凛としてるし、白蛇だって、黙っちゃいねえだろうさ、鳥居様でもそうそう簡単に手が出せねえだろうよ」 そう云ったものの、鯉兵衛の酒で赤く濁っていた眼がみるみる鋭さを増した。「ちょいと、野暮用を思い出した、粂次これで飲んでくれ」鯉兵衛は気前よく、天保銭の百文を卓の上に置くと、縄暖簾をくぐった。「ひぇえ、鯉さんは大金持ちだ、朝まで飲めるぞ」 腰の曲がった老爺の鯉兵衛は柄杓で水をぐいっと飲みこんで表に出ると、 鼠色の手拭で頬っかぶりし、薄暗い町の路地を老人とは思えぬ素早さで駆けだした。 薬種問屋蛇惚屋の店に入り、伝蔵と二言三言話し、 薬包を受けとると、蛇惚長屋の木戸番蜘蛛左に耳打ちし、 二人は気配を消し、人ごみにまみれながらも足早に本所松井町へ走った。 つづく 朽木一空
2026年05月06日
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忍草 (しのぶくさ)26-13 ~江戸の町 忍草を摘む 江戸幕府 潜む長屋は 八百八町 ~ 白蛇に抱かれた奉行 4奉行の心にゃ鬼が住み、貧乏長屋に蛇が住む、 忍草もついでにかくれんぼ、てやんでぃ、瓢箪がでいじょうぶだとおどけてるよ、 商店の裏には狭い路地を挟んで、石置き屋根のいくらか傾いでいる裏長屋があった。 世間ではでかい白蛇が住んでいるので蛇抜け長屋と蔑んで気味悪がっていた。鳥居耀蔵は、汚らしいものを見るような目付きで蛇惚長屋をを遠目で覗き見した。 手足が異常に長く頭のでかい異形な老人を見ると、一瞬躊躇った。 このような世界があったのか?自分の生きる世とは雲泥の差だった。「お主が木戸番か?お前の姿は随分と異形で、滑稽を通り越して見苦しいぞ!怪しい者よなぁ」 きっと、鳥居耀三の蝮の目が睨みつけると、 木戸番の蜘蛛左はさっと身を翻すと長屋の屋根に跳んだ。すばしこい猿のような動きだった。 それを見た鳥居耀三はますますこの蛇惚長屋が胡散臭く見えてきた。「ええいっ!この長屋、怪しい臭いがぷんぷん臭うぞ、構わぬ、それ、探索始め! 逆らう者には縄を打て!」岡っ引き、下っ引き、柄の悪い小者が一斉に長屋の中へなだれ込む。木戸をぶち破り、ずかずかと長屋の中に入る。六畳一間分しかない長屋では隠れる所もあるはずもなかった。「なんでぇ、なんでぇ、取締だってぇ、見たままの長屋だよ、隠れる所なんかありゃぁしねえよ」「黙れ下郎が!お上に逆らうのか!」「すっとこどっこい、ご改革だかなんだか知らねえが、 贅沢してるのはどっちでぃ、手前なんざ、兎に蹴られて死んじまえぃ!」 どたばたには、慣れっこの長屋の住民も黙っちゃいなかった。 岡っ引きの権六が目くじらを立てた時、「どぎゃあぁ!」という悲鳴が聞こえた。 さっきまで威勢の良かった柄の悪い手下の男たちが怯えて、震えている。長屋の奥の井戸の方から、六尺をこえる大きな白蛇が紅色の目を光らせながら、割れた舌をシュルッシュルッと出しながら体をくゆらし、威嚇しながら 向かってきたのだ。「お奉行様、鳥居様、ほら、あそこに大白蛇が。あっしは大抵のものには驚かねえが、あいつだけは薄気味悪い、ご勘弁を!」 大白蛇は長屋の路地を真直ぐに鳥居耀蔵たちのいる木戸の方へ這ってくる。だが、さすがは鳥居耀蔵、臆してはいない。しかと白蛇の紅色の眼を睨み付け、腰の刀の柄を握る。「狼狽えるでない、筒切りにして、煮しめにでも食ってやろう!」上段の構えから、大白蛇に刀を振り下ろうそうとしたその時、「白蛇様、いけません。こっちにおいで」娘がその白蛇に叫ぶ、すると、白蛇はさっと頭を返して、するっするっと、娘の足元まで這う、鳥居耀蔵の刃は空を切って、無残にも、どぶにかかったはめ板に突き刺さる。白蛇は絡みつくように娘の体に登り、娘の顔をぺろっと舐め、紅い眼で鳥居耀蔵を睨む。「いい子にしてないといけませんよ」と娘はその白蛇の頭を撫ぜる、白蛇は娘の胸の中でおとなしくしている。不思議な光景だった。みな、あっけにとられていた。娘は、にっこり笑い、凛とした涼しげな眼で、鳥居耀三を恐れもせずぬ軽くお辞儀をした。掃き溜めに鶴、とでもいおうか、美しい姿容をしていた。まだ若い、十五六だろうか。鳥居耀蔵はどぶの臭いに辟易しながらも、その娘から眼が離れなかった。娘の名はお蝶と云った。薬種問屋蛇惚屋の主人であり、蛇抜け長屋の家主でもある、伝蔵の娘だった。白蛇の頭を撫ぜて平然としている。こんな女は始めて見たのだった。鳥居耀三は出世のためやむなく大身大名松平家の江戸家老の娘を嫁に迎えていた。ぶすで、気が強く、わがままでやきもち焼きが強く、何かといえば「殿にご注進いたしますぞ」「いつ、破婚して帰家してもよいのだぞ、」 と、主人の鳥居耀三を脅す始末だ。出世のための辛抱だった。 鳥居耀三の奉行所の強面とは裏腹に女房には頭が上がらなかった。 老中に登りつめるための出世のための辛抱だった。 鳥居耀蔵は世間から蝮の耀三と恐れれていた。 <蝮の耀蔵と白蛇のお蝶、こいつは案外いい相性かもしれない> むらむらしてきた。下半身の蝮が首を擡げていた。お蝶が堪らなく欲しくなった。 どんな悪辣な手段を使っても、欲しいものは必ず手に入れるのが鳥居耀蔵だった。 危うし、お蝶! つづく 朽木一空
2026年05月03日
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忍草 (しのぶくさ)26-12~ 忍び草 江戸の帳に 隠れ咲き~白蛇に抱かれた奉行 3羽根がなければ飛べねえって?足がなければ歩けねえって?蛇には足はいらないよっ、こいつは、とんだ蛇足でございやした、 欅の葉が空に半円形の樹冠を作り、濃い緑色に変わってきて、夏が近いことを感じさせていた。その欅の葉から木洩れ陽が庭の池の水にキラキラと踊るように光っていた。色鮮やかな斑点模様の錦鯉が餌と間違えたのか、その光を追って、尾鰭を動かしていた。 南町奉行鳥居甲斐守耀蔵はその優雅に泳ぐ錦鯉を朧な眼で見ることもなく見ていた。もし町民が飼っていたら、錦鯉は贅沢禁止令で即没収するところだ。 ふと、黒田九鬼流斎が釣り道楽で、いつか必ず下忍の池の大鯉を釣り上げてやると駄法螺を拭いていたことを思い出した。 鳥居耀蔵が九鬼流斎を始末させたのだが己の片腕を失ったような淋しい風が吹き抜けるのを感じていた。幼いころからの腹心である。誰よりも、自分の考えを理解し、改革を推し進めてくれた男だった。黒田九鬼流斎がいなければ、今の自分もいない。それほどに、信頼していた腹心であった。その、天保の改革を先頭に立って推し進めていた黒田九鬼斎が突然姿を消したのだ。 このままでは改革が足踏みするかもしれぬ。 北町奉行の遠山影元は<遊び人の金さん>などと云う町人に化けて 江戸の町を探索しているようだ。 「よし、儂も、奉行自ら江戸の町の探索に出張ろう!」 鳥居耀蔵は、かっての黒田九鬼流斎の部下たちを率いて、役宅を出、柳原土手を下り、神田弥平町辺りの、飴屋、団子屋、油屋、豆屋、味噌屋、蝋燭屋、青物屋、古着屋、などの間口の狭い商店が並ぶ、通りを偵察しながら歩いた。 奉行自ら街中を歩くことはめったになかっので、物珍しくもあった。「随分と、狭っ苦しいところに住んでいやがる、息が詰まって窒息しちまいそうだ」弥平町全部で自分の屋敷分もあろうか、そこに、押し込められたように、人々が生活していた。ごちゃごちゃした通りには、やけに人が多かったし。子供が戯れ、犬が走っていた。『どんな病もケロリと治る、薬種販売、蛇惚屋』という、看板に鳥居耀蔵は異なものを感じた。暖簾をくぐって、店の中に体を入れる。異様な薬臭が蔓延していた。思わず鼻をつまむ。「おいっ爺、おぬし、どんな薬種を売っているのだ?」鳥居耀蔵が高飛車に訊ねた。「頭から、胸から、腹から、便通まで、どんな病にも効く薬種がございます。死にたくなる病もお助けします。楽しくてしょうがない気持ちになれる薬種も配合いたします」「如何わしい薬種屋じゃのう、痺れ薬や眠り薬も、お主がすべて配合するのか?」「へいっ、日本橋本町の薬種問屋で仕入れしたり、野山で蒐集しました草、根、木、花、動物の肝など、百種類から配合いたします。曼陀羅華やすずらんの根、夾竹桃の枝、フグの肝、毒茸、毒を以て毒を制すのでございます」 「不老長寿の薬というのもあるのか?」 「はい、ございますとも、 家康将軍様は 漢方15種類以上をご自身で調合しておりまして、 精気に溢れ、側室20人、お子様16人を産み、75歳で推挙するまで壮健な生涯でございましたよ、」「うむ、この店で儂が長生きできる薬はあるか?」「伊賀の兵糧丸などいかがですかな、癖があって苦いのですが、一粒で三日は疲れ知らず、飢餓から救われ、精神がよくなり頭が冴えます、 お勤めもはかどりましょう、なにせ、馬に5粒食わせれば、三日は走り通すと云われてい居ります。」「蛇惚屋と申したな、儂にはお主の蘊蓄は信用できぬわ、」鳥居耀蔵は、馬鹿ではなかった。店の中の薬草棚や、薬研に目をやりながら、何やら胡散臭さを感じとっていた。「ふむっ?でぃ、裏の崩れそうな蛇惚長屋もお主の所有するものか?」「へいっ、尻十八でございます」江戸では、人糞が肥料として貴重なものだったので、長屋の人数は尻の数で云うことが多かった。 つづく朽木一空
2026年04月29日
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忍草 (しのぶくさ) 26-11 ~忍草や 梟鳴きて 目覚めけり~ 白蛇に抱かれた奉行 2たまげた駒下駄東下駄 どうぞ叶えて暮れの鐘かい?そうじゃねえ、 八九間 空で屁をひる 火の見櫓の 蜘蛛左が鳴らす半鐘の音でございますよ、 神田弥平町にある伝蔵長屋(蛇抜け長屋)は貧乏人の吹き溜まりではあるが、貧乏人は貧乏人らしく案外楽しく暮らしていた。棒手振りの魚屋、太助は、顔が腐って溶けていく難病で長患いの母親の面倒を見ていた。弱い者いじめを見捨てておけない性分だが、喧嘩っ早くて、喧嘩に弱いのがのが玉の疵だった。粂次は傘貼りが生業だが、南町奉行の同心、間河長十郎の配下の下っぴきでもあった。下層社会の情報集めに粂次のような、人間も必要だったのだ。粂次は利用されてるだけなのだが、「おいら、お奉行様の下で働いてるんだい」と胸を張って見せるが、お人好しで、あわてん坊で、ちょいと、頭が足りない、どこか抜けているところもあったので憎めない。傘張りの方は、もっぱら女房のおかなと六歳になる息子の淳之介の仕事になっていた。熊さん八つぁんは、二人三脚の駕籠舁。体力があれば誰にでもできる下層の仕事だった。店に属さない辻籠で、一本の棒の下に竹製の籠を載せただけの簡単な四手駕だった。今日はあっち、明日はあっちと気楽な稼業だ、前と後ろの二人が息をぴったりと合わさなければ駕籠が揺れる。だから、熊さん八っさんはすこぶる仲のいい相棒だった。お福とお萬は多摩の貧乏小作人の娘で、吉原の女郎屋に売られるところ、女衒の目を盗んで、逃げだし、偶然通りかかった熊さん八っさんの駕籠に匿ってもらい、そのまま長屋まで駕籠に揺られてきて、お福とお萬は懇ろになり女房になった。裏切っちまった、おかっさん、おっとさんのもとへも帰れない二人が女衒の目から身を隠すのに蛇惚長屋はうってつけだったのかもしれない。 「おいおい、熊さん、昨日は日本橋から品川、浅草今戸まで担いだから、肩が痛くて泣いてらあ、ぐいっと一杯飲ってから、一仕事といこうか」朝っぱらから酒を喰らう相談をしている。「いいねえ、八っさん、おらあ、『瓢ひさご』のおきみちゃんの酌で飲みたいねえ」八っさん、熊さん、ご機嫌だ。おっとどっこい、そうはいかねえ、かかあ天下のお江戸でござる。むんずと、襟首を掴まれたふたり、お福とお萬の太い腕が離さない。「てやんでえ、こちっとら江戸っ子よ、銭がありゃあ酒を飲む、銭がなけりゃ水を飲むだけでぃ」「まったく呆れるよ、熊さん、お福さんの腹にゃあんたの子が孕んでるんだよ!」「どこの間男の子でえ、おらあ、自慢じゃねえが、かかあに乗っかちぁいねえよ」「あら、熊さん、昨夜も、うっふんあっはん どたばたすっとん 励んでたんじゃないかい?『馬鹿夫婦、春画を真似て、手をくじき』そのものだったよ、手が痛くないかい?」九尺二間の長屋の境は杉板一枚、障子に耳ありどころか、隙間だらけで声は筒抜け節穴から隣は丸見え、だから、長屋暮らしでは隠し事が通用しない。みんな、あけっぴろげで暮らしている。長屋の端には、菊模様の着流しを粋に着こなす、歌舞伎役者顔負けの色男、遊び人の菊之介。年中ぶらぶらふらふら、いい紐でもつかんでいるのか、お気楽者だと呆れられている。隣には柳橋芸者のぽん吉姉さん。ついこの間までは辰巳芸者だったが、風俗取り締まりの手は、深川一帯の岡場所、歓楽街にまで手が伸び、ぽん吉のいた。置屋『椿楼』も閉鎖の憂き目に合い、遊女たちは逃げるように、柳橋界隈へ住み替えとなった。ぽん吉姉さんも柳橋に流れてきた。ぽん吉というふざけた名前も男勝りの辰巳芸者の時の名残である。「芸は売っても色は売らない」気風の良さと、粋が自慢でもあった辰巳芸者。ぽん吉姉さんも、べらんめえ調で、男羽織を引っ掛けて座敷に上がり、軟な男は相手にしない。そんなところが、気に入られ、贔屓の旦那も多かった。「土産だよっ!」といっては、日本橋の杵屋の饅頭を買ってきて、長屋の連中に配る。ぽん吉がいると、ぱっと花が咲いたように明るくなる。じめじめした蛇抜け長屋の華でもあった。夜泣き蕎麦屋の喜助は夜のお勤めができない隙に、間男に嬶(かかあ)を取られ、父娘暮らし。「毛饅頭が喰いてえよぅ」と嘆く夜。豆腐のおからみてぃだと、長屋の連中に笑われている。娘のお加代はよろず引き受け、長屋の洗濯、子守、裁縫、雑用で健気に凌いでいる。大工の甚八は博打が飯より好きで、女房のおときと、しょっちゅう夫婦喧嘩。長屋中がてんやわんやの大騒ぎになることもあるが、博打だけに、負けているばかりでもない。「ツキが廻ってきてよ、お天道様も見捨てちゃいねぇってことよ、ほら、喰いねえ、飲みねえ」宵越しの銭は持たねえよっ。七輪で鍋を煮て、団扇をバタバタさせて、いい匂いをさせ、長屋の連中に気前よく振舞う。遠慮はいらねえ、ご相伴に預かる。年に一二回のことだったが。外から見れば、貧乏で、汚らしくて、気持ちの悪くなるような長屋に見えたが、口喧しく思うこと叶わねばこそ浮世とは、なやまない、くやまない、くさらない、ねたまない、さばさばした明るい絶望を抱えていながら、遠慮もせずに、他人の家にもずかずかと入り込み、なんだかんだと云いながらも、その日暮らしを、結構楽しく暮らしていた。えっ、明日のことかい?『明日ありと、思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは』て、よっ!そして、この蛇抜長屋には「草」と呼ばれる、下層の忍者が紛れ込んで住み着いていた。忍者の正体を悟られぬよう隠して、市井の中に埋もれて、普段は庶民と同様の暮らしをしていた。 だから長屋の中でも、誰が草であるのか誰もがわからなかった。みな偽名である。素性も、生い立ちも全部作りものの嘘で固めている。隠しごとのできない長屋暮らしで、仮の姿に化けて溶けこんで暮らしているのが「草」である。本当の自分は殺している。生きているのは自分ではなかった。 六尺を超える白蛇が住んでいる気味の悪い長屋には 棒手振りさえ近づかなかったのが<草>にとっては都合がよかった。誰かに怪しまれたら、下忍としての役目は終わる。そして、それは死を意味していたのだ。草は、目には見えない上忍から常に見張られてもいたのである。黒田九鬼流斎を始末した水猿こと、鰻捕りの名人鯉兵衛も蛇抜け長屋の住民だった。忍者だとはおよそ思えない。いくらか腰の曲がった老人で、動作はゆっくりとしていた。酒の臭いの消えない、鼻の頭を赤くした顔でいつもにこにこ笑っている。三十も歳下の十人目の女房、若いお鮒と暮らしている。女癖が悪い訳ではない、草の役目を悟られないよう、怪しまれる前に女房を変えている。悲しい宿命でもあった。子の刻になると、長屋が揺れる。お鮒の歓喜の悲鳴が聴こえる。毎晩のことだ。鰻の肝を吸う、酒好きの助平爺。そうでもしなけりゃ息が続かない、水猿と呼ばれた下忍の仮の姿でもあった。 蛇惚長屋のみんな、大家兼務の木戸番の蜘蛛佐はお見通しだよ。 つづく 朽木一空
