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皆様、こんばんはですにゃ~ わーい!ご主人様が本日の午後に韓国から帰宅いたしました~ 上町青壮年団の旅行だったそうで、今夜から久しぶりに韓国シリーズが始まります。今日のところは軽くホテルの紹介から‥今回はご主人様にとって1年1ヶ月ぶりの韓国、ソウルは1年3か月ぶりだったようです。しかもソウルにツアーで来たのは何年ぶりでしょうか。格安ツアーなのでホテルは選択できず、ご主人様も名前だけは聞いたことがある汝矣島ホテルでした。このホテルは1975年にオープンしたそうです。韓国の政治、経済、放送の中心地「汝矣島」にあるので、仁川空港や金浦空港からアクセスが便利な場所にあります。汝矣島エリアでは昔からビジネスホテルとして親しまれているようですが、オープンした年から「かなり古いのでは?」という感じがしてしまいます。ところが、2006年にリノベーションされたそうで、ご主人様には必要十分だったそうです。トイレもウォシュレットだったし‥コンビニも近所に3軒もありました~(ここは重要なポイントですよね)明洞や鐘路などの江北の繁華街から遠いといった難点がありますが、新しい地下鉄9号線の「国会議事堂」から「鷺梁津」で1号線に乗り換えればそれほどではありません。ここで注意点をひとつ、9号線の「鷺梁津」と1号線の「鷺梁津」は近いのですが、一度駅から出ないと乗り換えができません。2枚目の写真は、昨夜オフ会から帰ったときに見上げたものです。ちょうど満月でした~(今度こそ吾輩へのお土産は‥ 今夜もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.31
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こんばんはですにゃ~ ご主人様の昨夜の介護認定審査会はいつものとおり委員長先生との飲み会で帰宅は午前様、相変わらずです‥さて、今夜は吹研の練習日、今夜も「ニュー・イヤー・マーチ」と「キャンディード序曲」、「海の歌」の譜読みをしたそうです。それにしてもご主人様は明日の朝、ソウルに出発するはずなのに何の準備もしていない模様、大丈夫なのでしょうかそして、今夜は全国の受験生に御利益をと始めた「お寺シリーズ」の最終回ですこれまでご主人様が訪れたお寺を紹介してきましたが、ご主人様が感動したベスト3を紹介したいと思います。1位はカンボジアのアンコール・ワットです。さすが、アジアを代表する世界遺産、寺院自体の歴史、絶妙の遠近法を使用した建築、美しい回廊のレリーフ、どれをとっても素晴らしいの一言です。2位は韓国の仏国寺です。このお寺も世界遺産、仏の世界をこの世に再現したお寺で、日本人の心に訴えるものがあります。3位はタイのワット・プラケオです。修復が繰り返されているため歴史はあまり感じられませんが、さすがタイ仏教の頂点、最高の格式を誇る王室寺院です。以上がご主人様が勝手に決めた「お寺ベスト3」だそうです。明日からご主人様はソウル入り、吾輩も更新をサボることにします。コメントへのお返事や皆様のところへお邪魔できませんが、よろしくお願いいたしますにゃ~(ご主人様の帰国と同時にソウルシリーズを始めます。今夜もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.28
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こんにちはですにゃ~ ご主人様は今夜は介護認定審査会だそうです。だから早い更新ですにゃ~(しかもいつも以上の「手抜き」です‥)さて、今日の「お寺シリーズ」は‥カンボジアのアンコール遺跡群、有名なアンコール・ワットの向かいの山頂にあるプノン・バケンです。この寺院は約1,100年前に創建されたヒンドゥー教の寺院で、その名もプノン・バケン山の山頂に建っています。この山はアンコール三聖山のひとつで、高さ約65メートルの丘を登っていくとピラミッド状の遺跡プノン・バケンがあります。一直線に徒歩で登るか、象に乗って登っていくことができます。ここは夕陽に照らされるアンコール・ワットを見下ろす絶景スポットとしても有名です。象の背中に乗って登るのは有料、貧乏なご主人様は徒歩で登山したそうです(けっこうキツかったらしいですにゃ~)。この寺院は、ヤショヴァルマン一世が築いた第一次ヤショダラプラ都城の中心寺院として建設されました。山上寺院の建築様式はバケン様式と呼ばれているそうです。同様式はプノム・クロム、プノム・ボックの他のアンコール三聖山にも見られます。かつては山上の寺院と丘のふもとを結ぶラテライトの長く急な階段が、東西南北の四方向に作られていたそうです。現在は、ご主人様も登ったアンコール・ワットの正面、東側の参道跡が観光客にとってのメインストリートになっていますが、階段は全て失われ岩肌が露出した悪路です。北側参道の階段はアンコール・トムの南側にあり、勾配が緩やかなため象に乗って登れます。ちなみに西側と南側の階段は消失してしまっています。(明日はシリーズ最終回です。今日もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.27
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こんばんはですにゃ~ 一昨日に紹介した中国は蘇州にある臨済宗のお寺、寒山寺ですが、再びの紹介です。このお寺は日本人にとって中国のお寺の中では、あの「少林寺」の次に有名なお寺ではないでしょうか?その理由としては、鐘が有名です。ここの鐘は音色が良く、聞くと10歳若返ると言われ、大晦日には地元の方だけでなく日本からの観光客も多く訪れるそうです。二つ目の理由は、張継の「楓橋夜泊」のお寺として有名ですね。この詩は日本では高校の漢文で習われた方も多いと思います。寒山寺には「寒山寺五古」と呼ばれる五つの古いものがあります。一つ目は「古寺」、これは当然ながら寒山寺です。写真で見る限りではあまり古さを感じさせませんが、これは信仰を集め、多くの寄進があるために再建や修復が繰り返されているからで、1,500年もの歴史があるお寺なんです。二つ目は「古橋」です。その代表である江村橋と楓橋は、寒山寺付近に架かる橋で、多くの参詣客にとっては参道にあたります。ともに歴史は唐代にさかのぼりますが、現在の橋はいずれも清の同治年間に修造されたものだそうです。三つ目は「古関」、鉄鈴関は、楓橋畔に築かれた関で、創建は明の嘉靖年間です。蘇州には他にも強固な関がありましたが、今日ではどの関も失われ、現存するのは鉄鈴関のみです。四つ目は「古鎮」、楓橋古鎮とは、楓橋大街から寒山寺弄の2条の通りに面した古い街並みのことです。今では観光地として整備され、かえって古い街並みが失われているのが残念です。最後は「古運河」です。京杭大運河は、中国の北京から杭州までを結ぶ、総延長2,500キロメートルに及ぶ大運河です。以上が「寒山寺五古」です。ご主人様が訪れた時も中国国内外からの参拝客で賑わっていたそうです。全国の受験生に御利益をですにゃ~(このシリーズもあと2回です。今夜もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.26
