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またまたこんばんはですにゃ~ "マオ"で~す!最近は中国への風当たりが強いけど、ワタシを嫌いにならないでね~今日は吹研のお話しからね。再来週の土曜日に開催される「ねんりんピック」の開始式のアトラクションでの演奏に向けて今夜からようやく練習開始、ちょっと遅くない?それでも今夜は15人が参加、合奏をしたみたいね。 残り少なくなってきたヨンミョン夫妻の中国旅行のお話しなんだけど、いよいよ大詰め、ヨンミョン夫妻が帰りの空港に向かうところのお話しね。イギリス租界を後にしたヨンミョン夫妻は帰りの飛行機に乗るために天津空港に向かったそうよ。車なら渋滞がなければ30~40分、その日も空港近くまではスムーズだったんだけど、空港に近づくと少し渋滞、その渋滞に‥この人、ちょっと危なくない?いくら渋滞しているからって車は動いているのに、その間を縫うように‥実はこんな人は中国にはたくさんいるの。北京でも交差点にいて、信号待ちしている車のワイパーに広告の紙を挟んだり、名刺のようなカードをドライバーに配ったり、なかにはお金を恵んでという人も‥こうやって生計をたてている人がたくさんいるってことね。ヨンミョンさんが初めて韓国に行った15年くらい前には韓国でも見たそうだけど、今は見ないそうよ。中国でもこういった人は減っていくのかしら?(明日は最終回? 今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.30
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皆様、こんばんはですにゃ~ "エトランゼ"です。ヨンミョンさんはこの前の日曜日に輪島市に来たそうだけどボクには会いにきてくれませんでした。輪島の猫は"マート"君だけじゃないんだから~最近は中国のお話しをしているとだんだん腹が立ってくるんだけど、それでも中国のお話しです。もう数日我慢してくださいね。昨日は"ちょび"先輩が天津市の五大通、イギリス租界を紹介しましたが、ボクも天津市の租界のお話しをしたいと思います。ここは五大道の中心地です。昨日紹介したイギリス租界の中心ですにゃ~その名も馬場道、この通りを中心に街並みが改修され、洋風の馬車に乗ってこの界隈を観光することもできます。ヨンミョンさん調べによると料金は1人20元(約250円)、6人乗りと8人乗りがあって人数が揃わないと出発しないそうですが、人数分を支払えば1人でも出発するそうです。観光の所要時間は40分くらいだそうです。昨日も少し書きましたが、北京条約によって通商港として開放された天津には9つもの租界が置かれることになりました。古い順に、イギリスとアメリカが1860年、翌年の1861年にはフランス、日本が1895年、ドイツが1898年、ロシアが1900年、そして最後の3ヶ国、イタリアとオーストリア・ハンガリーとベルギーが1902年に租界を天津市内に設けました。これほど多くの国の租界が存在したのは天津だけなんだそうです~当時の天津は国際都市の様相を呈し、各国の勢力争いの縮図となりました。外国人と中国要人らによる社交界が発展し、独特の租界文化が形成されました。その遺産ともいえるのが天津市内に多く残る租界建築です。かつての主要な建築物の多くは政府が接収し、政府の機関や博物館などに使用される一方で要人や資産家の邸宅は民間に払い下げられているそうです。中にはレストランとして使用されている建物もありますので、内部を見ることができる建物がいくつもあるそうです。(明日は県庁へ出張です。今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.29
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こんばんはですにゃ~ "ちょび"ですにゃ~今夜は火曜日、吾輩の曜日です。いきなりですが、天津古文化街をそれなりに堪能したご主人様と奥様が次に向かったのは‥五大道と呼ばれる地域です。ここは天津旧城の南東に位置して、成都道、重慶道、常徳道、大理道、睦南道、馬場道が伸びる地域です。「それじゃ六大道じゃないの?」というツッコミはなしですにゃ~ここは19世紀の後半から20世紀初頭にかけてイギリスの租界だったところです。1860年、イギリスやフランスと中国との間で北京条約が結ばれました。この条約によって天津は通商港として開放されました。このことによって多くの国の租界地が天津に置かれることになりました。特にイギリス租界では多くの西洋人がここにその居を構え、そのうち中国の高官や著名人も暮らすようになりました。袁世凱の北洋軍閥の拠点であり租界による外国文化の影響が強かった天津は、新中国の建国後は政府によって発展を抑えられた面がありました。改革開放後も経済の発展は他の地域と比べて遅れをとってしまい、そのおかげで租界時代の建築物が当時の姿でそのまま長く残されることとなりました。21世紀になると天津市政府もようやく租界の歴史的建築物と街並みの価値を認め、その一部を保護建築や地域に指定し、解体や改築を規制して古い町並みを保存する活動を始めました。現在は天津のお金持ちが住んでいるこの地域、こっそり庭を覗いてみると‥いかにもイギリスといった雰囲気がありますにゃ~(イギリスに行ったこともないくせに‥ 今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.28
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今夜もこんばんはですにゃ~ 最近よく登場する"マート"です。昨日もヨンミョン夫妻に会いましたよ~突然ですが今日も天津のお話しです。写真は天津の目抜き通りの南京路です。ヨンミョン夫妻が宿泊したラッフルズ天津ホテルの前の通りです。ラッフルズ天津ホテルがオープンするまで天津で一番高級とされていたホテル・ニッコー天津まで200メートルほど、天津で一番人気のデパートの伊勢丹も斜め向かいにあります。この通りにはスタバやマックもあって日本の繁華街となんら変わりません。それだけでなく‥ユニクロまでありました~2006年に一時撤退していた北京に2008年に再進出、いきなり3店舗をオープンさせたのは記憶に新しいところですが、天津にも進出していたんですね~(今日は短編でしたね。今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.27
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こんばんはですにゃ~ 久しぶりの"ゆき"です!今日はボクの飼い主さんはヨンミョン夫妻といっしょに輪島市で演奏会、「石川県社会人バンドフェスティバル」だったそうです。演奏会の写真がないのにはワケがあるそうです。写真担当のヨンミョンさんの長女さんが朝から突然の腹痛、会場に行けなかったそうです。吹研の演奏の方は、軽いボケはいくつかあったものの心配していたほどではなかったそうです。とりあえずひと安心ですにゃ~ さぁ、2週間後には「ねんりんピック」の開始式のアトラクションです。本当に吹研にはシーズンオフはありませんね。ところで、今夜はボクが趣向を変えて中国の郵便事情についてお話ししますね。中国から日本への郵便は距離が近いので手紙は5日~10日、小包だと航空便で7日~10日、船便で1ヶ月程度(運が悪いと2ヶ月くらい)で届くそうです。ヨンミョンさんが韓国で何度も使っているEMSも当然ながらあります。韓国からとほとんど同じで3日~4日で日本に到着するそうですが、韓国と違ってマートでも扱っているかはわかりませんし、小さな郵便局では扱ってくれないそうです。今夜なぜボクがこんなお話しをしたかというと、上の写真を見てください。これって中国の郵便ポストなんです。ヨンミョンさんが北京の什刹海の近くで撮ったものだそうですが、日本の郵便ポストと比べると四角いし、緑色だし、どこまで挑戦的なんだか‥最近は日本でも丸い郵便ポストを見なくなりましたが、ヨンミョンさんの職場の近くには丸い郵便ポストがあるそうです‥(今度写真を撮ってこようかな~ 今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.26
