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江戸いろはかるた<つ> 月とすっぽん/月夜に釜を抜かれる「空に浮かぶ月と泥の中にいるすっぽんじゃあ、比べ物にもなりません、まさに雲泥の差とでも申しましょうか、徳川将軍様と裏長屋の伝助爺さんでございましょうかね、」「北町奉行遠山金四郎様と南町奉行鳥居耀蔵様の違いどころじゃありませんね、 博徒のくせに御用を預かる街の壁蝨の十手持ち、すっぽんの黒熊の親分がすっぽんなら、町人の味方義理と人情の神田明神下の銭形平次親分がお月様でございますね、」 「でもご隠居、すっぽんは一旦噛みついたら死ぬまで離さねえって言われてますぜ、黒熊の親分も下手人を捕縛したら、二度と離さねえ御用聞きでございますよ、」 「相手が本当の悪人なrそれもいいが、まっとうな商人や堅気の衆が噛みつかれたらたまったもんじゃねえよ、 いいかい、彦五郎、耳を澄まして聞くんだぞ、 泥亀が池に飛び込んだ時の音が ~すっぽんっ~て言ううんだ、すっぽんの黒熊親分なてえのも所詮は泥亀よ、、」 「ところでご隠居、もう一つの、月夜に釜を抜かれるとは、月夜の晩にかみさんを寝取られるってえことですかい?」「まあそれもあるだろうが、綺麗な月夜を見ている間に、釜(だいじなもの)を盗まれるってことだな、 油断大敵、鳶に油揚げをさらわれるってところかな、」「月夜ってえのはなかなか油断ならねえ奴でございますな、」「そうよ、彦五郎みてえに、月夜に誘われ、飲み遊び 浮かれてる者を月夜鳥(つきよからす)っていううんだ、 気を着けな、」「へいっ、月夜に提灯(無駄なこと)にならねえように いたしやす、」 ~ 名月や 池をめぐりて 夜もすがら ~ 芭蕉 ~名月を 取ってくれろと 泣く子かな ~ 一茶 ~女房はすっぽん女郎はお月さま~ 江戸川柳 ~おまえさん すっぽんぽんだよ お月様~拙作 笑左衛門
2024年11月25日
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江戸いろはかるた <そ> 総領の甚六総領の甚六とは、最初の子は大事に育てられるので、弟や妹に比べておっとりしており、世間知らずなお人よしが多いということのたとえでございますな、「江戸の世界はみんな同じようなもんですな、 将軍様の徳川家が長子相続で頭が悪くても不細工でも、 総領は長男で親の禄高,家名を受け継いでおりますからね、」「将軍家に倣えで、諸国の大名、旗本、御家人それに商家、職人、百姓だって、庄屋の一番息子とか、 のらの跡取りなんて言われてるくらいだ。 江戸の社会じゃ、長男が家督を譲られることになっておるな、」 「そうでございますよ、ですからあっしのような三男坊は いくら明晰な頭脳で心配りがあって身体丈夫だって、 総領にはなれず、家禄は継げず、 かといっていい養子先でもなけりゃ、 ぶらぶら人生になっちまいますよ、 傾奇者の旗本奴の気持ちもわかりますねえ、」「総領の甚六になった者にだって辛酸を嘗めることはあるのだよ、 甚六はうすぼんやりして、おひとよし、おろかもの、 ろくでなし、何の努力もなしに家督を継いだいいきなもんだ、 弟の方がよっぽどすぐれものなのに、などと、陰口嘲られて、陰口を叩かれるが、家のしきたりに縛れれ窮屈な暮らしを強いられているんだ。 本心じゃね、弟のように気儘に生きてみたいもんだと思っているかもしれないね。」 「いつの日にか、家督相続が兄弟均等に分けられる日がきますかねえ、 ~きっとくるさそのうちに、 そのときゃ泣こうぜうれしなきぃ~ 」 ~総領の 甚六わざと 木偶の棒~ ~バカ殿も そうであったか 総領かぁ~ ~知恵足らず 木偶の棒でも 家督継ぐ~ ~痩せ畑 のらの跡取り おらいらねえ~ ~甚六よ うどんじゃ首は 括れねえ~ 笑左衛門
2024年11月20日
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<れ> 良薬は口に苦し <良薬は口に苦けれども病に利あり、忠言は耳に逆らえども行いに利あり> 「甘い薬よりは苦くて飲みにくい薬ほど、よく効くもんだと云いますがね、7 ご隠居の小言は苦すぎて、長屋の者は辟易して逃げちまいますよ、」「彦五郎よ、苦言は薬なり、甘言は病なりと申すのだぞ、」「けどね、ご隠居、病にぴったりの良薬を手に入れるのも難しいでござんすね、日本橋本町三丁目辺りには、ざっと数えても40軒は下らない、 土蔵造りの立派な薬種問屋が軒を連ねておりましてね、 通りを歩くと、独特の薬の匂いが立ち込めていて、 匂いだけでも病が治りそうな気がするなんて人もいるくらいですよ、 良薬の香り漂う三丁目,、なんて川柳でもうなりたいくらいで、」 「日本橋神田辺りは薬種問屋だけじゃねえ、 同じ職業の者が集まって暮らしてるのよ、 元大工町、番匠(大工)、箔屋町には打箔職人、桶町は桶職人、 大鋸(おが)町には木材から板を切り出す大鋸職人、南鞘町 は刀剣の鞘を作る職人、具足町は甲冑を作る具足師、畳町には畳師が居住し、檜物町には大工棟梁が住んでいて、南鍛冶町は鍛冶の職人、北紺屋町は染物職人、 呉服町には呉服店、本材木町には材木商が移り住んでいて、 町それぞれに独特の空気が流れ、匂いがあるのが江戸の町だ。 彦五郎が通ってる柳橋や吉原にも独特の匂いが 立ち込めているようにな、」 「でも、日本橋三丁目辺りじゃ、薬種問屋が多すぎて、さてどこへ行けばいいのか?ちょいと、面食らいますね、 薬だって、「錦袋圓」「實母散」「清婦湯」「神効丸」「五臓圓」などと200種もの売薬があるんじゃ、どれが体に効く者か見当もつきませんや、」 「数ある薬種問屋でも一番なのは、格式ある屋根つきの立派な立看板を出している 鰯屋が一番だろうな、家伝秘法 調痢丸”(ちょうりがん)が鰯屋の文字通り看板商品で、 腹下し等、胃腸周りの疾患に効く妙薬として人気があるそうだぞ、」 「まあ、町人は体の具合が悪いからと言って、 すぐに医者を呼ぶには銭の心配をしなけりゃならねえから、 病気になって苦しい思いをするまえに漢方薬を買い求めたり、 自分で灸(きゅう)をすえるために艾(もぐさ)は欠かさずに家に常備して おりますがね、」「日本橋三丁目の横丁に入った薬種問屋の中には、 惚れ薬だの、毛の生える薬だの、鼻糞丸めた丸薬が気の病に効くだとか 赤まむしを煎じた粉末が精力剤になるとか、胡散臭い薬を売っている店もあるから、騙されないように気をつけなくちゃいけねえな、 もともと薬は医者が生薬を刻んだり手を加えて、 調合していたのだが、いつの時代からか、 生薬屋が医者に代わって調合した薬を販売するようになったのじゃ、 おかげで、薬代も安くなったともいえるのじゃがな、」「安い薬といえば、三丁目の横丁にある仕舞た屋ふうの家の 薬屋では、医者の順庵先生が薬を調合しているんですが、 二本橋の表通りの薬種問屋じゃ、安くても一服60文はする、 良薬なら100文は下らねえ相場なのに、 幸福堂じゃ、一服10文と格別に安いそうで、 またその薬がよく効くというので江戸庶民には人気があるんですよ、 おまけに、貧しい人からは薬代は取らないので、 順庵先生の家先には芋や大根や菜っ葉などが 薬代として置かれているんですよ、 まさに貧乏と追っかけっこの庶民からすれば、 順庵先生は薬の神様のようだと、評判でございますよ、」 「良薬なら口に苦くてもよいがな、、」 ~三丁目匂はぬ見世は三四軒 ~ ~四丁目もまだちらほらと匂う也~江戸川柳 ~本草を道へならへる三丁目~江戸川柳 ~苦いだけ 親父の小言 ききめなし~拙作 ~甘くって よく効く薬 女郎の甘言~拙作 ~良薬の 小言うんざり 日本橋~拙作 ~盗賊に よく効く薬 鬼平丸~ 拙作 笑左衛門
2024年11月15日
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江戸いろはかるた<た> 旅は道連れ世は情け 「旅をするときにゃ、弥次喜多道中のように、 道連れがいた方が面白えし心強いように、 世の中を渡っていくにも人情厚く一緒に連れだって生きていこうって ことだな、」 「でもね、ご隠居、伊達て鯔背で強え、股旅者は誰も、 連れなんざもっちゃいない、みな一人旅でございますよ、 木枯し紋次郎、潮来の伊太郎、磯節源太、佐久の恋太郎、 箱根八里の半次郎、それに座頭市だって道連れなんかいやしませんよ、せいぜい、子連れ狼の拝一刀と大五郎の親子旅ぐらいですよ、」「まあ、一匹狼のやくざ者の孤高な股旅と庶民の旅路を一緒にしちゃあいけねえな、 袖振り合うも他生の縁って言ってな、 庶民はちっとでも関り合えば、仲良く暮らしていくのが江戸の流儀だよ。」「あっしとご隠居も道連れの旅をしてるようなもんでございますね、」 「旅は道連れ世は情けも相手によっては 痛い目にもあうこともあるから、彦五郎、も気を付けるこった。 ~類は類を呼ぶ~ ~朱に交われば赤くなる~ って、言うじゃねえか、 世間じゃ、悪の仲間に引き込まれたなんてことはざらにあるからね、」 「そういえば、日本橋の味噌問屋の若旦那が お伊勢参りに行って、道連れになった女に けつ(尻)の毛まで抜かれて、 散々な目にあって帰ってきたとかいう話を聞きましたな、 ~旅は情け人は心~ いい諺でござんすが、 ~旅は道連れ世は情け容赦なし~ なんて、俗諺もありますからね、ご用心ご用心でございますね、」 ~旅は道連れ 岡場所は股連れ~ 拙作 ~旅行けど 道ずれもなし 友もなし~ 拙作 ~人生の 道ずれ女房 情けなし~ 拙作笑左衛門
2024年11月10日
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江戸いろはかるた <よ> 葦の髄から天井を覗く 「葦(よしず)の髄(ずい)から天井を覗く、てえことは、 葦の茎の細い穴を通して天井を見たところで、すべてを見渡すことはできはしねえってことよ、 大家の権兵衛みてえに、狭い見識を棚に上げて、 やれ徳川幕府の終わりは近いとか、 京の都では長州が勝(まさ)ってるとか、 黒船がやってくるとか、さんざん店の者に蘊蓄(うんちく)を垂れ、 挙句、人の行く末の見当をつけるなんてえことは、愚の骨頂ってことでございますな、」 「したり顔の大家の権兵衛も悪い人じゃねえんですがね、」 「もう少し見識を深めてから、意見すればよかろうに、 いかんせん覗いてる穴がせますぎるわな、」 「ですがね、ご隠居、夏の暑い日に鶯谷あたりの 小ざっぱりした竹柵の小さな隙間から 小粋な家の庭をのぞき見しますてえとね、お妾さんでしょうかね、 芸者上がりの粋な姐さんが盥(たらい)に身を沈めて、 行水する姿なんぞは、そりゃあ色っぽくてよく見えるんでございますがねえ、」「こらこら、彦五郎、北町奉行の遠山金四郎様は 性犯罪に容赦はねえぞ、 湯屋の女風呂覗いて江戸払いになった者もおるぐらいだ。」 「おおこわっ、竹輪の穴から隣のかみさんのおよねさんお 寝姿を覗くくらいなら岡っ引きも目を瞑ってくれますかね、」「葦の髄から天井を覗くの諺の俗諺は随分転がってるぞ、 それだけ、狭い見聞で大きな問題を論じる御仁が多いってことでございましょうか、 ~管を以て天を窺う~ ~針の穴から天を覗く~ ~火吹竹から天を見る~ どうも狭いところから覗くのが好きなようで、、 ~貝殻で海を量る~ したり顔で、この貝殻なら海は広いなと見当をつけたりして、 ~井の中の蛙大海を知らず~ なんて諺も意味は似ておりますな。 ~かあちゃんの 湯文字の中に 親父いる~拙作 ~竹穴の 向こうに見える 裏長屋~拙作 ~江戸城が 小さく見える けつの穴~拙作 笑左衛門
2024年11月05日
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江戸いろはかるた 14 <か> 癩の瘡うらみ(かったいのかさうらみ) 癩の瘡うらみとは、癩はハンセン病、瘡は梅毒を指し、 大差のないものをうらやんで愚痴を言うことでございます。 江戸のずっと後の時代には、癩の病も他の病と同じように 治療可能な病となったが、江戸の時代では癩の病の知識も治療法もなく、 仏罰・神罰の現れたる穢れだとか、罪を犯した者が罹るとか、 遺伝病で不治の病とされ、発症した者が差別された歴史があるので、ここでの江戸いろはかるたの<か>は ~勝って兜の緒を締めよ~と書き換えることをご了承願いまする。 「ご隠居、勝って兜の緒を締めよ!の諺は戦国武将北條氏綱の名言でございますな、」「そうじゃ、戦国時代は毎日が戦争だったからな、勝利した後も、油断せずに気を引き締めるべきだということだな、 兜は、昔の武士が戦闘で頭を守るためにかぶった防具で、緒はあごの下で結んで固定する紐のことじゃ、勝っても兜の緒を締めておけば、敵の反撃にも備えられるという意味じゃな、」 「油断大敵でございますな、」 「この手の俗諺はいろいろあるぞ、 敵に勝ちて愈々戒しむ、(敵に勝っても益益気を引き締める) 好事魔多し、褌を締めてかかる、 それとは真逆な諺に~驕る平家は久しからず~なんてのもある。」 ~油断大敵 遊女の情け~拙作 ~吉原じゃ 勝って褌 締め忘れ~拙作 ~鉄火場で 負けて褌 締められず~ 拙作 笑左衛門
2024年10月30日
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江戸いろはうた 13<わ> 破れ鍋に綴じ蓋 「ご隠居、日本橋の団子屋梅屋の娘 あのおちゃめで、男に騙され、井戸に身を投げたことも ある傷物の小梅ちゃんが嫁に行ったという話ですよ、 それが嫁いだ先の与三郎という 心を入れ替え、身を粉にして働いたおかげで、 潰れかけた煮豆屋が繁盛してるってことですぜ、」 「その小梅と与三郎が、まさに破れ鍋に綴じ蓋じゃねえか、 欠けてヒビの入った鍋に壊れた傷を治した蓋だね、 人の出会いってえのは不思議なもんだな、 裏長屋にもそんな夫婦がよくいるじゃねえか」 「ご隠居、傷のねえ人間なんておりませんや、 破れ鍋にも、どこかに綴じ蓋が待ってるってことですよね、 そういえば、おけら長屋のおとみさんと与五郎夫婦は 面鉄漿(おはぐろ)女房に髯男だし、 たそがれ長屋のくたびれた浪人と品のある御新造、 裏長屋でひっそりくらす、過去を引きずった男と女ですね、」 「そうだがね、 ~縁は異なもの味なもの~~蓼 (たで)食う虫も好き好き~なんて俗諺もあるが、 彦五郎にはいつまでも合う蓋がみつからねえな、」 「ご隠居壊れた蓋でもようござんすから、嫁さん 探してくださいませよ、」 ~合わぬ蓋あれば合う蓋あり~諺 ~牛は牛連れ、馬は馬連れ~諺 ~かみさんが 傷物じゃない 蓋という~ 笑左衛門
2024年10月25日