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今夜もこんばんはですにゃ~ 結局、吾輩に京都のお土産はありませんでした‥ 「新・京都シリーズ」が見られる日も近いですにゃ~それまでは全国の受験生のために始めた「お寺シリーズ」です。あと4日ほどお付き合い願います。今夜紹介するのはカンボジアのアンコール遺跡、バンテアイ・スレイです。バンテアイは「砦」、スレイは「女」という意味だそうです。しかもこの遺跡はシェムリアップの街から北東に約40キロ、車で片道1時間もかかります。他の有名な遺跡と比べると極端に遠いのです。ご主人様がそこまでして見に行った理由は‥この「東洋のモナリザ」と呼ばれるレリーフがあるからです。いくら女好きなご主人様でも「女の砦」という名前だけでは行かなかったでしょう。この遺跡は今から1,000年以上も前の967年に、ラージェンドラヴァルマン王が臨席する下で着工式が行われ、息子のジャヤーヴァルマン5世の代に完成したヒンドゥー教の寺院です。建立は、近くの土地を領し王師を務めていたヤジュニャヴラーハが行ったと伝えられています。アンコール朝の衰退に伴い忘れ去られていましたが、1914年に再発見され、1923年にはフランス人のアンドレ・マルローがデバター像を盗み出して逮捕され、注目を集めました。マルローは後にこの体験を小説「王道」に記しています。このことによりこの寺院のデバター像が「東洋のモナリザ」と称され注目を集め、カンボジアの安定に伴って多くの観光客が訪れることとなりました。ご主人様は車で行ったそうですが、途中で何台ものバイタクを追い越したそうです。勇気はあるけどお金のない欧米人の多くはバイタクでこの遺跡に向かうようですが、治安が良くなったとは言っても安全をお金で買う方をオススメします。このお寺の参道は約75メートル、第一塔門の周壁の濠は約100メートル四方、その内側に第二、第三周壁とそれぞれの塔門があり、その中に中央祀堂や経蔵があります。その破風のレリーフはヒンドゥー教の神話が精密かつ立体的に彫られています。遠近法を多用したことにより、あまり規模の大きくない寺院が実際以上に大きく感じます。砂岩には赤色、緑色、灰色の3色があるようですが、アンコール遺跡群ではほとんどが灰色砂岩の建物です。赤色砂岩を基調として造られている遺跡は珍しく、そんなこともあって、バンテアイ・スレイは赤色砂岩の建物として最も有名です。話は変わりますが、今週末のご主人様のソウル旅行では、とらのこどもさんやseoulmikiさんとのオフ会が開催される見込みだそうです。ご主人様は楽しみにしているようですにゃ~(そんなに浮かれていて良いのでしょうか? 今夜もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.25
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昨日は失礼いたしましたにゃ~ 先程ご主人様と奥様が帰宅いたしました。長男さんの面談で京都へ行っていたそうで、お目付け役がいないのをいいことに吾輩はブログの更新をサボってしまいました~面談の結果、長男さんが受験する大学が決まったそうです。センター試験の結果、第一志望の大学は判定がC、ボーダーラインは超えているものの合格の可能性は五分五分だそうです。AやBの判定が出る国立医学部も少しはあるのですが、先生の「100%間違いなく受かる大学はない」「合格の可能性が60%と50%は同じ」「試験科目は英数理で勝負した方が有利」の言葉と本人の意思で初志貫徹することに決まったそうです。不合格になる可能性も50%、ダメだった場合はどうするのでしょうにゃ~さて、今夜も受験の成功を祈願して「お寺シリーズ」です前回の「中国シリーズ」でも紹介した蘇州の寒山寺です。写真の五重の塔は日本の協力によって再建されたものだそうです。このお寺は6世紀前半の天監年間(南北朝時代)に創建されたそうですが、その後焼失と再建を繰り返し、現在のものは清代末に再建されたものだそうです。その後も修復が繰り返されているために歴史があまり感じられないのが残念です。創建当初は「妙利普名塔院」というお寺だったそうですが、唐の貞観年間(7世紀)に寒山と拾得という二人の僧侶が住むようになってから寒山寺と呼ばれるようになったそうです。以前も書きましたが、張継の有名な詩である「楓橋夜泊」はこのお寺を詠んだものです。高校の漢文の授業で習った方も多いのではないでしょうか。(ところで吾輩へのお土産は‥ 今夜もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.24
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今夜もこんばんはですにゃ~ ご主人様と奥様は明日の朝、京都の長男さんのところへ行くそうです。今年度何度目なのでしょうか?明日は長男さんが行っている予備校の面談だそうです。センター試験の得点から、前期・後期試験を受験する大学を決めるそうです~全国の受験生の皆様、ラストスパートですっということで、今夜も御利益のある(?)「お寺シリーズ」ですにゃ~今夜はアユタヤ遺跡のワット・マハタートです。世界遺産のアユタヤ遺跡といえばこの仏頭をイメージする人も多いのではないでしょうか。このワット・マハタートは以前紹介したワット・プラシー・サンペットの隣にあります。つまり、アユタヤ遺跡の中心にあるということです。それだけこのお寺が重要なお寺であるということを意味し、その名前からもわかるとおり当時の王室寺院でした。ワット・マハタートは、オランダ人商人のエレミアス・ファン・フリートの記録によると、ラーマーティボーディー1世による建立と伝えられていますが、「アユタヤ王朝年代記」では、1374年のパグワ王(ボーロマラーチャー1世)による建立と伝えられています。この後、寺院が完成したのはラーメースワン王の治世となる1374年ボロムラーチャー1世により建築が始められ、ラームスエン王の時代に完成しました。クメール様式の大きな仏塔があったと伝えられていますが、1767年にビルマ軍によって破壊され、現在では土台しか残っていません。その際境内にあるほとんどの仏像の頭も切り取られており、現在もその姿が痛々しく残っています。一説によるとビルマ軍の間では仏像の中に宝石が埋め込まれているという噂が流れたため、このお寺の仏像の頭が切り取られたと言われています。このお寺は、数日前に紹介したスコータイ遺跡のワット・マハタートと区別するためにワット・プラ・マハタートと呼ばれることもあります。(明日は更新できないかもしれません。今夜もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.22
