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忍草 外伝11 枯草の最後っ屁 11 最終回 惚れにくい顔がきて 買う惚れ薬 江戸川柳 そりゃあ、顔面差別だ、わしゃあ泣きたいね、、 遠山の金さんの瓢六に対する裁定が面白くない人がいた。 この遠山裁きでますます江戸庶民の人気が上がった遠山景元が気に入らぬ、南町奉行の鳥居耀蔵の入れ知恵もあったのだろうか、筍医者と呼ばれた町医者たちが大挙して北町奉行所に押しかけ訴えてきた。 昔からいた町民の味方の町医者とは違って、免許も資格もいらず「俺が医者だ」といえば医者になれるご時世に、医学の知識があるのかないのか、怪しげな者がとにかく金が儲かる、いい身分でいられる、とばかりに雨後の筍のように生えてきた筍医者と呼ばれる医者だった。 黒河流庵のよろず診療所の人気が高まり、患者が減ってきて、さらに診療代も薬代も高いと文句も言われる、自分の医術の未熟さを棚に上げて、患者が来ないのを黒河流庵の「よろず診療所」のせいにしているのである。 ~お奉行様、黒河流庵の「よろず診療所」に治療費や薬代を払えない貧乏人だけが行くのならまだ許せますが、この頃ではよろず診療所の人気が高まり、金持ちの患者までが「よろず診療所」に並んでるそうだ、これじゃ、私たち町医者は成り立たない、ご政道を正して、取り締まってもらえないか~ と、いう嘆願だった。 「そうかい、治療費を払えない貧乏人だけが黒河流庵のよろず診療所に行くのならかまわないが、金の払える富裕層の患者までが行くことが面白くない、金持ちだけは我々が診るってことなのかい?おめえたちは今まで、貧乏人から診察を頼まれても渋っていたそうじゃねえか。医術は金のなる木とでも思ってるのかい?」「いえ、そうじゃねえんで、薬代には元手がかかる、その薬代も貰えないんじゃ、医者商売はやっていけねえんで、金のない貧乏人は断ってただけですよ」「それじゃあ聞くが、貧乏人は病気になっても医者にかかれねえと、金がなきゃあ、命も諦めろとこう、言うんだな」「それは言いがかりというもの、薬には元手がかかりますってことですよ、そんなこともお奉行は知らないんですか?」 「おいっ、俺を舐めてんのか、お前ら、うどん粉丸めて捏ねたものをよく効く薬だと言って、法外な値段をつけていたんじゃねえのかい、」「とんでもない言いがかりですよ、お奉行様。みな日本橋三丁目の薬種問屋から仕入れた、よく吟味された高価なものでして、決して紛い物なんかじゃありませんよ、それをただにされちゃ町医者は成り立たねえってことですよ」 勝ち誇ったような筍医者の面々、だが、遠山景元は怯みやしねえよ、 「おいっ、筍医者よ、勘違いしちゃいけえねえよ、よろず診療所はな、診察代も薬代もただでいいわけじゃねえんだよ、ただね、金のない貧乏人からは取らねえよと言ってるだけだ。金の払える者からはちゃんと貰ってるよ、患者が列を作るのは、確かな医術のせいだ、腕がいいんだよ、そこの何処がおかしいいかい?」 「ですから、お奉行様、金のないものからは診療代も薬代もとらねえ、そんなことされちゃ、町医者はやっていけませんよ、と言ってるんですよ。「よろず診療所」にお奉行が肩入れして、いろいろ面倒見るのなら、我々町医者も面倒見てくれなきゃ、不平等ってもんですよ、」 「おいっ!小石川診療所は別にして、「よろず診療所」に奉行所も幕府も何の援助もしてやしねえし、面倒も見ちゃあいねえよ。 それよりよ、だいたいこの頃の江戸の町には医者が多すぎやしねえかい、雨後の筍のようににょきにょきでやがって、みんな筍医者だと笑ってるぜ、だから、こんなことで揉めてんじゃねえのかい。 これからは、いっそのこと、免許というものでもを作って、その免許のあるものしか治療しちゃいけねえということにでもにしようか、」 「いえ、それも困ります、だいいち、町医者に免許など必要ありませんよ、」 筍医者たちも、ここで引くわけにもいかなかった。 「おお、埒が明かねえな、それじゃあ、こうしようじゃねえか、診察代も薬代も公平に決めたらどうだい、そのほうが、わかりやすくっていいや、町民だって、いくら診察代や薬代がいくら取られるのか、びくびくしなくったっていい、患者の家の様子を見て、薬代を上げ下げしちゃあいけねえことにしようよ、」 「いや、それも困ります、患者は十人十色、様々でございます。」「そうかい、わかった、お前たち筍医者もいい訴えをするもんだ。感心したぞ。みな医者は平等に扱えと言うんだな、そいつはもっともな訴えじゃ、ようし、北町奉行遠山景元、しかと、その訴えを聞こうじゃねえか。 その上で、よいか、裁定を下すぞ、よく遠山裁きを聞けい! 「今後、江戸の町においては、貧乏人からは診察代も薬代も取っちゃいけえねえってお触れをだそう、そうすりゃ、「よろず診療所」みてえに、どこの町医者だって患者が列を作ってくるようになる。そうしねえ、そうしねえ、そうすりゃあ、平等、医者も貧乏人も丸く収まるってもんだ。よいな、これにて一件落着だあ、」 この裁定にはさすがの筍の町医者連中も参ったようだ。「お奉行様、恐れ入りました。この訴え取り下げにいたします。」 筍医者の腹の中に黒い虫が住んでいやがった。誰だって、腹に穴を開ければ悪い虫の一匹ぐらいはいるだろうが、医者の腹の中の黒い虫は腐っていやがって臭くていけねえな。 だが、瓢六爺さんの腹の中の悪い虫は、いいことをしやがった。 ~枯草の最後っ屁はいい匂いがしたよ~ 赤い顔して酒を飲みながらも、旗本屋敷に忍び込んだ盗賊、見事な小舟の棹捌、忍草、蛇抜け長屋の巻で活躍したあの忍草の鯉兵衛が瓢六ではないかと感づた読者もいただろう。そうだったのだ、蛇抜け長屋から脱出して姿をくらましたあの老人はまだ江戸の町の中で暮らしていたのだった。 静かに暮らしていればいいものを、密命もないのに動きだして、鯉兵衛さん、瓢六さん、もう、江戸にはいられねえよ、伊賀にも帰れねえよ、、付録です、 食べ物養生訓 ~黒河流庵~~リンゴ一個で医者いらず~柿が赤くなると医者は青くなる~トマトが赤くなると医者が青くなる~梅はその日の難のがれ~ 大根どきの医者いらず~サンマが出ると医者がひっこむ~ 医食同源、医者いらずの食べ物です、もちろん下肥たっぷりでござんすよ、、 終わり 朽木一空
2019年09月28日