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江戸いろはうた 12<を> 老いては子に従え 「こりゃあ、大御所政治の家康様、家斉様に 言ってやりたい言葉ですな、」 「そうじゃのう、徳川家康様は将軍職を息子の秀忠公に譲った後も、 駿府城に移り住み 幕府に対して実権を持つ大御所政治を行い、 大阪冬の陣、夏の陣を制し、二代将軍秀忠の世継ぎに, 病弱だった家光に決定したのも家康の意向だと云われておるからのう、 実に隠居後、11年もの間75歳で死去するまで幕府の実権を掌握したのだから、老いても子に従わずの悪例であろうか、」「年は寄れども心は寄らぬでございましょうか、 体は歳をとれども、やる気はまだまだ若いってことですな、 ご隠居と同じじゃございませんか、」「儂はもう我を張ったり出しゃばったりはせぬよ、 老いては子に従えとは、何事も子に任せて、従っていくほうがいいということだが、我が息子は寄り付かぬのじゃから、子にも従えぬのじゃ、 老いては子に従えができる御仁は幸せ者よ、」「ですが、江戸城内ではどうも年寄りが威張っているように見えますがな、」「そうじゃ、江戸城には、70歳を超え、80歳や90歳でもなお、 城通いの旗本もおるからのう、幕府の役付けには定年がないのだよ、 それにな、老いたと言うてもな、老練な知識と経験豊富な老人の能力が 無ければ、江戸城の中を切りまわすことができぬのだろうな、」「そこへいくと、無役の御家人様や旗本様は 老いては子に従えでございましょうか、さっさと、子息に家督を譲って、早々40,50で隠居願を出して暮らしているお武家様もいらっしゃいますね、」「それはそれで、淋しいことよな、」 ~年寄りと釘の頭は引っ込むがよい~諺 ~老いては 女房の いうがまま~拙作 ~子はどこじゃ 子に従え と云われても~拙作 笑左衛門
2024年10月20日
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江戸いろはうた 11<る>瑠璃も玻璃も照らせば光る 「ご隠居、瑠璃(るり)も玻璃(はり)も照らせば光るってえことは、生まれつき優れた素質や才能がある者は、どこにいても目立つてえことですよね、」 「まあそうだな、瑠璃」は青い宝石、「玻璃」は水晶という宝石で、 沢山の石ころの中にあっても照らせば美しく光る、 人も同じで、瑠璃玻璃ような者が活躍の場を与えられれば、 能力をいかんなく発揮するということだ、 ~嚢中の錐(のうちゅうのきり)~や~桜は花に顕わる(さくらははなにあらわる)~ なんて俗諺もあるように、才能があるものや、優れたものは 自然に目立つということだな、 目立ちやがりの彦五郎でもかないやしねえよ、」「瑠璃玻璃を例えれば、徳川の将軍様や大岡越前様、遠山金四郎様、市川團十郎、写楽か、喜多川歌麿か葛飾北斎か、平賀源内、それに高尾太夫ってところですかな、 まっ、これじゃあ、確かにあっしのような凡人には出る幕がありませんや、」 「女子(おなご)なんぞはまさにそうでございますね、 お叱りになるかもしれませんが、 女子でも美形の女はひときわ目立ちますね、 茶屋の娘、団小屋の娘、遊女の美形は奪い合いあいでございますからな、」「ちょいと上玉ならば神田小町などと煽てられ、 おちゃめな娘は~玉磨けども光無し~なんてからかわれる、 産まれつきのことで、瑠璃になるか玻璃になるか、 ただの石ころで終わるのか、まさに不条理、親籤(おやくじ)でございますね」、 「まあ、そう自棄になるな石ころ彦兵衛さん、 ~辛抱する木に金がなる~ ~雨垂れ石を穿つ~ ~一念岩をも通す~ ~蟻の思いも天に届く~ なんて諺もあるんだ、彦五郎も精進して世の中の縁の下の力持ちになって生きることだ。」 「ご隠居、いろはかるたの<る>には、 容易ならざる差別が混じっておりますな、 けしからん<る>でござりますりな、」 ~おへちゃ娘の 玉磨けども 光なし~拙作 ~瑠璃玻璃が あるはずもなく 裏長屋 ~拙作 ~光らねえ 路傍の石が 泣いている~拙作 笑左衛門
2024年10月15日
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江戸いろはうた 10 <ぬ>盗人の昼寝 「ご冗談もよしこさんですよ、 黒装束の泥棒が屋敷に忍び込んで昼寝するなんざ、 頓珍漢のいいところですぜ、」 「そうじゃねえんだ、盗人が自分の家で昼寝してんだよ、 ただだらとだらしなくぽか~んとしてるように見えてもな、 盗人は、寝ながら、次の泥棒先にどう忍び込もうかなんて、悪事をたくらんでいるってことさ、」 「夜に盗みを働くために寝だめしてるんじゃねえんですかい?」 「まあ、どちらにしても、意味なく昼寝してるわけじゃねえんだ。 そこへいくと、彦五郎の昼寝はただの怠け病だね、」 「いやあ、長屋の昼寝なんぞは、悪さしねえ純粋無垢な昼寝でござんすよ、」 江戸の町にはとにかく盗人が多い、一口に泥棒と言っても、 石川五右衛門、鼠小僧、葵小僧 稲葉小僧と名だたる泥棒だけじゃない、 商家に押し入って皆殺しにする押し込み強盗もいれば、 雲霧仁左衛門のように神出鬼没で、盗賊だが、人を傷つけず、 手籠めにせず、暮らしに難儀する貧しい人からは奪わないという 盗人の仁義を守る盗賊もいる。 大名屋敷ばかりに忍び込む盗人もいれば義賊を気取った盗人もいるし、 長屋を狙うケチな泥棒もいるし、追剝や、往来でのかっぱらい、 空き巣もいるし、火事場泥棒なんてのもいる。 江戸の町じゃ、手っ取り早い泥棒が商売繁盛なのだから困ったもんだ。 だが、幕府も黙っちゃいない、町奉行所とは別に盗人専門警察の火付盗賊改方を設置し、あの名高い鬼平こと長谷川平蔵に凶悪盗人を取り締まらせてたのだ。 「でもねえ、ご隠居、お江戸は泥棒にも情け深いところもございますよね、 泥棒の咎人は奉行所じゃ、初犯は腕に二本の入れ墨のうえ50叩きの刑で 解き放ち、 2回目は入れ墨のうえ江戸払いの追放刑、 3回目で死罪の刑となる。 ただし、10両以上の盗みは一回で死罪でございますが、 まあそこは、魚心あれば水心でございまして、 お奉行様の匙加減てえところですかね、」 「盗人猛猛しい野郎もいるが、 ~盗人に追い銭~盗人にも三分の理~ 泥棒猫なんて名の泥棒もいるほど、 貧乏人の泥棒には同情してるところが江戸でございますね、」 「さてと、泥棒の昼寝じゃねえ、由緒正しい昼寝とまいりましょうか」 ~泥棒の 昼寝の蠅を 追ってやる~拙作 ~鼾かき 女房昼寝 むさぼりて~ 拙作 ~越前の 昼寝にこそある 名裁き~ 江戸川柳 ~企みもなし 女房の昼寝 牛のよう~ 拙作 笑左衛門
2024年10月10日
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江戸いろはうた 9 <り> 律儀者の子沢山「彦五郎は見習った方がいいな、 律儀者とはな、義理堅く実直な者で浮気などせず、 夫婦仲もよいので、子供ができるってことだ、」「貧乏人の子沢山なんて俗諺もありますがねえ、、 行燈の油ももったいない狭い長屋の夜は真っ暗で、 やることもなく、やがて手が出る足が出るで、子供が産まれるってえことでしょうね、 ~貧乏暇なし~なんていいますが、暇がありゃあ子供が産まれるってことですかね、 ~ちんちん 煽てりゃ空を向き~女も男も我慢できませんねえ、 なに、子沢山になったって、貧乏には慣れっこなんで心配してねえ、 何とかなるだろうってえのが貧乏人の強みだね、 子供は世の中の宝物、子沢山は世間からは褒められたことでございますから、大家をはじめに、長屋のみんなが面倒見てくれるのが江戸ですからな、」 「そうとばかりは言えねえぞ、彦五郎、 赤貧洗うがごとし、稼ぐに追い付く貧乏なしの家じゃ とても、貧にして楽しむって心持にもなれねえよ、 水飲み百姓なんかじゃ、やっと育てた子供も、 女の子は遊郭、男の子は豪族に農奴(のうど)として売っ払うか 丁稚奉公に出す、まあ、どっちにしても子供を売る、 奴隷奉公に変わりはねえ、産まれてくるのはまだいい方かもしれねえ、 冷たい川に体を沈めて堕胎したり、濡紙を口に当てて間引きしたり、 挙句は捨て子にしたりする家(うち)も多いようだぜ、」「ずいぶん残酷でございますね、 江戸の町に捨て子が珍しくもないのもう頷けますな、」 「綱吉様の生類憐みの令のなかに、捨て子禁止令があるんだが、 そんな御法を出さなけやいけねえほど捨て子が多いってことだ。 けど、そこが人情深い江戸の町だね、 捨てる親あれば拾う親ありで、 捨て子の親には貰いっ子の親がいて育ててくれる、 あげ乳、貰い乳なんてのも当たり前、 まあ、江戸は捨て子に優しい町でござんすね、」 「そうよ、幕府や世間も捨て子を見捨てちゃいない、 町奉行じゃ、捨て子を拾って育てた人には 米の支給や補助金も出すそうだし、 寺や神社も捨て子には目を瞑っちゃいない、 捨て子の拾い主には暖かく厚遇しているぞ、 日本橋の医者の宗順先生は捨て子の病気はただで診るそうだ。 それに、捨て子を拾ったり、貰ったりして育ててる人は、 ~あの方は慈悲深いいい人だ~と、 町の者から尊敬され、感謝されてますな、」 「~捨て子は世に出る ~てえ諺があるように、 捨て子は江戸の町の人の支援もあって、逆境にも負けず、 たくましく強い子に育つっていうことだ。」「~貧乏柿の核沢山~なんて俗諺もあるがね、 貧乏柿は小さい渋柿のことで、核は種のことだ、 貧乏人の子沢山を意地悪く捻った諺だが、どっこい ~捨て子は世に出る ~てえ諺があるように、 捨て子は江戸の町の人の支援もあって、逆境にも負けず、 たくましく強い子に育つてえことだ。」 ~律儀者 暇さえあれば 子作りし~ 拙作 ~子は宝 貧乏なんかにゃ 負けねえよ~拙作 ~親くじで 外れ坊やの 捨て子かな~拙作 笑左衛門
2024年10月05日
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江戸いろはうた 8<ち> 塵も積もれば山となる 「なんでも大事にするのが江戸の流儀ってえもんよ、 塵のようなものでも、積もり積もれば山のように大きくなる、」 「でもねえ、ご隠居、塵は積もらねえし、積もっても風に吹かれて 粉微塵になって飛んじまいますがね、」 「彦五郎、塵はつまらないものや役立たずってえ意味じゃねえんだっよ 些細な小事でもおろそかにしてはならないという戒めなんだよ、」 「そいやあ、本所の紙屑買いのおツタ婆さんは、 駕籠を背負って「へえ、くずぅ~」と声をあげながら 本所深川の町内を歩きながら、 書き損じの反故、古帳、だけじゃねえ、 ぼろ布、折れた火箸、錆びたハサミ、包丁、 なんでも買い取ってくそうだ、 <もったいねえもったいねえ、まだまだ使えるものを惜しげもなく捨てやがる、>が口癖で、 おツタ婆さんの家作は屑と塵が山と積まれ、すっかり塵屋敷になってるそうですぜ、近所の人は、あぶねえだの臭いだのと文句も言うそうだが、 おツタ婆さんは気にも留めずに、塵と塵の山を眺めては <お宝、お宝>と、にやついているそうですぜ、」 「おツタ婆さんが集めた紙屑は吉原遊郭の近くの 山谷で漉き返しの浅草紙に生まれ変わるのだったな、」 「そういえば、裏長屋の与作は町役人から裏長屋の芥溜(あくただめ)の塵塵(ちりごみ)の掃除を請け負ってるねえ、 なにしろ、芥溜(あくただめ)に捨てられた、 魚の臓物なんかの塵は鴉や犬猫の格好の餌になるので、 かん回されて汚されるので、与作は毎朝塵の山を片づけては 堀に来る塵取り船に積み込むんだそうだ。 その塵は深川洲崎の先に運ばれて埋め立てに使われるそうだ。 塵も積もれば土地になり、町になりってえところですかね。」 ~小声で <おいっ、屑屋さんちょいと> 裏長屋のはばかり(雪隠)の臭い場所から呼んでやがるな、 碌なもんじゃねえだろうな、、 だが待てよ、スリかなんかが、雪隠に逃げ込んで、 巾着(財布)の銭は懐に仕舞いこんで、 さて、その財布を便壺の中に捨てちまおうかと思ったが、 折よく屑屋が通りかかったんで、 その財布を売り飛ばそうって魂胆かもしれねえな、 いい金具でも付いてりゃあ、儲けちまうな、 よしっ、向こうが内緒の小声で呼んでんだから、こっちも、声をひそめて、 「へいっ、お払い物は何でござんしょうか?」「紙があったら一枚くんねえ、」 なあんだ、儲けも何もありゃあしませんね、 ~江戸落語、柳家小さんのまくらより~ ~塵も箔屋の塵(ちりもはくやのちり)~ 同じ塵でも、出処に酔っちゃあ価値が違うんでございますよ、 おツタ婆さんも言ってたな、 ~一文銭 山になるかと 甕(かめ)の中~江戸川柳 ~糞も積もれば 肥えになり~ 拙作 ~側室積もりて 殿迷い道~ 拙作 ~江戸の町 人情積もりて 裏長屋~拙作 笑左衛門
2024年09月30日
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江戸いろはうた 8<と> 年寄りの冷や水 ~みずやぁ~ひゃっこいみずやぁ~ 「今日も暑いね、水売りが来てるな、冷や水でものもうじゃないか、」 江戸の町には冷たい水に砂糖を加えた一杯四文の冷や水売りがいて、大変な人気だったのですが、 「ご隠居、いけませんよ、<年寄りの冷や水>ってえ 俗諺がるじゃねえですか、 岡場所も、富士山詣も、大酒大食い大会も駄目、 町内のことに出しゃばっても駄目でございますよ、 ~老いの木登り~ ~年寄りと釘頭は引っ込むがよし~ 町内の者はみんなそういってますよ、」 「ちぇっ、面白かねえ、けどよ、彦五郎、 ~年寄りと紙袋は入れねば立たぬ~なんて俗諺もあるよ、 腹に食いものを詰めなきゃ年寄りは動かねえってことよ、 そう年寄り扱いばかりするんじゃねえよ、 跡継ぎに家督を譲って、隠居願を出して50過ぎに隠居する武士もいるが、お城勤めにも、奉行所にも、70歳、80歳、いや90歳過ぎてお役人を務めてる旗本はいくらでもいるじゃねえか、 お武家様だけじゃねえぞ、 百姓だって、60歳になれば隠居組に入るが、 なに、それから村の百姓代や長老として相談役であり、助言役であり、村の書き役も兼ね、村祭りを仕切り、領主との交渉も任されておるのだ、 ~年寄りの冷や水~などと云われながらも頼りにされてるぞ、 村の大事の決定役でもあり、村人に小言もいいながら、死ぬまで村の大役を果たすのだぞ、」 「ですがねご隠居 ~年寄りの達者春の雪 ~なんて俗諺もございましてね、 春の雪が消えやすいように、年寄りの元気さも長続きはしませんや、 なにしろ、棺桶に半分足を突っ込んでるようなもんですからね、」 「だが彦五郎、徳川御三家の常陸水戸藩の第2代藩主徳川光圀様、そうよあの水戸黄門様をみてごらんよ、 62歳で隠居し、隠居所の西山荘を建てて隠棲したが、 それからも、田畑を耕し、年貢も治めたというのだ。 また、五代将軍徳川綱吉が天下の悪法の<生類憐みの令>を発布するや、将軍に直接苦言をし、嫌みなことに、将軍に犬の毛皮を送り付けたというじゃないか、 それだけじゃない、光圀が江戸に上った時、 重臣の藤井紋太夫を楽屋で刺し殺す事件まで起こしている。 紋太夫の高慢な態度に堪忍袋の緒が切れたのか、光圀の失脚を企んでいたためか、真相ははっきりせぬが、まだまだ武士の矜持を持ってる 生命力溢れていた爺さんじゃないか、 まっ、その 所為(せい)で、将軍家からはうるさい爺だと疎まれていたようだがな」 「好々爺の水戸黄門様も、子供のころからやんちゃで、元服前から遊郭へ通ったり、刀の切れ味を試すため辻斬りをしたこともあったほどだといわれてますね、」 「まあ、水戸黄門様は若い時も年取ってからも元気だからのう、 水戸の黄門様などと煽てられ、 ~おせっかい焼きのただの隠居爺ですぞ~ などと下手にでてから、 ~この紋所が目にに入らぬか~ と、平伏させ、~天下の副将軍、水戸光圀様であらせられるぞ~ と、本性を現し、事件を解決しながら行脚したそうだがな、 <年寄りの冷や水>どころか<年寄り達者物語>じゃな、 ~井戸水で 体清めて 左様なら~拙作 ご隠居も水浴びには十分ご注意を ~年寄りにゃ 冷や水でなく 熱燗を~拙作 某、体のために熱燗を水代わりにすることにいたすぞ、 笑左衛門