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こんばんはですにゃ~ ご主人様と奥様が今夜の吹研の練習から戻りました。今夜もいつもの「ニュー・イヤー・マーチ」と、久しぶりに「キャンディード序曲」の譜読みだったそうです。第23回の定期演奏会まであと2ヶ月、そろそろ気合を入れないと‥さて、全国の受験生に御利益を!の「お寺シリーズ」ですが、今夜はカンボジアに戻ります。写真はタ・プローム遺跡の塔門です。この遺跡は映画「トゥーム・レイダー」のロケ地、アニメ「天空の城ラピュタ」のモデルとなったことで知られています。今度の吹研の定期演奏会で「天空の城ラピュタ」のテーマ「君を乗せて」も候補曲になっているんです。実はこの曲、ご主人様の結婚式のキャンドルサービスの際に(もう21年も前のお話しですにゃ~)、吹研が生演奏した曲だそうです。この寺院の名前、タ・プロームとは「梵天の古老」を意味しているそうで、ジャヤバルマン7世が母のために建てた仏教寺院と言われています。この遺跡は発見当初の姿に近い状態にされています。長年放置されていた遺跡にはジャングルの樹木、スポアン(ガジュマルの一種)が絡みつき、成長するに従って遺跡は完全に覆い尽くされました。自然の驚異をまざまざと感じさせられる寺院です。日本でも「ど根性大根」とかがテレビで放映されていた時期がありましたが、そんなものではありません‥こんな光景がいたるところで見ることができますが、当時は約5,000人の僧侶と615人の踊り子が住んでいたそうです。凄い人口密度ですにゃ~(ここへはガイドさんと運転手さんを個人で雇って行きました。よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.21
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皆様こんばんはですにゃ~ 申し遅れましたがボクの名前は"よご"、滋賀県に住んでいます~今夜は石川県の"ちょび"先輩の代わりにボクが「お寺シリーズ」をお届けいたします。ボクが紹介するのはタイの世界遺産、「スコータイ遺跡」のワット・シーチュムです。本日紹介したワット・シーチュムの仏像、タイの仏像では最大級、高さが14メートルもあります。この仏像が有名なのはそれだけでなく、現在でもタイの仏像のスタンダードと言えるスコータイ様式だからだそうです。スコータイ仏はその質素さと人間性を超越した形から、スコータイ王朝の滅亡後もアユタヤ王朝、チャクリー王朝においても王と同一視され、多く作られており、現在でも最も多く制作されている仏像だそうです。今でもタイでは仏像というと一般的にこのスコータイ仏が想像されるほどで、現代のタイの仏教絵画などでも好んで描かれることも多いそうですが、その一方でブッダの超人間性を重視するあまり例外が許されず、仏師の個性が表現できないと言う弊害もあるそうです。今は立入禁止ですが、背後の壁の中には階段と通路があり、仏像の背後から仏の声を集まった人々に聞かせることができたそうです。"ちょび"先輩のご主人様はこの時も一人旅だったそうですが、偶然同じ飛行機に乗った日本人3人とタイ人1人の4人家族といっしょに5人で遺跡を見学したそうです。(旅は道連れですにゃ~ 今夜もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.20
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今夜もこんばんはですにゃ~ 最近は同じような吾輩の写真が続いています。いつもファンヒーターの前で寝ているだけなのでしかたがないですにゃ~さて、今夜もアンコール・ワットの紹介です。このお寺を1回で終わらすのはもったいないですにゃ~この寺院は1972年、クメール・ルージュによって破壊されたそうです。この時に多くの奉納仏は首を撥ねられて砕かれ、敷石にされたそうです。1979年にクメール・ルージュが政権を追われると、彼らはこの地に落ち延びて来ました。アンコール・ワットは純粋な宗教施設であったのですが、この寺院の造りは周囲を堀と城壁に囲まれ、中央には楼閣があり周りを見下ろすことが出来るため城郭と言って良く、陣地を置くには最適でした。さらに、カンボジアにとって最大の文化遺産なので、攻める側も重火器を使用するのはためらうだろうと考えられクメール・ルージュの陣地にされました。現在は修復されていますが、当時置かれた砲台の跡が最近まで確認できたそうです。クメール・ルージュは共産主義勢力であり、祠堂の各所に置かれた仏像がさらなる破壊を受けました。内戦で受けた弾痕も、修復されつつありますが、一部にはまだ残っています。この寺院は珍しく西を正面としているので、午前に写真を撮ると逆光になります。行かれる方は午後に行かれる方がオススメです。しかし、日の出も美しいそうですので早朝に訪れるのも良いかもしれません。(皆様のお力を全国の受験生に! 今夜もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.19
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皆様、こんばんはですにゃ~ センター試験が終了しても続く「お寺シリーズ」です~試験本番が終わってからメインを持ってくるあたり、本当に間の悪いご主人様です。そのメインとは‥ご存知、アンコール・ワットです。ご主人様が一番お気に入りのお寺ですにゃ~以前も書きましたが、アンコールとは「都」、ワットは「お寺」を意味します。東西1500メートル、南北1300メートルもの大伽藍と美しい彫刻からクメール建築の傑作と称えられ、カンボジア国旗の中央にも同国の象徴として描かれています。実はこの国旗、アンコール遺跡が世界遺産に登録されたのが1992年、この寺院の祠堂を描いたカンボジア国旗が制定されたのが1993年なんです。つまりカンボジア国旗にアンコール・ワットが描かれたのは世界遺産に登録された後だったのですにゃ~このお寺の歴史は12世紀の前半、アンコール王朝のスールヤヴァルマン2世によって、ヒンドゥー教の寺院として30年余の歳月を費やし建立されました。1431年にアンコールが放棄されプノンペンに王都が遷ると、一時は忘れ去られますが再発見され、アンチェン1世は1546年から1564年の間に未完成であった第一回廊北面とその付近に彫刻を施しました。孫のソタ-王は仏教寺院へと改修し、本堂に安置されていたヴィシュヌ神を4体の仏像に置き換えたそうです。16世紀から17世紀にかけて、海外からも多くの参拝客が訪れ、日本人の森本右近太夫一房が参拝した際に壁面へ残した墨書には、「御堂を志し数千里の海上を渡り」「ここに仏四体を奉るものなり」と書いたのは有名です。それからまた忘れ去られていたのですが、1860年に寺院を訪れたフランス人のアンリ・ムーオが紹介したことによって西欧と世界に広く知らされました。(受験生の皆さん、まだまだ諦めずに頑張ってください。よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.18