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忍草外伝10 枯草の最後っ屁 10 田舎医者 さじを投げては 馬で逃げ 江戸川柳 もう、治療法がないと患者を見放し、 医者が薬を調合するための匙を投げ出す。 岡っ引き伍助はお縄にした瓢六を同心真壁平四郎とともに、 北町奉行所の奥、遠山景元の私邸の縁側の下に連れて行った。「んんっ!おめえがそのよぼよぼの老体で、大名屋敷、旗本屋敷の中間部屋の金を盗んだのか、その盗んだ金を、黒河流庵の庭の稲荷様に置いてきたというのか、義賊気取りか、鼠小僧の真似なのか?なぜ、そんなことをしたのだ、」 「お奉行様、どうせもうすぐ死ぬ身ですから、少しでもいいことをして死にたかったですよ、後悔はありません。本望ですよお奉行様、すぱっと、この老いぼれの首、刎ねてくだせえよ、もうこの世に未練はありませんだ、」 「いい度胸だ、だが、瓢六爺さんよ、儂も江戸の町奉行だ、お主が只者でないことぐらいは見抜いているぞ、」 遠山は瓢六のことを隠密に調べさせ、瓢六が草と呼ばれる忍者で、大名家、旗本家へ博打打として潜り込み、諜報活動をしていることは突き止めていた。 「お主は草と呼ばれる下忍であろう、大名家、旗本家の賭場に出入りして大名家や旗本家の裏やあらを探っていたのであろう。 だが、その屋敷から金を盗んだのではもう、草とは言えぬな。草ならば、上忍の下で息をするもの、勝手な泥棒はゆるされぬだろうよ、この仕事は草の仕事ではなく、瓢六、お前ひとりの仕業だな」 「へいっ、その通りで、恐れいりやした。ですが、忍草といっても、もう枯草でございますよ、その枯草が、黒河流庵のような人を見ると、自分も人のために、忍術を使ってみたくなったんでございます。 今までは、上忍のいわれるがまま、それが正か悪かも、何の役に立っているのかも知らされずに探り、盗み、殺し、大名や旗本家を谷へ突き落とすようなこともしてきました。忍草という宿命に逆らうという選択肢は持てなかったのでございます。 密命に誠実に、忠実に、人生のほとんどをかけてきたが、この齢になり、命の泡も弾けそうになった時に、最後っ屁のつもりで、盗みをしてしまいました。でもお奉行様、初めて人間らしいことをしたような気がします。後悔はいたしておりません」 北町奉行の遠山、お裁きの厳しい顔を崩して、にんまり笑った。 「そうか、枯草の最後っ屁か、綺麗な屁だな、どうりで臭わなかったわけだ。 ところで、瓢六爺さんよ、大名家や旗本家から、金が盗まれたなんて訴えは奉行所にも若年寄りの方にも届いちゃいねえとさ、盗まれたものがいねえのに、盗人だと言って、老いぼれ爺の首を叩き斬ったり、ふんじばって島送りにすることはこの遠山にはできねえよ。 瓢六爺さんよ、奉行所にだって血も涙もないわけじゃねえ、爺さんをこのままにしてあげてえが、おめえが江戸にいる限りおめえは忍びの世界から逃げられめえ、 江戸払いにしてやるから何処か好きなところへ失せろ、忍ぶ草の中にだって、優しい心持の草が生えてるところもあるんだろう? 放免じゃ、おっと、伊賀に何ぞ帰るんじゃねえよ、一度捨てた故郷なんてものは冷てえところだからよ、」「へいっ、お奉行様、ありがとうございます、ですが、あっしは「よろず診療所」が気になってしょうがねえんですが。、、」「黒河流庵のよろず診療所のことは安心しなよ、瓢六爺さんの金子はちゃんとお稲荷さんの前にに置いてきたよ。お狐様が証人だよ。 「よろず診療所」がなくなっちゃ本所の貧乏人が困ることぐらいは儂にもわかっていらあなぁ、かといって、本所の人にゃあ、小石川の診療所じゃ遠すぎらあ、 江戸の本所の町人だってよ、冬の井戸みてえに冷たくはねえから安心しなよ、本所の町でよろず診療所を守っていこうじゃねえかと町の年寄りが動き出してな、樫川沿いの大店が診療所の飯代を負担してくれるってことだし、日本橋の薬種問屋の大店、恵比寿屋が残薬を提供してくれるそうだ。 それにな、黒河流庵の人柄を慕って、弟子入りする医者の卵が三人もきて、子供を救ってもらった近所の母ちゃんたちも、さすがに江戸っ子のおかみさんだ、気風のいいこと、金はねえが、炊事、洗濯、掃除ならお手伝いするというじゃねえか、 今じゃ、前と同じように、よろず診療所には朝から患者が列を作って並んでいるよ、まず安心だ、それでよかろう瓢六じいさんよ、」 北町奉行、遠山左衛門尉景元、これにて、「枯草の最後っ屁の件」一件落着、、バンバンバン、、、、とはいかなかったのである。 そこが、世間のややこしくてむずかしくて面倒なところだね、 つづく 朽木一空
2019年09月27日
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忍草9 枯草の最後っ屁 9 医者さんに 私が毒と云われやす 江戸川柳 そんな女房もってみたいね、 自身番に珍しく、本所見廻り同心の真壁平四郎が顔を出していた。 そこへ、岡っ引き伍助親分が十手を振りながら番屋に入ってきた。「あっ真壁の旦那、お見廻りご苦労様でござんす、」「おお、伍助、変わったことはねえか?」 番太の音吉が茶を出す。「このところ平穏で暇持て余してますよ、どうです、旦那一番指しましょうか?」「へぼ将棋の相手ではなあ、ところで、番太の音吉よ、おめえの長屋に住む、お園という娘、その後、元気にやってるか、あのお藤とかいうおっかさんも」「へい、長兵衛長屋はみな元気にやってはおりますが?、、」「がっ?っていううのは何だい、何かあるんだなな?」 「へい、てえしたことじゃねえんですが、このごろ、瓢六爺さんが夜中に徘徊して一時半(3時間)も帰ってこないことがあるようなんですよ。 横川の船場に繋がれているちょき船を勝手に拝借し、堀から堀へ船を走らせて、ひと時(二時間)とはかからずに帰ってくる。まあ、歳よりの、たわいのない遊びと思えばいいが、ぼけちまったのかと、心配してるんですがね、そのうちに大川にでも出て、おっちんでもいけねえと、まあそんなことで、、、」 「そうかそれも心配だな、おい暇持て余してる伍助、その瓢六爺さん、堀にでも落ちたら危ねえから、見張っちゃくれねえか?」 「御冗談でしょう旦那。あっしゃ、お奉行様から十手を預かる者だ、呆け爺さんの徘徊に付き合うわけにはいかねえよ」」 「まあそういわずによ、伍助、町の者から頼りにされるうちが花というもの、俺らあ岡っ引きだ、と威張ってるだけじゃ町の人の役には立たねえよ、困った時にはお互い様だ。ひとつ頼んだぞ、じゃあな、儂は行くぞ、」 「まいったなこりゃあ、音吉、おめえが余計なこと言うからだ」 それから、三日後だった、渋々ながら重い腰を上げ、番屋で一人、火鉢に手を当て、スルメを齧りながら、伍助は眠い目と戦っていた。 長兵衛長屋の方に耳を傾けて、瓢六が徘徊に出ないか見張っていたのである。 黒河流庵に耳を引っ張ってもらい、血と膿を出してから、左耳もよく聞こえるようになっていた。 夜四ツ半(午後11時)を過ぎただろうか、ガタッと、障子が開く音がした。 よぼよぼしながら、瓢六爺さんがしみったれた手拭いでほっかぶりして、杖を突きながら長屋の門の横の木戸を潜って、外に出てきた。 「おっ、爺さん、徘徊の始まりか、少しつけてみるか」 瓢六爺さん、中の橋の下の船場の小舟に乗ると、繋いであった小舟を器用に操り、堅川に出て、東に向かい、亀戸村の手前を北へ向かい、また堀を西に向かう、 老人にしてはなかなかの棹裁きで、小舟はすいすいと堀の上を滑った。 瓢六の乗った小船を見失わないように、陸から後を付けるていた伍助、「なんだ、爺さん、堀をぐるっと一回りしただけか、、」 と、思った瞬間、旗本屋敷の裏に船をつけると、なんと瓢六爺さん、濡れ手拭を屋敷の塀に掛けたと思ったら、その反動で松の木の枝に体を預けすっと屋敷内に姿を消した。まるで忍者のような素早い動きで、とても瓢六爺さんとは思えなかった。 岡っ引きの伍助は、旗本屋敷に入るわけにはいかず、塀際の松の木陰でじっと待つこと、四半時。 