南カリフォルニアの青い空

南カリフォルニアの青い空

2024.09.03
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魂の絆(前編)

私は十七年間日本に帰らなかった期間がある。当時住んでいたラグナビーチは99.9%白人の町であったから、当然友達も白人だけになった。つまり明けても暮れても英語だけの生活であった為に日本語を忘れかけていた。長い間日本語を話さないでいると舌の動きが変わってくるのをご存じだろうか。

まだ私が日本にいた頃であるから昭和三十年代の話になるが、サンフランシスコに住んでいた叔母が十年ぶりに里帰りをした時、実に不思議な発音の日本語で話していたのを覚えている。本人は普通に話しているつもりらしいが「え~と、え~と」と途中で忘れた単語を英語で言ったりするしで、知らない人が聞いたら「この人、ちょっとへん」と気づく話しかたであった。更に十年後には、漢字の偏とつくりが逆になっていたり、冠がなかったり、ミミズがはったような字だったり・・・。十七年後の私が、まさにそうなっていた。

前に書いたので重複するが、パソコンが出始めた頃、「私、日本語わすれかけてる」と白人の友達に漏らしたら、ネットにチャットルームというのがあって、かなり色々な国の言葉でやってるから日本語でもある筈だと教えられ、早速さがして見つけ、更に英語のキーボードで日本語のフォントに切り替えることも出来ると知り暫くはまって、日本の流行語をどんどん覚えていった。

その内に楽天やミクシーというサイトで大勢の日本人ネット友達が出来、後に里帰りしたとき『カリフォルニアのヒロコさんとのオフ会』とかをあちこちで企画してくれ、東北、東京、京都などでネット友達のグループにあったりもした。『面白い世の中になったもんだ』と思っていたある日、私の母方祖母の家紋を使っている親族限定のコミュニティーにぶつかった。

タイプで会話しながら、持っていた写真などをシェアした短期間に「僕ヒロコさんと繋がってます」「私もです」「〇〇さんという人はヒロコさんに一番近いと思いますよ」と祖母の兄の孫がみつかり、あっという間に知らなかった親戚にどんどん繋がっていった。彼らと私の曾祖父達が四人兄弟だったのだ。その四人の父親が先月号にちょっと書いた、碧い目の侍・佐賀鍋島藩長老・原田小四郎であった。つまり全員、小四郎の子孫であった。

私が最年長だったのと、先祖の写真を何枚かもっていた事、更に代々口伝えの話も皆とマッチしたことから、「ヒロコさん、次の里帰りの時には是非『いとこ会』をしましょう」という事になった。それから何度も会う事になるのだが、まず最初は池袋の高層ビルの中にある寿司屋で、歴史小説家の故・井上宏生氏(彼も遠い親戚にあたり、著書に『カレーの歴史』『日本神話の神々』がある)を含めた五人が集まり、その井上氏が佐賀新聞の日曜版に一年かけて鍋島・原田の歴史連載を書く事になっていると知らされた。つまり古い先祖の写真や記憶という資料を持っていた私に巡り合った事もタイムリーであったらしい。

「いや~、これはご先祖様の導きに違いないから、お礼をしに是非お墓参りをしましょう」と誰かが言い出し、昼食後は全員で私の曾祖父母の墓、母や祖父母の墓のある青山霊園に行き花を捧げてお参りをしてきたのだが、『魂の絆』とでも言うのか不思議な事がその日から始まった。

この『いとこ会』をかわきりに、我々のコミュニケーションは頻繁になり、更には先祖の土地九州まで行くことになった。でもその前に私は福島の友達の家を訪ねた。人生で一度きちんと和服を着た写真が欲しかった夢を彼女が叶えてくれ、床の間の前で写真を撮ってくれた時、私は心の中で母や祖母に「生きてる間に着物姿を見せたかったなぁ、見える?」と話しかけていた。その途端に青空が急に真っ暗になり夏だと言うのに霰が降った!「せっかく日本庭園でもお写真撮りたかったのに、この霰じゃ無理ね」と友達が言い、私も「何てことでしょう。着物で写真など一生に一度のチャンスだと言うのに!」と空を睨んだとたんに、又青空になったのだった。

続いて初めて会う親族の住む佐賀を訪ね、旧知のごとく温かく迎えられた。鍋島博物館やら先祖が納めていたという福岡太宰府の天満宮や秋月城跡、糸島の原田城跡(別名高祖城)の裾野にある菩提寺の金龍寺や龍國寺二か所を数日かけてご案内いただいた。その金龍寺の本堂で合掌した途端全く予期しなかった事が起きた。トランス状態に入ってしまったのだ。瞑った眼の裏に無限に続く四角いトンネルのようなものが現れ、種継、種臣,種道・・・のように原田家の通し名である『種』という字のつく名前を書いた紙が舞うようにそのトンネルの奥深くから私をめがけて次から次に出てきたのだった。瞑想から目覚めたとき、同行していた親族の一人が「あ~良かった!四分間くらい微動だにしなくて息もしてないように見えたから心配してました」というので、トランス中に見た事を伝えたら「あ~、きっとご先祖様達が遠くアメリカから来てくれたヒロコさんに感激してご挨拶に見えたんだ」ともう一人が言ったが、こんな経験は生まれて初めての事で、摩訶不思議な一件であった。(続く)








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最終更新日  2024.09.03 07:56:12
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