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久々のいい天気。絶好のお花見日和である。この天気に誘われて桜でも見に行こうということになったのだが、案の定、長女は「宿題があるから行かない!」と一言。結局3人で出かけることに。奈良公園の浮御堂の近くに車を止め、飛火野まで歩いた。次女はしまじろうの付録のカメラを持って得意気である。いっちょまえに私や家内にポーズをとるよう求めてくる。ほぼ満開だった。宴会をやるような場所でも時間でもなく、家族連れやカップル、友人同士のグループが桜の木の周りでお弁当を食べながらお花見をしていた。飛火野の広い原っぱゆえ、のどかな気分にしばしひたった。家内は明日香の桜が見たいと言っていたのだが、どうせなら大宇陀の又兵衞桜でも見に行こうということになり、天理の石上神宮経由で大宇陀に向かった。石上神宮の桜は並木になっていて、車で通り過ぎる時、桜のトンネルをくぐっているような錯覚を覚えた。神宮の横には露店が出ていて、その奥で宴会をしているグループがいくつもあった。夜になれば一層にぎわうのだろう。途中、山ノ辺の道に入り、夜都伎神社の近くにある、以前イチゴを買った直売店に寄った。あすかルビーが今では200円になっていた。今回、家内は3パック買った。味は保証付きである。大宇陀の又兵衞桜は見事なしだれ桜である。この1本の桜だけを見るためにたくさんの人が集まってきていた。阿騎野のかぎろいの丘公園から1キロほどのところである。桃色の桃の花が周りに咲き、さらに又兵衞桜を引き立てている。多くの人が「あ~」「お~」と感嘆の声をあげていた。たくさんのカメラマンが写真を撮っていた。本当に見事な桜である。家内も満足をしていたのだが、次女は桜などそっちのけで下の川原で石を投げて遊ぶのが気に入ったとみえ、長い時間そこで遊ぶはめになった。土手でつくしやタンポポを採ったり石を拾ったりと次女も別の意味で満足していたようだ。1日家で楽しんだ長女だけが、私達が帰ってから家のこと(掃除・食器の片付け)を何もしていなかったと家内に怒られていた。そんな長女を見ながら「一緒に来ればよかったの・・・」にと少なからず思った。
2002年03月28日
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昨日、おとといと私は仕事だった。今は日勤なので朝早く家を出、夜遅く帰ってくるサイクルである。今日は休み。晴れていれば、ローソンのレシートで当たったチケットがあったのでUSJに行くつもりだったのだが、昨夜から雨。しかもかなり本格的な雨だった。起きた時点で今日のUSJ行きはなくなった。家内も週末にかけて在宅の仕事が溜まっているようで、この雨で仕事が出来ると内心ほっとしているようだった。USJはいつでも行けるので別にがっかりはしなかったが、完全に風邪が治った次女は、もう家にいるのがつまらないらしく、どこかへ連れて行けコール。せっかく桜の時期だというのに、雨が降っていては花見の気分にもならない。しょうがないのでまたいつもの広陵町と斑鳩町の図書館に行くことに、ついでに夕食の買い物を頼まれた。車の中での娘との会話が楽しい。今は春休みで午前中にアニメをやっていて、クレヨンしんちゃんとお邪魔女ドレミはいいのだが、あいだにやるヌーベーが怖いから見たくないのだそうだ。何とかして欲しいと私に言うのだが、見なければいいとしか言いようがない。図書館で本を借り、帰りにスーパーに寄った。買い物は嫌いではない。むしろ好きな方である。広告のチラシもよく見ている。「どこどこのスーパーでクリープが298円!」「いちごが1パック250円」そんな広告に踊らされている。すっかり主婦の気持ちになっている。住宅や車、電気店のチラシをみると欲しい物がたくさん載っていて、今買えるわけがなく、見ていて悔しくなるので見ないようにしている。結局見てはいるのだが・・・夜は焼きそばにした。焼きそばは私が作ることが多い。簡単だし、手間がかからない。食器の後片付けや食器洗いも率先して私がやった。それには理由があった。今日は代表の試合があるからである。中田・小野・川口・稲本の海外組が合流し、新メンバーとどんな試合をするか楽しみだった。稲本がいまひとつなじんでいなかったが、中田・小野・市川の活躍でポーランドに2-0で勝った。三都主や小笠原・中村のプレーも見たかったが出場した選手の活躍ぶり、試合の結果には十分満足できた。ふ~。あ~よかった。6月が早く来ないかな~