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こんにちはですにゃ~ 本日は"もも"がお届けいたしますにゃ~ヨンミョンさんは今朝から休日出勤。少し前に帰宅したそうですが、今夜も吹研の練習だそうです。練習後はある事情があって長男さんのアパートに行くそうですが、明日の「石川県社会人バンドフェスティバル」は…最近は中国とのいざこざが問題になっていますね。猫のボクには難しいことはわかりませんが、今回の日本側の対応はこれでよかったのでしょうか?ヨンミョンさんも今回の中国旅行がもう少し遅ければ大変なところでしたにゃ~と言うことで(どういうことや!)、本日も天津の古文化街のお話しを…天津で最もポピュラーな新聞である「今晩報」によると、古文化街はもともと「宮南大街」「宮北大街」と呼ばれ、古城の東側一帯に古くから栄えた文化と商業の集中する地域だったそうです。早朝なので人影もまばらですね。1986年に市の政府がこの地域の大規模な修復作業を行って観光施設として人々に開放したのが現在の「古文化街」の始まりです。その後の大幅な改築工事を行って2004年9月にリニューアルオープンし現在に至っています。東は「張自忠路」を挟んで「海河」(まぎらわしい名前の川ですね)に臨み、南は「水閣大街」、西は「東馬路」、北は「通北路」に囲まれたエリアで、敷地面積は13.9ヘクタール、建築面積20万平方メートル、エリア内を南北に突き抜ける街道は全長600メートルあまりとなっています。古文化街には、「通慶里」「玉皇閣」「天后宮」などの歴史的な観光資源をはじめ、天津を代表する老舗が軒を連ねています。また、老舗と言うには及ばないながらも、中国ならでは、天津ならではの楽器や玩具、装飾品などを売る店が街道の両脇にずらりと居並ぶ風景も見どころの一つと言えます。ところが、観光地化したことによってあまり歴史を感じさせないお土産もちらほら…天津土産の凧にドラ○えもんの凧が混ざっていたり、クレ○ンしん○ゃんの泥人形なんかも売っていたりします。ここはあまり深く考えないことに…(帰宅は午前様、明日が心配です。今日も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.25
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こんばんはですにゃ~ 最近なにかと出番の多い"マート"です~昨夜は結局ヨンミョンさんだけが輪島市吹奏楽団の練習に参加しました。奥様は家庭の事情ということで‥練習はヨンミョンさんを入れて7人、個人練習だったそうです。吹研の方はと言えば、今夜は17人が参加したのはまだ良かったのですが、本番直前と思えない音程の悪さ、リズムの悪さ‥ 明後日の本番はどうなってしまうのでしょうか。不安ですにゃ~さて、ヨンミョン夫妻の中国旅行の最終日、まずは天津の古文化街に行ったそうです。天津の古文化街は天后宮を中心として800年の歴史を持つ古い町並みです。起源は金代にさかのぼる天津発祥の地ともいえる場所だそうです。現在の古文化街の長さは約600メートル、清代の街並みを再現していて、古い書籍が地面に並べて売られていたり古い玩具や伝統的な手工芸製品が売られています。また、天津を代表する観光地なので国内からの観光客も多く訪れるので点心類やワンタン、麺類などのお店や天津土産の楊柳青ぼ年画や泥人張の泥人形、天津凧も売られていました。昔と現代の庶民の生活が混然一体となったその雰囲気は、天津の「瑠璃廠」というのは大袈裟でしょうか?ヨンミョンさんは奥様とここでしばらく自由行動、国内からの観光客に混ざって散策したそうです。(明後日の本番が不安です‥ 今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.24
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こんにちはですにゃ~ 韓国猫の"ハルラ"です。昨夜は「介護認定審査会」で吹研の練習をサボったヨンミョンさんですが、今日は練習場の都合で練習はお休み、輪島市吹奏楽団の練習に奥様と行くそうです。ここ数日はラッフルズ天津の紹介ばかりで肝心の天津の紹介をしていませんでしたね。そこで今日はボクが天津の紹介をしたいと思います。中国旅行も3日目の午後、北京から天津に移動したヨンミョン夫妻、この天津は北京、上海に続く中国で3番目の政府直轄市で、華北最大の貿易港を持つ北京の玄関口として知られています。隋の時代に大運河が築かれたことが天津の起こり、明の時代に北京の玄関口として港が設けられたことから天津の名が生まれました。この天津が大都市に成長したのは中国がアヘン戦争に敗れ天津を国際貿易港として開港したことからだそうです。なんとも皮肉なものですが、現在は中国でも有数の近代工業都市として成長を続けています。街の趣きは北京や上海とは異なり、港町特有の飾らない開けっ広げでエネルギッシュな庶民の街といった印象です。大きな街なのに良い意味でどこか田舎臭さを感じる街ですにゃ~天津は広州と並んで料理屋さんの多いことで有名なところです。「街を歩けば5軒と行かないうちに酒楼(居酒屋)の幟りにぶつかる」という文句があるほどで、天津の3大名物というのが狗不理包子、十八街麻花、耳朶眼炸とどれも食べ物なんです。「狗不理包子」は創業1858年の老舗「狗不理」が作っている包子で、日本の肉まんよりやや小ぶりです。「十八街麻花」は小麦粉をひねって揚げ、飴をからめた揚げ菓子で老舗の「十八街」のものが有名です。「耳朶眼炸」はあんこが入った餅を揚げたお菓子です。ヨンミョン夫妻が天津に到着してまず行ったのが天津の新名所として1986年にオープンした南市食堂街です(写真はありません)。ここは北京の城門を真似て建てられた広大なアーケードの中に110軒ものレストランや食料品店が入っています。上で紹介した狗不理包子の支店や十八街麻花、耳朶眼炸も売っています。ここで早めの夕食を食べたヨンミョン夫妻、狗不理包子ではない包子屋さんだったそうです。なかなかお目にかかれない「天津ビール」もあったのですが、ラッフルズでカクテルを飲むためここは我慢です。ここで気をつけたいのが南市食堂街の入口のトイレです。このトイレは有料なのですが、入ろうとするとどこからともなくおばちゃんが現れ中国語で「5角(1元の半分)よこせ」とまくしたてます(なぜか聞き取れました)。小銭をもっていなかったヨンミョンさん、しかたなく持っていた中で一番少額の5元を払ったそうですが、当然ながらおつりはもらえませんでした‥ 無理して10回トイレに行けばよかったかもです~(なにをバカなことを‥ 今日も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.23