2024年09月25日
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江戸いろはうた 7<へ> 屁を放って尻窄める 「屁を放って尻窄めるとは、屁の音や匂いが出た後で、 尻をすぼめめてみたとて手遅れですよ、 失敗した後で、隠したり、取り繕っても無駄ですよ、ていう ことの例えでございますね、 お武家様が松の廊下で屁なんぞ放ったら、 一大事、切腹者になるやもしれませぬ。 そこへいくと、ご隠居なんざ、慌てませんね、 長屋の者は遠慮なく屁のひりっぱなしでございますね、 そこで、一句ひねりました・ ~屁を放って 尻も締まらぬ 隠居かな」 「そうよ、屁にも身分があってな、 長屋じゃ屁と呼ぶが、宮中じゃ<お鳴らし>と呼んだそうだ、 それがおならになったそうなのじゃ、」 「ところで、屁負比丘尼(へおいびくに)という女中がいることは知ってるかい?」 「高位の奥方や姫君にとって屁を漏らすなどという醜態は死活問題 屁負比丘尼という付き人が身代わりになってる話ですよね、 くだらねえ仕事でもこれがなかなか難しいようで、 屁負比丘尼は、ぼおっとしたり、居眠りもできないのです。 おならの音を聞きつける耳の良さに加え、演技力も必要で、 奥方や姫君との阿吽の呼吸で、 周りの者に気づかれないように絶妙の間で、 ~お恥ずかしながら私がいたしました~ と、顔を赤らめ小声で平伏するのだそうです。 さらに古参の屁負比丘尼ともなれば、屁だけでなく、 奥方や姫君のはしたない行為、あらゆる粗相の 身代わりとなるのだから 頭がさがりますねえ、」「人形町の大商家ではな、奥方がふかし芋が大好きでやめられず、 一日中、所かまわず屁をこくので、 亭主は困り果て屁をするための部屋 <屁屋>を作ったというのだよ、屁屋が部屋の語源だなんていうひともいるよ」「じゃあ、部屋の中なら屁をこいてもいいってことですね。」 「絵巻にも<屁合戦絵巻>なんていう本があって、 ~腹が減っては屁はできぬ~ なんて洒落てるが、 まあ。江戸人は屁が好きだ。庶民は屁を嫌っちゃいないね、 むしろ屁と遊び、喜んでるるねえ、」 「面白い屁といえば、何といっても 両国広小路の 曲屁の名人、霧降花咲男でしょうかね、 放屁の長さや連発なんて単純なものじゃねえ、 姫の屁、殿様の屁、坊主の屁などと放屁の身分仕分け、 旋律を奏でるのは当たり前、屁による犬や鶏の鳴き声の真似、 屁で歌舞伎や浄瑠璃の人気演目を一幕演じ、 でんぐり返ししながら<ぶうぶう>と屁をひって水車を模す、 など、にわかには信じがたい屁の神業で 江戸の庶民の度肝を抜いているそうですぜ、」 「そうよ、その花咲男のことを平賀源内が風來山という筆名で <放屁論>という本にしてるのだが、その一説がこれだ。 ~糞尿は肥料として万民を養うが、屁というのは放屁した本人がしばし腹がすっきりだけでなんの役にも立たず、 音すれど、太鼓や鼓のように傾聴するもんでもないし、 匂いはすれど伽羅麝香(きゃらじゃこう)のような香として使えるわけでもない。 だが、花咲男ときたら2寸足らずの尻穴から出る屁で歌舞伎や浄瑠璃の芝居を演じ、観客を”屁威光(閉口)”させる。これは本当に”屁柄者(手柄者)“だ~ まあ、屁なぞは確かに、無益無能なものだが、 人を楽しませ、人を苦しめ、 身分によって差がある屁は奥深い世界のようでございますな。」 ~屁を放ち 尻窄まぬ 尻もあり~ 拙作 ~ 音だけは 屁負ったが 臭い別~江戸川柳 ~花嫁は 一つひっても 命がけ~江戸川柳 ~屁をひって嫁は雪隠出にくがり~ 江戸川柳 笑左衛門
2024年09月20日
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江戸いろはうた 6 <ほ> 骨折り損のくたびれ儲け 「戦国時代の信長、秀吉、家康、この中じゃ、骨折り損のくたびれ儲けは天下統一を前に本能寺の変で明智光秀に討たれた織田信長でしょうかね、」「そうだろうな、命脈が尽きたのも、信長49歳 秀吉62歳、家康75歳だ、くたびれ儲けしていないのは徳川将軍家康様ですかな、 信長さまは<労多くして功少なし>にも当てはまりそうだな」「深川今川町の下っ匹、傘屋の徳七は仙台堀で船泥棒を見つけ、 御用御用と、船を盗んだ船泥棒を堀端を駆けって追いかけたんだが、 追いつくわけもなく船はすいすいと木場の方に逃げてしまったそうだ、 <舟盗人を徒歩で追う>という俗諺にぴったりのどじな話で、 まさに<骨折り損のくたびれ儲け>でございましたね。」 「日本橋紺屋町にあるこんにゃく売りの下仁田屋軟吉は ねえ頭をひねって、何とか売り上げを増やそうと、 値段をそのままでこんにゃくを倍の大判にしたところ、 店は大繁盛したのだが、仕入れのこんにゃく芋の値段が 売値に近かったので、 朝から晩まで寸暇を惜しんで働いた割には儲けは上がらなかくて、 <骨折り損のくたびれ儲け」>と思わずつぶやいたんだとさ。」「<犬の尾を食うて回るが如し>なんて俗諺もある、 まあ、人生暇つぶしだと思えばくたびれ儲けにもならぬがな、」 ~くたびれる 武士の身分の 細かさに~ 拙作 ~大家には 裏にくたびれ 儲けあり~拙作 笑左衛門
2024年09月15日
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江戸いろはうた 5<に> 憎まれっ子世にはばかる 2 「悪の尻尾は旗本奴や町奴が失せても、 博徒ややくざの輩は相変わらず、江戸の町にははびこっていますがね、 どうもあっしには、奉行所の同心から御用を預かる目明し(岡っ引)も 憎まれっ子世にはばかるの部類じゃねえかと思うんですがね、「そうじゃの、目明し(岡っ引き)なんぞは、お上の威光を笠に着て 十手を振り回して町人を痛めつけてるようだからな、 なにせ、子分である下っ引きを合わせりゃ、江戸の町に目明しは1000人は下らないてえ云われてるからのう、」 「そうでござんすよ、親分なんて呼ばれて威張ってる、 神田明神下の銭形平次、黒門町の伝七親分、神田お玉が池の人形佐七..半七捕り物帳に、おかっぴきどぶ、目明し茂七親分 大岡越前様のすっとびの辰三を、テレビドラマじゃ、みな庶民の味方の目明しに煽てあげていやがるから、目明しは江戸の守り神だなんて、勘違いしちまうんですよ、 神田日本橋の通りを十手みせびらかし、岡っ引き風吹かして、 通りの店に睨みを効かせては暖簾を潜り、<御用の筋だが、、> と、いちゃもんをつけては金品を捲き上げる。やくざと見間違えるほどの悪態でございますよ。 町の者は裏では江戸のダニだと唾吐いてますがね、 目明しは平気の平左で、肩で風切って歩いてますよ、 まあ、憎まれっ子が着物を着て歩いているようなもんですね、 糞坊主も、藪医者も、金貸しも、憎まれてても威張ってる輩が 蔓延(はびこ)り 悪が顔を利かせてるのが江戸の町ですな。」 「ところで、 <渋柿の長持>てえ、俗諺を知ってるかい、」 「渋柿は渋くて人も鴉も食わねえから命が長いってえことですね、」 「そういこった、 どうも、人に憎まれるような者ほど、世渡り上手で、 銭が貯まり、出世するってえことらしいや、 ずうずうしくて、厚かましい者ほど、巷間では幅をきかせるものらしいい。 人に憎まれるくらいじゃなくちゃ、世の中上手くいかねえよという戒めだろうな、<はばかる(憚る)>てえのは、幅をきかせる、のさばるてえことだからな、」「へえ、でご隠居も世にはばかって長生きでござんすね、」「彦五郎、今のご時世で<憎まれっ子世にはばかる>の 極め付きにの憎まれっ子は 南町奉行の鳥居耀蔵様だと思うんだがな、 天保の改革の名を借りた鳥居耀蔵の市中取締は容赦ない冷酷さで、おとり捜査は常套手段じゃ、人々からは毛嫌いされ、蝮の耀蔵だの妖怪だのと、悪口を云われるのも当たり前だが、 徳川幕閣の中じゃ、出世街道まっしぐらで、老中の座も近いとも云われてるぞ、」 「よし、ご隠居、あっしもいい子ぶりっこしないで、 憎まれても言いたいことは言ううようにいたしますよ、、」 ~憎まれた 分だけ威張る 岡っ引き~ 拙作 ~目明しは 嫌われてこそ 蔓延りて ~拙作 笑左衛門
2024年09月10日
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江戸いろはうた 4<に> 憎まれっ子世にはばかる 1 「この俗諺(ぞくげん)の頭はなんといっても、 旗本奴の水野十郎左衛門でございましょうね、 旗本の次男三男の不平不満分子を手下にした大小神祇組を率いて、 大仰な髪形にビロード襟のはでな着物、髪を大なでつけにした大髷に 大鍔(おおつば)に無反(むそり)の長刀を閂差(かんぬきざ)しにして、手足を振り上げて江戸の町を闊歩(かっぽ)してた、 豪放磊落な傾奇者でしたねえ、 真夏に綿入れを着て<寒い寒い>と火桶を抱え、 寒中に帷子(裏地のない着物)一枚で<暑い暑い>と扇子を使う天邪鬼ぶりをみせて度肝をぬかし、旗本という特権を笠に着て傍若無人の振る舞いで江戸の町を我が物顔でのし歩くだけならまだしも、 遊廓を根城として、博奕、喧嘩、辻斬りなどの狼藉を働いていて、 奉行所の同心も手出しができなかったてえひでえ話でございましたねえ、 それだけじゃねえ、町人の間からも旗本奴ばかりに好き放題はやらせねえ、と、町奴と呼ばれた愚連隊もいましたねえ、 暴虐行為の旗本奴に対抗し庶民の町人の味方として、 <弱きを扶(たす)け強きを挫(くじ)く>の仁侠だと嘯いていた。 侠気をもって江戸市中に勢力を張った遊侠の徒男伊達などと 江戸庶民から煽てられ、華美異装な服装で市中を横行した幡随院長兵衛や唐犬権兵衛らが親分でしたね、 そんな輩が、世にはばかるのもていげいにしてほしかったですね、」 「だが、幡随院長兵衛は水野十郎左衛門のだまし討ちされちまうし、 旗本奴の首領の水野十郎左衛門も若年寄の土屋数直によって、切腹させられ、子分どもの旗本奴200人余も捕らえて処罰されちまって、ここのところ、江戸もだいぶ静かになったじゃねえか、」 「そうでござんすが、それでも悪の方が蔓延ってるようで、 旗本奴や町奴を真似た愚連隊がまだまだ江戸の町には のさばってるようですぜ、」 「彦五郎、憎まれっ子ってえのはな、子がつくんだから子供のことよ、 つまり、すばしっこくて、意地悪いくらいの方が 出世し、成功するって戒めのようだぜ、」 「道理でご隠居、あっしなんぞは誠実一筋、 裏も表もねえ正直者なので、出世しねえわけでござんすね。」 ~いい子いい子じゃ 出世は出来ぬ 憎まれてこそ 男道~拙作 ~世渡りは いい子だけでは つとまらねえ 夢も出世も ありゃしねえ~ 拙作~わんざくれ ふんぞるべいか 今日ばかり あすは烏が かつかじるべい~ 水野十郎左衛門辞世の歌、 注 わんざくれとは退屈しのぎの戯れの意、 終いまで憎まれっ子ではばかっておりましたようで つづく 笑左衛門
2024年09月05日
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江戸いろはうた 3 <は> 花より団子 ご隠居と彦五郎、柳原堤の花の下をぶらり歩いております。「彦五郎なんざ、風流を解さない花より団子のくちだろう、」「そうでござんすね、花より色、花より酒といったところでしょうかね。 団子より花なんていう風流人は貧乏長屋なんかにゃいませんね。 鶯谷辺りに小洒落た家に妾でも囲っている隠居爺さんか、 俳人か歌人でもなけりゃ、腹の足しにもならねえ花よりは 団子の方を選びますからね、、」 「どうも、花より団子てえ意味は、 風流を解さない人のことを捻ってるらしいが、 風流人への当て付けの意味もありそうだな、」「<色気より食い気>なんて遊女もいれば、 <花の下より鼻の下>なんていう助兵衛爺もいますしね、」「お武家様には <武士は食わねど高楊枝> なんて俚諺(りげん)もあるが、あれは風流なんかじゃねえ、ただのやせ我慢だね、貧すれば鈍するにならなけりゃいいがね、 昨今、お武家様も随分ご苦労しているようで、 <武士より商人、義よりも銭> なんて俗諺(ぞくげん)が流行るようじゃ世も末だ。 武家のうわべだけの体裁も、武士という名誉も、うっちゃって、 商人になり、実利を取った方が懸命だというお武家様が増えてきてるようじゃ。 何せ、商人に借金していない武士はいないくらいで、 武士が商人に頭を下げて暮らしているご時世だ。 徳川の武家社会も200年もたてば、随分錆びついてきたようだな、」 「そういえば、南町の同心の筧様も同心株を売って 褌から鍋釜夜具なんでも貸しますの損料屋の店を 通油町に開いて、結構な商いになってるようですよ、」 「彦五郎、花より団子の諺の元はな、 ~花よりも団子やありて帰る雁(かり)~貞徳の句だがな、 桜が咲いていても、団子が好きなので、 雁は北へと帰って行くという句だそうだ。」 「そうでござんしょう、雁だって花より団子のようですな、」 「まだあるぞ、 ~花よりも団子と誰か岩つつじ~ 山崎宗鑑 注、<岩>は<言は>の掛け詞、 昔から、花より団子という金言はあったようだな、」 「ご隠居、我らも、花より団子といきましょうや、 あちこちに団子屋の茶店や屋台が並んで、ほれ、棒手振りの 団子売りまでいますよ、」「そうじゃな、串団子でも食するか、 ところで、彦五郎、昔は串団子は五玉だったんだが、どうして団子が四つになったのか知ってるかい?」「そりゃあ、団子ひと玉一文、四個なら四文で切りがいいからでござんすよ、庶民の財布の中は一文銭と四文銭が同居してましたから、五個五銭 の団子じゃ釣を出すのも面倒ですからね、」 「正解じゃ、寛永通宝(4文銭)が出回った頃からは なんでも四文が切りがいいので、団子も四玉四文銭になったんだ、」「そいえばご隠居、団子だけじゃねえ、四文屋(ほぼ100円)の店や 屋台が、江戸の町のあちこちにありますね、 四文銭は丁度いい具合の銭でございますね、 四文煮売り屋(芋や豆腐の煮物や煮魚などを串に刺して売る)もあれば、 握りずしも1つ4文、屋台のてんぷらも4文、甘酒も4文、冷や水も1杯4文と店先でちょっと口にするような食べ物、飲み物は みんな切りのいい四文銭で口にできますね、」 ご隠居と彦五郎毛氈を被せた縁台に座り、四文の串団子を口にしていた。 ~皮だけよ 美人団子に あんこなし~拙作 ~美人より 飯が先だと 色男 ~拙作 ~吉原じゃ 花の下より 鼻の下~拙作 ~助平さん 花の下より 鼻の下~拙作 笑左衛門