2002年03月27日
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今日も休みの日。昨晩は次女を寝かせてからTVでニュースや映画を観るつもりでいたのだが、気が付いたら朝の5時半だった。次女より先に寝てしまったようだ。なんか損をした気分である。PCを付け、日記を更新し、しばらくコメント書きに熱中する。ベランダでの一服。まだ早いせいなのか風が冷たい。TVを付け、ニュースを見る。辻本議員が槍玉にあがっている。この時期にタイミングよく出てくるのがちょっとおかしいと思いつつ、茨城の大洗で起きた高校生の殺人事件に目を奪われる。よく知った町で起きた事件なのでいろいろ思いを馳せてしまう。7時前には家内と次女が起きてきた。朝ご飯はトーストにコーヒー。何処かに出かけようと思っていたが、風が冷たい。それだけで気持ちが萎えてしまう。根性無しだからしょうがない。結局、1日何処へも行かず、次女のパズルやゲーム、トランプ遊びに付き合い、また家内の医療事務の内職も手伝った。あげくには遅く起きてきた長女の昼ご飯を作り、唯一の外出で夕飯のおかずを買いに近くのスーパーまで次女と一緒に行った。食器の後片付けなどをして、残った時間でPCとTVをみてダラダラと過ごしたのだが、これはこれで妙な充実感があって我ながら満足出来たのだから良しとしよう・・・
2002年03月24日
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天気が良かったので、ロタウイルスのおかげでずっと家にいた次女を連れ、奈良公園にちょっとだけ行って来た。しかし今日は風が強かった。桜もところどころしか咲いておらず、見頃になるまではまだ4,5日かかりそうだった。久々の外出で喜んでいた次女だったが、風が強いせいか、鹿にパンをあげるのも途中で飽きてしまい、「もう帰ろう・・・」と言い出す始末。まだまだ体の方が本調子に戻っていないのだろう。そそくさと奈良公園を後にして家路についた。
2002年03月23日
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昨日1日、ピアノの発表会があり、夕方までかかった。家に帰ってから夜勤に備えて寝るつもりだったのだが、6時から代表の試合があった。家内が「ビデオに撮っておくわよ」と言ってくれたのだが、リアルタイムで見なければ意味がない。三都主、小笠原、市川、代表に新しく加わったメンバーの活躍が目立った試合だった。本番がますます楽しみになってくる。結局、試合を見てから夜勤に出かけた。気分的に辛いかな~なんて思っていたのだが、仕事中は気が張っているせいか、いつもと変わらず仕事が出来た。さすがに帰り道には、疲れがドット出て来たらしく、信号待ちをしている時など、ついうとうとしてしまう。そんな時、道沿いに咲き始めた桜が目に入り、「おっ、もうこんなに咲いている・・・今年は何処に見に行こうか・・・」なんて考えているうちに無事家に着くことが出来た。食事をして、「ほんまもん」を見終わると同時にバタンキュー夜中の3時までの爆睡となった。
2002年03月22日
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今日は子供たちのピアノ発表会の日だった。しかし、次女は元気になったとは言え、まだ完全に治っていなかったので、欠席させることになった。家内は子供たちの連弾が聞けないのをことのほか残念がった。長女を乗せ、2人で会場に行く。子供たちがピアノを習っている先生は、まだとても若い先生である。発表会といっても1人だけで開くのはいろいろ難しいらしく、他で教えている仲間の先生2人と一緒に3人で合同発表会として開いたのだと言う。朝、電話では、次女の欠席を伝えておいたのだが、改めてリハーサル中に先生に伝えた。嫌な顔ひとつせず、次女の具合を心配してくれる先生の心遣いがうれしい。発表会が始まった。本来なら次女が1番小さいらしく、プログラムの1番最初だった。会場内に次女名前と都合によりお休みと言うアナウンスが入る。長女の出番は、大きいので最後の方なのだが、長女は少し緊張しているらしく、楽譜を何度も見直していた。ピアノを習っている子は女の子の方が多いようで、30数人のうち男の子は4,5人しかいなかった。またうちのように兄弟や姉妹で習っている子も多く、2部で連弾があるのだが、そこには同じ苗字の子供たちの名前が多く書かれていた。長女の番が来て、なんとか間違わずに弾けた。