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Photo by Martin-N 解説(角川文庫版『傭兵たちの挽歌』後編 昭和五十五年十一月十日 初版) 『黒豹の鎮魂歌』第三部冒頭に、新城彰が山に登るシーンがある。 大東会会長の朴を倒し、次の標的である保守党副総裁・薮川を狙うまでの束の間の休息シーンだ。ゴム・パチンコ、防水マッチ、大型折畳みナイフなどを猟用チョッキのポケットに突っ込み、灌木をへし折りながら強引に登っていく。キジをとらえ、イノシシを獲り、谷川で内臓をよく洗い、焼いて食べる。これらの行為は日課のトレーニングとしてさり気なく書かれるだけで何の説明もない。 このシーンが好きだ。 新城彰はキジを炙(あぶ)りながら、たくましい逸物を出し、オナ〓ーにふける。勢いよく放出すると、谷川で男根と手をきちんと洗う。これで糞まですれば言うことはない。キジの丸焼きをむさぼり喰い、タバコをゆっくりと吸ってから立ち上がり、山の奥に奥にと進み、二十キロほど登ったり降りたりするこのシーンがたとえようもなく好きなのは、普段見えにくい大藪春彦の描く男たちの核がむき出しに迫ってくるからだと思う。生命の噴出とでも言ったらいいのだろうか、抑えつけていると爆発しそうな強靭な肉体がここにはある。 もちろん他の作品にも主人公がイノシシや鹿を獲り、谷川で解体して喰うシーンはいくつもある。山に潜み、ナイフひとつで生きのびる設定も少なくない。従って『黒豹の鎮魂歌』だけが特殊なのではない。ただ戦闘の途中のサヴァイバルは多くても、休息中のサヴァイバル・トレーニングは意外に少ない。『蘇える金狼』における朝倉のジム通いはこちらに近いかもしれないが、そうした設定がむき出しの印象を与えるのも当然だろう。強靭な肉体がむき出しに迫ってくる。 これが実に見えにくい。なぜなら大藪春彦の小説は面白すぎるからだ。なぜ面白すぎるか。第一にムダな心理描写がない。そして行動を簡潔に描写するからテンポがいい。第二に活劇のディティールが克明であり、臨場感にすぐれている。第三に主人公にためらいがない。迷わず一直線に進むから目が離せない。 従って表層に目を奪われやすい。たとえば『長く熱い復讐』で、鷲尾は肉汁したたるステーキを喰うシーンがある。その直前は、関東会のチンピラを牛刀で手際よく解体するシーンだ。解体の過程を克明に、簡潔に描写するので生々しい。その直後のステーキとくるから、思わずドキッとする。表層に目を奪われているとこういうことになる。 『長く熱い復讐』の鷲尾も、『黒豹の鎮魂歌』の新城も、同じタイプの男である。プロフェッショナルと言ってもいい。真の肉体を持った男たちだ。『破壊指令No1』『偽装諜報員』の矢吹貴を加えてもいい。矢吹はこれまた見えにくいが、根はひとつだ。エア・ウェイ・ハンター・シリーズの西条秀夫を入れてもいい。矢吹と西条は、新城や鷲尾のような復讐者ではない。厳密には違うタイプの男だろう。 だが『ウィンチェスターM70』の登川のように「これまでにも、何度かもう駄目だと思いかけたことはあった。だけど、俺はいつもそのたびに、俺のずるがしこい全知力と、銃にたよって、生きのびてきたんだ。あんたのように、権力をバックにして、給料をもらって働いてきた人間とは出来が違うんだ」というセリフを吐かないだけの違いで、根はひとつなのではあるまいか。無言で窮地を脱していくから見えにくいが、己の知力と銃だけによって局面を打開していく、という点では同じなのである。 『絶望の挑戦者』の武田進は復讐者だが、目の前で妻子が殺され、発狂したように絶叫するが、頭の隅にわずかな冷静さを保ち続ける。己の手で局面を打開しなければならないからだ。 そう、たよれるのは自分の知力と銃だけ 己の肉体だけだ。この一点に立って大藪春彦の諸作品を振り返るとき、『野獣死すべし』の伊達邦彦を原型として、たとえ現れる形は違っても、彼の描く男は常に一人なのではあるまいかとの想いが強い。 そして大藪春彦の描くそうした強靭な肉体は正解だ、といま言い切れる気がする。なぜなら活劇小説の核はストーリーでも舞台でもなく、ましてやプロットの展開でもなく、主人公の肉体にこそあるのだから。 大藪春彦の小説には食事のシーンが多い。男たちは信じられないほどの量を喰う。だが喰わないシーンも多い。戦闘前にたらふく喰うと、撃たれたとき腹膜炎になるからだという。そうして、じっと我慢しているシーンが好きだ。あるいは、かくれていたタンスから出てきて、たまっていたものを一気に放尿するシーンもいい。脱糞だってきちんとする。銃器の試射もよく出てくる。こちらは車の描写と並べて、物への偏愛と受け取られやすいが、それは技術、テクニックへの信頼と解釈すべきだろう。 そうしたもろもろのシーンの積み重ねが、主人公の肉体をつくっていく。それは、主人公の生活をすべて赤裸々に描くことでリアリティを持ち得るとの意味ではない。生き残るための肉体 その強靭さの希求という一点に収束される。『黒豹の鎮魂歌』第三部冒頭のシーンが好きなのは、そういうことだ。『蘇える金狼』が印象に残るのも同じ理由で、肉体がむき出しにあるやつがいい。 まず肉体を描くこと これこそが活劇小説唯一のテーマだ、と言っていいかもしれない。その他の部分はもろもろの附随物であり、道具立てをすべて取り去ったとき最後に残るのは、主人公の張りつめたような肉体だ。二流の活劇小説は附随物を取り払うと何も残らない。大藪春彦が巨峰としてそびえているのは、デビューから二十余年、そうした強靭な肉体を書き続けているからだ、と思う。己の肉体を見失い、懐疑と躊躇の時代に生きるぼくらにとって、これは驚異的なことだ。 『傭兵たちの挽歌』は野性時代七八年十月号に一挙掲載され、その後加筆されて刊行された長編である。『復讐の弾道』『絶望の挑戦者』『黒豹の鎮魂歌』などと同系列の復讐物語だ。 この作品を書くために作者はロッキー山脈をはじめとする取材旅行に出かけ、さらには資料を五百キロ買い込んだという。従って奥が深い。ストーリーはとても要約できないし、また要約しても意味はない。構成だけ触れる。 主人公の片山健一はまず組織の傭兵として登場する。前半は、回想を插入しながらプロの戦士の死闘が展開される。この回想は象徴的で、後半の私的復讐行を支えている。どういうことか。 この作品にも『黒豹の鎮魂歌』と同じく、強靭な肉体をさすさまざまなシーンがある。銃の試射は延々と続き、バッファロー、グリズリー、キャリブーを獲るシーンもある。大小便もきちんとする。その点ではいつもと変わらない。この作品を際立たせているのは、前半に插入された回想で、どうやってその強靭な肉体が培われてきたか、幼年時代からのエピソードで提出し、その奇跡を描写している点だ。いわば水面下に埋もれている復讐者の前半生を描くことで、強靭な肉体者の一生が活写される。 休息中のサヴァイバル・トレーニングどころではない。そこにあるのは、男の一生という長い射程におけるサヴァイバルなのだ。完成度はもちろんのことだが、その意味でもこの作品は復讐物語の集大成といっていい。 いやもっとハッキリ言ったほうがいい。『傭兵たちの挽歌』は肉体の強靭さにおいて日本の活劇小説がたどりついたひとつの頂なのではないか。 それにしても『傭兵たちの挽歌』とは含みを持ったタイトルだ。アフリカの傭兵たちの挽歌なのか、それとも傭兵であった片山の挽歌なのか、いずれにも解釈できる。だが「俺は確かに、人間の形はしているが、人間ではないのかも知れぬ。俺は死神だ」との片山のセリフにぶつかると、強靭な肉体者の挽歌なのかもしれないという気がしてくる。 誰もが己の肉体を見失い、懐疑と躊躇にとらえられた時代にあって、強靭な肉体者はついに死神としてしか生きられないという皮肉 その孤独な叫びが聞こえてきそうだ。全編を漂う哀切感 特にクライマクスのロッキー山脈の描写には身をちぎられそうだ がそうした想いにいっそう拍車をかける。 大藪春彦の物語はこのままでは終らない。どこかに突き抜ける。どこに突き抜けるかはもうしばらく待たねばならない。 北上 次郎 解説 菊池 仁 (徳間文庫 1989年 4月15日 初刷) 新潮社が新しく設けた「日本推理サスペンス大賞」の第一回受賞作、乃南アサ『幸福な朝食』を読んでいたら、巻末の選評で佐野洋氏が次のようなことを書いていた。『四候補作に共通して言えるのは、文章がいい加減だということである。私は、これまでに同じような賞の選考委員を、何度かつとめているが、文章に関する限り、今回が一番ひどかった。応募者は、テレビ局がドラマの原作に求めるための賞という先入観から、文章などどうでもいいと考えたのだろうか。 しかし、選考にはテレビ関係者は一切タッチしていないし、選考委員たちは、映像化についての顧慮をしないで選考に当っている。第二回以降に応募される方は、そのことを頭に置いて、「小説」を書いていただきたい。』 まったく同感で思わず拍手をしてしまった。もちろん、選者の立場にあるわけではないから他の候補作を読んだわけではない。しかし、最近の新人の作品に接するたびにアイデアだけはいいのだが、文章のひどさには辟易(へきえき)させられていた。「文体が死にかけている」といった大げさな感想をもたざるをえないような情況にある。 そんな思いをだきながら久しぶりに本書の解説のために何冊か大藪春彦を読んでみた。そして、あらためてこの作家の凄(すご)さを再認識した。 例えば本書の中に主人公片山健一がスイスとイタリアの国境近くの村はずれにある射撃場に寄ってM十六A一自動ライフルを試射する場面がある。『三つ揃いをリー・オーヴァーオール・ジャケットの作業服とリーヴァイス五〇一のジーパンに替え、まず二百メーター射程の射座の一つについた。監的壕(かんてきごう)に入った管理人が標的を上げる。白い枠のなかの黒円がある普通のターゲット紙とちがって、黒円は上半分だけが下側の半円は白に黒い点圏線が入った実戦用のものだ。 片山はM十六A一自動ライフルの三角形の支柱についた棒状のポスト照星と、携帯ハンドルの上についた孔照門をマッチで炙(あぶ)って黒い煤(すす)をつけた。反射を防ぎ、照準を出来るだけ楽に正確にするためだ。 連射時に高熱を帯びる銃身からたち昇るカゲロウで照準がぼやけるのを少しも防ぐために高い位置につけられたM十六などの現代的突撃自動ライフルの照準器は、一般のスポーツ銃を見慣れた目には奇異に映るだろう。』 といった調子の文章なのだが、なんとこれが延々四ページ近くも続くのである。人物描写や情景描写も満足にできない最近の荒けずりな作品にどっぷりつかっていると、この濃密さが心地よい。 私は本書の中でこの場面がもっとも好きである。もちろん、この場面のもつ意味は大藪作品の批評では必ず登場するように作者固有のものであり、これが“大藪春彦の世界”なのである。 ただ、この場面が好きだといった理由にはもう少し別の要素がある。前々から気になっていたのだが、今回読み直してみてあらためてそうだったのかと合点がいった。 どういうことかというと、この表現はいまひとつなのだが、現在、作者がめざそうとしているのは “整備小説” への移行なのではないか、ということなのである。例えば代表作である『汚れた英雄』はレースに勝つことだけに絞り込んだ北野晶夫の短い人生が描かれている。性、暴力といった装飾物がストーリーをにぎやかにしてはいるが、究極にあるのはマシーンと一体感をもてるかどうかなのである。だからこそマシーンの描写は凄(すさ)まじい分量となる。しかし、ここでは作者はまだ “整備” についてさほど関心を払っていない。 ところが、『蘇える金狼』(徳間文庫所収)あたりからこの “整備” への関心が見えはじめる。『朝倉は拳銃の銃把から弾倉を抜いた。弾倉に九発つまった二十二口径の小さな弾を全部抜き出して弾倉がグラグラしていないかを調べる。二十二口径の柔らかい鉛の弾頭とこれも柔らかい薬莢は、少し乱暴に扱うと密着性を失い、隙間から湿気が入って不発を起こしやすいからだ。九発の弾は、レミントン・ハイ・スピードの新鮮な弾であった。朝倉はそれらを弾倉に詰め直し、拳銃の遊底を引いてみる。 薬室の弾は、弾頭がゆるんでいた。朝倉はその不良弾を嚙んでおいて、薬莢から捩いた。歯型がくいこんで、魚釣りのオモリのようになった鉛の弾頭をポケットにおさめ、朝倉は薬莢の火薬を捨てる。』 といった具合だ。この作品で作者は主人公朝倉哲也の心理を「強烈な破壊力を秘めた銃器、圧倒的に早い車、それらは力のシンボルであり、力への憧憬だ。しかしそれだけのことではない。素晴しいメカニズム、精巧な機械は現代の宗教なのだ」と述べているが、この後の作品はほぼこの構図の中で描かれる。 さらに「ハードボイルドはストイシズムの美学だ。耐えて耐えぬいたものが行動となって爆発し、再び “静” の世界に戻っていく美しさだ」と作者は語っているが、これを裏付けるように、初期作品の『みな殺しの歌』『凶銃ワルサーP38』(徳間文庫所収)はともかくとしても、四十四年に発表された『絶望の挑戦者』あたりから、主人公の多くは復讐(ふくしゅう)者としての境遇を与えられる。 つまり、復讐を起爆装置として、それを成し遂げるためにストイックな行動原理がすべてを支配する主人公の登場である。復讐の怨念(おんねん)を極限まで燃やし、相手を突き抜けるまでのプロセスが密度の濃い文体で描かれる。この間でもうひとつ注目しなければならないのは濃密な描写の対象に〝自然〟が加わってきたことだろう。 実はこれらの特徴をもっともよく表わしたのが一九七八年に発表された本書なのである。その意味でいくと本書は大藪作品の到達点を示すと同時に、変化の予兆を見せた作品ともいえる。 要するに、自らの怨念を極限まで燃やし相手を倒すために主人公は機械や自然と一体となる。一体となるために黙々と銃器を整備する。撃って倒す行為よりも、作者はこの黙々と整備する主人公の行為に関心を示す。随所に登場するハンティングも同様の位相にある。作者がこの整備する行為を純粋培養していく構えを見せた初めての作品といえる。 本書でのもうひとつの見せ場は後半に延々と続くロッキー越えである。ここで展開するエレーンとの生活には、激しい銃撃戦やセックスシーンの連続が特徴とされてきた作者の作品とはっきり一線を画す何かが生まれようとしているのではないかと感じた。 その意味でいけば、本書は作者の今後を占う意味では最も重要な位置づけをもった作品といえよう。 エピローグが象徴的だ。『朦朧としながら夢を見ていた。死と生の魔境を魂は彷徨いながら、夢を見ていた。 暖かい暖炉の火が燃える家で、全身に喜びを現した晶子と亜蘭(あらん)と理図(りず)が、久ぶりに帰宅した片山に両手を差しのべてくれている。 三人に抱(いだ)かれて、闘いに疲れきった片山は、そのまま眠りにつきたかった。甘美な眠りに落ちこみたかった。 その時、エレーンが夢に出てきた。エレーンは片山を支え起し、エルクやムースやグラウス、それにマスや鴨(かも)に満ちた林や川に早く帰ろうと片山の手を引く。』 哀切きわまりないロッキー越えという自然回帰のドラマが次に用意されていたこのエピローグこそ来たるべき新しい作品世界を予感させるものである。エレーンが夢に出てきてロッキーへ誘う場面はその象徴である。『もともと僕の小説世界には、エンターティメントにもかかわらず、ストイックな性格のヒーローが少なくなかった。 無論、そのストイシズムは、ただ耐えに耐えるというものではなく、忍耐が限度に来た時には爆発的な暴力として炸裂し、再び “静” の世界に戻っていったが・・・・・・。 僕がその戦闘的ストイシズム哲学ともいうべきものを大きく反映させたヒーローに、「傭兵たちの挽歌」の片山健一がいたが、この「ヘッド・ハンター」のヒーローの杉田淳ともなると、人間であることの世界を突き抜けてしまったような感じもある』。 作者は一九八一年に発表された『ヘッド・ハンター』のあとがきでそう記しているが、大藪作品は新しい世界に足を踏み入れつつあるのだ。 一九八九年三月
2022年02月12日
Wild Wood Bison (Yukon Territory, Canada.)Photo by Olivier ROSSIGNOL >前回 氷結した幾つもの河を渡り、馬蹄で割れた氷の下から水が湧き出る幾つかの湿地帯(マスケッグ)を通った片山は、四日目の午後、天測してみて、赤い軍団の領地に入ったことを知った。骨も凍りそうな寒風が雪煙を捲きあげ、馬の汗はタテガミからツララとなって垂れさがる。 まだ敵の姿はなかったが、片山は山間の隘路(あいろ)や山の中腹のケモノ道を択んで馬を進めた。森林限界線に近いので、巨木は少ない。立ち枯れた白樺やカラ松の樹皮に緑色の苔がのびて、それが新芽のように見える。 鞍に睾丸(こうがん)がすれ、男根が勝手に勃〓してくる。 片山はありし日の晶子のベッドでの反応を想いだしエレーンを想いだし、交渉があった世界じゅうの女たちをぼんやり想いだしていたが、突如、ノース・アルタイ山脈にアルガリ・シープを射ちに行ったモンゴーリアの首都ウラーンバートルのホテルでの一夜を想いだした。 あのホテルに泊っているのはソ連や東欧の観光客がほとんどであった。六十三インチ角のアルガリ・シープを射獲し、四千メーターの高さの七月の雪の山から二日がかりでウラーンバートル・ホテルに戻った片山は、大食堂で湧(わ)きたつような生の喜びに包まれ、〝カリーンカ〟や “モスクワの夜はふけて” などのバンドの演奏と客たちの合唱に合わせ、シベリアの主要都市ノヴォシビリスクから来た若い絶世の美女ヴェラと強引に踊りまくった。 スローな曲が続くあいだにチーク・ダンスに持ちこみ、片言(かたこと)のロシア語で口説き続けた。 結局、ヴェラが、友人や引率者の目をかすめて深夜片山の部屋に訪れてきたのは、チューインガムに惹(ひ)かれたせいが多分にあった。 ソ連では現在でもチューンガムは非常に貴重で、特に米国製となると憧(あこが)れの的だ。ノース・アルタイのモンゴーリアンのハンティング・ガイドへのチップとして持参した残りのフレッシュ・アップ・ガムの大箱一つのプレゼントに大感激したハニー・ブロンドのヴェラは、夜明け近くまで片山を眠らせなかった。片山はヴェラのように肌(はだ)が白い女を知らない・・・・・・。 這い松(ドワーフ・ジュニパー)やホワイト・バーク・パインの背が低い樹々、マウンテン・オールダー(ヤマハンノキ)、山カエデ、バッファローベリー、ドッグウッド(ハナミズキ)などの灌木(かんぼく)のあいだを通り、河原の近くの岩のあいだの雪上にバイソンの皮を敷いた。その上にキャリブーの毛皮四枚とスリーピング・バッグを置き、もう一枚のバイソンの毛皮を置く。 馬から鞍や荷を降ろし、その上を防水タープで覆って石で重しをした。燕麦を少量ずつ与えた馬たちの足をゆるく縛って山に放し、ペミカンと川の氷を割って汲(く)んだ歯にしみる水を飲み、スリーピング・バッグにもぐりこんで噛みタバコを口に放りこむ。赤い軍団の領地に入りこんだ以上、火と煙を出すのは、よほどの場合をのぞいて避けた。このあたりでは、凶暴なグリズリーが冬眠しているのがただ一つの救いだ。 翌朝未明には摂氏でも華氏でも零下四十度にさがり、片山が吐く息がスリーピング・バッグやバイソンの皮に氷となってへばりつく。その日は、三田村が軍事訓練を受けた演習場の目じるしらしい、胴がすぼまった臼(うす)のようなテーブル・マウンテンを見た。 それから十日ほどたってユーコン準(じゅん)州に近づいたある日、片山はツンドラの雪山で、キャリブーの大群に遭遇した。 マウンテン・キャリブーだ。それもオズボーン亜種だから、体格はキャリブーのなかで最大だ。大きな牡(ブル)だと二百五十キロを越すだろう。キャリブーは、牝(カウ)も貧弱とはいえ枝角を持つ、ただ一つのシカ類だ。 前脚や角を使って雪を掘り、キャリブー苔を食っていた三百頭ほどの群れは、まだ人間を見たことが無いのか、片山が馬から降りて耳当て付きのモンタナ帽を振ると、二本足の珍奇な生き物をよく見きわめようとして、片山のほうに押しかけてきた。 ついに群れは、片山とパック・ホースを取りまく。牡(ブル)のうちで一番立派な角を持っているやつは、左右の主幹の長さ約五十五インチで太さもスプレッドも申し分なく、左右の枝分れはそれぞれ二十以上ある上に額の上にかぶさる三味線の撥(ばち)のようなプラウ・タンはダブル・シャヴェルになっていて、ブーン・アンド・クロケット・クラブのノース・アメリカン・ビッグゲーム・レコードのマウンテン・キャリブーの新記録になりそうであった。 キャリブーの大群に囲まれたパック・ホースは不安気に花を鳴らす。 今の片山には、トロフィー・ハンティングをやっている余裕は無いから、コマンドウ・クロスボウに四枚刃の矢をつがえ、一番肥っている若い牝(カウ)の胸に向けて放った。 二十ヤードの至近距離から胸を貫かれた獲物は、倒れると雪を蹴って痙攣(けいれん)した。群れの残りは地響(じひび)きをたてて逃げたが、すぐに戻ってきて、もがく仲間を不思議そうに見つめる。 キャリブーは好奇心の塊りである上に、ひどく忘れっぽいのだ。 片山があと二頭を倒すと、群れはやっと逃げ去ったまま戻ってこなくなった。 片山は三頭の皮を剥いでから、丈夫な糸やロープになる腱(けん)を四肢と背から抜き、解体して干肉作りに取りかかる。まだ暖い肝臓(リヴァー)の一つは生のまま塩コショウを振って食う。 片山はユーコンに入ってから約一週間後、セルウィン山脈の分水嶺を越えて、マッケンジー山脈とのあいだに横たわる広大なグリズリー・パウ湖を見おろすことが出来た。セルウィンとマッケンジーの山脈のあいだは約五十マイルある。 うまい具合に、まだ片山と馬たちは発見されていないようだ。しかし、二つの山脈のあいだの起伏に富んだ曠野(こうや)の上には、しばしば偵察(ていさつ)のヘリや軽飛行機が飛び、スポッティング・スコープでじっくり見渡してみると、スノー・モービルや大型雪上車のパトロールが見えたから、夜間だけ前進することにする。 それに、ここまできたら、馬の食糧が続くかぎりあせることはない。片山のほうは、いざとなったら荷馬を刺殺してそれを食えばいいのだ。 問題は、雪上に残る足跡だ。グリズリー・パウ湖の東にある敵の本部に真っすぐ向かうことは特にまずい。雪の上に残した足跡を新雪が隠してくれる吹雪の夜を択(えら)んで、大回りしながら敵の本部に近づくのがベストな方法に思えた。 だから、その日は、三頭の馬を曳(ひ)いて滑ったり転んだりしそうになりながら、岩だらけの谷川や雪をかぶった灌木が密生しているブッシュの斜面を山腹近くまで降りることが出来たが、そこで夜を待つことにする。 馬たちを放牧したのでは敵に発見されやすいので小川の近くにつなぎ、氷を割ってその下を流れる水を飲めるようにしてやってから、カラス麦をいつもより大量に与える。胃のなかでそれが水を吸ってふくれあがって苦しがらない程度にだ。塩も与える。 馬たちから鞍(くら)や荷物を降ろす。一度百メーターほど上流のほうに雪上を歩き、流れの上の氷に足跡をつけてから、あとじさりして自分の足跡を踏みながら荷物のところに戻った。 ライフル・スキャバードなどをつけた鞍と武器弾薬を収めた防水キャンヴァス・バッグ、それにペミカン一キロほどと寝具をかつぎ、あとじさりして、五十メーターほど離れた巨岩のあいだにある深い雪の吹き溜まりに着く。 鞍の左側につけた斧(おの)と共につけたシャヴェルで雪洞を掘り、運んできたものをそのなかに入れる。バイソンとキャリブーの皮にくるまり、グースダウンの上着やその下の防弾チョッキは脱がずに眠ろうとつとめる。顔の半分ほどは髭(ひげ)に覆われていたが、残り半分は凍傷を受けて、暖まると痒(かゆ)い。 その夜は吹雪にならなかった。粉雪が半インチほど静かに降っただけだ。片山は雪洞を出ず、雪洞の外にアンテナをのばして、最後の電池になったトランジスター・ラジオをイヤーフォーンを使ってきく。 ラジオは、「キャナダは一つにまとまった国家です。 イングリッシュ・キャナディアンもフレンチ・キャナディアンも、キャナダという統一国家のもとで平等な人権を持つ立派なキャナディアンです」 と、クェベック独立運動を阻止するキャンペーンを英語とフランス語でくり返えすが、赤い軍団については一つも触れない。 ラジオを消した片山は、節約し続けてきたホワイト・ガソリンを使ってプリマス・バックパッカーのストーヴ(コンロ)で雪を溶かした湯を沸かし、紅茶とバターと塩をブチこんだ。それを飲んで眠りこむ。 翌朝は目が痛いほどの晴天であった。風花が舞っている。グリーンのシューティング・グラスを掛け、薄い手袋をつけて雪洞から小用に出ようとした片山は、雪をきしませて近づいてくる馬蹄(ばてい)の音を聞き、反射的に左手にコマンドウ・クロスボウと矢筒(クイーヴァー)、右手にM十六自動ライフルを摑(つか)んだ。 雪洞からそっと這(は)い出し、岩陰(いわかげ)から物音のほうをうかがう。 白っぽい防寒迷彩服をつけ、片手に狙撃用のM十四マッチ・グレードの自動ライフルを握った二人の男が、馬に乗って、片山がつないだ三頭の馬に近づいていた。 二人は二頭の馬を連れていた。雪をはじき呼吸の湿気でも氷結しないと言われているウルヴェリン(クズリ)の毛皮の帽子をかぶったその二人はクリー・インディアンのようであった。この寒さなのに、ウール・ソックスと鹿皮のモカシンの上からゴムの短靴をはいただけで平気のようだ。 一人は背にコードレスの無線機を背負っていた。「ビーヴァー族の密猟者野郎の馬か?」「いや、ボスがいつも気にかけているケンとかいう気違い野郎のものかも知れん。俺は奴の足跡を追ってみる。お前は荷物を調べろ」「いや、その前に無線連絡したほうがいいんじゃないか?」 男たちは囁(ささや)き交わした。訛(なま)りが強い英語だ。 これで、この二人が、赤い軍団の偵察員(スカウト)ということがはっきりした。片山は確実に短時間で二人を倒せるM十六自動ライフルを使うべきか、それとも数秒は損するが銃声を発しないクロスボウを使うべきか迷っていたが、クロスボウを択んでM十六を岩にそっと立てかける。一人を倒したあと射ち返されそうになったらG・Iコルトを抜射ちするのだ。 うまい具合に二人は馬上で片山に背を向けていた。距離は五十メーターほどだから、片山は無線機を背負った男の頭の上を狙(ねら)う。矢筒をベルトに引っかけていた。 クロスボウの引金を絞り落すと、まだ矢が空中にあるうちに、ボウを折って弦を逆鉤に掛け、矢筒から抜いた日本目の矢を抜いてもう一人の男の首のあたりを狙って引金を引く。 矢に首筋を破壊されながら貫かれたはじめの男は馬から転(ころ)げ落ちる。驚いた馬がヒヒーンと竿立(さおだ)ちになる。 もう一人の男は、驚愕(きょうがく)の声をあげながら馬上で体をひねり、仲間のほうを振り向いた。 そこに二本目の矢が飛んできた。矢は男の脇腹(わきばら)から胃を貫き、反対側の脇側に抜ける。M十四を放りだした男は、馬から転げ落ち、矢を抜こうとしてもがく。悲鳴をあげていた。 三本目の矢を撃発装置にしたコマンドウ・クロスボウにつがえていた片山は、「ホールド、ホールド・・・・・・」 と、スカウトたちの馬をなだめながら二人に近づいた。 無線機を背負っている男は頚椎(けいつい)を完全に破壊されて即死していた。腹を矢に貫かれた男は、「こ、殺せ! 早く楽にしてくれ」 と、わめく。「本部に医者がいるだろう? 手術を受けたら、そんな傷など半月もかからずに治る」 片山は言った。「き、貴様は誰(だれ)だ?」 男は苦痛に霞(かす)んだ目で、髭(ひげ)だらけの片山の顔を見た。「俺(おれ)はビーヴァー・インディアンと白人の混血(メーチイス)ハンターだ。この基地の赤い軍団の本部はどこなんだ? ボスのダヴィド・ハイラルが住んでいるところは?』「知るものか? 貴様は何でそんなことを知りたがる?」「俺の仲間がこの基地に入りこんで殺された。俺は貴様らのボスに会って賠償金を取り立ててやる・・・・・・いいか、俺にさからったら、楽に死ねないようにしてやる。舌を嚙(か)み切れないようにまず口輪(くちわ)を噛ませてやる」 片山はクロスボウを捨てると、いきなり男のズボンのベルトを抜いた。そいつでゆるく猿グツワを嚙ませる。抵抗する男の両の手首の関節を簡単に外す。 猿グツワの隙間(すきま)から男は絶叫を漏らそうとした。「今度は、貴様のチンポを風にさらしてやる。貴様はたとえ生きのびたとしても、大事なところが凍傷で崩れ落ちたんでは、生き延びたことを後悔するようになるぜ」「やめてくれ・・・・・・しゃべる・・・・・・何でもしゃべるから、それだけは勘弁してくれ。俺はまだ独り者なんだ。子孫を残すことが出来なくなったら親族じゅうの恥さらしになる」 男は猿グツワの隙間から哀れっぽい声を出した。「ボスは・・・・・・ダヴィド・ハイラルは、まだこの基地にいるのか?」「ああ・・・・・・中性子爆弾研究開発所とか何とかいう難しいところから北に一マイルほど離れた、何とか作戦本部にいるそうだ。両方ともマッケンジー山脈の西側にあるメディシン連山の洞窟(どうくつ)にある・・・・・・メディシン連山の東側はマッケンジーのインディアン・チーフ山だ・・・・・・ボスの名前がダヴィド・ハイラルとは知らなかった。俺たちはボスのことを、もとはゼウスと呼ばされていたが、今はダビデ王と呼ばされている。ダビデ王はあんまり偉いんで俺たちはまだキングの顔を拝んだことがない」「キング・ダビデか。笑わせやがる。ちょっと待ってな、いま地図を持ってくるから」 片山は言い、クロスボウを拾うと、いそいで雪洞に戻った。サドル・バッグの一つから、灰色熊の掌(てのひら)の形をしたグリズリー・パウ湖を中心とした、無名の小川から各尾根の標高まで記(しる)された精密なトポグラフィック・マップを取出した。クロスボウと矢筒を雪洞に置き、岩に立てかけてあったM十六ライフルを肩に掛けて、さっきの男のところに戻る。 男は血で雪を染めて這(は)い逃げようとしていたが、近づいた片山を認めて、がっくりと全身の力を抜く。 片山は男を坐(すわ)らせ、その背を木の幹にもたれさせた。右手首の関節をはめてやり、鉛筆を握らせる。その前に地図をひろげ、「さあ、作戦本部と、中性子爆弾研究開発所にマークするんだ。字は読めるんだろう?」 と、言った。 男は考え考え、地図上の二か所に×印を書きこんだ。 片山は、作戦本部と中性子爆弾研究開発所の内部の様子を尋ねた。「あそこには、高級幹部しか入れないんだ。俺たちインディアン・スカウトや戦闘部隊員は、作戦本部から三マイルほど北の大きな洞窟のなかに住んでいる。武器弾薬庫もある。洞窟といっても、原子力発電とかの電力で電気は使い放題だし、大きなホテルのようになっている。慰安婦も百人以上いるんだ。さらに北に、雪上車の車庫や厩舎(きゅうしゃ)がある」「原発炉はどこだ?」「中性子爆弾研究開発所のさらに南方一マイルほどのところにある。湖の水で炉を冷却した時の熱湯スチームで、俺たちが住んでいるところも暖房完備だ・・・・・・痛えな、畜生・・・・・・」「いま、戦闘部隊員はどれくらいいる?」「七百人といったところかな」「インディアン・スカウトは?」「二百人だ。百人ずつが二週間交代で、二人一組になって、馬で山をパトロールするんだ」「そうすると、いま五十組が山々をパトロールしてるというわけだな?」「ああ、貴様が俺の仲間に見つかるのは時間の問題だ」「余計なお世話だ。雪上車で平地をパトロールしているのは戦闘部隊員か?」「ああ、それに、ヘリや軽飛行機の格納庫やエア・ストリップも洞窟のなかにあるんだ。中性子爆弾を開発するところから南に二マイルほど離れたところにな。今まで言ったいろんな施設は、みんな山の腹のなかの地下道でつながっている。どうやっても、貴様の勝ち目はない」「天国だか地獄だか知らんが、そのどっちかに行ったあんたの仲間が背負っている無線機だが・・・・・・あんたの組のコード・ナンバーは?」「それだけはしゃべれねえ。それを知ったら、俺を殺(や)る気だろう?」「もう、こんなくだらない問答をしているのに飽きた。時間が惜しい。貴様の望み通り、楽にさせてやる」 片山は薄い手袋をつけているためにかじかみはじめた右手で、甲から上が皮のソーレル・マークVのフェルト・ライナーのスノー・パック・ブーツの内側に差してあったシースから、ガーバー・マークI(ワン)の刺殺用ブーツ・ナイフを抜いた。 この寒さでは、素手で金属に触れたら皮膚がへばりつく。金属も冷寒脆弱性(ぜいじゃくせい)を示して、荒く使うとポッキリ折れることがある。「待ってくれ。SC一二だ。異常を発見した時には本部の司令室に連絡することになっている。司令室のコードは、DR〇〇一(ダブル・オー・ワン)だ」「あんたが居住区からパトロールに出発したのはいつだ?」「五日前だ」「戻るまでにまだ一週間以上あったわけだな? ほかのスカウトに見つからずに本部に近づける安全なルートを案内してくれないか?」「無理だ、この体では」「じゃあ、地図上でルートを示してくれよ」「無理だ。俺たちスカウトは、あやしい気配を感じたら、どこにでも出没するから」「分った。有難う」 片山はガーバーで男の耳の孔(あな)から脳を抉(えぐ)った。 二人の四頭の馬が積んでいるものを調べてみる。オレンジとキャンディー・バーやロール・パンを見つけて貪(むさぼ)り食う。 二人の荷物や身につけていたものから必要なものだけを奪い、あとは死体と共に近くの雪の吹き溜まりに埋めた。 彼等の馬は川下に連れていき、喉(のど)を掻き切って殺してから、リヴァー(レバー)だけを切取り、あとはやはり吹き溜まりに埋めた。自分の足跡をバックしながらたどって雪洞に戻った片山は、馬一頭分のリヴァーに塩とコショウとダバスコをなすりこんで生で平らげた。奪ったコードレス無線機のスウィッチを入れて、インディアン・スカウトたちや雪上パトロール車と司令室の交信を傍聴する。片山が一組のスカウトを殺したことはまだ知られてない。 片山がクリー・インディアンのスカウトの別の一組に発見されたのは、それから五日後、夜の吹雪をついて前進し、マッケンジー山脈中のメディシン連山に十マイルほどに迫った時であった。 まだ未明であった。吹雪が突然やんで月が出たために、湿地の脇の林に馬をつなぎ、鞍(くら)を降ろしながら、片山は念のために、背負っていた無線機のアンテナをのばし、スウィッチを入れてみた。ヴォリュームは極度に絞ってある。その無線機から、「・・・・・・あやしい足跡(トラックス)を発見・・・・・・三頭の馬の足跡が本部のほうに向かっている。蹄鉄(ていてつ)の刻印が我々のものとちがう。聞こえているか、DR〇〇一・・・・・・オーヴァー」 と、訛(なま)りが強い興奮した声が流れてきたのだ。「こちらDR〇〇一・・・・・・感度良好・・・・・・現在位置を教えろ、SC二七・・・・・・オーヴァー」 司令室の声も興奮していた。「デルタ二四とロメオ三二が交わるあたりだ・・・・・・現在高地に移って、双眼鏡で奴を見ている!・・・・・・確かに我々の仲間とちがう・・・・・・侵入者だ・・・・・・馬を三頭つないでいる・・・・・・奴の位置は、デルタ二四とロメオ三一のあたりだ・・・・・・ここからの距離は約五百ヤード・・・・・・狙撃の許可を求める、オーヴァー」「この暗さで五百ヤードの距離があるとすれば命中は期待できない。三百以内に忍び寄ってから射て。出来たら、脚か腹を射って生捕りにするんだ。雪上車も出動させる。うまくやれよ、オーヴァー」「了解、オーヴァー」 スカウトは交信を切った。司令室は、雪上車やほかのスカウトたちに呼びかけている。 片山は無論、そのあいだ茫然(ぼうぜん)と立ちすくんでいたわけでなかった。無線機を倒木の上に置くと、腰に二本のM十六用の弾倉帯を捲き、八ミリ・レミントン・マグナムの実包を差した二本のズック製弾倉帯(バンダーリア)をタスキ掛けにする。左肩からM十六を吊るす。そうしながらも、薄闇(うすやみ)のなかをインディアン・スカウトの姿を捜す。 狼(おおかみ)よりも夜目が利(き)く片山は、北側の丘を体を低くして降りてくる二人のインディアン・スカウトを認めた。 鞍につけたライフル・スキャバードからレミントンM七〇〇のマグナム・ライフルを抜く。そっと遊底を操作して弾倉の上端の実包を薬室に移しながら、倒木に左肘(ひじ)をレストさせて片膝(かたひざ)をつき、七倍のライフル・スコープでスカウトの一人の胸を狙った。距離は約四百五十ヤードになっていた。 この銃のサイトは、五百ヤードに合わせてあるが、この寒さでは弾速が下がるから、そのまま射つ。 八ミリ・レミントン・マグナムの轟音(ごうおん)も雪中ではあんまりひどくなかった。命中弾をくらった男は顔面から岩に突っこんで転げ落ちはじめた。 もう一人の男はM十四を乱射し始めたところを、片山が放った第二弾に顔面を吹っ飛ばされた。 片山はライフルに安全装置を掛けて、弾倉に二発補弾した。無線機のヴォリュームをあげる。「どうしたSC一二? SC一五から銃声が二発聞えたという報告が入ったが、オーヴァー」 司令室の声が苛立(いらだ)った。 こうなったら射って射って射ちまくるだけだ。ダヴィドにあと十数マイルに迫ったところでこういう羽目におちいらせた運命の神(かみ)を呪うが、体のほうは自動的に動いて、降ろしかけていた鞍のラティーゴ(タイ・ストラップ)や腹帯を強く締め直す。 三頭の馬を立木につないでいた引綱を外す。愛馬の鞍のスキャバードにマグナム・ライフルを突っこむと、左手は無線機と手綱を持ち、強く両脚で愛馬の腹を蹴(け)った。 雪を蹴たてて、愛馬は走りはじめた。二頭の荷馬がついてくる。 片山がさっき通った湿地の向うに、敵を待伏せて射ちあいを行うのに好都合の丘があった。片山はその丘に向けて馬を走らせる。再びヴォリュームを絞った無線機からは、苛立った司令室の声と、さまざまな声が交信している。 二マイルほど戻ったところにある丘は灌木(かんぼく)とキャリブー苔(ごけ)と巨岩だらけであった。片山は高さ二百メーターほどのその丘を、巨岩のあいだを縫(ぬ)って一気に馬を駆け登らせた。 丘の上には、さまざまな高さの巨岩がいたるところに転がっている。巨岩の一つの高さは五メーターほど、広さは百五十平方メーターほどで、地面とのあいだのところどころに空洞がある。片山は愛馬から鞍を降ろして巨岩のあいだに置き、愛馬と二頭の荷馬を灌木の茂みのなかに連れていって、「レイ・ダウン!」 と、伏せているように命じた。荷馬の一つから弾薬箱を外して、鞍を置いてあるところに戻る。無線機で敵の司令や報告を聞く。 夜が薄く明けかけてきた。まず二十台の大型雪上車と三十台のスノー・モービルが、片山の馬たちの足跡を追ってきた。片山は目を保護するためと、薄明かりでもはっきり見えるように、カリクローム・イエローの強化焼入れレンズのシューティング・グラスを掛ける。 片山はそれらが千ヤードのあたりまで近づいた時に八ミリ・レミントンの狙撃を開始した。 敵は重機関銃やロケット砲で反撃してきたが、銃弾や砲弾は巨岩にはばまれて片山に重傷を与えることが出来ない。 片山のほうは約二百発の八ミリ・レミントン・マグナム弾で、襲ってきた大型雪上車やスノー・モービルの連中を全滅させた。二十分とかからなかった。 今度はヘリの大群が来襲してくる。ミニガンから七・六二ミリ弾をバラまいていた。ミニガンは、六連装の銃身をモーターや油圧で高回転しながら弾倉の実包を恐ろしいスピードで射ちだすバルカン砲を、口径七・六二ミリ・ナトー弾のライフル実包用に縮小したようなもので、物凄(ものすご)い回転速度で大量の銃弾を連射してくる。 片山は巨岩の下の空洞に隠れる。ヘリは小型爆弾を投下しはじめた。爆発で飛び散る鋭い岩片が片山の体にくいこんで血まみれにさせる。防弾チョッキをつけてなかったら死んでいたかもしれない。 その時であった。物凄い金属音と共に、キャナダ空軍のマークと米空軍のマークをつけたジェット戦闘機隊約五十機が、片山や敵のヘリの上空を低く飛び、メディシン連山に向けて突っこんでいく。 片山を攻撃していたヘリの群れは、メディシン連山側を避けて逃げはじめた。 岩蔭から這い出た片山は上着の内側から、奇跡的に破壊されてなかったライツ・トリノヴィッドの双眼鏡を取出し、立ち上るとジェット戦闘機隊をレンズで追う。 急旋回して、メディシン連山に真っこうから向いあったキャナダ軍と米軍の戦闘機の編隊の最前列の十機ほどが、翼下のミサイルを発射して急上昇する。山を避けて宙返りする。 ミサイルは、原子炉があるらしい洞窟のなかに吸いこまれた。 ミサイルは核弾頭を使っていた。凄(すさ)まじい爆発の閃光(せんこう)がその洞窟(どうくつ)から外に漏れ、メディシン連山が揺らぎ崩れる感じであった。片山はあわてて、イエロー・レンズのシューティング・グラスをグリーンのレンズのものに替える。 ジェット・ファイターの第二陣は中性子爆弾研究開発所に核ミサイルを射ちこんだ。第三陣は作戦本部、第四陣はインディアン・スカウトや戦闘部隊員の居住区、第五陣は雪上車輛庫や厩舎(きゅうしゃ)に、それぞれの核弾頭付きのミサイルを射ちこみ急上昇しては宙返りする。 メディシン連山は直下型の大地震を受けたように崩れ去った。土埃(つちぼこり)のヴェールとキノコ雲が上昇していく。 地鳴りのせいで片山にはほかの音が聞えなくなった。物凄い振動が伝わってきて立っていることも困難になった片山は、転がる丘の巨岩に直撃されるのを避けて這いまわる。それでもマグナム・ライフルは手放さなかった。 ジェット・ファイターは、グルズリー・パウ湖の上空で編隊を立て直し、片山がいる丘の上空に向けて飛来してくる。空軍基地に戻るのであろう。 その時、メディシン連山の東側のマッケンジー山脈にある標高四千メーター級の高山、インディアン・チーフの頂上近くから、ピカッと何か光ったように見えた。 ジェット・ファイターの編隊が片山の前方一マイルぐらいに近づいた時、インディアン・チーフの山頂のほうから、一条の光線のように銀色のミサイルが飛んできた。 そいつは編隊の真ん中近くで爆発した。 形容しがたい閃光で、グリーンのシューティング・グラスを掛けてなかったら、しばらくのあいだ盲目になったことであろう。爆風に片山はよろめく。 爆心の三十機近くがバラバラになった。あとの二十機近くが狂ったように急上昇して錐揉(きりも)みしては急下降する途中で分解したり、酔っ払ったように蛇行(だこう)して墜落したりする。片山がいる丘に三機が突っこみ、爆発の破片が片山のほうまで飛んでくる。パイロットの肉片も降り落ちる。 インディアン・チーフ山脈から発射された誘導ミサイルの弾頭は、赤い軍団が開発した中性子爆弾にちがいない。 ミサイル発射の指令を出した以上、ダヴィド・ハイラルはまだ生きている可能性がある。もしかして、キャナダ空軍と合衆国空軍が襲来する情報を事前にキャッチしていたとすれば、インディアン・チーフ山頂にあると思われるミサイル発射装置のコントロール・ルームに移っていたのかもしれない。 そして片山は、中性子線と放射能を全身に浴びたにちがいない。今は影響が無いように見えても、時間がたつにつれて、被害の実体がはっきり全身に出てくることであろう。 地鳴りや天地の揺れはおさまっていた。無線機は岩に叩かれてもう役にたたなくなっていた。片山は自分の馬を捜しに行く。 三頭とも死んでいた。転がり落ちた巨岩の打撃で死んだものもいるし、ショック死している馬もいる。 片山はこの丘でダヴィドを待つことにした。もしダヴィドが生きていたら、自分の野望を打ち叩く原因になった片山の死体に唾(つば)を吐きかけに来る筈だ、という確信のような予感が片山にあった。それにダヴィドは、基地を破壊したジェット・ファイターの機骸にも小便を引っかけたいことだろう。 片山はいまいる丘の、インディアン・チーフ・マウンテンに向っている中腹に、落ちてきた大岩の群れとエヴァーグリーンの這い松(ドワーフ・ジュニパー)の灌木が、上空からも曠野からも丘の上からも見つかりにくい絶好のシェルターを作っているところを見つけた。 そこに、武器弾薬と、馬の死体から外してきた寝具と食料とスポッティング・スコープを運ぶ。食料が尽きたら、馬を食い、固雪をかじって過ごすのだ。 シェルターのあいだのキャリブー苔の上で、捲いたキャリブーの毛皮を枕(まくら)にし、スリーピング・バッグとキャリブーとバイソンの毛皮にくるまり、インディアン・スカウトから奪ったウルヴェリンの帽子で顔を覆った片山は、マグナム・ライフルを抱いていた。 ウルヴェリンの帽子にはキャリブーの腱糸を二本通し、それを引っぱると目のあたりだけを開いたり閉じたり出来るようにする。 その片山の上に、また激しい雪が降り続きはじめた。 まるで、バイソンとウルヴェリンの死体に雪が積もっているようになる。無気味なその形は、死体そのもののように動かない。 偵察ヘリが、何度か飛んできた。ウルヴェリンの帽子を腱糸を使ってそっと動かしてから目を開いてみると、放射能よけのヘルメット付きマスクをかぶったパイロットの姿がよく見える。だが、ヘリは雪に埋もれて自然の一部のようになっている片山に気付かずに飛び去った。 昼近くに降雪はやんだ。 スノー・モービル数台の二(ツー)サイクル独特のけたたましい排気音が、遠くインディアン・チーフ山のほうから聞えてきた時、死んだように動かなかった片山は寝具から這い出た。嚙みタバコを口に放りこむ。 極寒の冷気に触れてたちまち外側が曇るライフル・スコープのレンズをシリコーン・クロースで拭い、白い防水タープを掛けてあった荷物のなかから、八ミリ・レミントン・マグナム実包の弾薬帯(バンダーリア)を二本取出してタスキ掛けにし、頭にウルヴェリンの帽子をかぶる。岩の隙間(すきま)から双眼鏡を使って覗(のぞ)いてみると、三台のスノー・モービルが雪煙をあげてこっちにやってくるのが見えた。 三人とも黄色い放射能防禦(ぼうぎょ)服をつけ、その服とつながった放射能よけのヘルメット付きマスクをつけていた。マスクとチューブでつながったボンベを背負っている。 スポッティング・スコープに替えた片山は、真ん中の男がダヴィド・ハイラルらしいと知って、思わず雄(お)たけびをあげそうになった。 写真で知っているダヴィド・ハイラルは浅黒く秀麗な男であった。頭はかなり禿(は)げあがっているが上品な銀髪で、目には沈痛な趣きがある。 今は放射能よけのヘルメットとマスクのせいで顔の一部しか見えなかったが、特徴ある目はまさにダヴィドのものだ。 三台のスノー・モービルは、ジェット戦闘機の残骸のあいだを走りまわっていたが、ついに片山から三百ヤードの距離まで来た。 嚙みタバコを吐きだした片山は膝射(ニーリング)のスタンスをとり、五百に合わせてあるサイトと三百の差、それと寒さとスノー・モービルのスピードを計算に入れ、自動銃のような早さでボルト・アクションのマグナム・ライフルを続けざまに三発ブッ放した。 二発はダヴィドの左右の男の首を文字通り切断した。三百ヤードの中距離では八ミリ・レミン・マグナムの威力は凄まじい。 あと一発は、ダヴィドの右肩を粉砕した。ショックで放りだされたダヴィドから、主(ぬし)を失ったスノー・モービルが勝手に逃げ、岩に激突して仰向けに引っくり返る。エンジンがとまった。 二つの死体のものであったスノー・モービルも横転してエンジンの息をとめていた。 マグナム・ライフルの弾倉に補弾した片山は、血も凍るような雄たけびをあげて丘を走り降りた。 ダヴィドは雪にもぐりこみそうになってもがきながらも、左手で右腰の拳銃を抜こうとしていた。 片山のマグナム・ライフルがまた吠(ほ)え、ダヴィドの左手首は吹っ飛ばされた。 膝(ひざ)まで雪にもぐりこみながらダヴィドの前に立った片山は、身をかがめ、ダヴィドの左手首の上を革紐(かわひも)で強く縛ってから、マスクを脱がせようとした。「やめろ! やめてくれ! 十億ドル出すから・・・・・・放射能に顔をさらしたくない!」 ダヴィドは、マスクに内蔵されているマイクを通じて、パニック状態におちいった者特有の金切声をあげた。「ふざけるな」 片山はマスクとヘルメットを、防禦服から強引に引き千切って捨てる。「死にたくない! 助けてくれ、ケン。これからは手を組んで一緒に事業をやろう。好きなだけ儲(もう)けさせてやるから」 雪に血を染めながら、ダヴィドはわめいた。沈痛な眼差しなどどこかに消え、発狂寸前の表情だ。「貴様は俺の女房と子供たちを殺させた」「あ、あれは偶然だったんだ・・・・・・事故だったんだ・・・・・・捲きこまれたあんたの家族には同情する・・・・・・本当だ・・・・・・あんたに、賠償金を一億ドル払う。スウィスの銀行まで連れていってくれたら、現金で支払う! 助けてくれ!」 ダヴィドは泣き声を立てた。 その時、ダヴィドの救いを求める目の動きがとまった。片山は振りかえる。ベル・ヒューイコブラのヘリが近づいてきているのを見る。片山はダヴィドを、近くに落ちているジェット・ファイターの残骸の陰に引きずり込んだ。 近づいてきた武装(チョッパー)ヘリは、ダヴィドも殺してしまうのを怖れて、なかなか発砲しなかった。片山はボルト・アクションのライフルを自動銃のような早さで連射する。ロータリー・ブレードをやられたチョッパーは、バルカン砲を出鱈目(でたらめ)に吐き散らしながら墜落し、炎に包まれる。 爆発した機体の破片や乗員の肉片が片山の近くまで飛んでくる。 それを横目で見ながら片山は、「女房と息子と娘の命は金では買えない。貴様をなぶり殺しにしてやる」 と、激情に全身を震わせた。「やめろ・・・・・・やめてくれ・・・・・・あんたは悪霊の化身だ!」「その言葉は貴様に返してやる。貴様、キャナダの皇帝になろうなんて気違いじみた考えに、どうしてとりつかれたんだ?」「私はユダヤ人だ。母親がユダヤ人でユダヤ教徒なら、父親が何国人でもユダヤ人だ。ユダヤ人が頼れるのは金(かね)しかない。イスラエルだって、いつアラブに倒されるか分ったものではない。だから私は、新しいキャナダをユダヤ人が安住出来る帝国に作り変えたかったんだ」「もっともらしいことを言うなよ。新帝国の皇帝として好き勝手なことをやりたかったんだろう?」 片山は吐きだすように言った。「認める。私は昔から権力に憧(あこが)れていた。自分の意思次第で何百万、何千万、何億という馬鹿どもを自由に動かせるなんて、男として最高だ・・・・・・俺は合衆国の政財界を動かしているユダヤ系の実力者たちを買収してあったのに・・・・・・畜生、奴等は怖くなって俺を裏切りやがった・・・・・・ここに案内してやった連中がしゃべりやがったんだ!」 ダヴィドは叫んだ。「貴様の悪夢はもう終りだ。これから、晶子と亜蘭(あらん)と理図(りず)に代わって、貴様の処刑をはじめる」 片山はガーバーのブーツ・ナイフを抜いた。ダヴィドの放射能防禦服を切裂き、下につけているものも切裂いて素っ裸にする。 ダヴィドはシミだらけの体を、恐怖と寒さのためにマラリアの発作時のように震わせた。「これは晶子の分だ」 片山はダヴィドの右の眼球を抉(えぐ)り取って捨てた。絶叫を上げてダヴィドは脱糞した。「これは亜蘭(あらん)の分だ」 片山はダヴィドの鼻を削(そ)いだ。「これは理図(りず)の分だ」 片山はダヴィドの腹を裂いた。ハラワタを摑(つか)み出してダヴィドに見せてやる。絶叫を放ち続けていたダヴィドは失神した。 片山はダヴィドの割礼がほどこされた男根を、樹脂(ピッチ)の塊りに火をつけたもので焦(こ)がして意識を取戻させた。「そして、これが俺の恨みの分だ」 片山はダヴィドの焦げた男根を切断して、悲鳴をあげる口に突っこんでやる。 エピローグ 積雪で腿(もも)まで埋まり、数えきれぬほどの転倒で雪だるまのようになりながら、片山は南へ南へと歩き続けていた。 中性子線に体を貫かれた影響はすでにはっきりと片山に現れていた。皮膚はただれ、意識はかすれ、内臓から突き刺してくる全身の痛みは苦痛を通りこして、ただただけだるい。意志の力だけが片山を支えているように見えた。 雪に隠れていた岩に躓(つまず)いて、また片山は倒れた。 雪に顔を埋めて目を閉じる。 朦朧(もうろう)としながら夢を見ていた。死と生の魔境を魂は彷徨(さまよ)いながら、夢を見ていた。 暖かい暖炉の火が燃える家で、全身に喜びを現した晶子と亜蘭(あらん)と理図(りず)が、久しぶりに帰宅した片山に両手を差しのべてくれている。 三人に抱(いだ)かれて、闘いに疲れきった片山は、そのまま眠りにつきたかった。甘美な眠りに落ちこみたかった。 その時、エレーンが夢に出てきた。エレーンは片山を支え起し、エルクやムースやグラウス、それにマスや鴨に満ちた林や川に帰ろうと片山の手を引く。 片山はハッと目を開いた。 だが、ちょっとだけでいいから休ませてくれ・・・・・・と血が滲(にじ)む唇で呟くと、また瞼(まぶた)を閉じる。再び雪が降りはじめ、片山の頭に背に積もっていく。 〈了〉 あとがき 読者の皆さま、僕がこの一年間全身全霊を打ちこんだ、この長い作品を読み終えてくださって、まことに有難うございました。これは “野生時代” 一九七八年十月号に発表したものに大幅に加筆、訂正したものです。 このような作品ですから、さまざまな資料のお世話になりました。有難うございます。そのうち特に、G・Iコルトのプッシュ・ロッディングについては、月刊 “GUN”(国際出版)の国本圭一氏「続・早射ちのすべて」、防弾チョッキにつきましては同誌発表のターク・タカノ氏の記事、モザンビークの戦いにつきましては “立上る南部アフリカ・2・モザンビークの嵐”(ウィルフレッド・バーチェット著、吉川勇一氏訳、サイマル出版会)を参考にさせてもらいました。M十六に関してはシスコ在住のイチロー・ナガタ氏、M六〇に関してはタカノ氏、四輪駆動車に関しては「四×四(フォー・バイ・フォー)マガジンの石川及び原田氏、合衆国の兵役制度については「片道の青春 −ふっとんだ俺の目と脚− 」(北欧社)を書かれた横内仁司氏やコロラド州在住のクザン・オダ氏及び彼の友人たちの御協力に感謝します。 なお、カナダとモンタナのロッキーの二か月にわたるビッグ・ゲーム・ハンティングのあと、この作品を書きはじめたわけですが、息子たちの重病その他の原因で、ともすれば気力が萎(な)えようとする僕を、さまざまな形で励まし続けて完成に導いてくれた「野生時代」の見城徹氏、編集部の青木誠一郎並びに佐藤吉之輔の両氏に・・・・・・それに、最後になりましたが運命の女神と、最も御助力いただいた角川春樹氏に厚くお礼をのべます。 一九七八年十二月 著者 『傭兵たちの挽歌』大藪春彦 昭和五十三年十二月二十五日初版発行
2022年02月05日
Photo by Tatxon >前回 焦茶色の庇(ひさし)の短いウールのモンタナ帽をかぶった片山は、グリーンのモーリスのウールの手袋をつけた。革で補強されたその手袋の親指の内側と人差し指全体は、ナイロンとフォームラバーによる三層の布が使われ、銃の引金を引き絞る時に確実なフィーリングを与えるように出来ている。 Morris Feel Glove (vintage) エレーンが熾火になりかけた焚火の横から串刺しにしたグラウス二羽をテントに運びこんだ時、片山はテントの裾(すそ)をまくって、焚火と反対側からブッシュのなかに身を移した。 簡易ランプの灯は鈍いので、うまい具合に、テントのなかで動くエレーンの影はテントの外からは見えない。 テントから百メーターほど離れたところでブッシュから這(は)いだした片山は、そっと立ち上がった。 チャーリーが隠れているらしい低く小さな丘の頂上が一キロほど先に見えた。 しかし片山は、いきなりその丘に近づくようなことはしなかった。 大回りして、エレーンがチャーリーの馬の足跡を尾行(つけ)た位置に向う。絶えずうしろを振り返ったり、木立ちに身を隠したりして、自分が逆追跡(バック・トラック)されてないかを調べる。 エレーンは、二人のパック・ホースのトレイルからチャーリーの二頭の馬が分れたところまでは、雪上の馬蹄の跡を踏んでいたが、そこからクリークにかけては、チャーリーの馬と自分の足跡のあいだにブッシュをはさんでいた。さすがに、幼時から山にいきたエレーンのことだけはある。 片山はクロスボウの銃床の矢レールの矢羽根溝に竹筒から出した四枚刃の矢をつがえ、エレーンの足跡をチャーリーがバック・トラックしてないか調べてみた。 幅三十メーターにわたって調べてみたが大丈夫のようであった。片山はエレーンの足跡の上に戻り、静かにクリークの水音のほうに忍び寄る。 やがて、チャーリーの馬が鼻声を出したり、身を震わせたりする音が聞えてきた。 その時、物凄(ものすご)い羽音が起り、数十の黒い塊りが星空に向けて飛びさる。 心臓が喉(のど)からせりあがってくる思いで反射的にクロスボウの安全装置を外していた片山は、そっと溜息(ためいき)を吐きだす。 ハンと呼ばれている、コジュケイを少し大きくしたようなハンガリアン・パートリッジの群れを踏み出したのだ。飛びたったハンの群れは羽根を鎌(かま)のような形にすぼめて滑空する。 しばらく動かないでおいてから、片山は再び歩きはじめた。 チャーリーの馬を驚かせたくなかったから、その近くには行かなかった。しかし、チャーリーがクリークを渡った地点は、両岸近くの氷と雪の上にチェーン型ソールの足跡がついているので分った。馬たちから五十メーターほど離れた南側だ。 そのあたりの、凍ってない流れの中心に岩が幾つか置かれ、対岸側の氷と雪の上にもチャーリーのものらしい足跡がついていた。 片山は流れの上に突きだした岩から岩へと跳んで対岸に渡った。慎重に慎重に、丘を登っているチャーリーの足跡を追う。 わずか四分の三マイルぐらいの距離を二時間ほど掛けて忍び寄った。 頬骨(ほおぼね)が鋭く突きだしたチャーリー・ストーンヘッドは、丘の向う側、つまり片山はとエレーンのテント寄りの中腹にいた。 雪をかぶって天然の屋根のようになった、常緑(エヴァー・グリーン)の這い松(ドワーフ・ジュニパー)の茂みの下にもぐりこんだチャーリーは、防水タープの上に腹這いになり、体の上に手織りのインディアン毛布を掛け、火が消えたパイプを横ぐわえにして、双眼鏡を時々テントのほうに向けている。 狩猟民族には信じられぬほどの視力を持つ者が珍しくないが、チャーリーは狼(おおかみ)よりも夜目が利く片山にまさる視力の持主なのであろう。 チャーリーの近くに、スキャバードに入ったライフルと、サーモスの魔法壜(まほうびん)と干肉とビスケットが置かれてあった。 片山は自分の心臓の鼓動が激しく鳴るのを覚えながら、風下の斜めうしろからチャーリーに向けて、這って忍び寄った。 コマンドウ・クロスボウのライフル・スコープを通してチャーリーを覗(のぞ)いてみる。倍率はわずか二・五倍と低いから非常に明るいレンズだが、這い松のカヴァーの下にいるチャーリーの姿は、レンズを通すとおぼろにしか見えない。 それに、矢が枝や葉に当ってそれる怖れもあるから、片山は出来るだけチャーリーに近づきたかった。呼吸音をたてぬよう口を開いて呼吸をしているので、寒気で肺のなかまで痛くなってくる。 十五メーターの近さに忍び寄った。それがチャーリーにカンづかれない限度と思えた。 片山は、毛皮越しにチャーリーの胸を狙って、クロスボウの引金を絞り落とした。 矢を射ちこまれたチャーリーは、物凄い悲鳴をあげて上体を起した。スキャバードからライフルを引抜こうとする。 矢が途中で木の枝に当たったためでなく、やはり弓をフレームに組立てたあとに再試射して照準修正をしてなかったため、矢は狙った胸をそれて、腹を貫いたのだ。 チャーリーがスキャバードからライフルを抜いて片山のほうに向き直ろうとした時、体を起して片膝(かたひざ)をついた片山はクロスボウの弦を張り、二本目の矢を装塡し終えていた。 狙点を変えて二本目の矢を発射する。 一本目の矢に毛布を体に縫(ぬ)いつけられていたチャーリーの胸を二本目の矢が貫いた。 ライフルを放りだしたチャーリーは仰向けに倒れ、全身を痙攣(けいれん)させていたが、すぐに動かなくなる。 片山はカラカラに渇いた口に雪を押しこみ、G・Iコルトを抜いてチャーリーに近づいた。 チャーリーは死んでいた。片山はG・Iコルトをホルスターに戻す。 チャーリーのポケットをさぐり、チャーリーが身につけていた一ドル・ライターの灯で財布の中身を調べてみると、ジム・サンダース誘拐(ゆうかい)容疑とシックス・ポイント・ランチのパック・ホース窃盗容疑で地方判事が出したエレーンの逮捕状があった。 ジムが死体となっていることはまだバレてないらしい。 片山はその逮捕状を焼き捨て、チャーリーが落した双眼鏡の近くに蹲(うずくま)ってテントのほうを見渡す。 テントの前の熾火の残りと、テントから漏れる簡易ランプの鈍い灯がかすかに見えた。 片山はチャーリーのライフルをスキャバードに戻した。遠距離射撃用の二六四ウィンチェスター・マグナム口径の、通信販売で買える安いハーターのボルト・アクションのハンター・モデルで、充分に使いこまれていた。 片山はそのハーターのライフルの薬室に装塡されていないことを確かめてからスキャバードに収めた。チャーリーが腰のベルトにつけていた三十発入りの弾薬サックと、雪が解けた地面に落ちていたブッシュネルの双眼鏡を自分のポケットに移す。 毛布と防水タープにチャーリーの死体や魔法壜などを包んで、深い雪の吹きだまりに引きずり降ろし、雪の下に埋めた。 チャーリーの馬に、優しく声をかけながら近づいた。常緑のスノーブラッシュの下に隠されていた鞍(くら)を一頭につけスキャバードを縛りつけた。もう一頭には、やはり隠されていた、防水タープにくるまれた荷物をつける。 チャーリーの荷物の包みの中味は、予備の毛布三枚と食料、それにコーン・ウィスキーと粉末ジュースとダッチ・オーヴンとヤカンと弾薬と岩塩と砂糖とコーヒーといったものであった。 鞍をつけた馬にまたがった片山は、荷馬を曳(ひ)いてテントのほうに戻っていく。テントに近づき、フクロウの声の真似(まね)ると共に、「エレーン、大丈夫だ。奴は俺が片付けた!」 と、叫ぶ。 テントのなかが急に明るくなり、樹脂(ピッチ)が多いタイマツの火を左手でかざし、右手でウージーを腰だめにしたエレーンが跳び出してきた。「ああ、ケン・・・・・・生きて帰ってくれたのね!」 と、ウージーを近くの灌木に立てかけ、泣き笑いしながら走り寄ってくる・・・・・・。 次の日も、また次の日も、二人は一刻も惜しんで、出来るだけ北へと遠ざかった。無論、チャーリーの二頭の馬も連れている。休憩時間を利用して片山はコマンドウ・クロスボウの照準再修正を終えていた。 出発してから六日目の早朝、どうしても大好きなエルクのリヴァー(レバー)焼きと肋骨付きのリブ・ステーキが食いたくなった片山は、肥満した牝(カウ)エルク五頭の足跡を雪上に追跡(トラッキング)する。 エルクは追われていることを知ると、ハンターをやり過ごして逆追跡(バック・トラック)をすることがある。ハンターが自分の臭覚内や視界にいないと、かえって不安になるからだ。 だが、そのカウの群れは、追われ慣れながらも生きのびたトロフィー級のブル・エルクのように留(と)め足を使った。 以前通った自分たちの足跡に突き当たるとそこで一度停まり、いまやってきた足跡の上をバックし、大きく横に跳んで灌木の奥に隠れたのだ。 片山は猟のプロだから騙(だま)されなかった。風下から回りこんで彼女たちが伏せているあたりに忍び寄り、気配を感じて跳び上がった一頭の肺に、二十ヤードの至近距離から、張力二百五十ポンドのコマンドウ・クロスボウの四枚刃の矢を射ちこむ。 雪を蹴たて地響きをたてて逃げる群れと共にその獲物は走ったが、五十ヤードほど走ったところで尻(しり)から崩(くず)れ折れる。鼻と口から垂らした血で雪を染めて全身を痙攣(けいれん)させる。二百五十キロぐらいの体重であった。 合図の口笛を吹くと、エレーンが片山の鞍をつけた馬に乗り、二頭の馬を曳いてやってきた。その間に片山は、カウ・エルクの皮を剥(は)ぐ。 ムースとちがって、エルクの皮剥ぎは赤シカと同じように、体温が残っている間は簡単だ。皮にナイフで切れ目を入れ、拳(こぶし)を皮と肉のあいだに突っこんで剥がすか、体に足を掛けて皮を引きはがせばいい。 エレーンがカウ・エルクの解体を手伝う。大型獣に対してもコマンドウ・クロスボウの威力がかなりのものであることは、肺腔のなかが血の池になっていることで分った。 エレーンは下を切取り、腸を小川に運んでグリーンの内容物をしごきだしてよく洗う。片山は背筋の二本のバック・ストラップと大きなリヴァーを取出した。首を落し、膝(ひざ)関節の軟骨をナイフで切断して臑(すね)から下を捨てた四本の腿(もも)と、斧(おの)四つに割った胴体を、ひろげて裏返しにした皮の上に乗せる。 その日は、腸に刻んだ肉と塩コショウと天然の香料を詰めてボイルしてから茹(ゆ)でたソーセージを作ったり、燻製(くんせい)干肉を作ったりで一日が潰(つぶ)れた。 朝食は塩茹でのタン、昼食はリヴァーの塩焼き、夕食はリブ・ステーキという具合であった。 おまけに、カウ・エルクの解体中に、内臓の匂(にお)いに惹(ひ)かれて、冬眠前の黒クマまでやってきたので、それもコマンドウ・クロスボウで射殺して皮を剥ぎ、五十キロほどの脂肪(ファット)を切り刻み、料理用に大鍋で数回に分けて溶かしてから固まらせた。 だから、次の日の朝食は、エルクの背肉(バック・ストラップ)のカツレツであった。その夕暮、二人のパック・ホースは、フラットヘッド・ナショナル・フォレストから地図上では存在する国境線を越えてキャナダのブリティッシュ・コロンビア州に入る。片山は精密なトポグラフィック・マップ数綴りのほかに、磁石は当然として、グレート・フォールズの町で買った天測用の六分儀を持参していた。 国境を越えてから七マイルほどの森にテントを張る。四角なテントではもう夜が寒すぎるために、ロッジボール・パインの若木を数本斧で切倒し、それを支柱にしてインディアンの三角形の天幕(テイピー)を張る。天井の中心に煙抜きがあるので、テイピーのなかで焚火ができる。焚火に掛けた大鍋でエルク・ソーセージを熊の脂肪で揚げると、なかなか乙な味がした。 だが、困ったことは、国境に近づいた頃から、外観が小型のクマに似たイタチ科の、凶悪なウルヴェリン(クズリ)が、毎夜のように押しかけてくることだ。 二十センチほどの尻尾(しっぽ)を含めて全長約一メーター、体重わずかに二十キロほどとはいえ、ウルヴェリンは、アフリカのハニー・バッジャーと共に、体重当りの獰猛(どうもう)さからすると、動物界最強のファイターだ。 Youtube -Meet the Real Wolverine by Nature on PBShttps://www.youtube.com/watch?v=P3xhQm7wMxI 猛烈な食欲の権化であるウルヴェリンは、獲物を倒して食事にかかった、自分の二十数倍の体重の灰色熊(グリズリー)を強力な爪(つめ)と牙(きば)で絶え間なく攻撃して獲物を横取りすることさえある。 ウルヴェリンは、ゴムのような皮と肉のあいだにクッションがあって、噛みつかれても強力なパンチを浴びても、あまりこたえないのだ。 おまけに頭がよく、罠猟師が木の上や岩を重ねた地下に隠してある非常用の食料を貪(むさぼ)り食った上に、食い残しには大小便を引っかけておくという悪辣(あくらつ)さだから、キャナダとアラスカでは害獣のナンバー・ワンになっている。 その上にウルヴェリンは、ヤマアラシ(ポーキー)と同じように、汗の塩分を求めて、馬具の革や毛布などをズタズタに嚙みしゃぶってしまうのだ。リスも食料や塩分を求めて悪さをするが、馬具の革までは嚙み破らない。 ウルヴェリン対策には、エレーンがシックス・ポイント・ランチからわざわざ運んできた金属製のアニマル・トラップ(トラバサミ)が役立った。 ウルヴェリンは、ずる賢いから、罠にかけることは非常にむつかしい。だがエレーンは罠猟にかけては最高のプロであった。 トラバサミにかかったウルヴェリンのなかには、罠にはさまれた自分の脚(あし)を食いちぎって逃げる奴もいた。そうでない奴は物凄い唸り声をあげ、牙を剥きだして反撃しようとする。 片山は、そんなウルヴェリンの頭を斧で断ち割り、皮を剥ぐ。 吐く息が凍りつきにくいとされているため、ウルヴェリンの皮は、防寒パーカーのフード用に珍重されているのだ。 膀胱(ぼうこう)や臭腺袋は中身がこぼれないように巧みに取出し、次のキャンプ地でウルヴェリンを防いだり、あるいは罠のルアーとして中身を利用する。 国境からブリティッシュ・コロンビアの北端までは約八百マイル、ノースウエスト・テリトリーのグリズリー・パウ湖までは千マイルもある。 一日に三十マイル進めると単純計算しても、グリズリー・パウ湖に近い赤い軍団の秘密基地本部にたどり着くまでに一と月以上かかるが、その反面では、赤い軍団は片山がダヴィドを襲うことを諦(あきら)めたと思いこむか、あるいはどこかでのたれ死にしたと思って油断するという利点もある。 それからも毎日、キャナディアン・ロッキーに沿って北上を続けた。 馬が参るごとに、元気が残っている馬二頭に片山とエレーンが乗って、山に放牧されている馬を投げ縄で捕えて替え馬とする。キャナダの馬はモンタナの馬より登りに弱いようだ。役に立たなくなった馬は、焼き印のあたりの皮を剥ぎ取ってから放してやる。 国境から百マイルほどのクーテネイのシングレア・パスから、さらにその先二百マイルのレッド・パスのあたりまでは、ロッキーの東側にバンフやジャスパーといった有名なリゾート地帯を控えているせいで、数本のハイウェイが横切っている。 夜明け前の一番車が通らない時刻を択(えら)んで片山たちは道路を横断した。レッド・パスを越えた頃には、モンタナから連れてきた馬はすべてキャナダの馬に替わっていた。乗馬中はラッセルのブーツでは寒さを防ぎきれず、フェルトのインナー・ライナーを入れたソーレルのスノー・パック・ブーツをはいている。 キャナディアン・ロッキーには毎日のように風が吹き荒れていた。風に顔を向けると息が出来ないほどだ。吹雪も激しい。小さなロッキー・マウンテン・メープルは、キャナダのシンボルである東部のカエデとちがって、葉の形も完全にちがい、幹からはうまいメープル・シロップも採(と)れない。 だが片山たちは、エレーンが罠(わな)で獲るスノーシュー兎(ヘア)などの小動物やフール・ヘンと呼ばれるブルー・グラウスやラッフルド・グラウス(エリマキ・ライチョウ)、冬眠中のやつを岩から掘りだしたホーリー・マーモットやウッドチャック、それにヤナやヤスを使って捕えるカマス(パイク)やさまざまな種類のマス、それに片山がクロスボウを使って禁猟区で易々と射ちとめるビックホーン・シープやキャナディアン・ムースの肉や内臓で生きのびていた。 動物の内臓から取出した半消化の植物や、エレーンが採ってくるアルパイン・オニオン等の食用の球根や野イチゴ類のせいで、二人ともビタミンCに不足しない。 ゴールデン・マントルド・スクイーレルのような地リスや赤リスなどの木リス(ツリー・スクイーレル)、それにイエロー・パイン・チップマンクいった小さなシマリスが真冬にそなえて木の空洞(くうどう)や根の下などにたくわえてあったブナやカシなどの木の実はデンプン質の補給になった。 出発してから約一か月後、片山たちはウィリストン湖の北端で再び大陸分水嶺を越えてロッキーの東側に移った。太平洋から時々吹く暖風(スヌーク)のせいか湖はまだ氷結してなかった。 このあたりの野生山岳シープは、もう褐色のビッグ・ホーンでなくて、灰黒色の体のストーン・シープだ。 すでに二人のインディアン・テント(ティーピー)は、ここに来るまでにしばしば、蛋白(たんぱく)質と脂肪に飢えきった冬眠前の灰色熊(グリズリー)に襲われ、テントのキャンヴァスを鋭い爪(つめ)に引裂かれて食料の肉を奪われたり、馬を二頭殺されて内臓を食われたりしていたが、その夜襲ってきたグリズリーは、飢えのために狂ったようになっていた。 片山はその日の夕暮近く、一歳仔のストーン・シープをクロスボウで射ち、ほとんどの肉を五十メーターほどの高さのダグラス樅(ファー)の、地上から十メーターほどの枝に吊るしてあった。 熟成させずにすぐ食っても固くない上にうまい、肋骨(リブ)のまわりの肉を片山とエレーンが焚火(たきび)で炙(あぶ)っている時、そのグリズリーは枝に吊るされたラムの肉を手に入れようと、太いダグラス・ファーの木に体当りしたり、立ち上がって樹皮を掻(か)き剥(は)がしたり、苛立(いらだ)って幹に噛(か)みついたりする。唸(うな)り声もあげていた。 三百キロぐらいの牡グマ(ボアー)であった。グリズリーは爪が長すぎて樹に登ることが出来ないのだ。 ダグラス・ファーの木に八つ当りしていたそのグリズリーは、ブタのような目を血走らせ、背中のコブのシルヴァー・チップの毛を逆立たせ、ティーピーに向けてまともに突っこんできた。馬よりも早いダッシュだ。 片山とエレーンは、グリズリーが枝に吊るしたラム肉を奪おうとあせっている間に防禦(ぼうぎょ)の手筈(てはず)をととのえていた。 燃える薪(まき)を外に放りだしてティーピーから跳びだした二人は左右に分れた。 片山は矢をつがえたクロスボウを構えた。エレーンは装塡(そうてん)した二六四マグナムのライフルを肩付けして、矢の威力がグリズリーに対して不足した場合のバックアップ・ショットにそなえる。銃を支えた左手に懐中電灯を持って、その光をグリズリーに当てる。 Youtube - barnett commando 175lb crossbow by animal tendencieshttps://www.youtube.com/watch?v=6l_xg9oUdfI Shooting Barnett Commando Crossbow by xtremgrlhttps://www.youtube.com/watch?v=2-DzbMQytsg グリズリーが四十ヤードの距離に迫った時、片山はクロスボウの引金を絞り落した。すぐに雪上に片膝をつき、クロスボウの銃床を折って弦を引く。 約三十五ヤードの距離で、グリズリーの顎(あご)の下をかすめた四枚刃の矢は、胸に深々と射ちこまれた。 血も凍るような咆哮(ほうこう)をあげたグリズリーはマリのように転(ころ)がった。 しかし、グリズリーは射たれると、致命傷を負ってなくてもまず転がるクセがあるから、片山は素早く二本目の矢をコマンドウ・クロスボウにつがえた。 果たしてそのグリズリーは、肺から逆流する血を口からこぼしながら四本足で起き上がり、再び突っこんできた。 片山は再び矢を放った。クロスボウを放りだし、腰のホルスターのG・Iコルトを抜いて撃鉄を起す。 二本目の矢を心臓と肺に射ちこまれたグリズリーは、突んのめると、勢いあまって雪上を滑(すべ)ってくる。 片山とエレーンは、大きく左右に逃げた。 ティーピーの入口から五メーターほどのところで停(と)まったグリズリーは、断末魔の唸りを漏らし、全身を痙攣(けいれん)させた。 片山はそのグリズリーの背骨を三本目の矢で砕いてトドメを刺す。エレーンは顔の産毛(うぶげ)を総毛だたせて震えはじめた。 そのグリズリーからは、料理用の脂肪が大量にとれた。シカの脂肪はローソク臭くて料理には向かないが、クマ類の脂(あぶら)は豚脂(ラード)や牛脂(ヘット)よりもうまいという者もいる・・・・・・。 片山たちは渓谷と林とメドウの境をたどって、レッド・ウルフ一族の本拠地があるムスクワ河の上流に一日一日と近づく。未明には気温は零下二十度Cぐらいに下がる。 かつてはストーン・シープ猟のメッカであったこのあたりは、ムースが異常なほど多い。アラスカン・ムースよりも少し小型だが、それでも牝(カウ)を連れているスプレッド六十インチ以上のヘラ状の角を持ったレコード・クラスの牡(ブル)をしばしば見た。 仔(カーフ)を連れた牝(カウ)ムースなど、薄暗い夕暮だと十メーター近くをパック・ホースが通っても、近視眼を見開いて珍しそうに見つめている。一時間ほど馬に乗っているうちに、そんな親子を二十組以上も見ることがある。 ちょうどサカリ(ラット)のシーズンなので、角が無い馬を牝(カウ)ムースと間違え、鼻息荒く乗っかってくるブル・ムースもいる。 ある時は、灰色の森林狼(ティンバー・ウルフ)の一族が、年老いたためにひどく小さな角しかその年は生やすことが出来なかった牡(ブル)ムースを深い雪の吹き溜りに追いつめ、自由のきかない体で必死に反撃しようとするそのブルのハラワタを引きずりだしたり背や尻の肉を食いちぎって丸呑みにしたりし、生きたまま貪(むさぼ)り食っている光景に出くわした。 林やメドウは独身のブル・ムースの、グーッ、グーッという威嚇音の響きに満ち、片山が戯(たわむ)れにオンワー、オンワー・・・・・・と挑戦のコールをたててみせると、木の枝をバリバリへし折りながら、目を血走らせたブルが迫ってくる。 エルクは少なかったが、時々、マウンテン・キャリブーの数百頭の大群を見る。キャリブーが移動する際のクルブシのカチカチ鳴る音は遠くからでも聞える。 グリズリーに殺されて食いちらかされたムースの残骸(ざんがい)もしばしば見る。この寒さなのに物凄(ものすご)い悪臭を放ち、片山は、アフリカでライオンや豹(ひょう)を待射ちするために仕掛けたインパラやウォーターバックやイボイノシシ(ワートホッグ)などの囮(おとり)の死骸の腐敗臭を思いだした。 グリズリーは雑食獣だが、肉食性が強い。ライオンや豹と同じように腐った肉が大好きなのだ。 ビーヴァー・インディアンのレッド・ウルフ老人は、無愛想ながら、快く片山を客人として迎えてくれた。エレーンと片山はウルヴェリンの生皮(なまがわ)三十枚ほどを進呈する。 集落の外れの天幕(ティーピー)がエレーンと片山のために提供され、片山はそこで三日間休息をとった。エレーンと体を交えたあと、「俺は明日一人で出発する。世話になったな。保安官補のチャーリー・ストーンヘッドのことで君に助けてもらったことは忘れない。だが俺はもっと北に向わねばならんのだ。どうしてもやりとげねばならぬことがあるんだ。俺の我儘(わがまま)を許してくれ」 と、暗い眼差しで言う。「教えて、あなたの本当の目的を・・・・・・これまでも、何度か尋(き)こうと思ったの・・・・・・でも、そのことを問いつめたら、あなたの心がわたしを離れるのでないかと思って黙っていたの」 エレーンは片山にしがみつきながら激しい声で言った。「俺の女房と二人の子供は殺された。一年ほど前にパリで・・・・・・ある邪悪な組織がやった爆破事件に捲きこまれたんだ。その邪悪な組織の、醜悪な野望を持つボスが、ここからもっと北に隠れてるんだ。いや、俺を待伏せてるんだ。俺はそいつに報復する。君はレッド・ウルフから、ここから百二十マイルほど先から、四州にまたがった一般人立ち入り禁止の広大な地域があることを聞いたことはないか?」「聞いたわ。軍隊のようなパトロールが、狩猟のために入ったビーヴァー・インディアンを見つけると、銃で嚇(おど)して追い返すそうよ。なかには、あのなかに入りこんだまま帰ってこない仲間もいるそうよ。殺されたとしか考えられないって言ってたわ。何でも、あのなかでは、戦争ゴッコのようなことをやってるんですって」「あそこは、邪悪な組織の、秘密軍事基地なのだ。それに、中性子爆弾の研究開発所もある。君は信じないだろうが、あいつらはキャナダの都市や工場地帯を中性子爆弾で攻撃して、キャナダ全体を乗っ取ろうと企んでるんだ」「都会や工場が潰(つぶ)されても、わたしたちは生きていけるわ」「いや、中性子爆弾は、穀倉(こくそう)地帯や鉱山施設がある山岳地帯にも射ちこまれる。中性子線の放射能によって人間だけでなく動物たちも殺される」「・・・・・・・・・・!」「もし君たちが生残れても、狩るべき獲物がいなくなったら、どうやって君たちは生きていくんだ? だが、俺はキャナダの全住民のためを思って北に向うのではない。あの狂人をなぶり殺しにしないことには俺の気が済まないからだ」「やめて! 自殺しに行くようなものよ」「やってみないことには分らん。ともかく、俺は何としてでも生還する積りだ。生きて帰ったら、また一緒に猟をし、魚をとり、楽しい時を過ごそう。日本にも一緒に行こう」「どうしても北に向うというのなら、わたしも連れていって!」「いいかい、これまでは・・・・・・モンタナからここにたどり着いくまでは、楽しいヴァカンスのようなものだった。だけど、これから先は本当の戦争、君の想像を絶する汚い戦争がはじまるんだ。これからは、はっきり言って、君が足手まといになる」 片山の表情が冷酷そのものになった。「ひどいわ、そんな言いかた!」「君に告白しておくことがある。エレーン。俺は君が大嫌(だいきら)いな筈のグリーン・ベレーにいたことがある。准将にまで昇進したことがある。人殺しのプロなんだ」「それでも、あなたを愛しているわ・・・・・・行かないで!・・・・・・もう何も言わないで!」 エレーンは片山の唇を自分の唇でふさいだ。 エレーンを説得するまでには未明近くまでかかった。その間、二度交わる。エレーンは二人の天幕(ティーピー)を出てレッド・ウルフのティーピーに行き、夜が明けてから戻ってくる。 十時近くになって片山がレッド・ウルフに別れの挨拶(あいさつ)に行くと、パック・ホースに替えて、極寒地向きの、集落内で最強の馬三頭を贈ってくれた。灰色の馬だ。しかもその馬たちは、放牧しておいても口笛で呼び戻せるだけでなく、西部劇に出てくる馬のように、馬上から発砲してもパニックにおちいらない、ということだ。普通の猟用の馬は、騎手が発砲したりしたら恐怖で見さかいがつかなくなり、騎手を振り落として暴走する。 よく鞣(なめ)したアメリカ野牛(バイソン)の毛皮二枚とキャリヴーの毛皮四枚、それに片山の食糧になるインディアン・ペミカン 粉末状にした干肉とブルーベリーと脂肪を混ぜて固めたもの を百ポンドと、馬のための燕麦百五十ポンドも贈ってくれた。 エレーンは、集落があるメドウから片山が林のなかに消えるまで手を振っていた。 (つづく)
2022年01月29日
Photo by Harry Miller >前回 午前九時に片山が目を覚ました時、横にエレーンはいなかった。寝室から出てみると、パイオニーアのグース・ダウンのウェスターン・ショート・ジャケットとフィルスンのウール・ズボンとLL・ビーンズのメイン・ハンティング・ブーツをつけたエレーンは、道路が見える台所の窓のカーテンをごく細く開いて外を覗(のぞ)いていた。足許(あしもと)に、朝早くまとめたらしいダッフル・バッグが一つ置いてある。 Filson (https://www.filson.com)Mackinaw Wool Field Pants L.L.Bean (https://www.llbean.com)Men's Maine Hunting Boots エレーンのうしろ姿は厳しかった。薄氷が張った水瓶(みずがめ)の水でウガイをする片山を振り向いたエレーンは、唇(くちびる)に指を当てた。薄化粧している。 そっと水を吐き出した片山はそっとエレーンに近づいて腰骨の上を撫(な)でた。「もうすぐ、ラングラーのトラックが戻ってくるわ。それにハンターやガイドをコラルに運んでいったジープ二台もね」 エレーンは囁(ささや)いた。 エレーンの聴力は起きたばかりの片山のものよりすぐれていた。トラック・エンジン数台の音が近づき、まず片山が知っているロンというラングラーが運転する飼料運搬トラックがランチのほうに去っていった。次いでジープ・ワゴニアー二台が続く。「あの三台がコラルに向ったのは何時頃?」「八時だったわ」「だったら、奴等が馬で出発するのは十時半過ぎだ。バック・ホースに荷をつける時間があるからな。俺たちはゆっくり朝飯を食おう」 片山は言い、顔を洗う。 煙をたてぬためにエレーンはコールマンのガソリン・ストーヴでパンケーキとベーコン・エッグスを焼いた。熱いコーヒーを啜(すす)ってから、片山はサンドウィッチを十食分作り終えたエレーンに、「君はこのウージーを使ってくれ。分解方法を教えるから、分解して氷結防止にオイルを拭い去ってくれ」 と、短機関銃と、その弾倉帯数本を差しだす。 普通のガン・オイルは氷結に弱い。一番氷結に強いのは、ナイフを研ぐ時に使う石油系のホーニング・オイルだ。 エレーンにウージーの分解結合の方法や射撃のやりかたを教えてから、片山はM十六自動ライフルとレミントンM七〇〇ボルト・アクションの潤滑オイルを拭い去った。その二丁とウージーの銃口をセロファン・テープで覆い雪が入らないようにする。セロファン・テープを通して発射しても弾道には何の影響もないが、銃腔(じゅうこう)に雪を詰まらせたまま発砲したら銃身が炸裂する怖れがある。 十時半になってから、二人は荷物と銃をかつぎ、歩いて出発した。 二人ともウール・シャツとダウン・ヴェストの上から撥水処理されているパイオニーアのウール・シャツ・ジャケットをつけ、これも撥水のウール・ズボンの上にはキャンヴァス・ダックのレイン・チャップをつけていた。雨に濡(ぬ)れても型崩れせぬ五(ファイヴ)Xビーヴァー・フェルトのウェスターン・ハットをかぶっていた。ブッシュのなかで行動するためのウールのモンタナ・キャップをポケットに突っこんでいる。 Rain Chaps 5X Beaver Felt Western Hat コラルの馬やラバは三十頭にへっていた。二た組のハンターやガイドたちが出発したらしい。アスペン(ハコヤナギ)の林に消えたパック・ホースの足跡と糞を調べたエレーンが、彼等の出発は二十分前だと言った。片山も同感であった。 片山は廃車トレーラーのテール・ゲートを開いた。二人は気にいった馬と鞍(くら)を択(えら)んだ。馬に近づく時には、やむをえない場合をのぞいて、そのうしろからは避けねばならぬ。馬は非常に臆病(おくびょう)だから、うしろから近づくと、敵が襲ってきたと思って蹴(け)りあげてくるからだ。だから、馬にうしろから近づく時は優(やさ)しく声を掛けて落ち着かせてからでないと蹴り殺されることがある。馬のうしろを通る時は、馬の尻(しり)に自分の体をこすりつけるほど近づいたほうがいい。そうすると、ボクシングのクリンチの時と同じで、あと脚のキック力が弱まるからだ。 片山は自分の馬の鞍の右側にマグナム・ライフルを入れたスキャバードをつけ、左側には斧(おの)を入れた鞘をつける。サドル・バッグには、精密なロッキーの地図やソフト・ケースにくるんだスポッティング・スコープ、それにサンドウィッチなどを入れる。 エレーンも短機関銃に会うカービン用のスキャバードと鞘に入れたシャヴェルやさまざまな罠(トラップ)を鞍につけた。荷馬二頭には二人が運んできたバッグと、テントと十日分ほどの食料や蹄鉄(ていてつ)などを、左右の重みとバランスをとって積む。山岳地帯の岩場では、蹄鉄は二週間ほどで駄目になる。 あと二頭の振り分けした荷箱(パーニア)には、馬用のカラス麦やかなりの量の塩などを詰める。 二人が出発するまでには一時間もかからぬ手ぎわよさであった。鞍にまたがってアブミ(スターラップ)に足を掛ける時は靴先に近い部分を乗せ、カカトをうしろに垂らしておくのは、灰色熊(グリズリー)の匂(にお)いなどを嗅いで馬が暴れたり、脆(もろ)い岩場や滑(すべ)りやすい草地の斜面などで馬が倒れたりした時に、素早く足をアブミから抜いて跳び降りるために絶対必要だ。膝(ひざ)は自然にのばし、アブミの上に立った時に鞍とのあいだに二、三インチの隙間が出来るようにホッブル・ストラップをの長さを調節する。 M十六自動ライフルを背負った片山が、左手で手綱を持ち、ロープでつないだ四頭のパック・ホースを曵(ひ)くが、右手で持ったそのロープは三重の輪に丸め、うしろの荷馬に急に引っぱられても数メーターはロープは自由にのびて、右手の指や手を怪我しないようにしている。サドル・ホーンにそのロープの先端を捲(ま)きつけたりしたら自殺するようなものだ。鞭(むち)をサドルとスキャバードのあいだに差しこむ。 エレーンは荷物のうしろ十メーターのあたりから背後をガードする。無論二人とも、フォーム・ラバーをサンドウィッチした二重ウールの手袋をつけているのは、濡れた革手袋はカチカチに凍るだけでなく簡単に凍傷を起させるからだ。 アスペンの林に入って少し行くとサン・リヴァーの浅いがかなり広い上流があった。二人はそこで馬たちに水を飲ませる。馬は飲むというより、口をすぼめてチューチューと水を吸いこむ。真鴨(マラード)の群れが飛び去った。 二人は、馬にとってはたまらぬ魅力である野生のピーヴァイン(ウマゴヤシ)を食いはじめたパック・フォースに鞭をくれた。 川をわたり、つづら折れの坂をロッキーに登っていく。馬の足許は、前に通った一行のパック・ホースが踏み砕いた雪で、空からもミゾレに変わって雪が降り落ちる。 モンタナ・ロッキーの中腹以上は六月まで雪が残り、九月にはもう雪が降るのだ。 このトレイルを通って分水嶺を越え、ロッキーの西側のボッブ・マーシャル・ウイルダーネスに降りるルートは “ザ・パス” と呼ばれている。ロッキーの高山のあいだにはさまれた隘路(あいろ)を抜けるわけだ。 左側に深い谷間の底のホードレイ・クリークを時々見おろす、ザ・パスのまわりの樹木は、高度をかせぐにつれて、イエロー・パインやダグラス・ファーに変り、スプールスや細長いロッジポール・パイン、それにウェスターン赤杉やアルパイン・ファーの樅(もみ)に変った。 常緑(エヴァー・グリーン)の針葉樹の林のなかにあって、西部の針葉樹のうちでただ一つ、季節にしたがって色を変えたり落葉したりするカラマツ(ラーチ)の鮮やかな黄色が、ところどころに浮きあがって美しい。 トレイルの脇の雪の上はイタチやテンなどの小動物やミュール・デアーの足跡だらけだ。チップマンク・リスや赤リスが枝から枝に跳び移る。左側の谷の向うにも高山が見える。 出発してから三時間ほどして、大陸分水嶺(コンチネンタル・ディヴァイド)にさしかかる。雪は降り続いているが、右側の山から流れ落ちる地下水で浮きあがった木の根でカマボコ道路状になった狭いトレイルは、前に通ったパック・ホースの馬蹄でグシャグシャの泥濘(ぬかるみ)になっていたり、カチカチに凍ったりしている。 山岳地帯での荒い仕事に耐えられるように何代にもわたって改良されたマウンテン・ホースたちは、背中から湯気をあげながらも疲れを見せてない。 しかし、ここ一年以上馬に乗ってなかった片山は、膝やフクラハギに痛みや痺(しび)れを感じていた。登山にも使えるという宣伝に乗って買ったハイキング・ウェスターン・ブーツのなかの足は寒さに痛んでいたが、やがて感覚が無くなりはじめる。 ザ・パスの分水嶺の中間地点の休憩地は標高七千フィートで、膝を没する積雪であった。休憩をとった連中の焚火(たきび)の跡が多い。 二人はそこで馬を降りて小便をした。片山はエレーンがサンドウィッチとジュース代りのオレンジを食っている間に、ウェスターン・ブーツを脱いで二本のブーツ・ナイフを鞘ごと外し、ブーツを雪に埋める。 薄手のウールの靴下を、シルクの靴下と厚手のウール・ソックスに替え、ラッセル・ダブル・ヴァンプのハンティング・ブーツをはいた。ブーツ・ナイフを一本エレーンに渡し、もう一本は自分の鞍のサドル・バッグに仕舞う。 再び出発した。今度は下りだから、馬を曳いて歩く。たちまち膝やフクラハギの痺れは治り、足にも感覚が戻ってくる。 また地下水の泥濘に悩まされた。しかし、ハンティング・ブーツが濡れて慣らし(ブレイク・イン)がしやすい。だが、ちょっと歩くスピードをゆるめると、曳いている馬に踵(かかと)を踏(ふ)まれる。 やがて谷間に激流が見えてきた。今度は太平洋に向けて流れるキャンプ・クリークだ。 急な下りの狭いトレールは右側は崖、左側はすぐ谷になり、落石がゴロゴロしていて、馬がしばしばスリップする。 やっとボッブ・マーシャル・ウイルダーネスのダナハー高原のメドウに出て馬にまたがった片山は、歩き続ける馬上でサンドウィッチを食いオレンジをかじると、嚙(か)みタバコを口に放りこむ。 十八マイルを六時間でたどり着いたのだから、良好なペースだ。普通、パックホースが一日に進める距離は、あまり険しくないマウンテン・トレイルで十から十五マイルとされている。しかし、これから、片山たちは、シックス・ポイント・ハンティング・ロッジやほかのアウトフィッターのテントを避けて野営の場所を捜さねばならぬ。 幸いモンタナのハンターはオレンジや赤のチョッキや上着や帽子をつけているし、今の時刻はテントから煙が出ている筈なので、片山は丘の上に馬を走らせ、スポッティング・スコープでじっくり偵察(ていさつ)した。アスペンの枝の鞭を持ったエレーンは、早く荷物を振り落としたくて寝転がろうとする荷馬を看視する。 その夜は、針揉(スプルース)の林の中にカモフラージュ色のテントを張った。近くに小川が流れ、流れの一部がビーヴァー・ダムに塞(せき)とめられている。 池(ポンド)の真ん中に木や枝や泥を組み合わせたビーヴァーの島があった。島の下に巣があるのだ。 ビーヴァー・ポンドのまわりのスプルースは、ビーヴァーに齧(かじ)り倒されていたが、ビーヴァーも時には計算違いをするらしく、池の中にでなく、林のほうに向けて齧り倒している木があった。ビーヴァーの食料は魚でなく、樹皮や枝葉なのだ。 降りしきる小雪が水面に反射して、水面から雪が上っているように見える。川マスの一種のホワイト・フィッシュやブル・トラウトの別名があるドリー・ヴァーデン、それにブルック・トラウトなどが小川の水中に見え隠れする。 小川のほとりでは、鞍や荷を降ろされた片山たちの馬が、走り去らないように前脚をロープでゆるく結ばれて、草や灌木(かんぼく)を食っている。ピーヴァインを夢中で食っている時の馬の表情は恍惚(こうこつ)としている。 片山はビーヴァーが林側に倒した枯木を斧で叩き切って薪(まき)を作る。径二十センチの幹は斧の五、六発ずつで横に切られ、一発ずつで縦に二つに割りにされる。柄はストレート・グレインの木目が真っすぐに通ったヒッコリー材だから、手に伝わるショックは柔らかい。 着火材がわりのヤニ(ピッチ)や薪を片山はテントの前に運んだ。大きな穴をシャベルで掘り、一番下にピッチを置いて火をつけておき、枯枝やナイフでケバだたせた細い薪でかなりの焚火を作っておいてから太い薪をその上に置く。キャンヴァス・バケツに数杯の水をくみに行った。 薪がゴーゴーと燃えはじめた頃、柳の枝で編んだ魚とりのヤナを小川に仕掛け、燕麦(カラスムギ)や塩を餌(えさ)にしてメスキジに似たラッフルド、ブルー、それにスプルース種の亜種のフランクリンといった種類のグラウスや、ジャック・ラビットなどの兎の罠を仕掛けたエレーンが、サドル・バッグ一杯のブルーベリーを採ってきた。 焚火の上に枝を渡して大鍋(おおなべ)に湯を沸かす一方で、エレーンは片山が運んできたビーフでステーキを焼いた。 サンダース家の別荘からスペアの乾電池数十本と共に持ってきた日本製のトランジスター・ラジオのヴォリュームを絞って聴くが、ニュースの時間にも赤い軍団という言葉は一つも出ない。赤い軍団の勢力は、すでに米政府のあいだにまで浸透しているのかも知れない。 ブルーベリーのデザートとコーヒーで夕食を終えた。エレーンは熾火(おきび)の大部分をテントのなかの地面にシャベルで移す。残りに土をかぶせて炭を作った。フクロウの鳴き声が聞こえる。 テントのなかは汗ばむほどになった。素っ裸になったエレーンは、全身に恥じらいの表情を見せながら、片山も裸にさせて、三つのキャンヴァス・バケツに移したタオルを固く絞り、片山の体を拭う。 熾火(おきび)の淡い光のなかで、しなやかなエレーンの体の動きを見、熱いタオルで触れられているうちに、片山の凶器はたちまちう怒張した。 淡いとはいえ灯のなかでエレーンの全身ヌードを見たのは、片山にとって今夜がはじめてであった。下腹に薄い傷跡があるほかは、エレーンの肉体は完璧(かんぺき)であった。腹には余分な脂肪は一つもなく、白人のようにクレヴァスが長く裂けてないのも好ましい。 エレーンは片膝をつき、拭い終えた片山の凶器にそっと唇をつけた。軽い接吻をくり返していたが、横ぐわえにしたり深くくわえたりして下をからめる。 エレーンの髪を摑(つか)んだ片山は、腰を突きあげていたが、エレーンを抱き上げようとした。「待って・・・・・・わたしのが終ってから・・・・・・」 エレーンは片山を逃れた。自分の体を拭いはじめる。 エレーンが拭き終るのを待ちかねながらタバコを吸っていた片山は、エレーンがタオルをバケツに捨てると、スリーピング・バッグに押し倒した。 エレーンの花弁に舌を入れ、ふくれ上がった花芯を舐める。晶子を知ってからは、ほかの女には決してやらなかった行為であった。 激しい声をたてたエレーンは、片腕で自分の目を覆い、両足を痙攣(けいれん)させた。やがて本物をせがむ。片山はエレーンに重なってスラストしながら、「大丈夫なのか?」 と囁(ささや)く。「あなたの子が欲しいわ、ケン・・・・・・本当に欲しい・・・・・・でも、わたし・・・・・・口惜しいけど・・・・・・子供が出来ない体にされてしまったの・・・・・・三年前、サウス・ダコタの・・・・・・ウーンデッド・ニーでの集会に参加していた時、暴動扇動罪の容疑で捕まって、無理やりに不妊手術をされてしまったの・・・・・・州がちがうから、ジム・サンダースはそのことを知らなかったけど・・・・・・でも、卵管を切断されただけなの・・・・・・日本に行って、もとの体に戻す手術を受けたい」 エレーンは喘(あえ)いだ。「俺も目的を果たしたのち生きのびることが出来たら、必ず君を日本に連れていって優秀な病院に入れてやる」「うれしい。ああ、いい・・・・・・ケン!・・・・・・いい、いいわ・・・・・・溶けそう・・・・・・」 エレーンは激しく腰を突きあげた。 終ったあとエレーンは、自分の祖母は白人四人に輪〓されて母を産んだことを語った。片山が商用のために体に毛布を捲きつけてテントから出てみると、雪はやみ、ボタン雪のような星が異常なほどの近さで満点に散らばっていた。 翌朝、まだ暗い午前六時に起きた片山は放牧しておいた馬を連れ戻し、両の掌に三杯ずつの燕麦(カラスムギ)を与えた。山岳馬は一回に一升、つまり両の掌に四杯分以上の穀物を与えると、そいつが胃のなかでふくれあがってしまうために、苦しんでブッ倒れる。 テントを回収し、馬に鞍を付けたり、輸送箱をつけたりしている時、罠とヤナを回収したエレーンがラッフルド・グラウス(エリマキ・ライチョウ)二羽と、灰緑色の体にピンクの斑点(はんてん)がある六キロほどのドリー・ヴァーデンをぶらさげて戻ってきた。煙が人目につかぬように、土をかけてあった炭に火を起して、牛脂でフライにする。米語ではキャンプ泥棒(ロバー)、カナダではウイスキー・ジャックと仇名(あだな)されるカケスが、うるさく鳴きながら集ってきて残飯を狙う。 食い残しは昼食用に回すことにして出発する。グラウスは夕食用だ。いつでも林のなかに隠れられるように、メドウを通る時はその縁(へり)を択び、山腹を迂回(うかい)しながら進む。もう片山は乗馬のカンを完全に取戻していた。 竜巻きや強風に会ったらしく数マイル四方にわたってロッジーポール・パインの細長い松が倒れているところもあった。平地では、積雪は風に吹き飛ばされたり、陽光に溶けたりする。 ハンティングが目的でない時にかぎっての皮肉か、あるいは二人から殺気が放たれてないからか、シダや苔(こけ)の上に伏せてハンターをやり過ごしていたエルク大鹿が、しばしばトコトコと歩いてきて、二人のパック・ホースを眺(なが)める。エルクが伏せていた跡の苔からは、その上の雪が溶けて湯気がたっている。 夕方近くにすぐ近くで見たエルクの牡(ブル)などは、枝角(アントラー)の左右とも八尖で長さ六十インチを優に越え、太い両角のひろがりかたも申し分なく、獲った場合にはレコード・ブックのベスト・テンに載(の)るのは確実に思えた。片山は今夜の宿泊地に着いたら、銃声がしないコマンドウ・クロスボウを組立てることにする。 その日は、曲がりくねったルートをとりながらも、直線にすると三十マイルほど北上する。夜になり、凍った雪に隠されていた小岩に馬の蹄鉄が当って火花を散らす。 北上するにしたがって寒気がした。雪の吹きだまりも深くなる。馬が吹きだまりに落ちこんだら、すぐに跳び降りて引っぱり出してやらないと、ショック死することがある。 その夜二人は、流れの中心を残して凍りついたクリークのほとりの、ヤマハンノキ(マウンテン・オールダー)の灌木(かんぼく)の茂みを主とした雑木林にテントを張った。 エレーンは二羽のグラウスの毛をむしり、その体を串刺(くしざ)しにすると、テントの前の焚火(たきび)の横に立てかけ、小動物や野鳥の罠、それにマス(トラウト)のヤナを掛けるために林のなかに消えた。 片山は、焚火の熱でグラウスの片面だけが焦(こ)げすぎないようにと、ときどきテントから出て串を回しながら、テントのなかで、罐詰(かんづめ)の空罐に獣脂を入れて細いロープの芯を立てた簡易ランプの鈍(にぶ)い明りのなかで、コマンドウ・クロスボウを組立てた。 金属製の弓に弦を掛ける時だけは全身の体重を掛けねばならなかったが、あとの作業は楽であった。銃床に嵌めこむ弓のセンターにはマークしてあったし、テキサスで試射したあとは、銃床からライフル・スコープを外してなかったから、明日になって明るくなった時に再試射してみても、照準はあまり狂ってないことが分るだろう・・・・・・、と思う。 またグラウスの串を回すために片山が立ち上がりかけたとき、血の気を失った顔をしたエレーンが戻ってきた。予定よりも、かなり早い時間だ。「どうした?」 と尋ねかけた片山に、エレーンは指を唇に当てて黙るように合図した。目は緊張と恐怖で吊(つ)りあがっていた。「お、追ってきたの。保安官補(デピューティ・シェリフ)のチャーリーが・・・・・・」 と、囁(ささや)く。「チャーリー?」 片山は囁(ささや)き返した。「チャーリー・ストーンヘッド。インディアンなのに、白人の飼い犬になりさがって得意になっている嫌(いや)な奴・・・・・・」「見たのか、奴を?」「チャーリーの馬を見たの・・・・・・わたし、ここから一マイルほどの南のメドウの縁(ふち)に、ジャック・ラビットの罠を掛けに行ったの・・・・・・ここに来る途中、あいつらの足跡が沢山雪明りで見えた場所を覚えているでしょう?」「ああ」「わたし、迷わないように、あそこに行くのに、わたしたちのパック・ホースの足跡を逆にたどっていったわ・・・・・・そしたら、四分の三マイルほど行ったところで、二頭の馬の足跡が一行の足跡から外れて西のほうにそれているのを見たの」「・・・・・・・・・・」「よく調べてみたら、その二頭は、わたしたちから半時間ぐらい遅れて尾行(つけ)てきてから、わたしたちのトレイルから西に向けて外れたことが分ったの・・・・・・二頭の蹄鉄の後には、ショショーニー・インディアン・リザーヴの保安官事務所のチャーリー専用のしるしの三日月形の刻印があった」「それで、君は二頭の足跡を追ったのか?」「ええ、怖(こわ)かったけど、いざとなったらこれを使ってでもと思って・・・・・・」 エレーンは肩から吊っているウージー短機関銃を軽く叩(たた)き、「チャーリーは、残忍な上にしつこいので有名なのよ。何か月か前にも、酔っ払って仲間を殺してしまったインディアンが山に逃げこんだのを、二週間もかけて追いつめて、その男の生首をぶらさげて戻ってきたわ。その容疑者が先に射ってきたから射ち返したら命中してしまった、ですって・・・・・・本当は、人殺しを楽しんでいるのよ、チャーリーは・・・・・・だから、あなたがあんな奴に殺される前に、こっちのほうで先手をとってやろうと思ったの」 と、囁く。「・・・・・・・・・・」「二頭の馬の足跡は、一度西に向ってから、四分の一マイルほど行ったところで北に向きを変えていたわ。北にちょっと行ったところで、クリークにぶつかったの。ここの前を流れているクリークとは別のクリークよ・・・・・・チャーリーの馬は、そのクリークのそばにつながれていた。でも、チャーリーは見当たらなかった。チャーリーは、クリークの向うの、深いブッシュの丘に隠れているに違いないわ。その丘からは、ここが見おろせる筈(はず)よ」「畜生・・・・・・」「わたし、急に怖さに耐えられなくなって逃げてきたの・・・・・・あなたに早く知らせたかったし」「君はよくやった。有難う。俺たちがぐっすり眠りこんでから・・・・・・襲ってくる気だろう。君が気づかなかったら、ヤバいことになるところだった。でも、もう心配しないでいい。俺が奴を片付けてくる」 片山はエレーンを強く抱きしめ、深くキスをした。片山が舌と唇を放すと、血の気が甦(よみが)えったエレーンは、「わたしも一緒に行くわ。連れていって」 と喘(あえ)ぐように言う。「いや、君は何もなかった振りをして、火に掛けてあるグラウスと熾火(おきび)をこのテントのなかに入れるんだ。ランプの灯(あかり)はそのままにして・・・・・・そして、ウージー・サブマシーン・ガンのスウィッチレヴァーをフル・オートにし、安全装置を外して待機していてくれ。俺はここに戻ってくる時には、フクロウの声をたてる。フクロウの声をたてずにこのテントに忍び寄ってくる者がいたら、テント越しにでもいいからブッ放すんだ。弾倉帯のパウチのフラップを開いて、すぐに弾倉を交換できるようにしておいたほうがいい」 片山はエレーンの耳に囁いた。 エレーンから離れると、腰のホルスターのG・I(ジー・アイ)コルトのスライドを引いて薬室(チェンバー)に装弾しておき、撃鉄をゆっくり倒す。 四枚刃の矢を十ダース入れた矢筒(クイーヴァ)を左の腿(もも)に縛りつけ、コマンドウ・クロスボウの銃床を折って弦を引き絞り、リヴァーサル・フックに引っかけると安全装置を掛けた。 再試射を行ってないのが不安だが、出来るだけチャーリーに近づいてから射てば何とかなるだろう。外れたら、仕方なく、銃声がほかのハンターに聞かれる危険を冒してでも、G・Iコルトを使うほかない。 (つづく)
2022年01月22日
Highway 435,MontanaPhoto by montanatom1950 >前回 オーガスタから二マイルほど離れると、道路上に立つハンターは見当たらなくなった。路肩には車に轢(ひ)き殺されたアナグマ(バッジャー)やヤマアラシ(ポーキー)の死体が転がっている。木の皮を食い荒らすポーキーの針はツマヨウジの代わりにするには硬すぎ鋭すぎるほどだ。 前年の干魃(かんばつ)のあとが残ったニイーロン貯水池には、カイツブリや黒ガモが多かった。貯水池を過ぎ、ゆるい上りを飛ばすと小池が点在し、ビーヴァーが素早く水にもぐる。ビーヴァーを罠(わな)に掛ける時のスネアーで最も効果的なものは、ビーヴァーの睾丸の近くの臭腺袋の中味を一年ほど乾し固めたもののカケラだ。獲ったビーヴァーはゴムの櫂(かい)のような尻尾と首を落し、体の皮を板の上に釘づけしながら、丸い形になるように、次第に大きく引っぱり張っていく。物凄(ものすご)く脂ぎって独特の悪臭がある肉は、よほどの場合でないと犬の餌(えさ)にしかならないが、その肉を好むインディアンもいる。 道の右側は、またルウィス・アンド・クラーク・フォレストとなる。L&C・N・Fはモンタナ州に幾つもあるのだ。 まだ角(ホーン)が小さなビッグホーンや、枝角(アントラー)のポイントが少ないミューリーが右手の岩が多い山にも見える。 左手の平原にポツンと立つ離れ山(ビュート)は、このあたりで最大の目じるしとなるヘイスタック山で、その名の通り、円錐形(えんすいけい)に積んだような形をしている。このあたりに放牧されている牛は白く巨大なシャーレー種が多い。 ようやく夕日があたりを真っ赤に染めはじめた。真向いは雪をかぶったロッキー連山だ。路面が氷結してきたのでスピードを落す。路肩脇の空き地のところどころに、他州やモンタナ東部からやってきたトロフィー・ハンターのホース・トレーラーが駐(と)めてある。左側も山になった。 さらにしばらく行って左に折れると、丘の谷間のフォード・クリーク沿いに、シックス・ポイント・ハンティング・ランチがある。 夏は俗にデュード・ランチと呼ばれる観光牧場商売で、都会から来た客に乗馬を教えたり、客を乗せたパック・ホースを率いてコンチネンタル・デイヴァイドを越えてボッブ・マーシャル・ワイルダーネスの荒野まで連れていき、サマー・キャンプを根城にして釣(つ)りを楽しませる。 狩猟シーズンになると、他州や外国から来たハンターをランチのハンティング・ガイドが案内したり、ハンターたちに馬や馬具やテントなどを貸したり、ホース・トレーラーに自分の馬を積んできたハンターにカイバを提供したりする。どっちかといえば、大がかりな貸し馬屋だ。 片山は、そのシックス・ポイント・ハンティング・ランチから馬を借りて分水嶺を越え、ボッブ・マーシャル・ワイルダーネスでテント生活をやりながら狩猟に二週間ずつを過ごしたことが数回ある。 その時の獲物(ゲーム)のなかには、左右のアントラーの主幹(メイン・ビーム)の長さが五十六インチの上に六尖(シックス・ポイント)ずつで太さも直径十インチずつあったが、インサイド・スプレッドが四十五インチと狭いためにノース・アメリカン・レコード・ブックの二十位前後にとどまったエルクや、角(ホーン)の長さ四十三インチずつで基部の太さ十五インチのビックホーン・シープ、それに頭蓋骨(ずがいこつ)の長さは九インチ、幅は六 8/16インチのレコード・ブックの二十位以内に入るマウンテン・ライオン(クーガー)もあったが、珍しいゲームでは右の枝角はわずか四尖なのに左のほうは十二尖という、ノン・ティピカルというより奇形のアントラーのエルクもあった。 片山はわざとシックス・ポイント・ランチに寄らずに悪路を進み続けた。太陽が山蔭(やまかげ)に落ち、冷えこみが厳しくなる。道端のホース・トレーラーの脇で、腰に二丁拳銃、肩にライフルというハンターたち数人が、オリンピアの罐ビールを飲みながら話をしていた。 モンタナ州では、狩猟時には最低四百平方インチのけばけばしいオレンジ色の布を身につけねばならぬ法律がある。誤って射たれるのを防ぐためだ。無論、赤いチョッキや上着でも代用できる。 ハンティング・ランチへの分岐点から三マイルほど行くと、左手にレインボウ・トラウトとレーク・トラウトの宝庫のウッド・レークがある。レインボウ・トラウトは日本の虹鱒(にじます)とちがって、肉が紅鱒(べにます)のように淡いピンク色をしている。ウッド・レークから先は小川の名はウッド・クリークに変った。 湖の少し先に、今は滅多に使われてない簡易飛行場(エア・ストリップ)があり、道の右手にエア・ストリップの番人の丸木小屋がある。オーガスタを出てからはじめてみる家だ。 そこを過ぎて三マイルほど行くと、グレート・フォールズで一番はやっているクリニックの院長である金持ちハンターが建てた立派な別荘のロッジがある。丸木で作ってはいるが、コンクリート造りよりはるかに金がかかっている。 片山はそのロッジでコーヒーやアルコールの歓待を受けたことがある。今は灯りがついてなく、車の姿も見えぬから、今夜はそこを無断で使わせてもらうことにする。夜の分水嶺越えは危険すぎる。エア・ストリップとそのロッジのあいだには、無論、一軒の家も無い。 さらにロッキーに近づき、車道がどんづまりになるあたりで右手に入ると、シックス・ポイント・ハンティング・ランチの山岳使役馬(マウンテン・ホース)の囲い(コラル)があった。 馬の脱走防止と灰色熊の襲撃防止を兼ねたコラルのなかには、耳が長い点をのぞけば馬とほとんど変らぬラバ(ミュール)を含めて五十頭ほどの馬が入っていた。 北米大陸には現在のような馬はいなかった。 サラブレッドは、一六八九年から一七二四年にかけて英国に輸入された、いわゆる三大根幹種牡馬と呼ばれるアラブの種馬を、十七世紀中頃にチャールズ二世王によって輸入されて土着していたロイヤル種とも呼ばれるバーブ種の牝馬と掛け合わせて品種改良を続け、其の品種を固定させたものだ。 だから、サラブレッドは、〝一頭一頭についての先祖から記録が保存され、血統書に登録記載されている馬〟であるが、もともとはアラブだ。 北米の馬はほとんどすべてだが、かつて欧英から輸入されたものの子孫で、みんなアラブ系だ。二十世紀はじめ頃は、アラビアから直接アラブ馬が輸入されている。 純競走用のサラブレッドをのぞく現在の北米の西部の馬は 、四分の一(クォーター)マイル・レースやロディオのバレル・レーシングに多く使われる敏捷(びんしょう)なクォーター・ホース・・・・・・。 最も優美なために客馬車用として使われていたが、牧場や山岳地帯での荒い仕事にも耐えるモーガン・ホース・・・・・・。 スペイン人によって北米に連れてこられ、ほとんど穀類を食わないでも草だけで生き、主人の気持ちをよく察するので、牧場で牛を捕える仕事に適している頑丈(がんじょう)なスパニッシュ・バーブ・・・・・・。 耐久力が抜群なだけでなく沈着な、斑点入りのアパルーザ・・・・・・。 クォーター・ホースの亜種でツートン・カラーのペイント・ホース・・・・・・。 やはりツートン・カラーで非常に要心深いピント・ホース・・・・・・。 パレードやサーカスによく使われる金色の肌と白いタテガミとシッポのパルミーノ種と純白のアルビーノ・・・・・・。 それに典型的なやつは体色が赤っぽい焦(こ)げ茶や胸に濃い筋が走り、ポインツ タテガミと尾と脚 は、体色よりも暗い赤茶や黒い色を持ち、遠い祖先に北欧馬の血が混っていると推測されているせいか厳しい荒野に向いているバックスキン・ホース・・・・・・がいる。 マウンテン・ホースは、それらの素質をのばしたり、掛け合わせで改良したりして、山岳地帯での荒い使役に耐えられるようにしたものだ。 ラバ(ミュール)のほうは、牝馬(めすうま)と牡(おす)のロバ(ブーロー)の一代種だ。牝馬と牡ロバのあいだにはカイティという雑種も生れるが、そいつは力も生命力も弱いから淘汰(とうた)されてしまう。ラバもカイティも繁殖能力を持たない。 ラバは耐久力を持っている。ひどい粗食にも耐え、馬とちがって容易にはパニックにおちいらないが、ケンカ早い上にずる賢(がしこ)いから、仲間やほかの馬を蹴(け)るだけでなく、人間がちょっとでも隙(すき)を見せると正確な蹴りをくれてくる性悪な奴が少なくない。 それに、使役中にヘソを曲げてストライキを起すと、鞭(むち)でひっぱたこうが蹴とばそう が、テコでも動かないというロバ並みの頑固(がんこ)さを持っているから、素人(しろうと)には扱いかねる。 コラルの近くに簡易トイレと、車輪を外して角材の上に置いた廃車のパネル型トレーラーが四台置かれてあった。 そのなかの三台には、なじみの客から預かっているものも含めた鞍(くら)などの馬具やライフル・スキャバードなど、それにキャンピングの道具(ギア)などが入っているのを片山は知っている。 もう一台のトレーラーのなかには、雪が深すぎてランチから四輪駆動のトラックを使っても乾し草や燕麦(カラスムギ)などの飼料を運べない時にそなえて、緊急用の飼料がストックされている筈だ。 シーズン・オフにはコラルのなかの山岳馬は放牧されるが、猟期中は、客やガイドがいつでも使えるようにコラルのなかに閉じこめておき、ランチから毎朝馬の扱い人(ラングラー)がトラックに飼料を積んでやってくるのだ。車が使えぬ深い雪の時は、ラングラーは馬でやってきて、廃車トレーラーのなかにストックしてある飼料をコラルのなかの馬に与える。 五十頭もコラルに囲っているのは、二人一組のハンターの場合、その二人のために二頭の馬のほかに、ガイドとコックとラングラーのために三頭、それに荷運びに四、五頭と、一組のハンターのために十頭ほどのパック・ホースが必要となるからだ。一時期に一頭だけの客しかとらないのでは商売にならぬから、猟期中は傭っているガイドをフルに回転させる。フル・タイムのハンティング・ガイドは主人と息子たちだけで、あとのガイドはシーズン中にだけ傭われるパート・タイマーだ。 片山は明日の朝、カイバを馬に与えたラングラーがランチに向けて去ったら、馬を数頭失敬する積りだ。そいつらがくたびれたら、放牧されているほかの持主の馬を盗めばいい。 すでにあたりは暗くなっていたが、車から降りた片山は、凍(こご)える指を揉(も)み、針金で廃車トレーラー四台のテール・ゲートのロックを南京錠(ナンキンじょう)を解き、荷室のなかに望みの品が入っているのを確かめた。テール・ゲートを閉じ、南京錠を掛ける。 問題はいま使っているダットサン・ピックアップをどう処理するかだが、これは金持ちの医者のハンターの別荘ロッジとエア・スリップとのあいだの道から一マイルほどそれたところにある沼に沈めることにする。 車に乗った片山は、いま来た悪路をバックし、別荘ロッジの庭に車を停めた。針金でロッジの玄関のドアを開き、屋内に入る。真っ暗だ。カーテンが閉じられているのでマロリーの懐中電灯を使う。 入ったところが和室に直せば四十畳ぐらいの広さで、右側がキッチンと食堂、左側が、プロパン・ガスと薪(まき)の併用の大きな暖炉がある居間兼応接室だ。射ちとめた獲物の剥製(はくせい)が壁やわざと剥(む)きだしにした梁(はり)に掛けられている。壁に貼(は)りつけられたグリズリーや黒熊の頭と爪(つめ)付きの毛皮だけでも十枚はあった。サンダースというここの持主の医者には息子が四人いて、彼等もハンティングが大好きなのだ。壁にはさまざまなナイフのコレクションが吊(つ)るされていた。 片山は奥に三つある寝室の一つの戸棚(とだな)のなかに三個のキャンヴァス・バッグを仕舞った。 念のためにウージー短機関銃を持って表に出る。玄関のドアの錠を針金を使ってロックする。 IMFDB.org - Uzihttp://www.imfdb.org/wiki/Uzi Youtube - Uzi by Vickers Tacticalhttps://www.youtube.com/watch?v=mkP3SHO8s5Y 沼に車を沈めた片山は別荘ロッジに向けて戻った。寒風が吹きすさびはじめていた。ミゾレも混る。近づくと、窓のカーテンの隙間(すきま)からコールマンのガソリン・ランターンの明るい灯が漏れている。舌打ちしたい気持ちでさらに近づくと、庭にシヴォレー・ブレイザー・シャイアンの四輪駆動のワゴンが駐(と)まっているのが見えた。 左肩にウージー短機関銃のスリングを引っ掛けた片山は足音を殺してロッジに忍び寄った。若い女の悲鳴が漏れてきた。男の罵声(ばせい)も聞える。 片山は台所側の脇戸(わきど)のロックを針金で解いた。脇戸を左手でそっと細めに開く。 ガスの炎の上のグリルでさらに薪が燃えている暖炉が脇の壁に、ナイフを両手に握った娘が追いつめられていた。 インディアンの娘であった。白人の血が四分の一混っている感じだが、顔も体も野性的であった。ブラウスが破られ、上向きに反り上がった乳房が剥きだしになっている。真っ黒な目が怒りに燃えている。 娘の三メーターほど前に、片山に背を向けて、がっしりした三十男が娘に拳銃を向けていた。「いい加減に諦(あきら)めるんだな。ショショーニー・インディアンのくせに、インディアン保護官の俺(おれ)に楯(たて)つくとはな。さあ、ナイフを捨てろ。おとなしく俺に抱かれたら、不妊手術を受けないで済むようにしてやるし、不法集会の解散を命じた保安官のグレッグを物陰(ものかげ)から狙撃(そげき)して重傷を負わせたのはお前だということを、ずっと黙っといてやる。俺はお前がグレッグを射つところをひそかに見たんだが黙っててやったんだ。なあ、エレーン、俺の子種を授けてやろうと言ってるんだぜ。ナイフを捨てて、有難く股を開けよ。そうでないと、お前を射ち殺してからでも突っこむぜ」 男は野卑な笑い声をたて、片足を踏み出した。酔った声からして、サンダース家の次男のジムだ。「寄らないで! 」 切れ長の目を吊り上げた娘は金切声をあげ、「あんたが奥さんも子供もありながら、白人娘と浮気してることは誰(だれ)でも知ってるわ。どうしてインディアンのわたしを、こんなにしつこく追いまわすの? 今夜だって、いきなり手錠を掛けて、こんなところに連れてきて!」 と、ナイフを構え直す。「インディアン解放運動なんかに血道をあげやがって、俺がせっかく甘い言葉を掛けてやっても、虫けらでも見るような目で見返しやがるからだ。白人様の強さを見せてやる。どうだ、お前のボーイ・フレンドの薄汚いインディアンたちのと俺のと、どっちが立派か?」 ジムはズボンのジッパーを降ろし、怒張したものを剥き出しにしたようだ。「何よ、カマンベール・チーズのようなフニャマラ」 娘は怯(おび)えの表情を見せながら冷たく言い放った。「この牝犬(ビッチ)、殺してやる!」 ジムは拳銃の撃鉄を親指で起した。 片山は大きく脇戸を開いた。安全装置を外していたウージー短機関銃を素早く肩付けし、「よせよ、ジム」 と、声を掛けた。ウージーに使用している九ミリ・ルーガー拳銃弾の発射音は、強風の音にまぎれてエア・ストリップの番人のキャビンにまでとどかないだろう。「誰だ!」 金髪の鬼のような形相をしたジムは体ごと片山に振り向こうとした。その時、すでに片山を見ていた娘が、ジムの左の背中にナイフを突き刺した。 怒声をあげたジムは、再び娘に拳銃を向けようとした。片山のウージーが軽い銃声をたて、頸(くび)の骨を射ち砕かれたジムはロッジの床を揺るがせて倒れると、死の痙攣(けいれん)をはじめる。 娘は、空薬莢をポケットに収めた片山に向けて、ショショーニー・インディアン語らしい言葉で叫びながら走り寄ってきた。左のうしろ手で脇戸を閉じ、右手でウージーに安全装置を掛けた片山の胸に頬(ほお)を押し当て、抱きついて啜(すす)り泣く。 娘の黒髪はレモンの匂(にお)いがした。体からはメロンのように甘い匂いがする。左手で軽く娘の背中をさすりながら落ち着かせようとする片山は、不覚にも股間が暴発しそうになる。 やがて落ち着いてきた娘は、食堂の椅子(いす)に崩(くず)れるように坐りこむと、「あなたの部族は? わたし、ショショーニー」 と英語で尋ねた。「俺の血の半分は日本人。アジアから大昔は陸だったベーリング海峡を渡って北米大陸に渡ってきたキャナダやアメリカのインディアンとは親戚(しんせき)のようなものだ。俺の名はケン・カタヤマ。ケンと呼んでくれ。君は?」「エレーン・ブライトン・・・・・・ブライトンなんて白人が勝手につけた苗字よ・・・・・・わたし、人を殺してしまった」「俺も一緒になって殺したんだ。正当防衛だよ、エレーン」 パンツの窮屈さを覚えながら片山は言った。エレーンの泣き腫(は)らした瞼(まぶた)が何とも色っぽい。「保安官は信じようとしないわ。仲間を殺された内務省インディアン局の連中とグルになって、わたしを縛り首にしようとする。あなたも野獣のように狩りたてられるわ。 逃げましょう、一緒に! 行先はキャナダがいいわ。ブリティッシュ・コロンビアのビーヴァー・インディアンのレッド・ウルフの一族二百人が保護地区(リザーヴ)を出て、ムスクワ・リヴァー上流の原生林を本拠にし、ビーヴァーやムースやキャリブーや鱒(ます)をとって昔ながらの生活をはじめているの。それは勿論(もちろん)、必要な時には銃も車も軽飛行機も使うけど・・・・・・あそこには、国際集会で知りあった友達が何人かいるの。きっと、かくまってくれるわ。あなたのことも」 片山は、エレーンの瞳(ひとみ)を見つめていた。 北米大陸の大部分のインディアンは先祖代々からの土地を奪われ、政府が指定した保留地に住まわされている。保留地は居留地とも保護地区とも呼ばれ、合衆国ではリザーヴェーション、キャナダではリザーヴと呼ばれる。 そこに住んでいるかぎり家賃も税金も取られず、最低生活はインディアン局が保障してくれるが、収容所に似たものだ。保留地を出て外に移ってもいいが、下層労働者としての職にしかつけないことがほとんどだ。無論、その場合、税金や家賃などの免除の特典は無くなる・・・・・・と聞いたことがある。「あなたも、サブ・マシーン・ガンを持っているところを見ると、何か特別な事情がありそうね。ねえ、一緒に逃げて・・・・・・お願い・・・・・・でも、わたしが一緒だと足手まといになると思っているのね?」「・・・・・・・・・・」「その心配は無用だわ。わたし、小さい頃からロッキーの山の生活に慣れているの。春にはエルクが移動したあとをたどって落角を拾い集めてブローカーに売る仕事をしているのよ。キャナダの国境を越えることもしばしばだわ。落角の付け根はウェスターン・ベルトのバックルになるし、角は粉にしてホンコンの人が回春剤に使うので、いいお金でブローカーが買い取ってくれるの。一シーズンで千ポンドも山からかつぎ降ろすこともあるわ・・・・・・それに、わたし、どんな木や草が食べられて、どれが毒なのかも知っている。薬草も知っているわ。勿論、罠(わな)も弓矢も銃もナイフも一人前に扱えるし、放牧の馬を捕まえるスピードだって男に負けないわ」「分った。俺もブリティッシュ・コロンビア州に用があるんだ。それに、君が見抜いた通り、俺はある敵を追っている。今はくわしくは言えないがな・・・・・・だけど、俺のほうも追われている。敵の組織は巨大だから、まともなルートでキャナダに入ることは出来ない」「じゃあ、わたしたちの利益は一致するというわけね」「そういうことのようだな」「白人がわたしたちインディアンを虐殺し、土地と食料のバイソンを奪って現在の合衆国を作ったことは、いまさらあなたに説明する必要はないでしょうね。インディアンのどうしようもない酔っ払いを見てたら、インディアンを偏見の目で見るようになるのも無理ないでしょうけど。もともとこの大陸はわたしたちインディアンのものだった。 白人政府は、わたしたちから散々に絞り取ったのにまだあきたらずに、インディアン皆殺し計画を実行しているの」「本当か?」「六〇年から七〇年にかけて全米のインディアンの人口は五十万人台から八十万人近くに確かに増えたわ。でも、その原因の一つは白人の男にインディアン娘が騙(だま)されて私生児が増えたからよ。 インディアンの人口増に恐怖を感じた政府は、強制的にインディアン女性に不妊手術を行いはじめたの。娘たちがちょっとした病気で保留地の病院に行くと、麻酔をかけて犯してから不妊手術をしてしまうんですから、犬猫よりひどい扱いね。七一年から今までに四十パーセント近くが無理やりに不妊手術をされてるの、学校では伝統的なインディアン語は禁止されているわ。 そんなところにもってきて、今度は十一もの反インディアン法案が連邦議会に提出されたの。それは、ウランをはじめとする地下資源の大半がインディアン保留地にあるのを白人の手に取上げ、日本のミナマータのチッソのような大企業が自由に保留地に進出できるように、これまで政府とインディアンとのあいだに交わされていたいっさいの協定を破棄して無効にし、保留地内でインディアンに認められていた狩猟や漁撈や小屋を建てる権利などをほとんど取上げ、特に公害の影響がすぐに露(あら)われる川ジャケの漁獲や販売は全面禁止にしようという無茶苦茶なものなの。それに、保留地でのインディアンの行政管理権も大幅に制限して、公害企業の言うがままの白人のインディアン局員に、工場建設や採鉱の許可権を与えようとしているわ。 わたしたちインディアンの有志は、来年の二月にも、ロスから首都ワシントンDCに向けて二千八百マイルを徒歩で抗議のデモ行進 “ザ・ロングェスト・ウォーク” を計画しているの。来年のデモには、キャナダのインディアンにも参加を呼びかけるわ」 エレーンは熱く語った。「分った。その話はあとでゆっくり聞かせてもらおう。今はともかく、ジムの死体と血と車を片付けてから暖炉の火と灯(あかり)を消すんだ。灯がついていると、誰かやってくる怖(おそ)れがある。明日は、シックス・ポイント・ランチの馬を無断拝借して出発だ」 片山は言った。 寝室の一つの戸棚を開き、隠してあった自分の荷物に手がつけられてないことを確かめる。 ジムのS・W三十八口径スペッシャルのリヴォルヴァーは、ホスルターと弾薬サックと共にエレーンに渡す。 エレーンは片山に背を向け、ジーパンのベルトを一度外してから、リヴォルヴァーを収めたホスルターと弾薬サックに通し、「ジムを知ってるの?」 と、尋ねた。「ああ、ちょっとな。それより、寝室の奥の部屋に、サンダース一家の猟用の服や用具を仕舞ってある戸棚がある。好きなものを択(えら)んどいてくれ。君にはちょっとブカブカすぎるかも知らんが、末っ子の “スキニー・ジョー”のならぴったりかもな」 片山は言った。 台所の床の上げ蓋(ぶた)を開いて、地下の工作室にジムの死体を隠す。ナイフを抜き、血と指紋を拭(ぬぐ)って暖炉の近くに吊るされている鞘(さや)に収める。落ちていた手錠は自分のベルトに吊るす。 エレーンは床の血を拭ったボロ布と、破られたブラウスを暖炉で焼いていた。尻の割れ目がジーパンの上からはっきり見える。 片山は今は吹雪となった屋外に出て、ジムのシヴォレー・ブレイザーを木造のガレージに仕舞う。 ロッジにも戻ると、エレーンは寝室の奥の部屋に行っていた。片山はトイレに入り、脈打つものを引っぱりだした。たった三こすりほどで溜まりきったものを噴出させる。どうせエレーンとのあいだに何も起らぬ筈はないから、その時たちまち失礼してしまったのでは面目ない。 その夜、片山が択んだ寝室にエレーンも入った。左右のベッドに分れて横になる。寒さに強いらしいエレーンが素っ裸でもぐるこむのがぼんやりと見える。片山の目は夜目が利(き)く点では狼(おおかみ)並みだ。 闇のなかで、エレーンは囁(ささや)くような声でアメリカ・インディアンの悲史と悲惨な現状を語った。「 あなたがこれまで会ったインディアンといえば、酒代をしつこくたかりに来たり、酔っ払って暴れたり、酔い潰(つぶ)れて道で眠りこけていたりする連中ばかりじゃなかった?」「そういう連中は珍しくなかった」「でも、ケン、あの人たちは白人のインディアン政策の犠牲者なのよ。人生に絶望しているのよ。政府からインディアン・リザーヴェーションに出される予算のほとんどは、人件費だとかさまざまな名目で白人の役人の懐(ふところ)に消えてしまって、インディアンの手に渡るのは、ほんのわずかしかないの」「ひどいな」「先祖から土地だけでなく、伝統文化まで奪われてリザーヴェーションに家畜のように押しこまれているインディアンの絶望をまぎらわせるものとなると安酒しかないの」「そいつはどうも・・・・・・」「アルコールの飲みすぎで見さかいがつかなくなった大人たちは、子供の前でも平気でセックスをするの。そんな大人の姿を見て育っているから、子供たちもアルコールに溺(おぼ)れ、乱交を何とも思わなくなるの。白人が持ってきたウィスキー一本の代償に身をまかせて父(てて)なし子を生むローティーンのインディアン娘は珍しくないわ」「そんなもんかな・・・・・・」「その上、インディアンの旧(ふる)いリーダーたちは、自分のことと自分の部族のことしか考えないから、全インディアンが力を合わせて立ち上がろうとは夢にも考えたりしないの・・・・・・わたしたち目覚めたインディアンの秘密会議の内容を白人に密告したりして・・・・・・昔のあの誇り高いインディアンが奴隷や家畜のような生活を強(し)いられてわたしには耐えられないわ」「そうだろうな」 適当に相槌(あいづち)を打ちながら、片山は再び勃〓(ぼっき)してくるものを握りしめた。明日の計画の打ち合わせているうちにいつの間にか眠り込む。 異様な物音で目が覚める。吹雪の音はやんでいた。精神病院の狂女が哄笑(こうしょう)しているような無気味な声だ。コヨーテの遠吠えだ。コヨーテと分ってはいても背筋がゾクゾクする。「畜生・・・・・・」 と、思わず罵(ののし)る。コヨーテの遠吠えは、次々にひろがっていった。 エレーンがベッドから滑り降りた。「怖(こわ)いの・・・・・・カイオーテと分っていても怖いの・・・・・・昔、峠(とおげ)で野宿していた時にあの狂ったような声を聞いた時は、怖くて死にそうだった」 と、毛布の上から片山に抱きついてくる。 毛布を引きむしった片山はエレーンの乳首を吸った。それはたちまち片山の口のなかで勃〓してくる。片山の背中に両腕を回してしがみつくエレーンのクレヴァスから蜜壺をさぐると、熱い洪水になっていた。 パンツを蹴り脱いだ片山の熱い鉄のようなポールは、熟しきったエレーンの蜜壺に吸いこまれた。エレーンの腰のバネは強靭(きょうじん)で、カズノコのような蜜壺のヒダは絶妙な収縮をくり返し、片山は声をあげそうになる。エレーンは片山の肩に歯を当てて声を殺していた。片山の腰は溶けそうだ。 午前二時までに二人は三度交わった。二人で毛布をかぶり、食料庫にあったリヴァー(レバー)・ソーセージとセロリとオレンジを貪(むさぼ)り食ってから、抱きあったまま眠りこむ。 (つづく)