2024年08月30日
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江戸 いろはかるた ろの巻 論より証拠<ろ> 「彦五郎、論より証拠とはどういうこったい?」 「奉行所のお白州じゃ、証拠より自白でございますよ、 ですからね、番所に引っ張られた咎人の口を割らせるために、 拷問にかけて 口を割らせるんでございますよ、 だからねえ、ご隠居、やっちゃあいねえのに、 苦し紛れに、へいっ、おそれいりやした、、 なんて、頭を下げちゃいけませんや、 なんてったって、証拠より論(自白)でございますからね、」 「口先でなんだかんだと申し開きを重ねるよりも、証拠を出したほうが 事件はすんなり解決しますよっていう、奉行所に対する嫌みが 論より証拠って諺かな」 「そうですよ、証拠といったってでっち上げの偽証拠つくるなんざ、 同心や岡っ引きの得意技でございますからね、 ですがね、北町奉行の遠山様のお白州じゃ、罪人が<どこに証拠があるんでえ、あるんなら見せてもらおうじゃないか、>と、居直って啖呵を切ることがよくあるんでございますよ、すると、遠山金四郎様、階段を二段下がって、<じゃかましいわい、あの夜咲いた遠山桜、まさか見忘れたとはいわせねえぜ、> と、片肌脱いで桜吹雪の彫り物を見せるんでございますよ、 それを見た罪人は、 <へえ、おそれいりやした、>と首を垂れるのでございますよ、 これぞ、いくら言い訳を並べたてても逃れられない、 <論より証拠>というものでございますな、」「なるほどね、ところで、伝蔵長屋の熊さんが、 岡場所の女に入れあげて、銭を貢いだんで、 <くやしい~!>と、かみさん偉い剣幕でに噛みついたそうだ。 熊さん、なんだかんだと云い逃れようとしたが、 岡場所に褌忘れるなんてへまをしちまった熊さん、 ぎゃふん、論より証拠でございましたな、」 ~誰の子でぃ かかあだけ知る 証拠なし~拙作 ~入れ墨を 証拠に見せる 金四郎、~拙作 ~褌に ついた紅こそ 証拠かな~拙作 笑左衛門
2024年08月25日
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江戸 いろはかるた いの巻 ~いろはにほへと ちるぬるを わかよたれそ つねならむ うゐ(い)のおくやま けふこえて あさきゆめみじ ゑ(え)ひもせす~ 我意訳いたしますてえと、 漢字で書けば、色は匂へど 散りぬるを、ですから、 花もひともいつかは散ってしまうのだ、 誰もこの世では 不変ではいられないという、無常、 苦しみ悩み多き人生の山を 今日乗り越えきた、 もう、浅はかな夢は見まい、酔いにふけったりもすまい、 と、まあこんな意味ですな、 「彦五郎もいろはかるたを知ってるけえ、「ご隠居、あっしも世間の酸いも甘いも嚙み分けて 生きて来やしたからね、手習い用の文字くらいはわかりますよ、」「では、いろはの<い>の~犬も歩けば棒に当たる~ の意味を尋ねようか?」「へえ、犬が道を歩いて棒にぶつかったなんてことは 聞いたことも見たこともありませんや、 そんなどじな犬がいるんですかねえ、お犬様を馬鹿にしてますなあ、」 「いやあ、そうじゃあねえんだよ、 家に籠ってじっとしてねえで、何でもいいからやってみれば思わぬ幸運にあうってことの教訓なんだよ、」 「ご隠居、そうじゃねえな、犬も歩けば棒に当たるとは、 用もねえのにぶらぶら歩くと、辻斬りやら試し切りやらの思わぬ災難にあうという戒めじゃあねえんですかい?」 「はてはて、犬が当たる棒とは、幸運に出会うことなのか 不幸にぶつかることなのか、お犬様公方の徳川綱吉様にでもお尋ねしようかね、」 ~ どじですな 棒にぶついて 犬吠えて~ ~夕暮れて 棒を探しに 犬歩く~ ~間夫が歩いて 亭主に 出合い~ 笑左衛門
2024年08月20日
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笑左衛門残日録 93 江戸の涼 夏を売る棒手振り 「熱い、暑い、暑くてたまらん、 ご隠居、冷たい西瓜か瓜でも馳走していただけませんかな」 夏空の綿雲のように、気儘気楽に流離っている浮の助も この熱さには閉口したような顔をして、久しぶりに柳原の隠居所に顔を出した。 ~何をくよくよ 川端柳 水の流れをみて暮らそう~ 都都逸が唸るように、気楽に生きていきたいものだ感じるこの頃、 浮の助の生き様がちと、うらやましくも感じられている。 「ご隠居、ちょいと耳にした話ですがね、 ずっと後の時代には、手なんぞ動かさなくとも、 勝手に動いて、風を送る団扇があったり、 部屋の中に涼風を送ってくれる機械があったり、 氷のできる箱まであるらしいですよ、、、 そういう世の中になれば、この糞暑い日も爽やかに過ごせますのにねえ、」 「浮の助どん、江戸では風流といってな、様々な涼しい工夫をしておるぞ、 ほうれ、涼を売る棒手振りの呼び声も聞こえてくるじゃろう、、」 ~チリリン、チリリン~ と、風鈴売り、 ~コロコロリーリー、リーンリン、ガチャガチャ くつわむし~ 涼し気な風鈴売りや、涼やかな夏虫売りは耳から涼を得るって寸法さ、 「おい、今度は金魚売りに冷や水売りの声が聞こえてきたよ、」 ~きんぎょぇ、、きんぎょ~お~ ~ひゃっこい、ひゃっこい~ ~ところてんやァ、てんやァ~ 金魚売は天秤棒に提げたたらいの中に金魚を入れ甲高い売り声で町中を歩き、 冷水(ひやみず)売りは白玉入りの砂糖水で1杯4文(約100円)、ところてんは2文で子供にも人気があるが、重たい荷を担いでいるのは大抵が老人の稼ぎだ。 「呼び声聞いてるだけでも涼しくならねえかい?」 「声だけじゃねえ、それでも我慢できない暑い時にはどうなさるんで?」 「簾(すだれ)に葦簀(よしず)で日除けして、 軒先には釣り忍(つりしのぶ)や風鈴ををぶら下げて、 金魚を眺めながら、打ち水をすりゃあ涼しくなるさ、、」 「それでもまだ暑くてたまらぬ日はどうすりゃいいんですかい?」 「そん時は流しそうめんを食って、子供は川へ飛び込むし、 大人は井戸水を盥(たらい)に汲んで行水だな、」 「ご隠居、大川端へ涼みに参りましょうか、、」 暮れ六つの鐘も間もなくの頃、浮の助とご隠居は 柳原土手から大川の方へとそぞろ歩みの足を向けた。 さすがに、川端は涼しかった。 柳の葉が夕風に揺れてる風情なは涼を増しているようだ。 大川には早くも幾艘もの涼み船が浮かんでいて その間をうろうろ舟(飲み物食べ物を売る舟)が忙しそうに漕ぎまわっていた。 両国の川端には見世物や物売りで賑わっていて、 夏の名物の、西瓜、白玉、ところてん、などの辻商いの店が軒をつらねていた、 暑いのに、おしるこ、甘酒、麦湯、飴湯、を売る出店もあり、 それが結構流行っているのだった。 「暑いい時こそ熱い飲み物の方が暑気払いになるらしいんだよ」「へえ、そんなもんでございますか、」」 大川の河原には京の川床のように、河原にせり出すようにした 縁台も作られていて人気があった。 浮の助とご隠居も、その川床風の涼み台に腰かけて、 浮の助は酒、ご隠居は甘酒を片手に、団扇で仰ぎながら夕涼みをたしなんだ。 「やっぱり、川辺は涼しいでございますな、、」 「これで、花火でも上れば文句はござんせんが、、」「浮の助どん、ほら、花火はなくとも蛍が飛んでいるじゃないですか、 谷中の螢沢や飛鳥山の蛍のようにうじゃうじゃいるわけじゃにが、 これはこれで風情があるってもんよ、 おや、蛍売りもいるようだぞ、どうだい、浮の助、江戸の涼こそ風流ってえもんだ、悪かねえだろう」 「へいっ、後の世の夏よりは風流で、涼しそうでございますね、」 ~暑ささえ 江戸の風情の 涼となり~拙作 笑左衛門
2024年08月15日
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大江戸色事情 4 ~ 江戸川柳~不義密通、浮気、不倫、間男、間女なんて気軽におっしゃいますが、密通は大罪でございまして、 奉行所で裁きにかかれば死罪や追放、磔獄門もまである、 厳しい刑罰が待っているのでございますぞ、 密通など割に合わないのだが、だからこそ炎のように燃えるのだとか、 御定書百箇条には 一、密通致し候妻 死罪 一、密通の男 死罪と、記されております。 江戸の色ごと密通御仕置之事によれば、「両人とも捕らえ、近所の寺内へ連れ行き、間男(まおとこ)をば羅切(らせつ)いたし(陰茎を切り落とし)、女は陰門をくりぬき候よし、然(しか)る所、検使の参り候迄そのまま差し置き候所、いたち、右女のえぐり口へ夥(おびただ)しく付き候よし」 とあるではないか、ああ密通は恐ろしきかな、、 ですが、妻の不貞が発覚すれば世間体が悪うございますので、 銭でで決着をつけることも多かったのでございます。 首代(慰謝料)の相場は金7両2分ですが、 実際のところ、ずいぶん値切られtることが多かったのでございますが、 五両にしても、密通の代償としては高額でございますね。 亭主が銭で我慢するのは、三行半(離縁承諾状)の 書状を亭主から女房に渡すだけで離婚が成立するのが江戸でございますから、 強い女房はあらかじめ三下り半を預かっておりまして、 亭主がぐずぐず言うようなら、女房はその三下り半を懐に仕舞って、 ハイさよなら、と、長屋を出て行ってしまいかねないのでございます。 なにしろ、女不足の江戸の長屋では女房を貰えたのは運のいい男で、 五人に一人女房を貰えれいいほうだった。 そんな事情でございますから、亭主は女房に逃げられないようにひたすら尽くしたのでございます。 はい、江戸では亭主より女房の方がよっぽど強かったのでございます。 ですから、亭主は間男を、見つけるのにびくびくしていたのでございます。 ~馬鹿亭主、うちの戸棚が開けられず~ つまみ食いのおやつ(菓子)を女房が戸棚に隠すのでこんな川柳もあっほどで、、 間男を見つければ見つけたで、ひと悶着起きるのは必至でございます。 かたをつけねばならないのでございます。 かかあを間男に取られっぱなしでは身も蓋もないが、 首代(慰謝料)もうんと負けて一両にするか、それとも、見て見ぬふりをしてようか、亭主の決断の時なのでございますが、 何とか持てた女房がいなくなっては淋しくてたまらない、、、 不義密通で悲しい思いをするのは男ばかりだったようでございますよ。 不義密通は武家においても言わずもがなでありまして、 寝取った者より寝取られた武士の恥辱となる。 人の妻を犯すような者はだいたいが不埒者なのだが、 奉行所の裁きを受けましょうかと居直って啖呵を切る。 そうなれば、寝取られた武家が世間に知られ、武士の恥を世間に晒すことになるので、穏便に済ますことのなるのでございます。 いやあ、江戸の女は強いのでございますなあ、、 ~亭主留守 夜這い待つ身に 月淋し~ ~許されねえ 股にすりこ木 不逞妻~ ~間男に おてやらかにと 頭下げ~ 笑左衛門拙作川柳でございました。
2024年08月10日
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江戸両国の花火 2 ~一両が花火間もなき光かな ~其角 享保の頃の花火はシュルシュルシュルと上がり、放物線を描いて落ちてゆく、 お粗末な花火でございまして、尺玉などという色とりどりの派手な花火が花のように丸く上がるわけではないが、街灯も電気もない真っ暗な江戸の町の空に上がる花火は江戸の人の心をつかんだのでした。 ですが、時代が進むにつれて、だんだんと、花火にも趣向を凝らし、 華麗で派手になっていったのでございます。 花火にかかる費用は船宿が八割、料亭が二割負担したのでございますが、 船宿や料亭は花火が上がるともなれば、料金を上乗せしても 客は集まったので、充分おつりが来たのでございます。 江戸庶民はそんなことは気にも留めずに、橋の欄干や隅田川の土手から 鈴なりになってただで花火を眺めて楽しんでいたのでございます。 この頃(天保年間)にもなりますと、大川の花火は 納涼期間中(7月中)夜ごと花火が上げられるようになっていたのでございます。 豊かになった大店の旦那衆は花火の後ろ盾になり、一瞬の輝きに大金を出す粋ぶりや店の繁盛ぶりを見せつける格好の宣伝と余興になっていたのでした。 「ご隠居、ここはひとつ、我々も芸者を誘って、三味線でも鳴らしながら、 大川に船でも浮かべて優雅に花火見物といたしましょうか、」 「彦五郎よ、船を仕立て賃が5両、花火1発の相場は1両だよ、 船で贅沢遊びができるのは大店の旦那衆か、大名たちだけだよ、 貧乏人は精々屋台の酒とつまみを友に、 橋の欄干から覗くくらいが身分相応ってもんだよ、」 旦那衆が涼み船に乗って大川に繰り出しますと、 花火売りの小舟がすっーとやってきて 「花火はいらんかね!」 と、花火船が集まってきて、大川の花火に華を添えていたのでございます。 一方で、大川沿いに下屋敷を持つ諸大名も、<商人に負けてはならじ>と、配下の火薬職人に花火を作らせ、競って花火を打ち上げるようになりまして、 大川はますます賑やかになったのでございます。 中でも、徳川御三家(尾張・紀州・水戸)の花火は豪華絢爛で、 <今日は紀州様の花火><明日は水戸様><明後日は尾張様> と伝えられると、花火を見ようと、大川沿いにはたいへんな数の見物人が集まったのでございます。 伊達政宗公の豪放な家風で人気の仙台伊達家の花火では、見物人が集まりすぎ、その重さで藩邸近くの万年橋が折れてしまったことがあったほどでございます。 花火売りは陸の方にもおりましたが、 こちらの方は庶民相手の手花火の線香花火でございまして、 チロチロチロチロ、玉が落ちるまでの瞬間を楽しむものでございました。 「ところで、彦五郎、花火師には忍者の末裔が多いってことを知ってたかい? そもそも、火薬ってえものは種子島へ鉄砲伝来で伝わってきたのが始まりで、火薬はまずは戦争のお先棒、鉄砲として使われたんだ 戦国の世には大活躍したが、徳川様の時代で 200年も平和な時代が続けば、火薬の活躍する場も減り、 火薬師は花火に活路を見出だしたんだよ、、 だからね、花火師には戦乱の時代から火器の扱いに 手慣れていた忍者の末裔が多いのだよ。」 「なるほど、忍者が得意な狼煙も花火の一つでございますね、」 「花火はな、火薬が戦争の道具からから平和な産業に転換できたってことよ、 めでたしめでたしだ、」「も、一つ覚えときな、 花火が上がると~玉屋ぁ、鍵屋ぁ~の大歓声が上るだろう、 それでな、玉屋の方が人気があるんだよ、 ところが、天保14年に玉屋は店から火事を出して全焼し 財産没収のうえ江戸追放、家名断絶という処分を受けたんだよ、 鍵屋から独立して三十年ちょっと、まさに、花火のようにあっけなく消えてしまって、川開きの花火はすべて鍵屋になったんだが、 大川に花火が上がれば、~玉屋ぁ、鍵屋ぁ~と叫んだそうだよ、 そこが、江戸っ子の人情ってとこだね、」 ~花火だよ 恋もつかの間 儚いねぇ~拙作 ~不発だね 老いらく花火 わしゃお終い~拙作 ~ 寿命だよ 散らぬ花火が あるでなし~拙作 笑左衛門