こちらまでドキドキしてしまう。2部の連弾では、次女に合わせて選曲した「小さな世界」の次女が弾くパートを先生が弾いてくれた。知らない人が聞いたら「あれ?」って思うかもしれないほどあっという間に終わった。小さい子がピアノを弾く姿には微笑ましさとある種の羨ましさがある。私の小さい頃にもピアノを習っている同級生が何人もいた。ピアノを上手に弾く友達を見てとても羨ましかった思い出がある。かと言ってピアノを習いたいとは思ったことなどないのだが・・・発表会で小さい子がピアノを弾く様子を見ながら、私も上手にピアノが弾けたらいいなあなんて考えが頭をよぎった。いずれ子供たちや家内にピアノでもを習おうかと思った。
2002年03月21日
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午前中、家内と次女を乗せて近くの小児科に行った。診療所にはたくさんの人がすでに来ていて、ぐったりした子供や泣き叫ぶ赤ちゃんたちでいっぱいだった。私は駐車場で待つことにした。1時間ぐらい車で永 六輔の本を読みながら待った。外はすっかり春の陽気。付けっぱなしのラジオからは今年の桜の開花が各地で観測史上最速の記録を更新していると告げていて、桜の見頃が、関西では3月中になってしまうだろうとも言っていた。お花見も新入社員が入ってくる前になってしまい、去年の新人がまた今年も場所取りに駆り出されるのではなどとどうでもいいことで盛り上がっていた。家内たちが帰ってきた。「ロタウイルス」に感染しているということだった。11月から4月にかけて赤ちゃんから4歳ぐらいの子によくある感染症らしく、突然の嘔吐から始まり、遅れて下痢を伴う発熱があるという症状は、昨日の次女そのままだった。特効薬はないらしく、長くても1週間ぐらいで自然治癒するらしい。大切なのが食事療法で硬いものはダメでお菓子などはもってのほかということらしい。診療が終わった次女は心なしか元気になったようで、早速お菓子を食べたがったが、家内に釘を刺されていた。しばらくは次女の様子をみることにしてのだが、春休み早々、とんだことになった。それにしても次女は、昨年末から、溶連菌ウイルス、インフルエンザ、風邪、ロタウイルスと次々にかかっている。はじめての幼稚園や保育園で過ごす冬にはこんなことが多いらしいのだが、せめて他のことで流行に敏感になって欲しいと思う
2002年03月20日
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昨晩は、決算が終わり、家内の在宅の医療事務の仕事がまた何件か来ていたので、そのデーターのPCへの入力を手伝っていたら、結局寝たのが3時過ぎになってしまった。今朝は次女の目の定期検診があり、朝の8時過ぎに家を出た。車で40分かかる道のりだが、あと少しで到着と言うところで次女が突然吐いた。私も家内もびっくりしたが、本人が1番びっくりしたであろう。今まで乗り物に乗っている時に吐いたことなど1度もなかったし、病気をした時でも私の記憶にないぐらい次女が吐くことなどなかったからである。とりあえず後片付けをして病院に向かった。次女の具合があまり良くなかった。そこで今回の診察はキャンセルして次回の予約だけして家に帰ることに・・・家に帰ってからも1回吐いた。しかしその後は元気になった。熱も出ていない。単なる乗り物酔いだったのかもしれないと家内と話したのだが、夕方、家内が作ったうどんを食べるそばから吐いた。病院も閉まっている時間だった。少し心配になったが、様子を見ることに。近くのドラッグストアーで下痢止めと嘔吐に効く薬、それにブドウ糖が多く入ったイオン飲料を買ってきて飲ませた。しかし夜になっても、食欲がなく、飲んだり食べたりするとすぐに吐いてしまう。下痢も始まった。少し熱も出てきた。夜間病院に行った方が良いのだろうか・・・家内と話したが、朝まで待って病院に行くことにした。家内に寝てもらい、私がうなされる次女を看病した。というより喉が渇くらしく、夕方買ったイオン飲料を何回も飲ませた。12時を過ぎてからは、吐くことがなくなったが、喉が渇くらしく頻繁に水分を欲しがった。PCに向かいながら原因をネットで調べたりしたが、胃腸炎なのか風邪の一種なのか判別つかなかった。まんじりともしない一晩を過ごした。
2002年03月19日
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夜勤明け。家に帰ったら長女しかいなかった。次女と家内は幼稚園。今日は年少最後の終業式の日だった。役員である家内は、その式に参加していた。先日作った、転勤で退園する児童2人と、結婚のため園をやめる担任の先生にアルバムを渡す仕事もあった。しばらくすると、私と長女の2人がいるのにもかかわらず、誰もいないかのような静かなわが家に、家内と次女の2人が帰ってきて急ににぎやかになった。たかが年少の終業式だと言うのに、2人はとても感動したようで、その感動の思いを静かな2人に伝えようとしゃべりまくった。結婚のため退園される担任の先生が、園児の前で最後の挨拶をしている時に、感極まって泣いてしまったらしいのだが、その様子を見ていた園児達は、先生がなぜ泣いているのか理由がわからない。「せんせい!なんで泣いてるの~?」「せんせい!なんで泣きながら笑ってるんや?」周りにいた家内たちもうるうるするやら可笑しいやらで、とにかく良かったらしい。去年は長女の小学校の卒業、中学校への入学、次女の幼稚園への入園と大きな節目の年だったが、今年は特に変わったことは無いと思っていた。しかし、このような小さな節目の出来事こそが、次のステップへの重要なポイントになるのかな~なんて考え直した。
2002年03月18日
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腕時計の電池が切れていた。仕事に行く前のことである。昔からデジタルの数字で表示するタイプはあまり好きではない。どうしても秒針や分針、時針があるタイプを好んで購入してきた。針と針の角度を見てでないと時間が理解できないのかもしれない。決して高い時計ではない。むしろホームセンターで売っているような安い時計ばかりである。時と場所、TPOで時計を使い分けるような気くばりやお金も持ち合わせていない。要はあれば良くて、なんでもOKなのである。一瞬そのまま腕に付けて出かけようかと思ったのだが、少し考えて職場にも時計があっちこっちにあり、腕時計が無くても困ることはないと思い、付けずに出かけた。ところが日頃の習慣とは恐ろしいもので、仕事中、無意識のうちに左腕を見て「はっ」とすることが何度もあった。自分の左腕を見る度に思わず苦笑い。忘れた頃にまた苦笑い。それの繰り返しである。結局十数回も見ただろうか。最後の方はしばらく手首を見つめたまま「もう始まったのかな・・・」なんてしみじみ考える始末。一度身に付いた習慣を変えるのは、本当に生易しいことではないようだ。いろいろな意味で、習慣とは本当に恐ろしいものだとつくづく思い知らされた1日だった。
2002年03月17日
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金・土・日と夜勤である。夜勤の時は夜の8時過ぎに家を出る。職場まで片道20キロ弱の道のりだ。平城京の朱雀門や興福寺の五重塔のライトアップを見ながらの通勤になる。途中たくさんのファミレスやレストラン、ファーストフード店の前を通る。明るい店内で楽しそうに語り合う家族やカップル、あるいは友人同士の姿が目に入る。そんな光景を見ると、なぜか心が温まるから不思議だ。車の中では、ラジオを聞いたり、時にはCDに合わせて大声で歌ったりする。短いながらも私一人だけの楽しく過ごせる大好きな時間である。
2002年03月16日
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今日も休みだった。幼稚園の役員をやっている家内の役員仲間から、上の子の塾の説明会があり、子供を迎えに行けないので、出来れば子供を預かって欲しいと言われていたので、幼稚園まで家内と子供たちを迎えに行くことになった。年齢も近いせいか、その役員さんと家内とは非常に気が合うらしく、ことあるごとに一緒に出かけたりしているようだ。もう何人かそういう人がいるらしいのだが・・・幼稚園や学校で役員を引き受けることについては、家内は最初、出来ればやらずに済ませようと考えていたと言う。長女が小学校の時にはそうやって逃げていたのだが、6年生の時にとうとう役がまわってきてしまい、卒業委員としてこれまた忙しい日々を過ごすはめになった。去年のことである。それに懲りた家内は、「どうせやることになるなら、早い方がいい!」と気持ちを切り替え、次女が幼稚園に入園するとすぐに役員になった。たまたま一緒になった役員さんも、上の子が小学校の高学年になっている人が多く、年も近いことがあっていい友達がたくさん出来たと喜んでいた。