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こんばんはですにゃ~ まずは吹研のお話しから‥昨夜の今年5回目の練習も「ニュー・イヤー・マーチ」の譜読みでした。少しは行進曲らしくなってきましたが、クラリネットとパーカッションの出席者は未だにゼロ、不安です~3月の定期演奏会ではアンコールを含めると10曲も演奏しなければならないのにこのペースで大丈夫なのでしょうか?昨日、今日と行われたセンター試験ですが、家の長男さんも点数はともあれ無事終了した模様です。明日の自己採点で何点なのか、その結果で受験する大学が決まるそうです(しかも合格するとは限りません)。明日の自己採点に向けての仏頼み、今夜もお寺シリーズですこれはどこのお寺かおわかりになりますでしょうかご主人様が訪れた海外のお寺で一番落ち着いた雰囲気だったという韓国は慶州にある仏国寺です。このお寺は751年頃に新羅の景徳王の時代に当時の宰相であった金大城によりに建立されたとされています。最盛期の8世紀には約60棟の木造建物があったそうで、現在の数倍の規模だったそうです。 李氏朝鮮第4代世宗大王の時代、18寺院を残してそれ以外の寺院はすべて破壊されたことがありました。仏国寺はこのときの18寺院に含まれなかったために破壊されたそうです。さらに1593年には文禄の役の戦乱により、仏像・石棺・宝塔以外が焼失、1604年から再建が始まりましたが、日本の朝鮮統治時代までに再び荒廃してしまいました。その後、1973年の発掘調査後、改修工事で無説殿、観音殿などが再建されました。1995年には以前紹介した石窟庵とともに「石窟庵と仏国寺」としてユネスコの世界遺産に登録されました。また、多宝塔などが大韓民国の国宝に指定されています。(「お寺シリーズ」はもう少し続けます。今夜もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.17
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皆様、こんにちはですにゃ~ 長男さんは本日はセンター試験の初日、結果はどうだったのでしょうか?それはさておき昨日の続きです。足利義政は最初は南禅寺に自分の隠居所の東山山荘の造営を計画しましたが、応仁の乱が起こったため計画は立ち消えになり、一昨日も書きましたが、応仁の乱で燃えてしまった浄土寺跡に東山山荘の造営を行いました。足利義政には憧れの人物が二人いたことが知られています。一人目は、臨済宗の大僧侶で天龍寺や西芳寺の名庭をデザインした夢窓疎石です。この人は、相国寺、金閣寺、銀閣寺の勧請開山(名誉初代住職)でもあります。もう一人は、大政治家で祖父の足利義満で、先述したように相国寺と金閣寺の開基(創建者)でもあります。そんういったことから、足利義政にとって相国寺と金閣寺がものすごく大きな存在であったと考えられます。足利義政が造った東山山荘は、西芳寺と金閣寺を参考にして使ったと考えられていて、特に、東山山荘の苔庭と東求堂と観音堂(銀閣)は、西芳寺の苔庭と西来堂(本堂)と瑠璃殿を模しているといわれています。さて、阿弥陀如来を祀る西芳寺の西来堂は、西方にある極楽浄土を表現するものです。一方、同じように阿弥陀如来を祀る銀閣寺の東求堂は、よく歴史の教科書に載っている違い棚の同仁斎で有名な国宝で、「東にいる人、仏を念じて西にある浄土に行くことを求める」という意味だそうです。こうして見ると、東求堂にとっての西方極楽浄土は西芳寺の西来堂のような気がしますが、あくまでも西芳寺はデザインを参考にしただけで東求堂にとっての西方極楽浄土は、憧れの足利義満が造った金閣だと思います。つまり、「東にいる人」→「東山山荘(銀閣寺)の東求堂にいる足利義政」が、「仏を念じて」→「当時最高に権力があった相国寺を念じて」、「西にある浄土に行く」→「金閣に行く」ということになるのではないでしょうか(こじつけっぽい?)。こうして考えると、金閣寺と相国寺と銀閣寺が一直線上に並んでいることの意味が見出せます。この3つのお寺が一直線に並んでいるのも、足利義政が銀閣の位置を決めたからですよね。ここで、相国寺が金閣寺と銀閣寺のちょうど中心に位置しているということですが、これは足利義政が京都という街に仕掛けたアートだったのではないでしょうか。当時の京都で最高の権力を持っていた相国寺の七重大塔を中心に鳳凰が飾られた楼閣風建築物(金閣と銀閣)がシンメトリックに位置するというものです。ご存知のように寺の本堂には真ん中の本尊を対象にして、その左右に二尊の仏が位置するのが普通ですよね。例えば、薬師如来の左右には日光菩薩と月光菩薩がいますし、釈迦如来の左右には文殊菩薩と普賢菩薩がいることが多いですよね。足利義政はこの「三尊形式」を京都の街に再現したのではないでしょうか。しかも憧れの夢窓疎石と足利義満に自分を加えたコンビネーションでです。また、そんな視点で見てみると、足利義政が始めたという説もある右大文字と左大文字、かなり昔からあったとされる妙法はそれを取り囲む灯りなのかもしれませんね。(昨日、今日は更新に時間がかかりました。今日もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.16
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今日も能登は雪が降っていますにゃ~ オイラが住んでいる滋賀県は大丈夫です。明日のセンター試験を受験する北陸や東北の学生さんは大変ですにゃ~試験前日はやはり日本のお寺ということで、昨日の続きで今夜は金閣寺です。信仰心が薄い割にお寺のことに意外と詳しい"ちょび"のご主人様、今夜と明日は趣向を変えて持論を紹介したいと思います。京都の地図を見るとわかるのですが、金閣寺と銀閣寺、その本山である相国寺は京都を横断するように一直線上に並んでいるんです。しかも、まるで測ったかのように相国寺が金閣寺と銀閣寺のちょうど中心に位置しています。このことは偶然とはとても思えません。偶然とは思えないという論拠は、互いに関係する3点が広い範囲で直線状にしかも順序良く等間隔に並んでいるなんてことは幾何学的にいってめちゃくちゃレアなケースで、特別の意図がなければこんなことは起こりにくいからです。なお、この関係を考察する上でのキーパーソンとしては、相国寺と金閣寺を創建した足利幕府第3代将軍「足利義満」と銀閣寺を創建した足利幕府第8代将軍「足利義政」でしょう。足利義満は、室町第(室町幕府)、相国寺、北山第(金閣寺)を次々に創建しました。そもそも相国寺の「相国」とは、公家の役職の太政大臣または左大臣のことを指す言葉で、相国寺創建当時の足利義満は左大臣でした。ご存知の方も多いと思いますが、足利義満は明(中国)の皇帝から日本国王に任命されました。このとき足利義満は、すでに太政大臣を辞めていたので、日本人でありながら天皇の臣下ではなく、明帝国の臣下であったことになります。その後、なんと太上天皇(上皇)に就任する予定になっていて、息子の足利義嗣を天皇に即位させて天皇から日本国を乗っ取る計画があったとも言われています。この計画は、足利義満の急病死したため(暗殺説もあります)、計画実現寸前に失敗に終わります。北山第は、そんな足利義満が、日本の室町幕府(室町第)という枠組みではなく、明帝国の日本国王として政務をするためのインフラとして創建されたとされたとも考えられます。その理由としては、明からの使者が日本を訪問したときもこの北山第で迎えられました。