日本を征服だ!

日本を征服だ!

PR

×

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ぼくとしちゃん

ぼくとしちゃん

フリーページ

November 8, 2025
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
ここまで学者先生や研究家たちが魏志倭人伝の卑弥呼や邪馬台国の記述について書かれた、
色々な推理や解釈について、
変だなと気がついたことを書いてきた。
今日はその5として卑弥呼=日の巫女なのか?と言う解釈について書く。

邪馬台国=宮崎説の僕の立場としては、
当然、卑弥呼=天照大御神であり、
天照大御神とは人間の名前ではなく、神格化された高貴な巫女様のことなので、
当然、卑弥呼=日の巫女であるはずなのだけれども、
では、卑弥呼の死後(男王を経て)あとを継いだ壱与は、


でもやっとその答えが出た。
「壱与」は本当の人名で「卑弥呼」のように役職名(日の巫女)ではなかったのだと思う。
「壱与」は13歳で女王になった。でも幼くて力が無くて大変だったと思う。
それなのに何故倭国の動乱が収まったか?
それは魏から来た「張政」が後見役として19年間も彼女が一人前になるまで倭国に居たからだ。
魏志倭人伝にも、
「復立卑弥呼宗女壹與年十三為王 國中遂定 政等以檄告喩壹與」と書いてあるから。

政と言うのは張政である。
張政が「ガンバレよ」と壱与に告げて励ましたと書いている。
壱与は張政が中国に帰る時に見送りを付け、
男女生口三十人を献上し、白珠五千孔、青大句珠二枚、異文雜錦二十匹を貢いでいる。

張政に貢いだのである。
よほど感謝したのでろう。
原文にはこう書いてある。
「壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪拘等二十人 送政等還 因詣臺 獻上男女生口三十人
 貢白珠五千孔 青大句珠二枚 異文雑錦二十匹」

それが魏志倭人伝にも書かれていたのだと思う。

実は卑弥呼を天の岩戸にこもる前の天照大御神で、
壱与を天の岩戸から出て来た天照大御神と考えると、ものすごくつじつまが合う。
古事記や日本書紀を読むと天岩戸前後で天照大御神の行動と立場が変わるのである。

天の岩戸にこもる前の天照大御神は独裁的で、何でも自分で決めて怒る。
でも天の岩戸から出て来た天照大御神は一人では何でも決めず、
高御産巣日神や思金神と相談し、
しまいには思金神が主導権を握っている。
例えば須佐之男命と天照大御神の誓約の話や月読命が保食神を殺した場面くらいまでは、
高御産巣日神や思金神は出ておらず、天照大御神が全て自分で対応している。
なのに「国譲り」の場合は、神々を集めたのは天照大御神単独ではなく、
高御産巣日神と天照大御神が共同して天の安の河の河原に八百万の神々を集め、
どの神を葦原中国に派遣すべきか問うたと書かれている。
そして天若日子を派遣することを決定したのは思金神と八百万の神々である。

つまり天岩戸前後で天照大御神の性格と立場が変わっているのである。

僕は現実主義者なので、イザナギがイザナミの死後に会いに行った場所は古墳であり、
イザナギは死後腐敗した伊邪那美を見て驚き、殯屋に有った桃や自分の頭の櫛を投げて払い、
古墳から逃げたのだと思っている。
何故なら古事記には、イザナミのいる黄泉の国から現世に逃げかえる場面で、
「逃來猶追到黄泉比良坂之坂本時取在其坂本桃子三箇待擊者悉逃进也」
と書かれているからである。
意訳すると、
(逃げて来てさらに追いかけて黄泉比良坂の坂本(坂の登り口)に至った時に、
 そこに有った3個の桃を待ち構えて投げつけたところ追手はみんな逃げてしまいました。)
つまり逃げて来て坂の登り口に着いたのだから、
イザナミが居た所は黄泉比良坂の上であり、
地下の国のはずなのに坂の上に有ると言うことは、
イザナミが居た所=黄泉の国は、古墳の頂上にある石棺などの施設だとしか考えられない。
また、その登り口に桃(厄除けなど使者を弔う場所に置かれた)が有るのだから、
そこは造出などの古墳の祭祀が行われた場所しか考えられない。
つまり現実的に考えると、イザナミは古墳に葬られており、
イザナミを恋しがったイザナギはもう腐敗し始めていたイザナミを見て恐れ、
あわてて古墳の斜面を転がりおちたと思えるのである。

天照大御神の天岩戸も同様で、天岩戸と言うのは古墳の石棺のフタであり、
亡くなった天照大御神(卑弥呼)は石棺に納められており、
そこに姿を現したのは天照大御神を引き継いだ新しい日の巫女だと思うのである。
それは卑弥呼の宗女つまり親類の少女=壱与であり、
卑弥呼の宗女なので、若い頃の卑弥呼そっくりだったのだと思う。
つまり天岩戸と言うのは新旧の卑弥呼の交代・引継ぎの様子なのだと思う。

そしてそれを演出したのは高御産巣日神なのだけれども、
それは壱与を助けて倭国の動乱を鎮めた魏の張政だったのだと思う。
張政は19年も日本に居たので、日本で壱与のお姉さんあたりを嫁にもらい、
そして生まれたのが思金神であり、
思金神は高御産巣日神=張政が中国に帰った後も、壱与を助けて倭国を治め、
卑弥呼を殺した狗奴国の男王=素戔嗚は朝鮮に追い払われたのだと思う。

そう考えると日本の神話は現実の出来事を書いているのだと思う。
ただ、口伝だったので、しかも神様と言うことにしたので、上手く伝わらず、
神話になったのだと思う。

壱与が卑弥呼とは違い「本名である壱与」が魏志倭人伝に残ったのは、
張政が帰国後に詳細を残したせいで、
倭人から聞いて役職名の卑弥呼=日の巫女だけしか残らなかったいわゆる卑弥呼とは違い、
魏志倭人伝の編者である陳寿にもちゃんと伝わったせいだと思う。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  November 8, 2025 02:40:57 PM
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: