July 8, 2006
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カテゴリ: 環境問題
『なぜ経済学は自然を無限ととらえたか』(日本経済評論者:中村修) を読んでみた。

●はしがきは、次の文章で始まる。

 経済学者に対する素朴な疑問があった。
 地球環境の時代を迎えているにもかかわらず、多くの経済学者はあいかわらず経済成長を求め、論じている。しかし、彼らは成長のための資源やエネルギーという具体的根拠を示すことはない。さらに、成長がどこまで続くのか、いつまで続くのかという限界を示すこともない。
 これはとても不思議なことであった。


 ということであるが、私には「不思議なこと」とは思えなかったので違和感を覚えた。

●経済学の定義がどのようになっているのかは知らないが、経済学とはどのようなものであれ「お金に換算できないものは経済学の対象にはなりようがない」と考えていたからであり、このようなものでしかないと思っていたからである。経済学に一体何を期待しているのだろうか…と?
●経済学者に、「地球環境や持続可能な社会のために、生産コストとして(自らの直接利益にならない)資源や環境の回復費用を組み込むべきである」なんてことを言っても仕方がない。提言するのであれば、経済学者ではなく政治家に言うのならばまだしも…であるが。

●自然を無限ととらえる経済学に対して、「環境経済学」とか「厚生経済学」と言われる経済学が社会的損失とか社会的費用とかを持ち込もうしているとのことである。
●経済主体が考えていないものを組み込もうというのである。利潤追求に明け暮れる企業が、自ら進んでこんなことをする訳がない。これは、経済学の話ではなく、政治や社会システムのありかたの話である。

●予想どおり、後半になって「政治経済学」の話が登場してくる。

 宮本(憲一)の経済体制論では、例えば、工場での廃棄物の発生において、その垂れ流しを許さない社会構造(人権の確立、整備された法律、言論の自由など)があれば、廃棄物は処理され自然破壊の発生は抑えられる。一方、言論の自由や人権が無視される社では、自然破壊がひきおこされる可能性が高い、と考える。



●義務化されていないのに、「社会的費用を負担しろ」といっても企業がするわけがない。資源の回復費用や廃棄物処理費用の負担が立法化されれば、企業はやむなくこれらを費用として組み込むことになる。結果として経済学でもこれらを費用として組み込むことになる。

●この本でも述べているように、

 石油を採掘し、ガソリンを「生産」しても、それは単なる消費にすぎない。石油や石炭を燃やして電気を「生産」しても、それも地球の資源の消費にすぎない。

 企業経営が中心のアメリカの大型農場では、投下した資本を短期間で回収することが農場経営の必要条件である。ここでは、長期的な視点での地力の維持は問題ではない。利潤が全てを決定する。

 ような社会の仕組みの方が問題ではないのでしょうか?

●ローマ・クラブの『成長の限界』(1972年出版)は経済学ではない。非常に荒っぽい方法ではあったが、システム・ダイナミックスによる予測になっていたではないか。

●ニュートン力学的な「劣化しない無限の自然」を仮定した経済モデルではなく、熱力学的制約からの「劣化する有限の自然」という観点から、「経済学」に対してつぎのような提案がなされている。

 1.自然は有限であり、それゆえ商品も経済活動も経済成長も有限である。
 2.経済活動においてエントロピーは増大し自然は劣化する。地球が捨てるエントロピーは有限であるため、持続的な生命活動は、地球が捨てるエントロピーの範囲内に限られる。
 3.利用可能なエネルギーは有限であるため、生産した以上のエネルギーを消費することはできない。
 4.物質も有限であるため、持続的な生存のためには物質を循環させる必要がある。

●内容自体には異論は無いが、「経済学」に提案したって詮方ないことである。経済学を枠組みを越えた内容だからである。それと、わざわざニュートン力学や熱力学を持ち出して対比することに特別な意味があるようには思えないか…。

●地球環境問題の解決は「経済学が自然を無限と捉えているから」ということとは無関係である。経済学は、現実の経済システムが反映されたものであり、実態経済があたかも自然を無限と捉えていることの反映にすぎない。問題にすべきなのは、実態の経済システムのほうであって、経済学ではない。
●現代経済・社会システムには、地球環境を破壊するメカニズムが働いている。人間はこのメカニズムに支配されている。経済学に拘らずに、地球環境問題が起きるメカニズムや必然性を明らかにして頂きたいものである。

●結論から言うと、地球環境問題は、内部経済と外部経済に分かれる経済システム、私有財産制度、国境、利潤追求動機の資本主義経済システムが原因で起きているのではないだろうか?
●これらの原因を除去できない現状では、強力な立法措置しかないのではなかろうか?

●ゲゼルの提案(自由土地や自由貨幣)についても、「経済・社会の仕組みが間違っている」ことを指摘する声が小さくなって「地域通貨」に収斂している。経済から環境問題を扱うのは結構なことではあるが、こちらも「経済学批判」に終始し、現実世界の仕組みの批判についてはトーンダウンするのではないかと危惧している。


●原材料は生産過程を経て商品になるが、同時に原材料は生産過程を経て廃棄物になり、エネルギー資源は生産過程を経て排気ガスや廃熱になる。
●従って、生産・消費の全てのプロセスをこのような自然資源の消費過程、環境への廃棄の観点から生産をとらえる必要がある。
●要は、お金の循環と同様に全ての自然資源の循環をトレース可能なように計測する必要があるということである。

●持続可能な社会システムは太陽の恵みとしてのエネルギー(フロー)の活用以上のエネルギーを消費してはならない。つまり化石燃料(ストック)などは消費してはならない。有限な地球環境の下で、物財に関する無限の経済成長なんてものはありえない。
●このためには、鉱物の採掘、森林の伐採、動植物の狩猟・採取、大量の水や空気の消費、化石燃料の消費などを世界規模で管理する必要がある。


●そのためには、内部経済と外部経済、自国と他国、自分の資産と他人の資産の境界を全て撤廃する必要がある。

●人間的・自然的な未来社会では、ローマ・クラブが意図したようなワールド・ダイナミックスは、
 ・人間を含めた生態系の管理
 ・3次元GIS(地理情報システム)などによる資源の採取と復元管理
 ・地球環境のモニタリングとシミュレーション機能
 ・全ての生産・消費プロセスでの入力(原材料、エネルーギー資源、労働力)と出力(生産物と廃棄物)の数量把握
 ・人や組織間のお金の流れ
 などをトータル管理できるようなシステムになるのではなかろうか?





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最終更新日  July 9, 2006 12:01:35 AM
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