2022年01月15日
'Rigging' Hampton Bays, New YorkPhoto by Darren Moore >前回 片山はそれから一週間を、ニューヨーク・ロング・アイランドの突端に近い避暑地ハンプトン・ベイズに見つけた空き別荘にひそんで過ごした。 背中の強度の打撲傷は内臓まで痛めつけていたが、その隠れ家の地下食糧庫から出した罐詰(かんづめ)を食ってはぶらぶらしている間に、激しい運動に耐えられるまでに回復した。 その別荘にあるTVやラジオは、さまざまな港や空港、それに街道などで、毎日数件の動機の分らぬ殺人事件が発生していることを伝えた。 TVに映る被害者の顔写真は、片山と似たところがなくもない。赤い軍団が、片山と間違えて誤殺したのであろう。 片山はロッキー山脈を馬の背に揺られてキャナダ入りすることを計画していた。キャナダに入ったら、キャナディアン・ロッキー沿いにセルウィン山脈やマッケンジー山脈にアプローチするのだ。 幸いなことに、キャナダのブリティシュ・コロンビア州やアルバータ州と接している合衆国西北部のモンタナ・ロッキーは、片山が米陸軍特殊部隊(グリーン・ベレー)の冬期山岳l訓練を受けた場所だ。 それに、片山がアフリカのプロフェッショナル・ホワイト・ハンターになってからは、アフリカが大雨期でシーズン・オフになる合衆国の冬には、コロラド州デンヴァー郊外に借りていた山荘から、コロラド・ロッキーやワイオミング・ロッキーだけでなく、モンタナ・ロッキーまでしばしば遠征して、大物猟(ビッグ・ゲーム・ハンティング)のテント生活を楽しんだものだ。 エルク大鹿(ワピティ)、黒熊(ブラッキー)、灰色熊(グリズリー)、ミュール鹿(ミューリー)、シーラス・ムース、ロッキー・マウンテン・ホワイト・ゴート、ビックホーン・シープ、プロングホーン・アンテロープ、マウンテン・ライオン(クーガー)といったところが、モンタナ・ロッキーやその近くのビッグ・ゲームだ。 片山はモンタナで、キャナダに持っていけば毛皮が高く売れるビーヴァーや大山猫(ボブ・キャット)を罠に掛けて、キャナディアン・ロッキー猟の費用を浮かしたこともある。ロッキー山脈の足や馬でしか通れぬトレールに国境検問所など無い。 つまり片山は、モンタナ・ロッキーからキャナディアン・ロッキーに入るについては土地カンと経験を持っているのだ。 問題は、ニューヨークからどうやってモンタナ・ロッキーにたどり着けるかだ。 傷が完全に癒(い)えた片山は、一週間のあいだにのびた口髭(くちひげ)と顎髭(あごひげ)をハサミを使って整えた。顔や手を染めていた褐色の染料はもう消えている。 車を出す前に歩いて古着屋に行き、大型ダッフル・バッグ一杯分の、猟用のグース・ダウンとウールのウエアを買った。靴屋(くつや)でラッセル・ダブル・ヴァンプ・ヴァイブラムのハンティング・ブーツと、フェルトのインナー・ライナーが入ったソーレルのマークVのスノー・パック・ブーツと予備のライナーも買う。サファリランドM三の防弾チョッキも買う。そのほか野外生活(アウトドア・ライフ)に必要な品を幾つか買った。 Russell Moccasin Co.( https://www.russellmoccasin.com/ )Double Vamp Hunter Boots Sorel( https://www.sorelfootwear.ca/ )Mark V 隠れ家に戻り、シティ・ライフに必要なウエアを捨て、凍結しにくいデルリン・ジッパー付きのキャンヴァス・バッグ二つにこれから必要になるものをまとめる。八ミリ・レミントン・ボルト・アクション・ライフル、M十六自動ライフル、ウージー短機関銃、分解したコマンドウ・クロスボウ、それに実包と矢と手榴弾を収めるには、もう一個の大型キャンヴァス・バッグを必要とした。 それらを、オンボロ・キャディラックに積み、隠れ家の近くのサウス・ハンプトン港に行き、高速モーターボートをチャーターした。 ニュージャージー州ロング・ブランチ港まで約七十マイル、次官にして約一時間半の運賃を三百ドル出すというと、船主兼運転手は大喜びした。なぜ自分の車で行かないのか、などと穿鑿(せんさく)はしない。 ロング・ブランチの小さな港に赤い軍団は網を張ってはいなかった。 タクシーに乗り換えた片山は、五マイルほど離れたイートン・タウンの町に行き、シヴォレー・カマロを盗んでインターステーツ・ハイウェイ八〇に向う。武器弾薬を詰めたキャンヴァス・バッグは助手席の床に置いていた。 東海岸と西海岸を結ぶ大陸横断の大動脈の一つであるI(アイ) −八〇は、ニューヨーク郊外とサンフランシスコ郊外を結んでいる。全長約二千八百マイルだ。 I(インターステーツ) −八〇は、ニューヨーク側から行くと、シカゴでI−九四が分れ、I−九四はウィスコンシン州トマーのあたりでI−九〇と分れる。 I−九四とI−九〇はモンタナ州ビリングで合体し、I−九〇の一本道となってロッキーを越え、西海岸のワシントン州シアトルに向うのだ。大陸横断のインターステーツには偶数、縦断には奇数のナンバーがつけられている。 イートン・タウンから五十マイルほど離れたニュージャージー州ロッカウェイ町郊外の、インターステーツ・ハイウェイ八〇から少し離れたところに広大なトラック・ストップがあった。片山が着いたのは昼食時であった。 駐車してある数十台のビッグ・リグ 十八輪トラックは、ディーゼル・エンジンを掛けっ放しにし、垂直排気管(スモーク・スタック)から薄煙を吐きだしている。 長距離輸送用のビッグ・リグは、通過する各州のナンバー・プレートを付けておくことが義務付けられている。 ヒーターを効かせたシヴォレー・カマロから降りた片山は、ペンドルトンの空色のウール・シャツとエディ・バウアーのグース・ダウン・ハンティング・ヴェストの上から、パイオニーアのダウン・ウェスターン・ジャックを引っ掛け、駐車中の十八輪トラックのナンバー・プレートを見て歩く。 そのなかには、ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルヴァニア、オハイオ、インディアナ、イリノイズ、ウィスコンシン、ミネソタ、サウス・ダコタ、ワイオミング、モンタナ、アイダホ、ワシントンの、ニューヨーク シアトル間の各州のナンバープレートを付けたトレーラー・トラックが二十台ほどあった。 そのトラック・ストップは、ドライヴァーズ・ラウンジ、レストラン、モーテル、給油スタンド、計量機、売店、コイン・ランドリー、シャワー室などがある典型的なものであった。ウェイトレスは無論、泊りのドライヴァーのベッドの相手をする筈だ。 片山は日本で言えば喫茶室のようなドライヴァーズ・ラウンジのロッカーに三個のキャンヴァス・バッグを仕舞い、シヴォレーをロッカウェイの町なかに乗り捨てた。タクシーでトラック・ストップに戻る。 トラック・ストップに盗難車を乗り捨てたのでは、市民バンド(シー・ビー)無線機で絶えず連絡を取りあっているトラッカーたちに、その情報がすぐ伝わるからだ。 トラック・ストップでレストランに入った片山は、コンソメとサラダ付きのスペア・リブのバーベキューとコーヒーを頼み、取締まりの情報を交換しあっているトラッカーたちに、「誰(だれ)か俺(おれ)をシアトルまで乗せていってくれる者はいないかい? 相棒の食費もモーテル代も払う上に、五百ドルを進呈する。俺は駆けだしの小説家だが、ビッグ・リグやトラック・ストップを舞台に使った小説を書いて一発当てようと思うんだ。助手の役も引受けるぜ。俺の名はデイヴって言うんだ。デイヴ・スパントン・・・・・・もっとも、俺が書いた本はさっぱり売れなかったから、俺の名を知っている者はここにはいないと思うがな」 と、ニヤニヤ笑いながら言う。「いま言った条件は本当か?」「五百ドル出すって?」 数人のトラッカーが尋ねた。「ああ、食事とモーテル代のほかにな。夜の女(ビーヴァー)のお代までは出せんが・・・・・・五百ドルは前金で払ってもいいぜ」 片山は言った。 トラッカーはフルに働いて経費抜きの年収は二万ドルぐらいだ。税金を引かれたあとの手取りは一万五千ドルぐらいだから、一日にすると五十ドルを切る。 だから十数人の応募者が殺到した。そのなかから片山な、穏やかな目をしたドン・マクレーガーというスコットランド系の三十二、三歳の男を択(えら)んだ。 ドンに五百ドルを渡して握手し、あぶれた連中に、「悪く思うなよ。今度どこかで会ったら一杯奢(おご)るからさ」 と、言う。 食事を済ませた片山は、ドンのポーク・ビーンズとアップル・パイの代金も払い、用を足すと、ロッカーから自分の三つのキャンヴァス・バッグを取出した。 ウェスターン・ハットをかぶってバッグの一つを持ったドンと共に、ドンのビッグ・リグに向けて歩く。 ドンのやつはコンヴェンショナル・フードのピータービルドであった。動力と運転部分のトラクターとトレーラーを連結しているドリー、俗に言うフィフス・ホイールのロックを確認したドンは、トラクターの運転席によじ登った。 運転台のうしろには、ベッドがついたスリーピング・コンパーメントがあり、ベッドの下が乗用車で言えばトランク・スペースとなっていた。 Conventional Food Peterbilt Youtube - Peterbilt 359 Bubbles8v92 Channel Trailer by Bubbles 8V92https://www.youtube.com/watch?v=wvqTK0tzl-Q ベッドの下に片山の三つのバッグを押しこんだドンは、ダッシュ・ボードから吊(つ)った空(から)のホルスターに、ベルトに差してあったS・W三五七マグナムのリヴォルヴァーを収めた。 片山は助手席に腰を降ろしたが、運転席とちがってクッションはひどく悪い。C・B(シチズン・バンド)のスウィッチを入れたドンは、通過各州の通行ライセンスや積み荷伝票などさまざまな書類を入れたケースをグローヴ・ボックスに入れると、ハンド・ブレーキをゆるめた。 ビッグ・リグには主変速機と副変速機がついている。エンジンのパワー・バンドが狭い上にトレーラーの重量が大きいからだ。しかも、シンクロがついてないから旧式のバスのように、シフト・アップの時でもダブル・クラッチを踏む必要がある。 副変速機をアンダー・ドライヴ、ダイレクト、オーヴァー・ドライブと動かしてはメインギアをシフト・アップしていき、制限スピード五十五マイルの十数車線のI(インターステーツ)−八〇を六十マイルで走りはじめると、ドンは重い口を開いた。 ヴェトナム戦争が終ってから除隊し、ニューヨークの大きな運送会社で働いたが、二年前に独立し、月賦でこのトラクター・トラックとトレーラーを買ったこと・・・・・・このピータービルトのターボ・チャージャー・ディーゼル・エンジンは四百馬力で、平地の最大速度は満載時でも八十マイル強は出るが、全国一律の五十五マイル・スピード制限で、コンヴォイを組まないかぎり滅多にトップ・スピードを出せないこと・・・・・・いま運んでいるのはニューヨーク港に着いたスウェーデン製の高級家具で、四日後にシアトルに着く予定であること・・・・・・無理をすれば三日でシアトルに着いてまた三日でトンボ返りすることも出来ぬことは無いが、痔(じ)を悪くして廃業したくないし、下手(へた)するとスピード違反の罰金のほうが高くつくから、そんな馬鹿なことはやりたくないこと・・・・・・家はシアトルにあって、妻とまだ小さな二人の息子がいること・・・・・・などをしゃべり、妻子の写真を見せる。 その間にもC・Bバンドからは、トラッカー仲間の声が、警察の取締まりや事故渋滞などの情報をスラングを使って伝えてくる。「俺もヴェトナムで戦った。親父はスコットランド系だ。女房と子供たちは事故で殺された」 片山は言った。助手席に伝わる震動は激しく大型ヴァイブレーターの上に坐っているようだ。「気の毒に・・・・・・」「赤い軍団という商業テロ組織が、ハイウェイで検問をやっているという噂(うわさ)があるが?」「奴等が赤い軍団と言うのか? でも、ビッグ・リグには手を出さない。俺たちはC・Bラジオで連絡を取りあって、たちまち数百台が束になって向っていくから 」 ドンはダッシュ・ボードから吊った拳銃のホルスターを叩き、「もっとも、イリノイズ州では拳銃を隠しておかないと・・・・・・見つかったら罰金をとられるからな。そんな時に、赤い軍団とかが検問で俺たちを停(と)めようとしたら体当たりしてやる。車には保険が掛けてあるし、仲間で口裏を合わせたら、こっちからぶつかっていったとしても保険金が取れる」 と、言った。 片山はそっと安堵(あんど)の溜息(ためいき)をついた。 五、六十マイルごとの非常退避帯に五、六台のスポーツ・タイプの乗用車が停まり、パリにいた頃の片山の顔に似た男が運転する乗用車やピック・アップなどが通ると猛然と追いかけ、その車の前後左右から挟(はさ)んで停車させていたが、ビッグ・リグには手を出さなかった。 三日後、片山はモンタナ州スリー・フォークスの町で、痔痛に耐えられなくなったという口実を使ってドンのトラックから降ろしてもらった。 五百ドルは割引かなくていい、と片山が言ったし、チップとしてさらに五十ドルを払ったので、ドンは片山の病状を口では心配しながらも、上機嫌(じょうきげん)で去っていった。 スリー・フォークスは、グリーン・ベレーの冬期訓練基地があるフォート・ハリソンの近くで、ロッキー山脈はすぐ近くに迫っているが、モンタナ州ではかなり南に位置している。 片山はその町の自動車屋で、外観はポンコツ同然のダットサン・ピックアップを五百ドルで買った。日本とちがって、ここでは車の売り買いに面倒なお役所関係の手続きはほどんと要らない。自動車屋に架空の住所を告げ、偽名をサインして、車の代金とナンバー・プレート料という税金を払うだけだから、三十分もかからずにその車は片山のものになった。 ビッグ・リグに乗せられた初日は片山の尻(けつ)が痛くなったのは事実だが、そのあとはショックに慣れて痛みは感じなくなっていた。 ダットサン・ピックアップを運転する片山はステート・ハイウェイを避け、田舎(いなか)道を北に向った。エンジンのパワーはかなり落ち、ショック・アブソーバーも弱っているが、オプションのリミテッド・スリップ・デフはまだよく効く。 Datsun Pickup Truck Youtube - Rat-a-Dat Double Datsun: Two Nissan/Datsun Trucks In Oneby WasabiCarshttps://www.youtube.com/watch?v=g-7c4ioofdY 片山は内側が防水処理されている二つのキャンヴァス・バッグは荷台に乗せていたが、武器弾薬を入れたキャンバス・バッグ これもウォーター・プルーフだ は助手席の床に置き、ジッパーを開いてすぐに中味を取出せるようにし、その上からフロア・マットをかぶせてあった。 モンタナ州のほとんどは、すでにビッグ・ゲームの狩猟シーズンがオープンしていた。モンタナにはナショナル・フォレストやナショナル・パークが多いが、国立公園だといっても禁猟区でないところがほとんどだ。 州都ヘレナの南側は広大なヘレナ・ナショナル・フォレストで、東側はルウィス・アンド・クラーク・ナショナル・フォレストの一つだ。 モンタナにはルウィスとクラークの名を冠したモニュメントが多い。百七十年ほど前にルウィスとクラークの探検隊が踏破したトレイルは、現在もかなりの部分が保存されている。 一八〇三年、ナポレオン皇帝は、さまざまな事情から、当時はルイジアナ・テリトリーの名で呼ばれていた〝蛮地〟、つまりミシシッピー河の西の、現在の合衆国中西部を千五百万ドルで米国に売り飛ばした。 だが、トーマス・ジェファースン大統領政権下の米政府は、西部を買ったものの西部についてはほとんど知らなかった。 ジェファースンは、かねてからその目的のために秘書として傭(やと)っておいたメリウェザー・ルウィスと、ルウィスの友人のウィリアム・クラークの両軍人をリーダーとする探検隊を結成させ、〝ルイジアナ〟の〝蛮人〟たちに、そこが米国領となったことを知らしめると共に、ミズーリーの主要支流の気候、動植物や地下資源、地形、インディアンの各部族の調査などを命じた。 まだ白人でロッキー山脈を見た者はいなかったが、インディアンから伝わってくる話で、そこに大陸分水嶺(コンチネンタル・ディヴァイド)があることは予想されていた。 ジェファースンは、ミズーリー河のロッキーのコンチネンタル・ディヴァイドの向う側でコロンビア河に変って太平洋に通じていると思っていた。コロンビア河の存在は、その十年ほど前に、米国船〝コロンビア号〟の太平洋航海によって発見されていたのだ。 だからジェファースンはルウィス・アンド・クラーク隊に、ミズーリー河を遡上(そじょう)して、大陸分水嶺でほんのちょっとだけ船を陸路運搬(ポーテージ)させてコロンビア河に移す連水陸路の発見を命じた。 大陸横断の水路が発見されたら、東洋の商品は太平洋側から楽に東部に運ばれ、その経済的価値は計り知れないほどのものがあるからだ。 探検隊はセントルイスからミズーリー河を遡上したがロッキーに近づくにつれ、激流や大滝にさえぎられ、船を陸から曳(ひ)いたり、かついで運んだりしなければならなかった。 カヌーや陸路で西進を続けた一行は、モンタナ・ロッキーにミズーリーの水源を発見した。やはり、ミズーリーは西海岸に通じてはなかったのだ。 途中、一行は凶暴な灰色熊(グリズリー)に襲われたり、マンダンやスーやブラック・フィート等の剽悍(ひょうかん)なインディアンに遭遇した。平原はバッファロー(バイソン)、山間の草地(メドウ)はエルク大鹿(ワピティ)、山はバナナ・ホーンのビッグホーン・シープに満ちていた。 探検隊が傭ったハンター兼ガイドの一人のインディアン妻が、ロッキー出身で幼い時に他の部族にさらわれて中部に連れてこられた、ショショーニー族のサカジャウイラといった。 サカジャウイラの存在のせいもあって、探検隊がインディアンと戦闘状態に入ったのはただ一回きりという幸運さであった。 Sacagawea also Sakakawea or Sacajawea Youtube - The true story of Sacajawea - Karen Mensing by TED-Edhttps://www.youtube.com/watch?v=PnT0k9wdDZo 食糧も尽きかけた偵察(ていさつ)分隊がそれとも知らずに大陸分水嶺(ザ・ディヴァイド)を越えると、西方にはまた雪をかぶった高山が幾重にも連なり、大陸連水陸路はとうてい無理と分った。 途方に暮れている偵察隊はインディアンの騎馬隊に包囲され進退きわまった。 だが彼等はサカジャウイラの兄が酋長(しゅうちょう)になっていたショショーニー族であった! ショショーニー族に馬とガイドをつけてもらった本隊は、九月の雪のロッキーのビター・ルートとロロ・パスを十日かかって越え、艱難(かんなん)辛苦の末、スネーク川からコロンビア河を通って太平洋に達し、越冬してから、行きとちがうルートで再びロッキーを越えて東部に生還することが出来たのだ。途中で倒れた犠牲者は一人に過ぎなかった。 このルウィスとクラーク隊の遠征によって、大西部への東部人の大移動の口火が切られたのだ・・・・・・。 片山がいまオンボロ・ダットサンで北上しているあたりの森の樹木は、高原とはいえ山脈の標高には達してないから、杜松(ジュニパー)、ピンヨン松(パイン)、ジェフリー・パイン、枝が垂れさがっているジャック・パイン、マウンテン・マホガニー、ダグラス樅(ファー)、栂(ヘムロック) 米松(べいまつ)と誤って呼ばれているツガ(スーガー) 、針樅(スプルース)などが多かった。 地面には落葉のあいだから、さまざまなキノコが顔を覗(のぞ)かせていた。十キロ以上もあるカリフラワー・マッシュルームや松タケそっくりの外観をしたキング・ボウリタスなど、北米大陸には数千種の食用になる野生キノコ(ワイルド・マッシュルーム)があるが、ほとんどの西部の住人は、ワイルド・マッシュルームを敬遠して食卓にはのせない。毒キノコのなかには、いい匂いがして食ってもうまいし、動物が食っても平気なのに人間が食うとやられてしまう種類が少なくないので、開拓時代に毒キノコで倒れた先祖を持つ西部人は、キノコ狩りに怖(お)じ気(け)をふるう者が多い。 森にしばしば銃声が響き、灌木をかいくぐって、ホワイト・テイルの裏白尾を立てた鹿や、ラバのように長い耳のミュール鹿が跳(と)びだして道を横切る。 立派な角のトロフィー級の牡(バック)は巧みに隠れているらしく姿を見せない。土地の人間は牝(ドウ)も食料用として一人一匹だけ射つことを許されているから、少年や老女が運転する車もみんなライフルを積んで、食肉探しに血まなこだ。日本で言えばキノコや松タケ狩りか栗拾いの感覚だ。食料庫に鹿がぶらさがっていないことには、十一月の第四木曜日のサンクスギヴィング・デイの格好がつかない。 七十マイルほど走り、州都ヘレナの脇(わき)をそれてグレート・フォールズのほうに北上を続ける。森がなくなり、左手のロッキーまでと見渡すかぎりの右手は、起伏に富んだ大平原だ。 セイジ・ブラッシュやヒエのようなブローム・グラス、ホイート・グラス、ブルー・グラスなどがまばらに生え、ポプラ科の太いコットン・ウッド・ツリーが木陰を作っている。 まさにビッグ・スカイ・カウントリーではあるが、牧草地と水を争って銃で闘い取ってきた国だけに、牧場という牧場は丘の上まで鉄条網が張りめぐらされ、ゲートだらけだ。ゲートと道路のあいだには、鉄パイプを組合わせて、人間や車は通れるが牛が脱走しようとしても脚(あし)を突っこんで動けなくなるキャトル・ブレークがもうけられている。 土煙をあげて通りすぎるトレーラー・トラックのほとんどは、四角にまとめた家畜の餌(えさ)の乾(ほ)し草(くさ)を積んでいた。土地は広くても雨が少ないために牧草はすぐに食い尽くされ、乾し草は高価なのだ。 牧場には、耳にナンバーを書いた赤いプラスチックの札を打ちつけられた黒いアンギス種の肉牛が目立つ。 クジ引き制のためになかなか狩猟許可がとれず、さらに牧場主の許可も必要とするために、道のすぐ近くでプロングホーン(エダツノ・レイヨウ)の群れを見ることもある。しかし、立派な角を持つトロフィー級の牡(バック)は、無論、用心深いから道からは見えない。用心深いから角を立派に発達させる年まで生きのびることが出来るわけだ。 コヨーテ(カイオーテ)の姿も牧場内に見える。狼(おおかみ)は走る時に尻尾(しっぽ)を真っすぐにうしろにのばすが、カイオーテは尻尾を垂らして走るから、遠くからでも見分けることが出来る。 グレート・フォールズ市に近づくと、ミズーリーの流れと、ルウィス・アンド・クラーク隊を悩ませた幾つもの大瀑布(ばくふ)を見ることが出来た。滝の轟音(ごうおん)は遠くからでも聞こえる。 東西約五マイル、南北約三マイルの中規模の町だが、品質が高い品を置いてある店が多いグレート・フォールズで、最後の幾つかの必需品を買い、郵便局に行って、ロスに向けて三通の書留め郵便(レジスタード)を出した。宛先は片山を傭った組織の連絡所で差出し人の名はジャック・ジョンスンという名を使う。内容は片山が合衆国に来てから知りえたことの暗号報告書だ。 危険を冒してレストランに入り、片山にとって文明世界で最後になるかも知れぬ早めの夕食をとる。 若い牡牛を去勢する時に抜取る睾丸(こうがん)のコロモ付きフライは、モンタナ・オイスターという名前の通りに、海の牡蠣(オイスター)とよく似た味だが、もっと濃厚だ。厚切りのフランス・パンの切り口に擂(す)り潰(つぶ)したニンニクをまぶしてオーヴンで熱したガーリック・トーストはニンニクがあまり好きでない片山にもうまく食える。 ディスコを兼ねたバー・ラウンジでは、カレッジの男女学生が、飲んだり踊ったり軽食をとったり、友人から借りたノートを写したりしている。うまそうな女の学生が多く、片山は下腹が熱くなってきたが、この町にも赤い軍団の網がすでに張られているかも知れないから早々に出発する。 中世のオランダ農民のような格好をし、現代文明を拒否しているエイミッシュの人々の馬車とすれちがう。農薬を使わない彼等の野菜や、放し飼いにしている彼等の鶏やその卵は味がいいので結構な値で売れる。 西へルートをとり、ロッキー山脈に向った。まだ日暮れにはかなり時間があった。近くの民間空港やマルムストーム・ミサイル基地から飛びたったジェット機の飛行雲が澄みきった大空に長々とのびている。 昔、このあたりにバイソン(アメリカン・バッファロー)が満ちていた頃、バイソンの皮をかぶったインディアンの勇者がバイソンの群れを崖(がけ)の縁(ふち)におびき寄せ、騎馬の仲間がその群れを暴走させて崖から大量に墜落死させていたデスク・ロックの丘の脇を過ぎ、西部映画に出てくるスモール・タウンそっくりの、人口三百のオーガスタの裏通りを抜ける。標高三千五百フィートだ。 舗装が切れると、その砂利道をはさんで町の反対側がサン・リヴァー禁猟区になっているので、禁猟区から跳びだしてくる白尾鹿を射とうと女性たちが車を停め、赤いチョッキをつけて待ち構えている。車のほとんどがフル・タイムの四輪駆動車でハイ・ロックとロー・ロックがついたオートマチックだ。 走り過ぎる片山のピック・アップを銃弾が次々にかすめ、片山は反射的に助手席のキャンヴァス・バッグから短機関銃を摑(つか)み出した。 しかし、バック・ミラーで見ると、三人連れの中年女が、道路に飛びだした、まだ枝分れしてない一本角(スパイク)の白尾鹿に乱射した銃弾が、誤って片山の車のほうに飛んできたものと分った。 道路を越え、柵(さく)を身軽にジャンプして町寄りの牧場に跳びこもうとしたその鹿は、右のうしろ脚に偶然にも命中弾を受け、着地した瞬間にもんどり打つ。 跳ね起き、折れた脚をブラブラさせながら逃げはじめるその鹿に七、八発が浴びせられたが鹿はブッシュのなかに逃げこんだ。 (つづく)
2022年01月08日
The Bronx. Manhattan. NY 1978Photo by Manel Armengol / Archivo >前回 七ブロックほど歩き、〝アミーゴ〟という名の大きなバーに入る。ジューク・ボックスがラテン音楽を流すその店に入るのは、店側の人間も客もみんなプエルトリコ人のようであった。 カウンターのスツールに浅腰を降ろした片山は、ラム酒を熱湯で割ったホット・グロッグをちびりちびりと飲む。 プエルトリカンは人なつっこい男が多いから、左右の男たちが話しかけてきた。 片山は、数十年間もC・I・Aのダミーである殺人狂一家が独裁を続けている中南米のアホラグアから、少年時代に父母に連れてこられてこの国に逃げてきた、と英語と下手(へた)なスペイン語を混えてしゃべった。 スペイン語もほとんど忘れるほどになったのに、この国では人種偏見のせいでまともな職につけない。祖国に革命でも起ったら飛んで帰りたいが、C・I・Aがあるかぎり革命は無理だろう、とぼやいてみせる。「俺(おれ)たちだって、好きでこんな寒いブロンクスに住んでるわけじゃない 」 右側の白人の血が濃いプエルトリカンが、Rの発音が強い尻上がりのラテン訛(なま)りの米語をまくしたてた。「確かに俺たちの祖国プエルトリコは、昔から物質的な面では豊かとは言えなかった。しかし太陽は輝き、贅沢(ぜいたく)さえ言わなければ、日々食いものを手に入れるために、そうアクセク働く必要はなかった。ヤシやバナナの木が十本ずつもあれば飢えずに済んだし、カヌーでちょっと海に出たら、腐るほど魚が獲れたんだ。 ところがアメリカが戦争で俺たちの祖国をブン取ってから、消費の悪徳を教えやがった。ベルト・コンヴェア式の工場を次々におっ建てやがって、同胞を奴隷のようにコキ使った。合衆国だったらとても建てることを許されない公害企業を俺たちの祖国に移して、木を枯らし魚を殺した。 だから俺たちはプエルトリコをプエルトリコ人のものにする独立運動の闘士のシンパなんだ。だけど合衆国はすでにプエルトリコに莫大(ばくだい)な資本を投下しているし、キューバに睨(にら)みをきかせる広大な軍事基地から撤退する積りはさらさらない。それに、俺たちの祖国の安い賃金や安い原料は合衆国の資本家やそのダミーの総督一族にとって大いに魅力なんだ」「なるほど、あんたも、ホット・グロッグをどうだい? あんたのほうは?」 片山は右側の男と、黒人の血が濃い左側の男の二人に尋ねた。「どうせ払ってくれるなら、俺はストレートのダブルをもらおう」「俺もだ」 二人の男は答えた。 片山はバーテンに奢(おご)り分の代金を払った。 左側の男はバーテンがよこしたグラスのラムを一気に喉(のど)に放りこみ、火のような息を吐くと、「ここ数年ニューヨーク、特にブロンクスに続いている放火や爆破事件は、はじめは確かにプエルトリコ独立運動の過激派のデモンストレーションだったということにしておこう。 あんたはサツのスパイでないと思うから・・・・・・友達(アミーゴ)だと信じたいから言うが・・・・・・そのあとはF・B・Iや市警の囮(おとり)が過激派を炙りだすためにやってるんだ。 そのうちに、老朽化した上に色々な騒ぎで借り手が無くなったビルの持主が、ビルをスクラップ化して保険金をせしめるために、チンピラに金を払って放火させた。 銃撃戦のほうも、はじめに手を出したのは過激派か知らんが、この頃はF・B・Iや市警のほうから仕掛けてくる。 だから自衛上、こっちも射ち返すんだ。俺たちプエルトリカンを追い出そうとするF・B・Iや市警の、捜査に名を借りた強引すぎる嫌(いや)がらせにアタマにきて、パトカーや私服を見つけ次第ブッ放すアミーゴもいるがな。 ビルの放火や爆撃の話に戻るが、この頃は大資本家・・・・・・白い巨大起業家と呼ばれている連中が俺たちのうちの恥知らずを使ってやらせている。廃墟のサウス・ブロンクスを安く買い叩いてから、俺たちを追い出し、白人だけの御立派でモダーンなモデル都市にする計画だとさ」「その大企業のうちで一番派手にやってるのは?」 もう一杯、ダブルのラムを奢った片山は尋ねた。「ジャクスン不動産だ。社長の名は知らんが、いろんな銀行を持ってるという話だ」 男はあっさりと言った。 その時、バーの近くで、拳銃や散弾銃、それに自動ライフルの銃声が激しく交錯した。流れ弾の唸(うな)りまで聞えた。 ラテン・ミュージックに合わせて踊っていた連中も化石したようになる。片山の左の男が拳銃をポケットから出してバーテンの一人に渡した。バーテンはそれを、ゴミ箱の底に突っこむ。 多勢の足音がバーに殺到し、ドアが蹴(け)り開かれた。市警の制服の警官三人を混えた十人の男が店に踏みこみ、戸口の近くに一列に並んだ。拳銃を構えている私服もいるし、銃身を短く挽き切った散弾銃を腰だめにしたり、M十六ライフルを胸に抱えている防弾チョッキ姿の俗称スワット 特殊武装作戦部隊(スペッシャル・ウィーポンズ・アンド・タクチックス・チーム)など州や市によって正式名称は色々ある の狙撃手もいる。 IMFDB.com - High Standard Flite King Shotgun Serieshttp://www.imfdb.org/wiki/High_Standard_K-1200_Riot_Deluxe_Shotgun Winchester Model 1912 - Riot Gun - 12 gaugehttp://www.imfdb.org/wiki/Winchester_Model_1912 Youtube - Model 12 Winchester by hickok45https://www.youtube.com/watch?v=6bsJZO4zti0 「F・B・Iだ! 俺たちを狙い射った馬鹿がこのバーに逃げこんだ。みんな床(ゆか)に伏せろ。壁の近くの野郎は、壁に向って手を突け!」 葉巻を横ぐわえにした中年男の白人が、手帳のバッジを左手で示しながら怒鳴った。「無茶な! 銃声が聞えてから、誰もここに入ってきた者はいない」 チーフ・バーテンが叫んだ。「つべこべぬかすと、二度とこの店が開けないようにしてやるぜ」 F・B・Iの分隊長は、天井のミラーボールの一つを右手の拳銃で射ち砕いた。四四マグナム実包だったので銃声と衝撃波は凄(すさま)じく、砕けたミラー・ボールの破片を浴びた客が悲鳴をあげる。 客たちも従業員も、床に身を伏せたり、壁に両手を突いたりした。革コートのボタンを素早く外していた片山は、ゆっくりとスツールから降りた。「死にてえのか、リコ野郎!」 分隊長は片山にS・Wマグナム拳銃の銃口を向けようとした。 片山は百分の数秒でも節約するために、腰のホルスターのG・Iコルトには、薬室にも装塡(そうてん)してあった。 G・Iコルトには把式安全装置(グリップ・セーフティ)がついているから、親指で押し下げる安全弁の安全性については信頼出来ないとしても、撃鉄をハーフ・コックにしておけば、暴発の可能性は非常に少ない。 片山は腰を軽く落し、上体をうしろに反らせながら右手を閃(ひらめ)かせた。目にもとまらぬ早さで抜きながら親指で撃鉄を起したG・Iコルトを、片山は続けざまに七発速射する。 あまりにも速射のスピードが早いので、銃声は二発分しか聞えない。しかも、その間に片山は次々に狙いを変えているのだ。 速射しながら左手でベルトのサックから予備弾倉を取出した片山は、G・Iコルトの薬室に実包がまだ一発残っている間に、空になった弾倉を弾倉室から抜き捨て、予備弾倉を插入(そうにゅう)した。 その時、左胸に激しい着弾のショックを受けてよろめいたが、素早く立ち直って速射を続ける。 捜査側の男たちは、二秒のあいだに、みんな顔面を四十五口径弾に射ち砕かれて転がった。 射ち返してきた男もいたが、パニックに襲われていたために片山を外れ、客や天井に射ちこんでいる。 捲(ま)きぞえをくらって一番気の毒な目に会ったのは若い二人の女で、銃身を挽き切って至近距離でも散弾のパターンが大きくひろがる散弾銃のライアットガンから放たれたバック・ショットを数粒くらって頭蓋骨の上半分がドンブリのように開いている。 片山は左胸の心臓部の近くに弾痕(だんこん)があいた革コートをちらっと見てから、捨てた弾倉を拾い、ポケットから出した四五口径ACP実包を七発素早く詰めた。 拳銃の弾倉室から、実包が四発残っていた弾倉を抜いて、三発補弾する。 拳銃を腰だめにし、死体をまたぎ越えてバーの戸口に向う。「待ってくれ、アミーゴ! カマラード!」 F・B・Iが踏みこんでくるまで、カウンターのスツールで片山の横にいた黒人系のプエルトリコ人が叫んだ。「グッド・ラック、アミーゴ!」 片山はF・B・Iの分隊長の死体の頭を蹴(け)とばして脳を飛び散らせてから表に出た。 このバーの客にはF・B・Iや赤い軍団のスパイや情報屋もいるだろうし、射ちあいの捲きぞえでプエルトリコ人を何人も死なせてしまったのだから、片山としては逃げるほかない。 遠回りしてジョン・マンソン・アンド・サンズの廃墟(はいきょ)のビルに戻った片山は、灯(あかり)が外に漏れない地下室で、ボール・ペン型の懐中電灯を使って、防弾チョッキを調べてみる。 片山に命中したのは口径三十八のS・Wスペッシャル弾のようであった。特殊繊維の十数枚目のあいだで平べったく潰(つぶ)れている。そして、片山の左胸は、直径十センチほど薄い青痣(あおあざ)になっていた。 その夜、片山は一〇二七号室で、スリーピング・バックのサイド・ジッパーを開いたまま、ウージー短機関銃を手許(てもと)に置き、鎮静剤を飲んで眠った。 夜が明けたが、襲ってきた者はいなかった。痛みは一夜の眠りでほどんど去っていた。 バックパッカー・ストーヴを使ってバターを敷いたフライパンでライ麦パンをフライしたフレンチ・トーストと、乾燥(かんそう)プラムを水で戻したものを朝食にとった片山は、ひと休みすると、背もたれが壊れて外れた椅子に腰を降ろした。干肉(ジャーキー)をかじり、乾燥天然ジュースを水で溶いたもので喉(のど)を湿しながら、スポッティング・スコープの焦点をジャクスン不動産ビルの玄関に合わせ、出勤してくる連中を偵察(ていさつ)する。首と背中が硬(こわ)ばってきた。 いきなり射たれた。 四四マグナム拳銃弾の轟音(ごうおん)と共に背中の右側に一発くらった片山は、スポッティング・スコープの接眼鏡の保護ゴムに眉(まゆ)をぶっつけながら前に突んのめって、椅子から転(ころ)げ落ちそうになる。スポッティング・スコープが三脚ごと倒れた。 激しい着弾のショックに肺じゅうの空気を絞り出され、意識が途切れそうになりながらも、片山は右手を腰の拳銃に走らせようとした。 続けて、一秒間に二発、三発、四発、五発と背中にくらい、壁に額をぶっつけて転がる。何とかして抵抗しようとあせるが、着弾のショックで体が痺(しび)れてしまって、うまく拳銃が抜けない。 やっと抜いた時、走り寄ってきた男によってG・Iコルトは片山の右手からあっさりと奪われた。 別の二人の男が、まだ体が痺れている片山から革コートを脱がせ、防弾チョッキも脱がせる。体じゅうをさぐってほかの火器を持ってないか調べる。ブーツ・ナイフが発見されたが、彼らは鼻で笑って、刃物など問題にしない。 背中側が孔だらけになった防弾チョッキと、これも孔(あな)だらけの革コートを持って、二人の男は部屋の入口近くの簡易バリケードの前に戻った。防弾チョッキと革コートを捨て、腰の拳銃の銃把(じゅうは)に軽く手を添える。 簡易バリケードの、人が一人通れるだけの隙間(すきま)の前に、鬼気迫る雰囲気(ふんいき)を発散させた四十歳ぐらいの長身の男が、S・W四四マグナムのリヴォルヴァーを右手で腰だめしていた。足許に、輪胴(シリンダー)弾倉から抜き捨てた四四マグナムの空薬莢(からやっきょう)が六個転がっている。 IMFDB.com - Smith & Wesson Model 29 chambered in .44 Magnumhttp://www.imfdb.org/wiki/Smith_%26_Wesson_Model_29 片山は物凄(ものすご)い苦痛を覚えてはいたが、カーッと体内を走りはじめたアドレナリンのせいで、意識ははっきりしはじめ、眼の霞(かす)みも去り、運動神経が甦(よみがえ)ってくるのを知る。 四四マグナムを腰だめにした長身の男は、削げたような頬(ほお)と、洞窟(どうくつ)の奥で燃える鬼火のような眼を持っていた。薄い唇(くちびる)を真一文字に結んでいる。凶々(まがまが)しいその男は、〝コヨーテ〟こと、ブライアン・マーフィ・・・・・・赤い軍団の参謀本部長であり、ダヴィド・ハイラルのボディ・ガードだ。「俺を追ってるようだな? だけど、俺のほうが貴様を追いつめた。ケネス・マグドーガルさんよ。ケンと呼ばせてもらおうか?」 ライアンは陰惨な声を出した。「〝カイオーテ〟だな? ダヴィド・ハイラルは、いまどこにいる?」 片山は嗄(しわが)れた声で言った。「こいつは驚いたぜ・・・・・・」 ブライアンは地獄の奥から聞えてくるような笑い声をたて、「防弾チョッキをつけてたとはいえ六発も四四マグナム弾をくらったんでは、普通の男なら肋骨(ろっこつ)がバラバラになってるところだ。それだのに、俺を尋問しようなんて見上げた根性だぜ。二人とも、ケンのしぶとさをちょっとは見習ったらどうだ」 と、左右の男たちに素早く視線を走らせる。「パリの食料品デパート・フォルチンの爆破を指令したのは貴様か?」 片山は苦しげな声を絞りだした。「デパート・フォルチン? フォルチン・・・・・・フォルチンか?・・・・・・どれぐらい前のことだったかな。そうそう、あの爆破であんたの可愛い女房とジャリがくたばったそうだな。気の毒なことだった。もっと美人の女とさっさと再婚でもしたら、こんなことにはならなかったろうにな。貴様が古女房とガキどもに恋々としたのが、お互いにとって不幸だった。貴様にも我々の軍団にもな」 ブライアンは冷たく言った。「デパート・フォルチンに実際に爆弾を仕掛けた野郎は誰なんだ?」「こいつはますます驚いたな。これから、どうやって仇(かたき)をとろうっていうんだ? だけど、地獄への土産に教えてやる。あのデパートに爆弾を仕掛けた兵卒は、西ベルリンの新聞社を爆破する時、逃げ遅れて粉々になってしまったぜ」「そうか・・・・・・それを聞いて、ちっとは気が晴れた。だけど、奴に指令を与えた貴様も、貴様のボスのダヴィド・ハイラルの野郎もまだ生きている」 片山は吐きだすように言った。「こいつは面白い。俺と勝負しようと言うのか? だが、貴様の拳銃(ハジキ)は俺の手にあるんだぜ?」 ブライアンは再び陰々と笑った。「・・・・・・・・・・」「貴様のガンさばきは早い。それに正確だ。俺はそのことを率直に認めよう。昨日の夜も、F・B・Iや市警の馬鹿どもを、あっと言う間にやっつけたそうだな。 俺も早射ちには自信がある。だけど、貴様のようには早くないと認めざるをえない。そこで、フェアな勝負をやってみようと思う」「フェアな勝負? 同時に抜くのか?」「馬鹿な。俺がそんなに甘い男に見えるか? 貴様のG・Iコルトは、薬室からも弾倉からも実包を全部抜いておいてから遊底(スライド)を閉じ、弾倉に一発だけ装塡して貴様に渡す。薬室は空だ。貴様がホルスターにそのハジキを戻す前にスライドを引いて弾倉の一発を薬室に移そうとしたら、俺は遠慮なくブッ放す」「・・・・・・・・・・」「俺のリヴォルヴァーのシリンダー弾倉には六発詰まっている。俺は撃鉄を起し、抜いたらすぐ射てる状態にしてホルスターに戻す。俺の 〝ゴー〟の合図で、二人ともハジキを抜いて射ちあうんだ」 ブライアンは薄い唇の両端を吊(つ)り上げた。「それがフェアな勝負だと言うのか? これは殺人だ。恥を知れ、カイオーテ!」 最後のチャンスがやってきた、と思いながらも、片山はわざとヒステリックな声を張りあげた。「恥を知れだと? 貴様だって無抵抗な男を大勢殺した。それから見ると、この勝負は、フェアもいいとこだ」「俺は怪我(けが)をしていて体を自由に動かせない」「泣きごとはよせ。さあ、はじめるぜ。まず片膝(かたひざ)をついて上体を起せ」 ブライアンは酷薄な表情で命じた。 片山は顔をしかめ、呻(うめ)き声を漏らしながら、ブライアンの命令にしたがった。 ブライアンが左側の男に片山のG・Iコルトを渡した。 ヘヴィー級のボクサーのような体つきと潰(つぶ)れた耳を持つその男は、G・Iコルトからまず弾倉を抜いた。弾倉を口にくわえ、G・Iコルトの遊底(スライド)被を手で引いて銃身後端の薬室に入っていた四十五口径実包を抜き捨てる。遊底を空(から)の薬室に閉じた。引金を引いて撃鉄を倒す。 IMFDB.com - M1911 pistol series - M1911A1http://www.imfdb.org/wiki/M1911A1#M1911A1 Youtube - Shooting the World War II Colt 1911A1 45ACP pistol by capandballhttps://www.youtube.com/watch?v=GvQWGKxYujs 次いで、くわえていた弾倉を左手に持ち、太い親指で弾倉内の実包を次々に抜き捨てる。弾倉が空になったことをブライアンに見せ、コンクリートの床に落ちていたドングリのような実包を一発拾って弾倉に押しこみ、その弾倉を銃把(じゅうは)の弾倉室にカチッと音がするまで押しこんだ。 言うまでもなく、G・Iコルトのような自動装塡式拳銃の場合、弾倉に装塡されていても、薬室が空の場合、引金を絞ったり撃鉄を起したりしたところで弾倉の実包が薬室に移るわけではない。何らかの方法で往座スプリングの強力な抵抗に逆らって遊底(スライド)被を引いてやる必要がある。「よし、渡せ」 ブライアンは左側の男に言った。 男は上体を折り、G・Iコルトを片山のほうに滑(すべ)らせた。跳ねながら滑ってきた拳銃は片山の近くで止まった。「よし、拾え、拾ってから、ゆっくり立つんだ」 片山に四四マグナム・リヴォルヴァーを向けたままブライアンは命じた。 片山は言われた通りにした。「よし、ゆっくりとハジキをホルスターに収めてから右手をゆっくり横にのばすんだ」「分った」 やたら噛(か)みタバコが欲しいと思いながら片山はホルスターに拳銃を収めた。ブライアンが命令しないので、力をこめて抜くと自動的にスナップ・ボタンが外れるように作らせてある安全止革は掛けない。 George Lawrence Co. Model #518, Portland Oregonfor Colt .45 Auto full size 1911 「よし、二人とも、奴がおかしな動きを見せたらブッ放すんだぜ」 ブライアンは左右の男に命じた。 二人の男はホルスターから拳銃を抜いて腰だめにした。二丁とも四一マグナムのリヴォルヴァーだ。 IMFDB.com - Smith & Wesson Model 57chambered in .41 Magnumhttp://www.imfdb.org/wiki/Smith_&_Wesson_Model_57 IMFDB.com - Smith & Wesson Model 58chambered in .41 Magnumhttp://www.imfdb.org/wiki/Smith_&_Wesson_Model_58 片山は、ブライアンは防弾チョッキを上着の下につけていると判断した。 果してブライアンは、長い上着の裾(すそ)をまくって、金銀の彫刻入りの腰のホルスターに四四マグナムを戻す時、M三タイプの防弾チョッキの一部を露出させた。睾丸(こうがん)や男根を保護するグロイン・プロテクターもつけている。 ブライアンは、ホルスターに戻した拳銃の銃把からまだ右手を放さぬうちに、「ゴー!」 と、叫んで四四マグナムを抜きはじめる。スピードは早かった。 片山は背中の痛みに耐え、撃鉄を親指で起してメイン・スプリングの抵抗を取去りながら一度抜きかけたG・Iコルトのスライドのバレル・ブッシング下部を、硬い革に鋼板をサンドウィッチされた特製ホルスターの前部に強く圧(お)し当ててスライドを押しさげた。 複座スプリングの力で戻るスライドが弾倉の実包をくわえて薬室に送りこんで閉じると同時に、尻餅(しりもち)をつく姿勢で腰を落していた片山は、左手首を上に反らせ、ホルスターの底を射ち抜きながら、ブライアンの右の肩口、首の付け根に射ちこんだ。 ブライアンの抜き射ちのスピードも早かった。しかし、上着をつけていない上にホスルターの安全止革を掛けてないため有利になった片山のプッシュ・ロッディングと、ホルスターごとブッ放す緊急射撃のスピードがブライアンを上回ったのだ。 防弾チョッキで保護されていない右の首の付け根を破壊されたブライアンは、信じられぬといった表情を浮かべ、着弾のショックでコマのように回りながら四四マグナムを右側の男に向けて暴発させた。 バリケードがわりの椅子や机に叩きつけられたブライアンは、崩れ落ちたスチール・チェア数個の下敷きになる。 すでに尻餅をついていた片山は、ブーツから二本のガーバー・マークIナイフを左右の手で抜いていた。 ブライアンの右側の男が泡を食らって泡(あわ)をくらって四一マグナムをブッ放したが片山を大きく外れた。 片山はまず右手のナイフをその男に向けて投げ、左手のナイフを右手に持ち替えて投げる。 喉(のど)と心臓をナイフに貫かれたその男は四一マグナムを放りだし、双刃のナイフを喉と心臓から引き抜こうとして指がポロポロと切れ落ちる。 片山は素早く自分のG・Iコルトを拾った。薬室も弾倉も空になっているので、スライドは後退したまま止まっていた。腰のベルトの革ケースの一つから予備弾倉を抜いて、空になった銃把の弾倉と替えた片山は、スライド・ストップを押し外してスライドを前進させ、弾倉上端の実包を薬室に送りこむ。 その時になって、今さっき不自然なスタンスから射った右手首が痛むことに気付く。肋骨だけでなく内臓も激しい打撃を受けているらしく、耐えがたいほどの苦痛を今になって自覚する。 ブライアンの暴発弾を腹にくらったヘヴィ級のボクサーのような男は、射出孔からはみ出た自分のハラワタを見て気絶していた。 G・Iコルトを口にくわえた片山は、二本のナイフにやられて倒れている男の体に片足を掛けて押さえ、二本のナイフを引き抜いた。それで、ボクサーのような男の両手の指を叩き切る。 ナイフの血を男の服で拭(ぬぐ)ってブーツの内側の鞘(さや)に収めた片山は、右手にG・Iコルトを握り、椅子の下敷きになったブライアンを左手で引きずりだした。〝コヨーテ〟は、頸動脈(けいどうみゃく)から噴水のように血を吹きだしてていた。「勝負はついた。貴様がどんなに汚ない手を使っても、貴様など問題にならん早射ちが世のなかにいることを知ったろう? さあ、しゃべるんだ。ダヴィドはどこに隠れてやがる」 激痛に耐えながら片山は迫った。「お、教えてくれ・・・・・・薬室は空だったのに・・・・・・ど、どうやって?・・・・・・」 ブライアンは、かろうじて声を出した。「プッシュ・ロッディングだ。ホルスターを使ってスライドを後退させたんだ。知らなかったのか、カイオーテ?」「そ、そうか・・・・・・話でしか・・・・・・そのテクニックは・・・・・・知らなかった・・・・・・あんまり早いので、俺の目には・・・・・・見えなかった・・・・・・俺の負けだ・・・・・・」「ダヴィドは・・・・・・ハイラルはどこだ?」 苦痛のあまり片膝をついて蹲(うずくま)った片山は尋ねた。「キャナダの・・・・・・秘密基地の本部・・・・・・中性子爆弾開発研究所に・・・・・・」「中性子爆弾を、もう実用化したんだな?」「ああ、ムッシュー・ハイラルを追うんなら追え・・・・・・だけどな・・・・・・合衆国とキャナダの国境は・・・・・・我々の軍団が封鎖している。・・・・・・キャナダに向う便がある合衆国内の空港にも・・・・・・キャナダの国際空港やチャーター便専用のローカル空港にも・・・・・・我々の軍団が張りこんでいる・・・・・・沿岸の港にもだ・・・・・・ブリティッシュ・コロンビアとアルバータとユーコンとノースウェスト・テリトリーの主要道路には軍団の検問所がいたるところにもうけられている・・・・・・合衆国からキャナダに向う主要道路にもだ・・・・・・」 ブライアンは口から血の泡(あわ)を吹きながらしゃべった。「ダヴィドが隠れている秘密基地の本部の正確な位置は?」「ユーコンとノースウェスト・テリトリーの境の・・・・・・ノースウェスト・テリトリー側にグリズリー・パウ湖がある・・・・・・グリズリー・パウ湖はロッキー山脈の先のセルウィン山脈とマッケンジー山脈にはさまれている・・・・・・本部は湖の東側のマッケンジー山脈の腹を掘った地下都市だ・・・・・・」 ブライアンは呻(うめ)いた。「赤い軍団の・・・・・・ダヴィド・ハイラルの最終の狙(ねら)いは何なんだ?」「中性子爆弾は・・・・・・まだ二十発しか完成してない・・・・・・それが数千発に達したら・・・・・・合衆国の核物質処理の代表的大企業の幾つかはすでにトーテム・インターナショナルが吸収合併して・・・・・・核物質をキャナダの秘密基地に横流ししているから、数千発の中性子爆弾が出来上るのは時間の問題だが・・・・・・ともかく、その時が来たら・・・・・・西側世界で最も豊かな天然資源に恵まれている広大なキャナダを・・・・・・中性子爆弾を使って乗っ取る・・・・・・キャナダの主要な都市や・・・・・・工場地帯や・・・・・・軍事基地や・・・・・・産油施設の・・・・・・近くなどに・・・・・・射ちこむ・・・・・・キャナダ人の大半はくだばっても・・・・・・中性子爆弾の性質からして・・・・・・都市や工業施設自体やキャナダ軍の基地の兵器などは・・・・・・ほとんど無傷で残る・・・・・・このブロンクスは・・・・・・新しいキャナダのショー・ウインドウとして貿易センターに変身させる」「ハイラルは誇大妄想狂(もうそうきょう)じゃないのか?」 片山はこみあげてきた黄水(きみず)を吐いた。「キャナダを征服したら、ムッシュー・ハイラルは皇帝となり、赤い軍団はキャナダ新国軍となり・・・・・・俺は新国軍の大元帥(げんすい)になって・・・・・・新しいキャナダが誕生する筈だった。 新帝国には・・・・・・資源が乏しい上に人口過剰に悩んでいるイスラエルとエジプトと日本などから・・・・・・皇帝ハイラル一世陛下に忠誠を誓う者なら、どしどし移住を許可することになっている・・・・・・税金を取りたてるためにもな・・・・・・新帝国の基礎が固まったら、俺はクーデターを起して皇帝の座につこうと思ってたんだが・・・・・・」 ブライアンはそこまで言うと、死の痙攣(けいれん)をはじめた。 それを待っていたかのように、ジャクスン不動産ビルの屋上や窓々から、ロケット砲弾や重機関銃弾がマンソン・アンド・サンズのビルに射ちこまれはじめた。 再び体内を激しく駆けめぐりはじめたアドレナリンの助けを得た片山は、天井裏に隠してあった武器弾薬を含めた荷物をかついで遁走する。三ブロックほど離れたところに路上駐車してあった十年ほど前のモデルのキャディラックのコンヴァーチブル・カーを盗んでホロを電動で降ろし、短機関銃を威嚇(いかく)射撃しながら走り去った時、マンソン・ビルは数十発のロケット弾の爆発で半壊した。 マーキュリー・ゼーファーを使わなかったのは、マンソン・ビルに隠れているのを突きとめられた以上、別のビルの地下駐車場に隠してあるその車も赤い軍団に発見され、彼等は片山を車の近くで待伏せしているにちがいない、と判断したからだ。 〝コヨーテ〟が片山の返り討ちに会ったのは、赤い軍団の最大の誤算であったろう。 (つづく)
2022年01月01日
“作家・大藪春彦氏「エクスタミネーター」を語る” 非常に迫力ある映画だ。私はたまに試写室で映画を見ると、用意された灰皿が気になってすぐタバコが吸いたくなったりする。しかし、この映画はそんな気持ちをまるで起こさせない。まさに息つくヒマもない面白さだった。 まずはベトナム戦争がアメリカに残した傷あとの深さをあらためて感じさせられた。サド、マゾ、ホモといったところまでも含めアメリカの病状が実によく出ている。 最初のベトナム前線のシーンは「地獄の黙示録」の後半に出てくる兵士たちがヘロインで薬づけになりながら戦っている夜戦シーンを思わせた。あちらは莫大な制作費と日数を投じて撮影したにちがいないが、この三十歳のプロデューサーと二十九歳の監督による映画は、当然もっと経済的にきりつめた条件下にあったにちがいないが、そうしたマイナス面を感じさせないで、〝地獄の戦場〟を描いている。 アメリカ兵がベトナム側に捕って、拷問を受けるシーンで、一人の米兵の首をチョン切る。まず、この冒頭のショッキングな場面で、観客を圧倒する。このあと一転して、ニューヨークの夜景を俯瞰(ふかん)する。 ここで面白かったのは、ソニーの大きなネオンサインがずい分目立つと思ったら、スポンサーとして加わっているのだ。ニコン、釣り具関係のダイワといった名もバック・タイトルに並び、スポンサーが実に多いのも、若いスタッフによる独立プロの作品らしいところだ。チェイス・シーンではスズキのオートバイも活躍している。 ベトナム戦争のシーンはスタントマンにけが人も出たそうだが、「空中を飛ぶオートバイの役」とか一人々々のスタントの役割まで入れたくわしい紹介をしている。 さて、主人公は陸軍レインジャー部隊の元兵士、ジョン・イーストランド。捕虜になり、処刑寸前のところを黒人兵のマイケル・ジェファーソンの決死の抵抗でともに危地を脱して復員する。彼らはニューヨークでささやかに暮らしている。 中西部では人心もそれほど荒廃していないようだが、大都会はベトナム帰りにとって決して温かくはない。 第二次大戦ごろまでの復員兵は英雄だったが、ベトナム帰りというのはむしろ差別された状況に置かれているということをさりげなく表現している。ジョンとマイケルの仕事は食肉や清涼飲料水などの倉庫。住む場所も下町のスラム。 ジョンが街のチンピラたちによる倉庫泥棒の現場を押え、逆にナイフを突きつけられたとき、再び救出するのがマイケル。チンピラたちは黒人のマイケルだけに復しゅう、植物人間にしてしまう。貧しくとも平穏な暮らしをしていたマイケルの一家は不幸のドン底にたたき込まれ、ジョンの怒りは爆発する。銃を取り出したとき彼の胸中に去来するのはベトナムの戦場。「野獣死すべし」以下、私の小説に出てくる伊達邦彦とこの映画の主人公ジョンには連想させる部分があり、映画全体の世界も私が好んで書いてきたものと類似していると思う。 友人のための復しゅうという点では「処刑の掟」(*)、時代的には「傭兵たちの挽歌」とも共通するものがある。主人公のストイックな感じが実によかった。 ジョンの復しゅう、処刑の手段で食肉会社のボスをミンチにしてしまうシーンは、アイデアが独創的で残酷さを超える感じがあり、驚きとともになるほどこういう殺人もありうるのかと特に印象に残った。 巻頭のベトナム兵による首きりシーンとこの挽肉シーンはまことにショッキングだが、全編を貫いているのは、決して奇をテラった残酷、あるいは暴力ではなくて、男の友情と悪はたとえ小さな悪も許さないという、乾いたハードボイルドな心情が全体をひきしめており、リズミカルなテンポで展開していて最近流行している一部の恐怖映画のようなあと味の悪さも残らない。 処刑人ジョンを追うのはニューヨーク警察の刑事とCIA。この刑事が恋人に「オレはベトナム帰りだけど」と愛の告白シーンでいうのも、すでに述べたようにベトナム戦争を経験した男たちの現在の地位を象徴して印象的なセリフだ。 ラストでジョンとこの刑事が出会ってから、二重のドンデン返しがある。実にうまくできた映画で、ドンデン返しのナゾ解きのヒントとして、プロローグのベトナム戦場のシーンでジョンら米兵士が身につけている白いチョッキは防弾チョッキだという点だけを指摘しておきたい。 『エクスタミネーター』ジョイパシフィック株式会社 編集/発行 松竹株式会社事業部 *補註「処刑の掟」はワンマン・アーミー系の物語であり 該当すると思われる作品は「男(プロ)の掟」「非情の掟」である。 The Internet Movie Firearms Database'Exterminator, The'http://www.imfdb.org/wiki/Exterminator,_The
2022年01月01日
Manhattan, New York 1978Photo by David Young >前回 翌日の昼過ぎ、片山は国内便でニュージャージー州ユーイングのローカル空港に着いた。そこからニューヨークのマンハッタンまでは陸路で約六十マイルだ。 空港のレンタ・カー会社から、目立たぬフォード・フェアモントのセダンを借り、大量の荷物をその車のトランク・ルームに収める。 マーキュリー・ゼーファーと兄弟車であるフェアモントは、ヨーロッパ車や日本車から学んで、コンパクトだが車内は広く、最高速は低いが操縦性はアメ車のセダンのなかでは抜群だ。 Ford Fairmont 4 Door Sedan 片山は空港からすぐ近くの、トラックの往来が激しいインターステーツ九五にフェアモントを乗り入れた。 インターステーツ九五は、別名タバコ・ロードと呼ばれている。タバコ生産地であるため収税が安く、したがって単価も安い南部のヴァージニアのタバコを、収税のために高い北部に密輸するトラックが多いためにつけられた名だ。 インターステーツ九五ハイウェイに入って少し行くとレスト・エリアがあった。 キャリフォーニアでは信号がない高速道路をフリー・ウェイと呼び、信号があるのをハイウェイと呼ぶが、東部では信号があっても無くても高速道をハイウェイと呼ぶ。 フリー・ウェイとはもともと通行料金が要らないという意味で、日本の東名や中央道のように料金をとられる自動車専用道路は、合衆国ではトール・ウェイとかエクスプレス・ウェイとか、さまざまな名称がある。 レスト・エリアのトイレで片山は金髪のカツラを脱ぎ、眼球が痛くなるコンタクト・レンズを外した。紙袋に入れ、車のダッシュ・ボードに仕舞う。 ドーナッツとフライド・チキンとコーヒーの軽食を済ませた片山は、タバコの密輸トラックらしい十数台のコンヴォイが通過したあとを追いかけた。 このあたり東部や南部は、ロッキー山脈越えをする大陸ルートとちがって、道がかなり平坦(へいたん)なので、十八輪トラック(エイティーン・ホイーラー)であっても、ホワイト・オートカーやマーモンやフォードやジェネラル・モーターズなどの、二百五十馬力から三百馬力程度のエンジンを積んだトラクターが多い。大型トラック(ビッグ・リグ)の場合のトラクターは牽引車の意味で、運転台とエンジン部の総称だ。引っぱられる荷台がトレーラーだ。トラクターのエンジン部分が運転席の前に張り出しているのをコンヴェンショナル・タイプと呼び、キャブ・オーヴァー・タイプは日本と同じく運転席の下にエンジンがある。 片山は十八(エイティーン)ホイーラーのコンヴォイの一キロほどあとを走る。パトカーを見張るためのバック・ドアと呼ばれるトラックを抜き、コンヴォイに追いついた。 職業トラックは五十五マイル制限を守っていたのでは商売にならないし、長い登り坂の手前で充分にスピードをつけておかないと、十数段変速のギアをいかに巧みに操作しようと、車体も積荷も重いから、坂道で見る見るスピードが落ち、低いギアを使わねばならぬから燃費を浪費する。平坦地でさえ、大型トラックは一度スピードを落すと、スピードに乗るまでじれったいほど時間がかかる。空荷でさえ三十五トンにも及ぶからだ。 だからトラック軍団はC・B(シチズン・バンド)の無線機でトラッカー・スタングの隠語を駆使し、数キロ先を行くフロント・ドアの見張りトラックやバック・ドアのトラックと連絡を取りながら走っている。 取締まりのアドヴァタイジング(パトカー)や速度検査(ベアー・トラップ)レーダー・覆面パトカー(ラッパー)や警察ヘリコプター(エア・ベアー)に注意しながらトラック軍団は七十五マイル 約百二十キロ で地響きたてて突っ走った。重いのと空気抵抗のためにそれ以上のスピードは出ない。 罰金でもって町の財政を助けたり、取締まりの警官のポケット・マネーにするためにパトカーやレーダーが待ち構えている町の近くでは五十五マイルにスピードを落す。 ハドソン川をはさんでニューヨーク・シティと向かいあうニュージャージー州フォート・リーでトラック軍団と別れた片山は、パリセード公園の近くでマーキュリー・ゼーファーを盗み、荷物をその車に移した。 Ford Mercury Zephyr ゼーファーをフォート・リーの中心部に近いレンタ・カー会社の近くに移しておき、タクシーでパリセード公園まで戻った。 フォード・フェアモントを運転してレンタ・カー会社に行き、その車を返す。 カツラとコンタクト・レンズをつけてから、マーキュリー・ゼーファーを運転し、ハドソン河のワシントン・ブリッジの有料橋を渡り、ハーレム河も渡ってニューヨーク・シティのブロンクスに入る。ニューヨークは、もう寒い冬に入っていた。 ヤンキース・スタジアムのあたりはそれほどでもなかったが、東に行くにしたがって、ゴースト・タウンのようなサウス・ブロンクスの荒廃ぶりが生々しかった。 窓ガラスがすべて破れ、焦げ跡がついたビジネス・ビルや高層アパートのあいだに、爆破されたビルの煉瓦(れんが)やコンクリートの塊りが積もっている。爆発に捲きこまれた自動車の残骸(ざんがい)も放置されていた。 交差点の信号も破壊されているのが多いので、衝突を避けるために車は徐行するが、ほとんどの車は傷だらけであった。ましな車は、プエルトリコ独立運動を支持するステッカーが貼られている。 カリブ海にあるプエルトリコは、十九世紀末の米国とスペインの戦争の結果、米国の領土となり、今は自治領とはいえ米国の属州だ。住民の血には、インディオ系原住民と征服者であったスペイン系の白人、それに奴隷として連れてこられた黒人が混りあっている。 プエルトリコは非常に貧しい国だ。だからプエルトリコ人は米本土に逃げてきて、ブロンクスにかたまったのだ。 特にプエルトリコ独立運動の闘士と連邦警察(エフ・ビー・アイ)のあいだに、放火と爆破を含むテロ合戦が激化し、ブロンクスが廃墟(はいきょ)化をたどりはじめると、プエルトリコの密入国者が、スパニッシュ・ハーレムと呼ばれるほどスペイン語が通じるサウス・ブロンクスに殺到し、空きビルを勝手に使っている。 片山が乗っている車はニュージャージー州ナンバーなので、ほかの他州の車と同様に、交差点で一時停止すると、野球のバットや釘(くぎ)を突きだした棍棒(こんぼう)を持ったチンピラたちがイナゴのように跳びついて小銭をせびる。 片山は用意してあった二十五セント(クオーター)玉を五、六枚ずつばらまいた。あぶれた連中は、片山が車をスタートさせると、トランク・リッドを殴りつける。 歩道では、ドラム罐に廃材やダンボールを突っこんで暖をとっている中南米人が、スペイン語でわめきあっていた。 破壊されずに残っているプエルトリコ人やユダヤ系の商店の並びの前には、素っ裸の上に安物の毛皮コートを羽織った売春婦たちが立ち、露出した肌(はだ)に鳥肌をたてている。革ジャンパーにパンタロンのヒモやポン引きが車にまつわりつく。 片山は赤い軍団が待ち構えている、サウス・ブロンクス・ボストン・ロードの、クラトナ公園に近いジャクスン不動産ビルのまわりを車に乗ったままさり気なく一巡し、次いでジャクソン不動産ビルを偵察するのに好都合の廃墟のビルも捜した。 再びハーレム河を渡り、マンハッタン五番街にある赤い軍団の米国総局コンチネンタル証券会社を観察する。すぐ近くに、ユダヤ博物館があった。 五番街の表通りは一見まとものように見えるが、裏通りにはオカマや売春婦が並び、ポルノ・ショップやファック・ハウスなどが林立している。 片山はニューヨーク・ナンバーのオンボロ・マーキュリー・ゼーファーに盗み替え、荷物を移すと、少し行ってからスーパーマーケットで多量の食料や飲料を買いこんだ。 サウス・ブロンクスに戻る。地図から計算してジャクスン不動産ビルのちょうど真っ正面に位置し、距離が五百ヤード離れている十二階建ての空きビルの中庭の、瓦礫(がれき)だらけの駐車場にマーキュリーを駐(と)める。 その空きビルとジャクスン不動産会社のあいだをさえぎるものは無い。そんな馬鹿なことと思うだろうが、二つのビルのあいだの建物はすべて爆破されて崩壊したか、取り壊し業者の手にかかって整地されたかのどっちかになっているからだ。 片山がマークした空きビルには、緑青(ろくしょう)の錆(さび)が焦げたプレートに、かろうじてジョン・マンソン・アンド・サンズ・メタリック・カンパニーという文字が読みとれる。 片山は壁の防音材や断熱材が焦げ落ちてコンクリートの地肌が剥(む)きだしになったマンソン・アンド・サンズ・ビルの階段を登る。 エレヴェーターは故障している上に、そのビルに通じる電気は切られているから役にたたない。片山は各階ごとに、各部屋を調べながら登っていった。 一度屋上に出てから、十階の一〇二七号室に、燃え残った金属製の机や椅子を運びこみ、ドアの近くに積んで、一人だけがくぐり抜けられるバリケードを築く。その部屋からジャクスン不動産ビルを狙撃するにも好都合だ。 当然ながら窓ガラスは無くなっている。廊下をはさんだ裏側の部屋からは、非常階段が中庭に通じている。 中庭に降りた片山は、二回に分けて荷物を運びあげる。車はディストリビューターのローターを外して、盗もうとする者がいてもエンジンが掛からぬようにした。 一〇二七号室に戻り、ヴァルヴをひねっただけでふくれ上ったり萎(しぼ)んだりするセルフ・インフレーテッド・マットレスをコンクリートの床に敷き、その上に、よく振るってふくらませたスカイライナーのスリーピング・バッグを置く。二つともエディ・バウアーの製品だ。 着けていたリー・ストーム・ライダーのアクリル・ライニング付きのオーヴァーオールの下に、サファリランドM三の防弾チョッキをつける。重量は約二キロ強だ。 デュポン・ライセンスの特殊繊維を十字型に織り、それを三十二枚ゆるく重ねてナイロン・シェルのなかに収めてあるM三の狙いは、着弾のショックを分散させることにある。 防弾繊維のシートを包んでいるシェルの色は白であったが、片山はヒューストンのモーテルのバス・タブを使い、ダイロン・コールドのインスタント染料で地味なオリーヴ・グリーンに染めてあった。 一個約百七十ドルで三つ買ったLサイズのM三防弾チョッキのうち二つは、テストで孔(あな)だらけにしたので捨てていた。 テストでは、口径四十五のG・Iコルト(エー・シー・ピー)実包を五メーターの距離から射っても貫通しなかった。無論、それを着けていて射たれたら、ショックで体が吹っ飛ぶだろうし、筋肉だけでなく骨や内臓にもかなりのダメージを受けるだろうが。 防弾チョッキは近距離から放たれた大口径マグナム・ライフルに対しては無力だ。 片山がヒューストンで試写した八ミリ・レミントン・マグナムの二百二十グレイン弾頭のフル・パワー実包の場合、初速は二千八百フィート強、銃口エネルギーは三千九百フット・ポンドと、初速において拳銃の口径四五ACPの百八十五グレイン弾頭の約三・五倍、エネルギーについては九倍近くあるから、M三防弾チョッキがいかに優秀でも問題にならない。 だが、弾速が千七百フィート強まで落ちる それでも普通の拳銃実包としては最強の四四マグナムの初速よりはるかに強力だ 五百ヤードの距離なら、何とかM三防弾チョッキでくいとめることが出来ることが分った。無論、その場合も体のほうはひどいショックを受けて、しばらくは動けないかもしれないが・・・・・・。 なお、片山が八ミリ・レミントン・マグナム実包を、初速三千フィートを越える百八十五グレイン弾頭のほうを択ばず、マグナム・ライフル実包としては比較的弾速が低い二百二十グレイン弾頭付きのほうを戦闘に使うことにしたのには訳がある。 レミントン製の工場装弾とレミントン製のM七〇〇BDLライフルの組合わせの場合、二百二十グレインの重く長い弾頭のほうが、十インチに一回転する銃腔の時計回りのライフリング・ツウィストに合っているらしく、百八十五グレインのものよりも、着弾のまとまりのグルーピング精度がはるかに良好だということが、試射の結果確認されたからだ。 Remington Model 700 BDL Guns and Ammo.com - 8mm Rem Mag Load Datahttps://www.gunsandammo.com/.../reloading-the-8mm-remington-mag/250249 片山のライフルは、アキュライズ(チューン・アップ)したから、一M・O・A(ワン・ミニッツ・オブ・アングル)以上の小さなグルーピングが出せるようになっている。外は寒風が吹きすさんでいるが、風を読むことも片山の狙撃能力の一つだから、五百ヤード離れたジャクスン不動産ビルに射ちこんで、目的の人間に二発に一発の割りで命中させることが出来るだろう。 百八十五グレイン弾頭付きよりも二百二十グレインのほうを択んだのには、もう一つの理由がある。 それは、八ミリ・レミン・マグナムの開発目的である遠距離射撃の場合、五百ヤード離れると、二百二十グレインのほうが百八十五グレインよりも、二十三パーセントも破壊エネルギーを多く残すのだ。 その距離では、残速も二百二十グレイン弾のほうが大きい。初速は無論、軽い上に火薬量を多くできる百八十五グレイン弾のほうがはるかに大きいが。 ちなみに、銃口から五百ヤードを飛ぶまでに八ミリ・レミントン・マグナムの二百二十グレイン弾が要する時間は、約〇・七秒だ。 片山は焼けて変色した机と椅子を重ね、その上に乗って、短機関銃やM十六自動ライフルなどを、十階と十一階のあいだの天井裏のスペースに隠す。 試射で使ったあと残っている八百発ほどの八ミリ・レミントン・マグナム実包も、二百発だけ残して天井裏に隠した。 ディストリビューターのローターを持って中庭に再び降り、ローターをはめて車を動かす。二ブロックほど離れた廃墟のビルの地下室にそのマーキュリー・ゼーファーを置き、再びローターを外した。 再びマンソン・アンド・サンズ・ビルの一〇二七号室に戻った片山は、カツラとコンタクト・レンズを再び外し、ヒューストンで買ったボッシュ・アンド・ロームのバルスコープのスポッティング・スコープをフリーランドの二脚に据え、窓の近くに置いた。 倍率を二十五にし、背もたれが壊れて外れた椅子に腰を降ろし、ジャクスン不動産ビルの窓々を観察する。 肉眼なら二十五ヤードの距離で見るのと同じ原理だから、ビルの表側の部屋の連中がよく見えたが、写真で顔を知っているダヴィド・ハイラルも、“コヨーテ”の姿も見えなかった。 片山は小さなプリマスのプロパン・バックパッカー・ストーヴでコーヒーを沸かし、ボロニア・ソーセージのステーキを焼いた。それを腹に詰め込むと、一〇二九号室の壊れたトイレで用を済ます。 一〇二七号室に戻り、スリーピング・バッグのサイド・ジッパーを開いてもぐりこみ、一時間ほど熟睡した。 起きた時には外は薄暗くなっていた。片山がいる部屋は暗い。無論、電灯などつかない。 ジャクスン不動産ビルの灯(あかり)は明るかった。 片山は薬室にも弾倉にも実包を装塡しないまま、窓ぎわから少し離して置いたデスクの残骸(ざんがい)の上にバック・パッカー用の毛布を敷き、そのうしろの椅子に斜め横坐りになった。 八ミリ・レミントン・マグナムを構えた左手の肘(ひじ)を毛布の上に置いたベンチレスト射撃スタイルで、ジャクスン・ビルの一人一人を狙って空射ちし、長いストロークの遊底(ボルト)を操作しては、また空射ちしてみる。 テキサスの牧場で試射した時、片山は伏射と坐射と、車のトランク・リッドをベンチとしたベンチレストでの三つの姿勢で、それぞれの二百、三百、四百と五百ヤードの狙点を摑(つか)み、銃床にナイフで照準ダイヤルの数字を刻みこんであった。 八ミリ・レミントン・マグナムの二百二十グレイン弾頭の工場装弾の場合、二百ヤードで正照準しておいて三百ヤードの目標を狙った時には約二十センチ下に着弾し、四百ヤードでは約六十五センチ下、五百では約一メーター二十五センチ下に着弾する。 片山は今はベンチレストの五百ヤード用にライフル・スコープの照準ダイアルを合わせてあった。 外もすっかり暗くなってから、顔や手に褐色(かっしょく)の染料をすりこんだ片山は、防寒チョッキ替りの防弾チョッキの上から、古着屋で買っておいた色がはげたよれよれの革コートをつけ、ライフルやスポッティング・スコープなどを天井裏に隠し、ビルから出た。銃声とパトカーのヒューン、ヒューンというサイレンの音が聞こえてくる。 (つづく)
2021年12月25日
Houston Intercontinenal in December 1978Photo by George Hamlin >前回 四日後片山は、パリと合衆国テキサス州ヒューストンを直行便で結ぶトランス・アトランチック航空のジャンボ機で、ヒューストン空港に着いた。 乗客のほとんどは、月ロケットで有名なNASA(ナサ)の有人宇宙センターを見物するのが目的のようであった。ヒューストンの別名はアストロ・シティまたはスペース・シティと呼ばれる。 ルシアン・ベルグマンが絶命する直前に残した言葉から、ヨーロッパからニューヨークのケネディ国際空港に向うのはリスクが大きすぎる、と片山は判断したのだ。ケネディ国際空港では、赤い軍団の刺客が大量に、手ぐすねひいて片山を待ち構えているにちがいない。 ところが、ヨーロッパから合衆国のほかの国際空港に向うためには、ほとんどの場合、ニューヨークかシカゴかオヘヤ国際空港を経由せねばならない。 旅客機に乗りこむ時にはハイジャック防止のためのX線検査があるから、銃器を身につけることが出来ない片山が、ケネディ空港の乗り継ぎ待ちのトランジット・ルームで赤い軍団の刺客の掃射を浴びたら、勝ち目はほとんど無い。 それかと言って、ニューヨーク経由を避けてシカゴに降りたとしても、シカゴがあるイリノイズ州はこのところ銃刀法がひどく厳しくなって、銃器の州外持出しと他州からの銃器の持込みを原則として禁止している。 それに、ニューヨークの国際空港でも、片山の顔写真のプリントを手にした赤い軍団の刺客が大勢で待ち構えていることは、当然ながら予想できた。 片山が変装していても、大勢の眼力にかかったら見破られる怖(おそ)れが大きい。 パリからヒューストンへの直行便は、週に二便しかないが、ニューヨークから遠く離れたテキサスに飛ぶとは、赤い軍団の予想外のことであろう。 それにテキサスは、銃器でもって築いてきた州だから、銃の所持は、断じて犯してはならぬ住民の権利だという伝統を守っている。 ヒューストン行きの便を待っている三日間に、片山は野牛組に残金を払い、ダヴィド・ハイラルの私邸を襲い、地中海銀行とハイラル貿易の両方の役員を兼ねている連中の私邸も襲った。 しかし、ハイラルの私邸に残っているのは、ハイラルやハイラルの家族の行方も知らず、ましてや赤い軍団のことなど本当に知らぬらしい留守番の使用人だけであった。 地中海銀行とハイラル銀行の両方の役員を兼ねている連中は逃亡したあとであった。 片山はまた、パリの日本大使館を通じて、片山を傭(やと)っている政府機関と連絡をとった。アフリカのガメリアからパリに移っていた秘密駐在員の月形と会って長時間を共に過ごした・・・・・・。 ヒューストンの国際空港に降りた片山は、口髭(くちひげ)を剃(そ)り落し、陽に褪(あ)せたブロンドの長髪のカツラをつけ、目の色がブルーに見えるコンタクト・レンズをつけていた。 晩秋というよりももう冬だが太陽の光は強烈だ。しかし乾燥(かんそう)しきっているから、日陰(ひかげ)では肌寒(はださむ)い。 使ったあとは焼却することを条件に月形から渡されたフランス大使館の一等書官という身分の偽造公用旅券とA一(ワン)の外交ヴィザを示して税関もフリー・パスした片山は、大きなスーツ・ケース二個を提げて空港内のエイヴィスのレンタ・カー会社のカウンターに行った。 いま現在の片山の顔写真を貼り、髪の色や目の色も今の片山に合わせた、フロリダ州マイアミ在住のスチーヴ・デンヴァー名義の偽造運転免許証を示し、ダットサン二八〇Zを借りた。Zカーは、日本ではフェアレディの名で呼ばれている。 日本の狭い道路では結構大柄に見えるZカーも、道が広い上にフル・サイズのアメ車が多い西部では、ひどく小柄で敏捷(びんしょう)そうに見える。ちょうど日本で、かつてのホンダS八〇〇を見る感じだ。 Datsun 280Z 1979 HONDA S800 トランク・ルームに二つのスーツ・ケースを入れ、助手席にショールダー・バッグを置いた片山は、四十キロほど離れたヒューストンの市内に向う。道の左右のところどころに、さまざまな種類のサボテンが林立している。 アメリカは全国で最高速度が五十五マイル 約九十キロ に押さえられているから、制限速度内で使うぶんには二八〇Zは小気味がいい性能を示す。 モーテルというよりホテルに近いヘリテージ・インにチェック・インした片山は、スーツ・ケースを一つとショールダー・バッグを自分の部屋に運んだ。 コンタクト・レンズを外し、頭にバス・キャップをかぶってシャワーを浴びると、再びコンタクト・レンズをつけ、リーのジーンズ・パンツをはいた。 ペンドルトンのウェスターン・シャツをつけ、スーツ・ケースから出したホルスター・入りのG・Iコルトと予備弾倉入れ、それにガーバー・フォールディング・スポーツマンを入れたスキャバードを腰のベルトにつけた。 丈が長いリーのオーヴァーオール・ストーム・ジャケットをつけた片山は、モーテル内のコーヒー・ショップに向かう途中、売店で四インチ・ブリムのウェスターン・ストロー・ハットを買ってかぶる。ストロー・ハットといっても、ウェスターンのものは材質が丈夫な上に特殊加工しているから、日本の麦ワラ帽のようにペナペナとしてない。 Lee Storm Rider Denim Jacket 1970's Western Straw Cowboy Hat 軽食堂であるコーヒー・ショップの男の客は、彫刻入りの腰のホルスターに差した拳銃の、金銀の彫刻入りの銃把(じゅうは)を誇らしげに見せびらかしたカウボーイ姿の者が多かった。土地柄、彼等の拳銃はみんなリヴォルヴァーで、シングル・アクションが大半だ。 西部のウェイトレスは、ピチピチした娘が多い。まず大きなガラスのジャグから浅炒(あさい)りのアメリカン・コーヒーを注いでニッコリ笑う。 片山はチキン・スープと肝臓(リヴァー)ステーキと甘酢っぱいキャベツ・サラダのコールスロー、それに、果物はキャンタロン(メロン)を頼んだ。 大きなリヴァー・ステーキには、フレンチ・ポテトとラッキョウ(スモール・オニオン)の酢漬(すづ)けがついていた。コーヒー・カップが空になりそうになると、ウェイトレスがすぐに注ぎ足す。 客も店の者も、西部訛(なま)りで話す片山に、殺意や敵意を見せる者はいなかった。このモーテルでは片山は久しぶりにぐっすり眠れそうだ。 カボチャのような色をしたキャンタローン・メロンを平らげた片山は、充分なチップを置き、レジに金を払いながら、市内の主なスポーツ用品店や軍隊の放出品(ミリタリー・サープラス)を売っている店を尋ねる。 レジではタバコも売っているから、ウィンストンを二た箱と、スコールの噛みタバコの小罐を五つ買う。フランスの噛(か)みタバコは胸糞が悪い臭(にお)いがして片山には合わない。 ウェスターン・ストロー・ハットを目深にかぶった片山はダットサン二八〇を運転して、買物に出た。 まず、靴屋(くつや)で、エイクメ・ホウキイの荒い仕事や山登りにも耐えられるというウェスターン・ブーツを買った。それを履(は)く。脱いだドレス・シューズは紙袋に入れて抱えた。 靴屋の主人は、市の中心地から三十マイルほど離れた小さな町フォート・モンティで、今夕方から夜の九時頃までロディオが開かれるから、それを見物するように、と片山に勧めた。 片山はアーミー・アンド・ネイヴィ・サープラス・ショップに寄って数点の買い物をしたが、そのなかにはサファリランドのM三防弾チョッキが三枚あった。 次いで片山は、レジンド・スポーティング・グッズという巨大な銃砲店に入る。 まず買ったのは、レミントンM七〇〇BDLの口径八ミリ・レミントン・マグナムのボルト・アクション・ライフルとウィヴァーV七(セブン)のライフル・スコープとマウント、八ミリ・レミントン・マグナムの二百二十グレイン・ポインテッド・ソフト・ポイント・コアーロクト弾頭付き実包千発だ。百八十五グレイン弾頭の実包も百発買う。 そのライフル用の革製スキャバード、ライフル・スコープ装着用のロック・タイトや銃身と銃身のベッティングのチューン・アップ用のマイクロ・ベッド接着剤やヤスリ、万力なども買う。 刃渡り五インチのガーバー・マークI(ワン)のブーツ・ナイフも二本買う。米国ではブーツや上着の袖(スリーヴ)の内側に刺殺用のナイフを隠し持つことが大流行していて、凶悪犯を相手にする第一線の刑事はみんな銃器のほかにブーツ・ナイフやスリーヴ・ナイフ、それに柄をベルトのバックルに見せかけたバックル・ナイフを携帯していると言ってもオーヴァーではない。 短剣の形をしたマークI(ワン)のグリーンの革製スキャバードには、ベルトにもブーツに装着出来るように、金属製のバネ・クリップ板がついている。ナイフがスキャバードから脱け落ちないようにしてある留め革のスナップ・ボタンは親指一つで素早く外せる。 左右の足のブーツの内側にガーバーのブーツ・ナイフをスキャバードごと差しこみ、ブーツにクリップで留めた片山は、店内をぶらぶらと歩き、クロスボウのコーナーで足をとめた。 クロスボウは日本ではボウ・ガンと呼ばれている弓鉄砲だ。弩(いしゆみ)とか十字弓とも言う。銃床と引金がついていて、金属製の弓に張られた弦(ストリング)を引っぱって逆鉤(リヴァーサル・フック)に引っかけておき、照準を定めたあと引金を絞ると、弦は鉤から外れ、レールにはまっていた矢を飛ばすようになっている。普通の弓よりかなり強力だ。 そのクロスボウのコーナーに、英国製のコマンドウ・セルフ・ロッキング・クロスボウのニュー・タイプが、スコープ付きで四百四十四ドル九十九セントで売られていた。 Barnett Commando Crossbow コマンドウ・クロスボウの特長は、スケルトン型の銃床尾を折ると、連動するテコの力で、ただの人力ではとても重くて引っぱることが出来ないほどの弦を軽く引くことが出来ることだ。 普通、人力だけで引くには張力八十ポンドぐらいがいいところで、金属製の弓の抵抗に逆らって百ポンドの弦を引くとなると辛い。 だから、それ以上の張力を要するものとなると、クランクを使い、ギアで減速しながら弦を捲きあげる必要があった。 それだと、携帯用のクロスボウでも張力五百ポンド・クラスも可能だが、機構が複雑な上にクロスボウの重量が大きくなり、弦の捲き上げ時間がかかる。 それがニュー・コマンドウ・クロスボウだと、テコの応用だから、最高張力二百五十ポンドの弦を一挙に引くことが出来る。そのコマンドウの輸入会社ホライゾンは、傭兵募集機関アルファ・グループの一つだ。 片山はクロスボウのほか、アルミ・シャフトの矢を五十本、四枚刃の矢尻三百個、予備の弦や携帯用革ケースや矢筒などを買った。標的と矢止めになる古い電話帳を十冊ほどタダでもらった。 軍用銃の払い下げコーナーでM十六自動ライフルの銃身(バレル)一本を七十ドルで買う。五百本ぐらいのうちから一番精度がよさそうなやつを択(えら)んだのだ。銃身の値段には、銃身と受筒(レシーヴァー)を外したり結合させる時に使うレンチ・キットのものも含まれていた。 M十六用の実包も五千発買う。まとめて五千発買ったところで、驚いたり不審気な顔をするテキサス人はいない。 モーテルに戻り、レミントンM七〇〇BDLのライフルをアキュライズ(チューン・アップ)する作業にかかる。 八ミリ・レミントン・マグナムの実包は、アフリカ猟のスタンダード口径である三七五ホーランド・アンド・ホーランド・マグナム薬莢(やっきょう)の首を八ミリ 千分のインチで言うと約三二三五径 にネック・ダウンし、肩の角度を鋭くし、二百二十グレイン弾頭の場合にはデュポンI・M・R四八三一マグナム火薬を約七十五グレイン押しこんであるから、反動は小さいとは言えない。 だから片山は、銃身全体をフリー・フローティングさせずに、銃身の前半部だけをフリー・フローティングさせ、後半分をマイクロ・ベッドを介して銃床の溝(みぞ)に密着させるようにした。 Youtube - Remington Model 700: full disassembly & assemblyby Si vis pacem , para bellum.https://www.youtube.com/watch?v=lA4EjAciTAs Glass Bedding a Barreled Action by The Real Gunsmithhttps://www.youtube.com/watch?v=tAcYkBfL2WE Gunsmithing - How to Glass Bed a Rifle Stock Presented by Larry Potterfield of MidwayUSAhttps://www.youtube.com/watch?v=oOo-_Ss7aIs Glass Bedding the Savage M-11 into the Bell & Carlson stock.by cavedweller1959https://www.youtube.com/watch?v=I9q_522StCI 引金の逆鉤(シアー)をオイル・ストーンでラッピングし、引金の切れ味が自分の好みにぴったりくるように、引金機構の調節ネジを回した。ロック・タイトで調節ネジを固定する。 ライフル・スコープのマウントやリングも一度外し、また組立てながら、ネジをロック・タイトで固定する。 銃床のベッディングに使ったマイクロ・ベッドの二液混合接着剤が乾いて硬化するまで時間がかかるので、モーテルを出た片山は、ダットサン二八〇Zに乗り、ルート四五のフリー・ウェイをフォート・モンティに向った。 道の左右に広がる草がまばらな牧場に、放牧されているヘレフォードやアンギス種の牛に混って、草原のスピード・ランナーのプロングホーン・アンテロープの群れが石鉢(いしばち)から水を呑(の)んでいるのが、遠くに白っぽく見える。枯れたデザートグラスが丸まって飛び、路肩には轢(ひ)き殺されたコヨーテやヤマアラシ(ポーキー)の死体が転がっている。 Youtube - Pronghorn -- Berrendo o Antilope Americano (Antilocapra americana)by manolodorechohttps://www.youtube.com/watch?v=8t3QXPLKwm0 Why Do Tumbleweeds Tumble? by Deep Lookhttps://www.youtube.com/watch?v=dATZsuPdOnM 自殺(スーサイド)サーキットと呼ばれるロディオは、町中心部の大広場で行われることになっていたから、フリーウェイを降りて町に入ると、ノロノロ運転をしいられた。馬を積んだ派手な色のトレーラーがいたるところに駐(と)まっている。 メイン・ストリートに羽根飾りをつけたインディアンたちやスパンコールを光らせたロディオ・ガールズ、それに昔の騎兵隊員に扮した連中のパレードがやってきたので、交通渋滞に拍車がかけられた。 片山は裏通りに車を捨てて会場に歩く。切符とビック・マック・ハンバーガーとコークを買って、仮説スタンドのベンチに腰を落ちつける。もう満席近かった。 ロディオは、“アンソシエーテッド・サドル” と呼ばれる、ホーンが無いか、あっても小さな鞍(くら)をつけた暴れ馬に乗るサドル・ブロンコ・ライディングからか始まった。 サドル・ホーンが特殊なのは、普通のホーンだと、跳ねあげられてホーンの上に落ちた時、尻の穴に食いこんだりすると悶絶(もんぜつ)するからだ。 Youtube - How to Bronc Ride - Reed Neely by George Veaterhttps://www.youtube.com/watch?v=GC4PrN2eNFQ 片手で握った手綱のロープだけで暴れ馬をあやつろうとするライダーで十秒以上馬上にとどまることが出来た者は少なかった。脚や手を折ったり内臓打撲で気絶する者が続出する。 鞍無しの暴れ馬の胸革の把手に片手でつかまって、振り落とされないようにと、ライダーが馬上で八秒間以上頑張(がんば)ろうとするベアーバック・ブロンコ・ライディングも、使用する馬が小さくて敏捷なので大変だ。 このレースでも怪我人が続出するが、ロディオの出場者だし、賞金稼(かせ)ぎのプロだから同情しなくてもいい。以上二つのレースは、ライダーだけを採点するのでなく、馬も採点される。暴れない馬は失格だ。 暴れ牛を相手にする道化師の曲芸や、体にぴったりのジャンプ・スーツをつけた美女のトリック・ライディングをはさんで、走る馬の上から雄牛に跳び移り、頭をねじってひっくり返すまでの五、六秒の時間を競うスティア・レスリング・・・・・・これも走る馬の上から逃げる仔牛に投げ繩を掛け、馬から跳び降りざま仔牛を縛りあげるカーフ・ローピング 十秒ぐらいのあいだにやってのける など、次々に試合が行われる。 夜になり、人工照明が入っている。 片山は久しぶりに戦士の休息ともいうべき時間をエンジョイした。トイレも要所要所に配置されている。 競技の最後は、若い娘たちが、スタート・ラインから見て、それぞれ三十メーターほどの間隔を置いて三角形に配置されたドラム罐(かん)のマーク点を結ぶコースを、愛馬にまたがって、いかに早く旋回するかのタイムを争うバレル・レーシングであった。 車ならジムカーナ、スキーならスラロームのようなレースであった。直線では愛馬に振るっていた鞭(むち)を口にくわえ、馬ともども斜めに傾きながら頭を真っすぐに起し、土煙をあげてビールやタバコの広告入りのドラム罐のまわりを旋回する娘たちの表情と躍動する肉体には鮮烈な色気がある。片山はハワイで知りあったバレル・レーシングのローカル・チャンピオンのベッキーを想いだした。 ロディオが終ると、片山はモーテルに戻る途中、ヒューストンでレストランに寄り、噛みしめると肉汁が口のなかではじけ飛ぶステーキと、ベーコン・クリスプ カリカリに焼いて脂(あぶら)を抜いたベーコンの粉 とサワー・クリームを掛けたベークド・ポテトで夜食をとった。 モーテルに戻り、カツラとコンタクト・レンズを外してベッドに転がりこむと、五秒もたたぬうちに眠りこむ。 翌朝、熟睡から覚めた片山は、レミントンM七〇〇ライフルを組立て、M十六自動ライフルの焼き鈍(なま)された銃身を昨日買った銃身と交換した。 モーテルのコーヒー・ショップで朝食をとったあと、ジャンボ・サンドウィッチを包んでもらい、自動販売機で清涼飲料水の罐を数本買った。 部屋に運んであった荷物を全部車に積んでレミントン・ライフルと銃身を換えたM十六の試射に出発する。防弾チョッキのテストと、コマンドウ・クロスボウの試射も行う予定だ。 射撃場や遠く離れた原野まで行かなくても、牛馬が巣穴に脚を突っこんで骨を折ってしまうためにペスト並みに扱われている、地リスの親玉のようなプレイリー・ドッグを退治してやりに来たと言えば、牧場主は喜んでゲートを開いてくれる筈だ。持主の許可さえあれば、牧場で発砲することは何ら違法ではない。ここは狭い日本と違い、牧場のスケールもケタ外れだから、片山が牧舎から遠く離れたところで何をしようと、牧場側に気付かれることはない筈だ。 (つづく)
2021年12月18日
Ecole Militaire, from Eiffel Tower, 1978Photo by D70 >前回 翌日の午後十時近く、野牛組が用意した盗品のゴルフGTIを運転する片山は、旧中央市場に近いパリ下水道中央第三管理事務所に向った。野牛組の二人が乗ったルノー五(サンク)アルピーヌが先導する。 VolksWagen Golf GTI MK1 Renault 5 Alpine - L'Automobile avril 1976. 街なかで他車のあいだを縫(ぬ)って走るには、この二台のような軽四輪に毛がはえたほどの小型なボディと硬い足回り、それにホットなチューンを受けていながら低速トルクを失ってないエンジンの組合わせが一番ぴったりくる。 片山は現ナマを入れたキャンバス・バッグや短機関銃や自動ライフルなどを、棚板(たないた)を外した狭いトランク・スペースに積み、其の上をキャンヴァス・シートで覆っていた。 カヴァーを掛けたところで気休めにすぎないが、今のところは野牛組を信用しないことにはどうにもならぬ。裏切られた時は、たとえ体じゅうを銃弾で蜂(はち)の巣にされても逆襲するだけだ。 第三管理事務所の裏門近くで片山たちはナイロン・ストッキングで覆面した。リーの作業服の左腕に黄色いリボンを捲く。 Lee 101 Overall Selvedge Denim Jacketebay DENIM_DEER Lee 101 Overall Dry/Raw Jelt Denim Jacketebay DENIM_DEER 裏門の覗(のぞ)き窓が開き、続いて裏門自体が内側から開かれた。三十台ほどの車が見える構内には、武装した野牛組の男たち二十人ほどが待っていた。彼等も覆面姿で左腕に黄色いリボンを捲いていた。「管理事務所の夜勤の連中は地下室に閉じこめてある。地中海銀行やジェラール海運ビルの近くには三百人の部下を待機させた。もうそろそろ、タンクローリーがやってくる時間だ」 片山に近づいた男が囁(ささや)いた。副組長のアランの声だ。 液化石油ガスを積んだタンクローリー車の群れがやってきたのは、それから五分ほどたってからであった。 全長十メーター、高さ三・五メーター、幅二・七メーターほどの一万リッター積み中型十輪ローリーが五台と、全長六メーター、幅約二メーターの四千リッター積み小型ローリーが六台だ。大型となると三万リッター以上積めるが、地下道の中で小回りがきかない。「ローリー・ストップの連中はみんな縛りあげやした。新しくあそこに入ってくるローリーの運ちゃんも、あそこに残った小隊がみんな縛りあげることになってます。勿論、ポリ公がやってきたらホールドアップさせるし、抵抗したらブッ殺してやりますぜ。もっとも、一人三千フランも摑(つか)ませてやったら、抵抗するポリはいないでしょうがね」 タンクローリーを運転してきた男たちのリーダーがアランに報告した。 地下の下水道につながる車輛搬入口は幅十メーター、高さは六メーターもあったから、大型タンクローリーでも十二分に余裕がある。 Youtube - Paris Musée des Égouts (Sewers Museum) live!by Travelsignposts Europe Travel Infohttps://www.youtube.com/watch?v=Ag9wb_R49y0 小型タンクローリー六台を先にし、次いで五台の中型ローリー、そのあとに片山のゴルフGTI、さらにそのあとに運転する者だけが乗った野牛組の乗用車十台が続き、一行はゆるい傾斜をくだって下水道本流の側道に降りた。銀行通りに向けてゆっくり走らせる。 やがて、一行は目的地に着いた。 小型タンクローリーは、地中海銀行とサイデール・ビルのあいだの横丁の下の下水道支流の側道に三台、サイデール・ビルとジェラール海運ビルとのあいだにやはり三台が配置された。 中型ローリー五台は、目的の三つのビルにすぐ近い第下水道の側道に配置された。 ブタンの液化ガス・ローリー車から降りた運転係りや助手が、仲間の乗用車に乗りこむ。「プラスチック爆弾百キロと電気雷管と磁石付き次元爆発装置六個だ。俺たちが去ってから取付け作業をはじめてくれ。液化ガスは気違いじみて誘爆性が高いから、時限爆発装置は一個で充分とは思うが念のためだ。扱いかたは分っているな?」 アランが言った。ワゴンのようにテール・ゲートを開くシムカ一三〇八から部下が降ろして運んできた手押し車を示す。 Simca-Chrysler 1308 「ああ、ヴェトナムやモザンビークで使ったことがある」 片山は答えた。「じゃあ、管理事務所で待っている」 アランは軽く片山の背中を叩き、自分の車に乗りこんだ。野牛組の乗用車は、下水道支流の側道に尻を突っこんでターンし、次々に去っていった。 一人残された片山は、近くの電灯のスウィッチを入れた。下水道の鈍い照明のなかで、覆面を脱ぐと、手押し車に積まれているプラスチック爆弾をチェックしはじめる。 不安感に捕えられ、掌(てのひら)が汗をかいている。プラスチック爆弾や雷管や時限装置は本物なのだろうか? タンクローリーのタンクは実は空(から)っぽなのではなかろうか、と疑いはじめるとキリが無くなってくる。 プラスチック爆弾はTNTやRDX等の爆薬とゴムを練りあわせたもので、プラスチックに外観が似ている。手ざわりはゴム粘土に似ていて、ゴム粘土のように引き千切ったり丸めたりしても、起爆装置をつけないかぎり爆発することは無い。 ひと塊のプラスチック爆弾を引き千切り、片山は匂(にお)いを嗅(か)いだ。TNT爆薬の刺激臭がする。 乾電池と時限タイマー付き起爆装置と、大砲の信管のように大きな電気雷管をチェックした片山は、自分のゴルフGTIに乗りこみ、車の尻(しり)を下水道支流に方向転換させておいた。 手押し車のところに戻り、プラスチック爆弾を五十キロずつ二つの塊りに分ける。 一つの塊りを、地中海銀行とサイデール・ビルのあいだの下水道支流に面して駐(と)められた一万リッター積み中型ローリーの液化ガス・タンクに貼(は)りつけた。 もう一つの塊りを、サイデール・ビルと赤い軍団の本部があるジェラール海運ビルのあいだの下水道本流に面した中型ローリーのガス・タンクに貼りつける。 時限撃発装置に雷管を嵌(は)めこんだ。はじめのプラスチック爆弾のあいだに三個の時限撃発装置を挿入(そうにゅう)した。液化ガス・タンクの鋼板が爆発装置の磁石に反応して吸いつける。 あと三個の時限撃発装置を、もう一台のローリー車のプラスチック爆弾のあいだに挿入した。 Youtube - C-4 Explosive Demolition Range by AiirSource Militaryhttps://www.youtube.com/watch?v=S8kUT5-Km3w RDX | TNT | C4 Explosion by Funker Tactical - Fight Training Videoshttps://www.youtube.com/watch?v=OQakcH0PMW4 腕時計を見ながら、一番目の時限爆発装置のタイマーをぴったり二十五分後に合わせ、安全ピンを抜き捨ててスウィッチを入れる。カチカチと音をたてて時限装置が働きはじめた。 わずかずつタイマーの時間をずらせて、なるべく同時に撃発するように祈りながら、片山はあと五個の時限装置を作動させた。 下水道の電灯を消し、GTIに跳び乗って発車させた。一キロほど離れてから一時停車させ、荷物スペースからM十六自動ライフルと、手榴弾(しゅりゅうだん)を吊(つ)ったM十六用弾倉帯を取出した。 M十六に装填し、安全装置を掛けて助手席の床からシートにかけて斜めに立てかけ、弾倉帯を腰に捲いた。ナイロン・ストッキングで再び覆面する。 再び車を走らせる。ヘッドライトは上向きにしていた。車窓は開いている。 片山の小さな車が車輛搬入口から下水道の管理事務所に跳びだして急ブレーキを掛けると、アランたちが走り寄った。「爆発はあと十九分五十秒後だ」 右手を腰のG・Iコルトの銃把(じゅうは)の近くに遊ばせた片山は、腕時計に目を走らせながら叫んだ。「了解。あとの連絡は例のところで。残金のことも忘れるなよ」 アランが言った。例のところとは、ベルナール・ブリオールの屋敷のことだ。「分ってる」 片山は前輪を激しく空転させてゴルフGTIを再び発進させた。裏門の係りがあわててそれを開いた。 背後では野牛組の連中がそれぞれが乗ってきた車に転(ころ)げこんでいる。 片山を追うためでなく、爆破された銀行の現ナマを狙うためだ。無論、赤い軍団の本拠の連中と一戦を交えるためもある。 片山は管理事務所を抜けると覆面を外し、セパストポール大通りからグラン・プールヴァールの大通りを通り、銀行通りの、地中海銀行やジェラール海運ビルなどと反対側に並ぶビルの一つの露地に車を駐めた。 高層アパルトマンであるそのビルから、目標のうちで一番近いジェラール海運ビルまで三百メーターほど離れていた。M十六ライフルを摑(つか)んで、十階建ての高層アパルトマンの電動扉(とびら)を開き、非常階段を屋上に向けて駆け登る。 番人(コンセルジュ)が追いかけてきたら気絶させる積りだ。もしパトカーを呼ばれたとしても、あと数分後に起る大爆発のショックで、警官は片山に興味を失うだろう。 一気に屋上に駆け登った片山は、さすがに荒い息をついていた。爆発まであと三分だ。爆発の破片から目を保護するために、カリクローム・イエローの強化焼入れレンズがついたレイバン・シューティング・グラスを掛ける。屋上の鉄柵(てっさく)にもたれ、目的の三つの銀行のほうを見る。 Ray Ban Bausch & Lomb Kalichrome Shooters 62mm, Vintage Ray Ban DECOT Kalichrome Bullet hole Shooters, Vintage 爆発は一度に起った。時限装置のタイマーのタイミングが合ったというより、誘爆のせいであろう。 予想以上の物凄(ものすご)い爆発力であった。もし路上であの十一台のタンクローリーが爆発したとすると、三百メーター以上離れた片山も、黒焦(くろこ)げの即死体となって吹っ飛ばされたことであろう。 地中海銀行をはじめとする目標の三つのビルは、青白い炎に包まれながら十メーターも持ちあがったかのように見えた。大下水道の上の銀行通りが爆心から左右二百メーターずつにわったて消失した。炎の物凄い熱が片山にも伝わる。 激しいショックと爆風が片山がいる高層アパルトマンを揺るがせ、片山は尻餅(しりもち)をつきそうになる。大地震のようだ。屋上に亀裂が走る。 持ち上った三つのビルは、陥没して炎を吹きあげる銀行通りに向けて、崩れながら倒れこんだ。爆風で吹っ飛んだ歩道の石が、唸(うな)りをあげて飛んでくる。 崩壊した建物は、目標の三つのビルだけではなかった。爆心近くのビルは少なくとも十五個は崩れ倒れ、そのうちの十二は銀行だ。さらに二十近い銀行が大破された。 炎はすぐに消えたが、あまりにも目茶苦茶に破壊されたジェラール海運ビルで生き残っている赤い軍団の者はいないように見えた。 片山は液化石油ガスの爆発力の強大さを計算しちがえた自分を罵(ののし)るが、ジェラール海運ビルの廃墟(はいきょ)に近寄って調べるために非常階段に走り寄る。 非常階段を駆け降りると、すべてのガラスが割れてしまった窓から、住人たちの阿鼻叫喚(あびきょうかん)の騒ぎが聞えた。 アパルトマンの前の通りも、今はセンター・ライン寄りが幅二メーターほど陥没していた。片山がゴルフGTIを駐(と)めた横丁にも亀裂が走っている。 片山は大回りしてジェラール海運ビルの裏手のほうに車を走らせた。爆発に胆(きも)を冷やして車を車道のいたるところに捨てた連中が多いので、片山は歩道にしばしばGTIを乗り上げた。 ジェラール海運ビルの廃墟百メーターほど背後で車から降り、ナイロン・ストッキングで覆面し、フル・オートにしたM十六ライフルを腰だめにして歩く。足許(あしもと)がしばしば崩れ落ちそうになる。余熱でサウナ風呂に入っているようだ。 さまざまな銀行から略奪した現ナマを詰めた麻袋を背負って行き来している野牛組の連中は、片山が左腕につけている黄色いリボンを認めて発砲してこなかった。 岩石の捨て場のようになったジェラール海運ビルの跡に片山は足を踏み入れる。死体の手足や胴が散らばっている。黒焦げになって縮んでしまった死体もあった。人間の形をした灰の塊りもある。 呻(うめ)き声が聞え、ハッとした片山はM十六を振り向けた。 呻き声は、高さ二メーター近くも石が積もった向い側から聞こえていた。片山は用心深く回りこむ。 高さ一メーター半ほどの石壁の残骸(ざんがい)越しに覗(のぞ)いてみた片山は軽く身震いした。 そこには、爆風で服を飛ばされたらしく全裸になった初老の肥満体の男が倒れていた。腸が肛門(こうもん)から一メーターほどはみ出し、額や体の右半分が焦げて炭化している。しかし男はまだ生きていた。両眼は潰(つぶ)れている。割礼を受けていた。「救助隊員だ。しっかりしろ。あんたは誰(だれ)なんだ?」 男の横に蹲(うずくま)った片山は尋ねた。「ルシアン・ベルグマン・・・・・・助けてくれ・・・・・・地中海銀行の常務取締役だ・・・・・・」 男は聞きとりにくい嗄(しわが)れ声をやっと漏らした。 常務取締役のような重役が銀行で夜遅くまで残業した筈はないから、ジェラール海運ビルで爆発に会ったのであろう。だからルシアンは赤い軍団のトップ・クラスの一人にちがいない・・・・・・片山はニヤリとしたが声は重々しく、「ダヴィド・ハイラルとコヨーテは、いまどこにいる?」 と、尋ねた。「・・・・・・どうして・・・・・・そんなことを・・・・・・知りたがる?」「ジェラール海運ビルにいた同志は、あんたをのぞいて全滅した。俺はこれからすぐに、ボスにそのことを知らせないと」 片山は言った。 朦朧(もうろう)としているルシアンは、片山の言ったことを信じたようだ。「ムッシュー・ハイラルはニューヨークにいる・・・・・・ニューヨーク支部にでなく・・・・・・廃墟同然となったサウス・ブロンクスの・・・・・・ボストン・ロードの・・・・・・クラトナ公園のすぐ近くの・・・・・・ジャクスン不動産ビルに・・・・・・電話は・・・・・・」 ルシアンは代表番号をしゃべった。「どうして、ニューヨーク支部にでなく、そんなところにいるんだ?」「待ち伏せてるんだ・・・・・・赤い軍団に執拗(しつよう)な闘いを挑(いど)んでやがる国籍不明の混血の気違い野郎を・・・・・・奴が罠(わな)に跳びこんでくるのを・・・・・・サウス・ブロンクスなら、大砲をブッ放しても驚く者は少ない・・・・・・それに・・・・・・まわりのビルを爆破させたり放火させたりして、地主から安く買い叩くために・・・・・・ブロンクスを不法占拠しているプエルトリコ人を手なずけてある・・・・・・今はサウス・ブロンクスの土地の大半が・・・・・・赤い軍団のものだ・・・・・・苦しい・・・・・・早く助けてくれ・・・・・・まだ死にたくない・・・・・・早く・・・・・・」 ルシアンは赤黒い血の塊りを吐いた。「ダヴィド・ハイラルの・・・・・・赤い軍団の最終目的は何なんだ? 教えてくれ。俺はいつまでもツンボ桟敷に置かれたくない」「知る必要はない・・・・・・それよりも、早く助けてくれ。君はほんとに味方なのか?」「味方だ。じゃあ、せめて軍団のニューヨーク支部がどこにあるのかを教えてくれ。俺はそれさえも知らされてないんだ」「五番街にある・・・・・・九十×丁目の・・・・・・コンチネンタル信託銀行・・・・・・」「軍団がキャナダの奥地で中性子爆弾の開発を進めている狙いは?」「そうか・・・・・・分った・・・・・・貴様、やっぱり騙(だま)したな!・・・・・・くたばりやがれ、スパイ野郎!・・・・・・中性子爆弾のことを知ってるところを見ると・・・・・・そうだ、貴様こそ軍団の最強の敵・・・・・・混血の気違い野郎だな?・・・・・・貴様の名前は割れている・・・・・・貴様がミラノで残した指紋から・・・・・・我々の軍団は警察に大勢の協力者を抱えてるんだ・・・・・・貴様はフランスから国外追放をくらった筈のケネス・マクドーガル・・・・・・またの名をケンイーチ、カタヤーマ・・・・・・買収してある刑事(デカ)を通じて、顔写真も手に入れた・・・・・・たかが女房子供を殺されたぐらいで・・・・・・怒りくるって・・・・・・地獄の戦いに突っ走るとは・・・・・・正真正銘の気違いだ・・・・・・だけど貴様の狂った脳はもうそろそろ粉々に吹っ飛ぶ・・・・・・貴様はニューヨークに着いた途端にくたばるんだ・・・・・・ざまあ見やがれ・・・・・・」 ルシアンは右手で喉(のど)や胸を掻(か)きむしった。皮膚や焦げた肉がはがれる。「どうして俺はニューヨークに着いた途端に死ぬんだ」「空港でも・・・・・・待伏せ・・・・・・くたばれ!・・・・・・」 そこまでしゃべると、血の塊りを喉につまらせたルシアンは死の痙攣(けいれん)をはじめた。腸がさらに、ずるずると押しだされる。 片山は吐き気をこらえ、ルシアンに人工呼吸をはじめた。 だが、すべての肋骨が折れているルシアンは、二度と息を吹き返さなかった。脈も止まったきりだ。 ルシアンの肺から吸いだした血が顔を染め、悪魔のような形相になった片山は、よろめきながら立ち上がる。 (つづく)
2021年12月11日
ParisPhoto by Robert Schaub >前回 夜が明けてから二時間ほどたつと、ベルナールとフランソワは、書斎の二台の電話を使って、ベルナールの子分たちに次々に指令を与えた。ベルナールがコネを持っている実業界や政官界の連中にも電話する。 片山は、ベルナールの運転手兼ボディ・ガードのクロード、女中、家政婦、それに雑役の少年を地下の空き部屋に閉じこめてあった。 彼等が気絶から覚めた時に渇(かわ)きと飢えを鎮めることが出来るように、バケツに数杯の水とソーセージとハムの塊りを与えてある。大小便のほうは垂れ流してもらうほかはない。ヴァレリーのほうはロープを解いて、寝室の脇(わき)の浴室に閉じこめてある。 やがて、ベルナールの手下や友人連中から、続々と電話が掛かってきた。 フランス・パンを縦割りにしたものにソーセージやチーズやタマネギをはさんだものをかじり、コーヒーやミネラル・ウォーターで割ったワインを胃に落としこみながら、二人は電話に応えメモをとる。 直接会って話をしたい、という手下には、悪いカゼを引いているので駄目だ、とベルナールは答えた。 夕暮れ時までには、かなりの情報が集まった。 メッセンジャー・ボーイが何度か、重要書類を入れた大型封筒を届けにきたので、ベルナールを縛っておいて、フランソワと共に玄関に出た片山が受取る。フランソワに受取りのサインをさせ、片山がチップを払う。 ダヴィド・ハイラルはパリを留守にしているようであった。どこに行ったかは、地中海銀行の場合もハイラル貿易の場合も、連絡はダヴィドからの一方通行なので分らない、ということだ。 ダヴィド・ハイラルの自宅はパリから車で一時間ほどのフォンテブローに近い牧場だが、家族は半月ほど前からどこかに旅行に出て、使用人しか残っていない、ということだ。〝コヨーテ〟ことブライアン・マーフィについては、顔写真だけでなく全身のスナップ写真も手に入ったが、コヨーテも昨日から、パリから姿を消しているようだ。コヨーテは家も妻子も持ってなく、赤い軍団の本部に専用の寝室を持っているらしい。 片山は、地中海銀行とハイラル貿易の副頭取や副社長のほかに、その二つの企業の役員を兼ねている連中についての情報を、しっかしと頭に刻みこむ。メッセンジャー・ボーイが持ってきた資料のなかには、彼等の写真も含まれていた。 地中海銀行とサイデール・ビル、それに赤い軍団の本拠のジェラール海運ビルを中心とした地下下水道の図面も手に入った。 銀行通りの下の下水道は、高さは七メーターだが、幅は三十メーターもあり、幅六メーターずつの左右の側道にはさまれた広い溝(みぞ)が下水の本流路になっている。 そして、地中海銀行ビルとサイデール・ビル、それにサイデール・ビルとジェラール海運ビルのあいだの二本の横丁の下には、幅七メーターの下水道の支流があって、銀行通りの大下水道に流れこんでいる。 支流のほうは、幅三メーターの側道が片方につき、幅四メーターの流路の溝が大下水道の側道の下をくぐって、本流路とつながっている。 三つのビルをつなぐトンネルがあるとすれば、下水道支流のさらに下をくぐっているのであろう。「この大下水道に、どこからか、トラックやタンクローリーを運びこむことは出来るか?」 片山はベルナールに尋ねた。「側道が広いのは、車を通すためだ。清掃局かどっかに、下水道への出入口があるんだろう。調べてみる」 ベルナールは答え、数本の電話を掛けた。 地上から下水道に通じる車輛の搬入口は、パリ下水道局の各管理事務所の構内にあることが分った。銀行通りに一番近い搬入口は、中央第三管理事務所にある。「液化石油ガスを運搬するタンクローリーが集まる場所を調べてくれ。中型だけでなく、小型のローリーも集まるところだ。無論、プロパンやブタンやエチレンやプロピレンなどの液化ガスを満載したローリーだ。それに、ギャング団がそれを襲うとしたら一番襲いやすいところも調べてくれ」 片山は言った。「何を企んでるか分ったぜ。タンクローリー車の液化ガスを地中海銀行の近くの下水道で爆発させようというんだろう? 液化ガスの爆発力は物凄(ものすご)いらしいからな。爆薬そこのけだ」 ベルナールはニヤニヤした。再び電話をはじめる。 パリ北方四十キロほどの国道百六十号から少し入ったところに、液化石油ガス運搬車専用のトラック・ストップのドライブ・イン兼モーテルがあって、そこが液化ガスのタンクローリー車の運転手連中の溜り場になっていることが分った。 そこは二十四時間営業で、爆発事故にそなえて、周囲二キロ内にはほかの建物の建築は許可されてない。「よし、電話は一休みして、ゆっくり話しあおうぜ。俺が考えてることはあんたに大体分ったと思うが、そいつにぴったりくるギャング団はどこのところが一番いい?」 片山はコーヒー・カップを手にしたまま言った。「そうだな、“野牛(ビゾー)” 組が一番ぴったりだと考えていたところだ。奴等は金さえ払えば、たいがいの荒っぽい仕事をやってのける。その上、仁義は守るし」 ベルナールは顔に浮き出た脂汗をハンカチで拭いながら答えた。「野牛組というところには、何人ぐらいの組員がいるんだ?」「五百人ほどだ。組長はモーリス・ローランといって、第二次大戦のレジスタンス闘士のうちで大物だった男だ。レジスタンス闘争中に破壊活動をくり返しているうちに病みつきになって、戦争が終っても平和で退屈な日常生活に耐えられなくなったんだ。俺の口から言うのは何だが、フランス人は人生最も意気に感じないケチ野郎だなどと言われている。だけど、少なくとも奴だけは別だ。奴が約束を破ったことはない。 モーリス・ローランのもとにはレジスタンスの生残りのうちの血の気の多い連中や、外人部隊の除隊者が集まったが、今では暴走族上りのチンピラも抱えこんでいる。あんた、モーリスにいくら払う積りだ?」「まだ決めてない」「そうかね? じゃあ、こういうことではどうだ? まずモーリスに値段を出させる。奴の言い値を俺が三十パーセント値切ってやるから、そのかわり十パーセントのリベートを俺に払ってくれ」「モーリスと談合して、モーリスにひどい掛け値を出させるんじゃないだろうな?」「よしてくれよ。俺だって自分のことを正直者だなんて思ってはいないが、あんたの報復の怖(こわ)さはよくわきまえている」「よし、分った。しかし、モーリスという男は、俺たちの話に乗るだろうかな? 相手が赤い軍団だと知ったら怖気(おじけ)づいてしまって、赤い軍団に俺たちを売ろうとするんじゃないか?」「大丈夫だ。奴の野牛組は、スポンサーの大企業や金持ちを赤い軍団に次々に横取りされてアタマにきてるんだ。それを言うと安く買い叩かれると思って、モーリスはあんたにはしゃべらんだろうがな。 ただアタマにきているだけでない。金銭的損失も大きいが、野牛組はスポンサー争奪戦で赤い軍団にかなりの人的被害をこうむっている。七人が死に、二十人が不具同然となった。 野牛組としては、何とかして赤い軍団の本拠に殴りこみを掛けたいところだが、赤い軍団の正体が分らず、まして本拠がどこなのかも分らんので、歯ぎしりするだけだったのだ」 ベルナールは言った。「じゃあ、モーリスに連絡をとってもらおうか?」「ああ。明日の昼食にモーリスと副組長を招くことにしよう。話はその席ですることにしよう。もう、女房や使用人を解放してくれるだろうな? 俺の口からも、あんたが俺の友人になったことを言っておくから」「いいとも。ボディ・ガードのクロードに、金儲(かねもう)けがしたかったら俺に手を出すな、と言ってもらおう。そうだ、クロードに五千スウィス・フラン、家政婦に三千フラン、女中と雑役の少年に二千フランずつ、とりあえず見舞い金として払ってやる。あんたも御苦労だった、フランソワ、この金を受取ってくれるだろうな?」 片山はキャンヴァス・バッグから十枚の千スウィス・フラン札を出して、ベルナールの秘書のフランソワに差しだした。「喜んで・・・・・・」 フランソワは揉(も)み手をした。一万スウィス・フランは約五十万円に当る。 翌朝、片山はベルナールの書斎のソファで目を覚ました。反射的に壁の時計を見ると七時半であった。 神経がささくれて午前四時頃まで眠れなかったので、筋肉がいくらか硬(こわ)ばっている。 起き上がった片山は、ベルナールとヴァレリーの寝室に忍び寄り、ドアをそっと開いてみた。二人とも抱きあったまま眠っているので片山は書斎に戻り、書斎の脇についた第二浴室に武器やキャンヴァス・バッグを運び込んだ。 不精髭(ぶしょうひげ)を剃り、鼻下の髭(マスタッシュ)を小さなハサミで整えると、熱いシャワーを浴びる。冷水シャワーで筋肉を引きしめた。筋肉の硬ばりは消えた。 体を拭(ふ)き、服や拳銃をつけると、姿見の前に立って魅惑の笑いを浮かべてみてから、書斎に戻った。ベルナールから取上げておいたキーで浴室をロックする。ロックしたところで気休めのようなものだが、少なくともベルナールたちに、〝手を触れるな〟と、いう意思表示にはなる。 一階の食堂に降りる。二階にも食堂があるが、二階のほうは接客用だ。 一階の食堂では、ベルナールのボディ・ガードのクロードと秘書のフランソワが、ジャムやマーマレードをなすったバター・パンとミルク・コーヒーというフランス式の簡単な朝食をとっていた。 片山を認めたクロードは屈辱(くつじょく)感に顔を染めたが、歪(ゆが)んだ愛想笑いを浮かべて、「お早うございます。大将・・・・・・昨夜はお心遣(こころづか)いを有難うござんす」 と、軽く頭を下げる。「ベルナール旦那(だんな)の今度の仕事がうまくいったら、たっぷりボーナスを払ってもらえるぜ」 片山は答えた。 食堂とのあいだに仕切りが無い台所から、家政婦兼コックと女中、それに雑役の少年が出てきて片山に礼を言う。「みんな元気で何よりだ。さてと、俺の朝飯はコンチネンタル・スタイルでなく英国式で頼む。それも重くな。オレンジ・ジュース半リッター、カリカリに焼いたベーコン十切れ、目玉焼き四個、ラードを使って焼いたパンケーキ十枚にバターとメープル・シロップをたっぷり・・・・・・シロップは熱く煮たたせるのを忘れないでくれ。それから、食事中に紅茶、食後はコーヒーだ」 片山は女たちに微笑を向けながら言った。 クロードやフランソワと雑談して友好的雰囲気(ふんいき)を作りあげるように努力しながら朝食を平らげる。パンケーキ十枚について、片山はバター四分の一ポンドを使った。 野牛組のボスのモーリス・ローラン、その秘書のジャック、副組長アラン・ルノー、それにモーリスのボディ・ガード二人とアランのボディ・ガードは、約束の十二時十五分ぴったりに、キャディラック七五フォーマル・リムジーンとリンカーン・コンチネンタル・タウンカー四(フォー)ドア・ハードトップに乗ってやってきた。 モーリスとジャックはモーニング・コート姿だ。迎えたブリオール夫妻も正装していた。秘書のフランソワはフロック・コート姿だ。片山は正装を持ってないので、リーヴァイス・パンテーラのデニム・ジャケット姿だ。 二台のフォーマル・カーの運転手は一階の食堂に案内され、モーリスたちは二階のサロンにまず案内された。 野牛組組長のモーリス・ローランは、六十近い年だが、大柄な体と角ばった顔から強烈な精気を発散させている。目の色は茶色だ。 副組長のアラン・ルノーは、中背の痩身(そうしん)だ。年は五十歳ぐらいで、慇懃(いんぎん)だが冷酷な印象だ。目は空色だ。 片山はベルナールによって、ケネス・カタヤマ・マクドーガルと米国名をモーリスたちに紹介された。 妻子が殺されたあと片山がパリで大暴れしたことはモーリスたちもよく知っているから、片山が変名を使ったら、かえっておかしいことになる。「あんたがあの “地獄のケン” か?」 モーリスは片山に興味を示した。モーリス側のボディ・ガードたちは、さっと緊張して、腰の拳銃に手を触れてみる。 アペリチーフのドン・ペリニヨンのシャンペーンを飲んでから、一行は来客用の食堂に移った。 雑役の少年が酒注ぎ係り、女中がウェイトレスになって昼食がはじまる。雉(きじ)のワイン煮をメインとした食事のあいだ、世間話ばかりで商売の話は出なかった。 コニャック入りのコーヒーと葉巻きを手に、サロンに戻ってから、モーリスが、「それでは、はじめてもらおうか」 と、言った。サロンに戻ったのはモーリスと秘書とアラン、それにベルナールと秘書と片山だけで、ほかの連中はシャット・アウトだ。「赤い軍団のボスはダヴィド・ハイラルだ 」 ベルナールは話しはじめた。 激しいショックを受けたモーリス側と、激しいやりとりが続いた。時には、野牛組だけサロンの隅(すみ)に移って密談を交す。「分った 」 モーリスが言ったのは二時間ほどたってからのことであった。パーコレーターから注がれた何杯目かのコーヒーとクリームをゆっくり掻(か)きまぜ、「報酬の点で折合いがついたらの話だが、俺たち野牛組がやる仕事というのは、液化ガスのタンクローリーを十台ほどカー・ジャックし、下水道局の管理事務所の一つを制圧して、地中海銀行の下のあたりにタンクローリーを運びこむことだな? しかし、タンクローリーの爆破作業だけはケンにやってもらいたい。爆破用の材料なら、プラスチック爆弾でも時限式の信管でも提供するから」 と、言う。「赤い軍団の復讐(ふくしゅう)が怖(こわ)いのか? あんたの部下が爆薬をセットしようと、俺がやろうと、あんたが気に病むような問題じゃないと思うんだが」 片山は言った。「いや、大いに問題だ。液化ガスの爆発で崩壊する建物は、赤い軍団関係の三つのビルだけでない。捲(ま)きぞえくってくたばる人間も少なくない筈だ。実際に手をくだしたか、それとも資材を提供しただけかでは、寝覚めの良し悪しが大いにちがってくる。それに、無論、サツにバレて捕まった時、刑の重さがちがってくるしな」 モーリスがニヤリと笑った。「分った。だけど、俺が爆薬をセットしている時に赤い軍団やサツに包囲されるなんて御免だぜ」 片山は苦笑いしてみせた。「野牛組を信用してくれ。それに、はっきり言っておくと、爆破のドサクサにまぎれて、地中海銀行やほかの銀行の金庫室から現ナマを奪うことにしたんだ。ジェラール海運ビルの赤い軍団の連中は皆殺しにする。だから、あんたを裏切るなんて、自分の首を絞めるようなものだ」 副組長のアランが言った。「赤い軍団の何人かは生捕りにしてくれ。生捕りにしておいて、しゃべらすんだ。軍団の世界組織のことをな。ダヴィドやコヨーテがどこに隠れてるかもだ」 片山は言った。 勿論(もちろん)、そんなことは、あんたからも言われないでも分っている。出来るだけ努力はするよ。しかし、爆発で奴等が全滅しても、俺は責任を持てないぜ」 アランは答えた。 それから、片山が野牛組に払う報酬額の交渉に移った。 モーリス・ローランは、はじめ百万ドルを要求した。 ベルナールはそれに対し、野牛組は地中海銀行やその近くの銀行からの掠奪(りゃくだつ)で大金が手にはいる筈(はず)だから三十万ドルでも高すぎる、と主張した。 激論の末、五十万ドルで手を打つことになった。片山はそのうちの前金の二十万ドル相当額をスウィス・フランの現ナマでモーリスの秘書に渡した。 (つづく)