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こんにちはですにゃ~ 中国猫の"ジョウジュアン"で~す。本日は水曜日、夕方の更新です。ヨンミョンさんは今夜も「介護認定審査会」だそうね。今夜から吹研の「石川県社会人バンドフェスティバル」に向けての毎日練習が始まるというのに…さて、昨日&一昨日と天津のラッフルズ天津のお話しが続きました。ワタシが紹介するのはヨンミョン夫妻がそこで飲んだお酒のお話しよ~ラッフルズ天津の最上階、50階のバーでヨンミョンさんが飲んだのがラッフルズ名物の‥ピンボケは赦してね~。写真のシンガポール・スリングはジンベースのカクテルで、1915年にシンガポールのラッフルズ・ホテルのバーテンダーであった、中国の海南島出身の「厳崇文」が最初に作ったのが始まりといわれているの。シンガポール・スリングのスリングとはドイツ語のSchlingen(飲み込む)からきているといわれ、スピリッツに甘みと酸味を加えて水で割った飲み物なの。他にもジン・スリング、ウォッカ・スリングなどがあるわね。一般的なレシピは、ドライジン45ミリリットル、チェリー・ブランデー15ミリリットル、レモン・ジュース20ミリリットル、砂糖1tsp、ソーダ水をシェイクし、マラスキーノ・チェリーを飾るんだけど、発祥のラッフルズホテルではその後に変更が加えられて、ドライ・ジン30ミリリットル、チェリー・ブランデー15ミリリットル、パイナップルジュース120ミリリットル、ライム・ジュース15ミリリットル、コアントロー7.5ミリリットル、ベネディクティン 7.5ミリリットル、グレナデン・シロップ10ミリリットル、アンゴスチュラ・ビターズ1 Dashをシェイクしてパイナップルのスライスにチェリーを飾るといったかなり複雑なものになっているの。次はラッフルズ天津のオリジナル、天津・スリングよ。ラッフルズでは各ホテルでオリジナルのスリングがあるらしいの。北京にも北京・スリングがあるそうよ。こちらもメニューに原材料が書いてあったんだけど中国酒やウォッカが入っていたようね。スターフルーツがアクセントよね~詳しいレシピは常連さんのスローパパさんならわかるかしら‥この50階のバーは毎晩ライブが行われていてなかなかの雰囲気、しかも宿泊客は1杯目のドリンクが無料だったらしいわ。2杯目以降もなぜか半額だったみたいね‥(そろそろ天津の街も紹介したいと思います。今日も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.22
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今夜もこんばんはですにゃ~ "ちょび"ですにゃ~昨日が祝日だったので今夜は月曜日と勘違いしてしまいそうでした。あやうく出番を失うところでしたにゃ~吾輩がお届けするのは昨日の"よご"君の続き、ご主人様と奥様が天津で泊まったラッフルズ天津のお話しです。ラッフルズホテルが高級ホテルなのは吾輩がご説明するまでもありませんね。ご主人様が宿泊するとは分不相応というものです。これがラッフルズ天津の洗面所です。相変わらず暗い写真でわかりにくいですが、造りも凝っていますにゃ~ここでラッフルズホテルの歴史を紹介しますね。ラッフルズホテルはイギリス植民地時代の1887年12月にアルメニア人のサーキーズ兄弟によって客室数わずか10室のバンガローをホテルにして開業したそうです。開業当時の名はビーチハウスで、1899年には現在の原型となるコロニアル様式の建物が完成し、ヨーロッパ諸国から「スエズ以東でもっともすばらしい施設」と高い評価を得たそうです。シンガポールが日本に占領された第二次世界大戦時の1942年2月15日にラッフルズ・ホテルは日本軍に接収され、陸軍将校の宿泊施設となり、ホテル名も昭南旅館に変更させられました。日本軍は宿泊した名士の記録や愛用品などを破棄し、その中にはサマセット・モームやラドヤード・キップリングが残していったサインなども含まれていたそうです。ただ、当時は日本軍だけではなく、アメリカ軍やドイツ軍なども占領した国の有名ホテルや施設を接収した際に資料廃棄や備品略奪行為を行っていたそうですので、日本軍だけの所業だけではなさそうですが‥なお終戦直後は、イギリス軍の宿営所及び臨時戦犯収容所として一時利用されたこともあるそうです。1946年にホテルとして再オープンを果たします。開業して100年となる1987年には建物がシンガポールの歴史的建造物に指定されました。1989年には一時休館して全面改装を行い、豪華な調度品や8000点を超える銀食器、陶磁器はそのままに、最先端の技術を導入し優雅さを増して1991年9月16日に再々オープンしました。おっと、シンガポールのラッフルズではなく天津のラッフルズでしたね。これがお部屋の写真です(借り物)。65平米もあってこれで普通のお部屋だそうです。ラッフルズ・ホテルはシンガポールでグッドウッド・パーク・ホテルとならぶ伝統的なコロニアルホテルでもあります。ホテルの名称はトーマス・ラッフルズに因んで名付けられました。ラッフルズ・インターナショナルは2005年にアメリカの投資会社であるコロニー・キャピタルに売却、現在はサウジアラビア・アメリカ資本のホテルチェーン・フェアモント・ラッフルズ・ホテルズ・インターナショナル(本社はカナダ・トロント)の所有・経営するホテルとなっています。今年の4月にはフェアモント・ラッフルズは2011年までにラッフルズ・ホテルをカタールの政府系投資会社カタリ・ディアルに売却すると発表したのは記憶に新しいところです。なお、マーライオンの近くにある最高級ホテルのザ・フラトン・シンガポールは、外観はコロニアルな雰囲気がありますが、1928年の落成以来オフィスとして使われた建物で、ホテルとしての歴史はラッフルズやグッドウッド・パークに大きく及びません。ありゃりゃ、またシンガポールのラッフルズのお話しになってしまいましたね。現在では中国やカンボジア、フランスやドバイと9つのホテルが営業中だそうです。高級ホテルといえば、実はご主人様はマレーシアのランカウイ島にある「ザ・ダタイ」に泊まるのが夢だそうですが‥(絶対に無理だと思います。今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.21
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こんばんはですにゃ~ 今日は"よご"がお届けいたしますにゃ~昨日の「商店街祭り」の演奏はイマイチだったようですが、その後の吹研の「松茸パーティー」は盛り上がったようです。毎年恒例の「松茸パーティー」は吹研の事務局M君の家で「商店街祭り」の打ち上げとして開催されているんです。M君ごちそうさまでした~で、飲み過ぎのヨンミョンさん、二日酔いで長男さんを送って行ったそうです。ボクが紹介するのはヨンミョン夫妻が天津で泊まったホテル、「ラッフルズ天津」です北京で刀削麺の昼食を食べたヨンミョン夫妻、北京から天津に移動です。北京に続き中国で2つめのラッフルズホテル、天津のラッフルズホテルは今年の5月にフルオープンしたばかり、天津市内では最高級のホテルだそうです。全てのお客さんにインルームチェックイン・チェックアウトのサービスを提供していることで有名です。つまり、客室でチェックインができるんです~ホテルは天津市の主要道路である南京路に位置していて、ショッピングエリアの濱江ロードまで徒歩圏内と立地も最高なんです。借り物の写真で申し訳ないのですが、ラッフルズ天津は、金融地区の中心部にある「天津センター」西棟の36階から50階を占有しています。22のスイートルームを含む計116室の客室があり、一般の部屋でも65平米もあって天津の他のホテル客室の約2倍の広さ、市内のホテルでは最も広い客室だそうです。その客室は‥照明をつけずに撮った写真です。暗いですね‥(明日は部屋の明るい写真を紹介します(借り物ですが‥)。今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.20
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今日もお昼の更新ですにゃ~ "ワイン"よ~皆様、この連休はいかがお過ごし~?ヨンミョンさんは今朝は早起きして地元の「歩こう走ろう健康大会」のお手伝い、長女さんも「歩こう10キロの部」に出場したみたいね。このイベントには今年も県内外から1000人以上が参加したそうで、もう24年めなんだって。田舎のクセになかなかやるわね。夕方からは「商店街祭り」での演奏、吹研メンバーの何人かは午前中から自主練習しているみたいね。地元の中学生や高校生との合同演奏で10曲を演奏するそうだけど、これから合同練習があるらしいわ。この「商店街祭り」に奥様は職場として参加していて、いろいろと販売しているようね。演奏にはその時間だけ失礼して参加するようだけど‥ヨンミョン夫妻、ホントに忙しいわね。疲れないのかしら~疲れるといえば、故宮でのヨンミョン夫妻、連日の暑さとハードスケジュールでヘロヘロだったそうじゃない。故宮の後半、内廷を黙々と歩くヨンミョン夫妻、会話もなく目はうつろ‥故宮の最後に行ったのが庭園の御花園、ここは故宮の一番北側にある庭園なの。