2024年08月05日
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江戸両国の花火 1~花魁と 一発一両 夏花火~ 拙作 「ご隠居、両国の川開きですぜ、 花火でも見にまいりましょうか、」「彦五郎、込み合っていて、人の頭しか見えねえんじゃねえか、」「でいじょうぶ、花火は夜空に上がりますから見えますよ、。 「寿司でもつまんで一杯ひっかけて、 ついでに甘酒屋のお美代ちゃんもひっかけて、、」 ご隠居と彦五郎夕涼み兼ねて大川端へふらりと出かけてたのであります。 毎年5月28日は大川の川開きで、日暮れから花火が打ちあがり、 大川には江戸中の漕ぎ寄せた涼み船で大川は埋まり、 東の岸から西の川岸へ舟から船を歩いて行けたほどででございます。 無論、陸の方も、両国の橋の上から大川の堤の両岸は人で埋まっておりまして、 この賑わいこそが大川の川開きだったのでございます。 川端だけじゃありません、花火の見られる限りのところ、 屋根の上、火の見やぐら、神社の高台、木に登り、物干し台へ登ったりして、 花火を見物し、 ~玉屋!、 鍵屋!、と叫ぶ、のです。 花火の上がる両国橋の両脇には涼み茶店、見世物興行、さらに飲食店や諸商人の露店(よみせ)が出て、七月が終わるまで連日人出で随分賑うのでございます。 そもそも、江戸両国の花火は享保18年八代将軍吉宗様が、この年の前年、享保の大凶作で、餓死者が100万人も出たという大飢饉、おまけに江戸市内にはコロリ(コレラ)が大流行し、多くの人の命が奪われまして、 その死者の魂を供養し、悪疫退散祈願のため隅田川沿いで水神祭を実施した時に花火を打ち上げたの始まりだつたと云われております。 江戸の花火は暮れ六つの夕方から始まり二十発程度、一時程で終いになります。 とっぷり日が暮れた夜はお星さまとお月さまに 空を譲るという粋な計らいだったのでございます。 ~たまや!~、~かぎや!~ 隅田川の花火で競演をしたのが江戸の二大花火師の玉屋と鍵屋で、 もともとは鍵屋だけだったのですが、玉屋は八代目鍵屋の手代の清七が あまりに腕がよかったので、玉屋いちべえという名前を貰って独立させてもらったのでございます。 以来、大川の花火は墨田川の上流に玉屋、下流に鍵屋が船を出し、 花火の美を競い合ったのでございます。 ~用済みか 花火の如く 散るもよし~ 拙作 ~花火終え 屋台の酒に 身投げする ~拙作 笑左衛門
2024年07月30日
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定斎屋(じょうさいや) ~ええっ、 定斎(ジョサイ)でござい~ 暑い夏が来て町の衆がへばった頃に 聞こえてくるのが定斎屋の売りの声であった。 暑気あたり、夏負けしない、腹痛など、夏の諸病に効能があるという 定斎の薬売りの行商で、 定斎屋の売り子は、茶色のはっぴ、腹掛、股引、脚絆、 草鞋掛けで、商売柄、どんなに暑い日差しに照り付けられようとも、 笠など被らず、薬の効能の宣伝のため、日射病などに罹るものかという心意気 で江戸の暑中を売り歩いたのである。 ~薬能を笠に着て居る定斎売り~ ~江戸川柳 ~定斎屋は 色の黒いのが自慢なり ~ 江戸川柳 定斎屋は三人が一組で、 二人が小さな柳行李のような容器を方からぶら下げて歩り歩き、 一人が相当重そうな漆塗りの古風な薬味箪笥一対を これもがっしりした樫の棒で担いで、 ゆっくり腰で調子をとりながら歩く。 薬箱の抽斗(ひきだし)についた金環が その歩みにつれて、 カッタ、カッタといい音が鳴るのは わざと、いい音がするようにこしらえてあるのだった。 カタカタカッタ、カタカタカッタ、 と、鐶(かん)が揺れる音が響くと、町の家々では 「ああ、定斎屋がきたな」と知るのである。 定斎という薬は、堺の薬問屋村田定斎が、明の薬法から考案した煎じ薬で、 この薬を飲むと夏負けをしない、夏期の諸病に効能がるといわれ、 定斎屋は江戸の夏の風物詩であったのだ。 ~定斎屋が来たかと思う 新世帯 ~ 江戸川柳 ~当分は 昼も箪笥の鐶(かん)がなり~江戸川柳 仲睦まじく遠慮もしない蜜月の新婚さんが 昼間からお元気で、箪笥の鐶が揺れている様子ですかね、 ああうらやまし、、 笑左衛門
2024年07月25日
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笑左衛門残日録 92 蚊の川柳 夏の夜の蚊は厄介者だが あっしの川柳で笑い飛ばしておくんなせえ、、 ~間男も 尻蚊に刺され 退散す~ ~ああ痒い 入れてはならぬぞ 蚊帳の中~ ~蚊遣り豚 でんと構えた 奥座敷~ ~遠慮なし 亭主の顔で 蚊を殺し ~ ~蚊を叩く ふりして亭主 ぶったったく~ ~悪い血も いい血も美味いと 蚊が吸いて ~刀でも 斬らねばならぬ 蚊と蠅を~ ~蚊に食われ 死んでしまうと 弱き武士~ 笑左衛門作
2024年07月20日
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笑左衛門残日録 91 蚊の極楽 蚊の地獄 江戸の町は堀やどぶに囲まれていて 蚊の湧き出ない場所がないくらいでございます。 とりわけ、本所、浅草下谷、ともなれば、 蚊の名物と云われるのにたがわずまったく甚だしい。 蚊帳を吊るか、夕暮れになれば、蚊遣りを焚いて蚊を防がなければ、眠りにつくことができない。 何とか、眠れたかと思いきや、 ぶーんぶーんとうるさい蚊がどこからかやってきては、 俺様の血を狙って吸う、痒い痒い、 江戸の夏は虫の天国なのだ。 寝静まった夜にやってくる吸血鬼め、 たった一匹の蚊に人生を狂わされてしまう者もいたそうだ。 夜中に起き出し、刀振り回し、蚊と関ヶ原の一戦を交えるが、 蚊の方も素早く、なかなか斬り落とすことができなくて、 べそをかく夏の夜の浪人も多いのだそうだ。 ~夜の蚊も 娘ほどには 捕まらず~ 拙作 ~夏の月 蚊を疵にして五百両~其角 なんて、蚊に刺されることより月を楽しめる 悟りの境地に入れればよいのですが、、 江戸の蚊の小噺をひとつ いい月夜でございますから、涼みたいのでございますが、 蚊がぶんぶんきて食われれば痒いですし、 蚊帳を吊ればうるさいし、熱苦しいし、 ええいっ、しかたがねえ、 ~そんなに蚊が来るなら、来ないようにすればいいじゃねえか~ ~こないようにったって、こればかりはしょうがねえよ~ ~おめえは、知恵がねえからいかねえ、 いいか、蚊遣火を焚くんだよ、 日暮れからどんどん燻しをかけると、蚊が苦しがって みんな二階に逃げていくだろうよ、 そうしたらな、梯子を外すのだよ、、 蚊は降りてこらねえって寸法よ、、~ ~なあるほど、名案でございますがね、 果たして蚊は梯子を使って上り下りしてるのでございますか? ~落噺笑種蒔より~
2024年07月15日
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笑左衛門残日録 90 蚊遣り火 江戸の町に、 ~萌黄のか~や~~ という天秤棒に蚊帳を担って売り歩く蚊帳売りの呼び声が町中に 響く頃になって参りました。 「ご隠居、梅雨が明けたと思ったら、 長屋は虫の天国、蚊にぶよ、ゴキブリ、げじげじにイモリ、 痛くて、かゆくてかゆくて 眠れやしませんや、 御隠居はどうやって凌いでいなさるんですか、、」「ふっふっふっ、蚊帳を吊ってお筆と二人蚊帳の中だよ、、」「そりゃあ、また、暑いのにご苦労様でございますね、」「本所の伴蔵店の裏長屋じゃね、 つぎからつぎへと、どぶから蚊が産声をあげますんでね、 大家の言い渡しで長屋中で蚊遣りをやるんでございますよ、」 「そりゃあ、大ごとだね、」 「貧乏長屋じゃ、かやのきなんて上等なものは手に入らねえんで、 杉の葉、松の葉、どくだみ草や糠なんかも、盛んにくべて燻すんでございます。 家々で煙を出すので、異様な臭いが充満し、長屋中が煙に燻されるんでございますが、 そのおかげで、蚊だけじゃない、いろんな虫も追っ払うのでございまして、 鼠や蛇までも逃げ駄沿てくるんでございますよ、 まあ一石二鳥どころか一石五鳥でござんしょうね、 長屋中で煙を出すもんですから、まるで、長屋が煙草を吸ってるようで、 もくもくもく、 普段の飯炊きの煙は細いのに、蚊遣りの煙に至っては、 表通りにまで、煙が漏れてきて、火事と勘違いされて、 岡っ引きにどやされたそうでございますよ」 「そりゃあ、また本所の蚊遣りの風物詩になりそうだな、」 ~燃立て貌はづかしき蚊やり哉~蕪村 ~犬猫も 飛び出す蚊遣りかな~ 拙作 ~蚊遣り焚きかかあ亭主も 燻されて~拙作 ~蚊遣火で 蚊と間男も 追い出され ~拙作 笑左衛門
2024年07月10日
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笑左衛門残日録 89 朝顔談義2 江戸の町では朝顔が大流行していたのである。 路地の朝顔とは一味違い、花の姿も縁とり、絞りと種々あり、 色も青と白だけでなく、紅色、瑠璃色、浅黄色、柿色、藍に青、 それこそ色々あるのでございます。 奇抜な変化をさせた面白い形の朝顔を変り朝顔と申しまして、 競って珍しい朝顔を仕立てたのでございます。 珍しもの好き、驚いたり驚かせたりするのが江戸の人で、 ~えっ、これが朝顔なの!?~と、驚くこと請け合いであった。 朝顔を仕立てていたのは、植木屋だけじゃなく、 御徒町に住む御徒士組の下級武士の御家人たちも 内職仕事に朝顔栽培に精を出していたのだった。 拝領屋敷の広い敷地を利用して朝顔を仕立て、 大輪やら、珍しい変化朝顔の見事な花を咲かせていたのでございます。 三両一人扶持の貧しい御徒衆の御家人にとっては 朝顔仕立ては貴重な内職だったのでございます。 養分が豊富でよく育つというので、入谷、浅草あたりの古き土溝(どぶ)の土を浚ってきて鉢に居れ、種を撒き、鉢仕立ての朝顔にするのです。 武士の内職とはいえ本格的な朝顔仕立てだったのでございますが、 武士たるものが朝顔売りをしたのでは、武士の沽券にかかわるし、かといって、商人に頭を下げるわけに行かず、 辻番の番人が御徒組の御家人の組屋敷を廻って、 朝顔を集荷して卸問屋へ持ち込んでいたのです。 その朝顔を、彦五郎たち棒手振りが江戸の町を売り歩くのでございます。 朝顔の咲く時期には、入谷や鬼子母神だけじゃなく、あちこちで朝顔市が開かれて大いに賑わったのでございます。 浅草奥山や、上野寛永寺では、朝顔の変化の妙を楽しむ<朝顔あわせ>という朝顔の品評会が開かれていて、朝顔自慢が集まっては 朝顔の魅惑を競っていたのでございます。 ありふれた平凡な朝顔の草は誰が種を撒いたのでもなく、 誰かが世話をしたのでもなく、町のあちこちにみられ、 庭垣、土蔵や台所の前などへ種を下ろしていつの間にか咲かせていたもので、寺院の境内などでは珍しくもなくいのだが、 自然そのままに花が開く朝顔はまたひとしおの趣があったのでございます。 某(ソレガシ)の隠居所の竹垣の朝顔もその類であろう。 女たらしの二枚目なんぞは、細竹の花入れに朝顔の花を挿して毎朝、未明に女子の元へ朝顔を届けるなんてこともしたそうだ。 兎に角この時期は江戸の町中に朝顔の風聞が飛び交うのであり、 歯磨きをしながら朝顔の花を眺める光景が見られたのである。「彦五郎よ、朝顔の花の命も二三日と儚いのう、 この鉢物も後は塵となって捨てられてしまうのだろう?」「ご隠居、散るからこその風情でございますよ、 この世に散らぬ花などございませんから、」 ~朝顔の 露に浮かんだ 母の顔~ 拙作 ~朝顔や 昼餉までの命かな~拙作 笑左衛門
2024年07月05日
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笑左衛門残日録 88 朝顔談義 1 「旦那様、ほら、朝顔が咲いてますよ、、」 某の柳原の隠居所の竹垣に今朝 朝顔が咲いていたのを見つけて お筆は上機嫌であった。 「涼し気に咲く朝顔を見ていると、 昼間の暑さを忘れてしまいそうですわ。」 某と、お筆、縁側で茶を飲みながら朝顔を眺めていた。 ~人の家を 借りて蕣(あさがお)さかせけり~ そんな正岡子規の俳句があったな。 ~朝顔に つるべ取られて もらい水~ なんて優しい気持ちの俳句もありましたね。 加賀千代女というひとの俳句そうだが、それを茶化した川柳もござるぞ、 ~朝顔に ふり向く千代のから手桶 ~ 千代さんが名句を詠んだものだから、水が汲めなくて恨めしそうに井戸を振り返っているのですかねぇ、 ~翌年は 千代井戸端を去って植え ~ なんて江戸川柳もあるんだ、もらい水しなくていいように、 朝顔をほかの場所に植えるってことかな~ 拙者とお筆が朝顔談義しているうちに昼近くなった。 そこへ、彦五郎がやってきた。「ご隠居、朝顔はいかがですかな?」「何、彦五郎、朝顔の荷売りをやってるのか? もう昼だ、売れ残ったんだろう?」 「さすがご隠居の御明察の通りでございます、 なにせ、一斉に花が咲いてしまうものですから、 朝顔売りの棒手振りが足りなくてを頼まれましてねぇ、 ~あさがおぉ~ へいっあさがおぉ~ 綺麗な花のあさがおだよおぉ~ と、朝早くから声を涸らして町中を売り歩くんですが、 何しろ、朝顔というやつ名前の通り、昼になれば もう萎んじまいますから、朝が勝負なんでございます。 まだ、夜が明ける前から、四つ手の籠に朝顔の鉢を並べて、 両天秤で担い売りをして歩き、昼前までに売り切るのでございますよ、 うまく売りさばけなけりゃ、足が出て商い損になっちまうんでございます、それでご隠居に助けていただきたくてね、、」 「彦五郎、見てごらん、この隠居所の竹垣にも 朝顔はちゃんと咲いてるよ、、」 「ご隠居、垣根に咲いた平凡な朝顔とはちょいと違いますよ、 見て下せえ、この朝顔の顔の面々、 大輪の朝顔、花の形や色にも色々ありましてね、 変化朝顔と呼ぶんでございますが、珍しい朝顔の面々、 これが江戸風情ってもんですよ、」「あら、彦五郎さん、形も色も様々で楽しいわねえ、、」 「そうでございましょう、朝顔も珍品ともなれば、目玉が飛び出しそうな値段がつくのでございますよ、」 お筆はすっかり彦五郎の籠の中で咲いている朝顔に 心を奪われて目が釘付けになっていた。 ~人もなし 蕣(あさがお)の垣根 蔦の壁~正岡子規 ~朝顔や あしたはいくつ 開くやら~正岡子規 笑左衛門