2026年04月26日
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忍草 (しのぶくさ) 再演 26-10~ 忍草が 蛇抜け長屋に ひっそりと~ 白蛇に抱かれた奉行 1柳、やなぎで世を面白う うけて暮らすが命の薬梅にしたがひ、桜になびく 其日、そのひの風次第虚言も実も義理もなし ~ 江戸の端唄~ ですがね、忍びの者はそうはいかねえ、花のお江戸の八百八町、庶民のほとんどは九尺二間(約六畳)の長屋で暮らしていた。神田弥平町にある伝蔵長屋も、似たり寄ったりの裏店だが、表店が二階になってて、長屋のどんづまりが堀に突き当たっているので、陽も当らぬ、雨漏りはする、 どぶ板も朽ちてどぶがむき出しのせいでじめじめしていて、蛞蝓が這い回っている。おまけに、六尺をこえる、白蛇までが、住んでいた。 江戸の堀には駕籠に乗せられた捨て子が流されてくるのはよくあることだった。 誰かが拾って育ててくれるのが江戸の町の人情であった。 その日も、籠に乗せられ、布に包まれた赤ん坊が堀を流れてきたが、 「うぎゃあ、うぎゃあ」と、赤子が手足をバタバタさせて泣き叫び、 駕籠が揺れていまにも堀に落ちそうになった。 <危ねえ!、> 家主の伝蔵は肝を冷やした。 と、その時、六尺を超える大白蛇が音もなく寄ってくると、その駕籠を抱くようにして赤ん坊を助けた。 赤子は女子でめんこくておまけに気品のある顔立ちをしていた。 子宝に恵まれなかった伝蔵は、一目で気に入り、 流れてきた捨て子に蝶と云う名をつけ、自分の子として育てることにしたのだ。 お蝶を救った大白蛇も縁起のいい運のある蛇だと家族のように大切にし, 毎日高価な伊賀の兵糧丸五粒と生卵三つを食べさせた。白蛇はすっかり懐いてしまった。 娘のお蝶も白蛇を怖がらずにたいそう可愛がり、自分の蒲団で白蛇と添い寝することもあるほどだった。 白蛇は厠と堀の間に棲家があり、長屋の通路をしゅるるしゅるると這い回り、機嫌が悪いと蜷局を巻く。天気のいい日には石置き屋根で日向ぼっこをする。しゅろしゅろと割れた良く伸びる舌を出し、細い小さな赤い眼を光らせている。おかげさまで長屋に鼠公はいなくなったが、ご近所様は気味悪がって、伝蔵長屋とは呼ばずに、蛇ぬけ長屋(じゃぬけながや)と蔑んでいて、めったに近寄らなかった。 蛇の住む気味悪い長屋なので、なかなか借り手が見つからなかったので、 空き家にしておいては廃れる一方なので、弥平町辺りの長屋の店賃は三百文が相場だが、伝蔵はたったの百文の店賃しかとらなかった。 一杯十六文のかけ蕎麦六杯分の家賃なので、長屋が空くことはなかった。 おまけに、家賃はある時払いの催促なしときてるから店子にとっては伝蔵は仏様だった。 吹き溜まりの様な、ぼろ長屋の店子も当然貧乏人の訳ありだったが、威勢だけはよかった。「せいぜい稼いだところで、また、稼がねえところで、貧乏は貧乏よ、抜けられやしねえ、あがいてみたって、世の中、そういう仕組みになってらあ。あくせくするだけ損だってことよ、ほらっ、貧乏神がくしゃみしてらぁ。どうせ、貧乏、笑って暮らせぇ。明日は明日の風が吹かぁ。朝から晩まで寝る間もなく稼いで、大店持った尾張町の大金呉服店の旦那様、しまいにゃあ、銭持ちすぎて、心配事が溜まって、遊ぶ間もなく、脳卒中であの世行きとは、世話ねえぜぃ。 家督を守るのに、しきたり、つきあい、出世のために、ぺこぺこ、あくせく、びくびく、金欠病で、ぴいぴい云いながら、『武士は食わねど高楊枝』とは、痩せ我慢のお武家様だい」負け惜しみにも聞こえるが、あっけらかんとした諦めの生き方は清々しくもみえた。木戸番の蜘蛛左は四尺に満たぬ小柄な男で、頭が尻の倍以上もあり、手が地面に着くほど長い。異形な容姿で、嗤われ、忌み嫌われる生涯だが、殺されぬだけましだったのかもしれない。親は蜘蛛左が産まれるとすぐに、気味悪がって、村八分にならぬうちに、隠すようにして山寺に捨てた。檀家でもあった家主の伝蔵が住職に頼みこまれ、密かに預かって育て、今は、長屋の木戸番をやらせている。 蜘蛛左は口重だが犬耳で動きは敏捷だった。 遠くの半鐘の音を耳で捉えると、素早く、向いの自身番屋にある火の見櫓をすすっと登り、火事の火元を見つけるや、半鐘を鳴らすのである。 火の見櫓の半鐘は本来自身番屋の番太の仕事だったが 自身番屋の役人も素早い動きの蜘蛛左をすっかり頼りにしていた。 家主の伝蔵が蜘蛛左に木戸番をやらせる理由はもうひとつあった。 近所の餓鬼どもが木っ端を刀代わりに手にして、白蛇に悪戯をしないか見張らせているためだでもあった。 木戸番は明け六つ(朝6時)に長屋の木戸を開けて、夜四ツ(午後十時)木戸を閉めるのが仕事だが、木戸番御の蜘蛛左は店賃も回収するし、井戸の修繕、雨漏り修理、厠やどぶの掃除もするので大家の仕事も兼ねていた木戸番でもあった。 大家と言えば親も同然なので、長屋の揉め事、諍い、よろず相談にも乗るのだが、、蜘蛛左にはそんな器量もなくその時は家主の伝蔵に持ち込まれた。 つづく 朽木一空
2026年04月22日
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忍草(しのぶくさ) 再演 29-9~忍び草 一輪咲くか 裏長屋~悪鬼、下忍の池に沈むの巻 9 風に揺れ 裏翻る 光る青葉の 忍草 錦鯉とは優雅さが違いすぎますが 金魚も生きていちゃいけませんか 南町奉行鳥居耀蔵の私邸は練塀の立派なお屋敷が並ぶ下谷練塀小路にある。 非番の月、久々に私邸で寛ぎ、ぱくっぱくっと口を開けて寄ってくる、 錦鯉に餌を撒きながら吉報を待っていた。 庶民には金魚でさえ贅沢だと取り締まっていたが、 鳥居耀蔵の私邸の広い池には 紅白、三色、五色、などの色鮮やかな錦鯉が優雅に体をくねらせて泳いでいた。 <まだ、仕留められるのか?> 黒田九鬼流斎の暗殺を伊賀曲竹郷の忍草元締めの柘植孫太夫に 千両を届け、依頼してから、早ひと月も経っていた。 柘植孫太夫は仕事の依頼を受けて仕損じたことはないという、 だが、いかなる方法で、いつ殺るかは誰にも洩らさなかった。 仕事人の忍草にも、何処の誰からの頼み事であるかは伝えなかった。 <草>と呼ばれる伊賀の忍者は筋合いも知らされず、只命じられた仕事をするだけであった。 虚しいといえば空しい、意味があるかと云われれば意味もなく ただ、命じられたとおりに人の命を奪う、因果な宿命である。 気を揉んでいた鳥居耀蔵の元へ密偵から吉報が届いた。 「むっ、九鬼流斎を消したのか」」 「御意、鯉兵衛と申す<伊賀の草>が首尾よく九鬼流斎を仕留めました。」 「うむ、どこでだ、」 「上野不忍の池にござりまする、今や池の鯉の餌になっていることでしょう、 屍骸が見つかることはないと存じます」 「九鬼流斎の身体、この池の錦鯉にも食わせてやりたかったのう、」 鳥居耀蔵はほっと胸をなでおろし、口元に苦笑いを浮かべた。 天保12年(1841年)、市民に人気のあった南町奉行矢部定謙を讒言により失脚させ、 その後任として鳥居耀蔵は南町奉行となった。 矢部家は改易、定謙は伊勢桑名藩に幽閉となり、ほどなく絶食して憤死した。 後味がわるかった。 矢部定謙を追い落とした悪巧みは黒田九鬼流斎と企んだ罠であった。 近頃は黒田九鬼流斎は我が物顔で奉行所の中を闊歩していて、 奉行の鳥居耀三を差し置いて同心たちに指示することさえあった。 鳥居耀三の黒い過去を知る黒田九鬼流斎は最早危険な男になっていた。 伊賀曲崖郷の<忍草>の元締め柘植孫太夫に屍骸が見つからぬように、 失踪にみせかけ、この世から黒田九鬼流斎を抹殺するよう命じたのだった。~刑場の犬は死体の肉を食らうとその味が忘れられなくなり、 人を見れば噛みつくのでしまいに撲殺される。 鳥居のような人物とは刑場の犬のようなものである~ 誰かが辛辣に鳥居耀三のことを毒を含んでこう言った。伊賀曲竹郷の忍者は大名家や幕府の仕事を請け負うが、それ以外の関係は結ばない。 まして主従関係になることはない。 相手が誰であっても、どんな仕事でも銭と引き換えに引き受けるだけである。仕事が済めば風馬牛の無縁仕事であった。 鯉兵衛も仕事が済めば、また元の鰻捕りの老爺として 江戸の掘割に鰻舟を浮かべていることだろう。 黒田九鬼流斎の殺害で誰が得をして何が動いたのかの関心は持たない。 忍草が知ることは無用であった。悪鬼、下忍の池に沈むの巻 終わり 朽木一空
2026年04月19日
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忍草(しのぶくさ) 28-8 ~心無し一夜艶事 忍び草~ 悪鬼、下忍の池に沈むの巻 8忍ぶ、下忍(しのばず)恋の病に溺れて鯉の餌になりませぬように、下忍の池には蓮の葉が繁って初夏の風に揺れていた。黒田九鬼流斎は六尺もある黒竹の棹を、弁天島の方に向かって投げた。弁天島の下で水に体を沈めたまま、一刻半も観察していた鯉兵衛こと、忍者水猿はにたっと哂う。池の中で ぷっと鯉兵衛が忍び屁を漏らす、大鯉が向きを変え、大鯉もぷっと尻から音を出す、屁は鯉兵衛と大鯉の符号であった六尺を越える、大鯉が水猿に寄り添うようにして、鰭を揺らしている。ぱくっぱくっと大鯉の口が開く。水猿が頷く。読唇術だった。人と魚が会話をしているようだ。水猿は石を抱いて池の底に潜る、池の底の泥を掻きながら、九鬼流斎の投げた棹の先へ進む。大鯉は、その上をゆったりと泳ぐ、大きな蓮の葉が揺れる。下忍の池の水面には、黒田九鬼流斎の表情が映っていた。 釣り糸を垂れ、じっと、浮きの動きだけに集中していると、奉行の鳥居耀蔵から解放されている自分が、嬉しがっているのを隠すことができなかった。市中を取り締っている時の鬼の形相とは思えない、見せたことのない、穏やかな柔らかい表情をしていた。庶民の下の者の楽しみまで奪い、江戸市中から、少しづつ、元気が消えていくのも感じていた。「だが、改革はやらねばなるまい。嫌われようが、誰かがやらねば、幕府は立ち行かぬ」自分の残虐な取り締まりを正当化して、苦虫を潰した。その、苦虫を潰した九鬼流斎の表情が一変した。蓮の葉がそこだけ、激しく揺れ、六尺の黒竹の棹が撓った。浮きは水の中にぐぐっと、引き込まて、もう見えない。力いっぱい棹をあげる。「かかった!」 黒田九鬼流斎の顔に、「やった!」という煌めきの表情が浮かんだ。立ち上がった。土手に踏ん張る。物凄い引きだ、懸命に棹を引き上げる。「大魚だ、主鯉に違いない。やったぞ!」棹に力が入る。ずずっと、足元の土手が崩れる。その時、六尺もあろうか、大鯉が波を立てて、水面から半身を躍らせて、舞い上がった。「おおっ、ついに来たか、この化け物鯉よ!」黒田九鬼流斎の興奮は絶頂に上り詰めた。股間が濡れている。大鯉は大きな目玉で、ぎろっ!と九鬼流斎を睨み付けると、次の瞬間、頭を下にして、尾鰭をはためかせ、身を捩らせて、池の中へ勢いよく、飛び込むように沈んだ。「あっあっあっ!」ぐっぐっぐっ、棹の先が池の中に吸い込まれていく、凄まじい力だ。だが、黒田九鬼流斎は釣った魚は逃がすものかと、棹を離さない。三年間の執念が詰まっている。「一世一代の大勝負だ!」腕の筋肉がぴくんぴくんと震える。 歓喜の表情が顔面にいっぱいに拡がる。 恍惚に震え逸物からは濃厚な白い液体が漏れ出てていた。 「ううううむ、、」 次の瞬間、九鬼流斎は棹ごと、頭から、つんのめるように、ざぶっんと、池の中に引きこまれた。 水面に波紋の輪が不忍池いっぱいに拡がり、きらきらと輝いていた。 黒田九鬼流斎は恍惚の表情のまま身体は池の底深くへ沈んで行った。 ぶくっぶくっぶくっと、九鬼流斎の最後のあがきの泡(あぶく)が水面に浮かんだ。 もう九鬼流斎が池面に浮かんでくることはなかろう、 <ふつ、これで、仕事は終わった、> 鯉兵衛がふっと力を抜いた時であった。 <んっ?何者だ!> 鯉兵衛の仕事の顛末を草藪からじっと隠れ見されていることに鯉兵衛は感ずいた。 つっつっつっーと、人差し指ぐらいの竹筒が下忍の池の真ん中にある、弁天島に向かって鯉兵衛が動き、大きな鯉が尾鰭を揺らせて、蓮の葉をぴしゃっと撥ねて、ゆうゆうと、池の中を泳いで行った。 鯉兵衛は草藪の中から動静を伺っている者の気配が消えるのを待って、 弁天島から一艘の小舟を漕ぎ池の端へ静かに水面を走らせた。 いつの間にか、水猿と呼ばれた忍者のたたずまいではなく、 年老いた町人に支度を変えていていた。鯉兵衛の顔の皺が薄く嗤っていた。 ここで、鯉兵衛の水猿の水中忍法をここで明そう。水猿は魚言葉が理解できる。読唇術だ。不忍の大鯉は二百年も生きている。人間の心が読めた。池の底から、水猿は大鯉を抱きかかえ、池の上に大きく跳び上げた。その瞬間、九鬼流斎の釣り針を池の底に力いっぱい、ひっぱりこんだ、底に沈めた。九鬼流斎が池に落ちると、頭の後ろを、鰻銛で突く、血は出ない。その身体を沈めて、杭に繋ぐ。池に沈んだ黒田九鬼流斎の遺体は二度と浮かんでこない。あとは、鯉の餌になる。水猿と大鯉の協同戦線だった。両者に便益があった。以来、不忍の池の鯉は人肉の味が忘れられず、池の端で情事に及ぶ男女を池に引き摺りこんで食べ尽くすという、怖い逸話がうまれたのもこの頃からである。町人姿になった水猿、鯉兵衛は、今度はゆっくりとした足取りで、賑あう浅草寺の境内を抜けて、船宿『蓮水亭』に上がり、おかみのお桃と酌を交わしていた。「鯉さん、鰻屋でせかすのは野暮でござんすよ」 鯉兵衛の手は早くもお桃の股倉で動き始めていた。 つづく 朽木一空
2026年04月15日