1420年の創建当初は宮后苑と称していたそうよ。南北が約80メートル、東西は約140メートルと故宮全体の規模からするとそんなに広くはないわね。園内には欽安殿や千秋亭、万春亭などの建物が20あまりもあって、古木が160本以上もあるらしいわ。さらに、中国各地から集められた珍しい石の数々が築山となっていて観る人の目を楽しませているの。ヨンミョン夫妻も少しほっとしたそうよ。 ここで一番有名な石は堆秀山と名付けられている大きな太湖石、太湖石といえば昨年このブログの蘇州の留園や上海の豫園のときに説明したわよね。この石の上には御景亭という建物が建っていて、皇帝は毎年旧暦の9月9日の重陽節の日にこの石に登って菊酒を飲んだらしいわ。さて、ようやく故宮を脱出したヨンミョン夫妻、ここでようやくお昼ごはんになったそうよ。故宮の北を通る景山前街を歩き、初日の夕方に行った景山公園の横からバスに乗り込んだヨンミョン夫妻が向かった先は、故宮の東側を通る北池子大街にある刀削麺のお店‥これがその昼食、お店に着くのがもう少し早ければ目の前で麺を削ってくれたのに~刀削麺は中国の山西省で生まれた麺の一種で、小麦粉を水で練った生地の塊を持ったり頭の上に乗せたりし、湯の沸いた鍋の前に立ってくの字型に曲がった包丁で生地を麺状に削り落として直接鍋の中に入れ茹でて作るの。曲がった包丁で削るから麺に薄いところと厚いところができ、それが独特の食感を生み出しているのよ。日本人向けにアレンジされた刀削麺は写真のようにラーメンのようなスープを用いることが多いけど(2種類あるわね)、現地では釜茹で麺に酸味の利いたトマトソースをかけたり、豚肉の脂身とニンニクの芽が入った肉あんをかけて食べることが多いそうよ。生地を同じ長さ、太さに削り、鍋に入れるのを素早く行うには高い技術が必要とされるらしいわ。写真の2種の麺を食べた感想は、どちらも日本のラーメンのスープに細いうどんを入れたような感じだったそうで(手前の赤いスープは辛く、左の白いスープは辛くない)どちらも美味しかったそうよ~(これから合同練習に行ってきます。今日も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.19
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こんにちはですにゃ~ "K"ですっ!最近は"マート"君が人気のようだけど、ボクが「元祖コンビニ猫」なんだからね~ヨンミョンさんは今日の日中はゆっくりできているようです。夜は吹研の練習だそうだけど‥さて、今回もヨンミョン夫妻の中国旅行のお話しです。朝から天壇公園~天安門広場~故宮と歩き続けたヨンミョン夫妻、暑さと人混みで疲労困憊、半日弱でもう何キロ歩いているでしょうか。2人はまだまだ故宮を歩き続けます。 故宮はかつての名を紫禁城と呼ばれ現在は故宮博物院としてその姿を今に伝えています。現在収蔵している文物は約93万4千点と言われています。国民党政権により台湾の故宮博物院に運ばれたものが約64万点と言われていますから、当時は160万点に近い貴重な文物が存在していたということになりますね。 太和殿、中和殿を見学し保和殿までやってきたヨンミョン夫妻、奥様は「八甲田山」のシーンが頭をよぎったそうです。夏と冬、山と故宮、違いはありますが意識は朦朧とただ黙々と歩く、いつ倒れてもおかしくない状況です。中和殿は太和殿での大典(公式行事)に赴く皇帝が休憩を取る場所です。皇帝はここで諸大臣の朝拝を受け、その後おもむろに輿に担がれて太和殿に向かったそうです。1420年に創建され当時は華蓋殿と呼ばれていましたが焼失し再建、その際に中極殿と改められて1645年に現在の中和殿となりました。写真の龍は中和殿の横の壁のものです。この龍を撫でると幸せになれると言われているそうで、毎日たくさんの人に撫でられて擦り減っていますね。次は保和殿、ここも1420年に創建、当時は謹身殿と呼ばれていましたが焼失し再建、その際に建極門と改められて1645年に現在の保和殿となりました。ここは明代には大典の前に皇帝が衣装を替える場所だったのですが、清代になると旧暦の大晦日と1月15日にモンゴルなどの王侯を招いて宴が行われる場所になりました。たくさんの建物が建ち並ぶ故宮ですが、総面積は72万平方メートル、建物は60あまりでその総面積だけでも15万平方メートルもあるそうです。部屋の数は一説では9999、1万にしなかったのは神様に遠慮してとのことだそうですが、実際に9000室はありそうですね。周囲は幅が約52メートルの筒子河と呼ばれる堀に囲まれ、高さ約10メートルの城壁で守られています。写真は保和殿の横、ここで座り込んでの休憩です。写真で見える乾清門の前までが故宮でも外朝と呼ばれる公式行事や儀式が行われたオフィシャルなエリア、その先は内延と呼ばれる皇室一家のプライベートスペースです。この先に故宮内で設備は一番、入口の表示では「四つ星トイレ」があったのですが、「どこが四つ星?」と思うようなトイレでした。日本から来た保育園に通っている女の子はショックで用を足せなかったそうです‥ まだまだ故宮の「死の行軍」は続いたのですが、ヨンミョンさんも奥様も写真を撮る気力もなく‥天壇公園~天安門広場~故宮、ここまで来てもまだ午前中です。この日はどれだけ歩くのでしょうか‥ (北京観光は天気の良い涼しい日に限ります。今日も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.18
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今夜もこんばんはですにゃ~ 「ヨモギ猫」の"クチン"です。ボクが住んでいるマレーシアは雨季の真っ只中、毎日のようにスコールが降っています~ヨンミョンさんは昨夜はお祭りの御呼ばれで飲んだそうなんですが、それでも吹研の練習に行ったそうです。今月19日の「商店街祭り」はもう無視、26日に開催される「石川県社会人バンドフェスティバル」に演奏する曲の練習だったそうです。曲は「You Raise Me Up」と「弾厚作メドレー」だそうで、参加予定の約6割にあたる15人が出席して通してみたそうです。ボクが知らない間にヨンミョンさん夫妻の中国旅行は3日目、故宮だそうですね。ボクも故宮について勉強しました。写真の正面に見えるのが太和門です。この門の創建も1420年、当時は奉天門と称したそうです。1562年に皇極門と改称し、1645年に太和門と名付けられたそうです。北京オリンピックにあわせて2008年に修復されました。現在の建物は1889年に再建されたものです。ここは明代には皇帝が臣下の上奏を聞いたり(これを「御門聴政」といったそうです)、詔勅を発したりする場所として使われたそうですが、清代には乾清門で行われるようになったそうです。そして太和門を潜ると‥写真の広場に出ます。正面に見えるのが太和殿です。それにしてもすごい人ですね~太和殿は紫禁城の中心となる正殿です。紫禁城のみならず中華世界の中心とされていました。総面積は2377平方メートル、基台を含めた高さは35.5メートルもあって紫禁城では最大、現存する中国の木造建築物の中では最大のものです。この建物も創建は1420年、門と同じで当時は奉天殿と呼ばれていたそうで、1562年に皇極殿、1645年に太和殿と改称されたそうです。過去に何度か消失し、現在の太和殿は1695年に再建されたものだそうです。ここでは皇帝の即位や婚礼、祝日の祭典、詔書の頒布などの重要な国家的式典や儀式はすべてここで行われました。映画「ラストエンペラー」の即位のシーンを思い起こす人も多いと思います。このブログで何度も書いていますが、屋根瓦は皇帝にしか使用を許されなかった黄色の瑠璃瓦です。ところで、今日でこのブログを開設して1000日だそうです。書いた日記はこの日記で938回、よくも続けてこられたものです。これも応援していただいている皆様のおかげですにゃ~(本当にありがとうございます。今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.17
