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『滝田ゆう 寺島町奇譚/ぬけられます』■前編■『寺島町奇譚/ぬけられます』滝田ゆうの玉の井遊廓といえばまず思い浮かぶのが、路地の入口にかかる「ぬけられます」の電気看板。ところがこの「ぬけられます」、看板に偽りありもいいところ。路地を入るとさらに細い路地や横丁が交錯し、通い慣れた人でもグルグル同じところをめぐるハメに陥いるという、一度はいったら出られない「迷路」なのです。それに気づいたとき人は生きていくことの哀しみと可笑しみを発見するんじゃないでしょうか。寺島町(現在の墨田区東向島)。「少年キヨシは玉の井育ち。ものごころつき、キヨシがあたりを見回したときから、そこはすでに銘酒屋と呼ばれる特殊飲食店ひしめく場末の色町のど真ン中であった。町はその銘酒屋を囲んで、よりそうごとくに共存し、その明け暮れに屈託はなかった。」「人情下町ドブ板小路、メンコ、ベエゴマ、ビー玉、ケン玉、悪漢探偵、三角ベース、ぬけられますの電気看板、ひしゃげた物干しにはためく真紅の腰巻、小窓にほほえむ白い顔、おはぐろどぶのしがらみ模様。そのすべてを、キヨシはこよなく愛した。♪ナンテカンテントコロテン!キヨシはつねに町に在って、風景の一部であった・・・・・。」『昭和ながれ唄』滝田ゆう1968年から70年にかけて「ガロ」、1972年に「別冊小説新潮」に連載。 キヨシ少年の視点から描かれた滝田ゆうの下町の遊郭・玉の井は、まったく飾り気のない普段着の姿です。おねえさんたちももちろん普通に暮らしています。仕事して洗濯してご飯食べて・・・。時は、太平洋戦争。東京の色街は玉の井。スタンドバーの息子キヨシの少年時代の日常を描いた自伝的名作19篇!小学生のキヨシは猥雑な大人に揉まれながらも、それなりにつまんないのかおもしろいのかよく判んない子供としての生活を送っている。キヨシの自宅であるスタンドバー、オッカナイお母さん、飼い猫のタマ、銘酒屋の娼婦たち、玄米パンやキビ団子売り、メンコやベーゴマ、蛍狩り・・・滝田ゆうの漫画に微細に書き込まれている裏通りの風景は、全部記憶で描かれています。子供のころの記憶が焼きついていて、それを思い出しながら描いていて、写真などの資料は一切使用しなかったそうです。よくこれだけ記憶されていたものだと驚嘆させられる描写です。飄々とした線、語り口、そして独特の効果音に意味深な、時には不条理な吹き出しが、何とも言えないペーソスを醸し出しています。赤瀬川原平氏の云うように、滝田ゆうは記憶の快楽のためにマンガを描いていた。また、滝田ゆうの漫画は緻密な描写にもかかわらず、かなり雑な筆致をとどめたまま、描き進められていき夢の余韻を残しているかのようでもあります。市井の人々の飲み屋でのぬるい人間関係のリアリズムを感じさせるディテイルは謎解きのように見事なんですね。空襲で玉の井が燃えるラストの章は、震えるほど感動的です。この『寺島町奇譚』は東京大空襲で色街が焼き払われて終る。家族は全員助かったのだが、猫のタマだけが見つからない。タマ宛の移転先の立て札を用意して、キヨシは疎開先に向かう。悲しいのか悲しくないのか飄々とした感じであるが、玉ノ井・吉原の終焉はひとつの時代が終ったことの間違いない象徴でもあった。(1932.03.01~1990.08.25)「滝田ゆうと初めて会ったのは、十一年前、銀座でも、気取っていることで知られたフランス料理屋、いが栗頭に着流しの姿、飄々とあらわれたのだ。なにより、和服がぴったりきまっていて、彼が登場したとたん、ナンのナニガシと銘うたれたヴァンが、貧乏徳利、本国直送のフォアグラは、小皿の沢庵に変貌してしまい、雑誌ガロですっかりお馴染みの、寺島町界隈の雰囲気があたりに漂い流れた。(野坂昭如)」昭和7年3月1日、東京都墨田区東向島に生まれる。本名、滝田祐作。昭和26年、「のらくろ」シリーズなどを描いた田河水泡の内弟子となり、同氏の紹介で、翌27年、「漫画少年」(学童社)の『クイズ漫画』でデビュー。