さらに、幕府から見た金閣の方位は京都から見た北京の方位とほぼ一致します。これは単なる偶然でしょうか。つまり、天皇が公式に認めた日本政府である室町幕府から見ると、明帝国の日本国王である足利義満のオフィスは北京の方向にあるわけです。しかも北西の方向ということは、室町幕府よりも上座ということになります。なお、当時の明の首都は北京から南京に移っていましたが、北山第の造営がはじまったすぐ後の1402年には、クーデターにより北京が再び実質上の首都になっています。ちなみに、足利義満は明の新皇帝にも日本国王と認められています。さらに金閣は、1階が公家の寝殿造、2階が武士の武家造、3階が中国風の仏殿造りで中国を一番重んじためちゃくちゃ変わった造りになっています。また屋根には、聖天子が出現するときに現れる中国の伝説の鳥である鳳凰が飾られているのは皆さんもご存知ですよね。もちろんこの聖天子は足利義満であるということなのでしょう。一方、相国寺にあった七重大塔(109m、1399年竣工)は、依佐美送信所鉄塔(250m、1929年)が完成するまで高さ日本一の建築で、ビルとしてこの記録を塗り替えたのは、霞が関ビル(156m、1968年)でした。いかに、この七重大塔というものが、足利義満の威厳を表現するのに十分な建築物であったかがわかるかと思います。そして何よりも凄いのは、この塔は天皇が住む京都御所を当時の京都で上座を意味する北の方位から見下ろすことができたということです。こんなことからも、足利義満は急死しなければ日本国を天皇から乗っ取っていたかもしれません。そしてその場合には、日本は中国の属国に近い形になったとも考えられます。この足利義満の急死は、まさに日本の運命を左右したポイントだったとも考えられます。以前も書きましたが、足利義満は鹿苑院という院号をもらって相国寺の鹿苑院(廃寺)という塔頭寺院に葬られました。金閣寺の正式名の鹿苑寺は、もちろんこの鹿苑院から付けられた名前です。つまり金閣寺は「足利義満寺」なんです。その後、相国寺鹿苑院の塔主は、全国の禅宗寺院を統括する地位にありました。ちなみに、現在の相国寺管長の有馬頼底氏は、相国寺、金閣寺、銀閣寺の住職を兼ねているとともに京都仏教会理事長でもあるそうです。一般的には、キンピカの北山山荘の金閣に対してワビサビを感じる東山山荘の銀閣というように言われていますよね。足利義満がきらびやかな美をストレートに表現する中国を描いた金閣と足利義政という天下一の粋な遊び人がグランドデザインを描いた銀閣では当然このような差が出てくるはずです(当時の財政的な理由も当然ながらあったとは思いますが)。(後編に続きます。今夜もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.15
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今日も能登は大雪ですにゃ~ 吾輩は朝起きてビックリ、昨夜一晩で60センチも雪が積もりました~ 温暖化とはいっても毎年1回はこんなことがあります。ご主人様もいつもより15分早く職場に向かいました。県道に出るまでの約300メートルは除雪もしてなくて、ラッセル状態で5分もかかったそうです。分不相応な「ベンツ」なんかに乗っているからですにゃ~さて、「全国の受験生に御利益を」の趣旨で続けている「お寺シリーズ」ですが、タイのお寺が4回続きました。そこで2週間ぶりに日本のお寺を紹介したいと思います。写真は銀閣寺です。昨年の5月の写真ですが、見てのとおり改修中です。正式名は東山慈照寺といいます。山号は東山。開基は室町幕府8代将軍の足利義政で、開山は夢窓疎石とされていますが、夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物だそうで、このような例を勧請開山というそうです。ご主人様調べによりますと、この地は、応仁の乱で焼亡した浄土寺のあったところであり、近代以降も左京区浄土寺の地名が残っているそうです。つまり、昔は別のお寺が建っていたということですにゃ~足利義政が鹿苑寺の金閣舎利殿を真似て造営した楼閣建築である観音殿は一般的に「銀閣」、観音殿を含めた寺院全体は「銀閣寺」と呼ばれています。足利義政は、1482年から、東山山荘の造営を始めたそうですが、当時は応仁の乱が終わった直後で、京都の経済は疲弊していたのですが、庶民に段銭(臨時の税)や夫役(ぶやく、労役)を課して東山殿の造営を進め、書画や茶の湯に親しむ風流な生活を送っていたそうです。造営工事は義政の死の直前まで8年にわたって続けられましたが、義政自身は山荘の完成を待たず、工事開始の翌年である1483年にはここに移り住んでいたそうです。1490年2月、同年に死去した義政の菩提を弔うため東山殿を寺に改め、相国寺の末寺として創始されたのが慈照寺(銀閣寺)の始まりです。戦国時代末期には前関白近衛前久の別荘にもなりましたが、これは慈照寺の歴代住持に近衛家出身者が多かったことによるそうです。前久の死後は再び相国寺の末寺として再興されたそうです。1994年には「古都京都の文化財」としてユネスコの世界遺産に登録されています。(受験生に御利益を~ 今夜もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.14
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能登は大雪ですにゃ~ 吾輩は今朝の6時頃に家に侵入してきた猫を見事撃退、久しぶりの喧嘩、久しぶりの勝利でした。家の人に褒められてしまいました~ 全国の受験生の皆様、頑張っていますか!今夜も御利益のある「お寺シリーズ」ですにゃ~昨日の日記でタイの寺院の仏塔にはプラーンとチェディがあるというお話しをしたかと思います。仏塔は本来、仏舎利を納めるために作られたものですが、後に重要な仏法に関するものを祭る建築物へと性格を変えていきました。習慣的に墓を持たないタイの人たちは、葬儀後遺体を焼却し、遺骨をこの中に納めてもらって儀式の完成とするのが一般的です。仏塔はタイ人にとって日本の卒塔婆に近い意味を持っています。昨日のワット・アルンの仏塔はプラーン、ヒンドゥー(バラモン)教の寺院には欠かせない建築様式のひとつです。タイでプラーンと言えば純粋に「塔」をさしますが、これは元はヒンドゥー寺院の神殿のことを指していたそうです。そして、もうひとつの仏塔の様式はチェディと言います。チェディの語義は「記念すべき場所」で、完全な釣鐘型の円錐をしているのがスリランカ型のチェディです。ワット・プラケオのプラ・シー・ラッタナー・チェディなどはこの典型で、内部には本当に釈迦の遺骨が納められているそうです。昨日も紹介した「エメラルド仏」が安置されているのがこのお寺です。タイの王室専用寺院で、王室の仏教儀式の場であるため、このお寺には庫裏などの僧侶が生活するための施設がなく僧侶もいない寺院なんです。観光客の多さと有名さではタイで一番なのではないでしょうか。ところが、ワット・プラケオという名前のお寺はタイやラオスにいくつもあって、「エメラルド仏」を安置したことのあるお寺は一般的にそう呼ばれているそうです。ワット・プラケオとは俗称で、他のワット・プラケオと区別するためにもワット・シーラッタナーサーサダーラームというのが正式な名称らしいです。この本堂に「エメラルド仏」が安置されています。当然ながら写真撮影は禁止でした。この「エメラルド仏」、ラオスはタイに返還を要求しているのですが、当然タイはこれに応じていません。(頑張れ全国の受験生! 今夜もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.13