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こんばんはですにゃ~ "エトランゼ"ですにゃ~今夜は早めの更新、ヨンミョンさんはまたまた地元のお祭りに行くそうで急いでの更新です。ヨンミョンさんと奥様の中国旅行も3日目のお昼、いよいよ5つ目の世界遺産、故宮の紹介です。故宮は、明王朝の旧王宮であ建造物です。「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」の一つとしてユネスコの世界遺産となっています。面積は 72万5千平方メートルもあって、世界最大の宮殿の遺構なんです。現在は博物館(故宮博物院)になっています。元々は元がつくったものを明の成祖永楽帝が1406年から改築し、1421年に南京から北京へ都を遷してから、清朝滅亡まで宮殿として使われました。1644年の李自成の乱で明代の紫禁城は焼失しましたが、李自成の立てた順朝を滅ぼし北京に入城した清朝により再建され、清朝の皇宮として皇帝とその一族が居住するとともに政治の舞台となりました。天安門を潜って故宮に入るとまずは左に中山公園、右が労働人民文化宮です。中山公園は北京で最も早く公園として開放された皇家庭園のひとつです。緑豊かな園内には孫文の彫像やゆかりの展示品が中山堂という建物の中に並べられています。労働人民文化宮は1420年に太廟として建造され、明清代の皇室が祖先の位牌を祀り、旧正月に祭祀を執り行った宗廟です。周恩来提議によって庶民の文化活動の場として承認された後、毛沢東の命名を受けて正式に開放されました。驚いたのは故宮の午門があるのですが、ここに入るのにもセキュリティチェックがあったことです‥(今夜もまた飲むのでしょうにゃ~ 応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.16
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皆様こんばんはですにゃ~ ご無沙汰ですのう。"フク"ですのう。あまりに久しぶりなんでヨンミョンのオヤジに忘れられてしまったかと思ったわい。ワシがお届けするのは昨日に続き天安門広場じゃ。写真の奥に見えるのが昨日も紹介した人民英雄紀念碑じゃ。この石碑は高さが37.94メートル(細かい!)で、1952年に制作開始、6年後の1958年に完成したそうじゃ。なんでこんなものが6年もというツッコミはなしじゃ。この石碑は、清末期の蜂起から抗日ゲリラ戦までの名もなき「革命烈士」を顕彰するものなんじゃ。正面には毛沢東の筆で「人民英雄永垂不朽」の金メッキ文字が輝いておる。裏にも何か書いてあるそうじゃがワシはよう知らん。文字は周恩来が書いたそうじゃが‥台座の部分には8枚のレリーフがある。この8枚にはそれぞれ「虎門銷煙(林則徐のアヘン焼却)」、「金田起義(太平天国の乱)」、「武昌起義(辛亥革命の発端)」、「五四運動(反日愛国運動)」、「五州運動(反日愛国運動)」、「南昌起義(共産党武装蜂起)」、「抗日遊撃戦争」、「渡江戦役(国共内戦での共産軍勝利)」をモチーフとしているそうじゃ。今も北京の日本大使館が在留邦人や日本人観光客や出張者に対して安全確保に十分注意するよう呼び掛けているそうじゃ。本当にこの国は反日感情が強い国じゃ。さて、天安門広場の南端から人を掻き分け歩いてきたヨンミョンのオヤジじゃが、やっと遠くに目指す天安門が見えたところじゃ。左側には昨日紹介した「国旗掲揚台」も見えるのう。しかも、天安門広場から天安門には直接は行けないのじゃ。広場を東に歩いて地下鉄「天安門東」駅のムッとする地下道を潜らないと天安門には行けないんじゃ。天安門は紫禁城の外城壁南端に位置する正門じゃ。1417年に建てられたときには承天門が原型なんじゃが焼失してしまったそうじゃ。現在の門は1651に増築されたもので、このときに名前も天安門となったそうじゃ。1949年10月1日、毛沢東はこの門の楼閣から中華人民共和国の成立を高らかに宣言した。門の正面には巨大な毛沢東の肖像画が掛けられているが、この絵は毎年取り替えられているそうで、その年によって毛沢東の年齢が違うそうじゃ。(この時点でヘロヘロです‥ 今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.15
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今夜もこんばんはですにゃ~ "ちょび"ですにゃ~ 今夜は火曜日ですにゃ~さてさて、ご主人様と奥様の中国旅行の3日目は朝から天壇公園を歩きまわり、早くもお疲れモードです。天壇公園の東天門の駐車場でバスに乗り込んだご主人様と奥様は途中でラテックスの販売店に強制連行されたそうですが、当然何も買わず‥ふたたびバスに乗り込みバスが到着したのは‥地下鉄前門駅のそば、天安門広場の南端です。ここにある正陽門は前門ともいって1420年に造られた高さ42メートルの門で当時は北京城内で最も高い建造物だったそうです。天安門広場は南北880メートル、東西300メートルの巨大な広場です。一説では50万人とも100万人ともいわれる集会を開催することができる世界でも最大級の広場です。なんと、この広場に入るのに空港のセキュリティチェックのような荷物と身体の検査があるんです。これを受けないと広場には入れません。広場には正陽門、毛主席紀念堂、人民英雄紀念碑、国旗掲揚台などの施設があります。中国の象徴でもある天安門広場は、海外からの観光客だけでなく地方在住の中国人にとっても一度は訪れてみたい場所らしく、めちゃくちゃ大勢の人でごった返しています。広場の南側から見て右手には写真の中国国家博物館が、左手には人民大会堂があります。人民大会堂は1万人を収容できる会議場の「万人礼堂」をはじめとする300もの会議室があり、毎年3月には全国人民代表大会が開催されているほか、5年に1度、中国共産党大会も開催されているそうです。(早くも疲れが‥ 今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.14
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こんばんはですにゃ~ 最近よく登場する"マート"です。先週は2度もヨンミョン夫妻に会いました。しかもヨンミョンさんったら「家に来るか?」だって。ボクはこのコンビニがお気に入りなんだから~ボクも天壇の祈年殿を紹介しますね。しつこいなんて言わないでくださいね。祈年殿は1420年に創建され当初は天地壇と称しました。その後、祈穀壇と改称し、毎年正月に皇帝は穀物の豊作を祈る儀式を行いました。清朝の1751年に祈年殿と名を改めました。元々南京にあったものを明の永楽帝が北京遷都後に現在の場所に移したそうです。内部正面の額には「その年の農作物の豊作を祈願する殿堂」という意味が書かれています。高さは38メートル、直径30メートル。一本の釘も使っていないんですよ。祈年殿の前には3つの石彫があり、鳳凰、龍、雲があります。北京の地図を広げると故宮を中心に日壇公園(東)、天壇公園(南)、地壇公園(北)があるのが分かりますが、これらは古都北京5壇と呼ばれています。西には月壇公園というのがあるらしいのとあとひとつは何壇なのかはボクもわかりません‥「壇」とは皇帝の祈祷場の意味で、昔は「皇帝の庭」と言われていました。その中でも天壇は、自分を天子として天帝を祭るため最も重要な場所でした。元々城外に設けられていたのですが、地壇と同様、明代嘉靖の外城工事の際に城内に取り入れられたそうです。この天壇公園は、市民の公園としても親しまれていて、公園の回廊にはダンスに興じる人や二胡の調べにのって歌を歌っている人、中国独特のボードゲームをしている人など市民の生活を垣間見ることができます。ヘトヘトになりながら駐車場に辿り着いたヨンミョン夫妻、この先にはこの旅最大の試練が待ち構えていることにまだ気付いていません。(その試練とは‥ 今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.13