また幼稚園の情報や子供が幼稚園でどうしているか、手にとるようにわかるので「役員になってよかった」と最近は言っている。そんな役員仲間のお子さんを預かり、帰りにマックに行った。同じ4歳でも4月生まれの次女に比べ、その女の子は1月生まれのせいか、ひとまわり小さく、あどけない顔をしている。この年令での1年の差はとても大きいようである。安くなったハッピーセットを2人で美味しそうに食べ、仲良さそうにしていた。そのあとお母さんが迎えにくるまで家で遊ばせることになったのだが、私は、ちょっと時間を貰って本屋や買い物に行った。何も買わなかったのだが・・・帰ったらもうお母さんが迎えにきたらしく、すでに帰った後だった。家内から子供たちが仲良く遊ぶ様子を聞いた。ままごとをしているうちに、次女が「まあ、これは賞味期限ぎれだわ!どうしましょう・・・」なんて言ったそうだ。子は親の鏡とは良く言ったものである。本当に子供の前では変なことが言えないと思った。
2002年03月14日
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夜勤明け。昼過ぎに帰ってきたのだが、家に誰もいなかった。次女の幼稚園は今週に入って弁当がなくなり、午前中に帰ってくるはずなのだが、今日は家内が最後の役員会で、その後子供を連れて食事をすることになっていたのだ。食卓には用意されていたパンとサラダがあり、コーヒーをいれて一人で食べた。すぐに期末試験中の長女が帰ってきたのだが、自分でラーメンを作って食べ、食べ終わるとすぐに自分の部屋に閉じこもってしまった。う~ん。親子の会話が欲しい・・・午後3時をまわった頃、2人が帰ってきた。今日は、年長組の卒園式の打ち合わせがあったようだ。それとは別に家内は、3月いっぱいで転勤のため、幼稚園を出て行く2人の園児と年少を教えるため、年中にあがらないお世話になった担任の先生の写真を撮って来た。役員である家内たちが中心となり、2人の園児と担任の先生のために、クラスの園児達全員が、それぞれ3枚ずつA4の画用紙に好きなことを書いてまとめ、アルバムにして渡すことを考えた。それぞれの人の写真をパソコンで編集して表紙にするというアイディアらしいのだが、その編集を家内は最初から自分でやるつもりもない。はなから私に頼むつもりでいたようだ。私も嫌いではないので断るつもりもなかった。むしろ喜んでやってしまう。とりあえず最初の1人のものを作ってみた。「すごーい、上手!!みんなびっくりするわ~!」家内はおだてがうまい。「本当か~」と心で思いつつも、ついつい気をよくして次のに取り掛かる。「うわ~いい!いいわよ!うん、うん!」「そうか~?」と思いつつ、まんざらでもない。結局、おだてにのって最後までやってしまった。わが家は平和である。
2002年03月13日
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今日は自分の時間が欲しかった。以前から気になっていた場所になんとしても行きたかった。大宇陀町にある阿騎野である。やはり次女が付いて来た。「お寺や名所廻りだからつまらないしおうちで留守番していたら?」と言ったら、「サキチャンはね~お寺廻りは嫌いじゃないの!」と言われてしまった。連れて行かないわけにはいかなかった。大宇陀まで車で1時間半かかる。車中、次女はしゃべりっぱなし、歌いっぱなしだった。なんでも4月から忙しいらしい。「サキちゃんはね~4月から忙しいんだから、だって子供たちの面倒を見なければならないし、幼稚園に行ったらすぐ体操着に着替えなければならないのよ!」年少の子が入ってきて、その面倒を少しだけ年中の次女たちが見るのだという。言い方が可笑しかった。柿本人麻呂が軽皇子に付いて狩に出かけてきた時に詠んだ歌で、教科書にも出ていた有名な歌、「東の野にかぎろいの立つみえて かえりみすれば月かたぶきぬ」が詠まれた場所である。人麻呂公園やかぎろいの丘万葉公園などが隣接している。山に囲まれたこじんまりとした場所で、人麻呂の石像や歌碑がいろんなところに建っていた。かぎろい・・冬の寒い日の出の約1時間くらい前に東の空が赤く染まる様子のことらしいのだが、私もこの目で1度見てみたいものだと思った。毎年年末や1月に「かぎろいを観る会」が催され何千人もの人達が集まってくると言う。この場所でかぎろいを観ることができれば一気に1300年前にタイムスリップし、若くして病死した草壁皇子の息子である軽皇子への期待や祖母に当たる持統天皇の子供に対する異常な愛着とそれからくるたくさんの悲劇を肌で実感することができるのかもしれないと景色を見ながら思った。近くには源氏ボタルのいる川があったり、おととしの大河で有名になった又兵衞桜など大自然に恵まれた場所である。次女は葉っぱを拾ったり、木の枝でチャンバラしたり、石垣や草のところばかりを歩いたりとそれなりに楽しんでいるようでひとまず安心していたのだが、帰ってきたら急に熱を出した。ひとまず寝かせ、様子を見ることにしたが家内の私を見る目が厳しい。どうも私の旗色が悪そうである。私のペースでちょっと連れまわしすぎてしまい、疲れてしまったのだろうか・・・次女には悪いことをしたと心から反省した。