昭和42年より、「月刊ガロ」に作品を発表し始める。ことに同誌の昭和43年12月号より連載された「寺島町奇譚」シリーズは、多くの文化人に絶賛された。折からの青年コミックブームにも乗り、活躍の場を青年コミック誌、文芸誌に広げ、マンガのみならず、イラスト、挿絵、エッセーにチャレンジ、独特の視点で描かれるその内容で多くの読者を魅了。量産には向かず、<文壇に近いおとなマンガ>と評された。クリクリ坊主に着流しをトレードマークにし、TV界、CM界も注目、クイズ番組などへの出演、CM、CFなどに起用された。昭和57年10月、脳血栓症で倒れたが、左手の麻痺を克服し、イラスト、エッセーなどで変わらぬ活躍ぶりを見せた。昭和49年、第20回文芸春秋漫画賞受賞。昭和62年、第16回日本漫画家協会賞大賞受賞。平成2年、勲四等瑞宝章受賞。昭和53年、きもの普及賞受賞。 代表作は、『わさの系譜』『滝田ゆう落語劇場』『滝田ゆう歌謡劇場』『ネコ右衛門太平記』『泥鰌庵閑話』など多数。飲み始めたら溺死寸前まで飲む。二日も三日も飲み歩いて家へ帰らない・・・。「自堕落に飲むのは一種のあこがれだった。」1990(平成2)年8月25日、肝不全のため逝去。享年58歳。
2006年01月27日
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◇聖ならぬ、精なる性!畑中純の世界、その1前編◇■不滅の金字塔「まんだら屋の良太」■セックスレスの日本は好か~~~ん! 「まんだら屋の良太」月子と良太「セックスレスの日本は好か~~~ん!」性を無視して生は語れないんでないかい? 九州九鬼谷温泉の旅館“まんだら屋"を舞台に、そこの一人息子と彼の仲間たちの青春を描く名作「まんだら屋の良太」。『漫画サンデー』に1979年より十年間にわたって連載され、1981年、第10回漫画家協会賞を受賞した。全53巻にわたる大作であり、アシスタントを使わずの驚異の連載は300回を悠々と越えた。 主人公、良太は高校三年生。九州・九鬼谷温泉の旅館“まんだら屋"の一人息子。彼は性に対する興味は人一倍で、思春期真っ盛り。自慰行為とのぞきにあけくれる毎日。義理人情に厚く、涙もろい良太が温泉街という小さな世界で行き交う人の並みの中で成長していく物語。 九鬼谷温泉という温泉街を去来するわけありの人々を活写して人生を覗き見る畑中純の手腕は、文学性の強いストーリー漫画の王道を往くもの!連載300回にわたって膨大なキャラクターを描きわけ、傷つき哀しみを背負った人間曼荼羅模様の面白さは他に類を見ない。しっかりした人物設定があってこそ、スラプスティックでナンセンスな、エロい人情噺的騒動は生き生きと可笑しみを増し、心から泣き笑いするうちに、彼らの哀しみに共感しうるのです。 私は、いわゆる青年(成年)コミックをほとんど読んだことがありませんでした。しかし、ここ10日ばかしで名作とされる「まんだら屋の良太」を入手し、寝しなにその量と質に圧倒されながらも感嘆しつつ読み耽るという幸福を存分に味わいました!「まんだら屋の良太」は性をテーマにしたものでありながら、さながら大人のファンタジーとも言える性と生が共存する(当たり前だが。)懐かしき異郷物語です。「まんだら屋の良太」自選傑作集が全10巻(前期・後期各5巻)で発売されているが、前期は入手困難。 上記がマンガ、下が版画。ほとんど手書きで書かれた作風は、一見汚く見えるが、土着的で開放的な描線であり、性を大らかに描く野太さがあり、人間をまるごと描くことにつながっている。大人のメルヘンともいうべき畑中漫画の魅力を十二分に発揮した名作。「『まんだら屋の良太』の主人公である良太の、吹き出しの中のセリフを読んでいると、畑中さんが並の文学好きでないことが分かります。というより、畑中さん自身が文学者であることが分かるといった方が当たっているだろうな。いま、こういう味わいの文学はすっかり影をひそめてますから、すべて愛読しています。 