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忍草(しのぶくさ) 再演 26-7 ~忍草の 裏と表を 知る奉行~悪鬼、下忍の池に沈むの巻 7水清ければ魚棲まず 騙しの褌が緩まねえように 気を付けな忍者、水猿こと、鯉兵衛は、黒田九鬼流斎を十日間尾行してもなかなか隙が見つからなかった。 神道無念流の使い手で、常に手下を十人以上は連れている。密偵、忍者も忍ばせている。用意周到な警備に守られ、とても、手が出せるような相手ではなかった。もし、悟られたり、しくじったり、捕えられたりしたら、奥歯に詰めた毒薬を噛み砕いて死ななければならぬのが忍者の掟である。『秘命』は死とともに消えるのだ。失敗は許されない。ことは慎重に運ばなければ死につながる、それが忍者の宿命である。だが、黒田九鬼流斎が魚釣り好きで、非番の日には、下忍の池(しにばすのいけ)に、子分を連れず、一人で、棹を差すことを突き止めた。下忍池には、六尺を越える下忍池の主と呼ばれている大鯉がいる。もう、200年も生きていると言われている。その大鯉を九鬼流斎は狙っていた。今日は黒田九鬼流斎の非番の日だった。~九鬼流斎は必ずやってくる~奴は、取り締まりのるつぼにはまり、苦しんでいる。どこかに逃げ道が必要なのだ。鯉兵衛は確信していた。人間、どこかに空気の抜け穴がなければ、窒息してしまう。神田の料理茶屋『極楽里』で子分共と、酒食肉淋の宴会をしている時にも、黒田九鬼流斎はほとんど酒を口にしない、女も近づけない。宴会は配下の者の志気を高めるためだけの戦術だった.ある意味、九鬼流斎自身は純粋な剣客なのかもしれない、と、すれば、剣客、黒田九鬼流斎が鬱憤を晴らすのは、この下忍の池の大鯉しかいないのではないだろうか、まだ、陽が頭のてっぺんに昇るまでには時間があった。水猿は水の中にじぃっと潜んでいた。巳の刻を過ぎた頃、案の定、黒田九鬼流斎は釣竿を肩に担いで、下谷広小路から、たった一人で、三橋を渡ってやってきた。池の端の蕎麦屋の屋台に腰を降ろし、かけ蕎麦を注文する。「おやじ、今日こそは、下忍の主の大鯉を釣り上げるぞ!」「旦那、昨日の雨で、水が濁ってまさぁ、綺麗な水じゃぁ掛かりません。こういう日には大物が掛かるでさぁ」蕎麦屋の親爺も話を合わす。黒田九鬼流斎はご機嫌で、「そうか」と、大きく頷く。一昨年の夏、「下忍池の主」とも云われる、大鯉が掛かったが、すんでのところで、逃げられ、以来その大鯉をどうしても仕留めたくて、非番になると、釣り糸を垂れる。「釣り落とす魚は噺にひれがありなんてもうしますからねえ」 と、蕎麦屋の親爺がちゃちゃをいれる。「そうではない、本当にかかったのだ」だが、その言葉は飲み込んだ。市中取締りで鬱屈が溜まっていた。やらねばならず、やればうらまれ、それでもやるさ、やらねばなるまい、だが、下級武士、商人庶民には窮屈を押し付けながら、幕府内には相変わらず、腐敗臭は蔓延っていたし、大御所の徳川家斎は大奥に入りびたり、日がな、女を物色しては淫蕩にふけり、すでに、判明しているだけで、妾を25人、子も、55人儲けていた。それでも飽きずに大奥をふらついている。将軍家慶は老中首座の水野忠邦に天保の改革を押し付け、評定の場では、何かにつけ「そうせい、そうせい」と、任せっきり。 家臣たちは裏では「そうせいさま」と、揶揄していた。 柳に風のていたらく、家慶もまた、親爺の家斉に負けずと、大奥で淫蕩三昧の生活を送る色爺だった。すでに、25人の子供を儲けていた。九鬼流斎は矛盾を感じていた。上司である老中首座水野忠邦や南町奉行鳥居耀蔵は自分の出世しか頭にない。「抜かりなく、徹底して取り締まれ!」と言う命令を出すだけである。やるのは、自分や与力、同心、配下の岡っ引き下っ匹であった。 北町奉行の、遠山影元はその二枚舌の欺瞞を知らぬふりして、取り締まりを緩めているから、狡い。『水清ければ魚棲まず』というが、人間社会も同じなのか?色々考えると嫌になる。嫌になるがやらねばならない。損な役回りを押し付けられているのじゃないだろうか?そんな、鬱屈を晴らすのには釣りが一番だった。その時だけは嫌なことから解放される。いや、忘れていられるというのが正直な気持ちだった。忘れたくて釣り糸を垂れるのかもしれなかった。皮肉にも、九鬼流斎の子分が立てた「魚釣りならず、立ち入り禁止」という取り締まりの触れ看板を足蹴にして、池の繁みに九鬼流斎は足を踏み入れた。もう、心は魚釣りでうきうきしていた。至福の時間が訪れていた。 つづく 朽木一空
2026年04月12日
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忍草(しのぶくさ) 再演 26ー6 ~忍び草 一筋の風 命の香 ~ 悪鬼、下忍の池に沈むの巻 6 音もなく、臭もなく 智名もなく 勇名もない 屁のことじゃありませんよ、 えっ?屁のようだと?忍者がですかい? 江戸幕府百人組の一つの伊賀組は、神君家康公伊賀越えの際道中を警護した者の子孫で、「御忠勤格別之者」という特別扱いの家来であった。 江戸城大手三門の警備を担当し、甲賀組、根来組、二十五騎組とともに百人番所に詰めていた。 組頭は江戸城西端の半蔵門を警護した服部半蔵正成を継ぐ服部家であった。 組屋敷は四谷伊賀町に与えられていた。 江戸幕府開府の後、伊賀に残った者は平穏な暮らしを求めて、藤堂高虎支配下で<無足>という身分で抱えられた。 <無足>とは、普段は村に住む百姓の形をして農業に勤しみ、有事の際には武力を使い軍役を務める、武士と百姓の両方の性格を有する上層農民としての身分であったが、平穏な江戸時代に武勇を馳せることは皆無であり、穏やかな農民としての暮らしに甘えていた。 これで、伊賀の忍者としての灯火は消えたはずなのだが、 あくまでも伊賀忍者の忍術と掟を伝承する小さな集団は伊賀の里の奥に、密かに隠れ住んで修行を重ねていた。 鉄砲火薬術の一党、薬の一党、 仕掛人の一味、はては、盗賊黒雲一味など、 悪事に足を染めた一党もいたが、戦国の世でもない平穏な徳川の世にも、 幕府、大名、旗本などから、諜報活動、破壊工作、暗殺、権謀術策を用いて罠を仕掛ける依頼が消えたわけではなく、手足となって動く伊賀の忍者の需要はまだ存在したのだった。 幕府や大名には仕えない、仕事を依頼されるが、仕事以上の関係は一切関りあうことのない、自主独往の忍者組織であることも安心して仕事を依頼できる理由であった。 曲崖郷の柘植孫太夫率いる<忍草>の一党もそのうちの一つであった。幕府や大名には仕えることはない、あくまでも野育ちの自由な身分を守り、依頼人が悪であっても、敵同士であっても一向に構わないし、銭さえ積めばどんな仕事も引き受けた。依頼された仕事をこなせば、以後の一切かかわりを持つことはなかった。ただし、仕事上の秘密は遵守するという道義を守った。 北町奉行も遠山影元も内密の探索に伊賀一党の忍者を使うことはよくあった。 曲崖郷の柘植孫太夫は南町奉行鳥居耀蔵から 神道無念流の使い手、黒田九鬼流斎の暗殺依頼を引き受けた。 草の仕事はいつでもあるわけではない。 好機用来とみた柘植孫太夫は千両という値で仕事を引き受けた。 法外だと?伊賀の隠里と諸国に散る草の面倒を見るのには、莫大な銭が必要だったのだ。<つけられている?見張られている?>黒田九鬼流斎は近頃、己の身に妖しい影が迫っていることも感じていた。 それが、誰なのか、敵なのか味方なのか、ただの探索なのか、暗殺準備なのか まだわららぬが、剣客としての感性が危険を知らせていた。~馬鹿な傾奇者の仕返しか?もしや、鳥居耀三の手の者か?それとも伊賀者か?~ 疑心暗鬼が独り歩きしていた。「疲れているのか?それとも、取り締まりのやりすぎなのか?」いや、自分のしていることは、庶民に憎まれていようがいまいが、徳川幕府を支えるための必要悪なのだ。明日は、非番だ、下忍の池の大鯉を釣り上げてやろう。ようやく、眠りにつけた鳥居耀蔵であった。 つづく 朽木一空
2026年04月08日
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忍草(忍びくさ) 再演 26ー5 ~ 耳澄まし 人の気配に 怯えつつ 酔いもせぬのか 忍び草 ~悪鬼、下忍の池に沈むの巻 5忍草に沽券もなけりゃ矜持もねえ、 江戸っ子は見栄坊で生きるが、 陰に生きる忍草には鼻っから見栄の張りようもねえ、 黒田九鬼流斎は南町奉行鳥居耀蔵のどす黒い過去を知り過ぎていた。 裏の悪事に九鬼流斎を使った分だけ弱みを握られていた。 天保12年南町奉行の座を何としても欲しかった鳥居耀蔵は江戸の市民に人気のあった南町奉行矢部定謙を黒田九鬼流斎を使って讒言の罠に嵌めて失脚させた。 矢部家は改易、定謙は伊勢桑名藩に幽閉となり絶食して憤死した。 後任として南町奉行の座に座ったのが筋書き通り鳥居耀蔵であった。 南町奉行となった鳥居耀蔵は筆頭老中水野忠邦が推し進める天保の改革を黒田九鬼流斎を先頭に立て、強権的に江戸市中の取締りを行った。 その取り締まりは非情、酷烈、おとり捜査を常套手段とするなど権謀術数に長けていたため、江戸庶民からは“蝮(マムシ)の耀蔵”、耀蔵の名をもじって“妖怪”と綽名された。 ~町々で惜しがる奉行、やめ(矢部)にして、どこがとりえ(鳥居)でどこが良う(耀)蔵~という落首まで詠まれた。 南町奉行鳥居耀蔵に嫌な風聞が耳に入ってきた、 あらぬ噂であればよいのだが?、、、鳥居耀蔵の猜疑心ははちきれそうに膨らんでいた。 <黒田九鬼流斎が夜半過ぎに老中水野様の屋敷の門を潜ったそうです、> <老中水野様の元に九鬼流斎からの密書らしき書付が届いたそうです>~むむ、、黒田めが、老中水野様に数ある悪行を密告されば儂は一巻の終わりだ~ そんな折、江戸城御用部屋で筆頭老中の水野忠邦から、「鳥居殿、お主はよい部下を配下に抱えておるそうじゃのう、」 「はっ!、誰のことでござるか?」 「とぼけなくともよいわ、神道無念流の使い手で、斎藤弥九郎の九段坂下道場では師範代を務めたこともある黒田九鬼流斎という男じゃ、 どうだ、その男、南町奉行の内与力にしたら、いかがかな?」 「はっ、恐れ入りまして、よく吟味したします。」 内与力とは奉行所に仕えるのではなく奉行個人に仕える与力であり、黒田九鬼流斎を内与力として抱えることに何の問題もなく、 まして、老中の推挙があれば必然のように思えた。 南町奉行所内ではすでに黒田九鬼流斎は内与力並みの地位で動いていたが、 身分上あくまでも奉行の私的な側人であった。 <九鬼流斎めが、己の出世のため、老中にまで手を回したのか、?> 城から下がり南町奉行所の私邸に入るや、鳥居耀三は片口徳利の酒を一気に飲み干した。 眼を真っ赤に充血させ黒田九鬼流斎への腹立ちを抑えきれなかった。 鳥居耀三は手下の裏切りを黙って見過ごす軟な男ではなった。 己の身を守り、老中への階段を上るのには九鬼流斎は危険すぎた、最早邪魔者であった。 鳥居耀蔵は人前では自信に溢れた振る舞いを崩すことはなったが、 内心では猜疑心の塊に怯える男であったのだ。 腹心の黒田九鬼流斎に恐れを感じていたのだ、いつか、寝首を掻かれるのではないかという不安が暗雲のように広がっていた。 この頃では九鬼流斎の蛇のような冷たい視線を見ると、 心が読まれているような気がして手が震えるのを抑えきれないのであった。 いつか、寝首を掻かれるのではないかという不安が暗雲のように広がっていた。 <儂は老中になる男だ、誰にも邪魔はさせぬわ、>鳥居耀三は黒田九鬼流斎を抹消することを決断した。 密かに<忍草>の元締である伊賀曲崖郷の柘植孫太夫に 黒田九鬼流斎の暗殺を依頼する使者を走らせたのだった。 つづく 朽木一空
2026年04月05日
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忍草(しのびくさ) 再演 26- 4 ~影を追う 闇に紛れて 忍び草 ~ 悪鬼、下忍の池に沈むの巻 4 叶わねばこその浮世なら、 絶望とてあっけらかんと居眠りしてるご時世だ 兎のぬいぐるみを来て取り締まったって 悪鬼だとすぐに露見しちまうよ、九鬼流斎の旦那、 南町奉行鳥居耀蔵の天保の改革における『質素倹約令』の市中取り締まりの先鋒を請け負っていた実働部隊が、南町奉行鳥居耀蔵の懐刀の黒田九鬼流斎であった。 岡っ引き、下っ引き、柄の悪い小物を何十人も引き連れて、江戸市中を容赦なく厳しく取り締まっていた。 黒田九鬼流斎が移動する三間四方には、密偵、間者を張りこませて偵察せ、二重三重に眼を光らせていた。歌舞音曲、歌舞伎小屋、芝居小屋、見世物小屋、遊女屋、矢場、料理茶屋、屋台店、湯屋まで、見廻り、目につく贅沢、着物、簪、凧揚げ、魚釣り、縁台将棋、碁の類、お椀、簪までに難癖をつけ、果ては、無宿人はもちろん、河原乞食や、願人坊主、夜鷹、瞽女、座頭 まで、すべてが取り締まりの対象で、春画本や、かわら版、浮世絵の類いも、当然取り上げ、文句を云うものや、刃向うものには、「不埒者め、ご政道に逆らうのか!」と、有無を言わせぬ取り締まりで、片っ端から、しょっぴき、弾圧した。そして、暮れ六つがくれば、目こぼしを代償に、神田の料理茶屋『極楽里』で子分共と、今日の取り締まり話を餌にして、酒食肉淋の宴会を連日開いた。 <てぃ!お役人ばかりがいい思いをしやがって!> 取り締まりが厳しさを増せば増すほど、江戸の町から明かりが消え元気がなくなりつつあった。江戸庶民は、南町奉行の鳥居耀蔵は妖怪、黒田九鬼流斎は悪鬼だと、罵り、憎んだ。かわら版屋は、鳥居耀蔵や黒田九鬼流斎の悪口憎悪を並べて囃し立てた。 <妖怪鳥居、悪鬼黒田、蝮に喰われて地獄へ落ちろ!>庶民は瓦版を呼んで、手を叩き、留飲を下げた。そこが、黒田九鬼流斎には面白くなかった。 「北町奉行の遠山左衛門尉影元はずる賢い野郎だ、遠山の金さんなどと煽てられて、甘い取り締まりで、目こぼしばかりしやがるから、人気者になっている。ご政道に忠実に仕事をしているのは儂の方だ。 兎のぬいぐるみを着た人気取りや甘い吟味では、幕府の改革はできやしねえ、遠山だって、曖昧や妥協でご政道が成り立つはずがないことは解っているくでに、」 黒田九鬼流斎は機嫌が悪かった。機嫌の悪さが、鬼のような形相で庶民の弾圧と思われるような取り締まりをさせてるのかもしれなかった。 だが、九鬼流斎の気分を塞いでいる訳はそれだけではなかった。 <簀子の下の舞の儂の力がなければ、出世も思いのままにならなかっただろうに、> 南町奉行の鳥居耀蔵をここまで押し上げてきたのは己の力があったからだと己惚れていたのだ。 黒田九鬼流斎は南町奉行鳥居耀蔵の絶対の信頼を得ている懐刀である。 鳥居耀蔵がまだ、無役の時からの家来で、ことあるごとに表裏となって、鳥居耀蔵を助け支えてきた。 汚い裏の仕事や邪魔者の始末はもっぱら神道無念流免許皆伝の使い手である黒田九鬼流斎の仕事だった。 すでに、鳥居耀蔵の我欲のために十人は斬ったであろうか。 だが、鳥居耀蔵は黒田九鬼流斎を役目に付けることはせず、常に陰として利用してきた。 「鳥居様、某にも陽の当たる仕事を頂けませぬか、」 「何を申す、そなたは陰となって儂を支えるのが嫌になったのか?」 「いえ、ただ、奉行とともに危ない橋も泥水も飲んでまいりました 報いは何であったのかと?」 鳥居耀蔵は黒田九鬼流斎との問答で、最早、黒田九鬼流斎はこれまでと見切りをつけた。 <この男は危険すぎる、老中に登りつめるのには秘密を知り過ぎた者は始末せねばなるまい> 鳥居耀蔵に長い間仕えてきた黒田九鬼流斎には猜疑心が強く、邪悪な心を持つ 鳥居耀蔵がすでに己に対して疑念の気持ちを持ち始めたことを察し、 命の危険さえを感じ取っていたのだった。 つづく 朽木一空
2026年04月01日