2024年06月30日
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笑左衛門残日録 87江戸午睡(ひるね) 「ご隠居、どしてこう暑いんですかね、 こんなに暑くちゃ、仕事もできませんや、」 「何を一人前のようなこといいやがって、 彦五郎は仕事なんかしてねえじゃねえか、、」 とはいっても、真夏の頃には昼飯を食えば、急にだるくなり、眠気に負けてしまうことが多いのだった。 「ご隠居、植木屋も、大工も左官屋も、陽ざしを避けて、みんな日陰で肘枕ですやすや、 町のあちこちから、鼾ばかりが聞こえてますよ、」 たしかに、江戸の町の昼過ぎは、だらけておりまして、 仕事をしている者を見つけるのが珍しいくらいで、 人も犬も猫もみな居眠りしてる午后なのでございます。商店では番頭が硯箱に肘をつき、手代は算盤にもたれ、 小僧は舟を漕いでおりまして、勝手方では女中も 思い思いの忍び眠りでこっくりこっくり、 奥では子供を寝かしつけながら奥方もへの字のかたちでうたた寝、 最早夏の店の昼下がりは開店休業、何処も同じ鼾の重奏でございました。 目が覚めたころには夕食の時間となるのでございます。 「ご隠居などは、陽がかげった頃に、目を覚まし、行水で汗を流したら、お筆さんに膳に酒とつまみを用意させ、 夕涼みでござんしょう、、羨ましいご身分でございますな」 江戸の町は昼寝を終えると、もう一仕事と商いも活発になり、 暮れ六つを過ぎれば、屋台で腹ごしらえをするのだった。 蕎麦屋、天麩羅、鮨、の屋台にも行灯の灯が入り、 町も賑やかになるのでございます。 居眠り川柳、笑左衛門拙作 ~昼寝して 肘が痺れて 動けない~ ~人様も 犬猫鼠 鼾かな~ ~遠慮なし 番頭小僧 鼾かき~ ~昼寝中 商売繁盛 夢見てる~ ~赤ん坊 昼寝の親を おこすなり~ ~開いた口 かかあの午睡 鼾(いびき)と屁~ 笑左衛門
2024年06月25日
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大江戸色事情 3 ~江戸川柳~ 色男はね、顔じゃないよ、笑わせ上手な洒落のわかる男がいいねえ、 素人娘はおきゃんがいいねえ、元気がよくて明るくて男の子っぽいのがたまらねえ、 <俺あ(おりゃあ)湯ぅつぅぺえぅてくらあ、>ぐらいの男言葉を話す娘がいいなあ、 女不足の江戸の町は女上位でございますが 女にびれつく、へつらってるような軟な男はたかが知れてると、 娘にも相手にされない。 男は粋でなくちゃ娘にやもてやしねえ、 さしずめ粋な男とは、損得無しで物事にこだわらずにさっぱりしてて色気があって、さばけた男ってところかな、 てなもんで、男は、尻っぱしょりで、<ケツまくり、尻を見せ> ~てやんでぃ、、べらぼうめぃ!~ と、胡坐をかいて啖呵を切って見せるのだ。 褌から毛がはみ出しちゃ男も台無しなんで、無論のこと、 湯屋にいっちゃあ、毛切り石で除毛してるんでございますよ。 男が粋に暮らすってえのもてえへんなことなのよ、 お妾が 閂外す 夏花火 あたぼうよ 銭も情けも 大川へ 夏花火 粋と無粋が にらめっこ 笑左衛門拙作川柳でございました。
2024年06月20日
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大江戸色事情 2 ~江戸川柳~ 本所深川、路地を挟んで六軒づつが向かい合う12軒の裏長屋、 壁に耳あり障子に目ありで隠し事もままならず、 井戸も雪隠もお稲荷さんもみな一緒、 助け合って仲良く暮らすのが長屋でございましてたが、 江戸は女不足でございまして、長屋に女房がいるのは 運のいい奴か、甲斐性者で、長屋にはよくて、二三軒にしか 女房殿はおりませんでした。 女房達が井戸端に集まって賑やかに世間話をしている長屋なんぞは とんと見かけません。 てな具合でございますから、女房持ちの亭主が留守ともなれば、 長屋じゅうの独り者が愛想よくおかみさんの世話を焼きだすのでございます。 井戸端であえば水を汲み、洗濯に洗い物に手を貸し、 戸の立て付けを治しましょうか、障子を張り替えましょうか、 仕事帰りには土産に饅頭を買って届け、古着屋で腰巻まで買って届ける者までいる のでございます。 おかみさんとの密通目的のおためごかしの親切だってことは見え見えですがね、 こんな具合ですから、焼餅やきの亭主は心配で心配で、 長屋を出ることもできず、仕事にも身が入らない、 だからといって、ずっと家にいて女房を見張るわけにもいかないのですが、 男だったら覚悟を決めて、ちょっとの間男には目を瞑り、 <俺が亭主だ!>と、亭主然とするのが裏長屋の亭主というものだと、 大家からえられたものでございます。化粧して 夜這いを待つ夜 裏長屋 無粋かね 夜這いに備え 湯屋に行き褌が 乾いた頃に 夜這いかけ笑左衛門拙作の川柳でございました
2024年06月15日
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大江戸色事情 1 ~江戸川柳~ <人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ> なんて申しますが、 男と女の間には愛さえあれば飯もいらぬと、愛の助 愛よりは恋でござんす、押したり引いたり男女の駆け引きが 面白いのでございますよと、恋太郎、 何をおっしゃいますか、愛だの恋だの男女の間は色でございますよ、 惚れちゃいなくとも一夜の夫婦の契りもあるじゃござんせんか、 まどろっこしいことは抜きにした手っ取り早い色でございますよと、色左衛門、 今も昔も色事に色分けはなく、 男は助兵衛で女は好色なのでございましょうね、 遊女が明日をも知れぬ渡世人に見初めたり、 旗本が娼婦に惚れこんだり、愛にも恋にも無縁な男女が 惚れ遊びをするのがお江戸でござりましょうか、 出合茶屋 すました顔で 待つ花か 出合茶屋 さかりのついた 犬を待つ不義密通 燃えて消えゆく 町の灯か はて、愛?恋?色? 笑左衛門拙作の川柳でございました
2024年06月10日
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王子の狐 伊勢屋稲荷に犬の糞なんて江戸の町は揶揄されておりすが、 伊勢屋という名の店は木綿や紙・荒物・椿油・菜種油・茶などを商う「伊勢屋」の看板が目立が小間物屋、炭屋、油屋、質屋、味噌屋、そば屋とどこにでもがざいまして、 「ちょいと、伊勢屋に行ってくる」じゃ、どこへ行くのかわからねえくらいでございました。 江戸の町じゃ、野良犬がウロウロしていて、道から店の前から神社仏閣にも、 遠慮なしに犬の糞が転がっておりまして、 小僧の朝一番の仕事は犬の糞片づけだったそうでございます。 稲荷、お稲荷さんも数えきれないほどございました。 大名や旗本の屋敷内に、武家屋敷にも、町屋の屋敷にも、旅籠にも、 料理屋にも、出会い茶屋にも、裏長屋にも、稲荷神社がございました。 吉原遊郭には五つもの稲荷神社が祀られていたのです。 屋敷内に稲荷社を勧進できない庶民は辻々の角にお稲荷さんを祀っておりましたし、裏長屋の狭い路地にも必ずお稲荷さんはございました。 そのお稲荷さんには神様のお使いと云われている狐がいらっしゃいまして、 好物の油揚げをお供えして、願い事を祈願していたのでございます。 ところが、神の使いのお狐様にも人を騙す悪戯好きの狐もいたのでございます。 コンコンコン、それが王子の狐と呼ばれておるのでございます。 関東八州の稲荷神の総社の王子稲荷神社には、 稲荷の使いである狐が榎の下で身なりを整え、初詣をする狐火の行列が見られるという言い伝えがございます。 さてさて、その王子の狐の悪戯話でございます 大名屋敷へ出入りの道具屋の定七が 殿様から毛巾着を頼まれたのでございます。 定七は王子の稲荷の帰りに本郷の露店に立ち寄り、狐の皮の煙草入れと、狐の尻尾を煙管入れの筒にしたものを買い求めた。案外と安く買えたので、これで今日の小遣いはできたとばかり、居酒屋の暖簾を潜って上機嫌で酒をたっぷり飲み、ついでに小僧の土産にまあるい唐の芋を二つばかり買い、 暮れ方の江戸の町をふらついていると、「旦那、どこへ行きなさる、駕籠はいかがかな、」と、駕籠屋がしきりに勧めた。「市ヶ谷まで百文でよいか、」 エイホッ、エイホッ、 籠賃を値切って駕籠に乗り、お茶の水の近くまで来た、 その時、後ろを担いでいた駕籠屋が肩を替えようと 立ち止まった拍子に定七の着物からはみ出していた、 狐の尻尾の煙管入れに気が付いて、 相棒に「これ見ろ」と、目くばせをした。 二人は不思議そうな顔で、「お客さま、あなたは王子からの帰りだとおっしゃいましたが、市ヶ谷はどこまでいらっしゃるのでございますか?」と、聞いたのだ。「茶の木稲荷の側だよ。」と、答えた。茶の木稲荷は将軍様や大名、旗本からも尊崇を集めている 立派なお稲荷さんだったので、駕籠屋は大いに喜んだ。「おいっ、相棒、今年は運がいいぞ、もし、旦那お願えがございますだ、」 「何だ酒手(心付け)か?」「とんでもねえ、旦那のようなたっといお方にそんなことを申しちゃ罰が当たりますよ、どうぞ、わたしめらに福をお授けくださいませ、」はて?俺を狐と勘違いしてると、道具屋の定七も気が付いて、 腰を探って、狐の尻尾を振って見せ、うまく狐になりすました。 駕籠が市谷亀岡八幡宮・茶ノ木稲荷神社の前に着くと、 定七は重々しい仕草で、「これは.由緒ある擬宝珠(寺院の廻縁の欄干飾り)の玉だ、とっておけ、」と、唐の芋をひとつづつくれてやったそうだ。駕籠かきの二人は「ありがたや、ありがたや」と、伏し、拝みながら別れていったとさ、その様子を藪の陰から見ていた王子の狐が二匹互いに目を合わせて、「今のを見たか。」「うん、人間にはかなわねえ、、」 江戸小噺より、笑左衛門脚色
2024年06月04日
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お犬様のお伊勢参り 後編 ~犬が西向きゃ 尾は東~さてさて、犬の夢の助、一路伊勢路へ向かって走りだしたのである。 日暮れになれば、街道筋の人家の前にじっと座る。 家の者が不思議に思うが、首に巻かれた木札を見て、お伊勢参りの犬とわかれば、丁重に家の中に入れ、食事をあたえ、体を拭いてくれた。 竹筒から食事代として若干の銭を頂く家もあるが、 逆に立派な犬だと、祝儀をくれる家もあり、 夢の助が主人の白金屋縞右衛門から預かった路銀が不足することはなった。 犬の夢の助はこうして街道の家に世話になり、泊り、夕食朝飯を食いそびれることなく旅を続けることができた。 箱根の関所でも、役人が夢の助の頸に掛かった木札を見るや、 「感心な犬じゃ、気を付けて参れ、」 と、関所破りすることもなく旅をつづけられた。 街道で出会う人々は犬のお伊勢参りにびっくり仰天し、感心し、 「お伊勢参りのお犬様だ、お利口な犬だこと、」 「てえしたもんだよ、おらの息子も見習った方がいい、」 と、頭を撫ぜては、心付けをくれたり、おやつをくれたりしたのだった。 伊勢も近くなれば、街道は参拝者が行き交って賑やかになり 伊勢参りの参拝者のための握り飯などの炊き出しも見受けられ、 夢の助も昼飯にありつくことさえできたのだった。 また、伊勢参拝の人が泊る宿に夢の助が泊まることもあった。 宿の者も偉いお犬様だと、喜んで夢の助を迎え、体を拭いて、 食事を出し、心付けの銭までくれたのだった。 犬のお伊勢様の代参で、すっかり人気者になった夢の助が伊勢に着くころには 銭が竹筒にはいらずに巾着袋の中にも溢れ、首がずっしりと重たくて難儀したほどであった。 親切な人に出合いながらの伊勢道中が夢の助は楽しくて仕方がなかった。 こうして、江戸から126里(504キロ) 夢の助は十日を重ね 伊勢神宮にたどり着いたのだった。 伊勢神宮本宮前には、ぴたりと身を伏せて頭を下げた犬がいたという。 伊勢神宮の宮司から頂いたお神札(おふだ)を竹筒に納めると 頭を二度下げ、わんわんと、二拍手し、もう一度頭を下げ、 人並みに、二礼ニ拍手一拝をきちんとして、来た道を帰っていったという。 それを目にした参拝者たちは 「ひえーっ、犬が立派に参拝してる、江戸から来た犬と云うじゃねえか、 感心な犬だ、すごい犬がいたもんだ、、」 と、いう風説が瞬く間に江戸の町まで流れたのである。 日本橋白金屋縞右衛門の店に帰参した夢の助に 白金屋縞右衛門は感謝感激で、 「夢の助、伊勢の参拝から帰ったか、あっぱれじゃ、見事な犬じゃ、、」 と大喜びし、竹筒から取り出した御神札を神棚に飾って手を合わせた。 江戸の町の方々からお伊勢参りした犬を一目見ようと店にきて、 夢の助の頭を撫ぜに来る日が続いた。 おかげで店は大繁盛し、越後屋を凌ぐほどだったという。 だが、夢の助は、ただ店先に座わらされ、頭を撫ぜられているだけで、 こんな日がずっと続くのかと思うとうんざりしていた。 夢の助は楽しかったお伊勢の旅にもう一度行きたくて うずうずしていたのだった。 或る日、主人の縞右衛門に懇願した。 縞右衛門の目をじっと見て、わんわんわんと、吠え続けた。 縞右衛門には何で夢の助が吠えだしたのかわからない。 夢の助は自分の思いを伝えようと、一時も吠え続けたという。 閉口した縞右衛門は「こら、黙りなさい、客が驚いているではないか、」 それでも、夢の助はお伊勢参りを必死に訴えて吠え続けた。 縞右衛門はついに堪忍袋の緒がきれてしまった。 「うるさいぞ!、お前なんぞ、どこへでも行くがいい、」 と、夢の助を店先から追っ払ってしまったのだ。 すると、人々は 「白金屋縞右衛門は残酷な人だ、夢の助が可哀そうだ、」 という風評があっという間に広まり、店に客はばったりこなくなり、 二年も経たずに白金屋の店はにっちもさっちもいかなくなって 人手に渡ったそうだ、 夢の助は白金屋を追われてから、行く当てもなく、 江戸の町中を放浪していた。 だが、野良犬には野良犬の仁義があり縄張りがあって、 独り犬の夢の助はなかなか餌にありつけなかった。 それどころか、石をぶつけられたり、武士には試し斬りにされそうになり、 浮浪者には犬鍋にされそうにもなった。 独り犬が生きていくのには厳しい現実があったのである。 夢の助は、腹をすかし、すっかり痩せて、体は汚れ、 かっての凛とした風貌は見る影もなかった。 一方、白金屋を引き継いだ、正直屋正太郎は客が少ない店を その名の通り、駆け引きのない地味で正直な商いを細々としていた。 そんな店先に、伊勢への旅が忘れられずにいた夢の助が、 夢を再びと、ふらふらと現れたのである。 その店は白金屋縞右衛門の店ではなく、正直屋正太郎の店先であった。 やつれて痩せて汚れた犬であったが、哀れに思った正太郎は飯を食わせ 体を洗ってやった。 二三日もすると、犬は元気になって凛とした風貌に見違えたのだった。 「もしや、あなたは夢の助ではないのか、」 正太郎がそう問うと、 ~わんわん、~答えてしっぽを振ったという。 正直屋正太郎は夢の助がお伊勢参りをした犬のことは知っていたので、 「夢の助、またお伊勢様の度に行きたいのかい?」 すると、夢の助は わんわんわんわんわん、と大喜び、尻尾がちぎれんばかりに地面を掃いたという。 こうして、夢の助は正直屋正太郎に準備をしてもらい再び伊勢へ旅立ったというのだった。 笑左衛門