良太と月子の関係は、スケベを突き抜けた抽象的な男と女のロマンみたいで、本当に不思議な世界だと思ってます。これをどう結着させるつもりなのか...たぶん、ジーンときたあとパッとすかされるんじゃないかと思いますけど。九鬼谷温泉世界は、すさまじい文学空間といったイメージ。どうしてこんなに多彩な人物を登場させることができるのか...やっぱり畑中さんがすばらしい文学者という証拠でしょう。元文芸編集者の尾てい骨で言えば、畑中純さんの書く小説は絶対に面白いと思いますね。伊藤整が好きだなんてことも聞いてますし、まだまだ畑中世界は奥深いんじゃないかな。」-村松友視-「一言で言えば、芸術マンガとエンタテイメントがよく融合しているマンガですね。それが作為的でなく、畑中さんのゆがんだプロセスとからんでいるし、また明治以降の近代人のプロセスともからんでいる。近代人ってのは、土俗社会から抜け出して文学者なり思想家になることが理想だったんですが、その内容が空虚だと自覚した時に、生活者や庶民の前に屈服した。そこで屈服せずに、その両者をいかに整合させていくかに近代日本の思想的課題があるんですが、奇しくも畑中純という個人のなかで実現されたところが、とても興味深いですね。 九鬼谷は一種の”土着せる桃源郷”なんです。近代的自我にめざめた人のユートピアはいろいろあって、共産主義とか、自立した個人の自由で平等な理想郷とかあるけど、九鬼谷は空中楼閣でない”土着せるユートピア”です。九鬼谷をミクロコスモスとして構築するなかで、文化人類学の最近の問題もうまく出ている。まさに大人のための高級娯楽です。」-呉 智英-「良太には、日本の中世の狂言の太郎冠者の趣きもあるけれど、太郎冠者は一応すっかり成人して家内も居るという人物像で作られているが、良太には大人とも子供ともつかない中途半端なところがあってそれが良太の魅力になっている。その点で良太はむしろ”イタリア喜劇”の道化ハーレクインを想わせるところがある。」-山口昌男- ヒロイン秋川月子の艶姿!小倉城南高校三年生で17歳。永遠のセブンティーンだ!「スケベって概念を導入しないと性を語っても全然ダメな時代。『まんだら屋の良太』はスケベについて語る格好のメディアだ。」-糸井重里-欲望おもむくままの良太!実は良太なりの美意識をコントロールし一番理解しているのは、やっぱり月子姫! 《まんだら湯》「まんだら屋のある九鬼谷温泉はどこだ、といまだに聞かれることがあります。生まれ育った福岡県小倉の南部の山あいに創作の舞台を設定しました。全くの架空の土地だとボク自身の気持ちがこめにくいし、実在の場所に限定すると制約がでてきそうです。あらゆる作品は、経験プラス想像力で成り立つということでしょう。若き日に熱中した宮沢賢治のイーハトーヴォやウィリアム・フォークナーのヨクナパトファー郡にヒントを得ました。賢治はイーハトーヴォをドリームランド岩手県だといっていたかと思います。フォークナーの全作品はヨクナパトファー・サーガと呼ばれています。サーガとは「譚(タン)」とか「物語」という意味らしいです。 九鬼谷温泉は畑中純の理想郷です。まんだら湯は羊水であり、再生の湯なのでしょう。みなさんにとってもそうであることを願っています。」「版画まんだら」畑中純(桜桃書房1999) から転載させていただきました。「まんだら屋の良太」自選傑作集後期の5巻には、自選集を記念して行われた特別対談「まんがと生活を語る」が収録されている。お相手はなんとあのつげ義春氏!30ページにわたり互いの創作の秘密にまで迫るディープな対談はマンガ・ファン必見!《名匠、畑中純(はたなか・じゅん)》撮影:斎藤亮一1950年3月20日、福岡県小倉に生まれる。高校卒業後、東京デザインカレッジ・マンガ科に籍をおく。その後いくつかの建築関係の職に就き、74年に1枚マンガ集『それでも僕らは走っている』を自費出版。77年『月夜』でデビュー。さまざまな肉体労働や会社勤めをしながら漫画家修行を積む。79年雑誌「漫画サンデー」で「まんだら屋の良太」の連載がスタートし、ロングセラーとなる。