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ぼくとしちゃん

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August 4, 2025
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昨日は歴史学者は古事記や日本書紀そして魏志倭人伝を原典で読んでいないから、
めちゃくちゃな理論を展開すると思うと書いて、
その一例として「熊襲とはなにか」を取り上げた。
歴史学者は本当に古代の貴重な本を読んでいないと思う。
いやちゃんと読んでいると反論するだろうが、読んでいるのではなく眺めているのだと思う。

そのもう一つの良い例がAIとの比較である。
僕はギリシャとトルコに最近旅行して、
その時に気づいた色々なことをWindows copilotで絵に描かせたのだが、
人間ではないパソコンのアプリが非常に正確に僕の思った通りに絵を描いてくれた。

近年のコンピューターの処理能力の発展とプログラマーの努力により、
「人間の考え方」近づいてきているからである。

特にデーターベースの大きさはものすごく、
僕は歴史学者は「暗記するのが得意で考えるのが苦手」な人達だと考えているのだが、
「暗記する」事に関してはもうパソコンには到底かなわない領域に達している。
Aiにより最初に仕事を失うのは、実は歴史学者達なんではなかろうか?
だって知りたいことは歴史学者に尋ねるよりはAiに聞く方が答えが早くて正確である。
人間である歴史学者が1か月かかることを1秒にも満たない時間で答えてくれる。
本当に「暗記するだけ」の歴史学者は必要なんだろうか?
いや、「考える」歴史学者は必要だと思うけれど。

そのことを試してみた。

よく日本人が文字を使うようになったのはいつごろからか?と言う疑問がわく。
かって歴史学者の中に
「鏡や貨幣を見ると漢字が使われているので紀元前1世紀には使われていた」
と言う人達と、
「いや鏡等に使われている漢字は単なるデザインなので意味は知らず、

と言う人達がいた。
で、偉い先生が日本書紀を読むと、
「朝鮮半島の百済から王仁という人物が『論語』と『千字文』を献上したことが、
 書物として公式に伝来した最初なので5世紀頃だよ」
と言ったことから5世紀説が通説になっていた。

ところが考古学が発達して、
熊本の江田船山古墳や埼玉の稲荷山古墳から漢字が書かれた刀が出土し、
それが崩れてしまった。
ここで大事なのは、刀に刻まれた漢字が、
漢字そのものとしてではなく「音」として使われている事実である。

ちょうどカタカナやひらがなが漢字から派生したように、
漢字を「音」として使うようになるのは、
漢字が一部の人達の特別な文字ではなく、かなりの人達が使うようになっており、
「これって便利じゃん!、俺たちの言葉=倭の言葉の表記にも使えるのでは?」と
考え出した証拠である。
つまり相当数の人達が漢字を使っていたと言うことである。
(埼玉の稲荷山古墳の漢字が書かれた鉄剣の内容を読むと、
 この文章の元となった事実の対象者は地元つまり地方豪族の人間であり、
 埼玉から奈良に派遣されて朝廷に仕えていた人だと言うことが分かるが、
 言い換えれば地方の豪族さえも漢字を使っていたと言うことであり、
 大和朝廷内部だけではなく地方でさえも漢字を使う人間が居たと言う事は、
 漢字が相当に普及していたことに他ならない。)
つまり江田船山古墳や埼玉の稲荷山古墳の時代には、
漢字が普及するどころか、応用ができるほど広まっていたと言うことである。

なら、それには100年やそこらはかかるだろうから5世紀どころか、
もっと前に漢字は伝わっていただろ言うと思われる。
その時に僕のインスピレーションとAIを組み合わせると面白い結果が出た。
魏志倭人伝の中にそのことが書いてあるのである。
魏志倭人伝には伊都国の様子について2か所に分けて書いているが、その後の方である。
<原文>
自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之
常治伊都國 於國中有如刺史
王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國
皆臨津捜露 傳送文書賜遺之物詣女王
不得差錯
<意訳>
女王国より以北には、特に一人の大率を置いて検察し、諸国はこれを恐れはばかっ ている。
常に伊都国で政務を執っている。魏における刺史(州の長官)のようなものである。
倭王(多分卑弥呼)が使者を派遣し、
魏の都や帯方郡、諸韓国に行く時、及び帯方郡の使者が倭国へやって来たときには、
いつもこの大率が伊都国から港に出向いて調査、確認する。
文書や授けられた贈り物を伝送して女王のもとへ 届けるが、
数の違いや間違いは許されない。

一大率については中国(又は公孫氏)側が置いたのか卑弥呼が置いたのかと言う議論はあるが、
僕もまだ分からないので置いておいて、
大事なのは「傳送文書」と「不得差錯」と言う部分である。
魏から文書が送られてきているじゃん。
百済の王仁よりもはるか昔に「文書」が届いているじゃん。
いやそれを日本語に訳したのは渡来人だと思うと歴史学者は言うだろうが、
「不得差錯」つまり、その翻訳されたものは吟味されているじゃん。
渡来人を卑弥呼は100%信用するはずも無いので、
一大率が倭人であるか、
もしくは一大率が倭人ではないならば、それが、間違っていないか判断する倭人が別に居て、
それは明らかに卑弥呼の側近だったと言うことじゃん。
一国の王は通常は慎重で、自分の信じていない人間は傍に置くはずがないから。
いや卑弥呼が嫌いな側近は居たかもしれないが、
対中国と言うことに関しては、卑弥呼が嫌いでも倭国側の立場で判断するだろうと思う。

なので、AIが見つけて来てくれた日本に漢字で書かれた文書が最初に伝わったのは、
少なくとも卑弥呼の時代で、もしかしたらもっと前かもしれず、
もっと前なら紀元前の貨幣や鏡に書かれた文字もデザインではなく文字として理解されており、
例えばそれが天体や神話等の場合は意味を理解して鏡は使われていたのだと思う。
そして卑弥呼が魏から送られてきた文書が倭国にとっておかしなものでは無いと理解できる、
説明が可能な部下が側近にいたのだと分ったのである。
AIってすごい。
もう「覚えるだけの歴史学者」っていらないじゃん。失職しそう。
これからは「考える歴史学者」にならないとダメだな。

ちなみに魏志倭人伝を編纂した陳寿はそのことを理解していたから、
「傳送文書」と「不得差錯」を魏志倭人伝の中に書いたのだし、
魏志倭人伝の中に書かれた中国からの文書が、とても卑弥呼に優しくて気を使っており、
かっては「漢委奴国王」と書かれていた中国からの金印が、
「親魏倭王」になって卑弥呼に気を使っているのは、
中国側の偉い人達も、倭国の人間がちゃんと漢字を読めて意味を理解していると考えて、
それなりに気を使っている結果だと思う。

漢字が初めて日本に伝わったのが5世紀だと主張する歴史学者は、
AIに負けているじゃん。





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最終更新日  August 5, 2025 12:02:25 AM
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