塀の上から鼠色の着物に、ほっかぶりをした男が飛び降りてきた。着物を裏返し、ほっかぶりをとると、なんと、瓢六爺さんではないか。 塀を乗り越えた敏捷さは消え、よぼよぼのふらふらとしたいつもの老人の足取りになる、その瓢六爺さんが船に乗ろうとした瞬間、 「ちょいと、待ちねえ、瓢六爺さん」 「伍助親分だったか、つけられてるのはわかってたよ、見ちまったんだね」 「瓢六爺さん、御用だよ、それにしても、何しに旗本屋敷になんざ忍び込んだんだよ、懐の中の者を見せてもらおうか」 「伍助親分、あっしはもう齢だ、この先いくらもねえ体だ、寄場送りも島流しもきつい、あっさり、死罪にして、この場でばっさりやってくんねえ、だが親分、お願いがある、この金だけは、黒河流庵のよろず診療所へ届けておくんなせえ、そうしねえとあの診療所は潰れちまうんだ、何人もの人が助かるんだ、お願げえだよ、」 伍助は腰が抜けるほど驚愕した。 「なんだって?それじゃあ、熊五郎が島流しになってから、黒河流庵のよろず診療所に金を回していたのは、瓢六爺さんだったのかい」 「熊五郎の金も賭博のあぶく銭、あっしが盗んだのもみんな大名旗本の賭場の金でござんすよ、どうせ腐った博奕の金だ、その金が生まれ変わって、貧乏人の病を救えるんだ。わしゃあ、後悔なんぞしてねえんだ、」 「瓢六よ、もしかしたら、お園の家に投げ込まれた金もおめえか?長屋の者じゃなくっちゃ、お園の借金のことも知るめえよ」 「いや、とんでもねえ、お園の家に投げ込まれた金は、お園のおとっつあんの角助が置いて言ってんだと、親分も言ってじゃねえですかい、」 伍助は思わず皮肉な運命を呪わずにはいられなかった。 あの、貧乏人の命を救っている黒河流庵の「よろず診療所」に援助していた熊五郎の捕縛にも関わり、今また、黒河流庵の「よろず診療所」を支えていた瓢六をお縄にしていた。俺の十手は誰のためのもんなのだ。 この後、黒河流庵はどうやって、診療所を続けていくのだろうか? 伍助の胸の中にはちょっぴり冷たい不安な秋風が吹き抜けていた。 つづく 朽木一空
2019年09月26日
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忍草外伝8 枯草の最後っ屁 8 医者の門 暮れると しめてたたかせる 江戸千柳 ~ 開業したての医者、名医と思わせるため、人を雇って 「高名な藪野先生、お願いします」と、戸をたたかせたそうだ~ 「親分、てえへんだぃ、てえへんだぃ!」 瓦版片手に自身番屋に駆け込んできたのは下っ匹の粂治だった。 「どうしたい、粂治、なにがどうしたってんだい、」 粂治、柄杓に水を汲んで、ぐいっと一杯飲んでから、瓦版をみんなが見えるように開いて、熊五郎の話を始めた。 「天神の熊五郎一家と鬼政一家が、賭場の縄張り争いの喧嘩出入りで、熊五郎が島送りになったのは親分んも知っての通りだが、その熊五郎が、あの黒河流庵の「よろず診療所」を支える金を出していたというんだ。この瓦版に詳しく書いてある。だが、熊五郎が鬼政の一件で島送りになり、資金が枯渇しそうな、よろず診療所は風前の灯だとさ、薬の仕入れもできねえ、もう「よろず診療所」もお終いだと書いてある。いつまでもつかという、町のもっぱらの噂ですよ。 親分、あの「よろず診療所」が無くなっちゃあ、てえへんでしょうよ、、」 それを聞いた岡っ引き伍助、頭をひねる、頭で汗をかくがいい筋が浮かばない。 黒河流庵の「よろず診療所」の金の出処が気になって仕方がなかった伍助だが、天神の熊五郎が金を出していたことは最近になってわかってはいたのだ。 だが、その天神の熊五郎をお縄にしたのは北町奉行で、その時、伍助も出張ったのだった。なんだか、すっきりしねえ、複雑な気持ちが伍助の心に流れていた。 「どうなっちまうんだい、黒河流庵の診療所、貧乏人が死んじまうよ、、」 岡っ引き伍助は、本所見廻り同心の真壁平四郎から頼まれていた賭場泥棒の仕事も抱えていたが、今は黒河流庵のほうが気になってしょうがない。 「粂治、黒河流庵の診療所が気になってしょうがねえ、行ってくるか、このままじゃむしゃくしゃして、夜も眠れそうもねえ、」 伍助と粂治が速足で柳原町の「よろず診療所」に着いてみると、心配してたのが嘘のよう、いつもと変わらず、玄関先にまで貧乏姿の患者が並んでいた。 「ちょいと、ごめんなさいよ、、」 十手を振りながら伍助と粂治は黒河流庵のいる診察室に入った。 「どうしましたかな、耳の具合でも悪くなりましたか、」 「いや、先生、瓦版を読みましたか、町の噂じゃ、診療所がいつ潰れるかと、噂してるもんで、心配になりまして、、、」 「それはそれは、できることをできる間やることですよ、熊五郎さんから頂いたお金はたしかにもうありませんよ、でも大丈夫、お金は天からの廻りものですよ、熊五郎さんが島流しにあっても、ちゃんと、お金は届いています。天はちゃんと見てますから、大丈夫ですよ」 伍助は飄々として、診察を続ける黒河流庵を見て、ますます尊敬もしたが、煙に巻かれているような不思議な気持ちにもなっていた。 ひとまず安心して自身番屋に戻った岡っ引き伍助と粂治だが、番屋の中もまた大騒ぎだった。 自身番に、酒臭い臭いをさせた瓢六爺さんに連れられて、お園が立っていた。 昨日の夜遅く、お園の家の障子の穴から、十両と200文が投げ込まれていたというのだ。そのお金を貰っていいのか、どうしたらよいのかわからずに、怖くて、お園は向かいの長屋の瓢六爺さんに相談し、一緒に番屋に来たのだった。 「ご、伍助親分、正直者には花が咲くっていいますよね、この金は天からのお恵みだ、お園ちゃんが貰っていいお金ですよね、み、見過ごしちゃくれませんか親分、お園ちゃん、この十両を鬼政に返さなきゃ、岡場所へ売られちまいまうんですよ」 岡っ引きとしての伍助、また難問に頭を抱える。長屋の中に投げ込まれた金、いってえ、誰が、何のために、どこから持ってきた金でぃ。 どうすべきなのか、頭をぐるぐる回していると、番屋の中に居た者の眼が~お園を助けろ~と十手持ちの伍助に突き刺さる。 「どうする、伍助親分!」 伍助、お園の顔をじっと見る、生きていれば自分の娘の紗枝と同じ年頃のお園、そのお園が岡場所に売られる、そいつも耐えられねえね、 「えいっ、俺は何にも聞かねえ、見ねえよ、その金、さっさと鬼政に返しちまいな、もともと、お園の借金じゃねえんだ。 そうだ、その金はお園のとっつあんの角助が置いていった金だ、野郎、賭場で稼いだのに違いねえ、そうに間違いねえ、なっ、そうだろうよ瓢六爺さん、」 「そ、そうだったのか、そうだったんですね、さすが伍助親分、」 お園と、瓢六爺さん、ぺこっとお辞儀をすると番屋を出た。 お園は鬼政に十両の借金を返し、医者代として貰った十文、二十文に飴玉をつけて長屋の一軒一軒を回って返した。 岡っ引き伍助も、お礼の飴玉と二十文を返してもらったのだった。 つづく 朽木一空
2019年09月25日