2002年03月10日
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いい天気である。こんないい天気の日に出かけないのはもったいない。しかし長女は今、期末試験中である。毎晩家内に遅くまで勉強を見てもらっていたようだ。まだ来週にも試験が残っていると言う。そこでまた次女を連れて出かけることにした。大和郡山にある大和民族公園である。広大な敷地の中で梅、桜、菖蒲など、季節ごとの草花が楽しめる場所だ。今日は梅が満開だった。あまり人も多くなく、穴場かもしれない。お弁当を持ってのんびり散歩するもよし、ボールやバトミントンなどの遊具を持ってきて原っぱや広場で遊ぶのもよし、とにかく広くてのどかな場所である。次女は池にいた金魚にパンを小さくちぎってあげていた。群がる金魚を見ておおはしゃぎだった。園内にはあっちこっちに江戸時代の民家が移築され、展示されている。民家の中はどこか懐かしい匂いがした。午後になって風が出てきた。そこから橿原にある、こども科学館に行くことにした。3月3日にリニューアルオープンしたと地元のニュースで知っていたからなのだが、奈良にはこの手の科学館がここにしかない。奈良市になぜかないのだ。しかし橿原のこども科学館は、あると言っても大阪や神戸のポートアイランドにあるそれと比べたら月とすっぽんと言う他ない。ワンフロアーしかなく、小1時間も入れば全部見れてしまう内容である。リニューアルと聞いて密かに期待していたのだが、新しく展示に加わったのは、たった2点しかない。しかも入場料は2倍近くになっている。それでも次女は楽しそうに展示物のボタンやハンドルを回していた。大人が思うほど子供はつまらなくなかったようだ。自分が楽しめないから子供もそうだろうと考えていた私の判断はどうやら間違っていたようである。
2002年03月09日
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金・土・日と3連休なのだが、今晩は今回うちの班から三重に転勤になった9名と他の班に移動になった4名の送別会があった。今回の転勤は20代後半から40代の各部署で重要なポジションについているメンバーが多く、もちろん行く人間も、また仕事も人間関係も一からはじめなければならず、とても大変なことだと思うのだが、ここに残されたメンバーにとってもその仕事を考えただけで、めまいがするくらい大変なことだと思う。独身者もいるが、妻子持ちも多く、単身赴任になる者、家族帯同で行く者、それぞれの人生がこの一瞬から大きく変わっていくのだ。私も水戸から転勤してきて7年が経った。毎回、毎回今度こそ転勤があるだろう・・・と密かに思いつづけている。別に今の職場に大きな不満があるわけではないのだが、会社にいる以上転勤は付き物とう考えである。まして4月からは転勤をしたくない者を対象に地域限定社員という制度が始まる。転勤がない代わりに賃金を減らすという一緒のワークシェアリングだ。私はそれを希望しない。ゆえに何かあると転勤可能者リストから選出されるはずである。いつでも行ける心の準備は出来ている。もちろん単身赴任になるのは間違いない。その日が来るまでは極力子供たちとのふれあいを大事にしたいと思っている。まあ、成るようにしか成らないものだから・・・
2002年03月08日
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3月3日を過ぎた。せっかく飾ったひな人形を片付けることにした。片づけが遅くなると、娘の婚期も遅くなると言う。だからどうだと言うのだ。何も慌てて行くこともないだろう。少しぐらい遅くたって別にいいじゃないかと思う。次女が手伝ってくれた。幼稚園で作ったひな人形も一緒に仕舞った。これから毎年一緒に飾ることになるだろう。また来年!