2021年12月04日
Eiffel Tower at night, Paris 16 PassyPhoto by Carlos Sanchez >前回 ジュネーブの近くでフランスのパスポート・コントロールを無事にパスした片山は、B・M・W七三三iAを一度リヨンに向けて走らせた。 リヨンで給油し、ヨーロッパ道路一号、つまりE1(ワン)の高速道路をパリに向った。リヨンからパリまでは四百キロ以上ある。七三三iAのガソリン・タンクは予備も含めて八十五リッター入りだし、高速になっても無茶苦茶にガソリンをガブ呑(の)みするようなことはないから、百六十キロ程度にスピードを押さえれば、パリまで無給油で走れて、まだタンクに充分な余裕があるだろう。だが七三三iAは高速時の燃費は良好とはいえ、時速二百キロ平均で飛ばし続けると、二時間足らずで燃料タンクは空っぽになると聞いたことがある。 尾行車の有無を確かめるために、しばらくは百二十キロから二百キロ近くまでスピードを変えてみたり、強引な追い越しをしてみたりする。 ポルシェの九三三ターボが二百五十近いスピードで追越して行った。しかし、尾行車が先に行って待伏せるのなら、そういった目立つ行動はとらぬだろうから、片山はB・M・Wのスピードを百六十から百七十に保ち、オレンジや生ハムをかじりながらのんびりと走らせる。ドイツのアウトバーンとちがって、フランスのオートルートには、石油危機以来、最高百二十キロのスピード制限があることにはなっているが、それはエネルギー節約のためであって、ガソリン代よりも時間節約の方が大事な者は、大っぴらに飛ばしている。 眠気がさしてくると、嚙(か)みたばこを口に放りこんだ。 パリに着くと、とりあえず終夜営業のガソリン・スタンドで、七十リッターほどのガソリンをタンクに呑みこませた。 自家用車で客をあさる売春婦がさっそく寄ってきたが、片山はすげなく追い払う。 しかし、片山のB・M・Wが走りだしてしばらく行くと、ほかの売春婦の車が赤信号で並び、その女が片言のスペイン語で誘ってくる。ほかの商売女の車がB・M・Wの前に割り込んで、その女も片言のスペイン語を張りあげた。 スペイン・ナンバーの車に乗っているからだと気付き、片山は商売女の車を撒(ま)いてから、裏通りに車を停(と)めた。 B・M・Wにつけてあったナンバー・プレートを外し、パリ・ナンバーのシトローエンDSのものを外してB・M・Wにつける。ヨーロッパのさまざまな国のものを用意してあった国籍ワッペンのうちのフランスのFマークを択び、B・M・WについていたEのエスパニョール(スペイン)・マークの上に貼(は)りつける。 そのナンバー・プレートを使ったB・M・Wを表通りに出してみると、地元の車と知った売春婦の車は追いかけてこなくなった。 片山はパリの土地カンを取戻すために、盛り場から盛り場にと車を走らせた。深夜とはいえ、ピガールやシャンゼリゼ裏の売春バーはまだ開いているし、ポルノ・ショップやライブ・ショーの店の前では客引きが声をからしている。 ゲイ道がさかんな ホモでユダヤなら鬼に金棒だ パリだから、閉店しても照明は消さない店々のショー・ウィンドウを覗(のぞ)くふりをしてカモを待っている街娼(がいしょう)のうち五分の一ほどは男だ。 男色専門のレストラン・シアターやナイト・クラブの近くに立つ厚化粧の連中は、ほとんどが性転換をした、かつての男だ。 ダヴィド・ハイラルの地中海銀行本店は、オペラ座やヴィクトワール広場やパレ・ロワイヤルに近い銀行通りにあった。 銀行通りという正式名だけに銀行が多く、証券会社も多い。地中海銀行は近代的なビル、〝サイデール〟本部は古色蒼然(そうぜん)とした石造りとちがっても、大きな建物だ。 ルーブル博物館寄りに慈善団体〝サイデール〟本部ビルと隣接したジェラール海運ビル、つまり赤い軍団の秘密本部は、フランスや南欧によくあるタイプのもので口の字型をしていた。地上は四階建てだ。 つまり、表に面した側の建物の真ん中に、大型トラックが通り抜けられるほどのアーチ型の出入口があり、そこから中庭を通って、建物の左翼や右翼、それに突当りの建物に直接出入りすることが出来るようになっている。 乗用車なら五、六十台が駐車出来る広さの中庭には、三十台ぐらいの車が駐(と)まっているようだ。 表通りに面した建物の灯(あかり)は消えていたが、中庭の奥の建物では片山をどう始末するかの会議でも行われているらしく、幾つかの窓から灯が漏れていた。 中庭を短機関銃をかついだ制服姿のガードマンが数人パトロールしているので、片山はすぐにジェラール海運ビルの前からB・M・Wを遠ざけた。 マドレーヌ寺院に近い高級食料品デパートのフォルチンは、今は爆破の跡は修理されていたが、妻と子が爆殺された日のことを思いだして、車を停めた片山はしばらくのあいだ髪を掻(か)きむしっていた。ダヴィドに対する呪詛(じゅそ)を口のなかでくり返す・・・・・・。 再び車を動かした片山は、サン・ラザール駅から三百メーターほど離れた路上に駐車スペースを見つけ、そこに車を駐めた。 夜勤労働者向けの大衆食堂が近くに見えたので、その店に入る。満席の三分の一ほど入っている客は、みんな作業服のままで、ここでは商売にならないから売春婦の姿は見当らなかった。 安物のガラス・ディキャンターに入れて運ばれたボージョレーのワインを飲みながら、片山は卵スープとジャガイモの空揚(からあ)げが大量に添えられた、ニンニクが効きすぎのステーキを食った。 国境税関内にある銀行の出張所で換えておいたフランで勘定を済ますと、電話用のジュトンを五枚買った。オモチャのコインのようなジュトンでなくても、コインを直接使える公衆電話もあるから、十フラン札を二十サンチーム硬貨と、チップ用の一フランに替えた。 地下のトイレに降りると電話のブースが並んでいた。大衆食堂だから、何が何でもチップをむしり取ってやろうと待構える番人のババアはいなかった。 トイレを済ませてから、片山は備えつけの電話帳が尻ふき用に使われていない電話ブースの一つを見つけ、かつて痛めつけたことがあるヤクザや情報屋の名を電話帳で捜した。 住所が変っていない連中の名と電話番号とアドレスをメモする。 一時間ほどかかったが、その途中で片山は数回、ジュトンを電話のコイン・スロットに入れ、電話帳のなかから出鱈目(でたらめ)に択(えら)んだナンバーにダイアルする。 寝ぼけながらも電話を受けた相手に、もっともらしく話しかける。店の者に、あの客はいつまでトイレに入っているのだ、と怪しまれないようにするためだ。電話の相手が怒り狂いはじめると、片山は電話を切る。 階段を登った片山は、これから仕事に向う市の清掃課の連中と一緒に店を出た。ヨーロッパの大都市のほとんどは、早朝にゴミが片付けられ、昼間は特定のルートをのそくと、大型トラックが市内を走ることが禁じられている。 かつては銀行破りのプロで、今は情報屋集団と総会屋集団の〝バラのトゲ〟グループのボスであるベルナール・ブリオールの住居は、ブローニュの森につながる高級住宅街パッシーにあった。 パリの住人のほとんどは、アパルトマンやステューディオ暮しだが、パッシーには一戸建ての住宅が多い。ベルナールの家も庭付きの一戸建てであった。石塀(いしべい)は高く、門は狭(せま)くて、外からプライヴァシーを出来るだけ覗(のぞ)かれないようになっている。 片山のB・M・Wがベルナールの屋敷の前を一度ゆっくり通りすぎた時には、東の空が青灰色を帯びていた。 一ブロック離れた道に路上駐車させた片山は、用意をととのえると、歩いてベルナールの屋敷まで戻り、鉄柵(てつさく)の門を身軽によじ登って乗り越えた。 池まである庭には、三台の車が置かれてあった。黒塗りのキャディラック・フリートウッドのリムジーンとシトローエンCXパラス、それにゴルフGT・I(アイ)だ。 家は二階建てであった。玄関の電動扉(とびら)の隠しスウィッチがどこについているかを片山は覚えているが、その扉を開いたら電動モーターの唸(うな)りを聞いて誰かが起きる怖(おそ)れがある。 まったく足音を立てずに片山は建物の裏口に回りこんだ。ナイフの刃をドアと柱の隙間(すきま)に滑(すべ)りこませて閂(かんぬき)を外し、軽くドアを押すと、巧みにドア・チェーンを外す。 一階に使用人が住み、二階にベルナールと、前妻や子と別れてまで妻にした若いヴァレリーの寝室があることを片山は知っている。もしも、一年ほど前と変ってなければ、の話だが。 米国製の電化製品が揃(そろ)っている台所を抜けて女中部屋のドアを左手でそっと開く。屋内はエア・コンが効いている。 ベルナールの運転手兼ボディ・ガードのクロードが、毛むくじゃらの体に何一つまとわず、ダブル・ベッドで大の字になって眠っていた。太い包〓を起立させている。毛布はベッドから落ちていた。 クロードにベッドを占領された女中は、シーツを捲(ま)きつけ、ソファで猫(ねこ)のように丸まって眠っていた。 ベッドのヘッド・ボードに、ブラウニング・ハイ・パワー十四連発の自動装填式拳銃を収めたホルスターが吊(つ)られている。 クロードの右耳は無かった。一年ほど前、片山にナイフでそぎ落されたからだ。 片山は殺気の発散を押さえ、幻影のようにベッドに忍び寄った。クロードの脾腹(ひばら)に手首までめりこむほどの手刀を突き刺してねじる。 クロードは落雷を受けたかのように四肢を突っぱらせて意識を失った。 片山は栗色の髪の女中に忍び寄り、首筋に手刀を叩きつけてこれも気絶させる。シーツを女中の体からはいだ。 二十歳ぐらいの、フィンランドかノルウェイあたりから出稼(でかせ)ぎに来ているらしい大柄の女中は、ソバカスだらけの真っ白な肌(はだ)と巨大な乳房を持っていた。まさに、ミルク・タンクといった感じだ。 片山は音がしないようにナイフでシーツや毛布を裂き、クロードと女中を縛りあげ、猿グツワを嚙ませる。 次の部屋はクロードのものだから、今は誰(だれ)もいなかった。 その次の部屋では、中年の家政婦兼コックがゴム製の張り型(ディオルド)を插入(そうにゅう)したまま眠っていた。片山は、その女も気絶させて縛り、猿グツワを嚙(か)ませる。 使い走りの雑役の美少年と、その少年と〝夫婦〟である秘書のフランソワは、フランソワの寝室で抱きあって眠っていた。 片山はその二人も気絶させて縛りあげた。 それで一階に住んでいるのは全員であった。 二階に登った片山は、寝室をのぞいた部屋をまず全部調べてみて無人であることを確かめてから、ベルナール・ブリオールとヴァレリー夫婦の寝室に忍びこんだ。 壁も天井も鏡だらけの、連れこみのラヴ・ホテルのような部屋であった。 ベルナールは五十五、六のたくましい体を持つ男であった。下腹から胸にかけて、ナイフの傷跡とそれを縫った跡が一直線に走っている。片山にやられたあと、病院にかつぎこまれたのだ。 ブロンドのヴァレリーは、まだ二十二、三の若さであった。カンカン踊りのダンサー上がりで、その体の線はまだ崩れていない。 ベッドはダブルを二つ合わせたほど広かった。ベルナールは横向きになったヴァレリーの背後に寄り添い、右手をヴァレリーの胸に回して眠っていた。 鏡だらけなので、まだ衰えていないベルナールのポールがヴァレリーの蜜壺のなかに埋まっているのが映っていた。初老というべき年齢にしては大したものだ。 片山が無造作にベッドに近づくと、ベルナールはハッと目を覚ました。寝ぼけ眼が、次第に恐怖に見開かれていく様子が目に映る。「起して悪かったな」 片山は呟いた。 ベルナールは振り返ることもできなかった。 全身を震わせはじめ、ポールが見る見る縮んでヴァレリーからすっぽ抜ける。「き、貴様か?・・・・・・悪魔が戻ってきた!」 と、わめいてヴァレリーにしがみつく。 ヴァレリーが目を覚まし、鏡に映る片山を見て、金切声をあげた。「静かにしろ。どうあがいても助けに来る者はいないが、金切声は好きになれぬ。黙らねえと、その口を糸と針で縫ってやるからな」 片山は言った。 ヴァレリーは充血した白目を剥(む)いて意識を失った。「な、何しに戻ってきた! 国外追放をくらったと聞いてたが、どうやってまたフランスにもぐりこんだんだ?」 ベルナールは呻いた。「女房と子供を殺した組織が分ったんだ。仇(かたき)を討つためには、あんたに協力してもらわねばならん。あとで、ゆっくり話しあうとして、とりあえずは、しばらく眠っていてもらおう」 片山は言い、ベルナールの首筋に手刀を叩きつけて気絶させる。 ベルナールとヴァレリーをシーツで裂いて作ったロープで縛り、猿グツワを嚙ませる。ブロンドのヴァレリーの長いクレヴァスを飾るピュービック・ヘアは栗色だが、欧米人はどういうわけか上より下の色の濃いのが普通だ。上の髪を明るく染めてる者が多いせいではない。 建物を出た片山は、正門の電動ボタンを押して開いた。路上駐車させていたB・M・Wを庭に入れる。正門を閉じた。 ウージー短機関銃と、弾倉帯と手榴弾(しゅりゅうだん)を入れたアタッシェ・ケースとスウィスの銀行で引出した現ナマを詰めたキャンヴァス・バッグを、ベルナールとヴァレリーのブリオール夫妻の寝室に運びこむ。 それから、ベルナールの秘書のフランソワの体をかついでブリオール夫妻の寝室に運び、ソファの上に放り出す。ショックで、フランソワは意識を取戻しはじめた。三十七、八の頭が薄い痩身(そうしん)の男だ。 左隣りの居間のホーム・バーからアプサンを取ってきた片山は、気絶しているベルナールの臍(へそ)を中心にして腹にたっぷりと掛け、マッチの火を近づけた。 アプサンは青白い炎をあげて燃え、苦痛で意識を取戻したベルナールは縛られたまま転げまわった。失禁する。 片山は、まだ意識がはっきりしてない秘書のフランソワにも同じことをした。 二人の火が消えると、片山は、ベッド・サイドのテーブルに乗っているガリアのシガレットに火をつけ、椅子のの一つに馬乗りになって煙を吐きだす。チャコール・フィルターだから、セヴンスターに似た味がする。 タバコを吸い終えた片山は、ガーバー・ナイフでベルナールの猿グツワを切った。悲鳴をあげるベルナールに背を向け、フランソワの猿グツワを切る。 再び椅子に馬乗りになり、ガーバーの刃をホーニング・スチールの研ぎ板でタッチ・アップしはじめる。「お、俺(おれ)が何をしたと言うんだ? 確かにあんたに痛めつけられたことをサツにしゃべった。だけど、情報屋稼業(かぎょう)を続けるには、サツと仲良くやってないとだめなんだ。分ってくれ!」 ベルナールは泣き声を出した。「あの時、俺が闇雲(やみくも)に貴様を痛めつけたと言うのか? ふざけるな。貴様はその前に、俺の隠れ家を旧O・A・Sグループに知らせた。金をもらってな。俺は組織の殺し屋の訪問を受けた」 片山は酷薄な笑いを浮かべた。「売ったのは俺じゃない! あんたに痛めつけられ、苦しまぎれに認めただけだ」「それは違うな。だが、そのことはもういい。俺はフォルチン・デパートがアルジェリア奪還同盟に爆破された、という情報にまどわされて、見当違いの捜査を進めたんだ。 アルジェリア奪還同盟なんか存在しなかった。アルジェリア独立阻止軍事秘密組織の旧O・A・Sも、フォルチン。デパートの爆破に関係してなかった。 アルジェリア奪還同盟は、赤い軍団という商業テロ組織が便宜上使った名前の一つだ。俺の最愛の女房と息子と娘をバラバラにしやがったのは赤い軍団だ。最近になって、やっとそのことが分った」 片山の顔も声も暗かった。「そうか、やっぱり赤い軍団だったか・・・・・・」 ベルナールは、呻くように言った。「知ってたのか?」 片山の暗い瞳(ひとみ)に鬼火のようなものが光った。「待ってくれ! これ以上痛い目に合わせないでくれ・・・・・・俺だって、あんたが国外に追放されたあとになって、赤い軍団の存在に気づきはじめたんだ。そうだよな、フランソワ?」「確かに、ボスがおっしゃる通りだ」 フランソワが甲高(かんだか)い声で答えた。「よし、ゆっくり話してもらおう」「あんたも知ってのように、俺は総会屋としても顔が広い。色々な会社の経営陣と親しいんだ。大企業とはいえトラブルを抱えてないところは少ないから、株主総会を無事に終らせたかったら、俺の〝バラのトゲ〟グループの世話になったほうが得だ。要するに、俺と彼らとは、持ちつ持たれつの仲なんだ。分るだろう?」 そういうわけで、俺は、関係している会社の社長や経理担当の重役と、勿論(もちろん)、テロ対策についても腹を割って話しあう。デパート・フォルチンの経営陣は、俺だけでなくほかの総会屋もオミットしていたから、あの頃の俺はあんたの助けになる情報を渡すことが出来なかったんだ。分ってくれ。 ともかく、このところ、パリでは商業テロがますますのさばってきて、会社がテロ組織に払わされる保護料が、経営内容まで圧迫するようになった。 そこにもってきて、今年の春頃から、パリの大企業からアガリをかすめる色々のテロ組織の大元締めは、どうやら一つの最高組織らしいことが分った。それが赤い軍団なんだ」 ベルナールは一息入れた。「どうして分った?」「こういう具合だ。例えばAという会社がBというテロ組織に、これまで毎月十万フランの保護料を払ってきたとする。そこに別のCというテロ組織から、月に十五万の献金をよこさないと、工場を爆破するなり重役を不具(かたわ)にするとかの脅迫があったとする。 A社としてはB組織に保護料を払っている以上、B組織にC組織を黙らせてくれるように、と申しこむのは当然だろう? しばらくして、どこかで銃撃戦や爆弾騒ぎが起り、C組織でなくB組織が壊滅する。俺たち夜の紳士がB組織の生残りをさぐり当てて口を割らせてみると、C組織は赤い軍団というとてつもなく巨大な組織の下部団体だ、ということが分る。 反対に、D社がEというテロ組織に保護料を払っているのに、Fという組織がD社にちょっかいを出してきた場合、F組織が壊滅するケースもある。F組織の生残りをさぐり当てて尋問してみて、はじめてE組織が赤い軍団の下部団体あるいは別名らしい、と分る。 つまり、今や赤い軍団は、色々な名前を使い分けながら、パリのテロ地図を塗りかえて一本化していっているんだ。それは、俺が関係している会社にテロ組織から指定された献金先に、リヒテンシュタインのロティール精機やロウエル化学やロンネン油脂といった名前がしばしば出てくることでも分る」「ロウエル化学やロンネン油脂の名は初耳だが、ロティール精機と同じように、トーテム・グローバル、つまりは赤い軍団のダミーらしいな。企業が赤い軍団に献金を振り込む時は、アルピーヌ銀行を通すことが多いんじゃないか?」 片山は尋ねた。こんなことなら、ヨーロッパに来たらすぐにベルナールに当ってみたらよかったのに、随分と回り道をしたもんだな、と思う。「アルピーヌ銀行のことをどうして知っている? それに、トーテム・グローバルが赤い軍団に深い関係がある、というのは本当か?」 ベルナールは喘(あえ)いだ。「あんたは、トーテム・グローバルのことを知らなかったのか?」「知らなかった。本当だ。神にかけて! あんたはどうして知ったんだ?」「この手で赤い軍団の連中を血祭りにあげながらさぐりだしたんだ」 遠回りはしたが、無駄(むだ)ではなかった、と思い直しながら片山は言った。「あんたのような命知らずにはかなわない」「赤い軍団の存在は、もうサツも知っているんだろう?」「ああ。しかし相手が巨大すぎる上に、本部がどこなのかもボスが誰なのかも摑(つか)んでないので、手が出せない状態らしい」「あんたも赤い軍団の正体を知らないのか?」「知らんのだ。知りたいのだが、分らん。このところ、企業は赤い軍団に捲きあげられた金をいくらかでも取戻そうと、俺たち総会屋に払う金を値切りはじめたんだ。このままでは、俺たちの商売があがったりになってしまう」「その通りです 」 フランソワが口をはさんだ。「タチが悪い企業になると、総会屋風情がガタガタ抜かすようでは、赤い軍団に頼んで仕返しさせる、などと嚇してくる始末で・・・・・・」「よし分った 」 片山はベルナールに向けて言った。「つまり、赤い軍団は、俺とあんたの共通の敵ということだ。赤い軍団をブッ潰(つぶ)したら、あんたは色々な企業に感謝され、顧問料もはね上る。御得意先は増えて、あんたはフランス一の総会屋になれるぜ」「・・・・・・・・・・」 ベルナールの濁った目に野望の光が燃えはじめた。しかし、すぐに惨めな表情になり、「馬鹿な。俺はあんたとちがって命が惜しい。あんたが赤い軍団に戦いを挑(いど)むのは勝手だが、俺は降ろさせてもらうよ」 と、言う。「そうかい? それで俺だけに赤い軍団をブッ潰させ、貴様のほうは、ぬくぬくと甘い汁を吸おうと言うんだな?」「そ、そんな積りでは・・・・・・」「俺のほうは、あんたの協力が無いと困るんだ。何もあんたに命を張ってくれとは言ってない。あんたの情報網を俺のために役立たせてくれたらいいんだ」「情報だけでいいんだな?」「それに、信用が置けるギャング団を紹介してくれ。タダでとは言ってない。礼金として、あんたに四十万スウィス・フランを支払う。フランス・フランだと百万近いだろう。無論、税務署に申告しないでいい。ギャング団にも、働きに応じた金を払う」 片山は言った。 ベルナールの目にギラギラする光が戻った。四十万スウィス・フランというと五千万円近い。「本当か? 本当なら、現ナマの顔(つら)を拝ませてくれ」 と、わめくように言う。フランスで五千万円相当の無税の金を稼ぐのは大変なのだ。「よし、とりあえず四十万スウィス・フランを拝ませてやる」 片山はベッドにキャンヴァス・バッグを置き、大型の千スウィス・フランを百枚ずつ重ねた札束を四つ取出してベルナールの顔の前に差しだした。札束をめくって、贋札(にせさつ)でないことを示す。「手を縛ってあるロープを解いてくれ。本物かどうか、俺の手で確かめたいんだ」 ベルナールは呻くように言った。「じゃあ、俺の話に乗るんだな?」「本物と分ったら」「オーケイ」 片山はベルナールの手首だけでなく足首のロープも解いた。 火傷の苦痛に顔をしかめながらもベッドの上に坐(すわ)りこんだベルナールは、四百枚の紙幣を一枚一枚丁寧に調べながら数えた。数え終わると、「よし、話に乗ろう」 と、握手の手を差しのべる。 片山は手を握り返した。ヴァレリーの秘部の匂(にお)いが手に移ったが我慢する。 ベルナールはガウンをまとった。片山はフランソワの手足のロープも解いてやった。ベルナールがもう一枚のガウンをフランソワに貸してやり、「まずは、この四十万スウィス・フランを金庫に仕舞いたい。だけど、金庫のダイアル錠のコンビネーションをあんたに知られたくない。どうしたらいい?」「金庫はここの右隣りの書斎にあるんだろう? この寝室との仕切りのドアを開けておいたら、あんたが金庫に金を仕舞うところを見ないようにする。そのかわり、おかしな真似(まね)をしたら、ヴァレリーたちはただちに地獄行きだぜ。貴様のほうは楽に死なせてやらん。なぶり殺しにしてやる」 片山は目にもとまらぬ早さで、ヒップ・ホルスターからG・Iコルトを抜いてみせた。 それから五分後、片山とベルナールとフランソワの三人は、居間に移った。流しや冷蔵庫もついているホーム・バーでフランソワがコーヒーを沸かす。「じゃあ、話をもとに戻すか・・・・・・あんたは赤い軍団のボスが誰なのかを知らんのだな?」 椅子に馬乗りになった片山は、ソファのベルナールに言った。「教えてくれ。一体、誰なんだ?」「ダヴィド・ハイラル」「えっ!」 ベルナールは驚愕(きょうがく)のあまりソファから転(ころ)げ落ちそうになった。「そうさ。ダヴィド・ハイラル。地中海銀行グループの総帥で、慈善団体〝サイデール〟の会長だ」「まさか・・・・・・」「赤い軍団の秘密本部は、〝サイデール〟のビルの隣りにある、ジェラール海運ビルという建物だ。地中海銀行とサイデールのビルと、赤い軍団の本部の建物は地下でつながってるんじゃないか、と俺は想像してるんだが」「あのダヴィド・ハイラルが赤い軍団のボスだという根拠は? 俺にはとても信じられん」「これもダヴィドが蔭(かげ)のボスであるトーテム・グローバルのリヒテンシュタイン人重役が吐いたんだ」 片山は話を簡単にするためにそう言った。「トーテム・インターナショナルやトーテム・グローバルの蔭のボスはダヴィドだったのか? 道理で、あそこはケタ外れの資金を持ってやがる」「あんたにまず調べてもらいたいのは、ダヴィドがいまパリにいるかどうかだ。それに奴のスケジュールが知りたい。奴の家族構成もだ。奴の自宅がどこなのかも、電話帳に載(の)ってないから分らん。それも知りたい。警備状態もな」「全力をあげる」「地中海銀行とハイラル貿易の役員についてもよく調べてくれ」「分った」「それから、地中海銀行とサイデールと赤い軍団本部のジェラール海運ビルを中心とした下水道の図面が欲しい」「下水道? 下水道といえば、例のドブネズミ銀行強盗団に資金を貸したのは赤い軍団だという噂(うわさ)だ」「ダヴィドならそうするだろう。そして、ドブネズミの連中が銀行強盗で稼いだ金を奴の銀行で預かって運用してる筈だ」「金儲(かねもう)けの天才だな、ダヴィドは。俺もあやかりたいよ」「そうだ、重要なことを言い忘れるところだった。ダヴィドには、〝コヨーテ〟という仇名(あだな)の右腕がいる。本名はブライアン・マーフィといって、もとはI・R・Aのテロリストだった。 コヨーテは、赤い軍団の参謀本部長だし、赤い軍団とダヴィド・ハイラルをつなぐ、恐らくただ一つの窓口だ。ダヴィドのボディ・ガードを勤めることもある。腕はたつそうだ。コヨーテを洗ってみてくれ」「分った。ひどく難しいだろうが、やるだけのことはやってみる。俺はサツに友人が多いから、そのコヨーテとかいう男の顔写真は必ず手に入れてみせる」 ベルナールは答えた。 (つづく)
2021年11月27日
Photo by Lorana Gallery >前回 「・・・・・・・・・・」 片山はデュポンの息が鎮まるのを待った。百万平方キロというと、日本全体の約二倍半の広さだ。ユーコンなどのテリトリーは日本では準州と呼ばれている。「ダヴィドは、その買収地を赤い軍団の軍事訓練基地にした。ダヴィドの手下が世界各国から集めてきた連中 既存のテロ組織からはみ出した連中や、新米の傭兵崩れ、それに一匹狼(おおかみ)のヤクザといった連中だ を、その基地に連れていかせて、軍事訓練を受けさせた。 アメリカ人教官は、合衆国コロラド州ボウルダー市二十八番にあるロブ・ブラウン中佐の傭兵募集機関アルファ・グループを通じて傭(やと)ったグリーン・ベレーのベテランたちだ」「ロブ・ブラウンか。奴の名なら聞いたことがある」「どうして?」「いいから続けろ」 ヴェトナムで戦った米陸軍特殊部隊員(グリーン・ベレー)でロブ・ブラウンの名を知らぬ者はないだろう。 Youtube - Lt.Col. Robert Brown: 'I Am Soldier of Fortune' (Aug 12, 2013)from Newsmax TV https://www.youtube.com/watch?v=vWpkA9mY6lY 一九六八年のヴェトナム民族解放戦線による旧正月(テト)大攻勢によって片脚を失ったブラウンは退役し、コロラドに傭兵斡旋機関アルファ及びプロメテウスを設立した。バック・アップしたのは、C・I・Aだと言われている。 はじめの頃は、主に中南米の独裁国に、グリーン・ベレーの任期が切れた者や、ヴェトナムで武勲をたてた退役士官などを送りこんでいたが、やがて南アのW・W・G ワールド・ワイルド・ギース とコンタクトを持つようになり、モザンビーク、ギニア・ビサウ、アンゴラ、エリトリア、ソマリア、ザイール、ローデシア、ナミビア、オマーン、イラン、サウディ・アラビアなどに傭兵を送り出した。 ブラウンは七五年の夏、年二回発行の “ソルジャーズ・オブ・プロフェッショナル・アドヴェンチュアラーズ” を創刊した。 片山はコロラドのデンヴァー郊外にロッジを持っていたから、片山のデンヴァーの友人に住所を聞いたのか、その創刊号の見本が、片山の所属していたアフリカの狩猟会社気付けで送られてきた。片山は定期購読者の一人になった。 その雑誌の性格上、アメリカ国内には速達郵便に相当するファースト・クラス・メイル、国外には航空便でしか発送されない上に送料は読者負担だから、中部アフリカを本拠地としていた片山の場合、二ドルの雑誌代よりも送料のほうが高くついた。 シーズン・オフをデンヴァーで片山が過ごしていた時、ブラウンから直接、アンゴラの反革命軍の大隊長にならぬかと誘われたが、アンゴラの戦況を知っていた片山は断った。 最近〝ソルジャーズ・オブ・プロフェッショナル・アドヴェンチュアラーズ〟誌は隔月刊になったが、片山が最後に見た号では、殺しのテクニック、新兵器の性能と操作法、殺人専用の隠しナイフやコマンドウ・クロスボウなどの紹介、右派から見た国際情勢の解説、各国際紛争国での戦況リポート等が載っていた。 それよりも真っ先に傭兵志願者が見る会報欄には、ローデシアやオマーン等の傭兵募集要項のほかに、アンゴラ解放人民運動MPLAのアンゴラ人民共和国とキューバ軍によって敗走させられた反革命軍のFNLAとUNITAが、懲(こ)りもせずに、ザイールのキンシャシャのホテル・インターコンチに事務所を置いて傭兵を募集しているという知らせが載っていた。 無論、ザイールのモブツ政権もアンゴラとソ連の代理国キューバにバック・アップされた旧カタンガ憲兵隊の再反乱に備えて傭兵を求めていた。 変わったところでは、ニュージーランド空軍が、英米の退役軍人のパイロットやナヴィゲーターを求めていた・・・・・・。「南アフリカからは、マイク・ホウアの “渡り鳥(ワイルド・ギース)” クラブから、コンゴ動乱を戦い抜いた古強者(つわもの)を教官として傭った。イギリスからは、レスリー・バンクスやノーマン・アスペンなどのS・C・S セキュアリティ・カウンセル・サーヴィスを通じて傭ったレッド・ベレー、つまり英国特殊部隊コマンドウ出身者を教官として傭った。 Youtube - 'Mad Mike' Hoare: What kind of men became Wild Geese in the Congo - and why?from Mad Mike Hoarehttps://www.youtube.com/watch?v=3jS5geY4udg 第一期の卒業生は確か三百人と思ったが、そのうち十パーセントほどは再訓練を受けて基地に教官として残ったり、任務で実戦経験を積んでから教官として基地に戻ったりした。今では、教官のほとんどが卒業生上がりだ」「基地の中心地というか、野戦訓練本部があるのはどこだ? ブリティッシュ・コロンビア州? ユーコン準州か? それとも・・・・・・」「知らん。本当だ。私はそういうことに関心が無いのだ。信じてくれ・・・・・・」「・・・・・・・・・・」「ダヴィドはパリの自分の地中海銀行のすぐ近くにある、これもダヴィドが主宰している国際慈善団体〝助け合い(サイデール)〟の事務所ビルに隣接している空きビルを、トーテム・グローバルが子会社の一つを使って買収したジュラール海運という休眠会社の名義で買収し、そこを赤い軍団の秘密本部にした。 翌年になって、つまり今から六年前、キャナダの基地で訓練を終えた者が千人を越えた頃、ダヴィドは合衆国と、ヨーロッパや中南米の主要国に支部を置かせ、テロ活動に突入させた」「ちょっと待ってくれ。ダヴィドは赤い軍団でも、決して表には出ないんだろう? ダヴィド・ハイラルと軍団をつなぐ窓口で一番力があるのは誰なんだ?」「〝カイオーテ(コヨーテ)〟ことブライアン・マーフィだ。もとは北アイルランドの独立と南北アイルランドの武力統一を主張するI・R・Aの闘士で、クレムリンに気に入られてモスクワのパトリス・ルムンバ大学の学生として招かれた。 あの特務機関員養成学校で政治教育を受け、爆弾や銃器を扱う腕に磨(みが)きをかけたマーフィは、世界赤軍の参謀兼殺し屋になった〝ジャッカル〟あるいは〝カルロス〟ことラミス・サンチェスと同期生だったから、しばしば二人はマスコミに混同されている。 ともかく、パトリス・ルムンバ大学を優秀な成績で卒業した〝カイオーテ(コヨーテ)〟は、北アイルランドで爆弾や銃撃のテロ活動に戻った」「・・・・・・・・・・」「しかし、彼はやりすぎた。あまりにも大量に殺しすぎた。プロテスタントや駐留英軍だけでなく、I・R・A側のカトリックにも被害が出ると分っていても平然と爆破活動を行った。 そういうわけで、 〝コヨーテ〟はI・R・Aの組織のなかで次第に浮きあがった存在になった。クレムリンも、味方側の市民までテロに捲きこむマーフィの作戦を非難しはじめた。I・R・A、ひいては世界革命に対する同情票がへるからな。 そこにもってきてイングランド側はなりふり構わずにコヨーテを狩りたてた。I・R・Aの幹部が次々に拷問を受けて殺された」「I・R・Aはカイオーテが厄介者になったんだな?」「それでI・R・Aはコヨーテをパリに逃がしたんだ。ダヴィドとコヨーテはパリで密約を交わしたんだと思う。コヨーテはモスクワで甘い生活を知ってから、I・R・Aのストイズムに耐えられなくなっていたようだ。 ダヴィドに取り立てられたコヨーテは、赤い軍団の参謀本部長になった。ダヴィドの身に危険が迫った時にはボディ・ガード長も勤める。彼は早打ちの名手であるだけでなく、狙いの正確さにかけてもオリンピック選手級なんだ」「そいつは大したもんだ。そのうち必ず勝負してみせる」「話はそれたが、ホルンブルグ弁護士事務所は、赤い軍団がヨーロッパ中南部でテロで稼いだ 金を、 〝濾化(ろか)〟してダヴィドに渡すための装置として選ばれた。事務所の取り分は〇・〇三パーセントだ」 デュポンは言った。「これまでホルンブルグ弁護士事務所という濾化装置を通じてダヴィドに渡った金は?」「三百億ドルといったところだ。ダヴィドが教えてくれるわけはないが、ドイツとベネルックス三国、それに英国と北欧から入る金はルクセンブルグの濾化装置を通し、合衆国と中南米からの金はカリブ海のグランド・カイマン島とバハマ諸島のグランド・バハマ島、アジアで稼いだ金はグランド・カイマン島とホンコンとシンガポールの濾化装置を通じているんだろう」「全体を合わせると天文学的な数字の金額になるな? クレムリンはどうしてるんだ?」「あのクレムリンが、赤い軍団がダヴィドの私兵だということを嗅(か)ぎつけるまでには、大して時間はかからなかった。 勝手な真似(まね)は許さん、とモスクワは怒り狂ったが、その頃には赤い軍団の軍事力はソ連国家保安委員会(ケー・ジー・ビー)のコントロール能力を越えていた。何度か送った刺客は、みんな返り討ちにあっている。〝コヨーテ〟がダヴィドを護衛している時に当ったクレムリンからの刺客はなぶり殺しにされている。 そこにもってきて、ダヴィドはアラブの急進派諸国の首脳部にとって必要な人物なんだ。ソ連や東欧の中古兵器に飽きがきている彼等に、西側の高官を買収して西側の最新兵器を回してくれる上にたっぷりとリベートも払ってくれるダヴィドは、得がたい存在だからな」「そのようだな」「それに、ダヴィドはあの通りアラブ急進派諸国のリーダーたちと仲がいいから、赤い軍団が西側の旅客機をハイジャックして身代金(みのしろきん)を稼いだ時には、ハイジャック機の着陸を許して犯人たちをかばってくれた国のお偉方に身代金の五分の一の分け前を払う取決めをしてあるんだ。 アラブの大義のためとか大口を叩いていたら、身代金の分け前が懐に転(ころ)がりこむんだから、奴等としても有難い話さ。 そういうわけで、クレムリンはダヴィドと手打ちした。ダヴィドが年に二千万ドルの機密費を、西側世界で暗躍しているK・G・Bのエージェントの活動資金として提供する、という条件でな。それ以来、ダヴィドとクレムリンは、もと通り仲よくやっている・・・・・・。頼む・・・・・・病院に・・・・・・」 デュポンは寒さに震え続けながら言った。「ダヴィドは、そんなに大金を稼いで、何に使う気なんだ?」「それは謎(なぞ)だ。ダヴィドのことだから、とてつもなく大きな野望を持っているんだろう。ダヴィドの野望とこういう事実が結びつくかどうかは知らんが、ここ数年のあいだに、米国と西ドイツの原子物理学者や核物質の専門技術者、それにミサイルのエキスパートが、数十人も行方不明になっている。ケタ外れの高給に吊(つ)られてソ連に亡命したのではないかという噂(うわさ)がたっているが、実は赤い軍団が誘拐(ゆうかい)したらしい。なあ、もういいだろう・・・・・・早く病院に運んでくれ・・・・・・」「誘拐の目当ては身代金稼ぎではないわけだな? 五、六年前に、西ドイツ政府がイタリーの原発に売却した濃縮ウラン三百トンをシージャックしたのは赤い軍団だろう?」「ダヴィドは中性子爆弾(ニュー・トリック・ボンブ)に関心を示していた」「中性子爆弾? ミサイルの弾頭としても使える、局地戦向きのミニ水爆だな?」「今は普通の原水爆の威力は強力になりすぎて、相手国の報復を怖(おそ)れて使うことが出来なくなった。いわゆる張り子の虎(とら)になりさがったんだ。 それに、ソ連と東欧七国のワルシャワ条約機構軍が西側に侵入してきた場合、防衛のために通常の原水爆の使用に踏みきると、市民まで大量殺戮する結果になる。 そこで開発されたのが、敵兵の殺傷にだけ的を絞ることが出来る中性子爆弾だ。しかも中性子爆弾には、爆心地をのぞくと、敵の戦車や兵器を破壊しないが、敵兵だけを殺せるというメリットがある。捕獲した車輛や兵器を利用出来るわけだ」「・・・・・・・・・・」「中性子爆弾は、核爆発時に起る高熱や爆風や死の灰の発生を出来るだけ押さえ、核融合のエネルギーを中性子の形で放出する爆弾だと、何かに書いてあった。米国はそいつを〝クリーン・ボンブ〟と呼んで、すでに地下爆発実験に成功しているそうだ。 ともかく中性子爆弾は、爆心から狭い範囲でしか建物や産業施設や兵器を破壊しないが、放射された強力な中性子線は、よほど分厚い鉛以外はすべての物質を貫通して、一キロ・トン級の場合、爆心地から一キロ以内の生き物を皆殺しにするそうだ。しかも中性子は数十分たつと空中に消えてしまう」 「爆心地以外のビルや機械は、中性子が貫通しても被害を受けない、というわけだな。そうすると、例えばの話、高度の産業施設をもっている国を中性子爆弾で攻撃してその国の人々を皆殺しにしても、工場や機械は、ほとんど破壊されないから、翌日からでも生産を再開出来るわけだな? もっとも、現実面から言って、人材の補給や原料の輸入や製品の輸出という大問題が控えている。一つの国を、国民を皆殺しにして武力で乗っ取ったとなると、国際世論が許さないだろうし」「・・・・・・・・・・」「ところで、ダヴィド・ハイラルはいまどこにいるんだ?」「パリにいると思うが分らない。本当に知らないんだ・・・・・・頼む、早く病院に連れていってくれ・・・・・・あんたも早く逃げないと、フランクフルト支部の傭兵軍団に殺(や)られてしまう」「俺のことまで心配してくれて有難う。本来なら口封じのためにあんたら二人を始末せねばならんところだが、よく協力してくれたから助けてやる。しばらくのあいだ眠っていてもらおう」 片山は二人の頭を強く蹴って意識を失わせた。肺炎を起こさぬように、二人が身につけていたものを体の上からかぶせてやる。 あたりはもう薄闇(うすやみ)に包まれていた。 片山は街道に向けて山をくだった。街道から一キロほどのあいだ私道の左右が雑木林と藪(ブッシュ)になっている場所に来ると、ブッシュのなかにもぐりこんで待った。 五分ほどたってから、ライトを消した三台の車が街道を外れて私道を登ってきた。三台とも、強力なV8エンジンをフロントに積むポルシェ九二八だ。出来るだけ排気音をたてぬようにギアを四速に入れ、ゆっくりと登ってくるが、無舗装のこの私道ではトルクを持てあまして軽く尻(しり)を振っている。 Youtube - Porsche 928 early days ad produced in the early to mid 80'shttps://www.youtube.com/watch?v=i_Ozg26OTyY 安全ピンを抜いた攻撃型手榴弾を両手に握って蹲(うずくま)っていた片山は、列の最後のポルシェが通りすぎた時に立ち上がった。 すでに二十メーターほど先を走っている先頭のポルシェのかなり先を狙(ねら)って手榴弾を二発投げた。 弾倉帯から外したあと四発の手榴弾を、二台目と最後のポルシェの未来位置めがけて投げる。 タイミングが合った。 爆発した六個の手榴弾をくらった三台のポルシェ九二八は大破し、横転したり火を吹いたりした。 M十六自動ライフルのセレクターをフル・オートに入れた片山は荒れた道に跳(と)びだした。横転した先頭のポルシェから這(は)い出した若い傭兵を掃射した。 「出てこい、ベルネッケル? 出てくるだ、ベルネッケル!」 と、ドイツ語で叫ぶ。 炎上している真ん中のポルシェから、髪が焼け落ち、背広に火がついた中年男が転げ出た。地面に体を押しつけて服の火を消そうとしながら、「俺がベルネッケルだ。射つな、射たんでくれ!」 と、わめく。「話がしたいだけだ。こっちに来い」 片山は叫んだ。 一番うしろのポルシェから血まみれの男が軽機関銃を突きだしたのを目にとめ、M十六自動ライフルで片付ける。 眉毛(まゆげ)も焦(こ)げたクラウス・ベルネッケルは、やっと服の炎を消し、這いながら片山のほうに近づいた。左目は潰(つぶ)れている。 片山は、クラウスだけでなく、大破した三台のポルシェのほうにも鋭い目を配っていた。 片山の足許(あしもと)近くに来たクラウスは、ショールダー・ホルスターから小型で平べったいブラウニング三八〇の自動装填式拳銃を抜いた。 片山のM十六が吠え、クラウスの右手は、ブラウニングを握ったまま、手首から千切れて飛んだ。 片山は右手首の傷口から血を噴出させて気絶したクラウスの首を持って引きずり、ブッシュのなかに引きずりこんだ。 窓ガラスなど跡形もなくなっている三台のポルシェの車内に撃発させた手榴弾を一発ずつ放りこみ、ブッシュに跳びこんで身を伏せた。 爆破されたポルシェの破片が背中に舞い落ちてきたが、ブッシュにさえぎられて、片山に苦痛を与えるまでにはいたらない。 片山はクラウスの右腕を彼のネクタイできつく縛り、へし折った木の枝を梃子(てこ)にしてさらにきつく縛りあげる。 手首からの出血はほとんど止まった。片山はクラウスの左手首を蹴(け)り折って意識を取戻させ、「あんた、赤い軍団のフランクフルト支部長だな?」 と、念を押す。「畜生・・・・・・痛い・・・・・・死ぬ・・・・・・」 クラウスは悲鳴を漏らした。「素直に答えたら、病院の玄関まで連れていってやる」「な、何をしゃべったらいいんだ?」「赤い軍団フランクフルト支部は、もとバイエルン貿易の営業部長をやっていた日本人佐原を、情報収集係りとして、日空フランクフルト支店にもぐりこませた。現地傭いの職員として・・・・・・違いないな?」「ど、どうして知っている?」 クラウスは呻(うめ)いた。「〝雪ネタ〟と日本で呼ばれている覚醒剤の西ドイツからの密輸が発覚して海外に逃げたバイエルン貿易の連中で西ドイツに逃げこんだのは佐原だけではあるまい?」「認める。奴等ははじめは南米に逃げたが、結局は西ドイツとスウィスとオーストリアにやってきた。奴等はドイツ語が達者だからな。しかし、奴等日本人は、もう全員が死んだ」「死んだ?」「本部の命令で始末したんだ。口止めに皆殺しにした。奴等はアフリカのガメリア国で、赤い軍団があんたに散々な目に会わされたのを知って、怖気(おじけ)づいてしまったからだ。あんたに捕まったら、ペラペラしゃべるに決まってるからだ」「日本人の処刑の命令を伝えた、赤い軍団の本部の者の名前は誰だ?」「〝コヨーテ(カイオーテ)〟・・・・・・ブライアン・マーフィだ」「西ドイツからシー・ジャックした濃縮ウランを、赤い軍団はどこに運んだ?」「・・・・・・・・・・」「知らん、とは言わさないぜ」「キャナダ・・・・・・キャナダのヴァンクーヴァー港だ。そこから何代かの大型トラックに積まれて奥地に移された、と聞いている」「奥地とは? 具体的にしゃべるんだ」「B・C(ブリティッシュ・コロンビア)とアルバータとユーコンとノース・ウェスト・テリトリーにひろがる、軍団の秘密軍事基地だ。そこには、小型の原子力発電所があって、基地にエネルギーを提供している」「濃縮ウランは、原発のためにだけ使われている、と言うのか? とぼけるのはよせ」 片山はハッタリを噛(か)ませた。「ど、どうして知っている?」「デュッセルドルフの西ドイツ総局から聞いた話では、あの基地には核兵器開発研究所があって、すでに小型の中性子爆弾とミサイルを開発したそうだ。中性子爆弾の爆発実験も済んだという。その実験は、巨大な隕石(いんせき)が落下した、ということで政府や米軍の核爆発探知機関をごまかしたそうだ」「赤い軍団は中性子爆弾を実用化させたというわけだな。軍団は、その怖(おそ)しい武器を、何のために使う気だ?」「知らん・・・・・・俺のような立場の者が、そんなこと知るわけがない」「赤い軍団の軍団長が誰なのかを知っているか?」「知らん・・・・・・いや、仇名(あだな)だけは知っている。“ゼウス”と呼ばれ、神々の上にも全世界の人間の上にも君臨出来る大人物だと聞いているが、実態は知らん」「〝ゼウス〟?・・・・・・ギリシア神話の最高神のゼウスとはな・・・・・・奴の名はダヴィド・ハイラルだ」「馬鹿な! まさか、慈善運動家のハイラルだと言う積りはないんだろう?」 クラウスは驚愕(きょうがく)のあまり、開いた口からヨダレを垂らした。「そのダヴィド・ハイラルだ」「まさか・・・・・・まさか・・・・・・」 クラウスは喘(あえ)いだ。「信じようと、信じまいと勝手だがな。ところで、キャナダの奥地の秘密基地のなかにある核兵器開発研究所の位置は?」「知らん。知るわけがない・・・・・・しかし、ダヴィド・ハイラルが・・・・・・あのユダヤ人がゼウスだなんて・・・・・・」「去年、赤い軍団に、パリの食料品デパート、フォルチンが爆破された。爆弾を仕掛けたのは誰だ?」「知らん。パリの連中がやったことなど知らん。どうして、そんな小さなことを知りたがる?」「小さなこと?・・・・・・」 片山の髪は逆立ち、瞳が暗(くら)く燃えた。「あの爆発に捲きこまれて、買物をしていた俺の女房と子供二人が殺されたんだ。原型をとどめぬほどにバラバラにされて・・・・・・ハラワタを八方に撒(ま)き散らして」「助けてくれ! フランクフルト支部に関係ないことだ!」 クラウスは悲鳴をあげた。「貴様もハラワタを撒き散らしながら死ぬんだ」 片山は弾倉帯に一発だけ残っていた手榴弾を外し、安全ピンを抜いた。「待ってくれ! 本部は、あんたがどこかの大きな組織に傭われたエージェントだと言ってた。自分自身のために・・・・・・女房子供の恨みを晴らすために・・・・・・軍団に戦いを挑んだとは知らなかった・・・・・・やめろ、やめてくれ。俺を殺しても、あんたの女房子供は生返らない」「殺してやる」 圧(お)し殺したような声を吐きだした片山は、クラウスに背を向けて私道に歩み出た。立ち上がったクラウスが、よろめきながら追ってくる。金切声をあげていた。 クラウスから三十メーターほど離れてから片山は立ちどまった。振り返ると手榴弾を投げて身を伏せる。 爆煙が去ったあと、片山はクラウスの死体に近づいた。クラウスの胴体は二つに千切れ、原色の大腸や小腸が頭の近くでトグロを捲いていた。片山はクラウスの首にそのハラワタを捲きつけ、近くの樅(もみ)の木の枝に上半身を吊(つ)るす。 (つづく)
2021年11月20日
'Stone wall' (Swiss Jura)Photo by Ethan >前回 登ってきたのは、三台の大型乗用車であった。小屋の下方一キロあたりで車が停(と)まると、十七、八人の男が跳びだした。 十五人ほどが弾倉帯を腰のほかにも左右の肩からタスキ掛けにし、片手に自動ライフル、もう一方の手に大きな金属製の弾薬箱を提げていた。 あとの二人の男が持っているのは、機関銃と予備銃身であった。全員が、前進し、小屋から七百メーターあたりで一度止まる。 双眼鏡で彼等の動きを追いながら片山は呻(うめ)き声を漏らした。心臓が早鐘を打っている。 三百メーターぐらいまで彼等を引きつけてから迎撃を開始しようと思っていたが、下手(へた)するとこっちのほうが蜂(はち)の巣にされてしまう。 機関銃 米軍のM六〇制式銃であった を持った二人の男は左右に分れて走った。自動ライフルの連中は二(ふ)た手に分れ、機関銃を持った男を追う形で走った。三台の車のうちの一台が五百メーターほどバックする。 二人の機関銃手は、互いの間隔が五百メーターほど離れたところで停まった。その位置で空冷ファン付きの二脚を立てたM六〇機銃の射撃姿勢をとる。 自動ライフルの男たちは、弾薬箱を機関銃のそばに置いた。その一丁の機関銃について一人ずつの保弾手を残し、二つの機関銃を結んだ線の中央部に向けて駆けはじめた。 自動ライフルの男たちは、それぞれのあいだに五メーターほどの間隔をとって、小屋のほうに匍匐(ほふく)前進をはじめた。彼等が使っている自動ライフルは西ドイツ陸軍の制式銃G三A三であった。口径は七・六二ミリ・ナトーだ。 IMFDB.org - Heckler & Koch G3 - G3A3http://www.imfdb.org/wiki/G3A3#Heckler_.26_Koch_G3 小屋からは一キロほど離れた位置にいる左右の機関銃が、援護射撃を小屋の方に浴びせてきた。銃が重いだけにかなり正確な射撃だ。石垣や小屋の石壁から砕けた石片が飛び散る。 石垣から首を引っこめた片山は、バックパックを背負い、M十六を抱えると、石垣のうしろを中腰になって走りながら、時々顔を石垣の上に一瞬突きだす。 すぐそばをかすめるM六〇の七・六二ミリ・ナトー弾に胆(きも)を冷やしながら、敵の動きを見極めようとする。 這(は)いながら近づいてくるG三自動ライフルの連中は、石垣から五百メーターのあたりまで迫っていた。まだ射撃を開始してない。 彼等が三百メーターまで近づくのを待っておられなかった。 片山は多弾速射に賭(か)けることにした。ヴェトナムでも、中部高原の戦いで、M十六を使って、六百ヤードを越える距離の敵を倒したことがしばしばある。 首をすっこめた片山はL型の起倒式照門を三百から五百メーター用のほうに切替え、セレクターを全自動にした。 Byrontaylor.com - Marksmanship Training Unit M16/M4 Training LessonCourses of Firehttp://www.byrontaylor.com/m16/T5P5.html 銃身覆い(ハンド・ガード)を斜め上から下に押しつけるように左手で摑(つか)み、引金のうしろの把手(グリップ)を強く握って肩に押しつけた片山は立ち上がった。 踵(かかと)を軽く浮かせ、膝(ひざ)を軽く曲げて、前のめりの姿勢をとり、G三自動ライフルの連中に向けて、フル・オートで五、六発ずつ点射する。 Youtube - Shooting M16A1 full auto - slow motion by Game of Trollshttps://www.youtube.com/watch?v=kZC-Ko49vps M16A1 Full Auto Rifle by sootch00https://www.youtube.com/watch?v=OQU8_GPmLCk 一発ごとの単射(セミ・オート)では軽い反動のM十六も、フル・オートで機関銃式に連射すると、銃口が目に見えない糸に引っぱられるように反りあがっていく。 片山は腰で狙いをコントロールしながら、五、六発射つごとに引金をゆるめ、左右に走ってはまた射つ。 はじめの三十連弾倉が空になって、遊底が開いたまま止まった時には、二、三人の死傷者が出たようだ。 蹲りながら片山は、空になった弾倉を抜き捨て、目にも止まらぬ早さで弾倉帯のパウチから抜いた二本目の弾倉を弾倉室に叩きこむ。ボルト・ストップを押して遊底を閉じた。 片山は中腰で走っては止まり、立ち上がって四、五発ずつ点射するとまた走った。 敵のG三自動ライフル群も応射してきた。無論、二丁の機関銃も、数秒ごとに発射を中断して銃身を冷やしながら射ってきている。 Youtube - 7.62x51 Hk g3 full auto by ppr776https://www.youtube.com/watch?v=Hz9EIy6yuLY Original Vietnam-Era M60 at the Range by Forgotten Weaponshttps://www.youtube.com/watch?v=uJ2LJVcuoaM M60 in Ultra SlowMotion by Vickers Tacticalhttps://www.youtube.com/watch?v=8aekduZbQWk 片山の頭や顔を、敵の七・六二ミリ弾に砕かれた石の破片がしばしば叩いた。強化焼き入れしてあるレンズのシューティング・グラスを掛けていなかったら目が見えなくなったところだろう。 自動ライフルの敵は大勢だが、片山にとって絶対に有利なのは、石垣というタマよけがあることと、敵よりも高い位置にいるからだ。だから、射ち上げてきた敵弾が石垣の上をこすっても上にそれるし、片山のほうからは男たちの全身が見えても、彼等からは片山の姿はほとんど見えない。大体、五百メーターの距離で肉眼で相手の頭や顔だけを見つける視力を持っている人間は、ざらにいるものではない。 片山は恐怖の小便をこらえながら、次々に弾倉を替えて射ちまくった。自動ライフルの連中の半分ぐらいがもう被弾している。 二丁の機関銃の銃身が過熱し、銃身を取替えるために射撃を休止するチャンスがやってきた。 弾薬箱から機関銃に吸いこまれるベルト・リンク給弾倉を支えていた保弾手と射手が、耐熱手袋をつけ、照門の下についたレヴァーを上に押し上げ、銃身を抜き外している。銃身だけを交換出来る新式のE1(ワン)タイプとちがって、銃身と共に二脚とガス・シリンダー・チューブの半分が一緒に外れてしまうタイプのM六〇だから、二人とも伏せたままでなく、上体を起して銃身交換の作業を行っている。 M六〇機関銃の発射回転速度は、一分間に五百五十発といったところだ。 引金を絞りっぱなしにしないで点射して、一分間に百発ぐらいの割りで射てば、銃身がオーヴァー・ヒートするまで十分間ほどの余裕がある。 それが一分間に二百発連射すると二分間でオーヴァー・ヒート寸前になり、引き金を絞りっ放しにすると三十秒ぐらいで銃身を交換せねばならぬ。 Youtube - M60: full disassembly & assembly by Si vis pacem , para bellum.https://www.youtube.com/watch?v=sBlJmwPhCM0 M六〇の銃身交換は素早く行われるタイプだが、それでも銃身を脱着し、一度外してあったベルト・リンク給弾倉の一発目を装塡ブロックに移すには二十秒はかかる。 片山はバック・パックから取出した二本目の弾倉帯から抜いた弾倉を使い、G三自動ライフルの男たちを掃射した。 今度は点射ではなく、一回に十発ぐらいずつ連射する。連射のあいだにちょっと間を置いても、三秒で空(から)になる弾倉を、素早く替える。 戦闘がはじまってから五百発以上の実包を消費した片山のM十六は、ファイバー・グラス製のハンド・ガードが焦(こ)げ臭(くさ)くなっていた。 しかし、復讐(ふくしゅう)の神が片山に味方してくれたらしく、G三自動ライフルの連中は、すでに全員が被弾し、戦闘能力を失っていた。 片山は小川のところまで這(は)っていった。 一キロほど離れて位置している二丁のM六〇機関銃手からは、這い出した片山が見えないらしく、まだ石垣や小屋に向けて、二、三発ずつ点射している。 石垣も石造りの小屋も弾痕(だんこん)だらけだが、まだ崩れ落ちてないのは、七・六二ミリ・ナトーの百五十グレイン弾は、一キロを飛ぶあいだにひどくエネルギーを失うからだ。 片山は小川の流れでカラカラに渇いた口をすすぎ、小川を這って渡った。ブッシュや窪地(くぼち)を択(えら)んで大回りしながら、左側の機関銃の背後に回りこんでいく。 二十分ほど掛けて、左側の機関銃の斜め後ろ三百メーターのあたりの窪地にたどり着いた。 M十六の銃身はまだ熱かったが触って火傷しないほどには冷えていた。片山は五百のほうにしてあった照門を0から三百メーター用のほうに切替え、バックパックの脇ポケットから手さぐりで取出した二脚を銃身に嵌(は)める。 窪地からそっと這い出る。 機関銃手も保弾手も、まったく片山に気づいてないようだ。M十六の五十五グレイン被甲弾頭を使う軍用実包の公称初速は、二十インチのM十六の短い銃身から発射された場合でも三千二百五十フィート、つまり約九百八十メーターという高速だ。 片山は弾速測定機にかけて測ったわけではないが、午前中の試射から、二百メーターに照準合わせした三百メーターの目標物に命中させるには約七インチ、つまり十八センチほど上を狙えばいいことを知ってる。 いまの機関銃手と片山の位置関係から見て軽い射ち上げになるから、弾道はもっと延伸する。だから、七インチより少な目に狙い越しをとるほうが正解なのだろうが、銃と弾薬の精度がそんな精密な計算についていけない。 だから伏射(プローン)のスタンスをとった片山は、セレクターを親指でセミ・オートに回し、伏せて機関銃を射っている男の背中の上にM十六の狙いをつけた。 引き金を絞る。 機関銃手がのけぞった。それから機銃の上に突っ伏す。ドロップした五十五グレイン弾は脇腹(わきばら)から入って肺と心臓にダメージを与えたようだ。 片山はベルト・リンクの給弾倉を支えて蹲(うずくま)っていた保弾手の首のあたりを狙って素早く第二弾を放った。 男は横倒しになってもがいた。片山は男の背中の上の空間を狙って三発目と四発目を速射した。 片山から見て斜め上の、こちら側の機関銃からは五百メーター、片山からは八百メーターほど離れたもう一丁の機関銃の射手が必死になって銃の向きを変えようとしている様子がぼんやりと見えた。 M十六自動ライフルの場合、二百ヤードで照準合わせをしてあるサイトで五百ヤードの目標に命中させる時には、計算上約四十五インチ 約一メーター三十 上を狙わないといけない。 それが八百メーター、つまり約九百ヤード離れた目標物だと、ゆるやかとは言え山の斜面で風があるから、命中させるには僥倖(ぎょうこう)以外に頼りになるものは無い。 片山は窪地にあとじさり、顔だけを突きだした。ポケットから出したライカの双眼鏡の焦点を八百メーター先の機関銃のほうに合わせる。 またしても、復讐の神は片山を見放してなかった。 泡(あわ)をくらったM六〇機関銃の射手と保弾手の動きのタイミングが合わず、給弾ベルトがねじれて回転不良を起していた。 立ち上がった片山は、M十六を胸に抱え、全速力でこちら側の機関銃に向けて走った。 向う側の機関銃手と保弾手は、給弾カヴァーを開いて故障を直そうとしているらしいが、あせりきっているのでうまくいかないらしい。弾薬から外れたメタル・リンクが機関部のどこかに噛(か)みこまれたのかも知れない。 バック・パックを背負い、弾倉帯や拳銃や手榴弾などを腰につけ、M十六を持ったハンディにもかかわらず、片山は三百メーターを四十五秒ほどで走り抜いた。 機関銃から死体を突きのけ、左手で帯状のベルト・リンク給弾倉を支えた片山は、相手の二人のかなり下目(しため)にはじめの狙いをつけて十発ずつ連射しはじめる。 銃が重い上に発射回転速度が遅いので反動が楽に処理できる。機関部の右側から空薬莢(からやっきょう)が次々に飛び出た。バラバラになったメタル・リンクが右下に落ちる。下が草地なので、冷却ファン付きの二脚は地面をしっかりグリップして跳ねない。 百発目を過ぎた頃から当りはじめた。 まず相手の機関銃手が転(ころ)がり、次いでその機関銃が着弾のショックで横を向き、保弾手が引っくり返る。 片山はトドメを刺すためにさらに三十発ほど射ちこんでから射撃を中断した。 そのとき、遠くから車のエンジンが掛かる音が聞こえてきた。 小屋からは約一・五キロ、片山からは一キロほど離れたところに駐(と)まっていたベンツが動きだし、ターンしようとする。 片山は、左手でリンク式ベルト弾倉を支えたまま、M六〇機関銃をベンツのほうに向けた。体は横に移して、射線と平行にする。 うまい具合に、いま片山がいる位置から山小屋までの距離は一キロと、片山とベンツの距離とほぼ同じであった。 だから片山は正照準のままで、動いているベンツの上下左右を射ちまくった。 ベンツは五十発目あたりから動かなくなった。片山はさらに百発ほどをベンツに射ちこみ、さらに、G三自動ライフルの射手たちが倒れているあたりに三百発ほど射ちこんだ。 加熱して白熱した機関銃の銃身は曲り、おまけに逆鉤(シアー)も壊れたらしく、これもオーヴァー・ヒートして勝手に発射された弾頭が銃身を突き破った。 M六〇は銃身と薬室内に空気を通して空冷効果をあげるためと、オーヴァー・ヒート時に実包が自然発射してしまわないように、引金を絞る前には遊底(ボルト)は後退して開いた位置にある。ほどんどの短機関銃とその点は似ている。M六〇にかぎらず、空冷式の軽機関銃には、そのように発射時以外はボルトが後退した位置にある機構を採(と)っているものは珍しくない。 無論、ピストル実包を使用する短機関銃とちがってM六〇機関銃は強力なライフル実包を使用するから、引金を絞り落すと、前進した遊底(ボルト)は装填ブロック内のメタル・リンクから実包を抜いて薬室に送りこんでただ閉じるだけでなく、カムの作動で四分の一回転して銃身ソケットに噛みこみ、完全に閉鎖して大口径ライフルの発射時の高圧ガスに耐えるようになっている。そのあと、撃針が実包の雷管を叩いて発火させるわけだ。 しかし、そういった安全機構を採用していても、逆鉤(シアー)が壊れてしまっては何にもならない。 片山は給弾リンク・ベルトをねじり引いて、わざと回転不良を起させた。こうでもしないと、車のエンジンがディーゼリングを起した時にはスウィッチを切っても勝手に回転し続けるのと同じで、ベルト弾倉の弾薬が尽きるまで勝手に発射し続ける。 片山は、Uターンして逃げようとしたベンツに敵の指揮官が乗っていると判断した。 M十六を提げて、そのベンツに近づく。三百メーターのあたりで立ちどまり、地面に伏せると、双眼鏡を使って観察する。 四五〇SEL六・九であった。ベンツ四五〇SELのボディに七・九リッター二百六十八DIN馬力の強力なエンジンを積んだその車のタイアは三個まで炸裂(さくれつ)し、ガラスはすべて砕かれ、黒いボディは弾痕(だんこん)だらけで白っぽくなっている。トランク・リッドから突きだした無線交信用のアンテナはへし折られていた。 立ち上がった片山は、M十六A一を腰だめにし、引金に人差し指を掛けて、慎重にベンツに近づいた。セレクターはフル・オートにしてある。 車の中では、血にまみれた二人の男が震えていた。 フロント・シートのフロアに坐りこんでいる男は、三十歳ぐらいの痩(や)せた長身の体を持ち、リア・シートに横になっているのは五十五、六歳の小肥(こぶと)りの男だ。二人とも鉤鼻(かぎっぱな)を持っていた。 片山はM十六を左手に持ち替え、右手でG・Iコルトを抜いた。「二人とも外に出ろ。出なければ、車ごと焼き殺してやる」 と、英語で命じる。「う、動けない。射たれたんだ・・・・・・病院に運んでくれ・・・・・・」 若いほうの男が英語で呻(うめ)いた。歯を鳴らして震える。「甘えるな」 片山は左手のM十六から、ただ一個被弾してなかったタイアに二発射ちこんだ。そのタイヤがバーストし、車はガクンと揺れる。「わ、分った・・・・・・」 泣き声をたてた若い男は、自分でドアを開いて車外に転がり出た。 絶えず小さな悲鳴を漏らしながら、年をくったほうも外に這い出た。糞尿(ふんにょう)にまみれている。「二人とも服を脱げ。俺を射とうとしたら、その途端に地獄行きだぜ」 片山は命令した。 二人のパンツも脱がせる。二人とも割礼を受けていた。二人とも十数発の七・六二ミリ弾をくらっているが、銃弾は車の分厚い鋼板を貫いたあとだし、その前に約一キロの距離を飛んでエネルギーを大きく失っているから、無論致命傷ではない。内臓まではくいこんでないのだ。 二人とも武器は身につけてなかった。 身分証から、小肥りの男はシモン・デュポンという名で、ホルンブルグ弁護士事務所の副所長と分った。 若いほうは、ペーター・ジンメルマンという名で、デュポンの秘書だ。「二人ともユダヤ系だな?」 片山は尋ねた。日が暮れはじめ、二人は恐怖に寒さが加わって、震えがさらに激しくなっている。「あ、あんたが、赤い軍団を痛めつけて回っている男だな? ナチ新党にでも傭われたのか?」 ペーター・ジンメルマンが喘(あえ)いだ。「畜生 」 シモン・デュポンが悲痛な声を振り絞った。「もっと早く逃げだしたら、こんな目に会わなかったのに・・・・・・」「車に無線機が積んであるな? 誰と交信してたんだ?」「事務所とだ。いま、ドイツのフランクフルトから、赤い軍団の傭兵団が車を駆ってこっちに向っている。傭兵団は気違いみたいな連中だから、このままであんただけでなく私も射たれてしまう。早く病院に連れていってくれ!」「こっちに押しかけてくるフランクフルト支部の傭兵は何人だ?」「五人。選り抜きの強者(つわもの)連中だ。それに、副支部長のクラウス・ベルネッケルが同行してくる」「あそこに倒れている連中も傭兵(マークス)か? 俺に射たれた連中のことだ」「ちがう。赤い軍団のチューリッヒ支部の戦闘部隊だ」「フランクフルト支部の傭兵団は、あとどれぐらいの時間で、ここに着く?」「分らん・・・・・・もう、そろそろだとは思うが・・・・・・ここからフランクフルトまで、直線距離だと三百キロそこそこだが、E四のアウトバーンをバゼールで離れると、スウィス・アルプスを縫うワインディング・ロードに入るから、もっと時間を喰うかも知れん・・・・・・頼む、奴等が来るまでに、早く病院に運んでくれ」 デュポンは涙をこぼした。「奴等が着くまでにしゃべってもらおう。ホルンブルグ弁護士事務所は、赤い軍団が国家や企業や金持ちを恐喝(きょうかつ)して送金させた金(かね)を、ダヴィド・ハイラルのトーテム・グローバルに渡す中継機関だということを認めるな?」 片山はハッタリを掛けた。 デュポンもジンメルマンも黙っていた。「よし、去勢してやる。キン(ボールズ)抜きだけでなくて、ポールのほうもブッタ切ってやる」 片山は言った。「待ってくれ・・・・・・その通りだ!」 若いジンメルマンが悲鳴をあげた。下痢便を噴出させる。「貴様も認めるな?」 片山はデュポンに向けて言った。「認める。トーテム・グローバルやトーテム・インターナショナルのボスのジャック・モンローはダミーで、本当のボスはダヴィド・ハイラルだ」 デュポンは答えた。「そして、ハイラルこそ赤い軍団の軍団長・・・・・・トーテム・グループは、赤い軍団そのものだな?」「そうだ・・・・・・」「表向きは世界的な慈善事業家、博愛主義者として名を売っているダヴィド・ハイラルの本当の姿は、国際商業テロリストの黒幕というわけだな?」「・・・・・・・・・・」「よし、くわしく、ハイラルとホルンブルグ事務所との関係をしゃべってくれ」「・・・・・・・・・・」「オカマになりたいのか?」「どこから話したらいいか・・・・・・エジプト最大の銀行の頭取であったしエジプト最大の企業グループの総帥でもあったアヌメル・アル・ハイラルと、フランス系ユダヤ人の母のあいだに生れたデヴィド・ハイラルは、ヨーロッパ留学中に共産主義にかぶれてしまった、ということになっている。 だけど、ダヴィドと何回か会って話しているうちに、ダヴィドが共産主義者になったのは、父の意をくんだ上でのことじゃないか、という印象を受けた。 ダヴィドの父のアル・ハイラルは恐ろしいほど頭が切れる冷徹な人物だったそうだから、エジプトも将来は社会主義国家になると見透していたらしい。 そういう時が来たら、ダヴィドが共産主義の活動家だったということが、ハイラル一族にとって強力な免罪符になりうる。事実、エジプト革命以来、ほかの財閥の企業は次々に国家に接収されて国営化されたが、ハイラル財閥だけは解体をまぬがれることが出来た」「そのようだな」 片山は呟いた。「ともかく、ダヴィドは共産党が非合法であった王政時代のエジプトのカイロにひそかに舞い戻り、エジプト共産党の創立者の一人となった。 父のアル・ハイラルもひそかにダヴィドに潤沢な活動資金を渡していたが、父が死に母がハイラル財閥を引き継いでからも資金に関しては変りはなかった。母のライラ・エルことイヴォンヌも凄(すご)く頭が切れるんだ。 豊富な活動資金を頭に拠出し続けたせいもあって、ダヴィドはやがてエジプト共産党の最高責任者である書記長になり、クレムリンの篤(あつ)い信頼も得た。 エジプト革命のあとナセルが政権を握ると、国王に追放されてパリを本拠地にしていたダヴィドは、実業家への転向宣言を行った。 それが偽装転向なのか、もともとダヴィドがのちのちのことを考えて派手に地下活動をやっていたにすぎなかったのかは分らんが、ともかく転向したダヴィドはハイラル財閥の遺産相続権を得て、母から莫大(ばくだい)な分け前をもらい、パリに地中海銀行とハイラル貿易株式会社を創立し、一方では社会奉仕家として西側ヨーロッパ各国の最高権力者たちと親交を結ぶようになった」「・・・・・・・・・・」「ところで、莫大な遺産をもらったか知らんが、慈善事業に湯水のように金をバラまいて、ハイラルがいかに西側ヨーロッパの首相や大統領の信頼を得(え)、国家機密に関する情報まで取れるようになったか秘密を教えよう。 ダヴィドは、元エジプト共産党書記長として各国過激派とのつながりを利用し、ゲリラがテロや誘拐(ゆうかい)やハイジャックで稼(かせ)いだ闘争資金を地中海銀行に預けさせ、その金を巧みに運用してたんだ」「ほう?」 片山は眉を吊(つ)りあげた。「各国政財界のV・I・Pから経済情勢に関する情報が入るから、ダヴィドはゲリラから預かった金を投資してボロ儲(もう)けした。テロリストたちには一定の利子しか払わないで済むし、地中海銀行に資金を預けたテロ組織が壊滅した場合には、元金までが丸々ダヴィドのものになった。 世界各国でテロリストたちが暴力で手に入れる金の額は大したもので、当時でも月に二千万ドルはくだらなかったろう。アルゼンチンの極左都市ゲリラのモントネロスだけでも二年間で一億ドルを稼いだぐらいだからな。 テロリストたちがどうしてダヴィドを信用したかというと、ダヴィドは自分の転向は偽装で、本音は西側国家の機密をさぐるためだと言ったためだ。事実、ダヴィドは、テロリストたちに情報を流していた。それに、あとでしゃべるが、ダヴィドはモスクワの・・・・・・クレムリンのお墨付きがあったんだ」「なるほど」 片山は唸(うな)った。「ダヴィドはそれに、活動資金に窮しているテロリスト・グループに金を貸して高利をとった。そしてダヴィドは、儲けた金で、リヒテンシュタインのアルピーヌ銀行をはじめ、スウィスやルクセンブルグやバハマ諸島などの租税逃避地(タックス・ヘイヴン)などの十を越す銀行を乗っ取って経営権を握った。 一方、ハイラル貿易会社のほうはどうかというと、これがまた大したもので、その実体は、アラブの石油をソ連や東欧に売り、ソ連や東欧の武器をアラブに売りつける国際ブローカーというわけだ。これまた莫大な稼ぎをダヴィドにもたらした。ダヴィドは転向したくせにクレムリンのお墨付きがあるわけも、商売と献金を通してダヴィドがアラブの急進派国の指導者たちの相談役にまでなったわけも分るだろう」「トーテム・グループのほうは?」「テロリスト組織の資金を運用したり、テロリスト団体に金を貸しつけたりして荒稼ぎしているうちに、ダヴィドは、それよりも自前の組織で誘拐やハイジャックやテロによる嚇(おど)しで、国家や企業や金持ちから金を捲きあげるほうが、さらにケタはずれの儲けになることに気付いた。 ダヴィドのその自前の商業テロ組織が赤い軍団というわけだ。臨機応変にいろんな名を使い分けているがな。 あんたは、キャナダのクェベック州が、人口の八十パーセントほどがフランス系なのに財界や官界のトップ・クラスのほとんどがイギリス系で占められ、フランス系はいわゆる 〝二等市民〟の扱いを受けていることを知っているだろう?」 「ああ」「したがって、フランス系住民によるクェベック州の分離独立運動が盛んだ。 クェベック独立運動には、穏健派から過激派まで、さまざまな組織がある。そのうち最も過激で爆破テロを得意としてたのがアンチ・アングロ同盟だった。 そのアンチ・アングロ同盟のアジトで秘密総会が開かれている時、キャナダ秘密警察の一つがバズーカ砲と機関銃弾を十トンほど浴びせて、ビルもろとも組織を壊滅させた。 アンチ・アングロ同盟の連中で生き残ったのは一人だけだった。数日前、強盗に腿(もも)を刺されて、すぐ近くの国境を越えたヴァーモント州プラッツバーグの病院に入院していたジャック・モンローだけだった。 アンチ・アングロ同盟のアジトと総会のことを密告したのがジャックとダヴィドだとしても不思議ではないだろう?」「そういうわけだな」「ジャックはその組織の資金運営の責任者をやってたユダヤ・フランス系の男で、ダヴィドとは長い付合いだった。 傷が治ってキャナダ・クェベック州に戻ったジャック・モンローは自首して出た。転向を誓って自由の身に戻れた。 ダヴィドはそのジャックを社長に据(す)え、自分はいっさい表に出ずに、クェベックから遠く離れた太平洋沿岸のブリティッシュ・コロンビア州のヴァンクーヴァーにトーテム・インターナショナルを設立させた。今から七年ほど前のことだ。トーテム・ポールはあの州のインディアン文化のシンボルだ」 「ああ」「ダヴィドがまずやったのは、彼の支配下にある各銀行を通じて、トーテム・インターナショナルに莫大な金を融資し、ブリティッシュ・コロンビア州とアルバータ州とノース・ウェスト・テリトリー、それにユーコン・テリトリーの四州にまたがる広大な未開地を買い占めさせたことだ。 原生林と曠野(こうや)とロッキー山脈とツンドラの凍土からなるその土地の広さは百万平方キロとケタ外れの広さだ。百万平方キロというと、あの広いブリティッシュ・コロンビア州全体をわずかにしのぐ」 デュポンは一息入れた。 (つづく)
2021年11月13日
'Castasegna, Switzerland'Photo by Eszter Hargittai >前回 翌朝、B・M・W七三三iAを運転する片山は、国道三十六号と三十七号を北東に向い、アルプスのワインディング・ロードを豪快に飛ばし、カスタセグナで国境検問所をパスしてスウィスに入った。 隠れていた別荘からその国境までは直線だと五十キロほどだが、曲りくねった山道が多いから百キロ近い。 コモ市からスウィスのルガノに向う道をとれば、すぐにスウィスとの国境だが、ルガノには脱税してたくわえていた財宝をひそかに持ち出してくるイタリーの小金持ちを相手にするスウィス銀行の支店が蝟集(いしゅう)しているため、イタリー側の税関がひどく厳しい。賄賂(わいろ)の出しかたがまずいと、車のダッシュ・ボードははがされ、スペア・タイアは切り刻まれる。 それに、その国境線には、トルノの部下の生残りや援軍が待伏せの網を張っていることであろう。 スウィスに入った片山は、しばしば左右に目を走らせる。箱庭のように小ぢんまりしたヨーロッパ・アルプスの景色に関心があるのでなく、射撃場を捜しているのだ。 周知のように、スウィスは国民皆兵だ。スウィス人の成年男性は、それぞれが軍用ライフルや軍用拳銃と実包を自宅に保管し、定期的に射撃訓練を受けるように義務づけられている。 だから、ほとんどの町や村ごとにある射撃場は、休日ともなるとお祭り騒ぎだ。強い酒を賭(か)けて射ちまくっている。 片山は、小さな村に乗り入れ、村外れにある射撃場に寄った。リア・シートの下の隠し物入れから、イタリーで奪ったM十六自動ライフルと三十連弾倉が十本パウチに差しこまれた弾倉帯一本、それにスポッティング・スコープなどを持って射場の受付にいく。 IMFDb - M16 rifle series - M16A1http://www.imfdb.org/wiki/M16A1 二百と三百メーターの射程の射座があるその射撃場には、管理人の老夫婦がいるだけであった。ウィーク・デイの午前なので射手はいなかった。 ひどい訛(なま)りのドイツ語を話す管理人夫婦と何とか話をつけ、正規の料金のほかに過分のチップを払って、亭主のほうに監的手(かんてきしゅ)になってもらった。アフリカのプロフェッショナル・ハンター時代、自国語以外はしゃべろうとしない各国の客と面(つら)を突きあわせて過ごしているうちに、片山は必要に迫られてさまざまな国の言語を覚えた。 三つ揃いをリー・オーヴァーオール・ジャケットの作業服とリーヴァイズ五〇一のジーパンに替え、まず二百メーター射程の射座の一つについた。監的壕(ピット)に入った管理人が標的(ターゲット)を上げる。白い枠(わく)のなかに黒円(ブルズ・アイ)がある普通のターゲット紙とちがって、黒円は上半分だけで下側の半円は白に黒の点圏(てんけん)線が入った実戦用のものだ。 片山はM十六A一自動ライフルの三角形の支柱の上についた棒状のポスト照星(サイト)と、携帯ハンドルの上についた孔照門(ピープ・サイト)をマッチで炙(あぶ)って黒い煤(すす)をつけた。反射を防ぎ、照準を出来るだけ楽に正確にするためだ。 連射時に高熱を帯びる銃身からたち昇るカゲロウで照準がぼやけるのを少しでも防ぐために高い位置につけられたM十六などの現代的突撃自動ライフルの照準器は、一般のスポーツ銃を見慣れた目には奇異に映るだろう。 それに、軍用のアイアン・サイト 光学照準(ライフル・スコープ)銃を使わない、照星と照門の組み合わせの照準器 でも、ほとんどの場合は、照門を動かすことによって、上下と左右の着弾修正が出来るようになっている。 ところが、M十六の場合は、上下の微修正は照星を上げ下げすることによって行う。無論、修正する時には照門を動かす時と反対にやらなければならない。 つまり、照門で上下修正を行う場合には、もし着弾点を上方に移そうと思えば照門を上げればいいが、照星でそれを行う時は照星を下げるわけだ。 M十六の照門は、主に左右の修正用だけのものだ。しかも、普通のライフル銃の照門の場合は、着弾点を左に移したい時には時計回りに つまり右回りに 回し、着弾点を右に移したい時には反時計回りの左に回すが、M十六の場合は、逆ネジなので普通の場合と逆に回して修正する。 そのL型照門は0(ゼロ)から三百ヤード用と三百から五百ヤード用の切替えが出来るようになっているが、その回転軸が正確でないし、実戦用のスタンダード・グレードの非常に軽くて銃身が短い銃と、公称初速三千二百五十フィートの高速とはいえ非常に軽くて風に流されやすい上に遠距離になると弾道のドロップが大きな〇・二二三口径 正確には〇・二二四インチ径 の五・五六ミリ・五十五グレイン弾頭軍用弾の組合わせでは、五百ヤード射撃で必中を期することは、よほどのプロでも困難だ。 弾倉帯から、一本の三十連弾倉を抜いた片山は、その弾倉の上端の細く小さな実包を一発抜いて尻ポケットに仕舞った。 M十六の受筒(レシーヴァー)の上側、把手(グリップ)の上にある、ロータリー式のセレクター・レヴァーが銃身側に向いた安全位置にあることを確め、片山は引き金の前にある弾倉室に弾倉を叩きこみ、銃身に軽いアルミ製の二脚をスプリングの力を利用してはめこんだ。ヴェトナム戦で、片山はM十六の扱いに慣れきっている。 キャンヴァス製のスリングをゆるく張り、伏射(ふくしゃ)のスタンスをとってみる。M十六の場合、スリングをきつく張ると銃身が引っぱられて着弾が乱れるのだ。 レシーヴァーから突きだした三十連弾倉と高い位置にある照準線、それに二脚のせいで、上体を反らせて顔を上げた高姿勢をとらねばならないが、片山はさまざまな姿勢を無理なくとることが出来る。 Youtube - M16 A1: full disassembly & assemblyby Si vis pacem , para bellum.https://www.youtube.com/watch?v=_q-s1yD774w 遊底(ボルト)のチャージ・ハンドルを左手で引いてからボルト・ストップの上端を押し、弾倉上端の実包を薬室に送りこんだ片山は、念のためにA一タイプについているボルト・フォアード・アシストの強制閉鎖装置を掌で一撃した。泥(どろ)や埃(ほこり)よけのダスト・カヴァーは、遊底を引いた時に自動的に開いている。 銃を構えたまま、右手の親指でセレクターを垂直位置のセミ・オートに回し、標的を半円形の黒の下際の中心部に照準を合わせて引金を絞る。 鋭いが軽い銃声と共に、軽く直線的な反動がきた。その反動は、大口径マグナム・ライフルと比べるとひどく小さかいから、銃床尾の肩付けの位置は変らなかった。 開いているダスト・カヴァーの上にある排莢孔から蹴(け)りだされた空薬莢(からやっきょう)がまだ空中にあるうちに、片山は二発目を射った。続けて八発射ち、左肘(ひじ)は地面から離さずに、顔を傾けてスポッティング・スコープを覗(のぞ)く。 二百メーターの距離だし空気が澄んでいたから、直径五・五六ミリの小さな弾痕(だんこん)を二十五倍にしたスポッティング・スコープで見ることが出来た。 半円の黒の左下二十センチぐらいのところに、直径十センチぐらいのグルーピングをなして当っている感じだ。 標的が的枠ごと監的ピットに引っこめられ、二分ほどたってから、弾痕に黒い示弾板が差しこまれて上ってきた。 やはり、十発の着弾の散らばった直径は十センチぐらいだ。 ヴェトナムのジャングル戦中に、さまざまな弱点が改良されて一応完成の域に達したM十六A一ライフルの目的は、スリングと装填弾倉をつけても三キロそこそこの軽い銃と十グラムそこそこの軽い実包の組合わせによる多弾速射を主目的にしているから、精密な狙撃には向いていない。 M十六以前の米軍の制式銃M十四(フォーティーン)は、さらにそれ以前の六キロ以上あったM一(ワン)よりもいくらか軽く、七・六二ミリNATO(ナトー) 三〇八ウインチェスター口径 もM一(ワン)の三〇ー〇六口径実包よりも軽いとはいえ、実戦で一人の兵士が携帯して身軽に行動できるのは二百発程度であった。 それがM十六では、ヴェトナム戦の場合、一人が八百発前後携帯して、セミ・オートだけでなくフル・オートで射ちまくった。 Youtube - COLT M16A1 by Vickers Tacticalhttps://www.youtube.com/watch?v=HiaubcuaUdc M16A1 Full Auto Fun by TFB TVhttps://www.youtube.com/watch?v=MH0ChjY-Nns それも、狙い射つと言うより弾幕で包みこむといった射ちかただ。ヴェトナム戦の場合、米軍が解放軍一人を死傷させるのに要した実包数は、計算上では二十万発から四十万発ぐらいの割合になると言う。無論、その数のなかには、使われないまま爆破されたり、退却時に破棄したものも含まれるだろうが。ライフル自体も一万発も射つとスクラップ同然になるから、軍需産業がいかに儲(もう)かるかが分る・・・・・・。 ともかく、いま片山が射った、二百メーターで約十センチ径の着弾グルーピングは、M十六としては上々の精度と言える。 二百メーターで十センチのグルーピングは、百では五センチということになる。 百ヤード 約九十一メーター で一インチ、つまり二・五四センチのグルーピングが出せる銃を一M・O・A(ワンミニッツ・オブ・アングル)の精度があるといい、狩猟専用のボルト・アクション・ライフルで一M・O・Aの性能を持つものは珍しい。百ヤードで二インチのグルーピングを持つ二M・O・Aなら上等だ。 片山がいま使っているM十六は、偶然にも二M・O・Aの精度を持っているということが分かった。普通のM十六は三M・O・Aかそれ以下の性能だ。 笑顔を見せた片山は、尻ポケットに収めていた五・五六ミリ実包を取り出し、その弾頭を照星と照門の転輪目盛り孔に差しこんで歯止め(ディテント)を押しながら時計の針回りに回した。 M十六の場合、一クリック動かすことによって、上下とも一M・O・A着弾が変わることになっている。百ヤードの射程なら一クリックの回転で一インチ 二・五四センチ 、二百ヤードの射程なら二インチ着弾が変わるわけだ。百メーターだと約二・八センチ、二百メーターだと五・四センチ着弾が変わる計算になる。 上下ともに三クリック転輪を回すと、狙ったあたりに命中するようになった。 二百メーター射程の射座で、伏射だけでなく、二脚を外した坐射や膝射、それに立射で百発ほど射ってみて、スタンスのちがいによって生じる着弾の移動を摑(つか)む。 弾倉を上膊部の内側に乗せて銃の保持の助けにすることも出来るから、立射は割りに楽だ。 三百メーターの射座に移り、二百に照準器を合わせたままで三百の距離の目標物にヒットさせるには、どれぐらい上を狙ったらいいのかの、計算と実際の差を摑んだ。 M十六を簡単に分解し、その銃の最大の弱点である遊底(ボルト)キャリアーをクリーニングする。M十六は発射ガスの一部がガス導入管を通って直接ボルト・キャリアーを叩いて遊底を後退させるため、火薬ガスのカスやガーボンがボルト・キャリアーに次第に付着して回転不良を起させやすい。 射座を出た片山は、再び車を飛ばし、サン・モリッツのリゾート・タウンに入った。ちょうど昼飯時であった。 裏通りのレストランの駐車場にB・M・Wを駐める。無論、二重ナンバー・プレートの上側のほうは、別荘を出る前にはがしてある。 レストランで、川鱒(かわます)の酢蒸しと鹿肉のカツレツを主にした昼食をとったが、鹿肉(ヴェニジョン)とは名前だけで、実はニュージーランドから冷凍輸入したヤギ科のヒマラヤン・ターの肉であった。 N・Z(ニュー・ジーランド)で、食肉としてヨーロッパに輸出する野生動物のプロフェッショナル・シューターをやっていた片山の目と舌はごまかせない。 食後酒のさくらんぼ焼酎のキルシュの香りをまだ口に残しながら、片山はB・M・Wに乗り、町の出口近くで自転車を盗んだ。 それを車の屋根(ルーフ)に縛りつける。ルーフは傷だらけになるだろうが、どうせ車も自分のものではない。 ライン川の上流に沿って、国道三号をリヒテンシュタインに向けて飛ばす。走る性能にかけては数等上手のポルシェ・ターボやフェラリGTBやランボルギーニ・カウンタックなどをカーヴで強引に抜きさる。烈しくロールするB・M・Wのボディのアウトサイド下縁(かえん)がアスファルトをこすって火花を散らした。 一時間ほど北上し、ミニ国家リヒテンシュタイン公国に入る。 リヒテンシュタインは、スウィスに軍事も外交権も委ね、通貨もスウィス・フランの国であるから、スウィスとのあいだの国境に税関もない。 東西十キロ、南北約二十キロのその国の大部分はアルプスの山地だ。 首都とはいっても村とも町ともつかぬファズーツの、政府庁舎や郵便局があるメイン・ストリートには、外国人観光客やエキゾチック・スポーツ・カーに混って、農家の牛車や馬車がのんびりと通っている。 郵便局は市の中心部にあった。 現在でも、リヒテンシュタインの記念切手の売上げは、国庫収入の二割近くを占めている。 それに、ここの郵便局から大量の絵ハガキを故国に出すのが、一般観光客の儀式のようになっている。 片山はファズーツの町を車で回ってみてから、すぐ近くのアルプスの裾(すそ)にある、観光客向けの施設が集まっている一郭(いっかく)に着いた。 モーテル・アルトハイムにチェック・インする。この国ではドイツ語が使われている。そのモーテルは、バンガロー式に独立した各キャビンの前に、車を駐(と)めることが出来る方式のものであった。 片山は自分のキャビンのなかに、着替えの服など当りさわりがないものが入ったスーツ・ケースを運んだ。 シャワーを浴び、レイバン・デコットのグリーンのシューティング・グラスをつけ、車の屋根から降ろした自転車にまたがってモーテルの構内を出る。 近くのスーヴェニール・ショップで、キジの派手な尾羽の飾りがついたチロル帽を買ってかぶる。観光客のほとんどがそういった帽子をかぶっているから目立たずに済む。 メイン・ストリートの中心にある郵便局は、観光客でごったがえしていた。切手を買いあさる連中もいれば、絵ハガキ・コーナーに並んでボール・ペンを走らせる連中や、絵ハガキの束にスタンプを押してもらっている連中もいる。無論、待っている連中も少なくなかった。 番号だけがついた私書箱のロッカーが並んだコーナーは、局の左側にあった。私書箱の扉(とびら)には半透明な覗(のぞ)き窓がついていて、手紙が入っているかどうかが外から分るようになっている。封筒やハガキに書かれた文字は外からは読めないが。 ロティール精機の私書箱二百三十七号に近づいた片山は、そのなかを覗きこんでみた。一通の封書が入っている。 ソファに腰を降ろし、タバコに火をつけた片山は、私書箱二百三十七号をさり気なく見張った。 一時間ほど待ったが、その私書箱を開けに来た者はいなかった。 片山は立ち上がり、私書箱二百三十七号に近づいた。観光客の人垣(ひとがき)が局員の視線をうまくさえぎってくれるチャンスを待って、目的の私書箱の錠を針金で解いた。 手紙を頂戴すると、閉じた扉の錠を針金でロックする。封書の宛名はやはりロティール精機INCになっていた。差出し人はオーストリアのアイラッハ製銃株式会社であった。 自転車に乗ってモーテルに戻った片山は、備え付けのヤカンに水を入れてガス・レンジの火にかけた。 沸騰(ふっとう)した湯がヤカンの首から蒸気を吹きあげると、その蒸気で手紙の封をはがした。手紙の中味を出す。 アイラッハ社からの手紙の中味には、「先日の貴社からの申し込みの件は了解した。本日、オーストリア・グラーツ銀行ライラッハ支店から、貴社指定のファズーツ・アルピーヌ銀行の口座KXL五〇七七八三九RSに五万スウィス・フランを振こんだので了承されたい・・・・・・」 と、いう意味のことが書かれてあった。五万スウィス・フランは、約五百五十万円だ。 片山は手紙を封筒に戻し、封をノリづけした。それが乾くまでのあいだ、先客が残していった紅茶のティー・バッグを使って飲みものを作ろうとした。 しかし、万一の毒殺を怖(おそ)れを考えてそれを捨て、モーテルの売店から、自分の手で択(えら)んだ紅茶と砂糖を買ってくる。ついでに、チーズとソーセージと粉末クリームとパンとオレンジも買ってきた。 マグ・カップ二杯の紅茶を飲んだ片山は、再び自転車に乗って郵便局に向いながら、さっき車で街をひと巡(めぐ)りした時に目にとめてあったアルピーヌ銀行と、トーテム・インターナショナルの持株会社のトーテム・グローバルのリヒテンシュタイン人取締役オットー・ホルンブルグの弁護士事務所があるビルを仔細(しさい)に観察する。 銀行も弁護士事務所も、メイン・ストリートと交差するマインハイム通りにあった。銀行が交差点から西側、弁護士事務所が東側だが、いずれも郵便局から二百メーターほどしか離れてない。弁護士事務所は地上は三回の石造りで、建物全体をその事務所が使っているらしい。 郵便局に戻った片山は、私書箱二百三十七号に封書を戻した。また、その私書箱を見張る。 一時間ほどして、プラチナ・ブロンドの髪とエメラルド・グリーンの瞳(ひとみ)を持ち、すっきりと背の高い娘が、私書箱二百三十七号の扉をキーを使って開いた。ゲルマン風の頬骨(ほおぼね)が高い女だ。 その娘は封書を取出すと、郵便局員とちょっと言葉を交わしてから、足早に局を出た。颯爽(さっそう)とした足さばきといい、くいっ、くいっ、と揺れるヒップといい絶品だ。観光客の男たちが視線でその娘のバックを犯す。 片山はさり気ない動きで娘を追った。局の前に置いてある自転車にまたがる。 娘はマインハイム通りを銀行のほうに向けて歩いた。百メーターほど歩いた時、徐行していた黒塗りのアウディ一〇〇が助手席のドアを開いた。一瞬停車する。 娘は軽い身のこなしでその車の助手席に腰から先に身をすべりこませた。 娘の形がいい両脚がまだ車の外にあるうちに、アウディは再び走りはじめた。両脚を引っこめた娘が助手席のドアを閉じる。 自動車を自転車で追っかけたって仕方ないので、片山は追跡に適当な車を捜した。ちょうど、すぐ近くに、イタリー・ナンバーのアルファ・ロメオ二〇〇〇スパイダー・ヴェローチェが路上に駐(と)まっていて、運転席で中年男がドライヴ地図をひろげている。 片山は自転車を捨てると、銀色のオープン・トップのその車に迫った。運転席の男の首を手刀で強打して失神させ、助手席に移すと、自分が運転席につく。 エンジンは掛けられたままだから、すぐに発進させる。勇ましい排気音をたてるその車のエンジンをオーヴァー・レヴさせながらシフト・アップしていく。風圧でチロル帽が吹っ飛んだ。 目ざすアウディ一〇〇に追いついたのは、そいつがスウィスの国道一号に近づいた時であった。 片山は運転しながら、まだ気絶している助手席の男に三点式シート・ベルトをつける。アウディとの間隔を二百メーターほどとった。 アウディは、国道十六号の路面が荒れたワインディング・ロードをチューリッヒのほうに向った。 チューリッヒに向うとすれば国道三号なら立派な道だが、山あいの、ほとんど沿道に人家が無い国道十六号を択んだのは、明らかに尾行されていることに気付いたからであろう。 曲がりくねった悪路を十キロほど行ったところでアウディは停車した。スキッドして道路に斜めを向いて停まると、運転していた男と娘が車から跳びだした。二人とも自動装填式の拳銃を握っていた。車の向う側に蹲(うずくま)る。 ヒール・アンド・トウでサードからローにギアをブチこみながらフット・ブレーキも強く効かせた片山は、右側の路肩に迫った山の崖に車の腹をこすりつけるようにしてアルファを停車させた。アウディとの距離は百メーターほどだ。 アウディの向う側で立ち上がった二人が拳銃を乱射してきた。ほとんどの銃弾は片山を大きくそれたが、数発がアルファのラジエーターやフェンダーに当った。 アルファの運転席の上に立った片山は、G・Iコルトをプッシュ・ロッドすると二発放った。崖に跳びつき、崖を素早く這(は)い上がると、雑木林のなかを走る。 片山が放った二発の四十五口径弾は、アウディを運転していた男の左右の肩甲骨を射ち砕き、背中側から抜けていた。その男は拳銃を放りだし、膝(ひざ)を使って這い逃げようとする。両手は動かすことが出来なくなったからだ。 娘のほうは、ブラウニング〇・三八〇の空(から)になった弾倉をハンドバッグから出した予備弾倉と替え、心臓が喉からとびだしそうな表情で雑木林に向けて盲射(めくらうち)ちしている。 たちまち予備弾倉も射ち尽くしてしまった娘は、ブラウニングを男が落したモーゼルHSCに替えて乱射した。 IMFDB.org - FN Model 1910/1922http://www.imfdb.org/wiki/FN_Model_1910/1922 Mauser HSchttp://www.imfdb.org/wiki/Mauser_HSc Youtube - Small Arms of WWI Primer 058: Belgian FN1910 by C&Rsenalhttps://www.youtube.com/watch?v=RxCwMSG9xjg FN 1910 Pistol History and Shooting by TFB TVhttps://www.youtube.com/watch?v=3JlXtBLFj68 たちまち残弾を射ち尽くしたモーゼルを捨て、両手を挙(あ)げると、「射たないで!」 と、ドイツ語で金切声をあげる。 すでに娘の斜め上方二十メーターほどのところに忍び寄っていた片山は、G・Iコルトから娘の頭上十センチほどの空間に一発通過させた。 娘はスロー・モーション映画のように、ゆっくりと崩れ落ちた。横倒しになる。 片山は這い逃げている男の左右の足首を狙い射ちした。男は路面に突っ伏して痙攣(けいれん)する。 道路に跳び降りた片山は、アウディのイグニッション・スウィッチからキーを抜き、トランク・リッドを開いた。トランク・ルームに入っていた牽引用ロープを取出し、それをナイフで二本に切った。 一本で血まみれの男の体を縛り、ウエスで猿グツワを噛ませた。その男をトランク・ルームに閉じこめる。 気絶している娘を抱えあげてみると、長身の割りには軽かった。その娘を助手席に腰掛けさせ、両手をシートのバックレストのうしろに回して両手首をロープで縛る。娘のハンドバッグは助手席にの床に置いた。 オートマチック・ミッションの五気筒エンジンのアウディ一〇〇を運転して、ワインディング・ロードを走らせる。十キロほど行ったところで山に入る脇道を見つけ、それに車を乗入れる。 ゆるやかな登りの砂利道であった。左右は林と牧草地で、羊の群れが見える。やがて、山の中腹に、石造りの小屋が見えてきた。 羊毛の刈取りの時期に羊飼いが泊る小屋だ。脇には小川が流れている。その小屋の近くに車を停めた片山は、小屋に歩く。 無人とは分ったが一応ノックしてみた。無論、返事が無いので、ナイフの刃を柱とドアの隙間(すきま)から差入れ、掛け金を撥(は)ね外す。 幅五メーター、長さ八メーターほどの小屋のなかに入ると、羊毛のラノリン油脂の匂(にお)いが漂(ただよ)ってきた。 小屋の左右には二段ベッドが二組ずつ備えつけられ、突当りには薪(まき)を使う料理ストーヴと簡単な調理台が置かれている。天井からは、黒く燻(いぶ)されたソーセージや牛や豚の腿肉(ももにく)がぶらさがっている。しばらく使ってないらしく埃(ほこり)っぽかった。木のドアには、羊毛の刈取り競争の記録がナイフで彫ってあった。 片山はまず娘を小屋に運びこみ、右側の二段ベッドの下側のほうに寝かす。 素っ裸にした。細っそりとした体だが、バストとヒップは豊かだ。ウェイストは蜂(はち)のようにくびれている。ピンクの花弁は新鮮な色艶(いろつや)をしていた。 片山はズボンの内側が突っぱってくるのを覚えながら、ひろげさせた娘の両手首をベッドの鉄枠(てつわく)に縛りつけた。 娘のハンドバッグを開いてみる。 運転免許証から、娘の名前はカーレン・リヒテル、年は二十二、住所はファズーツから十キロほど南方のスウィス領バートラガッツ町と分る。 身分証明書のほうは、リヒテンシュタインのシャーン町ライネルト通り五番にあるローティル精機INCの社員となっている。ファズーツとシャーンは、わずか二、三キロしか離れてない。 外に出た片山は、アウディのトランク・ルームから男の体を出し、小屋の左側の二段ベッドに縛りつける。両足首に止血処理を施したが、男はすでに両肩から多量の血を失っているので、両肩からの出血は勢いが弱い。男の名はハンス・ウェルナーといって、ロティール精機の社長だということが身分証から分った。 小川で手の血をよく洗い、顔も洗ってから、片山は車を小屋の背後の茂みのなかに隠した。 小屋のなかに戻ってみると、カレーンは意識を取戻してもがいていた。 好色なサタンのような笑いを浮かべた片山は、着けていたものを脱いでいった。猛々しくなっているものでカーレンの乳房を愛撫した。「何するのよ!」 カーレンはわめいた。「あんたは俺を殺そうとした。だから俺はあんたをベッドで殺してやる」 片山は再び笑い、ホルスターから抜いたG・Iコルトと予備弾倉を、ベッドの脇の棚(たな)に乗せた。 カーレンと並び、乳首を舐(な)めながら、内腿を手と凶器で愛撫する。「駄目・・・・・・やめて。・・・・・・よしてよ」 カーレンはあ瞼(まぶた)を固く閉じて呻(うめ)いた。乳首が勃〓(ぼっき)し、閉じていた腿がゆるんでくる。片山はすかさず花弁や花芯を凶器で愛撫した。 ジュースをしたたらせたカーレンは、「よして・・・・・・自殺してやる・・・・・・けだもの・・・・・・」 と、譫言(うわごと)のように言いながら、開いた両脚を胸の方に引きつけはじめた。 片山はインサートしはじめた。カーレンは充分すぎるほど潤ってはいるが狭いから、片山は引いたり押したりして少しずつ沈めていく。凶悪なほど張った片山のカリがカーレンの襞(ひだ)をこするごとに、カーレンは悲鳴に近いよがり声をあげた。 片山はやっと充分に没入することが出来た。片山の胴を両腿で締めつけていたあカーレンは、蜜壺を独立した生き物のように動かしながら、烈しく腰を突きあげた。 プラチナ・ブロンドの髪を振り乱しながら、「溶けそう・・・・・・こんな硬いのはじめて・・・・・・熱い鋼鉄みたい・・・・・・溶ける・・・・・・溶けるう・・・・・・」 と、声をたてる。 片山もスラストのスピードを次第に早めていった。カーレンの耳朶(じだ)を軽く噛みながら、「素敵だ・・・・・・最高だ・・・・・・俺が会った女の中で君が一番だ」 と、耳のなかに熱い息を吹きこんでやる。事実、カーレンの味は絶品で、よほど意志の力で耐えないと発射しそうになる。 カーレンはゲルマン民族だけにライオンの吠(ほ)え声のような声をたてるのが興醒(きょうざ)めだが、二十分ぐらいのうちに七、八回熱いものをほとばしらせ、肉の襞は片山を引きこもうとし、降りてきた子宮が片山を包みこもうとする。片山は歯をくいしばり、今は亡き晶子と二人の子のことを考えて耐えた。 カーレンが最後の怒涛(どとう)に攫(さら)われようとした時、片山は強靭(きょうじん)な意志の力で身を引いた。あわてたカーレンは両脚で片山の胴にしがみつこうとしたが片山の凶器はカーレンの蜜壺から抜けた。「やめないで・・・・・・どうして? ここでやめるんなら殺してやる!」 カーレンは口から泡(あわ)を吹いた。「質問に答えたら、天国に運んでやる。ロティール精機の正体は何なんだ?」 片山は凶器でカーレンのふくれ上った花芯を撫(な)でながら囁(ささや)いた。「私書箱に届いた手紙と、アルピーヌ銀行に振りこまれたお金を引出して、オットー・ホルンブルグ弁護士事務所に届けるのが仕事なの・・・・・・お願い・・・・・・このままでは気が狂いそう」「じゃあ」 片山は深く貫いた。猛獣が吠えるような声をあげて突きあげてくるカーレンに合わせてスラストする。 カーレンが熱いものをおびただしく噴射しながら四肢を痙攣(けいれん)させるのと共に片山も放った。それからしばらく、二人はぐったりと動かなかった。 やがて片山は、カーレンから体を離し、G・Iコルトと予備弾倉と、カーレンのハンドバックから出したレースのハンカチを持って小屋を出た。 小川の冷たい水で股間を洗い、ハンカチで拭った。小屋に戻ると、目を閉じているカーレンの下腹部を洗ったハンカチで拭ってやる。 片山は服をつけた。ホルスターにG・Iコルトを戻す。ハンス・ウェルナーのほうは脂汗(あぶらあせ)にまみれていた。 片山はハンスの近くの椅子(いす)に腰を降ろし、タバコに火をつけた。「ロティール精機は、ホルンブルグの弁護士事務所のダミーというわけか?」 と、ハンスに尋ねる。「病院に運んでくれ・・・・・・死にたくない・・・・・・俺は、ホルンブルグの弁護士事務所から金で傭(やと)われただけだ」 唇が乾いてカサカサになったハンスは呻(うめ)いた。ドイツ訛(なま)りの英語だ。「それにしては勇ましかったじゃないか? いきなりブッ放してくるとはな」 片山は冷笑した。「怖(こわ)かったんだ。あんたに追いかけまわされたんで」「尾行(つけ)られたら拳銃をブッ放すのがあんたのやりかたか?」「ホルンブルグ弁護士に命令されてたんだ。この仕事をはじめてからしばらくして、彼が言うには、〝ロティール精機に毎月高い報酬を払っているからには、それなりに危い目に会うことを覚悟してくれ・・・・・・ロティール精機を通じて世界各国の企業からうちの弁護士事務所に払いこまれる献金は、迫害されている東ヨーロッパのユダヤ人を救うためのものだ・・・・・・ところが、ナチス新党がその浄財を強奪しようと暗躍している、という情報がある・・・・・・無論、ナチス新党は、まだロティール精機のことも、うちの弁護士事務所のことも嗅(か)ぎ出してはないが、要心するに越したことはない・・・・・・特に、ロティール精機とうちの事務所との関係は絶対にナチス新党に知られたくない・・・・・・だから、外国から受取った手紙やアルピーヌ銀行に振りこまれた金をうちの事務所に渡す時には、他人に見つけられないように慎重にやってくれ・・・・・・追いつめられた時には構わず相手を射て・・・・・・あとは、迫害ユダヤ人救済国際機関がうまく処理するから・・・・・・〟とのことだった」 苦しげな息をしながらハンスはしゃべった。「具体的には、どうやって弁護士事務所と手紙や金(かね)の受け渡しをやってたんだ?」 片山は尋ねた。「カーレンがホルンブルグ事務所の女性職員と公園のベンチでショッピング・バッグをさり気なく交換したり・・・・・・今日のスケジュールでは、カーレンを拾った俺はハイム通りの外れ近くにあるゴミ箱の脇に弁護士事務所のフランツ・ドブラーという男が立っているのを確認したら一時停止し、カーレンがそのゴミ箱のなかに手紙を投げこむことになっていた。フランツがそれを拾って事務所に持って帰るんだ。 だけど、俺はあんたがアルファ・ロメオを襲ったのをリア・ビュー・ミラー(バック・ミラー)で見て、フランツを無視して車を飛ばした・・・・・・そのあげくが、このザマだ・・・・・・頼む、これだけしゃべったんだから、早く病院に連れていってくれ・・・・・・このままでは死んでしまう・・・・・・」「赤い軍団を知ってるな?」「何のことだ?」「あんたは、本当に迫害ユダヤ人救済機関のために働いていると思ってるのか?」「ああ・・・・・・ホルンブルグ事務所が献金受入れの秘密の窓口と思ってるんだが・・・・・・私はユダヤ人じゃないが、ナチやコミュニストは大嫌(だいきら)いだ」「あんたの車が泡をくって通り抜けたのを見て、フランツ何とかという男は、異変が起ったことに気付いたろう。通報を受けて、ホルンブルグはどこかに姿を隠したかも知れんな。それとも、赤い軍団の戦闘員を呼び寄せて、俺たちを必死で探してるかも知れん」「だから、赤い軍団とは何のことなんだ。教えてくれ」「俺もよくは知らん。ホルンブルグは軍団長ではない。軍団長は別にいる。ともかく、軍団長は、世界のテロとゲリラの総元締めらしい」「そんな・・・・・・」 ハンスは絶句した。「ホルンブルグ事務所で働いてるのは何人だ? 事務所があるビル自体が、事務所というかホルンブルグの持物のような感じだったが?」「私は・・・・・・もう・・・・・・駄目だ・・・・・・口をきく力もない・・・・・・」 ハンスは呟くと目を閉じた。すっと意識を失う。 片山はカーレンの横に椅子を寄せた。 欲望が満たされ終えたカーレンは、エメラルド・グリーンの瞳(ひとみ)に氷のような冷ややかさをたたえて片山を睨(にら)みつけた。「さっきは楽しかったな。ホルンブルグの部下は何人だ?」 片山は底抜けに明るい笑いを作った。「寄らないで! 一体誰なの?」 と、わめく。「あんたが泣いて欲しがった男さ。質問に答えろ」「何よ、偉そうに・・・・・・野蛮人のくせに」「オーケイ、じゃあ蛮人らしく振るまってやる。あんたがこれから一生のあいだ女の悦びを味わえないようにしてやる。だが、その前に、あんたが人前に出るのが嫌(いや)になるようにしてやる」 物凄い笑いを浮かべた片山は、ガーバー・フォールディング・スポーツマンIIのナイフを腰のスキャバードから抜くと刃を起した。スキャバードに差してあったクローム・カーバイトを焼き付けた研ぎ板(ホーニング・スチール)で刃をタッチ・アップする。 カーレンのプラチナ・ブロンドの前髪でナイフの研ぎ味をテストしてみる。 絶叫をあげながら、カーレンは片山が体内に残したものと共と小水を噴出させた。カーレンの髪は、レザー・カットされたもののようになった。 片山は固く目を閉じて顔をそむけるカーレンの頬(ほお)を、ナイフの峯(みね)で軽く叩いた。「まずは顔の皮を剥(は)いでやる。皮が無くなったら、あんたがもとは美女だったと言い張ったって、はじめて会った者は誰も信じなくなるぜ」 と、ニヤリと笑う。「やめて! 悪かったわ・・・・・・大口を叩(たた)いて・・・・・・男の人に征服されたなんて恥ずかしかったもの・・・・・・」「しかも、俺のようなダッタン人かフン族のような野蛮人となると?」「・・・・・・・・・・」「それでは答えてもらおう。ホルンブルグの部下は何人だ? 何人があの弁護士事務所で働いている?」「二十五人よ。弁護士が五人で、あとは事務員・・・・・・」「ホルンブルグの自宅はどこだ?」 片山は尋ねた。 カーレンは答えた。 片山は、ホルンブルグ事務所の主な連中の名前と自宅を尋ねた。カーレンは、連中のほとんどの名前と住所を知っていた。「ホルンブルグは、今日は事務所にいるのか?」「知らないわ。あの男(ひと)、いつも外国に出かけていて、事務所に戻るのは週に一、二度だから」 カーレンは答えた。 その時片山の鋭い聴覚は、六キロほど離れた国道を外れて、この小屋がある山に登ってくる車のエンジンの唸(うな)りを捕えた。 片山はカーレンに素早く彼女のパンティで猿グツワを噛ませ、小屋の外に走り出た。車を隠してあるブッシュに行くと、M十六A一自動ライフルと、主に弾薬が詰めてあるバック・パックと手榴弾を車から出した。 小屋の下側の石垣(いしがき)のうしろに蹲(うずくま)り、M十六の薬室に装填すると、ライツ・トリノヴィッドの小型軽量だが高性能の双眼鏡を目に当てる。 (つづく)
2021年11月06日