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こんにちはですにゃ~ "ジョー"だ。俺もこのブログの古株になってしまったな‥俺とヨンミョンのオヤジとの付き合いも長くなった。確か一昨年の暮れ、ヤツが済州島へ行く途中で出会ってからだな。今日はヨンミョンのオヤジは地区の敬老会に出席したそうだ。所属している健康福祉課長の代理で来賓として出席したらしい。ところが来賓のくせに司会もしたらしい。地区の敬老会だからしかたないか‥おっと、中国の話をしなきゃいけないんだったな。今日も天壇のお話しだ‥昨日のお話しでは天壇公園はとにかく広いということだったが、どのくらい広いかというと、韓国に詳しい人ならわかると思うが、あの水原の華城の城壁がすっぽりとはいってしまうくらいの広さだ。水原の華城に行ったことのある人なら驚くだろう。天壇がどのくらい広いかわかったと思う。普通の人ならとても全部を歩く気にはなれないだろう。だから普通の観光客はヨンミョンのオヤジのようにメインの祈年殿だけを見学して帰る場合がほとんどだ。観たとしても、祈年殿の他は皇穹宇と圜丘くらいしか見所はないと思うが‥写真は祈年殿だ。昨日も紹介したが、大理石でできた3層の基段の上に建ち、3層の瑠璃瓦の屋根を持つ円形の建造物で皇帝は毎年正月にここで豊作を願った。この建物は28本の柱があり、そのうち4本は四季を、12本は12ヶ月、残りの12本は時刻を表している。ちなみに皇穹宇は記年殿の南にあり、祈年殿の最上部だけのような建物だ。ここは祭祀の際に皇帝の位牌が置かれたところで、内部の壁に向かってささやくと180度対極の人にその声が伝わると言われている。中庭には回音石と呼ばれる3つの石があって最初の石の上に立って手を叩けば1回のこだまが、2番目の石の上に立って手を叩けば2回、3番目の石の上に立って手を叩けば3回のこだまが聞えるらしい。もうひとつ、圜丘は皇穹宇の南にあり、記年殿の下の段だけのような構造だ。皇帝は毎年冬至の日にこの圜丘に登り、天帝にその年の出来事を報告した。欄干や階段の数は皇帝を表す9の倍数になっている。壇の中心部にある円形の大理石は「圓心石」とか「太極石」と呼ばれ、この石の上に立ってささやくと周囲に反射してこだまするらしい。この3つの建物の総称が天壇で、創建は1420年。ユネスコの世界遺産には1998年に登録された。(ジョー君、相変わらずの口調ですね。今日も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.12
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こんばんはですにゃ~ お久しぶりの"チェジュ"です。最近は中国のお話しばかり、たまには韓国のお話しもしたいものですにゃ~ヨンミョンさんと奥様は今夜も吹研の練習をサボって「輪島市吹奏楽団」の練習に参加するそうです。また"マート"君に合えるでしょうか?さて、ボクが紹介するのはヨンミョン夫妻の中国旅行3日目、今回の旅行での4ヶ所めの世界遺産です~3日目の朝一番にヨンミョン夫妻が訪れたのは天壇、ここは「北京の皇帝の廟壇」としてユネスコの世界遺産に登録されています。ここは、明と清の皇帝が五穀豊穣を願って祭祀を行った場所なんです。天壇は、北京市内の南部に位置していて、総面積は273万平方メートルという広大な施設です。現在は緑豊かな公園として整備されています。東天門から天壇に入ったヨンミョン夫妻、朝から地元の人でいっぱい、そこに観光客も混ざってすごい人だったそうです。万里の長城ほどではありませんが、ここも世界中のいろんな言葉が聞えてきます。中国語以外では韓国語が多かったようです。とにかく広いこと、広いと言われる故宮よりも広いのです。目指すは祈年殿、蒸し暑いこともあってヨンミョンさんは早くもバテぎみ‥長い歩道を歩き、石段を登ると‥ようやく目指す祈年殿が見えてきました。天壇を代表する建築物である祈年殿は、大理石でできた3層の基壇の上に建ち、3層の瑠璃瓦の屋根を持つ高さが38メートル、直径30メートルの堂々たる円形の木造建築物です。この天壇という施設、南端は大地を象徴する方形の壁で囲まれ、天を象徴する北端は半円形の壁で囲まれています。さらに天地の世界を表現するために北側が高く設計されています。どおりで階段があちこちにあるわけです。これから何回かに分けて天壇を紹介したいと思います。(それでは練習に行ってきます。今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.11
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今夜もこんばんはですにゃ~ "マート"です。昨夜ボクは3ヶ月ぶりにヨンミョン夫妻と会ったんです。しかたがないので撫でさせてあげたけど、家に連れて行くのは勘弁してね。これでもボクはこのあたりのボスなんだから~昨日、一昨日と脱線しましたが、今夜からは軌道修正、ヨンミョン夫妻の中国旅行のお話しに戻ります。今夜はしつこく全聚徳のお話しです。中国で北京ダックといえばまずこのお店の名前があがるそうですが、ヨンミョンさんはお肉がダメ、他の料理をつまみながらビールを飲んだそうです。中国でビールといえば青島ビール(チンタオビール)ですよね!ヨンミョンさんは大連でも無錫でも蘇州でも上海でも青島ビール、中国にはこのビールしかないのかと思うくらいです。青島ビールは1903年に設立された歴史のあるビールーメーカーで、中国から海外へ輸出しているビールの70%近くを占めているので世界的にも有名です。ピンボケの写真で申し訳ございませんが、実は中国のビールメーカーの数は非常に多く、中小零細が大半なのが特徴なんです。その中でもとりわけ大きなシェアを確保しているビック3と呼ばれる企業が青島、燕京、華潤の3社です。青島ビールが株式会社化したのは1993年で、同年7月には国有企業としてははじめての香港H株市場への上場を果たしました。2003年の生産高は362万キロリットル、販売高は326万キロリットルです。燕京ビール(エンジンビール)は1980年に同社で最初の工場が完成、中国のコングロマリット北京抗股の傘下企業です。2001年までは同社が7年続けて生産量NO.1でした。2002年の生産高は208万キロリットル、販売高も208万キロリットルです。華潤ビール(リソーシズビール)は1993年に香港のコングロマリット華潤集団が南アフリカのSABとの合弁で設立されました。世界第3位のビールメーカーSABと華潤集団の合弁企業で、出資比率はそれぞれ49%、51%となっています。年間生産能力は490万キロリットルもあるそうです。 それでも日本人が行くお店では青島ビールしか見ないのはなぜなのでしょうかヨンミョンさん調べによるとこのビック3の地位を脅かす「第4のメーカー」があるそうです。そのメーカーは‥哈爾浜ビール(ハルピンビール)です。設立は意外にも中国最古の1900年で、最も古くに参入した企業です。売り上げの大半が中国東北地区向けだったのですが、現在は東北地方以外の売り上げ比率は11%となっていて、今後さらに拡大していく見込みだそうです。2003の年間生産能力は129万キロリットルだそうです。 飲みすぎたヨンミョンさん、ホテルに帰るバスではトイレを我慢するのに必死だったそうです。全聚徳のトイレはあまりキレイではなかったからだそうです‥(もう週末なんですね。今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.10
