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「事実を事実として述べることの是非」
事実を事実として述べることが本当に正しいことなのかどうかを考えてみたいと思います。
事実を事実として述べることは正義にかなったことであり、なにか正しいことのように思えますが、結論は、「事実を事実として述べることは、常に正しいとは限らない。相手を生かすことは大きく、相手を苦しめることは小さく、そうした努力もまた、必要ではないか」ということです。
例を一つ上げてみます。小学生の友達AとBの親同士の例です。小学生のAが学校から帰ってきて、親に「B君は学校の帰り道に100円玉を拾って、それでジュースを買って飲んだよ」と言ったとします。
Aの親はBの親にそのまま事実を伝えるべきでしょうか。それとも、そのままにしておくべきでしょうか。あるいは他に方法があるでしょうか。
難しい問題です。そのまま伝えたら、おそらく、Bの親は何か、子供が犯罪人扱いをされ、また自分の教育が悪いと非難されたような気になって傷つくのではないかと思われます。
伝えたAの親も何か後味の悪さが残ると思われますがどうでしょうか。かといって他に何か方法があるでしょうか。
そのままにしておくのも、教育上、あまりよくないような気もします。しかし、そのまま伝えるのは、相手の親の性格にもよりますが、一般には、程度の差はあれ、傷つく場合が多いでしょうから、ベストの方法とは思われません。
ただ親同士が非常に仲がよくお互いをよく理解している場合には言ってもよいかもしれません。
これよりもましだと思われる方法は、自分の子供も共犯者にしてしまうことです。
「学校の帰り道にAとBが拾ったお金でジュースを買って二人で飲んだ」ということを子供のAから聞いたので、Aの親は「そんなことをしてはいけない。交番に届けるか、親に渡しなさい。そうしないと泥棒と同じになってしまう」というように、自分の子供であるAを注意したということを、Bの親に話したらどうでしょうか。
そうすれば直接傷つくことはないと思われます。Bの親も自分の子供を注意するでしょう。
たとえその時、真相が明らかになっても、共犯者にしたAの親の思いやり、心遣いを理解し、感謝することはあっても、直接傷つくことはないと思います。うそも方便です。うそも使い方によっては許されます。
このほかにも方法はあるでしょうが、ようするに人間関係において、事実をいつもそのまま伝えるのではなく、相手を生かすことは大きく、相手を苦しめるようなことはできるだけ小さく、そのように配慮することが必要になる場合もあるのではないかと思われます。