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忍草(しのぶくさ) 再演26- 3 ~ 忍草や 葉擦れの音に 耳を立て~悪鬼、下忍の池に沈むの巻 3影に忍びて、影で滅びぬ、 生きた跡なし忍草 ちょいと、畳だって裏返しがあるんだぜぃ、 伊賀の上忍の『秘命』を受けてから、鯉兵衛は十日間、昼夜となく、黒田九鬼流斎を尾行した。 七方出(しちほうで)の変装術用の衣装を纏い、商人、ほうか師、虚無僧、出家、山伏、猿楽師、棒手振り、飴売り、髪結い、或る日には商家の妻女にも化けて尾行した。 顔つき、仕草、視線、言葉遣い、歩く様、老若男女何にでも変装できるのが忍者の変装術だった。 諜報活動は忍者のお手のものであった。 夜陰に乗じて、屋敷の天井裏に潜み、床下に潜り込んでは九鬼流斎の動性を探った。黒田九鬼流斎は南町奉行鳥居耀蔵の信頼の厚い懐刀の家来である。 若輩の頃から鳥居耀蔵の手となり足となり、 常に側に仕ていたので鳥居耀蔵の裏も表も知り尽くしていた。 神道無念流の使い手で、斎藤弥九郎の九段坂下道場では師範代の次に強かった。 目配り、気配りも行き届き、一分の隙もみせな剣捌きで右に出るものはなかった。 鳥居耀蔵は黒田九鬼流斎の刀の剣の腕を見込み、 裏の暗く汚れた仕事は黒田九鬼流斎に請け負わせることが多かった。鯉兵衛が黒田九鬼流斎の怪刀を目にしたのは、張り込みをしていた神田の柳原土手だった。 九鬼流斎の子分の甚八が、夜鷹を取り締まりついでに、 夜鷹に覆い被さり交合に及ばんと褌から逸物を出した時、「阿漕なまねはやめな、それが水野殿のご改革か、笑わせるな!」 志の高そうな佇まいの浪人者が刃を抜き甚八の男根を切り落とした。悲鳴をあげた甚八は股間から血を滴らして、土手を転げ落ちた。九鬼流斎の横手切りを見たのは、その時だった。浪人者もかなりの手練れとみたが、 子分の逸物を斬られては黙ってはいられない、九鬼流斎の刃が一閃すると、 浪人者の首から上が、まるで大根でも切るようにすぱっと胴体から離れた。 「雉も鳴かずば撃たれまいのに、無駄な命を落としたな、」 無礼打ち、切り捨て御免のつもりだろうか、人を斬っても冷たい無表情であった。 <強い!隙も無い、迷いがない> 刃でまみえるのでは九鬼流斎にはとてもかなわないと、鯉兵衛は悟った。 只者ではなかった。冷酷無比、難敵である。 鯉兵衛は刃での暗殺計略を練り直し、黒田九鬼流斎の癖や習慣を観察しじっと機会を待っていた。 天保十一年、幕府内の規律は緩みきっていて、賄賂、収賄、談合、横領、陰謀が絡まりあい驕奢な腐敗臭が幕府内に蔓延していた。その悪臭は江戸庶民にも伝染し、芝居、見世物、料理茶屋、岡場所、縄暖簾の店までにも、遊びの文化が花開いていた。 道楽遊蕩に耽り、その分面白可笑しく、町には活気が溢れ、庶民も元気だった。一方で、幕府の財政状況は窮迫し八方塞がりの状況だった。 江戸の風俗の乱れの原因のひとつに奢侈(贅沢)があると判断した徳川家慶は 老中首座、水野忠邦にこの窮状を克服するため、天保の改革を推し進めたさせた。その皺寄せは庶民に降りかかっていた。『質素倹約令』である。風俗取締りの町触れを出し、身分不相応の贅沢と、奢侈を禁止し酷烈に取り締まった。老中首座水野忠邦の足腰となり改革を進める、南町奉行の鳥居耀蔵の強引な取り締まりは苛烈を極め、おとり捜査は常套手段、讒言、デッチ上げ、裏切りなど、悪辣な手口を使い綱紀粛正に走った。 冤罪もお構いなく、町をうろつく気に食わない不埒な者は片っ端からしょっ引いた。その先鋒に立って獅子奮迅の働きをしたのが黒田九鬼流斎であった。<ご改革だと?しゃらくせいや!お江戸の灯が消えちまったよ!> 南町奉行鳥居耀蔵は庶民から、妖怪、蝮などと、忌嫌われていた。 つづく 朽木一空
2026年03月29日
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忍草(しのぶくさ) 再演 26-2 ~忍草が 舟に揺られて 影踊る~ 悪鬼、下忍の池に沈むの巻 2 色、酒、欲、は忍者には禁戒、忍とは耐え忍ぶことなり けどね、草の忍者は庶民に溶け込むのが使命だから御赦免さ、 酒も女もほどほどに、、鯉兵衛さんよかったねえ、 忍草の鯉兵衛の表の仕事は、鰻捕りだった。鰻舟を操り、大川、日本橋川、神田川から、堀割りにまで、夕方、鰻筒を仕掛け、朝陽の上がらぬうちに鰻を縄上げして、日本橋から、花川戸辺りまでの、料理茶屋や船宿に届ける。二尺程度の鰻が多い中、鯉兵衛の捕る鰻は、十分に育った二尺五寸以上の大きな鰻だったので、蒲焼自慢の料理屋からの支持が高かった。 だが、鯉兵衛の鰻からはしばしば肝が抜かれていた。 鮒兵衛が生のまま肝を吸いこんでしまうのだ。 <てぃ、精力(りょくせい)根気(ねばり)頑丈さ(がんたんさ)がなけりゃ、 草の任務は遂行できねえよ>鰻舟を器用に昨夜仕掛けた鰻筒に寄せると、縄上げした鰻を素早く、竹魚籠に入れる。手慣れた手つきだった。鰻舟は、掘割から、神田川に出て、大川を下っていく。新大橋、両国橋を潜る。鯉兵衛の小舟はまるでみずすましのように川面をすいっすいっと走った。 鯉兵衛が江戸の掘割を小舟で操るのは、鰻捕りだけが目的ではなかった。 網目のように張り巡らされた江戸の掘割の癖や水の流れは 鯉兵衛はの頭の中に叩き込みまれていた。 上忍からの調べごとに素早く正確に応答するためでもあった。 草に『秘命』は下らなくとも、江戸の掘割に浮かぶ怪しげな船の動きを内報することも鯉兵衛の常時の仕事であった。 その日、鯉兵衛が鰻舟を寄せたのは、花川戸の船宿『蓮水亭』であった。 鰻卸の得意先にかこつけた鯉兵衛の息抜きの艶事の場でもあった。「鯉さん、今朝のもご立派ね、元気がいいこと、うっふふっ」花川戸の船宿『蓮水亭』のおかみ、お桃は大ぶりな鰻を手でぎゅっと掴むと、 魅惑的な視線を鯉兵衛に向けて頬を赤らめた。 だが、珍しく鯉兵衛からは色良い返事が返ってこなかった。「ちょいと野暮用があってね、午ノ刻までには、帰ってくるよ、お楽しみはそれまでお預けだよ」船宿『蓮水亭』に鰻を届けた日には、鯉兵衛は大抵うなぎの肝を吸って、一杯飲って、朝っぱらからお桃と戯れることがあったのだ。 だが、今日、花川戸まで船を運んだのは、鰻を届けるだけではなかった。『秘命』を遂行しなければならない日だったのだ。 南町奉行鳥居耀蔵の懐刀の黒田九流斎を屍骸が見つからないように始末することだった。鯉兵衛は花川戸の船宿、蓮水亭の船着き場に鰻舟を預け、 田原町から両側が寺ばかりの、新寺町をまるでムササビの如く疾走し、半刻もかからずに、下忍の池(しのばすのいけ)の畔に出、池の端仲町をやり過ごし、下忍の池の西岸に手配しておいた小舟に寝そべるように姿を消すや、 小舟は音を立てずに弁天島まで水の上を静かに滑った。弁天堂の裏に廻ると素早く町人姿の着物を脱ぎ、老人とは思えぬしなやかな筋肉の裸体になると、褌をぎゅっと締めなおしてから、ゆっくりと、池の中に体を沈めた。 <水遁の術>と<隠形の術>を使って、蓮の葉陰に潜む。 蓮の葉の陰から、鯉兵衛の黒い眼だけが光る。誰が見ても蛙が潜んでいるようにしか見えない、水猿の術であった。餌食の黒田九鬼流斎が現れるのをじいっと待った。鯉兵衛が<ぷっ!>と漏らした屁から出た泡(あぶく)が下忍の池に ぷくっぷくっと浮かんで蓮の葉を揺らした。 つづく 朽木一空
2026年03月25日
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忍草(しのぶくさ ) 再演 26-1忍草の 葉影が揺れて 掘割を 小舟浮かした 春の宵 悪鬼、下忍の池に沈むの巻 1どんな草にも咲く花がある 咲かせてならぬ草もある 陰に隠れて忍草 もういいかい? まあだだよ、忍草かくれんぼ 天保12年、皐月(さつき)明け六つ(朝6時)。鯉兵衛はまだ眠りこけてる裏長屋から、竹魚籠(びく)を腰にぶらさげ、木戸を通らずに、厠(かわや)の横をすり抜けて、掘割に繋いである小船(鰻舟)に乗る。 いくらか腰が曲がっていて、動作もゆるりとしただの老翁のように見えるが、今朝の鯉兵衛の赤ら顔は、いつもの相好を崩した温和な顔を長屋の竃(へっつい)にでも忘れてきたようだ。皺の間から覗く眼差しが、氷のように鋭く辺りを睥睨しているのを隠せなかった。 鯉兵衛は<草>と呼ばれる伊賀の忍者である。忍者でも下層の下忍である。 忍者としての素性を女房のお鮒にまで隠し通し、庶民の顔をし、鰻捕りの老翁として裏長屋の暮らしの中に溶け込んでいた。 草と呼ばれる忍者にはいつ『秘命』が下るかわからない。明日、下ることもあれば、十年も『秘命』が下らない場合もある。『秘命』が下るまでは、忍者であることを悟られないよう、江戸庶民の中に紛れ込んで暮らているのである。 <草>と云われる所以である。 秘命を受けていない間のお鮒との裏長屋の暮らしは、鯉兵衛にとっては、ただの老翁の穏やかな時間でもあったのだが、 十日前の子ノ刻、寝入っていた鯉兵衛の耳に、楠木の枝に停まった梟(ふくろう)が、 ほおぉほおぉほおぉ、ほおぉほおぉほおぉ、ほおぉほおぉほおぉと、 間をおいて三回啼いた。 <とんと,縁がねえものだと思っていたが、ついにきやがったか、>伊賀郷の元締めから『秘命』が下る合図だった。十六年振りの『秘命』であった。忍びの運命(さだめ)なのか、ゆっくりとした老爺の動きの鯉兵衛の背筋にピンと、芯が通った。鯉兵衛は水猿と呼ばれている下忍だった。『忍者八門』は極めていたが、水中での術が卓越していた。<水遁の術>では、腹に己で当身をうち、仮死様態のまま、一日中水中に潜っていることもできたし、魚のように、敏捷に泳ぎ、葉や藻のなかに、姿を隠す<葉隠の術>は誰にも見破れなかった。水上を歩く<水蜘蛛の術>では、あめんぼのように、音を立てずに自由に水面を移動できた。 そして、なにより、鯉兵衛の水猿としての奥妓は魚語が理解できる術であった。 伊賀の忍術使いでも誰にも真似ができなかった。 唇の動きで言葉を読み取る、<読唇術>という忍法は、忍者ならみな極めているが、鯉兵衛は読唇術で魚の言霊が理解できたのだった。 伊賀衆からは水猿と揶揄されていた。<でもねえ、旦那、忍者なんて格好のいいもんじゃありませんよ、 忍者なんぞ、やりたくてやっててるんじゃねえや、 伊賀の帷(とばり)から逃げ出せなくて 泣きながらやってるんでございますよ、> つづく 朽木一空
2026年03月22日
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みそひともじ(江戸短歌)与謝野三左衛門 弄り歌 花魁は とおくにありて思うもの まして銭なし武士の 帰るところにあるまじき 吉原は顔を隠して覗き見だけで帰る 悲しき勤番侍でございますかな、遊び女(め)の 熱き血汐に ふれも見で さみしからずや 銭のない君 町で声をかけた遊女でしょうかね、 「200文でどう?」 勤番侍でござんすか、銭がなけりゃ、からかうもんじゃありませんよ 盗人は 目にはさやかに 見えぬとも 呼び笛の音に おどかれぬる 江戸の夜は暗闇で物騒でございますが 盗人の出没を警戒して、奉行所も見廻りをしてますからね、 奉行所の見回り同心に火付け盗賊改方、岡っ引きに下っ匹、 怪しい影を見れば <ピーッ ピーッ>と呼び笛が鳴り響きますから 泥棒さんご注意を! 笑左衛門
2026年03月18日
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みそひともじ(江戸短歌) 石川の啄木左衛門 弄り歌御家人が 竹刀を抜いて そのあまり かろきになきて どぶに落ちたり おやおや、抜き身は質屋でございましたかな、 町中で刀なんぞを抜くことを 恥刀と申しますぞ、 御浪人 悲しからずや 藩主にも 江戸家老にも 染まず漂う 染まりたくとも仕官できないのでは 何色に染まればいいのか戸惑うばかりですかな、垂乳根(たらちね)の 長屋の母の 逞しさ 子供五人の 吸ったあとかな 五人も産んで育てれば垂乳根(たらちね)にもなりますわ、 ご立派、ご立派、裏長屋の逞しい妻女、 ご亭主残り乳でも吸いますか 笑左衛門
2026年03月15日
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お江戸みそ一文字 五七五 七七 春風心地よく 春の野辺 花傘かざる 童子(わらべ)いて 爺に手を振り 唄を歌いて 江戸の野辺はのどかですな、ご老人も幸せでございましょう、 童子たちはみな集まって遊ぶのですね。 老木の 巣箱覗いて ツピーツピー 冷やかしばかりの 四十雀さん 隠居所に仕掛けた四十雀の巣ですが 覗きに来るのですかなかなか定住してくれません。 大丈夫、虐めませんから、きてくださいね。 雲に乗り 行く当てもなく 春の空 身下げる江戸の 賑やかなこと 海には帆船が浮かび大川には小船が行きかい、 川と掘割に囲まれた江戸の景色が流れていく。 江戸城、浅草寺、日本橋、 江戸五街道の東海道に甲州道、中山道に奥州道、日光街道 広々した大名屋敷と神社仏閣の敷地、 それに引きかえごちゃごちゃとした町屋で人が忙しく動き回っている。 260年間、戦争もなく平和が続いた江戸時代だったのだ。 笑左衛門
2026年03月11日
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お江戸みそ一文字 五七五 七七 春色煩悩武士かまきりが まだかまだかと 枝揺する いざ出陣か 卵鞘(らんしょう)の城カマキリの籠っている 卵鞘は城のごとき堅牢である。 いざ出陣の時にはすでに斧を翳しておるのか、 江戸城の武士にもいまだ出陣の時は来ず。 春帰る 勤番武士の 未練節 池の蛙と にらめっこしてる 参勤交代の時期ですな、江戸に何の未練があるのですか、 町娘と恋仲にでもなりましたかな、 郷里には妻と子供も待ってますぞ、 帰る、蛙と、思案に暮れている場合ですかな、、 春きたる 種まきの様 月代が 士官の道無し 笠張り浪人春ですよ、裏長屋のご浪人様、月代も剃れないごま塩頭で、まるで、種まきした畑の様ですよ。 捨てちまって下さい武士なんざ、、笑左衛門
2026年03月08日
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お江戸みそ一文字 五七五 七七 春が来たぞい春おたべ はしゃぐ婆さん 草つみに たんぽぽよもぎ わらべとあそぶ 春は若草が萌え、江戸の庶民は草摘みに出かけます。 たんぽぽ、よもぎ、せり、のびろ、つくし、まだまだあります、、 へへ、春の恵がたのしみだったのですよ、 へたくそだ まだ早いのか ホーホ ケキョケキョ 梅の蕾で 鶯稽古 梅の蕾の頃は、鶯の囀(さえづり)はまだ練習中なのでへたくそだ。 ~ホーホケキョと~きれいには聞こえない。 音痴の親鳥の真似して懸命に稽古してますよ。 でもねえ、またへたくそな鶯の囀をおもしろがってるのが、 江戸っ子でしてね。 蓑虫が 蓑で屁をこき 藻掻いてる 脱出するぞ 蛾になるぞ 枯れ木にぶら下がって揺れてる蓑虫さん、 もう蛹(さなぎ)になってでてくる頃ですかな。 蓑の中での放屁は臭いでしょうから早く出てらっしゃい。 笑左衛門
2026年03月04日
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江戸の風景 江戸の空 風来坊の 雲うかぶ いったりきたり はなれてついて 呑気に構えている風来坊さんは小普請組(無役の御家人) でございましょうかね。 いいご身分だと?今日の飯さえ心配さ。あかあかと 夕陽とへっつい 女子の頬 貧乏長屋に 幸あるように夕暮れになると、江戸の町々に夕餉の煙が上り 子供らが<またあした!>と、長屋へ帰ります。 幸せを感じますなあ、、長屋でも 部屋毎違う 臭いあり それが混ざって 長屋の臭い おんなじ様な長屋暮らしでもそれぞれ持ち味のある家、 当たり前ですがちょっとちがう臭いが混ざって 江戸の長屋のいい臭いになるんでございましょうな。 笑左衛門
2026年03月01日