'Milano, Porta Romana' (Italy)Photo by Girolibero Cycling Holidays >前回 ウンベルト・ラザーニの屋敷は、高い塀(へい)に囲まれ、アーチ型の正門の内側の右手に門衛用の詰所があった。片山が車でその前を通った時には、詰所のデスクに顔を伏せて、門衛は居眠りしていた。 B・M・Wを数ブロック離れたところに駐(と)めた片山は、路上駐車しているニッサン・キャラヴァンの背が高いハイ・ルーフ・ヴァンを盗んだ。そいつは、まだステアリング・ロックがついてないタイプのものだから、バッテリーとイグニッションを直結し、スターターのマグネット・スウィッチをドライヴァーで短絡させるだけで済んだ。 その車は、ハイ・ルーフの上に、さらにルーフ・ラックまでもつけられていた。その車を動かし、ラザーニの屋敷の横側の塀に寄せて駐めた片山は、一度G・Iコルトを抜いた。遊底を操作して薬室に実包を送りこみ、撃鉄安全を掛ける。それをホルスターに戻すと、車のなかにあった長いロープを腰にゆるく捲いて、車の屋根によじ登った。 腰から外したロープの一端をルーフ・ラックに結んで、片山は立ち上がる。ハイ・ルーフ・ヴァンの全高は二メーターを優に越えているから、高い塀の天辺も片山の目の下にある。 片山は門番の詰所に何の動きも無いのを確かめてから、塀の内側にロープを垂らした。 そのロープにすがって、片山は静かに庭に降りた。ナイロン・ストッキングの覆面をつける。G・Iコルトを抜き、撃鉄で親指を起すと、身を低くして門番の詰所に忍び寄る。 詰所の扉(とびら)をそっと開いた片山が詰所のなかに身をすべりこませるのと、はっと目を覚ました門番が状態を上体を起し、充血した目を見開いたのがほとんど同時であった。 片山はG・Iコルトの銃口を、六十近い門番の眉間(みけん)に向けた。「命が惜しいか、それとも額をブチ抜かれたいか?」 と、圧(お)し殺したイタリー語で囁(ささや)く。「サンタ・マリア・・・・・・」 門番は惨めな表情で両手を挙(あ)げた。 片山は門番を立たせ、壁に両手をつかせて、軍用ホルスターに入ったベレッタ口径九ミリの自動拳銃、特殊警棒、手錠、鍵束(かぎたば)を奪った。門番の両手を背中のうしろに回させ手錠を掛ける。「俺には女房も子もある」 門番は床にまで小水を垂らしながら喘(あえ)いだ。「俺(おれ)の言う通りにすれば死なずに済む。旦那(だんな)のところに案内しろ」 片山は言った。 門番が持っている鍵束のなかには、母屋の玄関の鍵もあった。 ウンベルトの寝室は二階にあった。カツラを棚に置いた禿頭(はげあたま)のウンベルトは、シミだらけの肌の栗色の髪の女房とダブル・ベッドで眠りこけていた。 片山は目を覚ましかけた女房の頭を特殊警棒で一撃して気絶させ、門番も気絶させる。 跳(は)ね起きたウンベルトは素っ裸であった。小肥(こぶと)りの体は全身が熊(くま)のような毛に覆われている。「落ち着けよ、俺は強盗ではない。イタリー粛清同盟の使いの者だ」 片山は英語でハッタリをかませた。イタリー粛清同盟は、赤い軍団ミラノ支部がジュリアス・シーザー社に対して使った名前だ。 ウンベルトは、片山が右手で握ったG・Iコルトの銃口を見つめながら、右の拳(こぶし)を女のように口に押しこんで悲鳴を殺していた。震えている。縮みきった男根は毛のあいだに埋まって、まったく見え無いが、チョロチョロと漏らす小便が、脂肪の塊のような女房の太鼓腹に落ちて飛び散る。 ウンベルトは、皮が歯ですりむけた右の拳を口から抜いた。「助けてくれ! イタリー粛清同盟には、毎月ちゃんと会社から献金してるじゃないか? もしあんたのほうの銀行に金がとどかなかったとしたら、うちの銀行の責任だ。うちの社の責任じゃない。私の責任でもない。分ってくれ!」 と、喘ぐ。「まあ、坐(すわ)れよ。ゆっくり話しあおうじゃないか」 片山はソファを左手の特殊警棒で示した。 ベッドから転(ころ)げ落ちたウンベルトは這(は)ってソファにたどり着いた。ソファに坐ると、両手で股間を押さえる。「あんたの銀行の手ちがいか知らんが、今月分がまだ入金してない。こっちが指定した例の銀行の口座番号に、ちゃんと振りこんだんだろうな?」「間違いなく・・・・・・信じてくれ・・・・・・」「念のために、こっちの口座名と番号をしゃべってみろ」「ロティール精機INC、私書箱二百三十七号、ファズーツ・リヒテンシュタイン・・・・・・口座番号は、アルピーナ銀行のKXL五〇七七八三九RSだ」「アルピーヌ銀行は、勿論(もちろん)、リヒテンシュタインのファズーツにあるんだな?」「ど、どうして、そんなことを尋くんだ?」「今月振りこんだ金額は?」「畜生・・・・・・あんた、イタリー粛清同盟のメンバーじゃないな! 誰だ、あんたは? 右翼か!」 ウンベルトは震え声で叫んだ。「わめかなくても聞える。俺の質問に素直に答えろ。痛い目に会いたくなかったらな」 片山は声に凄味(すごみ)を利かせた。「い、嫌(いや)だ! 奴等の復讐(ふくしゅう)がおそろしい」「俺は怖くないと言うのか? よし、手はじめに、貴様の女房の腹の脂肪を剥(は)ぎ取ってやる。脂肪についた傷は治りにくいんだ。化膿もしやすい」 片山は警棒を腰のベルトにはさみ、ガーバーのフォールディング・ナイフをスキャバードから抜くと、その刃を起した。気絶しているウンベルトの女房の太鼓腹にナイフを突き刺そうとした。「やめてくれ!」 ソファから転げ落ちたウンベルトは四つん這いになって両手を合わせた。「それとも、貴様の汚らしいペニスをブッタ切ってやろうか?」 片山はニヤリと笑った。「分った、しゃべる。何でもしゃべるから、暴力はよしてくれ!」「まず、さっきの質問に答えろ」「ジュリアス・シーザー社は、三年ほど前から、ロティール精機名義のイタリー粛清同盟の口座に、機密費のなかから毎月、保護料を振りこんでいる。去年までは毎月二千万リラだったんだが、リラが暴落したんで毎月四千万リラになった」「イタリー粛清同盟の本当の名は、赤い軍団というんだ。もっと正確に言うと、赤い軍団のミラノ支部といったところだがな」「本当か?」「今までに、その名を聞いたことがあるんだろう? 赤い軍団の名前を?」「いや。イタリー粛清同盟は、我々を脅迫する時、バックに世界的なテロ組織がひかえている、とは言った。しかし、その具体的な名は教えてくれなかった」「ミラノにあるほかの大企業で、赤い軍団と思える組織に献金を強(し)いられているところは?」「よくは知らん。だけど、実業家クラブのパーティーなどで酔ったはずみに出る話では、かなりの大企業がイタリー粛清同盟に金を捲(ま)きあげられているようだ」 ウンベルトは答えた。「よし、はじめから話をしろ。どうやって、イタリー粛清同盟とのつながりが出来たかを」 片山は言った。「三年半ほど前、私はまだジュリアス・シーザー社の重役になってなくて、経理部長をやっていた頃、当時の経理担当重役のエンツォ・パガーニにイタリー粛清同盟からの手紙が舞いこんだ。〝ジュリアス・シーザー社の車は欠陥車だらけで、殺人車という名のほうがふさわしい。ジュリアス・シーザー車のせいで殺された者の遺族や大怪我をした連中が被害者同盟を結成して、ジュリアス・シーザー社に対し組織的な大訴訟運動を起す動きがある。その運動が実現したらジュリアス・シーザー社は倒産するかも知れない。イタリー粛清同盟は愛国者の集まりだからイタリーの企業が苦境におちいるのを見すごすわけにはいかない。だから、イタリー粛清同盟は、被害者同盟の結成を阻止して見せる。しかし、それについては運動資金が必要となる。それに、第二、第三の被害者同盟の結成の動きを察知して撃破するためにも闘争資金が要る。したがってイタリー粛清同盟は毎月二千万リラの献金を要請する。ジュリアス・シーザー社が献金に同意したら、ミラノ新報の尋ね人欄に、〈アントニオ・セザールに関する情報を求む。セザールの年齢二十歳、二千万リラを着服して逃走中、連絡はミラノ郵便局私書箱二二二号に〉という広告を出せ。イタリー粛清同盟の要求を断った時には、ジュリアス・シーザー社に不幸なことが起るだろう。〟 と、いう内容だった。 我々は、あわてて、被害者同盟結成の動きが実在するものかさぐった。しかし、そんな動きはなかった。 それは、我が社で作っている車がパーフェクトなものといえば、社としても思ってない。特に電装品となるとひどいもんだ、と言われても仕方ない。だけど、そんなことはイタリー車であるかぎり、どのメーカーだって似たようなもんだ。だから、我々はイタリー粛清同盟の要求を無視することにした」「・・・・・・・・・・」「脅迫状は毎月のように届いた。半年ほどのち、最後通告が送られてきた。要求を呑まぬとエンツォを廃人同様にすると・・・・・・エンツォは怯(おび)えきって社長に嘆願したが、社長は首を縦(たて)に振らなかった。 そして、エンツォは両脚をサブ・マシーン・ガンで切断された。翌日、社長に電話があって、次は社長の番だ、と言ってきた。社長は即座に、イタリー粛清同盟への献金に応ずることに決めた」「あんたらのうちの誰かで、イタリー粛清同盟の誰かに会ったことはあるのか?」「いや、手紙と電話だけだ・・・・・・エンツォは射たれた時に見たわけだが、相手は覆面してた」 ウンベルトは答えた。 それから半時間ほど片山はウンベルトを尋問した。電話帳を乗せた卓子に、ピエトロ・アンドレッティが持っていたのと同じミラノの秘密紳士録があったので、それを奪った。 ウンベルトを気絶させて屋敷を去る。 それから一時間後、片山は自動車修理工場アルチェリの二階に忍びこんでいた。 二階の一室では、宿直の工員が、引っぱりこんだガール・フレンドと脚をからませたまま眠りこんでいた。無論、二人とも素っ裸であった。シーツは床の上にずり落ちている。 男は二十二、三歳だが、女のほうは十六、七であった。二人とも野卑な顔つきをしていた。女は若くても体は、充分に発達し、花弁など発達しすぎて、うしろから丸見えだ。 侵入した片山に気付き、目を覚ました男が枕(まくら)の下から短刀を抜きながらベッドから跳(と)び降りようとした。「死にたいか?」 片山は目にもとまらぬスピードで腰のホルスターからG・Iコルトを抜いた。親指で、音たてて撃鉄を起す。 怯えに歪んだ顔をした男の手から短刀が落ちた。眠っている間に勃〓(ぼっき)していた長大なホースが見る見る縮んでいく。「き、金庫なら事務所だ! だけど、鍵(かぎ)はオヤジさんが持っている。俺は開けかたを知らんのだ!」 男は喘(あえ)いだ。 唸(うな)るような声を漏らして寝返りを打った娘が無意識のうちに指を使いはじめた。「オヤジさんの自宅はどこだ?」 片山は尋ねた。 そのとき、娘が目を覚ました。ベッドの上にアグラをかき、寝ぼけ眼を片山に据(す)えて罵(ののし)りはじめる。「黙らせろ」 片山は男に命じた。 男は娘の口を両手でふさごうとした。噛(か)みつかれてカッとなり、首を絞めようとする。娘は男の腕を掻(か)きむしった。 近づいた片山は、娘の耳の上を左の手刀で殴りつけて気絶させ、男の右手首を手刀でへし折る。発狂しそうな表情になった男に、「答えろ」 と、迫った。「アルタガルディア通りのアパート・・・・・・」 男はくわしく説明した。「この修理工場の名前は、前にはトルノという名前だったな?」 片山は尋ねた。「そうらしい。だけど、俺がここに傭(やと)われたのは今年の春からだから、くわしいことは何も知らねえ」「イタリー粛清同盟の名を聞いたことはあるか?」「いや」「赤い軍団は?」「何のことだ?」「分った。お前じゃ話にならん。アルチェリが住んでいるところに案内してもらおう」 片山は肩をすくめた。 娘にサルグツワを噛ませ、厳重に縛りあげてから、修理のために入っていたフィアット一三〇を男 シルヴィオ・タルフィというのがその名であった に運転させ、市の南部にあるアルチェリのアパートに向った。 アルチェリが住んでいるアパートは、前庭と中庭を持っていた。シルヴィオは何度かそこにきたことがあるらしく、入口の扉(とびら)の電磁ロックを解く隠しボタンを簡単に見つけた。 口の字型の建物の左翼の二階のアルチェリのフラットの玄関の前に立ったシルヴィオはインターフォンのスウィッチを押した。 しばらくして、「誰?」 と、中年女の怯えた声がインターフォンから流れた。「済いやせん、夜中に押しかけてきて・・・・・・ちょっと工場のことで旦那にお知らせしたいことが・・・・・・」 片山の拳銃に狙(ねら)われているシルヴィオは、命じられた通りのセリフを言った。 五分ほどして、「シルヴィオか? 何だ一体?」 と、フェルシオ・アルチェリと思える男の声が尋ねた。「工場でボヤがありまして。放火らしいんで・・・・・・消し止めやしたが、電話が焼けてしまったんで直接ここに・・・・・・」「何だと、まあ入れ!」 玄関のドアのロックが内側から解かれた。 シルヴィオの背に拳銃を突きつけた片山は、玄関ホールに入ると、顔色を変えたアルチェリに銃口を向け、左のうしろ手でドアを閉じると、「私は秘密警察の者だ。顔を覚えられたくないので、こんな格好で失礼する」 と、言った。「ま、まさか・・・・・・信じられん・・・・・・身分証明書を見せてくれ」 褐色(かっしょく)がかった肌をした中背で小肥りのアルチェリは喘いだ。「騒いだら、皆殺しにする。家族もな。しかし、ちゃんと質問に答えてくれたら、何もしないでここから出て行くと約束する。礼もするぜ。取りあえず、これだけ払う」 片山は、ポケットから百ドル札を六、七枚摑(つか)み出し、床の上にばらまいた。 シルヴィオが、四つん這いになって紙幣を掻き集めようとした。片山は鋭くシルヴィオの頭を蹴(け)って昏倒(こんとう)させ、拳銃に撃鉄安全を掛けてホルスターに仕舞うと、「俺が知りたいのは、修理工場の、前の経営者のトルノのことだ。だが、ゆっくり話し合う前に、奥さんに、俺のこの覆面を見ても騒ぎたてたり警察に電話したりしないよう言ってくれ」「マリア! 商売のことで重要な話をしてるところだから、呼ぶまでこっちに来ないでくれ」 アルチェリは奥に向けて叫んだ。「御協力に感謝する。さてと、あんたがトルノと知りあったのは、どういうわけで?」「不動産屋を通じてだ。私は長いあいだトリノ市のフィアット社で働いていたが、大学出でないので出世の見込みはなかった。昨年、オヤジが死んでまとまった金が入ったので独立し、生れ育ったこのミラノで車の修理工場をはじめることにし、いろんな不動産屋に口を掛けた。そしたら、パオロ・トルノという男の修理工場が売りに出たのを知ったので買っただけの話しだ」「売買の時、トルノに会ったのか?」「いや。トルノの代理人の弁護士と取引きした。しっかりした弁護士だ。ロマーナ・コルサ通りに事務所を構えているカルノ・ボネト氏だ 」 アルチェリは言い、さらに詳しく弁護士事務所のビルがある位置を説明する。「その弁護士は、まだその事務所を閉じてないのか?」「どうして? 私はボネト氏が気に入ったから、我が社の顧問弁護士になってもらっている」「あんた、イタリー粛清同盟を知っているかね?」「何だね? それは?」「赤い軍団は?」「何のことだが 」「取引きの前やあとにトルノに会ったことは?」「あの修理工場を下見した時に会ったことがある。パオロ・トルノ氏は、正直そうな男だった」「その後は?」「いや。ミラノには住んでないようだ。どこに移ったのかは知らん」「トルノはあんたに修理工場を売ったあと、抱えていた工員をみんな連れて行ったのか?」「そうなんだ。だから私は、まったく新しく人手を集めねばならなかった」「機械類は?」「修理用の機械類は土地建物とコミで安く譲ってもらったが」 アルチェリは答えた。 片山はトルノの人相や体つきを尋ねた。 それに答えたアルチェリは、「トルノ一家は射撃が大好きだったようだ。私の代になってから、工場の裏庭を廃液の処理槽(しょりそう)を造るために掘ったら、弾薬の空薬莢(からやっきょう)が随分出てきたよ」 と、言う。「地下室に試射場でもついてたんじゃないかい?」「それは充分考えられる。地下室の一番奥の壁は塗りたてだった。塗る前は、土を剥(む)きだしにして、銃弾の安土(バック・ストップ)にしてたのかもな」「弁護士のカルロ・ボネト氏の自宅はどこだ?」「弁護士事務所があるビルの屋上のペント・ハウスだ。あのビル自体もボネト氏のものらしいから大したもんだよ」「有難う。色々と教えてもらって。まあ、これで機嫌(きげん)を直してくれ」 片山はポケットから十枚ほどの百ドル札を引っぱりだしてアルチェリに渡した。狂喜するアルチェリに、「カルロ・ボネト先生には、あんたが俺と会ったことをしゃべらんほうがいいぜ。俺は近日中にセンセイに会いに行くが、紳士的に穏やかに、トルノのことについて話しあう積もりだから」「あんた、トルノとどんな関係なんだ?」 アルチェリは尋ねた。「奴にちょっとばかし貸しがある。だから奴と会いたいんだ」 片山はナイロン・ストッキングの覆面の蔭で暗い笑いを浮かべた。 半時間後、片山は、カルロ・ボネトが弁護士事務所を持っている十階建てのビルの屋上にいた。 最上階まで非常階段を使って登り、ロープを手摺(てす)りに引っかけて屋上に身を移したのだ。 プールやテニス・コートや花壇がある屋上の北側に、五DKぐらいの広さの洒落(しゃれ)た屋上住宅(ペント・ハウス)があった。 五十がらみのカルロは、妻とは別の寝室で眠っていた。その妻を気絶させて縛りあげてからカルロのベッドの脇に立った片山は、目を覚まして悲鳴をあげようとするカルロの口にG・Iコルトの銃口を突っこんだ。 口から泡を吹くカルロの意識がはっきりすると、「トルノはどこだ?」 と、ナイロン・ストッキングの覆面の蔭から尋ねる。「トルノ?」 茶色い瞳(ひとみ)を持つ弁護士の眼球は、眼窩(がんか)から飛びだしそうになっていた。銃身と唇の隙間(すきま)から聞きとりにくい声を出す。「パオロ・トルノ。いまアルチェリが経営している修理工場を持っていた男だ」「分った、乱暴はよしてくれ・・・・・・彼ならモンツァで小さなホテルを経営している」「モンツァ? ロード・レースのサーキットがある町だな?」「そう。このミラノから近い。大きなモーター・レースが行われる日でなければ、ここからでも車で四十分ぐらいしかかからない。トルノのホテルの名は“インペリアル・パレス”という大袈裟(おおげさ)な名だが、規模から言うと三流ホテルだ。だけど、ビジネスマンが気楽に泊れるタイプのホテルだから、繁盛している。イギリス式のパブがついていて、土地の連中の溜り場になっている。情報交換の場だな。イギリスとちがうのは二十四時間営業という点だ。ホテルがある場所は、町外れにある街道からちょっと引っこんでいる。モーテルもついている」「よし、くわしい位置を言ってくれ」 片山は拳銃の銃口をカルロの口から抜いた。カルロはしゃべった。そして、「パオロ・カルノは、ミラノを去る時、私にも移転先を教えなかった。しかし、ひと月ほど前のこと、私はモンツァのある会社の経営者に民事訴訟の依頼を受けて、あの町に出張した。昼飯どきになって、依頼主がホテル・インペリアル・パレスのレストランに昼食を誘ってくれた。レストランの入口は二つあるんだが、土地の人はまずパブに入って一杯引っかけながら知りあいとだべってからレストランに入る。無論、パブで食事も出来るがね。 そのパブで、私はトルノの修理工場で働いていた男達二、三人に偶然に会ったんだ。一人はパブのマネージャーで、あと二人はバーテンと用心棒だった。向うが私を見ても知らん顔をしていたんで、私のほうからも口をきかなかったがね」「・・・・・・・・・・」「ところで、私は好奇心が強い人間なんだ。ここの事務所に戻ってから、事務所と契約している興信所にホテル・インペリアル・パレスのことを調べさせた。 あのホテルの持主はセニョール・トルノとはちがう男だが、それは表面上だけで、蔭の経営者はトルノと分った。トルノ修理工場で働いていた連中は、今はみんなあのホテルやモーテルで働いていることも分った。モーテルの裏手にトルノ一家 つまり、トルノにミラノ修理工場時代から傭われているお気に入りの部下のことだ が住んでいる宿舎がある。セニョール・トルノも彼のお気に入りの部下たちも妻子がいないように見えるが、実はそれぞれが故郷に妻子を残してきている。無論、独身の者もいるが・・・・・・ともかく、女のほうは、セニョール・トルノが傭ってホテルの泊り客やパブの客の相手をさせているプロの女で済ませているらしい。女たちは、トルノ一家の宿舎から五十メーターほど離れたアパートに住んでいる」 弁護士は言った。 片山はそのあと二十分ほど弁護士と話をしてから、「ところで、イタリー粛清同盟という組織を知っているかね?」 と、尋ねた。 弁護士カルロ・ボネトの顔に、鎮まっていた怯(おび)えの表情が甦(よみがえ)った。「ど、どういう意味だ?」 と、喘(あえ)ぐ。「イタリー粛清同盟を知っているか、と尋(き)いたんだ」「わ、私は弁護士だ。依頼人の秘密を守る義務がある」「お題目はいいから、死にたくないなら質問に答えろ。あんたは、イタリー粛清同盟の弁護人なのか?」「と、とんでもない・・・・・・信じてくれ・・・・・・反対だ。私が顧問弁護士をしている大企業のうちのほとんど全部が、イタリー粛清同盟に脅迫されて、毎月多額の献金をさせられてるんだ 」 カルノはあわてて言った。イタリー粛清同盟に献金している企業名と献金額をしゃべる。カルロはその上、イタリー粛清同盟がそれぞれの企業から献金を受入れる架空の口座名と口座番号まで知っていた。無論、銀行名もだ。 イタリー粛清同盟が口座を持っている銀行は、ルクセンブルグとバハマ諸島、それにリヒテンシュタインが主であった。特にリヒテンシュタインのアルピーナ銀行に口座が多い。 抜群の記憶力を持つらしいカルロが次々にしゃべる口座番号をメモした片山は、 赤い軍団を知っているか?」「・・・・・・・・・・」「どうなんだ?」「弁護士会のパーティで話が出たことがある・・・・・・ある若い男が、スーツ・ケースに入れたダイナマイトを運んでいるところを、不審尋問に引っかかって逮捕された。その男は、ダイナマイトを持ってたのはテロに使うのが目的でなく、湖で爆破させて、浮いてきた魚を獲るためだ、と言いはった。 その男が警察で痛めつけられている時、私の知りあいの弁護士のトスカーニ氏のところに、正体が分らぬ男から電話があった。弁護料をたっぷり払うから、捕まった男を出頭してやってくれ、というわけだ。メッセンジャー会社が三百万リラの弁護料を届けてきた。 トスカーニ氏は、若い男を保釈させることに成功した。無論、保釈金は匿名の(とくめい)の依頼人が送ってきた。 保釈になった男は、うれしさのあまりか、自分には赤い軍団がバックについている。赤い軍団は、世界のテロ組織やゲリラの総元締めだ・・・・・・と、トスカーニ氏に自慢したそうだ。 その男は、トスカーニ氏と別れてか三十分もたたぬうちに車に轢(ひ)き殺された。轢いた車は見つからなかった。無論、犯人も・・・・・・事故死なのか、その男が警察でしゃべりすぎた疑いをかけられたのかは分らない」 カルロは言った。 それから半時間後、片山はカルロ・ボネト弁護士を縛りあげて気絶させてから、B・M・W七三三iAをモンツァに向けて飛ばした。深夜なので、モンツァの町の入口まで二十分ほどしかかからなかった。 ホテル・インペリアル・パレスは、国道三十六号に大きな看板が出ていたのですぐに見つけることが出来た。 街道の脇の空き地にB・M・Wを駐(と)めた片山は、もともとこのB・M・Wについていたナンバー・プレートを、現在つけてあるプレートの上にガム・テープで貼りつけてから、歩いてホテルに向う。覆面はしていない。 街道から五百メーターほど入ったところにホテルの本館があった。十階建てだ。 片山はホテルのパブに入った。深夜と言っても夜明けに近いほうなので、宵っ張りのイタリー人ではあっても、客はまばらだ。カウンターのうしろには、バーテンが一人だけしかいない。 片山はピルゼンのビールの小壜(こびん)二本と生ハムとトマトをはさんだサンドウィッチを腹に入れると外に出た。 トルノ一家の宿舎やモーテル、それにホテルのお抱え売春婦のアパートなどを見てまわる。ホテルの本館とそれらの建物のあいだには、植込みやちょっとした雑木森があって、目隠しの役を果たしている。 モーテルの群れからホテルの本館のほうに片山が戻りかけた時、警官のような制服をつけ、上着の上から捲(ま)いた革ベルトに拳銃の軍用ホルスターをつけた二人のガードマンが植込みの蔭から姿を現わした。「停(と)まれ!」 と、片山に命令する。二人とも、長くのばした特殊警棒を手にしている。「何か用かね?」 片山は横柄(おうへい)な口をきいた。「済みません。ここのホテルかモーテルのキーを持ってらっしゃるんでしょうな?」 年上のほうのガードマンが下手(したで)に出た。「勿論(もちろん)だ」「では拝見・・・・・・」 二人のガードマンは片山の前に立ちふさがった。 片山は一瞬のうちに、右側のガードマンの睾丸(こうがん)を蹴(け)り潰(つぶ)し、左側のガードマンの顎(あご)を左フックで砕いた。 顎を砕かれて倒れたほうのガードマンの顔は不自然に捩(よじ)れている。頚椎(けいつい)が外れたのであろう。膝(ひざ)を胸に引きつけて痙攣(けいれん)している。 片山は、警棒を放りだして体を二つに折り、股間を両手で押さえて悲鳴を漏らそうとする右側の男の顎を、死なない程度に蹴りあげる。 片山は警棒と共に、二人のガードマンを植込みのあいだに引きずっていった。二人の腰の軍用ホルスターのフラップを開き、入っていたベレッタM九三五の口径七・六五ミリ 口径三二コルト・オートマチック の自動装填式拳銃を奪う。 GENTRON.com Beretta Model 1935 (M935)https://www.genitron.com/Handgun/Beretta/Pistol/1935-M935)/32-Auto/ 頸骨が外れたほうの男は、鼻や口からだけでなく耳からも出血しているから、放っておけばくたばるだろう。 片山は、睾丸を潰されたほうの三十歳代の男の袖(そで)を引き千切った。それを使って、男の血まみれの口にゆるく猿グツワを嚙(か)ませる。ポケットをさぐり、運転免許証と身分証明書を奪って調べる。 そのガードマンの名前はジャコモ・リッツォ、警備会社ではなく、ホテルに直接傭われている。 片山はジャコモの腰椎を蹴って活を入れた。 猿グツワの隙間から呻(うめ)き声を漏らしながらジャコモは意識を取戻した。這って逃げようとする。 片山は拾った警棒の一本でジャコモの右肩を強打した。警棒は折れたが、ジャコモも地面に突っ伏した。片山はジャコモを仰向けにさせ、「イタリー粛清同盟の者だな?」 と、圧(お)し殺した声で尋ねた。「き、貴様・・・・・・治安警察か?・・・・・・憲兵か?・・・・・・」 ジャコモは猿グツワの隙間から喘ぎ声を出した。「死にたくなかったら質問に答えろ」 片山はガーバー・ナイフをスキャバードから抜いて刃を起した。「お、俺が、イ、イタリー粛清同盟のメンバーだとしたら・・・・・・ど、どうする気だ?」 脱糞の悪臭を立てながらジャコモはもがいた。「貴様は、赤い軍団でもあるな?」「お、俺は一兵卒だ。二等兵だ・・・・・・、くわしいことは何も知らん」「パオロ・トルノは、いまどこにいる?」「セニョール・トルノ?・・・・・・彼なら、宿舎にいる」「宿舎には、いま何人ぐらいいるんだ?」「十二人だ。俺が知ってるかぎりでは」「宿舎から秘密の抜け道があるな?」 片山はハッタリをかませた。「そんなものは無い。誓ってもいい」「宿舎の連中の武器は?」「拳銃が主だ。あとは短機関銃と自動ライフルだ」「よし、御苦労。しばらく眠ってろ」 片山は足を使ってジャコモを俯伏(うつぶ)せにさせた。安堵(あんど)の溜息(ためいき)をついたジャコモの延髄をナイフで抉(えぐ)って即死させる。 B・M・Wに戻った片山は、バック・パックに三十発の手榴弾(しゅりゅうだん)とウージー短機関銃の弾倉帯十本を移した。腰にウージーの弾倉帯二本を捲き、弾倉帯から十個の手榴弾を吊(つ)るした。 短機関銃を腰だめにし、トルノたちの宿舎に忍び寄る。 その宿舎は、石造りの三階建てであった。植込みや雑木林を縫って宿舎から七、八十メーターの距離に近づいた片山は、建物に平行して走りながら、撃発した手榴弾を次々に窓のなかに投げこむ。 窓ガラスを破り、ブラインドをへし折り、カーテンを押しのけて屋内に跳びこんだ破片型や攻撃型の手榴弾は次々に爆発を起した。 二十数発の手榴弾が爆発した時、宿舎の建物は炎に包まれながら半壊し、重傷を負った連中が、小火器を乱射しながら転(ころ)がり出た。火だるまになっている者もいる。 片山は建物のまわりを走りながら、ウージー短機関銃や手榴弾で彼らを片付ける。G・Iコルトも使った。 IMFDb - Uzihttp://www.imfdb.org/wiki/Uzi Youtube - Uzi by Vickers Tacticalhttps://www.youtube.com/watch?v=mkP3SHO8s5Y ウージー短機関銃の弾薬を節約するために、死体から奪ったさまざまなタイプの口径九ミリ・ルーガーの短機関銃の弾倉帯を背中のバックパックに放りこむ。 体つきや人相からパオロ・トルノと思われる男も建物から転がり出た。髪は焦(こ)げ、顔の半分は焼けただれている。腹からはみ出たハラワタを引きずって這(は)い逃げながら、M十六A一の自動ライフルを盲射ちする。背中にリュックを背負っていた。 IMFDb - M16 rifle series - M16A1http://www.imfdb.org/wiki/M16A1 片山は両手でしっかりと構えたG・Iコルトでその男の右肘(ひじ)を狙い射った。命中した。男は芝生に顔を突っこんでもがく。 そのとき、モーテルのほうから、若いアヴェックが乗った、トライアンフ・スピットファイアの軽スポーツ・カーがやってきた。二人はパニックにおちいって、どう逃げたらいいか分らないようだ。二人とも発狂寸前の表情であった。 片山は右のG・Iコルトから、スピットファイアに向けて威嚇(いかく)射撃した。運転していた若い男は急ブレーキを踏み、女はまだ停まらぬ車から飛び降りて引っくり返る。 停車した車から跳び降り、両手を振りまわして狂人のようにわめきながら植込みのなかに逃げた。 左手の短機関銃を宿舎のほうに向けて威嚇射撃しながら、片山は小さなオープン・トップのスピットファイアに走った。その車はエンストはしていたが、イグニッション・キーはスウィッチに差しこまれたままであった。 その車に跳び乗った片山は、エンジンを掛け、トルノと思われる男の近くに走らせた。 倒れているトルノは左手でM十六自動ライフルを持ちあげて銃口をスピットファイアに向けようとしたが、苦痛に耐えかねてがっくりと顔を伏せる。 急停車させた車から降りた片山は、土や芝がついたトルノらしい男のハラワタを腹のなかに押しこんでおき、近くの死体の上着を脱がして、それを救急包帯替りに使った。 リュックを背負ったままの男の体とM十六自動ライフルを助手席やその床に乗せ、片山は車を運転して街道に向う。 バック・パックがシートの背もたれ(バック・レスト)に当って運転しづらい上に、リアのサスペンションが横置きリーフのスウィング・アクスルときているから、激しいコーナリングをすると、浮き上がった後輪が逆八の字にすぼまるジャッキング現象を起して、今にも転倒しそうになる。 だが、宿舎から跳びだした生残りの連中がパニックから立ち直って、スピットファイアを狙い射ちしはじめたから、片山はジグザグを描いてスピットファイアを走らせねばならなかった。スピン寸前のその車は、しばしば立木に横腹をぶつけて跳ね返される。 ボディに十数発の銃弾をくらいながらも、スピットファイアはやっと街道に出た。 片山はトルノらしい男の重いリュックとM十六自動ライフル、それに自分のバック・パックと短機関銃をB・M・Wの助手席やその床に置いた。トルノらしい男をトランク・ルームに閉じこめる。 そのB・M・W七三三iAを片山は飛ばした。激しく車体を傾かせながらコーナーを次々にこなし、二十キロほど離れたレッソ湖畔の別荘地帯に入る。 ウィーク・デイなので、留守らしい別荘が多かった。片山はそのうちの、門を鎖で閉じただけの広い別荘のなかに車を入れた。 バンガロー風の建物にB・M・Wを近づけても、真っ暗な建物のなかからは何の反応も無かった。車から降りた片山は針金で建物のドアのロックを解き、G・Iコルトを構えて侵入する。 留守と分った。片山は車を木造のガレージに仕舞い、拳銃を構えたまま車のトランク・リッドを開いた。 トルノらしい男は無気味な唸(うな)り声をあげていた。バック・パックから緊急キットを出した片山は、男の体をコンクリートの床に置く。 男の服をさぐって運転免許証を取出す。やはり、男はパオロ・トルノであった。 片山はトルノの腹に捲いてあった包帯替りの上着を外し、傷口から汚れたハラワタを引きずり出すと水道の水で洗った。緊急キットから抗生物質の軟膏と絹糸と針を取出す。 ハラワタに抗生物質を擦って腹腔(ふくこう)に戻し、傷口を絹糸で縫った。トルノはとっくに気絶している。 トルノの腹に包帯した片山は、自分の手を消毒し、トルノのリュックを調べてみる。 M十六自動ライフルのクリーニング・キットと弾倉帯二十本、それに分厚いノートがあった。 ノートを点検してみたが、書かれてあるのは暗号文であった。ただみたところでは意味をなさないアルファベットと数字の羅列(られつ)だ。 肩をすくめた片山は、緊急キットから出したカンフルの注射液をトルノの腕にぶちこんだ。 多量の血液を失って死人のような肌色になっていたトルノの顔にわずかに生気が甦(よみがえ)った。溜息を漏らしながら意識を取戻すと、「痛い・・・・・・くるしい・・・・・・水をくれ・・・・・・」 と、イタリー語で喘(あえ)ぐ。「これから俺が尋ねることにまともに答えたら病院に運んでやる。英語が分るな?」 片山は言った。「水・・・・・・水・・・・・・」 トルノは今度は英語で呻(うめ)いた。 片山は丸めたバンダーナのハンカチに水道の水を含ませてトルノの口に当てた。トルノは夢中で水を吸う。「あんたが、赤い軍団のミラノ支部長だな?」 片山は尋ねた。「それがどうした?」「赤い軍団の本部はどこにある?」「知るもんか」「ふざけるな! 赤い軍団のボスは誰なんだ?」「知らん」「強情を張ってると、あんたは死ぬんだぜ?」「俺はもう助からん。早く殺しやがれ。早く楽にさせてくれ」「楽には死なせてやらんぜ。貴様をオカマにならせてやろうか?」 片山はナイフの刃を開いた。「好きなようにしやがれ。これだけ痛いと、このあとどんなに痛めつけられても感じはしねえさ」 トルノは呟(つぶや)いた。「モンテローザ社を乗っ取ったトーテム・インターナショナルの蔭(かげ)のスポンサーはダヴィド・ハイラルだな?」「そんな男は知らん。早く殺せ!」「俺はあんたに惚(ほ)れたよ。ちょっと痛めつけるとべらべらしゃべるイタリー人にばかり会ってきたが、あんたは男のなかの男だ・・・・・・だけど、あんたはこんなにも頑張(がんば)ったんだ。ちょっとぐらいしゃべってくれても、あんたのプライドに傷がつくことはない」 片山は言った。「おだてたって無駄(むだ)だ。殺せ!」「それとも、あんたがこうやって頑張ってるのは、時間稼(かせ)ぎをやってる間に助けが来ると計算してるのか? やっぱり、あんたは命が惜しいんだ」「うるせえ!」「あんたのノートに書かれてある暗号文は、赤い軍団に献金している企業や金額じゃないかと睨(にら)んだが、暗号を解くコード・ブックはどこにある?」「俺の頭のなかにあるんだ。殺されたってしゃべるもんか!」 トルノは歯を剝(む)きだした。「よし、分った。オカマにしてやる。一生女を抱けぬ体にしてやる」 片山は血と水で濡れたトルノのズボンとブリーフの股間のあたりをナイフで切り取った。縮みきった包茎にナイフを当てる。「畜生・・・・・・呪い殺してやる! 赤い軍団を舐(な)めるんじゃねえ! 貴様が赤い軍団に捕まるのは時間の問題だ・・・・・・貴様は捕まってオカマにされる・・・・・・赤い軍団は世界的な大組織なんだ・・・・・・世界のテロとゲリラの各組織の上に君臨している・・・・・・パリの本部の号令一下、貴様のようなネズミなんか、草の根を分けても捜しだして・・・・・・」 トルノは体を震わせながら、そこまで譫言(うわごと)のようにしゃべると全身を痙攣させた。口と鼻から血の塊りを吐くと、四肢が宙を蹴る。 片山が心臓マッサージや人工呼吸を試みてもトルノは生き返らなかった。片山は血が混った唾を吐くと、トルノの肋骨(ろっこつ)がすべて砕け折れるまで蹴り続ける。 ただ一つの収穫は、トルノが不用意に漏らした、赤い軍団の本部がパリにある、という言葉だ。 (つづく)
2021年10月30日
'Como evening' (Italy)Photo by Dario >前回 片山はミラノ大学の前のヴィスコンティ・ディ・モドローネ通りを、コルソ・ヴェネチア通りに向けて車をゆっくり走らせた。 二つの通りが交わる近くに、ラ・パロマ号のパーサーのマローニが言ったように、確かに自動車工場はあった。しかし、その工場の名前はトルノではなくてアルチェリとなっていた。 片山は近代美術館の近くに車を駐(と)め、歩いてその修理工場の近くまで戻った。マローニの話では、ガレージ・トルノの二階に赤い軍団のアジトがあった、ということだ。 夜だから、ガレージ・アルチェリは閉じられていた。片山はそこから五、六軒離れた、夜も営業している酒屋に目をつけた。その店に入る。 お使いに来たらしい少年のポリ・タンクに安ワインを計り売りしている酒屋のオヤジのダンゴ鼻は酒焼けしていた。 少年が去ると片山はナチュラル・ウォーターの二リッター入りのプラスチック壜(びん)を三本買い、「近くのアルチェリという修理工場は、もとはトルノという名でなかったかね?」 と、尋ねた。「ああ、一年ほど前に経営者が代わったんだ。それが、どうかしたのかね?」 オヤジは言った。「じゃあ、職工たちは残っているのか? 実は俺の高校時代の友達が、ガレージ・トルノで働いてる、と聞いたことがあるだ。三年ほど前のことだが」「じゃあ、今はもういねえよ。セニョール・トルノがセニョール・アルチェリにあの修理工場を売っ払ってどっかに移った時、職工さんたちをみんな連れていってしまったからな。いまいるのは、セニョール・アルチェリが新しく傭い入れた連中さ」「セニョール・トルノはどこに移ったんだね?」「知らんな。教えてくれなかった。でも、このミラノでないことは確かだ。ミラノにいるんなら、どうやってるのか噂(うわさ)が流れてくる筈だが」「有難う(グラッツェ)。すっかり時間を無駄にさせちゃって」「構わんよ(プレーゴ)。どうせ暇なんだから。この近くに泊まってるのかね、外国から来たようだが」「通りすがりなんだ。じゃあ、さよなら(アリヴェルデルチ)」「おやすみ(ブォナ・ノッティ)」 酒屋のオヤジは、タンクの蛇口(じゃぐち)をひねって大きなグラスに赤ワインを注(つ)ぎ、ひと息に飲み干した。 B・M・Wに戻った片山は、その車を動かし、大寺院(ドゥオモ)広場の近くに移した。ドゥオモ広場からガレリアのガラス天井のアーケード街を歩き、ピッツァの計り売りの店に入った。 アンチョビー・ピッツァを一キロ注文する。オカミは大きな天火のカマドから鉄板の一つを引っぱり出し、焼きあがっていた二メーター四方ほどのアンチョビー・ピッツァから片山のために切り分けた。新聞紙にくるんでよこす。 片山はそのピッツァをファンタ・オレンジ三本と共に立ち食いした。車に戻り、一休みしてから、高速道路をコモ湖へ向けて飛ばす。 十数分でアウトストラーダを降り、コモ湖畔のワインディング・ロードを車体を激しくロールさせながら飛ばす。 赤い軍団に誘拐されて莫大(ばくだい)な身代金を払わされたことがあるモンテローザの元社長、今は会長のピエトロ・アンドレッティの屋敷の丘が見えてきた。 ピエトロの屋敷である古城に通じる私道の入り口の門番小屋は灯りがついていた。片山はわざとスピードを落とさずにその前を通過する。六キロほど入ってからUターンし、出来るだけ音をたてぬようにアクセルをゆるく踏み、自動ミッションのギアがトップに入ったままの状態でピエトロの私有地に向けて戻る。 三キロほど戻ったところで、道路脇に金網のフェンスがのびはじめていた。ピエトロの私有地がはじまったのだ。 路肩に車を駐めた片山は、リア・シートの下のロッカーからG・Iコルトが入ったホルスターを取りだした。予備弾倉が入った革ケースや、ガーバーのフォールディング・ナイフが入ったスキャバードも出した。 トランク・リッドを開き、ボストン・バッグを開いて、リーのウェスターン・シャツ、ワーク・ジャケット、ジーパンに着替える。ポケットに覆面用のナイロン・ストッキングを突っこみ、ドレス・シューズを脱いでレッドウイングのチャッカ・ブーツをはいた。 ホルスターやスキャバードなどを腰のベルトにつけた。プライヤーを金網のフェンスに投げてみて、金網が電流に通されていないことを確かめた。 プライヤーをトランク・リッドの裏側のツール・ボックスに仕舞った片山は、丸めたロープを左肩から掛けると、車の屋根に乗り、フェンスを跳び越えて、アンドレッティ家の私有地に侵入した。 生えている木は、傘(かさ)のような形のコーカサス松が多かった。ツガ(ヘムロック)やホルム樫が混る。片山はほとんど足音をたてずに、丘の上の城に忍び寄る。 空堀(からぼり)を渡り、石垣(いしがき)を這い登った片山は、ロープを巧みに使って古城の二階に達した。女物の、ナイロン・ストッキングで覆面し、書斎と思える部屋のドアに耳をつける。 暖炉で薪(まき)がはぜる音がしていた。しばらくして、本のページをペーパー・ナイフで切る音が聞えた。 ピエトロ・アンドレッティの家族は、再びアメリカに避難していて、アンドレッティ家の使用人は一階に住み、二階はピエトロだけで使っていることを片山は知っていた。 ドアはロックされてなかった。そっとドアを開いた片山は書斎に身を滑りこませる。 暖炉に火がなかったら、寒々とした感じになったにちがいない広い書斎であった。三方を本棚で囲まれ、暖炉がついた奥の壁にはアンドレッティ家の先祖の肖像画と無数の古銃や剣が掛けられている。 暖炉の脇のソファに横になってルネッサンス時代の歴史書の復刻本を読んでいたピエトロは、本を落とすと、化石したようになって片山を見つめた。 ガウン姿のピエトロは秀麗な容貌(ようぼう)を持っていた。銀髪だ。プラスチックで作った右の耳と右の人差し指は、あまり不自然ではない。「失礼、アポイントメントも取らずに押しかけたりして。イタリー語は上手とは言えないので、英語で失礼する」 片山は軽く一礼した。「誰(だれ)だ、君は? 私から身代金を取ろうとしても、我がアンドレッティ家には払う金など無くなった」 ピエトロは、かなり達者な英語で言った。「俺はあんたの敵でない。赤い軍団の敵だ。無礼を承知の上であんたに会いに来たのは、赤い軍団について教えてもらいたいことがあるからだ。おだやかに話しあいたい。念のために忠告しておくが、俺の銃は早い。このようにな」 片山は目にもとまらぬ早さでG・Iコルトを抜きながら撃鉄を親指で起した。撃鉄をそっと倒してホルスターに戻す。「赤い軍団? 何だね、それは?」 ピエトロは眉(まゆ)を吊(つ)りあげた。「あんたを誘拐した組織だ」「あれは、北イタリー解放同盟と名乗っていた」「赤い軍団は、その時々に応じて、いろんな名を使い分けるんだ」「なるほど・・・・・・分った、起きてもいいかね?」 ピエトロは溜息(ためいき)をついた。「御自由に。楽にしてくれ。俺も好きなようにさせてもらうから」 片山は椅子(いす)を一つソファに近づけて馬乗りになった。ソファに坐(すわ)ったピエトロは、細身の葉巻きを紋章入りの箱から出した。片山に勧め、片山が断ると、自分がくわえて卓上ライターで火をつけた。「そうか、赤い軍団というのか、あの組織は」 と、吐きだす煙と共に呟(つぶや)く。「赤い軍団があんたを誘拐した時のフィンガー・マン、つまり、あんたの資産を洗いあげたりあんたの一日の行動パターンを調べあげたりして、それを敵に知らせた裏切者は誰だと思う?」 片山は尋ねた。「分らん・・・・・・」「勿論(もちろん)、確証は無いだろう。だから、ここだけの話として・・・・・・」「しかし・・・・・・」「頼むよ」「しかし、憶測(おくそく)だけでは・・・・・・名誉というものがあるから」「あんたは凄(すご)い紳士だ。だけど、赤い軍団が憎くないのか?」「憎いどころではない。私の身代金一兆八千億リラを工面するために、我がアンドレッティ家は先祖代々伝わった宝石や骨董品(こっとうひん)を処分したほか、モンテローザ株の大部分を売り払わねばならなかった。 売りに出したモンテローザ株は新興国際コングロマリットのトーテム・インターナショナルに買い占められ、長い歴史を誇るモンテローザ社はトーテムの傘下(さんか)に組み入れられてしまった。 モンテローザ社の会長であった父は退陣させられて、失意のうちに今年はじめ死に、社長であった私は代表権の無い会長に祭りあげられた。新しい社長は、無論、トーテムから来た男だ。アンドレッティ家を破滅させた北イタリー解放同盟、いや赤い軍団に呪(のろ)いあれ!」 ピエトロは吐きだすように言った。「フィンガー・マンがいた筈だ。裏切者が・・・・・・」「副社長になったロベルト・ジャンニが、その椅子についてからひと月もしないうちに交通事故で殺された。経理担当の重役をやっていた。私が誘拐された時、身代金を持ってスウィスやベルギーやルクセンブルグに飛んだ男だ」「ロベルトという男は、身代金を払った相手について、あんたが釈放されてから、どう説明していた?」「相手との約束で、どんなこともしゃべれない、と言った。もしちょっとでもしゃべったら、今度はロベルトが誘拐されることになるという警告を受けた、と言った。だからロベルトは、警察の事情聴取にも黙秘権を使った」「畜生・・・・・・」「ロベルトは用心深い男だった。しかし、赤信号でトラックのうしろに停(と)まっていたロベルトの車は、フル・スピードで突っ込んできたトラックに追突され、サンドウィッチされたんではひとたまりもなかった。前に停まっていたトラックも、追突したトラックも盗難車だった。どっちの運転手も逃げた。捕まってない」 ピエトロは葉巻きを暖炉に放りこんだ。「ロベルトがフィンガー・マンだったんだな?」「いや、私は可能性をのべただけだ」「好きなように・・・・・・ところで、俺が赤い軍団の士官を痛めつけて尋(き)きだしたところでは、奴等は誘拐したあんたを、港湾スト中だったジェノヴァ港にいた船に閉じこめた、と言ってた。どう思う?」「確かに私が閉じこめられたのは船のなかだった。嫌(いや)な匂(にお)いのする貨物船の船艙(せんそう)だった。どこの港のどういう名の船かは分からなかったが」「会ったのはどんな連中だ? 顔を覚えているかね?」「いや、奴等は、私と会う時には、いつも覆面をしていた。野蛮な連中だった」 ピエトロは、自分の耳や指を切り取られた時の恐怖と苦痛を思いだしたらしく、声を震わせた。 それから半時間ほど片山はピエトロに色々と質問したが、役に立つ答は引きだせなかった。片山は、「ところで、モンテローザ社の親会社となったトーテム・インターナショナルは、どんな会社なんだ?」 と、尋ねてみた。「七、八年前に、キャナダのブリティッシュ・コロンビア州のヴァンクーヴァーに設立されたんだが、当時は世界的にもまったく無名の不動産会社だった。社長は、フランス系カナダ人のジャック・モンローという。 トーテム・インターナショナルは、蛙(かえる)が蛇(へび)を呑(の)むというか、小が大を呑む買収合併を次々に行って、本業の不動産業とは関係が無い世界各国のさまざまな大企業や銀行を傘下におさめて、急激に巨大化していった。典型的なコングロ企業、複合企業(コングロマリット)だ。 トーテム・インターナショナルの上に、トーテム・グローバル・エンタープライズという持株会社があって、その名目上の本社はリヒテンシュタインにある。 君も知ってるとは思うが、スウィスとオーストリアにはさまれたリヒテンシュタイン公国は、あんまり小さな国なので、大ていの世界地図では、首都 と、言っても人口四千ほどの村だが ファズーツを示す丸だけで済ませているぐらいだ」「ああ」 「だけど、脱税者にとってリヒテンシュタインは、スウィスよりもずっと天国だ。特に多国籍企業にとっては、ルクセンブルグやカリブ海のある種の島々やアフリカのリベリアのように便利なところだ。 外国企業がリヒテンシュタインに名目上の籍を置いた場合、年に資本金の〇・一パーセントの税金を払うだけでいい。外貨獲得のために外国企業に籍を置かせているのだから、国の政策として、リヒテンシュタインは、ころにどれだけの外国企業があるのかも、企業名も、経営陣の名も一さい公表しないことになっている。その守秘義務は、公的には厳重に守られている」「スウィスよりも徹底してるな」 片山は呟いた。「リヒテンシュタインの人口一人当りの所得額は、世界一で、それもズバ抜けているという統計が出ている。 勿論、リヒテンシュタインは小型精密機械や記念切手の輸出などで外貨を稼(かせ)いでいる。置籍代の替りに税金を払う外国企業などが今のように進出してくる前には、十万スウィスフランで国籍も売っていた。 しかし、今のリヒテンシュタインの国民所得が高くなった理由は、お察しの通り、置籍している外国企業のせいだ。 現在のリヒテンシュタインの法律では、外国企業があの国に籍を置く場合には、取締役のうちの一人はリヒテンシュタイン人かリヒテンシュタインに居住するものでないとならぬ、ということになっている。人口約二万のあの国に三万近い税金逃れの外国企業が持株会社を置いているんだから、リヒテンシュタイン人に名義貸し料が入ってくる」「・・・・・・・・・・」「だけどね、あの国に便宜置籍した外国企業の取締役にといっても、ほとんどの場合、給料を受取るだけの名目上にしかすぎないから、一般の大企業の重役のように高給が取れるわけはないし、一人が数社の取締役を兼ねる場合が多いから、話しあいでその給料はさらにダンピングされる。 彼等はロボット同然だから、あの国に置籍した外国企業の実際上の経営陣は、リヒテンシュタイン側に相談も無しに、どうにでもその企業を運営できる。 リヒテンシュタイン側に黙って企業を売り飛ばすのも自由だ。会社を売り払っても、あの国では税金は掛からない。 あの国では、小さな外国企業の取締役の名義貸しには一般庶民も加わっているが、多国籍大企業の取締役ともなると、ほとんどが弁護士だ。何十もの外国企業に手を貸しているリヒテンシュタイン人弁護士は珍しくない。だから、あの国では弁護士が一番羽振りをきかせている。 私が調べたところでは、トーテム・グローバルのリヒテンシュタイン人取締役は、ファズーツのマインハイム通りに弁護士事務所を持っているオットー・ホルンブルグだ。名前からも分るようにユダヤ系だ。企業家としても有能な男だ。彼なら、トーテム・グループの本当の総帥が誰なのか知ってるかも知れない。 ピエトロは言い、二本目の葉巻きに火をつけた。「そうすると、トーテム・インターナショナルの社長のジャック何とか・・・・・・ああ、ジャック・モンローは影武者にすぎんと言うのか?」 片山は呟いた。「いや、ジャックも有能な男だ。しかし・・・・・・しかし・・・・・・」「言ってくれ」「誰かジャックの蔭(かげ)に大物スポンサーがついてないと、トーテム・インターナショナルの底無しとも思える企業買収資金の説明がつけにくい」「それが、赤い軍団だと言うのか?」「まさか!・・・・・・私はそんな荒唐無稽(こうとうむけい)な夢物語をしゃべる積りはない」「・・・・・・・・・・」「しかし・・・・・・しかし・・・・・・」「じれったいな」「ダヴィド・ハイラルがトーテム・グループの蔭のスポンサーでないか、と噂(うわさ)する者がいる。まったく根拠も無い無責任な憶測にすぎんが・・・・・・私はそんな噂を信じない」「ダヴィド・ハイラルか? 待てよ、前にその名を聞いたことがある。有名な男だったな。そうだ、戦後最大の人道主義者だとか、偉大な博愛主義者だとかのレッテルが貼られていた。確かパリに本部がある〝助け合い(サイデール)〟とかいう世界的な慈善団体の会長をやってる。サイデールが年に一度ずつパリやローマやボンやロンドンなどで開く総会のパーティーには、その国の大統領や首相も出席するそうじゃないか? 奴のことは、新聞の社交欄にもちょくちょく出てた。奴の本業は銀行家で、銀行の頭取のとかに、フランスで三指のうちに数えられる貿易会社の会長もやってるそうじゃないか」「その通りだ。ダヴィドの父のアヌアル・アル・ハイラルは、ファルーク王に取りいって、先祖代々続いていた金貸し業をエジプト第一の民間銀行にのし上らせることに成功し、エジプトのさまざまな主要企業を配下に置いた人物だ。 そのアヌアル・アルを父に、絶世の美女と謳(うた)われたフランス系ユダヤ人イヴォンヌ、アラビア名ライラ・エルを母として生れたのがダヴィドだ。 ダヴィドは、一人っ子だ。ヨーロッパで教育を受け、ソルブンヌの哲学科を出ると、エジプトに戻って、エジプト共産党の創立に加わり、党のリーダーの一人になった。 エジプトでは共産主義は非合法だったから、ダヴィドは地下にもぐったわけだが、ちょうどその頃死んだアヌアル・アルからハイラル財閥を受け継いだ母のイヴォンヌにねだって、私設民族博物館を作らせ、そこをエジプト共産党の本部の隠れミノとした。党の活動資金も母から引きだした」「なるほど」「民族博物館を本拠にエジプトとヨーロッパを股(また)にかけて十年ほど地下運動を続けているうちに、ダヴィドはエジプト共産党の書記長、つまり最高幹部になった。 だけど、ダヴィドはちょっと派手にやりすぎたから、一九五二年のエジプト革命の二、三年前に、政府軍に捕まりそうになった。しかし、ハイラル財閥の威光で、彼は逮捕をまぬがれて国外追放になった。 イヴォンヌはアヌアル・アルにひけをとらぬ政商で、若い頃は好色なファルーク王の愛人の一人とまで噂されるほどファルークとうまくやりながら、一方ではクーデター側のナギブやナセルなどの自由将校団の蔭のスポンサーでもあったから、革命後も、ほかの財閥の企業が次々に国有化されたのに、ハイラル財閥だけは解体されずに済んだ」「そいつは大したもんだ」 片山は言った。「五十四年にナセルが政権につくと、国外追放されてパリに逃れていたダヴィド・ハイラルは、共産党から実業家への転向宣言を派手にブチ上げてナセルに特赦を請うた。 ナセル政権は、ダヴィドがエジプト国内で一さい政治活動を行わないことを条件にダヴィドを許した。のちにソ連一辺倒になったナセルは、当時からソ連のバックアップを受けていたようだが・・・・・・。 帰国したダヴィドは、特赦によって父の遺産を相続する権利が生れていたから、莫大(ばくだい)な遺産の分け前を母からもらってパリに戻り、恵まれぬ人達に奉仕する色々な団体に多額の寄付を行って、政財界や宗教界の要人たちにコネをつけた。 それからダヴィドは地中海銀行を設立し、貿易会社も作った。一方では社会奉仕の慈善団体〝サイデール〟を主宰し、人道的な立場からフランスのカトリックとプロテスタントを和解させるのに巨額を使った、と言われる。 アルジェリアが独立をとげた蔭には、ダヴィドの威光を受けた宗教界の力が大きかった。ともかく、人道主義者、博愛主義者としてのダヴィド・ハイラルの名声には揺るぎもない」 ピエトロは言った。「俺は博愛主義者の慈善家など信用しない性分(たち)だ。そういう連中は、ペテン師野郎としか思えない」 片山は吐きだすように言った。「どう思おうと君の勝手だ」「それで、ダヴィドがトーテム・グループの蔭のスポンサーだという証拠は?」「君は話が分らん男だな。さっきも言ったろう? そんな噂には、根も葉もないと・・・・・・こんなくだらんおしゃべりをするんじゃなかった」「何を怯(おび)えてるんだ?」「怯えている? 私が? それは、君の暴力は歓迎出来ない。正直いって、君が怖(こわ)いんだ。君は一体、誰なんだ? 私に蛮行を加えた北イタリー解放同盟、いや赤い軍団の連中よりも、君のほうがはるかに凄味(すごみ)がある。私は暴力が嫌(きら)いだ。もう肉体的な苦痛を加えられるのはこりごりだ。頼む、出ていってくれ。虚勢を張ってたが、もう、私の神経が耐えられるギリギリのところまで来た」 言い終ったピエトロは、火がついた葉巻きをソファに落し、全身を激しく震わせた。「分った。出ていくよ。辛い目に会ったあんたに同情してるんだ。あんたは何か隠しているようだが、力ずくで尋(き)きだすようなことはしないから安心してくれ。それより、ソファが焦げるぜ」 片山は葉巻を示した。 ピエトロは、まだ震えながら、葉巻きを暖炉に投げこんだ。「出ていく前に、一つだけ尋きたい。自動車メーカーのジュリアス・シーザー社の経理担当重役の名前と自宅の住所を教えてくれ」 片山は言った。「ミラノのV・I・Pの名簿があそこにある。市の商工会議所が出しているんだが、誘拐(ゆうかい)犯の渡らないように極秘で限定配布している紳士録のようなものだ。君が知りたいことは、あのなかに載(の)っている」 ピエトロはデスクを示した。 片山はピエトロにその名簿を取ってこさせた。社名とアルファベット順の個人名のどちら側からも調べたい人物がすぐ分るような索引がついている。 ジュリアス・シーザー社の現在の経理担当重役はウンベルト・ラザーニといって、ミラノ市の北東のロマーナ門の近くに住んでいることが分った。息子と娘はみんな結婚している。 ピエトロの手足を縛った片山は、「一時間だけおとなしくしててくれ。それから、ラザーニに知らせたら、あんたはまたトラブルに捲(ま)きこまれると覚悟してくれよ。俺は何もラザーニを痛めつける気はない。あんたに尋ねたと同じように穏やかにやる積りだから」 と、警告する。 (つづく)
2021年10月23日
'Rome 1977'Photography of Jonathan Morgan from James Morgan >前回 三日後の昼近く、空席だらけのファースト・クラスのキャビンに片山を乗せたアフロ・イタリアン航空のマクダネル・ダグラスDCー一〇は、地中海上をローマに近づいた。 先ほどまで更衣室で片山にまだがってのたうっていたスチュワーデスが、赤い制服をつけ、母音が多く尻上がりのイタリー語と、巻き舌の英語で、「ローマのレオナルド・ダ・ヴィンチ空港では、入管も税関も空港警察もストに入っていますから、着陸したら航空会社の係員の指示にしたがってください」 と、いう意味のアナウンスを行う。 シート・ベルトを締めた片山はニヤリとした。レオナルド・ダ・ヴィンチ空港の役人が今日からストに入ることは予告され、ルサンゴの新聞にも載(の)ったぐらいだから、片山はヨーロッパ入りをわざと遅らせてストに合わせたのだ。 アナウンスを終えたスチュワーデスのアンナは、同僚たちに冷やかされながら片山の横のシートに腰を降ろし、片山に手をからめて、ブロンドに染めた髪を片山の頰(ほお)にこすりつけ、「時間が取れたら、ぜひ連絡して。次のフライトまで三日の休みがあるのよ」 と、念を押す。「いいとも、愛しているよ、ベイビー」 片山はアンナの顎(あご)を摑(つか)み、唇(くちびる)を合わせると、下をからめる。イタリーでピンチに追いこまれた時はアンナのアパートに身をひそめるのも一つの手だ。「うーん。また別れが辛くなったわ」 片山が唇を離すと、アンナは片山の耳に軽く歯を当て、腿(もも)の内側に手を這わせる。 DCー一〇はヴァチカンの上空を旋回してから空港に降りた。晩秋でも陽光の眩(まぶ)しい南ヨーロッパとはいえ、ガメリア国よりは涼しい。 空港ビルでは、入国管理事務所の係員に代って、アフロ・イタリアンの係員がパスポートに入国スタンプを押した。税関がある手荷物カウンターでは、迎えの市民にまぎれてスリや置引きが活躍しているから、自分の荷物を見失わないようにするだけでいそがしい。 税関もストだから、片山の武器弾薬や手榴弾を詰めたスーツ・ケースもチェックを受けずに済んだ。 ほかの荷物を乗せたカートを押すポーターを待たせておき、ロビーの銀行でとりあえず千ドル分ほどリラに替える。誘拐と有名ブランドのバッグや衣料の偽物作りだけが成長産業だとからかわれているイタリーの経済状態を反映して、リラの下落はひどかた。 公衆電話のブースに入った片山は、スウィスの銀行にダイアルして頭取を呼び、片山を傭(やと)った組織からの残金十億円相当のドルが入金されていることを確めた。 片山を傭った組織は、ラ・パロマ号の積み荷がカミニート号に移されてナイジェリアに送られるようになったことだけで満足し、片山がこれから先も赤い軍団を追いつめるについては、反対もしないし協力もするが、金は出さない、と言ってきた。 だが片山は、報酬については争わなかった。 これからは、金のためでなく、妻子の仇を討つだけのために虎口に跳びこむのだ。 待たされてイタリー語でわめいているポーターにチップを相場の倍ぐらい払ってやると、掌返しに愛想よくなったポーターは片山が並ばずに乗れるようにタクシーを呼んだ。 そのタクシーは、やかましい音をたてるプジョー五〇四のディーゼルであった。 生意気そうな顔をした若い運転手は、助手席にペットとボディ・ガードを兼ねたアフガン・ハウンドを乗せている。車内に禁煙のシールがべたべた貼られている。「ヴェニト通りの近くのアントニオ・ホテルに」 片山は二流ホテルの名をあげた。自由港ルサンゴで買ったリーヴァイス・パンテーラ・セパレーツの三(み)つ揃(ぞろ)いを身につけている。 やがてタクシーは、けばけばしい広告板が沿道に立つ高速道路(アウストラーダ)をフル・アクセルで飛ばしはじめたが、これもアクセルを床まで踏んづけているガソリン・エンジン車に次々に抜かれた。料金メーターは壊れていて動かない。 片山はタバコに火をつけ、深く吸った煙を吐きだした。 片山のほうを向いているアフガン・ハウンドが鼻に皺(しわ)を寄せ、歯を剥(む)きだして唸(うな)った。運転手はハンドルから片手を離し、上体ごと片山のほうを振り向いた。蛇行(だこう)するタクシーがほかの車と接触しそうになるのに構わず、「禁煙のサインが見えねえのか! 文字も読めねえ野蛮人野郎。吸いたければここで車を降りろ」 と、イタリー語でわめく。 片山は運転手の顔に煙を吹きかけた。 アタマにきた運転手は、他車のクラクションの抗議を無視して、強引に路肩にタクシーを寄せた。車を停(と)めると、「降りろ! 金はいらねえから、ここで降りやがれ」 と吠(ほ)える。犬のほうは、今にも片山に噛みつきそうな気配だ。 片山はストライク・エニィホエアのマッチを運転手の背広にこすりつけて発火させた。その炎でアフガン・ハウンドの鼻を炙(あぶ)る。 悲鳴をあげた犬は、助手席の床に転(ころ)げ落ちて哀れっぽく泣いた。「や、やめてやれ」 口ばかり達者な者が多いイタ公の例にもれず、運転手は顔を引きつらせて頭を抱え込んだ。「俺(おれ)は客だ。そのことを忘れるなよ」 片山はあまりうまくないイタリー語で言った。運転手の鼻毛をマッチで炙ってやる。「わ、分った、セニョール」 運転手はあわててハンドルを握った。走行車線に車を出す。アフガン・ハウンドは尻尾(しっぽ)を尻のあいだに捲(ま)きこんで震えている。 タクシーは四十分ほどでアウトストラーダを降りて市街地に入った。車道には二重、三重に駐車しており、内側の車はバンパーでほかの車を押しながら脱出しようとしている。したがって、どの車も駐車時には、坂道以外はギアを入れたりハンド・ブレーキを掛けたりはしてない。がっちりと動かないように駐車しておくと、押しのけられる際にポンコツになってしまうからだ。 ちょうど長い昼休みがはじまった時刻なので、レストランに行ったり、昼食とファックと昼寝をするために家に戻ったりする連中で、昼の交通ラッシュが起っている。 そして、街なかの制限速度は一応五十キロということになっているが、血の気の多い連中が運転するインノセンチイ・ミニ・クーパー、ワーゲン・ゴルフGTI、アルピーヌ・ベルリネッタ、それにアウトビアンキ・アバルトといった、ちっぽけだが勇ましい車が、街角をタイヤを鳴らして猛然とコーナリングしている。どの車のボディも傷だらけだ。 しばらく行くと、交差点でぶつかったフィアットとランチアの中型車から降りたドライヴァー同士が、摑みかからんばかりの勢いで罵(ののし)りあっている。 しかし、互いの相手の先祖までさかのぼって、淫売だのポン引きだのとわめきあっても、殴りあいまでならないところがイタリー人の不思議なところだ。その横を、ほかの車がクラクションと罵声(ばせい)を浴びせながらすり抜けていく。 タクシーがテヴェレ川を渡り、ヴェネチア広場の脇(わき)のほうに近づくと、広大な無料駐車場を持つアメリカ式のスーパー・マーケットがあった。飲食業をのぞくほかの商店は四時まで昼休みだが、そのスーパーは正午から午前八時まで営業の看板を出していた。「気が変わった。あの駐車場に入ってくれ」 片山は運転手に命じた。 肩をすくめた運転手は、五百台ほど駐車出来るスペースに三百台ほど駐(と)まっている駐車場に乗りいれた。 駐車場の真ん中あたりで片山はタクシーを停めさせ、料金を尋ねた。 運転手は荷物三個を含めて1万リラを要求した。十ドルぐらいだ。片山は六千リラを払い、「命を大事にしろよ」 と、言った。 運転手はヤケ糞にアクセルを踏んで去った。 片山は新品のB・M・W七三三iAのグリーンのセダンに目をつけた。スペイン・ナンバーだ。そのうしろに荷物を置く。 B・M・Wの近くには、うまい具合に、アルファ・ロメオ・スパイダーヴェローチェとM・G・Bのオープン・カーが駐まっている。オープン・カーだから、キーがなくともドアを開くことが出来る。 やがて、大きな紙袋を抱えた黒髪の娘が近づき、野蛮なアポロンのような片山に好奇心と好き心が混った視線を向けた。M・G・Bの助手席に紙袋を置く。 片山はM・G・Bの運転席のドアを開けてやった。目礼しながら運転席につく拍子に娘のスカートはパンティの近くまでめくれる。 あわてた振りをしてスカートを直した娘は、太陽の子のように強烈にセクシーな笑顔を見せながらドアを閉じてやった片山から、しばらく視線が外せない。 しばらくして、娘はのろのろとM・G・Bを発進させた。片山は投げキスを贈る。 五分ほどして、スペイン人にしてはひどく長身の中年男が近づき、B・M・Wのエンジン・フードに買物の紙袋を置くと、運転席のドアのロックをキーで解こうとした。 男の背後に音もなく忍び寄った片山は、脾臓(ひぞう)に右フックを突き刺す。崩れ折れるその男の栗色の髪を右手で摑んで支えた片山は、頸動脈(けいどうみゃく)に右の手刀を叩きつけた。 意識を失ったその男をアルファの助手席に放りこみ、耳の上を手刀で強打して数時間は目覚めぬようにした。 男からパスポートと運転免許証入りの財布を奪う。男が落とした鍵束(かぎたば)を拾い、男の紙袋を左手で持つ。B・M・Wのドアをアン・ロックして開くと、食料や飲料が入っているらしい紙袋を助手席に置いた。 自分の荷物は、ゆったりとした後部座席に置く。運転席につき、エンジンを掛ける。燃料は満タンに近かった。 テレスコピック式ハンドルと六段階に調節出来る運転席のシート、それに電動ドア・ミラーを自分に合わせ、片山はZFオートマチック・ミッションのセレクターをDに入れて発進させた。 セドリックやクラウンの三(サン)ナンバー車の幅と長さを少々ひろげた大きさのボディ・サイズで、ヨーロッパ車では大型の部類に入り、車重も決して軽くないが、明るい視界、スムーズに回転が上るパワーフルなエンジン、絶妙なパワー・ステアリング等によって、ひどく軽快な感じだ。 B・M・Wのお家芸のリアのセミトレと、マックファーソン・ストラットに架空のステアリング旋回軸(ビヴォット)を持たせた前輪サスペンションはしっかりしているが、乗り心地はソフトだ。ロールは大きい。基本的にはニュートラル・ステアに近い弱アンダーだが、限界を越えるとオーヴァー・ステアに転じるハンドリングは、後輪が滑(すべ)りはじめるその限界点がベンツ四五〇SEよりかなり高い。 ドイツ車には珍しく日本車並みの高品質のエア・コンがついたその車のクーラーのスウィッチを最弱に入れ、片山はテレヴェ川沿いに走らせた。 途中、横丁に何度か乗入れ、路上駐車中のスペイン・ナンバーのフィアット一三〇セダンを見つけると、その前後のナンバー・プレートを盗む。そのプレートと自分の荷物をB・M・Wのトランク・ルームに入れた。 市の南から、ミラノに向う高速道路(アウトストラーダ)に乗った。三・二リッター百九十七馬力DIN馬力のクロス・フローS・O・H・C直列六気筒エンジンは高速になっても軽々と回り、かなり正確なスピード・メーターは、しばしば二百キロを越える。 四輪ディスク・ブレーキ・システムは五三〇シリーズと変らないが、前輪サスペンションの特殊なセッティングによって改善されたアンチ・ダイヴ・アクションと大径のディスクにより、うしろも見ずに追越し車線に跳びだしてくるバカ車があっても、心臓が喉からせりだしてくるような思いをしないで済む。 一時間半ほど走ってから、片山はフィレンツェで一度アウトストラーダから降りた。 中世美術にも、ゴシックやロマネスクやルネッサンス様式の建物にも何の関心も持たぬ片山は、アルノ川のグラッツィ橋の近くに路上駐車のスペースを見つけると、そこにB・M・Wを置いて、まともなものが食えそうなレストランを捜して歩いた。 ロメオというレストランに入る。脂(あぶら)ぎったマネージャーが、「御予約は?」 と、尋ねる。「これで予約が出来たと思うが」 片山は二千リラのチップを握らせた。「どうぞ・・・・・・どうぞ、こちらへ」 耳まで裂けそうな愛想笑いを浮かべたマネージャーは、斜め右に川を見おろせるテーブルに片山を案内し、そこに立てられていた予約の札を引っこめた。素っ飛んできたそのテーブル係りのウェイターに、上客だ、と囁(ささや)いたらしい。ウェイターは愛想笑いを片山に向けて揉(も)み手した。 片山はアペリチーフのカンパリ・ロックを飲み、前菜(アンティパスト)に生ハムとイチジクを味わう。熱い視線を感じて顔を振り向けてみると、ビジネス・ウイドウらしい有閑マダムのグループが、唇を横に舐(な)めてセックスのサインを送ってきた。 片山は髭(ひげ)を撫(な)で、フラスティーカの白の辛口を水のように飲みながら、イタリーではスープがわりの麺類(パスタ)の、ホウレン草入りの緑色のキシメンのようなヴェルデのバター・ソース和えを食う。 ここで次はメイン・ディッシュといくのが普通だが、片山はその前に、ウズラのローストと牛の臑(すね)の骨髄料理を食った。 メイン・ディッシュは、七百グラムほどのフィレンツェ風Tボーン・ステーキを二枚、バローニの赤と、オリーヴ油とニンニクを減らしてくれるように注文したミックス・サラダで平らげる。大食漢の多いイタリー人の客たちも呆(あき)れた顔をし、食後の酒(ディジェスチーヴォ)のお代わりをしてねばっている有閑マダムのグループは、片山のベッドでのスタミナを憶測(おくそく)しあった。 片山はデザートにフルーツ・サラダをとり、食後の酒はグラッパを飲み、最後はコーヒーと葉巻きで締めくくった。 勘定を終え、充分なチップを払ってから立ち上る。有閑マダムたちに投げキスを送り、立ち上った彼女たちに追いつかれように足早に店を出る。 B・M・Wに乗り、郊外の自然公園に行く。この時間に動いてる車のドライヴァーでアルコールが入ってないのは病人ぐらいだから、ぶつけられぬように気をつける。公園に着くと、昼間から、いや長い昼休みに一発やる習慣があるラテンの国だからか、売春婦の大群が寄ってくる。 森の奥までいっても、売春婦と客や素人(しろうと)のアヴェックが茂みや車のなかで本番をやっているので、片山は町から三十キロほど離れた林に移った。 スーツ・ケースの隠しポケットから、ガメリアのルサンゴで赤い軍団の傭兵連中から奪ったパスポートの束を出す。それらの写真はすでに片山のものに貼(は)り替えられ、背丈や髪と目の色は片山に合わせてある。生れた年も片山のに合わせてあった。 B・M・Wの持主は、マドリードに住むイグナシオ・マルチネスという男であることは、パスポートや運転免許証、それに車のダッシュ・ボードに入っていた書類から分っている。 片山は傭兵から奪ったパスポートのなかから、ホセ・ロペスというマドリードに住居のあった男のものを択(えら)んだ。 車の登録証や税関通過用カルネや第三者傷害保険(グリーン・カード)などを、用意してあった高性能のインク消しと手押しのタイプ活字を使って、ホセ・ロペスとフィアット一三〇から盗んだスペイン・ナンバーのプレートに合わせて変える。 イグナシオの運転免許証をホセの名義に変える。身長や目や髪の色は片山と似ていたので変えなかった。写真は自分のと貼り替え、革細工用のポンチを使って割り印を押したように見せかけた。 車のナンバー・プレートはまだ変えない。フィアットのものだったプレートをスーツ・ケースに隠し、リア・シートで一時間ほど昼寝すると、フィレンツェの町に向けて車を戻した。 町の入口近くに、小ぢんまりとしてはいるが割りに設備が整った修理工場があった。昼休みは終っていたが、働いている職工の数は少ない。 その工場に車を乗り入れた片山は、車から降り、「今日は(ボン・ポメリッジョ)、親方は?」 と、若い職工に尋ねた。「何か御用で? 親方はあそこだが」 男はポルシェ九二八の潰(つぶ)れたフロント・フェンダーを板金修理している太った初老の男を示した。 親方に近づいた片山は、「やあ、簡単な仕事があるんだが、すぐに手をつけてくれたら三十万リラ出すぜ」 と、言った。「三十万リラ?」「それも税務署に申告しないで済む金だ。俺(おれ)の車のリア・シートの下に隠し物入れを作ってもらいたいんだ。俺は俺の工場で作っている新製品のサンプルを積んでヨーロッパじゅうを売りこみに回ってるんだが、今日の昼、ローマで車荒らしに危くトランク・リッドをこじ開けられそうになった。だから、何とか頼むよ」 片山は背一杯にイタリー語を駆使した。「あの車かね? あいつのリア・シートは電動で上下させたり傾けたりするタイプじゃないのかい? だったら取外しは面倒だぜ」 親方は汚れた爪(つめ)を噛(か)んだ。「いや、あいつにはそのオプションをつけていない」「三十万リラか。すぐに取りかかるとなると四十万リラはもらわないとな。ほかの車を待たせるんだから」「分った。三十五万リラで決めた。いいだろう?」「あんたは話が分る」 親方は握手の手を差しだした。 円にして十万近い無税の臨時ボーナスが入るので、親方もその分け前をもらうことになったらしい三人の職工も、イタリー人とは思えぬほどのスピードで働いた。 六時の終業前に、リア・シートの下に鉄製のロッカーが溶接された。スプリングをかなり抜いたリア・シートをその上からかぶせると、ロッカーは完全に見えなくなる。 料金を払った片山は、スタンドで給油してから、再びアウトストラーダに車を乗り入れた。ほかの車が見えず売店も無いパーキング・エリアで車の前後のナンバー・プレートをフィアットから頂戴したものと付け替える。 リア・シートを外し、ロッカーに武器弾薬や重要なものを仕舞った。マグナム・ライフルは銃身が高熱で焼き鈍されてしまったのでザンビアに捨ててきてあった。 フィレンツェから三百キロほど離れた北イタリーの中心地ミラノに着いた片山は、まず市内をざっと車で回ってみる。 破壊しかかっているイタリー経済とはいえ、その心臓と言われる商業都市だけに、市の中心部には超高層ビルが並び、銀行がやたらに目につく。 通りすぎる高級車の多くは分厚い防弾ガラスと分厚い鋼板の対誘拐特別仕様車であった。助手席に強そうな見せかけのボディ・ガードを乗せている。誘拐を怖れて金持ちや企業家たちはナイト・クラブにも寄りつかなくなった、と言われている。 (つづく)
2021年10月16日
'Port of Gambia'Photo from Mitchel ter Bork >前回 ヘリのなかで片山は一度意識を取り戻した。「どうしたんだ、俺は?」 と、朦朧(もうろう)と呟(つぶや)く。「心配しないでいい。もうすぐ病院に着きます。あの馬鹿なポルトガル野郎が地雷で粉微塵(こなみじん)になったついでに、中佐殿を捲きぞえにしたんです」 キラー・フォース付きの軍医のコナーズ大尉の声が聞えた。片山の意識が再び遠のいた。 二度目に意識を取戻した時、日本人と思える若くたぐいまれな容姿を持つ白衣の女が優(やさ)しく片山の顔を覗(のぞ)きこんでいた。「どうなったんだ、俺は? ここはどこだい?」 片山は熱で皮が剥(む)けて血が滲む唇(くちびる)から、嗄(しわが)れた声で英語を押しだした。「あなた、日本語が話せるのね? ここに運ばれた時、日本語で譫言(うわごと)を言ってたわ」 娘は日本語で言った。柔らかな声だ。「俺は・・・・・・日本の国籍も持っている。ここはどこなのか教えてくれないか?」 片山は日本語に切替えた。「ザンビアの首都ルサカ・・・・・・ルサカの国立病院の特別病棟よ・・・・・・あなたは、部下が踏んだ地雷の破片で負傷して、ヘリでここに運ばれてきたの。四日前のことだったわ。コナーズ軍医とわたしが執刀したの。腸のなかから二十三個も破片を取出したわ。大腸を一メーターほど切ってつなぎあわせたの。でも、もう大丈夫よ」「じゃあ、あなたはお医者さんなんだな?」「申しおくれたわ・・・・・・わたし晶子・・・・・・影山晶子・・・・・・海外医療協力団のヴォランティーアとしてこの国に派遣されてきたんですけど、この国の黒人ドクターの水準と言ったら・・・・・・」 晶子は肩をすくめた。 「この国では、薬品もひどく不足していると聞いたことがある」「わたしが、万一の時の自分のために確保してあった抗生物質を使ったの。ちょうど血液型もあなたと同じだったからお役にたたせてもらったわ」「じゃあ、俺の・・・・・・僕のなかには、美しい君の血が流れているんだな! 有難う」 片山は晶子の手を握ろうとし、右腕が点滴のために添木に固定されていることに気付く。「恩に着せる積りはなかったの・・・・・・でも、わたしも民族主義者になってしまったのかしら。日本のかたのために役立ってうれしいわ」「有難う。僕の日本名は片山健一という。母が日本人なんだ」「・・・・・・」「ともかく、君のような・・・・・・あなたのような人がここにいてくれて助かった」「そんな・・・・・・それに、もう薬品のことなら心配ないわ。軍医のコナーズ大尉が、あなたのためにローデシアからたくさん運んできてくれたの・・・・・・このザンビアの実情は複雑なのよ。ブラック・アフリカの大義にそむくわけにはいかないので、ローデシアとの国境を地上封鎖して、モザンビークの黒人解放戦線のために後方基地を提供していても、西側からの援助がないとやっていけないの・・・・・・さあ、もうお休みなさい、安心して・・・・・・」 晶子は優しく言った。「俺の・・・・・・僕の拳銃を持ってきてくれないか? お願いだ。武器が手のとどくところにないと安眠できないんだ」 片山は喘(あえ)ぐように言った。「大変な毎日だったのね 」 晶子は呟き、ベッドの下に置かれてあった片山の弾倉帯のホルスターからG・Iコルトを抜いて片山に見せ、「あなたがここに運びこまれてから、誰もこのピストルをいじってない筈よ。さあ、もうおねんねの時間よ」 と、その拳銃を枕(まくら)の下に突っこみ、片山の両の瞼(まぶた)の上にそっと掌(て)を置く。晶子の手首を左手で握った片山から、ゆっくりと意識が遠のいていった・・・・・・。 野獣そのもののような片山の体は目ざましい回復力を見せたが、片山は早期退院を望まなかったし、晶子も退院を許さなかった。 片山が動けるようになると、晶子は毎日のように片山の個室に寄り、物資不足のザンビアでは貴重な紅茶やアメリカン・コーヒーや、クッキーを差入れては、片山と話を交した。 ある時、晶子が言ったことがある。「わたしの家系はみんな医者なの。わたしも神田にある医大を出て、都内の総合病院で実地訓練しながら石の国家試験に合格したのよ。父や母は、どこかの大きな個人病院の息子と結婚させようとして、毎日のように見合いの話や写真を持ってきたわ。 でも、わたし、もう少しのあいだは自由な青春を楽しみたかった。そんなある日、後進国に意思を派遣する海外医療協力団の、ザンビア向けの医師の募集要項を見たの」「・・・・・・」「わたし、日本に専門医が少ない熱帯病の研究もしたかったし、設備がととのった立派な病院でなくて、どんなところでも臨機応変に処置がとれるような実地の腕も磨(みが)きたかったの・・・・・・それで、すぐに応募してしまったの。勿論(もちろん)、わざわざこんな遠いところまで来る医師は滅多にいないから、その場で合格と決ってしまったわ。パパとママは怒り狂った」「・・・・・・」「でもわたし、本当のことを言わせてもらうと、ブラック・アフリカに来たことを後悔しているの。わたしの場合は、ブラック・アフリカの人たちを知れば知るほど、幻滅しか感じなくなったの。あの人たちは、こちらが一歩譲(ゆず)ると二歩踏みこむという具合で、長いあいだの植民地根性から抜けきってないのよ!」 晶子の声が熱した。 由美で日本の女にこりた片山には、はじめから激情を剥(む)きだしにする晶子がひどく新鮮であった。 片山は米陸軍に退役願いを出した。晶子に、ポツン、ポツンと自分の過去を語る。 入院してから三か月近くがたった。片山の傷はとっくに癒え、晶子の息吹きを体に感じると下腹が硬く突っぱってくるエネルギーをもてあます。 そしてついに、入院してから三か月を一週間ほど過ぎた頃、待ちに待った大朗報がもたらされた。 米陸軍は片山に殊勲十字章を与え准将(プリカディーア・ジェネラル)に特進させた上で、名誉除隊させることを認めたのだ。 その決定通知書が配送されてきた日の夜、片山と晶子は片山の病室で、晶子が持参したワインやスコッチと、ナイル大スズキ(バーチ)の卵のカラスミとホロホロ鳥(ギニファー)のローストで、二人だけのパーティーを開いた。 窓のカーテンを閉じ、ローソクの灯のなかで食事を終えると、ラジオ・ザンベジの音楽に合わせて踊る。踊りながら片山は、ドアをうしろ手でロックした。 逸(はや)りたって脈打つ片山のものが、パジャマとワンポース越しに晶子の引きしまった腹を圧迫していたが、晶子は逃げようとはしなかった。「お願いだ。結婚してくれ。俺の人生には君がどうしても必要なんだ」 片山の口から、生れてはじめての言葉が突いて出た。晶子の首に唇を這わせる。「そんな身勝手な・・・・・・」 首を反らせながら晶子は呟いたが、抱きしめている片山を突きのけようとはしなかった。 「愛している・・・・・・愛しているんだ・・・・・・」 片山は晶子を軽々と抱え上げてベッドに寝かせ、キスを続けながらシルクのワンピースを脱がせていった。 固く瞼を閉じ、ぴったりと腿(もも)を閉じた晶子のヌードは完璧(かんぺき)であった。白い大きなお椀(わん)を伏せたような乳房は可愛らしく、下腹の翳(かげ)りは猛々(たけだ)しくない。 素早く自分も脱いだ片山は、晶子の腿の内側を唇で愛撫(あいぶ)しながら脚を開かせていった。ピンク色の花弁の芯に片山の舌が触れると、晶子は声を殺しながら、嫌々(いやいや)をするように首を振った。 片山の灼熱したものに貫かれると、晶子は本物の悲鳴を漏らした。苦痛に耐えかねてずり上がり、頭をベッドの鉄枠(てつわく)に押しつけられる。 シーツを血に染めて終った時、晶子は涙が滲む目をつぶったまま片山の顔を掌でなぞり、「二十六歳にもなってまだヴァージンだったドクターなんて、馬鹿みたいでしょう?」 と、呟く。「そんな・・・・・・これから俺は、君と俺の二人だけのために生き抜く積りだ。頼む、結婚してくれ」 片山は晶子の涙を吸った。 晶子の両親は二人の結婚に反対したが、二人にはそんなことは何の障害にもならなかった。ルサカの教会で式を挙(あ)げる。 晶子は、合衆国で片山の受勲と退役の儀式に列席してから、片山と共に日本に戻り、杉並に家庭を持った。 片山はやがてグーリン・ベレーの先輩を通じてアフリカの狩猟会社に傭(やと)われ、晶子は暇な時にはアルバイト医として家計を助けた。 その晶子も、長男の亜蘭(あらん)が生まれてからは家事に専念するようになった。晶子の両親は孫の顔を見て二人の結婚を認め、片山は自分の分身である亜蘭と、そのあとに生れてきた理図を溺愛した・・・・・・。 片山はいつしか眠りこんだ。 ヘリの爆音で目が覚めた。頬は涙で濡(ぬ)れ、体は汗まみれであった。 ヘリは一機だけでなく五、六機であった。ジャングルの木々の梢(こずえ)すれすれを低く飛びながら、片山たちを探しているらしい。 反射的に片山はジープに向けて走り、マグナム・ライフルと短機関銃と弾薬を取りあげ、五十メーターほど離れた雨傘のような木の下に走り込む。 ヘリは旋回しながら、次第にジープのほうに近づいてきた。しかし、ジャングルの茂みが濃いので、片山のほうからヘリは見えない。 ヘリのほうも、何も発見できなかったらしい。爆音とローター音は遠ざかっていった。 溜息(ためいき)をついた片山は、マグナム・ライフルの薬室から実包を抜いて弾倉に戻した。腕時計を覗いてみると午後四時近くだ。腕時計は、ガメリア空港で現地時間に合わせてある。 緊張で汗は引っこんでいた。片山は谷崎のところに戻ってみる。血の気が失せた顔の谷崎は目を閉じたまま動かなかった。 くたばりやがったか・・・・・・と、舌打ちしながら、片山は谷崎の脈に触れてみた。谷崎は死んでいなかった。呼吸も弱いとはいえ、リズミカルだ。 片山はネルソン・パックからコールド・クリームと石ケンを出し、ここに来る途中にジープで通過した小川まで歩いた。 その小川は三十センチほどしか幅がなく浅い水は濁っていた。片山はコールド・クリームと苔を使って、顔や手に塗った靴墨を拭い、石鹸と濁り水を使って洗った。 ジープのそばに戻り、谷崎を揺さぶって目を覚まさせる。谷崎は靴墨を落した片山の顔を見ても驚かなかった。 谷崎の尋問を再開したが、重要な収穫はなかった。それに、谷崎はやがて意識が朦朧(もうろう)としはじめる。 ヘリの音はとっくに聞こえなくなっていた。片山は暗くなる前にジャングルを抜けることにする。 片山の本心としては、ジャングルのなかで二、三日を過ごし、ホトボリがさめるのを待ちたいところだが、そうやっている間に谷崎がくたばってしまう怖(おそ)れが充分にあるし、ラ・パロマ号が自沈するかルザンゴ港から出てしまう怖れも強い。 四輪駆動のメリットをフルに利用して、片山は谷崎を乗せたジープを、先ほどの悪路まで戻した。 悪路と街道の合流点のすぐ近くのジャングルのなかを何度か前進とバックで往復をして地ならしをし、四輪駆動のハイでも悪路にジープを出せるようにした。 悪路のほうに車首を向けてジープをジャングルに隠し、片山はジープから降りて街道をうかがう。ようやく、薄暗くなってきた。 何台か街道を車が通ったが、いずれも今にも分解しそうなオンボロ車であった。破れた排気管から二サイクル車のような煙を吐いているのが多い。 砂漠(さばく)やサヴァンナ側から銀色のメルツェデス・ベンツがやってくるのが、遠くに見えた。程度がよさそうな車だ。 片山はいそいでジープに戻った。エンジンを掛けると、悪路に出し、次いで街道に出す。二輪駆動に切替え、ルサンゴのほうに車首を向けて加速する。 ベンツは見る間に迫ってきた。ホイール・ベースが短いコンパクト・タイプの二八〇SEセダンだ。黒人の若いアヴェックが乗っている。 片山はジープを蛇行(だこう)させて、追い越そうとするベンツを妨害した。ジープは今にも引っくり返りそうになり、ハンドル操作では収拾がつかなくなって、ジャングルに跳びこみそうになる。 急ブレーキを掛けてスピードを落していたベンツは加速し、隙(すき)をうかがってジープの横をすり抜けようとした。 片山はジープの頑丈なガード・バーの鉄パイプを、ベンツのトランク・ルームの左側に強引にぶち当てた。 衝撃が客室に出来るだけ伝わらないようにクラッシャブルの安全機構をとっているベンツのトランク・ルームの鋼板が吹っ飛んだ。 ベンツ自体も衝撃から逃れることが出来ずにスピンし、タイアから煙を吐きながらジャングルのあいだに跳びこんだ。二本の若木にボディをはさまれる。 運転している男はあわててベンツをバックさせようとしたが、柔らかな地面に後輪がもぐりこんでいく。 ジープのほうは泳ぐようにして数十メーター走ってから、やっとコントロールを取戻した。片山はそのジープをバックさせる。ベンツのアヴェックは車窓から這(は)い出し、ジャングルのなかに逃げこんだ。 ジープから跳びおりた片山は、ベンツのイグニッション・スウィッチからキーが抜かれているのを見て、逃げていくアヴェックのほうに、銃声が比較的小さな短機関銃を威嚇(いかく)射撃した。 男の悲鳴と女の絶叫が起った。「殺したくない。車のキーさえよこしたら助けてやる。嫌(いや)なら殺す。狙い射ちにしてやる」 片山は英語で叫んだ。「助けて! 何でも言われた通りにするわ」 娘の金切り声が答えた。 やがて、小刻みに体を震わせながら長身の娘が姿を現した。そのあとから、白目を剥(む)いて喘(あえ)ぐ、これも長身の男が出てくる。 男はフランス調の三(み)つ揃(ぞろ)いをつけていたがズボンのジッパーが開いていて、そのあたりが濡れている。娘も洒落(しゃれ)た身なりであったが、ブラウスのボタンが外れている。 二人は片山と視線が合うと四つん這いになった。二人とも盛りあがった尻がたくましい。男は鍵束(かぎたば)を示していた。 片山は鍵束を受取った。「有難とよ。それじゃあ、娘さん、裸になってもらおうか」 と、ニヤリと笑う。「な、何をする気!」 娘はわめいた。「御期待にそえなくて残念だが・・・・・・素っ裸になれば、真っ暗にならないと、助けを求めて街道に跳びだすわけにはいかんだろうと思ってね。さあ、脱いでもらおう」 片山は二人の近くの地面に二、三発射ちこんだ。「脱ぐ! 俺も脱ぐから助けてくれ」 男は叫び、立ち上がると、たちまち素っ裸になった。恐怖に縮こんでいても、逸物は二十五センチはある。歯を鳴らしながら娘も脱いだ。娘はパンティもブラジャーもつけてなかった。乳輪がひどく大きい上に盛りあがっている。「オーケイ、ジャングルの奥に向けて走れ。力尽きたところで抱きあってたら、夜の寒さもしのげるだろうぜ」 片山はまた威嚇射撃をした。 素っ裸の二人は必死で逃げた。 二人が身につけていたものを持って、片山はジープの近くに戻った。ザ〓メンの臭いがきつい男のズボンのポケットから、運転免許証も入った財布を奪う。 このジープにはウインチがついてなかったが、片山はベンツとジープを直接ロープで結んで、ベンツを街道に引っぱり上げる。 谷崎の体も含めて、ジープに積んであったものをベンツの座席に移した。助手席の床には、ネッキングの時に娘が脱いだらしい、じっとりと濡れたパンティとブラジャーが落ちていた。 その二つと、さっき二人に脱がせたものをジープに放りこむ。五ガロン入りの予備ガソリン罐をジープの後部から外し、中身をジープに振りまいて、火をつけたマッチを放りこむ。 赤黒い炎をあげて燃え狂うジープをあとに片山はベンツを発進させた。トランク・ルームが大破した車などルサンゴでは珍しくないから、人目をひくことはないだろう。 そのベンツはオート・ミッションであったが、DOHC燃料噴射の百八十五DIN馬力にいつわりはなく、コンパクトなボディを直線では百八十キロ近くまで引っぱれた。トランク・ルームが吹っ飛んでなかったら、空気の流れが乱されず、二百近くまで出せたことであろう。高速コーナーでも、タイヤは悲鳴をあげてもロールは少ない。調子に乗りすぎるとそれは簡単にスピンにつながるが、片山は車をドライヴィングする際には危険予知のようなものを持っていた。 ルサンゴの市街入口近くの検問所は例によって無人であった。市街に入り、壊れていない公衆電話を見つけた片山は、日本大使館内にある秘密の番号にダイアルする。 電話を終えると、ベンツに戻り、その車をUターンさせて、検問所から三キロ離れたところで路肩に停めた。バンダーナで覆面する。 この前と同じ、ダットサンの大型トラックがやってきた。パネルに囲まれて外からは内部を覗(のぞ)きこむことが出来ぬトレーラーを曳(ひ)いている。 トレーラーから降りたのは、月形のダットサン二四〇Kだけでなく、ライトヴァンのようなボディを持つレインジ・ローヴァーの四輪駆動車もであった。 谷崎を救急医療設備がある荷室に乗せたトラックと、それが曳くトレーラーは去った。 月形と片山は、ベンツに積まれていた荷物を、テイル・ゲートを開いたレインジ・ローヴァーの、後部座席を畳んでひろげた荷室に移す。その荷室には、すでに月形が用意してきた大きな荷物が、グラウンド・シートに包まれて入っていた。 月形がダットサン二四〇Kを運転し、片山がレインジ・ローヴァーを運転してベンツから遠ざかった。 ランド・ローヴァーから発展した多目的車レインジ・ローヴァーは、道なきオフ・ロードでも強いが舗装路では乗用車並みの乗り心地や性能を持たせるように設計されている。 手動ミッションのジープやランドクルーザーやニッサン・パトロール等のセレクチヴのパート・タイム方式とちがって、レインジ・ローヴァーは、第三(サード)デフレンシャルとも呼ばれるセンター・デフを介して前後輪にトルクを伝えるフル・タイムの恒久四WDだ。トランスファー・ケースに設けられたセンター・デフには、フルタイム四WDに欠かせないリミッテッド・スリップのほかに、ブーストで作動するデフ・ロックがついている。フル・タイム四WDは、それらの装置が無いと、一輪でもスリップすると走行できなくなるのだ。 デフ・ロックした場合には、大きな凸凹や溝などを斜めに横切る際などに、片側の車輪が浮きあがってしまっても、設置している車輪にまともにパワーが伝えられる利点がある。 しかし、車がスムーズに旋回するために必要な内輪と外輪の回転速度差はゼロになるわけだから、路面が良好なところでは、中・高速コーナーが主なサーキット向けにセッティングしたレーシング・マシーンが低速コーナーを抜ける時のように、非常に扱いにくい。 片山のレインジ・ローヴァーは二速のトランスファーをハイの高速用に入れ、手動四速のミッションをシフト・アップしながら月形のダットサンを追った。 しかし、三・五リッター百三十二DIN馬力のV八エンジンはアルミ・ブロック、ボディのパネルもアルミ製と軽量化を狙っていても一・七トンも車重があるから、舗装路では、スカGのヨーロッパ・ヴァージョンであるダットサン二四〇Kに引き離されるのは無理もない。 しかし、路面感覚を伝えるパワー・ステアリング、四輪サーヴォ・ディスク・ブレーキ、自動車高調整装置、ミシュラン・ラディアルのタイヤ等とフルタイム四WDの組合わせで、舗装路上を目一杯飛ばしても不安は無かった。長いストレートでは、掛け値無しに時速百五十キロを越える。 十キロほど走ったところで、ダットサンは横道にそれた。ひろい悪路だ。 そうなると、ダットサンは後輪セミ・トレの全輪独立サスペンションの効果も薄く、オイル・パンやデフを割らないようにノロノロ運転をしいられる。ポンポン跳ねる後輪はしばしば空転した。 片山のレインジ・ローヴァーは、その悪路で一気にダットサンを抜いた。前後のサスとも独立式でなくリジッドだが、コイル・スプリングを使ってあるので、痔(じ)が悪くなるようなショックは伝わらない。 五キロほど先で片山はブレーキを掛けた。フルタイム・四WDの機構上、四輪が全部ロックしてしまわないかぎり、どれかの車輪がロックするようなことはないから、レインジ・ローヴァーはスムーズにスピードを落した。無論、フル・タイム方式といっても利点ばかりでなく、騒音や抵抗や摩滅や燃費の増大という問題がある。 片山は退避車線に車を停(と)め、フォッグ・ランプとドライヴィング・ランプで土埃をすかしながらやってくるダットサンを待つ。 斜めを向いて停まったダットサンから降りた月形がレインジ・ローヴァーの助手席に移ってきた。 片山と月形は、月形が持ってきたジャー入りの熱い味噌汁(みそしる)を紙コップで啜(すす)り、幕の内弁当を食いながら情報を交換しはじめた。 その話のなかで月形は、「フランクフルトの佐原は逃げた。ドイツ語が達者な上に遊びの穴場を色々と知っていて、日本からやってきた助平代議士やV・I・Pの夜のガイドに重宝な男だというので日空に現地採用された、もとバイエルン貿易の営業部長の佐原は、三日前から行方をくらましていることが分った。日空フランクフルト支店の奴のデスクの抽出(ひきだ)しの内側に残っていた指紋は、佐原のものと一致した。奴は日空では千葉という偽名を使っていた」 と、言う。 二時間半ほどたってから、月形と片山は荷室に用意されてあった包みの中身をチェックした。しばらくして、月形のダットサン二四〇Kは、闇(やみ)のなかを街道に向けて去る。 陽が沈んでから、急激に冷えはじめていた。片山は大小便を済ませると、包みのなかにあった薄いスリーピング・バッグにもぐりこみ、目を閉じて考えこむ。 三時間ほどたってから、片山はレインジ・ローヴァーを運転して、ルサンゴ市の西南部の人影が無い海岸に行った。二論駆動車ではどうにもならぬ急坂を、ブレーキとアクセルを巧みに使って降ろし、岩だらけの磯に乗り入れる。波打ち際からあまり離れていないところに車を停(と)めた。 荷室からウェット・スーツやフィンや、米陸軍特殊部隊(グリーン・ベレー)がヴェトナム戦争時に水中特殊工作のフロッグ・メンのために開発したアクア・ラングの装備品一式を取出す。 その特殊アクア・ラングは、水深十メーターの場合、ゆっくり動けば三時間、全力で泳いでも一時間の潜水能力を持つ。炭酸ガス還元装置によって口から吐いた息は吸収ボンベに戻され、排気中に残っていた酸素が再利用できるだけでなく、敵に見つかる手がかりを出す気泡(きほう)は消える。 その特殊アクア・ラングについている人工肺は、片山を救いに来る味方がいないため、邪魔になるだけだから外されていた。 U・S・Lサイズのウェット・スーツやフィンや水深計付き腕時計などをつけた片山は、大きな特殊ボンベを背負い、レギュレーター付き水中マスクをかぶり、レギュレーターのマウス・ピースをくわえて海にもぐった。 五分ほど水中を動きまわって、その特殊アクア・ラングが正常に作動することを確認してから浮上した。レギュレーターを閉じ、磯に上る。 一時間後、片山が運転するレインジ・ローヴァーは、バカンギ大統領の別邸の裏門に近づいた。 月形から伝えられた情報では、ルサンゴ警察とガメリア憲兵隊は死体を片付けると引揚げてしまい、その別邸には赤い軍団も残っていない、ということであるが、片山は自分の目で認めてないと気が済まない。 引金に指を掛けたウージー短機関銃を右肩にかついだ片山は、破壊されたままの裏門からバカンギの別邸の敷地に車を乗り入れた。車を、潅木(かんぼく)の茂みに隠す。エンジンとライトのスウィッチを切った。 マグナム・ライフルを左肩に吊(つ)り、短機関銃を腰だめにして歩く。昨夜より、いくらか月は明るさを増していた。 丘を登り、海に向けて丘をくだってみるが、確かに待伏せている者の気配はなかった。 ルサンゴ湾に面した側の丘の中腹に、片山はサンチョ・パンサ号を狙撃(そげき)するのに都合がいい場所を見つけた。 そのあたりは、砲撃を受けてあたりの木々が薙(な)ぎ倒され、低い姿勢をとってもサンチョ・パンサ号を見通すことが出来る。サンチョ・パンサ号から直線にして八百五十ヤードといったところだ。 左手の肘(ひじ)の近くまである射撃用(シューティング)グラヴをつけた片山は、倒れている巨木の一つのうしろに腰を降ろし、スリングを張ったマグナム・ライフルを支えた左手の手首の下あたりを巨木に依託(ベンチ・レスト)させて、サンチョ・パンサ号の甲板を狙ってみた。 依託の姿勢なので、伏射より安定していて、ライフル・スコープの十字レクティルのブレは小さい。 六百ヤードで照準合わせしてある片山用の七ミリ・レミントン・マグナム実包の百六十八グレイン弾は、そのまま八百五十ヤードの距離の目標物を射つと二メーター以上も下に着弾する計算になる。現代の弾薬は高性能化したとはいえ、六百ヤードを越えると、弾速を急激に失い、したがって弾頭のドロップもひどくなるのだ。 丘の中腹から海に浮かぶ船の甲板への射ち下ろしだから、弾道は射ち上げの場合と同様に比較的延伸する筈だ。しかし、大体においてライフルの発射弾は射角三十五度あたりで一番延伸する つまり、言葉を換えれば狙(ねら)ったところより上に着弾する ものだから、現在の片山とサンチョ・パンサ号の位置関係のような浅い射角では、立っている男の頭の上の半メーターほど上を狙わねば胸に当たらないだろう。 もっとも、射程八百五十ヤードともなると 初速が同じ場合には現存のいかなる弾頭よりも飛行時間が短くて済む七ミリ・百六十八グレイン・マッチキング・ボート・テイル弾頭でも、初速三千フィートで発射されても到着するまでに一秒ぐらいはかかるだろう。 初速三千フィートというと、至近距離での弾速は一千メーター近いわけだが、そのスピードは距離がのびるにしたがって衰えていくだけでなく、射程六百を越えてからの衰えはひどくなるからだ。 したがって、こっちが発射したのちに相手が動けば確実にミスする。それに、ちょっとの風にでも発射弾は大きく流される。だから、三発に一発が命中(ヒット)したら上々と思わねばならぬ。 射撃姿勢を解いた片山は、歩いてレインジ・ローヴァーに戻った。 ルサンゴ湾に沿った岬先端近くの海水で固く湿った砂浜にライトを消した車を乗り入れる。 そこからサンチョ・パンサ号まで直線にして一キロ半ほどあった。停泊しているほかの船にさえぎられてサンチョ・パンサ号は見えないが、サンチョ・パンサ号からもいかに強力な望遠鏡を使っても片山を見ることは出来ないわけだ。 片山は月形から渡された荷物のなかから、四個の水雷を取出した。完全防水でタイマーと磁石がついているそいつらには、それぞれ三十キロの高性能ニトロアミン系の爆薬RDXが詰められている。RDXはTNTの三倍近い威力を持っている。 片山は、その四個の水雷の爆発時間を夜明け前の薄明時にセットした。それを二つのキャンヴァス製の大きな袋に入れる。 一度裸になった片山は、ウェット・スーツをつけ、特殊アクア・ラングのボンベを背負った。潜水用の装置をつけ終えると、キャンヴァス袋についている紐(ひも)をウェット・スーツの腰のベルトに結びつけた。 その二つのキャンバス袋を抱えあげる。中味の四個の水雷は、爆薬のほかに本体の重さも加わるから百五十キロを越える。重いが、壮年に達した赤シカよりはずっと軽い。 水雷が重しになるので、片山はベルトにバラストの鉛をつけてなかった。 海に入った片山は、胸まで水に迫ると、二つのキャンヴァス袋を水中にそっと落とした。 水雷のなかには爆発力が一方向に集中するモンロー効果の狙いも兼ねて大きな空気室がつけてあるので、ゆっくりとしか沈まなかった。 レギュレーターのマウス・ピースをくわえた片山は、うしろに二つのキャンバス袋を曳(ひ)きながら水面近くを泳ぎはじめる。気泡はすぐに消えた。 サンチョ・パンサ号に近づくと水面下十メーター近くまで潜って、見張りに気付かれないようにした。 サンチョ・パンサ号にたどり着いた片山は、まず一つのキャンヴァス袋を開き、水中では軽い水雷を一個取出した。水中灯が無くても朧(おぼ)ろに船腹の輪郭(りんかく)を見ることが出来る。 片山はその水雷を船の右側の、スクリューや舵(かじ)の横で操舵機(そうだき)室の下、つまりスクリューを回すプロペラー・シャフトが内側を通っているあたりの船腹に当て、磁力発生スウィッチを入れた。 安全装置解除を兼ねているそのスウィッチが入れられると、強力な磁力で水雷は船腹に吸いついた。 片山は、反対側船腹にも水雷を吸着させた。 あとの二個の水雷は、船のほぼ中央部の機関室の左右の腹に吸いつかせた。海底の岩を拾い、腰に結んだキャンヴァス・バッグに入れて重しにし、潜ったまま、レインジ・ローヴァーを置いてある海岸に戻っていく。 浅瀬で片山が浮上した時、特殊ボンベの圧縮空気の残量は五分の一ほどになっていることを圧力ゲージが示していた。 しばらくしてから、レインジ・ローヴァーを運転する片山は、バカンギ大統領の別邸の裏門に戻った。無論、ウェット・スーツはウェスターン・スタイルの作業服に替えてある。 裏門から丘の上までの車道は舗装してなく、おまけに長いあいだ使われてなかったらしく荒れ果てていた。雑草の丈高い。 片山はフルタイム四×四(フォー・バイ・フォー)のレインジ・ローヴァーのトランスファーをローに入れ、サード・デフをデフ・ロックし、ライトを消して登った。デフレンシャル・ギアは全然作動しないから車はひどく曲がりにくい。そのかわり、曲がる時には四輪ともスライドし、真横に滑(すべ)る感じでコーナリングする。 丘を越えた片山は、バックでくだって、先ほど決めておいた狙撃地点から三十メーターほど離れた林のなかに駐(と)めた。 まだ夜明けが近づくまでにたっぷり時間はある。片山はサーモスの魔法瓶(ヴァキューム・ボトル)からまだ熱い浅煎り豆のアメリカン・コーヒーを蓋(ふた)に注いで飲みながら、一ポンドのロースト・ビーフとタマネギをはさんだライ麦パンのサンドウィッチを食った。果肉が真っ赤なオレンジを五個かじってから、噛(か)みタバコで口直しする。 スリーピング・バッグにもぐりこみ、短機関銃を抱えて眠った。五時間ほど眠る。夢のなかに晶子たちのことは出てこなかったが、目覚めた時の気分は何か虚(むな)しかった。 大量の噛みタバコを文字通りグシャグシャ噛む。刺激が頭に突き抜けて汗が吹きだし、片山の頭ははっきりした。まだ暗い。 車から降りて大小便を済ませ、チョコレート一枚をかじりながら、片山は樹木の蔭の射座にまずスポッティング・スコープを三脚のロッドにアタッチした。 倍率を二十五にし、サンチョ・パンサ号の甲板をじっくり調べていく。甲板のところどころに灯(あかり)がついているので、大体の様子はよくわかった。 甲板の見張りは十人だ。色々な人種であった。船橋(ブリッジ)の上には白人傭兵らしい男が四人と、黒人が四人いる。 甲板上の男たちは軽機関銃を主な武器としていた。甲板上のところどころに、キャンヴァスのカヴァーがかけられているのは迫撃砲や大砲であろう。 ブリッジの上には重機関銃が四丁据えられて四方に睨(にら)みをきかせている。重機は水冷式の口径五十ブラウニングだ。 レインジ・ローヴァーに一度戻った片山はレモネードでうがいをし、マグナム・ライフルと弾薬箱、それに短機関銃と弾倉帯と水が入ったポリ・タンクを持って射座についた。 いつでも狙撃(スナイプ)にとりかかれるようにして待つ。 やがて、東南の空が青灰色に染まってきた。小鳥のうち気が早い連中がさえずりはじめる。 爆発が起ったのは、計算通りに、日の出前の薄明かりがあたりの様子をはっきりとさせはじめた頃であった。 サンチョ・パンサ号の船尾と中央の両脇から、巨大な水柱がたち、船は激しく揺れる。爆発音が片山に伝わった頃には、パニックにおちいった甲板の見張りのうち数人が救命ボート目がけて走ろうとし、船の激震に足をとられて転倒していた。 片山はマグナム・ライフルの狙撃を開始した。まず、ブリッジの上の、こちら側に銃口が向いている機銃座の白人を狙う。 船が激しく揺れるせいもあって、四発目でやっと命中した。片山は弾倉に装填する時間を含めて、一分間に十五発の割りで速射する。 四人目を倒したあたりから正確な狙点が分り、二発に一発の割りで命中するようになった。 敵は泡をくらって盲射ちをしてくるが、弾着は片山をはるかに外れる。 ブリッジや船室や船艙(せんそう)から跳びだしてきた男たちが海に跳びこんで逃れようとする。その間にも、サンチョ・パンサ号は船首を持ちあげながら、ゆっくり沈みかけていた。 ブリッジのうしろの煙突のように巨大な排気筒(ファンネル)から、火災を起こした機関室の炎が吹きあげられていた。 片山は射ち続けていた。目に触れる男たちを速射で狙い射ちする。船長服をつけたアレクサンドロスらしい男も顔の半分を砕かれて倒れた。 マグナム・ライフルはやがて過熱し、弾倉に装填(そうてん)する時に銃を裏返しにする際に、銃身に触れた革製のシューティング・グラヴが悪臭をたてて焦(こ)げる。 片山が二百発を射ち終えた時、甲板上やブリッジ上で戦闘能力を残している者はいなかった。 片山はブリッジや甲板上の居住区に百発ほど射ちこみ、海に跳びこんでサンチョ・パンサ号から遠ざかる男たちを狙い射ちにする。 船の蔭に隠れていたらいいのに、彼等は水没するサンチョ・パンサ号が起す渦(うず)に引きずりこまれまいと、パニック状態で必死に泳いでいるのだ。 片山のライフルの過熱は進み、遊底の操作がひどく重くなり、カゲロウで目標が見えにくいだけでなく、遊底を力まかせに閉じた途端に暴発するようになった。 片山はポリ・タンクの水を数度に分けてライフルの銃身にぶっかける。物凄(ものすご)い水蒸気があがった。 無理な冷却で反った銃身が真っすぐに戻ってから、片山は泳ぎ逃げる十人ほどの連中を狙撃しはじめた。 だが、彼等は水面から頭だけしか出していないから、十発に一発ぐらいの割りでしか命中しない。しかも相手は動いているし、射程も千ヤードをはるかに越えている連中がいるから、そんな男たちは射ってもタマの無駄になるだけだ。それに彼等は東南アジアや黒人がほとんどだから、赤い軍団では兵卒の数にも入っていないだろう。 サンチョ・パンサ号の機関室の火災は浸水によってやんだらしく、ファンネルからいま吹きあげているのは、炎ではなく煙と水蒸気だ。 しかも、船艙の隔壁によって浸水のひろがりはくいとめられ、サンチョ・パンサ号は沈没をまぬがれていた。船尾は最大許容吃水線近くまで沈み、船首は浮きあがっていたが、船首タンクに注水してバランスをとれば、船は水平に戻るだろう。全体の吃水は深くなるにしろ。 片山は立ち上り、武器弾薬やスポッティング・スコープを持ってレンジ・ローヴァーに戻った。 サンチョ・パンサ号ことラ・パロマ号の火災が完全におさまり、爆発や、水没の危険が完全に去ったら 、名目上の船会社のトランス・パシフィック社と、その社の親会社で実質上の持船会社の太平洋サーフィス社、それに世界最大の保険会社でラ・パロマ号の積み荷の再保険を受持っているロイドの三社合同団がラ・パロマ号に乗りこんで、船と積み荷の正当な所有権を宣言する手筈(てはず)になっている。 ラ・パロマ号の積み荷を引取るために、トランス・パシフィック社のカミニート号が、ルサンゴ湾の沖合いで入港待ちをしている。カミニート号には、ガメリアの近国リベリアまで空輸されてきた陸上自衛隊特殊部隊の精鋭五十名が武器弾薬と共に乗りこんでいる。 日本政府は、三社合同団を通じて、バカンギ大統領と港湾関係のお偉方に百万ドルのワイロを贈ることになっている。 赤い軍団に別邸を目茶苦茶にされた大統領のことだから、事はスムーズに運ぶだろう。赤い軍団が要求していた十億ドルからくらべれば、日本政府の百万ドルの出費は安いものだ。 それでもうまくいかなかったり、赤い軍団が新手(あらて)の傭兵団をくり出してきた時には、パナマ人船員に化けている陸上自衛隊特殊部隊の出番がくるわけだ。 ラ・パロマ号の船自体に掛けられている保険の再保険会社は、うまい具合に、ロイドではなく、ルクセンブルグに名目上の本拠を置く多国籍企業のエリクセンだ。エリクセンは今度の破壊活動について完全にツンボ桟敷(さじき)に置かれているから、トランス・パシフィック社は素知らぬ顔で船体に関する保険を請求出来る。 (つづく)
2021年10月09日
Photo from World Armies ,Album 'Rhodesia' >前回 片山はしばらく肩で荒い息をしていた。血と肉片でぬるぬるするベルトを捨てようとしたが、ベルトを握りしめた右の拳(こぶし)は固くこわばって動かなかった。片山は左手を使って右の指をベルトから引きはがした。 谷崎のほうに体を向ける。 谷崎正一は意識を取戻していた。無理やりに胃に注ぎこまれたアルコールの効き目も薄く、マラリアの発作時のように全身を震わせている。歯がカタカタと鳴っていた。「助けてくれ!」 谷崎は英語でわめいた。「あんたが話しやすいように、日本語でしゃべろう。俺の女房は日本人だった。俺は日本語がしゃべれる」 片山は東京弁で言った。右手を軽く振って、指の血行を取戻そうとしている。「死にたくない・・・・・・俺は死にたくないんだ。赤い軍団に入ったのも、刑務所に一生閉じこめられるなんて、死んだも同然だと思ったからだ」 谷崎は呻(うめ)いた。「前橋の刑務所に入る前、赤い軍団はあんたに接触していたのか?」「いや」「じゃあ、あんたが捕まる前は?」「いや、それもちがう。俺は赤い軍団のことなど何も知らなかった。過激派とも何の関係も無かった。だから、日空ハイジャックの連中が人質と交換に俺と弟の釈放を要求したと看守に知らされた時は、キツネにつままれたような気がした」「じゃあ、軍団はあんたの殺し屋としての能力に、ひそかに目をつけていたというわけか?」「そうらしい」「よし、はじめから話してみろ。釈放さえて日空機に乗りこんだ時点から」 片山は言った。 震えがなかなか止まらない谷崎は、ぽつりぽつりとしゃべった。片山は質問をはさむ。 谷崎がしゃべった内容は、三田村がしゃべったことと大差無かった。 昼を過ぎてから片山は尋問を一度打ち切った。肘(ひじ)から先が無くなっている谷崎の左腕は、ロープで止血されている上膊部の先のほうが壊疽(えそ)を起して悪臭を放っている。 片山はネルソン・パックから出したパンとボロニア・ソーセージとピックルスでサンドウィッチを作ってやったが、谷崎は渇(かわ)きと苦痛と生命の不安を訴えて、サンドウィッチに口をつけない。 ショック死されては困るので、片山は谷崎が腰につけていた救急キットから出したモルヒネを罐(かん)ジュースで飲ませた。 谷崎はうとうととしはじめた。 マローニの死体も臭(にお)いはじめたので、片山は二十メーターほど風上の木陰に移り、欲をつけるためにスコッチを少し飲むと、サンドウィッチを食い、ジュースを飲んで地面に横になる。 木陰とはいえ、ジャングルの湿気で暑い。片山は、親子四人で過ごした日々を想いだしていた。 一九七一年のクリスマス休暇の前に、地獄のヴェトナム戦を生き抜いた米陸軍グリーン・ベレーのケネス・K・マクドーガル少佐(メイジャー)、日本名片山健一は、殺人機械(キリング・マシーン)人間の模範ということで、中佐(リコテーナン・カーネル)に昇進した。 ウエストポイントの陸軍士官学校出身のエリートも及ばぬ、異例の昇進スピードであった。 米軍の場合、陸軍と海軍と海兵隊、それに空軍は、それぞれの階級の呼びかたが違う。 米陸軍の場合、下から順に、兵卒は新兵(レクート)、二等兵(プライヴェート)、上等兵(プライヴェート・ファースト・クラス)・・・・・・N・C・O(ノン・コミッションド・オフィサー)の下士官は、伍長(コーポラル)、三等軍曹のスタッフ・サージャン、二等軍曹のサージャン・ファースト・クラスあるいはプラツーン・サージャン、曹長のマスター・サージャン、サージャン・メイジャーの上級曹長。 将校は、ウォーラント・オフィサーおよびその上位のチーフ・ウォーラント・オフィサーの准尉、セカンド・リュテーナンの少尉、リュテーナンの中尉、キャプテンの大尉、そしてメイジャーの少佐、リュテーナン・カーネルの中佐、カーネルの大佐、ブリガディーア・ジェネラルの准尉、メージャー・ジェネラルの少尉、リュテーナン・ジェネラルの中将、ジェネラルの大将あるいは将軍、それからジェネラル・オヴ・ザ・アーミーの元帥・・・・・・と、なる。片山の場合は、中佐になるまでに、たびたび階級を飛びこえて特進していた。 さて、米陸軍スペッシャル・フォース・グループ、つまりグリーン・ベレーの任期は(ワン)サイクルが三年だが、ヴェトナム戦争が泥沼化するにつれ、一年間でも生存率が二十パーセントを割ることもあったほどだ。 中佐に昇進すると共に、片山は、米陸軍スペッシャル・フォース第六戦略群(グループ)、第三大隊(バターリオン)、B中隊(ブラヴォー・カンパニー)の中隊長に任命された。 米陸軍の戦術単位は、最小のものが、普通下士官二人と兵十人からなる分隊(スクアッド)だが、闘いのプロ集団であるグリーン・ベレーの場合は、分隊長のほとんどが下士官かそれ以上の階級だから、分隊長は大尉クラスが当る。 米陸軍の普通部隊の場合、二個分隊以上が班(セクション)と呼ばれ、幾つかの分隊または班の上に小隊(プラツーン)があるが、班を持たない小隊もある。小隊が幾つか集って中隊に(カンパニー)になり、さらに大きな大隊(バターリオン)、連隊(レジメント)または群(グループ)、旅団(ブリゲード)、師団(ディヴィジョン)、軍(コーズ)・・・・・・と、大きくなっていく。 グリーン・ベレー六個小隊の指揮をとるようになった片山は、北ヴェトナムに近い前線にあるとはいえ、B中隊野戦本部で一個小隊にガードされながら、ラオスにまで越境した中隊のために掃討作戦をたてたり、クアンチの大隊本部や掃討中の小隊や班や分隊と無線連絡をとったりするほか、さまざまのくだらない事務的な仕事に追いまくられた。 時々は敵がロケット砲弾を浴びせてきたり、特攻隊が爆弾を抱えて突入を計ったりしたが、要塞(ようさい)化されている上に反撃用の豊富な火力を持つ中隊野戦本部にいる以上は、生命の危険を感じることは少なかった。 しばらくは悪夢にうなされず済んだ片山ではあったが、大隊本部からガミガミ言われながら書類上で辻褄(つじつま)を合わせるデスク・ワークに嫌気(いやき)がさしてきた。しばしば、大隊長と大ゲンカする。 七二年の三月、片山はサイゴンの総司令部に呼ばれた。 退役願いを用意して総司令部に出頭した片山に、郡長のウィリアムズ将軍(ジェネラル)は、「ざっくばらんに言って、君はどうもデスクワークに向いておらんようだな・・・・・・そこでだ、君にうってつけの仕事がある。舞台は東南アフリカのモザンビーク・・・・・・モザンビークはポルトガルの領地だが、FRELIMO(フレリモ) モザンビーク解放戦線 という黒人ゲリラ組織が、ポルトガル軍を散々な目にあわせておる。まったく、ポルトガル野郎なんて、だらしないもんだ・・・・・・そこで、我が軍のスペッシャル・フォースと海兵隊の特別攻撃隊(リーコーン)が秘密裏に介入することになった。自由を守るためにな。モザンビークのフレリモは、ソ連と中国と、そのカイライである隣国タンザニアの強力なバックアップを受けておる。くわしい任務は君がO・Kしてくれたら話すが、まあ、要するに、対ゲリラ戦の実験で、君の腕を充分に発揮してもらおうと思ってな」 と、言った。「モザンビークですか? かねて、そういう場合にそなえてポルトガル語をかじらされてはいますが、どうもまだ会話となると・・・・・・」 片山は肩をすくめた。 「その点は心配せんでよろしい。三か月の言語訓練期間を与えるから。O・Kしてくれたら、給料と戦時手当てと戦闘手当てのほかに、月二万ドルずつのボーナスが払われる。そのボーナスはC・I・Aが出すわけだが、悪くない話だろう」 将軍はウインクした。「そのようですな」 片山はニヤリとした。 ドル安円高の現在では、二十年ぐらい勤続した米軍中佐がドルでもらう約二万五千ドルの年収を円に直すと、同じ勤続年数の日本人警備員が円でもらう年収と同じぐらいにしかならぬと問題になり、日本の自衛隊員の給料は世界一と言われているが、ドルがそんなに安くなかった当時で換算しても、米軍人の給料は見かけほど高くなかった。 新兵で年収五千ドルを割り、少尉で一万ドルに満たず、勤続二十年以上の大佐でも三万ドルぐらいだからだ。 片山中佐の場合は、勤続年数は少なかったが、戦闘手当てなどを含めると年収4万ドルぐらいになった。しかし、命がけの仕事にしては、ひどく安いものだ。 もっとも片山は、このヴェトナムでの掃討作戦のどさくさにまぎれて、華僑(かきょう)の悪徳商人やヴェトナム人の闇(やみ)成金、それに新興軍閥などを暗殺して奪った現ナマ約百万ドルと、奪った宝石やヘロインを軍隊内の秘密ブローカー組織を通して現ナマに替えた約二百万ドルを、スウィスとハワイと日本の銀行に預けてあった。 それにしても、どうせ命を的にして戦うのなら、少しでも高いペイを払ってくれるところが望ましかった。辞表を叩(たた)きつけたところで、重傷を負ってないかぎりは、すんなりと受理してくれるわけでないからだ。 下手(へた)すると、色々と難癖をつけられて軍法会議に掛けられる。軍籍を剥奪(はくだつ)されて不名誉除隊にでもなると、恩給その他の特典はすべて奪われる上に、コンピューターが国民番号を看視する合衆国で生活していく上にひどく不利となる。 それに片山は、まだ見ぬアフリカで思いきり暴れてみたい、という気持ちもあった。「よし、分った 」 ウィリアムズ将軍は言った。「君はまず、君の下で闘ってまだ生残っている、男のなかの男たちをリスト・アップしてくれ。百名をな。そのうちの半分を、君と一緒にモザンビークに派兵することになる。選抜された部下は君と一緒にまずはブラジルに飛ぶ。あそこはもとはポルトガルの植民地だったから、ブラジル語はポルトガル語だ。ブラジル政府に対する我が国の軍事と経済の援助はまだ続いておるから、ボリヴィアとパラグアイに近い秘境マト・グロッソに秘密軍事訓練基地を提供してくれた」 「ほとんどが人跡未踏の地と言われているマト・グロッソは、このヴェトナムのメコン・デルタよりひどいところらしいですな」 片山は呟(つぶや)いた。「ああ、ピラニアや毒蛇(どくへび)やマラリア蚊(か)がうじょうじょいる。このヴェトナムのマラリア蚊など問題ではない。ともかく、そこで海兵隊のリーコン選抜隊と合流し、ポルトガル語を学びながら、バクや猿を狩ってそれを食い、モザンビークのジャングルでヘリからの補給食糧が絶えた時にそなえるように身を慣らせておくんだ・・・・・・しかし、あそこでは、嫌(いや)なことばかりではないぞ。混血の女たちがベッドでポルトガル語を教えてくれることになっておる」 将軍はニヤリと笑った。片山は口笛を吹く。 それから一週間後、私服に替えた片山と部下五十人はブラジルに着いた。 リオの歓楽街とコパカバーナ海岸のリゾート地帯で遊び狂った片山たちは、一週間後、リオの軍用空港に集められ、性病の検査を受けたあと、戦闘用のジャンプ・スーツに着替えさせられた。 そのジャンプ・スーツは昼用のものがカモフラージュ色で、夜用のものが黒だ。帽子はコンゴ時代に白人傭兵がかぶった、頭蓋骨(ずがいこつ)に大腿骨(だいたいこつ)を交叉(こうさ)させたスカル・アンド・サイボーンズのエンブレムがついたベレーだ。これも昼用はカモフラージュ、夜は黒だ。 夜用の黒いベレー帽と黒のジャンプ・スーツは、のちにローデシアでヴェトナム帰りの米人ウィンクラー少佐が組織した対黒人ゲリラ軍“エリート機甲部隊”の戦闘用制服となった。ローデシア・エリート機甲部隊は、ゲリラ、つまりジンバブエ解放戦線から“黒い悪魔(ブラック・デヴィルズ)”と呼ばれている。 ベレーの上からヘルメットをつけ 世界の特殊部隊のほとんどがベレーをかぶる理由の一つは、その上からヘルメットをかぶることが出来るからだ 、背中に主傘、胸に予備傘のパラシュートをつけた片山たちは、満載しても七千五百キロ以上の航続距離を持つロッキードC103Bハーキュレス軍用輸送機に乗りこんだ。 空港を飛びたち、西北に向けて時速五百五十キロほどで巡航するハーキュレスは、に時間ちょっとでロントガル山脈を越えてマト・グロッソの上空に達した。 眼下には、しばらくサヴァンナ地帯が続いたが、やがて緑のジャングルと湿原と無数の河のクリークに変わる。 出発してから約四時間後に、「降下用意!」 のアナウンスがあった。 輸送機は、広大なマト・グロッソの真っただなかの、はるか北でアマゾン河とつながるジュルエナ川の上流に近づいた。 ジャングルを切開いた二十平方キロほどの平地の上を旋回しはじめる。バラック兵舎が三十ほど建っていた。 片山を先頭に、地面に大きなX(エックス)マークがつけられた降下点めがけてパラシュートが花を咲かせる。 その時、兵舎から百人ぐらいの華やかな服をつけた女たちと、カモフラージュ色のジャンプ・スーツをつけ、M十四自動ライフルを持った男たちが跳(と)びだしてくる。 男たちは降下してくる片山たちに銃弾を浴せた。銃弾が片山たちをかすめてパラシュートに孔(あな)をあける。 反撃すべき武器を身につけてなかった片山は小便をちびりそうになった。着地し、転(ころ)びながらパラシュートのフックを外した片山は、立ち上がると、「いささか荒っぽすぎる歓迎ぶりだな、海兵隊(マリーン)さんのやりかたは」 と、怒鳴る。 片山のジャンプ・スーツの肩の階級章を見て、海兵隊中佐の肩章をつけた大男が葉巻を横ぐわえして近づき、「ディック・スペンサーだ。俺(おれ)たちマリーンの選抜隊には、間違えてあんたたちの体に当ててしまうようなヘボは誰(だれ)もおらんよ」 と、握手の手を差しだす。 米海兵隊は、全員が志願制だ。小銃(ライフル)こそ我が命をモットーにしている勇猛なマリーンのなかでも、特に精強なのがパラシュートに左右の鳥の羽をつけたエンブレムのリーコーン(リーコニセンス)だ。偵察隊とされているが実体は特攻隊だ。 その秘密訓練基地には、小柄なポルトガル人教官三十名もいた。 そこで片山たちの毎日は、まずAR10(テン)自動ライフルに慣れることからはじまった。ポルトガル軍はNATO(ナトー)の制式実包である七・六二ミリ・ナトー弾を使用するAR10とFNのFAL自動ライフルを使っているからだ。 海兵のリーコーンの選抜隊は、米軍制式のM十六よりも使い慣れて信頼している旧制式銃のM十四 (フオティーン)に固執した。M十四はやはり七・六二ミリ・ナトー弾を使用するから、ポルトガル領で実包の入手に苦労せずに済む。 IMFDb - ArmaLite AR-10http://www.imfdb.org/wiki/AR10 Youtube - Prototype full auto AR-10 from 1957! (Unicorn Guns with Jerry Miculek)by Jerry Miculek - Pro Shooterhttps://www.youtube.com/watch?v=UCmHxieQduE The Original Retro AR-10: Armalite's AR10Bby Forgotten Weaponshttps://www.youtube.com/watch?v=OJcuBB24yoE IMFDb - FN FALhttp://www.imfdb.org/wiki/FAL IMFDb - M14 Riflehttp://www.imfdb.org/wiki/M14_Rifle M14E2 Winchester Proto-M14 Rifleby Forgotten Weaponshttps://www.youtube.com/watch?v=0RfcZHca8gw M14E2 Semiauto Clonehttps://www.youtube.com/watch?v=aqTVjFxVYJE M十六の口径五・五六ミリ実包 民間用だと〇・二二三レミントン と、M十四の口径七・六二ミリ実包 民間用だと〇・三〇八ウインチェスター とでは、ジャングル戦でどちらが有利かの意見は分れている。 無論、長距離射撃では、弾頭が比較的太く重いために弾速やエネルギーがあまり急激には低下しない七・六二ミリのほうが有利なことは言うまでもない。風の影響も比較的受けにくい。 しかし、ジャングル戦では長距離射撃はスコープ付きのボルト・アクション・ライフルを使う狙撃兵の専門分野で、一般の兵は、敵がいるほうに向けて一斉に多弾速射し、敵を弾幕で包みこむといった戦法をとる。 その時には銃が軽いだけでなく反動も軽く、多量の軽い弾薬を携帯できるM十六が有利なのは確かだが、実戦で敵にしばしば遭遇した者は、五・五六ミリの小口径高速弾は木の葉に触れても弾頭がそれるため、敵が深いブッシュに隠れるとタマの無駄使いになることが多いし、至近距離で射ちあった敵にヒットしても、弾頭がスピードに敗(ま)けて皮膚の近くで炸裂(さくれつ)するせいか、五、六発くらわせた程度では致命傷を与えることが出来ぬこともあることを知っている・・・・・・。 AR10は、M十六の原型になった自動ライフルで、七・六二ミリ・ナトー実包を使用するから、五・五六ミリ実包を使用するM十六を大型にしたような外見をしている。 M十六との機構上のちがいは、遊底(ボルト)のコッキング・ハンドルが受筒の上側にあること・・・・・・照星は動かせない携帯ハンドルにある照門のドラムを回転させて上下修正、照門のネジをゆるめて左右修正を行うこと・・・・・・二十連弾倉が空になった時にボルトが開いたままになって残弾がゼロになったことを射手に警告する装置がついてないこと・・・・・・だ。 片山はAR10を三百発ほど試射してみて、反動は強いが直線的な反動だから、フル・オート時に銃がねじれたり上向きに反ることが少なくてコントロールしやすいこと、百ヤードぐらいの敵になら、照準器を使わなくても、散弾銃のように振り向けて発射するだけで命中させることが出来ることを知った。もっとも、夜間射撃には、新タイプの赤外線可視装置のスターライト・スコープを使用する。 海兵隊のM十四は、フル・オート時の銃の跳(は)ね上がりを出来るだけ減らすために、M十六やAR10と同じように直銃床を採用したE2(ツー)タイプであったが、それでもフル・オート時のコントロールは難しい。 片山は射ちくらべてみて、セミ・オートの精密射撃ではM十四E2、フル・オートの速射性能ではAR10が有利と判断した。どちらも回転不良は滅多に起さない。 昼はポルトガル人教官から、夜はポルトガル系の白人娘や、白に近いモレーナや黒に近いムラータの白黒混血娘や、カボクラと呼ばれる白人とインディオの混血娘、さらにカフーザと呼ばれるインディオとニグロの混血娘たちから、ポルトガル語の特訓を受けた片山たちのポルトガル語は急激に上達した。 週に三日ずつ、地形に慣れているポルトガル人教官と共に、食料にする動物や魚を捕りに出撃する。 スコールに打たれながら野営したり、蚊(か)の大群に悩まされながら泥沼を歩くぐらいはヴェトナム戦で慣れているが、渡河しようとすると鋭い歯を剥(む)きだして集ってくるピラニアには参った。 バクやブタに似た外観の齧歯類(げっしるい)カピバラやコアリクイやヘビなどは何とか食えたが、猿は皮を剥くと人間そっくりで、さすがの片山も無理やりに喉(のど)を通そうとしても吐いてしまった。 ヴェトナム時代と同じように毎週一回定期的にクロロキンを二錠飲んでいたから、マラリアが発病した者は少なかったが、発病した者はマラリアの治療薬のプリマキンで治った。 無論プリマキンにも副作用があるが、死ぬよりましだ。それにプリマキンの副作用である溶血現象を起す因子を持つ東南アジア人やギリシア人は、片山の部下にはいなかった。 ポルトガル人教官は、好戦的なインディオの部族が、マト・グロッソ開発計画を妨害しているという名目で、片山たちをしばしばインディオ狩りに誘ったが、片山は一回出撃しただけであった。 弓矢と吹き矢と蛮刀しか持たぬインディオを、自動ライフルと機関銃とロケット砲と迫撃砲で射ちまくるなどという行為は虐殺としか言いようがないからだ。 それでも片山は、猛毒クラーレを矢尻やダーツに塗ったインディオの群れが、ポルトガル側基地に報復の夜襲を掛けてきた時には、ごく微弱な光りを数万倍に増幅(ぞうふく)するスターライト・スコープをつけたAR10ライフルで、射的の人形のように倒していった。 しかし、ポルトガル人教官がインディオの死体をバラバラに切断し、「中佐、これを食ってみてください。こいつを食って度胸をつけておけば、飢えた時には何でも食えるようになりますぜ」 と、腿の肉を片山に突きつけた時には、「うるせえ、てめえが食ったらいいんだ」 と、教官の髪を摑んで吊りあげ、悲鳴をあげる口(くち)のなかに人肉を押しこんだ。 三か月後、“キラー・フォース”と名づけられた片山たちと海兵隊リーコンの選抜合同隊は、米軍の輸送機で、モザンビークの西にあるローデシアに飛んだ。 モザンビークとの国境から数十キロしか離れていない首都ソールズベリー郊外の軍事基地で、〝キラー・フォース〟は、ローデシアの白人傭兵部隊“ファイア・フォース”から択(えら)ばれたポルトガル人傭兵五十名と合流する。 彼等はキラー・フォースの目的地であるモザンビークのテテ州の入植者の息子たちだが、フレリモに家族を殺され、家を焼かれて、白人王国ローデシアに逃げ、ファイア・フォースの傭兵となって、国境地帯での掃討戦に加わった、という。 モザンビークは、北は社会主義国でフレリモの解放ゲリラの本部があるタンザニアと接し、西は小国でタンザニアの影響下にあるマラウィ、東西両陣営から援助を引きだしているザンビア、それに白人支配のローデシアと国境を接している。 南にはこれも白人王国の南アフリカ共和国があり、首都ロレンソ・マルケス のちに独立後はマプートとなった は、南アのすぐそばだ。東はインド洋だ。 当時一九七二年夏 南半球にあるアフリカ中部や南部では冬の乾期 のモザンビークは、ソ連をはじめとする共産国製の武器を手にしたフレリモの黒人解放戦線に押しまくられて、タンザニアとマラウィとザンビア寄りの三つの州、つまり国の半分が解放区になっていた。 解放区ではポルトガルの防衛軍の拠点は文字通り点と化しているところが多かった。ゲリラの地雷と集中砲火で、ポルトガル軍のトラック・コンヴォイは火打撃を受けるか、一日に数キロしか進めない状態が珍しくなかったからだ。 片山たちキラー・フォースの任務は、モザンビーク西端テテ州に建設中の、完成すれば世界第四位の大きさになるカボラ・バッサ・ダム周辺のゲリラ掃討と、そのダムとローデシアを結ぶ道路で待伏せるゲリラを殲滅(せんめつ)することにあった。 テテ州は、マラウィとザンビアとローデシアに囲まれた、豊かな地下資源を持つ州だ。 そして、その州のほぼ中央をリオ・ザンベジ、つまりザンベジ川が西から東に貫いている。ザンベジ大峡谷のなかにあるその川は、雨季には氾濫(はんらん)し、乾期の終り頃には干上がってしまう。 ポルトガルは、南アとローデシア、それに米国を含むNATO(ナトー) 北大西洋条約機構 加盟国の西側資本主義国をモザンビークの戦争に捲(ま)きこむ目的もあって、南アに電力を送る形でその借款を返済するということで、ザンベジ渓谷のテテ州中央部にカボラ・バッサ・ダムを建設中であった。 しかし、そのテテ州もすでに解放戦線の支配下にあり、ポルトガル軍の支配が及ぶのは、わずか州都テテ市、テテ市とダムを結ぶ、機関銃座と迫撃砲陣地が並ぶ数本の幹線道路、それにダム・サイトと、ローデシアのソールベリーとテテ市を結ぶ交通のカナメである、ローデシアにごく近いシャンガラだけという有様であった・・・・・・。 片山たち三軍合同のキラー・フォースを乗せた十数機のロッキード・ハーキュレスのガンシップ輸送機や、腹に対空地雷特殊装甲車を抱えた巨大なスカイクレーン・ヘリや戦闘用ヒューイコブラのヘリの群れは、ジャングルから射ちあげられる敵の対空砲火を、大量の爆弾や六連装銃身で一分間に六千発から八千発の回転速度で二十ミリ機関砲弾をバラまくバルカン砲、それにスーパー・ナパーム弾などで黙らせながら、ポルトガル軍の大要塞と化しているカボラ・バッサ・ダムの上空に着いた。 深く険しい渓谷からのたくるその一帯からマラウィやザンビア側には、ジャングルやサヴァンナだけでなく、無数の丘や高い山々が見えて、ゲリラ、つまり解放戦線側に絶好の出撃基地を提供していることが実感された。まだ乾期が終る直前の十一月には十分な時間があるので、沼やクリークの水も干上ってない。 土煙をあげてダム・サイトの簡易飛行場に着陸したガンシップや超大型ヘリから次々に降ろされる、米軍援助の圧倒的な物量、つまり数十台の特殊装甲車や数十万ガロンのガソリンや石油、石油を燃やして冷やす巨大な冷凍庫や冷蔵庫を見て、ポルトガル陸軍の正規部隊や特殊攻撃隊、それに秘密警察PIDEの保安部隊が狂喜の声をあげる。 昼は迷彩色のジャンプ・スーツ、夜は真っ黒なジャンプ・スーツをつけるキラー・フォースは、マリーンのリーコーン上りとローデシア白人傭兵部隊ファイア・フォース選抜隊のポルトガル兵の半分が、主に特殊装甲車を使ってパトロールすることになった。 地雷(マイン)プルーフの特殊装甲車といっても、地雷の爆発を受けてもビクともしないというわけでないが、ほかの車輛がバラバラになって吹っ飛ばされるのに対し、ただ横転したり擱座(かくざ)するだけで済み、乗員はショック防止装置によってほとんど被害を受けない。 ほかのモザンビーク解放区では、徹底したポルトガル軍によってあらゆる道路に徹底的に地雷が埋められたために、自軍の車輛が使えなくなってポルトガル軍は自滅したわけだが、カボラ・バッサ・ダムを建設中のテテ州ではそのようなことはなかったから、ポルトガル傭兵の地雷探知班を先に立ててゲリラを掃討する特殊装甲車が活躍する余地が残されていた。 片山が指揮する陸軍グリーン・ベレー選抜隊とファイア・フォース選抜隊の残り半分は、ベル・ヒューイコブラの攻撃用ヘリから敵の拠点近くに降下し、マリーンと無線連絡をとりながら徒歩でパトロールする。 AR10(テン)自動ライフルの二十連弾倉を腰の弾倉帯に八本のほか、背のフレーム・パックに三十本、夜営具や食料や飲料、それに夜間攻撃用のスターライト・スコープのほかに、バズーカ砲やその砲弾、機関銃や12連の四〇ミリ榴散弾(りゅうさんだん)自動発射機の銃弾や砲弾などを分担してかつぐのだから、一人当りの重量は八〇キロを越える。 したがって、敵に倒されるのは、重荷でよたよたしているファイア・フォース出身のポルトガル兵が多かった。 ポルトガル軍によって一村全部が虐殺されて家もろとも焼き払われた現場も見たし、ポルトガル側のスパイの嫌疑(けんぎ)を受けて、解放戦線から火炙りにされている黒人たちも見た。 片山たちがゲリラから迫撃砲や臼砲(きゅうほう)の集中砲火を浴びると、無線で呼ばれた、これも片山の部下が操縦する武装ヘリの群れが飛んできて、爆弾や、二〇ミリ・バルカン砲を口径七・六二ミリに縮小したようなミニ・ガン、それに通常ナパームにテルミットを混合したスーパー・ナパーム弾を敵のいるあたりに浴せる。 はじめの頃は、片山が指揮をとる空挺部隊は、複雑な地形に慣れるために主に昼間行動し、かなり被害を受けたが、地形に慣れるにしたがって、黒人が矢鱈(やたら)に怖(こわ)がる夜間行動に切替え、生存率九十五パーセントを越えるようになった。 戦時中にもかかわらず、ザンベジ・ヴァレーからマラウィやザンビア国境にかけては、まだまだ野獣の宝庫であった。 ゲリラ討伐戦に成功した翌朝など、キラー・フォースは、象やケープ・バッファローやサイ(ライノ)やライオン、それにグレーター・クードウやジャイアント・エランドやウォーター・バックなどのハンティングを楽しむ。 肉は食料にし、象牙や皮や角は売り飛ばしてアルバイト料を稼(かせ)ぐのだ。 部下たちは機関銃で象の群れを薙(な)ぎ倒したり、媚薬(びやく)になると信じられてひどく高価な角をのぞけば価値が無いサイを手榴弾でブッ飛ばしたりしたが、片山は眠る時も腰から離さぬG・Iコルトの抜射ちで三秒間に七発を大型動物の脳や延髄に射ちこむ猟法を好んだ。まだ薬室に一発を残しておき、目にもとまらぬ早さで弾倉を替えて、万一の逆襲にそなえる・・・・・・。 Greater kudu Giant eland Waterbuck IMFDb - M1911 pistol series - M1911A1http://www.imfdb.org/wiki/M1911A1#M1911A1 Youtube - 1911A1 .45 Pistol from 1925 in Slow-Mo!by Jerry Miculek - Pro Shooterhttps://www.youtube.com/watch?v=Bp-HFVG_c4Q そんな片山に運命の日が訪れたのは、雨期が近づいた十月の末のことであった。 ザンビア国境に近い、今はポルトガル軍に放棄された戦略村(アルデアメント)に、百名を越すゲリラが立てこもっている、という情報を摑(つか)んだキラー・フォースは、目的地から十キロほど離れた地点に降下し、闇(やみ)のなかを忍び寄った。 乾期の終り近くなので水場がほとんどなくなっていたが、黒人農民たちを解放戦線から隔離するために押しこんであったその戦略村の跡には深い井戸があり、ゲリラが兵舎としていることが、斥候(せっこう)隊員によって認められた。 大雨期が近づいているために湿気が増し、深い夜霧が立ちこめるその戦略村をバトル・グラウンドとして、未明の四時から戦闘は開始された。 敵側は、そこを生活の場としているだけに地形を熟知していたから、頑強(がんきょう)に抵抗した。深い霧のためにスターライト・スコープがあまり役に立たない上に、援護のヘリが敵の位置をうまく摑むことが出来なかったせいもあって、片山たちは苦戦をしいられた。道路跡には地雷が多すぎて、マリーン・リーコーンの特殊装甲車は、なかなか駆けつけることが出来ない。 やっと夜が明け、朝霧も消えはじめた頃、ヘリは正確な射撃と砲撃と爆撃を戦略村に与えることが出来るようになった。片山たち地上部隊も、残り少なくなった砲弾や銃弾をブチこむ。 味方の斥候隊が、二本指を立てた“殲滅(オール・クリーア)”のシグナルを送ってくるまでに、片山の部下六人が死に、五人が重傷を負っていた。 村に入って生残りの敵を片付けた片山たちは、ヘリに味方の負傷者の救援を要請する。 降下してくるヘリを見て、片山の近くにいた軽傷のポルトガル人傭兵が、跳びあがりながらヘリにVサインを送った。 その兵士が着地した時、物凄(ものすご)い爆発音と共に片山の目の前が真っ白になり、次いで片山の意識は暗黒のなかに落ちこんでいく・・・・・・。 (つづく)