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忍草外伝7 枯草の最後っ屁 7 にわか医者 三丁目にて見た男 江戸川柳 日本橋三丁目には薬種問屋が軒を並べていた、この間までそこの手代さんだった小僧が、 頭を丸めて医者になってるよ、これこそ筍医者ですな、 油蝉の蝉しぐれにはじまって、ミンミン蝉、ツクツクボウシから蜩(ひぐらし)へ、蝉の鳴き声もうるさかった油蝉から、どこか、哀愁を含んだ蜩の鳴き声にかわり、熱い夏ももうすぐ終わりを告げようとしていた。 北町奉行遠山景元は、月番明けで久方ぶりに芝愛宕下の私邸で寛ぎ、縁側に座って愛用の煙管で煙草をふかしていた。 その私邸に訪ねてきたのは若き頃、九段の道場で腕を競った、道場仲間の、直参旗本二千石で、御書院番を務める石出監物であった。 「のう、遠山よ、町奉行には関わりのないことだが、最近、本所界隈の大名家、旗本家の中間部屋の賭場の金が相次いで盗難にあっているという噂を聞いたことがあるか?それも、大金ではない、二十両、三十両という小金だ、大名家、旗本家が騒ぎ立てぬ、訴えをおこさぬ金額なのだ、」 「とんと、耳には入ってこぬが、、、捨ておけぬ話よな、」 「内密に調べてくれぬか、幕府とは関わりはないのだが、その金が何処へ流れ込んでいるのか、気にかかってな。内緒なのだが、恥ずかしながら、我が家でも中間部屋で賭博をやっているのだ、賭場からの上がりがないと金がとてもまわらん、遠山も知っておろうが、旗本、御家人は皆、借金漬けだ、屋敷に間借りをさせて家賃を獲ったり、盆栽を作ったり、朝顔の栽培をしたり、傘張りをしたり、皆、内職で糊口をしのいでいるのだ」 「うむう、このことが公になると、大名家も、旗本家も、お家の恥っさらしになるどころか、お家の一大事になりかねぬか。若年寄りにも、奉行所に訴えることもできぬということか、んん、この件、奉行が出張ることでもないが、わかった、石出監物どの、内内に探索することにしよう。」 遠山景元は渋々ながら石出監物の依頼を引き受けた。 遠山景元にも石出帯刀の金銭事情は同類相哀れむの心境ではあった。 奉行職は幕府の重要な職であり、地位も権力もあるのだが、江戸市中を取り締まるのには配下の与力同心だけではとても手が足りず、岡っ引き、下っ匹、密偵、協力者の力を借りなくては江戸の町を守れなかった。 彼らは正規の幕府の者ではなく、あくまでも奉行所、与力同心が抱える私的な身分であり給金などないのだが、彼らを動かすのは畢竟、金の力であったのだ。 報奨金、礼金、小遣いに飲食のもてなしをしなければ、彼らも動かない。 遠山家の金庫もとうに底をついていた。景元の実家、妻の実家からもかなりの借金をしていて、妻紗枝の高価な着物も簪(かんざし)も質に入っていて、桐の箪笥の中は隙間だらけであった。 ~だからと言ってなあ、~ 北町奉行遠山景元は苦々しい気持ちを抑えきれなかった。複雑な心境であった。 大名屋敷 旗本屋敷の中間部屋が安全だからと言って、幕府が禁止している賭場を開いていたのでは、そのうえ、その賭場の金が盗まれたので、探索してくれと直参旗本、御書院番を務める石出監物が頼みに来るようでは、幕府も心もとない。 徳川幕府を守る武士がこれでは、困ったものだ。こんな腐った公儀直参旗本、大名で徳川の屋台骨がぐらつかないのが不思議なくらいだ。 遠山景元は本所見廻り同心の真壁平四郎をよび、石出監物から依頼を受けた賭場泥棒の件を内密に探索するように命じた。 「よいな、本所には伍助という本所を根城にしている岡っ引きがいる、奴をつかうといい、繋ぎはつけておく、」 堅川に沿った蕎麦屋「信濃屋」の奥座敷でで本所見廻り同心の真壁平四と岡っ引き伍助がそば一杯でひそひそと長話をしていたのは、翌日の夕刻であった。 つづく 朽木 一空
2019年09月24日
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忍草外伝6 枯草の最後っ屁 6 女房に 恥をかかせる病なり 江戸川柳 えっ、どんな病だい?気を付けな、、 長兵衛長屋の瓢六爺さん、あれから、お園がどうしたか、いつ帰ってくるのかと気になって、障子に蕎麦耳をたてて待っていた。 棒て振り(行商人)の売声も消え、暮れ六つを過ぎ辺りが薄暗くなってきたころ、伍助親分と粂治がお園を連れて、それも、お園が歩いて長屋の門を潜って帰ってきたのを確認すると、~へえー、よかった、~瓢六はほっと胸をなでおろした。 お園の治療費に十文二十文と寄付した長屋の住民たちも、お園があれからどうなったのか心配していた。そのお園が帰ってきた気配を感じ、みんなほっとした。 ~よかったなあ、よかったよう、~ 安心したら腹が減ってきた。さあ、飯を食おう。 独り住まいの瓢六は欠け茶碗に酒を注ぎ、壺から干からびそうな塩辛をつまみだして、飲みだした。~んん、いい酒だ~ 瓢六は眼尻の皴が垂れ下がり、鼻の頭を赤くしているたよりのない老人顔だが、今はその顔に笑みが溢れていた。 もう、足腰もおぼつかない六十を超えた裏長屋暮らしの一人住まいの隠居爺さんだが、じつは、今でも草と呼ばれる隠れ忍者の仕事をしていた。 裏長屋で悟られぬように目立たず、普通の暮しをして、長屋の住民の中に溶け込み、上忍からの密命をこなしていたのである。 だが、もう、瓢六は歳である、刀を振るったり手裏剣を投げたり、戦闘の伴うような仕事はできなかった。 瓢六爺さんの仕事は、博打好きの趣味を生かして、本所界隈のあちこちの賭場に手慰み程度の掛金を賭けて、出入りし、一杯飲りながら、賭場に出入りする者たちと、世間話をしてくることだった。 賭場には無宿者、島帰り、追われ者、はぐれ者、遊び人など胡散臭い人間が集まってくる。町中では拾えない黒い噂、お尋ね者探しのネタ、裏社会の情報が手に入ったのだった。その情報を集めて上忍に密告することであった。 草としての瓢六爺さんは町中の賭場だけではなく、旗本屋敷、大名屋敷の中間部屋で開かれる賭場にも出入りし、大名家や旗本家、御家人の、表には決して出てこない、お家の裏の暗部の情報を拾うこともできたのだった。 その情報こそが、上忍には貴重なものだった。 賭場の誰もが、よぼよぼの瓢六爺さんは酒好き賭博好きの爺さんとしか見ておらず、瓢六爺さんを忍者かもしれないと、怪しむ者はいなかった。 瓢六は情報と引き換えに、博奕の金を組織から頂いていた。瓢六爺さんにしてみれば、忍草の仕事というよりは、趣味と実益を兼ねた隠居仕事だったともいえた。 大名家 旗本家の中間部屋で行われる博奕では、支配違いの町方の同心は手が出せない、岡っ引きなどなおさらで、屋敷の門番に、 ~こをどこだと心得ておる、不浄役人めが~と一括されてお終いである。 門番が守っている、大名家、旗本家の博奕場は安全であり、町奉行も、やくざも手を出せない。 その博奕場には、懐の温かい、大名家の中間小者はもちろん、旗本家の次男三男、商家の手代や番頭、大工や職人、寺坊主なども出入りし、掛け金は町の賭場より高額になることが多かった。 江戸末期の大名家、旗本家のほとんどが札差に借金をしていて、返せる目途もたたず、金には困窮し、様々な内職でやり繰りしている始末だった。 屋敷内の博奕場を見て見ぬふりをして、しっかり場所代を頂き、貴重な収入としていた大名家、旗本家がいたのも頷けるのである。 