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お江戸みそ一文字 五七五 七七 雨の日も雪の日も八丁堀同心 べしょべしょと 雨の降る日に 同心が 着物捲って 草履懐(ふところ) 雨が降ろうが奉行所へ行かねばならぬかのが同心の務め、 草履が汚れぬように裸足になって、着物に泥がはねぬように、 雨の日は憂鬱でございました。 さくさくと 雪降り積もる 八丁堀 子らをかき分け 急ぐ同心 雪が降れば子供らは嬉しくて元気そのものでございますが 与力同心は遅刻せず奉行所へ急ぎ足でございます。 非番でも 八丁堀に 雪積もり 御家人総出 雪かき雪汗 八丁堀組屋敷は奉行所の町与力町同心の住む 拝領屋敷でございますから、雪が降れば 御家人総出で雪かきもしなければ動きが取れませんから まあ、頑張ってください。笑左衛門
2026年02月25日
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みそひともじ 出戻り女出戻りも 三度めならば 熟練者 三下り半を 神棚に置き江戸時代、二度や三度の離縁は珍しくもありません。バツ六なんて豪快な烈女もいたくらいで、結婚熟練者はもてたのでございますよ。 離縁して 修練積んだ 若後家さん 長屋に帰れば モテモテ姐さん 長屋じゃ、独り者が膝を抱えて淋しがっていますからねえ、 あんまり、ひとりものをからかっちゃいけませんよ、 姥桜 引く手あまたの 呼び戻し 大家早速 仲人になり 姥桜(30歳)なんて失礼な、 江戸の町じゃ女不足でございますから貴重な桜でございますよ。 武家では「二夫(にふ)にまみえず」なんて格式張ってますがね、 庶民には幕府のお達しで、<女性はなるべく2度以上結婚すべし>と奨励してますからね。さあ誰にしようか、仲人役の大家さんも頭を悩まします。笑左衛門
2026年02月22日
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みそひともじ 春きたりなば 春きたり 梅に鶯 長屋では 傘張の先 蠅が止まりて 春が来ても傘張り浪人には休みなし 蠅を払う気力も失せましたかな野山では 緑が先の 山桜 銭が先だと 色里の女(ひと)騙されて泣くのは昔の女郎、遊女だってしっかりものじゃなくちゃねえ、ちらほらと 春の顔出す 掘割に 春顔だけの 船宿の女(ひと)商いだいいちでございますから、笑顔だって料金の内ですよ。 嘘の春顔なんて花もありましたかな 笑左衛門
2026年02月18日
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みそひともじ お武家様 腹斬れば なにが出るやら お武家様 塵魍魎の 武士の腹底 武士の中の身分は細かくて、 忠誠裏切り裏表、そうでなきゃ出世できませんからね、 恨み辛みに嫉妬に殺意まで腹にたまってますね、 武士なれど 町人ほどには 食えぬ飯 斬れぬ刀で 腹こする武士 武士の矜持と申しますが、腹を十字に切り裂き、内臓をつかみ出す「無念腹」ではございませんよね、 失礼した、鰯刀じゃ切れぬと諦め、刀の峰で腹をこするだけですか ご浪人 武士は名ばかり 裏長屋 士官の道は 草ぼうぼう 平穏な江戸時代士官(就職)先があるはずもないが 武士という身分を捨てられず、 江戸へ出れば何とかなるだろうと、人足仕事や内職で 糊口を凌ぐ浪人がごろごろしております。笑左衛門
2026年02月15日
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みそひともじ 貧しきものの歌 食わせ者 飯が食えぬと 嘆いても 厠の下では 大糞ひねる 食べた分だけ出る、正直者の人間でござるな 齧ってる 貧乏長屋 どぶ板の 下の鼠が 御馳走さんです 貧乏長屋でも齧る餌があるんでございますから まだまだ大丈夫でございますね 心まで 貧しかねえさ 米びつの そこが抜けても 隣がいるさ ちょいと、味噌貸しておくれ、 飯がなかったら、箸と茶碗持っておいでなさいよ、裏長屋じゃね、人情だけは貧しかないさ 笑左衛門
2026年02月11日
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みそひともじみそもじ(三十文字)余(あまり)一文字(ひともじ)みじかうたとも申すそうです。では、、、 ~長屋暮らしに風が吹く~息してる ただそれだけの 長屋かな 三合の飯と 三合の糞 其れで充分でございますよ、 何かを期待すれば火傷しますからね、、 虫篭に へたれ胡瓜が 干からびて じじいの股間 頭擡げずもう十分活躍したんでしょう 股間の隠居、味のある逸物でござんしょうからからと 瓢箪風に ゆられてる あっちこっちに 愛想(あいそ)ふりまき長屋住まいはみんなと仲良くでございますから 苦み走った男じゃ暮らしていけませんよ 笑左衛門
2026年02月08日
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吉原俗伝、蛇こしき ~ご隠居、びっくらこかねえで聞いておくんなましよ、 吉原へ通い詰めの材木問屋の若旦那が、 いつものように仲の町の桔梗屋にあがって、 花魁の薄月の前で、着物を脱ぐと、 薄月が可愛がっていた愛猫のたまがいきなり若旦那の逸物に噛みついてきたというからこりゃ、びっくりざんすね、 「こりゃ、タマや、こちらの主(ぬし)の金はいい金でありんすよ、、」というのも、昨夜、花魁の薄月が湯につかっていると、六尺を超える長さの大蛇(青大将)が風呂場に侵入し、 薄月の腿を這いあがり、あわや、秘所に侵入かと思った時 ~ありゃあ、助けておくなましぃ^~ という叫び声を聴いた愛猫のタマが大蛇に噛みついて、 薄月の秘所を助けたのでありんす。 この話は吉原ではぱあと広がり、 知らない人はいないくらいでござんすよ、 なにしろ、吉原は田んぼの真ん中にありぐるりと、四方を堀に囲まれていて、 その大蛇こそ吉原堀の主の蛇だと噂されていたのでありんすよ。何百とも知れぬ蛇が重なりあい絡み合ってとぐろを巻いていて、十匹ぐらいが頭を持ち上げている、蛇こしき(蛇塚)を見ると、 縁起がいいと昔から言われていてましたが、 蛇こしきをみた遊女が幸せになったという話は聞くことがござらんした。 幇間(太鼓持ち)のとん平が 「蛇こしきとは縁起がいいや、どうれ、どんなお宝が隠してあるのかな、 そりゃ、よいしょと、、」、 と、蛇こしきの中に手を突っ込んだ。 すると、中に小判の山があったのでありんすよ、 その小判をとん平が取り上げると、蛇たちはてんでばらばらに姿を消してしまったそうでございます。「どうです、ご隠居、怖いような、嘘のようなほんとのような 話でございましょう、?」 「彦五郎の作り話を聞かされちまったね、 まるで尾ひれがつき過ぎて泳げない魚のような与太話でありんすね、」「へいっ、ご隠居さん、吉原俗伝を脚色したものでありんすよ、」 笑左衛門
2026年02月04日
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長屋の井戸 長屋の女たちが井戸に集まり、水くみや洗濯などをしながら世間話や噂話に興じております。長屋には井戸が一か所あり、朝昼晩長屋のみんなが顔を合わせる場所でございます。おかみさんの世間話に花が咲き井戸端会議と云われたのです。 ~井戸替えに大家と見えて高足駄(たかあしだ) ~江戸川柳 7月7日 夏の風物詩でもある長屋の井戸浚い(井戸の大掃除、井戸替え)がございまして、長屋の店子総出でやることになっておりまして、みんな尻しょっぱりの裸足ですが、大家だけはは着物をきちんと着て、高下駄で威張っていたんでしょうかねえ。 ~井戸端へ我がおさらばを揃えて居 ~ 江戸川柳 井戸へ身を投げて死ぬために下駄をわざとらしく揃え、 誰か早く止めてくれねえかとの心の声が聞こえてきますねえ、、 ~長屋中検視が済むと井戸を替え ~江戸川柳 とっさに死ぬのには便利だったのか、井戸の中へ身投げする者が多かったのですが その後始末が面倒で、屍を引き上げた後、井戸の大掃除をしなければなりません。 お城の大奥の井戸じゃ、女同士の虐め虐待、恨み妬み嫉妬に耐えられず身投げしたり、誰にも言えぬまま産んだ赤子を井戸に投げ入れ遺棄でしたりで、 井戸の水がいつも水が赤く染まっているなんて悍ましい話もございます。 番町皿屋敷っじゃ、お菊の亡霊が井戸から顔を出して、夜な夜な~いちまーい、にまーい..~と皿を数えていますよね、あああ、井戸は便利で欠かせない場所でございますが怖い所でもあるんですねえ、 笑左衛門
2026年02月01日
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上手く描けてるじゃねえか、わんわん、 江戸のお犬様子を持って 近所の犬の名をおぼえ 江戸川柳犬の退屈 縁側へ あごを乗せ 江戸川柳犬の声 今すてる子を 抱きしめる 江戸川柳 徳川綱吉公のお犬様騒動いらい、犬は人間の友になりましたなあ、 江戸の町には誰が飼うのでもない野良犬がうろうろしていて 店前や道には犬の糞が転がっているので要注意だ。 夜になれば犬の遠吠えがあちこちから聞こえてくるのが江戸の町だ。 浪人の用心棒ですが、あっしも野良犬でござんすよ、 <飲みすぎですよ、旦那、わん、>犬は孤独な浪人の友でありまする。 ~人間とは弱くて孤独なものでございますな~笑左衛門
2026年01月28日
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毎度、へた絵画廊にござりまする。 よくそんなへたくそな絵が描けるもんだ!何をおっしゃいます、芸術ってえものは奥が深いんですぞ。 江戸四宿(千住、板橋、品川、内藤新宿)の枠内と本所深川が 江戸の枠内だが、その江戸を外れれば、どこものんびりと、田舎の風景が広がって いる。 上絵にある一軒家には江戸から逃げてきた盗賊でも隠れているんでしょうか、 岡っ引き狐の権八親分お縄にしようと出張ってきてますね、 親分!こんなところまで、追いかけてきなさんなよ、 隠居暮らしにしては 寂しそうですね、 枯れ葉を集めて巣ごもりでもするんでしょうかね、 板橋宿から新大橋を渡れば、田畑が広がり、 ぽつんと一軒家もあったんでしょうね、 甲州道、布田宿を過ぎさらに甲州道を下ると下石原、近藤勇の生家のある場所にでます。 そのすぐ先が多摩川縁でのどかな風景が広がります。 ~かがり火の影にぞしきる玉川の鮎ふす瀬には光そひつつ~玉川の鮎は<御菜鮎上納御用>として将軍家に献上されていほどの味だ。 玉川は魚の宝庫で、鮎の他にも、 やまめ、ます、オイカワ、かじか、うぐい、鰻 などが住んでいた。 上絵は多摩川の漁師の家だろうか、、、笑左衛門
2026年01月25日
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毎度、笑左衛門ブログの中からの抜粋、下手画廊でございます。 ~へたくそな絵からでも江戸の臭いが嗅げますかねえ~ 江戸の町の風景に蕎麦屋はかかせねえ、 江戸の町は伊勢屋稲荷に犬の糞なんて申しますが、 そば屋を外しちゃいけませんねえ、どこを歩いたって蕎麦屋の暖簾の下がっていない 町はありませんよ。 そば屋といっても<藪、更科、砂場>なんていうちゃんとした店構だけが 蕎麦屋だけじゃありません。 二八蕎麦、ニ八十六の一杯16文のかけそばを売る立ち食い蕎麦屋も繁盛してますよ、 なんてったって、夜中遅くまでやってる、風鈴をぶら下げた屋台の風鈴蕎麦屋が 人気だが、夜鷹や夜の仕事人相手の夜鷹蕎麦という、滅法安い屋台蕎麦屋もあったが、 ちょいと不潔だったという話でございますがね、 どっちにしても、せっかちな江戸の町人にとっちゃあ、蕎麦は手っ取り早くて 人気がありましたね、なんてったってどっかで聞いたことのある、 安い、旨い、早い、の三拍子が揃ってましたからね、 一件落着!ご存じ 当山金四郎さまが大活躍の北町奉行所でございます。 江戸の町は南町奉行と北町奉行が取り締まっていました。 江戸の町を北と南に分けていたわけじゃありません、隔月の当番制で交代で江戸を見張っていたのです 南町奉行には名奉行大岡越前、北町奉行には 御存じ遠山の金さんこと遠山影元がおりました。 日本橋本町2.3丁目、大伝馬町周辺には薬草や薬を扱う薬種問屋が軒を連ねております。本町三丁目に40軒の店が軒を連ね、そのうち9割が薬種問屋でございまして、本町全体では60軒もの薬種問屋があるそうで、医者も72人もいるそうです。 ~本草を道へならへる三丁目~ 江戸川柳~三丁目匂はぬ見世は三四軒 四丁目もまだちらほらと匂う也~江戸川柳まあ、病気がちの人はこの辺りに住めば安心ですな。笑左衛門
2026年01月21日
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江戸ぶら 千住宿 槍かけ松 ~やっちゃばに 賑やかに並ぶ 千住葱~ 文禄3年墨田川に千住大橋が架けられると千住は日本橋から北へ二里八町(8.7キロ) 奥州街道、水戸両街道、日光街道の江戸への出入り口の関門として急速に発達した宿場町であった。 「さすがに奥州道、日光街道、水戸街道だ、賑やか騒々しいや、 右手はやっちゃばでございますね、 景気のいい声が聞こえますね、粋と鯔背がぶつかってますね、」 「千住宿は江戸の果てなんて言われてるがね、 東海道の品川宿、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、日光街道・奥州街道の千住宿が 江戸江戸四宿だが、なんといっても、千住宿は、江戸と日光東照宮を結ぶ「将軍家の参道」だから 一番だね。 千住宿は、千住町が本宿で、千住掃部宿・千住河原町・千住橋戸町が新宿 荒川対岸にあった中村町・小塚原町のは南宿(下宿)で併せて十宿が千住宿だ。 江戸の果てなんて言われてるがね千住宿は江戸四宿の中でも群を抜いて大きい宿場だよ、」「おいおいおい、道の真ん中のかかしさんよ、じゃまでぃ、どいたどいた!」 日本橋か神田へでも運ぶのだろうか、やっちゃば通りから出てきた大根を山のように積んだ、 荷車に曳かれそうになる。 千住宿の周辺は野菜栽培の農村が多く、初めは野菜の市が立っていたが、 大橋が架かり、陸上の便もよくなり、併せて隅田川の水運を利用し河川からの荷揚場にも便利なことから、 諸方から荷が集まるようになり、<千住のやっちゃば>として賑あうようになったのだ。 日光街道奥州街道は千住までは供用だったため、街道を行きかう人も多かった。 ~旅人絶ゆることなく、もっとも賑はへり~ 参勤交代などで、千住宿を通る大名家は64家もあり、 日光参拝の旅人、飛脚、商人、武士、百姓、など様々な人で行き交う街道であった。 だが、街道から目をそらせば、千住はひなびた畑が広がる風景で、 大橋の土手に立てば、遠くには筑波山が見渡せたし、 法螺貝の音のする、船の屋根から湯気をあげている湯船の合図だ。 「彦五郎、湯船に浸かるか?、湯舟は4文、町の湯屋は8文だから安いぞ、」 川岸に漂う湯船は、荷揚げ人足ややっちゃばで汗をかいた軽輩たちが利用するのだろう。 墨田川にはちょき舟や、茶舟、屋形舟、屋根舟に荷運びの帆をあげた弁財舟などが 川面を行きかっていた。 「彦五郎松尾芭蕉の奥の細道の出発地が千住だと知ってたか?」「へえ?、深川の芭蕉庵じゃねえんですかい?」