2021年10月02日
Photo by Alessandro Gallina >前回 素早く短機関銃の弾倉を替えると、右手に握った手榴弾の安全ピンを歯で引き抜く。その間にも、前庭のほうから、母屋に次々にロケット砲弾や迫撃砲弾が射ちこまれ、二階が火を吐きながら崩れた。 海上のサンチョ・パンサ号から射ちだされた大砲弾が正確に母屋に命中する。五発の大砲弾で母屋は全壊した。 片山は出来るだけ音を殺して、熱帯植物園のような林を、遠回りしながら正門のほうに降りていった。抜いた安全ピンは歯にくわえたままだ。 裏庭の芝生から、出鱈目(でたらめ)に機銃が掃射されたが、襲撃者たちは片山の逆襲を怖(おそ)れて、迂闊(うかつ)には林のなかに踏みこめないようだ。 そのうち、正門と母屋、それと裏門と母屋を結ぶ線上の林に、次々に迫撃砲弾が落下して爆発する。 母屋から五百メーターほど北東に逃れた片山は、近くにそびえるアカシアの巨木に目をつけた。 くわえていた手榴弾の安全ピンをピン孔(あな)に差しこみ戻して撃発を防ぎ、ネルソン・パックを短機関銃と弾倉帯と共に足許(あしもと)に置く。 パックのなかから、七ミリ・レミントン・マグナムの実包二十発入りのカートン箱を三つ出してポケットに収め、これもパックから出したロープを丸めて左腰に吊る。 革ケースから出したウインチェスターM七〇のマグナム・ライフルのスリングをのばして背負い、アカシアの木をよじ登った。 梢(こずえ)の近くまで登ると、斜め上方の母屋の残骸も、五門の迫撃砲が次々に発射されている正門あたりも、海上のサンチョ・パンサ号も見渡すことができた。 このあたりのアカシアの枝は無数に張り出し、葉は密生している。だから木の上の片山の姿はまだ発見されていないようだ。 片山はロープを自分の腰と木の幹に捲(ま)いて、発射の反動で転げ落ちないようにし、二本の枝の上に立った。 足場は揺れるが、葉の隙間(すきま)から、母屋の残骸がある芝生の上で迫撃砲を操作している六、七人の男を見ることが出来た。先ほどの片山の反撃で死者となったり重傷を負ったりしたらしい男たちが五人ほど並べられていた。 マグナム・ライフルを装填した片山は、立射のスタンスをとった。発射弾が木の枝や葉に触れると跳弾になったり横転弾になる怖れがあるから狙(ねら)いに気をつける。特に遠くに照準を合わせた場合、ライフル・スコープでは近くの物体は溶けたようになってまるで見えないから気を使う。 揺れのリズムにタイミングを合わせ、三門の迫撃砲の横で指揮をとっている男の睾丸(こうがん)の高さにスコープの十字(レティクル)が合った時に引き金を絞り落とした。 反動で片山の上体は軽く反ったが、木の枝から足を滑(すべ)らすようなことはなかった。 六百ヤードに照準合わせをしてあった片山のライフルから放たれた百六十八グレイン・ホローポイント弾は、計算通りに高く着弾し、狙った男の胸を貫いた。五百メーターを飛ぶあいだに、かなりのスピードとエネルギーを失っているので、近距離射撃時のように弾頭が激しく炸裂(さくれつ)しないため、かえって貫通力が大きくなるのだ。 体勢を立て直しながらボルトを操作し、薬室の空薬莢をはじき飛ばして弾倉上端の実包を薬室に送りこんだ片山は、無線通信機を背負って交信中の男を射ち倒した。 機銃手が射ち返してきた。しかし、また片山の正確な位置が摑(つか)めないらしく、いたずらにタマをばらまくだけだ。 それから二分ののちに、片山は芝生の上にいる男たちをみんな片付けた。七倍のライフル・スコープで五百メーターの距離では、彼等のくわしい人相は分らないが、みんな白人と黒人であったから、谷崎兄弟は混ってなかったようだ。 正門のほうから、片山のマグナム・ライフルの銃声で見当をつけて、機銃弾や迫撃砲弾が飛んできた。 ロープを解いて回収した片山は、素早くアカシアの木から滑り降りる。弾倉帯やネルソン・パックや短機関銃を身につけて走る。 近づいてきた迫撃砲弾の爆発で木々はへし折れ、土砂が舞っていた。片山は一度海岸線の道路近くまで走り降りる。 サンチョ・パンサ号の甲板上の大砲数門が轟音(ごうおん)をたてていた。シュルシュルと無気味な唸(うな)りをたてて上空を通過した砲弾が今さっきまで片山がいたアカシアの木のあたりに集中して着弾し、爆発の火柱を吹きあげている。 片山は林のあいだを縫って、正門のほうに迫った。大砲や迫撃砲の発射音や爆発音で地鳴りしているから、木の枝をへし折ったところでその音は聞こえないほどだ。 正門の内側の広場に七十メーターのあたりに忍び寄る。ライツ・トリノヴィッドの八倍の双眼鏡を使って、広場にいる男たちを調べた。 彼等は今は、林のなかの好き勝手な地点に迫撃砲を射ちこんでいた。全部で十一人いる。カモフラージュ・ネットをかぶせたヘルメットと耳栓(みみせん)をつけ、カーキ色の戦闘服姿だ。 谷崎兄弟がいた。兄の正一がM六〇機関銃を腰だめにし、分厚い手袋をつけた弟の真二がそのベルト弾倉を支え、肩にはM六〇の予備銃身が数本入ったズックの筒(つつ)を背負っている。空冷式のM六〇の銃身は続けざまの連射だと二、三百発で過熱するからだ。そのかわり、レヴァー操作で簡単に銃身が脱着できる。 IMFDb - M60 machine gunhttp://www.imfdb.org/wiki/M60 彼等が乗ってきたらしい四台の四輪駆動車と二台のイスズの十トン・トラックは、彼等のずっと背後、つまり正門のすぐ脇に駐(と)めてあった。 しかし、四門の迫撃砲のすぐうしろに、ホロを外しウインド・スクリーンを倒したウイリス・ジープCJ−五が停(と)められ、エンジン・フード上のウインド・スクリーンに一人の男がアグラをかき、車のなかからコードを引っぱってきた無線マイクに口を寄せて、何かしゃべっている。 男はアルド・マローニ・・・・・・サンチョ・パンサ号ことラ・パロマ号の事務長(パーサー)で、その船における赤い軍団のリーダーだ。片山は資料の顔写真でマローニを覚えている。黒褐色(かっしょく)のウエーヴが強い髪と、いかにもラテン系の色男といった顔を持つ中肉中背の男だ。 片山は何とかしてマローニと谷崎兄弟を生け捕りにしたかった。生かしておいて、口を割らせるのだ。 木々に体を隠しながら、片山は広場から三十メーターの近さまで接近した。まだマローニたちは片山に気づかないようだ。続けざまの迫撃砲の発射音で、耳栓をしてない片山は軽い頭痛がしてくる。 林の縁(へり)まで忍び寄った片山は、男たちが迫撃砲弾を使いきるのを待った。片山の手榴弾の爆発で迫撃砲弾が誘爆したら、マローニや谷崎兄弟が即死するだけでなく、片山自身も危い。 彼等は二人ずつ組になって迫撃砲を操作していた。搬弾手が一五〇ミリ砲弾に信管を嵌(は)めこんで迫撃砲の砲口から落としこむと、砲の横から突き出した光学照準器(コリメーター)を覗きながら二脚のアジャストで射程と発射方向を決めておいた射手が、撃針バネ解放装置の紐を引っぱって発射させる。 彼等が迫撃砲を射ち終った途端、片山は太いソーセージ・ツリーの幹のうしろから身を乗りだすようにして、撃発させた破片型手榴弾を次々に投げた。 男たちは肩から吊っていた自動ライフルで反撃しようとしたが、爆発した手榴弾の爆風と破片をくらって吹っ飛ぶ。なかには、投げ返そうとした手榴弾が爆発して、手首から上が消失した者もいた。 片山が投げた十個の手榴弾が爆発し終えた時、生きているのは谷崎兄弟とマローニだけになった。 しかも、谷崎の弟のほうは、裂けた腹からハラワタがはみだして死に瀕(ひん)している。顔面の半分も砕けていた。兄のほうは左腕の肘(ひじ)から先が無くなって朦朧(もうろう)としている。マローニは内臓に幾つか手榴弾の破片をくらって、血を吐きながら這(は)い逃げようとしていた。 片山は腰のホルスターのG・Iコルトを抜き射ちし、マローニの右の人差し指を射ち飛ばした。一瞬の間を置いて二発目を射ち、左の親指を射ち砕く。 マローニは地面に顔を突っこむようにして意識を失った。 片山は谷崎弟に三発目でトドメを刺し、兄の正一に走り寄った。左腰のロープを半分に切り、それを使って左肘の上を強く縛って止血すると共に、ロープのあまった部分で右腕も縛った。正一が見につけていた拳銃やナイフを捨てた。 ローニもうしろ手に縛った。 マローニが乗っていたウイリス・CJ−五にはイグニッション・キーが差しこまれたままであった。ボディの右側は手榴弾の破片を浴びてデコボコになっている。 Willys Jeep CJ-5 1978 Willys Jeep CJ-5 1977 今はアメリカン・モーターズ社が造っているその四輪駆動車のダッシュ・ボードに貼られたスペックから、三百四立方インチの五リッターV八のオプションのエンジンを積んでいることが分った。 ウイリス・ジープの五リッターOHCエンジンは、かつてはほかのアメ車のように、どんな測りかたをしたのか知らないが、リッター当りの馬力に直すと、DOHCと燃料噴射や四連ダブルのヴェーバー・キャブの組合わせ、あるいはターボ・チャージ等のエキゾチックGTに迫る突拍子もないハッタリ馬力、つまりSAEグロスに加えてほかのメーカーの表示馬力を睨(にら)んでサバを読んだらしい非現実的な馬力をカタログに載せたようだが、今はその表示馬力は、ゴールデン・イーグル仕様も含めて、SAEネットで百二十数馬力だ。ドイツ式のDIN馬力なら、百を切るかも知れない。しかし、排気量が大きいから低速トルクは大きく、本来その性能を発揮するオフ・ロード使用では充分な力がある。 片山はスターターを回す。息が通ったエンジンはディーゼルのような音をたてた。 片山は谷崎兄の体とマローニの体を後部の荷室に放りこみ、手榴弾の破片でヒビ割れた上に曇りガラス同然となったウインド・スクリーンを外して捨てる。ネルソン・パックや武器などを助手席とその床に置く。 そのジープのフロント・アクスルには、特注のウォーン・フリー・ホイーリング・ハブがつけられていた。 ロック・オー・マチックの自動式でなく、安いが耐久性にすぐれる手動式のほうだ。このジープは市街地を走ってきたあとだから、前輪のホイールを貫通して突き出しているフリー・ハブのロックは解除されていた。 片山は一度運転席についた。2H(ハイ)−N−4H−4L(ロー)というパターンのトランスファー・ボックスのセレクト・レヴァーを四輪駆動のハイ、つまり4H(ハイ)に入れる。 車から降り、フリー・ハブを指で回してロックし、運転席に戻ると、手動四速のメイン・トランスミッションをローに入れて発進させた。丘を登っていく。 二速から三速を飛ばしてトランスミッションを四速に入れたが、低回転でも大きなトルクが出るエンジンだから、この程度の勾配(こうばい)の丘の登りでは力が充分にあった。 しかし、四輪駆動なのでアンダー・ステアが極度に強く、曲がりくねったこの細い道では、ハンドルを強引に切っても、時には道からはみだしそうになる。特注のリミテッド・スリップ・デフが、アンダー・ステアをさらに強めている。 正門から直線にして三百メーターほどジープが離れた時、サンチョ・パンサから続けざまに砲声が聞えた。飛来する砲弾の嫌(いや)らしい音も聞える。 片山は罵(ののし)りながら、ダブル・クラッチを使ってメイン・ギアをセカンドにブチこんだ。エンジンが割れそうになって激しいエンジン・ブレーキが掛かり、車は蛇行(だこう)する。片山はメイン・ギアをさらにローに落し、ジープを道から跳(と)びださせた。林のなかに突っこませる。 百メーターほど下の車道で一発目の砲弾が爆発した。二発目は五十メーターほど上、三発目と四発目は、母屋の跡あたりで爆発する。 特製品らしい、太い鉄パイプを荒い格子形に組んだガード・バーで、若木や灌木(かんぼく)をへし折りながら、片山のジープは道から斜め横にそれて遠ざかりはじめた。 太い木にブチ当ってジープはストップする。片山はトランスファーのセレクターを4Hから4Lに入れ、一度車をバックさせると、方向を変えてまた逃げはじめた。 折れたり曲ったりした木がはね返り、片山の顔をひっぱたいて鼻血を出させる。 砲弾は林のなかにも落下しはじめていたが、その爆発でばらまかれる鉄片や石片は、林の木々にさえぎられて片山にはとどかなかった。 ジープが丘を越えるまでに、何度か転倒しそうになった。ロール・バーがついているから横転しても生命に別状はないだろうが、車を起すのは大変な作業だ。 艦砲射撃は続いていた。しかし、盲射ちに近いから、片山も運を天にまかせるだけだ。 トランスミッション・ギアはセカンドに入れ、丘をくだって、林のなかを丘に近づく。片山は切れが悪い上に重いハンドルを左手で水車のように回しながら、右手で短機関銃を肩付けしていた。 だが、裏門で待伏せしている者はいないようであった。裏門の前の広場も艦砲射撃を浴びて、大きな摺鉢(すりばち)状の穴が三つあいている。 車から降りた片山は、裏門の鍵孔(かぎあな)に短機関銃の銃口を当てるようにして、十発ほどフル・オートで射った。 火花を散らして裏門のロックは焼き切れた。門を開いた片山は、ジープのトランスファーのセレクターを2Hに切替え、前輪のフリー・ハブのロックを解除した。 手動ミッション型のジープ ジープにもオートマチック・ミッション付きのフル・タイム四WD(ホイール・ドライヴ)方式のものがある ように、センター・デフを持たないセレクチヴ式とかパート・タイム式と呼ばれるタイプの方式では、四輪駆動のまま路面の摩擦(ミュー)抵抗が高い舗装路で高速走行すると、フル・タイム四WDとちがって前後のプロペラー・シャフトの回転速度が同じだから、〈自動式ロック・オー・マチックのフリー・ハブをつけないかぎり〉、前輪が後輪よりも早く回ることが出来ずに、危険な面が出てくる。普通の車がコーナーを回る時に、後輪のタイア跡は前輪のタイア跡の内側につく内輪差を見れば分るように、前輪のほうが後輪より早く回らなければスムーズなコーナリングは不可能だからだ。 したがって、自動式フリー・ハブをつけていないパート・タイム四輪駆動車(フォー・バイ・フォー)で、舗装路を四輪駆動のまま飛ばしている時に急ブレーキを掛けると片効きしてスピンすることがあるし、高速コーナリングを行うと、ひと昔前のクセが強い前輪駆動車のように、無闇(むやみ)にドリフトして外にふくらみ、アクセルを踏みこむとさらに大きく流され、それかといってあわててアクセルから足を放すと、急激にオーヴァー・ステアに転じ、重心が高いせいもあって簡単に引っくり返る怖れがある。 手動のフロント・フリー・ハブのロックを片山が解除したのは、それがロックされていると、フリー・ハブがついてないパート・タイム四WDと同様に、後輪二輪駆動の場合でも、前輪にエンジンパワーは伝えられてないのに、走行にしたがう前輪の回転につられてフロントのアクスル ドライヴ・シャフト まで回転してしまい、それに引きずられてフロントのデフやプロペラー・シャフトまで回転して不都合なことが起るからだ。かなりの抵抗がかかる上に、ハンドルは重くて戻りが悪いままだし、前輪には無理な力が加えられて操縦性まで悪化する。 爆撃の大穴を避けながらジープを裏門から出した片山は、住宅地を出来るかぎりのスピードで飛ばした。砲撃に怯(おび)えた住民たちは、家のなかに引っこんでいる。 コーナーでは三輪を浮かしたり、民家の壁にボディをぶつけそうになったりしながらも、何とか転覆をまぬかれたジープを広い街道に出す。強烈な朝陽が昇ってカッと暑くなる。 街道ではどうアクセルを踏んでもスピード・メーター上で百四十キロ、実速は百二、三十ぐらいしか出なかった。空気抵抗は速度の二乗の割合で増え、ジープのように角(かく)ばった車では、時速百キロを越えると空気抵抗の壁はひどく厚いものになるからだ。百八十キロを越えると走行抵抗の九割以上が空気抵抗と言われている。ジープがもし何かの間違いで百八十キロ以上のスピードが出たとしても、その速度だと、普通のオフ・ロード用のタイアは短時間でバーストする。 市街の東南の検問所の残骸は残っていたが、片山に殺された兵隊たちの死体は片付けられ、代りの警備隊員の姿もなかった。 無人の検問所を抜けた片山は、二十キロほど行くと、ジャングルのなかを走っている細い悪路の脇道に、四輪駆動のハイに切替えたジープを乗り入れた。雨季に出来たらしい深い穴や溝(みぞ)がいたるところにあり、乗用車では腹がつかえてたちまちスタックしてしまうところだが、地上高の高いジープだと何とかなる。 もっともあんまり調子に乗ると転覆の怖れがあるからスピードは落としている。粘土質の土はカチカチに乾いて煉瓦(れんが)のように固くなっているから、タイアの跡もつかぬほどだ。 その悪路を十五キロほど進んだところで、トランスファー・ギアを四輪駆動のローに入れ、悪路を外れてジャングルのなかに車を突っこませた。 若木や灌木をへし折り、太い木は避けながら、奥に奥にと進んだ。小さくて可愛らしいバンデット・ダイカーや兎(うさぎ)ぐらいのピグミー・アンテロープがジープの震動と音に驚いて跳びだし、また茂みにダイヴィングする。 二百キロを優に越す栗色の体に十数本の白い縞が走る森の隠者のボンゴが立ちすくんでいるのを見た時には、思わず片山は銃に手をのばしそうになった。 キリンのイトコでやはり森に住むオカピほどの珍獣ではないが、美しい毛皮(ケープ)とタテゴト形の角を持つボンゴは、トロフィ・ハンターがそれを追ってジャングルに入っても、なかなか出くわすことが出来ぬアンテロープの一種だ。 片山は、森のなかに分け入ってから七キロほど進み、小川を渡って少し行くと、頭上が屋根のように巨木の枝や葉で覆われているところでエンジンを切る。 マローニと谷崎正一の生死を確かめてみる。 二人ともうまい具合に死んでいなかった。地面から伝わるショックと激しい震動で悶絶(もんぜつ)しているだけだ。 片山は二人を湿った地面に降ろした。太陽が木々にさえぎられているので、そこはひんやりとしていた。 ジープの助手席に置いたネルソン・パックからシーヴァース・リーガル・ロイヤル・サルートの壜(びん)を出した片山は、ショック防止用にそれを包んであったフォーム・ラバーを外した。 マローニの両顎(りょうあご)の付け根を左手で強く押して口を開かせ、スコッチを喉(のど)に流しこむ。壜の中味の三分の一ほどを無意識に飲みこんだマローニは、アルコールにむせて咳(せき)こむ。 片山は谷崎にも無理やりに三分の一壜分ほど飲ませた。残りは自分のためにとっておく。 意識を取戻しはじめたマローニの服をさぐった。マローニは、身許(みもと)を示すものを身につけてなかった。 片山はマローニのズボンとブリーフを引き降ろす。提灯(ちょうちん)のように真ん中がふくらんだ白っぽい包茎が剥(む)きだしになる。下腹や腿(もも)にくいこんでいる手榴弾の破片の傷口も見える。片山はその皮を無理やり剥いて、マッチの火で炙(あぶ)った。 マッチの軸が燃え尽きる頃、マローニは陰惨な悲鳴をあげて意識を取戻した。「殺せ!」 と、唸(うな)り声を出す。英語だ。「殺したくはない。あんたがしゃべってくれたらな」 乾いた鼻血をほじりながら片山は言った。「き、貴様の正体をまず明かせ。日本政府に傭〔やと〕われているんだろうが、こっちには確証が無い」「尋(き)くのは俺のほうだ。あんたは、アルド・マローニだな?」「隠したってしょうがない」「あんたは、いつから赤い軍団と関係を持つようになったんだ?」「赤い軍団なんて知らん」「いいか、よく聞け。あんたは自分では重傷で助からんと思ってるか知らんが、早めに手榴弾の破片の摘出手術を受けたら、十日もたたんうちに自分で歩けるようになる。俺が日本政府に傭われていると思うのはあんたのカンちがいで、俺の傭い主は合衆国のある組織なんだ。その組織は軍関係にも強い。あんたにルサンゴの米軍病院で手術を受けさせ、治ったら合衆国に亡命させ、名前も顔も変えさせて、ニューヨークでもシカゴでもロスでも好きなところに住まわせるぐらい、俺たちの組織の力からすれば簡単なことだ。仕事も世話する。こんなアフリカのジャングルでくたばるのがいいか、合衆国で第二の人生を送るのがいいか、ここが思案のしどころ、と言うわけだな」 片山は言った。「ま、待ってくれ。考えさせてくれ」 マローニは呟(つぶや)いた。「いいとも、時間はある」 片山はマローニから奪ったウインストンに火をつけた。「俺にも吸わせてくれ」 片山はマローニの両手をうしろ手に縛ってあったロープを切り、ウインストンのソフト・パックから抜いた一本にヘロインを二グラムほど押しこみ、マローニのカルチェのライターと共に投げてやる。 五分ほどたってから、マローニは片山にすがりつくような目を向けながらも、「罠(わな)だろう? そうに決まっている。病院だとか亡命だとかうまい餌(えさ)を投げてよこしやがって・・・・・・」 と、呟いた。「俺を信じるのは大バクチだろうよ。分る、分るさ。だけど、あんまり迷ってたら手遅れになるだけだ」 片山は声に温かみを持たせた。「分った。ここは、あんたを信じるほかなさそうだな・・・・・・五年ほど前、俺はリベリア籍の船でひと航海終えて、ナポリの屋敷に住んでいる情婦(スケ)と楽しんでいた。スケの名はアンジェラというんだが、亭主はアントニオ・ヴィンチといって、トラクター会社の社長だった」「・・・・・・・・・・」 「トニオ・・・・・・アントニオは車道楽が嵩(こう)じてスポーツ・カーを作る小さな会社まで持って、その会社製の車のためにシルエット・フォーミュラ、つまり市販生産車の面影(シルエット)さえ残しておけばどこをどう改造しても自由というお化け車の、メークス・チャンピオンシップ・シリーズに出場させていた。 あのシリーズはポルシェやB・M・W(ベー・エム・ヴェー)のターボの天下だからヴィンチ三〇〇〇GTは勝ったためしはなかったが、トニオの野郎、レースごとにプラクチスの時から、ヨーロッパのレース場に泊まりこむという入れこみようだった。俺とアンジェラとのなれそめははぶかせてもらうが、亭主がレースやトラクターの売り込みで家を空けているあいだ、俺とアンジェラはゆっくり楽しめたわけだ。女中はアンジェラが買収してあったからな・・・・・・畜生、痛えや」「・・・・・・・・・・」「トニオの寝室でアンジェラとよろしくやってる時、突然トニオの野郎が入ってきた。すぐに分ったんだが、俺に惚(ほ)れてるのに俺が相手をしてやらねえんで、女中がトニオに密告しやがったんだ。 トニオは右手に拳銃(ハンドガン)、左手にガソリン・バーナーを持っていた。俺たちを口汚く罵(ののし)りながら、素っ裸の俺たちを銃で嚇(おど)してベッドから降ろさせて四つん這いにさせると、耳にはさんでいた葉巻きの火口をバーナーのノズルに近づけて点火させようとした。奴はバーナーの炎で俺たちの大事なところを焼こうという気だった。 バーナーに注意を奪われたんで、奴に隙(すき)が出来た。俺は死物ぐるいになってトニオに跳びかかっていった。 奴は葉巻きとバーナーを放りだして発砲した。だけど、奴の射撃はひどく下手クソで、タマは俺に当らずにアンジェラの頭に当った。俺はトニオに組みつき、拳銃を奪おうと揉(も)みあった。揉みあっているうちに拳銃が暴発し、タマは奴の心臓を貫いた・・・・・・苦しい・・・・・・もう一本、タバコをくれ・・・・・・さっきのように麻薬入りのやつを」「分った」 片山はまたウインストンにヘロインを押しこみ、マローニに投げてやった。夢中で貪(むさぼ)り吸ったマローニは、「俺はしばらく茫然(ぼうぜん)としてたが、葉巻きやバーナーの火で絨毯(じゅうたん)が焦(こ)げる匂(にお)いに正気に戻り、アンジェラの体を調べてみた。アンジェラは死んでいた。 俺はあわてて服をつけた。すぐに逃げようと思ったんだが、密告した女中のステラのことがアタマにきた。ステラが密告したことはトニオの口から聞いてたんだ。 俺は銃声を聞いて震えているステラを女中部屋で殴り殺し、屋敷の一階に石油を撒(ま)いて火をつけてから、乗ってきたランチアで、俺のアパートがあるジェノヴァに向おうとした。 ところが道路に出たところで、トニオが駐(と)めたヴィンチGTのほかに、三台のセダンが見えた。三台のセダンは俺を待伏せていた。俺はトニオの拳銃を寝室に置いてきたことを後悔したが、あとの祭りだった」 と、しゃべる。「あんたは、トニオが女中を殺してから、アンジェラに無理心中を仕掛けたと、捜査側に思いこませたかったんだろう?」「そういうところだ。ともかく、三台の車は俺の車を取囲んだ。降りてきた覆面の連中が短機関銃を突きつけて、俺にランチアから降りるように命じた。俺は車から降りると同時に頭を何か固いもので殴りつけられて気絶した」「・・・・・・・・・・」「目が覚めた時、俺はどこかの地下室で椅子(いす)に縛りつけられていた。覆面の男たち三人が入ってきて右手だけを自由にさせて、トニオとステラを殺したという供述書を書かせた。 俺が供述書にサインを終えると、覆面の男たちは、供述書を警察に送るのはやめてやるから、彼等の組織に加わる意思は無いか、と言った。 俺は取引きに応ずるほかなかった。 その組織が赤い軍団のナポリ支部だったんだ。彼等はトニオを誘拐(ゆうかい)して身代金(みのしろきん)を捲きあげようとトニオの屋敷を偵察中に、トニオが深夜になって思いつめたような顔をして戻ってきたのを見て、屋敷のなかまで尾行し、すべてを見てしまったんだ。 彼等ははじめは、人質にする筈のトニオを殺してしまった俺を処刑しようと考えたが、俺に人を殺す度胸があるのを見込んで仲間に引き入れることにした、ということだった。 俺が地下室に三日間閉じこめられているあいだに赤い軍団がうまくやってくれて、例の件はトニオが女中のステラまで捲きこんでアンジェラと無理心中した上に屋敷に火を放った、という捜査結果になった。俺のことなど、これっぽっちも新聞に載(の)らなかったぜ」「そこの地下室はどの建物にあった? 赤い軍団のナポリ支部はどこなんだ?」「知らん。本当なんだ。俺は目隠しされて地下室から出され、ミラノに連れていかれた。そして、赤い軍団の正式のメンバーになる儀式として、赤い軍団に献金を出し渋っている自動車メーカーのジュリアス・シーザー社の重役の退社時を襲い、両膝を短機関銃で切断してやった。ジュリアス・シーザー社に対しては、赤い軍団はイタリー粛清同盟と名乗っている」「その重役の名は?」「エンツォ・パガーニ、経理担当の重役だった。可哀そうに、今は引退して義肢に慣れるトレーニングをやってるそうだ」「それに懲りて、ジュリアス・シーザー社は、赤い軍団に献金しているんだな?」「そういうことらしい」「赤い軍団のミラノ支部はどこだ? あんたは、ミラノでどこに泊った?」「泊ったのは、大学が面しているヴィスコンティ・ディ・モドローネ通りがコンソ・ヴェネチア通りと交わる近くにある、自動車修理工場の二階だった。そのガレージの名前は確かトルノといった。軍団のミラノ支部がどこにあるのかは知らん。本当だ。例の儀式が終ると、俺はレバノンのパレスチナ難民キャンプに送られて軍事訓練を受けた。二か月の訓練を受けると、イズラエルとの国境近くの前進キャンプに移らされた。実戦の度胸をつけるためということで、いろんな前進キャンプを転々とさせられながら、イズラエルの軍事基地やキブツに夜襲を掛けさせられた。三か月に十回近く出撃した。仲間は戦闘で次々殺(や)られるし、俺ももう駄目だと思ったことが何回もあった。もっとも、こっちだってユダヤの連中にたっぷり礼はしてやったが。兵役が終り軍曹待遇でまた海の生活に戻れた時にはホッとしたぜ・・・・・・もう一本くれ・・・・・・腹のなかが焼けるようだ。頼む・・・・・・お願いだ」 マローニは哀願した。 片山はマローニの要望に応(こた)えてやった。今度はタバコに混ぜるヘロインの量を増やす。マローニは、フィルターが焦(こ)げるまで吸う。「また貨物船で働くようになってからは、どんな形で赤い軍団に使われてたんだ?」 片山は尋ねた。自分はヘロインを混ぜぬウインストンをくわえて火をつける。「赤い軍団がシージャックをやる時に的確な情報を流すのが主な仕事だ。今度のように、自分からシージャック船に乗りこんだのは、はじめてで最後の予定だった。今度の仕事が成功したら、俺は三百万ドルもらって、少佐に特進させてもらい、一応引退することになっていた。ホトボリがさめて、世界の船会社の人事担当の連中が俺の顔を忘れた頃、軍団が用意してくれる偽名の船員手帳を使って、また海の生活にカム・バックするということで」「そのハッピーなスケジュールをブッ壊したのが俺というわけか? 悪いことをしてしまったな。まあ、これも仕事だから恨(うら)まんでくれ。今さっきしゃべってくれたことのほかには、どんな形で赤い軍団に協力した?」 片山は尋ねた。「三年ほど前に、軍団は北イタリー解放同盟と名乗って、ミラノの総合科学製品メーカーのモンテローザ社の社長ピエトロ・アンドレッティを誘拐し、二十億ドルの身代金をせしめるのに成功したことがある」「あれも赤い軍団の仕業(しわざ)だったのか? 二十億ドルの身代金は、あの当時は史上最高額だと言われ、マスコミでは派手に書きまくったから、俺もあのことに関した記事を幾つか読んだことがある。北イタリー解放同盟という組織の存在は確認されなかったと伝えられたが、実は赤い軍団がデッチ上げた名前だったんだな?」「そういうことだ。俺は本部との連絡係りのジャコモ・ランベルティからそう聞いた。それよりも、論より証拠というのか、誘拐されたピエトロは、俺が事務長(パーサー)をやってたルクセンブルグ船籍の貨物船〝カモシカ(アンチローペ)〟号の船艙に閉じこめておいたんだ。海が無いルクセンブルグにどうして船がと思うだろうが、あの国にも税金逃れの目的で世界の色々な大企業が名目上の本社を置いている。 アンチローペ号は、あの時、ミラノから百キロそこそこしか離れていないジェノヴァ港で、官民一体となった港湾ストの解除待ちをしていた。あの時のストはピエトロを釈放したあとも半月ほど続いたな。ストのあいだ、アンチローペ号には役人も沖仲仕も近づかなかった。赤い軍団はストに合わせてピエトロを攫(さら)ったわけだが、俺は船長や乗組員をうまくごまかした功績を認められて、少尉に進級した上に十万ドルのボーナスを頂戴した」「うまくごまかした、と言うと?」「ピエトロを船に監禁するに当たって、船長たちにそのことを気づかれないように、アンチローペ号については俺一人で留守を守ってやるからといって、港湾ストが片付くまでジェノヴァのビジネス・ホテルに追っ払ったんだ。ホテル代については、俺が船会社に交渉して会社側に払わせるから、と言ってな。事実、俺は会社側を丸めこんで船長や乗組員のホテル代を出させた」 マローニは言った。「あんたは、今は中尉だそうだな? 何の功績で中尉になった?」「それから一か月ほどたってから、アンチローペ号で、日本に武器弾薬を運びこむことに成功したからだ。拳銃を二百丁と短機関銃三十丁、それに弾薬三トンだ。ハンブルグ港から横浜港に向けて積み出した製靴用の牛と豚の塩漬け皮二百トンのあいだに隠してな。 ちょうど横浜港がひどく混んでいる頃を狙ったから、アンチローペ号は入港待ちのために、ずっと木更津(キサラズ)寄りの東京湾に錨(いかり)を降ろした。 塩を揉(も)みこんであっても、鞣(なめ)す前のまだ毛がついている生皮だから、かなり強烈な臭(にお)いがする。だから、船に乗りこんできた税関の動検の役人は、書類を見ただけでひとまず引きあげた。俺は買収してあったパキスタン人の甲板員連中に皮のあいだから武器弾薬を抜取らせ、ライフ・ボートに積ませた。その頃には、船長や航海士といった連中も、俺にバクチでわざと勝たせてもらったから、何も言わなかった。 深夜になって、荷受け人が高速艇でやってきた。割符(わりふ)が合ったんで、俺はライフ・ボートを海に降ろした。連中は武器弾薬を高速艇に移して去った」「荷を受取った連中は?」「バイエルン貿易という東京の会社だ」「なるほど・・・・・・ところで、いよいよ、赤い軍団の本部がどこにあるのかしゃべってくれる時が来たようだな」「知らん。本当だ」「馬鹿な。本部も知らん、支部も知らんで、どうやって軍団の命令通りに動けたんだ? そんな話は通らんぜ」 片山は吐きだすように言った。「だから言ったろう? 俺には直属の連絡係りがついてたんだ。用事がある時だけしか連絡係りは俺に会いに来なかったが・・・・・・俺のほうからも、緊急の場合にはニューヨークの二四五−八五八×に電話を入れると、大ていの場合、半時間以内に連絡係りが俺に電話してくる」「誰だ、そいつは?」「エミリオ・カミーロ。俺がアントニオ・ヴィンチのところから逃げようとした時に、俺を捕まえた覆面の男たちの一人だ。俺が正式に入団してからは、覆面を外して顔を見せてくれた。四十五、六の、北イタリー人らしくブロンドの髪とブルーの目を持つトリノ訛(なま)りの男だ」「そいつが赤い軍団の人間だと、どうして信じることが出来る?」「俺の給料や、大きな仕事のあとくれるボーナスは、ルクセンブルグの銀行の俺の口座に、きちんと振りこまれている」「そのエミリオは、いまサンチョ・パンサ号に乗っているのか?」「昨日までは乗っていた。サンチョ・パンサ号がルサンゴ港に入ってから乗ってきたんだ。だけど、本部と打ちあわせすることがあると言って、昨日ガメリア国を離れた」「畜生・・・・・・それで、サンチョ・パンサ号、いやラ・パロマ号の船長のフィリッペ・アレクサンドロスはどうしている?」「ただオロオロしてやがる。奴の階級は少尉だが、赤い軍団に入ったのはラ・パロマ号が日本の港を離れる直前だ。金に目がくらんで入団しただけだが、軍団は船長が一兵卒では格好がつかんだろうと、お情けで少尉待遇にしてやったんだ、とエミリオは言っていた。一等航海士のジョー・メンデスも新兵だ。曹長にしてもらってるがな」「そうすると、ラ・パロマ号では、やっぱりあんたが最高責任者ということになるな。積み荷に関する日本政府との交渉はどうなっている?」「日本政府は、何だかんだと言って時間稼(かせ)ぎをしてやがる。エミリオは、こうなったら日本大使館を砲撃してからあの船を自沈させるか、傭兵を増援させるか、それともエチオピア・エリトリア州のマッサワ港にラ・パロマ号を回送させるかの判断を本部に仰ぎに行ったんだ」 「どうしてマッサワ港なんだ?」 片山は尋ねた。「どうしてマッサワ港を選んだかというと、エリトリアは各勢力が入り乱れていて、日本政府の力など全然及ばないからだ。 エリトリアは、いま解放戦線がエチオピア政府からの独立戦争をやっている。エチオピアは敵国ソマリアにインド洋への出口を押さえらている上に、エリトリアを失えば紅海への出口も断たれて内陸国となってしまうから、ソ連とキューバの援助をとりつけて必死になってエリトリアを奪還しようとしている」「そうらしいな」「エリトリア解放軍はアラブ産油国がついているんだが、その解放勢力は三つに分れていて、それぞれのスポンサーがちがうといった具合だ。 一方、エチオピア政府軍はソ連から経済援助と武器援助を受け、ソ連のダミーのキューバ軍数万という助っ人を持っている。アラブ産油国を例外として、リビアもエチオピア政府のスポンサーになっている。 キューバ兵は強い。ソマリアのバック・アップを受けてエチオピア南部のオガデン地方で政府軍を痛めつけていた解放戦線もキューバ軍にかかってはひとたまりもなかった」「なるほど」「エリトリア解放戦線は、かつては幹部たちがキューバで訓練を受けていたから、けわしい山岳地帯続きというエリトリアの地の利をもってしても、キューバ軍と戦えば苦しいことになることを知っている。おまけに、紅海をへだてた南イエーメンには大漁のキューバ軍が駐在していて、補給に事欠かないしな。 そのキューバ軍が今度は敵となってエリトリアに攻めてきそうなんで、エリトリア側は混乱状態になっている。そのドサクサにまぎれて、ラ・パロマ号は積み荷をアラブの金持ち国に売っ払おうという寸法だ。日本政府が早いところ金を払わない場合にはな」「しかし、リビアはエチオピア政府側に肩入れしている。エリトリアでラ・パロマ号が積み荷を処分しようとすれば、赤い軍団とリビアのあいだにトラブルは起らないのか?」「別に・・・・・・リビアがエチオピア政府側についたのは、今では仇敵(きゅうてき)となったエジプトがエリトリア側なんで、面当(つらあ)てをしてるだけだからな」「なるほど・・・・・・だけど、あんたはこの体ではラ・パロマ号に戻れない。あんたがいないことには、積み荷をさばく交渉はうまくいくかな?」「軍団のことだ。俺の代りをやれる事務長を連れてくるだろう」 マローニは目を閉じた。「あんたは、赤い軍団の政治目的について聞かされたことがあるのか?」 片山は尋ねた。「ああ、米国や日本やヨーロッパの帝国主義者を痛めつけて金を捲(ま)きあげ、赤い軍団が完全に支配する新しい国家を建設することだ、と聞いた」「それでは、どうせあんたは知らんと言うだろうが、赤い軍団の本部はどこにあるかしゃべってもらおうか? 軍団長は誰なんだ?」 片山の声が厳しいものになった。「知らん。知らんと言ったら知らん!」 目を開いたマローニは激しく首を振った。「しゃべってもらおう」 片山はマローニのズボンからベルトを抜いた。それを鋭くマローニの脇腹(わきばら)に叩きつける。「やめてくれ! 俺のハラワタは、もうズタズタになっているんだ・・・・・・あんたの手榴弾の破片で・・・・・・」 と、呻(うめ)く。黒っぽい血が口から垂れはじめた。「しゃべるんだ」 片山はベルトを再び振り上げた。「やめてくれ・・・・・・本部やボスのことは知らん。本当だ。しかし、赤い軍団の本当の姿についてならしゃべる。軍団は、もっともらしい政治目的をかかげているが、実際は荒稼ぎ出来ることなら、何にでも手を出す。ゴロツキやギャングとも手を組む。ギャングに軍資金を出して銀行破りをさせることもある」 マローニは血を咳(せき)こみながらしゃべった。「たとえば?」「四年ほど前、クレディ・ナショナーレ銀行のカンヌ支店と、ソシエテ・パリ銀行の本店の地下大金庫が、下水道からトンネルを掘った連中に数十億フランの現ナマや宝石や貴金属のインゴットを奪われた事件を覚えてないか?」 マローニはひと息にしゃべり、肩を丸めて血を吐く。「フォルセという極右組織があの銀行ギャング団のスポンサーということだったが、フォルセの存在は確認できなかった」「当たり前だ・・・・・・赤い軍団がスポンサーだったんだ・・・・・・資金を出し、ギャングの逃走ルートを用意した・・・・・・ギャング団の稼ぎの三分の二は軍団が捲きあげた・・・・・・エミリオが酒に酔った時に口を滑らせた」「あのギャング団のリーダーのジョルジュ何とかは、いまどこに隠れている?」「知らん。エミリオはそこまで教えてくれなかった」「しゃべるんだ、本当のことを」 片山はベルトをマローニの頰に激しく叩きつけた。頰の肉が裂け、血まみれの奥歯が剥(む)きだしになる。 マローニの髪が逆立った。「殺せ、ケダモノ野郎! 貴様が俺を助けてくれるだと? 笑わせるな。もう騙(だま)されるもんか! 貴様の本心は読めてる。殺人鬼野郎! 貴様、それでも人間か? 貴様は人間の皮をかぶった悪魔だ!」 と、わめく。血走った目が憎悪に燃えていた。「偉そうな口を叩きやがって・・・・・・分ったよ。俺は確かに、人間の形をしているが人間ではないのかも知れぬ。俺は死神だ。俺に歯向かう者にとってはな。 去年のクリスマス・イヴ、俺の最愛の女房と息子と娘は、パリのデパート・フォルチンにどこかの愚か者が仕掛けた爆弾で殺された。その時から俺は人間の心を捨てたんだ」 片山は低く吐きだすように言った。片山の髪も逆立っている。 マローニは、片山の背筋が寒くなるような暗い笑い声を出した。「ざまあ見やがれ。あのデパートを爆破したのは赤い軍団だ。女やジャリがくたばろうと知ったことか。さあ、殺せ!」「ああ、殺してやる。赤い軍団のことは、何も貴様だけに尋(き)かなくても、ほかの連中から尋きだせるんだ」「軍団を舐(な)めるんじゃねえ。いつまで貴様の命がもつかおなぐさみだ」「ほざけ!」 片山はベルトに全体重を乗せてマローニの首を打った。 マローニの首の肉が飛び、頸骨(けいこつ)や声帯が剥きだしになった。「これは晶子の恨みだ」 片山は食いしばった歯の隙間(すきま)から暗い声を出し、全身を痙攣(けいれん)させるマローニの腹をベルトで殴りつけた。「これは、亜蘭(あらん)の恨みだ」「これは、理図(りず)の恨みだ」 呪詛(じゅそ)の言葉を口から漏らしながら、片山は破壊的な打撃をマローニに加えた。「これは俺の恨みだ」 片山がベルトの一撃でマローニの右の眼球を抉(えぐ)り出した時、マローニは四肢を突っぱらせて絶命した。 (つづく)
2021年09月25日
'Sun Rise over Gambia'Photo by nowthentravel.com >前回 片山が駆るオペル・カデット改は、市の東側の街道を使って、ルサンゴの市街に入った。 検問所に人影は無かった。東南の街道の検問所の連中が全滅したので、首都防衛軍は震えあがってしまったらしい。 片山は、はじめに目についた公衆電話のボックスに入った。だが、その電話は壊れていた。片山は次に移る。 三番目のボックスの電話が壊れてなかった。片山は日本大使館のなかの、電話帳に載(の)ってない番号にダイヤルし、コインを料金スロットに押しこみながら、二十分ほど話をした。 車に戻り、Uターンさせて郊外に出る。無人の検問所から五キロほど離れたところで路肩に車を停める。 茶色のバンダーナで覆面し、短機関銃を首から吊って車から降りる。車の蔭に蹲(うずくま)った。 向って右側に青白いドライブ・ランプ、左側に黄色いフォッグ・ランプを点灯した、アルミ・パネルの荷台を持つ大型トラックが町のほうからやってきた。ダットサンの十トン積みだ。 カデットの五百メーターほど手前から、トラックはスピードを落しながら、ドライヴィングとフォッグ・ランプを交互に点滅させた。カデットの二十メーターほど手前で停車する。 運転台から、脚が短くずんぐりした男が降りた。岩乗な鋼鉄フレームとキャンヴァス・サックのネルソン・パックをかついでいる。日本人だ。両手を挙げて、「雪が降る」 と、合言葉を口に出す。関西弁のアクセントだ。「キリマンジャロの頂上に」 片山は合言葉で答えた。「しかし、すぐに溶けるだろう」 男は答えた。日本大使館のなかにオフィスを持っている特務機関員の一人月形だ。 蹲っていた片山は立ち上がった。トラックに近づく。覆面は外さず、右手は腰の拳銃の銃把の近くで遊ばせている。「三田村を捕まえたそうだな?」 月形は近づいた片山に囁いた。片山にトラッパー・ネルソン・パックを渡す。「ああ。尾行を振り切ったのか?」 片山も囁いた。「今夜は尾行はつかなかった。チャンポングがくたばったあと、ルサンゴ警察のお偉方は、跡目争いに夢中になっている。下っ端どもも、誰が次の治安警察本部長になるかによって、首が飛ぶか特進するかが決るもんだから、馬鹿らしくて働く気になれんのさ」「そいつは好都合だ。それでは三田村を引渡す」「ちょっと待ってくれ。トラックから乗用車を出すから。用心するに越したことはないからな」 月形は答え、トラックの運転台に向けて合図した。 二人の日本人らしい男が運転台から降りた。トラックのうしろに回り、テール・ゲートを開く。荷台に登り、ウインチやホイストを使って、表面に滑り止めがついた鉄板を、荷台の床と路面に、渡し板として斜めに掛ける。 一人が荷台のなかに隠されていたダットサン二四〇K、つまり二・四リッターの輸出用エンジンを積んだ旧型スカイラインGTを運転して路面に降ろした。カデットの近くに停め、トランク・リッドを開く。トラックの荷台に戻り、渡し板を引きあげはじめる。 片山はカデットのトランク・リッドを開いた。三田村はイビキをかいて眠りこけていた。顔を横にさせてあるので、呼吸困難の徴候は見えない。 念のために三田村の足首を縛ってから、ダットサン二四〇Kのトランク・ルームに移した。大型トラックは、何度かハンドルを切返してターンし、町に向けて去った。 オペル・カデット改の車内で、片山と月形は一時間ほど話を交した。 月形が運転するダットサン二四〇Kが日本大使館に向けて出発してから、ちょっとの間を置いて、片山はカデット改にフル・スロットルをくれ、ダットサンを追った。 排気ガス規制で痛めつけられてなく、ヨーロッパ仕様の硬い足回りを持つ二四〇Kは、極端なフロント・ヘヴィのカデット改よりもストレートでもコーナーでも早かった。 片山はコーナーでは三輪ドリフトを演じるカデット改を、メイン・ストリートの手前で右折させ、ルサンゴ湾北方に向ける。スピードを落した。 北埠頭の脇を通った片山の車が着いたのは、ルサンゴ河の北側の小高い丘に建つ大邸宅の近くであった。 幅約五百メーター、奥行き約八百メーターほどが、その屋敷の私有地だ。私有地の南端は、道路をへだてて、その屋敷に付属しているモーター・ボートやヨットの船着き場になっている。 その屋敷は、ガメリア国大統領アブドール・バカンギの別邸の一つだが、暗殺やクーデターを怖れてほとんどの時間を官邸に閉じこもって過ごすバガンギは、ここ一年以上、その別邸を使っていない。 バカンギの別邸の私有地は、高さ三メーターの鉄柵(てっさく)で囲まれていた。広大な庭は、手入れが悪い熱帯植物園のようだ。 片山は正面から百メーターほど手前の路上に車を停(と)める。そこから七百ヤードほど北西に浮かんでいるのが、サンチョ・パンサ号ことラ・パロマ号だ。 バガンギの別邸に付属した船着き場の七十フィート級のヨットも、三十フィート級のモーター・ボートも、長らく使われていない上に手入れもされてないようで、塗装は色あせただけでなく、ところどころ禿げていた。吃水(きっすい)線から下は、牡蠣(かき)や烏帽子(えぼし)貝がびっしりとついていそうだ。 車のトランクを開き、工具箱を持った片山は、観音開きの鉄柵の正門に近づいた。門も、門を縛ってある鎖も錆びていた。 プライヤーとバールを使って鎖を外し、出来るだけ軋(きし)み音をたてないようにして門を開いた。車に戻り、その車を門の内側の広場に惰力で突っこませる。 門を内側から閉じ、鎖で縛った。エンジンを切り、ギアをニュートラルにした車を押して広場の脇の灌木(かんぼく)の茂みのあいだに突っこみ、外からは見えなくする。 このバカンギの別邸には、留守番として、バカンギの伯父(おじ)に当る庭師の老夫婦と、コック一家が離れに住んでいることを、片山は月形から聞いていた。 左手に丸めた投げ繩を持った片山は、車道に沿って丘を登っていく。途中、竹が群生しているところで立ちどまる。 直径五センチほどの竹を択(えら)んでガーバー・ナイフで切った。二メーターほどに切り縮め、ナイフの柄を四つ割にした先端部にはさんで細紐(ほそひも)できつく縛り、短槍(たんそう)を作った。 丘の上の芝生のあいだに建つ、二階建ての大理石造りの母屋(おもや)は真っ暗であったが、その手前三十メーターほどにある木造平屋建ての離れからは灯(あかり)が漏れていた。その近くに夜露を受けた小型車二台も見える。 離れの玄関の扉(とびら)には閂(かんぬき)が掛けられていた。片山は槍(やり)の穂先にした薄刃のガーバー・フォールディング・スポーツマンを扉の隙間(すきま)に差しこみ撥(は)ねあげる。 門は音を立てて外れた。片山は扉の脇に身を移す。「誰だ?」 と、言う意味らしい現地語が屋内から聞えた。老人の声だ。無論、片山は答えない。 重々しい足音が扉に近づいた。扉が開き、水平二連の散弾銃が突き出される。その位置は、片山の頭より高い。 再び誰何(すいか)の声がして、庭師らしい男がポーチに出てきた。撃鉄が露出した有頭鶏の二連銃を腰だめにしている。 月形から聞いてはいたが、庭師セイヤッドの巨体はケタ外れであった。身長二メーター八十、体重は三百キロといったところだ。黒色火薬を使う、銃身長が一メーターもある旧式銃がオモチャのように見える。それを棍棒(こんぼう)がわりに使おうと思っているのか、撃鉄は二つとも起してなかった。 片山は短槍を一閃(いっせん)させ、庭師の喉(のど)を深く掻(か)き切った。 血煙に包まれ、切断された声帯から怪奇な音を漏らし、撃鉄を起そうとしながら片山のほうに体を回した。 片山はその両眼を素早く槍の穂先で突いた。庭師が放りだした二連銃を、ダイヴして受け止める。 今は撃鉄を二つとも反射的に起されていたから、地面に銃が当ったら、ショックで暴発したところであった。このタイプの二連銃は、一度撃鉄を起すと非常に暴発しやすい。 両手で両眼を覆った庭師は、ゆっくりとポーチに坐りこむ。二連銃を左手に持った片山は、庭師のうしろ、つまり玄関ホールに回り、盆(ぼん)の窪(くぼ)に槍を突き刺してねじる。延髄を破壊された庭師は即死した。 庭師の老妻、四十前のコック夫妻、それに二十歳ぐらいのコックの息子、十六、七のコックの娘は、それぞれの寝室で震えていた。警察に電話を掛けることも出来なかったようだ。 コックの娘は熟しきる前の瑞々(みずみず)しい体と、恐怖に引きつってなかったらあどけないほどであろう顔を持っていた。 片山は一人ずつ縛りあげてから、眼鏡を掛けているコックの息子アベルのロープを解いてやり、離れから二百メーターほど離れた風下に、庭師の墓穴を掘らせた。庭師を深く埋めさせる。 アベルにはまた、彼の両親や妹、それに庭師の妻を母屋の二階の大広間に運ばせた。片山は二階からサンチョ・パンサ号を見張る積りだから、彼等が離れていたのでは、監視の目がとどかない。 丘の北側もバカンギの地所だから、母屋とサンチョ・パンサ号との距離は約千ヤード、九百メーター強だ。 片山はアベルの手足を再び縛った。命だけは助けてくれ、と哀願するアベル、その母のライラ、庭師の後家となったサミラの静脈にヘロイン〇・一グラムずつを打った。アベルの妹シャーラザードには〇・〇二グラムしか打たない。 四人が昏睡(こんすい)するのを見届けてから、コックのアーメッドの手足を縛ってあったロープを解き、立たせると、「台所に行け」 と、英語で言った。「俺だけを殺す気か?」 英語でわめいたアーメッドは泣きだした。坐(すわ)りこむ。「ちがう。俺に御馳走(ごちそう)を作ってもらいたいと思ってな」「本当か? 喜んで、喜んで腕を振るうよ。助けてくれるんなら」 アーメッドは再び立ち上がった。「料理の材料はあるのか?」「大統領閣下は、いつも抜き打ちでここにやってくる。女を連れて。そのとき、料理の材料を切らしてたら大変なお怒りようだ。もっとも、一年ほど前から、すっかり御無沙汰(ごぶさた)されているが。材料の仕入れ費は、どうせツケを閣下の秘書に回したらいいんだから、俺は上等のやつをいつも切らさないようにしている」「腐りそうになったら、あんたや庭師の家族が食っちまえばいいんだからな」「図星だ。ところで、あんたは誰だ? 何でここに来た? 大統領を暗殺しようったって無理だぜ。閣下は、いつも十二人のボディ・ガードと一緒なんだから」「大統領を殺(や)ってしまったら、あんたはクビになるだろう? 心配するな。俺は大統領に何の関心もない。母屋から港を見張りたいだけだ」「そうか、分った。サンチョ・パンサ号とトラブルを起し、チョンバまで殺したのはあんただな? 顔を黒く塗っててもごまかされんぞ」「そう考えてもらっても結構」 片山は答えた。 二十メーター四方ほどの一階の台所には、米国製の巨大な冷蔵庫が三つと、これも巨大な冷凍庫が二つあった。 片山はよく冷えたウォッカで舌を洗いながら、カスピ海産の緑色がかったキャヴィアを大きなスプーンで豪勢に口に運び、料理をワインで平らげはじめる。 羊の脳ミソ・スープ、米と香料を腹に詰めた鳩(はと)の照り焼き、四ポンドのビーフステーキ、ジャムやメープル・シロップなどを掛けたクレープ二十枚を胃に収めてから、カミュ・バカラの最高級コニャックを水のように飲みながら、バカンギ大統領が特注して帯紙にバカンギの肖像とガメリア国の紋章が印刷されているハバナ葉巻の煙を吐く。 酔いが回ってきた。緊張がほぐれてくる。コニャックを一壜(ひとびん)空けてから、酔いざめの時に要るミネラル・ウォーターの半ダース入りの箱とシーヴァスのスコッチの壜を持たせたコックを二階に戻す。 トイレを使わせてやってから、再びコックを縛りあげた。手は当然ながら、うしろ手に縛る。 それから片山は私道に降り、ライトを消したままのカデット改を運転して、母屋の脇にあるバカンギ専用のガレージのなかに隠した。武器と、ネルソン・パックに詰めた弾薬や手榴弾(しゅりゅうだん)や必需品を持って二階に戻る。 コックのアーメッドは何とかしてロープを解こうともがいていたが、戻ってきた片山を見て眠りこんでいる振りをした。片山はアーメッドにもヘロインを打って、本当に眠らせた。 大広間の横の、広く豪奢(ごうしゃ)な寝室に、片山は車から出してきたものを運びこみ、ネルソン・パックにクッションを捲いたシーヴァスの壜を突っこむと、電灯を消した。カーテンとブラインドと窓を開く。 スコープ・スタンドのエクステンション・ロッドにスポッティング・スコープをつけ、千ヤードほど離れたサンチョ・パンサ号にスコープを向ける。ここは丘の上なので、甲板の大部分を見渡すことができた。 すでにサンチョ・パンサ号の乗組員のパニックは鎮(しず)まったらしく、甲板の上には十人の見張りがいるだけであった。ブリッジの灯(あかり)は消えている。 片山は、港からとどく淡い灯を受けながら双眼鏡を時々目に当てる見張りたちを、一人一人じっくりと、三十倍にしたスポッティング・スコープで調べていく。片山は少年時代からの訓練によって、狼よりも夜目が効くようになっている。 谷崎兄弟は船室にもぐりこんでいるようだ。片山はダブル・ベッドを二つ合わせたようなバカンギのベッドに、服をつけたまま寝転がる。 いつの間にか眠りこんだ。 夢を見た。ヴェトナムのグリーン・ベレー時代の特別休暇のさいに遊んだ、日本や韓国やハワイやホンコンや米本土やヨーロッパの女の想出の夢であった。 戦場のスペッシャル・フォース(グリーン・ベレー)には、数か月に一度の割りで特別休暇が与えられる。命の洗濯(せんたく)だ。 一般兵士にも、基地本部の慰安所に戻れるデイ・オフのほか、海外に出られるR&R 休息と体力と気力の回復(レスト・アンド・リキュベレーション) や、申請制のリーヴの休暇が与えられるが、四か月と八か月ごとで期間は一週間だ。 そこへいくと、はるかに厳しい地獄を激しく闘い、生存率が極度に低いグリーン・ベレーには、ほぼ三か月に一度の割りで二週間の特別休暇が与えられた。 激戦を生き抜いたグリーン・ベレーは、目くるめく生の歓(よろこ)びを、ドンチャン騒ぎや女に叩(たた)きつけるのだ。 新宿の料理専門短大に通っていた、博多の料亭の跡取り娘の由美・・・・・・映画館で偶然に見た由美に片山は一目惚れし、ひそかに三日間尾行して、一日のパターンを知った。 由美は登戸多摩川のほとりのマンションに住んでいた。朝早く、田んぼや沼や小川から、禁猟区の多摩川に戻ってきた渡りの鴨(かも)に、無漂白米や大麦を投げてやるのが由美の心の安らぎの時であった。 片山は自分は社会生態学者(エコロジスト)のタマゴだと偽って、薄氷が張った皮で給餌中の由美に近づき、その夜、ビールにひそかにヘロインを混ぜて由美の体を奪った。 少年時代に日本を出た片山には、由美がはじめての日本の女であった。由美にとっては片山がはじめての男であった。 酔いが醒(さ)めた由美は、はじめて片山に会った瞬間から、こういうことになる予感がしていた、といった。それが早く来るか時間かかかるかの違いだけだと。 由美の、強く抱きしめたら折れそうな腰にひそむ、信じられぬほどの弾力・・・・・・恥じらいのなかに秘められた火の山の情熱・・・・・・片山は休暇士官に割当てられた山王ホテルを引払って由美のマンションに転げこんだ。 しかし、脱走を防ぐために、軍は休暇兵のドヤをいつも掌握(しょうあく)している。由美の部屋にも、英語の電話がしばしば掛かってきた。片山の戦友からの遊びの誘いの電話もあった。 由美と知りあって三日目に、片山は身分を告白した。動物の生態を研究しているのは嘘(うそ)ではないが、グリーン・ベレーにちがいない、と。 その夜、由美はなかなかのことで泣きやまなかった。 片山は、自分はグリーン・ベレーではあっても、南ヴェトナムの一般民衆はおろか、ヴェトナムのゲリラや兵を殺したことは一度も無いし、これからも敵に遭遇した場合は空に向けて発砲する積りだ、と真剣な顔で言ってのけた。日本では、南ヴェトナム解放戦線のチャーリー(ヴェトコン)が絶対の善であり、グリーン・ベレーは絶対に汚い帝国主義の手先とされていたからだ。 機嫌(きげん)が直った由美は、片山に、一刻も早く除隊して、婿(むこ)養子になってくれるようにと口説いた。 しかし、心は由美に捧(ささ)げても、明日の命も知らぬ戦士である片山の体は羽のように自由であった。それに、険悪な猟場と戦場をライフル一丁を味方にして生き抜いてきた片山には、しかつめらしく帳簿を睨(にら)んで過ごす毎日など耐えられる筈(はず)が無い。 片山は夕方になると、戦友からの電話の誘いに乗り、中野新橋や大塚の花街や、赤坂や六本木のクラブを遊び歩いた。夜遅く、遊び疲れて片山が由美の部屋に戻ると、由美は片山が大好きになった鍋物(なべもの)を用意して待っていた。 しかし、休暇切れ近くのある日、片山は戦友たちと軍用機で韓国に飛び京城(ソウル)の妓生(キーセン)ハウスで乱痴気騒ぎをやったあと日本にトンボ帰りしたのだが、横田エア・ベースの滑走路が積雪で着陸が遅れ、由美のところに朝帰りする羽目になった。 その時は、堪忍袋の緒(お)が切れた由美は、夜叉(やしゃ)のように荒れ狂った。精神のどこかにポッカリと大きな穴が開いて、女の暗い素顔を正視出来ぬ片山は、ダッフル・バッグを摑(つか)んで由美のマンションから飛びだし、その後、二度と由美に会ってない。休暇が終るまで、前々から片山にかぶりつきたいと広言していたマーガレット・シンプスン中尉のベッドに転げこんでいたのだ。 別の年、片山はトリプル・プレイを楽しんだ赤坂のクラブの女の志麻と小百合を軍用輸送機にもぐりこませてハワイに連れていったことがあった。 ホノルルのディスコで、片山はテキサスから遊びに来ていたベッキーと知りあい、志麻と小百合を放っぽりだした。 前年の女性ロデオのバレル・レーシング、つまり乗馬スラロームのローカル・チャンピオンであったというベッキーは、素晴らしい体であった。ベッドでは片山を振り落としそうな、たくましい腰のバネとアクロバチックな動き・・・・・・太陽に炙(あぶ)られた枯草のようなアンダー・ヘアの匂(にお)い・・・・・・。 片山の想出の夢はヨーロッパに飛んだ。 アラブや東南アジアの女のように両脚を片山の肩に掛けて突きあげてきたローマのダニエラ・・・・・・ドッグ・スタイルを好み、アクメの時はうしろ髪を摑んで首をねじってやらぬと達しなかったマドリードのエヴァ・・・・・・よがりすぎて魂が抜けたようになり片山の部屋にネックレスや財布を置き忘れたパリのヴァレリー・・・・・・済んだあと、舌で片山を洗ってくれた西ベルリンのマリーネ・・・・・・大学寮のサウナで片山をむさぼりすぎて心臓麻痺(まひ)を起しかけたコペンのクリスチーナ・・・・・・ゴー・ゴー・バーで踊り、唇を左右に舐(な)める片山の誘いの合図に応じてペンションについてきたストックホルムの中学生イングリットとアネットの、恥毛も生え揃ってないのに娼婦(しょうふ)そこのけのテクニック・・・・・・片山が持っていたリーヴァイスのジーパン三枚とリーのウェスターン・シャツ五枚で十日間現地妻になったベオグラードのエレナの献身ぶり・・・・・・アクメに達すると狂ったような笑い声をたてるブダペストのソーニア・・・・・・。 そして今、片山は、ロンドンのハイド・パークのベンチで、下宿のメイドのアイルランド娘のモーリンを膝の上にまたがらせ、その燃えるような赤黄色の髪を嚙みながら駆け登ろうとしていた。 漏らしそうになって、ハッと目が覚める。 片山のリーヴァイス五〇一の真鍮(しんちゅう)ボタンを歯で外したらしいシャーラザードが、片山の凶器をくわえ、舐め、しゃぶっていた。 夜明け近かった。部屋のなかも明るい。シャーラザードはまだ手足を縛られたままであった。肩の筋肉と膝を使ってここまで這ってきたらしい。 久しぶりの鯨飲馬食でぐっすり眠りこんだ片山は、そのことにまったく気づかなかったのだ。自分に腹をたてて、唸(うな)り声をたてる。猛々しくなっていたものが萎(しぼ)みかける。「助けて 」 シャーラザードは囁(ささや)いた。「わたしを好きなようにしていいから、一家を助けて。殺さないで・・・・・・」「殺しはしないさ。おとなしくしてたらな」 上体を起した片山は、サイド・テーブルのミネラル・ウォーターの栓を歯で開き、中身をガブ飲みした。 ベッドから降り、ライフルや短機関銃や手榴弾がいじられてないか調べてみる。大丈夫であった。「わたしを、好きなように扱っていいのよ」 シャラザードが濡(ぬ)れたような瞳(ひとみ)で片山を見つめた。「分った。中途半端では体に悪いからな」 ニヤリと笑った片山は裸になった。シャーラザードのロープを解き、裸に剝く。 九頭身のシャーラザードの乳房はサッカーのボールのようであった。たくましく発達した腰と太腿(ふともも)から膝にかけては急激に細くなって脚はひどく細い。 ベッドに仰向けになったシャーラザードは、左腕で目を覆うと、両膝を胸に引きつけた。恥毛はまばらな芝のようだ。片山をしゃぶっているうちにおびただしく流したものが熱い体温でゴワゴワになっているが、片山に見られて、再びしたたらせはじめる。 片山は財布から出したヘロインを少々、シャーラザードの花芯や花弁になすりこんだ。そいつが効いてくるまで、タバコをふかしながら待つ。 効いてきた。シャーラザードは、けもののような声をあげ、「早くう・・・・・・お願い・・・・・・」 と、腿をこすりつける。右手も使いはじめた。 それを見ているうちに、片山の凶器が再び猛々しくなった。捩じこむ。火傷しそうな熱さだ。片山の胴を両脚で絞めたシャーラザードは悲鳴に近い声を放ちながら、激しくグラインドさせ、ヴァンプさせる。体とは別に、蜜壺のほうも蠕動(ぜんどう)と収縮をくり返す。さすが南国の女は早熟だ。 眠っているあいだに充分の刺激を受けていた片山は、じっとしているだけでも発砲しそうになった。 だが、シャーラザードの花弁のヘロインが片山の凶器に移って適度に痺(しび)れさせ、発射寸前の快感が長々と続く。 片山もスラストを開始した。物凄(ものすご)い声をあげるシャーラザードの動きも凄まじいほどのものになった。子宮が降りてきて、片山の亀頭を呑みこもうとする。 二十分ほどのち、片山もやっと発射した。夢心地が続き、危く眠りこみそうになる。ぐったりしたシャーラザードの蜜壺は独立した生き物のように動き、スペ〓マを音を立てて吸いこんでいる。 かなり遠くの下生えが折れる小さいが鋭い音が片山に聞こえた。目を開いた片山はベッドから跳び降り、素早くジーパンをはきながら、「誰かを逃したな?」 と、圧し殺した声で尋ねる。冷酷な表情になっていた。「兄が・・・・・・アベルが逃げたの・・・・・・四、五十分ほど前・・・・・・やめて、殺さないで!」 シャーラザードは呻(うめ)いた。「四、五十分? 奴は前から麻薬(ヤク)をやってるのか?」 シャーラザードを抱く前に大広間を点検しなかった自分の間抜け加減を心のなかで罵(ののし)りながら片山は尋ねた。その間も、手のほうは、シャツや上着をつけている。「いつも、アヘンを吸ってるわ。アメリカ・タバコより安いの」「畜生、だから、奴は目を覚ましたんだ」 靴(くつ)をはき、弾倉帯を腰につけながら片山は呟(つぶや)いた。アベルはヤクの中毒だから、ヘロインの注射に抵抗力があったに違いない、と思う。 アベルは四、五十分も前に脱走したとすると、シャーラザードが肉体で片山を引きつけている間に、サンチョ・パンサ号か代理店のルサンゴ・シー・サーヴィスに連絡を取り終えたに違いない。いま忍び寄ってきているのはサンチョ・パンサ号の刺客だということは馬鹿でも分る。 もうライフルの銃トランクは邪魔になるだけだから、それを捨て、革製の銃ケースに収められたウインチェスターM七〇ライフルを、弾薬や手榴弾などが入ったネルソン・パックのフレームの下側に素早く縛りつける。 IMFDb - Winchester Model 70 - Pre-1964 Winchester Model 70http://www.imfdb.org/wiki/Winchester_Model_70 IMFDb - Uzihttp://www.imfdb.org/wiki/Uzi 短機関銃を左肩から吊り、シャーラザードの水月(みぞおち)に拳(こぶし)をのめりこませて気絶させた。シャーラザードをシーツで素早くくるむと、その足首を掴(つか)んで、開け放しにしている窓ぎわに走る。 窓からシャーラザードを投げ降ろした。 途端に、十数発の銃声が、芝生と林の境いの近くから響いた。この母屋を中心にして半径百メーターほどが芝生になっている。 落下するシャーラザードの体を数発の銃弾が貫いた。貫いたあと、母屋の壁に当って乾(かわ)いた音をたてたり、一階の窓ガラスを砕いたりする。 片山は腰の断層帯に吊(つ)るしていた破片型手榴弾を撃発させ、銃声が起ったほうに向けて次々に投げた。五発を投げた頃、地面の近くから射ちあげてくる銃弾が窓から飛びこみ、この二階の天井に当って漆喰(しっくい)の粉を散らす。 だが、その銃声も、地上で爆発した手榴弾によって中断した。 片山は短機関銃から二弾倉分を掃射しておき、寝室の中央に退(さが)るとネルソン・パックを降ろした。 パックから破片型と焼夷型の手榴弾を二十個ほど取出し、弾倉帯に吊るしたりポケットに突っ込んだりした。再びネルソン・パックをかつぎ、寝室から逃れる。 大広間では三人の人間がぼんやりとしていたがアベルの姿はない。片山は階段を走り降りた。脂汗(あぶらあせ)を垂らしている。 その時、先ほどまで片山がいた二階の寝室でロケット砲弾が爆発した。迫撃砲弾も二階で爆発する。建物は崩れそうに震動する。 一階に降りた片山は、手近な窓を短機関銃で射ち砕いた。左手で威嚇射撃し、右手で手榴弾を投げながら窓から裏庭に跳びだし、ジグザクを描いて走る。手榴弾を投げつけたほうと反対のほうにだ。 その片山を、次々に銃弾がかすめた。 威嚇射撃をしながら林のなかに跳びこんだ片山は、心臓が喉(のど)からせりあがってくる気分であった。 (つづく)
2021年09月18日
Photo by charles young , Album 'Zambia Safari' >前回 「ルクセンブルグからパリに戻り、そこからキャナダに飛んだわけだ。まず着いたのは、モントリオールのミラベル空港だ。そこでパスポート・チェックを受けたあと、キャナダ国内便に乗りかえトロントに飛んだ。俺だって、それぐらいの文字は読めたさ。 トロントで降りると、空港のエプロンに車が待っていて、俺と谷崎兄弟はそれに乗せられ、口と鼻の部分だけが開いた覆面をかぶせられた。目を見えなくされてから乗りこまされたのは小型機だった。機内に入ってからは覆面を脱いでいいという許可が出たが、窓はみんなブラインドが降りていて、どこをどう飛んだかは分らない。見当もつかん。座席の数は一ダースぐらいで、カマラード・3と5のほかに、白人が三人乗っていた。武装してた。 四時間ぐらい飛んでから、また覆面をつけさせられた。着陸してから、別の飛行機に乗り移らされても、覆面を外す許可が出なかった。 今度の飛行機は軽飛行機らしかった。俺と谷崎兄弟は別々の機に乗せられた。ともかく乱気流にあおられたり、エア・ポケットに引っぱりこまれたりして気分が悪くなったぜ。まわりのものが何も見えなかったから、余計に気色悪かった」「分るぜ、その気分は」「三時間ぐらいたって、小便が漏れそうになった時に、激しいショックと共に着地した。そこで降ろされ、二機の軽飛行機が、給油でもしたのか、しばらくたって飛び去ってから、やっと覆面を外された。 あたりはもう薄暗かった。エア・ストリップというのか、杉林を切り開いたところ地ならししただけの簡易飛行場で、建物というと燃料貯蔵庫と丸木小屋だけだった。馬の囲い(コラル)もあったが。 そこがどこなのかと俺はC・3に尋いたが、知らないのが身の為だと嚇(おど)された。小屋には、荒くれの山男が六、七人いた。 その夜はその小屋のキャンヴァス・ベッドの寝袋にもぐりこんで寝たんだが、狼(おおかみ)の吠(ほ)え声は聞えるし、放牧している馬の鈴の音が一晩中聞えて、ろくろく眠ることが出来なかった。小便やウンチをしたくても、情ないことに、怖(こわ)くて小屋から出られなかった。「・・・・・・・・・・」 片山は薄く笑った。「朝になって小屋から出てみると、西のはるかに、残雪をかぶった険しい山脈が見えた。あとでわかったんだが、キャナディアン・ロッキーだった。 トロントからついて来た白人たちが朝飯の仕度をしているあいだに、山男たちが囲いに集めてあった馬に乗って、放牧してある馬を連れ戻した。 そのあと、俺たちは用意してあった防寒服に着替えさせられ、パック・ホースとかいって行列した馬に乗せられた。一行の馬は二十頭ぐらいだったな。俺と谷崎兄弟とトロントから来た連中、それに山男二人が乗り、あとの馬は荷物運びだ。 俺も谷崎兄弟も、馬に乗るなんて、はじめての体験だ。馬があんなに臆病(おくびょう)で意地悪な動物だとは思わなかったぜ。しかも、荒れた原野ときてやがる。馬の野郎、熊や狼の臭いが流れてきただけで暴れだすし、乗り手(ライダー)が素人だと、隙(すき)をうかがって振り落したり、立木と馬体のあいだにはさんで足を押し潰(つぶ)そうとしやがる」「馬はライダーが素人(しろうと)なのか玄人(くろうと)なのかすぐに見抜くんだ」 Youtube - How To Horseback Ride with Jenny Jones in Rocky Mountains, Alberta | Explore Canada by CANADA Explore | Explorezhttps://www.youtube.com/watch?v=yllQH5s6EsQ 「俺や谷崎の馬は、はじめは山男のリード・ロープにつながれて出発したんだが、鞍(くら)に当っているケツが腫れあがったり、膝(ひざ)が痺(しび)れて死ぬ思いをしてたうちは序の口だ。俺は谷川で振り落とされて岩で腰と肘(ひじ)を打ち、谷崎の兄は下り坂で走り出した馬から放り出され、弟のほうは転(ころ)がった馬の下敷きになった。 その晩は谷崎の兄貴のほうが、雪解けで増水した川に落ちて凍死しそうになったのでその川の近くでテントを張ってキャンプをしたが、体じゅう痛くて眠れたもんじゃねえ。モルヒネをもらってやっと人心地ついた。 二日目には、俺は立木と鞍にはさまれて小指を潰され、谷崎の弟は倒木にぶつけられて気絶しやがった」「・・・・・・・・・・」「三日目に、まだ雪が残る隘路(あいろ)を通ってロッキーを越えた。俺はやっとのことでちょいとばかり馬に慣れてきてリード・ロープを外してもらってたから、下りは痺れた膝を直すために馬を曳(ひ)いて歩いたが、何度となく踝(くるぶし)を馬蹄(ばてい)に踏んづけられる始末よ。上等のハンティング・ブーツをはいてなかったら、また怪我するところだった。あのロッキー越えでは、荷馬が一頭、崖崩(がけくず)れで谷底に落ちてくたばった。 五日目にやっとたどり着いたのが演習場だ。演習場といったって、山あり谷ありの湿地あり原野ありのほどんど自然のままの荒々しい場所で、広さは大体関東地方ぐらいだった。よく覚えている目じるしは、演習場の南の外れ近くの、胴がすぼまった臼のような山だ。 演習場の山の幾つかの洞窟(どうくつ)が武器弾薬庫と教官連中の宿舎になっていて、俺たち訓練生はテント生活だった。まったくこたえたぜ。 あの時は生徒が百人ぐらいと教官五十人ぐらいいたかな。俺たちは毎日、格闘技と射撃と登山の訓練を受けた。 リビアから一緒だったC・3とC・5は、そこに着いてから一週間でどっかに行ってしまった。俺と谷崎兄弟に、なまじ日本語の通訳がいると思うと英語が上達しない・・・・・・これからは、英語を習うより慣れろ・・・・・・と、言い置いてな」 麻薬の効き目のせいで、三田村はひどく饒舌(じょうぜつ)であった。「訓練生のなかで、あんたら三人だけが日本人だったのか?」「ああ。ほかの連中は、白人と黒人が三分の二ぐらいで、三分の一ぐらいは白と黒とインディオの混った中南米人らしかった」「そこで、いつまで訓練を受けたんだ?」「二か月半ぐらいだ。あそこには、いろんな肌(はだ)の女を二十人ぐらい飼っていて、週末に一度ずつ、俺たちも配給にあずかった。その時は行列して大騒ぎさ。 それと、楽しみはハンティングだったな。一か月の基礎訓練を受けたあと、週に三日ずつ、バック・パックをかついで、大シカや野生の山岳羊や灰色熊を射ちにいった。脱走者が出ないように、教官の監視付きだったが、人を殺すかわりに野獣相手に射撃のテクニックを磨(みが)き、仕留めた獲物を解体して、人の関節や腱や神経の束を破壊する時の参考にした」「・・・・・・・・・・」 片山は噛みタバコのカスを吐き出した。「訓練が終る頃には、俺も谷崎兄弟も英語を読んだり書いたりのほうはあまり上達しなかったが、聴いたりしゃべったりのほうは不自由しなくなっていた」「訓練が終ってから、マダガスカルに直行したのか? サンチョ・パンサ号、いやラ・パロマ号に乗りこむために」「いや・・・・・・どうして俺がマダガスカルのマユンガ港から乗りこんだと知ってる?」「ヴェトナムとマレーシアの船員がしゃべったんだ」「畜生、やっぱり・・・・・・キャナダでの訓練が終ると、目隠しされてヘリに乗りこまされた。かなりの大型ヘリだったようだ。二時間ぐらい飛んでから、ヘリはどっかに降りた。俺たち 俺と谷崎兄弟と外人の卒業生二十人ぐらい は、目隠しされたまま、今度は飛行機に乗り移らされた。 そいつの飛行時間は一時間ぐらいだった。俺たちは目隠しされたまま降ろされ、十分ぐらいたってから目隠しを外された。その時には、俺たちを乗せてきた飛行機は、もうどこかに飛び去ったあとのようだった。だけど、俺たちが降ろされた場所は分った。ヴァンクーヴァー空港だった。そこで、カマラード・ファイヴが待っていた。ヴァンクーヴァー市内で俺たちは外人の卒業生と別れ、ホテルの風呂(ふろ)で垢(あか)を落とした。さっぱりするまでに三回も湯を替えなきゃならんかったぜ」「ホテルの名は?」「よくは覚えてねえが、下町の大きなホテルだった。ホテルのなかには日本料理店があった。レストランの名は何か花の名だった。その夜はカナダの女をたっぶり楽しんでから、翌日C・5と一緒にヨーロッパに飛び、一週間ほどパリやハンブルグやコペンなどでやりまくった。 もう女の顔を見ただけでゲップが出るぐらいになってから俺たちはマダガスカル島に飛んだ。マユンガに着いてから、C・5から偽造の船員手帳を渡された。俺や谷崎兄弟は韓国人ということになった。C・5は俺たちに、入港してくるラ・パロマ号に乗船したら、事務長(パーサー)の命令には絶対服従するように誓わせ、すでに用意してあったらしい拳銃(ハジキ)とサブ・マシンガンを渡してくれた。ラ・パロマ号に乗りこむ際に別れてから、C・5には会ってない」「マダガスカルのマユンガでは、どこに泊まった」「ジジンパだったかな、ババンパだったかな。ともかく現地語の名前がついた小さなホテルで、港の近くだった。俺たちのほかにも、ラ・パロマ号に乗りこむ南米やアフリカの連中が二十人近く泊っていた」「オーケイ、ともかくあんたはラ・パロマ号に乗りこんだ。パーサーのマローニや船長のアレクサンドロスから、どんな命令を受けた?」 片山は尋ねた。「知ってるんだろう、赤い軍団が日本政府から積み荷の身代金を嚇し取る目的のためには、日本から乗船してきた韓国人と台湾人を処分する必要がある・・・・・・喜望峰の荒海で奴等を射殺しろ・・・・・・大働きしてくれたら、ボーナスをはずんだ上に一等兵(プライベート・ファースト・クラス)に昇進させてやる、と言われた。俺はまだ二等兵だったんだ」「あんたは命令通りに働いた。ところで話は戻るが、キャナダを出てから、C・5以外のハイ・ジャッカーにどこかで会わなかったか?」「いや」「バイエルン貿易の連中には?」「ど、どうして知っている?」「会ったんだな?」 片山の目がギラッと光った。「偶然だった。俺や谷崎やC・5と一緒に西ドイツ・フランクフルトのカイゼル通りの女たちをひやかして歩いていると、日空の支店が目に入った。あそこは表が総ガラスになっているから、待合のラウンジや営業のカウンターは外から丸見えなんだ。マガジン・ラックに、日本の雑誌や新聞が並んでいた。 俺は日本のニュースに飢えてたから、あの店に入って新聞や週刊誌を読んだり、日本人の旅行者から話を聞いたりしたかった。だけど、日本から回ってきた俺と谷崎兄弟の写真入りの指名手配のビラが壁に貼ってあったし、C・5が、やめろ、と言うんだ」「・・・・・・・・・・」「俺は諦(あきら)めて通りすぎようと思ったんだが、何気なくカウンターで客の相手をしている日空の職員の一人を見ると、そいつが驚いたことに、バイエルン貿易の営業部長をやってた佐原なんだ。あの野郎、コールマン髭(ひげ)なんてはやしてやがった上に銀ブチの眼鏡を掛け、髪の形もオール・バックにしてたが佐原に間違いねえ。 俺と目が会うと、あの野郎、鳩(はと)が豆鉄砲をくらったようなツラをしやがるかと思ってたのにとんでもねえ。薄ら笑うと器用にウインクなんかしやがってから、すぐに仕事に戻った。落ち着き払ってな。まったくいい玉だぜ・・・・・・と、俺はその時はそう思った」「?・・・・・・・・・・」「C・5が、何をぐずぐずしてるんだ、と俺を引っぱるんで、俺は日空支店の前を離れてから、かくかくしかじかだと佐原やバイエルン貿易との関係を簡単に説明した。 そしたらC・5は驚きもせずに、佐原という名は知らないが、あの男は現地傭いで日空にもぐりこんで、赤い軍団のために情報収集をやってくれている、と言った。何だか知らんが、赤い軍団は、またハイ・ジャックを目論(もくろ)んでるんじゃねえか?」「佐原の年齢と顔付きや体つきは?」「三十七、八といったところかな。日本人としては背が高いほうで痩(や)せ型だ。ハンサムといってもいい。髭の剃(そ)り跡が青々としている」「C・5は佐原について、さっき言った以上の説明をしなかったのか?」「ああ」「さてと、次にあんたと谷崎兄弟が、日本大使館から出ていった捜査官たちを射ち殺した晩に飛ぼう。どうして、奴等が踏みこんでくるのが分った? あんたらは、不意をつかれたようではないんでな」「もう一本、タバコをくれ」「いいとも」 片山は要望に応(こた)えてやった。自分は噛みタバコをまた口に放りこむ。 深々と吸った煙を吐きだし、三田村は、「ルサンゴ・シー・サーヴィスからあの淫売宿の俺たちそれぞれの部屋に電話があった。チャンポングの治安警察は日本大使館をいつも見張ってたし、外出する者には尾行をつけたり、街角に通報員を配置したりしてたからな。それで電話の内容は、〝表の車で待っている日本人はこっちでうまくやるから、部屋に踏みこんでくる連中はそっちで片付けろ。逃げ道は確保してある。左の腕に赤い布を捲(ま)いた連中が誘導するから、その指示にしたがうように〟 と、いうものだった。 だから、俺たちは待伏せしていたわけだ。あの間抜けどもを片付けるのは簡単だった」 と、言った。「ところで、赤い軍団の本部はどこにある? 軍団長は誰なんだ?」 片山は尋ねた。「俺のような下っ端が知るわけない」 三田村は答えた。 片山はそれから二時間ほど三田村の尋問を続けた。三田村は、早く病院に連れていけ、と怒りだす。「よし、分った。今夜はこれまでだ。基地の病院に運んでやるから、しばらく眠ってろ」 片山は三田村の頭を蹴(け)って気絶させた。まだ首に結びつけてあった手榴弾を外し車を片端に寄せた。アタッシェ・ケースの隠しポケットから硬化プラスチックの注射器セット・ケースを出す。 財布に再び収めてあった二十グラムほどのヘロインのうち〇・一グラムほどを罐入りのミネラル・ウォーターで溶き、透明プラスチック・シリンジと使い捨てタイプの針の注射器で三田村の静脈に注射する。 普通、麻薬中毒者が血管にぶちこむヘロインの量は一回に〇・〇二グラムぐらいで、それを一パケージ、略して一パケと称している。無論、ブドー糖やハイポなどで増量してあるのが普通だ。 だから、いま片山が持っているような、純度の高いと思われるヘロインを血管に直接〇・一グラムも打たれたら、麻薬に慣れている三田村でも、麻酔をかけられたようになって昏睡(こんすい)し、しばらくのあいだは目が覚めないだろう。それ以上の量だと死ぬ怖(おそ)れがある。胃腸からゆっくり吸収される場合とは問題にならぬほど、劇的に効くからだ。 片山は、その三田村の車をトランク・ルームに横向きにさせた。脚を折り曲げて寝かせた。 (つづく)
2021年09月11日
AMISOM Photo / Tobin Jonesfrom AMISOM Public Information >前回 縛りあげて猿グツワを噛ませた三田村をトランク・ルームに押しこんだ片山は、オペル・カデット改を郊外に向けて飛ばした。東南に向うルートをとる。 その街道の、市街地の外れと郊外のあいだにある検問所に、珍しくもガメリア軍が出動しているのが遠くから見えた。チョンバの死によって新しく首都防衛軍師団長のポストを手に入れた馬鹿が、部下たちに権威を示そうとしているのであろう。 サーチ・ライト二基で路面を照らしているだけでなく、焚火(たきび)を囲んでウォー・クライをあげたり、勝利を願うダンスを踊っているようだ。 片山は検問所の六百ヤードほど手前で、車を左側の露地に入れた。ウインチェスターM七〇のライフルと弾薬箱を持って街道に戻る。 それらを一度路上に置き、歩道の敷石を十枚ほどはがして車道上に二列に積んだ。 その掩護(えんご)物のうしろで伏射(プローン)のスタンスをとった。無論、スリングを張る。伏射にしたのは、据銃(きょじゅう)を安定させて正確な照準を助けるためだけでなく、敵弾に自分の体をさらす面積を出来るだけ減らすためだ。 いきなり射撃を開始せずに、七倍のライフル・スコープを通して、六百ヤードほど先の検問所の広場にいる将兵の数を確かめてみる。サーチ・タイトが眩(まばゆ)いが、それほど邪魔では無かった。 いま見えるのは十四人であった。二人が将校で、あとは下士官や兵卒だ。みんな、恐怖をまぎらわせるためか、踊りながらスコッチの壜〔びん〕からラッパ飲みしている。 彼等の主な武器は、道路の両脇の検問所の小屋の前に止められた二台のランドクルーザーに搭載(とうさい)されたM六〇多目的機関銃二丁と、それぞれが担いでいるスプリングフィールド〇三A三型ボルト・アクション・ライフルのようであった。機関銃さえ片付けたら、あとは簡単であろう。 IMFDb - M60 machine gunhttp://www.imfdb.org/wiki/M60 M1903 Springfield - M1903A3 Springfieldhttp://www.imfdb.org/wiki/Springfield_M1903A3#M1903A3_Springfield だがその前に、片山は二基のサーチ・ライトのうち左側のほうに狙(ねら)いをつけた。風は斜め右に向けて吹いていた。秒速二メーターの微風であることが分っている。 片山ほどの狙撃手(そげきしゅ)となると、風速は体で感じて判断できるが、ランドクルーザーのアンテナにつけられたガメリア国軍旗が吹き流される角度を八で割った数字が風の秒速メーターだ。 風速を米国式に秒速マイルで表わす時は角度を四で割ればいい。秒速二メーター/秒は大体四マイル/秒だ。 なお、旗や煙などの風を測る目安とないものが無い時には、目標に向けて体を正対させておき、千切ったティッシューを丸めたものや枯草などを肩から落し、それが落ちた地点を腕で示して、腕と体とのあいだの角度を八で割ると秒速何メーターの風であるか大体割りだせる。 Global Security.org - Chapter 5Downrange Feedback(Phase II of Basic Rifle Marksmanship)https://www.globalsecurity.org/military/library/policy/army/fm/3-22-9/c05.htm Figure 5-27. Determine wind value using the clock method. Figure 5-28. Determine wind speed using the flag method. Figure 5-29. Determine wind speed using the pointing method.Youtube - Determining Wind Speed and Directionby Gunwerkshttps://www.youtube.com/watch?v=hBdhWe-C4Co How to Read the Wind | Shooting USAby Shooting USAhttps://www.youtube.com/watch?v=i59LqZcAdPs 斜め横からの風であるから、照準は半量修正(ハーフ・ヴァリュー)でいい。狙撃兵片山の頭脳のコンピューターが、無風状態で六百ヤードのゼロ点規正をしたサイトでは、今は約二十センチ左を狙えばいいと即座にはじき出した。 引き金を絞る。左側のサーチ・ライトが消えた。反動を利用して素早くボルトを操作し、右側のサーチ・ライトを射ち砕く。 焚火と検問小屋から漏れる灯(あかり)だけの薄暗さに素早く目を慣らした片山は、ライフルを乱射してくる敵に構わずに、左側のランドクルーザーのエンジン・フードの上の三脚に据(す)えられたM六〇機関銃に銃口を移した。 片山のライフルが吐き出す発射炎を狙って飛来する敵弾は、片山からはるかに外れている。左側のランドクルーザーに向けて二人が走り寄るのが片山の左眼にかすかに映る。 片山はM六〇の左二十センチほどのところを狙って一発射った。ロッディング・ブロックの左側、こちらから見て右側に垂れさがっているメタル・リンクのベルト弾倉に差されている七・六二ミリNATOの実包に偶然に命中したようだ。そいつが炸裂する。 片山は弾倉の弾室を素早く装塡(そうてん)し、再びその機銃に七ミリ・マグナム弾を二発浴びせた。一発が機関部に当ったらしく、衝撃で機銃は三脚から外れ落ちる。 その時、右側のランドグルーザーの機銃が連射してきた。射手は曳光弾(えいこうだん)のために弾道がよく見える着弾を片山に近づけようとし、保弾手は機銃のロッディング・ブロックに吸いこまれていくベルト弾倉を支えて、スムーズに給弾されるよう努めている。毎分五百個ぐらいの割りで空薬莢(からやっきょう)が飛び出し、消費されたメタル・リンクがバラバラになって機関部の右下に落下する。 Youtube - Gun of the Week: M60 by Rated Redhttps://www.youtube.com/watch?v=aoOfNWi8huU M60 Machine Gun by hickok45https://www.youtube.com/watch?v=HtK5gB6po_U M60 Machine Gun Woods Walk by hickok45https://www.youtube.com/watch?v=UKpLPittvuY 片山はその機関銃の射手と保弾手を速射の二発で片付けてから、機銃に二発射った。一発が装塡ブロックのカヴァーを吹っ飛ばし、その機銃はスクラップ同然になった。 右側の機銃は装塡ブロック内に残っていた一発を発射出来ただけであとは回転しない。 片山は検問所の将兵を、射的屋の人形のように射ち倒していった。腰を抜かしながら夢中で射ち返してきた敵兵の銃弾が、片山が楯(たて)にしている石畳に偶然にも当り、火花を散らし、石粉を吹き上げる。 米軍が敵兵一人を死傷させるのに要した銃弾の弾は、第一次大戦で約七千発、第二次大戦で約二万五千発、朝鮮戦争で約五万発、ヴィエトナム戦で三十万発ぐらいと言われているから、実戦になるといかに当らないか分る。 目に見える敵をすべて片付けてから、片山は木造の検問所の小屋に八発ずつ射ちこんだ。オペル・カデット改に戻り、その車を運転して検問所に近づく。検問所の百メーターほど手前で車を停めた。 弾倉に吊(つ)るしてあった手榴弾(しゅりゅうだん)を一発外し、安全ピンを抜きながら車から降りた。助走もワインド・アップも無しにその手榴弾を投げる。伏せた。 山なりの放物線を描いた手榴弾は、右側の検問小屋の窓から飛びこんで爆発した。小屋がバラバラに吹っ飛び、二、三人の死体の千切れた部分も吹き出された。 普通の兵士だと、ある程度正確に手榴弾を投げることが出来る限界が三十五メーターほどであるから、片山の強肩とコントロール能力には目ざましいものがある。百メーターというと、日本の野球場ではホームラン・ボールが出る距離だ。 立ち上がり、二発目の手榴弾を左側の検問小屋に向けて投げた片山は、車の運転席に戻った。車を再スタートさせた時、その小屋が吹っ飛んだ。 片山は死体が散乱したあたりで、また車を停めた。右手を腰のホルスターのG・Iコルトの銃把(じゅうは)に当てて車から降りる。 左側のランドクルーザーの荷台に、手榴弾が入った木箱が三個あった。いずれも米軍用で、一箱に五十発ずつ入っている。 一つには鈍いオレンジ色の破片型手榴弾、もう一つには青灰色の焼夷(しょうい)手榴弾、三つ目の箱には黒に黄帯の攻撃型手榴弾が入っている。 上下両面は金属だが側面は合成樹脂製で、ダイナマイトのような爆破効果を持つ攻撃型手榴弾は、弾体がショックを受けて変形した時に暴発しやすいので、信管は弾体内のTNT炸薬(さくやく)から抜いて、弾体の外側にガム・テープで貼(は)りつけてあった。 片山は三箱の手榴弾をカデット改の後部座席の前の床に移した。 ジャングルの中に車を駐め、トランク・ルームの三田村を地面に放りだす。三田村は死んではなかった。 三田村の左腕を肘(ひじ)のところでへし折る。激痛で意識を取戻し、脂汗(あぶらあせ)を垂らしながらもがく三田村のロープを解く。所持品を調べた。 三田村の船員手帳は、やはり、韓国のキム・チョンヒということになっていた。 片山は三田村の猿グルワをガーバー・ナイフで切断した。寒気がするような絶叫をあげた三田村は、「だ、誰(だれ)だ、貴様は!」 と、あまり訛(なま)りがない英語で叫び、黒く塗った片山の顔を、引きつった蝮(まむし)のような目で見つめる。「ミタムラだな、あんたの本名は?」 片山も英語で言った。「ど、どうして知ってやがる!」 三田村はショックのあまりか日本語を口走った。 片山はニヤリと笑いながら日本語で答えた。「いい加減で観念しなよ」「に、日本語をしゃべるのか! そうか、日本政府に傭(やと)われてサンチョ・パンサ号の乗員を皆殺しにしようとしてやがる気違いというのは貴様のことか? 顔に墨を塗ってたってごまかされんぞ」 三田村はわめいた。マラリアの発作時のように全身が震えだす。「皆殺しにしようとは思ってない。あなたを殺そうとも思ってない。それに、俺(おれ)が日本政府に傭われたと思うのも、大きなカン違いだぜ」「勝手にほざきやがれ!」「強がりはよせよ。俺が欲しいのは、赤い軍団についての情報だ。しゃべってくれたら、米軍基地の病院に運んでやる。アル・リーやポルトガル人傭兵のフランシスコ・エルトリルのようにな」「殺せ! 騙(だま)されるもんか」「そんなに死にたいんなら好きなようにしろ。いま面白い細工をしてやるからな。待ってろよ。」 片山は笑い、車内にもぐりこんだ。車を二十メーターほど動かしてから、攻撃型手榴弾を一個、木箱から取出す。弾体にガム・テープで貼ってあった信管を外して木箱に貼りつけた。 信管を抜いてあるその手榴弾を持って三田村が倒れているところに戻った。三田村のズボンをナイフで裂いて、数本の細いロープをよる。「な、何しやがる!」 と、大小便にまみれながらもがく三田村の首に、弾体をきつく三捲きにした手榴弾を縛りつけた。三田村を仰向けにさせ、左右の腕の上に太い倒木を乗せて重しにした。右膝(ひざ)を無理に折曲げさせてから、足首と手榴弾の安全ピン引環を結んだ。 三田村は心臓が喉からとびだしそうな表情で喘(あえ)いだ。体は金縛りにあったように動かなくなる。三田村には、その手榴弾に起爆信管が入ってないことが分かるわけがない。「あんたも軍事訓練を受けたようだから、これがどういうことになるか分るだろう? あんたはいつまでもそうやっていられるわけは無い。脚(あし)がくたびれてきて、脚をのばしたくなる。脚をのばしたら、安全ピンが引っこ抜かれる。安全レヴァーを留めているものは無いから、安全ピンが外れると、爆発は大体五秒後に起る・・・・・・じゃあ、ゆっくり恐怖を楽しんでくれ。俺は谷崎兄弟を追う」 片山は言い捨て、三田村に背を向けて車のほうに歩く。噛(か)みタバコをひと摘(つま)み、歯茎(はぐき)と頰(ほお)の裏側とのあいだに押しこんでから、車のドアを開く。「助けてくれ! 参った」 三田村の哀れっぽい声が聞えた。「しゃべる気になったのか?」 と、声を掛ける。「しょうがねえ、気が狂うよりもましだ」「よし、じっとしてろよ」 片山は足早に三田村に近づき、手榴弾の安全ピン引環と三田村の足首を結んだロープを切断してやる。両腕に重しとして置いた倒木もどけてやる。 長い溜息(ためいき)をついた三田村は横向きになって右足をのばし、全身を小刻みに震わせながらも、「タバコを吸わせてくれ。気が狂いそうだ」 と、喘いだ。 片山は三田村のシャツの胸ポケットからマルボロー・ハンドレッズのソフト・パックを取出し、一本くわえさせる。黄燐マッチの頭をリーヴァイス五〇一のジーパンにこすりつける。ジャングルの湿気のせいで三回目にやっと発火した。 震えながら三田村がむさぼり吸うシガレットがひどく短くなるまで待ってから、片山は再び口を開いた。「さてと、はじめっからの話を聞かせてもらおうか」「はじめっからって?」 フィルターが焦げはじめたマルボローを唇(くちびる)から落した三田村が呟(つぶや)く。「あんたは、渋谷の暴力団神宮会の総長をやっていた。幻覚剤か何かに酔っばらって大量殺人をやらかし、獄中にいるところを、日空機をハイジャックした連中の要求に屈した日本政府の超法規的措置とかによって釈放され、リビアに送られた。谷崎兄弟のようにな」「・・・・・・・・・・」「あのハイジャックの連中は世界赤軍極東部隊と名乗ったが、そんな組織は実在しない。本当は赤い軍団なんだろう?」 片山は三田村に日本目のタバコをくわえさせ、火をつけてやった。「そうらしいな。世界赤軍極東部隊というのは、赤い軍団の下部組織ということだ」 やっと震えがおさまった三田村はしゃべった。しゃべると、赤い火口が闇のなかでピクピク踊る。「あんたは、大量殺人で捕まる前から、赤い軍団と関係があったのか?」「ちがうな。その名前については、ちょいとばかり知ってはいたが」「頼むぜ、よく教えてくれ」「その前に約束してくれ、俺を米軍基地に連れていってくれると・・・・・・俺を日本政府に引渡さないことも約束してくれ」「ああ、約束する。合衆国に住んでもいいという特別許可を得(と)ってやってもいいぜ。あんたがまともにしゃべってくれさえしたらな」 片山は真剣な眼差しで言った。「あんたは、やっぱりC・I・Aか? どこで日本語を覚えた?」「C・I・Aじゃない。はっきり言おう。合衆国の軍隊は無論のこと、政財界に大きな影響力を持っている全米退役軍人共済会なんだ、俺の傭い主は・・・・・・だから、俺が米軍基地に顔がきくのも不思議じゃないだろう? 全米退役軍人共済会は右翼組織だが、それだけに儲(もう)けるのもうまい。マフィアの支部の献金が少ないと、その縄張りを取上げるほどの実力がある。 全米退役軍人共済会は赤い軍団に目をつけた。赤い軍団の稼(かせ)ぎをピンはねしようという魂胆だ。赤い軍団が左翼であろうと知ったことじゃねえっていうわけよ。だけどな、ピンハネするためには、赤い軍団について正確な情報が欲しいわけさ。だから俺をこのガメリアくんだりまで送りこんだ。俺もあんたもヤクザ稼業(かぎょう)よな。突っぱりあってねえで、仲良くやっていこうぜ」 片山の舌は滑(なめ)らかに回転した。「信じられん。それに、あんたの日本語は達者すぎる」「信じようと信じまいと勝手だが、ともかく、あんたの傷が治ったら、軍用機でアメリカ本土(メインランド)に運んでやろう。あんただって、スウィスかルクセンブルグあたりの銀行に預金してるんだろう? そいつをどう使おうと、俺を傭った組織は口出ししねえ。それどころか、職も斡旋(あっせん)してくれるだろうな」「分かった。ともかく、バラバラに砕けた右肘(ひじ)をつないでもらいたいんだ。左肘も治してくれ。このままだと、二度と拳銃を握ることが出来ねえ。死んだほうがましだ」「分かったよ。なるべく早く病院に運んでやる」「あんたは日本人じゃねえから、二年前に発覚した、東京バイエルン貿易という会社の覚醒剤(シャブ)の極上物の雪ネタの密輸事件と幻覚剤エンジェル・ダストの密造事件を知らねえだろうな?」 三田村は言った。 片山は、極端な外貨不足のため輸入制限が厳しくて日用品にもひどく不自由するザンビアや中央アフリカに、日本から妻の晶子が毎月送ってくれていた品物のなかに混っていた日本の新聞や週刊誌で、その事件に関する記事を読んだことがあるが、内容はよく覚えてない。「知らんな」 と、答える。「西ドイツの大きな製薬会社と倉庫が襲われて、覚醒剤五十トンが奪われた。ヨーロッパの製薬会社が造ったシャブは雪ネタと呼ばれて最高級品なんだ。 それからしばらくして、赤坂のバイエルン貿易から雪ネタを卸すから、という話が俺の神宮会にあった。 実はその前から、神宮会だけでなく、ほかの大きな組織もバイエルン貿易と取引きがあったんだ。覚醒剤でなく、エンジェル・ダストという幻覚剤だった。 だけど、エンジェル・ダストは強力すぎて、幻覚殺人事件がヤケに多く起ったんで、俺たちはあいつを扱うのを敬遠しはじめてた。殺人事件となると、警察(サツ)がうるさく入手ルートを調べあげるからな。 ところで、俺たちの暴力団と呼ばれてた組織が、どうして素人(しろうと)のバイエルン貿易からまともに金を払って幻覚剤を卸してもらってたか、という疑問が浮かぶだろう」「ああ」「その疑問は当然だ。本当のことをしゃべるから、モルヒネをくれ。ヘロインでもいい。どっちも持ってないんなら、何でもいいから鎮静剤になるものをくれ・・・・・・頼む・・・・・・死にそうな気分だ」 三田村は呻(うめ)いた。「俺はヘロインを持っている。もうちょっとしゃべってくれたら、くれてやらないこともない」「分った。俺のところだけでなく、ほかの組織もバイエルン貿易を襲ってタダで幻覚剤を捲きあげようと企んだ。あのエンジェル・ダストは製法の教本(マニュアル)さえあれば、素人でも作れるという情報もあったから、そのマニュアルを手に入れようともした。 ところが、バイエルン貿易には、外人の殺し屋部隊がついていたんだ。 俺と同じようにそのことを知らなかった銀座の光栄会が、真っ先に幻覚剤の強奪計画を実行に移した。バイエルン貿易の社長菊池を攫(さら)って、晴海埠頭(ふとう)の空き倉庫に連れこみ、エンジェル・ダストの密造工場とストックしてある場所がどこなのかを吐かせようとした。 そこに、中南米人らしい殺し屋部隊十人が忍び寄った。これは、頭に怪我(けが)をして気絶したのが幸いしてただ一人生き残った光栄会の大幹部の話だが、外人部隊の殺しの手際は水際だってたそうだ。何しろ奴等は、菊池に傷一つ負わさずに、倉庫のなかにいたり倉庫を外から見張っていた光栄会の精鋭三十人を全員、三分たらずで片付けたそうだ。無論、やっと生き残った大幹部は、警察(サツ)に何もしゃべらなかった。警察病院から脱走して、光栄会の友好組織にかくまわれた。 光栄会に逆襲を掛けたのが外人の殺し屋部隊だということは、しばらくのあいだは俺たちは知らなかったけど、光栄会の会長はじめ幹部全員やられてしまって壊滅状態におちいったことぐらいは、極道組織の主(おも)だった者なら、その夜に知ることが出来た。 翌日、バイエルン貿易からいろんな極道組織に使者がきて、〝我々には赤い軍団という国際的な大組織がついている。赤い軍団の戦闘師団はミサイル部隊まで抱えている。だから、任侠(にんきょう)の紳士諸君に自重を望む。なお、赤い軍団の名を、最高幹部以外の組員や捜査当局に、もしもしゃべろうという気がある組織は、最高幹部のメンバーとその家族が皆殺しにされることを覚悟の上で行動をとってもらいたい〟 と、ぬかしやがった。 それで、俺たちはぶるってしまった。 雪ネタの場合も、バイエルン貿易からブツを卸してもらったのは、俺のところだけでなく、全国で二十を越えた組織だったろう。そのうちの、大阪の浪花組が、雪ネタをタダで一人占めしようとした」「浪花組も栄光会と同じ運命をたどった、というわけか?」 片山は呟(つぶや)いた。「その通りだ。そしてまた、バイエルン貿易から、赤い軍団の名を絶対に表に出さぬように、という警告があった・・・・・・頼む、ヘロインをくれ・・・・・・」「しかし、バイエルン貿易の雪ネタの密輸はバレた、というわけだな?」 財布に収めてあった二十グラムほどのヘロインのうちの一グラムほどをオブラートに包み、罐入(かんい)りのミネラル・ウォーター少量と共に三田村に呑(の)ませてやった片山は呟いた。「だけど、赤い軍団の名は、ついに隠し通された。バイエルン貿易の、いわゆる主謀者連中は、奴等がブツを卸した極道組織が次々に手入れを受けた段階で国外に逃げてしまったんだから、捕まった連中が赤い軍団の名を出すことも出来るように見えた。しかしだな、殺し屋部隊がまだ日本に残ってたんだ。捕まった極道団体の幹部クラスの誰もが、家族の誰かを人質にとられ、そのことを弁護士を通じて知ったんで、赤い軍団の名を出せるわけが無かった。家族が人質にとられたことをサツに知られないようにするだけで精一杯だった」「外国人の殺人部隊は、まだ日本に残っているのか?」「知らん。俺が日本を出てから、だいぶたったし・・・・・・ただ言えることは、捕まった組長や幹部連中が起訴される順に、そいつらの人質が釈放された、ということだ。殺し屋部隊のほかに、頭脳戦チームが日本にとどまって、弁護士を買収して、捕まった連中の供述内容や起訴状の写しを手に入れ、そこに赤い軍団の名前が出てこなかったことを知ったからだろう」「なるほど」「それから一年ほどたって、俺はパクられてしまった。お恥ずかしい話だが、俺は若い者(モン)にシャブや幻覚剤は商品なんだから、それを自分で使った者は破門すると言ってたのに、俺自身はミイラ取りがミイラになったというのか、シャブの中毒にかかってたんだ。 ある日、シャブの注射をしても効きが悪いんで、エンジェル・ダストで追い打ちをかけた。 それからあとのことはよく覚えてないが、新宿の三光会が俺のところに殴りこみを掛けようとしているんだという妄想(もうそう)がふくらんだ。子分どもは三光会に寝返ったと思いこんだ。俺は女房と息子どもも三光会に内通していると思って皆殺しにしてから、M十六ライフルを持って三光会に先制攻撃を掛けたわけだ。幻覚剤の効き目で、一人だけで乗りこんでいっても全然怖(こわ)くなかった。あとで聞いた話では、俺は二十四人も殺し、13人を不具(かたわ)にした」「それだけではない。警官五人を射殺し、三人を刺殺した」「どうして知ってる?」「いいから、話を続けろ」「ともかく、俺はあの時は気が狂ってたということで裁判で無罪になったが、ほかのことで十年の刑をくらった。刑務所に閉じこめられてからは、脱走して国外に逃げることばかり考えてた。三光会の生残りが、俺が出所したら仇討(かたきう)ちにしようと待ち構えている、という情報が入ってたんでな。神宮会は、俺が捕まったあと三光会の生残りに襲われて潰(つぶ)れてしまったから、俺が出所した時に俺のボディ・ガードになってくれる者はいねえ」「・・・・・・・・・・」「脱走出来ない以上は、なるべく獄中に長いこととどまっていて、三光会が俺のことを忘れてくれる時間を稼ぎたかった。俺の中毒は治っていたが、時々発作が起った振りをして看守に殴りかかって、仮釈でシャバに出されるのを防いだ・・・・・・だけど、あんなところに十年も閉じこめられるなんて気が狂いそうだったことも事実だ。そんな俺を、日空ハイジャックの連中が釈放させてくれた」「その時は、ハイジャッカーが赤い軍団の下部組織だとは知らなかったのか?」「そうなんだ。だけど、俺を自由の身にした上に、三光会が追っかけてこない国外に連れ出してくれるとはタナボタの話だからな。相手が何であろうと文句は無かった。 胃から吸収されたヘロインが体に回ってきたらしく、三田村は陽気なほどになった。ニヤニヤ笑いさえ浮かべる。「あんたは、日本政府の特別機に乗せられてアフリカ北部のリビアに運ばれた。これも特別釈放された殺し屋の谷崎兄弟と一緒にな。それに無論、政府がハイジャッカーに払う日空機乗客の身代金(みのしろきん)も・・・・・・」「あの時は楽しかったぜ。スチュワーデス五人も乗せねえと、俺はリビアなんて地の果に行ってやるもんか、と一応ゴネてやった。そしたら、俺の要求はすんなり通りやがってさ、ポルノ女優みたいなスチュワーデスのネエちゃんが十人も待ってたぜ。あとで、谷崎兄弟も俺と同じ要求を出したと分って大笑いさ。まあ、センズリで我慢させられてた人間が考えることは同じってことだな。 あの飛行機での待遇は最高だったな。シャンパンやコニャックは飲み放題だし、国家を救うためとか何ちゃって政府や会社におだてられたネエちゃんたちが口移しで飲ましてくれるの。キャビアやフォアグラも口に入れてくれるんだ 俺たちはジャンボ機のファースト・クラスの二階グランジで、姉ちゃんたちを輪〓(まわし)して楽しみ、谷崎兄弟とたちまちアナ兄弟になったってわけよ」「なるほど」「だけど、谷崎の兄の方はサドだな、ありゃ。うん。縛ったりベルトでブン殴ったりしねえと立たねえんだ。それに、カマっ気もあってな。一緒に乗ってた運輸政務次官とかいう野郎の秘書は、ちょっといい男なんで、とうとうバックからやられてヒーヒー泣いてやがったよ・それを見ながら、次官の野郎、一生懸命にカイてやがるんだ。 谷崎の弟のほうも変態だな。スチュワーデスから取上げた制服なんか着ちゃって、スチュワートの制服をつけさせたネエちゃんたちに上からまたがらねえと発射しねえんだ。 その点、俺はまともよ。ネエちゃんたちを取っ替えしながらずっとハメハメのやり通し。やりながら飲んだり食ったりしたんだから、まさにこの世の天国だったな。お蔭で、リビアに着いた時には膝(ひざ)がガクガクして一人じゃ歩けねえザマよ」「リビアで待ってたハイジャックの連中は、何のためにあんたや谷崎兄弟を日本政府に釈放させたか、という説明をしたか?」「ああ、あの組織は、殺しをやれる度胸がある男として、俺と谷崎兄弟を択(えら)んだ、と言っていた。 赤い軍団の名も聞かされた。赤い軍団は、後進国の犠牲の上にたって繁栄している大国の政府や、ボロ儲けしている大企業から税金を取立てて、その金でもってパレスチナ・ゲリラやジャリどもが飢えにさいなまれている国々の民族解放団体を援助している、世界的な大組織ということだった。 だが、俺にとっては、そんなお題目なんかどうでもよかった。谷崎兄弟にしたって同じだった。ともかく、月に一万ドルの給料と、働きに応じたボーナスを払ってくれ、万が一にもサツに捕まった時には実力で奪い返してくれるというんだから、こたえられん話だ」「・・・・・・・・・・」「ともかく、俺と谷崎兄弟は、あの国の首都のトリポリのホテルに三日間閉じこめられたあと、偽造パスポートと二万ドルをもらってローマに飛んだ。ハイジャックした連中のうち同志3(カマラード・スリー)とカマラード・5(ファイヴ)が一緒だった。奴等は名前でなく同志番号を呼びあっていたんだ。 ローマの空港でも何のチェックも受けなかった。入管や税関の役人がスト中だったせいもあってな」「入国のスタンプは誰が押した?」「到着客が勝手に押したんだ。航空会社の係員に押してもらった者もいた。スタンプはカウンターにほっぽり出されてたからな。ともかく、俺たちはローマで二た晩、パリで二た晩、腰が抜けるほどやりまくってから、税金天国のルクセンブルグに飛んだ。あそこのクレディ銀行にナンバー・アカウントの口座を開いて一万五千ドルを預金してから、俺たちはキャナダに飛んだ。当時の俺は日本語のほかはほとんどといっていいほどしゃべることも聴くことも出来なかったが、C(カマラード)・3は英語、C・5はフランス語が達者だったから通訳がわりになってくれた」「・・・・・・・・・・」 (つづく)
2021年09月04日