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今夜もこんばんはですにゃ~ 日本全国の受験生の皆さん、センター試験まであと80時間ほどです!泣いても笑っても最後の力を振り絞ってラストスパートですにゃ~今夜の「お寺シリーズ」は、タイトルのとおりワット・アルンです。使いまわしの写真で申し訳ございませんにゃ~ワット・アルンと言えば写真の仏塔が思い浮かびます、これが昨日お話ししたプラーンです。このプラーンは、バラモン教の破壊の神シヴァの住む聖地カイラーサ山を形どっていると言われ、仏教色はほとんどありません。仏教の仏塔はチェディと呼ばれ「釣鐘型」をしています。また、ワット・アルンとは「暁の寺」という意味です。三島由紀夫の小説「暁の寺」の舞台としても有名ですね。このお寺は、アユタヤ王朝時にはワット・マコークと呼ばれた小さな普通の寺院だったのですが、アユタヤ王朝崩壊後の戦乱の世を制したタークシン将軍がトンブリーに都を移して王朝を開くと、この寺院をワット・チェーン(夜明けの寺)と名付け最高の格式を持たせ、第一級王室寺院としました。タークシン将軍は、トンブリー王朝の初代国王となると、持ち前の高度な戦闘技術を駆使してアユタヤ王朝を滅ぼしたビルマ軍を撃退。クメール軍、ラオス軍にも打ち勝って、アンナン山脈以西の支配力を最大限に強化しました。そのラオス侵攻時の戦利品として奪い取ってきたのが、現在ワット・プラケオに祭られているエメラルド仏です。タークシン王はこのエメラルド仏をワット・チェーンの本尊とし、トンブリー王朝の守護神としました。その後、タークシン王が発狂して王朝が崩壊し、部下だったチャクリー将軍が引き継いでチャオプラヤー川の対岸、現在のバンコクにチャクリー王朝を開きます。第一級王室寺院は新築されたワット・プラケオとなり、ワット・チェーンはラーマ2世の頃にワット・アルン・ラチャターラームと名を変え、ラーマ4世時に至って現在の名称となったそうです。(このお寺のお坊さんは優しかったです。今夜もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.12
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こんばんはですにゃ~ お久しぶりです。ボクはバンコクのチャイナタウンに住んでいる"シャム"です。最近は使いまわしの写真ばかりで申し訳ございません。日本の"ちょび"先輩のご主人様が「センター試験までは続ける」と心に決めている「お寺シリーズ」、どうしてもタイのお寺が多くなってしまいます。そこでタイに住んでいるボクの出番ですにゃ~昨日はアユタヤ遺跡のワット・プラシーサンペットだったので、今日は同じタイのスコータイ遺跡にあるワット・マハタートです。ここでアユタヤ遺跡に詳しい人から「ワット・マハタートってアユタヤ遺跡にもなかった?」という声が聞えてきそうです。アユタヤ遺跡のワット・マハタートは、昨日紹介したワット・プラシーサンペットの隣にある寺院で、ワット・プラ・マハタートと呼ばれることもあります。なぜ時代も場所も違う遺跡に同じ名前のお寺があるのか‥その前に、スコータイ遺跡について少しお話しします。12世紀のスコータイが誕生する前のこと、この地域は巨大な農業王国であるアンコール(クメール)王国によって支配されていて、タイ族はその北方で暮らす少数民族でした。1238年にタイ族はアンコール王国から独立、この地にタイ民族初の統一国家スコータイ王朝が誕生しました。スコータイ王朝は現在のタイ全土に勢力を広げ、その後200年間に渡って栄え、仏教を手厚く保護したため今でも数多くの寺院が残されています。その中で最大の遺跡が写真の王宮寺院がワット・マハタートです。ここでその種明かし、マハタートとは巨大な仏塔という意味です。つまり、2つの遺跡のマハタートは、どちらも巨大な仏塔があったということです。残念ながらどちらにも名前の元となった仏塔は残されていません。(どちらもそれぞれの王朝の中心的寺院でした。今夜もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.11
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こんにちはですにゃ~ 本日のご主人様は吹研の練習場の掃除と練習をサボって地元保育所のクリスマスイルミネーションの撤収作業だったようです。これで上町青壮年団団長としての任務は終了、月末に実施される団のソウル旅行を最後に引退、あとは年度末の退団式を待つばかりです。「全国の受験生に御利益を!」という趣旨で始めた「お寺シリーズ」ですが、本日はアユタヤのワット・プラシーサンペットを紹介します。ここはワット(寺)と呼ばれていますが、正確にはお寺ではありません。アユタヤの王が仏と同一視されていたのでこの名前があるそうです。伝説によればここには元々アユタヤ王朝の創設者であるラーマーティボーディー1世によって宮殿が建てられていたそうです。後のトライローカナートの時代になると宮殿が移築され、この地は王専用の仏教儀式の場になったそうです。その後、ラーマーティボーディー2世の時代に現存する仏塔のうち東側の2つが建てられ、それぞれラーマーティボーディー2世の父であるトライローカナート王と兄であるボーロマラーチャーティラート3世の遺骨がそれぞれ納められたそうです。さらにその後、ラーマーティボーディー2世が崩御すると3つ目の仏塔が建てられてその遺骨が納められ、写真の3つの仏塔が完成したそうです。ビルマ軍の侵略により大きな破壊を受けた他の仏塔遺跡と比べて漆喰などが当時の状態をよく保存しているため、アユタヤ時代の建築がそのまま見ることの出来る貴重な遺跡です。ここでご主人様は日本人団体客に紛れ込んでガイドの説明を聞いたそうですが、暑さでぐったりしている犬を見たガイドさんが、「これが本当のホットドック」と言ったことが一番記憶に残っているそうです。(今日の作業は寒くて大変でした。今日もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.10
