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November 11, 2025
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11月6日のわの会は藤沢市の遊行寺に参拝しに行きました。
藤沢市は既何回も訪問しているのですが、遊行寺の本堂は初めてです。

ルートはこんな感じです。


藤沢駅は、この日JR東海道線が乱れており集合が大変でした。
東海道線は品川から川崎付近は、東海道線・京浜東北線・横須賀線・湘南新宿線・京浜急行が
同じ所を走っているせいで、よく止まります。
踏切が多くて重なっているからです。
日本の頸動脈なので、そろそろ改善して欲しいものです。

最初は庚申堂へ向かいます。



上の写真に書かれているように、関東の庶民は庚申信仰に厚く、
あちこちで庚申構が行われていたようです。
厄払い的な意味が強いのですが、想像するに徹夜で集まっていたので、
お祭り的な意味合いも強く、
信じる人達のつながりを元にした頼母子講的な面も有ったのだと思います。

脇には庚申塚が並び、奥には庚申供養塔が有ります。


元々は庚申信仰は中国の道教の教えなので、
それが何故庶民に広く伝わったのかは分かりませんが、
寛文13年と言えば徳川家綱の時代です。
確かこの頃、あの千姫が亡くなったはずなので、
戦国時代も遠くなりけり的な時代だったのではないかと思います。


次に公開されるのは2040年です。
仕方ないのでネットから写真をお借りして載せます。

何故か、猫のようなお顔をしてらっしゃる。
そして微妙な位置に手を合わせた仏様?がおられる。
どんな宗教的な意味があるのでしょうか?




江の島の弁天信仰は、1182(寿永元)年に源頼朝が文覚上人に命じて、
ここに弁才天を勧請したことに始まります。
道標は杉山検校が建てたもので、元は48基有ったらしいのですが、現存するのは12基です。
ちなみに杉山検校は江の島で修行し、
鍼の施術法の一つである管鍼(かんしん)法を創始した方です。
管鍼法とはストローのような管を使って鍼をうつ方法で、正確に簡単に鍼をうてます。


道標を後にして次は船玉神社に行きます。


ここの説明板を見て、やっぱりと思ったのは鎌倉時代の船の話。
鎌倉は砂浜なので、船を着岸できる港が造れず大変だったと思うのだけれど、
現実的にはどうしていたんだろうといつも思ってた。
材木のように濡れても良い物で、船に積み下ろしを必要としないものは、
砂浜でも大丈夫だけれども、
積み下ろしが必要な物は桟橋を作らなければ着岸できない。

海は潮の満ち引きが有って深さが変わり、
あるいは水平方向に相当奥行きが無いと桟橋は実用にならないのだが、
海では波に洗われるせいで「洗掘」と言うのが起こり、桟橋の柱周辺は波で削られて、
江戸時代くらいまではちゃんとした桟橋は造れなかった。
ではどうしていたかと言うと、川岸を使っていたのである。

川であれば、流れは有るが「寄せては返す波」が無いので洗掘は問題にならず、
潮の満ち引きも上下方向(深さ)の話はあるが、水平方向の話は無いので、
小型の船ならば港として使えるのである。

でも当時の鎌倉の砂浜ではダメだった。
それで北条泰時は「和賀江島」を造ったのである。
でもやはり不便だったので、実際は六浦が鎌倉の外港として活躍したのである。
それでここの案内板を見て、実際は砂浜ではなく川(ここは境川)を使ってたんだなと思った。

船玉神社の狛犬は面白い。


日本の他の地方では狛犬はたいてい天邪鬼など「悪い奴」を踏んでいて、
それ故に結界を守る力の強い存在なのだけれども、
関東では何故か愛嬌があって、優しい。
ここの狛犬はなんと「てまり」を転がして遊んでいる。
もう片方は子供の獅子を踏むのではなく「撫でて」いる。
金沢区の手子神社の狛犬も子犬を踏むのではなく見下ろしていたが、
関東の狛犬はちょっと違うなと思った。

船玉神社をあとにして次は感応院。


感応院は建保6年(1218年)道教律師の開山で、開基は源実朝です。
中に入って右に行くと三島明神が有ります。


この三島明神は源頼朝が「富士の巻狩り」の旅程の厄除けにここに三島明神を勧請したのが起源。
そう言えばNHKでやってた頼朝殿の13年では、
「富士の巻狩り」で頼家に巻き狩りで手柄を立てさせようとみんなで苦労した様子が描かれ、
いつの世も親ばかと言うのは有るんだなと思ったのだけれども、
もう一つ、曽我兄弟の敵討ちも「富士の巻狩り」で起こったんだよな。
あれは北条時政の陰謀だったと言う話だけれども、
時政はもうこの頃から頼朝暗殺を企んでいたんだな。

ちなみにこの三島明神のお堂は回転できるように作られているのだそうだけれども、
今は鎖でおおわれているのでダメ。

感応院の次は遊行寺橋へ行く。


この橋を渡って昔の人は江の島弁天を目指したらしい。
なので、昔はこの橋のたもとに「江の島弁財天一の鳥居」が有ったらしい。


橋を渡ると奥にふじさわ宿交流館が有る。


中では藤沢の歴史や名物を紹介している。


江戸時代の藤沢ってけっこう繁盛してるじゃん。

交流館を出て元の道に戻って先に進むと遊行寺惣門が有る。
遊行寺の惣門は他のお寺とは違い屋根が無い冠木門である。


何故、他のお寺と形状が違うのだろうかと疑問に思って調べたけれども分からなかった。
でもふと思ったのは、ここは東海道が通り、分かれて江の島弁財天へ行く所であり、
遊行寺橋のたもとには一の鳥居が有ったらしいので、
もしかすると山門と言うよりは鳥居を意識して造った門なのかも知れないなと思った。
あくまでも想像で何の根拠もないけれど。

惣門の傍らには大きな聖堂の灯籠が有る。


500名もの寄進者が居たと言うのもすごいなと思う。

惣門を「入ると緩やかな坂になっており、この坂はモミジ坂と言うらしい。
モミジ坂を登ると遊行寺境内に入る。
境内中央にはものすごく大きなイチョウの木が有る。


写真では分かりづらいと思うが、本当に大きい。
そして本堂に向かう。


遊行寺は時宗総本山である。
写真右の一遍上人が開祖で、創建は正中2年(1325年)なので今年は700年である。
一遍上人は伊予の豪族河野通広の次男で延応元年(1239年)の生まれ。
36歳の時に修業中に熊野権現の念仏賦算の神託を受けた。
「往生はただ”南無阿弥陀仏”によってなされる」と悟りを開き、
「信不信を問わず、浄不浄を嫌わず」を信条に、
「決定往生六十万人」の御札を渡すことが「仏門の道」と知ったと言う。
40歳の頃より「踊念仏」を始めた。
参考に京都国立博物館の「京都旅籠」をお借りして載せる。


うーん???盆踊りのルーツかな?