さて、忍草の瓢六、あちこちの賭場に顔を出して、ネタを拾い集めていたのだが、大徳院の裏手で開かれる予定の天神の熊五郎の賭場で聞き込んだ話が、、、 「爺さん、きょうは賭場は開かれねえ、よ、」 「なんでぃ、どうしたんだい、今日こそは勝ちに来たのによ、」 「まあ聞けや、賭場が開かれない理由はこうなんだよ」 もう、三年も前の話だが天神の熊五郎の娘お峰が破門した子分の弥助に仕返しされ、腹に酷い傷を負ったが、どこの町医者も博徒とは関係を持ちたくなく、逃げ腰で、娘の傷を診ようとはしてくれない。切羽詰まってたときに、担ぎ込んだのが、あの黒河流庵の「よろず診療所」だったのだ。 黒河流庵は、やくざの熊五郎の娘お峰であることを聞いたが、 「病人に悪人も善人もねえ、怪我人なら例え人殺しでも助けるのが医者だよ、」 そう言って、傷を見、治療してくれて、娘のお峰は無事命拾いして助かった。 博徒の天神の熊五郎、感謝感激、鬼の目にも涙で、男気を発揮し、黒河流庵の「よろず診療所」へ資金援助を申し込むが、黒河流庵にあっさり断られる、 「金に色がつているわけじゃなく、まして金に好い悪いもねえでしょう」 「患者を思えば、賭場で巻き上げた金で病気が治ったんじゃ、患者が負担に思うでしょう、病はね、薬じゃねえんだ、心持が一番なんだよ」 だが、一度出したものを引っ込めちゃ熊五郎の男が廃るってもんだ。 「それじゃあ、わかった、おれは援助などしねえがな、誰かが勝手にお稲荷さんに金を置いてくのは構わねえよね、」 「ああ、お狐さんから頂くものはみな患者のものだ、」 以来、熊五郎は賭場の上がりから、十両二十両という、かなり高額な金を夜中に、そっと、黒河流庵の家の庭の片隅にある稲荷様において来ていた。お狐様はそれをちゃんと見ていた。 だが、その天神の熊五郎が十日前、深川の鬼政一家と賭場の縄張りをめぐって出入りになり、鬼政の子分の三人に切りつけたかどで捕縛され、八丈島送りとなった。 熊五郎は二十両を熊五郎の家内のお富に渡し、秘かに黒河流庵の庭のお稲荷さんに届けさせた。それが熊五郎から「よろず診療所」への最後の寄付金になった。 さあ、それからだ、黒河流庵の「よろず診療所」は間もなく、金欠病にかかり、薬の仕入れにも支障をきたし、黒河流庵の女房は着物や簪(かんざし)を質にいれ、練馬の大百姓の実家からも五十両の借金をした。それでも足りずに、高利貸しからも金を借りていた。 「よろず診療所」の経営は破綻寸前、風前の灯火になっていた。 長兵衛長屋のお園を助けてくれたのあの黒河流庵のよろず診療所だった。あれからも本所の町で随分と黒河流庵に助けられたという町人の話を聞いた。 瓢六爺さんの耳にもその話が届き、なんとかしてあげてえと思ったが、懐にあるのは小博奕に使うつもりのわずか600文ぐらいで、焼け石に水にしかなりそうもいない。賭場で一発勝負!丁か半か、この金を十倍にできれば、いいのだが、、 酒で弛んだ瓢六の脳味噌がぶつぶつ戯言を呟いていた。 どうにもなりゃあしねえか?酔いぼれ爺でも役に立つことができるか? つづく 朽木一空
2019年09月23日
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忍草外伝5 枯草の最後っ屁 5 田舎医者 土間のふさがる 礼を受け 江戸川柳 ~金のない貧乏農家が診察代、薬礼の代わりに芋や大根、菜っ葉、ゴボウなどを持参して、 玄関の土間は野菜で山積みになっていた、江戸には貧乏人の味方の医者がいたんだ~ さてさて、お園を戸板にのせて、伍助親分と下っぴきの音松が着いたところが、堅川沿いにある、柳原町の黒河流庵の『よろず診療所』だった。 堅川に面した古い町家を改造しただけの広くはない建物で、患者は玄関から通りにまではみ出して、道に置かれた床几に座って並んでいた。 「御免なさいよ、今にも死にそうなんだ、お先に失礼しますよ、」 糠みそからつまみ出したようなしみったれた着物で、如何にも貧乏人ですという看板をぶら下げたような患者が列の順番を待っていたが、戸板に乗った女を見ると、「どうぞ、どうぞ、早く診てもらうと言い、」 嫌な顔するどころか、みんなが気持ちよく順番を譲ってくれた。 黒河流庵は座敷に寝台を三つ並べて忙しく患者の間を行ったり来たりしていた。 お園の顔をみて、おでこに手をあて、脈拍の強弱を計り、瞼をあげて目の中を見、口の中を匙のようなものでひと撫ぜしてから、もう一度お園の様態を見て、「これは、過労じゃな、疲れがたまっているだけだ。病気ではないから大丈夫だ。 この煎じ薬を飲ませて、隣の部屋で少し休ませなさい。」 弟子がお園に薬を飲ませ、隣の部屋の蒲団に移した。手際がいい。 伍助と、粂治も隣の部屋に移り、お園の蒲団を囲むようにして、座っていた。 疲れが出たのか、粂治が居眠りをすると、~ぽかりっ、!~伍助親分のげんこつが降った。 一時(二時間)もしたろうか、お園の頬が赤らみ、正気が蘇ってきた。まるで、魔法にかかったような気分になったのは伍助と粂治だった。 そこへ、黒河流庵が様子を見に来た。 「おお、だいぶ血色が戻ったな、さて、あとは栄養じゃ、この娘は碌なものしか食しておらん、栄養失調だ、台所で、薬膳丼を食べていくといい、元気になるぞ、」 お園は台所へ連れていかれた。伍助と粂治も付き添っていく。 台所では、大きな釜がふたつ、ぐつぐつと煮立っていて、ちゃぶ台を挟んで三人の患者が薬膳丼をかき込んでいた。 「さあ、どうぞ、食が躰を元気にします、ああ、そこの付き添いのお二人もどうぞ、医食同源と申してなこの薬膳丼を食すと、体力がつくのです」 お園、伍助、粂治、の三人は薬膳丼に箸をつけた。 人参やごぼう、にんにく、生姜、それに馬肉だろうか、江戸では珍しい肉が入っていて、米は玄米だった。美味かった。体がぽかぽかと温まってきた。お園の顔には赤みもさして、血の巡りが良くなったことが伍平にもわかるほどだった。 「無理をしないこと、それにきちんと眠ることです、それができない理由のある時には一人で抱え込まずに、遠慮せずその親切な親分さんに相談するんですよ、」 黒河流庵は伍助の方へ視線を送り意味ありげにニコッと笑った。 黒河流庵、噂通り、貧しいものからは診療代も薬代も取らなかった。 「先生、診療代は本当に要らねえんですかい?なんだか申し訳がねえ、何なら、長屋の連中に出させましょうか?、」 「いやいや、よいのだ、そんなことをして、長屋の人たちが腹をすかして病気になったら元も子もなくなる。病気で苦しむ人を診察するのに、金持ちも貧乏人もないのですよ、命を金で区別しちゃあいけません、それが医者というものです。そうじゃないですか伍助親分」 「そのとおりでござんすね、それじゃ、遠慮なく甘えさせていただきやす、」 「うん、お園さんといったね、また体の調子が悪くなったらいつでもきていいから遠慮せずに来なさいね、それから、この砂糖菓子を持っていきなさい、疲れたときに一粒づつ食べると好い、付き添いの人に盗まれれないように気を付けるんだよ」 「先生、そりゃあねえや、、あっしは泥棒を捕まえる岡っ引きでござんすよ、」 「あっ、親分さんちょいと待って、その左耳が瘡蓋で(かさぶた)で塞がれ潰れてるのは産まれつきかね?」「いや、一年前に若気の至りで喧嘩して潰してしまった。」