Photo by John Dixon >前回 オンボロ・ルノーを駆って、夜明け近いルサンゴの街に戻る。まず、食料品店の脇戸のロックを解いて店内にもぐりこみ、ドライ・ソーセージやチーズやタマネギ、それにナムという直径三十センチほどの薄焼きのパンや清涼飲料の罐などを一週間分ほど無断借用する。 ルノーをアルファ・ロメオ・アルフェッタの小型車に盗み替えた。無論、荷物も移す。ボスが行方不明になっているのに、警官の姿はまったく見当らない。 Alfa Romeo Alfetta Tipo 116 (Type 116) 二十四時間営業のアフロ・シカゴ銀行の駐車場へ行ってみる。夜勤のガードマンが眠そうに片山をみる。 駐(と)めてあった片山のオペル・カデット改は、そのままになっていた。片山はオペルから数台分離してアルフェッタを駐めた。腰の弾倉帯を外してアルフェッタから降り、拳銃をいつでも抜射ち出来るように右手を腰のあたりで遊ばせながら、カデット改に近づいた。 ガードマンは、壁に背をもたらせて居眠りしはじめていた。カデットのトランク・リッドを開いた片山は、ライフルやスーツ・ケースなどが荒されてないことを知る。 アルフェッタに積んでいたものを、一度すべて、カデットのトランク・ルームに移す。チョンバの金庫室から奪ったボストン・バッグだけを持って銀行のビルに入る。 片山の傭い主が用意してくれた三通のパスポートのうちの、スチーヴ・ミラー名義の合衆国のパスポートを示し、百万ドルを預金した。 眠気も吹っ飛んだらしい支店次長に、その百万ドルを、スウィスのチューリッヒにある銀行の、ケネス・K・マクドーガルの口座に振りこむようにと依頼した。 ケネス・K・マクドーガルは片山の本名だ。ミドル・ネームのKは母の姓のカタヤマをあらわしている。 次長はせめて十万ドルだけでも残して、この銀行の定期預金にしてくれと片山は口説いたが、片山は振りこみ手数料の稼(かせ)ぎだけで我慢してくれと突っぱねた。 送金手続きを終えると、片山は地下の貸し金庫室に降りた。すでに借りている保管函(ほかんばこ)を金庫室内の個室に運び、二十トロイ・ポンドのヘロインを仕舞った。 保管函をロッカーに戻そうとして考え直し、個室の屑箱(くずばこ)のなかに入っていたビニールのラップに、二十グラムほど取り分けたヘロインを包み、ポケットに移す。 オペル・カデット改を運転し、ルサンゴ・シー・サーヴィスのビルから直線距離にして六百ヤードほど離れた新築の高級アパートメントのまわりをゆっくり回ってから、そこの駐車場の来客用駐車ロットの一つに車を突っこませる。 まずは身軽に、火器は拳銃だけを身につけて、日本だとマンションだとかメゾンと呼ばれるその十階建てのアパートの非常階段を登った。ほとんど足音を立てない。 三十メートル・プールとテニス・コート四面がある屋上に着くと、投げ繩として使っていた牽引用ロープを手摺(てす)りに通し、十階のバルコニーの一つに降りる。 そのバルコニーがあるフラットはどの窓も真っ暗であった。もし誰か住んでいるとしたら、気絶させてから縛りあげる積りで、片山はフランス窓のガラスにガラス切りを当てる。 三寝室と二つの部屋とダイニング・キッチンを持つそのフラットは、アパートが建ってから誰も入居した者はいなかったようであった。生活臭がない。備えつけの冷蔵庫も使われた形跡が無い。 入居者がいたら、しばらくそのまま住めるように、最低限の家具は備えてあったが、ところどころの窓にはブラインドやカーテンを付け忘れている。 片山は内側からはキー無しでロックが外せるエール錠付きのドアを開いて廊下に出る。屋上からバルコニーに降りる時に使ったロープは、たぐり寄せて回収してあった。 廊下の端の非常階段のスウィッチを切っておき、非常扉を開く。非常階段を使って駐車場に戻ると、オペルのトランク・ルームから、ほとんどすべての荷物を十階の空きフラットに移した。無論、非常警報装置のスウィッチは再び入れておく。 夜が明けはじめた。 しばらくは赤錆(あかさ)びた水が出ていた水道で洗ったナイフでスライスしたタマネギとソーセージとチーズをはさんだナムを貪(むさぼ)り食いながら片山は、スコープ・スタンドをカーテンとブライドがない窓の近くに置いた。部屋の灯はつけてない。 スコープ・スタンドのロッドをのばし、椅子(いす)に坐った時にスポッティング・スコープの接眼鏡を自然な姿勢で覗(のぞ)けるように高さを調整する。五階建てのルサンゴ・シー・サーヴィスのビルの屋上が見えるように、スポッティング・スコープの焦点を合わせた。倍率は二十にしてある。 五十ミリ径の対物レンズのコンパクトなスコープなので六百ヤードの距離での視野は二十倍の倍率の時に二十五メーター足らずであった。それでも目ざすビルの屋上の半分以上を一度に見渡すことができる。 片山は倍率と焦点を変えながら、屋上の男たちをじっくりと観察した。六百ヤードとなると、普通の視力の者なら、肉眼では相手が動かないかぎり、そこにいることさえもよく分らない距離だ。 確かに、こちらに向いている機関銃座の二人のうち一人は、三田村の顔写真とそっくりであった。四十五、六歳のがっしりした体つきの男で、平べったい顔と蝮(まむし)のような目を持っている。キャンヴァスの折畳み式椅子に腰を降ろし、タバコを吸ったり膝(ひざ)の上に乗せた紙袋から出したスナック・バーをかじったりしながら、双眼鏡を時々目に当てる。 三脚に据えつけられた重機は水冷式ヴィッカーズであった。口径が三〇三ブリティッシュなのか三〇−〇六なのかは、遠すぎてはっきりとは分らない。 Norfolk Tank Museum.co.uk - Vickers Machine Gunhttp://norfolktankmuseum.co.uk/vickers-machine-gun/ Deactivated-Guns.co.uk - Vickers Machine Gunhttp://www.deactivated-guns.co.uk/.../deactivated-vickers-machine-gun 重機の右下に千発ぐらい入りそうな弾薬箱が置かれ、そこからのびた布製(ぬのせい)の弾薬ベルトが重機の装塡(そうてん)ブロックにつながっている。二メーターほど離れたところに、五個の弾薬箱と木箱がある。木箱の中味は手榴弾であろう。 三田村は膝の上に、紙袋のほかにM十六自動ライフルを横に乗せていた。腰の弾倉帯には、FNハイパワーの自動拳銃と二発の手榴弾を吊るしている。 IMFDB.org - Browning Hi-Powerhttp://www.imfdb.org/wiki/Browning_Hi-Power 相棒の白人傭兵は、露よけの屋根だけの小さなテントの下で、マットレスとスリーピング・バッグの上に寝転がっていた。 屋上のほかの機関銃座も、一人が見張り、一人が休んでいるというパターンに変りはなかった。 二つ目のナム・サンドウィッチをセヴン・アップで胃に流しこみながら、片山は目ざすビルの窓々を舐(な)めるように覗きこむ。 窓が小さな旧式のビルなので、ビルの内部の様子はよく分らなかったが、窓ぎわの椅子でライフルを膝のあいだにはさんでいる数人の白人とアジア人はよく見えた。 しばらくたってから片山はトイレに行き、大小便を済ませる。水洗のフラッシュ音をたてて隣りのフラットの住人に不信感を抱かれないように流さない。ブラインドが完全に閉じる寝室に行き、短機関銃をサイド・テーブルに置いて、ベッドのスプリング・マットレスの上に寝転がる。G・Iコルトのホルスターは腰につけたままだ。チャカ・ブーツをバンダーナのハンカチでくるんで枕(まくら)にする。 たちまち眠りこんだ。神経の一部は危険にそなえて目覚めていたが、体のほうはぐっすり眠りこむ。 目覚めた時は午後四時であった。誰も侵入者がなかったことを確かめてから裸になる。胸の傷はもう治っていた。 シャワーの音をたてたくないので、洗面のタブにためた水で体を拭った。スーツ・ケースから出した服を身につけるが、それはオリーヴ・グリーンの米軍用Tシャツと、洗いざらしのリーのカウボーイ・ワーク・シャツ、リーのブルー・デニムの、ところどころ継ぎを当てたオーヴァーオール・ジャケット、何度も洗って縮ませて腰や尻にフィットさせたリーヴァイス五〇一のジーパンであった。このスタイルなら目立たないで済む。 Lee Work shirts Lee 101 Overall Selvedge Denim Jacketebay DENIM_DEER Lee 101 Overall Dry/Raw Jelt Denim Jacketebay DENIM_DEER Levis 501 Denim Jeans 片山は朝飯と同じにナムにタマネギやソーセージやチーズをはさんだものを食い、レモネイドを飲みながら、スポッティング・スコープを使ってルサンゴ・シー・サーヴィスの屋上を観察する。 屋上の連中はみんな、何も起らないのでかえってくたびれてしまったからか、防水グラウンド・シートの屋根だけを張ったテントの日蔭で横になっていた。一人が起きあがって、ドラム罐を切断して作った簡易便器に腰を降ろし、ペントハウス誌をひろげた。 強烈な陽差しだが、片山が窓を細目に開くと、海からのそよ風が吹きこんできた。向い風だ。横風が弾道に及ぼす影響は大きいが、向い風や追い風では、強風であっても実際上ほとんど無視出来るほどにしか弾道を狂わさない。 片山はライフルをケースから出し、夜間の気温下で六百ヤードに正照準出来るようにライフル・スコープの上下と左右修正ダイヤルのノブを回しておく。 ソファに寝転び夜が更(ふ)けるのを待つ。ときどき、窓ぎわに据えたスポッティング・スコープを覗いたり、脱出にそなえて雑用をこなしたりする。 Youtube - Spotting Scope Basics by Sportsman's Warehousehttps://www.youtube.com/watch?v=Gi73uURvCLE How To Use A Spotting Scope by National Audubon Societyhttps://www.youtube.com/watch?v=kfYLQasllnA ルサンゴ・シー・サーヴィスの屋上の男たちは、まだ明るい六時頃に、黒人給仕が手押しのワゴンで運んできた夕食をとりはじめた。網焼きステーキをメイン・ディッシュとした、ワインとコニャック付きのフル・コースだ。片山はアタマにきて、ふた摘(つま)みの噛みタバコを口に放りこみ、文字通りグシャグシャ噛んでから、ニコチンが混った唾を呑みこむ。 Youtube - How to grill the best New York Strip Steak of your LIFE!by Hey Grill Heyhttps://www.youtube.com/watch?v=ABRWTlbXbfQ How to Cook a Ribeye Steak by Kosmo's Q BBQ & Grillinghttps://www.youtube.com/watch?v=bYwicrZw2xc How to Grill the Perfect Steak | Weber Genesis II Gas Grill | BBQGuys Recipeby BBQGuyshttps://www.youtube.com/watch?v=Zdfr2lSq8EM 頭がキーンと鳴り、心臓が早鐘を打った。頭がフラフラする。噛みタバコを吐きだした片山は、ヘロインの粉を少し舐(な)めた。酔っぱらったような気分になってくる。 ハッと目が覚めた時は午後八時近くであった。完全に熟睡したらしく、体力だけでなく気力も充実して、この調子だと二、三日は眠らずに済むような気分になる。 トニック・ウォーターでウガイをしてからトイレを使い、スポッティング・スコープを近くに据えた窓を一杯に開く。 鎌のような上弦の月が出ていた。ネオンの照り返しにぼかされてないあたりの星は硬質の明るい光を放っている。 片山は再びスポッティング・スコープを覗いた。薄い月明かりと星明りに加えて、近くのビルのネオンの明りがあるから、ルサンゴ・シー・サーヴィスの屋上の様子は、レンズを通すとよく見える。 屋上の八人は、全員が機関銃座についていた。 片山はしばらく観察していたが、アタッシェ・ケースから靴墨(くつずみ)を取出すと浴室に行く。ドアを閉じて、灯をつけ、黒褐色の靴墨を、額、頬(ほお)、鼻、顎(あご)、耳に塗り、明るい褐色の靴墨を蔭になる部分、つまり目のまわり、顎の下などに塗る。鼻下には髭(ひげ)があるので塗らない。首や両手の甲にも褐色の靴墨を塗った。 靴墨が乾(かわ)くと、長方形のテーブルを、開いた窓のこちら側に移した。その上に毛布を敷き、ウィンチェスターM七〇ライフルのスリングを左腕に捲(ま)き、テーブルの上で伏射(プローン)の姿勢をとった。スコープ・スタンドを動かし、スポッティング・スコープの高さを変えて、射撃しながら左肘(ひじ)の位置を変えずにスポッティング・スコープの接眼鏡を覗きこめるようにする。風は少し強くなっているが、風向きは変ってない。 IMFDb - Winchester Model 70 - Pre-1964 Winchester Model 70http://www.imfdb.org/wiki/Winchester_Model_70 Youtube - Attaching an M1907 Military Sling by hrfunkhttps://www.youtube.com/watch?v=mZTLY3062Qo まだ装瑱はせずに、片山はライフルを空射(からう)ちする。七倍にしてあるライフル・スコープを通して狙った六百ヤード先の人間は、肉眼で八十メーターほど先の人間を見るのと同じだから、かなり小さくしか見えないが、脈搏(みゃくはく)以外はコントロール出来る片山だから、失中の不安感は持ってなかった。 一度射座のテーブルを離れ、七ミリ・レミントン・マグナムの弾箱をテーブルの毛布の上に乗せる。伏射の姿勢をとった時に手さぐりで弾薬を掴(つか)める位置に置く。 薬室に一発、弾倉に三発装瑱すると、再び伏射の姿勢をとった。この高層アパートの方角に重機の銃口を向けている機関銃座の二人のうち、三田村の相棒の白人傭兵の胸に狙いをつけた。 一つの点を長く狙いすぎると視力が急激に落ち、十五秒も過ぎると照準の不正確さに気づかなくなる。それに、呼吸も長く止めると、視力にまで影響する。 だから片山は、まず右目の視線をライフル・スコープの鏡体の中心に一致させると、脈搏によって震動する銃の動きを上下のリズムに一定させ、四秒後に引き金を絞りはじめ、六秒後に絞り落した。 発射の反動でテーブルがずれる。銃口からほとばしった閃光(せんこう)の残像が片山の網膜に映っている。 狙った男が横転した。片山は素早くボルトを操作し、屋上の左側の機関銃座の一人を射ち倒した。もう一人の男にもライフル弾を射ちこむ。 三田村がヴィッカース重機関銃を射ちはじめていた。だが、片山がどこにいるか分らないらしく、とんでもない方角にタマをバラまいている。三発に一発の割りで放たれた曳光弾(えいこうだん)の弾道が鮮やかだ。 IMFDb - Vickers MK1 Machine Gunhttp://www.imfdb.org/wiki/Vickers#Vickers_MK1_Machine_Gun Youtube - Vickers Machine Gun Video by AZ Gunshttps://www.youtube.com/watch?v=ApmMbiF0nVs Vickers Heavy Machine Gun by Forgotten Weaponshttps://www.youtube.com/watch?v=HSG2Flnc1Rs 750 Rounds Through a Vickers Heavy Machine Gunby Forgotten Weaponshttps://www.youtube.com/watch?v=oKHdsdj-EZA しかし、重機の機関部に吸いこまれていくベルト弾倉を支える保弾手がいないので、重機は百発ほどタマを吐き散らしたところで回転不良を起した。 片山は三田村の右肘を射ち抜いた。肉と血と骨片が飛び散る。着弾のショックで右腕が背中のうしろに回ってしまった三田村は昏倒(こんとう)する。 屋上の右側の重機がやっと片山がいるビルのおおよその方角に銃口を向けて連射しはじめた。 素早く薬室に装填し、銃を裏返しにして弾倉に三発装填した片山は、その重機の二人を片付けた。 港を向いていた重機の射手と保弾手だけが、屋上ではまだ無傷で残っている。白人傭兵の射手とアジア人の保弾手は、三脚と共に重い機銃をやっと反対側に回し終えた。 片山はその二人を二発で片付けた。薬室と弾倉に装填する。 その時、気絶していた三田村が意識を取戻した。悲鳴をあげる格好に口を開き、M十六自動ライフルを乱射しながら、屋上出入口の建造物(ペント・ハウス)のなかに逃げこんだ。 三田村を殺してしまったら口を割らせることが出来ないから、片山は三田村の背に向けて発砲しなかった。 かわりに、今はライフルが次々に閃光を発しはじめたシー・サーヴィス・ビルの窓に向けて七ミリ・マグナム弾を射ちこむ。今はそのビルの灯はすべて消されていた。 三田村が安全圏に逃げこんだと思える頃になって、片山は屋上に放置された手榴弾の木箱の一つに、七ミリ・マグナム弾を次々に射ちこむ。 六発目に手榴弾が爆発した。はじめに爆発したのは一発だけのようであったが、その木箱のなかの百発以上の手榴弾が誘爆したことが分る。 爆発の閃光でビルのまわりは一瞬真昼のようになった。ハラワタに響く衝撃波と爆発音が片山に伝わる。重機が宙を舞った。 ほかの三個の木箱の手榴弾も、一瞬の間を置いて誘爆した。ビルの屋上と最上階の五階が崩れた。ビルの窓からの銃火が消えたのは、射手たちが逃げはじめたからであろう。 そのとき、海のほうからベルUH−1Dイロコイスの中型野戦ヘリが三機飛んでくるのが見えた。時速二百キロ以上を出しているので見る見る近づいてくる。 片山は伏射のスタンスから坐射のスタンスに変えた。弾倉に補弾する。 Bell UH-1 Iroquois Bell UH-1D-BF Iroquois taking off. Photo by Dmitry Kislov Bell UH-1D Iroquois 7218 Schonefeld 29-5-08 Photo by Chris England Youtube - Classix: Bau des Hubschraubers Bell UH-1D (1968) - Bundeswehrfrom Bundeswehrhttps://www.youtube.com/watch?v=R8gc4xiEYaI Bundeswehr - Start SAR 41 (Bell UH-1D 70+73)by Ole Meisenhttps://www.youtube.com/watch?v=AxOrjm4XkLE 三機のヘリは、ルサンゴ・シー・サーヴィスと片山がいる高層アパートの中間あたりで空中停止(ホヴァリング)した。高度は二百メーターほどだ。 片山はためらわずに射ちはじめた。カンで距離を計って狙点を決めながら、ボルト・アクション・ライフルのマグナム・ライフルを、五秒間に四発ブッ放した。真ん中のヘリを狙っている。 自分がたてるガスタービン・エンジンとローター・ブレードの轟音で、左右のヘリに銃声は聞こえないようであった。 しかし、真ん中のヘリは明らかに被弾したことが分った。斜め上に飛びはじめる。そして片山が空になった薬室と弾倉に手さぐりで装塡している時、そのヘリは酔っ払ったように出鱈目(でたらめ)に旋回すると、地面に向けて突っこんでいく。ローターを七ミリ・マグナム弾にやられたのであろう。 左右のヘリは、二十ミリ・バルカン砲を点射しながら前進をはじめた。片山がいるアパートメントにも、一分間に六千発の回転速度で発射された二十ミリ砲弾が数十発飛びこんで爆発を起す。 IMFDb - M61 Vulcan General Electric M61 Vulcan Cannon. Caliber: 20x102mmhttp://www.imfdb.org/wiki/M61_Vulcan Youtube - 'The Hand of God' M61 20mm Vulcan Cannonby Gunscomhttps://www.youtube.com/watch?v=K3Dp6Fass2Y 20mm Vulcan vs Humvee Bulletproof Windshield by FullMaghttps://www.youtube.com/watch?v=gSM4IHYmqwM 20mm Vulcan Prius vs Bulletproof Glass by FullMaghttps://www.youtube.com/watch?v=p1i2s5-61iQ 片山もライフルで応射していた。左側のヘリに集中弾を浴びせる。その時には、真ん中にいたヘリは民家の上に墜落して火柱を吹きあげていた。 左側のヘリもキリキリ舞いをはじめた。 その時になってやっと、右側のヘリが片山の位置を摑んだようだ。バルカン砲弾の着弾が片山に近づいてくる。 片山がテーブルから跳び降りて逃げはじめた時、バルカン砲は沈黙した。バルカン砲はあまりにも高回転のため、たちまち弾倉室の実包を射ち尽くしたのであろう。ジェット戦闘機と較べると飛行速度がひどく遅いために六連装回転式バルカン砲の空冷がうまくいかず、焼きつけを起したのかも知れぬ。 片山は窓ぎわに戻り、旋回してドアを外した右横腹を見せながら、口径七・六二ミリのM六〇多目的機銃を掃射しはじめたヘリに、立射の狙いをつけはじめる。 IMFDb - M60 machine gunhttp://www.imfdb.org/wiki/M60 片山のライフルから放たれた一発目がそのヘリの機銃の射手を殺し、二発目から四発目までがエンジン・ルームに飛びこんだ。エンジンの回転がひどく乱れ、排気孔から黒煙を咳(せき)こみながら、ヘリは急激に高度を落していく。 Vサインを右手で示しながらニヤリと笑った片山は、ライフル弾に素早く三発装塡し、銃ケースに仕舞った。 二機目と三機目が墜落した音が派手に響いた。 ケースに入れたライフル、アタッシェ・ケース、弾薬やスポッティング・スコープなどを入れたボストン・バッグを背負い、ウージー短機関銃を腰だめにして、フラットの玄関に走る。手榴弾を吊るした弾倉帯を腰に捲いていた。 爆煙と悲鳴が漏れてくる廊下に跳びだした途端、片山の左右の横腹に拳銃が突きつけられ、「動くな!」 と、英語の震え声が浴びせられた。 片山に拳銃を突きつけたのは、二人の黒人ガードマンであった。右側の男はS・Wリヴォルヴァーの撃鉄を起しているが、左側の男はコルト・リヴォルヴァーの撃鉄をまだ起していない。S・Wもコルトも軍用モデルだ。 IMFDb - Smith & Wesson Model 10http://www.imfdb.org/wiki/Smith_%26_Wesson_Model_10 M1917 Revolver - Smith & Wesson M1917 Revolverhttp://www.imfdb.org/wiki/M1917_Revolver#Smith_.26_Wesson_M1917_Revolver Colt M1917 Revolverhttp://www.imfdb.org/wiki/M1917_Revolver#Colt_M1917_Revolver 立ちどまった片山は、短機関銃を放りだしながら、左右の手を目にもとまらぬ早さで走らせた。右手は右側のガードマンの拳銃を摑み、親指を撃鉄と撃針面のあいだにはさみこむ。左手は左側の男のリヴォルヴァーの銃体(フレーム)と輪胴を一緒に摑んだ。 右側の男は反射的に引金を引いたが、倒れた撃鉄の撃針は片山の親指を打っただけで撃針面の実包の雷管にはとどかない。 左側の男は引金を絞ってダブル・アクションで発射しようとしたが、輪胴が回転しないことには撃鉄も動かない。 次の瞬間、片山は二つの拳銃を摑んでいる両手に激しい力をこめた。 それぞれの拳銃にしがみついている黒人ガードマンは振りまわされ、額と額が激突した。崩れ折れる二人の顎を、片山は全体重を乗せて蹴り砕く。 首の骨が外れた二人のガードマンはもう助からないかも分らぬ。短機関銃を拾った片山は、そのウージーを時々威嚇射撃しながら階段を走り降りる。バルカン砲弾を射ちこまれた部屋の幾つかが燃えていた。 片山はアパートメントを出る。道路では近くの住人たちが発狂したようになって逃げまわっていた。三機のヘリが墜落したあたりからは、赤黒い炎と煙が竜巻きのように立ち昇っている。 救急車や消防車やパトカーのサイレンの音は聞えなかった。アパートの駐車場に回った片山は、オペル・カデット改の助手席やバック・シートに、背負っていたものを放りだし、安全装置を掛けて銃口を助手席のドア側に向けた短機関銃を助手席の床に置いた。 その車を駆って、ルサンゴ・シー・サーヴィスのビルのほうに行ってみる。港湾労働者の野次馬が、五階と屋上が崩れ、その下の階にも派手にヒビが入ったビルを見ていた。 片山はそのビルの二百メーターほど手前で車を停め、双眼鏡を目に当てる。 担架に乗せられた数人の男がビルから運び出されたのが五、六分たってからであった。担架の上で呻(うめ)いている者のなかに三田村もいる。 担架は、ビルの前に駐(と)めてあるニッサンのキャラバンとホーミーのルート・ヴァンに乗せられた。全車の半数近くが日本車であるナイジェリアほどでないが、このガメリアでも日本車が占めるパーセンテージは少なくない。無論、左ハンドル仕様だ。 Wheel Sage.org - Nissan Caball Van (VC142) '1966–76https://en.wheelsage.org/nissan/caball/36785/pictures/479457 ルート・ヴァンの特徴は、荷室のサイド・ウインドウがガラスでなく、プレス鋼板に替えられていることだ。その目的は直射日光を嫌う商品や、窓ガラスだとぶつかった時に突き破ってしまうような固い荷を詰めこむためだ。 サイド・ウインドウが鋼板だから、ルート・ヴァンの荷室は横から覗きこめない。二台の荷室のスライド式ドアから、担架をかついでいた男たちが四人ずつ乗りこんだ。 二台の助手席には、白人傭兵らしい男とアジア系傭兵が、それぞれ二人ずつ乗った。彼等四人の傭兵は完全武装していた。 野次馬を轢(ひ)き殺しそうになりながら、二台のルート・ヴァンは走った。 片山は一度ビルの裏通りに回ってから二台のルート・ヴァンを追った。うしろのホーミーの荷室に三田村は積まれている。 アクセルを床まで踏み、横断中の野良猫を轢き殺し、片山はホーミーに迫った。弾倉帯から手榴弾を外し、歯で引き環をくわえて安全ピンを抜き、安全桿を跳ねとばさせる。 一秒ちょっと待ってからホーミーに並び、運転台の開いた窓の内側に、すでに激発している手榴弾を放り込む。 ホーミーの右側の助手席の二人の傭兵は、あわてて手榴弾を摑もうとしてあせった。悲鳴を口からほとばしらせている。急ブレーキで斜めに向いて停まったカデット改とニッサン・ホーミーの間隔はすでに三十メーターほど離れていた。 白人傭兵がやっと手榴弾を持上げ、窓の外に放りだそうとした時、手榴弾は爆発した。 爆圧でホーミーの運転台の左右のドアは吹っ飛び、グシャグシャになった三人の男が路上に転げ落ちた。 運転手を失ったホーミーは蛇行し、街灯の柱をへし折って歩道に乗りあげると、石造りのビルに激突して横転する。 ホーミーの運転台で起った爆発に驚いて、先行していたニッサン・キャラヴァンは急ブレーキと急ハンドルで横丁の通りに逃げこもうとした。 曲がりきれずにふくらみ、キャラヴァンは建物に横腹をぶつけて跳ね飛ばされ、真っさかさまになって引っくり返って滑る。 片山はカデット改を発振させ、仰向けのまま動きを止めたキャラヴァンの、運転席とリア・ゲートの窓が割れた荷台に、撃発させた二発の手榴弾を放りこんだ。 カデットをバックさせてホーミーの近くに戻る。その時、キャラヴァンは爆破された。 短機関銃を腰だめにして、片山は車道に降りた。 ホーミーは、今は運転台のシートの下のエンジンから火を吹いていた。リア・ゲートと左を下にして横転しているために上側になっている右のサイド・ドアが開く。 絶叫をあげながら、二人の男が歩道に転がり出た。一人は三田村だ。 片山は三田村とはちがうほうの男を短機関銃で射殺した。荷室のなかに二十発ほど射ちこんでおき、怪我をしていないほうの左手で頭を抱えて額を歩道にこすりつけている三田村に走り寄る。 三田村の上着の右袖(みぎそで)は千切り取られ、右腕には肘を中心にして包帯が分厚く捲かれていた。 片山は三田村の耳の上を蹴って意識を失わせた。三田村のベルトを左手で摑んでぶらさげ、素早くあとじさってオペルに戻る。右の人差し指は短機関銃の引金から離さず、鋭い視線をあたりに配っている。 (つづく)
2021年08月28日
Photo by Ed Brooks >前回 片山は渾身(こんしん)の力をこめてチョンバを立たせた。チョンバが坐りこもうとすると、「ケツの孔を抉ってもらいたいのか? そうなったら、車椅子にも乗れなくなるぜ」 と、威嚇する。 脂汗(あぶらあせ)にまみれながらチョンバは左足で跳び歩いた。さすがに巨根もしぼんでいたが、それでもビール壜ほどある。 隣りの金庫室のロッカーには、現ナマ百万ドルと、ヘロイン五十キロ、モルヒネ百キロ、アヘン四百キロ、それに多国籍企業の株券が三百万ドル相当分ほど入っていた。拳銃十丁と手榴弾(しゅりゅうだん)二十個もある。「これが、これまであんたが貯えたすべてか?」 そこにあった大型のボストン・バッグに百ドル札を詰めこみながら、片山は尋ねてみた。「スウィスの幾つかの銀行に五百万ドルを預けてある。だけど、あんたも知ってるだろうが、儂(わし)が直接一人で頭取に会わないかぎり、預金を引きだすことが出来ない特約をつけてある」 チョンバは答えた。「スウィスの銀行の預金は手紙でも引きだせるぜ。あんたの匿名口座番号とサインと暗号を、引きだし依頼の手紙に付け加えたらな」「手紙では引きだせない特約をつけたんだ。革命が起ったとき、革命軍に無理やり手紙を書かされても無効になるように」「なるほど、そうだとすると、あんたがくたばったら、スウィスの銀方に預けた金(かね)は銀行のものになってしまうわけだな?」「だから死にたくない・・・・・・頼む・・・・・・」 チョンバは棚に尻を乗せて上体の重みを支えながら哀願した。 百万ドルは一万円札の四分の三ほどしか大きさも重さもないので、一万枚の百ドル札は十キロほどで、ボストン・バッグのなかに収まった。片山はボストン・バックのなかのまだ空いているスペースに、ヘロイン二薬用(トロイ)ポンド 一薬用ポンドは十二オンスで三百七十三・二グラムだから二トロイ・ポンドで七百五十グラム弱 が詰まったビニール袋を十個入れた。オブラートの小箱もあったので、それをポケットに入れ、米軍用の無音型破片手榴弾十個を弾倉帯に吊るす。四個をポケットに入れた。 投げ繩のロープの後端二メーターほどを切り、ボストン・バックも自分の背中にくくりつける。「助けてくれ・・・・・・」 チョンバはくどかった。金属製の床に坐りこむ。 片山はチョンバのうしろに回り、羽交いじめにすると、その体を寝室に引きずっていった。「さてと、赤い軍団についてしゃべってもらう時間が来たようだな」 片山は絨毯の上に寝かせたチョンバに言った。「知らん。くわしいことは何も知らんのだ」「知らんのに、軍用機を使わせてやったり、練兵場を提供したりしたのか? あんまり笑わせるなよ」「金のためだ。はっきり言う。儂は買収されたんだ、チャンポングと同じように・・・・・・」「なるほど・・・・・・」「チャンポング・・・・・・ルサンゴ治安警察本部長の蔭のオーナーのチャンポングを通して儂に話が持ちこまれた。 チャンポングはこう言った・・・・・・入港したサンチョ・パンサ号は、実は赤い軍団という組織の支配下にある。赤い軍団は日本という国に・・・・・・ナチス・ドイツと世界を二分して征服支配しようとアジアの大部分の国を占領して残虐のかぎりを尽し、大戦に敗れたあとはスーパー・ジューとして生まれかわって、経済力で世界を支配しようと企んでいる日本に、正義の鉄槌(てっつい)をくだそうとしている大きな組織だ。 それにチャンポングは、赤い軍団は核爆弾まで持っている、と言った。四年前に、西ドイツ政府がイズラエル政府にひそかに売り渡したウランを運搬中の船を襲って奪った核燃料を材料にして作った核爆弾を持っているから、赤い軍団を怒らせたら、ガメリアは核爆弾の標的にされると・・・・・・」「その話は本当か?」 片山は呻(うめ)いた。 地中海で核ジャックが行われたことは、西ドイツとイスラエルの両国政府が極秘事項にしていたが、徐々にマスコミに漏れ、片山も核ジャックのスクープ記事を読んだ覚えがある。もっとも、核ジャックを実行した組織については、両国政府とも摑(つか)んでいないようだが。「本当かどうかは儂は知らん。チャンポングがそう言ったんだ。ともかく、サンチョ・パンサ号の積み荷を人質がわりにして、赤い軍団は日本政府をキリキリ舞いさせる気だから、軍も協力してくれ・・・・・・治安警察も赤い軍団に協力することになったから、とチャンポングは言った。協力費の手付けとして儂に三十万ドル、日本政府から赤い軍団に慰謝料を捲(ま)きあげることに成功したら、あと五十万ドルを払うと赤い軍団が約束していると・・・・・・」「・・・・・・・・・・」「協力といっても色々な意味があるから、具体的にはどうなんだ、と儂は尋ねた。我が軍が日本大使館を砲撃するようなことになったのでは、ちょっとばかし問題になるからな。 そしたら、チャンポングは、サンチョ・パンサ号の事務長(パーサー)で、赤い軍団の中尉だというマローニを連れてきた。 マローニは三十万ドルの手付けを現ナマで持ってきた。そして言うには、協力といっても何も難しいことはない。赤い軍団と日本大使館を根城にしている日本の特務機関員(エージェント)が戦闘状態におちいったとしても、国軍は赤い軍団に手出しをしないでもらえたらいいわけだ。 それと、赤い軍団の兵士たちの輸送や軍事訓練や武器弾薬の供給に便宜を計らってもらいたい。赤い軍団が日本政府を痛めつけることに成功したら、五十万ドルの残金のほかに、閣下・・・・・・儂のことだ・・・・・・が高原にストックしているヘロイン十トンを五百万ドルで引取る用意がある・・・・・・と、マローニは言った」「・・・・・・・・・・」「実を言うと、ルサンゴに寄港した船はヨーロッパやアメリカの港で厳しく調べられ、積んでいった麻薬を没収されることが多いので、ここでのヘロインの卸し値は、この頃はキロたった三百ドルまでさがってしまったのが実情だ。数年前から較(くら)べると暴落もいいところだ。しかも、トン単位の大口の取引きをとなると、この頃はさっぱりなくなってしまった。だから、儂が倉庫にストックしておるヘロインは、捌(さば)ききれないで自然にたまってしまったものだ。だから儂はマローニの話に乗ることにした」「チャンポングも無論、赤い軍団にヘロインを引取ってもらうんだろうな?」「そうだろう。奴も五トン以上のストックを抱えて参っているという噂(うわさ)を聞いたことがあるから」 チョンバは答えた。 その時、電話が鳴った。「誰からか知らんが、うまく調子を合わせろよ。英語を使え。株券やスウィス銀行の預金をパーにしたくなかったらな」 片山は言い、電話のコードをのばして、倒れているチョンバの耳と口に受話器を当てた。自分も横になり、受送器に耳を寄せる。「誰だ、儂はパトリック・チョンバだぞ。いま何時だと思ってるんだ?」 チョンバは精一杯に怒鳴った。「私ですよ。チャンポングです。話がある。電話ではまずい。これからすぐにお伺いしますから」 狡猾(こうかつ)そうな声がひどい訛(なま)りの英語で言ってきた。「そ、それは困る」「ともかく、これから伺います。こんな時間ですから、何のおもてなしも要りません。ただ、番兵たちに、私がそちらに着くことを知らせておいてもらいたくて」 チャンポングは電話を切った。立ち上った片山は、「電話での話はまずい、と言うのは?」 と、尋ねる。「あんたのことで相談に来るんだろう。電話局には、儂やチャンポングの地位を狙(ねら)っておる連中の手先がいるだろうから・・・・・・なあ、頼む。早く退散してくれ。儂はあんたに襲われたが、気絶した振りをして何もしゃべらなかった、とチャンポングに言っておくから」「あんたが番兵に命令する時はどうやるんだ?」「窓からメガフォーンを使って叫ぶんだ」「そいつはまた原始的だな。庭の番兵たちを窓の下に集めて、 〝チャンポングがもうすぐやってくるが、奴は儂の政敵に買収されて、儂を暗殺しようと企んでいることがわかった。だから、奴の車を庭に入れておいてから、射撃を開始しろ。チャンポングの護衛は殺していいが、チャンポングは生捕りにしろ。奴を尋問する必要がある。うまくいったら、給料を三倍にしてやる。その上、ボーナスとして三年分の給料を払ってやるし、女房も買い与えてやる〟 と、言ってもらいたい」「無理だ」「どうしてだ、死にたいのか?」「儂の部下は、チャンポングだけを生捕りにするなんて芸当は出来ん」「まあ、あんたの部下にバクチを打たせてみよう。俺が言った通りにするんだ」「嫌だ。チャンポングを殺したら、儂は完全に失脚する。軍と警察のあいだで戦争が起るかも知れん」「失脚するのは怖(こわ)いだろうが、オカマになるのは構わぬと言うわけか?」 片山はチョンバの男根を摑み、引きのばしておいて、根元にナイフの刃を当てた。「・・・・・・・・・・!」 怪鳥のような叫び声をあげたチョンバは小便をほとばしらせようとした。片山が握りしめてなかったら漏らしたところだ。尿道に小便がたまり、男根が再びふくれ上る。 苦悶(くもん)したチョンバは、巨大なウサギの糞のようなものを五、六個肛門から絞り出しながら意識を失った。片山はチョンバの男根から手とナイフを離して跳びじさる。 噴水のように小便がほとばしった。 またまたチョンバに意識を取戻させた片山は、「ちょっとは物分りがよくなったかな?」 と、苦笑いして見せた。「分った。番兵に命令するから起してくれ」 チョンバは溜息(ためいき)をついた。 片山はチョンバの体を転がしながらガウンを着せた。棚に乗っていた電池付きのメガフォーンを持ってくる。 この寝室にはバルコニーはついてなく、したがって窓はフランス窓でなく観音開きのものであった。 片山はその窓の一つの手前にチョンバ専用の巨大な椅子を運び、チョンバを支えてその椅子に腰かけさせた。まだ窓は開かない。 気絶から醒(さ)めかけているラテン系の娘に活を入れた。意識を取戻した娘は、「助けて・・・・・・何でもするわ・・・・・・あなたの奴隷になる」 と、泣きながら言った。ラテン訛りの英語であった。「涙を拭えよ。簡単な仕事をやってもらいたい。チョンバの口に、メガフォーンを当てていてくれたらいいんだ。俺はあんたらを殺す積りはない」 片山は言った。「有難う・・・・・・有難う・・・・・・」 娘は片山のチャッカ・ブーツに何度も接吻(せっぷん)した。 兵士たちは、そのあとチョンバがくだした命令に何の疑いも抱かなかったようだ。だが興奮しきっているのがよく分る。正門を開き、その門の脇(わき)の詰所から太鼓を取って焚火(たきび)のまわりに戻ると、太鼓を叩きながら戦いのダンスをはじめた。 片山はチョンバとラテン系の娘をまた気絶させた。寝室の灯(あかり)を消し、開いた窓に寄る。 チャンポングの一行らしい、官公庁ナンバーの黒塗りの車三台が正門をくぐった。 先頭はランチア・ガンマ、真ん中がベンツ六〇〇のプルマン・リムジーン、最後がフィアット一三〇と、いずれも高級車だ。 Lancia Gamma (*Coupe) Mercedes-Benz 600 Pullman Fiat 130 兵士たちは噴水プールの前に横一烈に並んで片膝(かたひざ)をついた。分隊長が現地語で怒鳴るとモーゼル・ボルト・アクション・ライフルの遊底をガシャンと動かして薬室に装填する。 その時には、三台の車は彼等の左前方百メーターほどに近づいていた。 分隊長があわてて号令を掛ける。三十丁のライフルが火を吐いた。 IMFDB.org - Mauser Karabiner 98khttp://www.imfdb.org/wiki/Karabiner_98k Youtube - Mauser 98k: full disassembly & assemblyby Si vis pacem , para bellum.https://www.youtube.com/watch?v=-pdtKmvt3Rw How to disassemble a ww2 German K98K Mauser rifle(field strip) (deactivated) by Evo7125https://www.youtube.com/watch?v=J02-86_dDZU Mauser K98k BYF 43 by hickok45https://www.youtube.com/watch?v=l2HwrEDjSf8 先頭の車が蜂(はち)の巣のようになって停(と)まった。あとの二台は、あわててUターンしようと車道から芝生にはみ出す。車窓からは、拳銃を突きだした制服警官たちが乱射する。 兵士のうち二人が倒れた。 残りの兵士は再びボルトを操作して発砲する者もいるし、銃身を摑んだライフルを振りあげて車に迫る者もいる。 何人かの兵士は、背中に味方の銃弾を受けて倒れた。 片山のカンではチャンポングが乗っていると思われるベンツ六〇〇のプルマン・リムジーンが、偶然にも左の前輪と後輪のタイヤをライフルで射ち抜かれて大きく傾いた。 エンジンが強力すぎ、接地した金属ホイールは芝生の土を掘るばかりだ。その間に、フロント・ウインドウが吹っ飛び、ボディにも数発のライフル銃弾をくらっているフィアット一三〇がUターンに成功し、正門に向けて走りかけた。 ウージー短機関銃を肩付けしていた片山は、フル・オートでそのフィアットを掃射した。大きく開いた両足を踏んばり、把手を兼ねた弾倉室を物凄い力で引きつけている。 着弾の土煙を見て照準を修正していく。 怒涛(どとう)のようなフル・オート射撃を浴びたフィアットは、ボディや車窓内に二十数発くらっただけでなく、運転手もやられたらしい。 酔っ払ったように蛇行(だこう)したフィアットは塀(へい)に激突し、崩れた塀にエンジン・ルームを突っこんで停まった。 片山の銃撃をチョンバや屋内の番兵たちは援護射撃と思ったらしく、庭にいる生残りの兵士たちは、ライフルを乱射しながら三台の車に向けて走った。 だが、手動のボルト・アクションでも、弾倉はたちまち射ち尽される。兵士たちは走りながら、腰のベルトの弾薬盒(だんやくごう)から保弾子(ストリップ・クリップ)を取出し、そのストリップ・クリップの尻にはさまれた五発の七・九ミリ実包を弾倉に押しこもうとする。 しかし、あせっているので、ストリップ・クリップが受筒(レシーヴァー)のクリップ溝(スロット)にうまく入らず、弾薬をばらまく者が多かった。銃身に着剣する者もいる。 Youtube - The difference Between a German Kar98K and a Yugoslavian M48 Mauser Rifleby Mike Bhttps://www.youtube.com/watch?v=KLD7pX8lkU0 その間にも、三台の車の生残りの警官の拳銃弾に倒される兵士たちが少なくなかった。 片山はウージーの四十連弾倉を替えた。兵士たちの背に短機関銃弾を浴びせる。 兵士たちが全滅すると、三本目の弾倉に替え、まずランチアに集中弾を浴びせた。 四本目の弾倉の実包はフィアットに使った。五本目の弾倉のうちの二十発ほどをベンツ・リムジーンに浴びせ、チョンバの頭に三発射ちこんでから廊下に走り出る。 階段を使って一階に降りた。みんな部屋のなかで震えているらしく、廊下にも階段にも生きた人影は無かった。 玄関のドア・ロックを針金で解いている時間がおしかった。ポケットから手榴弾を一個取り出した片山は、右手で安全桿(あんぜんかん)のレヴァーを弾体と共に握り、左手で安全ピンの引き環をぐっと引っぱり抜く。 十メーターほどの距離から、ドアの下にそっと当たるようにアンダー・スローで投げた。空中で安全桿は跳ね飛び、同時に撃鉄は火管の点火薬を打って導火ヒューズに着火させる。無音型だから、信管体(ヒューズ)の導火線が燃えるシューシュー、パチパチという音もたてず、ガス・ヴェントから煙も出ない。 Quanonline.com - Introduction To The Vietnam War Era Us Grenadeshttp://quanonline.com/grenade/index.html 片山は玄関ロビーから横の廊下に逃げた。逃げながら、タバコ二本のフィルターを千切って耳栓(みみせん)にする。 投擲(とうてき)してから四秒半ぐらいたって導火薬の燃焼が雷管に達し、TNT火薬の爆発が起った。ちょっとの間を置いて片山は玄関ロビーに顔を突きだす。 爆煙のヴェールを透かし見て、玄関のドアが吹っ飛ばされているのを知った。 左手で短機関銃を腰だめし、右手に安全ピンを抜いた手榴弾を握った片山は走り出た。 蜂の巣となったランチア・ガンマに四十メーターに近づき、手榴弾を投げると身を伏せる。破片型手榴弾の危険限界は半径約十メーターだ。 ゆるい弧を描いてランチアの車内に飛びこんだ手榴弾が爆発した。四つのドアが吹っ飛び、ついでに六つの死体も爆風で車内から吹き出された。伏せた片山に、スピードを失った鉄片が降り落ちる。 片山はフィアットも爆破し、ベンツ六〇〇に近づいた。 その時、アメ車のフル・サイズ・カーのほとんどよりも大きいメルツェデス・ベンツ六〇〇プルマン・リムジーンのドアが開き、「助けてくれ!」 と、英語とフランス語とドイツ語で哀れっぽく叫びながら、三人の男が転げ出た。三人とも血まみれだ。芝生の上を四つん這いしながら、手を合わせて拝んでいる。三人とも黒人であった。「貴様がチャンポングだな?」 三発目の手榴弾を右手に握っている片山は、三人に走り寄り、一番上等の背広を着けている と、言っても血に汚れ、銃弾で引き裂かれていたが 五十歳代の痩(や)せた長身の男の恐怖に引きつった目を覗(のぞ)きこみながら尋ねた。口に手榴弾から抜いた安全ピン環を横ぐわえしているので、呟(つぶや)くような声だ。「そうだ・・・・・・一体、何のつもりだ。助けてくれ!」 男はチョンバの寝室の電話で聞いたことがある声で答えた。チャンポングに間違いないだろう。「よし、動くなよ。死にたくなかったら」 片山は言い、左手の短機関銃を点射して、チャンポング以外の二人の男を片付けた。片山は、いざとなったら左手でも右手とさほど変わらぬスピードで拳銃を抜射ち出来る肉体を持っている。 チャンポングは呻(うめ)き声と共に気絶した。 短機関銃に安全装置を掛けて首から吊った片山は、手榴弾に安全ピンを刺し戻した。安全装置がかかったその手榴弾の安全桿を弾倉帯のパウチのあいだに差しこんで吊る。 安全ピンが挿入(そうにゅう)されているかぎり、滅多なことでは暴発は起らない。暴発の場合、無音無煙型の手榴弾だから、撃発されたことに気付くのが遅れて片山は即死をまぬがれないだろうが。 チャンポングの体を素早くさぐって武器をもってないことを確かめる。左手でベルトを摑んでチャンポングをぶらさげ、片山は裏庭を抜けて走った。右手は、右腰の拳銃や首から吊った短機関銃を使わねばならぬ場合にそなえて空けている。 無事に裏塀にたどり着いた。塀の上にチャンポングを乗せ、塀を跳び越すと、再びチャンポングをぶらさげて走る。 夜はパトロールの警官などいないし、たとえいたとしても、銃声の交錯に肝(きも)を冷やして逃げたであろう。 片山は誰にも会わずに、公園に停めてあったルノー一二にたどり着いた。直結したエンジンを掛け、チャンポングの耳の上を鋭く蹴ってしばらくのあいだ気絶から醒(さ)めないようにし、セミ・ノッチ・バック型の狭いトランク・ルームに体を折り曲げて詰めこんだ。 背負っていたアタッシェ・ケースとボストン・バッグを助手席の床に置く。短機関銃は助手席のシートに置いた。騒音をたてるルノーを発進させた。 アクセルを踏む右足の上に組んだ左足の膝をハンドルに押しつけてステアリングを切りながら、空になっている短機関銃の弾倉を数本、弾倉帯のパウチから抜いた。 アタッシェ・ケースから出した弾箱に入っている9ミリ・ルーガー実包を、強い弾倉スプリングの力にさからって、両手を使いながら塡(つ)めていく。四十連弾倉だが、ギシギシに塡めすぎて回転不良を起こさぬように、三十八発ずつ塡める。短機関銃からも弾倉を抜いて補弾した。 高級住宅街の丘を北東に抜けると、六キロほどはサヴァンナだ。ところどころ現地人の小屋の灯がまたたいている。 サヴァンナを抜けると、中国軍の機甲大隊と野戦師団の広大な基地の北側フェンスの横を国道は通っていた。 国道の基地と反対側はジャングルだ。 基地の金網のフェンスに沿った国道を、片山はアクセルを床まで踏んづけてルノーを走らせた。百三十キロぐらいしか出ない。片山は今は片手でハンドルを操作している。 十キロほど走らせたところで、基地の奥から、夜間砲撃訓練の巨砲の、無気味な発射音と着弾の爆発音が響いてきた。中国軍基地の広さは東西三十キロ、南北十五キロもあるのだ。 片山はさらに三キロほど行ってから、右側のジャングルのなかに通じる細い無舗装路(ダート・ロード)に車を入れた。そのあたりまで来ると、砲撃音はさらに迫力を帯びてくる。 一キロほど行って、ジャングルが少し切り開かれているところに車を停めた。車から降り、短機関銃を左手に持ってトランク・ルームを開く。 チャンポングは意識を取戻していた。片山を見て悲鳴をあげるが、殷々(いんいん)たる砲声の響きからくらべると、ちょっと耳ざわりなだけだ。 片山はチャンポングを地面に放りだし、「俺が誰だか分るな?」 と言った。 頭を抱え、絶叫をあげて転げまわったあと、チャンポングは、「ケネス・チャンと名乗って入国したホンコンのセールスマンということになっている。だけど、誰が信用するもんか。日本か合衆国の政府に傭(やと)われた破壊工作員だろう?」 と、わめいた。「さすが治安警察本部長ともなるとお目が高い」 片山はニヤリと笑った。「工作員と認めたからには、俺をここで殺す気だな!」 チャンポングは恐怖のあまり吐きはじめた。「ちがうぜ、馬鹿が・・・・・・さっきのはお世辞じゃなくて皮肉だ。どうして俺が日本政府に傭われた男だと思うんだ?」「サンチョ・パンサ号の連中を傷めつけてるからだ」「合衆国の工作員でないか、と思うわけは?」「マローニが・・・・・・サンチョ・パンサ号のパーサーが言ったからだ。それに、我々の調べでは、あんたは入国するとすぐバー・ジャイアント・エラルドに入っている。あそこはC・I・Aの溜り場だ。あそこで指令を受取ったにちがいない」「なるほど、それでは、俺をC・I・Aの破壊工作員と思ってくれ」「認めたんだな! こ、殺さんでくれ。俺は右腿と脇腹を射たれてるんだ。死ぬ時はもっと辛いに決っている。助けてくれ」 チャンポングは、心臓が喉からとびだしそうな表情になっていた。「俺が尋ねることに素直に答えたら、米軍基地内の病院に運んでやる。あそこなら、ルサンゴ市内の病院よりはるかに設備がいいし、医者の腕もいい」「そ、そんなうまい言葉に誰が騙(だま)されるもんか。サンチョ・パンサ号のアルバート・リーやフランシスコ・エルトリルは、あんたの車で連れ去られたきり戻ってこない。奴等の口を割らせてから抹殺(まっさつ)したんだろう?」「ちがうな。奴等は基地の病院で手当てを受けている。二週間ぐらいで退院できるそうだ」 片山は真面目な顔で言った。「・・・・・・・・・・」 チャンポングが迷いはじめたのが、片山によく分った。片山は、「合衆国に亡命したいんなら手伝ってやる。いつ政変が起るかビクビクしてるより、これまでに貯えた金を持って、フロリダあたりでのんびり暮すのも悪くないぜ」 と、追い打ちをかける。「か、考えさせてくれ」「まあ、基地の病院で、ゆっくり考えたらいい。俺やC・I・Aは、あんたに恨みはない。赤い軍団について、くわしく知りたいんだ」「もう、赤い軍団の存在を知ってるのか!」「ああ。だから、あんたもジタバタしないほうがいいぜ。さっき、チョンバのとこに駆けつけたのは何のためだ? 見当はついているがな」「チョンバ!・・・・・・チョンバはどうしたんだ? 気が狂ったのか? 何で俺たち警察に軍が発砲してきたんだ?」「俺の知ったことか、と言いたいところだが、まあ真相を教えてやろうか。あんたの椅子を狙っている法務大臣の息子のセコイがチョンバと取引きしたんだ」 片山は言った。セコイ・セレムのことは片山が読まされた資料にあった。「セコイが!」「そう。チョンバはセコイに買収されて、部下にあんたを殺させることを約束したんだ。あんたのほうから先に射ってきたことにして」「どうして、そんなことを知っている!」「俺がチョンバから直接聞いたからだ」「チョンバを殺してやる!」「その手間は俺がはぶいてやった。奴は俺を絞め殺そうとしたんでな。ともかく、ここは物騒な国だ。フロリダかキャリフォーニアのほうが住み心地がいいぜ・・・・・・さあ、さっきの質問に答えろ。チョンバのところに、何で深夜なのに駆けつけた!」「察しの通りだろうが・・・・・・赤い軍団に頼まれて・・・・・・軍と警察が一致協力して・・・・・・そのう・・・・・・あんたを始末する相談をしようと思って・・・・・・いや、俺は別にあんたを個人的にどうのこうのと思っていたわけじゃないが・・・・・・何しろ・・・・・・その・・・・・・俺のもう一つのビジネスのルサンゴ・シー・サーヴィスは、サンチョ・パンサ号の代理店だから・・・・・・代理店はお客の利益を守るのが商売だから・・・・・・」 チャンポングは呟いた。「それを公私混同という、ほかの国ではな。だけど、ここはガンビアだ。俺は事実を知りたいだけだ。続けろ」「赤い軍団の白い傭兵の一斑があんたをジラフ・ホテルで襲ったが返り討ちに遭(あ)ったのを知ってから、マローニは本気であわてはじめた。こうなったら、治安警察と首都防衛軍が全力をあげてあんたを追ってくれ、とマローニは言った。そうでないと、麻薬を引取ることは出来んと言った」「チョンバは十トンのヘロインをストックしていた。あんたは五トン以上持っていると、チョンバは言ってたが」「五トン半だ。ともかく、俺もチョンバも赤い軍団に弱みを握られている。俺とチョンバが赤い軍団から受取った金や、あとで受取ることになっている金のはっきりした額を俺たちのライヴァル連中が知ったら、分け前をよこせとか、自分たちもひと口乗せろと大騒ぎになる。 赤い軍団は、俺たちを通じて大統領と首相には献金しているんだが、はっきり言って、その金は十万ドルずつだから、俺とチョンバがもらった前金よりずっと安い。大統領と首相がそのことを知ったら俺はクビになるかも知れん。もっとも、そんなことになったらチョンバがクーデターを起して政権を握る約束になってたんだが・・・・・・」「赤い軍団が大統領や首相に献金した金をピンはねしたんだろうが?」「それは・・・・・・必要経費が・・・・・・部下の信頼をつなぐために要る金とか・・・・・・」「はっきりしろよ」「分った。半分しかピンはねしてない」「あんたが、なかなかしぶとい男だということは分った。赤い軍団とあんたの関係はいつ頃からはじまったんだ?」 片山は薄く笑いながら尋ねた。「つい最近だ。サンチョ・パンサ号が入港する五日前だった。ルサンゴ警察庁のなかにある治安警察本部を出た俺は、護衛四人にガードされて、自分の家に戻るために、構内の駐車場にあった公用車に乗りこんだ。 ところが、車は俺の家にでなく、港のほうに向って走った。俺は運転手を詰問したが、運転手はニヤニヤ笑うだけだ。護衛たちも笑うばかりで、車を停(と)めさせようとしない。あとでわかったんだが、俺はこうなることを承知で体面(メンツ)を保つためにひと芝居してる、と奴等は思ったんだな。 そう、奴等はすでに赤い軍団に買収されていた。赤い軍団から、俺はとっくに買収されているとハッタリをかまされて、奴等は買収に応じたんだ。 車が着いたのは、俺が金主(かねぬし)であるルサンゴ・シー・サーヴィスのオフィスだ。ジェネラル・マネージャーのヨンボが玄関先で待っていて、重要な客が来ているから、ともかく会ってみてくれ、と言うんだ。 護衛たちは車に残り、俺はオフィスの応接室に入った。そこに、ジューヨーク、いやニューヨークのマディスン街あたりに法律事務所を持っているような感じの、いかにも切れ者といった印象の中年男が待っていた。俺の感じではユダヤ系(ジュー)だな。俺だって、ニューヨークのガメリア領事館で働いたことがあるから・・・・・・痛い・・・・・・苦しい・・・・・・早く手当てしてくれ」「・・・・・・・・・・」「その男は、自分のことはジョン・ジョンスンと呼んでくれ、と言った。出来すぎた偽名だ。俺が、〝用は何だ?〟と怒鳴りつけてやると、奴はいきなりスーツ・ケースからドルの現ナマをごっそりとテーブルの上にぶちまけた。 俺は度肝(どぎも)を抜かれて、しばらく口がきけなかった。ジョンスンと名乗った男は、〝ここに八十万ドルある。三十万ドルはあなた つまり俺のことだな が受け取ってくれ。そして、大統領と首相に二十万ドルずつ、港湾関係者の官庁の実力者たちに十万ドルをバラまいてくれ〟と、切り出してきた。 生ツバがこみあげてきたが、俺だってあんまりヤバい金は受取れないから、事情を説明してくれ、と言った。 ジョンスンはこう答えた。〝三日後に、パナマ船籍のサンチョ・パンサ号という船がルサンゴ港に入ってくる。パナマ船籍だが、本当の船主は日本の会社で、その会社はサンチョ・パンサ号を子会社に売っ払ってから偽装倒産してしまった。ひどい会社で、船長はじめ船員たちの給料は、もう六ヶ月以上も払ってくれないし、新しい船主はもとの船主が払わなかった給料のことなど知ったことでない、とほざいている。 だから、船長は予定通りナイジェリアのラゴス港に入ることをやめてルサンゴ港に入り、積み荷を処分する積りだ。この八十万ドルは依頼人である船長や船員たちのために、自分の法律事務所で立替えた金だ〟・・・・・・死にそうだ・・・・・・モルヒネをくれ」「ちゃんとしゃべり終えたら、モルヒネもくれてやるし、病院にも運んでやる」「〝サンチョ・パンサ号はルサンゴへの入港許可を取ってないから手配を頼む。無論、このルサンゴ・シー・サーヴィスをサンチョ・パンサ号の代理店に任命する。書類はすでにジェネラル・マネージャーのヨンボに預けてある。 サンチョ・パンサ号が入港してきて積み荷の売却交渉に入ったら、日欧の保険会社や日本大使館が騒ぎたてるだろうし、日本大使館内の特務工作員たちが実力行使してくる可能性があるが、その対策をよろしく頼む。積み荷の売却が終ったら、五十万ドルの成功報酬を払うし、ストックしていると噂のヘロインを高値で買いあげる。 ナイジェリア政府がガメリア政府に抗議してくるということもありうる。あの積み荷のなかに、ナイジェリア政府が日本のメーカーから買いあげた品物が混っているからだ。しかし、どうせ保険金が支払われることを知っているから、ナイジェリアからの抗議があっても形式的なものだから、心配しないで適当にあしらってくれるようにと大統領や首相に伝えといてもらいたい〟・・・・・・と。その時は赤い軍団の名は出なかった」 チャンポングは答えた。苦しそうに一休みする。「ジョン・ジョンスンとかいう野郎の話をすっかり信じたのか?」「段々におかしいとは分ってきたが、その時は金をもらったあとだし、サンチョ・パンサ号のパーサーのマローニから赤い軍団の名を出されて嚇(おど)された」「赤い軍団のことは、マローニからはじめて聞いたのか? ジョンスンはどうした?」「あれっきり会ってない。マローニの話では、とっくにガメリアから離れたそうだ。事務交渉はマローニが受けついだ。赤い軍団がチョンバの軍隊も味方につけたのは、あの船の乗組員と日本大使館から出てきた工作員が射ちあったあとだ」「赤い軍団について、マローニは何といっていた?」 片山は尋ねた。 チャンポングは答えた。これまでに片山が尋(き)きだしたことと大きな違いはなかった。 噛(か)みタバコを口に放りこんだ片山は、「サンチョ・パンサ号の本当の名はラ・パロマ号で、赤い軍団は、あの船が積んでいるナイジェリア政府の荷物を人質がわりにして、日本政府から十億ドルを嚇し取ろうとしていることは知ってるな?」 と、ニコチンが混った唾(つば)を吐く。「ああ、奴等はルサンゴ・シー・サーヴィスのテレックスを使って日本政府や日本大使館と交渉しているから。十億ドルとはじめから知ってたら、もっと吹っかけるんだった・・・・・・早くモルヒネをくれ・・・・・・お願いだ」「テレックスの文面は、マローニがオフィスに持ってくるのか?」「いや、シー・サーヴィスのメッセンジャーが船に電文を届けたり、船に電文を受取りに行ったりしてる」「そのメッセンジャーに、会社のほうはボディ・ガードをつけているのか?」「会社ではなく、赤い軍団が・・・・・・」「ほう?」「赤い軍団は、白い傭兵とアジア系船員の混成十六人を、今日・・・・・・と、言ってももう昨日になったが・・・・・・の夜、アジア人船員二人がエロス・センターで襲われてから、ルサンゴ・シー・サーヴィスのビルに送りこんできた。ビルのなかの要所要所で見張っているだけでなく、屋上には重機関銃四丁を据(す)えて、白い傭兵四人の機銃手とアジア系の保弾手四人が、四方に睨(にら)みをきかせている。それに、屋上の連中は、白兵戦にそなえて、攻撃用手榴弾をごっそりと持ちこんだ。無論、自動ライフルや拳銃も身につけている」「なるほど・・・・・・ところで、あんたの会社のビルに移ってきたアジア人のなかに、キム・チョンヒと名乗っている男と、パク兄弟というのがいなかったか?」「外国人・・・・・・特にアジア人の名は覚えにくい」「この連中だ」 片山は三枚の顔写真を懐中電灯で照らしながらチャンポングに見せた。 しばらくたってから、チャンポングは、「この男を俺のオフィスで見た」 と、三田村の写真を示した。「そうか、こいつはキム・チョンヒと名乗っているが日本人だ」「俺には何が何だか、さっぱり訳が分からなくなった・・・・・・早く病院に連れていってくれ」 チャンポングは目を閉じた。 片山は、さらに一時間ほどチャンポングを尋問した。苦痛と恐怖のあまりふたたび失神したチャンポングの延髄をナイフで破壊して息を止めさせる。 (つづく)
2021年08月21日
Photo by dardashew >前回 それらの回想が、一瞬のうちに、走馬灯のように片山の脳裡(のうり)を駆けめぐった。「S・C・Sのボスの一人のノーマン・アスペンからの電話はこうだった 」 フランシスコがしゃべる声が聞こえた。「〝西アフリカで仕事がある。戦争ではないが面白い仕事になりそうだ。週給千ドルで2年契約。死亡保険は三十万ドル。墓を一つ掘るごとに三千ドルのボーナス。任期が終わったら一万ドルのボーナスと世界一周の周遊券が渡される。再契約にも応じる。気に入りそうだったら、すぐロンドンのマーブル・アーチ駅近くのホテル・リッチモンドまで来てくれ〟・・・・・・というわけだ。俺は分解していたフェラリのクラッチを放っぽりだして、二時間後の便でロンドンに飛んだ」「西アフリカで何をやるのか、その時は教えてもらえなかったんだな?」「金さえ確実に払ってくれたら、何も文句をつけることはない。S・C・Sは俺たちと傭い主とのあいだでトラブルが起った時には、責任を持って解決に努力し、うまくいかなかった時は共済資金を使って補償してくれるんだ」 フランシスコは答えた。「それで、ホテル・リッチモンドに着いてみたら、ほかの傭兵上がりも集まってたんだな?」「ああ。南アフリカの連中はマッド・マイクの渡り雁(ワイルド・ギース)クラブを通じてやってきた」「気違いマイク・・・・・・かつてのコンゴの第五コマンドウの指揮官だったマイケル・ホウア大佐だな」 片山は、半ば伝説化している勇者の名を呟いた。南アのヨハネスブルグ・プリントチャード・ストリート三一に本部があるワイルド・ギース・クラブは、旧ベルギー領コンゴ 現ザイール やスーダンやナイジェリアやアンゴラなどの動乱に参加した白人傭兵の情報交換と相互扶助と募兵(ぼへい)の機関だ。そのクラブのエンブレムには、ホウア大佐が指揮をとってコンゴのスタンレーヴィルを攻め落とした英語系の傭兵部隊第五コマンドウの、ベレー帽の形をしたなかに5COMMANDOの文字と飛んでいる雁(がん)をあしらった、第五コマンドウ時代そのままの記章が使われている。 Gentleman's Military Interest Club- Col. 'Mad' Mike Hoare and 5 Commando 'Wild Geese'https://gmic.co.uk/topic/58377 Youtube - 5th Commandohttps://www.youtube.com/watch?v=EfSHcae0w2Q 「南アも不景気らしくて、あそこからやってきた連中は歴戦の猛者が多い。フランスやベルギーからやってきた連中は、パリに本部があるブラック・ジャックのユーロ・アフリカ友好協会を通じて口が掛かった、と言っていた」「ブラック・ジャック・・・・・・ジャック・シュレーメ大佐だな?」 片山は呟いた。 ベルギー人のブラック・ジャック・シュレーメも、傭兵の世界では半ば伝説化されている。ベルギー資本をまもるためにコンゴのカタンガ州分離独立軍をひきいて大暴れし、その後カタンガ州大統領のツォンベに傭われ、第十コマンドウの指揮をとって第二次スタンレーヴィルの反乱を起し、第六コマンドウ傭兵隊の指揮官に転じたのち、モブツの政府軍と国連軍に追われて隣国ルアンダに逃げこみ、やがて赤十字の仲介でヨーロッパに送還されたのだ。彼の部下は、これも有名な猛者のカーロ・シャノンがいる。 Jean "Black Jack" Schramme(March 25, 1929, Bruges, Belgium – December 14, 1988) Youtube - SYND 21 08 67 CONGO REPORT ON SCHRAMMEfrom AP Archivehttps://www.youtube.com/watch?v=Gf53kt-5cPU The Congolese Retake Bukavu (1967)from British Pathéhttps://www.youtube.com/watch?v=H4znc12jqZA 「あんた、傭兵組織にくわしいようだな」 フランシスコが呻(うめ)いた。〝モザンビークではお前たちポルトガル人傭兵を部下として使っていたんだ〟と、片山は言ってやりたかったが、「どうでもいい、続けろ」 と、言った。「ギリシアはコーラン大佐のロビト戦友会が窓口だったそうだ」「コーラン大佐? あの〝殺人狂(ホミシダル・マニアック)〟と仇名(あだな)されたコスタス・ゲオルグはまだ生きているのか?」 片山は思わず口笛を吹いた。 Costas Georgiou "Colonel Callan"(1951 – 10 July 1976) Youtube - SYND 17 6 76 TRIAL OF MERCENARY SOLDIERS IN LUANDAfrom AP Archivehttps://www.youtube.com/watch?v=MUGBaa4_IjM RR7625A ANGOLA: THE MERCENARIES' TRIALhttps://youtu.be/QjD2vAwmmd0?t=860 アンゴラ戦争で反革命軍FNLAの白人傭兵隊長となった通称コーラン大佐ことギリシア系英人コスタス・ゲオルグは、金だけにつられて参戦はしたが、激しい戦闘に怖気(おじけ)づいて逃亡を計った、十四人の新米英人傭兵をまとめて処刑して悪名をはせた。 彼はその後革命政府軍に捕まり、傭兵十三人が裁かれ全員が有罪となった有名なルアンダ裁判で死刑判決を受け、すでに銃殺されたと伝えられている。「ああ、刑務所から脱走し、うまくアフリカ大陸から逃げ帰ったが、復讐を怖(おそ)れて英国にはまだ戻れないようだ。ドイツから来た連中は、ロルフ・スタイナーの募兵組織の、ドイツ語で何と言ったかな、英語で〝コ・オプ・フォー・ソルジャーズ・オブ・フォーチュン〟が窓口だったそうだ」「ロルフ・スタイナーか。奴もしぶとい野郎だ。どうやって、スーダンの軍事刑務所から脱走したんだ?」 かつてナチスのヒットラー・ユーゲントであったロルフは外人部隊に加わってインドネシアで闘い、その後ナイジェリア内乱に加わって敗残傭兵隊の指揮をとり、南部スーダンに転じてアニャニャ族の反乱軍に傭われた。南部スーダンの内乱が鎮圧された時にロルフはウガンダに逃げていたが、そこで憲兵隊に逮捕されてスーダン政府に引渡されたのだ。 Rolf Steiner(January 3, 1933 – ) Youtube - Trial of Rolf Steiner, German Mercenary, in Sudan | August 1971https://www.youtube.com/watch?v=-Zi3Q_gnxEc 「警備員を絞め殺して銃とランドクルーザーを奪い、エチオピアに逃げた。逃げるついでに、刑務所長の屋敷を襲って闇ドルと宝石を手に入れたから、逃走資金はたっぷり出来たそうだ」「なかなかの男だな」「アメリカ合衆国の連中は、西部や東部などの募兵組織を通じてやってきた。西海岸のはロスにあるコ・オプ・フォーチューン・トライヤーズだ。ヴェトナム戦争で鍛えられた連中を集めたようだ」「運だめしをする連中用の生協(コ・オプ)とは泣かせるな」 片山は苦笑いをしてみせた。しかし、ヴェトナム時代に顔を会わせた者が赤い軍団の傭兵(マーセナリー)のなかにいたら、自分の身許(みもと)をしゃべられる前に殺さねばならない。「東部はワシントンにあるアフロ・アフリカン援助協会だ。亡命キューバ人で、米国籍を取るためにヴェトナム戦争に志願し、あの戦争で生残った連中を集めた」「ホテルであんたらを面接したのは誰(だれ)だ?」「傭い主の代理人と言う三人の弁護士風の男たちだった。名前は、ただ、フランクとジョンとフレッドと呼んでくれ、と言うだけだった。 契約書にサインしてから、やっと傭い主が赤い軍団という組織だと教えやがった。赤いといっても血の赤さで赤色思想には関係ない・・・・・・組織の闘いの最終目的は、経済力を武器にして再び世界征服をもくろんでいる日本の政界や財界に壊滅的な打撃を与えてやることだ・・・・・・ということだった。アジアのあんなちっぽけな国がのさばりやがっているのは俺(おれ)たちも気にくわんから、誰も契約を悔いる者はいなかった。日本人など面(つら)を見ただけで吐き気がする。何だあの超ユダヤ人(スーパー・ジュー)は!」「・・・・・・・・・・」「翌日、俺たちはこの国に飛んだ。弁護士風の三人の男も一緒だった。俺たちが着いたルサンゴ空港にはガメリア国軍の輸送機が待っていて、俺たちはそれに乗るように言われた。これから、ガメリアの奥地で、軍事再訓練を受けてもらう、というわけだ。 俺たち・・・・・・少なくともアフリカで闘ったことがあるものは・・・・・・一瞬、罠(わな)ではないか、と疑った。俺たちが闘ったことがある国の政府に俺たちを引渡す罠じゃないか、とな。 だから俺たちは三人の弁護士風の男たちを人質に取った。俺たちは、ヒースロー空港のハイジャック防止検査のX線の目を逃れて、砥石(といし)をショールダー・バッグに突っ込んであったから、機内食のナイフを鋭く研ぎあげておいたんだ。 三人の男は、罠じゃない証拠を見せてやる、と言って、同乗していた黒人兵に何か命令した。黒人兵たちは俺たちに拳銃を渡した。拳銃を点検してみてガラクタじゃないことが分ったから、俺たちは人質を解放した。 輸送機は、東部高原に向けて飛んだ。機が着陸態勢をとると、目の下は一面にケシ畠だった。輸送機が降りたエア・ストリップは、ルサンゴの首都防衛師団長チョンバの専用機用だとあとで教えられた。 エア・ストリップの格納庫に、戦闘服が積まれていた。戦闘服に着替えた俺たちは、軍用トラックに乗せられて、二十マイルほど離れた演習場に連れていかれた。そこには中型のヘリ三機と、速射砲やロケット砲や迫撃砲、それに機関銃などが弾薬と一緒に山と積まれてたな。 俺たちは次の日の夕方まで射ちまくってから、サンチョ・パンサ号に移ったんだ。ヘリは、アメリカから来たヴェトナム帰りの連中が操縦して、武器弾薬と共に船に運んできた。」 フランシスコは答えた。「首都防衛軍の師団長と赤い軍団の関係は?」「知らん。あの猿どものことだから、金を積まれると何でも言うなりになるんだろう」「サンチョ・パンサ号に乗っているパク兄弟とキム・チョンヒについて尋(き)きたい。奴等は組織の処刑人だそうだが、あんたらにも睨(にら)みをきかせているのか?」「ふざけちゃいけねえって言うんだ。あんな黄色い猿どもに、何度も生死の境いをかいくぐってきた俺たち傭兵上がりが舐(な)められてたまるか、と言うんだ。奴等が威張ってるのは、東南アジアや黒やインディオの血が混った南米の下等民族に対してだけだ。しかも奴等は、エロス・センターでグエン何とかいうヴェトナム野郎が殺(や)られたと聞いた途端に、ヤケにビクつきはじめた 」 フランシスコは鼻で笑い、「ところで、あんたは誰なのか、そろそろ教えてくれたっていいだろう? どうせあんたも誰かに傭われたんだろうが? 傭兵同士いがみあったってしょうがねえ。そろそろ俺を解放してくれよ。放しくれたら、あんたに何を尋かれたかを絶対しゃべらんと約束するから」 と、言った。 それから半時間ほど片山は尋問を続けたが、大したことはフランシスコから聞けなかった。 フランシスコの延髄をナイフで抉(えぐ)って楽にさせてやった片山は、その死体をジャングルの奥に隠し、オールズのトルネードを駆ってルサンゴの街に戻る。 検問は行われてなかった。夜行性の野獣に痛めつけられた先祖の血を濃く受け継いでいるせいか闇を矢鱈(やたら)に怖がるガメリア黒人兵は、夜哨に立たされると、ちょっとしたことでもパニックにおちいり同士討ちをはじめることが珍しくない、と聞いている。 街の入り口の近くで、片山は目立つトルネードを捨て、路上駐車のオンボロ・ルノー一二のオートマチック・ミッション車を盗んだ。ステアリング・ロックを壊し、バッテリーとイグニッションを直結にしたその車をしばらく走らせてから公衆電話ボックスの近くに停める。 Renault 12 電話帳はトイレットペーパー替りに使われたのか残っているのは表紙だけであったが、電話自体は壊れてなかった。片山は日本大使館のなかの、外部に公表されていない番号にダイアルする。 電話が終ってから、ルサンゴ・シー・サーヴィスのビルを一度偵察(ていさつ)する。それから二十分ほどのち、片山はルサンゴ市の北東にある高台の高級住宅街に車を乗り入れた。そこに建っている豪邸は、かつては支配者の英人たちのものだったが、今は新生ガメリアの黒い支配者たちが使っている。 ガメリア国軍の首都ルサンゴ防衛師団長パトリック・チョンバ閣下の官邸は、幅三百メーター、奥行き二百五十メーターほどの敷地を持ち、白亜の三階建て大理石造りの母屋(おもや)は大使館のような構えであった。 石塀(いしべい)はアラベスク模様の透(すか)し塀だ。芝生とソテツの植込みの広い前庭の中央部に噴水プールが見える。 プールの近くでは、毛布をかぶった三十人ぐらいの番兵が焚火(たきび)を囲んで坐りこんでいた。門の両脇に立哨の兵士がいないところを見ると、彼等は焚火に加わっているのであろう。焚火には、コーヒーを入れてあるらしい農薬の十キロ罐が掛けられていた。 兵士たちの脇にライフルが投げ出されている。手動のボルト・アクションのモーゼル九八Kなのは、命中精度を重視しているからというより、自動銃だと出鱈目(でたらめ)に乱射して、たちまち弾薬を浪費してしまうからであろう。 官邸の表通りをゆっくりと車で通りすぎた片山は、裏通りに回ると、近くの公園の無料駐車場に車を突っこんだ。無論、そこに番人はいない。 車を降りた片山は、日本の針金で車のトランク・リッドを開いた。そこに入っていた牽引用ロープを輪状に丸めて左肩にかついだ。左手にアタッシェ・ケースを提げ、チョンバの官邸の裏庭に忍び寄った。 バオパブやソーン・ツリーなどの樹の多い裏庭こそ厳重に護られていないといけない筈なのに、外から覗(のぞ)いたところではそこに番兵の姿は見当らなかった。 片山は身軽に裏庭を跳び越えた。木陰から木陰へと音もなく走って母屋に忍び寄る。 母屋の裏口のドアの前には格子型のシャッターが降り、一階の窓々は鉄格子防禦(ぼうぎょ)されている。しかし、二階から上の窓には鉄格子がはまってない。 二階にも三階にもバルコニーがついていた。灯(あかり)が消えている窓がほとんどだ。 片山は牽引用のロープを肩から外した。アタッシェ・ケースを開き、ワルサーPPK拳銃を一丁出すと、それをロープの一端に縛りつけて重しとした。 二階のバルコニーに向けて投げる。片山のロープ・ワークは年季が入っているから、するするとのびたロープは、バルコニーの手摺(てす)りに捲(ま)きついた。 ロープをきつく引っぱると、先端の拳銃が滑り止めの役を果し、ロープは手摺りから外れなくなった。 アタッシェ・ケースの把手(とって)をくわえた片山は、並外れた膂力(りょりょく)を使い、ロープを伝ってバルコニーによじ登った。 バルコニーに蹲(うずくま)り、手摺りからロープを外した。ロープからワルサーを外して、スラックスのベルトに差しこむ。ロープで投げ縄を作り、そのロープの後端を二メーターほどナイフで切取る。 アタッシェ・ケースから出した短機関銃を首から吊った。弾倉帯を腰に捲く。切取ったロープを把手に通したアタッシェ・ケースを背負い、ロープの両端を胸の前で結ぶ。 アタッシェ・ケースの隠しポケットから出してあったガラス切りと強力なガムテープを使って、バルコニーのフランス窓の閂(かんぬき)の近くのガラスを直径十五センチほど切り外した。 そこから手を突っこんで閂を外す。そっとフランス窓を外した。カーテンの隙間(すきま)から室内にもぐりこむ。 真っ暗な部屋だ。人の気配はない。片山はボールペン型の懐中電灯をつけてみた。 そこは室内ジムになっていた。減量用の固定自転車やボクシングのリング、重量挙げ用のベンチなどが見える。チョンバは西アフリカ・ヘヴィー級元ボクシング・チャンピオンなのだ。 懐中電灯を消してポケットに収めた片山は、廊下側のドアのエール錠をそっと回した。ドアをそっと開いていく。廊下には電灯がついていた。 廊下を素早く覗く。廊下の右の端の階段の近くで、二人の番兵が机に乗せた腕に顔を伏せてイビキをかいていた。 片山はネオプレーン・ゴムのチャッカ・ブーツを脱いだ。片手に丸めた投げ繩、右手に刃を起したガーバー・ナイフを持って階段のほうに忍び寄る。 片山が三メーターまで迫ったとき、左側の番兵がハッと顔をあげた。血走って朦朧(もうろう)としたドングリ目を開いた。ポカンと分厚い紫色の唇が開き、ヨダレが垂れる。 その喉笛(のどぶえ)に、片山が投げたナイフの刃が吸いこまれた。気管と食道を裂き、頚椎(けいつい)を傷つけた刃は首の斜めうしろから突き出た。 悲鳴をあげることも出来ずに、その兵士はショックで意識を失った。 もう一人の兵士が目を覚まして頭をあげた。その喉を片山の投げ繩が捕らえた。兵士は腰の拳銃を抜くことも忘れ、ロープを外そうと喉を掻(か)きむしる。投げ縄を左手で引っぱりながら近寄った片山は、右の手刀をその兵士の首筋に叩きこんで意識を失わせた。 左側の兵士の喉から一度ナイフを抜き、耳から耳に達するほど喉を切り裂いてトドメを刺す。 投げ繩に捕らえられている兵士の拳銃ベルトを摑(つか)んでぶらさげる。八十キロは超えていた。拳銃ベルトにつけられているのは、フラップつきの軍用ホルスターに収められたワルサーP三八だ。 IMFDB.org - Walther P38http://www.imfdb.org/wiki/P38 その兵士をジムナジウムの部屋に運んだ。チャッカ・ブーツをはき、ドアを内側から閉じると、左手で懐中電灯をつける。兵士の腰椎を蹴って活を入れ、投げ繩をゆるめてやる。 唸(うな)り声と共に男は息を吹き返した。その目に懐中電灯の光を浴びせた片山は、「死にたくなかったら、大きな声を出すな」 と、分かりやすい発音の英語で囁いた。「た、助けてくれ」 失禁でズボンを濡(ぬ)らしながら、兵士は哀れっぽい声を出した。「この屋敷の警備状態を尋きたい」「き、貴様は誰だ? 反乱軍が傭(やと)った刺客か?」「あんたが、まともに答えたら、殺さずに済ませてやる」「助けてくれ! 何でもしゃべる。庭を警備しているのは門衛も含めて三十人だ。一階に番兵はいない」「二階にいたのは、あんたと、さっき死人になった連れだけか?」「そうだ。二階には将軍閣下の家族が住んでいる。閣下は三階に住んでいて、囲った女たちとハーレム生活を楽しんでいるが」「三階にいる番兵は?」「階段の脇に二人だ」「チョンバの寝室は三階のどこだ?」「廊下を突当たった大きな部屋だ・・・・・・頼む、殺さないでくれ」「分かってるさ。あんたには、三階の仲間の説得係になってもらう。だが、その前に、ちょっとのあいだ眠っていてもらいたい」 片山は呟(つぶや)き、番兵の耳の上を鋭く蹴った。兵士は二度目の失神を味わう。 片山は軍服の上で締められているベルトを抜き、バックルを外した。ベルトを縦にナイフで裂き二つに分けた。ワルサーP三八が収められていた軍用ホルスターの革を切って孔(あな)をあける。 それらを使って石投げ器を作った。石がわりに、兵士の銅バックルやジポーのオイル・ライター、それに分解したワルサーP三八の遊底や銃身や弾倉などを使うことにする。 WWII Walther P38 Holster Quora.com - How exactly was it possible that the biblical King David killed Goliath with only a slingshot as a young boy? How would that be possible to do in such a huge giant as Goliath was?https://www.quora.com/How-exactly-was-it-possible-that-the-biblical-King-David-killed-Goliath... Youtube - Primitive Technology: Sling by Primitive Technologyhttps://www.youtube.com/watch?v=RzDMCVdPwnE How to make a sling by Tod's Workshophttps://www.youtube.com/watch?v=49v8RAcJTMQ Leather Sling by Skill Treehttps://www.youtube.com/watch?v=B3dgmX18cBQ Shepherd Sling: amazing accuracy with primitive rock ammunition!by Wannabe Bushcrafterhttps://www.youtube.com/watch?v=28r-MQejnHg 再び兵士に活を入れて意識を取戻させた。「いいか、三階に近づいた時に誰何(すいか)されたら、頭が痛いので何か薬をもらえたら、と思って登ってきたんだ、と答えるんだ。おかしな真似をすると皆殺しにする」 片山は囁いた。「分った」 兵士は答えた。 その兵士を先にたてて三階に続く階段を登る片山は、左手に投げ繩、右手にジポーライターを革袋にはさんだ石投げ器の片方の革紐(かわひも)を捲きつけていた。 階段を三分の二ほど登ったところで、三階から、「誰だ?」 と、怯(おび)えた声が掛けられた。怯えているので、姿は見せない。拳銃の撃鉄を起す音が聞えた。 片山は楯(たて)にしている兵士は、片山の命令通りに答えた。「薬はないが、だべっていけよ。気がまぎれるぜ」 三階の声は安堵(あんど)の響きを帯びた。拳銃の撃鉄を倒す音がする。 片山は投げ縄を口にくわえ、左手でそっとガーバー・ナイフを抜いた。刃を起し、背中を見せている兵士の延髄に突き刺して抉(えぐ)る。即死した兵士が崩れ折れるのを支え、そっと階段に横にさせる。 ナイフをくわえ、片山は三階に登った。右手の石投げ器を頭上で振りまわしている。 廊下のデスクの向うの二人の番兵は、茫然(ぼうぜん)と口を開くだけで動かなかった。片山は振りまわしていた石投げ器の革紐の他端を親指とほかの指のあいだから離した。 石がわりのライターが矢より早いスピードで飛び、右側の兵士の額にめりこんだ。 片山は投げ繩でもう一人の兵士の首を捕らえておき、短機関銃をその兵士に向けた。 兵士はあっけなく気絶した。片山は、その兵士と額を砕かれたほうの兵士の心臓をナイフで抉った。 死体から投げ繩を外し、廊下の突当たりの部屋のドアに忍び寄る。石投げ器の革袋には、ワルサーP三八の実包が塡(つ)められた弾倉をはさんでいた。 ドアのロックを二本の針金で解いた。ドアをそっと開きかけたとき、男の大きな罵声(ばせい)が部屋から漏れた。怒鳴り続けているが、現地語なので片山には意味が分らない。 片山はドアを開いた。 チョンバは身長二メーター五十、体重二百五十キロほどの大男であった。いま、電話を叩きつけるように切ったところだ。 チョンバは素っ裸で立っていた。その前で片膝をついたブロンドの白人娘が、一升壜(びん)ほどもある紫色の巨根の中間を両手で握りしめ、口を一杯に開いて亀頭をサッキングしている。その娘もヌードだ。 確かにハーレムであった。その部屋には一ダースの娘がいる。ヨーロッパ系と東洋系と黒人が四人ずつだ。 百五十平方メーターほどの部屋にはアヘンの煙がたちこめていた。籐(とう)のベッドに腹ばいになった四、五人の娘たちが、アルコール・ランプで炙(あぶ)ったアヘン・パイプを吸っているからだ。 片山はうしろ手にドアを閉じた。 片山を見つけたチョンバは、巨体に似合わず素早く動いたので、サッキングしていた娘は喉を突かれて悶絶(もんぜつ)した。 ライオンのような咆哮(ほうこう)をあげ、チョンバはゴリラのドラミングのように両手で自分の胸を叩いた。娘たちは麻薬に酔っているらしく、馬鹿笑いの声をたてた。「無礼者!」 と、英語でわめきながら近づいてくるチョンバの胸に、片山は石投げ器から放った弾倉を叩きつけた。 弾倉はチョンバの分厚い肉にめりこんだが、チョンバは一瞬よろめいただけであった。片山は今度はワルサーの銃身部を、石投げ器を使ってチョンバの腹に叩きこむ。 チョンバは片膝をついたが、すぐに起き上がった。片山はワルサーの遊底をチョンバの額に向けて放った。 チョンバはダッキングしてそれを避けた。もう片山の二メーター前に迫り、片山を摑もうと両手をのばす。薬でも塗っているか巨根はしぼまない。 片山のナイフが流星のように閃いた。 両手首の腱(けん)を切断されたチョンバは、体ごと片山にぶつかってきた。素早く横に跳んだ片山は身をかがめ、チョンバの右膝の軟骨を切断した。 悲鳴をあげてチョンバは倒れた。右膝が横にねじ曲る。片山はその右膝を簡単に切断した。チョンバがいかに大男といっても、大型のアンテロープや鹿類よりもはるかに軽い。 切断した右足を目の前に突きつけてやると、チョンバは白目を剥(む)いて気絶した。膝の切断面から、蛇口(じゃぐち)がこわれた水道のように血が流出する。 片山は投げ繩のロープを使ってチョンバの膝の上をきつく縛った。それでもまだ血が止まらないので、椅子の脚を一本手刀でへし折り、それをロープに通してねじった。 膝の上にロープは深くくいこみ、やっと出血は止まった。「みんな、英語は分るか?」 片山は夢を見ているような表情の娘たちに英語で声を掛けた。喉をやられて気絶している娘は別だが。「よし、向うの壁に並べ」 片山は手で壁を示した。 素っ裸の娘たちは、のろのろと命令にしたがった。「よし、壁に向いて四つん這いになれ」 片山は命じた。 十一個の尻が並んだ。十一個のプッシーも丸見えになる。色も形状もさまざまだ。見られて興奮し、ジュースをしたたらせる娘もいる。 それを見ているうちに、片山のスラックスの前が窮屈になってきた。 ジッパーを開いて出したものに数回しごきをくれてから、片山は右端の娘にうしろからインサートした。 だが、チョンバの巨根にひろげられているからか、ひどくゆるい。片山は床に落ちているワルサーの遊底を拾って、その娘の頭に叩きつけた。 娘の体は失神の痙攣(けいれん)に震えた。ゆるかったプッシーがぐっと締まる。だが、それはすぐにまたゆるんだ。 片山は次の娘に移った。はじめの娘と同じような具合であった。 左端の娘も気絶させた時、片山はやっと放った。 しばらく余韻を楽しんでから、浴室で洗う。スラックスとジッパーのあたりも、固くしぼった濡れタオルで拭う。 浴室を出ると、喉をチョンバに突かれた娘が意識を取戻しかけていたので耳の上を鋭く蹴った。 チョンバの巨体を横にさせ、尾骶骨(びていこつ)を蹴る。 物凄(ものすご)い唸(うな)り声を出しながらチョンバは意識を取戻した。目の前にある自分の切断された右足を見て黄水を吐きながら咳(せき)こんだ。反対側に横向きになり、「救急車・・・・・・救急車を呼んでくれ・・・・・・金(かね)ならやる・・・・・・現ナマで百万ドルくれてやる・・・・・・だから命だけは助けてくれ!」 と、泣きわめく。「大きな声を出さなくても聞える。百万ドルはどこにあるんだ?」 片山は尋ねた。「金庫室は隣りだ」「よし、案内しろ」「動けない・・・・・・どうやったら歩けるんだ?」「甘えるなよ。立たせてやるから、片足でケンケン跳びしろ」「貴様は誰だ?・・・・・・分った、サンチョ・パンサ号の連中を傷めつけてるという殺人鬼だな?」「どうして分った。電話で報告が入ったんだな? 誰からの電話だ?」「・・・・・・・・・・」「よし、今度は右腕を切断してやる」「やめてくれ! ルサンゴ・シー・サーヴィスのマネージャーのヨンボから・・・・・・」「サンチョ・パンサ号の代理店のルサンゴ・シー・サーヴィスの本当の社長は、ルサンゴ治安警察本部長のチャンポングだそうだな?」「その通りだ、早く救急車を・・・・・・」「まず金庫室に行こうぜ。そこに麻薬も隠してあるんだろうが?」「ヘロインもアヘンもくれてやる。だから命だけは助けてくれ」 チョンバは涙をこぼした。 (つづく)
2021年08月14日
Photo by Casey Sims >前回 オペル・カデット改のトランク・ルームに、片山の体に合わせた背広やシャツなどが入っていた。 片山は上半身裸になり、もう一度右胸の銃創を調べる。傷にはもう薄皮が張りはじめていた。野獣と同じような生活が多かった片山の体は、トカゲのような再生力を持っている。 血のシミがひろがっているHバーCのウェスターン・シャツを捨てた片山は、リーの花模様のシャツをつけた。銃弾の孔があいたペンドルトンの上着も、ラングラーの焦茶色のランチャー・ジーンズのドレス・ウエスターン・ジャケットに替え、ポケットの中味や錠解き用の針金を移す。 アルの死体から五万五千ドルほどを回収し、死体をシダの茂みまで引きずっていって隠す。死臭を嗅(か)ぎつけたハイエナがサヴァンナからやってきて、骨まで片付けてくれるだろう。 車を運転してルサンゴの街(まち)に戻った片山は、二十四時間営業のアフロ・シカゴ銀行に寄り、貸し金庫から短機関銃を入れてあるアタッシェ・ケースを取出した。 車を、ガードマンが見張っているその銀行の駐車場に置き、アタッシェ・ケースを提げて歩いた。 裏通りの屋台で、サトウキビ・ジュースを飲みながら、羊肉や臓物の串焼(くしや)きと、ナムと呼ばれる薄焼きパンを食いはじめる。ナムにはケシの種がまぶしてあるが、種自体にはアヘンの成分は含まれていない。 旺盛な食欲を示す片山を見た通りすがりの黒人の一人が、あわてて物陰に身をひそめた。腹七分ぐらいで食い終えた片山は、流しのタクシーを拾った。先ほどの黒人が、タクシーのナンバーをメモするのがサイド・ミラーに映った。 ホテル・ジラフに戻る。午前零時をとっくに過ぎているのに、ロビーにはまだ二十人ぐらいの売春婦が残っていた。片山に一斉に秋波を送ってくる。 片山はそのうちから、エジプト系らしい黄金の肌の女を択(えら)び、指を立ててみせる。 その女は片山にすり寄ると、「わたし、モニカ。わたし一人なら十ドル。でも、友達のレベッカとこみなら二人で十五ドルでいいわ。勿論(もちろん)、オール・ナイトよ」 と、囁(ささや)き、浅黒い肌のインド・パキスタン系の女を指す。「ああ、レベッカを呼んでくれ」 片山は答えた。モニカの合図でレベッカが走り寄った。 二人の女と一緒に五階の自分の部屋に入った片山はチェーン錠にもロックし、十五ドルをモニカに渡すと、「まず体を洗ってこいよ」 と、言った。 二人の女は脱いだ。 モニカの下腹の毛も砂糖とレモン汁を溶かしたカラメルを使って脱毛していた。丸い乳房だ。 レベッカは毛深かった。近くで見ると髭(ひげ)の剃(そ)り跡が分る。乳房は紡錘形であった。「これでも吸っていて。楽しみが長びくわよ」 レベッカがハンドバックから手巻きのタバコを出した。「何が入ってるんだ?」 片山は尋ねてみた。「殿方が勇ましくなる媚薬」 レベッカはそれを片山にくわえさせた。 火をつけなくても、タバコにヘロインを混ぜたものと分かった。そいつを片山に吸わせ、片山が朦朧(もうろう)となったところでポケットの金をさらって逃げようという魂胆らしい。 片山の体にはヴェトナムの戦いで、麻薬にしろマリファナにしろ抵抗力が植えつけられている。だから、ヘロイン入りの手巻きタバコに火を付けた。しかし、煙を肺に吸いこむと見せかけて吸いこまない。 二人の女がハンドバックを持って浴室に消えると、片山はヘロイン・シガレットを揉(も)み消した。疲れが少し消えたような感じがしただけで指先は痺(しび)れてない。 戸棚(とだな)を開いた片山は、予備の毛布をナイフで裂いて十本ぐらいのロープを作った。そのロープを戸棚に仕舞う。 アタッシェ・ケースを開き、ウージー短機関銃に弾倉をつけると、折畳み銃床をのばしてベッドの下に隠す。尻ポケットから出したワルサーPPKをアタッシェケースに仕舞い、アタッシェ・ケースもベッドの下に突っこんだ。 スラックスを脱ぎ、G・Iコルトを抜くとベッドの枕(まくら)の下に突っこんだ。スラックスと上着は、机の大きな抽出(ひきだ)しに仕舞う。 やがて、浴室のドアが開き、バス・タオルで股間を拭いながら二人の女が出てきた。「どう、気分は?」 モニカが声を掛けた。「眠たいが大丈夫だ」「あなたも洗って」「動きたくないんだ」 片山は、わざと眠そうに答えた。アクビをしてみせる。 モニカは浴室に戻り、熱湯にひたして絞ったタオルを持ってきた。それを使って、まだ目覚めぬ片山の男根をよく拭った。手でギュッとしごいて、病気を持ってないか確める。 それから、モニカはベッドの脇に膝(ひざ)をつき、片山の男根をサッキングしはじめた。モニカの反対側から、レベッカが片山の体じゅうを舐(な)めまわす。「怪我(けが)したの?」 レベッカは、右胸の傷の近くで唇(くちびる)と舌の動きをとめて囁いた。「大したことない」 片山は答えた。(中略) 二度目を放った片山は、ぐったりと目を閉じた。眠りこんだふりをする。 モニカとレベッカは、圧(お)し殺したような声で何か囁き交わした。素早くドレスをつけると、モニカは衣裳戸棚を開き、レベッカはベッドの下にもぐりこんでアタッシェ・ケースを引っぱり出したのが片山に感じられる。 もう片山はタヌキ寝入りをしている必要はなかった。目を開くと、ちょうど顔を上げたレベッカの顎(あご)の先に、横になったまま、鋭いアッパーをくらわせた。 ベッドに突っ伏すようにしてレベッカは意識を失った。片山は床に滑り降り、音もなくモニカに迫った。 ハッとして振り向いたモニカの顎に左フックを叩きつける。気絶して崩れ折れるモニカの体を一度支え、ゆっくりと床に倒れさせる。耳の上を鋭く蹴って、しばらく気絶から覚めないようにした。 浴室に入り、シャワーを浴びながら小便をした。浴室から出て服をつける。チャッカ・ブーツもはいた。ドアの一メーター半ほど前に椅子を持ってきて、それに気絶したままのモニカを坐らせ、毛布で作ったロープで縛りつける。猿グツワも噛ませた。 レベッカも手足を縛り、猿グツワを噛ませた。ベッドの上に寝かせる。電灯を消し、サイド・テーブルを引き寄せると、その上に、遊底を引いた短機関銃を乗せた。 右手でG・Iコルトを握ってレベッカの横に仰向けになり、シーツを胸までかぶって目を閉じる。 うとうととしたが、神経は眠ってなかった。二十分ほどのち、ドアの外に忍び寄った数人の足音を聞いて目を開いた。 合い鍵(かぎ)かマスター・キーがドアのエール錠の鍵孔に差しこまれる音がした。片山はそっと上体を起し、気絶を続けているレベッカの髪を左手で摑(つか)んで、その上体を自分の前に持ってきた。シーツの下で握ったG・Iコルトは、ドアに近いほうに向けている。 ドアのキー・ロックが外れ、ドアがそっと開かれはじめた。チェーン・ロックにさえぎられて、細目にしか開かれない。 チェーンに斧が降りおろされた。チェーンが切断される。ドアに体当たりしながら、数人の男が跳びこんできた。 椅子に縛りつけられたモニカに衝突して二人の男が転がる。あと数人が片山の視野に入った。 撃鉄を起した片山はシーツ越しに速射した。七発を半秒で撃ちつくすと、短機関銃を摑んで掃射する。 IMFDB.org - Uzihttp://www.imfdb.org/wiki/Uzi Youtube - The Uzi Submachine Gun (Full Auto)by TFB TVhttps://www.youtube.com/watch?v=ayZClbRuLTQ Uzi by Vickers Tacticalhttps://www.youtube.com/watch?v=mkP3SHO8s5Y 短機関銃の四十連弾倉に半分ほど実包を残し、片山は床に転げ落ちた。死角になっていたドアが見えるほうに這いながら短機関銃を点射した。 六人の男が、衣裳戸棚と浴室にはさまれた通路やその近くに倒れていた。片山は、倒れている男たちの左右の肘を、セミ・オートに切替えたウージー短機関銃で狙い射った。 素早くベッドに戻り、短機関銃とG・Iコルトを右手に、短機関銃を握って、倒れている男たちの背を踏んづけながら廊下に跳び出す。 廊下には人影は無かった。ところどころの部屋から、銃声に怯(おび)えた悲鳴が漏れる。 自分の部屋に戻った片山は伝統のスウィッチを入れた。 六人の男たちは三、四発ずつ片山に射ちこまれていた。モニカも短機関銃弾を二発胸にくらって死んでいる。 男たちはみんな白人であった。倒れた近くに放りだされている拳銃はみんな軍用タイプだ。傭兵上がりの連中であろう。 二人の男が、重傷を負ってはいたが意識があった。拳銃をくわえて這い逃げようとしている。 片山はその二人の口から拳銃を蹴りとばした。「赤い軍団の傭兵(マークス)か?」 と、英語で尋ねる。「糞(くそ)う」「畜生」 二人はフランス語とドイツ語で呻(うめ)いた。「仲間はどこで待伏せている?」「知るもんか」 二人は口々に答えた。血を吐く。「答えないと殺す」 片山はフランス人らしい男にG・Iコルトの銃口を向けた。「殺せ。貴様とはまた地獄で会うことになるだろうぜ」 男は英語で言うと、唇を歪(ゆが)めた。「分った」 片山はその頬髭〔ほおひげ〕のフランス人らしい男の頭にG・Iコルトから射ちこんだ。射出孔の後頭部から脳が飛び散る。「貴様も死にたいか?」 片山はドイツ人らしい角ばった顔のブロンドの髪の男に拳銃の銃口の向きを移した。「俺は死にたくねえ。金で傭(やと)われただけだからな・・・・・・ロビーで四人の仲間が待ち伏している」 男は答えた。「あんたらが乗ってきた車は?」「クライスラーのニューポートとオールズのトルネードだ。二台とも新車だ」「レンタ・カーか?」「ルサンゴ・シー・サーヴィスから借りた」「車のキーは誰が持っている?」「トルネードのキーはピエールが・・・・・・いま、あんたに殺(や)られたフランス野郎・・・・・・」「シー・サーヴィスのチャンポングの屋敷はどこだ?」「知らん。本当だ」 男は答えた。激しく咳(せき)こみはじめ、血のかたまりを喉(のど)につまらせて痙攣し、意識を失った。片山はその男の首の骨をポキーンとひねり外してトドメを刺す。 ピエールの死体から車のキーやパスポートや運転免許証などを奪う。現ナマ一万ドルほども奪った。 ほかの死体からも、現ナマやパスポートなどを奪う。奪ったものはアタッシェ・ケースに放りこむ。アタッシェ・ケースには、先ほど拳銃と短機関銃から抜いてあった空(から)の弾倉も放りこんだ。 安全装置を掛け、銃床を折畳んだ短機関銃を首から吊り、アタッシェ・ケースとスーツ・ケースを一つ左手に提げた片山は、G・Iコルトを腰だめにして廊下に出た。もう、目立つウェスターン・ハットはかぶっていない。 廊下の突当たりの非常扉のところまで足早に歩く。壁についている非常警報装置のボックスの扉を開き、スウィッチのレバーを倒した。 非常扉の錠を、上着の襟から出した二本の針金で解いた。非常扉を開く。警報ベルは鳴らなかった。 非常階段に出ると外側からドアを閉じた。チャッカ・ブーツを脱ぎ、そのブレイデッド・ナイロンの紐を口にくわえて静かに非常階段を降りる。 降りきると、そこは駐車場になっていた。チャッカ・ブーツをはいた片山は、新車のニューポートとトルネードを探した。 そこにある新車はヨーロッパや日本からの輸入車が多く、アメ車のほどんどが中古車や大中古車であったので、目ざす車はすぐに分った。 ニューポートとトルネードは五台のヨーロッパ車をはさんで駐(と)められていた。 Chrysler Newport Oldsmobile Toronado 片山はその近くに駐まっている“ガメリア・野生ツアー”の無人の観光バスに近づいた。そのバスはグレイハウンドのスーパー・シーニックルーザーの払いさげ品のようであった。セミ・ダブル・デッキになっていて、長い車体の後半部には、床下を荷物室にするためと客室からの展望をよくするための目的で、前半部よりずっと高くなっている。 Greyhounds Super Scenicruiser Bus 二本の針金で観光バスのドア・ロックを解いた片山は、バスの中に忍びこむと上部客室(アッパー・デッキ)に行った。アタッシェ・ケースとスーツ・ケースを床に置き、ニューポートとトルネードを見おろす側の大きな窓の一つを開いた。G・Iコルトに安全装置を掛けて腰のホルスターに戻す。 短機関銃の折畳み銃床をのばし、スウィッチ・レヴァーをフル・オートにし、予備弾倉三本を、ゆるめた腰のベルトに差して待つ。 ホテルの玄関から、鋭い目付きの男たちが走り出たのは、三分ほどたってからであった。四人とも浅黒い南欧系の白人であった。 彼等を三十メートルの距離まで引きつけておいてから片山はバスの車窓から銃身を突き出したウージー短機関銃をタ、タ、タ、タンと掃射した。 両足を大きく開き、左手で把手を強く引きつけ、腰で狙いをつける感じで、フル・オートの続けざまの反動を巧みに処理する。銃口は毒々しい炎を舌なめずりし、受筒から排出された空薬莢が乱舞する。 四人の男のうち一人が拳銃を抜くことが出来ただけであった。しかしその男も、拳銃を暴発させながら、ほかの三人と同様に射ち倒された。 だが、ポルトガル系らしいその小男は両膝を短機関銃弾で射ち砕かれただけで、体の中枢部には被弾してなかった。片山が、その男を殺さないような射ちかたをしたからだ。殺してしまったのでは口を割らせることが出来ない。 その男は腹這いになると、両手で拳銃を支えた。拳銃はワルサーP三八だ。 IMFDB.org - Walther P38http://www.imfdb.org/wiki/P38 三十メーターの距離があるので、フル・オートの全自動よりは連続発射スピードははるかに劣るが比較的正確な射撃が出来るセミ・オートの半自動にしても、短機関銃で男の手首を狙ってヒットさせる自信は片山にはなかった。大体、短機関銃は、精密な射撃にはじめから向いていない。 だから片山は、咄嗟(とっさ)に短機関銃の、半自動と全自動の切替えレヴァーを兼ねた安全レヴァーを一番うしろに引いて安全装置を掛けた。その銃を座席に捨てる。 ウージーには、弾倉を兼ねた把手(グリップ)にグリップ・セーフティの二重安全装置があるので、シートに当ったショック程度では暴発しなかった。 短機関銃を捨てると同時に片山は、目にも止まらぬ早さで、腰のホルスターからG・Iコルトを抜いた。抜きながら、安全弁を親指で押しさげる。G・Iコルトにもグリップ・セーフティの二重安全装置がついているが、これは当然ながら銃把(グリップ)を握りしめると自動的に解除される。 G・Iコルトを握った右手の手首を左手で支え、片山は一発射った。口径四五の太い弾頭は男の右手首を外れ、偶然にも男のワルサーに命中した。 ワルサーは暴発しながら空中を飛んだ。ショックで男は気絶したようだ。突っ伏す。 片山はG・Iコルトの弾倉に補弾した。短機関銃を左肩に吊り、スーツ・ケースを左手に提げて観光バスから跳び降りた。 G・Iコルトを口にくわえ、オールズモービル・トルネードのドアを、奪ったキーを使って開く。トランク・ルームも開いた。 気絶している黒い髪のポルトガル系の男の耳の上を鋭く蹴って、しばらくは意識を取戻さないようにし、上着を素早く脱がせた。上着の袖(そで)とベルトとネクタイで両手と両膝の上を縛り、猿グツワを噛ませてトルネードのトランク・ルームに放りこんだ。 トランク・リッドを閉じ、車に入るとエンジンを掛ける。何のために前輪駆動にしたか分からぬほどリア・シートやニー・スペースは狭いが、運転席はさすがに広々としている。 シート・ベルト着用の警告ブザーを無視してトルネードを発進させた。パワー・ステアリングのホイール(ハンドル)に掌を当てて水車のように回す。タイヤが激しく鳴った。 大きなエンジンだが、加速力は日本の一・六リッターのスポーティ・カー並みであった。駐車場から逃れるその車に向けてホテルのガードマン数人が散弾銃をブッ放すが、百五十メーターは離れていたので、九号散弾ではガラスにヒビも入らない。 十分後、街を抜けたトルネードを北東のジャングルに向けて走らせた。前輪駆動のために直進性能はいいが、公道では百六十キロ以上出せない。アタッシェ・ケースや拳銃は助手席に置いてある。 ジャングルのあいだの国道までくると、片山は右側の砂利道に車を突っこませた。砂利道を五キロほど走らせ、ジャングル自体のなかに車を入れる。すぐに車の腹が地面の凸面や倒木とこすれるので、そこに車を停める。トランク・オープナーのスウィッチを入れ、ライトとエンジンを切ると、助手席に置いてあったG・Iコルトを握って車から降りた。 リッドを開いたトランク・ルームで、男は気絶から覚めてもがいていた。 片山は拳銃を口にくわえ、男を持ちあげると地面に叩きつけた。男はまた気絶する。 男のポケットの中身を調べてみる。男はパスポートを三通持っていた。ポルトガルとアンゴラとモザンビークのものだ。貼(は)ってある写真は同じだが、名前はみんな違う。運転免許証の名と国籍はポルトガルのパスポートに合わせてあった。 現ナマ五千ドルほどと、ブリーフの隠しポケットに綿でくるんで入っていた五カラットほどのダイア四個を片山は頂戴した。 猿グツワを外してから、男を素っ裸にした。包茎であった。膝からまた血が吹きだしはじめたので、膝の上を縛り直す。背中を蹴って活を入れる。拳銃を左手に握る。 呻(うめ)き声と共に男は意識を取戻した。男の意識がはっきりするのを待って、「どうだい、お目覚めの気分は?」 と、英語で声を掛けた。「ファック・ユアセルフ」 男は罵(ののし)った。「オーケイ、貴様をオカマにしてやる」 片山はガーバー・ナイフの刃を起した。「やめろ、それだけはやめてくれ」「じゃあ、言え。本名は何と言うんだ?」「フランシスコ・エルトリル」 男はポルトガルのパスポートと運転免許証に書かれてあった名を言った。「傭兵(マークス)上がりだな?」「コンゴとモザンビークとスーダンとアンゴラで闘った」「赤い軍団には、どうやって傭われたんだ?」「リスボンの自動車修理工場でくすぶっているとき、ロンドンから電話があった。四日前のことだ。電話はS・C・S(エス・シー・エス)からだった。S・C・Sはセキュリティ・カウンシル・サーヴィスのことだ」「S・C・Sは傭兵の募集機関の大手だな? 安全保障勧告施設なんてもっともらしい名前をつけているが」「ど、どうして知っている?」「そんな気がしたんだ。続けろ」 片山は答えた。 片山はアフリカでホワイト・ハンターをやっていたとき、そのS・C・Sの三人委員会の一人のレスリー・バンクスから、アンゴラ動乱の際、反革命軍の一個中隊の指揮をとるように何度か勧誘を受けたことがある。 あの時は、サングラスを掛けていても眩〔まばゆ〕い灼熱の太陽に炙(あぶ)られるザンビア・ルアングワ・ヴァレーの九月であった。 片山は傭い主の狩猟会社からまかせられたチベンベ・キャンプをベースにして、その時は飲んだくれのテキサスの石油成金ジム・ゴールドリッチと、ジムの情婦のモデル上がりのヘレンのガイドをしていた。 片山はこの三日間、ヘレンが傷つけたケープ・バッファローを捜し求めていた。 一週間ほど前にチャーター機でチベンベにやってきたジムは、現在買えば三万ドルはくだらないと思われる〇・六〇〇ニトロ・エクスプレス口径のジェフリー・ダブル・ライフルと、◯・五〇五ギッブス・マグナム口径のギンギラギンの彫刻入りのボルト・アクション・ライフルを持参していた。 Revivaler.com - THE .600 NITRO EXPRESShttps://revivaler.com/the-600-nitro-express/ Youtube - Cameron Mitchell shooting the .600 Nitro Express by Cam's Wild Lifehttps://www.youtube.com/watch?v=QBtNrJXkp9o .600 Nitro Express | Legendary Firearmsby Rated Redhttps://www.youtube.com/watch?v=L7sXsgFbYzE Ryan Breeding RifleMaker rbbigbores.com - 505 Gibbs 23″ 4 shot Magnum Mauserhttp://www.rbbigbores.com/505-gibbs-4shot-23inch-2/ Hallowell & Co., Inc. - George Gibbs Magnum Mauser .505 Gibbshttp://www.hallowellco.com/george_gibbs_____magnum_mauser%20505.htm Youtube - SHOOTING A .505 GIBBS CUSTOM RIFLE!!by MNR Custom LLChttps://www.youtube.com/watch?v=ieA9y76AfnU Cz 550 in 505 gibbs vs various targets Big recoilby shakeyshooterhttps://www.youtube.com/watch?v=R7QVgjCJyzg 505 Gibbs with 600gr Hard Cast Bulletsby Adam Craighttps://www.youtube.com/watch?v=oGPxbMq113o だが、ジムが六〇〇と五〇五のマグナムの強烈な反動を死ぬほど恐がっていることは、ハンティングがはじまると、日ならずして片山に分った。 キャンプでの初日の試射の際、ジムは情婦のヘレン用という名目で持ってきた、空気銃や二二口径リム・ファイアに毛がはえた程度の、口径〇・二四三ウインチェスターのライフルを巧みに扱った。 五〇五や六〇〇のマグナムは、テキサスの射撃場でみっちり射ちこみすぎたために残弾が二十発ずつしか無くなったから、試射は遠慮しておく、とジムは言った。 六〇〇も五〇五も、実包は本場英国でも入手難の上にもってきて、旧式の雷管孔を持っているために手詰め(ハンド・ロッド)が厄介だ。ザンビアでは売ってない。 ハンティングの初日、ジムは二四三ウインチェスターを使って、二百ヤード以上の距離のインパラやプクなどの小型のアンテロープを、それぞれ一発で倒した。 しかし、二日目の午後、ライオンの囮にするためにケープ・バッファローの離れ老牛(ローン・ブル)を五〇五ギッブスで狙った時、ジムの射撃ぶりはお話にならなかった。 反動を予測して両目をつぶり、一発射つごとに尻餅(しりもち)をつきそうになる。発射された巨弾は突っこんでくるバッファローの足許(あしもと)で虚(むな)しく土煙をあげたり、皮膚を裂くだけで終った。 そのバッファローが六メーターの距離まで迫ったとき、ジムを突きとばした片山は、慣れて自分の手の一部のようになっているモーゼル軍用アクション改造の安いが堅牢(けんろう)なライフルから、四五八ウインチェスター・マグナム口径の六百グレイン・バーンズ・ソリッド弾をバッファローの脳に射ちこんだ。 膝(ひざ)を折り顎(あご)を地面につけながらも、勢いあまったバッファローは土煙と共に滑ってきた。片山が横に跳ばなかったら、鉄カブトのような角で両脚ともへし折られていたところであろう。 Sportsman's Legacy.com - 458 Winchester Magnum Mauser 98http://sportsmanslegacy.com/firearm/custom-dale-goens-458-winchester-magnum-mauser-98..../ その夜もゲスト・ハットのワラ小屋で、ウォッカにタバスコとライムを混ぜた爆弾カクテルを飲みすぎたジムは、しばらくヘレンの上で悪戦苦闘していたが、どうやっても硬くならなかった。 イビキをかいて眠りこんだジムから離れたヘレンは、ライオンやカバやハイエナの吠(ほ)え声を無視し、五十メーターほど離れた片山のテントにもぐりこんでやった。 淋(さび)しい御婦人をねんごろに慰めるのもプロフェッショナル・ホワイト・ハンターの仕事の一部だから、片山はヘレンに熱い鋼鉄のようなものをブチこんでやった。 飢えきっていたヘレンのよがり声は、ライオンさえも黙らせるほどであった。 五日目の夕方、ジムは片山が数百頭のうちから択んでやった左右それぞれ九十ポンドの牙(タスク)の象を、六〇〇ニトロ・エクスプレスを使って、至近距離で射ちそこねた。それどころか、二発目を象の脚に射ちこんで怒らせたついでに、銃の反動で鎖骨を折ってしまった。 片山は六百グレイン・フル・メタルジャケットの鋼鉄被甲弾をその象の両目のあいだに射ちこんで倒した。 地響きをたてて痙攣(けいれん)する巨象のまわりの土煙がおさまりかけた頃、後方のランドローヴァーの近くでバッファローの小群が走る地鳴りとヘレンの悲鳴が起り、続いて小口径銃の頼りない銃声が二度鳴った。 片山がランドローヴァーのほうに駆け戻ろうとした時、倒れていた象が起きあがりかけた。 素早く横に回った片山は、耳の付け根の少し前に脳射ち(ブレイン・ショット)してトドメを刺した。 ランドローヴァーに戻ると、その助手席でヘレンがヒステリーの発作を起していた。現地人の運転手のリルンジの話では、ブッシュから跳びだした五頭のバッファローに怯えたヘレンが二四三ウインチェスターのライフルで二発射ち、運悪くその二発とも群れの最後尾の牡(ブル)の口と尻に当ってしまった、ということだ。 群れは深いブッシュの奥に逃げ去っていたが、リルンジの目が確かなことは、乾ききった地面に残された血痕(けっこん)のほかに、噛み戻し(カッド)の乾草がへばりついた臼歯(きゅうし)が落ちていることで分った。 傷ついたバッファロー、しかも二四三口径などという銃弾のために致命傷とはほど遠い傷で残忍になっているケープ・バッファローを深いブッシュで追跡するのは、ほどんど自殺的な行為と言えた。 傷ついたバッファローは世界で最も危険なゲームだ。特にブッシュのなかでは。 傷ついたバッファローは、一度逃げることがあっても、風下から回りこんでハンターに奇襲を掛けることもあるし、ハンターを逆追跡(バック・トラック)して待伏せすることもある。 片山の同僚でドイツ人のホワイト・ハンターのカール・クラインは、つい一ヶ月ほど前、客(クライアント)が射ちそこねたバッファローの角に腹を無茶苦茶に裂かれ、空輸されたローデシアの病院で今も点滴を受けている。 客の失敗とはいえ、客を殺されたら狩猟会社は潰(つぶ)れかねない。それよりも、片山を傭(やと)ってくれる狩猟会社がなくなる。片山は金(かね)よりも何よりも、アウトドアの生活に未練があった。 だから片山は、象を仕留めたのが自分たちのグループである証拠を示すためにシッポを切取ると、ジムとヘレンをランド・ローヴァーでキャンプに戻し、現地人で片山の片腕である老練な足跡追跡人(トラッカー)のペッパーと二人きりでブッシュに深く踏みこんだ。 しかし、迫ってきた闇(やみ)がその日の追跡を諦(あきら)めさせた。二人は象の死体のところに戻り、火をたくと、象の鼻の肉を炙って飢えをしのぎ、干上がった川床を掘った水で渇(かわ)きを鎮めてから野宿した。 そして翌日、解体した象の肉の分配を受け、金(かな)ダライに入れ頭に乗せていた村人二人が、傷の痛みに猛り狂って襲ってきたバッファローに殺された。死体となったその二人に、 バッファローは角の根元の盛り上がった瘤(ボス)で続けざまに強打を与えるだけでは満足せずに、蹄で踏みにじったので、死体は骨も内臓もグシャグシャになっていた。銃と同じような匂いがする鉄製の金ダライも原型をとどめてなかった。 片山は遺族に三百ドル相当ずつの現地通貨クワチャを贈って勘弁してもらった。村人の感覚では、その金額は数千万円に当る。 バッファローが傷ついてからずっと禁煙して嗅覚(きゅうかく)を研(と)ぎすましていた片山とペッパーは、三日目の午後、目標のバッファローの足跡を追ってきたモペーンとエレファント・グラスとイバラのブッシュで、傷が化膿した悪臭をほとんど同時に嗅(か)いだ。 ペッパーが圧(お)し殺した声を漏らし、片山は振り向いた。そのとき、イバラの茂みを突き破って、潜んでいたバッフがのしかかってきた。ブタのような目は憎悪に燃えていた。自分の足跡の上をバックして戻り、何の音もたてずに待伏せていたのだ。 仰向(あおむ)けに倒れた片山はライフルの床尾板を地面につけて引金を絞った。四五八マグナムの強烈な反動の逃げ場がなくなり、銃床は握り(グリップ)のところで真っ二つに折れた。 Sportsman's Legacy.com - 458 Winchester Magnum Mauser 98http://sportsmanslegacy.com/firearm/custom-dale-goens-458-winchester-magnum-mauser-98..../ Youtube -Joh. Springer's Erben Mauser 98 .458 Lott (DE)by Joh. Springer's Erbenhttps://www.youtube.com/watch?v=PtyydY9nO0k 458 Win Mag vs Steel Plateby 1957Shephttps://www.youtube.com/watch?v=ar1SnpffqaA 458 Winchester Magnum Destruction!by Iraqveteran8888https://www.youtube.com/watch?v=TEXblhkBLV4 六百グレインの巨弾に心臓と肺を貫かれながらも、復讐(ふくしゅう)の権化となったバッフは片山を角の根元で押し潰そうとした。 その時、横に回りこんでいたペッパーが三七五ホーランド・マグナムの銃口をバッフの延髄に押しつけるようにして発砲した。 即死したバッフにのしかかられて呻く片山を、汗まみれの黒い顔に大きな笑いを浮かべたペッパーが引きずりだしてくれる。 痛む肋骨をさすりながら片山がキャンプに戻ると、ダーク・スーツに身を固めたレスリー・バンクスがそこで待ちうけていた・・・・・・。 (つづく)
2021年08月07日
Photo by unipus >前回 ドアに向けて走りながら、片山はポケットに突っこんであったグエンのS・Wチーフス・スペッシャル拳銃を左手で抜いた。 ドアに向けて二発射つ。ドアを開く。廊下でアルバート・リーの相手の女が小便にまみれて気絶しているのが見えた。 片山は床の上で気絶しているグエンの女を廊下に放りだした。廊下の端のほうで銃声が起り、グエンの女を銃弾がかすめる。 続いて、逃げる男の足音が廊下を曲った。 廊下に跳びだした片山は、廊下の曲り角まで走った。S・W拳銃を握った左手を曲がり角で突きだして一発威嚇(いかく)射撃し、廊下の向う側に転がる。 男の姿は無かった。素早く立ち上がった片山は次の曲り角まで走って立ちどまった。そこを曲がれば、エレヴェーター・ホールがある廊下だ。 その方角に向けて、片山はS・Wから二発盲撃ちした。これで、五連発のS・Wチーフス・スペッシャルの弾は尽きた。 片山はわざと激しい音を立ててその拳銃を捨てた。 右腰のG・Iコルトを抜くと撃鉄を指で起し、曲り角の向う側に横に倒れ出た。 アルと、このエロス・センターの二人のガードマンが拳銃を構えているのが見えた。 その時には、片山のG・Iコルトは爆発したような轟音(ごうおん)を発した。一瞬のうちに三発射ったのだ。 胸の真ん中にタマをくらった二人のガードマンは尻餅(しりもち)をつき、右腕の肘あたりを射たれて拳銃を放りだしたアルは、ブラブラになった腕を見て発狂したような表情になっている。 三人とも、片山に一発も射つことができなかったのだ。片山は、銃口を自分に向けている相手が引金を引き終わらぬうちに四回引金を引くスピードを持っている。 片山はG・Iコルトを腰だめにしてアルに走り寄った。ショックから回復したアルは、体をかがめ、左手で拳銃を拾おうとした。 片山は腰だめでアルのモーゼルHSCの自動拳銃を射ち砕いた。モーゼルの薬室の実包がショックで暴発し、アルの腿(もも)を痛めつける。 IMFDB.org - Mauser HSchttp://www.imfdb.org/wiki/Mauser_HSc 「・・・・・・・・・・!」 怪鳥のような掛け声と共に、アルは跳び蹴りを片山の顎(あご)に放った。 無雑作にバック・ステップした片山は、空中のアルの尾骶骨(びていこつ)を蹴り砕いた。頭を下にして落下したアルは悶絶(もんぜつ)する。 片山はG・Iコルトの銃把(じゅうは)を口にくわえると、アルの左手首を自分の膝(ひざ)に当ててへし折った。 胸を射たれた二人のガードマンはもう死にかけていた。二人の拳銃は口径七・六五ミリ、つまり三十二口径のワルサーPPK自動装填式であった。 IMFDB.org - Walther PP Pistol SeriesWalther PPK"http://www.imfdb.org/wiki/PPK#Walther_PPK 片山はダブル・アクションのその二丁の自動拳銃(ピストル)に指動の安全装置を掛けた。拳銃が起こされている時に指動安全装置 すなわち安全弁 を掛けられると、PPKの撃鉄は自動的に倒れるが、これも自動的にせりだしてきた阻止ブロックの鉄板にさえぎられて、撃針を打つことなく止まる。PPKが自動拳銃のなかで最も安全な機構を持っていると言われる所以(ゆえん)だ。その二丁のPPKを尻ポケットに突っこみ、死体から装填されている予備弾倉四本も奪って上着のポケットに入れてから、エレヴェーターの呼びボタンを押す。 右手にG・Iコルト、左手にその予備弾倉を持って待つ。 昇ってきたエレヴェーターが開いた。だが、それには誰も乗っていない。 予備弾倉を口にくわえた片山は、まず瀕死(ひんし)のガードマンを一人エレヴェーターのなかに放りこみ、左手でアルの腰のベルトを摑(つか)んで軽々とぶらさげる。 アルをエレヴェーターに運びこむ。パッキングがゆるい時の水道の蛇口のような音がするのは、アルの袖口(そでぐち)から垂れた血が落ちるからだ。 一階のボタンを押した片山は、ガードマンのベルトを使ってアルの肘(ひじ)の上をきつく縛った。 一階にエレヴェーターが着くと、左手で大柄なガードマンのうしろ襟(えり)を摑(つか)んで持ちあげた。立ち上がった形にさせたその体を楯(たて)にする。 エレヴェーターの扉(とびら)が開いた。 一階の客はみんな消えていた。女たちはターン・テーブルの上で抱きあっている。そして、六人のガードマンが女を楯にして発砲してきた。 数発が、片山の楯にしている瀕死のガードマンに命中した。そのうち一発はガードマンの体を貫いて片山の右胸にくいこむ。 片山も射った。〇・〇数秒間に三発射ち、薬室に一発残しておいて素早く弾倉を替えると、半秒間に六発を射った。再び素早く弾倉を替える。 一階のガードマンたちは、すべて死体になるか重傷を負って戦闘能力を失っていた。女にタマが当る可能性があっても片山は遠慮しなかったから、女の首を貫いた四五口径の弾に顔面を砕かれたものもいる。 片山が楯にしていたガードマンは死んでいた。死体を捨てた片山は、空になった弾倉に、ポケットから出した実包を七発ずつ填(つ)め、腰の革サックに収める。右腕の傷を調べてみるが、浅く食い込んでいた弾頭はすでに抜け落ちている。肋骨(ろっこつ)にヒビが入った程度であろう。負傷のうちに入らぬ。 左手にアルバート・リーをぶらさげ、右手には撃鉄を起こしたままのG・Iコルトをぶらさげた片山は出口に向けてジグザグを描いて走った。 ビルから出ても、銃弾は襲ってこなかった。数百人の野次馬が悲鳴をあげながら逃げる。野次馬にはばまれて立ち往生していた十数台の車のなかに、野次馬が逃げ散ったあとも、スタートにミスしてエンストを起したワーゲンのゴルフがあった。プラグがかぶったらしく、なかなかエンジンがかからない。 アルを提げたまま、片山はそのグリーンのゴルフに向けて走った。 運転席の黒人はパニックにおちいり、車を捨てて逃げた。アフリカ人は銃を持っていても、不意打ちをくらうと銃を発射するよりも棍棒(こんぼう)がわりに使いたがる傾向があるから、その男も車よりは自分の足のほうを信頼したのであろう。 車のイグニッション・スウィッチに、キーを差しこんだままであった。片山はゴルフの助手席にアルを放りこみ、ギアをニュートラルにしただけでなくクラッチを切ってミッションの抵抗をへらし、十秒ほどスターターを回した。G・Iコルトは腰のホルスターに戻している。 日本仕様とはちがう一・一リッターの小さなエンジンが弱々しく息を吹きかえした。片山はまだスターターを回しながら、アクセルを踏んだりゆるめたりする。 バック・ファイアの爆音が起った。スターターを止めた片山は、アクセル・ワークでエンジンの御機嫌(ごきげん)をうかがう。 二十秒ほどして、やっとエンジンは正常さを取戻した。片山はクラッチを滑らせながら発進させた。 五分ほど出鱈目(でたらめ)に走りまわってから、ホテル・インターアメリカの無料駐車場にゴルフを突っこんだ。 自分のオペル・カデット改から五台ほど離れたスペースにゴルフを(と)駐め、腰の拳銃に手をかけてオペルに近づく。 待伏せしている者はなかった。 片山は意識を取戻しかけているアルの頭をスパナーで殴り、グラウンド・シートで包んでオペルのトランク・ルームに移した。 そのオペルを運転した片山は、二十分ほどのち、ジャングルのなかでエンジンを切った。トランク・ルームを開き、グラウンド・シートにくるまったままのアルを地面に放りだす。グラウンド・シートを開いた。 肘の傷の上で強く縛ってあるから、アルの出血はとまっていた。肘から先は壊疽(えそ)を起して腐ってしまうだろうが、先のことは片山の知ったことでない。 片山はアルの船員手帳を調べた。アブドール・ペナンというマレーシア人ということになっている。 それをアルのポケットに戻し、アルが身につけていた二千ドルほどの現ナマを奪った片山は、自分の腰のスキャバードから、ガーバー・フォールディング・スポーツマンIIのナイフを出し、刃を起した。ロックされた刃を、スキャバードに差してあったクローム・カーバイド焼き付けの研ぎ板(ホーニング・スチール)を使って、カミソリの鋭さにタッチアップする。 そのナイフを使い、アルの胸の皮膚を剥(は)ぎ取った。そこに小便を浴びせる。 激痛でアルは意識を取戻した。狂ったように悲鳴をあげてもがく。片山はタバコに火をつけ、アルの意識がはっきりするのを待った。「き、貴様は誰なんだ! 貴様の恨みを買った覚えはない!」 アルはピジョン・イングリッシュでわめいた。「貴様に恨みはない。情報が欲しいだけだ。素直にしゃべったら命を助けてやる」 片山は答えた。「C・I・Aか! インターポールにしては荒っぽすぎる」「どっちでもいい。あんたの本名はアルバート・リー。シンガポールでラ・パロマ号に乗船したんだな?」 片山は呟〔つぶや〕いた。タバコを捨てる。「ど、どうして知ってやがる? そうか、グエンがしゃべったな? 畜生、口が軽い野郎だ」「グエンは、自分の命を捨ててでも、あんたの命を助けようとしたんだ。俺がもうちょっとノロマだったら、あんたは逃げきることが出来たろう」「だから奴は偉いとでも言うのか? とんでもねえ。もし奴が命を捨ててでも俺を助けることが出来たら、奴の遺族に十万ドルの見舞い金が組織から払われる取り決めになってるんだ。保険金の十万ドルのほかにもな・・・・・・俺が奴を助けても同じだし、俺とグエンの関係だけでなしに、組織のほかの連中の場合もみんな同じだ。金額はちがってもな。だから俺たちは、上陸する時は一人にならずにペアやコンビを組むんだ。 二十万ドルあれば、俺たちの国では、カカアやガキどもが一生食っていける・・・・・・。だけど、奴が俺を窮地に追いこんで自分だけは助かろうとしたら、見舞い金を払ってもらうどころか、遺族に払われた保険金を組織に没収される。 だから奴は、〝赤い軍団(コールダルメ・ルージュ)〟の秘密をしゃべった以上、たとえ船に逃げ戻っても、組織の処刑執行人に抹殺(まっさつ)されるに決まっているから、自分の命を切札にしてバクチを打ったんだ」 アルは呻き声を混えながらしゃべった。「コールダルメ・ルージュか。英語だと、レッド・アーミー・コーアだな。それが、あんたらの組織の名というわけか」 片山の瞳(ひとみ)がギラッと光った。「グエンは赤い軍団の名をしゃべらなかったのか!」 アルは苦痛の表情に、しまった、といいたげな表情を混えた。「しゃべったさ。コルポ・ロッソとかイタリー語でぬかしやがったので、ピンとこなかっただけだ」 片山はもっともらしく答えた。「さあ、殺せ! 俺はもう何もしゃべらんぞ。俺はグエンのような五人もの子持ちとちがって独身だ。俺がくたばっても泣いてくれる者はいねえ」 アルはわめいた。「ヤケクソになるのは、まだ早い。こいつが見えるか?」 片山は内ポケットから、クリップでとめた五十枚の千ドル札を出し、アルに近づけた。振ってみせる。それを左手に持ちかえ、グエンとアルから奪った五千ドルほどの現ナマを右手でポケットから掴みだしてアルに示す。「ど、どういう意味だ?」 アルは生唾(なまつば)を呑(の)みこんだ。「あんたがしゃべってくれたら、ここにある五万五千ドルをくれてやる。あんたは、この金を持ってホンコンにでも逃げたらいい。こんなところでカッコウをつけてくたばるより、ずっとましだと思わないか?」「あ、あんたの正体は何なんだ?」「俺はワイオミング州に牧場を持っている。俺のオヤジは、牧場生活を引退してから日本車のディーラーになって成功した。日本のメーカーから招待されて日本に行ったとき、誰かに射殺された。俺はその犯人を追ってるんだ。長い追跡だった。そしてどうやら、あんたと同じ船に乗っているパク兄弟に殺されたらしいと分った。奴等はコリーアンでなくジャップだ。日本では傭われ殺し屋をやっていた。奴等は、俺のオヤジをマフィアの連絡係りと間違えて殺しやがったんだ」 片山は熱っぽく言った。「そ、そうか。あの二人は、船でも、組織の処刑人なんだ。もう一人のキム・チョンヒと名乗ってはいるが日本人らしい男と同じように・・・・・・」「俺は仇を討ちたい。銀行にまだ百万ドル以上預けてある。しゃべってくれたら、あと二十万ドル出そう」「ほ、本当か?」「とりあえず、これを取っといてくれ」 片山はクリップでとめた五万ドルとグエンとアルの五千ドルほどを、アルのポケットに突っこんだ。「ざ、残金は?」「あんたがしゃべり終ったら、ルサンゴの米軍基地の病院に運んでやる。俺は勲章を胸一杯にぶらさげて名誉除隊した軍人だし予備役の准将だから、基地に顔がきくんだ。基地の病院までは赤い軍団は追いかけてこられない。あそこのベッドに、銀行からおろした二十万ドルを運んでやる」「夢みたいな話だ」「それとも、本当にここでくたばりたいか?」「分った、分ったよ。何をしゃべればいいんだ?」「はっきり言ってやろう。パク兄弟の本名は谷崎兄弟だ。奴等はラ・パロマ号に乗る前から赤い軍団に傭われていた。日本でオヤジを誤殺したのも、赤い軍団の命令通りに動いた結果だ。だから、まずは赤い軍団についてくわしく知りたい」「しゃべりたいが、俺のような下っ端にはくわしくは分らないんだ」「まず、シンガポールであんたを傭った連中について尋(き)こう」「今から思えば赤い軍団のシンガポール支部の連中だと思うが、名前は名乗らず、ナンバーで呼びあっていた」 アルの答えはグエンと同じようなものであった。 二十分ほど質問し、アルの答えがグエンとほとんど変わらぬことを知ってから片山は、「あんたらを傭った組織が赤い軍団だと知ったのはいつだった?」 と、尋ねた。「喜望峰沖で大虐殺があったあとだ」 アルは答えた。 「赤い軍団について、奴等は何と説明した?」「世界中に連帯組織を持っていて、行動目的は、発展途上国を経済的に植民地化している日本帝国主義の粉砕だそうだ。俺にはよくわからんが、ともかく、俺たちの国から搾取し肥(こ)えふとっている日本政府と総合商社の官民複合組織の日本株式会社を殲滅(せんめつ)するのが目的だそうだ」「赤い軍団の軍団長は誰なんだ?」「まだ教える時期ではないと言って、俺たち下っ端には教えてくれない。ともかく大きな組織で、事務長(パーサー)のマローニでさえ中尉で小隊長だそうだ。船長のアレクサンドロスは少尉で班長だそうだ。一等航海士のメンデスは曹長、俺は二等兵だ」「パーサーのほうが船長よりランクが上なのか?」「あの船ではそうだ。マローニがあの船では一番偉い」「谷崎兄弟は?」「伍長だが、大虐殺があったあとは、船長より威張ってやがる」「虐殺事件があったあと、ラ・パロマ号はアフリカ大陸西海岸の赤道ギニアに寄港したんだな? 船名をサンチョ・パンサ号と塗り替えたのはどこでだ?」「赤道ギニアを出てから南大西洋沖でだ。そのあと、俺たちは偽造の船員手帳を受け取った」 アルは苦痛の呻き声と共に答えた。「船長やパーサーが、ナイジェリアに運ぶ筈だった積み荷をネタに日本政府を嚇(おど)して金(かね)を捲きあげようとしていることを知っているな?」「そういう噂だ。俺たち下っ端にはくわしい説明はしてくれない。ともかく赤い軍団はガメリア政府を買収してあるから、大船に乗った気でいてくれと言われた。日本人らしい者が接触しようとしてきたら射殺するか、不具(かたわ)にして船に連れこむように命令されている。ガメリア警察は絶対に俺たちに手を出さない約束になっているそうだ」「船長やパーサーはたびたび上陸するのか?」「はじめはそうだったが、この頃は船にこもりっきりだ。何か用がある時は、代理店(エージェント)の連中が船にやってくる」「代理店は?」「ルサンゴ・シー・サーヴィスだ。実質上の社長はルサンゴ治安警察本部の本部長チャンポングだそうだ。あの会社のビルは海岸通りにある」「日本大使館にいた連中が谷崎兄弟やもう一人の日本人を襲おうとした時、外で待機していた連中を殺傷した黒人暴徒の一団は、どんなグループなんだ?」「よくは知らん。だけど、チャンポングが使っている情報屋や便利屋だという噂だ」「谷崎兄弟は、大使館からやってきた連中をやっつけたのを自慢してたか?」「ああ、野良犬を射ち殺すように片付けてやったと笑っていた。それでも船長やパーサーは要心して、一昨日(おととい)の深夜、どこからか四十人を越す助(すけ)っ人(と)を船に呼んだ。ガメリア人ではない。アンゴラの白い傭兵(ホワイト・マーセナリー)上がりのポルトガル人やドイツ人、フランス人、イギリス人、南ア人などだ。アメリカ人もいる。奴等は機関銃どころか、速射砲や迫撃砲まで船に持ちこんだ。奴等のうち五人はチャンポングの護衛に回った・・・・・・なあ、もういいだろう。早く病院に運んでくれ・・・・・・死にそうだ・・・・・・」「もうちょっとだ。チャンポングの自宅はどこだ?」「俺が知るわけないだろう」「谷崎兄弟やもう一人の日本人は、また上陸するだろうか?」「知らん。上陸するとすれば、傭兵上がりと一緒だろう」 アルは答えた。 それから半時間ほどアルの尋問を続けたが、重要と思える情報はとれなかった。片山は、早く病院に連れていけとせがむアルの延髄(えんずい)をナイフで抉(えぐ)って永遠の眠りにつかせてやった。 (つづく)