同作品は81年第10回漫画家協会最優秀賞を受賞した。83年から宮沢賢治作品の版画化にとりくむ。《主な著作》『まんだらやの良太』週間連載開始(実業之日本社「マンガサンデー」)『百八の恋』、『おばけ』(講談社「モーニング」『理想館』、『天多磨月夜』(小学館「ビックゴールド」『愚か者の楽園』(新潮社「小説新潮」)『ガキ』(潮出版「コミック・トム」)『玄界遊侠伝・三郎丸』(実業之日本社「マンガサンデー」)『良太』(文藝春秋「コミックビンゴ」『ガタロ』(青林堂「ガロ」)『山猫通信』(西日本新聞)『極道モン』(創雄社「実話時代」)、他版画集に『どんぐりと山猫』(筑摩書房)、『版画まんだら』(人類文化社)、他現在『大多摩月夜』『ガキ』『良太』『夢日和版画館』を連載中。東京都調布市在住。◇聖ならぬ、精なる性!畑中純の世界、その1後編◇■不滅の金字塔「まんだら屋の良太」■~3/12の日記に続きます!
2005年03月13日
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----------------------------------------------------------------------♪ピアノ ひとつ.....うた ひとり.....浜田真理子へ沈む.....♪----------------------------------------------------------------------「The door」 作詞・作曲 浜田真理子knock,knock,knock.Here i am.I'm here just to love you,So,please open the doorof your heart and let me in+++++++++++++とりたてて 美しくもないとりたてて カッコよくもないとりたてて 目新しくもないだけど 凄いと思えるものがまだ 世の中にはありますそれは 自分の中にあります あるはずです浜田真理子「mariko live ~こころうた~ 2003.11.21 at GLORIA CHAPEL」 昨年11月21日に行われた品川教会グローリア・チャペルでのワンマン・ライブをDISC-1に収録、DISC-2には他の6ヶ所のライブからのベスト・テイクを収録。イラスト 宇野亜喜良浜田真理子「mariko live ~こころうた~ 2003.11.21 at GLORIA CHAPEL」は、通信販売、ライヴ会場のみでの販売です。通常リリースはありません。2002年11月渋谷Bunkamuraシアターコクーンで行われた、浜田真理子東京初ワンマン・ライブ収録盤(未編集ドキュメンタリー)『MARIKO LIVE ~月の記憶~』のDISC1、3曲目の「September」でトウキョウ...と呟くように歌ったそのアクセントの情感に自分と同質のものを感じて以来、浜田真理子のうたに沈み込んできました。多くの友人、知人に浜田真理子を薦めてきました。「そういうのって、あんまり人に薦めないで自分の心のなかだけで...」なんて訳知りのことも云われたこともありました。が、幸いにも多くの賛同を得ることができ、世の中そう捨てたもんじゃないなと少し自嘲気味ながらも思えるようになったほどです。このアルバム全体の基調となるゆったりしてひとつひとつ噛締めるようなテンポこそ浜田真理子の真髄だと思います。少なくとも、自分の知ってる限り、このテンポを持った人間はいませんでした。まさに焦がれるように聴きこんで聴きこんで、思い当たりました。浜田真理子は「日本のバルバラ」だなァって。『MARIKO LIVE ~月の記憶~』での白眉!DISC1、5曲目の「Just when I needed you most~離別(イビヨル)」での、冷え冷えとした寂寥感はバルバラの「ナントに雨が降る」に匹敵するものです。何度聴いても間違いなくこの情感は背筋をゾクっとさせます。凄いです。