「いま、耳は聞こえないのかね?」「何、耳なんざ、一つあれば十分だ、聞かなくていいことは聞こえなくて丁度いいや、困ることもねえ、」「ちょいと、失礼,診させてもらいますよ、」 黒河流庵はいきなり、伍助の耳たぶを剥がすように、思い切り上へ引っ張った、「痛え痛え、ちくしょう、なにするんだ!」 伍助の耳から、血に混ざって、膿のようなものが流れてきた。その膿と血を丁寧に拭い、薬を塗ると、黒河流庵、 「どうだい、伍助親分、少々荒療治だったが、左耳聞こえるだろう?」 伍助、耳に手を当てて、 「おっ、痛えが、聞こえやがる、ま、余計なことだが、ありがとうよ先生、」 黒河流庵はたいした医者だ、いい人だ、貧乏人の神様だ、伍助はすっかり気に入ってしまった。自分の娘の紗枝の時に、黒河流庵のような人がいてくれれば、娘の命はきっと助かったんだろうに。 「見ろ、粂治、縁側に 大根や芋、菜っ葉が並んでる、あれが診察代だろうよ、おっと、カボチャをもってきてたな、粂治、あそこに並べてこい。」 耳を治してもらってご機嫌だった伍助だが、やはり岡っ引きとしては、どうもにも、引っかかるものがあった。 よくわからねえといえば、貧乏人は無料で診察する小石川療養所は幕府の金で支えられているのは承知だが、この黒河流庵の「よろず診療所」の金はどこから出てるんだい? 診察代も薬代も薬膳丼という馬肉の入った飯までただで食わせ、それに砂糖菓子まで持たせる貧乏人には神様のようだが、 金の出処はどこでい?伍助にはその絡繰(からくり)りが読めなかった。 ちょっと探ってみる必要があるな。岡っ引きとしての伍助、なんでも疑ってみる悪い癖が出た。 「よろず診療所」に町内で金を出し合っているという話も聞かねえし、商家が金を出しているとい話も聞かねえ、何しろ、毎日、貧乏人が列を作って診察に来て、診察代も薬代もほとんど、金をもらっていない。 おかしいよな?、伍平は十手でいつもの癖で左耳の瘤をなぞろうとしたが、耳は治療したばかりで躊躇(ためら)った。まあ、今日のところは、そいつは棚に上げて、お園を長兵衛長屋に送ってからのことだ。 「おいっ、粂治、今日は気分がいいや、居酒屋でいっぱいやろうじゃねえか」 「へいっ、親分あっしもこう胸の底から暖かいものがこみ上げてくるようで、このままじゃ寝つきが悪そうで、へいっ、ごっつあんです」 今日だけは岡っ引きの疑い深い心を忘れて、気分良く飲みたい気持ちだった。 つづく 朽木一空
2019年09月22日
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忍草外伝 4 枯草の最後っ屁 4 医師の後 石屋にかかる残念さ ~江戸川柳~ 残念、医者の治療も空しくあの世へ旅立ち、後は石屋に頼む。 イシとイシヤの語呂あわせ。 「伍助親分、この娘はもたねえよ、あきらめだね、せめて暖かくして寝かしておくことしかできねえよ、そのうち坊主でもよんで、成仏してもらうしかないね、」 「馬鹿野郎、死にそうな娘がいて、放っておけるか、おらあ、もう二度と、人生を後悔することはしたくねえんだ!」 岡っ引き伍助も三歳の娘、紗代を流行病(はやりやまい)で亡くした。その頃の伍助は貧乏のどん底、飯もろくに食えなくて、医者を呼ぶ金などとうていなく、女房のおたよと代わる代わる、手拭いを井戸水で冷やして、紗代のおでこにのせることしかできなかった。その 娘の紗代は二日後にあっけなく死んだ。その時の後悔が伍助の胸を締め付けていた。 「だが、伍助親分、治療費や薬代はどうすればいい、医者を呼べば300文はとられるよ、」 「馬鹿っ、人の命と金とどっちが大事なんだ、ぶつくさ言わずに医者を呼んで来い、長崎町に最近開業した草藪匙庵とかいう徒歩医者がいるな、あの医者を呼んで来い」 「親分、あの医者は筍医者の藪ですぜ、」 「今は贅沢は言えねえ、医者なら藪でもかまわねえ、いねえよりましだろう、早くしねえと、お園の息が止まっちまうよ、命は待っちゃくれねえんだよ、」 「へいっ、」下っ匹の粂治が医者を呼びに番所を出た。 伍助はお園の顔をのぞき込み、番所の中をうろうろと動き回り落ち着かない、粂治が医者を呼びに行ってまだ間もないのに、 ~粂治の野郎、なにしていやがる、早くしなきゃ間に合わねえ~ と、ぶつぶつ言い、イライラがつのっていた。 そこへ、ゴホッゴホッといやな咳をしながら、お園の母のおふじが番太の音松に支えられながら、ふらふらした足取りで番所に入ってきた。 岡っ引き伍助親分、今にも泣きだしそうな、お藤の背中をさすりながら、 「心配することはねえ、きっと助かるよ、今医者を呼んでるからな」 「医者だなんてそんな、借金は山のようにありますが、医者を呼ぶようなお金はうちにはありませんよ」 「心配するな、安心しな、まかせてくんな、この伍助親分に、、」 「すみませんねえ、親分さん、ご恩は忘れませんよ」 江戸っ子岡っ引き伍助に、人情の火が燃え上がろうとしていた。 「おいっ、松吉、もういっぺん、長兵衛長屋に行ってこい、長屋の連中に訳を話してお園の治療代を集めてこい、300文集めるんだ、ほれ、これは俺の分20文だ、松吉、おめえも10文だすんだよ」 さすが岡っ引きの伍助親分、手配りがいい。 本所入江町の長兵衛の裏長屋、貧しいながらも、肩寄せ合って、迷惑かけ合い、口喧嘩はしょっちゅうだが、『江戸っ子は鯉の吹き流し』、腹の中には何も残っちゃいねえ、おせっかい掛け合ってるが、面倒見がいい人情長屋だ。 下っぴき松吉の話を聞くと、 「さすが、伍助親分江戸っ子だい、こちとらも黙ってられるかい、明日の飯が食えなくても命はつながらあ、今はお園のためだい、ほれ、30文、」 といって、誰も嫌な顔などせずに、300文がすぐに集まった。泣かせるねえ、涙が出るじゃねえか。 自身番屋に草藪匙庵という医者がやってきたのは下っ匹の粂治が呼びに行ってから、半時を少し過ぎた頃だった。 総髪の髪を後ろで束ね、ひげを蓄え、白衣を着、薬箱をぶら下げた弟子を一人連れ、如何にも医者という信頼貌をしながらお園の診察を始めた。 額に手を当て、脈をとり、口の中を診て、胸にも手を入れたが、首をひねるばかりで、とんと、病気の原因がつかめないのだが、そこは権威ある医者である。 この薬を飲んで、暖かくして,精のつくものを食べてしばらく安静にしていることじゃな、そうすればよくなることもあるだろう、まあ、この娘の体力次第ですな」 医者の野郎匙を投げやがったな、と、なんとも無責任な診察。 「おい、藪医者、どうにもならねえのに、銭だけはとるのか、」 うどん粉に鼻糞を混ぜて丸めたような丸薬をおいて、しっかり、診察代と薬代300文を懐に入れて、草藪匙庵という医者は帰った。 伍助は草藪匙庵というふざけた名前の医者を蹴飛ばしてやりたがったが、そこはぐっと、我慢した。お上から十手を預かっている身なのだ。 だが、一時経ってもお園のおでこは熱くって、井戸水で冷やしても下がらない。 うなされてますます苦しそうだ。伍助は自分の娘の時を思い出された。 「なんとかならねえのかよ!」 思わず、十手で木戸を叩き、足で土間を蹴飛ばした。 その時、番所に杖をつきながらよろよろっと入ってきたのが同じ長兵衛長屋に住む瓢六爺だった。