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皆様こんばんはですにゃ~ 中国猫の"ジョウジュアン"よ~今夜のヨンミョンさん夫妻は吹研の練習をサボって輪島市吹奏楽団の練習に参加するそうよ。今月の26日に輪島市で開催される「石川県社会人バンドフェスティバル」に応援で出演するんだって。このイベントには吹研だって出演するんだけど…さて、今夜ワタシが紹介する中国土産は「見たい」とリクエストの多かった「翡翠」のペンダントよ鉱物学的には「翡翠」と呼ばれる石は、化学組成の違いから「硬玉(ヒスイ輝石)」と「軟玉(ネフライト)」に分かれ、両者はまったく別の鉱物なの。だけど、見た目では区別がつきにくいことからどちらも「翡翠」と呼んでいるのよ。日本では「翡翠」は深緑の宝石というイメージだけど、その他にも、半透明、白、桃、ラベンダー、青、黒、黄、橙、赤橙といった様々な色があって、大きく分けて15色程度と言われるの。奥様が買った「翡翠」は…珍しい色よね。ワタシが住んでいる中国では、他の宝石よりも価値が高いとされているの。「翡翠」の産出地は世界的にも限られていて、安定した量の硬玉の産出地はミャンマーだけなの。中国のホータンで産出される「翡翠」(和田玉)は軟玉だから、よく誤解されているんだけど中国に硬玉の産地は存在しないの…「翡翠」は中国では不老不死および生命の再生をもたらす力を持つと信じられていて、古代には遺体全体を玉で覆うことが行われていたの。秦の始皇帝の遺体も玉で覆われていたといわれているのよ。中南米の王族の墓でも同様の処置が確認されているんだって。現在も「魔除け」として考えられていて、男女によって魔除けとなる色に違いがあるの。猫のワタシには詳しいことはわからないけど…翡翠は中国では元々カワセミを指す言葉だったんだけど、時代とともに翡翠が宝石の玉も指すようになったそうよ。奥様は長女さんが大きくなったらあげるんだって~(それでは練習にいってきます。今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.09
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本日は早めの更新ですにゃ~ またまた登場の"アカ"です~更新が早めなのは、今夜もヨンミョンさんは介護認定審査会だからだそうです。昨年までは月に一度のペースだったのに今年度は2~3回のペース、委員長先生は毎週だからしかたないですにゃ~ところで、昨日予告したリクエストについてですが、今回のヨンミョン夫妻の中国旅行で買ったお土産を見たいとのリクエストがけっこうありました。本日はそのリクエストにボクがお応えしたいと思いますにゃ~さすがボク、気が利くでしょう?ボクが紹介するのは初日のお茶屋さんで買った工芸茶です手毬を小さくしたようなお茶にお湯を注ぐと‥この写真のようになります。これはジャスミン茶の一種で、味も普通のジャスミン茶とほとんど変わりません。奥様は「イソギンチャクみたい‥」と言っていましたが‥調べてみると日本でも買うことができるようです。楽天でも買えるんですね~工芸茶 一点紅これが一番近いでしょうか?香りも良くて、お値段もそんなに高くありませんのでお土産としてポイントが高いのではないでしょうか。軽いしかさ張らないし‥明日は奥様の「自分へのご褒美」を紹介したいと思いますにゃ~(それでは介護認定審査会に行ってきます! 今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.08
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1週間ぶりのごぶさたですにゃ~ "ちょび"ですにゃ~今日もご主人様は午後はお仕事をサボって長男さんの「医師修学資金貸与決定通知書交付式」に出席したそうです。こんなにお仕事を休んで大丈夫なのでしょうか?さぁ、今夜も全聚徳の紹介です。ツアーでよく使用されるのが和平門にある巨大店舗や王府井店です。ご主人様もツアーなので王府井店でした。本店の前門店でなかったのが少し残念ですが‥本店はブッシュ元大統領や海部元総理大臣も来店したことがあるそうです。この本店は2008年の北京オリンピックの開催前に行われた前門大街のリニューアルに合わせて改装されたそうです。これがそのときの料理の写真です。手前の皿の黒いのがタレです。韓国のチャジャンミョンのタレのように黒いですね。奥様のお話しではタレは美味しかったそうです。肝心の北京ダックも美味しかったそうですが、包む皮(白い餃子の皮のようなもの)が少し粉っぽかったそうです。ツアーで団体での食事だったので下の写真のようなパフォーマンス付きでした。個人旅行の多いご主人様、たまにはツアーも良いものですにゃ~驚いたのは、店員さんの一人が昨夜の四川料理のお店の店員さんだったことです。このイケメンの店員さんは日本語が堪能なので、日本人ツアー客が訪れる料理店から引っ張りだこなんだそうです。ご主人様調べによると北京ダックの有名店は、この他にも全聚徳より歴史の長い「便宜坊」や、果樹を焚いて直火であぶる「利群」、100羽に1羽しかとれないという皇帝鴨で有名な「鴨王」、地元に人気の「香満楼酒家」、東の「大薫」西の「九花山」といわれる両店などがあります。北京ダックの有名店は数え上げたらキリがありませんにゃ~(明日はリクエストにお応えして‥ 今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.07
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こんばんはですにゃ~ "ももちゃん2号"です!今日のヨンミョンさんは午後から仕事を休んでPTAの講演会に出席していたようで先程ご帰宅、これから親戚の家に用事があるそうです。仕事はそれほどでもないようですが私的に忙しいようですにゃ~さて、ヨンミョン夫妻の2日目の夕食は次の写真の「ゆるキャラ」のお店です。この「ゆるキャラ」は北京ダックの超有名店、全聚徳のキャラクターです。歴史のある名店としてはなんか微妙‥北京ダックといえば北京料理、初日の四川料理、2日目のお昼には広東料理に続いて中国4大料理のうち3つを食べたことになりますにゃ~この全聚徳というお店は1864年に河北省冀県出身の楊寿山さんによって創業されたそうです。楊寿山さんはそれまで一般的であった「?炉?鴨」に代わって「掛炉?鴨」の料理法を考案したそうです。その後、1952年には公私合営業となり、現在では楊福来さんが支配人を務めているそうです。創業当時は北京前門大街に出店し、現在は和平門や王府井、後海公園、オリンピック村など北京市内を始め、上海市の浦東及び淮海路、蘇州市人民路、太原市迎沢区新建南路、重慶市江北区建新北路、広州市天河区天河北路などに分店を出しているそうです。北京では「不到長城非好漢、不吃?鴨真遺憾(長城を見ずして男に非ず、北京ダックを食さないのは遺憾の極み)」という言葉があって多くの観光客で賑わっています。現在の年商は7億人民元(約100億円!)、年間300万羽以上のカモを500万人に提供しているそうです。お店の総資産は約6億人民元、無形資産は7億人民元にも達し、現在は深?証券取引所に上場、中国馳名商標にも指定されている超有名店なんだそうです。ところで、ヨンミョンさんはお肉がダメだったはずでは?ちゃんとお肉以外の料理もありましたよ~(その「北京ダック」とは‥ 今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.06
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こんばんはですにゃ~ 初めまして!"ショコラ"ですにゃ~ボクは吹研の事務局、M君の家の飼い猫です。写りが悪くてごめんなさいです‥吹研といえば、今日は朝から今月19日に行われる「商店街祭り」の練習でした。地元の中学生・高校生と合同で1時間、計10曲を演奏するそうです。昼食を挟んで7時間あまり、ヨンミョンさんも奥様もフルに参加、疲れたそうです~さて、ボクのお話しはヨンミョン夫妻が万里の長城から北京市内に戻ってきたところからです。まずは2年前に開催された北京オリンピックの施設見学です。時間があまりないので道路を挟んで遠くから眺めただけ、「鳥の巣」(国家スタジアム)や「水立方」(ウォーターキューブ)が見えたのですが、視界が悪くてよく見えなかったそうです。それでも「鳥の巣」の巨大さは確認できました。写真は選手村だった建物、現在はマンションとして使用されているそうです。その後はお決まりのお買い物、1日1回のお土産物屋さんへ行くことが義務になっています。初日のお茶屋さんに続き、2日目は翡翠屋さんでした。ヨンミョンさんは説明だけは聞きましたが、すぐにガイドさんと話をするふりをしてお店の隅で煙草タイムです‥写真で見ると暗いですが、実際はもっと明るいお店です。ここで奥様は自分へのご褒美を購入したそうです~お値段は怖くて言えません‥そしてバスは待ちに待った夕食の会場へ向かいます。そのお店とは‥(それは明日のお楽しみということで‥ 今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.05