2024年05月30日
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お犬様のお伊勢参り 前編 ~犬も歩けば棒に当たる~ 「ご隠居、死ぬまでに一度はお伊勢参りに行きたいんですがねえ、、」 「彦五郎、銭がなくとも男は度胸だ行っといで、、」 江戸人なら、一生に一度はお伊勢参りに行きたいと願っていた。 裏長屋にすら伊勢参宮を目的の伊勢講があったほどだ。 我慢できずに丁稚や若い者が店の主人や家族に黙って伊勢参拝に 出かけてしまう「抜け参り」をする者までいたという。 それほど、お伊勢参りは江戸人の夢の旅であった。 「彦五郎よ、日本橋の白金屋の夢の助という名の犬がね、 お伊勢参りをしてきたってえから吃驚仰天ぶったまげたよ、 犬だって自分の才覚でお伊勢参りしてきたんだ、 彦五郎も自分でやってこそ、本当のお伊勢様参拝になるんだよ、 いいかい、夢の助の話を聞かしてやろ云うじゃないか、、」 日本橋の呉服問屋 白金屋縞右衛門の店先に犬が座って動かない、 追っ払っていみても懲りずにすぐに戻ってきて店先に座り凛として動かない。 だんだんに愛らしい犬の仕草が店の前を通る人の人気となり、 その犬が店先に座っていたおかげで客が増え越後屋と肩を並べるような大店になったのだった。 白金屋縞右衛門はこの犬は縁起がいい、招き犬だと褒め称え、 犬の面倒を見、夢の助という名前をつけた。 白金屋縞右衛門は店を大店にするという夢が叶ったが、 生涯に一度は行きたいと思っていた、お伊勢参りが膝に痛みがでて、 諦めなくてはならぬのが 残念であった。 縞右衛門は年に一疋、二疋の犬が伊勢詣でをしているという風説を耳にしたことがあった。 伊勢屋稲荷に犬の糞と云われたくらいに江戸の町町には少なくとも5,6疋の犬がいたし武家屋敷や、寺院では犬を飼っていて、江戸中で五千疋はくだらない犬が住んでいただろう。 犬将軍と呼ばれた五代将軍徳川綱吉公以来、人間と犬は仲良く暮らしていたのであり、犬がお伊勢様の代参をしたこともあるだろうと縞右衛門は察し、 夢の助にお伊勢参りの代参を頼んでみることにした。「おいl夢の助、儂も死ぬまでに一度はお伊勢参りをしたいもんじゃが……歳も歳だし、脚も悪くなって行けそうにもない、ここはひとつ、わしの替わりに夢の助にお伊勢参りの代参を頼みたいのだがどうじゃろうかのう、、」 すると、夢の助、大いにしっぽを振って、 「う~~~わんわんわんわん、、」 と大喜びしたというのだ。 犬も歩けば棒に当たるというが、この犬の場合は犬も座れば棒に当たるいうことだったようだ。 早速、犬の夢の助の伊勢詣での準備が始まった。 道中でかかる路銀を入れた竹筒を犬の頸へ結いつけ、 白金屋縞右衛門のお伊勢参りの代参をするおかげ犬であるという関所手形の木札と、白金屋の書付を入れた大島紬の巾着袋を頸からぶら下げた。 そうして、犬の夢の助のおかげ参りが主人の白金屋縞右衛門以下店の者に送られて、日本橋を旅だったのでございます。 笑左衛門
2024年05月25日
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塩話2 渋皮痩右衛門 初雪や 塩屋あっち舐め こっち舐め 渋皮痩右衛門はその名の通り、やせ細った体で、 とても力仕事などはできないやせ細った体つきであったが、 病に臥せった父を養うためにも働かなければおまんまが口に入らないのだった。 可愛そうだねとおっしゃるが、深川黒江町の 極貧裏長屋、通称なめくじ長屋の住民はその日暮らしにみな汲汲としている似たり寄ったりの貧乏所帯であった。 なに、今日飯が食えなくたって、明日食えればそりゃそれでいい、 なんとかならあなと、くよくよしちゃあいない。 病気の親を抱えた女子、博打狂いの親に泣かされてる家族、 子供は蜆売り、女子はつけ木売り、男は下肥汲み、 荷揚げ人足、駕籠かき、棒手振り、母親は紙屑拾いに夜鷹 みなその日稼ぎのその日暮らしだった。 さて、その渋皮痩右衛門も病の父親を抱えて、 日銭を稼がねば、おまんまにありつけない有様であり、 塩売りの棒手振りに出掛けるのが常であった。 だが、その日はあいにく昨夜から雪が積もっていて、 江戸の町は歩くのでさえ、難儀であった。 じゃあ、休んじまえばいいじゃないかと気楽におっしゃるが そうもいかない、「なあ、痩右衛門よ、雪の日こそ、客が待ってるんだ、 こういう日に商いをすれば、声もかかり塩も売れ、 普段なら40文の稼ぎが100文になるかもしれないよ、 雪道には気を付けて頑張って商いしておいで、」 「へいっ、売ってめえりやす、」 日本橋北新堀町の塩問屋赤木屋の番頭に背中を押されて 渋皮痩右衛門は塩を乗せた天秤棒を担いで店を出た。 塩問屋赤木屋の塩は下りものの十州塩田の塩ではなく、 値段の安い行徳村の塩だったので、本所深川辺りの貧乏長屋に 重宝されていたのだが、なにせ、日本橋からは 荷を担いで両国橋を渡らなければならなかった。 雪道に重たい塩の荷、案の定雪道に足を取られて渋皮痩右衛門は すってんころり、蹴躓いて転んでしまった。 真っ白な雪の上に 真っ白な塩を分撒いたのであるから、 塩がどこへ毀れたか見当もつかなくなって、 雪の中を舌で舐めまわして塩を探しているのだからいるのだから情けない。 ~塩を売っても手を嘗める~ なんてケチな話ではなく、顔中雪まみれ塩まみれなのである。 まさに~傷口に塩~ ~痛む上に塩を塗る~の様相であった。 ~蛞蝓(なめくじ)に塩~なんて故事があるが今の渋皮痩右衛門はまさに蛞蝓であった。 ~塩売りは転んだ雪をなめて見る~ ~雪の道塩屋転んで手におえず~ こんな江戸川柳があったぐらいだから、渋皮痩右衛門だけじゃなく、 塩屋の小僧が雪の道で塩の入った荷箱をひっくり返すことはざらにあつたようだ。 もし,小僧が砂糖屋の荷を担いでいたなら、 誰もが雪の中をぺろぺろ舐めまわして砂糖の在処をさがしてくれたであろうが、しょっぱくて安い塩が相手じゃ誰も振り向いてくれることもなかった。 ああ、悲しや哀れ塩売り痩右衛門 上杉謙信が塩不足に悩む宿敵・武田信玄側に塩を送って助けたという逸話が由来の、~敵に塩を送る~という話もあるのだから、 どなたか、痩右衛門に塩を送っていただけませんか? 塩屋に塩を送るだって? ちょいとそいつは~河童に塩を誂(あつら)える~とでも申しましょうか、見当違いでございましたね 笑左衛門
2024年05月20日
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塩話 1 青菜に塩 徳川家康は側室の阿茶の局に、 ~この世で一番うまいものは何か?~と、尋ねると、 ~それは塩でござりましょう、山海の料理も塩の味付け次第にございまする、 また、一番まずいものも塩でございます、 どんなにうまいものでも塩味が過ぎると食べられなくなります~ なるほど、~うまいまずいは塩かげん~ということか、 徳川の御政道にも塩加減が肝要というわけじゃな、 徳川家康の江戸の町づくりに欠かせなかったのが水と塩であった。 江戸には十州塩田と呼ばれた、瀬戸内海周辺の10カ国(播磨、備前、備中、備後、安芸、周防、長門、阿波、伊予、讃岐)の塩が塩廻船によって運ばれ、江戸日本橋北新堀町の秋田屋,長島屋,渡辺屋,松本屋の4軒の塩問屋が下り塩を一手に引き受けていた。 だがそれだけでは人口の膨らむ江戸の塩は賄えず、 徳川家康は戦国時代から塩業が盛んであった下総の行徳村の塩を江戸へ運搬するため、水路を整備した航路が小名木川で、別名塩の道とも呼ばれた堀であった。塩を運搬する船は行徳船ともよばれ、日々運航して塩を江戸へ運んだ。 江戸では十州塩田など西国からの塩を扱う下り塩問屋と行徳塩田など関東の塩を扱う地廻り塩問屋や塩仲買が江戸幕府の公認を得て株仲間を組織し、塩の価格の安定に努めた。 ~値段の安いもには塩を第一とすべきと、 生きていくのに欠かせない、塩の値段に関して幕府は厳しい統制をしたのだった。 俗に ~塩を舐めて金を溜める~と云われたことでも、 塩が安価だったのを証することができるのではないだろうか。 その重くて安価な塩を江戸庶民に売り歩く者も一苦労であった。 ~足腰が達者で家業の資銭(もとで)のない者は、 世渡る道も随分ある中に、塩売りなどの仕事に就いた。 その商う籠、桶、桝、天秤に至るまで、 塩問屋から貸し与えられ、塩の売り上がり銭と、残った塩と清算して、その日の得た利益を貰って糊口をしのぐものとする。~ せいぜい、日銭は40文がいいところで、大工の十分の一であった。 塩の棒手振りの商いは重い荷なのに老人が多かっあという。 塩籠と桶を天秤に掛けて、荷うのがありかぶせ蓋、堅長桶(たてながおけ)を二つで商う棒手振りもいたという。~えっ~塩ぇ塩~と呼び歩く~ その売り声が江戸の町で聞かれない日はなったという。絵本風俗往、来蘆の葉散人参考より、 笑左衛門脚色
2024年05月15日
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お江戸恋し歌 銭なんか 貯めちゃ江戸っ子じゃねえやと 啖呵切ってる亭主を笑い 飯を食わなきゃあすこも立たずと女房云うなり 江戸暮らし 淋しかないよと 虚勢をはるが 逃げた女房は 帰らぬままで 長屋で独り酒かね 人情長屋は 映画の中だけ 江戸が好きです 時代劇が面白いです いつかは江戸で暮らしたいと思います お前さん甘えお人だね 江戸はねえ あまりに遠しだよ 笑左衛門
2024年05月10日
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金泥棒 泥棒が入ってきていきなり、 「金はどこにある、さっさっとみせろ!」 「うちの亭主の金には苔がはえてるんで、泥棒さんの金を拝ませてくれ」 女鼠小僧の椿小僧見参、「金は何処にあるんだ、早く出しな」 寝ぼけ眼の伝吉、「へいっ、」と、立ち上がる、 破れふんどしからこぼれた金、「まあ!佐渡の金山、金が出た、御立派御立派」 小ちん者の、、、、 ~江戸小咄、笑左衛門脚色~
2024年05月06日
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出会い茶屋 「よっ、おなえちゃん、下忍池(シノバスノイケ)じゃ、女郎花(おみなえし)のちっちゃな黄色い花が男が恋しいと揺れてるよ、」 「そう、たしか女郎花の花言葉は はかない恋だったわね、、」 「おなえちゃん、知ってますね、”女郎花少しはなれて男郎花(オトコエシ) ”なんて歌もあるんだよ、一緒に見物に行かねえか? みたらし団子でも食って出会い茶屋で遊ぼうじゃないの、、」 「男郎花の伝吉さん、助兵衛心はお捨てになって凛々しく一人咲きなされ、」 上野東叡山は桜の名所で有名でございまして、麓には不忍池(しのばすのいけ)があります。夏には池を覆い尽くす勢いの蓮の花が咲き乱れて咲くのですが、池の周りは、篠、萱、薄が背丈ほども生い茂り、忍のには持ってこいの場所でございました。 秋にもなれば、女郎花(女郎花)も咲き乱れ、冬には鴨、鷺、川蝉、などの水鳥が池にたわむれて、四季を通じて、江戸庶民には人気のある場所でございます。 その下忍池に突き出た弁天島には中島をぐるっと取り巻くように、蓮の茶屋、池の茶屋などという出合茶屋が軒を並べていた。 出会い茶屋は男と女がなにする隠れ場所で、人目を忍ぶ男と女がすっと入れるよう目立たないように営業するのが商売のこつでございまして、下忍池の周りはそんな条件にぴったりで、出会い茶屋の窓からの景色も趣もあり、大いに繁盛していたのでございます。 ~茶屋は茶屋でも出会い茶屋~ ~不忍(シノバス)といえど 忍(シノブにいいよころ~ ~先へ来て めん鳥池に待っている~ ~白鳥の首ほど伸ばし女待ち~ どうも、女が先に来て男を待つのが江戸流でしょうか、 人妻の出会いは命がけ、それでもするのが浮気かな ~寝ないのは 銭にならぬと池の茶屋~ ~蓮の飯二人前で一分なり~ 出会い茶屋も商いでございますからね、 蓮見茶屋では蓮の飯が出るが、その値段が金一分(約千文)とは随分高いもんでございますね、大工の日当が500文、裏長屋の家賃が500文でございますよ、 無論、二人は飯を食うだけではないのですがね、、浮気は高い、、、 ~出会い茶屋 危うい首が二つくる~ こんな川柳もございますよ、、 女房の浮気を見つけたら二人とも殺してもよい、御定法にはではこうなっているそうで、、、 くわばらくわばら、出会い茶屋、、、 笑左衛門
2024年05月02日
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笑左衛門残日録 85 空蝉 隠居所の庭の老木に腑抜けのような蝉の抜け殻が風に煽られ、 枯れ枝に未練たらたらぶら下がっていた。 老残のわが身に重なる思いの空蝉である。 ~空蝉や あっという間の 七日かな~ ~空蝉が すがる老木 月の夜~ ~空蝉を 手でもてあそぶ 裏長屋~ ~無念なり やり残すこと 蝉の殻~ ~寒風に 跡形もなし 武士の傷~ 笑左衛門作
2024年04月29日