本来は本堂で御講話が聴ける予定だったんだけれども中止になったので本堂の見学。


僕は宗教はまったくわからないので仕方ないけれど、
浄土真宗に比べて質素な感じがする。

本堂を出て右に行こうとして、面白い物を見つけた。
なんとお寺の境内におみくじと絵馬が有る。


何で???
と思っていたら、次に行く所の関連かもしれないと気づいた。
宇賀神社である。いわゆる銭洗い弁天である。


奥にちゃんと硬貨を洗う場所が有る。
さっそく500円玉を洗って、差し上げた。

遊行寺の境内はものすごく広い。
宇賀神神社の先には放生池が有る。


放生池と言うのは、その発想は放生会に有ると思うが、元々はインドの思想で、
中国・朝鮮経由で日本に伝わった、殺生を諫める宗教行事。
眼前の六道を輪廻する衆生であり、代々の父母でありわが身であるとする考え方である。
つまり我々は、天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の「六道」と呼ばれる
6つの世界を常に転生し続けており、
その行き先は常に生前の善悪の多寡に因るとされる思想である。
だから、今目の前にいる獣や魚は数年前に亡くなった両親が、ちょうど畜生道に有り、
人間道を生きる我々に何かを語りかけているのかもしれず、
大事にしなければいけないと言うことである。
昔はそんなことは信じなかったけれども、
僕も年をとると何故かそのことが分かるようになってきた。

そしていよいよ長生院に向かう。


長生院奥には小栗堂が有る。


実は写真には撮らなかったけれども、右手には十勇士の墓と馬の鬼鹿毛丸の墓も有る。
鬼鹿毛丸(おにかげまる)は小栗判官の乗っていた馬である。
応永30年(1423年)小栗満重(常陸国小栗十四代城主)は足利持氏に謀反を起こし攻められる。
家来十人とともに落ちのびる途中横山大膳の館に泊まった。
ところが、盗賊大膳は照手姫をつかって満重に毒酒を飲ませ財宝を奪おうとした。
照手姫の密告によって満重は命を助けられたが、家来十人は毒殺された。
満重は鬼鹿丸という馬で遊行寺に逃れ上人に助けれ、のち横山一党を破る。
照手姫は満重が亡くなった後、遊行上人を頼って満重と家来の霊をとむらい、
長生尼となって余生を過ごした」とされている。
それがここらしい。
照手姫は金沢にも縁が深く、
金沢八景近く六浦の侍従川は照手姫の侍従が身を投げたところから名前が付けられた川である。
彼女のお墓はここに有ったのか。

無事に遊行寺まで見てまわり、来た道を引き返して藤沢駅で解散した。
途中藤沢駅そばのやなぎ通りで面白いのを見つけた。


島倉千代子は美人と言うよりもかわいい人である。
可愛いのだけれども幸が薄く、何度も男にだまされて財を失い捨てられて。
でも頑張って生きてます。そう言う感じの人だった。
昭和の歌手はストーリー性が有るなぁ。
ということで、わの会は終了した。





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最終更新日  November 12, 2025 07:39:40 AM
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Re:横浜市金沢区わの会第51回目のイベントに参加しました。時宗総本山遊行寺で本堂昇堂参拝(11/11)  
やまさん さん
庚申塔は、一番新しいものは昭和55年かと。こちらは地区によってはお庚申様という祭りをしているそうです。
島倉千代子さんは、かつて久本雅美の番組でおもちゃの回転寿司セットを使って、お寿司を食べる企画があったのですが、ご本人は回転寿司が初めてで、1つも取れず半泣きになっていました。あれを見たら、可哀想だったし、共演者も配慮がない番組だなと思いました。 (November 13, 2025 08:22:27 AM)

Re[1]:横浜市金沢区わの会第51回目のイベントに参加しました。時宗総本山遊行寺で本堂昇堂参拝(11/11)  
やまさんさんへ
やまさんの地元にも庚申塔が有るのですか。関東はあちこちに有ります。特に鎌倉から横須賀・横浜南部には町内の角々に有ります。江戸時代までは庶民は大変だったんですよ。今のように自由に文句は言えませんでしたから。なので庶民は講で集まって団結していたんです。相手は刀を持ったお侍さんです。しかも理由なく集まるとお役人さんに怒られますから、こう言う宗教的なことを理由に集まる必要があったんです。僕の田舎の九州では大きな一揆が有ったそうで、今でも当時の色々な記録が残っているんですが、一揆を起した農民側の首謀者は当然打ち首ですが、起こされたお役所側も切腹したり所払いになってます。だからみんな集まって世間話をしながら団結していたんだと思います。 (November 13, 2025 08:18:24 PM)

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