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ぼくとしちゃん

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November 21, 2020
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何故「古事記」と「日本書紀」があるのかと言う研究の一環で、
前田晴人の「継体天皇と王統譜」と古田武彦の「壬申大乱」を読んだ。
前田氏の方は正直な所、滅茶滅茶な理論だと思う。

史学の人は完全に文系の人のダメな所を備えている。言い方は変だけど。
文系の人のダメな所とは「証明の技術」を持っていないことが一番である。
いや文系の人の良い所の裏返しなので、良いことなのかもしれないけれど歴史には向かない。
どう言うことかと言うと「夢見るオジサン」過ぎるのである。
自分がこうだと思った夢を証明するのに理論的な思考ができず、夢にのめり込むのである。
例えば十分条件と必要条件の違いが分かっていない。

もっとダメなのは権威主義で、偉い先生の言ったことは正しいと盲信しやすい。
そのせいで、全然証明になっていないことを必死になって主張する。

例えば分かりやすいのが「箸墓は卑弥呼の墓である」と言う主張である。
理由を聞くと「3世紀半ばに作られており、これだけ大きい墓は女王の墓にふさわしい」からで、
両方とも十分条件で必要条件にはなっていない。
3世紀半ばに作られたと言うのは確かに卑弥呼の墓の可能性がある。
大きい墓なので女王の墓にふさわしい。
両方とも「十分条件」であって「必要条件」ではない。
卑弥呼の墓である条件を満足してはいるが、卑弥呼の墓でなければならない必然性は無い。
他の人、例えば出雲の女王の墓でも良いのである。
その時代に大きな国は邪馬台国だけだったと言う思い込みに縛られているので、

3世紀半ばの墓+大きな墓と言う十分条件だけで頑張るのである。
刑事裁判なら冤罪を生んでしまう。
お前は貧乏で、隣に住んでいて近い。だからお前は犯人だと言うようなものである。
もちろん犯人である可能性はあるが、これだけでは冤罪である。

話は戻って前田氏の主張は継体天皇が「眉弱王の孫」であると言うもので、

こことここは証明されていないから嘘であると主張する。(具体的には面倒なので略)
おかげで突っ込み所満載で読むに堪えない。
もし今城塚古墳が継体天皇陵であるならばそれだけで終わる理論である。
今城塚古墳の3つの石棺(熊本-吉備-大和の3つのそれぞれの地域の石製の石棺)を見れば、
どう考えても古い先祖=熊本、ちょっと前の先祖=吉備、継体天皇=大和だからである。
親兄弟あるいは子や妻を一緒に祀るならば3つの石棺とも大和の石でよい。
熊本から材料の石をわざわざ持ってくる必然性は無い。
熊本に残して来た墓を泥棒に荒らされるのが嫌だから熊本に有った石棺を持ってきたのである。
垂仁天皇の墓や天武天皇の墓はめちゃめちゃに荒らされていたそうである。
大和に埋葬しても荒らされるほどだから、自分の手元に置いて守りたいのは当然である。

一方、古田先生の主張は半分納得できないが、半分はなるほどなと感心した。
先生は、万葉集の柿本人麻呂の歌から九州王朝の存在と壬申の乱の意味を説明した。
柿本人麻呂の歌が大和(吉野)の地形や状況と合わず、むしろ九州の地形と合うと言うのである。
なおかつ日本書紀の中に有る、白村江の戦いに敗れた後に唐による筑紫都督府がおかれ、
唐から現地司令官と2千人に及ぶ占領軍が居たことをもって、
白村江で戦って負けたのは九州に有った王朝で、王は捕虜となり中国へ抑留され、
占領軍による政策が終わり、新羅と唐が戦争を始めたせいで日本占領が終わり、
その際に(唐の後押しで)壬申の乱が「九州で」起こったというのである。

僕はこれを読んで、調べてみた。(Wiki参照)
663年8月28日 白村江で倭(当時は日本でなく倭)と百済の連合軍は唐と新羅の連合軍に大敗。
665年     唐より劉徳高が戦後処理の為に来日。3か月滞在して守大石らに送られ帰国。
667年     劉仁願により生き残りの(重要でない)捕虜が筑紫都督府に送られてきた。
         天智天皇は都を難波から近江に移して備えた。また大宰府等に水城を造った。
669年     天智天皇は河内鯨を送り国交正常化を図る。同時に唐の様子を探る。
670年     唐が攻めてくると言う噂が流れて天智天皇は準備を始める。
671年     郭務綜以下唐軍2000人と共に筑紫君薩野馬等の捕虜が帰国。
        天智天皇崩御。
672年     壬申の乱勃発。大海人皇子(天武天皇)が天智天皇の子の大友皇子を破り、
        天皇となって政治改革を進め、次の持統天皇(天武天皇の后)に続く
        中央集権国家の建設を行った。
684年     筑紫三宅連得許等の捕虜が帰国。
690年     大伴部博麻等が帰国。彼は自らが奴隷となってその金で上記薩野馬の帰国を
        助けたとして持統天皇からほめられている。
        遅い人は707年位まで帰国できなかったらしい。