「深川から千住までは船に乗ってきて、千住の地から 奥の細道の旅に出たんじゃよ、」 ~千住からみやげの苞(つと)は水を飲み~松尾芭蕉 ~ゆく春や 鳥なき魚の目は涙~松尾芭蕉 (魚とは、苞(つと)に包まれた千住の名産の鯉のこと 苞(つと)は 藁や葦、竹皮などで編んだ容器)「ご隠居あっしは千住といえば、酒合戦が浮かびますよ、豪華な酒の呑み比べ宴会。優勝者は酒を7升5合も飲んだと云うじゃねえですか、」 「彦五郎は酒か、わたしはね、 水戸黄門さまの<槍かけ松>を見て見たいね、 千住宿入口にある清亮寺の門前に老松が茂っているんだが、その老松の幹が折れ曲がり、 街道に張り出し覆い被さっていたのだよ、 江戸入府のために水戸を出発した徳川光圀の行列の槍もちの槍が、清亮寺の老松にぶつかっ前に進むことができなくなったのだ。 大名行列は、宿場に入るときには槍持ちの奴が行列の威容を誇るために大槍を高く捧げ持つて練り歩くのが慣わしなので、 槍持ちは老松を避けて槍を横に倒して通ることはできない。 しょうがねえ、街道に張り出した老松の枝を切ろうとしたとき、 騒ぎに気付いた光圀が籠から降りてきて、見事な枝振りの老松をご覧になり、大槍を老松の枝に立てかけ、 お供の者どもと共に老松の風雅な容姿や周辺の景色を眺めながらお茶をすすったということじゃ。 この名松を切るのは惜しいと考えた光圀の粋な采配ぶりに、お供の者はもちろんのこと、住職や付近の村人たちまでが感涙にむせんだという。 以後、水戸藩に倣ってここを通る大名行列は門前で松に槍を立掛けて休むようになったのだそうだ。 水戸黄門様のよい話じゃろう、ほら、見事な松じゃろう、」「でもご隠居、街道の邪魔と云えば邪魔でございますね、」 ~風流に 邪魔された道 老松に~ 拙作川柳ですがね、 老松も結構ですが若い飯盛り女のいる遊郭が気になりますね、」 「千住宿には百五十人の飯盛女を置くことが幕府から許されてて、岡場所も45軒あるそうだよ、 千住節なんて小唄もあるくらいだ、彦五郎も安心しな、」 ~千住女郎衆は錨か綱か 上り下りの舟とめる~千住節 「ご隠居、これで江戸江戸四宿歩きましたね、何処の宿場も近くに行楽地を抱えてて、 飯盛り女がいて、賑やかで、男の遊び場にもなってますねえ、」「そうだな、千住近辺にもな、西新井大師、大鷲神社、牛田薬師、性翁寺、関屋の里、鐘ヶ渕、綾瀬川、 など自然の景観が美しい場所が多いよ、 彦五郎には、宿場の外れにの仕置き場の小塚原の刑場の方がお似合いかな、」「終いにはお世話になりますかねえ、、てへっ!、、」 笑左衛門
2026年01月18日
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江戸ぶら 板橋宿のお米 「はて、、彦五郎、明日は板橋宿へ参ろうかと思っている、 お米という娘の供養をしたいと思ってな、」「へっ?、馴染みの飯盛り女ででございましたか?」「そうじゃないよ、儂の遠縁にあたるのだが、お米という娘は聞くも涙語るも涙の 不幸なめぐりあわせの娘なのだよ、」「板橋じゃちと遠い、籠でまいりますか?」「板橋宿は日本橋から数えて1番目の宿場で二里半だ、 明け六つ(六時)に出れば、五つ半(九時)までには着くだろうから、歩きますよ。 板橋宿は川越街道の起点で、武蔵国豊島郡下板橋村の一部で、東海道の品川宿、甲州街道の内藤新宿、奥州街道・日光街道の千住宿と並んで 江戸四宿の一つとして栄えている宿場だ。 板橋は江戸との境界でな、板橋上宿の入り口にある大木戸より内側が「江戸御府内」「朱引き」 すなわち、江戸ってえわけだよ、」「内藤新宿宿の四谷大木戸、品川宿の高輪大木戸とおんなじでございますな、」 てくてくてくてく、 ご隠居と彦五郎は商人や旅人が行き交う中仙道を二時(ふたとき)ちょっとも歩いろうか、 「この辺りが板橋刑場だな、馬捨て場だが後に近藤勇が処刑された刑場だ。」 「ずいぶん淋しいとこですね、ただの草っ原のようですがね、 でも、だんだん賑やかになってきましたね、、、、板橋宿に差し掛かりましたな、」 「板橋宿往還の長さは20町9間(約2.2km)もあり、 上宿、仲宿、平尾宿からなり、上宿と仲宿の間に魚影が濃く釣り糸を垂れる人も多い石神井川が流れているんだ。その石神井川に板の橋が架かっていて、それで、板橋と呼ぶんだそうだ。 本陣は仲宿に1軒、脇本陣は各宿に1軒ずつ計3軒が設けられていて、 旅籠は総計54軒あるそうだ。 板橋宿の中心的の仲宿には、問屋場、貫目改所、馬継ぎ場、番屋があり、 上宿には、江戸へ商いに来る木賃宿(商人宿)や馬喰宿が建ち並んでいて 賑やかだそうだよ。」 「ご隠居あっしらは平尾宿にいたしましょうね、 平尾宿には茶屋や酒楼が立ち並び、飯盛り女(宿場女郎)が150人はいるってえ話ですよ、 飯盛旅籠が軒を並べて、遊女が客の呼び込みですから、そりゃあ賑やかでございましようね、 江戸からひとっ走り、吉原なんぞより安くて情があると、平尾宿に遊びに来る輩もおりますがね、 ~板橋と聞いて迎えは二人減り~ 板橋宿には近くの農村からの遊女が多くて、垢抜けしていないとも云われてますが、 どうでしょうか?お試しになりますか?」「お米という娘はな、平尾宿の紫藤楼という飯盛り旅籠に奉公していたのだが、 二十二で病に侵され、板橋宿本陣の飯田家の菩提寺で、文殊院という遊女の投げ込み寺があるのだが、お米はそこに葬られているんだよ、」 ~お米は<一緒に江戸で暮らそう>と、十六の時に村の与八に騙されて平尾宿の遊郭紫藤楼に売られたのだが、無垢で純情なお米は与八を信じ、いつか迎えに来てくれると固く信じていたので、 宿場女郎の中でも希望をもって明るく暮らしていたそうだ。 宿場に来た客に抱かれた後、お米は必ず上宿にあるご神木の<縁切榎> にお参りするのだった。 街道に枝が覆うように張っている榎の大木が悪縁を切ってくれると信じられている縁切榎だった。 お米はその縁切榎に向かって手を二つ叩いて頭を下げる。 <あたいは、与八さんだけのもの> つまり客との悪縁を断ち切るため毎夜縁起りして与八を待つのだった。 幾度も幾度も裏切られ、廻りの女郎からは嗤われてもお米の純真が曲ることはなった。 だが、その願いが叶うこともなく、 与八という与太者はお米からとことん搾り上げた末に 板橋宿場を仕切っていた遊侠、橋爪の富三郎に斬られて死んでしまったのだ。 風の便りにその噂を耳にしたお米は、生きる希望をなくし、がっくりとし、 飯も食わずにやせ衰え、挙句梅毒に侵されて死んでしまったのだ。 ご隠居と彦五郎は文殊院の無煙塔に線香をあげ手を合わせた。 「お米さんの所縁の方でございますかな} 住職が声をかけてきた。 「遠縁のもので、供養に伺いました」「文殊院の墓には板橋宿の哀れな女人が何百人も葬られておるのじゃ、 板橋宿ができた頃には、亡くなった女郎は馬捨て場に捨てられたこともあったのじゃが、 それではあまりにも哀れだと、文珠院に葬ることにしたのじゃ、 平尾宿の女子は半分は男に騙され、半分は貧しさ故に売られた 自分には非のない宿命を負わされた可哀そうな女子なのじゃ。 だがな、お米はそんな因縁にも挫けずにひたすら与八を待つ続け、 縁切榎に縋っていたのだろうな、 平尾宿の遊女は、どうしても投げやりになり、希望を失いがちになるが、 お米はいつも明るく振舞っていたそうじゃよ、 あるかどうかではなく、信じて待つことで、明るく振舞うことができたのじゃ、 お米は可哀そうなだけの女子ではない、信じる尊さを知っていた女子でもあるのじゃ、」 「彦五郎、平尾宿で泊まる気がまだあるか?」 「いいや、ご隠居、上宿の木賃宿でようございますよ、」 合掌、 笑左衛門
2026年01月14日
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江戸ぶら 品川宿のはぐれ雲 江戸ぶら 品川宿のはぐれ雲 「彦五郎、品川宿の面白い人物<夢屋の雲>という人を訪ねようと思ってるんだがな、」 「天才作家、ジョージ秋山さんが描いている<はぐれ雲>の雲さんですよね、 はぐれ雲の絵草子はあっしも貸本屋で借りて読んだことがありますから知ってますよ、 品川宿と云えば、仕掛人藤枝梅安の居宅も品川宿から目黒川を登った雉子の宮の近くでございましたな、行きましょう行きましょう、品川宿へ、」 「日本橋から品川宿までは凡そ二里だ、半時もあれば着くだろう、」 浮き浮きしながらご隠居と彦五郎ははぐれ雲の品川宿へ足を進めた。 ~それまでは 只の寺なり 泉岳寺~江戸川柳 ~生首を始めてみたと 和尚いい~江戸川柳 赤穂浪士の義士の墓所があることで世に知られるようになった泉岳寺、 芝増上寺を右に見てから金杉橋を渡る。 さすがに西国と江戸を結ぶ五街道の中でも最重要視されている、 東海道で、武士は無論、商人、農民、庶民、 それに、富士山詣や、お伊勢参りに出かける旅人も多勢いて賑やかで 街道には七軒茶屋をはじめ、茶店団子やなどが軒を連ねていた。 道の両側にでんっと石垣を築いて構える高輪大木戸を無事過ぎる。 「ご隠居、折角でございますから、御殿山へ足を延ばしませんか、 あっしはまだ広々とした海というものを見たことがないんですよ、 なんでも、御殿山からは品川の海(袖ヶ浦)が眼前に広がる風光明媚な景色だそうですよ、」 「もともと、徳川将軍の鷹狩りの地で品川御殿が設けられた場所だからな、 のちに徳川吉宗様が植樹した桜が見事だそうじゃ、一見するか、」 ~御殿山 銀の扇に帆が映り~ 御殿山から品川沖に浮かぶ船、上総房州を望む雄大な海の景色を堪能し、 二人は品川宿へと足を速めた。 東海道の往来客を目当てにした茶屋や料理屋が軒を並べている。 品川宿は東海道の初宿であり、西国へ通じる陸海両路の江戸の玄関口として賑わい、 他の江戸四宿と比べて旅籠屋の数や参勤交代の大名通過の数が圧倒的に多かった。 東海道の往来は奥州・出羽より江戸を過ぎて京・西国へ赴く旅人、下る人は九州・西国・中国・畿内の国々より行く旅人たちで、参宮・金ぴら・大山詣り、富士詣、鎌倉、大磯の遊歴やら箱根の湯治、お伊勢参りと、貴賎を論ぜず通行する人多く賑わしきこと此上なしと云われていた。 東海道から江戸へ入る人もまたここで旅の垢を落とすのだった。品川は海に面していて、釣りも楽しみ、春は潮干狩り夏は納涼も楽しめ絶景の地であった。 だが、品川宿で忘れてはならないのが北の吉原 南の品川と云われるくらいに 遊郭が多いことであろう。品川宿の通りの真ん中に小橋が架かっていて、それより上は女郎銭店、橋より下には大店が並んでいた。 女郎屋は何れも大店で、中でも土蔵相摸・大湊屋などは名高い妓楼で、岡側の廓は後に御殿山をひかえ、浜側の妓楼は椽先より品川沖を見晴らしはるか向こうに上総・房州を望める。 品川宿は、江戸幕府より<飯盛り女>という名目で、旅籠に遊女を置くことを許された最初の場所で、飯盛り女(宿場女郎)の数は1,500人は下らないと云われている。 北の吉原 南の品川と云われる遊郭で品格も備えていた。 品川宿が江戸の南の色町と評判になると、江戸の町々から、 風光明媚な桜の御殿山や紅葉の海安寺、品川神社、などの名所にかこつけて、 品川宿へ遊びに来る旦那衆が大勢いて色町としても大いに栄えた。~飯盛りにはよすぎ 傾城には不足~ 川柳~飯盛りと 号して 奥の花やかさ~ 川柳 ~品川は波打ち際に 床をとり~ 川柳 「さて、ご隠居、浮浪雲の夢屋はどこでございましょうかね、 早く、雲さん、奥方のかめさん、長男の新之助に会いたいですな、」「ちょいと、団小屋の姐さん、 夢屋の頭の雲さんを知りませんか?」「夢屋ですか?あのはぐれ雲の?」「そうです、そうです、会ったことはありますか?住まいはどの辺りですかね、」「お客さん、あれは物語の中の絵空事でございますよ、 夢屋もなけりゃ、雲さんもいませんよ、仮にいたとしてもね、~お姉ちゃん、あちきとあそばない?~などと誰彼なく声掛けてお尻でも触れば助平行為で すぐにお縄になっちまいますよ、ははははっ!」 笑左衛門
2026年01月11日
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江戸の蘊蓄 江戸の町は諸国のごった煮 ~懐かしき 故郷残る 町の名に~ ~江戸の町 出自が転がる ごった煮か~ 「威勢がいいが、浮の助はどこの出自でぃ、」 「 神田明神下の銭形平次親分とおなじ、金沢町産まれのしゃきしゃきの江戸っ子でござんすよ、」 「で、おめえのお爺さんはどこの国の出だい?」 「加賀藩100万石前田家の足軽だって聞いてますがね、」 「だろうな、神田金沢町は加賀藩の下屋敷があったんで、 金沢という町名になったんだ。 ところで、浮の助どん、神田の産湯を使って三代続いて江戸っ子というんだよ、」 「じゃあ、あっしの息子からが本当の江戸っ子ですね、」 「家康様が江戸に幕府を開いて以来、 大阪、三河の国から人を呼んで江戸の町づくりをしたから、 その名が残ってる地名も多いんだよ。」 駿河台は家康亡き後、駿府城にいた家来が江戸へやってきて 江戸湾を埋め立てのため崩して平らになった神田山の跡地に屋敷を構えたのだ、 駿河の国の人だから駿河台ってえんだ。 <三河町の親分>半七親分の住まいの神田三河町も、家康に従ってきた 三河の国の商人が住んだので三河町になったんだ。」 「家康様由来の地名が多いんでございますね、他にはどんな国の名がありますかね、 「日本橋には大阪町なんて町もあるよ、大阪からの廻船があの一帯の船着き場 に来るようになり、大阪方面の商人も移住してきたんで大阪町になったんだ。 堺町は貿易で栄えた泉州堺からの上方の廻船が頻繁に入ってきたんで、 あやかって境町になったと云われてるよ、 まだあるよ、伊勢屋稲荷に犬の糞なんて言われてるくらい、伊勢の国出身の商人 が続々と江戸に移住してきて、伊勢屋の暖簾を掲げて商いをしたんで伊勢屋の屋号は多いんだが、 舟入堀から堀留道浄橋一帯には伊勢屋の商う鰹節,海苔、乾物などの海産物の荷が場がって、 伊勢の国の人も住み着いたんで伊勢町河岸と呼ばれてるんだよ、 小田原河岸は江戸前の魚、相模湾の魚が陸揚げされた魚屋の町で、 日本橋魚河岸とも呼ばれてるよ。」 「じゃあ一杯酒と田楽で人気の豊島屋のある鎌倉河岸は 鎌倉の人に由来があるんですかね、」 「そうよ、江戸城改修の石を運ぶ人足や石工に 鎌倉の出の人が多くて、石を陸揚げした場所を鎌倉河岸というようになったんだ。 まだあるよ、佃島は摂津国西成郡佃村の名主森孫右衛門と23人の漁師が江戸へ下ってきて、 石川島近くの干潟を拝領して、埋め立てて佃島が完成し、移り住んだので、 佃島と名付けたそうだ。 数寄屋橋の尾張町は遠浅の海を埋め立てた造成したのが尾張藩なので 尾張町になった。 永代橋にふもと、佐賀町は肥前国佐賀の湊に似ているのでその名がついた。 神谷町は手廻組(右筆や茶道、乗馬や馬医、膳夫、儒者、軍法者など藩主の側役集団)に三河国八名郡郡神谷村出身が多かったので、 神谷町、浜松町は久右衛門町だったが、遠江国浜松の権兵衛が名主となると、故郷の浜松町と改称されたという、 三田四国町なんてもあるが、赤羽橋から南へ延びる道筋には 讃岐高松藩、伊予松山藩、阿波徳島藩、土佐藩などの四国の大名屋敷が集まっていたので三田四国町と称しているんだ」 「こうなると、江戸は諸国の郷里のごった煮でございますね、」「そうさ、江戸は諸国の掃き溜めって言われてるけどね、江戸幕府が開いてからもう、200年以上も経ってるから、 みんな江戸っ子の顔をしてるよ、、」 笑左衛門