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こんばんはですにゃ~ 先程ご主人様が吹研の練習から戻りました。今夜の練習3月の定期演奏会に向けての練習だったそうです。今夜も「ニュー・イヤー・マーチ」と「海の歌」、そして「ファンダンゴ」の譜読みをしたそうです。さて、昨日までのヒンドゥー教と仏教の混交寺院である「バイヨン」に続き、今夜はもっと南にあるマレーシアはマラッカにある中国寺院「青雲亭」(チェン・フー・ティン)です。この寺院は、マラッカ川西岸のトコン通りに面して建つマレーシア最古の中国寺院です。1646年に建てられたもので、観音様と漁民の守護神として信仰されている媽祖を祀っていて、すべて中国から運ばれてきた資材でつくられているそうです。本堂の屋根の上や柱は、陶器やガラスをあしらった精緻な彫刻で飾られ美しく、本堂内部には、明朝の遺臣といわれる創建者である李為経の肖像画がかけられています。境内に線香の煙が絶えることはないそうです。ご主人様が行ったときもたくさんの参拝客で賑わっていたそうです。(受験にもご利益があると良いのですが‥ 今夜もお願いいたしますにゃ~)
2010.01.09
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こんばんはですにゃ~ 今夜は手抜きで昨日の続編です。昨日の後半で紹介したバイヨンの四面菩薩のアップです。この寺院はアンコール王朝の中興の祖と言われるジャヤーヴァルマン7世が、チャンパに対する戦勝を記念して12世紀末ごろから造成に着手したと考えられています。石の積み方や材質が異なることなどから、後の歴代のの王によって徐々に建設されていったものであると推測されているそうです。当初は大乗仏教(ここがポイントです!)の寺院だったそうですが、後にアンコール王朝にヒンドゥー教が流入すると寺院全体がヒンドゥー化したそうです。これは、建造物部分に仏像を取り除こうとした形跡があることや、ヒンドゥーの神像があることなどからも推測できるそうです。(明日はようやく仕事がお休みです。今夜もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.08
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今夜も遅い更新ですにゃ~ 今夜は吹研の「吹き初め」だったそうです。毎月のように行事のある吹研ですが、今年の1月はアンサンブルコンテストには参加せず、2月には地元の高校のコンサートのお手伝いくらいだそうで、3月21日の定期演奏会に向けての本格的な練習が始まりました。今夜は候補曲の「ニュー・イヤー・マーチ」の譜読み、この曲の作曲者は重鎮の真島俊夫先生です。しかもこのマーチは、2010年1月11日に渋谷のオーチャードホールで行われる「渋谷ブラスフェスタ」で世界初演されることが決まっているそうです。あと、レックス・ミッチェルが作曲した吹奏楽の名曲「海の歌」の前半部分も譜読みしました。久しぶりに吹奏楽のお話しになりましたが、「お寺シリーズ」です!今夜はタイトルのとおりカンボジアの「バイヨン寺院」です。バイヨンは、カンボジアのアンコール・トム遺跡の中心にあるヒンドゥー教と仏教の混交寺院です。クメール語の発音では「バヨン」の方が近いそうで、バは「美しい」という意味で、ヨンは「塔」の意味を持っています。写真で見える高さ約43メートルといわれる中央祠堂を中心に三層の回廊で構成されています。この寺院の特徴は中央祠堂をはじめ、塔の4面に彫られている人面像です。人面像は観世菩薩像を模しているというのが一般的な説ですが、戦士をあらわす葉飾り付きの冠を被っていることから、ジャヤーヴァルマン7世を神格化して偶像化したものであるとする説も存在します。異説もありますが、一般的には117個の人面像が残るといわれています。この人面像は、それぞれ表情が異なっていて、探せば自分に似ている像が見つかるそうです。どこかで聞いたようなお話しですにゃ~(寒山寺の五百羅漢でも同じようなお話しでしたね。今夜もお願いいたしますにゃ~)
2010.01.07
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こんばんはですにゃ~ このブログを始めて2年が経過、気が付けば日記の更新も700回を越えています。これも皆様の応援があったからこそ、感謝、感謝ですにゃ~吾輩が心配していた寒波も天気予報がハズレ、本日の能登の天候はそれほどではありませんでした。ホッとしましたにゃ~さて、今夜も「日本全国の受験生の皆様に御利益を」との趣旨になりつつある「お寺シリーズ」です本日紹介するのは…何度目かの紹介になります韓国は慶州の石窟庵です。このお寺は新羅の景徳王の時代に宰相の金大城により751年頃に建立された仏教寺院だそうですが、儒教が浸透し、仏教が廃れてくると放棄されてしまったそうです。それが1909年、雨宿りの場所を探していた郵便配達人によって偶然再発見されたそうです。ここの見所は花崗岩を組み合わせて人工的に作られた石窟とその中央に鎮座する本尊の高さ3.4メートルの如来坐像です。1913年から3回に渡り日本による大規模な修復工事が行われました。しかし無計画に行われたため建立当時の石像の配置が分からなくなってしまい、石窟の周囲には配置する場所がわからなくなってしまった石材が現在も放置されたままになっていました。また、コンクリートで補修されたために石窟内部に蒸気が篭るようになってしまい、ご主人様が訪れた時には入り口がガラス板で覆われ、石窟内の湿度がコントロールされていたそうです。このため一般の見学者は、石窟内部に入ることができないどころか写真撮影も禁止されていました。本尊の写真がないのが残念ですにゃ~ここは1995年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。また大韓民国の国宝第24号として指定されています。ちなみに国宝第1号は焼失した南大門だそうです。さらに、写真の山門前の駐車場は韓国では有数の初日の出の名所だそうです。旧正月の「ソルラル」には賑わうのでしょうにゃ~(今年の「ソルラル」は2月13日~15日だそうです。今夜もお願いいたしますにゃ~)
2010.01.06
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今夜もこんばんはですにゃ~ 能登では年末からずっとお天気が悪いです。今夜も荒れ模様、寒いですにゃ~さて、全国の受験生のために始めたような「お寺シリーズ」ですが、やはり暖かい国が良いということで今夜はここを紹介します。タイのバンコク、チャイナタウンの入口にある仏教寺院、「ワット・トライミット」です。日本人観光客はあまり行きませんが、なぜか欧米人観光客が大型バスで乗り付けています。タイの王族とも関係がなく、そんなに規模の大きいお寺ではないのですが、その理由は‥このお寺の本尊は、高さ3メートル、重さ5.5トンの黄金(純度60%)の仏像です。時価はなんと120億円だそうです。この仏像は盗難防止のために漆喰で固められたまま、300年間も忘れられていたとのことです。堂内にはカモフラージュされてた時の写真も展示してありました。全国の受験生の皆さん、この黄金の仏像にあやかって頑張ってください!(なんだか路線が変わってきたような‥ 今夜もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.05