新作「こころうた」には残念ながら前述したテンポが失われてしまっているようです。「こころうた」は「月の記憶」と違ってLIVE編集盤であり公式リリースとしておりません。----------------------------------------------------------------------下記は以前の日記から引用です。どうぞ合わせてご覧下さい。これから益子の里へ仕事にいってきます。仕事の後、益子の新しいスペース「ZONE」で増田いずみさんのLIVEを観ます。詳細は明晩UP予定です。 私は、浜田真理子の「うた」に恋焦がれている.....。 島根県在住のピアノ弾き語りのシンガー「浜田真理子」は、なんの飾り気も少しの衒いもなく、耳に馴染むその澄み渡ったヴォーカルでただただ自然体で「うた」を歌い続けています。彼女の指先からは音数を抑え一音一音を美しく響かせ優美で感傷的なピアノの音が生まれ、彼女の唇からはまぎれもなく純粋で力強い本物の「うた」が、生まれています。その寂しくも、温かい歌声が持つ透明なエネルギーは、聴く者のこころを解き放ち、深く静かに息衝き始めます。彼女の声自体に圧倒的な美しさと表現力があり、何も混ざっていない純粋な”音”です。本当に綺麗な音楽です。また、彼女の歌うゆったりしてひとつひとつ噛締めるようなテンポは今の売らんがための音楽にはない悠久の時が織り込まれているような心地よさを感じることができます。彼女のオリジナル作品の高いクオリティと、耳に馴染むその澄み渡ったヴォーカルに魅せられ、彼女の作品を更に繰り返し聴くことで、彼女の持つ情感は貴方の内に震えるほどの感動を与え、この感動はさらに清々しく敬虔な感動にまで高まって行く瞬間を経験させられる事と思います。私は彼女のうたに光を見ました!それは、そう永く永く人生の悲哀のなかで探していたことさえももう忘れてしまっていた落し物が見つかったような気がしました。あの光 そいつは 古びた町の ガス燈でもなく 月灯りでもない スポットライトでなく ローソクの灯じゃない まして 太陽の光じゃないさ あの光 そいつは あんたの目に いつか輝いていたものさ(日本語詩 浅川マキ/作曲 BARRY GOLDBERG-GERRY GOFFIN)喧騒に満ちた日常の中で、彼女の音楽を聴く時間を持てることがどんなに大切で愛しいことか・・・まさにシンプル・イズ・ベスト!です。 浜田真理子1st『MARIKO』このファースト・アルバムは口コミで広がり問い合わせが殺到したそうです。特にタワーレコードの渋谷・新宿の2店だけで計1000枚以上を売り上げ静かな旋風を巻き起こし、ノン・プロモーションのCDとしては驚異的記録を記録したとのことです。この英語で歌われながらも日本の抒情を感じさせるデビュー作は、一部の音楽ファンの間で話題を呼び、ゆっくりと波紋を広げて話題となりました。そして、2枚目の傑作「あなたへ」でもはや衝撃的な存在といえるまでの評価を得ました。スタンダード曲や古い歌謡曲のカヴァーをピアノ一本で甦らせ、リスナーに懐かしさと新鮮さを与える彼女にメジャー各社のオファーも多数あったそうですが、地元島根で(お子さんがいらっしゃるそうです)、自身の普通の生活スタンスを崩さずに唄っていきたい、という彼女の意志により、以後、新作は彼女のために設立されたレーベル「美音堂」からのリリースとなっています。 浜田真理子2nd『あなたへ』『純愛』そんな 中途半端な愛ならどうぞ 持っておかえりくださいそんな 中途半端な愛でも喜ぶ誰かにおあげなさい私をようこそ 愛するなら身を焦がすような炎で身を焦がすような炎なら飛び込んで共に灰になりましょう... 浜田真理子『MARIKO LIVE ~月の記憶~』浜田真理子のことばがしみることばがあそぶピアノが煌くこの女、痛いぜ!凄いぜ!...恐るべし浜田真理子!彼女の神秘のベールが..今、2枚組傑作LIVE!!!