酒臭い臭いをぷんぷんさせながら、呂律のよく回らない口で、 「ご、伍助親分、柳原町の、よ、よろず診療所がようござんすよ、あすこなら診察代がなくっても、大根一本持ってけば、診てくれるそうですよ、」 「瓢六爺さんよ、酔っぱらってるんじゃあるめえな、そんな医者が江戸にいるわけがねえだろうよ、戯言言ってねえで、糞して寝てろい、呆け爺が、、」 伍助親分、瓢六爺さんを一喝したのだが、番太の音松が何かを思い出すかのようなしぐさで、首を捻った。 「おっと、伍助親分、ちょっと待ったの助でござんすよ、あっしも瓢六爺さんの言った医者のこと聞いたことがある、思いだしたよ、たしか、柳原町の黒河流庵とかいう医者だったな、なんでも、腕はよく、貧しい人から診察料も薬代も取らねえという医者がいるってことだ、」 「そういえば、おれも聞いたことがあるな、吉田町の蛞蝓長屋の三之助という子供がそのよろず診療所とかいうところで、病いを治してもらったそうだ、診察代大根三本だったそうだ」 当番の定吉も黒河流庵という医者のことを思いだしていた。 「なぜ、もっと早くそのことを言わねえんだ、ぼんくらが、、」 「嘘か真かわからねえが、よしっ、賭けてみようぜ、その医者にお園の命、」 伍助親分が手を打った。 「行くぞ!粂治、善は急げだ、お園を戸板に乗せろ、柳原町まで走るぞ、おいっ、そこのカボチャ、診察代わりに貰っていくぜ、」 岡っ引き伍助と、下っぴき粂治が戸板にお園を乗せ、番屋の古布団をかぶせて本所の町を走り出した。頼りにしてるぜ、伍助親分さん、つづく、 朽木 一空
2019年09月21日
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忍草外伝 3 枯草の最後っ屁 3 医者の頭に 雀がとまる とまるはずだよ やぶじゃもの 江戸川柳 お待たせしました。忍草外伝物語の始まり始まりぃ~~ 「てえへんだい、てえへんだい~~~」 本所入江町の自身番にぐったりした若い女が戸板にのせられて運び込まれた。 「どうしたってんだい?」 岡っ引きの伍助と下っ匹の粂治がこのところ本所界隈に出没している夜盗を警戒して、横川沿いを見張っていると、本法寺橋の下に娘が倒れていたのを見つけたんが、よく見るとその娘、入江町の長兵衛長屋に住んでいるお園ちゃんだとわかったんで大騒ぎさ、 「まだ、息がある、死んじゃいねえ、助けなきゃってんで、とりあえず自身番に担ぎこんだわけで、、、」 「なんで、あんなところにお園が倒れていたんだ?伍助親分、」 番太の音松と、当番の定吉が伍助に訝しがって聞く、本所ではちょっと知られてた岡っ引きの伍助親分、片耳が潰れていて、その耳を十手でほじくるような仕草をしながら、険しい顔をして、 「お園が倒れていたのは、本法寺前の横川の橋の下あたりよ、あの場所はな、夜鷹の出る場所よ、お園はそこで夜鷹の真似事をして稼いでいたことは間違いねえ、その証拠にお園の首を見ろ、白く白粉(おしろい)が塗りたくってあるじゃねえか」「じゃあとお園をこんな目にしたのは、勝手に商売した腹いせに夜鷹の牛助(用心棒)にやられたとみていいのかい?」 「いや、そいつは、まだよくわからねえ、お園の体に傷もねえようだし」 当番の定吉は同じ長兵衛長屋に住んでいるから、お園のことはよく知っていた。 「これじゃあ、お園ちゃんは不幸の串団子だよ、お園のおとっつあんの角助は昔っからの博打好きで、鬼政の賭場で博打の借金が膨らみ、どうにもならねえで、姿をくらましやがった。鬼政一家のやくざ者がその借金をお園とその母親のお藤に返せとせまり、返せなきゃ、お園を岡場所に売り飛ばすと脅されていたんだ。 長屋の連中はみんな知ってるが、なんせ、あの鬼政一家の破落戸(ごろつき)だ、見て見ぬふりしかできねえ、お園ちゃん、夜も寝ないで、縫い物をして、借金を返そうとしたものの、金利が膨らむばかり、お園ちゃんは覚悟を決めて、岡場所へ売られても生きてはいけるが、胸を病んで一日中咳き込んでるおっかさんのお藤をそのままほっとくわけにはいかねえんだよ、」 番屋にいた者の顔に暗い影がちらついた。まだ17歳のお園が体を売らなければ生きていけないことに無性に腹が立っていた。 「んんっ、お園が何か言ってるよ、なになに?、、、、」 お園は右手をだすと、こぶしを開いた。こぶしの中には200文ばかりの小銭が乗っていた。多分、夜鷹の真似事で稼いだ金だろう。 「この、金をかかさんのところへ届けて、鬼政さんに今日の金利分を返さなきゃ、でないと、大変なことになっちまう、、」 伍助親分、番太の音松に目で合図する。 「わかった、お園ちゃん、今行ってくるから心配するな」 番太の音松が番所を飛び出していった。 片耳の岡っ引き伍助親分、心配そうにお園の顔を覗き込む。 「おいっ、医者を呼ばなきゃ、命が持つめえ、誰か医者を呼んで来い、もたもたするねえ、この娘はまだ息はしてるんだ、いい医者はねえか、藪医者、筍医者じゃだめだぞ、ちゃんと、長崎で学んだ医者じゃなきゃ、治せやしねえや」 「藩医の源斎先生なら緑町にいるけどね」 「おいそりゃ、あの掘割に面した御殿みてえな屋敷に住んでる医者だろう、だめだめ、籠に乗って往診に来る医者なんぞは庶民の敵だ、眼のたまが飛び出るほどの診療代だ、誰がそんな銭払うんだい、だいたい、お園の家にゃね、悪いが余計な銭はねえよ、さっきのお園が握りしめていた小金も借金取りに持っていかれちまう、」 さあ、どうしたらいいんい 伍助親分! つづく 朽木一空
2019年09月20日
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忍草外伝 2 枯草の最後っ屁 2 まだ生きて居るかと むごい尋ねやう ひでえことを言う医者もいた 江戸川柳「おおい、梅吉が熱を出した、風邪だな、医者を呼んで来い、三笠町の医者の藪野匙投(さじをなげたやぶいしゃ?)でいいだろう」「あの医者は名前からして藪医者だよ」「藪でもよ、風邪ぐらいは治せるだろうよ」 藪医者の藪は「藪」が風にそよいで動くところからきてるんだ、つまり、風邪をひいた患者くらいなら、声がかかって動く町医者のこと、風邪くらいなら呼ばれるけれど、もっと重い病気には、声はかからない医者のことだ。 そんな藪医者でも威張っていて、患者の前では偉そうに教訓を垂れるものだ。 本所吉田町の藪医者として高名な藪田威張先生の名言を聞いてみましょうか、「治るものは治る、治らぬものは治らぬ、医者は病気は治せぬ、治る者は自己治癒力というもので治る、わかるかな?」~よくわからねえな、~ 病名のわからない年寄りの患者に、医者の方でもよくわからねえ煎じ薬を飲ませても、患者が効くと思えばよく効き、病は治るそうだ。 「儂の言うことを信じよ、病気は治ると信じることだな、信じなければ、病気は治らん、疑っていては病気は治らんぞ、良いな、治る治る、ただ信じよ、、」 おいおい、どこかの宗教じゃあるまいし?んんっ?そうか、信じれば通じるという諺もあったか、なるほど、「病は気から」ってこともありますねえ、 まっ、ここらあたりまでは、筍医者の誰もが語る医者の戯言でもあるが、藪田威張先生の名言はここからでござんす。