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こんばんはですにゃ~ 今夜は本年初登場、マレーシアに住んでいるオイラ"クチン"が紹介したいと思います。本日から"ちょび"先輩のご主人様と奥様は仕事始め、長男さんも京都の寮に戻ったようです。"ちょび"先輩は相変わらず寝正月のようですにゃ~本日紹介する「お寺」はマスジッド・ネガラです。マレーシアの「国立モスク」と言った方がわかりやすいですね。ここはマレーシアの首都、クアラルンプールにある国教のイスラム教の礼拝堂(モスク)です。マレーシアが保有する13の地方行政区分とイスラム教の五行を象徴した18角形の直線的な水色の金属製の屋根の白を基調とした池の中心に浮かぶような超近代的な礼拝堂には、8000人が収容できるそうです。ほかに、72メートルもの尖った白亜のミナレット(尖塔)、マレーシアの歴代指導者の霊廟、イスラム書籍の図書館、会議室などがあります。1960年に着工、1965年竣工したマレーシア国内最大の大規模なモスクですが、隣国インドネシアの首都であるジャカルタにあるインドネシア国立イスティクラルモスクに比べると見劣りするらしいですが‥ここには"ちょび"先輩のご主人様と奥様も行ったそうですが、イスラム教のモスクでは女性は「例の格好」をしないと中に入ることはできません。奥様はモスクの入口で無料でレンタルできる「例の格好」で入場したそうです。(仏教寺院が続いた後はイスラム教でした。今日もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.04
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今年も早くも3日目ですにゃ~ 昨日の午後から本日未明にかけて毎年恒例の吹研の新年会が行われました。今年はトロンボーンのアイアンマン古○さんの自宅が会場、三々五々思い思いの食べ物や飲み物を持参で集合です。それから延々12時間にわたり昨年の演奏のビデオを見ながら反省会&3月の定期演奏会の選曲です。協議の結果、昨年ベスト演奏はこのブログでも紹介した植物公園での夏の営業、次点もブログで紹介した鵜川公民館での演奏でした。反対にワーストは先月のクリスマスコンサート‥3月の定期演奏会で演奏する曲も候補曲が出揃いました。1部はご主人様が楽譜を持っていった新曲(まだどこでも初演されていないと思います)の「ニューイヤーマーチ」、「海の歌」、「キャンディード序曲」で内定、2部はおって紹介したいと思います。深夜には恒例の麻雀大会も開かれ、ご主人様は「ちょい勝ち」だったそうです。さて、「お寺シリーズ」ですが、今日は台湾の中国寺院です。台湾の台北では龍山寺が有名ですが、写真は残念ながら龍山寺ではありません。現地の旅行社に申し込んだ「台北市内観光」で連れて来られたお寺で、ガイドも英語、参加者で日本人はご主人様だけということでお寺の名前もわかりません。台湾の中国寺廊は、その多くが18世紀に作られたものだそうです。日本ではお寺は法事とかお墓参りといったイメージですが、台湾では「お願い事」をするのがメインのようです。日本の神社に近いイメージです。有名なお寺は願い事をしにきた人で賑わっています。しかもひとつのお寺に何人もの仏様がいて、お参りに来た人はそれぞれの願い事に応じた仏様にお祈りするそうです。ご利益があると言われるお寺は有名になり、ますます賑わうことになります。(明日から仕事始めです。今日もよろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.01.03
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こんにちはですにゃ~ ご主人様はこれから吹研の新年会だそうです。お正月休みは初詣意外は引きこもっていたご主人様、久しぶりに外の空気を吸うそうです。吹研の新年会は23年前の発足当初から指揮者の自宅と決まっています。毎回飲めや歌えやの無礼講、と言いながら3月の定期演奏会の構想も練ったりと‥さて、新年から始まった「お寺シリーズ」ですが、本日紹介するのは‥ソウルの普信閣です。正確にはお寺ではありませんが、除夜の鐘ということで‥かつて朝鮮時代(1392~1910)の朝夕には、必ず決まった時間に鐘の音が聞こえていました。そして、東大門(興仁之門)、南大門(崇礼門)を初めとするソウルの四方を囲む城門は、その鐘の音を合図として城門を開閉し、門が閉められている時間は都の内外からの出入りを厳しく禁じていたのです。その鐘を鳴らしていたのが、普信閣にある鐘だったのです。当然のごとく今ではそのような門の開閉の儀式もなく、普段の普信閣はひっそりと鍾路の街を見守っていますが、年に一度だけ、その雄姿を人々の前に現すときがあります。それが、毎年大晦日の除夜の鐘なのです。残念なことに現在の普信閣の鐘は1985年に鋳造されたものです。元々あった鐘は傷が入り突くことが出来なくなったため、現在は宝物第2号として国立中央博物館に保管されているそうです。ちなみに日本や中国では除夜の鐘は108回というのが一般的ですが、韓国では33回なんです。あと、この普信閣は昔から待ち合わせのメッカとしても有名なんです。最近は向かいに出来た鍾路タワーに押されぎみですが‥(皆様、今年もよろしくお願いいたします~)
2010.01.02
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明けましておめでとうございますにゃ~ 昨年は皆様方には大変お世話になりました。2010年も変わらぬお付き合いをお願い申し上げますにゃ~昨夜のうちに初詣を地元の神社で済ませたご主人様、毎年そうなんです~年が明ける少し前に家を出て、除夜の鐘を聞きながら車で数分(歩いても10分弱)の菅原神社へ、0時過ぎに神社に到着、そして初詣です。ということで(どういうことや!)、新年第1弾のシリーズは「お寺シリーズ」にしたいと思います。と言いながら、昨日紹介した清水寺です。この写真、先般の三者面談という名の京都旅行の際に撮ったものなのですが、ご主人様は中学校の修学旅行以来、30年ぶりだったそうです。佛教大学に通っていた時には横は何度も通っていたらしいのですが‥この清水寺の山号は音羽山と称します。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮だそうです。元々は法相宗のお寺でしたが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗っています。西国三十三箇所観音霊場の第16番札所にもなっています。奈良時代末の778(宝亀9)年に開基された清水寺、延鎮上人が夢告をうけ音羽の滝を尋ねあてて行叡居士に逢い、霊木を授けられて音羽観音を彫造し、滝上の草庵に祀ったことに始まるそうです。間もなく、坂上田村麻呂が滝の清水と上人の教えに導かれて深く観音に帰依し、本堂を建立、御本尊十一面千手観音を安置しました。ご主人様が注目しているのは1994年、ユネスコの世界遺産に登録されたことです。このシリーズ、いつまで続くことやら‥(皆様、吾輩は今年も頑張ります~)
2010.01.01
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