2002年03月05日
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月曜日だが、私は休みの日。次女も幼稚園で弁当がないので午前中に帰ってきた。そこで暖かな陽気に誘われて2人で出かけることにした。家内はひとり、のんびり家で過ごすと言う。先週行った家の近くの追分梅林に向かった。梅の花が先週よりたくさん開花しており、梅林の中は、甘酸っぱい梅の香りで満ちていた。人も月曜日にも関わらず意外に多く、あっちこっちにビニールシートを敷いて弁当やお茶を飲みながら梅を眺めている人達がいた。ひとまわりしてから、先週団子を買った売店に行ったのだが、すでに売り切れており、次女がとても悲しそうな顔をしていたのが面白かった。その後、奈良公園に出かけた。鹿にあげる為、残ったパンも持ってきている。今日は久々に大仏殿の中に入った。大仏様を拝顔し、家内安全、仕事がうまくいくように祈った。次女は、大仏様を見ても別段興味を示すわけでもなく、何が楽しいのか、ただ柱の周りをぐるぐる廻っていた。もちろん、お約束の柱の通り抜けも楽しそうにくぐっていた。その後、大仏殿の参道や飛火野園地で鹿にパンをあげて楽しんだ。この場所には、娘をしょっちゅう連れてきているので、娘は鹿に対して怖がることはない。もちろん鹿のうしろ蹴りとか頭突きも何度も経験しているので、それに対する防備は怠っていない。また、パニックになるので、鹿が何頭も群れているところでは餌をあげたりしない。1頭か2頭でいる鹿に餌をあげるのだ。久しぶりだったので娘も楽しかったようだ。3月になると、二月堂で行なわれる「お水取り」も本行を迎え、14日まで毎日、松明が欄干から出される。去年も見に行ったのだが、後ろの方でよく見えなかった。今年は階段のすぐ横に場所を取り、松明が階段を上るところをじっくり見ることが出来た。突き出された松明の火の粉が大きければ、大きいほど、観客の歓声も大きい。欄干から落ちてくる火の粉もたくさんかぶることもでき、今年1年、無病息災でいられる安心感も得られた。今日は春が近いのを感じた「春感日」とも言うべき日になった。写真もアップしたので、どうぞご覧あれ!
2002年03月04日
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今日は日勤。ここのところ、社内での噂話は例によって転勤の話である。11月の転勤は、なんとか切り抜けた。ほっとする間もなくまた次の転勤話しである。今回は3月15日付と4月1日付で合わせて44人が転勤することになる。今回は覚悟を決めていた。が、今のところ声がかからない。新しい職場で、仕事や人間関係をまた一から始めなければならないことを思うと本当に大変なことだと思う。しかし、今回のように1度に多勢抜かれてしまうと、残った方もかなり大変だ。この転機をどう捉え、どう進んで行くかを真剣に考えなければならない。とは言いつつも、最後には「なるようにしかならない!」になるんだろうな~
2002年03月01日
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