2026年01月07日
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笑左衛門 新春詠の弐 夢のようだった正月もあっという間にいなくなり 町中で賑やかだった餅つきの音も消え、 裏長屋の番太はいつものように芋を蒸かしている。 ~初暦 貧乏長屋 ふかし芋~ 餅つきの 音がペタペタ 過ぎ去れば 長屋の番太 芋蒸かしてる 正月が 長屋の屋根を 通り過ぎ 破れた凧と 割れた徳利 正月も 朝から並ぶ 厠かな 今年こそはと 屁音響いて 子供らが 正月過ぎた 喧嘩独楽 夕暮れ悲し 独楽もとまりて 笑左衛門
2026年01月04日
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笑左衛門 新春詠の壱 お城にも、武家屋敷にも大店にも裏長屋にも 分け隔てなく正月はやってきて、 金持ちも貧乏人も嬉しくなるのが正月だ。 ~人並みに 正月を待つ 長屋人~ 暮れなずむ 長屋の屋根に 夕焼けが 正月くるか 分け隔てなく ほろ酔いの 初風呂嬉し 芋洗い おひねり積んで 福茶を飲んで 小僧見る 正月の空 奴凧 いつか飛べると 握った拳 笑左衛門
2026年01月01日
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天保の師走歳の市 ~なけなしの 銭を握って 歳の市~ ~歳の市 縁起だるまと にらめっこ~ ~縁起物 人ごみもまれ 歳の市~ 「何もしねえでも暦はめ繰られ年の暮れはやってきて、 向こうから正月がやってきやがる、」 「浮の助、煤払い(大掃除)が終わって、すっきりすれば、 いざ師走だ!江戸の町は忙しいぞ、」 ~来たわいなァぁ、門松門売りに~ご調宝大小柱ごよみ、綴ごよみ~の暦売りの呼び声、いろんな物売りの呼び声がせめぎあうのが江戸の師走の町だ、 神棚にお供えするお神酒徳利の口飾りを売る行商人に古いお札を集めて歩く「札納め」も暮れの風物詩だね、 物売りも借金取りたても一年の締めくくり、勝負の時だ怠けちゃおれない。 それに年の瀬になると角付も色々やってくる。 手に太鼓やササラ(竹製の楽器)、拍子木を持ち鳴らしまくって、 ~節季候、節季候、めでたい、めでたい~節季ぞろぞろ、さっさござれや、さっさござれや~ などと門の前で囃し立てる。正月準備で忙しくてもお構いなし、投銭(ぜに)を貰うまでは帰らない。 仕方ねえから米か銭を与えてさっさっと追っ払っちまうしかない。 門付けの呼び声が聞こえたら、ああ、正月ももうすぐだと感じるのだから こんな風景も江戸の年の瀬の風物詩になっている。 「ご隠居、歳の市へ足を運びませんか?掘り出し物がありますぜ、」「そうよな、江戸歳の市は、14、15日が深川八幡境内、17、18日が浅草観音境内、20、21日が神田明神境内、22、23日が芝神明境内、24日が芝愛宕神社下、26日が麹町平川天神境内、25日~30日が薬研堀不動尊の納めの歳の市だ、 そのほかにもあちこちの神社仏閣で歳の市は開かれているがね、」 「ところで、浮の助は歳の市で何を買おうってんだい、」 「へえ、まな板に米櫃、若水を汲む桶ってところですかねえ、」 「歳の市にいけば何でも並んでるからな、」 江戸の町の暮の歳の市はどこもたくさんの人で賑わう、 深川や浅草の市じゃ、人人人で、まるで芋洗い状態、群衆夥しく歩くのもままならぬほどだ。 鴨を探してる<掏り>の餌食になって毎年泣く人がいる、気を付けなきゃあぶねえよ。 歳の市じゃ、注連(しめれん)飾りのしめ飾りに三方、神棚の宮桶類だけじゃねえ、 餅台、羽子板、凧、毬、などや縁起物や 餅、海老、昆布、鯛、鰹節などの食べ物、 まな板、柄杓、手桶、笊、包丁などの台所の什器、 さらには、着るものや、植木まで生活雑貨なんでも売られてる。 そりゃあ、にぎやかなんてもんじゃない、 なんてったって歳の市、納めの市だから、売る方も買う方も気合の入り方が違うから、威勢のいい売り声が飛び交い客も目の色を変えて品定めをする。 売り子も普段とは全く別の顔をしていて、客の方もつられて浮き浮きし、つい 巾着の紐も緩むというもんだ。 「さあて、どこの歳の市に参りましょうかね、 もたもたしてると、正月が来ちまいますよ」 笑左衛門
2025年12月28日
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本所、惚門町 そろり長屋 16 ~おもいどおりにいきてやる~ そろり長屋が捨て子や捨て老人のために飯を食わせたり面倒を見れたのも、 質屋徳兵衛の篤志があったからで、 誰かの銭の援助がなければそろり長屋を続けることはできない。 大家の伝蔵は長屋の衆には笑顔を見せながら ~どうしたものか、米が買えない~ と、腹で泣いていたのだ。 長屋が窮地に陥っていることを知らぬそろり長屋の子供らや老人は呑気な顔で 今日も晴れやかな笑顔を振りまいていた。 かといって、銭食い虫のそろり長屋の面倒を見てくれる殊勝なお金持ちを 江戸の町から探しだすのは難儀なことであった。 「なんとかせねば、捨て子も捨て老人も路頭に迷うことになるな、」 「それはあまりもご無体な仕打ちにございましょうな、」 「八方ふさがりとはこのこでござるか、」 「皆の衆、諦めなさるなよ何か手があるものだ、」 自身番所では、何とかせねばと、大家の伝蔵、元地主の質屋の徳兵衛、北町奉行遠山の金四郎、 定廻り同心の日下部退蔵が顔を突き合わせて難題の出口を模索していた。 ぬるい茶をつぎ足し喉を潤すばかりの時が過ぎていた。 そこへ、自身番の障子を開けて入ってきたのは、 そろり長屋の手習い所の師匠真垣新太郎であった。 「どうした?先生」 「実は長屋の瓢六爺さんのことだが、あの方は江戸でも指折りの書道家の白松無風でござるようなのだ。 某の師匠である書道家の虹菱湖と肩を並べていた書道家なのですよ、 だが、瓢六爺にそのことを問い詰めると、 ~いや、儂は瓢六じゃ、儂は白松無風は捨てた~ そう申し、これからも、ただの厄介爺の瓢六でそろり長屋で暮らしたいと申すのだ。」 「ほう、あの瓢六がねえ、そういえば長屋中に悪戯書きした あの~そろり、そろり~と言う文字や絵にももどこか、 情趣があって、 安心できるような風情が感じられるな、」 「云われてみれば、あの文字はただふざけているだけじゃない、 懐かしさと遊び心が被さってるような温かさが感じられる安心だな、」 すると、遠山金四郎が膝を叩いた! 「そうだ!そろり長屋の瓢六爺さんを墨客に祭り上げ、 書家としての人気が出れば揮毫料を稼げるぞ、 おいっ、同心の日下部、 瓦版屋屋に<墨客瓢六の遊書大人気!>と書いて刷らせろ、 その瓦版を持って日本橋辺りの大店や料亭に持ち込み、 行灯や襖に瓢六の遊書を文字入れてして揮毫料を貰うことにしよう、 儂も、懇意にしている大名家や旗本家から揮毫の注文を 貰ってくることにする。どうだ、伝蔵、徳兵衛、名案であろう、」「御意でござる、」 瓢六の文字と絵で稼いで、長屋を存続させようという魂胆だった。 遠山金四郎の発案で皆が手分けして、料亭や武家屋敷、大店に頼み込み、 瓢六に文字や絵を書いてもらうための障子、行灯、提灯、灯籠、建具、障子、襖、衝立、屏風、傘、などがそろり長屋に持ち込まれた。 瓢六は頼まれた文字を書くことに筆を動かすことはしなかったが, 運ばれてきた和紙の風合い、紙漉きの具合、 墨の乗りの按配などをじっと見つめ、 やにわに筆をとるや、さらさらと迷いなく書いた。 己の思い付きの文字や絵しか書かなかったのだ。 揮毫を頼んだ方は何が書かれるかの見当はつかなかいのだが、 出来上がった文字と絵を見るとこの世に二つといない見事な作品だと 喜んでもらえたのである。 瓢六の遊字と絵は遊書として、江戸の粋人に大いに受けたのだった。 遠山金四郎が瓢六を墨客に祭り上げて揮毫料を稼ぐ目論見は功を奏したのだった。 そろり長屋には和紙の他に行灯や腰屏風、襖などが持ち込まれ、 瓢老爺は自由気ままに遊字と遊絵を描いた。 無論揮毫料はそろり長屋の懐に吸い込まれていったのである。 ~のんびりだらり、なるようになる~ ~どういきたって どうせしぬ~ ~死んだらごめん~ ~かぜが ふいて こころがかるい~ ~ろうぼくに いってきのみず~ ~どこまでいっても おなじこと~ ~あせるなぐずるなきにするな~ ~かざりはいらない そのままがいい~ 猫の銭瓶の虎徹が瓢六の筆先をじっと見つめている。 「上手く描けてるか?」 「にゃあ、」 瓢六爺も心任せに自儘に書くのが楽しかったのである。 「お陰様でそろり長屋も長生きできそうでござりまする、」 大家の伝蔵はほっと胸をなでおろしていた。 おわり 朽木一空
2025年12月24日
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本所、惚門町 そろり長屋 15 ~遊ぶ文字 帷外れて 踊る文字~ ここで、瓢六爺の正体を明かそう、 瓢六爺は真垣新太郎が修行している日本橋久右ヱ門町の 書道家虹菱湖の門弟で本名は白松無風であった。 師範の虹菱湖は大変な大酒呑のみであり、揮毫料が入ればみな柳橋の酒に消えた。 酒を嗜むなどという粋な飲み方ではなく、酒を食らい、書家にあるまじき酒癖も悪く、 呑んでは絡み喧嘩することも珍しくはなったので、 書道家虹菱湖と酒を飲もうという輩は近づかなかったが、 瓢六こと酒徒の白松無風とは不思議と気があってよく飲み明かしたのだった。 昨年秋、大名家松平家で行われた書道展に出品した時のこと、 白松無風は 瓢箪の絵に遊書の文字で~あるべきよう~と書いた一遍を出したのだった。 松平墨守様には大いに気にいられたのだが、 面目丸潰れの白松無風の師範の虹菱湖には面白い筈もなかった。 「白松無風の書は邪道じゃ、、否、書とは呼べぬ下劣なも字じゃ!」 だが、白松無風も引きさがらない、 「師匠、某は書は自由であるべきだと存じるが、」 「何を言うか、若輩者が。!」 酒を間に舌戦は激しくなり、師範の虹菱湖は益々粗暴になり、 高慢で狂人ではないかと疑われるほどの乱れようとなった。 「遊書などとふざけた文字は虹菱湖の門弟にはふさわしくない、 白松無風は破門じゃ、どこへとも消え去るがいい、」 「何を申される、それでは言わせてもらうが、 師範の悪筆など屁以下のものじゃ、」 「何を!蛞蝓の這いつくばったような書を書きおって、」 罵詈叱咜の嵐、虹菱湖は我慢の限界、堪忍袋の堪忍袋の緒を切らし 白松無風の着物の襟をつかみ思い切り投げつけた。 白松無風は敷居にひどく頭を打ち、瘤をこさえて、 そのまま、記憶を無くしてしまったのだ。 虹菱湖は白松無風を見捨てて帰り、白松無風は船宿を出て ふらりふらりと江戸の町を徘徊し、行く方知れずになったのだった。 「もしや?瓢六爺は書道家虹菱湖の門下生の白松無風様ではありませぬか?」 「何を申すか、拙者は瓢六じゃよ、かつごうったってそうははいかねえよ、」 瓢六爺にはうっすらと白松無風時代の記憶が呼び覚まされていたが、 いまさら、の虹菱湖の門下で書道家になる気は毛頭なかった。 そろり長屋でのんびり暮らすのが自分にあっていると感じていた。 つづく 朽木一空
2025年12月21日
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本所、惚門町 そろり長屋 14 ~寺子屋の いろはに踊る 老爺かな~ ~老人が 無筆と離縁 手習い所~ そろり長屋の老人寺子屋が開校した。 捨て爺の亀蔵と足の不自由な鶴次郎、脳味噌不足のおかじ婆と酒飲みの瓢六爺が生徒だった。 「さあ、好きな字でも絵でもいいから好きなように筆を動かしてごらんなさい、」 真垣新太郎は老人生徒の前に半紙を並べ自由に書かせた。 老人たちはいききと、思い思いに筆を躍らせた。 亀蔵は~か・め・ぞ・う~自分の名前を書いてにんまり笑った。 鶴次郎は~めし、さけ、おんな~と書いた。 おかじは花の絵を描いた、みな器用に筆を動かして嬉しそうであった。 師匠の真垣新太郎が驚嘆したのは瓢六爺がさらさらと太筆で 書いた半紙であった。 <あ・る・べ・き・よ・う>という文字とへちまの絵であった。 大胆で自由奔放勢いが迸り、文字が半紙から飛び出すほどの自由さがあり、 まるで、どこかの書家の書いたようであった。 「なんという、勢いのある文字だ!瓢六殿、ご立派ご立派 見事な筆運びで、これでは、拙者の立つ瀬がござらん」 驚愕した手習いの師匠の真垣新太郎は江戸五筆に入る日本橋久右ヱ門町の書道家虹菱湖に弟子入りし、目下修行中で書を探求する身でもあったのだ。 「どこで、習得したのじゃ、、」 「自由気儘に書いてるだけじゃよ、某の文字は書ではないと 貶されているんじゃ、」 成程、よく見れば篆書・隷書・楷書・行書・草書・仮名・飛白の体のどれにも 当てはまらない文字であった。 だが、味がる、温かみがる、面白い、 遊んでいるような文字と絵にこころが惹かれるいくのを 真垣新太郎は感じていた。 つづく 朽木一空
2025年12月17日
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本所、惚門町 そろり長屋 13 ~爺婆が 手習いはじめ 惚け去りて~ ~読み書きで 呆けた頭が 若返り~ そろり長屋には捨て子たち五人が暮らしていて、 昼間は真垣新太郎という浪人がそろり長屋で読み書きを教えにきていた。 大家の伝蔵がみなしご(孤児)を野放しにいていては、 やがては掏りやかっぱらいの仲間に引き入れられ、 挙句賭け事などの悪に染まることは目に見えていたので、 長屋の部屋に手習所を開き、真垣新太郎に読み書き算盤とともに、 人の道を教えてもらっていたのだった。 お陰で子供らは悪の道に走ることもなく ほがらかで、素直な子供に育っていた。 新太郎は読み書き算盤、商売往来などの他に 真垣新太郎ならではの人の道、道徳も教えていた。 ~喜代助、夢なんぞに騙されちゃあいけねえよ、 夢なんぞみてると人生無駄に過ごしちまうよ、~~おみよ、愛の恋だのありもしないものを追いかけちゃならねえ、 好きは好きだけでいい、それ以上のことを期待しちゃならねえ、~ ~おい、三郎太、恋は病だってわかってるのに、落ちてしまうんだな、 そいつはね、自分を騙ます快楽に溺れてるだけのことだよ~~佐久太郎、期待ちゃあいけねえよ、期待しなけりゃするから裏切られねえよ、 あるがままでいいのだ、人の付き合いはその時その時のあるがままのことだけだ、~~なあ峯吉、明日は明日の風が吹くんだ、誰にも明日のことなんざわからねえ、だからね、明るい日と書くんだよ、くよくよするねえ、 今日生きれればそれで充分だと思うことだ、 そうすりゃあ、悩みなんぞはどっかへ吹っ飛んじまうよ~~なあ、皆の衆よ、いつ死ぬのか、そいつがわかればやることも決まるんだがね、 どうもそいつはいくら学問してもわからねえんだ、 明日鉄砲で撃たれるかもしれねえ、 親孝行はできるうちにやるこった。おっと、親のいねえ子たちだったな、 だったたら長屋の老人孝行をするがいいさ~ 大家の伝蔵は長屋の手習い所で真垣新太郎の教訓を盗み聞きして、 はたっ!と、思いついた。 長屋にいる年よりもただのんべんだらりの暮らしだけでは惚けが進行するだけだ。 老人寺子屋を作って、そこで老人も勉学に励んでもらえばいい。 「真垣殿、老人たちはボケッとばかりしてるから、 気分転換とボケ防止に読み書きを教えてもらえぬかな、」 「老人寺子屋、60の手習いじゃな、面白そうじゃのう、それは良いことでございますな、 某も、書家の虹菱湖の弟子でもっか書道の修行中なので、 毎日というわけにはいかぬが、三日に一度くらいならよかろう」 真垣新太郎も賛同してもらい、そろり長屋では老人寺子屋が始まったのだった。~たまげた 駒下駄 東下駄 老人寺小屋あったとさ~ つづく 朽木一空