<DISC 1>1.introduction2.Waltz for Woody3.September4.I wanna be loved by you5.Just when I needed you most~離別(イビヨル)6.白い船のゐる港7.Love for sale<DISC 2>1.純愛 2.I'm so lonesome I could cry3.あしくび4.月の記 憶5.Fruits love6.For sentimental reasons~逢いたくて逢いたくて7.聖歌~はじまりの日~8.教訓 |9.I'll get byいつか、浜田真理子に感謝を込めて花束を捧げたいと思います。with LOVE◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇浜田真理子新作ミニアルバム「Love Song」が発売されます!◇◇ジャケ画は近藤ようこさんですね! 浜田真理子新作ミニアルバム「Love Song」(SFS-009) 船戸博史(contrabass) 菊池成孔(alto sax)1. Love song船戸博史のコントラバスと菊地成孔のサックスというトリオ編成による一発録音!2. ラストダンスは私にドリフターズの大ヒットで知られるスタンダード・ナンバー。なんとノン・ピアノのアカペラ!3. 貝殻節ライヴ録音。ピアノ一本。その昔、西岡たかしさんも取りあげてました。4. アカシアの雨がやむときその場に居合わせた者すべてが凍り付いたという名演!5.「Winter people」オリジナル曲のピアノ・ソロ!1曲目「Love Song」作詞・作曲 浜田真理子このうたは凄いです!この女はどうしてこんな表現ができるのか・・・絶句!.......永遠の愛なんて欲しくないから 今この時だけ あなたとふたり........このまま死んでしまいたい あなたの腕の中で 優しく包まれて この星空の下で...近藤ようこさんの絵柄って、上村一夫の絵に少し似てますよね。浜田真理子のうたにもいよいよ上村一夫の愛の狂気の世界が見え隠れしてきて凄みが増してきたような気がします。真理子 ヨロシク!CAT-O ~ ナントに雨が降る NANTES ~ナントに雨が降る 私を放ってほしいナントの空は私の心を悲しくしてしまうちょうど一年前の そんな朝ナントの街はやはりどんよりとして 私が駅から出た時今まできたことのなかった街は 私にとっては見知らぬ街メッセージが来なければ 旅行などしなかったでしょう"マダム、グランジュ・オー・ルー通り25番地へ お越し下さい急いで!希望はあまりありません 彼は最期の時に あなたに会いたいといいました"長い長い放浪の後 やっと彼は私の心の中へ戻ってき彼の叫びは沈黙を破り... 彼が去ってしまってから 長い間、私はこの放浪者、この不明者を 待っていたああついに彼は私のところへ戻ってきた グランジュ・オー・ルー通り25番地 私はあの出会いをなつかしく思い出し廊下の奥にあったこの部屋を 思い出の中に深く刻み込んだ 私が行くと、暖炉のそばに座っていた 4人の男が立ち上がり 部屋の明かりは寒くて白く 彼等は晴れ着を着ていた その見知らぬ人たちに 何も質問せず 何も言わず、ただ彼等をみただけで 私はすでにもう遅すぎたことが解った それでも私はそこにいた グランジュ・オー・ルー通り25番地に 彼はもう決して私に会うことなく すでにこの世を去っていた さあこれがあなたの知っている物語彼はある晩戻ってきて それが彼の最後の旅 最後の岸辺になってしまった 彼は死ぬ前に 私の微笑で暖まりたがっていた けれどその夜のうちにこの世を 去ってしまった彼 別れの言葉も"ジュ・テーム"もいわないで...海に続く道にある 石の庭に横たわって 安らかに眠ることを祈ります 私は彼をバラの花の下に横たえた 父よ、我が父よ...ナントに雨が降る そして私は思い出す ナントの空は 私の心を悲しくしてしまう...
2004年04月10日
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