2021年07月31日
Photo by Karlijn Pape from Truus >前回 回想から現実に戻ると、真っ赤で大きなアフリカの落日が地平線に沈んでいくところであった。 急激に気温が下がってくる。遠くでブチ・ハイエナが笑い声に似た吠(ほ)え声をあげる。 ライフルと実包が、気温と同じ十度Cぐらいに冷えるまで片山は待った。暑い昼間と寒いほどの夜間では、火薬の燃焼速度その他の影響で着弾点が変わる筈だ。 サン・グラスを外して立上がった片山は車に乗り、エンジンを掛けると、マルシャルのドライヴィング・ランプを点灯した。 強烈な光線の黄色い筋を二百ヤード先の標的に向けてから車を降りる。 伏射で三発、慎重に射った。 大地からのカゲロウが無いせいもあって、太陽に照らされていた時の着弾点より五センチほど下に着弾することが分った。 片山はライフル・スコープの上下修正ダイヤルのノブを四クリック上げて、再び三発射ち、それが夜間の二百ヤード用の照準(ゼロテン)規正であることを確かめてから、銃床にナイフでメモを刻む。 二百ヤード用標的紙を的枠ごと回収して叩き壊した。ほかの的枠や標的と共に火をつける。 ライフルは、ライフル・スコープを固定したまま、携帯用ケースと銃トランクに仕舞った。ライフル・スコープを脱着したあとは、ひどく着弾点が変るから、せっかくの試射が水泡に帰する。 原野についているタイア跡(トラックス)をたどって国道に車を出した片山は、二時間ほどのち、ルサンゴの街に戻った。 街のなかを気が向くままに車を走らせ、道を覚える。歓楽街は不夜城だ。金がない連中は街娼と立ったままファックしている。チンピラは自転車のチェーンを振りまわして喧嘩(けんか)しているし、ビジネス街ではギャングか外国のエージェントのトラブルなのか派手な射ちあいがあり、流れ弾が片山の車のそばまで飛んできた。 街なかを抜けて片山は港に行った。大桟橋の入口には検問所があったが、飲んだくれている税関の役員は、一時停止した片山の車によろめき寄ると、「ビアー・・・・・・・ビエール・・・・・・」 と、揉(も)み手をしながら酒代をせびる。 片山が一ドル札をくれてやると、英仏独語で礼をのべた役人は検問所に引っこんだ。パスポートや身分証明書を見せろなどとは言わない。 大桟橋に出入りするタクシーは、まとめてチップを払っているらしく、船員を乗せていても一時停止さえしなかった。密入国者には天国だ。 港には三百を越す貨物船が並び、入りきれない船は沖で待っている。土産品を売る小舟や夜食の屋台船のほかに、水上ランチが行き来している。 大桟橋のタクシーの溜(たま)り場から離れたところに片山は車を停めた。今はサンチョ・パンサ号と名を変えているラ・パロマ号を、ライツ・トリノヴィッド八×三二の小型軽量だが優秀な双眼鏡を使って探す。 サンチョ・パンサ号の特徴を持った貨物船は、三キロほど沖寄りに見えた。 だが八倍の双眼鏡では船名が見えない。 車のトランク・ルームからスポッティング・スコープとカー・ウインドウ・マウントと小さな毛布を取出した片山は、助手席の窓ガラスを三分の二ほどさげた。そのガラスをマウントではさみ、クランプのネジを締める。 そのマウントにスポッティング・スコープをつけ、倍率二十にして、狙った貨物船を覗(のぞ)いてみる。 近くの船の甲板や舷窓から流れる淡い光りを受けているサンチョ・パンサ号の船名がはっきり読めた。片山は倍率を二十五に上げ、その船を車内からじっくり偵察する。腹がひどくへっているが、射ちあいにそなえて我慢する。 一時間ほどたってから、水上タクシーのランチがサンチョ・パンサ号に接舷(せつげん)した。その貨物船の甲板から縄梯子(なわばしご)が降ろされ、ランチに乗っていた中南米系の男たちが貨物船に登る。 入れ替りに、甲板にいた二人の男が縄梯子を伝って水上タクシーに移った。東南アジア系のようだ。 片山はマウントの調整レヴァーを動かし、貨物から離れた水上タクシーをスポッティング・スコープで追った。 素早くスコープとマウントを車窓から外し、毛布でくるんで助手席の床に置いた片山は、北埠頭にオペルを走らせる。 北埠頭の入口にも検問所は形だけついていたが、ここでは無人になっていた。 待つほどもなく、水上タクシーは波止場に着き、先ほどの二人の東南アジア系の褐色の肌の男たちが上陸する。 北埠頭で客待ちしているタクシーは五台であった。ドラム罐に放りこんだ廃材の焚火(たきび)にあたっていた運転手たちは、サンチョ・パンサ号の二人の船員に駆け寄って、下手な英語で歓楽街までの運賃をわめきたてる。 二人の男が腰や腋(わき)の下に拳銃をつけているのが、背広ごしに片山に分った。運転手たちがダンピング競争をはじめるのを、薄笑いしながら聞いている。 五分ほどしてから、やっと二人はガソリン代に毛が生えた程度の額をつけた運転手のフィアット一二八に乗り込んだ。 一・三リッター五十五馬力のそのタクシーを片山のオペル・カデット改が尾行するのは簡単な仕事であった。 歓楽街とショッピング街のあいだに三十階建てのホテル・インターアメリカがあり、その広大な駐車場と隣接して、二十階建てのルサンゴ・セントラル・エロス・センターのビルがある。ルサンゴにエロス・センターは五軒もあるのだ。 東南アジア系の二人の男が降りたのは、スーパー・エロス・センターの前であった。二人がそのビルに入ったのを見てから、片山は車をホテル・インターアメリカの無料駐車場に駐(と)めた。 スーパー・エロス・センターに入る。 一階と二階が女のショー・ルーム、地下がスナック・バー、三階から上が女たちのアパートになっていることを片山は知らされていた。 奥行きと幅が共に五十メーターほどある一階のフロアは真ん中で巨大なターン・テーブルがゆっくりと回り、その上に乗ったさまざまな人種の女たちが、下着姿で色っぽいポーズを作っている。首から番号と名前を書いた札をぶらさげていた。年をくって体の線がたるんだ女が多い。 一階の女は約百五十人、汗がしみた紙幣を握りしめて熱心に品定めする黒や褐色の客は三百人近かった。天井や壁のライトはさまざまに変化し、淫蕩(いんとう)なレコードが流れ、熱気でむんむんしている。 片山は客たちのあいだをすり抜けながら、目ざす二人を捜した。 やっと見つけた時、二人は二階に続く階段を登ろうとしているところであった。片山は二人を追う。 一階の女はチップは別にして一時間五十オングー、つまり十ドルだが、二階の女は百オングーだ。 二階はターン・テーブル式ではなく、四方の壁沿いや三つの中仕切りの衝立て沿いに椅子が置かれ、高々と膝を組んで透けて見えるパンティを見せた女たちが待っていた。 一階の女たちとは値段が倍であるだけに、黒人の女も若くて体が引きしまり、白人娘のなかにはヒッピーの旅費稼ぎといった印象のティーン・エージャーが少なくなかった。 ここでは、自室で営業中のを差し引いて百人ぐらいの女がいた。客が五、六十人で、黒人でも身なりのいい男や、白人やアジア系が多い。明らかに日本人と分る男たちが五人、グループを作って、女たちを冷やかして歩いている。 サンチョ・パンサ号の二人の男たちのうち、三十歳ぐらいの中背の男が、モロッコかアルジェリアあたりの出身らしいミルク色の肌と、ヴェトナム訛(なま)りのフランス語で話をはじめた。 もう一人の、小柄だがフライ級のボクサーのような身のこなしの男が、ぽっちゃりした色白の中国系らしい娘と、ピジョン・イングリッシュで話しはじめる。 二人とも、首から吊っているプラスチック札の番号は五百番台であった。と、言うことは、二人の個室は五階にあることが分る。ここでは、女の番号は部屋の番号と同じなのだ。 二人の男は、それぞれの相手と腕を組んで、エレヴェーターに消えた。 片山は五百二十二番の、エリカという北欧系の源氏名のエチオピア人らしい娘に近づいた。 コーヒー色の肌と哀愁に満ちた黒い瞳(ひとみ)のエリカは、典型的なエチオピア美人であった。手足は折れそうに細いが、バストと腰はたくましいほどであった。 好色な笑いを浮かべた片山は、「よし、あんたに決めた」 と、英語で言うと、エリカの手をとる。 立ち上がったエリカは長身であった。百八十センチはある。四インチのヒールのパンプスをはいているので、片山より高く見えた。 五つあるエレヴェーターの一つに入るとエリカは、「一時間のお値段はいくらか知ってるでしょう?」 と、英語で言った。エチオピアは旧英領だ。「前渡しする。取っとけよ」 片山は二十ドル(ツェニーバック)札を渡した。 それを電灯で透(すか)してみてからハンドバッグに収め、「うんと気持ちよくさせてあげるから、チップをはずんでね」 と、言った。「終ってみないと分らんね」 片山は肩をすくめた。 五階でエレヴェーターを降りる。エレヴェーター・ホールには拳銃を腰から吊った二人のガードマンが立っていた。エリカに言われ、二十五セント玉(クォーター)を一米ずつ二人に渡す。 エレヴェーター・ホールに面した廊下にも個室のドアが並んでいたが、エリカは片山を、その廊下の左の端まで案内した。 そこから直角に、壁に沿って別の廊下が通っていた。済ませたばかりの米人風の男とフランス系の女とのカップルにすれちがう。 タダ乗りを防ぐためか、壁には窓がなかった。その廊下の途中の左に、五階を横に貫く中廊下がある。 中廊下の右から、二番目に五百二十二号の部屋があった。モロッコ女らしい女の部屋は二つ置いた左隣りで、中国系の女の部屋は斜め向かいだ。 部屋のドアを内側からロックしたエリカは、パンプスを蹴りぬいだ。素っ裸になると、ドアが無い浴室のビデにまたがって洗いはじめる。ハンドバッグも浴室に持ちこむ用心深さだ。 ソファに腰を降ろした片山はタバコに火をつけた。ウェスターンハットを棚(たな)に置く。 股間をバス・タオルで拭きながら浴室から出てきたエリカは、「あなたも脱いで。洗ってあげるわ」 と、身をくねらせた。(中略)「また気分が乗らんのだ。ベリーダンスでもやってくれ」 片山は答えた。 エリカはラジオのスウィッチを入れ、流れだしたアフロ音楽に合わせて激しく腰を突き上げた。(中略) 片山がタバコを吸い終えると、エリカは踊りをやめた。「まだ、、その気になれないの?」 と、ソファに横坐りし、片山のスラックスのジッパーに手を掛ける。「悪いが・・・・・・」 片山は俯向(うつむ)いたエリカの首筋に右の手刀を叩きつけた。頸骨(けいこつ)が折れないように手加減したが、エリカは瞬時にして意識を失う。 シーツをガーバー・ナイフで裂いて、数本のロープを素早く編む。そのうち三本を使ってエリカの両手両足を縛り猿(さる)グツワを噛ませる。気絶から覚めないように、耳の上を鋭く蹴る。頭の骨にヒビが入った音がした。 残り二本を使って投げ繩を作った。プッシュ・ロッディングするわずかな時間でも節約出来るように、G・Iコルトを一度抜いて手でスライドを引き、薬室に装填する。暴発を避けるために、撃鉄を静かに倒しておく。 五分ほど待ってから、片山はエリカのハンドバックからこの部屋のキーを取出した。帽子を被り、ドアを細めに開く。 耳を澄ませてから、廊下に顔を覗かせる。廊下に人影は無かった。 廊下に出た片山は、エリカの部屋のドアを外側からロックした。上着の襟(えり)の内側に差していた、先端が鉤型(かぎがた)に曲った二本のピアノ線を取出す。 それを使い、モロッコ系の女の個室のシリンダー錠を簡単に解いた。グリーン・ベレーは、あらゆる非合法なテクニックを教わっているのだ。 二本の針金を襟に戻し、そっとドアを開く。部屋のなかに身を滑りこませると、投げ繩を持った左手をうしろに回して、そっとドアを閉じる。 ベッドの上で中背の東南アジア系の男が女を責めていた。 背に枕を敷いた仰向けの女は、首と頭で体重を支え、両脚を男の肩に乗せている。中腰になった男は激しく突きおろしている。女の口からは、苦痛とともに甘美な呻(うめ)きともとれる声が漏れていた。 二人とも無論素っ裸であった。男の拳銃はホルスターに入ったまま、ベッドのヘッド・ボードに掛けられていた。 人間には第六感があるから、たとえ背後から忍び寄っても、あまり近づきすぎると気付かれてしまうことが多い。だが片山は、数えきれないほどの実戦の経験から、巨体にも似合わず、手をのばす距離まで忍び寄ることができるテクニックを身につけていた。 幻影のように接近した片山は、男の首に投げ繩を掛けると、うしろに引きずり倒す。結合が外れてからやっと片山に気付いた女の脇腹を鋭く蹴った。 脾臓(ひぞう)が炸裂(さくれつ)した女は、重苦しい呻き声を絞りだして気絶した。 投げ繩に首を絞められた男は、悲鳴を漏らすことも出来ずにもがいた。両手で投げ繩の環を外そうと首に爪をたてながら、両足で片山を蹴ろうとする。女の体液で濡れた黒光りしていた男根は、見る見るしぼんでジャングルに隠れた。 薄笑いを浮かべた片山は、蹴りあげた男の右腿のうしろから、睾丸を蹴り潰(つぶ)す。ショック死に似た症状を呈して男は意識を失った。 片山は男を浴室に運んだ。ガーバー・ナイフを使い、男のアキレス腱を切断しておき、椅子に掛けられている男の服をはぐる。投げ繩は首に捲きつけたままだが、呼吸が止まらないようゆるめてある。 男のポケットから出てきた船員手帳によると、タイ国籍のポーン・サムラクという甲板員ということになっている。 男が持っていた三千ドルほどの現ナマを頂戴した片山は、ショールダー・ホルスターを捨ててから、拳銃を上着の左ポケットに突っこんだ。男のその拳銃は、S・Wチーフス・スペッシャルの銃身がひどく短いスナッブ・ノーズの輪胴式(リヴォルヴァー)であった。 IMFDB.org - Smith & Wesson Model 36 / 38Smith & Wesson Model 36 "Chiefs Special"http://www.imfdb.org/wiki/Smith_%26_Wesson_Model_36_/_38 ベッドのシーツを破り、それで男の口にゆるく猿グツワを噛ませた片山は、男が持っていたカルチェのライターで鼻の穴をあぶった。 鼻腔(びこう)が焼け焦(こ)げた時、男は猿グツワの隙間(すきま)から唸(うな)り声を漏らした。意識を回復してもがく。 熱くなったライターをタイルの床に置いた片山は、フランス語で、「名前は?」 と、尋ねた。 だ、誰(だれ)だ、貴様は・・・・・・糞う・・・・・・痛い・・・・・・苦しい・・・・・・」 男は呻いた。「名前は? ポーンというのは偽名だろう?」「どうして分かった?」「タイ人でフランス語がしゃべれる船員は少ないからな。もとはフランスの植民地だったヴェトナム人と違って」「畜生・・・・・・グエン・チューというのが俺(おれ)の名だ。サイゴン出身だ。敗戦でタイに逃げ、ワイロを使って船員手帳を手に入れた・・・・・・俺に何の恨みがある?」「別に・・・・・・俺に尋ねることにまともな返事をしたら、あんたはこれ以上痛い思いをしないで済む」「畜生・・・・・・」「あんたは、ラ・パロマ号が日本の港を出た時から、あの船に乗っていたのか?」「ラ・パロマ号とは何のことだ?」「とぼけるなよ・・・・・・よし、分かった。貴様が二度と女を楽しめない体にしてやる」 片山は壁掛けタオルを取り、それを左手に捲いて、グエンの縮みきった男根を引っぱりだした。それに、ナイフの刃を当てる。「やめろ・・・・・・やめてくれ・・・・・・サンチョ・パンサ号がラ・パロマ号だったことを認める。俺があの船に乗りこんだのは、あの船がシンガポールに寄港した時だった」 「あんたは拳銃(ハジキ)を持ち慣れているようだな。亡命する前は何をやってた?」「ヴェトナム共和国、いわゆる南ヴェトナム政府の海事秘密警察官だった。ワイロを出し渋る連中と射ちあったことはたびたびある」「タイの警察はそのことを知ってたのか?」「ああ、もとは連携プレーをやって、麻薬や米国流れの武器を扱う業者から吸いあげてたから」 シンガポールで乗りこんだのは何人だ? あんたの連れの小男もシンガポールで乗ったのか?」「二十人だ。俺の友達(ダチ)はアルバート・リーといって、マレー人と中国人の合の子だ。アルもシンガポールから乗った。カンフーの達人だ」「一緒に乗りこんだほかの連中も、一癖(ひとくせ)も二癖もある連中だろう? どうやってラ・パロマ号は、そんな連中を集めた?」「ほかの連中のことは知らん。俺の場合は、バンコックの手配師が、ちょっとヤバいが日当百ドルになる仕事があるがどうか、と口を掛けてきた。ヤバいとはどの程度か、と尋いたら、高く売れる日本商品を積んだ船なので、海賊船と射ちあいになる可能性も無いこともない、ということだった。 そのかわり、船のほうで武器を支給してくれ、射撃訓練もさせてくれる、という話だった。生命保険もたっぷり掛けてくれる、とも言った。だから、俺はシンガポールに飛んだんだ。シンガポールの指定されたモーテルに着いてみると、ヴェトナム時代やバンコックで顔見知りの命知らずが何人も来ていた。 「モーテルの名と場所は?」「モーテル・スタンレー。鉄道駅に近いニューブリッジ通りにある」「バンコックの手配師は?」「タノム・ピブンという名だが、どこに住んでいるのかは知らん。クロフォード桟橋近くの大衆食堂兼茶楼(ティー・ハウス)のサイミンが奴の溜り場だ」「よし、続けろ」「モーテル・スタンレーに集まったのは、百人ぐらいだった。東南アジアの色々な国からやってきた連中だ。宿代はタダだった。 二日後、俺たちは射撃場にバスで連れていかれ、拳銃射撃の試合をやらされた。拳銃は俺たちを呼んだ連中が用意してくれてあったんだ。試合の成績が悪かった三十人は、旅費と御苦労賃をもらって帰らされた。二日目のライフル射撃でまた三十人がはねられ、三日目の格闘技の勝抜き戦で、二十人が最後に残った。 それからの四日間は、毎日三十ドルをもらって、骨休めしたり、女と遊んだりバクチをやって暮した。その間に、死んだ場合は十万ドル払ってもらえる生命保険の証書が、俺たちの見てる前で、シンガポール中央郵便局から家族に郵送された。そのあと、俺たちはラ・パロマ号に乗ったわけだ。乗り込むと、千ドルの前金が渡された」「あんたは、三千ドル以上持っていた」「ここに着いてから、ボーナス込みで五千ドルを払ってもらったんだ・・・・・・え、何い? 持ってた、だと?」「素直にしゃべり続けてくれたら返してやるさ・・・・・・話を戻して、シンガポールであんたらを待っていた傭い主は、どんな奴だった?」 片山は尋ね、噛(か)みタバコを口に放りこむ。「名前は教えてくれなかった。みんなナンバーで呼び合っていた。NO(ナンバー)・ワンは五十ぐらいの年の背の低い白人で、俺の感じでは東欧系のユダヤだな。NO・ツーは東洋人だが東南アジアではなく、日本か韓国のような感じだった。NO・スリーは、俺のカンではシンガポールの華僑(かきょう)だな」「そいつらも、モーテル・スタンレーに泊ってたのか?」「いや、下っ端の見張りは泊ってたが、お偉方はちがった」「ラ・パロマ号に乗りこんでから、何があったんだ?」「モザンビークに近いマダガスカル島のマユンガに寄港したとき、また二十人が乗ってきた。今度は南米や中米、それにアフリカ人がほとんどだったが、日本人も三人混っていた。三人は韓国人だと言っているが、俺はヴェトナム時代に日本人も韓国人も大勢知ってたから、奴等は日本人だと思う。大体、船の仲間だった韓国人と韓国語で話をすることがなかったし、この市(まち)で日本大使館の連中に襲われた、ということは、奴等が日本人だという証明になるんじゃないか?」「その三人は、この男たちか?」 片山は内ポケットから、三田村と谷崎兄弟の写真を出してグエンに示した。「よく似ている。そっくりだ」「こいつは、何と名乗っている?」 片山は三田村の写真をグエンに突きつけた。「キム何とか・・・・・・そう、キム・チョンヒだ」「こいつらは?」 片山は谷崎兄弟の写真を振った。「兄貴のほうがパク・テジュン、弟のほうがパク・ブンスだと覚えているが・・・・・・」「奴等は、いま船に戻ってるのか?」「今夜は整備当番だから」「よし、よし、その調子でしゃべってくれ」「マダガスカルから赤道ギニアのバタ港に向かう途中の喜望峰沖で、怖しいことがあったんだ。日本を出たときから船に乗り込んでいた連中のうち韓国人と台湾人の船員はみんな八番船艙(せんそう)に集められた。八番船艙は積み荷のバランスをとる関係から空っぽになっていたのだ。 俺たち、途中で乗りこんだ者は、武器を取り上げられてから、船首側の二番船艙に集められた。前から乗りこんでいた亡命キューバ人や中南米人が武装して入ってきた。事務長(パーサー)のイタリー人のマローニも一緒だった。 そこでマローニは俺たちに、英語で、〝八番船艙に集められた連中は反乱をたくらんでいる。奴等は俺たちの武器を奪って殺し、積み荷ごと船をアラビアのある国に売りとばそうとしていることがわかった。殺されたくなかったら、こっちから先制攻撃を掛けてみな殺しにするほかない。攻撃隊に加わる者には武器を返してやる。ボーナスも払う。嫌だ、という者はこの場で殺す。これは船長命令だ〟 と、言った。三人の通訳が俺たちにフランス語とスペイン語とポルトガル語で説明した。俺は英語が分かるが・・・・・・」「・・・・・・・・・・」「俺たちは、韓国人や台湾人が反乱をくわだててるなどとは信じられなかった。だけど、高い給料で傭われたからには何か裏があると覚悟してたし、殺されるのは嫌(いや)だった。だから俺たちはみんな船長命令にしたがった。 八番船艙で虐殺がはじまった。特にあの三人の日本人は、気が狂ったようにサブ・マシンガンを射ちまくった。でも、信じてくれ。俺はわざと床や天井を射って、誰も殺さなかった。死体を海に捨てるために運ぶ時に、ポケットの中身をくすねたことは認めるが・・・・・・。よお、頼む。もう勘弁してくれ。早く医者を呼んでくれ・・・・・・死にそうだ」「あんたが殺しに加わったかどうかは俺の知ったことじゃない。死体の片付けが終ってから、マローニは何と言った?」 片山は噛みタバコの汁を吐きだした。「理由はなんであれ、人を殺したんだから、これからは一蓮托生(いちれんたくしょう)だ。忠誠を誓って命令通りに働いたら大金を拝ませてやる。しかし裏切ったら、地獄の果てまで追っかけてでも、家族ともども処刑してやる、と言った」 グエンは答えた。 その時、ドアの前に足音が近づいた。男と女の足音のようだ。ドアがノックされる。「騒ぐと喉〔のど〕を掻き切るぜ」 片山は圧(お)し殺した声でグエンの耳に囁(ささや)き、ナイフを首に当てる。 ノックは激しくなり、鳥のさえずるようなピジョン・イングリッシュが、「まだかよ、俺は終ったぜ。終ったら、一緒に出る約束だったからな」 と叫ぶ。女の笑い声も聞えた。「アルだな。いいか、猿グツワを解いてやるから、〝俺はまだ終ってないから、下で待っててくれ〟と、言うんだ」 片山はナイフで猿グツワを切った。「逃げろ!アル!」 グエンはわめいた。 思いがけぬグエンの反応に、片山は反射的にグエンの喉と頚動脈を切断した。飛び散る血を避けて跳びじさる。 ドアの外から、ドア越しに三発の銃弾が射ちこまれた。だが、浴室にいて死角にいる片山には当らない。 廊下で、女の悲鳴と男が逃げる足音が聞えた。ヒュー、ヒューという音と水道を流す時のような音がすぐ近くから聞えるのは、パックリと開いたグエンの喉笛から漏れる空気の音と、頚動脈から噴出する血がタイルに落ちてはねる音だ。 (つづく)
2021年07月24日
Photo by Ana Silva >前回 タバコを一本吸い終えた片山は、三十ヤードほど先の岩の上にコーラの空き罐を置いた。 射座のあたりに戻ると、右腰のホルスターからG・Iコルトを抜き、左手でスライドを引いた。左手を離すと、復座スプリングの力で戻ったスライドは、弾倉上端の実包を銃身後端の薬室に送りこむ。 右手の親指と人差し指で作ったV字の尖点を腕の骨と平行にし、発射の反動が真っすぐに伝わるように拳銃の銃把を握る。両足を開き腰を落し気味にし、左手で右手首を支える。 照星を照門の谷に合わせた片山は、コーラの空き罐の中央部にすっと狙いをつけた。 〇・〇〇数秒の間に二発を放つ。 二発の銃声はただの一発に聞え、気持ちいい反動と、ガス圧で自動的に往復するスライドが弾倉の実包を薬室に送りこむ振動を片山に伝える。 吹っ飛んだ空き罐の前面中央部に二つの丸い射入孔、背面(はいめん)にギザギザになった大きな射出孔があいている。 ライフルとちがって、拳銃(ハンドガン)の場合は、銃身や機関部と銃床とのベッティングの問題がないから、分解組立てを行ったところで、着弾点に大きな狂いを生じることはない。少々狂ったところで、拳銃のように射程が短い火器に要求されている精度から見れば問題ない。 片山はその自動装填式拳銃(オート・ピストル)から弾倉を抜く。スライドを引いて薬室の実包も抜く。その実包を弾倉に戻す。弾倉を銃把の弾倉室(マガジン・ハウジング)に戻し、撃鉄(ハンマー)を親指で押さえながら引金を絞った。引金を絞り続けながら親指からそっと力を抜いていくと、静かに撃鉄は倒れた。撃針を打つようなことはない。 その拳銃をホルスターに戻した。一本だけ中味が残っているコーラの罐を斜め上に放りあげる。 それが二十メーターほど前方の、地上から三メーターほどの空間に落下してきた時、片山の上半身が鞭(むち)のようにうしろに反った。 抜きながらプッシュ・ロッディングされた片山のG・Iコルトが、〇・三秒のうちに五回火を吐いた。五発目の空薬莢が飛びあがった時には、あと四個の空薬莢はまだ空中にあった。 五発の連続発射音がドウーンと長く尾を曳(ひ)く一発に聞こえるほどの早射ちだ。 五発の四五口径弾をくらったショックで、罐は液体を飛散させながら空中を乱舞した。口径四五A・C・P弾は拳銃実包としては強力とはいえ、大口径マグナム・ライフルからくらべれば赤ん坊のようなものだから、罐が粉々になるようなことはなかった。 薬室も空になったためにスライドは後退したまま自動的に止まった。空になった弾倉を抜き、スライド・ストップを押してスライドを閉じた片山は、抜いた弾倉にポケットに入れてあった五十発入り弾箱から出した七発の実包を塡(つ)め、弾倉室に戻した。その拳銃をホルスターに収め、ウィンチェスターM七〇のマグナム・ライフルから出鱈目(でたらめ)に六発射った。 銃腔を適度に汚すためだ。銃腔をクリーニングしたあとの数発は着弾が乱れるからだ。 毛布の上に坐りこんで片山は日没を待つ。コダックのアルミのフィルム罐に移してあったロリラード・ビーチナットの、頭がキーンと痺れるほどきつい噛みタバコをひと摘み口に放り込む。尻に汗がたまっていた。 尻の汗が、片山にヴェトナムでの一日を想いださせた。 陸軍歩兵兵士として一年間殺し合いに明け暮れているうちに、片山は死体となるどころか、南ヴェトナムのゲリラと北ヴェトナムの正規軍を二百人以上血祭りにあげ、少尉に特進していた。 片山の悪魔的なほどの生存テクニックと殺しのテクニックに嫉妬(しっと)した上官たちが、米陸軍特殊部隊(スペシャル・フォース・グループ)、つまりグリーン・ベレーを志願するようにと、片山にしつこく勧めた。 死傷率が非常に高いグリーン・ベレーに片山が入って早く死ぬように望んだわけだ。そうでないと、彼等の階級を片山がすぐに追い抜いてしまう。 片山は、戦争は正義もクソもない命がけのゲームである以上、生存と殺しのテクニックをグリーン・ベレーで磨(みが)くことは自分のためにプラスになると思った。 それに、米本土で訓練を受けているあいだだけでも死の恐怖からいくらかでも逃れることが出来るだろう。 グリーン・ベレーに志願した片山は、ジョージア州フォート・ベニングの基本トレーニング・センターに送られた。高温多湿でジャングルが多い北米南部は、ヴェトナムと気候や地形がいくらか似ている。 そこでは降下訓練とレインジャー訓練と射撃訓練をメインとし、素手は無論、ナイフや手に入るかぎりの道具を武器としたテクニックが教えられた。 フォーク・ベニングの射撃教官は、U・S(アメリカ)オリンピック・チームの猛者たちであったが、片山は戦闘射撃や早射ちにかけては彼等に舌を捲かせるほどであった。柔道や空手や合気道では教官たちに煙たがられるほどであった。 フォート・ベニングの近くのノース・キャロライナ州フォート・ブラックにある特殊戦争センターの専門コースに進めたのは、片山を含めて訓練生のうちの三分の二ほどであった。 落伍者(らくごしゃ)が続出するその専門コースで踏みとどまることが出来た少数の男たちのなかにも片山がいた。 片山は火器(ウエポーン)担当要員として専門訓練を八週間受けることになった。 しかしグリーン・ベレーは一つの分野だけではなく最低で二分野、出来れば全分野でもエキスパートになる必要があったから、片山はその後また八週間にわたって破壊活動(デモリーション)要員としてのトレーニングを受けた。爆薬のエキスパートにもなったわけだ。 さらにそのあと六週間にわたり、戦略や戦術に関する授業や、ヴェトナム語とヴェトナム戦終了後に予想されるアフリカのポルトガル植民地の独立戦争への介入にそなえてのポルトガル語の特訓を六週間にわたって受けた。無論、その間にも戦闘訓練や爆破の実習は続けられ、本来なら三十七週にわたる医療実習の基本もかじらされた。 卒業試験は、六週間にわたるパラシュート降下による挺進訓練とゲリラ戦の演習であった。三週間が中米のジャングル、あとの三週間がモンタナ・ロッキーの山岳地帯で実戦さながらに行われた。待ち伏せしている教官たちの実弾が飛んでくる。 交差した矢の上に銃剣を置いたデザインの帽章をつけた青緑色のグリーン・ベレーを被って地獄のヴェトナムに戻った片山が、二百人を越す北ヴェトナム正規軍の将兵を殺して大尉(キャプテン)に昇進したあと、あの悪運が片山を見舞ったのだ。 北ヴェトナムの雨期であった。片山が指揮するグリーン・ベレーの第三大隊(バターリオン)M中隊(マイク・カンパニー)E分隊(エコー・スクアッド)十二名は、深夜敵中深く潜入し、巧みにカモフラージュされて上空からはそれと分らない水力発電所の爆破に成功した。 だがダムと発電所の警備兵の火力は予想をはるかに上まわった。エッコーと発音されるエコー分隊の無線係りの曹長(マスター・サージャン)は背負った無線ごとロケット砲に吹っ飛ばされ、副官と中尉(リュテーナン)と七人の下士官は機関銃と速射砲の餌食となった。 片山たち生残り三名は、敗走しながら二十名を越す敵兵に命中弾を浴びせたが、雲霞(うんか)のように押し寄せる敵兵に追いまくられているうちに、友軍のヘリが救出に来る予定の集合地を見失った。 おまけに、ジャングルは雨と濃霧で月も星も見えなかった。似たような地形がくり返し現れるし、そこは米軍の地図にのっていないので、コンパスは役立たない。 発電所から三十キロは離れていると思われる広大な谷間に逃げこんだ片山たちは、冷たい濃霧と時折り降る豪雨のなかで、三日間を雪隠(せっちん)詰めになっていた。 完全に包囲されていることは、威嚇(いかく)射撃されるAK四七突撃銃の乾いた銃声やチェコ製ブルーノ機関銃の軽快な連続発射音、ハラワタに響く迫撃砲弾の炸裂音を聞くまでもなくわかった。だが敵も、視界が悪すぎるために片山たちを発見できないのだ。 タコツボを掘り、カモフラージュ色の携帯用キャンヴァス・シートを屋根がわりに掛けた片山たちは、泥水に尻を濡らしながら敵の来襲を待った。 IMFDB.org - AK-47http://www.imfdb.org/wiki/AK-47 IMFDB.org - ZB26 Machine Gunhttp://www.imfdb.org/wiki/ZB26 Guns Fandom.com - ZB vz. 26 (Bruno ZB Vz. 26)https://guns.fandom.com/wiki/ZB_vz._26 無線機が爆破されたので、救援のヘリとの連絡をとることが出来なかった。歩兵とちがってCレーションの罐詰めは一日分しか携帯してなかったので、それを食い尽くしたあとは、片山がタコツボから這(は)い出て採ってくる食用の野草や木の根をかじるだけだ。 だが、生き残ったフランクとジョニーの両准尉(ワーレント・オフィサー)は、片山が採ってきたものを食っても、吐いたり下痢したりするだけなので、恐怖と空腹をまぎらわせるために、救急キットのモルヒネの錠剤をかじっていた。 霧が薄れた五日目の未明、片山は二人の部下をタコツボに残して出撃した。携行した火器は短銃身と伸縮銃床のM十六自動カービンと、部下の死体から取りあげてあった四十ミリ自動十二連グレネード・ランチャーXM一七四であった。 IMFDB.org - Colt XM177/CAR-15/Commando Serieshttp://www.imfdb.org/wiki/M16_rifle_series#Colt_XM177.2FCAR-15.2FCommando_Series XM174 40mm Automatic Grenade-Launcher 南側の敵陣に忍び寄った片山は、五人の哨兵(しょうへい)たちを、ジャングル用のナタ(マシェット)で首をはね、ナイフで刺殺し、針金で絞殺する。 それから、敵陣のテントに自動グレネード・ランチャーから四十ミリ榴散弾(りゅうさんだん)を射ちこんでおき、敵の哨兵から奪ったAK四七を乱射する。 銃身が過熱するごとに銃を替え、約千発をテントのなかにフル・オートで射ちこんで内部にいた人間を全滅させた。 テントのなかの死体と共にあった機関銃や迫撃砲やロケット砲などを、南のテントを見おろす高地の岩のなかに運び終えた頃、霧は去り、夜明けの薄明かりがさしてきた。 そして、麻薬を注射した腕を縛った北側と東側の敵兵数十名が、南のテントを目がけて殺到してきた。 用意した敵の火器を駆使した片山が彼等を片付け終るまでに五分もかからなかった。グリーン・ベレー火器担当要員は世界中の銃砲の取扱いについて熟知している・・・・・・。 (つづく)
2021年07月17日
Photo by Christof >前回 Tシャツとブリーフを替えただけで、その上に着けているものは替えず、片山はアタッシェ・ケースを提げて部屋を出た。ポケットには二十一発の口径四五A・C・P実包をバラで入れている。 北米西部の牧場主といった片山の姿はひどく目立つが、敵をおびき寄せてから殲滅(せんめつ)する作戦だから、しばらくは目立っていたほうがいい。 午後一時頃であった。ロビーに降りた片山は、「痺(しび)れちゃう」「あたしの味がつまらなかったらタダにしてあげてもいいのよ」 などと、猫(ねこ)のように喉(のど)を鳴らしてすり寄ってくる女たちを振り切って表に出た。 地図を頼りに二十分ほど歩いた片山はビジネス街に入った。石造りの古いビルと、新築の近代的ビルが入りまじっている。 ビジネス街の中心部に、銀行と投信会社が軒を並べている数ブロックがあった。銀行の建物の前の歩道にも娼婦が数メーター置きに立っている。銀行の玄関に立つガードマンたちは散弾銃を手にしていた。ターバンを捲いたアラブ人やインド系が多い。 片山は二十四時間営業を売りものにしている米国系アフロ・シカゴ銀行に入った。エア・コンが効いたその銀行は五千ドル以下の預金ならパスポートを見せる必要はなくサインの登録だけでよかった。引き出す時もサインと口座番号を書くだけでいい。 片山はまず四千九百ドルの現金を預け、暗号口座番号を覚えた。通帳はくれない。名前はスチーヴ・ゴードンということにした。 次いで五百ドルほどを現地通貨のオングーに替え、貸し金庫のロッカーを一つ借りる手続きをした。ロッカーは二重鍵(かぎ)になっていて、銀行が客に渡してくれる鍵と銀行側が保管している鍵の二つを使わないと扉(とびら)が開かないようになっている、とのことであった。 地下一階の貸し金庫室に行くまでに、案内の行員のほかに、米国から出稼ぎに来たらしい白人のガードマンが、腰の拳銃の銃把に手を添えてついてきた。 貸し金庫室の入り口の左右では、椅子を腰におろし壁に背をもたせかけた黒人のガードマンが居眠りをしていた。 部屋の突当たりには、ロッカーから出した品物をこっそりと客が調べることが出来るように大便のクローゼットのような小さな個室が並んでいた。 片山は借りたロッカーのなかの保管函(ほかんばこ)にアタッシェケースを仕舞った。 銀行を出た片山は、外していたレイバンを掛け、五百メーターほど離れている筈(はず)のバー・ジャイアント・エランドに向けて歩いた。 丸木造りのそのバーは、北米西部の田舎町のバーをそっくり移したような構えであった。 ただし、西部のエルク大鹿やミュール鹿やプロングホーン・アンテロープやビッグホーン・シープなどの剥製(はくせい)や頭付きの角、それに灰色熊(グリズリー)やマウンテン・ライオンなどの皮のかわりに、この国で主に獲(と)れる動物の胸頭部剥製(ショルダー・マウント)や皮や牙が、壁や梁(はり)の丸太に打ちつけられている。 そのなかには、サハラ以南に生息するだだ一つの疑似鹿科で角のかわりに牙を持つ、キバノロのような外観のウォーター・シュヴェロティン(ネズミジカ)、コビト(ピグミー)・カバ、コビト(ドワーフ)・バッファロー、マンドリル・ヒヒ、コビト・アンテロープ、それよりももっと小さなウサギ大のロイヤル・アンテロープ、ローランド・ゴリラ、バーバリー・シープ(タテガミヒツジ)、白オリックスといった珍しいものもいる。無論、この店の名になった巨大なアンテロープのロード・ダービー・エランドの西アフリカ種も飾られていた。 バーには女の姿が無かった。そこにいる連中は、明らかに合衆国のエージェントと見える者が多かった。腰や腋(わき)の下は、上着の下につけた拳銃のホルスターでふくれている。左側のビリアード台で遊んでいる連中は上着を脱ぎ、ホスルターに収めた拳銃を見せていた。 タバコやガムを積んだ棚(たな)を背にしたバーテンにボロニアとチーズ入りのサンドウィッチを頼み、片山はビリアード台の向うに五つ並んだ電話のブースに歩いた。 ブースの一つに入り、ダイヤルを一度脱いだウェスターン・ハットで隠すようにして、日本大使館の隠し電話の番号を回す。コインを数枚使った。 十分ほど電話してから、片山はカウンターに戻った。サンドウィッチは出来上っていた。オリンピアのビールを注文した片山は、サンドウィッチに微塵(みじん)切りのピックルスとマスタードを大量にはさんでかぶりつく。ビールで喉を通す。「俺はフランク。ミネソタの生れだ。あんた、どこの出身だい?」 カウンターの上でサイコロを転がしていた男が、嚙みタバコの唾(つば)を床(ゆか)に吐いてから尋ねた。「俺はスチーヴ。モンタナのビュート出身だ。婆(ばあ)さんがスー族だったんだ」 片山は西部訛(なま)りで答えた。米陸軍特殊部隊の山岳訓練を受けた時、モンタナ州で過ごしたことがある。「この糞ったれの国に来てから長いのか?」「いや」 片山は答えた。 それから、ほかの男も加わって、半時間ほどビールを飲みながら雑談した。 コーラを一ダース買った片山はバーを出た。一ブロック先で裏通りに回る。屑箱(くずばこ)の近くに駐(と)められている、塗装がところどころ剥げた土色のオペル・カデットのセダンに近づく。 イスズ・ジェミニと共通のボディを持つその小型車は、ヨーロッパ車としてはそのクラスで珍しくハッチ・バックでなくてノッチバックであった。独立していて外からでは中身を覗(のぞ)かれることがないトランク・ルームを持っている。 そのセダンは、普通のカデットとはちがって、HRの高速タイヤをはいていた。片山はその車の換気排出孔グリルに見せかけた給油カヴァーを開いた。 給油キャップに車のキーが細い針金で縛りつけられていた。 その車は日本大使館側で用意したものだ。ナンバー・プレートは偽造品ということであった。片山は車のキーを引き千切り、給油カヴァーを元通りにした。 本来は一・二リッターのエンジンを掛けてみて、それがカデットGT・Eにも載せられているオペル・マンタGT・Eの一・九リッター燃料噴射式に替えてあるという電話での話が本当と分った。 グローヴ・ボックスに入っていた最新のドライヴ・マップにざっと目を通してから、片山はカデット改を発進させた。小柄なボディに大きな六気筒エンジンだからトップ・ヘヴィでハンドルは重いが、一度動きだしたら四速でもノロノロ運転が出来る。 市街地を北に抜け、五キロほどで右折し、ジャングルの中を百八十キロで飛ばす。道を横切ったり日向ぼっこをしていたヘビや大トカゲを轢(ひ)いた。車にエア・コンはついていないので窓を開いて走らせる。ウェスターン・ハットは風圧で吹っ飛ぶので、脱いで助手席の床に置いてあった。 一時間半ほどでジャングルを抜け、乾いたサヴァンナ地帯に出る。道をはずれ、土煙をあげながら車を走らせると、草原ブッシュや疎林に、ローン・アンテロープやシンシン・ウォーターバックのかなり大型のアンテロープの群れが見えた。 路面からのショックで車のボディは分解そうに軋み、片山はシート・ベルトをつけてなかったら天井に頭をぶっつけるところであったが、GT・Eと同じようにその車の足回りもラリー用に強化されてあったから、スプリングが折れたりショック・アブソーバーがパンクするようなことはなかった。 何度かチーターやライオンの家族を見た。遠くの西アフリカ種の牙の短い象が、カゲロウのように揺れている。片山は一番近い集落から十キロほど離れたところで車をとめた。 午後四時を過ぎていたが、太陽は坩堝(るつぼ)のようであった。ウェスターン・ハットをかぶり、熱くなったコーラの罐(かん)を一つ持って車から降りた。尻の下にたまっていた汗がたちまち乾く。 罐を開けると、茶色の液体がシャンペーンのように吹き出した。片山はそのまずいコーラを飲んでから、車のトランク・ルームを開く。 標的(ターゲット)、標的枠(ターゲット・フレーム)、工具箱、五十ミリ径の対物レンスのコンパクトな監的用(スポッティング)スコープと三脚、トランク型のライフル・ケース、弾薬箱・・・・・・などが入っていた。 トランク型のライフル・ケースを開くと、そのなかに革製の携帯用銃ケースに収められたライフルが入っていた。 ライフルは口径七ミリ・レミントン・マグナムのウィンチェスターM七〇ボルト・アクションだ。コスト・ダウンの無理がさほど無かった七、八年前の製品だ。 IMFDb - Winchester Model 70 - Pre-1964 Winchester Model 70http://www.imfdb.org/wiki/Winchester_Model_70 アイ・リリーフが長いために発射の反動で目や額を傷つける可能性が小さいウィーヴァーV七(セヴン)のライフル・スコープ・サイトが、ビューラのワン・ピース・マウント・ベースと二個のマウント・リングで固定されていた。 アイ・リリーフは、照準眼とスコープとの距離だ。V七の場合、倍率を一番落とした二・五倍の場合に五インチ弱、最大の七倍にした時も三インチ半、つまり九センチほどある。 大きな工具箱を開いて刃先がホロー・グラインドされていてネジ山にぴったりと合うグレース・メタルのドライヴァー・セットを取出してから、片山は、八本のドライヴァーのうちの一本を使い、スコープ・リングのネジを一本ゆるめてみる。 案の定、そのネジは接着剤を使わずにただ締めつけてあるだけであった。二分割されるスコープ・リングの合わせ目のごく薄い十六層の鋼鉄スペーサー(シム)もそのままだから、ライフル・スコープの鏡体(ボディ)とのあいだにガタがある。 片山は二個のマウント・リングのネジをゆるめておき、マウント・ベースにリングを固定してある後部のクランプ・スクリューを大型のドライヴァーで捩(よ)じ外した。スコープを右に捩じながら持ちあげると、ベースから外れた。 次に片山は、二個のスコープ・リングのネジを外してから、ベンジンを浸した布でライフル・スコープもベースもリングもネジもレシーヴァー上部もよく拭って油を取った。ネジ孔とネジ歯は特に念入りに脱脂する。 内ポケットから嫌気性の接着剤ロックタイト・シーラントのごく小さな赤いチューブを取出した片山は、その首の先端部をナイフで切った。 赤い液体をレシーヴァーとマウント・ベースのネジ孔にごく少量たらし、ネジにも振り掛ける。ロックタイトで接着すると振動やショックには非常に強いが、ほかの接着剤とちがって、それで接着したネジはドライヴァーで外せるという利点を持っている。 マウント・ベースをライフル銃のレシーヴァーにネジ止めした片山は、ネジの頭をドライヴァーで叩いてネジ孔とネジ歯のあいだの空気を追いだしてから増締(ますじ)めする。ロックタイトの液体は嫌気性だから、空気を絶たれると固まるのだ。 まだロックタイトは使わずにスコープ・リングをスコープにゆるやかに着装し、リングのベースをマウント・ベースにはめこんだ。スコープの倍率を七倍に上げ、スリングを張った伏射のスタンスで照準とスコープの接眼レンズとの距離が理想的になるようにスコープをリングのなかで動かして位置を決める。 腰のスキャバードから抜いたガーバー・ナイフの刃を起し、特殊コーティングのせいで傷つきにくい鏡体上のリングとの適合位置にしるしをつける。 再びリングごとスコープをベースから外し、リングの合わせ目のスペーサーの積層を一枚ずつナイフではがして、鏡体とリングのあいだの隙間(すきま)を無くした。 またリングごとスコープをマウントに装着し、伏射の姿勢をとったまま右手で鏡体を軽く回してセンターを出す。 射撃姿勢を解いた片山は、ロックタイトを使ってリングのネジを締めつけ、クランプ・スクリューも同様にする。クランプ・スクリューの反対側についたアジャストのネジにもロック・タイトをつけ、それを調整して鏡体のセンターが銃身や機関部のセンターに合うようにする。 次いで青黒く着色された銃身とクルミの銃床とのあいだの隙間にボール紙を通してみる。 この年式のM七〇は、アフリカン・サファリ用をのぞくとフリー・フローティング・システムで、銃身と銃床部前部の溝のあいだに完全な隙間を作り、銃床が湿度などの影響によって歪(ゆが)んでも銃身が無理に引っぱられたり押されたりして、着弾点を狂わせないようになっている。 しかし、大量生産品だから当り外れがあることは予想できた。だから片山はチェックしてみたのだ。 オーケイであった。だが片山は念のために、銃身とそれに固定されている機関部を銃床から外した。銃床前部の溝の表面に、銃身が当った跡は見えなかった。 片山は引金を分解し、逆鉤(シアー)をオイル・ストーンでラッピングした。引き金を組立て、遊底(ボルト)を作動させては空射(からう)ちしながら、ロックタイトをつけた引き金の調整ネジを動かし、妥協点を見つける。 銃身と機関部を銃床に組立てた。その組立てネジにも、無論ロックタイトを使う。 次いでライフル・スコープの上側についている上下調整ネジダイヤルを一度時計回し、すなわち右のダウン側に一杯回した。それから反時計回し、すなわちアップ側に一杯に回す。 ウイーヴァーV七のアジャストは四分の一ミリッツ、つまり四分の一インチ・クリックだから、ダイヤルを一刻み(クリック)回すと百ヤードの射程で着弾点を四分の一インチ変えることが出来る。二十五ヤードでは十六分の一インチ、四百ヤードでは一インチの割りだ。 このライフル・スコープの上下調整ダイヤルの刻みは、一杯に回すと二百五十八のクリック音が聞こえた。六十クリックで一回転するから、四回転半と三分の一ぐらいであった。そこでストッパーにさえぎられる。 片山は今度は右の時計回しにダイヤルをさげてみる。同じ数のクリック音が聞こえた。上下回しを三度くり返してもクリック音の数は変わらなかったから、マイクロメーター・ダイヤルに遊びが無いと判断した。 片山はその半分の百二十九刻み、ダイヤルを戻した。ライフル・スコープの右側についている左右調整ダイヤルも、上下の時と同じようにして真ん中に合わせる。もっとも、このスコープの十字(レテイクル)はほかの大多数のものと同様にイメージ・ムービングで、まっすぐ覗いた場合は常にその見せかけのセンター・ドットが鏡腔(きょうこう)の中心に見えるようになっているから、動いたことは外から分らないが。 車の蔭に毛布を敷いた片山は、巻尺を使って、そこから二十五ヤードの距離を計り、標的枠を立てた。その的枠に、直径二・五センチの黒円が印刷された小さな試射的紙(テスト・ターゲット)を鋲どめする。 毛布の上に弾箱を置き、三脚をつけた二十倍から五十倍の可変倍率のコーワの直視型監的スコープを標的に合わせる。倍率は二十にさげている。 左の上膊部に捲いた革のミリタリー・スリングを張って伏射のスタンスをとった片山は、左肘(ひじ)の位置は変えずに何度か空射ちをした。風はそれが弾道を及ぼす影響を無視できるほど弱い。そのかわりに地面からたちのぼるカゲロウが強いから、ライフル・スコープを通して狙った標的の黒円は実際の位置の上に虚像を結んでかすかに揺らいでいる。 右手を伸ばした片山は七ミリ・レミントン・マグナムの弾箱を開いた。 太く長い薬莢に百六十八グレイン・シェラ・ホローポイント・ボートテールの競技用マッチキング弾頭がついた薬莢が二百発つまっていた。 断面比重〇・二九七、弾道係数〇・六二八と言われる〇・二八四インチ径、つまり口径七ミリの百六十八グレイン・マッチキング弾頭は、現在市販されている弾頭のうちで、計算上では最も長距離射撃に適したものとされている。実際にもその弾頭を使って千ヤード競技で新記録をたてた者もいる。 弾道のドロップが一番少ないことや、距離がのびるにしたがって急激に落ちてくる弾速の低下率が小さいとか、風の影響を受けにくいことなどが千ヤード射撃の精度につながるというわけだ。ただし、競技用弾頭は被甲(ジャケット)が薄く柔らかいから、大型動物に当った時には体表近くで破壊されてしまう嫌いがある。しかし、遠距離を飛んでからでも炸裂しやすいから、人間のように皮が薄い動物を倒すには適している。 七ミリ・マッチキングが長距離射撃に適していると言っても、二百ヤードに照準器(サイト)を合わせておいて初速三千フィートで二百よりもっと先の標的を狙って発射した場合、三百ヤードで約十六センチ下に着弾し、四百では約四十五センチ下、五百では約九十センチ下に着弾する。千ヤード、つまり九百十四・四メーターでは弾速は千六百フィート強に下がり、着弾点は実に六メーター以上も下がる。 最も弾道係数が良好とされている七ミリ・マッチキング弾頭でもそうなのだから、口径五・五六ミリの非常に小さく軽くて風に流されやすい五十五グレイン弾頭を持つM十六自動ライフルで超遠距離狙撃に成功するなどということは、安手の劇画や映画の世界でしか起りえないことが理解できよう。 片山は弾箱から七ミリ・レミントン・マグナムのアミュニッション(カートリッジ)を抜いた。 その弾薬(アンモ)について片山は、日本を出る前に、自分を傭った連中を通じ、レミントンの新品薬莢(やっきょう)と九1/2マグナムの雷管(プライマー)を使い、デュポンI・M・R四八三一の火薬を正確に六十六グレイン詰めるように指示してあった。それだと、ウインM七〇の二十四インチ長の銃身から発射しても、初速は三千フィート出る。また片山は、弾倉から薬室にアンモを送りこむ際にジャミングを起さぬように、薬莢の首に弾頭の後部を埋めこむ深さを指定してあった。 弾倉から装弾される際に弾頭先端が変形しないように、一発ずつ手で薬室に詰めながら片山は試射を開始した。ライフル・スコープの接眼鏡のいずれかの側に影が発生するような狙いかたをすると着弾はその反対側にそれるから、そのようなことがないように狙う。 射つごとに、銃口の前の地面から、衝撃波を受けて土煙がたつ。片山は一発ごとに、銃やライフル・スコープのネジがゆるんでいないかを、ドライヴァーを使って確かめた。ゆるんでいるネジは増締(ますじ)めする。 五発の着弾は標的の黒円のセンターから二時の方角、つまり右上四センチほどのところにまとまっていた。二十五ヤードの至近距離だから、スポッティング・スコープを使わなくても、弾痕は七倍のライフル・スコープで見える。 だが、分解組立てしたあとで銃身や機関部と銃床の落ち着き具合が安定していないし、ネジの増締めによっても着弾点が変わったので、着弾のまとまり(グルーピング)は最大径が一センチ以上もある。 五発で早くも熱くなった銃身からたちのぼるカゲロウを少しでも鎮めるために、片山は遊底を抜いて銃腔を冷却させながら、キャップを外したままであったライフル・スコープの上下ダイヤルのノブに指をかけた。 黒点のど真ん中から斜め右上四センチのあたりに着弾グループが外れているということは、左に約三センチ、下に約三センチ着弾をさげれば、ど真ん中に寄るというわけだ。 四分の一インチ・クリックのダイアルで距離は百ヤードの四分の一である二十五ヤードでは、ダイアルを一刻み(クリック)動かしても十六分の一インチ、つまり約一・五ミリぐらいしか着弾点(インパクト・ポイント)は変わらない計算になるからだ。 片山は再び五発射った。 黒円のセンターからわずか上に、五発の弾痕がほとんど一つ孔(ワン・ホール)になって重なった。クリック計算よりわずかに着弾点が上に行ったのは、銃身からまだたっているカゲロウが作る虚像にまどわされたせいだ。 二十五ヤードで試射を行ったのは、どんな弾薬を使おうと、程度の差こそあれ、発射弾の弾道は放物線を描くからだ。 照準線の下方で銃口を離れた弾頭は、銃口の先の近距離でまず一度照準線と交差し、照準線の上にあがってから引力にひかれて落下し、再び照準線と交差する。 つまり、銃口から二、三十メーターより先に置かれた標的に命中(ヒット)する弾頭は、照準線と二度目に交差した弾道なのだ。 だから、大体において、現代の高性能ライフルでは、二十五ヤードで仮照準合わせをしておけば、二百ヤード先の標的の黒円の中心の約十センチ以内に着弾する計算になる。 それに、ライフル銃というのはデリケートで、射手の体格や姿勢によって、大きく着弾点が狂う。Aという男が照準合わせをしてあった銃でもBが射つと、はじめから長距離射撃では、標的紙の端に当たらないことがある。 それが二十五ヤードの至近距離の試射では誤差が少なくなるから、弾痕不明を続けて弾薬を浪費せずに済む。銃の集弾力の見当もつけることが出来る。二十五ヤードでもバラバラに弾痕が散る銃では長距離射撃に使えない。 銃のスリングを外した片山は、車を運転し、そのトリップ・メーターで距離を計りながら、二百ヤード先と、それから少し角度をずらせて、六百ヤード先に標的枠を立てた。 二百ヤードの的枠には直径十センチの黒円を持つ縦横五十センチほどの標的紙、六百のには直径三十センチの黒円を持つ縦横一メーターの標的紙をピン留めした。 射座に戻った片山は、まず二百ヤード標的を伏射で二発射つ。片山の視力を持ってしても、倍率七のライフル・スコープで着弾点の弾痕が見えにくいから、二十倍にした監的(スポッティング・スコープを使う。 黒円のセンターの六、七センチ下に、二発が二センチほどの間隔を置いてヒットしていた。命中精度を最重要視した競技専用銃ではないのだから、上々の集弾力だ。猟用スポーティング・ライフルは、百ヤードで約二・五センチ、二百ヤードで約五センチの直径内に集弾すれば極上とされている。 片山はライフル・スコープの上下修正のダイヤルを五刻み(クリック)反時計回りに捩じ上げた。 銃身があまり熱くならないうちに、十発をリズミカルに二分間で射つ。 スポッティング・スコープを覗くと、黒円の中心点から半径一センチ半ぐらいの円形を描いて、弾痕で紙が千切れ飛んでいた。 片山はナイフを使い、上下修正と左右修正のダイヤルの示線の現在位置の数字を銃床に彫りこんだ。 次いで六百ヤード射撃にそなえ、ライフル・スコープの上下修正ノブを四十刻み(クリック)上げる。二百ヤードに照準合わせ(サイト・イン)した銃で六百の標的を狙い射つと、七ミリ・マッチキング弾頭と初速三千フィートの弾速の組合わせでも、狙った点から約六十センチ 百五十センチほど 下に着弾するからだ。 片山はさらに、ライフル・スコープの左右修正ノブを四クリック押し回し、左に一ミニッツ狙点を移した。ウインM七〇のような旋条(ライフリング)が時計回り、つまり右回りの銃身では、距離がのびるにしたがって発射弾が右にドリフトしていくので、それを修正したわけだ。 銃身や機関部からカゲロウが消えるのを待って十発を速射する。 六百ヤード先の標的の弾痕は、スポッティング・スコープを使っても見えない。三百メーター射撃の時でも、気象条件によっては、よほど大きなスポッティング・スコープを使わないことには弾痕が見えないことが多いのだから無理はない。 大口径ライフルの競技で、監的壕内にいる監的係りが、一発ごとに 速射競技では十発ごとに 標的を降ろして弾痕を確認し、弾痕に示弾盤を差したり、示弾桿で射手に着弾位置と点数を教えたりするのはそのためだ。 スポッティング・スコープの倍率を無闇(みやみ)に上げたところで、目標物はかえってぼんやりとしか見えなくなる。対物レンズ径が五十ミリか六十ミリの普通のスポッティング・スコープでは、片山の目の場合、二十倍から三十倍までのあいだが、遠距離の目標物を一番鮮明に見ることが出来る。 片山は車に乗って標的の弾痕を見に行った。 標的のほぼ中心部に、左右十センチ、上下十五センチの楕円形のグルーピングを作って十発が当たっていた。上下の散りは、銃身からのカゲロウのせいだろう。実用精度は充分だ。 六百ヤード用と二十五ヤード用の標的紙を的枠ごと車のトランクに回収し、二百ヤードの標的紙を貼り替えた片山は、射座から三百メーターから二百メーターの距離のあいだに、十個のコーラの罐を立てる。 ライフル・スコープの上下修正ノブを五十クリックさげ、左右修正ノブを左に四クリックし、照準(サイト)を二百ヤード用に戻す。 二百ヤード・ターゲットを再び慎重に伏射で三発射ってみる。先ほどと着弾点はほとんど変わらなかった。このライフル・スコープに嫌な遊びが無いことがはっきりする。 片山は次いで薬室に一発装填しておき、銃を裏返しにし、弾倉の裏蓋を開いた。三発を弾倉室に落しこみ、裏蓋を閉じる。七ミリ・レミントン・マグナムの実包の薬莢は大量の火薬を呑みこむために太いので、普通、弾倉には三発しか塡(つ)めることが出来ないのだ。 片山は膝射のスタンスをとった。上体を前のめりにし、伏射と肩付けやアイ・リリーフ、それに銃を支える左の掌(て)の位置やスリングの張力を伏射の状態とあまり変えないようにする。 そうすると、膝射でも伏射の場合と着弾点がほとんど変わらない。普通は、伏射で照準・合わせをしてあっても、偶力の腕と跳起角の関係から、膝射や坐射では上方に着弾し、立射だともっと上に着弾する。 片山はまず、目測で三百メーターと判断したコーラの赤い罐を狙った。肉眼では赤いゴマの大きさに見える。狙ったといっても、サイトは二百ヤード用に合わせてあるから、弾道のドロップを計算して罐の中心から十五センチほど上の空間を狙う。 引金を絞った。 外れた。膝射だから、やはり少し上を射ちすぎたようだ。 発射の反動で跳ね上がった銃のボルトを素早く操作して空薬莢を抜き、弾倉上端の実包を薬室に送り込んだ片山は、初弾の時より心持ち下を狙って引金を絞った。 命中(ヒット)だ。太陽に炙(あぶ)られて熱くなっていた罐の中身は高速の弾のエネルギーを吸収して見せかけの爆発を起して霧散した。罐自体も砕けて飛び散る。 片山はほかのコーラ罐もヒットさせた。坐射に切替えても失中(ミス)はしなかった。 二百メーター付近のコーラ罐は立射で射ち砕く。反動で銃床尾が肩から外れて怪我しないように右肘を水平にあげ、狙いは伏射の時より五センチほど下につける。左肘は脇腹(わきばら)から離したオフハンド・スタンスをとっているのは、さまざまな角度の目標に素早く狙いをつけるためだ。 ライフルを射ち終えた片山は、ニトロ・ソルヴェントをワイヤーブラッシにひたした洗い矢(クリーニング・ロッド)で熱い銃腔をこすった。白煙がたつ。 洗い矢の先端のジャグに布切れ(パッチ)を捲き、銃腔をクリーニングする。次々にパッチを取替える。パッチに弾頭の被甲の破片や火薬滓で汚れなくなるまでに六枚を要した。片山は遊底や受筒もクリーニングする。 (つづく)
2021年07月10日
Photo by Peter Singhatey >前回 三日後片山は、アフリカ大陸の上空を南下するルフトシワイツ航空のボーイング七四七ジャンボ機のエコノミー・クラスのキャビンにいた。 スウィスのチューリッヒでその機に乗りこんだのだ。乗客数は定員の三分の一にも満たないから、キャビン中列の四座席の肘(ひじ)掛けを起して、片山はほとんどの時間を横になって過ごしていた。眼下にひろがるサハラ沙漠を見ようにも、機は雲の上を飛んでいる。 あれから片山は、イノシシやクマの肉を渋谷の野獣料理店に売り、トレーラーや冷凍庫は片山を傭った特殊機関に三百万円で引取ってもらった。コレラには免疫になっているし、黄熱病の予防注射は十年間有効のところを昨年接種してあったのでこれもオーケイだ。こういった病気の予防注射を受けたあとの数日は激しい運動が出来ない。 ハワイに飛び、銀行の貸しロッカーに仕舞っておいた数多くの拳銃(けんじゅう)のなかから、コルト・ガヴァメント口径四五ACPの自動装塡式拳銃を選んだ。M一九一一−A一(ワン)タイプのG・I(ジー・アイ)コルトだが、片山のやつは、射撃競技にも使えるようにアキュライズ、つまりチューンアップしたやつだ。銃身は特製のものをつけ、各作動部はオイル・ストーンで磨(す)りあわせをしてある。精度向上の決め手になっているのは、バレル・ブッシングという銃身受けのガイド管を銃身や遊底被(スライド)とのあいだにガタがないやつに替え、銃身のセンターがいつも変わらぬようにしたことだ。 G・Iコルト、つまりガヴァメント・イッシューのその拳銃は、軍用とスポーツ用の市販品を合計すると、数百万丁が製造され、改良も重ねられているから、信頼性は非常に高い。万一にも回転不良が起った場合は、弾倉の装弾板が何かの拍子でひん曲がってないかをまず疑えばいい。 片山がその拳銃を択んだのは、速射性と命中精度と堅牢(けんろう)性と殺傷力のバランスの良さのほかに、米軍は一九一一年にはじめて制式採用してから現在にいたってもG・Iコルトを制式銃として使っているからだ。 ガメリアには米軍基地がある。実包が不足した場合には、買うにしろ奪うにしろ、ガメリアの米軍から入手できる。部品がこわれた場合も同様だ。 片山のコルトのホルスターは、革細工メーカーのローレンス社に特注して作らせた抜射ち用のもので、ズボンのベルトから吊った時、約二十五度の角度で後傾するようになっている。抜射ちのスピードを早めるためと、あやまって暴発させた時に自分の足を射ち抜くことがないようにだ。 撃鉄(ハンマー)の上に回して拳銃をホルスターに固定する安全止革はのスナップ・ボタンは、力をこめて拳銃を抜こうとすると自動的に外れる角度でつけられている。 ホルスターの前部は、革のあいだに薄い鋼板が入っていて、プッシュ・ロッディングが出来るようになっている。プッシュ・ロッディングは、G・Iコルトの場合、片手で遊底を引いて初弾を弾倉から薬室に送りこまなくても、遊底被(スライド)先端に嵌(は)まっているバレル・ブッシング下部をホルスターの前部に当て、スライドを押しさげることによって送弾するテクニックだ。 米本土を通ってヨーロッパに渡った片山は、スウィスのチューリッヒにあるチューリッヒ・ユニオン銀行に寄った。 そこで、桜商事という多分架空の会社から、東京チューリッヒ・ユニオン銀行の支店を通じて五億円に相当するスウィス・フランが自分の口座に振りこまれていることを確認した。 その銀行は、機密保持のため、電話での照会に応じない。片山は念のために日本からの入金を、同じ銀行に持っている別の口座に移しておいた・・・・・・。 ジャンボ機は、マリの上空で西に針路をとった。数時間後、ガメリア上空に出ると雲の下に出た。 まだ砂漠が続いている。南方はるかはガメリア山脈もある標高千メーター程度の高原地帯だが、ケシ畠を見られたくないので、政府はそのあたりを、民間機の飛行禁止区域としている。 起き上がった片山は、長身漆黒(しっこく)のウルフィ族らしい黒人スチュワーデスから、豹印(レオバードじるし)のビールをもらい、マラリア予防薬の燐酸クロロキンを二錠飲む。週に一度二錠だけ飲めばいいその薬は副作用は強いが、マラリアで死ぬよりはましだ。 一時間ほどで砂漠は、疎林(そりん)と草原とブッシュのサヴァンナに変わった。無数の河ものたくっているが、乾期のせいで水量は少ない。 さらに一時間ほどのち、眼下の風景はジャングルに変わった。半時間後には、高度をかなりさげた機の窓から、ギラギラ輝く大西洋と、ガメリア河の左右に広がる首都ルサンゴが見えてくる。 ヤシやシュロの並木が街道沿いにあり、広場という広場の中心はジャカランダの花で藤色に染まったルサンゴの街(まち)は、空から見たところでは、港の様子といい建物といい、二十年前の横浜のような感じだ。ヒルトンやインターコンチネンタルなどの超高層ビルがアンバランスだが。 街の中心部の規模は横浜の中区と西区と南区と磯子区を合わせたぐらいだ。郊外の大部分は外国軍の基地で占められ、その間に現地人の草と泥の小屋が点在している。 ルサンゴの上空を旋回したジャンボ機は、ジャングルを切り開いた、だだっ広い空港に着陸した。 レイバン・グリーンのデイコット型シューティング・グラスを掛けた片山は、ファイブXビーヴァのフェルトの、明るい灰色のレジストールのウェスターン・ハットを目深にかぶった。 裾が長いペンドルトン・ランチャー・スーツの上着とブーツ・カットのリーのダブル・ニット・スラックスは深い褐色(かっしょく)だ。シャツはパール・スナップ・ボタンがついたHバーCのクリーム色のウェスターンだ。 不精髭(ぶしょうひげ)を落し、口髭を刈り整えた片山は、かつてのセクシーな外観を取戻していた。アタッシェ・ケースを提げてタラップを降りる。片山の髪や口髭は暗いところでは黒、明るい陽のもとでは黒褐色に光る。 サン・グラスをかけていることさえ忘れるほどの陽光の強さだ。しかし、ここは赤道に近いために今の季節が晩冬であるし、涼しい乾期に当っているから、汗はたちまち蒸発し、日蔭ではひんやりとする。 空港の柵(さく)の向うでは、素っ裸の子供たちや、奥地から出てきたらしいフンドシ姿の現地人が、痴呆(ちほう)のような表情で飛行機を眺(なが)めている。男の子供は半弓、男は槍(やり)を持っていた。真っ黒な顔にはナイフかガラスの破片で傷つけた傷の跡が縞模様(しまもよう)をなしている。男の子のペ〓スは概して細長い。 ジャンボ機から降りた客は白人と黒人がほとんどで、あとインド・パキスタン系が二十人ほどいた。 空港ビルは羽田の十分の一ほどの規模であった。ブラック・アフリカ諸国で商業の実権を握っていたインド・パキスタン系の男女は別列に並ばされて徹底的な嫌(いや)がらせを受けているが、ほかの客はスムーズに入管をパスする。 片山は入管の二メーター近い背丈の係官にパスポートを示した。英国のパスポートだ。片山は英国籍のホンコン人で名前はケネス・S・チェンということになっている。無論、片山を傭った国家機関が用意したもので、ホンコンで受けたことになっている各種の予防注射の証明書、つまりイエロー・カードもつけられている。「入国の目的は?」 黒人の係官は英語で尋ねた。平べったい鼻だ。鼻の孔が天井を向いている。目的(パーパス)をペルポスと発音した。「私のチェン商会が販売代理権を握ってます自動車のタイヤ・チューブ用の足踏み式空気注入ポンプの売りこみです」 片山はアメリカン・イングリッシュの訛りを隠して、英国英語と東南アジアのピジョン・イングリッシュの合の子のような英語で答えた。「我が国における滞在先は? ところで、ボール・ペンを貸してくれないかね?」「ジラフ・ホテル」 片山は何本か用意してあったクロスのボール・ペンのうちから銀メッキのやつを役人に渡した。「よろしい。ホテルを変えた場合は、中央警察に届けるのが建前だが、警察もいそがしいから、規則通りにやってると嫌がられるということを心得ておいてくれ」 係官は片山のボールペンを抽出(ひきだ)しに仕舞い、使い捨ての安物のボール・ペンを出した。パスポートに入国スタンプを押し、判別出来そうもないサインを書きなぐると、次の相手に顔を向けた。 ポーターが客を奪いあうラッゲージ・ルームに移った片山は二つのスーツ・ケースを受取った。そこは税関を兼ねていて 自由港だが、洋酒とタバコには輸入制限があり、麻薬と火器は持込み禁止という建前になっている 、税関の役人が、「何か申告するものは?」 と、片山に尋ねる。「何も無いが、これをお土産に差しあげましょう」 片山はスーツ・ケースの一つの脇ポケットをジッパーで開き、黒人男と白人娘のファック・シーンや白人娘のオナ〓ーが載(の)っている北欧物のポルノ雑誌の最新号を取出した。 その雑誌をめくった係官は、「オーケイ、ルサンゴの夜を楽しんでください」 と、二つのスーツ・ケースにチョークで訳の分らぬ印(しるし)をつける。 ポーターに荷物を奪われてタクシー乗り場まで行った。そこは世界の中古車の展示場のようであった。 十年ほど前のモデルのポンテアック・ボンネヴィルのトランク・ルームに片山の荷物を放りこんだポーターは三ドルを要求した。 ガメリア通貨のオングーは五分の一U・Sドル程度だが、ここが自由港だから、世界中の通貨が使える。三ドルもあれば、現地の平均肉体労働者の日給分になることを知っている片山は、五十セントを投げ、自分でトランクの蓋(ふた)を閉じると、タクシーに乗りこんだ。車内にクーラーは効いていた。 小さなトラブルは避けねばならぬが、いま舐められると、タクシー料金からホテルの勘定やボーイのチップにまで影響する。 ポーターは両腕を振りまわしてわめいていた。タクシーの運転手は片山を振り返り、白眼を剥(む)く感じで、「払ってやってくださいよ、旦那(だんな)」 と、言った。英国に長いあいだ支配されていたので、ルサンゴに住む現地人は、上手か下手の差はあれ、英語をしゃべることが出来る。「ジャイアント・エランドというバーに行ってくれ」 片山は米C・I・Aのエージェントがたむろすると聞いている店の名をあげた。 運転手の目に怯(おび)えが走った。すぐにギアを入れて発車させる。八気筒のエンジンのうち二気筒ぐらいは死んでいるらしく、ガラガラとおかしな音を立てる。ガメリアは旧英領だが、新興国の反英感情を示そうとしてか、車は右側通行だ。 タクシーはジャングルにうがったトンネルのような直線を走った。メーターは壊れて動かない。「新聞で読んだんだが、この前、日本大使館の連中が何人か殺されたそうだな。〝サンチョ・パンサ号〟の乗組員とのトラブルだと書いてた新聞があったが、街(まち)の噂(うわさ)はどうなんだい?」 マルボロー・ライトをくわえた片山は、ポケットのなかにバラで入れているオハイオ・ブルーチップのストライク・エニイホエア・マッチを一本取出した。運転手の朝のズダ袋から作ったような背広の背にこすりつけて着火させる。 ビクッと体を縮めた運転手は、「な、何でも、あの船は日本とかいう国に傭(やと)われてこっちにやってきたんだが、日本が運賃も給料も払ってくれねえんで、しょうがなく積み荷を叩き売って金(かね)を作ろうとしたところ、日本大使館の連中が襲ってきたという話ですぜ。大使館の連中は返り討ちをくらったというわけで」 と、言う。「チップだ、取っとけ」 片山は十本ほど残っているタバコのソフト・パックを運転手に渡した。外国製品に無茶苦茶に高い税金を課(か)けて国家財政の破綻(はたん)をとりつくろっている内陸国ではアメリカ・タバコ一箱の値段と肉体労働者の日給が同じぐらいというところが珍しくないが、この国でも一箱一ドルはする。 一本のタバコをくわえ、縦に三つ割りにしたマッチで器用に火をつけた運転手は、残りのタバコを内ポケットに大事そうに仕舞い、片山に愛想笑いを向けた。紫色の唇と桃色の歯茎だ。「本当はどうなってるのか知るわけがありませんや。ラジオはあのことについて何も言わないし、新聞には出ているのか知らないが、俺たちの仲間や隣り組の連中で文字が読める奴なんて誰(だれ)もいねえんでね」「よくそれで運転免許が取れたな」「三年間トラックの助手をやってるあいだに溜めた金をお役人に進呈したんでね。この車は親方(ボス)からの借りものですよ。俺も早く、うちの親方のように五十台もタクシーを持ってみたいもんだ」 運転手は言った。道の脇には、〝チッピングは国法によって厳禁されている。ガメリア政府〟という看板が数百メーター置きに立てられている。「親方は金持ちなんだな」 片山は一応言ってみた。「何しろ運輸省のお役人だから、ワイロがジャカスカとポッポに入ってくるんでさあ」「サンチョ・パンサ号はまだ港を出てないのか?」「二時間ほど前にフランス人の客を乗せて港の近くのホテルに行った時は、まだ出港してませんでしたぜ。だけど、何であの船のことを知りたいんで?」「ただの好奇心からだ。ところで、この街(まち)では、女が欲しくなったら択(よ)りどり見どりだ、と聞いたが」 片山は好色な笑いを浮かべた。「何しろ客の相手をする女は一万人以上いるって話ですからな。黒いのに飽きたら、白でも黄色でもインドでも揃(そろ)ってますぜ。一番安上りのは麻薬中毒のヒッピーの白だけど、ヤクで体も頭もイカれていて、遊んでも面白くないという話だ。おかしな女に引っかかって病気でも移されたんでは嫌でしょう、あっしが紹介する女なら、その点は絶対に大丈夫。これが空港にあるあっしらの休憩室の電話とあっしの名前です。ここに電話してあっしの名前を言ってくれたら、夜でも昼でもうかがいますぜ」 運転手は薄汚いボール紙にスタンプしたカードを片山によこした。「ミスター・イブラヒム・ジャハンパか?」「イーブラヒム・ヤハンパで。あっしだって、自分の名前だけは読めるんです」「そのうち電話するかもな。しばらくは商売がいそがしくて暇が無い」 片山は言った。 やがてタクシーはジャングルを抜け、ドイツ陸軍の戦車隊基地とフランス軍通信基地にはさまれた十車線道路を走る。「気が変わった。バーに行く前にシャワーを浴びて一眠りしたい。ジラフ・ホテルへ行ってくれ」 片山は言った。 タクシーは街に入る。道幅は六車線に狭まった。まず、カスバのようなスラム街があった。車窓を開くと異臭が流れこんでくる。自動車に混じってロバやラバを曳(ひ)かせた馬車が行き来し、歩道ではアル中やヤク中が寝転がっている。バスには屋根の上にも人が乗っていた。 交差点で自家用車が停(と)まると、ハタキや雑巾(ぞうきん)を持った男たちが跳(と)びついて窓ガラスやボディを拭(ふ)き、小銭をせびる。タクシーの乗客には、子供たちが花束を買えと迫る。片山は相手にしなかった。 花売りたちは信号が変って車が発進しても、車にぶらさがったり、窓枠(まどわく)に手をかけて併走する。クラクションを鳴らしっ放しにして突っ走る車の前を、歩行者が巧みに横切る。 だが、片山が見ているあいだだけでも二人の子供が車に跳ねとばされた。当てた車はそのまま逃げる。 スラム街を抜けると、英国風とフランス風の家がごちゃ混ぜになっていた。英国風の家は歩道との境いは低い木の柵だけで前庭に芝生を持ち、フランス風の家は高い石塀で囲まれている。 その住宅を抜けると、石造りのビルが多くなった。歩道を歩く現地人の娘には、彫刻のような脚を持つ者が珍しくない。ピカピカ光るストッキングをはいている。 昼間からアーケードの陽陰には売春婦たちが立ち並ぶ繁華街を左折したタクシーは、やがてルサンゴ河の辺に建つジラフ・ホテルに着いた。 中西アフリカのガメリアにはいる筈がないキリン(ジラフ)、それもケニアの網目キリン(レテイキュレーテッド)の大きな彫刻が正面玄関に置かれているジラフ・ホテルは、イギリス資本の旧式なものであった。コの字型の十階建てだ。 ロビーにはどぎつい化粧の女たちがたむろしていた。ロビー脇のアフリカン・バーから強烈なリズムと野卑な笑い声が漏れている。 片山は中庭のプールと幅二キロほどの河を見おろす五階の部屋に通された。ポーターはザイールから出稼(でかせ)ぎに来たピグミーらしく、ベル・ボーイはインド人と黒人の混血らしい抜け目ない感じの男であった。 ポーターが去ると、ベル・ボーイは机の抽出しからアルバムを出した。そこには、百人ぐらいの女の全身写真が貼ってあった。みんなヌードで挑発的なポーズをとっている。写真の下に、アナベルとかガブリエールとかいった源氏名と身長体重が書いてあった。黒人が半分ぐらいで、あとはさまざまな民族だ。「どの娘(こ)でも、私に連絡していただけたなら、すぐに飛んできますよ」 ベル・ボーイは鮮やかな手つきで名刺を差し出した。「その気になった時にはな」「ロビーでカモを待っている連中には引っかからないようにしてくださいよ。奴等は枕(まくら)さがしの常習犯ですから。特に二人組はタチが悪い。一人がお相手してるあいだに、もう一人がポケットをさぐるという手で・・・・・・」「分った。用があったら呼ぶ」 片山は半ドルのチップを与えた。ボーイはアルバムを抱えて去る。 窓のカーテンを閉じドアの外のノブにドント・ディスターブの札(ふだ)を引っかけた片山は、上着を脱ぎ、スーツ・ケースの一つを開いた。 そのなかには、もっともらしい書類と共に、“商品見本”のラベルが貼られた直径二十センチ、長さ三十センチほどの足踏み式エアポンプが八個詰まっていた。 片山はスーツ・ケースの隠し物入れにあった特殊工具で、エア・ポンプの一つを分解しはじめる。その時、電話が鳴った。 舌打ちした片山は、ベッド脇のテーブルの電話を取上げた。「何のようだ?」 と、突っけんどんな英語で言う。 女の含んだ笑い声に続き、鼻声が、「いまお暇?」 と、尋ねてくる。「いそがしいんだ」 片山は電話を切った。 今度はドアにノックの音がする。 ドアの内側の脇に立った片山は、「文字が読めないのか?」 と、怒鳴った。「ねえ、ドアを開けて」「トリプル・プレイはお嫌い?」 二人の女の声が聞こえた。 片山は二人に返事をせず、エア・ポンプの分解作業に戻った。売春婦たちは、しばらくドアのノブを回そうと試みていたが、声高に罵(ののし)って去る。 その間に片山は、一つのエアポンプを分解し、なかに隠してあったものを取り出してから、エア・ポンプを元通りの外観に組立て終えていた。 隠してあったものは、ショック防止のフォーム・ラバーにくるまれた、抜射ち用ホルスターに入りのG・Iコルトであった。 IMFDb - M1911 pistol series - M1911A1http://www.imfdb.org/wiki/M1911A1#M1911A1 次のエア・ポンプのなかには、革ケースに挿入された実包入りのG・Iコルト用予備弾倉二本と、口径四五ACP この場合のエー・シー・ピーの意味は、オートマチック・コルト・ピストルの略だ の百八十五グレイン・ホーナディ・ホローポイント弾頭の実包が二百発入っていた。 三つ目から五つ目のエア・ポンプには、分解された、折畳み式金属銃床(フォールディン・スケルトン・ストック)モデルのウージー短機関銃(サブ・マシンガン)が出てきた。サブ・マシンガンは威力が弱い自動拳銃用実包を使用する。 IMFDb - Uzihttp://www.imfdb.org/wiki/Uzi Youtube- Uzi: full disassembly & assembly by Si vis pacem , para bellum.https://www.youtube.com/watch?v=1Pq4GC0mMm8 六番目と七番目と最後のエア・ポンプから、ウージーが持つ三種類の弾倉のうち四十連型弾倉が十本出てきた。あんまり弾倉スプリングを圧縮しすぎると回転不良を起こすことがあるので、それぞれに三十八発ずつ九ミリ・ルーガーの拳銃実包が詰められている。短機関銃は自動拳銃弾を使用するから、一発についての威力は小さい。 最後のエア・ポンプには、革のスキャバードに入ったガーバー・フォールディング・スポーツマンⅡのナイフと、ウージー用のキャンヴァス製の弾倉帯が入っていた。ウージー用の九ミリ・ルーガー実包が五十発ずつ入った弾薬箱五十個もある。」 片山はウージー短機関銃を組立てる。チェコのM二五の設計思想に影響を受けてイスラエルで開発され、その国だけでなく西ドイツをはじめ西欧の数か国の制式短機関銃になっているほどだから、部品数が少なく、手さぐりでも組立てることが出来るようになっている。 二十六センチの長さの銃身の半分ほどは重い遊底のなかにもぐりこんでいるから、片山がたちまち組立てたウージー・サブ・マシンガンの全長は、金属銃床を折畳むと、四十五センチにも満たなかった。 片山はアタッシェ・ケースのなかに、その短機関銃と、十本の弾倉をパウチに入れた弾倉帯を仕舞った。G・Iコルト用の四五口径拳銃弾五十発入りプラスチック箱とウージー用の九ミリ拳銃弾の弾薬箱十個も仕舞う。 全部のエア・ポンプを組立て終えてから、一度スラックスから、革張りのバックルをつけたトニー・ラーマのウェスターン・ベルトを抜いた。 右腰にG・Iコルトのホルスターとガーバー・ナイフのスキャバード、左腰にG・Iコルト用の予備弾倉が入った革ケース二個を装着するようにベルトを調整した。 右腰のホルスターからGIコルトを抜き、七発の実包が詰まった弾倉を銃把(じゅうは)の弾倉室から抜く。 拳銃をホルスターに戻し、上着をつけてから、浴室の前の姿見の前に立つ。 鏡に映る片山の姿からは武装していることが全然目立たなかった。着痩(きや)せして見えるが片山の体重は九十五キロある。 突如、片山は腰を軽く落しながら上体をうしろに反らせた。目にもとまらぬ早さで左手は上着の右側をはね上げ、右手は肘(ひじ)と手首の中間ぐらいの高さに銃把がくるように吊ってあった拳銃を一度ホスルターから抜き、親指で撃鉄を起しながらガシャーンとプッシュ・ロッディングしてから、銃口を鏡に映る自分の胸に向けて引金を引く。その時には、左手は銃把を握った右手の手首を支えていた。 薬室が空(から)なので、撃針は乾いた音をたてて虚(くう)を打つ。片山が行動を開始してから〇・三秒もたってない。実包が詰められた弾倉が插入されていたら、弾倉上端の実包はプッシュ・ロッディングによって薬室に移され、拳銃は轟然と火を吐いて姿見を微塵(みじん)に砕いていたところだ。 加山はプッシュ・ロッディングで遊底被(スライド)を動かすテクニックを使った抜射ちのトレーニングを五十回ほどくり返した。続いて、射撃姿勢をとったまま、左腰の革ケースから抜いた予備弾倉と、拳銃の銃把の弾倉室内の弾倉とを素早く塡(つ)め替えるトレーニングをくり返す。 それが終ると、片山は拳銃を護身のために洗面場に持ちこんでから、シャワーを浴び、顔を剃(そ)った。無論、口髭(くちひげ)は残す。 (つづく)
2021年07月03日
Photo by Vincent Van den Storme ,Album 'Port Yokohama' >前回 「さてと、話は変って、先月横浜港を出て西アフリカの奴隷海岸にあるナイジェリアに向ったパナマ船籍の大型貨物船〝ラ・パロマ号〟が蒸発した。 ラ・パロマ号はパナマ船籍だが、御多分にもれず、税金逃れと輸銀融資の造船費と低開発国の安い人件費を利用した便宜置籍船のチャーター・バックだから、その船が所属しているパナマの船会社トランス・パシフィックはダミーのペーパー・カンパニーで、親会社という名目になっている本当の持船会社は、横浜に本社がある太平洋サーフィスだ。サーフィスは表面という意味から水表という意味になって、この場合は水上輸送という意味だそうだ。便宜置籍船は大手の船会社ならどこでもやってることだから、太平洋サーフィスを責めるわけにはいかん」「・・・・・・・・・・」「四万トンのラ・パロマは日本を出る前に、まず名古屋港でナゴヤ自動車の中型車用ボディ・プレス機を五十億円分ほど積みこんだ。横浜では、ニッシン自動車の二リッター用エンジン・ブロック形成機約三十億相当、日本滑油のオートマチック・ミッション五万ユニット、さまざまなメーカーの電装品約十億円相当、それにナゴヤとニッシンの中型完成車百台ずつ、さらに港川電気のマイクロ・ウェーヴ通信網の機材約二十億とカメラなどの光学機械約十億に雑貨十五億を積みこんだ。 アフリカのことは君のほうがくわしいか知らんが、イボ族のビアフラ共和国とハウサ族を中心とする連邦政府軍とのあいだの内戦で、嘘(うそ)か本当か知らんが数百万人の餓死者が出たと伝えられたビアフラ戦争が七〇年に終ってから、ナイジェリア連邦共和国はアフリカ最大の人口からくる広大なマーケットと世界有数の石油資源によって大発展し、ブラック・アフリカの優等生と呼ばれるようになった。昔は〝白人の墓場〟と言われたほどの高温多湿の気候だし、治安もいいとは言えないが」「・・・・・・・・・・」「ともかく、日本との貿易はさかんだ。日本はナイジェリアの低硫黄石油を買いまくっているだけでなく、日本企業自体も油田に進出している。勿論(もちろん)、日本側は自動車やラジオやテレビなどをじゃんじゃん売りつけている。 そういうわけだし、石油を安定供給してもらいたいものだから、日本政府はこれまで数次にわたってナイジェリアに経済協力という名目で金(かね)を貸してきた。その金を使って日本企業の工場がナイジェリアに進出するわけだ。 石油ブームに沸くナイジェリア政府は、ブラック・アフリカの大国のメンツにかけても、自動車の半(セミ)ノック・ダウン工場が欲しいわけだ。そこで造った車にナイジェリア・ブランドの車名をつけて、アフリカじゅうに輸出する計画だ。ナイジェリアにはフォルクス・ワーゲンの工場があるが、ただ組立てるだけのノック・ダウン会社だからな」「・・・・・・・・・・」「日本のメーカーは、完成車を輸出するほうが儲(もう)けが大きいから、ナイジェリア自動車公団が持ってきた話に乗らなかった。 そこで、ナイジェリア政府は日本政府に強く圧力を掛けた。通産省の強力な行政指導を受けた自動車メーカーは、苦肉の策を考えついた。つまりナゴヤのボディにニッシンのエンジンを載せるわけで、そう言っちゃあ何だが向うの技術水準では、第一号完成車が出来るまでにかなりの時間稼ぎが出来る。 ナイジェリアはまだ、国内の電信網の整備が急務なんだ。イギリスの巧妙な旧植民地国操縦の例にもれず、もと英領だったアフリカ諸国の国際電話やテレックスはすべてロンドンを経由させられるから二日や三日かかるのは常識だが、国内の場合だって整備がひどいから何日もかかる。電話も首都と大都市間をのぞけば、通話が申しこんでからいつまで待たされるか分らん。 つまり、今度のマイクロ・ウェーヴ網の導入や自動車のセミ・ノックダウン工場の建設は、国家プロジェクトとしてナイジェリア政府が張りきっている大事業なのだ」「・・・・・・・・・・」「ラ・パロマ号は、行途(ゆくえ)不明になる前に、赤道ギニアのバタ港に寄り、そこを出港したところまでは確認されている。 船長はギリシア人で、フィリッペ・アレクサンドロスという五十半ばの男だ。五年ほど前から三年間ほど、横浜でギリシア・バーを経営すると共にマネージャーも兼ねて店に出てたほどだから日本語はペラペラだ。その店が道路拡張計画に引っかかって、たんまり補償金をもらってから、また海の生活にカム・バックしたんだ。 乗務員は六十人ほどで、亡命キューバ人と韓国人と台湾人が約三分の一ずつだ。ほかの国籍の者も乗っているが。 はじめは、ナイジェリアのラゴス港で海賊船にでも襲われたのではないか、と思われた。アフリカの港の治安の悪さと能率の悪さは有名だが、ラゴス港もワースト五(ファイヴ)の一つに入るだろう。 ラゴス港では、月に三回ぐらいの割りで、荷揚げ待ちの外国船が武装海賊に襲われ、積み荷を奪われるだけでなく乗組員が殺傷されている。死体を海に放りこまれるだけでなく、船ごと海底に沈められたケースさえある。 もっとも、海賊がソ連船を襲ったのは茶番だったな。海賊たちはソ連船に乗っていたソ連秘密警察の連中によって、全員射殺されたんだから」「・・・・・・・・・・」「そういうわけで、ラゴス港にまず疑いの目が向けられた。 積み荷には、日本とナイジェリアの保険が掛けられているが、その保険には英国ロイド社の再保険が掛けられている。 だから、ロイド社の調査団がナイジェリアに飛んだ。積み荷が奪われたり横領されたりすると、ロイドがすべての損害を引っかぶるわけだから。 海賊がナイジェリア人だということさえ否定するナイジェリア警察とちがって、世界最強の調査網を持つロイドの実力は大したものだ。重要な情報の提供者には多額の懸賞金を払うことにした」「・・・・・・・・・・」「しかし、ラ・パロマ号がラゴス港や沖合いで襲われたという情報は、調べてみるとみんな偽(ガセ)だと分った。略奪された荷がナイジェリアの市場に流れた形跡もなかった。 そこで考えられたことは、国際犯罪シンジケートが、公海かどこかでラ・パロマ号の積み荷を船ごと奪った可能性だが、そのことに関した確実な情報も入らなかった。 あわてたのは当事者たちだけでなく、日本政府なんだ。ナイジェリアの国家的事業の着手が遅れたので、国際的な信用問題に発展してしまったからだ」「そいつはお気の毒」 片山は薄く笑った。「だが、とうとうラ・パロマ号は発見された。五日前のことだ。船名はサンチョ・パンサ号と塗りかえられ、船長はアレクサンドロス本人のようだが、船員たちのうちの三分の二ほどは別人に替わっているようだ・・・・・・。船長や航海士たちは、入港地の業者たちと積み荷の売却の商談に入っていた」 痩せた初老の男は言った。「じゃあ、現地の警察とロイドのほうも商談に入ってるんだろうな?」「ところが、そうはいかんのだ。警察庁もI・C・P・O(インターポール)を通じて現地警察に積み荷を押さえてくれるようにと要請したが、現地警察は黙殺しやがった。場所が悪すぎる」「・・・・・・・・・・」「ナイジェリアのラゴスから西北方二千キロほどの香料海岸(スパイス・コースト)沿いの国ガメリアの首都ルサンゴの港だ、船名を勝手に変えたラ・パロマ号が投錨(とうびょう)しているのは」「あのガメリアですかね?」 片山は苦笑した。「そう、あの悪名高いガメリア共和国だ。ガメリアは十五年ほど前に英国から独立したんだが、当時のガメリアにはわずかな鉱物資源しか発見されてなかった。 あのあたりに住んでいるのはセブ族が多いが、奴等はもともと交易の民だ。古代から北アフリカや南ヨーロッパまで船で出かけていたらしい。 独立したものの資源にとぼしかったガメリアは、国全体を貿易自由港とすることで活路を見いだした。外国貨物に関税を掛けずに自由に積み降ろしが出来るフリー・ポートといえばもっともらしいが、要するに、ルサンゴ港とルサンゴ空港を通じてガメリアをアフリカの内陸国とヨーロッパやアメリカ大陸の国々とのあいだの密輸中継基地にしたわけだ」「ああ」「ガメリア政府は業者からピンはねして国家財政にくり入れ、政府の実力者や高級官僚たちはピンはねした金をまたピンはねして、自分のポケットをふくらますという寸法だ。 一方、政府の実力者や高級官僚たちは、東部高原に、それぞれの私有のケシ畠を急激に開拓した。ケシの種(たね)を焙(ほう)じたものが、中近東の薄焼きパンのナーンに似た、ナムという現地人の主食のパンの味つけに欠かせないものだから、という理由だ。英国の統治時代にはゴマの実で代用させられていたが、独立国となった以上は伝統を復活させるべきだ、というわけだ。だが、目的は無論、ネギ坊主とも言われるケシの実莢(みざや)から取れるアヘンや、それから出来るモルヒネやヘロインにある」「・・・・・・・・・・」「政治的には一応中立国ということになっているガメリア最高裁判所のなかに、政官界の大物たちが金を出しあって高級で傭ったフランス人技師たちが働くヘロイン精製工場があることからも、あの国の無法ぶりが分るだろう。 もっとも、ヘロインはルサンゴから外国に向けて自由に送り出すことが出来ても、外国港で引っかかることが多いから、危険(リスク)料を差し引かれて、密輸業者に安く買い叩かれている。安いといっても、数年前の資料では業社にキロ当り五千ドルで売れたんだから、笑いが止まらぬ商売だ。六年前の話だが、その当時の大統領は、年に百五十トン売ったという。 そんな国だから、治安は乱れ放題なんてもんじゃない。何しろ軍隊と警察は、幾つもの派閥に分れて、政官界の実力者たちの私兵になり、奴等の命とケシ畠を守るのが本業というわけだから」「・・・・・・・・・・」「ガメリアの実情を見て、北に隣接している大国の西部アフリカ帝国が侵略の気配を見せた。たえず起っている政変でガメリアを追われた連中と組んでな。 その時、商売(コマーシャル)に徹したガメリアは、うまい手を考えだした。 つまり、世界の軍事強国に、ガメリア国内の土地を軍事基地として提供し、基地内の治外法権を認める、という法律を通したのだ。六年前のことだ。勿論、有料で、相手は自由世界の国であろうと共産国であろうと一さい構わず、しかも一国だけでなく何か国でもいい、という具合だ」「確かにうまい手だ」「ソ連軍が真っ先に進駐してきて、あの国の西端の岬、ルサンゴから三十キロほどのところに、軍港も含めたミサイル基地を造りはじめた。 地図を見たら一目瞭然(いちもくりょうぜん)のように、ガメリアはアフリカ大陸のなかで一番西の端にあって大西洋に突きだしている。 つまり、アメリカ合衆国の東海岸からインド洋や太平洋に抜ける艦船を監視できる軍事上の重要な場所を占めている。大西洋にもぐっているソ連の原潜の修理港としても絶好だし、あそこからはアメリカに向けて大陸間弾道弾(アイ・シー・ピー・エム)を正確に射ちこむことも出来る。アフリカ内陸部への工作基地としてもベストだ。 ソ連の進出にあわてた合衆国と中国が同時にガメリアに基地を造った。今では、西独とフランスも進出している。 そこに持ってきて、二年前に、ガメリア東南部の砂漠(さばく)に、西アフリカ最大と推定されるウラニウムが眠っていることが発見され、その鉱区権や採掘権の独占を狙(ねら)って、世界の強国が争っている」「・・・・・・・・・・」「ともかく、今のガメリアでは、正規の軍隊だけでなく、各国の秘密特務機関が入り乱れて、仁義なき謀略戦をくりひろげている。射ちあいや爆破や拉致(らち)は日常茶飯事で、ガメリアの警官など、外国の特務機関員らしい人物を見るとすっ飛んで逃げるそうだ。奴等はすぐに発砲するし、治外法権の基地に逃げこまれたら殺され損になるだけの話だから。 実を言うと我が国も、向うの大使館に、陸上自衛隊調査部の防衛駐在官十人のほか書記官という名目で警察庁刑事部の腕っこき十二名がもぐりこんでいた。だけど、日本の場合は、C・I・Aやソ連の国家保安委員会(ケー・ジー・ビー)のように派手に暴れることが出来ないのが残念だがな」「・・・・・・・・・・」「さて、話を戻して、ガメリアのルサンゴ港にサンチョ・パンサ号ことラ・パロマ号が入ったことを知って、警察庁はさっそくルサンゴの日本大使館にいる捜査員たちに、ラ・パロマ号の船長や船員たちを厳しく監視するようにと指令を与えた。 無論、あんな国とはいえガメリアは独立国だから、警察庁の捜査官が強制捜査を行うことが出来ない。事件に共産国やアラブのどこかの国が一枚嚙んでいたら、無理押しすると、それこそ大変なことになる。 しかし、思わぬ収穫があった。あの船の乗組員たちのなかに、三田村と谷崎兄弟の指名手配写真そっくりの三人の男が混っていることが分ったんだ」「そいつらの名は、さっき聞いたような感じだな」 片山は呟(つぶや)いた。「そういうわけさ。世界赤軍極東部隊と名乗った日空機ハイジャックの連中が、政府を嚇して刑務所から釈放させた極道者だよ」「・・・・・・・・・・」「三田村たちを尾行していた警察庁の捜査官は、奴等が入ったレストランのマネージャーを買収して、奴等が使ったナイフやフォークやグラスを手に入れた。それについていた指紋から、奴等が三田村と谷崎兄弟に間違いないことが分った。 無論、ガメリアで日本の捜査官に逮捕権は無いことは分っている。しかし、そのまま放っておくのはシャクだから、C・I・AやK・G・B流に、三田村たちを日本大使館に拉致する作戦をたてた」「うまい具合に、奴等は毎晩のように売春ホテルに通っていた。だから、六人の捜査官が、女と寝ている三田村たちを襲った。 売春ホテルの裏通りに駐(と)めた車で待っている同僚たちの耳に十数発の銃声が聞えた。それっきりだ。車で待っていた連中がホテルに踏みこもうと相談しているところに、黒人の暴徒の一団が現われて、火炎壜(かえんびん)や銃身を短く挽(ひ)き切った散弾銃で襲ってきた。 待っていた四人の捜査官のうち二人が殺され、あとの二人は重傷を負いながら、命からがら大使館に逃げこんだ。 八人の捜査官の死体は、翌日、大使館の前に並べられていた。銃弾で孔(あな)だらけになった死体がな。大使館がガメリア外務省に抗議を申しこんだら、早く死体を片付けないと大使館員全員に強制退去命令を出すと嚇された」「なるほど、いかにもガメリアらしい話だ」「翌々日、ラ・パロマ号の船長アレクサンドロスから日本政府にテレックスが入った。ナイジェリア政府とトラブルを起したくなかったら、十億ドルを払って積み荷を引取れ・・・・・・要求を呑(の)まなかったら、公海上で船を爆沈させる・・・・・・という内容だ」「政府も徹底的に舐(な)められたもんだな」 片山は鼻で笑った。「これだけ舐められては、政府としても我慢の限度がきた。だから、交渉の時間稼(かせ)ぎをやるから、その間に、ラ・パロマ号の連中を殲滅(せんめつ)しろ、と我々に命じてきた。だが我々としては、奴等を抹殺(まっさつ)するだけでなく、奴等のバックを洗い上げ、世界赤軍極東部隊の正体もあばきたいのだ。そのために適当な男は、あんたしかいない」「買いかぶられては迷惑だ」「日本の官憲がこれ以上ガメリア国内で勝手なことをすると、大使以下大使館の全員を国外追放処分にすると、ガメリア大統領の野郎がほざいてやがるのだ。何しろあの大統領は、自分の部下も信用出来なくて、パレスチナ・ゲリラをボディ・ガードに傭っているほどだからな。 仕事を引受けてくれたら、あんたに十五億円払う。五億が手付けで、十億が成功報酬だ。わけの分らん奴等に十億ドルも嚇し取られることを思えば、はっきり言って十五億円は安すぎるかも知れない。しかし、それ以上の予算は我々にな無い」「・・・・・・・・・・」「オーケイしてくれたなら、すぐに五億円をスウィス・フランで、スイスの君の指定した口座に振りこむ。ただし、一つだけだが重要な条件がある。ガメリアで、君は日本人であることを絶対に伏せて行動してくれ。君にとって都合がいい国の、好きな名前のパスポートを用意するから」「引き受けるとは、ひとことも言ってない」「引き受けるさ、君は・・・・・・あんたは、何かを追ってないと生きられない生れつきのハンターなんだ。今度はまた人間狩り(マンハント)の世界に戻るのだ。拳銃でも何でもこちらで用意する。外交行囊(こうのう)に入れてガメリアの日本大使館に送っておく。君が向うに着いたら、何らかの方法でそれを受取ることが出来るようにしておく」「あんたたちが政府のどの機関の者かはっきり尋(き)く時が来たようだな」「はっきりと言うことは出来ん。国際ハイジャックやシージャックの撲滅を目的としている政府機関の者とだけ言っておく。スウィスの銀行に五億ドルが払いこまれたことを君が確認したら、我々が冗談でこんなことをしているのではないことが分る筈だ。 君が仕事のことでどうしても我々に連絡を取りたい時のために、幾つかの電話番号をあとで教える。その番号は、連絡の中継用だから、電話を受けた者が、また別の番号を教えるだろう。 ともかく、君が運悪く殺される番になったとしても、あくまでも外国人として死んでもらいたい。傭兵にふさわしく、日本人であることを絶対に伏せてもらいたい。日本政府としては、あくまでもクリーン・ハンドでいたいわけだ。その条件さえ守ると誓ってくれたら、君がガメリアでどう暴れようと勝手だ」 (つづく)
2021年06月26日
Photo by Lindsay Carroll >前回 息苦しさと頭痛で、片山は身をよじりながら目を覚ました。溺死する寸前、無理やりに顔を水面上に突きだした時のようだ。 自分はくたばってないことを知る。 そこは、軽合金パネル張りの大型トラックの荷台のなかのようであった。片山は冷たい床に仰向けに寝かされていた。手足を動かそうとしたがままならない。アルミ・パネルの天井から裸電灯がぶらさがりギラギラ光っている。 意識を取戻したために、ドリルを突っこまれたような頭痛と吐き気をこらえ、片山は頭を持ちあげて自分の体を見た。 パンツ一枚の片山は、四肢(しし)を大の字にひろげられ、手首と足首は床(フロア)から突き出した鋼鉄のステイに鎖で縛りつけられていた。仁王のようなその体には古傷の跡が数多い。 頭を床に落した片山の喉(のど)から低い呻(うめ)き声が漏れた。頭痛は耐えがたく、気が狂いそうだ。口のなかにあふれてきた黄水(きみず)を、顔を横にして吐き出す。 その時、荷台のテイル・ゲートが外から開かれた。外の闇から、目と口のあたりだけが開いた灰色の覆面をつけた四つの人影がトラックの荷台に登ってきた。体つきから見て男のようだ。四人は、片山のまわりにポータブルの椅子を降ろし、それに腰掛ける。 片山はまた吐いた。「苦しいか? 楽にしてやる」 ずんぐりした男が言った。「殺す、と言うのか?」 片山は吐きだすように言った。「そうではない。頭痛と吐き気を鎮めてやるのだ。動かないほうがいい。注射器の針が折れるのは嫌(いや)だからな」 男は足許(あしもと)のカバンを開き、そのなかから注射器のセットを取出した。器用にアンプルの首を折る。 長身の男が片山の左腕をゴム・チューブで縛り血管を浮きださせた。注射が終るまで片山は動かなかった。彼等が毒物を注射する気なら、すでに自分は殺されていた筈(はず)だ・・・・・・と、思う。 苦痛が次第に消えていった。だが片山は黙っていた。「あんたは、調べた通り、変った男だな? 我々が何者かとも尋ねないし、何の恨みがあるのかとわめきもしない」 ひどく痩(や)せた男が初老の声で言った。「・・・・・・・・・・」 片山は唇を歪(ゆが)めただけであった。取り乱したら、サディストを挑発する起爆剤になる。「どうだった、我々が瓶(かめ)の水に混ぜた麻酔薬の味は? 無味無臭というメーカーの宣伝通りだったようだな」「用件を言ってくれ」 片山は口を開いた。「あんたは法を犯している。狩猟法違反と銃砲刀剣類不正所持は言い逃れがきかんところだ。逮捕されても文句は言えんだろう?」 痩せた男は片山の拳銃(けんじゅう)を見せた。「ああ、文句は言わん」「こいつは御挨拶(ごあいさつ)だな。この拳銃はどこで手に入れた? こいつをあんたに売った奴もパクられることになるわけだ」「拾ったのさ。どこで拾ったかは忘れたが」「そうかい? 冷凍庫にぶらさがっているイノシシや熊も拾ったんだな? まあ、没収されることぐらいは覚悟してるだろうが?」 ずんぐりした男が言った。「俺が動けないからといって調子に乗るなよ。あんたら、県警の者には見えないな。どの組織の者だ?」「ほう、やっとまともなことをしゃべりはじめたじゃないか・・・・・・我々はな、あんたがヴェトナム戦で米陸軍スペッシャル・フォース、つまりグリーン・ベレーの特殊部隊の火器担当要員に抜擢(ばってき)され、銃や闇夜の格闘で五百人以上のヴェトコンを殺したことを知っている。それだけではない。あんたは反戦兵士のリーダーや米軍の逃亡兵士を数ダース殺した。軍の命令通りな。あんたはただの狙撃手ではなかった。プロの殺し屋だ」 痩せた男が言った。「人違いじゃないのかい?」 片山は言った。「人違いじゃない。あんたが言いたいのは、殺しておかないと自分が殺(や)られる番が回ってくる・・・・・・というわけだろう。ヴェトナムの地獄を生き抜いて、銀星章(シルヴァー・スター)や殊勲十字章(ディー・エス・シー)のメダルを骨董屋(こっとうや)に売るほどもらった上に、これも地獄のモザンビークに転戦し、准将(ブリガディーア・ジェネラル)に特進して除隊したんだから、あんたは大した男だよ」「・・・・・・・・・・」「皮肉を言ってるんじゃない。合衆国最高の名誉勲章メダル・オブ・オナーを君がもらったことが無いというのも戦いのプロにふさわしい。あの勲章は、任務の範囲を越えた決死的な戦闘行為で赫々(かくかく)たる武勲をたてた者だけがもらえる。それが君がもらわなかったということは、君が殺しのプロだからだ。プロは、ヤケ糞で無謀な賭(か)けはやらんからな。モザンビークでの負傷は、君がヤケになったためでも、不注意のせいでもない」「・・・・・・・・・・」「だからと言って、君が卑怯者(ひきょうもの)だと言ってるわけでは断じてない。軍の、いや、何のバックが無くても、君はフランスで、殺された妻と子の弔い合戦に立ち上がった。人間としての見どころもあるわけだ。ただの殺人機械ではない。君は三人の殺し屋を返り討ちにした、という極秘情報が向うの関係当局から入っているが本当かね?」「用件を言ってくれ」 片山は呟いた。「分った。あんたは、我々が見込んだ通りの人物らしい。欠点は多いが役に立つ。我々の期待を裏切らんでくれ」「調子に乗るなよ。俺はあんたらに何も期待される覚えはない」「いつまでもそう突っぱることが出来るかな? 面白いものを見せてやる。こいつでやられた傷口はなかなかふさがらない」 痩身(そうしん)の男が言った。小型のスーツ・ケースを開き、シアーズ・クラフトマンの二・〇/十二のガソリン・チェーン・ソウを出した。二・〇は排気量二立方(キュービック)インチ、つまり約三十三ccを表わし、十二はチェーン歯を支えるガイド・バーのインチ長を表わしている。 これまで黙っていた巨漢が小型チェーン・ソウを受取り、スウィッチのレヴァーを左のオン位置に入れると、チョーク・ノブを右に引いた。 後部把手(リアー・ハンドル)を右手で握ると共に、そのハンドルの下部についているスロットルの引金を人差し指で絞り、左手でスターター・ロープのハンドルを握った。 右手でチェーン・ソウの本体を前に突きだしながら、左手でスターター・ハンドルを急激にひっぱる。 力が強くないとそのエンジンは掛かりにくいものだし、コツも要る。その男は一発でスタートに成功した。 けたたましい音を立てて二(ツー)サイクル・エンジンは回転し、無しに等しいマフラーから排気煙を吐き散らした。男はアクセルをゆるめ、チョークも戻した。 たるみを持たせてガイド・バーに掛けてあるのでクラッチが空転し、エンジンのアイドリング時にはチェーンのノコギリ(カッター)の歯は動かなかった。 巨漢はスロットル・トリガーのアクセルを引いたりゆるめたりしてエンジンをウォーム・アップする。アクセルを引くと、爆音と共に、チェーンが目にもとまらぬ早さで、ガイド・バーのまわりを回転する。排気煙がトラックの荷室に充満しはじめた。 男は高速で回転するチェーンを片山の裸の腹に近づけた。「嚇(おど)しはやめたほうがいいぜ 」 反射的に筋肉を縮めながらも、片山は鼻で笑いながら言った。「これまでの話では、あんたらは俺を使いたがっているようだ。怪我(けが)したんでは、働きたくても働けなくなる」「ストップ 」 痩せた男が巨漢に声を掛け、「やっとあんたは、また、まともな口をきけるようになったようだな?」 と、片山に言う。 巨漢はスウィッチ・オフしてエンジンを切ったチェーン・ソウを床に置いた。 片山は煙にむせた振りをして咳(せき)こんで見せながら、四肢を縛っている鎖の強度をさぐった。一本ぐらいは引き千切ることが出来ても、四本同時には無理のようだ。咳をおさめると、「月並みの質問だが、あんたたちは国家直属の機関の者のようだな」 と、声を出す。「そういったところだ。だから、これから言うことは冗談ではないんだ。君に押しつける仕事に対しては充分な報酬を払う。もっとも君はそんな額では充分じゃない、と言うかも知らんが、君は断ることが出来ない。 君が三か月ほど前に起った日空機のハイジャック事件のことを覚えているだろう? 君のトランジスター・ラジオは壊(こわ)れていないようだから、ニュースを聴(き)いた筈だ」「よくあるハイジャック事件を一々覚えてない」「ニューヨークからシスコ経由で東京に向う日空ジャンボ機がハイジャックされたんだ。六人組の日本人と思われる犯人は、飛行機が飛びたつと間もなく銃を抜き、機長の体に安全装置を外した爆弾を捲(ま)きつけて、リビアのトリポリ空港に向えと要求した。 この事件については、さまざまな事情から、マスコミが伝えたニュースは非常に不正確なものだった。一つは、国際過激派のスポンサーのリビアは半鎖国主義をとっていて自由世界のジャーナリストの入国を認めなかったためだが、はっきり言って日本政府が真相を隠したためだ」「・・・・・・・・・・」「ともかく、リビアはアフリカ大陸にあるとはいえ、地中海をはさんでイタリーやギリシアと向いあっている国だから、ジャンボ機は無給油でリビアに着いた。 カダフィ政権とハイジャッカーのあいだに事前に了解がついていたことは間違いない。機内はエア・コンが止まってサウナ風呂(ぶろ)になったので、ハイジャッカーたちは、日本から運輸省の政務次官の一行があわてて駆けつけるまでのあいだ、交代で空港ビルのV・I・Pルームに涼みに出てたぐらいだからな。 奴等が人質全員虐殺と機体爆破を嚇しの条件として日本政府に要求したのは、二百万ドルの現ナマ、ということになっている。 ところがこれは、これまで赤軍派の金の要求や拘置中の過激派の要求をたびたび呑(の)んでマスコミから袋叩きにされている日本政府が、これぐらいの金額なら世論も納得するだろうと、あとでデッチ上げた数字だ。 事実は、奴等が要求してきたのは一億ドルと、獄中にいる三人の男の釈放だったんだ。おかしなことに、その三人の男というのは一般犯罪者で過激派との関係は無いと見られていた連中なんだ。 いかに日本政府が弱腰だといったって、そんなベラ棒な要求は飲めないと突っぱねた。 ハイジャッカーたちは日空の日本人と米人のスチュワーデスを乗客の眼の前で〓〓(レープ)したが、政府は態度を変えなかった。 そうやっているうちに、奴等は切札を出してきた。 乗客のなかに、フランク・ジョンソンの偽名パスポートを持って乗っている米人は、実はナサニエル・レヴィンだ・・・・・・日本政府が要求を呑まなかったら、レヴィンに対日工作の供述書を書かせた上に、その身柄をパレスチナ・ゲリラに引渡す・・・・・・と、言ってきた」「・・・・・・・・・・?」「君はレヴィンのことを知らんだろう。だがレヴィンは日本の政財界を裏から動かすことが出来る黒幕(フィクサー)なんだ。考えようによっては、福本先生が首相になれたのも、もとをたどればレヴィンがいたからだ・・・・・・とだけ言っておこう。 日本政府のお偉方が泡(あわ)をくらって協議している時、レヴィンの秘書の射殺死体が機外に放りだされた。 政府は要求を呑み、ひそかに特別機を仕立てて、一億ドルと三人の釈放刑事犯をリビアに運んだ。一億ドルは内閣の機密費で処理されることになった」「その三人はどんな連中なんだ?」 片山は尋ねた。「一人はヘルス・エンジェルと呼ばれる幻覚剤に酔って、女房と子供を皆殺しにしてから、対抗している組の事務所に単身殴りこみを掛け、沖縄のベース流れの自動ライフルで二十数人を射殺し、逃げる途中でパトカーの警官五人を殺した渋谷の暴力団神宮会の総長三田村だ。タマが尽きて捕まったんだが、その際にも短刀で三人の警官を刺殺している。こんな男は死刑になっても罰が軽すぎるぐらいだが、犯行当時は心神喪失の状態にあったとされて、殺人傷害については無罪の判決をもらっている。銃砲刀剣と幻覚剤の不法所持で十年の刑を言い渡されただけだ。ふざけた話だよ」「・・・・・・・・・・」「あとの二人は〝葬儀屋〟と仇名(あだな)されているフリー・ランスのプロの殺し屋の谷崎兄弟だ。二人とも陸上自衛隊の富士学校のレインジャー教官崩れで、この十年間に少なくとも五十人は殺しているだろう。ほとんどの場合、対立する暴力団の一方の側に傭われて、相手側の組長や戦闘部長を消している。仕事が終ったらすぐほかの地方に飛ぶし、殺しの契約はいつも一回かぎりなんで、どうしても証拠を摑(つか)むことが出来なかった。 だけど奴等もとうとうドジを踏む時が来た。あの時は麻薬がからんだとある事件で、池袋の暴力団三光組の組長小竹の家のまわりの空き家数軒に、警視庁(ほんちょう)の刑事(デカ)二十人ぐらいが張りこんでいた。 家宅捜索令状と逮捕状を用意して、夜明けと共に踏みこむことになっていた。法律では、家宅捜索を行う場合、令状に特記してないかぎり、日の出前と日没後は禁じられてるんだ。小竹は機関銃を隠している、という聞込みがあったので、デカたちは防弾チョッキで身を固め、トランシーヴァーで連絡をとりあっていた」「・・・・・・・・・・」「そこに、張込みを知らない谷崎兄弟が現われ、小竹の家の塀(へい)を乗り越えた。しばらくすると銃撃戦がはじまった。 デカたちが小竹の家に踏みこんでみると、機関銃を握った小竹と二人のボディ・ガードが胸を射ち抜かれてくたばっていた。谷崎兄弟の兄のほうが頭の骨を削った機関銃弾のショックで気絶し、弟のほうは腿(もも)を射ち抜かれて這(は)っていた。捕まった谷崎兄弟は黙秘を通したまま無期懲役の判決を受けた。 ともかく、ハイジャックの連中がどうして三田村や谷崎兄弟の釈放を要求してきたのか狙いが分らん。奴等の腕を見込んで、組織の殺し屋にするためかな? それにおかしいのは、ハイジャックの連中が名乗った世界赤軍極東部隊という名だ。日本の過激派のなかに我々が飼っている情報屋(インフォーマー)の誰もが、そんな組織は実在しない筈だ、と言っている」「・・・・・・・・・・」 (つづく)
2021年06月19日
The Cloudy peaks and Two Thumbs Range, Upper Rangitata, Canterbury New ZealandPhoto by Bernard Languillier >前回 マットが片山を呼び寄せたのは、極端に不足している労働力をおぎなうためであることは明らかであった。当時は安く使える南欧や東欧系の移民が少なかったし、アジア人の移民はむつかしいからだ。 しかし、働かせるために片山を呼んだにしろ、マット一族は片山を冷たく扱ったわけではなかった。 マットの牧場の連中にかぎらず、そのあたりの男たちがいかに体を酷使するかは、バターをたっぷり含んだ自家製のクッキーやケーキに、さらにバターを分厚くなすって食っていても高血圧にならないことを見ても分る。 片山は学力テストの結果、ホームステッドの端から五マイルほど離れたブラック・フォレスト村にあるジュラルディン中学の分校に入れられた。馬に乗って通学だ。 N・Zの学校制度は日本や米国と非常にちがっていて、中学は大体において十五歳のフォームⅢ(スリー)から二十歳のフォームⅦ(セヴン)までだ。義務教育は十五歳までで、中学の卒業制度というものは無いから、義務教育年限を終えると多くの者が好きな時にやめる。中学にはハイ・スクールやカレッジなどという呼び名がつけられている。 分校の生徒はみんな牧場の仕事でいそがしかったから、授業は土、日が休みのほか、平日も午前中だけであった。 乗馬の経験ははじめてであったが片山であったが、四、五回振り落とされているうちに慣れた。ホームステッドから分校まで半時間で走らせても、膝や腿が痺(しび)れるようなことはなくなった。 牧場や農場の仕事はやってもやってもキリが無いほどであった。乳搾(ちちしぼ)りやバターやチーズ作り、トラクターの運転や修理といった農場の仕事は楽なほうで、馬に乗っての牛集め、羊毛刈り、数百頭まとめて殺した家畜の皮剥ぎなどの牧場の仕事はきつかった。 片山は体を鍛えるのに一番役立ったのは、山で雪に閉じこめられている羊をかつぎ降ろすという一番辛い仕事であった。崩れやすく滑りやすい険しい南アルプスの山々を駆け登り、羊をかつぐとガレ場の浮き石に乗って滑り降りるくり返しは、ちょっとでも間違うと命が飛ぶ。 山々には赤シカやヒマラヤン・ターやヨーロッパ・アルプス・カモシカ(シャモア)が群れていた。いずれもかなり昔にN・Zに移されたものが増えすぎ、山を崩して洪水を起す上に家畜の牧草を奪うとして害獣に指定されたものだ。 平地や丘にはこれまた害獣のウサギやオポッサムがうじゃうじゃいる上に、雷鳥の一種のグラウスや大型のウズラのパートリッジ、カモやカナダ・ガンも多い。秋には水面から背ビレを見せて鮭(さけ)の大群がクリークをさかのぼってくる。 激しい労働と栄養中心の食事で、片山の体の発達は目ざましいものがあった。 一日の食事の大体のメニューは、朝はベーコンかソーセージ約五百グラムと卵四個にバターやハチミツやジャムやシロップをたっぷりつけたパンケーキ六枚、ミルクと野菜ジュース各一リッターにフルーツの半ポンド罐・・・・・・昼はロースト・ミートとオレンジかリンゴ・・・・・・夜はワインと、ビーフやラムのステーキ二キロにポテトとインゲンとケーキといった具合だ。 金曜日は肉のかわりに、冷凍しておいた鮭や鱒(ます)が使われる。間食は干肉か干魚とキャンデー・バーやレーズンだ。 N・Zに着いてから一年ばかりは、仕事に追いまくられて余裕が無かったが、山ではしばしば遭遇する赤シカの牡(レッド・スタッグ)や牡(ブル)ターの勇姿を見ているうちに、片山は狩猟に対する情熱を抑えることが出来なくなった。 マット一家の山にも入りこんできて殺し、ヘリで運びおろした赤シカ数百頭の皮剥ぎを手伝わせる政府の駆除人(カラー)に、顎(あご)で使われるのにもうんざりした。今度はこっちが獲る番になってやるのだ。 最初は十九世紀の半ばにスコットランドやドイツなどから連れてこられて放された赤シカは、天敵がいない上にミネラルに富んだ草のせいで見る見る増え、一九二〇年代には増えすぎた地帯では懸賞金が懸けられるようになった。 三〇年代に入ると、赤シカは爆発的に増えた。政府が官費で養成し雇った駆除人(カラー)たちは、赤シカを無差別に殺戮(さつりく)した。 牡牝の区別をつけないだけでなく、仔ジカも容赦しなかった。一人で年に千頭以上を射殺するカラーは珍しくなかった。 一九五六年に害獣駆除法が成立し、赤シカだけでなくN・Zに外国から移されたすべての動物・・・・・・ターやシャモアや日本ジカ、それにエルク大鹿やヘラジカ(ムース)、ルサ・ジカや日本ジカやサンバー・ジカ、さらには野生化した山羊やブタなど・・・・・・の絶滅を期すことになった。 そのためか、現在でもN・Zには渡り鳥に関するものをのぞいて、狩猟法というものが無い。ビッグ・ゲームは年間を通じて殺し放題だ。夜射ちもオーケーだ。 一方、五九年代から、政府の傭われカラーでなくても、赤シカの耳一対を役所に持っていけば三〇三ブリティッシュ口径の実包三発と引換えてくれるようになった。 赤シカの角は袋角(ヴェルヴェット)の時には催淫剤としてホンコンのブローカーがいい値で引取ってくれ、肉はヨーロッパ向けの罐詰工場が買う。立派な角だと外国人旅行者用の土産品店に高く売れる。 現在はヘリを駆使するコマーシャル・ハンター ほとんどがカラー上りだ に射ちまくられたために激減しただけでなく、非常に用心深くなって昼は深い茂み(ブッシュ)に隠れて射ちづらいN・Zの赤シカも、片山がマットの牧場にいた頃は無尽蔵に思われたのだ。 昔はよく猟をやったマットは、十丁ほどの銃を持っていた。今でもベーコンは、野生化してイノシシのようになった野ブタを射殺して作るのだ。 一九六九年九月に銃の登録法が発効し、十六歳以下の者は銃を所有することが出来ず、十六歳以下の者が銃を使う場合は射撃場をのぞいて、持主の監督下でないとならぬ、ということになる前のことであったから、片山は自由に銃を使うことが出来た。 マットが貸してくれたのは、軍隊払いさげのリー・エンフィールド・マークⅢ(スリー)の軍用ボルト・アクション・ライフルであった。口径は当然ながら第一次・第二次大戦の英連邦の制式実包三〇三ブリティッシュだ。威力は三〇八ウインチェスターより少し弱い。 三〇三の軍用実包も保弾板(ストリップ・クリップ)付きでN・Zで安く放出されていた。被甲のフル・メタル・ジャケットだから、弾速の速さとあいまって獲物に対する効果が弱いため、ハンターたちはヤスリで弾頭を削って、ホロー・ポイントにして使っている。 日本にいる頃は米軍基地で拳銃の早射ちにこっていた片山であるから、射撃の基本は分っていた。拳銃だけでなく、M一(ワン)ライフルも数百発射ったことがあった。 片山はそのマークⅢの機関部をヤスリとオイル・ストーンで磨りあわせ、引金をシャープな切れ味にし、フェルトを銃身と銃床の溝(みぞ)のあいだにはさんで銃身の三点支持を行った。 百発を照準修正や射撃練習に使っているうちに、伏射で射つと、二百メーターの射程で五発のグループが十センチの円内にまとまるようになった。軍用銃としては上々の成績だ。 はじめの一年ほどは日曜ごとしか出猟出来なかったが、それでも約百頭の赤シカを倒し、冷凍車で巡回している食肉業者に売って相当の金を稼いだ。角も、左右合わせて十四尖(ポイント)のロイアル・スタッグや十六尖のインペリアルなどの最大級のものだけを残して業者に売った。 その金(かね)で強力なマグナムのうちではN・Zで入手しやすい七×六一シャープ・アンド・ハート口径のシュルツ・アンド・ラーセンのスコープ・サイト付きのライフルを手に入れた片山は、学校に出る前に早朝にも出猟するようになり、遅刻続きであった。二百キロぐらいの重さの普通の体格の牡だと、内臓を抜けばそのままかつぐことが出来たが、三百キロ近いやつだと二つに切り分け、二回に分けて運び降ろさねばならぬ。 十六歳になった片山は車の運転免許をとったあと、学校をやめた。ホームステッドには獲物をまとめて運びこむ時以外にはあまり帰らず、羊毛の刈取り用の山奥のキャビンや自分で建てたテント小屋に寝泊まりしてシカを追った。 今は若牡も牝も狙(ねら)うようになった片山は、年に二千頭近く射ったから、政府の駆除人(カラー)たちはマット一族の土地に入りこめなくなった。片山はマットに利益の半分を進呈したから、その金でスペインから移住してきた牧夫一家を傭えることになったマットは御機嫌(ごきげん)であった。 片山は自分の楽しみだけのために、時々はシャモアやターを射っていたが、ターの肉の罐詰めもシカ肉のレッテルを貼(は)られてドイツに輸出されるようになると、職業としてターも狩った。 やがて、一匹狼(おおかみ)のプロであるディアー・ストーカーたちと知りあった片山は、ウイスキーの味も噛みタバコの味も覚え、女も知った。 ブラック・フォレストの村にただ一つあるホテルに観光客用と付近の村の住民用のパブが表と裏に分かれてついている。 住民用のパブでは、土曜の夜ともなると、しばしば十六歳以上の土地の男女が集まって乱痴気パーティーが開かれる。 エキゾチックな風貌(ふうぼう)の片山はホテルの秣(まぐさ)小屋の乾草の褥(しとね)で、言い寄ってくる娘たちを相手に楽しんだ。そのうち、片山の武器の、純粋の白人はとても及ばぬ硬度と持続性を噂(うわさ)に聞いて、人妻たちも片山を追いかけまわした。 その片山が二十一歳でN・Z(ニュー・ジーランド)を去ったのはヴェトナム戦争がエスカレートし泥沼化している頃であった。 アメリカ合衆国の募兵局(ローカル・ボード)から、片山への召集令状が送られてきたのだ。 当時の合衆国は、徴兵制が廃止どころか、フルに利用されていた。選抜徴兵法(セレクチヴ・サーヴィス・アクト)によって、若い男は十八歳から二十六歳までのあいだに、軍隊で訓練を受けるための登録をローカル・セレクチヴ・ボードで済ませなければならなかった。 しかし、ヴェトナム戦争が泥沼化する前には、個人の事情によって、登録はしても兵役は延期を認められたり、宗教的反戦主義者は兵役を免除されるのが原則であった。 父や兄弟が戦死したり、兄弟が出征している者など特殊な事情な者は、数か月をトレーニング・センターで過ごさせることはあっても、強く志願しないかぎり、戦場に駆り出されることは絶対といっていいほど無かった。 だから片山は十八歳になってしばらくたってから、N・Zに近いハワイの募兵局(ローカル・ボード)に行き、安心して兵役登録書にサインし、身体検査と小学卒なら誰でも受かる程度のペーパー・テストで甲種(クラス・エー・ワン)合格証をもらっておいたのだ。合衆国の国籍を剥奪(はくだつ)されないためには、その手続きが必要であった。 しかし、ヴェトナム戦で切羽詰まってきた合衆国は個人の事情を考慮するなどという悠長(ゆうちょう)なことを言っておられなくなった。 召集令状を受取った片山は、運悪くヴェトナムに駆り出されるぐらいなら、合衆国の国籍を放棄したほうがましだと思った。 しかし片山にはN・Zに居られない事情が起きていた。 片山に夢中になりすぎた隣りの牧場の娘アン・ロバーツにしつこく結婚を迫られていたのだ。白痴美人のアンは色情狂でもあって、人前でもスカートをまくり、パンティをずりおろして片山を誘うのだからかなわない。 片山が結婚をオーケイしないので、アンは片山に暴力で犯されて子を孕(はら)んだのに、片山があとで必ず結婚するからと約束して無理に堕(おろ)させたのだ、と嘘(うそ)を言いふらしていた。 血気さかんなロバーツ家の若い衆は、マットの牧場に殴りこみを掛けて片山をなぶり殺しにするのだと、仕事はそっちのけで射撃訓練に明け暮れていた。 片山は彼等と射ちあう覚悟であった。だが、マット一族にも死傷者が出ることを思うと心苦しかった。 結局片山は、N・Z(ニュー・ジーランド)で稼いだ金のほとんどをアンに郵送し、合衆国に逃げた。 キャリフォールニア州フォート・ブラッグの新兵トレーニング・センターでまず二か月の基礎訓練を受けたあと、A・I・T アドヴァンスト・インディヴィデュアル・トレーニング・コースの実践さながらの戦闘訓練を二か月受けた片山は、戦闘要員として地獄のヴェトナムに送られた・・・・・・。 熊を縛りつけたネルソン・パックを背負った片山は、イノシシを水につけてある沢に戻った。つないであった犬たちが熊の匂いを嗅(か)ぎ、歯を剥(む)きだして唸(うな)る。 一度ネルソン・パックを大きな岩の上に降ろした片山は、上流で水を飲んだ。沈めてあったイノシシの腹腔から重りの岩を取出す。 そのイノシシを沢から引上げて水を切った。腹腔に軽くシダを詰め、これも水につけてあった胃と腸を腹腔に戻し、腹の切傷を木綿糸でざっと縫う。 熊の上から、そのシシをネルソン・パックに縛りつけ、つないであった犬たちを放す。 熊の体に殺到した犬たちを追っ払い、ネルソン・パックをかつぎ上げようとする。熊とイノシシで百五十キロは充分にあるから、気合をこめて立ち上がる時、片山の首や額の血管は張り裂けそうにふくれ上った。 N・Zにいた頃の黄金の青春時代の体力は失っていたが、一度立ち上がってしまえば、それぐらいの重さは片山にとって苦しいものではなかった。しっかしとした足どりで山を降りはじめる。 塒(ねぐら)にしている廃屋に近づくと、犬たちが地鼻を使いながら警戒の唸りをあげた。片山は地面にこすりつけるようにしているハウンドの鼻先にかすかな靴跡(くつあと)を認めた。片山のものではない。しかも、複数の人間の靴跡だ。 咄嗟(とっさ)に背中のパックを放りだした片山は身を屈(かが)めた。素早く上体を起した時、そのごつく大きな右手には魔法のように、S・Wボディーガード・エアウェイとの小型軽量輪胴式拳銃(リヴォルヴァー)がすっぽりと包まれていた。 左のブーツの内側につけたホルスターから抜いたのだ。抜きながら片山は、フレーム後部からわずかに突き出ている撃鉄(ハンマー)頭を親指で起している。 右目を閉じて暗さに慣らしておき、簡易ベッドを持ちこんである廃屋のなかに、身を伏せながら跳びこんだ。 人の気配は無かった。片山は右目を開く。立ち上がり、何か盗まれていないか調べて歩く。簡易ベッドの上のスリーピング・バッグや蚊帳(かや)も、壁に掛けられた衣類も動かされてない。 腐りかけの床板をはぐって、隠してあった財布を点検してみたが盗まれたものは無かった。 片山はトレーラーを仕舞ってある納屋に行ってみた。冷凍庫の内部も荒らされてなかった。 放りだしてあった熊とイノシシの肉を冷凍庫のなかに吊り、犬たちをつないで廃屋に戻った片山は冷たい汗をかいていた。 拳銃を仕舞い、土間においてある、蒸発熱で冷える素焼きの大きな水瓶(みずがめ)の蓋(ふた)を開く。 ヒシャクで汲(く)んだ冷たい水を、喉を鳴らして飲んだ。キャンヴァスとアルミ・パイプの組立て椅子(いす)に腰を降ろし、タバコに火をつける。眉(まゆ)を険(けわ)しく寄せている。 やられた・・・・・・と、気づいたのは、タバコをはさんだ指が焦げはじめたのに熱さを感じないことを知った時であった。 タバコを捨てようとした指が思うように動かなかった。やっと指から外れたタバコが土間に落ちてくすぶる。 そのとき片山は、死ぬにちがいないと怯(おび)えたほどの物凄(ものすご)い不快感に捕われ、心臓が早鐘を打ち、呼吸はままならず、頭がジーンと痺れて冷汗が吹きだしてくる。 あわてて立ち上がろう必死に試みているうちに、片山は椅子から転げ落ち横転した。 地の底に引きずりこまれるような気持ち、全身麻酔を掛けられたような気分だ。眠ったらそのまま目覚めぬような恐怖と不快感だ。 声にならぬ悲鳴をあげながら、片山は生きようと闘った。しかし、瞼の裏に星が点滅しはじめると共に意識を失う。 (つづく)