2025年12月14日
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本所、惚門町 そろり長屋 12 ~そうは問屋が卸さねえ、そうはいかねえ烏賊(いか)の金玉、 石が流れて木の葉が沈むってこともあらあな~何事もすべて順調にはいかないのが世の常であろう。そろり長屋に平穏な暖かい空気が流れて、店人はいつものように呑気、お気楽に暮らしていたが 長屋の上には黒雲が垂れ下がろうとしていたのである。 年も明けた正月元日、本所松坂町一帯が火事になり、そろり長屋の家持ちの質屋、正直屋徳兵衛の店もまる焼けになってしまい、 銭も質草も証文も皆灰になってしまったのである。 旗本家の佩刀や、大名家の奥方から預かった骨董品の壺、 著名な掛け軸、金の雁首の煙管、みな焼けてしまった 質草は千両分もあるだろうが弁済をしなければならなかった。 さすがの徳兵衛も万事休すで、翌日から、路頭に迷うしかなかった。 そろり長屋を質草にして徳兵衛から千両を借りていた、北町奉行遠山金四郎も頭を抱えた 誰か他の者にそろり長屋を引き受けてもらえれば、徳兵衛に千両が帰り、 なんとか徳兵衛も立ち直ることができるのだが、、、 当山金四郎は日本橋界隈の大店に交渉を持ちかけたが、 おいそれと奇特な方は見つかりそうもなかった。 いくあてのない、徳兵衛はそろり長屋の店人になるしかなかった。 大家の伝蔵以外は店人の誰も徳兵衛夫婦が質屋の正直屋で、 そろり長屋を陰で支えてくれた人だとは知らず、 ただ、銭のないいく当てのない貧乏な老人夫婦がきたと、 いつものように、暖かく迎えていたのである。 徳兵衛と、家内のおよしはあらためて、 「そろり長屋は暖かいところだ!」と思った。 にこにこ心配顔などと無縁の大家の伝蔵だが心中穏やかではなった。 そろり長屋は徳兵衛の篤志があるからこそ、 捨て子、捨て爺、捨て婆の面倒を見たりしながら、 穏やかで、平穏で優しくしていられたのだった。 遠山金四郎は何とかしなくてはと思うのだが、 奉行の懐には 寒風が吹いていて、とてもそろり長屋に回す金はなかった。 たが、今迄目を瞑ってもらっていた千両の質草の金利だけでも 徳兵衛に届けなくてはならないだろうな、 はたしてそんな雀の涙ほどの金子で、徳兵衛の暮らしと、 そろり長屋の住人の腹が食いつないでいけるであろうか? 何か名案はないものか? じっと、奉行所の天井の桟を見つめている遠山金四郎であった。 つづく 朽木一空 笑左衛
2025年12月10日
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本所、惚門町 そろり長屋 11 ~長屋屋根 ぐいぐい猫のいびきかな ~ ~恥入て ひらたくなるや どろぼ猫~ そろり長屋には何時頃からか、捨て子と捨て老人の他に 捨て猫も住み着いていたにゃあ~ 親玉のどん八、銭瓶(ぜにかめ)の虎徹、一石橋の縞五郎、亀井の黒吉 越の茶茶丸、柳の小梅、奥の杏姫、の七匹の猫であった。 親玉のどん八は猫ヤクザ界から追われてる身だ、 銭瓶(ぜにかめ)の虎徹は鼠取りの名人であったが、 足を痛め鼠が取れなくなり捨てられた。 一石橋の縞五郎は子猫の時に一石橋下に捨てられていたのを伝蔵が拾ってきた 亀井の黒吉はもう老猫で、尻尾が2つに割れてきて、妖怪になる気味が悪いと捨てられた。 越の茶茶丸は日本橋大店の越後屋の飼い猫だったが、 うっかり、反物に爪をひっかけ、番頭から追い出された。 奥の杏姫は大奥の御中﨟絵村から溺愛されていたが 猫歳十年を過ぎて<もう用はない>と、捨てられた。 今でも、その証に首にはすっかりくたびれてはいるが、紅絹(もみ)の紐に銀の鈴を下げている。 猫の生涯も様々であるが行く当ての失った猫は野垂れ死にするしかなさそうだが、 そろり長屋に辿り着いた猫は捨てる神あれば拾う神あり、幸運に恵まれたのだろう。 猫たちは昼間は思い思いに長屋の屋根やゴミ箱の上、厠の屋根で 眠りこけていることが多い。 <猫は眠ってばっかりだ、、何も考えず、いい夢ばかり見ていやがる> 大家の伝蔵は呑気な捨て猫にも大らかだった。 猫のお蔭だろうか排水のどぶ下に住んでいた蛇や鼠の姿も見かけなくなったのも 猫のお蔭だと猫の長屋居住には目を瞑っていた。 用事で出掛けた帰りには猫の土産に蕎麦屋の裏手に捨てられた出し煮干しを貰って来て、猫に与えることもあったし、 猫に優しい粋と人情の魚屋棒手振りの鶴丸は 市場の売れ残った魚や市場に捨てられていた魚を持っ帰ってきては 猫に分けてあげていたので猫は餌に困るようなことはなった。 猫たちは夜になれば、思い思いに我が家のようにそれぞれお気に入りの長屋に帰ってくる。 瓢老爺のところに潜り込んでくるのは茶トラ猫であった。 虎徹は名前とは裏腹に足が不自由になってから、すっかり動きが鈍くなり、 心まで弱気になり長屋の屋根の昼寝でも膝を抱えてびくびく不安に過ごしていた。 だが、瓢六爺さんの部屋で寝泊まりするうちに、 ~なるようになるさ、なるようにならなくても なるようになるのさ~ 瓢六爺さんの話を聞いて、自分も生きていけそうな気がしてくるのだった。 寝床に入れば行火(あんか)替わり、瓢六爺と体をくっつけて眠るのがこの頃であった。 そろり長屋の老人たち、亀蔵、鶴次郎、おかじの部屋にも 気の合う猫が混じりこんでいた。 猫は爺婆のいい話し相手になり憩いになっていた。 「猫がいなきゃさみしいよ、」 おかじ婆さんの口癖になっていた。 今日もおてんとうさまの陽がよくあたるそろり長屋の屋根の上には 猫が思い思いの格好で寝そべっていた。 猫は何を見てるのだろうか、眠っているときにはどんな夢を見てるのだろうか?~薄目あけ にゃあと一声 炬燵猫~~猫の屁と 死ぬときいっしょ 竈猫~ つづく 朽木一空
2025年12月07日
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本所、惚門町 そろり長屋 10 人情駕籠かき、 ~損得も 雨に流して 飯食えず~ 「おおい、お富帰ったよ!」 「あんた、今日は稼いできたんだろうね、 米櫃が空っぽだよ、米買ってくるからはよ銭出して、」 「それがよう、お富、今日はおけらだ!」 「あんた、また飲んじまったんじゃないだろうね、 銭がなけりゃ、夕飯は水と味噌だけで我慢だよ、」 「そうはいっても今日もくたびれ儲けでな、銭は稼げなかった ちょいと、長屋の中を廻って頭を下げて食い物貰ってくるから 勘弁してくれ!」 「あんた、そりゃあ何とかなるだろうけどさ、 あたしゃ、もう、あちこちに世話になりっぱなしで、 厠にいくのも井戸端に行くのも人目を忍んでいくあたしの身にもなっておくれよ、」 たしかに、銭がなくともなんとか助(す)けてくれるのが そろり長屋ではあったがお富にしてみれば年がら年中借りっぱなしで肩身の狭い思いをしていたのである。 「まあ、お富そんな鼬(いたち)が屁をかまされたような顔をしねえで、 おいらの話を聞いてくれや、」 駕籠かきの熊さんは心配無用の根っからの楽天家であった。 「それでな、お富、駕籠を担いで寅吉と吾妻橋の脇を通りかかるとな、 橋の袂で、動けない爺さんが土手の草にうつぶせになって <うっ~うっ~と>唸ってるのよ、 知らんぷりして通り過ぎてもよかったが、 相棒の寅吉も気のいい奴で、余計な世話を焼いちまったのよ、 ~おい!、爺さんどうした、動けねえのか?~ ~急に疝痛(さしこみ)がきやがって、動けねえんだ~ ~そいつは難儀なこった、花川戸の順庵先生に薬を貰ってくるから 爺さんちょっと横になって待ってなよ、~ 寅吉が薬種問屋の順庵先生の薬包を爺さんに飲ませると、 いくらか顔色もよくなり、痛みも引いたようだった。 ~それで、爺様、これから何処へ行くんだい? 家に帰るのか、おいらは籠屋だ乗せてくよ、~~ありがてえが、巾着を掏られてしまって、生憎駕籠に乗る銭もねえんだ、~~よくよくつきのねえ爺様だな、 まあ任しときなって、困った時の籠頼みって昔からいうじゃねえか、 銭のことなんざ気にしちゃいけねえ、身体が大事だ、さあ乗った乗った~ てなわけで、熊さん寅さんは爺様を籠に乗せて行先を聞いたら、 なんとこれが四谷塩町だってんだから、参ったの助だったが、 一度口にしたからには江戸っ子に二言はねえ、とんだ貧乏くじとはこのことよ、 でっ、えいほっ!えいほっ!と四谷まで爺様を届けたてわけよ、」 「まああんた、くたびれもうけなんて言葉があるけど、そのままだね、 でもいいことしたんだからあんたは気持ちがいいだろうけど、 こんなことが月に幾度もあったんじゃ、干上がって田んぼの案山子になっちまうよ、」 駕籠かきの熊さんも女房のお富さんも損得じゃ生きてなかったが 長屋のみんなの世話になりっぱなしで、いつまでも、笑って済ませるわけにもいかなかった。 大家の伝蔵は ~人助けもお互い様、助けたり助けられたりだよ、 銭だって米粒だって天下の回りものだ、気にすることはないから、好きな時間に厠も井戸も使いなさいよ、あははは、~ 長屋の誰もが熊さんは貧乏だとかずるがしこいとか、 ケチだ、しみったれだなんていわなかったが、 お富さんは 腰を屈めて、身を縮ませてばつの悪い顔をして暮らしていた。 ~お富さん、何も気にするこたあねえよ、 悪いことをしたわけじゃねえ、むしろいいことをしたんだからさ、昔のように笑ってくらそうよ、、~ 長屋の人情にふと、涙をこぼしそうになったこともあった。 そんな事件があってから半月も過ぎたころだった。 長屋の狭い路地を不釣り合いな荷車が入ってきた。 荷車には檜の1斗樽の酒が四樽に米俵三俵、味噌樽1斗に 山にように積まれて、小判の入った熨斗袋が括り付けられていた。 ~へえい、熊さんの長屋はどちらでぃ? へいっ、四谷塩町の相模屋長十郎様からのお届けでございます、~ 何事かと、ビックらこいたのは、大家の伝蔵ばかりじゃない、 長屋の連中に当人の熊さんとお富さんだった。 聞けば、吾妻橋で助(す)けた爺様は 四谷塩町に店を構える塩問屋の大店の相模屋の主だったのだ。 熊さん、お富さん、まずは、相模屋からの謝礼の金品から 長屋のみんなに借りた銭や食い物のお礼を 感謝の気持ちを込めて、たっぷりとし、 大家の伝蔵には溜めていた店賃を払い、 ついでに、店賃を貯めている他の店人の分も払った。 残った酒と銭で三日三晩長屋中飲めや歌えやの大騒ぎをしたそうだ。 貧乏難儀は時の回りってえのは本当だな。 ~金は湧きもの 運も湧きもの~ 奈良漬の一切れで酔っぱらっちまうほどの下戸の大家の伝蔵も 頬を紅く染めて、ほっと胸をなでおろしていた。 暫くは家持の質屋徳兵衛に頭を下げに行かなくても済みそうだ。つづく 朽木一空
2025年12月03日
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本所、惚門町 そろり長屋 9~惚け爺は かって気儘だ 雨降らず~ 質屋徳兵衛の蔵に眠っていた江戸小紋の木綿の縞の古着を大家の伝蔵がもらい受け、瓢六爺さんに着せ、 廻り髪結いのお由に髪を結ってもらうと、 瓢六爺さん苦み走ったいちょいと見てくれのいい男に見えてきた。 今日はお江戸見物に出かける日なのだ。 捨て爺の亀蔵と足の不自由な鶴次郎と脳味噌の足りないおかじ婆と瓢六の四人は腰紐で数珠つなぎにし、迷子になっても困らぬように、首から本所惚門町そろり長屋誰兵衛と書かれた札を首からぶらさげて長屋をでっぱつした。 田んぼのかかしが歩いているような覚束ない足取りで、江戸の町を徘徊するのだった。 梅屋敷の梅の花見物、大川土手の桜見物、洲崎の海や富岡八幡宮、大川を渡って浅草方面まで出かけることもあった。 瓢六爺は相変わらず太筆を腰にぶら下げて、 行灯や板塀があると悪戯書きのような文字を書くこともあり、 町の岡っ引きに見つかってお目玉を食らうこともあった。 打が、風流な御仁もいて、 「おもしれえ字と絵だな、ひとつ、店の看板を描いてくれ、」 などと頼まれることもあった。 子供らはよぼよぼした老人に遠慮はしないし正直だ、~見ろ見ろ!乞食老爺だ、わあいわあい、!~と、おちょくられることもあった。 岡っ引きには~危なっかしいから、長屋にへっこんでろい!~ ど、癇癪玉をぶつけられることもあった。 だが、四人の老い耄れは、にこにこして意に返さない。 門前の茶店で団子を食い、蕎麦屋で酒を飲み蕎麦を食い、 上機嫌で繋がれた四人は江戸の町を思うがまま奔放に歩くのだった。 町の年寄りはそんなそろり長屋の老人の散歩を羨ましがっていた。 <爺さん、婆さん、危ないから囲いの中から出てはいけないよ、町の人に迷惑かけるから老人は家の中でじっとしていなさい>と、息子や嫁に言われれば、老人は家に引き籠っているしかなかったのだ。 <じっとただ長屋に籠って寿命を待ってるのも、つまんねえだろう、 危なくても自由にぶらぶらして、それで死んだら本望じゃないのかな> 大家の伝蔵はそう思って、四人老い耄れの外出を容認していたのだった。 迷子になって町の人の世話になってそろり長屋へ帰ってくることもあるが、 散歩から帰った日の老人たちは晴れやかなさっぱりした表情をしていた。 老人たちのもう一つの楽しみは、 大家の伝蔵が亀の湯の亭主の作治に頼んだひと月湯屋入り放題48文の「羽書」をぶら下げて、横丁の「亀の湯」へ空いている昼過ぎに出かけて湯につかることだった。 おかげでそろり長屋に辿り着いた頃は垢のたまっていた老体も いつの間にか、見違えるような色つやのいいすべすべした肌になっていた。 そろり長屋には、狡さを背中に背負って生きているような輩はいなかったし、 初めは底意地の悪い輩も、懐を開けてそろり長屋で暮らていると、 いつの間にか悪のほうから毀れ落ちてくるから不思議な長屋であった。 そろり長屋じゃ、一人ぽっちの侘びしさなんかを感じることはなかった。 家族なんていなくてもへっちゃら、向こう三軒両隣気心が知れていた。 孤独死なんてこともなさそうだ、おせっかいさんもごろごろしていて、 煮過ぎたみそ汁のように濃厚な長屋付き合いに囲まれていた。 そんな長屋の中じゃ隠し事もできない、板一枚の間柄、 井戸端では嫌でも毎日顔を合わせた。 銭がなくとも腹が減ったら、茶碗と箸を持って、 向こう三軒両隣をたずねれば、どこかで飯は食えた。 心配なことはなにもなかった。 爺さん婆さん貧乏人にやさしい長屋であった。安息の天国だったのだ。 そろり長屋がそんなことができたのは地主の 松坂町の質屋正直屋徳兵衛が惜しげもなく銭をつぎ込んでいたからだ。 それに大家の伝蔵も損得なく面倒見がよかった。 江戸の裏長屋にはしみったれた夕陽ぐらいしか当たらねえのが 相場だが、そろり長屋の上にはいつだっておてんとうさまが 微笑んでいるようであった。 そろり長屋、なんだか、いいことづくめじゃありませんか? つづく 朽木一空
2025年11月30日
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