結構大変だったみたいだし、郭務綜以下唐軍2000人が占領軍として来たのは確かみたい。
しかも古田先生の言う通り、九州の偉い人がたくさん捕虜になっており、
もし九州に王朝が有ったならば、その後の壬申の乱の話もあり得るかと思った。
なんせ、郭務綜以下唐軍2000人が来たのと壬申の乱の勃発が同じ年なのは説得力がある。
白村江の戦後処理だけならば663年から駐留軍は居るはずなのに、
郭務綜以下唐軍2000人が来たのはその8年後だから。何かありそう。
古田先生の主張通り持統天皇の31回に及ぶ吉野参りも何でそんなに行くのって感じだし。

でも、僕は壬申の乱に郭務綜以下唐軍2000人が絡んでいるのはそうだと思うけど、
九州王朝は眉唾だと思う。
捕虜の役職+名前を見ても、確かに筑紫君薩野馬や筑紫三宅連得許と言う偉そうな人が居るが、
この2人は君と連から大和から派遣された王族(薩野馬)と地方長官(得許)だと思う。
捕虜は他に「讃岐錦辺」や「陸奥壬生」もいるからである。
継体天皇が磐井の乱後に九州に屯倉を置いて自身の財源管理の為に置いた官ではないだろうか?
何故「古事記」と「日本書紀」があるのか(その5)でも書いたように、政治には金が必要。
しかるに、この時期にはまだ天皇家の財源は弱く、大和の財産は地元の首領たちに抑えられ、
九州から得る富(屯倉からの上り)と貿易による収入は最重要だったのだと思う。
なので、九州には王族や重要な官職が有ってもおかしくはなく、
それはちょっとした国のような感じだったので、古田先生の言うような王朝もどきだったのだ。
なので、唐も大和の占領はコスト的、人員的に無理があるので、
現代の沖縄の米軍のように筑紫都督府に占領軍を置き、
現代の東京のように、大和は現地の都合良い人間に任せて、
間接的な支配を考えたのだと思う。
その都合の良い人がが天武天皇であり、その崩御後は持統天皇+藤原家だったのだと思う。
ちょうど今の日本を、対中国、対ロシアの出先として使い、自身は本国に居るように、
唐は対新羅の為の出先として日本を生かし、唐の手先としたのではなかろうか。
(ただ、唐自信が後に滅亡したので、結果的に日本は独立したのだけど)

<後日追記>
唐の話だけだと壬申の乱との関係が読みにくい。
新羅との関係も年次と絡めて書くと分かりやすい。
670年      高句麗遺民軍と新羅軍が鴨緑江を渡り唐軍を攻撃し唐と新羅の戦いが始まる。
671年      百済に向かっていたが薛仁貴率いる唐の水軍が、黄海で新羅の水軍に敗れる。
672年~674年  唐が逆襲を開始し、韓始城と馬邑城及び白氷山と瓠瀘河でも新羅に勝利する。
675年2月     新羅の文武王は唐に謝罪使を派遣し、元の冊封状態に戻る。
   9月     新羅軍は泉城で唐の薛仁貴の軍を破り、買肖城でも勝つ。
676年      新羅郡は錦江河口伎伐浦で唐軍を破り、唐は朝鮮半島から撤退する。

671年に天智天皇が崩御し、
672年に壬申の乱が勃発しているのと朝鮮半島の動きが連動しているような気がする。
671年に郭務綜以下唐軍2000人が日本に来たのは最初は占領軍だと思ったけど、
もしかすると天武天皇は新羅と通じていたのではないだろうか?
つまり、新羅は唐と戦うに際して高句麗の遺民達と結ぶだけではなく、
日本の親新羅勢力と手を結び、親百済勢力だった天智天皇一派と相対したので、
唐も和平を結んで唐の支配を受け入れた天智天皇が死んだことから、
天使天皇一派をフォローしようとしたのでは?
つまり壬申の乱は、実は唐の支配を受け入れた天智天皇の子の大友皇子と、
新羅と協力して日本の独立を取り戻そうした大海人皇子(天武天皇)の戦いだったのでは?
で、当然豪族たちは日本を取り戻す為に天武天皇に味方する豪族の方が多かったので、
天武天皇は勝利した?
つまり、670年に整備された水城は対唐軍用ではなくて、対新羅軍用だったので、
郭務綜以下唐軍2000人は簡単に大宰府に入れたし、筑紫都督府になった?
そうかもしれない。

上記から僕は古田先生は結構ポイントをついて証明しておられるし、納得もいくので、
九州王朝は信じられないけど、
壬申の乱に唐の何らかの関与が有ったことは信じられると思うのである。
(後日追記が本当ならば唐の関与は有ったに間違いない)





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最終更新日  May 10, 2021 02:57:49 AM
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