とんと、お聞きを、、 「おいおい、爺さん、もう、随分と長い間生きてきたんだろう、いつまで生きるつもりなんだい、いつかかならず死ぬってこと、惚けたせいで忘れちゃいめえな、そろそろゆっくりしたほうがよくねえかい。 何のために、医者が病を治すのか、わかってるのかい? 爺さんよ、これから先、長生きしてなにか良いことでもあるのかい?ただ、死にたくない、未練がまししく、死ぬのが怖いというだけの理由で寿命を延ばすだけじゃあ、治療は無駄というものだ。生きながら地獄をさまようよりも、死ねばさっぱり嫌なことや苦しいことは、消えちまうんだよ、人間死ななけりゃ楽にならねえことだってあるんだよ。 生きようとするから苦しいのだ、苦しみもがきながら、生きるだけ生きるのはどんなもんかねえ、金、病気、老いの苦しみは生きる分だけ重たくのしかかってくるんだよ、死ぬことが救われる道だってこともあるんだよ、そうだろう、爺さん、あんまり欲張らねえことだよ、 誰にだってお迎えは来るんだ、そろそろどう死ぬかを考えたほうがいいんじゃねえのかい、死に方は爺さんの好きにしていいんだよ、上手く死ねたらいいね、うまい具合に死にたいものだね、ぽっくりといく薬ならあるが、爺さんを治す薬はねえよ、 何でも治せばいいってもんじゃねえんだ、治す必要のないものは治さない、医者はね、そこを間違っちゃあいけえねえんだよ、ごほん、ごほん、」 死にそうだった爺さん、藪田威張医者の話を聞いていて、腹が立ち腹が立ち、我慢の限界、思わず蒲団をはねのけて立ち上がる。 「おいっ!何を言いやがる、この藪医者め、病気を治しに来て、俺を殺そうとしやがる、おれはまだまだ生きるつもりだ。生きて飯を食って、酒を飲んで、女を抱いて、笑って、みんなに迷惑かけて生きるんでぃ、まだまだこれから、まだまだここからだよ、苦しみなんか屁の河童でぃ、うまくなんか死にやしないよ、」「ほっ、爺さん、元気になったか、これが儂の究極の藪田流威張の治療法だ、よかったよかった、三途の川からお戻りなすった、では、三両ばかり頂こうか、、」 とんだ、藪医者もいたもんですが、まあ、爺さん元気になったんだからいいじゃないですかね、 医者といったって、腹を裂いて中を見るわけじゃねえ、手術なんてものができる医者はそんじょそこらにはいないし、親から貰った体に傷をつけるなんぞは親不孝者だと言われた時代、だから医者は表側を診て判断するだけ、脈をとり、おでこに手を置き、腹を摩り、はい、この薬(薬草を煎じたもの)を毎日飲んで下さい。五臓六腑に薬がいきわたり病はそのうちによくなります。安静にして、滋養のつきものを食べさせてください、それで、診察は終わりだった。 病気が治る時もあり、治らぬ時もある。後は本人の気力体力次第だという。 庶民の方も、祈祷師に除霊してもらうべきだとか、稲荷様に油揚げを三枚あげてお狐様に祈願するとか、お百度参りをするとか、戸惑いながらも神仏の霊験に縋れば病気を治せると信じていて、医者だけを信頼していたわけじゃあなかったんだ。 さて、前置きが長くなりまして、次回から忍草物語はじまりはじまりぃ~~追伸 1771年3月、蘭方医の杉田玄白・前野良沢・中川淳庵らは、小塚原の刑場において女囚の腑分け (解剖)を見学した。 それから4年後、 安永3年(1774年)、『解体新書』が刊行された。 これをきっかけに、蘭学の発展につながり、医療に大きく貢献した。 まだ、江戸時代後期でも医学はまだそんな時代だったのである。 つづく 朽木一空
2019年09月19日
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忍草外伝 1 枯草の最後っ屁 1 藪医者に 芽をふかせたは 風の神 江戸川柳 開業しても客もなく、店じまいしそうな藪医者が急に忙しくなったのは流行病(はやりやまい)の風邪のお陰、 まさに風の神様だね、、 よいっーベンベンベン、 石を投げれば医者にあたるほど、江戸の町には医者がごろごろいたもんだ。 なにしろ、医術の心得がなかろうが「儂が医者じゃ」と、言えば、誰でも医者になれたのだ。免許などという面倒なものはないものだから、字もろくに読めない「無学の医者」などと呼ばれる町医者までいたとか、そりゃあ、どひゃあですね、、。 幕府には幕医、藩には藩医という、医学の心得のある医者が仕えていたが、庶民が診てもらうのは、もっぱらこの町医者である。 長屋で病人が出れば、薬箱をぶら下げてくる徒歩(かち)医者と呼ばれた町医者をを呼ぶのが普通、 「どういたしましたか? ほほう、熱があるようで、脈は動いてますな、口の中は異常なし、瞳孔もしっかりしていますな、んん?ここを押すと痛みますかな、、では、薬を調合いたしますから、この薬を飲んで、ゆっくり養生してください、そのうち良くなるでしょう」 町医者のほとんどが漢方医学なので、だいたいこんなもんです。 それで、家の中をぐるっと見まわしてから、診療代を請求する。健康保険などというものもなく、診療代も薬代も医者が自由に決めていた。 同じ診察内容でも患者の懐具合に応じて値段が上下するのだから、医者は儲けようと思えばいくらでも儲けられた糞商売ともいえた。 町民は病気になると、治るか治らないかわからないまま、高額な診察代を払わねばならないから、医者を呼ぶときにはなるべく粗末な部屋で、粗末な格好で、金がなさそうな素振りをしていたそうだ。 医者に診てもらうのは半分賭け事のようで、当たればいいし、外れれば災難だった。そんな気持ちにさせられるのは、医術がまだ庶民に信頼されていなかった裏返しでもある ともいえた。 金のない貧乏人の病人に機嫌よく診療してくれる医者は少なかったが、強欲な町医者は金持ちの患者をみつければ、 「それ、しめた!金蔓が舞い込んできた」 とばかり、丁寧に診察しお世辞を連発し、少しづつ病気が良くなるように、薬を薄めて調整調合し、何度でも診察できるように、金持ちの患者は離さなかった。 金持ちの患者は金のなる木になってしまうのだ。こんないい加減で悪徳な医者にかかったまらない。 医者という職業が魅力的だったのは、金が儲かるだけではなかった。 医者の身分は百姓や町人より上で、名字帯刀が許され、町民には尊敬され、権威もあり、威張っていられたのである。 だから、町のあちこちに医者が出現した。まるで雨後の筍のように医者が生えていたのだった。それで、江戸では藪にも至らぬ筍医者と比喩された。 そんな筍医者の中に藪医者や悪徳医者が紛れ込むのも当然のことだったのかもしれないが、さらに悪いことには、その藪医者が誤診をしたり、病気の原因もわからずに、いい加減な薬を飲ませて患者が死んでも罪に問われることはなかったのだ。 医者だけが人殺しをしても罪に問われない摩訶不思議な特権階級とも言えたのだった。あっ!そいつはずっと後の時代も同じでしたかね、、 だが、町民も馬鹿ではない、医術の心得が乏しい医者には患者が来なくなり、廃業に追い込まれ、腕が良く良心的な医者には患者が集まった。これもいつの時代も同じことではあった。 つづく 朽木一空
2019年09月18日
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