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2019/04/01
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カテゴリ: 母と妹




母と書道




母方の祖父は少しピアノが弾けた。

だから、家にはピアノがあった。

祖父は一人っ子である母にピアノをさせたかった。

だが、残念ながら母にはそちらの才能はなかった。

その代わり、母は書道ができた。

やがて書道教室を開くことができるとかいう資格まで取る。




書道の先生は、近くに住むわずか数歳しか歳の変わらない女の先生だった。

母は一度も先生を変えたことはなく、この自分とさほど年の離れていない先生を慕ってひたすらに通い続けた。



鉛筆を使うかのように家には硯と墨と筆があった。

だから、私は幼い頃から墨の香りに包まれて育った。




私と妹が少し大きくなった頃、それを生かして内職を始めた。

賞状の名書き、封筒の宛名書きなど、見たこともない『取締役』とかお偉方の役名の練習を繰り返すようになった。

企業から依頼されることが多いらしく(80年代、今とは違いこういう類の需要はいくらでもあった)、びっくりするほど大きくて重いダンボールがひっきりなしに届いた。

母はせっせと書いた。

朝から晩まで、筆が止まることはなかった。

いずれ、肩が凝る、それが口癖になった。

それが数年続いたある日(こういう宛名書きはきっちりと楷書でトメハネはもちろんのこと、縦線が歪むなんてことをすれば書き直しになるので)、「疲れるわ」と言って辞めた。




母はまた楽しそうに書くようになった。

相変わらず先生の元へ習いに通い、二度と名書きの内職をすることはなかった。






70代、そろそろ引退し、体を休めたいということらしかった。

母からはどこか物悲しいような感じを受けた。

だが、母は我が道を貫き最後までやり遂げた。

一心に書道に捧げた人生だった。

どこか清々しい空気だった。





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最終更新日  2019/04/01 07:43:11 PM
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