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笑左衛門残日録 84 己の葬式どうあるべきか~散る桜 残る桜も 散る桜~ 良寛辞世の句 ~死に方迷い うろうろしてて 穴につまずく 冬の蠅~拙作都都逸 ~死んでしまえば 犬の糞より 始末の悪い へぼ人生~拙作都都逸 空でお道化てた奴凧が空っ風に煽られ地面にたたきつけられて ぺしゃんこになって泣いていた。 長生きしたいとも思わぬが、明日死んでもいいとも思わない、 食えなくなり、酒が飲めなくなればそれで終いだ。 某が死んだら、親族どもが寄り集まって相談し、 菩提寺に寺使いを使わせ葬式の日取りを決めると、棺屋から棺桶が届く。 やがて、聞き及んだ者、一人二人と集まり 沐浴させて、経かたびらを着せられ、桶(棺)に入れられ、 木綿の袋を桶に被せるのだ。 藁で龍頭を作り、紙の幡を作って野辺送りの支度をし、 隠居所から棺をかついで墓地まで列をなしていき、 墓掘人が掘った穴に亡骸を埋める。 盛られた土の上に戒名の書かれた墓標が風に晒されていることだろう。 葬儀が終えれば、親類や葬儀の手伝いを行った者には酒と飯の振る舞いがあり、 ~笑左衛門さんはいい人だった~~惜しい人を亡くした~ ~誰にでも優しかった~ などと、お世辞だらけの哀悼の意を示し、酒を呑むのだが、 行儀の悪い者は飲みすぎてくだをまく者もいるだろう。 さて、己の葬儀がそれでよいのかどうか? そもそも、死出の旅立ちの方法をまだ決めていないのである。 死んだら何が残るのか、死んだらどこへ行くのか、 坊さんは、死後の世界があるというが、いやなにもありゃあしない、 朽ちて虫に食われて消えてしまうだけだと信じている朋輩もいる。 いざ、死期が近づくと不安になるのだ、怖いのだ、 そこへつけこんで坊さんは供養だとか言いながら銭を貢がせるのだ。 死後にはなにもない、なにもないのだ、蛙や蟻が死ぬのと同じこと。 人間だけに天国や地獄があるはずもなく、もしあれば、 天国はもう人口過剰で溢れ、地獄へ突き落とされてしまうのだが、 その地獄も人で溢れかえっていて、落ちてゆくこともままんならぬ。 拙者はそう思うておる。 だから、死んだらば、葬式もいらない、墓もいらない、見送りもいらない、 坊主のお経もいらない、戒名もいらない、 汚らしい屍骸を野っ原に埋めてくれればそれでよし、 ~余を葬るに分を越ゆることなかれ、墓石を立てることなかれ~ 二宮金次郎様とおなじでよい。 没して100年も経ればそんな人がいたのかと、 この墓は誰のものだったのかと、 忘れられてしまうのが世の常である。 往生際の悪い奴よ!なにをくよくよざわめいておるのじゃ、 洒落た辞世の句など詠めそうにもないが、 残日録も名の通り、あと幾日書けるかと思うこの頃である。 笑左衛門
2024年04月25日
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笑左衛門残日録 83 往生際 ~鬼平も 銭形平次も 金さんも みんな散ったよ ああ江戸桜~ ~盥(たらい)から 盥へうつる ちんぷんかん~ 盥で産湯に浸かり、死ぬときも盥で体を洗い清められる。 その間の人生、ちんぷんかんぷんだったとさ、 小林一茶 まるで、廃屋が風に揺られてがたがたと、 屋根が飛ばされ、壁板が朽ちていくように、 足音を立てて、己の体が病み痛んでいく、 老いることなどにいいことはなにもなく、 ただ淋しく、悲しく空しい気持ちになるだけなのだ。 励ましなどというのは、まだ蘇ることが期待できる、 若い身に言えることであって、老いたるもの身には老いたことにただ 疲れてしまってゆくのだ。 ~もういいのではないか~と、ふとそう思わされるこの日頃だ。 昨夜など、三途の河原の鬼婆がおいでおいでと手を振っている夢を見た。 死ぬ時が迫ってくるのを感じているのである。 日を追うごとに体のあちこちが不都合になってきて、 いやでも”いよいよだな”と感じるのである。 犬や猫でも死期を悟るという、 人間だとて、自分の死期ぐらいは解せなくてどうする。 産まれる時は他人任せだが、死ぬ時期、死に方は 己で選ぶのが武士としての生き様であろう、 野暮で、卑陋(ひろう)で無様な死に様を晒しては武士としての矜持にかける。 某、とっくに武士を捨てたはずなのにこのていたらくである。 死に様にもいろいろあろう、 自害 切腹、病死、急逝、焼死、飢え死、衰弱死、衰死、殪死、 暴死、垂死、惨死、殉死、徒死、浪死、 犬死、 無駄死、悶死、変死、怪死、獄死、狂死、餓死、頓死、 斬死、野垂れ死、嬉死、笑い死、恨み死、満足死、苦死(くし) 怨死、思死、慚死、縊死相対死、腹上死なんてのもある。さて、どれを選ぶべきか、自然死か安楽死か、尊厳死にするか、糖尿など気にしている場合ではない、毒饅頭でも食らって往生するか、 最早決断の時が迫っているのである。さもなくば、己の意思もままならぬ間に死を迎え、 寺の土に埋められてしまいかねないのである。~ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ~ 百人一首、紀友則笑左衛門
2024年04月18日
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笑左衛門残日録 86 鯉のぼり ~鯉のぼり 雨にうたれて ぐだぐだに~ ~空に舞う 元気な鯉が うらやまし~ ~武家屋敷 競っているよな 鯉のぼり~ ~柳原 見下ろして見る 鯉のぼり ~ 神田柳原土手から見る武家屋敷の屋根屋根から 鯉のぼりが風に吹かれている、 ~柳原 見下ろして見る 鯉のぼり ~ いい季節だ 晴れ晴れする青空に恋が舞っている。 ~江戸っ子は五月(サツキ)の鯉の吹流し~ ~江戸っ子はね、口は悪いが、気性はさっぱりしていて、鯉のぼりが風に吹かれて泳いでいるように、腹にはこだわりがなくて、腹の中は空っぽの吹き流しだよなんて 云われますがね、お筆さん、その鯉の吹き流しが某(ソレガシ)にはできないのですよ、 今だに、奉行所の上司だった与力の斎藤様のいじめを忘れられずに根に持ってるんですからね、江戸っ子じゃありませんね~ ~笑左衛門様、わたくしなんぞは産まれた時に母上が、 「あら女児だったわ、不本意でございます、残念です!」 と言われましたのよ、 この世におぎゃあと、産まれた時に聞いたのが母の冷酷な言葉でございまして、 未だに恨んでおりますのよ、おほほほほ、お腹の中が空っぽだなんて、 鯉のぼりだって、無理しすぎちゃいませんかね、、さっ一杯どうぞ、、~ ~江戸っ子は五月(サツキ)の鯉の吹流しなんて申しますが、 江戸っ子は口先だけで意気地のねえっ奴だってという意味にも取れますわねえ~ ~そうでございますよ、あの空に舞う鯉のぼりの腹の中には何の意味もありゃあしませんよ、 ただ気持ちよく青空の中を泳いでいるだけでいいじゃありませんか ~そうですとも、なんにでもいちいち意味付けなんてしてたら面白くありませんわ、ただ空を漂っているだけで十分でございますよ、人生もそうでございますね~ 笑左衛門
2024年04月11日
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売ト者(ばいぼくしゃ ) ~当たるも八卦当たらぬも八卦~ ジャラジャラと筮竹をすり合わせ、暇そうに歩いている人がいれば、 ~これこれ、そこな人、女難の相が出ておりますな 占ってしんぜよう~ 八卦とは易のことで、売ト者、易者のことを八卦見 (はっけみ) とも呼ぶ。 江戸の町には占いを業とする、怪しげな売ト者、易者が多くいたのでございます。 天災に病気、凶作、飢餓、おまけに幽霊にお化けと 案じ事が多く、不安を抱いて暮らしておりましたから、 売ト者にすがる気持もわからなくはないのでございます。 万物の心理をひも解いて人の運勢を占う、 男女の恋の悩み、金銭の悩み、病気の悩み、親の悩み、子供の悩み、を八卦に訴えて、占ってもらうのでございます。 易者は他人の身の上は占うが、自分の身の上はわからない などと、皮肉を言うひともおりますが、 案外庶民の心丈夫の支えにもなっていたのでございます。 さて、売ト者は 両国広小路、上野広小路、浅草寺の参道などの 大通りの表から横道に入った薄暗がりに店を出すことが多かった。 売ト者の多く出るのは。筋違門内から芝口新橋までの大通り町が最も多く午前(ひるまえ)からでて、夜に入ると提灯行燈を点じている。 その外、麹町、赤坂、四谷、芝愛宕下久保町の原、浅草門内外、柳原土堤に沿い上野山下、本郷通りなどの全て人の多く出たところには必ずいたものである。 白い木綿で蚊帳のような囲いをして、その中で売トするものもあり、また、三尺に六尺ばかりの代の上に机を用意している者もいる。 暮れ六つも過ぎ、あたりがうす暗くなるころ、売ト者の見台の上にちょぼんと置かれている提灯から鈍い灯りが漏れている。 見台の上には筮竹(ぜいちく)(易占いで使う50本の竹の棒状のもの) 筮竹を立てておく筮筒(ぜいとう)筮竹を置くケロク器の三点が置かれている。 これが占いの三点揃えで、あとは口先三寸がものをいうのだ。 白木綿の囲いのないト者は皆笠を目深に被って面をおおっている。そのいでたちは古紋付の衣類に白い毛織の被布(ひふ)などを着て、白髭を装った老人の異風なものもあったが多くは古紋付の羽織に縞の衣類を着て、小脇差一腰を帯び、いかにも由ある武士の浪人のように見せた。この他には一戸の門構え、または表に格子戸などを立て、人相、手相、金談、縁談占い、などと書かれた、易、観相の看板を出していた。芝新明町の石龍子、浅草の青雲堂、親父橋の白井ト屋、南伝馬町の本国堂などが、易観相の有名なものである。浅草御蔵前に床店の内で売ト、観相する者もいた。これは大変大きな笠を門口に吊って目印としたことから、蔵前の大笠といって評判が高かった。 ~占いで シャキッとなれば よい易者~ ~女難の相 あればうれしや 溺れたし~ ~暗がりで 暇もてあそぶ 売ト者 ~絵本風俗往、来蘆の葉散人参考、 笑左衛門脚色
2024年04月05日
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十件軒次郎右衛門 お江戸には酒飲み噺に事欠きませぬ。 酒で喧嘩をしたり、銭袋をなくしたり、 挙句仕事を失敗し、財をなくし、かかあに逃げられたなんて話は 掃いて捨てるほども転がっているのでございます。 ~世の中に 下戸の建てたる 蔵もなし~なんて川柳がございまして、酒飲みには蔵が建たねえが、 なに、下戸(酒を呑まない者)だって、蔵が立たねえじゃねえかという、 飲んだくれの厚顔無恥の戯言でございましょうかね、まあ、せいぜい、酒は楽しくお気楽に飲みたいものでございますな。 でぃ、江戸の酒飲みのお話を一つ。次郎右衛門は日本橋石町十件軒へ出ては齢の積もった年月を休みなしに稲荷鮨の詰まった荷箱を担いで十件軒一町以内を売り歩いていた。 稲荷鮨を売り終わり、明日の生計を営む銭を得るという 棒手振りのような商いであった。 ところが、その次郎右衛門は並びなき酒鬼(のんだくれ)だったのだ。荷箱の裏へ一升徳利に酒を儲え(たくわえ)それを飲みつつ、 酔いをすすめ、足の運びも覚束なく稲荷鮨の荷を担いで二間行っては荷箱を降ろし三間歩いてはまた憩い、 その度ごとに酒を呑むという風体である。声を張り上げ「兄弟一服呑みぁな、そっちの煙草で」と、憎まれ口の聞こえるや否や近辺から若者らが稲荷鮨と印した赤行灯の暗淡(うすくらい)のを囲んで鮨を買う。 また往来通行の人は次郎公(次郎右衛門のこと)と見るより遥かに「次郎公、一服喫(の)みぁな、そっちの煙草で」と叫ぶと、次郎右衛門もまた「兄弟酔ってきぁな」と叫ぶ。初めて見る人は酔いどれを怪しい人と思いながら、 そばに来て次郎右衛門が人を罵りながらの冗談をしばらく聞くみると、 面白く、その面白さを覚えて去りかねるほどであったという。これすなわち 十件軒次郎右衛門は日本橋石町十件軒の名物であった。こんな風に酒におぼれて死んじまえば極楽でございますね。 ~酒にかまわれ 酒に踊らされ 愉快に暮らす 極楽極楽~ 絵本風俗往、来蘆の葉散人より、 笑左衛門脚色
2024年04月03日
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笑左衛門残日録 82 どくだみ草の話 ~臭い体の 日陰の身でも 役にたちましょ どくだみ草~ 拙作都都逸 隠居所の庭の隅に密かに生えていたどくだみ草が地下茎を伸ばしながら 支配地を拡大している、庭の侵略者そのものである。 まるで、徳川家康の天下統一そのもので庭のすべてを我が領土にするつもりでいるらしい。 白い花は綺麗なのだが、拙者はその厚かましい繁殖力が嫌で好かぬ草である。 もともと、日陰を好む隠棲植物で根暗な性格のはずなのだが、 だんだん図々しくなってきて陽の当たる場所にまで勢力を伸ばし、 大きな面をして、他の草花を駆逐している。 おまけに、どくだみ草の名の通り毒を溜めているというから油断はならぬ草なのである。 ~退治してしまえ!~と某が言うと、 お筆はこれほど役に立つ草はないというのだ。 毒を以て毒を制すると、昔から云われておりますように、 どくだみの毒が体に良いのでございます。どくだみは薬草で、十薬という生薬にござります。 煎じて飲めば、解熱、解毒の効果があるとされていますし、 戦国のお武家様が刀傷を負った時にはどくだみの葉を練って掏りこんで治したとも云われております。 どくだみ草を食すれば体の調子もよくなるということでございますから、 今日から試すことにいたします」 「えっ、あの臭い草を食するのか、わしの屁もかなわぬ臭い草をか」 「大丈夫、火を通せば香りも消えるので、葉の部分は煎じてお茶にしてどくだみ茶にいたします、 茹でてお浸し、ごま油でいためれば美味なお酒の友になりますわ、 それに、庭中に生えているのですから、質素倹約にはもってこいですわ、 旗本様も御家人様も広いお庭をお持ちでございますから、どくだみ草を 育てれば不況も凌げますわ、」「うむ、毒を制するどくだみ侍か、、、」 「何しろ、この繁殖力でございますから精力抜群でございます。 あの子沢山の家斉様もどくだみを愛用していたとの噂ですよ、 旦那様の股座にも春が巡ってくるやもしれませんよ」 「しかし,あの臭いに我慢ができるかな」「悪臭にこそ悪を征する力を持っているのでございます。 どくだみの殺菌力、抗菌力は強くて、 嫌な虫も、汚い黴も、細菌も追っ払ってくれるのです。」 「うむ、、、よし、では、拙者はもう、どくだみ草を 殲滅することはやめにしよう、 もう草どもの陣地争いに出張ることはやめよう。 だが、どくだみ草よ、一言言っておくぞ。 近頃、長州や薩摩からも毒の強い草が江戸の町に蔓延ってきているということだ。 それにな、ひそかに隠れている忍草とうのもいるらしい、 充分お気をつけなされ、 ~武家屋敷 どくだみ草に 助けられ ~ 拙作 笑左衛門
2024年04月01日
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笑左衛門残日録 81武士の情けにて候 身分など捨て 清々すれば 武士の恥など 厠いき 武士の情けと 女房の情け 秤(はかり)にかけて 井戸を汲む 江戸の情けと 女の情け 情け頼みの 大番屋 ~情けは人の為ならず~なんて言いますがね、 武士というもの、常に気位を高く持とうと意識していたのがございますから、 自らに対して誇りや尊厳を持ち、常に気位を高く持つ手暮らしていたのでございます。 ~武士は食わねど高楊枝~ 武士は貧しくて飯が食えなくとも食べたかのようにふるまい恥ずべき姿を見せるものでは なかったのであります。 武士の情けとは、そんな侍の誇りを尊重した上でかける温情のことでございまする。 笑左衛門
2024年03月30日
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