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こんにちはですにゃ~ "エトランゼ"です。能登はようやく少し秋らしくなってきましたが皆様のところはいかがでしょうか?昨夜は吹研メンバーの家のお祭りで飲んだヨンミョンさんですが、今夜も職場の先輩の家のお祭りに行くそうです。吹研の練習は‥さて、昨日まで続いた万里の長城ですが、今日から別のお話しになります。万里の長城から北京に戻るヨンミョン夫妻、中国の高速道路は日本と比べると空いています。疲れもあってヨンミョン夫妻はウトウト‥途中でマツダ「アクセラ」の大軍を見ました。中国でも売れているようです。ヨンミョンさんが学生の頃にマツダの「赤いファミリア」がブームになったことがありましたが、「赤いアクセラ」は中国でブームになるでしょうか。あっ、そうそう、明十三陵から万里の長城に向かう途中で昼食を食べたそうですが、今度は広東料理だったそうです。写真ではどんな料理だったのかわかりませんね。ヨンミョンさんは本当に写真を撮るのが下手ですにゃ~広東料理は中国南部の広東省や香港、マカオで食べられている料理で、中華料理の四大菜系、または八大菜系のひとつに挙げられています。中国料理の八大菜系とは山東料理(北京料理も含まれます)、四川料理、湖南料理、江蘇料理(上海料理も含まれます)、浙江料理、安徽料理、福建料理、そして広東料理です。この料理は広東語である飲茶(ヤムチャ)やワンタンが、英語でも日本語でもそのまま外来語として使われていることからも分かるように、中華料理の中では最も世界中に広まっているんです。これは、清代以降にアメリカ、ハワイ、東南アジア各地などに多数移住した中国人は広東省出身者が多かったことに起因するそうです。日本でも横浜中華街や神戸南京町には広東系の華人が多く、広東料理店が多いんですよ。特徴としては、「飛ぶものは飛行機以外、四つ足は机以外、泳ぐものは潜水艦以外なんでも食べる」と言われているほどさまざまな物を食材に使用していることです。フカヒレや燕の巣といった高級料理も広東料理なんですよ。(今夜も忙しいです。今日も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.04
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今夜もこんばんはですにゃ~ "よご"ですにゃ~この週末いかがお過ごしでしょうか?ヨンミョンさん夫妻の中国旅行、万里の長城編も今日で最終回ですヨンミョンさんと奥様、いよいよ長城に挑戦です。この「女坂」最初は緩やかなのですが、すぐに階段になります。勾配の急な部分は階段になっているんです~昨日のコメントへのお返事にも書きましたが、途中で休憩しているヨンミョンさんと奥様の目の前で上から降りてきたおじさんがよほど疲れたのかバッタリと倒れたのにはビックリしたそうです。それだけキツイということになりますにゃ~ヒイヒイいいながら登るヨンミョン夫妻、暑いこともあって汗が噴き出します。写真の上の方に見えるのが北四楼、普通はここで引き返す人がほとんどです。ここまでなら普通に登って往復40分くらいです。ヨンミョン夫妻は時間の都合もあってここで引き返しましたが、北八楼が八達嶺長城の最高点、頑張ってここまで登ればロープウェイで降りることができます。ただし、駐車場には降りてきませんので注意してくださいね。北四楼からはスライダー(滑り台みたいなもの)で降りることもできますが、これも駐車場とは別のところに降ります。体力に自信のない人はロープウェイで山麓駅から最高点の北八楼への往復が楽だと思います。ヨンミョンさんはこれから吹研のトライアスロンに出場するためにサマーコンサートをサボったアイアンマン、F先輩の家にお祭りに行くそうです。また飲んで暴れるんでしょうにゃ~ (懲りないオヤジです… 今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.03
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今夜もこんばんはですにゃ~ 今夜は"アグ"がお届けしま~す。今日は吹研の練習日、今月19日の商店街祭りに演奏する予定の「風の向こうへ」の譜読みをしたそうよ。今度の日曜日は一緒に演奏する地元の中・高校生との合同練習があるみたいね。さて、ワタシが紹介する万里の長城は‥ヨンミョンさんと奥様はせっかくここまで来たんだから登る気満々、通称「女坂」を登り始めたそうよ。八達嶺長城は駐車場から向かって右手が「女坂」、左が「男坂」と呼ばれているの。「女坂」は北側の山沿いに穏やかに延びていて、「男坂」は南側の傾斜のきつい階段が続いているの。「男坂」は人があまりいないのよ。「女坂」は見てのとおり人、人、とても自分のペースでは登れないわね。しかも傾斜がゆるいといってもこの勾配、足場が悪いこともあって手すりがないと辛いわね~実際にヨンミョンさんの目の前でおじさんが倒れたらしいわ。それだけきついのね。ヨンミョンさんも奥様も戦意喪失、それでも根性で登ったそうよ。ところどころに楼があって一番高いのが北八楼、ここの標高は1015メートルらしいわ。登り始めてすぐの北一楼の壁を見ると‥この落書き、許せないわね~文字の多様なこと、それだけ世界中からいろんな人がここに来ているという証拠にもなるけど‥しかもよく見るとゴミがちらかり放題、ゴミ集めのおばちゃんもいたけどとても追いつかないくらいのマナーの悪さ。なんとかならないものかしら‥(せっかくの世界遺産が‥ 今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.02
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今日から9月ですにゃ~ またご主人様は「火曜日」を忘れていたようです。火曜日は吾輩の曜日なのに、吾輩は悲しいですにゃ~ しかも見所の万里の長城の紹介がすでにはじまっているじゃないですか!八達嶺長城の駐車場に到着したご主人様がバスから降りてまずしたことが…タバコを売っている売店探しだったそうです。ご主人様は当日の朝からタバコが切れて、5時間以上もタバコを吸っていなかったそうです(健康のためにはその方が…)。売店の一番奥でタバコを発見、まさに「執念」です。ガイドさんもここの売店でタバコを売っていることは知らなかったようで、「どこで売ってました?」ってご主人様に聞いていたそうです。生憎の霧で視界が悪いのが残念です。後で聞いた話しでは、八達嶺長城付近で霧が一番多く発生するのが7月だそうです。昨日の「人工衛星から見えない」の反響が大きかったので、少し解説を…以前はその長大さから「宇宙から肉眼で見える唯一の建造物」と言われ、中国の教科書にも掲載されていた万里の長城ですが、実際には幅が細い上、周囲の色と区別が付きにくいため、視認するのはきわめて困難だそうです。しかも、2003年に中国初の有人宇宙船「神舟5号」に搭乗した楊利偉飛行士が、「万里の長城は見えなかった」と証言したため、中国の教科書からこの説は正式に削除されました。さらにダメ押しが、2004年に中国系アメリカ人のリロイ・チャオ飛行士が国際宇宙ステーションより180ミリ望遠レンズを付けたデジタルカメラで万里の長城を撮影することに成功したのですが、肉眼では見えなかったと証言したことで、これで決定的となりました。大袈裟な表現が大好きな中国人が「見えなかった」と言っているので本当に見えないのでしょうね。(先程介護認定審査会から帰宅しました。今夜も応援よろしくお願いいたしますにゃ~)
2010.09.01
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