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December 4, 2020
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わの会は毎月第一木曜日にイベントを行っており、12月3日にも開催されたので参加した。
月1回なので丁度良いペースである。
今回は、「釜利谷史跡散策-1白山道を歩く」と言うことで、
手子神社→禅林寺→釜利谷小川アメニティ→自性院→畠山六郎重保公廟所→東光禅寺→日月社
→白山権現社のコースを歩いた。

白山道と言うから「はくさんどう」かと思っていたら昔は「しろやまどう」と呼ばれていたらしい。
称名寺の末寺白山堂があったことから名づけられたのだそうで、
手子神社から東光禅寺を経て六浦の鼻欠け地蔵まで続いている。
でも、今は地元の人も「はくさんどう」と呼ぶようになってしまったそうだ。悲しいね。



緑色が歩いたルートで左上に手子神社があるが、
実は昔は青色が海岸線だったそうなので、鎌倉時代の道は海岸線だったのかもしれない。
(青で描いた海岸線は横浜市の中世の地図を元に僕が書いたもので現実より少しずれているかも?
 もしかすると金沢文庫駅から手子神社までは緑色の線が海岸線だったかもしれない。)
この辺は江戸時代に永島祐伯により埋立てられ、彼の雅号「泥亀」と言う地名がついている。
彼一代では完成できず、地震や水害により被害を受けながらも9代目に完成したそうだ。

で、この辺に古代は海神族がおり海辺の山々にはその首領たちの古墳があり、
その下には「やぐら」が有って、神社や寺が守っていると言う僕の主張は今回も裏付けらた。
青色の線で描いた昔の海岸線には切り立った山が多く、そこには神社ややぐらがたくさんある。
ただ、都市の開発の為に、ここは古墳だったに違いないと思う山は削られて跡形も無い。
例えば今回のルートの最初の神社である手子神社がそうである。



ここ釜利谷の領主だった伊丹左京亮が1473年に瀬戸神社の分霊を祀ったのが起源とされるが、
恐らくそれよりも前から地元の人達があがめる神様がいたに違いない。
何故そう思うかと言うと境内の狛犬のせいである。

<後日追記>
 慶應三丁卯年と言うのは、「慶應三年(丁卯の年)と言う意味みたいです。

こんな狛犬は初めて見たよ。左右の阿吽の狛犬それぞれの下に子犬がいる!
だから手子神社と言うのではないだろうか?
「手子」と言うのは、元は「稚児」で、
伊丹左京亮が1473年に瀬戸神社の分霊を祀ったと言うのは手子神社ではなく、
下の宇賀福神のことで、それが誤って伝わったのではないだろうか?
弁天様は瀬戸神社の琵琶島に祀られているので、
そちらが分祀したと伝わる方なのではないだろうか?
その弁天様であるが、境内に祀られている。


左の石碑には竹生嶋弁財天と書かれており、脇に小泉夜雨と書かれている。
有名な金沢八景の1つ「小泉夜雨」だ。


見ると分かるようにすぐそばは海だ。僕が上の地図に書いた通り。手子神社は海辺だったんだ。
この辺りは元々小泉と言う地名だそうだ。
なお、小泉は小泉元首相がこの付近の出身なので、僕は「こいずみ」だと思っていたら、
実は「こずみ」と読むのだそうだ。知らなかった。一つ勉強した。バス停も「こずみ」だ。
で、この弁天様なんだけど、中を見ると頭が人間で体が蛇の宇賀福神が祀られている。


鎌倉の銭洗弁天様と同じだ。(鎌倉から伝わったと言う人もいるが、瀬戸神社からだろう。)
これは手子神社の裏山に祀られていたのを軍の施設ができる際にこちらに移したと言われている。
手子神社説明板はこんな感じ。


弁天様が多分ここにあったのだと思うのが、裏山の東電の変電所の傍のやぐら跡。


確証はないが、(昭和15年に)軍の施設を造る為に移転したと言う話からそう思える。
なお、軍の施設は今は当然無く、東急車両と東電の変電所になっている。

<後日追記>
なんと図書館で戦時中のここの写真を見つけてしまったので載せる。


この山にはやはり(やぐらかどうかは今では確かめようも無いが)洞窟があり、
海軍はその洞窟を拡張して研究所として使っていたようである。
気になるのは東急車両の有る辺りも元は海軍の施設(「通信関係の研究所」らしい)なのに、
わざわざ監視塔を設けてそのさらに奥に作った研究所とはどんな秘密の研究をしていた?
「通信関係の研究所」の中でさらに機密レベルが高いと言うことは、
例えば高性能レーダーとかだろうか?もしかして秘密兵器?
うーん、知りたい。

ここ手子神社をすぎて次は禅林寺。


立派なお寺である。なお、この門の左手には金毘羅宮がある。
曹洞宗のお寺で、足利持氏の創建らしい。
徳川家康の御真影が祀られており4月17日に毎年公開されるそうだ。

次は自性院に行った。途中には奇麗な小川アメニティがあり、アメンボが居た。


伊丹三河守が2人の子供の菩提を弔う為に建てたものだそうだ。
次は畠山重忠の息子の六郎重保の墓に行った。


説明板を見ると、彼はこの裏の山で自害したのだそうです。


ここを過ぎて、東光禅寺に進む。


この辺に住所を置いて30年以上たつのに、このお寺は全然知らなかった。立派なお寺。
本堂には木造の薬師如来が有る。運慶一派の作だそうで、立派だ。


この本堂の天井には龍が描かれている。


本当にこんなお寺が近くに有るとは知らなかった。
ここを過ぎて次は日月社を見たが、通常のやぐらなので写真は略。
この日月者の扁額が発見され、上記の東光禅寺に置かれているそうだ。
そこをさらに奥へ進むと、白山権現社がある。


やぐらの中に白山妙理権現が祀られている。ガイドさんの説明では「菊理媛神」だそうだ。
菊理媛神は白山信仰の神で全国の白山神社に祀られている。
日本書紀では伊弉諾尊が伊邪那美尊を黄泉の国に尋ねた際、伊邪那美尊の亡骸をみてしまい、
伊邪那美尊に追われて逃げる際に伊弉諾尊に助言して助けてくれた女神様である。
この先に山の中腹に掘られた摩崖仏があるそうなのだが、
草木で覆われ見ることができないそうなので行かなかった。
全行程約2時間半みんな頑張って落伍者も無く無事に終了した。

みんな70歳を超えているように見えるのだけど、元気だなぁ。





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最終更新日  May 4, 2022 10:26:57 PM
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