2021年06月12日
IMFDb Lee-Enfield rifle series - Lee-Enfield No.1 Mk.IIIhttp://www.imfdb.org/wiki/Lee-Enfield_rifle_series Schultz & Larsen, 7x61 Sharpe and Hart Youtube - På besøg hos Schultz & Larsenby Jægernes Magasinhttps://www.youtube.com/watch?v=-PtjHNfGGS0 Trapper Nelson Pack - L. F. NELSON Smith & Wesson Model 38, aluminum-alloy-framed version of Model 49 - .38 Specialhttp://www.imfdb.org/wiki/Smith_%26_Wesson_Model_36_/_38
2021年06月12日
Photo by Bernard Languillier >前回 一時間ほどで目を覚ました片山は、タバコに火をつけた。犬たちは木陰で眠り続けている。陽は高い。 短くなったタバコを流れに捨てた片山は、ヴェストをつけ、再び水を飲んだ。犬たちを置いたまま、沢の脇のけもの道を伝って登りはじめた。 愛犬たちをいつも連れていかぬ三山(みやま)向うの別の別の廃村の近くに、片山は数十個の括(くく)り罠(わな)を仕掛けてある。冷凍庫を置いてあるさっきの廃村とその廃村とのあいだには、二輪にせよ四輪にせよ、車が通える道は無い。 括り罠(スネアー)を仕掛けてあるあたりに犬を連れていかないのは、イノシシだけでなく、犬も罠に掛かってしまう怖れがあるからだ。 登りは踵(ヒール)を地面につけずに筋肉のスプリングを効果的に利用し、下りは膝(ひざ)のクッションを十分に使ってショックを柔らげ、登りも下りもほとんど変わらぬペースで歩いた。六十度を越えるきつい登り下りを含めて一時間五帰路ほどのペースだから、その脚力は並のものではない。 喉(のど)の渇(かわ)きを覚えると片山は、小さな罐入りのスコールの嚙みタバコをポケットからひとつまみ出し、歯茎(はぐき)と頬の内側のあいだにくわえる。 強烈なニコチンで唾(つば)が湧き出る。心臓の動きが早まる。片山はときどき褐色の唾を吐いた。 三つの山の鞍部(あんぶ)を越えて四つ目の山に入った片山は、イノシシの通路に仕掛けてある括り罠(スネアー)を見廻った。スネアーに首や胴をはさまれたシシは、この気候だと特に腐敗が早いから、毎日見廻って一刻も早く回収する必要がある。 片山が使っているスネアーは、直径五ミリの防錆ワイヤー・ロープの輪をトムスンの自動(セルフ)ロッキング気候の金具に通したものだ。 二十個ほどの罠を見て歩いたが、囮に使った屑芋は食われていても、獲物は掛かってなかった。片山はそれらの罠の近くに、ヴェストの背中のポケットから出した屑サツマイモを転がす。 次の罠に近づいた時、濃厚なけものの臭いが流れ、グァーウー、グァッフッフッという唸(うな)り声が聞えてきた。 シシではない。傷ついたクマの吠え声だ。夏や秋の毛皮はあまり値打ちが無いが、肉はゲテモノ料理用として喜ばれる。 片山はニヤリと笑い、直径七センチほどのクヌギの若木を手斧で切り倒した。その幹の強度を調べてみてから、根元から三メーターほどの長さに切って棒を作った。 ビッグ・チーフ・インディアン・タンのブーツ用革紐(かわひも)で、棒に刺殺用ナイフの柄を縛りつけ、インスタントの槍を作った。罠に忍び寄る。 セルフ・ロックのために暴れるほどくいこんでいくワイヤー・ロープに腹を絞められた、百キロぐらいの牡のツキノワグマが土煙をあげてもがいていた。近くの岩に八つ当たりしてバリバリ嚙み砕く。 括り罠(スネアー)の後端を捲きつけて固定した、近くの巨木が揺れる。獲物があまり暴れると、太いワイヤー・ロープでも捩(よじ)れのくり返しによって金属脆弱化(ぜいじゃくか)が進み、はじけるように切れてしまうことがある。 しかし、トムスン・スネアーの場合は、金属製のサル環(スウィーヴェル)がワイヤー・ロープの中間に入っているために、捩れが出ることがない。 片山はそのクマをしばらく放っておくことにした。クマがもがけばもがくほど胆嚢(たんのう)に胆汁がふえる。イノシシの胆嚢は胃薬ぐらいにしかならぬが、クマの胆嚢はクマノイと呼ばれ、さまざまな薬効がある。乾し固めたものは昔から金(ゴールド)と同じ値で取引きされる。 片山はほかの罠を見て回ったが、獲物は掛かってなかった。 クマのほうに戻る。 片山に気付いたクマは、泡(あわ)だらけの真っ赤な口を開いて咆哮(ほうこう)し、片山に向けて跳びかかろうとした。ブタのような目を血走らせている。 片山はクマに向けて走った。 ワイヤー・ロープがのびきったところで、クマは引き戻されて尻餅(しりもち)をつく。片山は素早くその横に回り、槍で心臓を刺した。目にも止まらぬ早さで三回刺し、槍を抜く。 しばらくして、全身を痙攣(けいれん)させたクマは、ウフッ、フッと唸りがながら倒れた。大きく息を吐き、突きだした舌を嚙むようにしてから、うしろ足を裏返しにする。死んだのだ。 シガレットに火をつけて片山は地面に腰を降ろす。吸い終えると、インスタントの槍から穂先のナイフを外し、シースに収めた。立ち上り、福島県側に向けて歩く。 そちら側の廃村を見おろす山の中腹に崩れかけた樵(きこり)小屋があった。片山は小屋の梁(はり)を補強し、そこから乾パンを入れて密封してあった石油罐と、鋼鉄(スチール)フレームのトラッパー・ネルソンの背負い子(バック・パック)を三個吊るしてあった。ロープの輪もだ。 ネルソン・パックを一個降ろしてかつぎ、十五メーターほどのロープを腰に捲いた片山は、クマの死体のところに戻る。 ワイヤー・ロープをゆるめて罠から外したクマの腹を裂き、内臓を取出す。暑いので脂は乗ってなかった。握りコブシ大の胆嚢は、イノシシに犬がさくられた時に傷口を縫(ぬ)うためにいつもポケットに用意している木綿糸で口を結び、胆汁がこぼれないようにしてから切取った。ビニールに包んでポケットに仕舞う。 クマの首もナイフで切断した。首の皮と肉にナイフを入れ、延髄(えんずい)の近くの軟骨板に切れ目を入れてから激しくひねると、頭と首は外れた。斧(おの)は要らない。片山はクマの膝(ひざ)と肘(ひじ)の筋肉と関節の軟骨をチーズでも切るように切断する。 内臓と頭と足を、近くの数個の罠の囮に使う。それが腐敗してドロドロに溶けかかった頃の吐き気を耐えられぬほどの悪臭は、イノシシにとってはたまらぬ芳香となる。 冬にならぬとクマの毛皮は粗(あら)くて抜けやすいから売れないが、冷凍する際に肉が乾くのを防ぐ。だから片山はそれを剥(は)がなかった。剥ぐ気になれば、拳(こぶし)を皮と肉のあいだに突っこんだり靴の踵(かかと)で蹴り剥いだりして、たちまちのうちにその作業を終えることが出来る。 頭や内臓などを落したクマの重量は六十キロぐらいに減った。片山はそれをネルソン・パックに縛りつけた。 パック・フレームごと大きな岩の上に立ててからかつぐ。嚙みタバコを口に放りこむと、足早に歩いた。 こうやって重荷を背負って歩いていると、片山は昔すごしたニュージーランドを想い出す。深い雪山で凍死しかかっている家畜の羊をよくかつぎ降ろしたものだ。 片山が生れた時、父のスチーヴ・マクドーガルは、シカゴに住んでいた米人の正妻との離婚が成立してなかった。 だから、私生児として生れた片山は日本人として登録された。 しかし、それから一年後に父は離婚し、片山の母と結婚した。父は片山を認知し、片山は出生時にさかのぼって米国籍を与えられた。片山の米国名はケネス・マグドーガルという。 その父が北朝鮮軍が仕掛けた地雷の爆発によって殺されたのが、停戦交渉が妥結される数か月前の一九五三年の春であった。 片山と母は星条旗に包まれた棺(かん)に入った父の遺体を、父の故郷のミシガン州トラヴァスの農場に送りとどけた。 日米の戦いが終ってから十年もたってなかったので、亡父の両親や親族が片山親子に向ける目は冷たかった。 いたたまれなくなった母は、わずか一週間の滞在で、片山を連れて日本に戻った。 米軍から戦死者手当てが出たし、母がまたP・Xに職を得たので、片山の幼年時代の生活は物質的に貧しいものではなかった。 片山は調布のアメリカン・スクールに通い、小学六年の時にはアメフット幼年リーグ調布アメリカン・クラブのエースとして人気者になった。 母が車に轢(ひ)き逃げされて死んだのは、片山が二年制の中学(ジュニア・ハイ)を卒業して高校(シニア・ハイ)に入って半年ほどはった春のことであった。当時の片山はフットボールのほか、基地の射撃場で拳銃の早射ちに熱中していた。 轢き逃げ犯人はとうとう捕まらなかった。 片山は母の兄の家に引き取られていた。 精密スプリングの小さな町工場を経営し、自分の息子四人をそこで働かせている伯父(おじ)は、片山に入ってくる遺族年金を後見人と称してピンはねし、スポーツなどやめて工場の仕事を手伝え、と迫った。 口論のあげく、片山は伯父を殴った。歯を五本砕かれて昏倒(こんとう)した伯父を見て、二十歳代の息子たち四人がスパナーやレンチを手に片山を襲った。 三人までは拳(こぶし)と蹴りで倒したが、長男のスパナーに後頭部を強打されて片山は蹲(うずくま)った。その片山を、四人は工具で滅多打ちした。 その後三日間は動くことも出来ず、そのあと一週間ほどは這ってでないとトイレに行くことも出来ないほどのダメージを受けた片山は失神した。 表沙汰になるのを怖れた伯母の看護で命をとりとめた片山は、ミシガン州の祖父ネルソン・マクドーガルに手紙を書き、農場に呼び寄せてくれと頼んだ。 長いあいだ待たされてから届いた返事には、ニュージーランド南島のジェラルディンに牧場を持っている祖父の弟マットからの手紙が同封されていた。 マットは片山が放課後に牧場の仕事を手伝ってくれるなら、身許(みもと)保証人になり、航空チケットをつけて招待しようと言っていた。 遺族年金を横田基地内の銀行に信託する手続きをとった片山が、ニュージーランド南島では最大の都市であるクライストチャーチの空港に降りたったのはその年の夏、南半球のN・Z(ニュージーランド)では冬のことであった。 空港にはマットの孫の一人のジャックがオンボロ・セスナを操縦して迎えにきていた。N・Zの牧場の男には見上げるような長身の者が多いが、ジャックも六フィート五インチあった。 キウィー・イングリッシュと称される、ロンドンの下町訛(なま)りのコックニーと同じにAをアイと発音するツダイ・スタイク(ツデイ・ステイク)式のN・Z式のしゃべりかたの上にもってきて、口のなかでモゴモゴと呟(つぶや)くレイジー・スピーキングで、ジャックは冗談を連発したが、着いたばかりの片山には理解しにくかった。 クライストチャーチから約百マイル、ジェラルディンの町から約二十五マイルのところにあるマクドーガル家の牧場は、広さ約二百平方マイルで、その大半が南アルプスの山岳地帯であった。 ランギタタ河に面した低い丘全体がホームステッドになっていて、そこに農場や冬用の牧舎や住居などが点在していた。河原や山に放牧されている家畜は牛が約三千頭、羊二万頭以上というところであった。山羊やブタは野生化していた。馬と乳牛と品種改良用の種牛と種羊だけは囲い(コラル)のなかで飼われている。 マットの一族は大家族であった。マットの五人の息子の家族がホームステッドのなかに別々の家を持っている。彼等のほかに牧場や農場で働くのは、原住民のマオリ族二家族であった。 (つづく)
2021年06月05日
青島文化教材社 4D VISION 動物解剖モデル 熊解剖モデル
2021年06月05日
'Pig Tracks'Following the footprints of a nearby Wabu (wild boar).Photo by Simon Cherriman >前回 千から二千メーター級の低い山々に抱かれた廃村の外れ近くの耕地の跡では、片山が囮(おとり)の餌として埋めておいた屑サツマイモを十キロほど、イノシシが鼻と牙で掘り起こして平らげていた。 イノシシは春から夏にかけては、肥満して暑さがこたえすぎないように、ユリの根などのあっさりしたものを食って過ごす。しかし真夏に換毛が終ったあとは、冬にそなえて濃厚なものを大食しはじめる。成獣が一頭水田に姿を現わすと、一夜にして一反歩の稲が全滅するほどだ。 シカとくらべて丸っこいイノシシの足跡や大小便の臭(にお)いを嗅(か)いで、猟犬たちは暴れはじめた。ハウンドは重々しく吠える。 交錯した足跡や飛び散った毛から、百二、三十キロ級の牡が餌を独占し、その餌の匂いにひかれてやってきた仔連れの牝の数家族や若牡を追い散らしたことが分った。 真冬の交尾期をのぞいて、牡の成獣は年齢層ごとにブロックを分けて牡だけのグループで住む。だから牡は普通、自分が孕(はら)ませた牝たちや産れた仔の面倒を見るようなことはしない。 例外は牝や仔のボディ・ガードと言える八十キロ級の若牡だ。強大な壮年牡や老獣は交尾期以外は単独生活を送る。 牡の成獣の肉はまずいとされ、事実四々(しし)十六貫 六十キロ級 ぐらいの処女牝の肉が最高ではあるが、多数の牝を獲得するために激しく闘う上に食うことも眠ることもあまりせずにファックにはげむ交尾期や老獣をのぞけば、牡だからといって、そうまずいものではない。栄養状態がいい奴は美味だ。 牝は牡よりはるかに少ない。それに牝を残しておけば、来年はまた仔を産む。 その上、大きな牡だと、犬との闘争に自信を持っている上に重いから、寝屋 寝場所 からはるか遠くまで闘争する確率が少ない。 だから片山は、残された足跡のうちで一番大きな牡のものを追うことにした。 集団で行う巻狩りの時は〝見切り〟と言って、イノシシが入った山から抜けてないかを調べてから犬を掛ける。しかし片山の場合は単独猟の寝屋留めが主(おも)だから、見切りを行う余裕は無い。 山裾(やますそ)で分れている十数頭のイノシシの新しい足跡のうちの、一番大きな牡の臭腺に片山は犬たちを乗せた。 猛(たけ)った犬たちのバックは、雑木林の山を、片山を曳きずりながら登っている。 地面のところどころに、何でも食う雑食性のイノシシが自然薯(ヤマイモ)や野ネズミや蛇(ヘビ)などを掘り返した大穴があいている。根を食われた木々が倒れている。 灌木(かんぼく)をへし折り、イバラに痛めつけられながら登る片山は、三十分もたたぬうちに汗びっしょりとなった。犬たちは舌を突きだして喘(あえ)いでいる。コジュケイやキジが踏み出されて飛び出したり、ウサギのようなスピードで走ったりする。 片山は、犬たちに曳きずられているのではなかった。常人が見ることが出来ないわずかなイノシシの足跡や、踏み跡の草木の状態などに鋭い目を配っていた。木につけられた牙のナワ張りのサインも無論見落さない。 アフリカ・ザンビアの硬く乾ききったサヴァンナで、傷ついた獲物の目に見えぬほどの足跡や血痕(けっこん)を何時間でも追跡するプロの黒人トラッカーから、片山は数多くのテクニックを学んだのだ。 出発してから一時間ほどのち、片山は林のあいだのカヤ場に着いた。そのなかの小さな水溜(みずたま)りが、イノシシが泥浴びするヌタ場になっていた。ヌタ場は濁り、まわりに飛び散った泥(どろ)はまだ湿っているが、追っているシシはその近くにひそんでないようであった。 イノシシは冬は尾根から少しくだった林や藪(やぶ)の窪地(くぼち)、それに崖(がけ)を背にしたカヤ場などに草を積んで寝屋とすることが多いが、夏や秋は暑さを避けて、沢の近くや湧(わ)き水の湿地などにじかに寝ることが多い。うるさいブヨやアブなどを避けるために、カヤを曲げて屋根掛けにすることもある。 狙(ねら)ったシシの足跡は沢のほうにそれていた。シシがサワガニをあさったために、沢の石は引っくり返されていた。 片山はイノシシが沢から上った地点に犬たちを誘導した。シシの残臭がきつくなり、犬たちは吠え狂いながら、右往左往する。引綱がからみ、犬たちは嚙みあった。 片山はまずプロット・ハウンドから放した。激しい追い啼(な)きの声をあげて、プロットは藪の中を一直線にすっ飛んでいった。 片山はあせる三頭の紀州犬も放した。犬のあとを追って、ブルドーザーのように木の枝を胸や腹でへし折りながら走る。 汗を飛び散らしながら片山が犬たちに追いついたのは十五分ほどのちのことであった。 そこは裏白のシダ原であった。寝屋から起された黒毛頰白のシシは頭から背中にかけてのミノ毛を逆立て、上下の牙をガツ、ガツとこすりあわせながら、紀州犬に突っかかっている。 シシの最大の武器はやはり牙で、〝さくる〟と言って下から鋭いスピードで撥(は)ね上げると、鋭い切れ味を示す。 追跡力は紀州犬よりはるかに秀れるが戦闘力は劣るプロットは、威嚇(いかく)するイノシシのまわりを絶えず啼きながら大きく回っている。紀州犬はイノシシの隙(すき)を見て、尻や後脚に嚙みついて逃走を防いでいる。時々しか啼かない。 犬たちに反撃するシシの牙がそれて、切られたシダの葉が舞いあがる。食いだめした初冬なら百五十キロにはなろうと思える牡であった。 片山は腰のベルトの鞘(さや)から、イノシシの刺殺用にデザインされた短剣型のガーバー・マークⅡサーヴァイヴァルを模した自作のナイフを抜いた。血で滑(すべ)らぬように、ポケットから出した軍手を両手にはめる。 折れないように硬度よりもねばりを重視し、L6合金(アロイ)の工具鋼を冶金(やきん)屋に鍛造させたそのナイフは諸刃(もろば)になっている。刃のうしろ半分ほどは鋭いギザギザの歯状になっていて、出血効果を高める。 イノシシより高い位置に回しこんだ片山は、バンダーナのハンカチで顔の汗を拭(ぬぐ)い、荒い息を鎮めた。 紀州犬との闘いに熱中しているイノシシが向うをむくたびに急激に距離を縮めながら忍び寄る。交尾期ではないから、そのシシは肩や胸に松ヤニをなすりつていない。 ゴマ毛の紀州犬が、うまくイノシシの尻尾に嚙みついた。悲鳴をあげながらシシはその犬に噛みつき返そうとする。 跳びこんだ片山は左手でシシの前脚を摑(つか)み、一気に引っくり返しながら、肋骨の隙間からナイフを心臓に刺しこむ。 ナイフは肺と心臓に鍔(つば)まで吸いこまれた。片山は抉(えぐ)りながらナイフを抜き、少し位置を変えてまた突き刺す。 イノシシの牙を避けて跳びじさる。 片山を追おうとしたシシは全身を痙攣(けいれん)させて足をとめた。鼻と口から血を流し、尻(しり)から崩れるように倒れる。 勝利の吠え声をあげた犬たちが、死にいくイノシシに嚙みついた。プロットも加わる。 シシの胸からナイフを抜き、シダの葉で拭った片山は、犬たちを引綱につないだ。犬たちを沢に連れていき、充分に水を飲ませてから、引綱を木々の幹に結ぶ。 暑さでもう解凍が進んでいるシシの冷凍腿肉をヴェストの背のポケットから出し、手斧で四つに割って与える。ブタ肉と同じようにシシの生肉は寄生虫に汚されている怖れがあるので、片山は愛犬たちに定期的に駆虫薬を与えている。 上半身裸になって沢水で洗った片山は、ナイフを研ぐと、殪(たお)したシシのほうに戻る。途中、直径五センチほどの若木を斧で二本に切り倒し、二メーター半ぐらいの長さに揃える。 その二本の木を一メーターほどの間隔を置いて地面に平行に並べ、頸動脈を切って放血した重いシシを転がして、その上に俯向(うつむ)けに寝かせる。 二本の前脚、二本のうしろ脚の骨と筋肉の束のあいだをナイフで裂き、そこにロープを通して運び木に結びつけた。 シシを乗せた運び木の一端を持ちあげ、後端を引きずって沢に向う。こうすれば、シシがいたまずに済む。 沢についた片山は運び木からシシを外し、フォールディング・ハンターのほうのナイフを使い、膀胱(ぼうこう)や腸や胃を傷つけないように気をつけて、シシの腹を裂いた。胃腸や膀胱が切れると物凄い悪臭が肉にまで回るからだ。 おびただしい内臓が腹圧で跳び出した。肝臓と心臓を切り取って岩の上に置いた片山は、食道で切り外した胃と腸を沢の水に投げこむ。 内臓を抜いたために百キロを割ったシシを抱えあげ、沢の少し上流の一メーター以上の深さの冷たい淀(よど)みに投げこみ、腹腔(ふくこう)に岩を詰めて沈める。 皮下脂肪の厚いシシ肉は、早く冷やさないとすぐ腐るからだ。 胃腸のところに戻った片山は、幾つかに切り分けて内容物をしごき出した。よく水洗いし、流されぬように沢の岩に捲(ま)きつけておく。 焚火(たきび)を起し、肝臓と心臓を木の串(くし)に刺して炙(あぶ)る。香ばしい匂いにたまらず、犬たちが甘え声を出す。 焦(こ)げた表面部分を犬たちに投げ与え、片山は火がよく通ったリヴァーやハートの内部にポケットから出した塩とコショウをまぶしてむさぼり食った。シシ肉は食いすぎると血がとまらなくなることがあるが、内臓は大丈夫のようだ。 さすがの片山も食い残した。残りを犬たちにやった片山は沢の水を飲み、木陰に横になると、ブーツを枕にし、パナマ・ストローのウェスターン・ハットを顔の上に乗せて目を閉じる。 秋が深まれば、このあたりのイノシシは、田畠や果樹林に豊かな稔(みの)りがある村々を荒らすために去ってしまうことだろう。 そうなれば片山も移動するまでのことだが、地元猟友会の害獣駆除隊とのトラブルは避けられぬであろう。 しかし片山は考えあぐねることはやめにした。明日は明日の風が吹く。沢水のさえずりを聞きながら片山は眠りこんだ。 (つづく)
2021年05月29日
Photo by Juggler Norbi >前回 福島県境に近い栃木の山里。残暑が続く秋。 その開拓集落は、年々北上を続けて豪雪地帯にも生息分布をひろげはじめたイノシシに田畑や造林や栽培シイタケを荒され、無人の廃村になっていた。 だが、崩れかけた廃屋の一つから、朝の光を浴びて一人の男が歩み出た。 ところどころ破れたベイリーのストロー・ウェスターン・ハットを目深にかぶり、物凄(ものすご)い筋骨の上体に、ポケットの沢山ついた猟用ヴェストを引っかけている。腰のトニー・ラーマのウェスターン・ベルトには、ガーバー・マークⅡ(ツー)を模して刃渡りをオリジナルより五センチほど長くした自分で作った鞘入れ(シース)ナイフと、シャープニング・スチールを差した革ケース(スキャバード)に収めたガーバー・フォールディング・ハンターの折畳み式ナイフを吊っている。 リーの継ぎ当てだらけのストレート・パンツの下には、マムシよけに丈夫な表革(トップ・グレイン)を使ったレッドウイング・ペコスの猟用ウェスターン・ブーツをはいている。 ハットのブリムで蔭になっている暗い瞳は片山健一のものであった。赤褐色(せきかっしょく)に陽焼けした両腕と同様に、髭(ひげ)だらけの顔にもイバラや木の枝の引っ掻(か)き傷が幾つもついている。 大股(おおまた)に歩く片山の足音を聞きつけて、ドアが無くなった広い納屋のなかでプロット・ハンドが吠(ほ)えた。数頭の紀州犬が体を震わせ、首につけた鈴を鳴らす。 納屋のなかに、互いに噛(か)みあわないように間隔を置いて、三頭の紀州犬と一頭の褐色のハウンドを鎖でつないであった。 品評会系で野性を失ったものとちがって純白なのは一頭もいない片山の紀州犬は、暑さをいくらかでも防ぐためにバリカンでトラ刈りにされていた。耳はイノシシの牙で裂かれ、体にも傷跡が見える。 納屋にはシヴォレー・ブレイザーのハード・トップとリア・シートを外した四輪駆動のピック・アップ車と、コンテナー型のトレーラーも入っていた。 その中古のピック・アップ車の荷台には猟犬の輸送用の檻(おり)が四個積まれ、トレーラーには四畳半ぐらいのスペースの大型プロパン冷凍庫と、大きなプロパン・ガスのボンベ二十本ほどが積まれている。屑芋(くずいも)の山もあった。 犬たちに声を掛けてから片山は、壁から外した血だらけの防寒パーカをつけた。手斧(ておの)を持ってトレーラーのフロアに身軽に跳び上がり、冷凍庫のロックを解いてドアを開く。 冷たい霧が流れる庫内には、内臓を取出され、膝(ひざ)や肘(ひじ)から先を落され、首も落されたイノシシが三十頭近く逆さにぶらだがり、毛には霜がついていた。 片山は内側から扉を閉じると、一番近くにぶらさがっている若い牡イノシシの腿(もも)の付け根を手斧で一撃した。 解体にかけても片山はプロだから、コチコチに凍った腿肉は、三回斧を振るっただけで股関節が外れて切り落とされた。 骨付きの腿を持って冷凍庫から出た片山は、パーカを脱ぎ自分の昼食用に一キロほど肉を叩き切る。それをビニール袋に入れてメッシュのヴェストの背中のポケットに仕舞う。屑芋も二キロほど背中のポケットに入れた。 腿の残りは骨と皮ごと肉を叩き切って犬たちに与える。犬たちは噛みきれぬその餌(えさ)を丸呑みした。手斧は、左腰につけた革ケースに収める。 片山は、四頭の犬を四本の引綱につける。その犬たちは、紀州の職業漁師たちから買ったものだ。 今は密猟者となった片山は、犬たちに曳(ひ)きずられる格好で外に出た。 帰国してからの片山はロイド保険会社から降りた金もあって、資本主義国家が存在するあいだは食うのに困りはしなかった。 しかし、妻も子もいない杉並高井戸の家に、週に一度のスーパーマーケットへの食料買い出しをのぞいてこもりきっぱなしになっていると、気が狂いそうになった。「パパ、お帰りなさい!」 と、叫んで胸に跳びこんでくる亜蘭や晶子を抱きしめようとして目を覚まし、それが夢であることを知った時の虚(むな)しさは耐えきれないほどだ。 そんなある日、片山はスーパーの駐車場で、数年前にザンビアのカフユ平原(フラット)でライオン狩りの案内をしたことがある医師に偶然に会った。 再会を楽しんだその医師は、その日の夕方に片山に電話してきて、渋谷の野獣料理店に強引に誘った。 ハイヤーを回すから、と言うので断りきれなくなった。久しぶりに髭(ひげ)を剃(そ)った片山がその料理店に着いてみると、医師は猟友たちと共に待っていた。 その料理店の若主人と片山は、かつて、何度か、栃木や兵庫や紀州や三重や岐阜でイノシシやシカ猟を行ったことがある。 その夜、園田というその若主人から、片山はいまいる猟場のことを聞いたのだ。イノシシが増えすぎているが、住民が離村してしまったために、害獣駆除の申請を出すことが出来ずに、二月十五日から十一月十五日までの正規の非狩猟期間中はイノシシが暴れるのにまかせているということを・・・・・・。 昔は安かったイノシシも、それを名物料理とする旅館やドライヴ・インや料理屋からの需要が多く、現在は良質のロースは松坂牛と同じ部分ぐらい高い。各部の肉を平均すればずっと安くなるが、それでも卸値でキロ当り約二千五百円にもなる。臓物(ワタ)抜き六十キロ程度の一頭が十五万円ぐらいで売れるのだ。片山はその後、園田と数度会い、現地にも偵察(ていさつ)に出かけてから覚悟を決めた。 わずらわしい他人と出来るだけ顔をあわせないで済むには山にこもるのが一番いい。それに片山は、獲物を追ってないと耐えられぬハンターなのだ。妻と子が殺されたとき自分の心も殺された片山にとって、逮捕されて裁判に掛けられることなど一つも怖しくなかった。 どんなに堅実に人生を築きあげようとしたところで、運命のいたずらによって、すべては一瞬にして破壊されるのだ。 日本の国内法を片山がそれほど怖れていない原因の一つには、そういう気持ちの問題のほか、片山が三重国籍を持っていることも関係している。 日本とアメリカの国籍のほか、中南米のドメニカの国籍を片山は持っているのだ。 大ていのハンターが三日も歩けば水しか胃に入れることが出来なくなるほど消耗が激しいスーダンの白ナイル上流のジャングルで、片山はダウンしてしまったドメニカの独裁者の息子である客(クライアント)のために、双方がそれぞれ百二十ポンド級の牙(アイヴォリー)を持つ巨象を射(う)ってやった。 喜んだその客は、自分に出来ることなら何でもかなえてやる、と片山に約束した。 片山はドメニカの国籍と公用パスポートを要求した。動乱のアフリカに住んでいると、安全地帯に逃げこむために、国籍は多く持っているほど得だ。ホワイト・ハンターで三重国籍の者は珍しくない。フランスのように、その国の国籍を持つ者が外国でいかなる犯罪を犯したとしても、国籍を持っている〝母国〟に逃げこめば絶対外国に引渡さない、という国が世界には少なくない。 客は、帰国後、書留郵便で書類を送ってきた。片山は人質がわりに保管していた象牙を、スーダン政府の検疫証をつけ、ドメニカに運賃着払い(コレクト)で送った。 無論、そういう形で日本人がドメニカ国籍をとった場合は、日本の法律から言うと、自己の志望によって外国籍を取得した時は日本の国籍を失う、という規定に引っかかる。 だから片山はドメニカ国籍のことを内緒にしていた。毎年アフリカからアメリカ経由で帰る際には、米国の就労パスポートと身分証明書(アイ・ディ・カード)とドライヴァーズ・ライセンスと、紛失したことにして二重取りした日本のパスポートとドメニカのパスポートは、ハワイの銀行の貸し金庫に預けるのを習慣としている。 合衆国の移民国籍法によれば、合衆国以外の国で生活する者のうち、合衆国国籍を有する者は、十四歳以後二十八歳までのあいだに、二か月間の休暇をのぞいては、継続して二年間合衆国で生活しなければ合衆国国籍を抹殺(まっさつ)される、ということになっている。だがヴェトナム戦に参加した片山はその義務は免除されていた。 日本のパスポート・コントロールのチェックを受けずに国外に出るのも、これまた片山にとっては難しいことではなかった。 友人の駐留米軍の輸送機パイロットが、まだ日本の基地に何人も残っているからだ。かつては、片山はパスポートも何も持たずにフィリッピンやハワイに軍用輸送機に乗せられて何度か遊びに行ったことがある。基地から基地と治外法権のコースで出入国するのだから、日本政府の入管は関係ない。基地内にも米軍の出入国管理者はいるが、二、三十ドル摑ませたらウインクで通してくれる・・・・・・。 片山が日本の正規のルートで持ちこんだ金は、米国防総省の陸軍経理センターから支払われる軍人恩給だけだったから、自分の家を即金で買うと、税務署にその資金の出所を追及される。 銀行ローンで買ったその家を売り、銀行に金を返した片山は、軍用機の騒音のために家賃が安い横田基地近くのアメリカン・ハウスに移った。 駐留米軍の友人たちに口を掛け、中古の四輪駆動車やトレーラーやプロパン冷凍庫を安く手にいれた。 片山が密猟で獲ったイノシシの肉は、けもの肉の卸問屋も兼ねている園田が買いあげてくれることになっている。無論、片山が捕まった場合、絶対に口を割らないという約束の上でだ。 (つづく)
2021年05月22日
U.S. GERBER Mark II Survival Knife, L6 Tool Steel, Wasp le Forum Passion-Militaria.com - Dague Gerber Mark II UShttps://www.passionmilitaria.com/t36247-dague-gerber-mark-ii-us Military Carry Knives.com - GERBER Mark II™ KNIVEShttps://www.militarycarryknives.com/MKKNIVES/MkKnives.htm"Narrow Wasp" Blade Photo: Daniel H. Edwards
2021年05月22日
Paris France, 1977Photo by Jürgen Schneider >前回 昨年じゅうに世界で起ったハイジャック事件は三十件に迫った。 事実の多くは関係当局がマスコミに伏せたが、ハイジャックされた当事国が払った身代金は合計して二億ドル、釈放されたテロリストは百五十人を越えた。 その年の十月 、ルフトハンザ機をハイジャックし、身代金千五百万ドルと西ドイツとトルコに拘留中のテロリスト十三名の釈放を要求した犯人たちを射殺して強救出することに成功した西独対テロ特殊部隊GSG9のカール・ミューラー隊長は、過激派取締りの凄腕(すごうで)と呼ばれている西独連邦検事総長ペーター・ハウスマンの招待を受けてボンの高級レストランで会食した。 ペーターはカールを、西ドイツの法の威信を回復させ、テロリストの逮捕と釈放のイタチごっこの悪循環を断ち切ってくれた勇者だと激賞した。 御機嫌(ごきげん)になった二人が検事総長のボディ・ガード四人に護られてレストランを出たところを、急停止した三台の車から突き出された六丁の軽機関銃が射ちまくった。 それぞれが五百発以上の七・六二ミリ・ナトー弾をくらったカールとペーターとボディ・ガードたちの死体は、人間の形をとどめてなかった。 その年のクリスマス前日、パリ。 片山健一は妻の晶子、もう少しで三歳になる息子の亜蘭(あらん)、一年ほど前に生まれた娘の理図(りず)を乗せた中古のプジョー五〇四のハンドルを握って、買物客でごったがえすグラン・ブールバール通りをゆっくり走らせていた。 六月から十月一杯までの乾期をザンビアのサヴァンナで、二月から五月までを高温多湿の中央アフリカやスーダンのジャングルでプロフェッショナル・ホワイト・ハンター、つまりアフリカの狩猟会社と契約して狩猟の職業案内人として働く片山にとっては、妻と子供たちと一番長く過ごせる真冬は、身も心も一番休まる季節だ。 スコットランド系の米空軍士官の父と、駐留P・Xに勤めていた日本人の母とのあいだに生れた片山は、三十一歳にして地獄を見すぎた男であった。父は朝鮮戦争で殺され、母は八年後に事故死していた。実の兄弟はいない。 それだけに、やっと摑(つか)んだ家庭の安らぎは、今の片山にとっては、何としてでも守りぬかねばならぬものであった。晶子以外の女と寝るのは平気だが、ほかの女に心まで移すことはない。 冬の休みにはパリ右岸のペール・ラシェーズ墓地の近くに持っているアパルトマンか北米コロラド州デンヴァー郊外のロッジに妻子を呼び寄せ、春の休みには片山が日本に戻るのがここ数年のパターンであった。 今日は、マドレーヌ寺院に近い高級食料品デパートのフォルチンで、イヴの御馳走(ごちそう)を買うのだ。カスピ海のキャヴィアやストラスブールの松露(トリュフェ)入りのフォアグラが目に浮かび、片山は生ツバを呑(の)む。 六階建てのフォルチンの近くにプジョーを二重駐車させた片山は、トランク・ルームから、携帯用ショッピング・カートと乳母車が組合わされているものを出し、それを組立てた。 晶子がまず息子の亜蘭を乳母車に乗せ、それから娘の理図を乗せると、歩道寄りの車がプジョーを押しのけて走り去れるようにドアにキーを掛けず、片山は晶子と並んで乳母車を押す。 細っそりとしてはいるがバストとヒップが優美に突きだした晶子は、フランス娘もたじろぐほどスタイルがいい。腹は二人の子を産んだとは信じられぬほど引きしまっている。 晶子は整いすぎとも言える美貌(びぼう)を持っていた。しかし滅多なことでは絶やさぬ微笑(ほほえ)みと、無邪気そのものの瞳(ひとみ)の光が、生き生きとした表情を与えていた。 人混みのフォルチンの店に入ると、片山は、「じゃあ、三十分後にここで」 と、晶子の頬(ほお)に軽く唇(くちびる)を当てた。「あんまり買いすぎないようにお願いよ、あなた」 晶子は片山を仰ぎ見た。「分ってるが、ついつい・・・・・・ 」 片山は苦笑した。 乳母車を押してオードゥブルの売り場に向う晶子と別れ、亜蘭と理図のバイバイ、という幼い声に振り返って手を振ってから、片山は地階の酒の売り場に向った。あまり背が高いとは言えぬパリの住人たちより耳から上だけ抜きんでている。 家族と別れると、片山の表情から穏やかさが消えた。ヨーロッパの血と極東の血がミックスし、アフリカの陽焼けがまだ消えぬ片山の顔は、西アジアとヨーロッパの接点のアフガンの騎馬騎士のように精悍(せいかん)であった。口髭(くちひげ)は黒褐色(こくかっしょく)だ。黒い目は大胆にきらめき、笑うと特殊陶器のコーティングでタバコのヤニを防いだ真っ白な歯が光って、底抜けに陽気な見せかけになる。 その片山が発散するセックス・アピールの磁力に引きこまれ、売り子の娘や中年女は、片山の瞳の奥を覗きこもうとしながら、思わず唇をエロチックに舐(な)めたり、カウンターの中段の棚に下腹をこすりつけたりする。 爆発が起ったのは、片山がシャンペーンの売り場でドン・ペルニヨンの辛口を二本買い、コニャック売り場に移って、ブロンドの売り子と軽口を叩きあっている時であった。 凄(すさ)まじい爆発と共に地階の天井の一部が吹っ飛び、噴射してきた爆風で酒棚の酒壜ごと吹っ飛んだ。閃光で盲目になりそうになり、耳はツンボになりそうになる。 爆風で吹っ飛ばされながら片山は、片山にかれてゴリラのような腕に触っていたブロンドの売り子を両腕で抱えこんでいた。 壁ぎわの酒棚に叩きつけられる寸前、片山は空中でブロンドの娘と位置を変えた。 娘の頭がマテールのコニャックの壜数本に叩き砕かれ、血煙をあげる。 娘を抱えたまま崩れ折れた片山は、床に仰向けになると意識を失った娘を自分の上に乗せて楯とした。 そこに吹っ飛んできた酒壜が次々に落下した。砕けたガラスの破片がブロンドの娘に深々と突き刺さる。 電灯はショックで消えていた。天井からコンクリートの破片が落下してくる。 その時、再び爆発が起った。激しいショックで片山は意識を失う。 血も凍るような女の叫び声で片山は意識を取戻した。自分の上でぐったりとなっている血まみれの女の体を押しのけようとして、何が起ったのかを思いだした。 女の頭に触れ、砕かれた頭蓋骨(ずがいこつ)から脳がはみだしていることを手さぐりで知った片山は、思わず呻(うめ)きながら失禁した。 立ち上る。爆薬の刺激臭と壜から流れたアルコールの強烈な匂(にお)いが血の匂いを消していた。 片山はライターに火をつけようとして思いとどまった。あたりじゅうで揮発しているアルコールに火が移ったら逃げることができない。 片山は、ボールペン型の小さな懐中電灯を持っていることを思いだし、内ポケットから抜いて点灯した。思うように体が動かせないのは、鎖骨が折れているせいらしい。 まわりを細い光で照らしてみる。地階の百名近い男女は死体でなければ重傷者であった。 片山は階段に向けて、死者や重傷者を跳び越しながら走った。肺から悲鳴をほとばしらせている。 爆発が起ったと思われる一階に、妻と子がいるのだ。 階段は半分ほど崩れていたが、片山はしゃにむに隙間(すきま)をくぐって一階に這(は)い登る。頭や背中に落ちてくるコンクリートの塊りを次々に受けたが失神せずに持ちこたえた。 一階には吹っ飛んだ窓から昼の光が射しこんでいた。 煙とコンクリートの粉末のヴェールを通して、潰(つぶ)れた罐詰(かんづ)めのあいだにバラバラになった人間の体が散乱していた。血の海だ。原色の臓腑(ぞうふ)ものたくっている。「晶子・・・・・・亜蘭・・・・・・理図!」 血まみれの鬼神のような片山は、絶叫しながら一階の奥に突っこもうとした。 その時、地階からの爆発で床が持ちあがった。炎が階段や一階にあいた穴から吹き出してくる。地階のアルコールに火が移ったのだ。 妻子の姿を求めて狂気のように走りまわった片山も、炎と熱と酸素不足に耐えかねて窓の外に転げ落ちた。左肩と頭を強く打って再び意識を失う・・・・・・。 晶子の死体も亜蘭と理図の死体も、爆発によって原型をとどめてなかったことと、病院のベッドでギプズにくくりつけられていた片山は知った。片山は絶叫を放ちながら、ギプスから逃れようともがいたが、左の鎖骨と肋骨(ろっこつ)が七本も折れた体は自由にならなかった。 フォルチン・デパートは、アルジェリア奪還同盟と名乗る極右団体から、毎月二百万フラン、すなわち約一億円の運動資金をカンパするように脅迫されていたことが分った。クリスマス・イヴの日だけでも一千万フランの売上げがあるのだから、不幸な事件が起る前に要求を呑んだほうが利口だ、と犯人たちは言っていた。 要求を蹴(け)ったフォルチン・デパートに対してアルジェリア奪還同盟は時限爆弾による無差別殺人で応えたのだ。 しかし、パリ警察やフランス国家保安警察の捜査では、アルジェリア奪還同盟が実在するとは確かめられなかった。 強靭(きょうじん)な体力によって一週間で強引に退院した片山は、プラチナのボルトでつないだ鎖骨や左の肩の痛みをこらえながら、爆破捜査の刑事を買収しては情報を取り、その情報にもとづいて自分でも捜査に熱中した。 妻と子を肉塊に変えた奴等をなぶり殺しにしてやる・・・・・・片山は荒っぽい手段を使って見えない敵に迫ろうとした。 だが肉体の傷は半月もたたぬうちに癒(い)えたが、三月(みつき)たっても敵の姿をかいま見ることさえ出来なかった。 アルジェリア奪還同盟は、フォルチン・デパートを脅迫したあとは完全に活動を停止しただけでなく、それ以前にも何の活動も行ってないことが分った。 アルジェリア奪還同盟の実体をさぐる間に、片山は三十人近くの旧O・A・S アルジェリア独立阻止軍事秘密組織 グループ員を拷問で痛めつけ、その組織の戦友会が傭った殺し屋三人を血祭りにあげた。 ついにフランス秘密情報機関S・D・E・C・Eが乗りだした。片山は逮捕されて裁判に掛けられるか、国外追放をくらうか、それとも自分の意思でフランスを出るか・・・・・・の三つの途(みち)の一つを択ぶように強制された。 アフリカの狩猟会社のほうからは、とっくにクビを言い渡されていた。そうでなくても政情不安で客が減っているのに、今の片山のような精神状態の男と契約を続けるわけにはいかない、というわけだ。 (つづく)
2021年05月15日
Lago di Como, ItalyPhoto by Gio Abbate >前回 北イタリーのミラノに本拠を置くモンテローザ社は南ヨーロッパ最大の化学及び合成繊維メーカーだ。 モンテローザ社の創立者の息子である社長ピエトロ・アンドレッティの屋敷はミラノ郊外四十キロほどのところにある。コモ湖を見下ろす古城の内部を現代的に改装したものだ。 だが広いその屋敷にピエトロの家族は住んでいない。誘拐(ゆうかい)が最大の産業となったイタリーを避けて、米国のサンタ・モニカに住んでいるのだ。 秋のある日の午後六時、社長室を出たピエトロは、お抱え運転手が回してきたメルツェデス・ベンツ四五〇SEL六・九の後部座席に収まった。 長身を仕立ておろしの三つ揃いの背広で包んだピエトロは、モミアゲに白いものが混っているのが、かえってその貴族的な風貌(ふうぼう)を引きたてていた。 誘拐にそなえて運転手も拳銃を携帯していたが、助手席とリア・シートにプロのボディ・ガードが乗りこんだ。 ピエトロのベンツ自体もボディの鋼板を分厚くさせ防弾ガラスを使った特注品だ。自重二トン半を越えるが、六・九リッター二百八十六DIN(ディン)馬力のエンジンも三百馬力を越えるように七・五リッターにボア・アップされているので、時速二百二十キロでクルージング出来る。 それぞれの国の工業規格によってエンジン馬力の表示はちがうが、ドイツ工業規格のDINでは、マフラーや冷却ファンやジェネレーター等は当然として、あらゆる補機類をつけた状態で測定した数字だから実馬力に近い。日本のJIS(ジス)馬力よりも、二、三十パーセント低く表示される。米国のSAEグロス馬力の五十パーセント近く低い表示になることがある。 それは、言葉を変えると、SAEグロスで三百馬力と表示されたものはDINでは百五十ぐらいに表示されるということだ。かつて三百とか四百馬力とカタログに出ていた米車が、同じ排気量のエンジンでも今は百馬力台や二百馬力台にさげて表示されているのは、米国車がSAEグロス表示から、現実的数字に近いSAEネット表示を採用させられたためだ。排気ガス規制のためだけではない。 ピエトロたちが乗りこんだために一度軽く沈んだベンツのボディは、シトローエンのに似せたセルフ・レヴェリング機構によって、もとの高さに戻る。 モンテローザ社のすぐ近くを高速道路(アウトストラーダ)が通っている。高速道路に入ったベンツはエンジンを荒々しく唸(うな)らせ、パッシング・ライトを点滅させながら時速二百二十キロで突っ走る。 コモ湖が見えてきたあたりで高速道路は終った。ベンツは湖畔のワインディング・ロードを、時々タイヤから煙を吐きながら、百から百八十キロを保って走った。 〝P・A私有地(プリヴァート)〟と看板が出たゲートの前で停車する。ゲートから私道が林のあいだを縫って、丘の上の屋敷まで続いている。 ゲートの脇(わき)には門番の小屋があった。ベンツの運転手は、出てこない門番に苛(いら)だってクラクションを鳴らした。 その途端、門番の小屋から四人の男が跳びだしてきた。みんな覆面姿であった。三人は大口径マグナム・ライフルを肩付けし、自動ライフルを肩から吊った男は右手に手榴弾を握っていた。それをベンツに向けて投げる。「バックしろ!」 ピエトロは金切声で叫んだ。ボディ・ガードたちは、あわてて拳銃を抜いた。 その時、ベンツの下に転がりこんだ手榴弾が爆発した。 爆発はエンジン・ルームの下で起った。ベンツの前部が持ちあげられ、エンジン・フードと前輪のタイヤはホイールごと吹っ飛んだ。 竿立(さおだ)ちになったベンツは地面に叩きつけられた。運転手はハンドルに胸をぶっつけ、助手席のボディ・ガードはフロント・グラスに顔を叩きつけられる。 ピエトロは悲鳴をあげながら、シートに伏せていた。その横のボディ・ガードは拳銃をフロア・マットの下に隠し、両手を組んで震え声で祈りをとなえている。 二発目の手榴弾がエンジン・ルームに飛びこんで爆発した。 エンジンが転げ落ち、防弾ガラスのフロント・グラスは粉々になって飛び散った。運転手と助手席のボディ・ガードは即死し、ピエトロとその横のボディ・ガードはショックで意識を失う。 シヴォレー・ボーヴィルのスポートヴァンが近づいてきた。覆面姿の男のうち二人がベンツのドア・ドックをマグナム・ライフルで射ち砕き、気絶しているピエトロとボディ・ガードを引きずり出してスポートヴァンに積みこむ・・・・・・。 誘拐犯たちがピエトロの父でありモンテローザ社の会長でもあるロベルト・アンドレッティに通告してきた身代金は一兆八千億リラ、つまり二十億ドルという史上最高の額であった。それをドルとマルクとスウィス・フランのキャッシュでよこせというのだ。犯人たちは北イタリー解放同盟と名乗った。 いかにアンドレッティ家が金持ちとはいえ、当時の邦貨にして五百四十億円というキャッシュを作るには、アンドレッティ家が持っているモンテローザ株の大半を売却するほかない。しかし、そうすればモンテローザ社は新しい大株主に乗っ取られてしまう。 急遽米国から呼び戻されたピエトロの妻をまじえてアンドレッティ家の親族会議が続けられているところに郵便小包みが届けられた。犯人の一人から電話があり、小包みをぜひ開けてみろ、と言った。 小包みの中味は、ピエトロと共に捕らえられたボディ・ガードの生首であった。薄化粧された上に目張りまで入れてあった。素っ裸にされて逆さ吊りになっているピエトロのポラロイド写真と、家紋入りの指環をつけたピエトロの指も入っていた。 ピエトロの妻のアンジェラはヒステリーの発作を起した。ロベルトの妻は卒倒した。ロベルトは脱税と搾取で築きあげてきた王城が崩(くず)れ落ちることを知った。 数度にわたって国外で身代金の支払いが行われ、ピエトロは無事に帰されたが、モンテローザ社は、株を買い占めた、カナダのヴァンクーヴァーに本拠を置く新興国際コングロマリット企業トーテム・インターナショナルの支配下に置かれることになった。 イタリーでアンドレッティ家が苦境におちいっている頃(ころ)、西ドイツでは多国籍製薬会社バヴァリアン・ケミカルの倉庫が襲われ、フェニルアミノのブランドで製造された覚醒剤五十トンが奪われた。 韓国や東南アジア製の覚醒剤(シャブ)が結晶状であるのに対し、ヨーロッパの製薬会社の純正品は粉末状の最高級品で〝雪ネタ〟と呼ばれる。 ヨーロッパではヘロインやコカイン系の麻薬や大麻(マリファナ)、それにメスカリン等の幻覚剤が流行の主流だし、日本でヒロポンやシャブと呼ばれる覚醒剤フェニル・メチル・アミノ・プロパンとよく似たフェニル・アミノ・プロパンは、闇値で買わなくても医師の処方箋(しょほうせん)さえあれば薬局で手に入る。その覚醒剤の通称はアンフェタミンだ。 だから犯人たちは、馬鹿高値で売れるという日本に流す目的で〝雪ネタ〟を奪ったのでないか、と西ドイツの捜査官たちは睨(にら)み、I・C・P・O(インターポール)を通じて警察庁に通知してきた。 やはり、二か月もしないうちに、日本のブラック・マーケットに暴力団を通じて〝雪ネタ〟があらわれた。グラム一万円内外で密輸組織から手に入れた各暴力団は、増量剤で水増しし、グラム二十万円から五十万円で中毒患者に売りさばいていた。 密輸組織の主犯グループは赤坂にバイエルン貿易という名の会社を持っていた。彼等は五年間ほど輸入実績を作っておいたドイツ製のディーゼル用高級オイル その容器の罐は罐切りを使わないと開かないようになっている にプラスチックで密閉した〝雪ネタ〟を突っこんで税関の目をごまかしていたのだ。そのオイル会社の名はミュンヘン・モーター・オイルといった。 五十トンはグラムにすると五千万単位になる。だから五千万グラムの〝雪ネタ〟をグラム一万円で売ったと単純計算すると五千億円になる。 警視庁の捜査官がバイエルン貿易に踏みこんだ時には主犯グループはすでに国外に逃げてしまったあとだったために正確なことは分らないが、西ドイツで盗まれた〝雪ネタ〟の大半はすでに日本で処分済みと推定された。 覚醒剤密輸の主犯グループは証拠書類をすべて焼却してしまっていたが、貿易にかかわる関係官庁や取引銀行の協力である程度のことが捜査本部に分った。 バイエルン貿易は、税金がタダ同然に安く、しかも銀行の機密保護法によって顧客の秘密が完全に守られる、いわゆるタックス・ヘイヴン 租税逃避地 の一つであるグランド・カイマン島に幽霊会社(ペーパー・カンパニー)を持ち、その会社を密輸と脱税の中継基地にしていた。 また主犯グループは、グランド・カイマン島のさまざまな銀行に秘密口座を持ち、日本のさまざまな外為銀行を通して、そこに莫大(ばくだい)な金をせっせと送金していたことも分った。 カリブ海に浮かぶ小さなカイマン諸島は、すぐ近くのジャマイカや、キューバをはさんで大西洋側にあるバハマ諸島と同様に、英国の強い影響下にある。 ジャマイカは一応独立して英連邦の自治国ということになっているが、カイマンはバハマと同様に、現在も英国の植民地だ。 もともとは共産国や軍事独裁国向けの英国の秘密貿易基地として経済活動をしはじめたバハマやカイマンは、その後、世界の多国籍企業のトンネル会社やダミー会社などのペーパー・カンパニーを無条件に受入れて繁栄してきた。そのことが結局は、英国の利益につながるからだ。 カイマン島に林立する銀行は、企業やC・I・Aのような謀略機関の黒い金だけでなく、犯罪組織の血で汚れた金もためらわず受入れ、その機密を外に漏らしたりはしない。 アルゼンチンのモントネロスや人民解放軍(イー・アール・ピー)、ウルグアイのツパマロスといった都市ゲリラが次々にくり返す要人誘拐で手に入れた数億ドルの身代金のかなりの部分は、カイマン島の多国籍銀行にゲリラが持っている口座に振りこむことで決済されている。銀行の機密保持法という強力なうしろ楯(だて)があるから、ゲリラは安全確実に身代金を取立てることが出来る。 そんなお国柄のグランド・カイマン島だから、日本の捜査陣がインターポールを通じて捜査の協力を依頼したところで完全に無視された。 それかといって、日本から捜査陣が乗りこんだりしたら、国家主権を犯したということで国際問題になる。 一方、西ドイツでは、連邦警察がミュンヘン・モーター・オイルを調べた。その結果、ミュンヘン・モーター・オイルのディーラーは、バイエルン貿易の在西独子会社に品物を渡していた。そこからバイエルン貿易が買い、グランド・カイマン経由で日本に入れられていたのだ。 だからオイル罐に覚醒剤を仕込む作業はバイエルン貿易の西独子会社で行われたにちがいなかった。事実、オイル罐の継ぎ目を一度開いて覚醒剤を入れてから継ぎ目を元通りに合わせる機械が残された秘密工作場も発見された。だが、犯人たちはとっくに逃亡済みであった。 しかし、グランド・カイマン島の秘密保護法によって捜査の糸を絶たれてしまった日本の警視庁ではあったが、捜査の過程で大きな副産物にぶち当った。 バイエルン貿易に巣くっていた主犯グループは、覚醒剤を大量に密輸する前から、アメリカで 〝天使の埃(エンジェル・ダスト)〟とか〝ロケット燃料(ヒューエル)〟とか〝平和の草(ピース・ウィード)〟とか呼ばれている合成麻酔剤P・C・P(ピー・シー・ピー)、つまりフェンサイクリジン・ハイドロクロライドの粉末、錠剤、それに注射器を密造して暴力団に流していたことが分ったのだ。 強力なトランキライザーでもある上に精神刺激剤でもあるエンジェル・ダストは、LSDと並んで最も危険な幻覚剤だ。それでいて、製法のマニュアルさえあれば素人(しろうと)でも造ることが出来るから始末が悪い。 P・C・Pはもともと手術の麻酔用として開発されたが、副作用が強すぎるために人体への使用は禁止された。今は麻酔銃で野生動物を捕獲する時や、傷ついて暴れる動物園の猛獣を眠らせる時に使われている。 調べが進むにつれ、これまでに覚醒剤の中毒者が犯したとして認められた凶悪な幻覚殺人事件 例えば白昼拳銃を群衆に乱射したり、隣人や家族が悪口を言っていると思って惨殺したり、クラクションを鳴らされただけで刺殺したり の半数近くに、エンジェル・ダストがからんでいることが分った。エンジェル・ダストを人間が用いると、精神が錯乱し、被害妄想(もうそう)におちいったり、凶暴になったり、怖(こわ)いもの知らずの誇大妄想狂になったりする。極端に言えば、自殺型と殺人狂型に分れるのだ。 確かに彼等は覚醒剤中毒にちがいないが、犯行時は覚醒剤が切れていて、エンジェル・ダストを使っていた。 エンジェル・ダストによる幻覚殺人事件の多発に音(ね)をあげた暴力団からの激しい抗議を受けて、バイエルン貿易の連中はヨーロッパ物の〝雪ネタ〟の密輸に踏み切ったようだが、日本の地下にもぐったその莫大な量の覚醒剤は、今後何年にわたって凶暴な犯罪を産み続けることであろう。 それが、いまから二年前のことであった。 (つづく)
2021年05月08日
Photo by jose.rperez67 わが息子、貴彦と克彦に・・・・・・ プロローグ 地中海の葡萄(ぶどう)色の海面に夜の帳(とばり)が降りた。 西ドイツ籍の貨物船自由(フライハイト)号は、ハンブルグを出港し、ジブラルタル海峡を通り抜け、イタリーのジェノバ港に向っていた。五千トン級だ。 初冬の海は、油を流したように穏やかであった。フライハイト号がたてる波で夜光虫が砕け散る。舷側(げんそく)の右手にアルジェリア、左手にスペインがひろがっている筈(はず)だが、闇(やみ)のために見えない。 フライハイト号の船橋(ブリッジ)には、船長のエルハルト・リッペントロープ、一等航海士のロルフ・クライゼン、当直操舵手(そうだしゅ)のエルンスト・ワグネル、それに二等航海士のクラウス・シュミットの四人がいた。 傲岸(ごうがん)な顔と巨体を持つ船長のエルハルトは太い葉巻きをくゆらせ、あと三人はパーコレーターから注いだコーヒーを時々口に運びながら、レーダーを覗(のぞ)いたり海図を読んだりしている。 フライハイト号は、西ドイツ政府がイタリーの原子力発電所に売却した濃縮ウラン三百トンを積んでいた。 濃縮ウランには核分裂を起すウラン二三五が約三パーセント含まれている。核爆弾を作るには濃縮ウランをウラン二三五の含有量が九十パーセント以上の高濃縮ウランに変えるか、原子炉の灰を再処理して抽出(ちゅうしゅつ)したプルトニウム二三九が必要になるが、それには厖大(ぼうだい)な資金と施設、それに頭脳と時間がいる。 とはいえ、濃縮ウランが十キロあれば、計算上では、小型の核爆弾が作れると言われている。 船長のエルハルトは、しばしば自分の腕時計とブリッジの壁に嵌(は)めこまれた水晶時計を交互に見た。 痩(や)せて背が高い一等航海士のロルフがレーダー・スクリーンを示した。一万トン級の貨物船がゆっくり接近してくるのがレーダーに映っている。「予定どおりですな」 金髪が色あせて白茶けている二等航海士のクラウスが呟(つぶや)いた。クラウスが記入している船位位置は実際よりずっと東側にあった。 鼻が酒焼けした当直操舵手のエルンストも含めて、ブリッジにいる四人はかなり年をくっていた。 四人とも西ドイツ内務省に直属する連邦海事秘密警察隊の退職者で、退職後もその組織と密接な関係を保っている。 近づいてくる貨物船が、闇を通して肉眼でも認められるようになったのは半時間ほどのちのことであった。 その貨物船は航海灯をつけてなかった。ブリッジからも舷窓からも灯(あかり)は漏れてない。 やがてその船はUターンすると、フライハイト号に並行した。二隻の間隔は約二百メーターであった。互いがたてる波で二隻は揺れる。 一万トン級の船の甲板で閃光(せんこう)が次々にひらめいた。射ちあげられた照明弾は小さなパラシュートの花を開かせ、ゆっくり降下しながらあたりを明るく照らす。 フライハイト号の船長が船内電話を使って機関室の操機士にエンジンの回転を落せと命じた。 アイドリングするエンジンを空転させるフライハイト号に一万トン級の貨物船が接舷(せつげん)したのは、それから二十分ぼどのちのことであった。 接舷のショックで舷側の鋼板は火花を散らして軋(きし)んだ。 船名も船籍名も消された一万トン級の貨物船の甲板で数基のサーチ・ライトが目を剥(む)き、短機関銃や自動ライフルで武装した三十人ほどの男たちがフライハイト号の甲板に跳(と)び降りた。 その男たちはプロの戦士の身軽さを持っていた。ヘルメットの下の顔はナイロン・ストッキングで隠している。ライフ・ブイのかわりになるフローティング・ジャケットをつけ、その上に締めた弾倉帯から、ナイフや拳銃(けんじゅう)のホルスターや手榴弾(しゅりゅうだん)を吊(つ)っている。 葉巻をくわえたまま、フライハイト号の船長は船内マイクを使って部下たちに緊急招集の命令を出した。非常事態発生のサイレンのスウィッチも入れる。 ブリッジの四人は後部甲板に出た。ニヤニヤ笑っている。 移ってきた覆面姿の男たちは左舷に並んで自動銃を腰だめにしていた。 真ん中の男のヘルメットは黒、その左右の二人の男のヘルメットは黄色で、あとの連中のヘルメットはオリーヴ・グリーンだ。 船長のエルハルトは、黒いヘルメットの男の前に立った。「今夜の接舷はちょっと荒っぽかったな、隊長さん」 と、笑いながら言う。 このフライハイト号は、西ドイツ政府がチャーターした核密輸船なのだ。 アラブといがみあっているイスラエルは紛争当事国ということになるから、各国ともその国に核物質を輸出することは禁じられている。国際間協定を破ってひそかにイスラエルにウランやプルトニウムを輸出したことがバレたら、アラブ産油国の恨みを買って石油が入ってこなくなる怖(おそ)れがある。 だがイスラエルは原子力発電に利用するほか、アラブとの次の大規模戦争で国家の存在が危うくなった時の切札として原爆を持つ必要がある。そしてイスラエルは、核爆弾を作る技術も設備も頭脳も持っている。 そこで、西ヨーロッパの主要国とイスラエルの首脳のあいだで秘密会談がくり返された。 イスラエル側は金(かね)と核爆弾製造のノウ・ハウを西ヨーロッパに提供し、西ヨーロッパ側はウランやプルトニウムをイスラエルに渡すという秘密協定が結ばれた。 だが、ストレートな密貿易では、アラブに嗅(か)ぎつけられた時に言いのがれがきかない。 そこでイスラエル側は、特殊工作機関の一つのモッサドの指揮下に核ジャック特別奇襲隊を編成した。核ジャックされる国とイスラエルの完全な合意のもとに、特殊奇襲隊は八百長芝居で核を入手するわけだ。 イスラエルが特に圧力をかけた国は西ドイツであった。過去にナチスのユダヤ人大量抹殺と、ミュンヘン・オリンピック時にアラブ・テロリストがイスラエル選手団を虐殺することを阻止できなかった弱みを持つ西ドイツは、これまでに四百トンの濃縮ウランをイスラエルに渡している。 イスラエルはその濃縮ウランをプルトニウムに変えて、すでに数十発のミサイル用核弾頭を作り上げた・・・・・・。 フライハイト号の居住区や機関室から、甲板員や機関士など十名が出てきた。彼等も西ドイツ連邦海事秘密警察隊出身だ。「この船の乗組員はこれで全員か?」 黒いヘルメットの男が、船長のエルハルトにドイツ語で尋ねた。「そうだが・・・・・・どうしてそんなことを知りたがる?」 船長は呟いた。「核ジャックをもっともらしく見せるために、全員を縛りあげないとな」 黒いヘルメットの男が答えた。「これまでは、縛ることまではやらなかったぜ、あんたたちは・・・・・・そういえば、あんたは新任のようだな。これまでの隊長と声がちがう。体つきも・・・・・・」 船長は言った。「これで全員なのか確認してみてくれ」 黒いヘルメットの男は、一等航海士のロルフに向けて言った。 ロルフは肩をすくめた。横一列に並んだ乗組員の前に出て、彼等の顔を眺(なが)めまわした。もとの位置に戻り、「みんな揃(そろ)っている」 と、答える。「よし、威嚇(いかく)射撃をはじめろ」 黒ヘルメットの隊長は部下たちに命じた。自分も、ウージー短機関銃の安全装置を外す。「おい、おい、それはやりすぎと言うもん・・・・・・」 船長の声は、ヘルメットの男たちの短機関銃やガリル自動ライフルの斉射を全身に浴びて途切れた。 乗組員たちは悲鳴をほとばしらせながら逃げようとした。だがヘルメットの男たちの自動銃の掃射をくらって肉塊と化す・・・・・・。 西ドイツ内務省はフライハイト号からの定時無線暗号連絡が絶え、こちらからの連絡にも応答がないことを知って、ただちに行動を開始した。フライハイト号で事件が起ってから半時間後のことであった。 これも内務省直属の連邦国境警備隊第九部隊、つまり対テロ特殊部隊GSG9の精鋭三十名がチャーター機でスペインのバルセロナに飛び、そこの秘密デポに隠してあった武器弾薬を受取ると、三機の大型ヘリをチャーターし、海上捜索に移った。秘密裡(り)に行動する必要があったので、レーダーを持つ哨戒機(しょうかいき)をスペイン軍から借りるなどということは問題外であった。 しかし、夜の海でフライハイト号を捜し出すのは困難であった。あとで分ったことだが、その船の灯火はすべて消されていたからだ。 午前十時近くになって、GSG9のヘリは漂流するフライハイト号を発見した。甲板は赤黒いペンキを流したような血の海で、人影は見当らない。 フライハイト号の甲板に降りたGSG9の男たちは、甲板の血に肉片や骨片が混っていることを知った。 船艙(せんそう)もくまなく捜したが、船長をはじめ乗組員の姿は発見できなかった。海に沈められたらしい。そして、三百トンの濃縮ウランは消えていた。 西ドイツ政府はイスラエル政府に激しく抗議した。 イスラエル政府は、核ジャック奇襲隊員を乗せた貨物船イブラヒム号からの暗号無線連絡に不審な点があったため、奇襲隊長だけが知っている特殊な暗号を発信したところ、イブラヒム号からの応信が絶えた。イスラエルとしては現在情報機関の総力をあげてイブラヒム号を捜索中だが、その船がシージャックされた可能性がある・・・・・・と、答えた。 それが、いまから四年前のことであった。 七月九日。 三連休が明けたその日、フランスの紺碧海岸(コート・ダジュール)のリゾート都市カンヌにあるクレディ・ナショナーレ銀行カンヌ支店では、支店長や役付きの行員たちが、待ちくたびれて騒ぎたてる顧客たちを必死になだめていた。 地下では、行員やガードマンや警官たちが見守るなか、ダイアルを合わせても開かぬ大金庫室の特殊鋼の扉(とびら)を、呼ばれた金庫屋が酸素アセチレン・トーチで焼き切ろうと奮闘していた。石工たちは扉の脇のコンクリート壁と圧搾ドリルを使って格闘していた。 午後になってやっと開いた大金庫室の扉は、何者かによって内側から溶接されていたことが分った。 大金庫室のなかの銀行専用の金庫五個も、五千個の貸し金庫もすべて破られていた。 床には貸し金庫から取出したらしいポルノ写真やワインやキャビアやフォアグラの空き壜(びん)や空き罐(かん)が散乱し、壁には「平和と愛(ピース・アンド・ラヴ)」の、鳩(はと)の足跡とハートのサインが着色スプレーでなぐり描きされていた。 捜査の結果、複数の犯人たちは、下水道からトンネルを掘って地下大金庫室に達し、大金庫室の鋼鉄板をサンドウィッチした分厚いコンクリート壁を、圧搾ドリルと酸素アセチレン・トーチと油圧ジャッキで破ったものと分った。 彼等が大金庫室の扉を内側から溶接したのは、“仕事中” の明かりやトーチの煙が銀行内に漏れないようにするためと、逃走時間を稼(かせ)ぐためであった。無論、彼等は指紋など残してなかった。 被害総額は、貸し金庫の利用目的の大半が脱税用であるためにはっきりしなかったが、邦貨に直して、最低二百億、妥当な線で五百億と推定された。盗まれたのは現金と宝石と金(きん)やプラチナのインゴットだけで、足がつきやすい証券や手形や美術品などは床に捨てられていた。国宝クラスの古代中国の壺(つぼ)など便器がわりに使われていた・・・・・・。 それから約一か月のちのパリ。 ヴァカンス・シーズンの真っただなか、それも聖母大祭を含む三連休が明けたソシエテ・パリ銀行本店の地下大金庫が破られ、少なく見積っても十億フラン、当時の邦貨にして約五百五十億円が奪われていることが分った。 犯行の手口は、カンヌの場合と同じであった。 秋になってから、フランス国家警察の刑事警察局は、金遣いが急に荒くなったパリのトンネル掘削専門の小さな工務店の店主を逮捕し、得意の拷問に掛けた。 片手の指三本をプライヤーでへし折られたその男はしゃべりはじめた。 アンリ・クレモンというその男は、妻子を人質にとられてカンヌの銀行破りに加わったが、腹の虫がおさまらぬので、首謀者(リーダー)の警戒の目を盗んで百万フラン相当のアメリカ・ドルを猫(ねこ)ババし、それを何軒かの闇の両替え屋に持ちこんでフランに替え、憧(あこが)れであったフェラリ三六五GT四(フォー)と小さいとはいえ牧場がついた別荘を買いこんだのだ。 そのアンリはホトボリが冷めるまで金を使うのを待てぬほど間が抜けている割りには要心深く、首謀者の顔写真を、ライター型カメラで盗み撮(ど)りした高感度フィルムと、首謀者の指紋と唾液(だえき)がついたポケット・ウイスキーの空き壜をアパルトマンのステレオのなかに隠していた。 もし妻子に危害が加えられたら、その証拠物件を持って警察に駆けこむ予定であった。 犯行後、妻子は十万フランの報酬と共に無事に戻されたが、アンリは万一のケースにそなえて証拠物件を廃棄してなかった。 写真と指紋、それに唾液から判明した血液型によって、首謀者と目される男の身許が割れた。 カンヌで小さな旅行代理店をやっているジョルジュ・クーペという男であった。 ジョルジュは軍隊時代に婦女暴行罪で捕まったり、アルジェリア独立を許すドゴール大統領を敵とした右翼秘密組織O・A・Sに加わって武器を輸入した容疑で捕まったりしているので、警察の犯歴ファイルに彼のものが残されていた。 ジョルジュは捕まったが、彼の自宅からも郊外の農園からも、銀行破りと結びつくものは何も発見されなかった。ジョルジュの預金残高もプチ・ブルとして平均的な額であった。 警察は拷問に次ぐ拷問を加えた。 ジョルジュは吐いた。 しかし、奪った金をどこに隠したかを追及しても、ジョルジュは全額を、イタリー語で鎌(かま)を意味するフォルセという国際極右政治団体に献金した、犯行資金を出してくれたのもフォルセだった、と主張した。 ジョルジュはまた、共犯数名の名をしゃべったが、捜査官が踏みこんでみると、それらの者はすべて国外逃亡済みであった。 捜査の的は、南ヨーロッパから追放された極右の活動家を支援する秘密国際組織で本部は北イタリーのトリノにある、とジョルジュが言うフォルセの存在を突きとめることに絞られた。 だが、イタリー、スペイン、ポルトガル、フランスの各治安警察は、そのような名の組織は現像しないことを確認した。 そのジョルジュは、カンヌ地方裁判所の、日本で言えば検事に当る予審判事の取調べ室で尋問を受けている時、予審判事を縛りあげて窓から脱走した。窓の外にはホンダやスズキやヤマハの一リッター・クラスの高性能モーターサイクルが待機していた。 その後、ジョルジュは地下にもぐった。 予審判事はジョルジュの脱走に手を貸したのではないかと疑われた。取調べの際はジョルジュの手錠を外し、警護の警官は室内に入れなかった点が疑惑を深めた。 その予審判事はジョルジュが脱走してから一週間後に暴走車に体当たりされて即死した。暴走車は数時間後に路上に放置されているのを発見されたが盗難車と分った。 それが、いまから三年前のことであった。 (つづく)
2021年05月01日
Plains Bison in Heavy SnowPhoto by Alex Raynor 大藪作品『傭兵たちの挽歌』U.S. GERBER Folding Sportsman II 用スキャバード製作企画角川文庫版・徳間文庫版『後編』巻末 解説 解説(角川文庫版『傭兵たちの挽歌』後編 昭和五十五年十一月十日 初版) 『黒豹の鎮魂歌』第三部冒頭に、新城彰が山に登るシーンがある。 大東会会長の朴を倒し、次の標的である保守党副総裁・薮川を狙うまでの束の間の休息シー ンだ。ゴム・パチンコ、防水マッチ、大型折畳みナイフなどを猟用チョッキのポケットに突っ 込み、灌木をへし折りながら強引に登っていく。キジをとらえ、イノシシを獲り、谷川で内臓 をよく洗い、焼いて食べる。これらの行為は日課のトレーニングとしてさり気なく書かれるだ けで何の説明もない。 このシーンが好きだ。(中略)キジの丸焼きをむさぼり喰い、タバコをゆっくりと吸ってか ら立ち上がり、山の奥に奥にと進み、二十キロほど登ったり降りたりするこのシーンがたとえ ようもなく好きなのは、普段見えにくい大藪春彦の描く男たちの核がむき出しに迫ってくるか らだと思う。生命の噴出とでも言ったらいいのだろうか、抑えつけていると爆発しそうな強靭 な肉体がここにはある。 もちろん他の作品にも主人公がイノシシや鹿を獲り、谷川で解体して喰うシーンはいくつも ある。山に潜み、ナイフひとつで生きのびる設定も少なくない。従って『黒豹の鎮魂歌』だけ が特殊なのではない。ただ戦闘の途中のサヴァイバルは多くても、休息中のサヴァイバル・ト レーニングは意外に少ない。『蘇える金狼』における朝倉のジム通いはこちらに近いかもしれ ないが、そうした設定がむき出しの印象を与えるのも当然だろう。強靭な肉体がむき出しに 迫ってくる。 これが実に見えにくい。なぜなら大藪春彦の小説は面白すぎるからだ。なぜ面白すぎるか。 第一にムダな心理描写がない。そして行動を簡潔に描写するからテンポがいい。第二に活劇の ディティールが克明であり、臨場感にすぐれている。第三に主人公にためらいがない。迷わず 一直線に進むから目が離せない。 従って表層に目を奪われやすい。たとえば『長く熱い復讐』で、鷲尾は肉汁したたるステー キを喰うシーンがある。その直前は、関東会のチンピラを牛刀で手際よく解体するシーンだ。 解体の過程を克明に、簡潔に描写するので生々しい。その直後のステーキとくるから、思わず ドキッとする。表層に目を奪われているとこういうことになる。 『長く熱い復讐』の鷲尾も、『黒豹の鎮魂歌』の新城も、同じタイプの男である。プロフェ ッショナルと言ってもいい。真の肉体を持った男たちだ。『破壊指令No1』『偽装諜報員』の 矢吹貴を加えてもいい。矢吹はこれまた見えにくいが、根はひとつだ。エア・ウェイ・ハン ター・シリーズの西条秀夫を入れてもいい。矢吹と西条は、新城や鷲尾のような復讐者ではな い。厳密には違うタイプの男だろう。 だが『ウィンチェスターM70』の登川のように「これまでにも、何度かもう駄目だと思いか けたことはあった。だけど、俺はいつもそのたびに、俺のずるがしこい全知力と、銃にたよっ て、生きのびてきたんだ。あんたのように、権力をバックにして、給料をもらって働いてきた 人間とは出来が違うんだ」というセリフを吐かないだけの違いで、根はひとつなのではあるま いか。無言で窮地を脱していくから見えにくいが、己の知力と銃だけによって局面を打開して いく、という点では同じなのである。 『絶望の挑戦者』の武田進は復讐者だが、目の前で妻子が殺され、発狂したように絶叫する が、頭の隅にわずかな冷静さを保ち続ける。己の手で局面を打開しなければならないからだ。 そう、たよれるのは自分の知力と銃だけ 己の肉体だけだ。この一点に立って大藪春彦 の諸作品を振り返るとき、『野獣死すべし』の伊達邦彦を原型として、たとえ現れる形は違っ ても、彼の描く男は常に一人なのではあるまいかとの想いが強い。 そして大藪春彦の描くそうした強靭な肉体は正解だ、といま言い切れる気がする。なぜなら 活劇小説の核はストーリーでも舞台でもなく、ましてやプロットの展開でもなく、主人公の肉 体にこそあるのだから。 大藪春彦の小説には食事のシーンが多い。男たちは信じられないほどの量を喰う。だが喰わ ないシーンも多い。戦闘前にたらふく喰うと、撃たれたとき腹膜炎になるからだという。そう して、じっと我慢しているシーンが好きだ。あるいは、かくれていたタンスから出てきて、た まっていたものを一気に放尿するシーンもいい。脱糞だってきちんとする。銃器の試射もよく 出てくる。こちらは車の描写と並べて、物への偏愛と受け取られやすいが、それは技術、テク ニックへの信頼と解釈すべきだろう。 そうしたもろもろのシーンの積み重ねが、主人公の肉体をつくっていく。それは、主人公の 生活をすべて赤裸々に描くことでリアリティを持ち得るとの意味ではない。生き残るための肉 体 その強靭さの希求という一点に収束される。『黒豹の鎮魂歌』第三部冒頭のシーンが 好きなのは、そういうことだ。『蘇える金狼』が印象に残るのも同じ理由で、肉体がむき出し にあるやつがいい。 まず肉体を描くこと これこそが活劇小説唯一のテーマだ、と言っていいかもしれない。 その他の部分はもろもろの附随物であり、道具立てをすべて取り去ったとき最後に残るのは、 主人公の張りつめたような肉体だ。二流の活劇小説は附随物を取り払うと何も残らない。大藪 春彦が巨峰としてそびえているのは、デビューから二十余年、そうした強靭な肉体を書き続け ているからだ、と思う。己の肉体を見失い、懐疑と躊躇の時代に生きるぼくらにとって、これ は驚異的なことだ。 『傭兵たちの挽歌』は野性時代七八年十月号に一挙掲載され、その後加筆されて刊行された 長編である。『復讐の弾道』『絶望の挑戦者』『黒豹の鎮魂歌』などと同系列の復讐物語だ。 この作品を書くために作者はロッキー山脈をはじめとする取材旅行に出かけ、さらには資料 を五百キロ買い込んだという。従って奥が深い。ストーリーはとても要約できないし、また要 約しても意味はない。構成だけ触れる。 主人公の片山健一はまず組織の傭兵として登場する。前半は、回想を插入しながらプロの戦 士の死闘が展開される。この回想は象徴的で、後半の私的復讐行を支えている。どういうこと か。 この作品にも『黒豹の鎮魂歌』と同じく、強靭な肉体をさすさまざまなシーンがある。銃の 試射は延々と続き、バッファロー、グリズリー、キャリブーを獲るシーンもある。大小便もき ちんとする。その点ではいつもと変わらない。この作品を際立たせているのは、前半に插入さ れた回想で、どうやってその強靭な肉体が培われてきたか、幼年時代からのエピソードで提出 し、その奇跡を描写している点だ。いわば水面下に埋もれている復讐者の前半生を描くこと で、強靭な肉体者の一生が活写される。 休息中のサヴァイバル・トレーニングどころではない。そこにあるのは、男の一生という長 い射程におけるサヴァイバルなのだ。完成度はもちろんのことだが、その意味でもこの作品は 復讐物語の集大成といっていい。 いやもっとハッキリ言ったほうがいい。『傭兵たちの挽歌』は肉体の強靭さにおいて日本の 活劇小説がたどりついたひとつの頂なのではないか。 それにしても『傭兵たちの挽歌』とは含みを持ったタイトルだ。アフリカの傭兵たちの挽歌 なのか、それとも傭兵であった片山の挽歌なのか、いずれにも解釈できる。だが「俺は確か に、人間の形はしているが、人間ではないのかも知れぬ。俺は死神だ」との片山のセリフにぶ つかると、強靭な肉体者の挽歌なのかもしれないという気がしてくる。 誰もが己の肉体を見失い、懐疑と躊躇にとらえられた時代にあって、強靭な肉体者はついに 死神としてしか生きられないという皮肉 その孤独な叫びが聞こえてきそうだ。全編を漂う 哀切感 特にクライマクスのロッキー山脈の描写には身をちぎられそうだ がそうした 想いにいっそう拍車をかける。 大藪春彦の物語はこのままでは終らない。どこかに突き抜ける。どこに突き抜けるかはもう しばらく待たねばならない。 北上 次郎 解説 菊池 仁 (徳間文庫 1989年 4月15日 初刷) 新潮社が新しく設けた「日本推理サスペンス大賞」の第一回受賞作、乃南アサ『幸福な朝 食』を読んでいたら、巻末の選評で佐野洋氏が次のようなことを書いていた。 『四候補作に共通して言えるのは、文章がいい加減だということである。私は、これまでに同 じような賞の選考委員を、何度かつとめているが、文章に関する限り、今回が一番ひどかっ た。応募者は、テレビ局がドラマの原作に求めるための賞という先入観から、文章などどうで もいいと考えたのだろうか。 しかし、選考にはテレビ関係者は一切タッチしていないし、選考委員たちは、映像化につい ての顧慮をしないで選考に当っている。第二回以降に応募される方は、そのことを頭に置い て、「小説」を書いていただきたい。』 まったく同感で思わず拍手をしてしまった。もちろん、選者の立場にあるわけではないから 他の候補作を読んだわけではない。しかし、最近の新人の作品に接するたびにアイデアだけは いいのだが、文章のひどさには辟易(へきえき)させられていた。「文体が死にかけている」 といった大げさな感想をもたざるをえないような情況にある。 そんな思いをだきながら久しぶりに本書の解説のために何冊か大藪春彦を読んでみた。そし て、あらためてこの作家の凄(すご)さを再認識した。 例えば本書の中に主人公片山健一がスイスとイタリアの国境近くの村はずれにある射撃場に 寄ってM十六A一自動ライフルを試射する場面がある。 『三つ揃いをリー・オーヴァーオール・ジャケットの作業服とリーヴァイス五〇一のジーパン に替え、まず二百メーター射程の射座の一つについた。監的壕(かんてきごう)に入った管理 人が標的を上げる。白い枠のなかの黒円がある普通のターゲット紙とちがって、黒円は上半分 だけが下側の半円は白に黒い点圏線が入った実戦用のものだ。 片山はM十六A一自動ライフルの三角形の支柱についた棒状のポスト照星と、携帯ハンドル の上についた孔照門をマッチで炙(あぶ)って黒い煤(すす)をつけた。反射を防ぎ、照準を 出来るだけ楽に正確にするためだ。 連射時に高熱を帯びる銃身からたち昇るカゲロウで照準がぼやけるのを少しも防ぐために高 い位置につけられたM十六などの現代的突撃自動ライフルの照準器は、一般のスポーツ銃を見 慣れた目には奇異に映るだろう。』 といった調子の文章なのだが、なんとこれが延々四ページ近くも続くのである。人物描写や 情景描写も満足にできない最近の荒けずりな作品にどっぷりつかっていると、この濃密さが心 地よい。 私は本書の中でこの場面がもっとも好きである。もちろん、この場面のもつ意味は大藪作品 の批評では必ず登場するように作者固有のものであり、これが“大藪春彦の世界”なのである。 ただ、この場面が好きだといった理由にはもう少し別の要素がある。前々から気になっていた のだが、今回読み直してみてあらためてそうだったのかと合点がいった。 どういうことかというと、この表現はいまひとつなのだが、現在、作者がめざそうとしてい るのは “整備小説” への移行なのではないか、ということなのである。例えば代表作である 『汚れた英雄』はレースに勝つことだけに絞り込んだ北野晶夫の短い人生が描かれている。 性、暴力といった装飾物がストーリーをにぎやかにしてはいるが、究極にあるのはマシーンと 一体感をもてるかどうかなのである。だからこそマシーンの描写は凄(すさ)まじい分量とな る。しかし、ここでは作者はまだ “整備” についてさほど関心を払っていない。 ところが、『蘇える金狼』(徳間文庫所収)あたりからこの “整備” への関心が見えはじめ る。 『朝倉は拳銃の銃把から弾倉を抜いた。弾倉に九発つまった二十二口径の小さな弾を全部抜き 出して弾倉がグラグラしていないかを調べる。二十二口径の柔らかい鉛の弾頭とこれも柔らか い薬莢は、少し乱暴に扱うと密着性を失い、隙間から湿気が入って不発を起こしやすいから だ。九発の弾は、レミントン・ハイ・スピードの新鮮な弾であった。朝倉はそれらを弾倉に詰 め直し、拳銃の遊底を引いてみる。 薬室の弾は、弾頭がゆるんでいた。朝倉はその不良弾を嚙んでおいて、薬莢から捩いた。歯 型がくいこんで、魚釣りのオモリのようになった鉛の弾頭をポケットにおさめ、朝倉は薬莢の 火薬を捨てる。』 といった具合だ。この作品で作者は主人公朝倉哲也の心理を「強烈な破壊力を秘めた銃器、 圧倒的に早い車、それらは力のシンボルであり、力への憧憬だ。しかしそれだけのことではな い。素晴しいメカニズム、精巧な機械は現代の宗教なのだ」と述べているが、この後の作品は ほぼこの構図の中で描かれる。 さらに「ハードボイルドはストイシズムの美学だ。耐えて耐えぬいたものが行動となって爆 発し、再び “静” の世界に戻っていく美しさだ」と作者は語っているが、これを裏付けるよう に、初期作品の『みな殺しの歌』『凶銃ワルサーP38』(徳間文庫所収)はともかくとして も、四十四年に発表された『絶望の挑戦者』あたりから、主人公の多くは復讐(ふくしゅう) 者としての境遇を与えられる。 つまり、復讐を起爆装置として、それを成し遂げるためにストイックな行動原理がすべてを 支配する主人公の登場である。復讐の怨念(おんねん)を極限まで燃やし、相手を突き抜ける までのプロセスが密度の濃い文体で描かれる。この間でもうひとつ注目しなければならないの は濃密な描写の対象に “自然” が加わってきたことだろう。 実はこれらの特徴をもっともよく表わしたのが一九七八年に発表された本書なのである。そ の意味でいくと本書は大藪作品の到達点を示すと同時に、変化の予兆を見せた作品ともいえ る。 要するに、自らの怨念を極限まで燃やし相手を倒すために主人公は機械や自然と一体とな る。一体となるために黙々と銃器を整備する。撃って倒す行為よりも、作者はこの黙々と整備 する主人公の行為に関心を示す。随所に登場するハンティングも同様の位相にある。作者がこ の整備する行為を純粋培養していく構えを見せた初めての作品といえる。 本書でのもうひとつの見せ場は後半に延々と続くロッキー越えである。ここで展開するエレ ーンとの生活には、激しい銃撃戦やセックスシーンの連続が特徴とされてきた作者の作品とは っきり一線を画す何かが生まれようとしているのではないかと感じた。 その意味でいけば、本書は作者の今後を占う意味では最も重要な位置づけをもった作品とい えよう。 エピローグが象徴的だ。 『朦朧としながら夢を見ていた。死と生の魔境を魂は彷徨いながら、夢を見ていた。 暖かい暖炉の火が燃える家で、全身に喜びを現した晶子と亜蘭(あらん)と理図(りず)が、久 ぶりに帰宅した片山に両手を差しのべてくれている。 三人に抱(いだ)かれて、闘いに疲れきった片山は、そのまま眠りにつきたかった。甘美な 眠りに落ちこみたかった。 その時、エレーンが夢に出てきた。エレーンは片山を支え起し、エルクやムースやグラウ ス、それにマスや鴨(かも)に満ちた林や川に早く帰ろうと片山の手を引く。』 哀切きわまりないロッキー越えという自然回帰のドラマが次に用意されていたこのエピロー グこそ来たるべき新しい作品世界を予感させるものである。エレーンが夢に出てきてロッキー へ誘う場面はその象徴である。 『もともと僕の小説世界には、エンターティメントにもかかわらず、ストイックな性格のヒー ローが少なくなかった。 無論、そのストイシズムは、ただ耐えに耐えるというものではなく、忍耐が限度に来た時に は爆発的な暴力として炸裂し、再び “静” の世界に戻っていったが・・・・・・。 僕がその戦闘的ストイシズム哲学ともいうべきものを大きく反映させたヒーローに、「傭兵 たちの挽歌」の片山健一がいたが、この「ヘッド・ハンター」のヒーローの杉田淳ともなる と、人間であることの世界を突き抜けてしまったような感じもある』。 作者は一九八一年に発表された『ヘッド・ハンター』のあとがきでそう記しているが、大藪 作品は新しい世界に足を踏み入れつつあるのだ。 一九八九年三月
2021年04月24日
Mount MackenziePhoto by Harry 大藪作品『傭兵たちの挽歌』U.S. GERBER Folding Sportsman II 用スキャバード製作企画第七章「煉獄の戦士」Vol.13 ~ エピローグ 『(※前回からのつづき) 片山がクリー・インディアンのスカウトの別の一組に発見されたのは、それから五日後、夜 の吹雪をついて前進し、マッケンジー山脈中のメディシン連山に十マイルほどに迫った時で あった。 まだ未明であった。吹雪が突然やんで月が出たために、湿地の脇の林に馬をつなぎ、鞍(く ら)を降ろしながら、片山は念のために、背負っていた無線機のアンテナをのばし、スウィッ チを入れてみた。ヴォリュームは極度に絞ってある。その無線機から、 「・・・・・・あやしい足跡(トラックス)を発見・・・・・・三頭の馬の足跡が本部のほうに向かってい る。蹄鉄(ていてつ)の刻印が我々のものとちがう。聞こえているか、DR〇〇一・・・・・・オー ヴァー」 と、訛(なま)りが強い興奮した声が流れてきたのだ。 「こちらDR〇〇一・・・・・・感度良好・・・・・・現在位置を教えろ、SC二七・・・・・・オーヴァー」 司令室の声も興奮していた。 「デルタ二四とロメオ三二が交わるあたりだ・・・・・・現在高地に移って、双眼鏡で奴を見てい る!・・・・・・確かに我々の仲間とちがう・・・・・・侵入者だ・・・・・・馬を三頭つないでいる・・・・・・奴の 位置は、デルタ二四とロメオ三一のあたりだ・・・・・・ここからの距離は約五百ヤード・・・・・・狙撃 の許可を求める、オーヴァー」 「この暗さで五百ヤードの距離があるとすれば命中は期待できない。三百以内に忍び寄ってか ら射て。出来たら、脚か腹を射って生捕りにするんだ。雪上車も出動させる。うまくやれよ、 オーヴァー」 「了解、オーヴァー」 スカウトは交信を切った。司令室は、雪上車やほかのスカウトたちに呼びかけている。 片山は無論、そのあいだ茫然(ぼうぜん)と立ちすくんでいたわけでなかった。無線機を倒 木の上に置くと、腰に二本のM十六用の弾倉帯を捲き、八ミリ・レミントン・マグナムの実包 を差した二本のズック製弾倉帯(バンダーリア)をタスキ掛けにする。左肩からM十六を吊る す。そうしながらも、薄闇(うすやみ)のなかをインディアン・スカウトの姿を捜す。 狼(おおかみ)よりも夜目が利(き)く片山は、北側の丘を体を低くして降りてくる二人の インディアン・スカウトを認めた。 鞍につけたライフル・スキャバードからレミントンM七〇〇のマグナム・ライフルを抜く。 そっと遊底を操作して弾倉の上端の実包を薬室に移しながら、倒木に左肘(ひじ)をレストさ せて片膝(かたひざ)をつき、七倍のライフル・スコープでスカウトの一人の胸を狙った。距 離は約四百五十ヤードになっていた。 この銃のサイトは、五百ヤードに合わせてあるが、この寒さでは弾速が下がるから、そのま ま射つ。 八ミリ・レミントン・マグナムの轟音(ごうおん)も雪中ではあんまりひどくなかった。命 中弾をくらった男は顔面から岩に突っこんで転げ落ちはじめた。 もう一人の男はM十四を乱射し始めたところを、片山が放った第二弾に顔面を吹っ飛ばされ た。 片山はライフルに安全装置を掛けて、弾倉に二発補弾した。無線機のヴォリュームをあげ る。 「どうしたSC一二? SC一五から銃声が二発聞えたという報告が入ったが、オーヴァー」 司令室の声が苛立(いらだ)った。 こうなったら射って射って射ちまくるだけだ。ダヴィドにあと十数マイルに迫ったところで こういう羽目におちいらせた運命の神(かみ)を呪うが、体のほうは自動的に動いて、降ろし かけていた鞍のラティーゴ(タイ・ストラップ)や腹帯を強く締め直す。 三頭の馬を立木につないでいた引綱を外す。愛馬の鞍のスキャバードにマグナム・ライフル を突っこむと、左手は無線機と手綱を持ち、強く両脚で愛馬の腹を蹴(け)った。 雪を蹴たてて、愛馬は走りはじめた。二頭の荷馬がついてくる。 片山がさっき通った湿地の向うに、敵を待伏せて射ちあいを行うのに好都合の丘があった。 片山はその丘に向けて馬を走らせる。再びヴォリュームを絞った無線機からは、苛立った司令 室の声と、さまざまな声が交信している。 二マイルほど戻ったところにある丘は灌木(かんぼく)とキャリブー苔(ごけ)と巨岩だら けであった。片山は高さ二百メーターほどのその丘を、巨岩のあいだを縫(ぬ)って一気に馬 を駆け登らせた。 丘の上には、さまざまな高さの巨岩がいたるところに転がっている。巨岩の一つの高さは五 メーターほど、広さは百五十平方メーターほどで、地面とのあいだのところどころに空洞があ る。片山は愛馬から鞍を降ろして巨岩のあいだに置き、愛馬と二頭の荷馬を灌木の茂みのなか に連れていって、 「レイ・ダウン!」 と、伏せているように命じた。荷馬の一つから弾薬箱を外して、鞍を置いてあるところに戻 る。無線機で敵の司令や報告を聞く。 夜が薄く明けかけてきた。まず二十台の大型雪上車と三十台のスノー・モービルが、片山の 馬たちの足跡を追ってきた。片山は目を保護するためと、薄明かりでもはっきり見えるよう に、カリクローム・イエローの強化焼入れレンズのシューティング・グラスを掛ける。 片山はそれらが千ヤードのあたりまで近づいた時に八ミリ・レミントンの狙撃を開始した。 敵は重機関銃やロケット砲で反撃してきたが、銃弾や砲弾は巨岩にはばまれて片山に重傷を 与えることが出来ない。 片山のほうは約二百発の八ミリ・レミントン・マグナム弾で、襲ってきた大型雪上車やス ノー・モービルの連中を全滅させた。二十分とかからなかった。 今度はヘリの大群が来襲してくる。ミニガンから七・六二ミリ弾をバラまいていた。ミニガ ンは、六連装の銃身をモーターや油圧で高回転しながら弾倉の実包を恐ろしいスピードで射ち だすバルカン砲を、口径七・六二ミリ・ナトー弾のライフル実包用に縮小したようなもので、 物凄(ものすご)い回転速度で大量の銃弾を連射してくる。 片山は巨岩の下の空洞に隠れる。ヘリは小型爆弾を投下しはじめた。爆発で飛び散る鋭い岩 片が片山の体にくいこんで血まみれにさせる。防弾チョッキをつけてなかったら死んでいたか もしれない。 その時であった。物凄い金属音と共に、キャナダ空軍のマークと米空軍のマークをつけた ジェット戦闘機隊約五十機が、片山や敵のヘリの上空を低く飛び、メディシン連山に向けて 突っこんでいく。 片山を攻撃していたヘリの群れは、メディシン連山側を避けて逃げはじめた。 岩陰から這い出た片山は上着の内側から、奇跡的に破壊されてなかったライツ・トリノ ヴィッドの双眼鏡を取出し、立ち上るとジェット戦闘機隊をレンズで追う。 急旋回して、メディシン連山に真っこうから向いあったキャナダ軍と米軍の戦闘機の編隊の 最前列の十機ほどが、翼下のミサイルを発射して急上昇する。山を避けて宙返りする。 ミサイルは、原子炉があるらしい洞窟のなかに吸いこまれた。 ミサイルは核弾頭を使っていた。凄(すさ)まじい爆発の閃光(せんこう)がその洞窟(どうく つ)から外に漏れ、メディシン連山が揺らぎ崩れる感じであった。片山はあわてて、イエロー ・レンズのシューティング・グラスをグリーンのレンズのものに替える。 ジェット・ファイターの第二陣は中性子爆弾研究開発所に核ミサイルを射ちこんだ。第三陣 は作戦本部、第四陣はインディアン・スカウトや戦闘部隊員の居住区、第五陣は雪上車輛庫や 厩舎(きゅうしゃ)に、それぞれの核弾頭付きのミサイルを射ちこみ急上昇しては宙返りする。 メディシン連山は直下型の大地震を受けたように崩れ去った。土埃(つちぼこり)のヴェー ルとキノコ雲が上昇していく。 地鳴りのせいで片山にはほかの音が聞えなくなった。物凄い振動が伝わってきて立っている ことも困難になった片山は、転がる丘の巨岩に直撃されるのを避けて這いまわる。それでもマ グナム・ライフルは手放さなかった。 ジェット・ファイターは、グルズリー・パウ湖の上空で編隊を立て直し、片山がいる丘の上 空に向けて飛来してくる。空軍基地に戻るのであろう。 その時、メディシン連山の東側のマッケンジー山脈にある標高四千メーター級の高山、イン ディアン・チーフの頂上近くから、ピカッと何か光ったように見えた。 ジェット・ファイターの編隊が片山の前方一マイルぐらいに近づいた時、インディアン・ チーフの山頂のほうから、一条の光線のように銀色のミサイルが飛んできた。 そいつは編隊の真ん中近くで爆発した。 形容しがたい閃光で、グリーンのシューティング・グラスを掛けてなかったら、しばらくの あいだ盲目になったことであろう。爆風に片山はよろめく。 爆心の三十機近くがバラバラになった。あとの二十機近くが狂ったように急上昇して錐揉 (きりも)みしては急下降する途中で分解したり、酔っ払ったように蛇行(だこう)して墜落 したりする。片山がいる丘に三機が突っこみ、爆発の破片が片山のほうまで飛んでくる。パイ ロットの肉片も降り落ちる。 インディアン・チーフ山脈から発射された誘導ミサイルの弾頭は、赤い軍団が開発した中性 子爆弾にちがいない。 ミサイル発射の指令を出した以上、ダヴィド・ハイラルはまだ生きている可能性がある。も しかして、キャナダ空軍と合衆国空軍が襲来する情報を事前にキャッチしていたとすれば、イ ンディアン・チーフ山頂にあると思われるミサイル発射装置のコントロール・ルームに移って いたのかもしれない。 そして片山は、中性子線と放射能を全身に浴びたにちがいない。今は影響が無いように見え ても、時間がたつにつれて、被害の実体がはっきり全身に出てくることであろう。 地鳴りや天地の揺れはおさまっていた。無線機は岩に叩かれてもう役にたたなくなってい た。片山は自分の馬を捜しに行く。 三頭とも死んでいた。転がり落ちた巨岩の打撃で死んだものもいるし、ショック死している 馬もいる。 片山はこの丘でダヴィドを待つことにした。もしダヴィドが生きていたら、自分の野望を打 ち叩く原因になった片山の死体に唾(つば)を吐きかけに来る筈だ、という確信のような予感 が片山にあった。それにダヴィドは、基地を破壊したジェット・ファイターの機骸にも小便を 引っかけたいことだろう。 片山はいまいる丘の、インディアン・チーフ・マウンテンに向っている中腹に、落ちてきた 大岩の群れとエヴァーグリーンの這い松(ドワーフ・ジュニパー)の灌木が、上空からも曠野 からも丘の上からも見つかりにくい絶好のシェルターを作っているところを見つけた。 そこに、武器弾薬と、馬の死体から外してきた寝具と食料とスポッティング・スコープを運 ぶ。食料が尽きたら、馬を食い、固雪をかじって過ごすのだ。 シェルターのあいだのキャリブー苔の上で、捲いたキャリブーの毛皮を枕(まくら)にし、 スリーピング・バッグとキャリブーとバイソンの毛皮にくるまり、インディアン・スカウトか ら奪ったウルヴェリンの帽子で顔を覆った片山は、マグナム・ライフルを抱いていた。 ウルヴェリンの帽子にはキャリブーの腱糸を二本通し、それを引っぱると目のあたりだけを 開いたり閉じたり出来るようにする。 その片山の上に、また激しい雪が降り続きはじめた。 まるで、バイソンとウルヴェリンの死体に雪が積もっているようになる。無気味なその形 は、死体そのもののように動かない。 偵察ヘリが、何度か飛んできた。ウルヴェリンの帽子を腱糸を使ってそっと動かしてから目 を開いてみると、放射能よけのヘルメット付きマスクをかぶったパイロットの姿がよく見え る。だが、ヘリは雪に埋もれて自然の一部のようになっている片山に気付かずに飛び去った。 昼近くに降雪はやんだ。 スノー・モービル数台の二(ツー)サイクル独特のけたたましい排気音が、遠くインディア ン・チーフ山のほうから聞えてきた時、死んだように動かなかった片山は寝具から這い出た。 嚙みタバコを口に放りこむ。 極寒の冷気に触れてたちまち外側が曇るライフル・スコープのレンズをシリコーン・クロー スで拭い、白い防水タープを掛けてあった荷物のなかから、八ミリ・レミントン・マグナム実 包の弾薬帯(バンダーリア)を二本取出してタスキ掛けにし、頭にウルヴェリンの帽子をかぶ る。岩の隙間(すきま)から双眼鏡を使って覗(のぞ)いてみると、三台のスノー・モービル が雪煙をあげてこっちにやってくるのが見えた。 三人とも黄色い放射能防禦(ぼうぎょ)服をつけ、その服とつながった放射能よけのヘルメッ ト付きマスクをつけていた。マスクとチューブでつながったボンベを背負っている。 スポッティング・スコープに替えた片山は、真ん中の男がダヴィド・ハイラルらしいと知っ て、思わず雄(お)たけびをあげそうになった。 写真で知っているダヴィド・ハイラルは浅黒く秀麗な男であった。頭はかなり禿(は)げあ がっているが上品な銀髪で、目には沈痛な趣きがある。 今は放射能よけのヘルメットとマスクのせいで顔の一部しか見えなかったが、特徴ある目は まさにダヴィドのものだ。 三台のスノー・モービルは、ジェット戦闘機の残骸のあいだを走りまわっていたが、ついに 片山から三百ヤードの距離まで来た。 嚙みタバコを吐きだした片山は膝射(ニーリング)のスタンスをとり、五百に合わせてある サイトと三百の差、それと寒さとスノー・モービルのスピードを計算に入れ、自動銃のような 早さでボルト・アクションのマグナム・ライフルを続けざまに三発ブッ放した。 二発はダヴィドの左右の男の首を文字通り切断した。三百ヤードの中距離では八ミリ・レミ ン・マグナムの威力は凄まじい。 あと一発は、ダヴィドの右肩を粉砕した。ショックで放りだされたダヴィドから、主(ぬし) を失ったスノー・モービルが勝手に逃げ、岩に激突して仰向けに引っくり返る。エンジンがと まった。 二つの死体のものであったスノー・モービルも横転してエンジンの息をとめていた。 マグナム・ライフルの弾倉に補弾した片山は、血も凍るような雄たけびをあげて丘を走り降 りた。 ダヴィドは雪にもぐりこみそうになってもがきながらも、左手で右腰の拳銃を抜こうとして いた。 片山のマグナム・ライフルがまた吠(ほ)え、ダヴィドの左手首は吹っ飛ばされた。 膝(ひざ)まで雪にもぐりこみながらダヴィドの前に立った片山は、身をかがめ、ダヴィド の左手首の上を革紐(かわひも)で強く縛ってから、マスクを脱がせようとした。 「やめろ! やめてくれ! 十億ドル出すから・・・・・・放射能に顔をさらしたくない!」 ダヴィドは、マスクに内蔵されているマイクを通じて、パニック状態におちいった者特有の 金切声をあげた。 「ふざけるな」 片山はマスクとヘルメットを、防禦服から強引に引き千切って捨てる。 「死にたくない! 助けてくれ、ケン。これからは手を組んで一緒に事業をやろう。好きなだ け儲(もう)けさせてやるから」 雪に血を染めながら、ダヴィドはわめいた。沈痛な眼差しなどどこかに消え、発狂寸前の表 情だ。 「貴様は俺の女房と子供たちを殺させた」 「あ、あれは偶然だったんだ・・・・・・事故だったんだ・・・・・・捲きこまれたあんたの家族には同情 する・・・・・・本当だ・・・・・・あんたに、賠償金を一億ドル払う。スウィスの銀行まで連れていって くれたら、現金で支払う! 助けてくれ!」 ダヴィドは泣き声を立てた。 その時、ダヴィドの救いを求める目の動きがとまった。片山は振りかえる。ベル・ヒューイ コブラのヘリが近づいてきているのを見る。片山はダヴィドを、近くに落ちているジェット・ ファイターの残骸の陰に引きずり込んだ。 近づいてきた武装(チョッパー)ヘリは、ダヴィドも殺してしまうのを怖れて、なかなか発 砲しなかった。片山はボルト・アクションのライフルを自動銃のような早さで連射する。ロー タリー・ブレードをやられたチョッパーは、バルカン砲を出鱈目(でたらめ)に吐き散らしな がら墜落し、炎に包まれる。 爆発した機体の破片や乗員の肉片が片山の近くまで飛んでくる。 それを横目で見ながら片山は、 「女房と息子と娘の命は金では買えない。貴様をなぶり殺しにしてやる」 と、激情に全身を震わせた。 「やめろ・・・・・・やめてくれ・・・・・・あんたは悪霊の化身だ!」 「その言葉は貴様に返してやる。貴様、キャナダの皇帝になろうなんて気違いじみた考えに、 どうしてとりつかれたんだ?」 「私はユダヤ人だ。母親がユダヤ人でユダヤ教徒なら、父親が何国人でもユダヤ人だ。ユダヤ 人が頼れるのは金(かね)しかない。イスラエルだって、いつアラブに倒されるか分ったもので はない。だから私は、新しいキャナダをユダヤ人が安住出来る帝国に作り変えたかったんだ」 「もっともらしいことを言うなよ。新帝国の皇帝として好き勝手なことをやりたかったんだろ う?」 片山は吐きだすように言った。 「認める。私は昔から権力に憧(あこが)れていた。自分の意思次第で何百万、何千万、何億 という馬鹿どもを自由に動かせるなんて、男として最高だ・・・・・・俺は合衆国の政財界を動かし ているユダヤ系の実力者たちを買収してあったのに・・・・・・畜生、奴等は怖くなって俺を裏切り やがった・・・・・・ここに案内してやった連中がしゃべりやがったんだ!」 ダヴィドは叫んだ。 「貴様の悪夢はもう終りだ。これから、晶子と亜蘭(あらん)と理図(りず)に代わって、貴 様の処刑をはじめる」 片山はガーバーのブーツ・ナイフを抜いた。ダヴィドの放射能防禦服を切裂き、下につけて いるものも切裂いて素っ裸にする。 ダヴィドはシミだらけの体を、恐怖と寒さのためにマラリアの発作時のように震わせた。 「これは晶子の分だ」 片山はダヴィドの右の眼球を抉(えぐ)り取って捨てた。絶叫を上げてダヴィドは脱糞した。 「これは亜蘭(あらん)の分だ」 片山はダヴィドの鼻を削(そ)いだ。 「これは理図(りず)の分だ」 片山はダヴィドの腹を裂いた。ハラワタを摑(つか)み出してダヴィドに見せてやる。絶叫 を放ち続けていたダヴィドは失神した。 片山はダヴィドの割礼がほどこされた男根を、樹脂(ピッチ)の塊りに火をつけたもので 焦(こ)がして意識を取戻させた。 「そして、これが俺の恨みの分だ」 片山はダヴィドの焦げた男根を切断して、悲鳴をあげる口に突っこんでやる。 エピローグ 積雪で腿(もも)まで埋まり、数えきれぬほどの転倒で雪だるまのようになりながら、片山 は南へ南へと歩き続けていた。 中性子線に体を貫かれた影響はすでにはっきりと片山に現れていた。皮膚はただれ、意識は かすれ、内臓から突き刺してくる全身の痛みは苦痛を通りこして、ただただけだるい。意志の 力だけが片山を支えているように見えた。 雪に隠れていた岩に躓(つまず)いて、また片山は倒れた。 雪に顔を埋めて目を閉じる。 朦朧(もうろう)としながら夢を見ていた。死と生の魔境を魂は彷徨(さまよ)いながら、 夢を見ていた。 暖かい暖炉の火が燃える家で、全身に喜びを現した晶子と亜蘭(あらん)と理図(りず)が、 久しぶりに帰宅した片山に両手を差しのべてくれている。 三人に抱(いだ)かれて、闘いに疲れきった片山は、そのまま眠りにつきたかった。甘美な 眠りに落ちこみたかった。 その時、エレーンが夢に出てきた。エレーンは片山を支え起し、エルクやムースやグラウ ス、それにマスや鴨に満ちた林や川に帰ろうと片山の手を引く。 片山はハッと目を開いた。 だが、ちょっとだけでいいから休ませてくれ・・・・・・と血が滲(にじ)む唇で呟くと、また 瞼(まぶた)を閉じる。再び雪が降りはじめ、片山の頭に背に積もっていく。 〈了〉 あとがき 読者の皆さま、僕がこの一年間全身全霊を打ちこんだ、この長い作品を読み終えてくださっ て、まことに有難うございました。これは “野生時代” 一九七八年十月号に発表したものに大 幅に加筆、訂正したものです。 このような作品ですから、さまざまな資料のお世話になりました。有難うございます。その うち特に、G・Iコルトのプッシュ・ロッディングについては、月刊 “GUN”(国際出版)の 国本圭一氏「続・早射ちのすべて」、防弾チョッキにつきましては同誌発表のターク・タカノ 氏の記事、モザンビークの戦いにつきましては “立上る南部アフリカ・2・モザンビークの嵐” (ウィルフレッド・バーチェット著、吉川勇一氏訳、サイマル出版会)を参考にさせてもらい ました。M十六に関してはシスコ在住のイチロー・ナガタ氏、M六〇に関してはタカノ氏、四 輪駆動車に関しては「四×四(フォー・バイ・フォー)マガジンの石川及び原田氏、合衆国の 兵役制度については「片道の青春 −ふっとんだ俺の目と脚− 」(北欧社)を書かれた横内仁司氏 やコロラド州在住のクザン・オダ氏及び彼の友人たちの御協力に感謝します。 なお、カナダとモンタナのロッキーの二か月にわたるビッグ・ゲーム・ハンティングのあ と、この作品を書きはじめたわけですが、息子たちの重病その他の原因で、ともすれば気力が 萎(な)えようとする僕を、さまざまな形で励まし続けて完成に導いてくれた「野生時代」の 見城徹氏、編集部の青木誠一郎並びに佐藤吉之輔の両氏に・・・・・・それに、最後になりましたが 運命の女神と、最も御助力いただいた角川春樹氏に厚くお礼をのべます。 一九七八年十二月 著者 』 『傭兵たちの挽歌』大藪春彦 昭和五十三年十二月二十五日初版発行
2021年04月17日
Curious CaribouPhoto by David Cartier, Sr. 大藪作品『傭兵たちの挽歌』U.S. GERBER Folding Sportsman II 用スキャバード製作企画第七章「煉獄の戦士」Vol.12 『(※前回からのつづき) 氷結した幾つもの河を渡り、馬蹄で割れた氷の下から水が湧き出る幾つかの湿地帯(マス ケッグ)を通った片山は、四日目の午後、天測してみて、赤い軍団の領地に入ったことを知っ た。骨も凍りそうな寒風が雪煙を捲きあげ、馬の汗はタテガミからツララとなって垂れさが る。 まだ敵の姿はなかったが、片山は山間の隘路(あいろ)や山の中腹のケモノ道を択んで馬を 進めた。森林限界線に近いので、巨木は少ない。立ち枯れた白樺やカラ松の樹皮に緑色の苔が のびて、それが新芽のように見える。 鞍に睾丸がすれ、(中略) 片山はありし日の晶子のベッドでの反応を想いだしエレーンを想いだし、交渉があった世界 じゅうの女たちをぼんやり想いだしていたが、突如、ノース・アルタイ山脈にアルガリ・シー プを射ちに行ったモンゴーリアの首都ウラーンバートルのホテルでの一夜を想いだした。 あのホテルに泊っているのはソ連や東欧の観光客がほとんどであった。六十三インチ角のア ルガリ・シープを射獲し、四千メーターの高さの七月の雪の山から二日がかりでウラーンバー トル・ホテルに戻った片山は、大食堂で湧(わ)きたつような生の喜びに包まれ、“カリーン カ” や “モスクワの夜はふけて” などのバンドの演奏と客たちの合唱に合わせ、シベリアの主要 都市ノヴォシビリスクから来た若い絶世の美女ヴェラと強引に踊りまくった。 スローな曲が続くあいだにチーク・ダンスに持ちこみ、片言(かたこと)のロシア語で口説 き続けた。 結局、ヴェラが、友人や引率者の目をかすめて深夜片山の部屋に訪れてきたのは、チューイ ンガムに惹(ひ)かれたせいが多分にあった。 ソ連では現在でもチューンガムは非常に貴重で、特に米国製となると憧(あこが)れの的だ。 ノース・アルタイのモンゴーリアンのハンティング・ガイドへのチップとして持参した残りの フレッシュ・アップ・ガムの大箱一つのプレゼントに大感激したハニー・ブロンドのヴェラ は、夜明け近くまで片山を眠らせなかった。片山はヴェラのように肌(はだ)が白い女を知ら ない・・・・・・。 這い松(ドワーフ・ジュニパー)やホワイト・バーク・パインの背が低い樹々、マウンテン・ オールダー(ヤマハンノキ)、山カエデ、バッファローベリー、ドッグウッド(ハナミズキ)など の灌木(かんぼく)のあいだを通り、河原の近くの岩のあいだの雪上にバイソンの皮を敷いた。 その上にキャリブーの毛皮四枚とスリーピング・バッグを置き、もう一枚のバイソンの毛皮を 置く。 馬から鞍や荷を降ろし、その上を防水タープで覆って石で重しをした。燕麦を少量ずつ与え た馬たちの足をゆるく縛って山に放し、ペミカンと川の氷を割って汲(く)んだ歯にしみる水 を飲み、スリーピング・バッグにもぐりこんで噛みタバコを口に放りこむ。赤い軍団の領地に 入りこんだ以上、火と煙を出すのは、よほどの場合をのぞいて避けた。このあたりでは、凶暴 なグリズリーが冬眠しているのがただ一つの救いだ。 翌朝未明には摂氏でも華氏でも零下四十度にさがり、片山が吐く息がスリーピング・バッグ やバイソンの皮に氷となってへばりつく。その日は、三田村が軍事訓練を受けた演習場の目じ るしらしい、胴がすぼまった臼(うす)のようなテーブル・マウンテンを見た。 それから十日ほどたってユーコン準(じゅん)州に近づいたある日、片山はツンドラの雪山 で、キャリブーの大群に遭遇した。 マウンテン・キャリブーだ。それもオズボーン亜種だから、体格はキャリブーのなかで最大 だ。大きな牡(ブル)だと二百五十キロを越すだろう。キャリブーは、牝(カウ)も貧弱とは いえ枝角を持つ、ただ一つのシカ類だ。 前脚や角を使って雪を掘り、キャリブー苔を食っていた三百頭ほどの群れは、まだ人間を見 たことが無いのか、片山が馬から降りて耳当て付きのモンタナ帽を振ると、二本足の珍奇な生 き物をよく見きわめようとして、片山のほうに押しかけてきた。 ついに群れは、片山とパック・ホースを取りまく。牡(ブル)のうちで一番立派な角を持っ ているやつは、左右の主幹の長さ約五十五インチで太さもスプレッドも申し分なく、左右の枝 分れはそれぞれ二十以上ある上に額の上にかぶさる三味線の撥(ばち)のようなプラウ・タン はダブル・シャヴェルになっていて、ブーン・アンド・クロケット・クラブのノース・アメリ カン・ビッグゲーム・レコードのマウンテン・キャリブーの新記録になりそうであった。 キャリブーの大群に囲まれたパック・ホースは不安気に花を鳴らす。 今の片山には、トロフィー・ハンティングをやっている余裕は無いから、コマンドウ・クロ スボウに四枚刃の矢をつがえ、一番肥っている若い牝(カウ)の胸に向けて放った。 二十ヤードの至近距離から胸を貫かれた獲物は、倒れると雪を蹴って痙攣(けいれん)した。 群れの残りは地響(じひび)きをたてて逃げたが、すぐに戻ってきて、もがく仲間を不思議そ うに見つめる。 キャリブーは好奇心の塊りである上に、ひどく忘れっぽいのだ。 片山があと二頭を倒すと、群れはやっと逃げ去ったまま戻ってこなくなった。 片山は三頭の皮を剥いでから、丈夫な糸やロープになる腱(けん)を四肢と背から抜き、解 体して干肉作りに取りかかる。まだ暖い肝臓(リヴァー)の一つは生のまま塩コショウを振っ て食う。 片山はユーコンに入ってから約一週間後、セルウィン山脈の分水嶺を越えて、マッケンジー 山脈とのあいだに横たわる広大なグリズリー・パウ湖を見おろすことが出来た。セルウィンと マッケンジーの山脈のあいだは約五十マイルある。 うまい具合に、まだ片山と馬たちは発見されていないようだ。しかし、二つの山脈のあいだ の起伏に富んだ曠野(こうや)の上には、しばしば偵察(ていさつ)のヘリや軽飛行機が飛び、 スポッティング・スコープでじっくり見渡してみると、スノー・モービルや大型雪上車のパト ロールが見えたから、夜間だけ前進することにする。 それに、ここまできたら、馬の食糧が続くかぎりあせることはない。片山のほうは、いざと なったら荷馬を刺殺してそれを食えばいいのだ。 問題は、雪上に残る足跡だ。グリズリー・パウ湖の東にある敵の本部に真っすぐ向かうこと は特にまずい。雪の上に残した足跡を新雪が隠してくれる吹雪の夜を択(えら)んで、大回り しながら敵の本部に近づくのがベストな方法に思えた。 だから、その日は、三頭の馬を曳(ひ)いて滑ったり転んだりしそうになりながら、岩だら けの谷川や雪をかぶった灌木が密生しているブッシュの斜面を山腹近くまで降りることが出来 たが、そこで夜を待つことにする。 馬たちを放牧したのでは敵に発見されやすいので小川の近くにつなぎ、氷を割ってその下を 流れる水を飲めるようにしてやってから、カラス麦をいつもより大量に与える。胃のなかでそ れが水を吸ってふくれあがって苦しがらない程度にだ。塩も与える。 馬たちから鞍(くら)や荷物を降ろす。一度百メーターほど上流のほうに雪上を歩き、流れの 上の氷に足跡をつけてから、あとじさりして自分の足跡を踏みながら荷物のところに戻った。 ライフル・スキャバードなどをつけた鞍と武器弾薬を収めた防水キャンヴァス・バッグ、そ れにペミカン一キロほどと寝具をかつぎ、あとじさりして、五十メーターほど離れた巨岩のあ いだにある深い雪の吹き溜まりに着く。 鞍の左側につけた斧(おの)と共につけたシャヴェルで雪洞を掘り、運んできたものをその なかに入れる。バイソンとキャリブーの皮にくるまり、グースダウンの上着やその下の防弾 チョッキは脱がずに眠ろうとつとめる。顔の半分ほどは髭(ひげ)に覆われていたが、残り半 分は凍傷を受けて、暖まると痒(かゆ)い。 その夜は吹雪にならなかった。粉雪が半インチほど静かに降っただけだ。片山は雪洞を出 ず、雪洞の外にアンテナをのばして、最後の電池になったトランジスター・ラジオをイヤー フォーンを使ってきく。 ラジオは、 「キャナダは一つにまとまった国家です。 イングリッシュ・キャナディアンもフレンチ・ キャナディアンも、キャナダという統一国家のもとで平等な人権を持つ立派なキャナディアン です」 と、クェベック独立運動を阻止するキャンペーンを英語とフランス語でくり返えすが、赤い 軍団については一つも触れない。 ラジオを消した片山は、節約し続けてきたホワイト・ガソリンを使ってプリマス・バック パッカーのストーヴ(コンロ)で雪を溶かした湯を沸かし、紅茶とバターと塩をブチこんだ。 それを飲んで眠りこむ。 翌朝は目が痛いほどの晴天であった。風花が舞っている。グリーンのシューティング・グラ スを掛け、薄い手袋をつけて雪洞から小用に出ようとした片山は、雪をきしませて近づいてく る馬蹄(ばてい)の音を聞き、反射的に左手にコマンドウ・クロスボウと矢筒(クイーヴァー)、 右手にM十六自動ライフルを摑(つか)んだ。 雪洞からそっと這(は)い出し、岩陰(いわかげ)から物音のほうをうかがう。 白っぽい防寒迷彩服をつけ、片手に狙撃用のM十四マッチ・グレードの自動ライフルを握っ た二人の男が、馬に乗って、片山がつないだ三頭の馬に近づいていた。 二人は二頭の馬を連れていた。雪をはじき呼吸の湿気でも氷結しないと言われているウル ヴェリン(クズリ)の毛皮の帽子をかぶったその二人はクリー・インディアンのようであった。 この寒さなのに、ウール・ソックスと鹿皮のモカシンの上からゴムの短靴をはいただけで平気 のようだ。 一人は背にコードレスの無線機を背負っていた。 「ビーヴァー族の密猟者野郎の馬か?」 「いや、ボスがいつも気にかけているケンとかいう気違い野郎のものかも知れん。俺は奴の足 跡を追ってみる。お前は荷物を調べろ」 「いや、その前に無線連絡したほうがいいんじゃないか?」 男たちは囁(ささや)き交わした。訛(なま)りが強い英語だ。 これで、この二人が、赤い軍団の偵察員(スカウト)ということがはっきりした。片山は確 実に短時間で二人を倒せるM十六自動ライフルを使うべきか、それとも数秒は損するが銃声を 発しないクロスボウを使うべきか迷っていたが、クロスボウを択んでM十六を岩にそっと立て かける。一人を倒したあと射ち返されそうになったらG・Iコルトを抜射ちするのだ。 うまい具合に二人は馬上で片山に背を向けていた。距離は五十メーターほどだから、片山は 無線機を背負った男の頭の上を狙(ねら)う。矢筒をベルトに引っかけていた。 クロスボウの引金を絞り落すと、まだ矢が空中にあるうちに、ボウを折って弦を逆鉤に掛 け、矢筒から抜いた日本目の矢を抜いてもう一人の男の首のあたりを狙って引金を引く。 矢に首筋を破壊されながら貫かれたはじめの男は馬から転(ころ)げ落ちる。驚いた馬がヒ ヒーンと竿立(さおだ)ちになる。 もう一人の男は、驚愕の声をあげながら馬上で体をひねり、仲間のほうを振り向いた。 そこに二本目の矢が飛んできた。矢は男の脇腹(わきばら)から胃を貫き、反対側の脇側に 抜ける。M十四を放りだした男は、馬から転げ落ち、矢を抜こうとしてもがく。悲鳴をあげて いた。 三本目の矢を撃発装置にしたコマンドウ・クロスボウにつがえていた片山は、 「ホールド、ホールド・・・・・・」 と、スカウトたちの馬をなだめながら二人に近づいた。 無線機を背負っている男は頚椎(けいつい)を完全に破壊されて即死していた。腹を矢に貫 かれた男は、 「こ、殺せ! 早く楽にしてくれ」 と、わめく。 「本部に医者がいるだろう? 手術を受けたら、そんな傷など半月もかからずに治る」 片山は言った。 「き、貴様は誰(だれ)だ?」 男は苦痛に霞(かす)んだ目で、髭(ひげ)だらけの片山の顔を見た。 「俺(おれ)はビーヴァー・インディアンと白人の混血(メーチイス)ハンターだ。この基地 の赤い軍団の本部はどこなんだ? ボスのダヴィド・ハイラルが住んでいるところは?』 「知るものか? 貴様は何でそんなことを知りたがる?」 「俺の仲間がこの基地に入りこんで殺された。俺は貴様らのボスに会って賠償金を取り立てて やる・・・・・・いいか、俺にさからったら、楽に死ねないようにしてやる。舌を嚙(か)み切れな いようにまず口輪(くちわ)を噛ませてやる」 片山はクロスボウを捨てると、いきなり男のズボンのベルトを抜いた。そいつでゆるく猿グ ツワを嚙ませる。抵抗する男の両の手首の関節を簡単に外す。 猿グツワの隙間(すきま)から男は絶叫を漏らそうとした。 「今度は、貴様のチンポを風にさらしてやる。貴様はたとえ生きのびたとしても、大事なとこ ろが凍傷で崩れ落ちたんでは、生き延びたことを後悔するようになるぜ」 「やめてくれ・・・・・・しゃべる・・・・・・何でもしゃべるから、それだけは勘弁してくれ。俺はまだ 独り者なんだ。子孫を残すことが出来なくなったら親族じゅうの恥さらしになる」 男は猿グツワの隙間から哀れっぽい声を出した。 「ボスは・・・・・・ダヴィド・ハイラルは、まだこの基地にいるのか?」 「ああ・・・・・・中性子爆弾研究開発所とか何とかいう難しいところから北に一マイルほど離れ た、何とか作戦本部にいるそうだ。両方ともマッケンジー山脈の西側にあるメディシン連山の 洞窟(どうくつ)にある・・・・・・メディシン連山の東側はマッケンジーのインディアン・チーフ 山だ・・・・・・ボスの名前がダヴィド・ハイラルとは知らなかった。俺たちはボスのことを、もと はゼウスと呼ばされていたが、今はダビデ王と呼ばされている。ダビデ王はあんまり偉いんで 俺たちはまだキングの顔を拝んだことがない」 「キング・ダビデか。笑わせやがる。ちょっと待ってな、いま地図を持ってくるから」 片山は言い、クロスボウを拾うと、いそいで雪洞に戻った。サドル・バッグの一つから、灰 色熊の掌(てのひら)の形をしたグリズリー・パウ湖を中心とした、無名の小川から各尾根の 標高まで記(しる)された精密なトポグラフィック・マップを取出した。クロスボウと矢筒を雪 洞に置き、岩に立てかけてあったM十六ライフルを肩に掛けて、さっきの男のところに戻る。 男は血で雪を染めて這(は)い逃げようとしていたが、近づいた片山を認めて、がっくりと 全身の力を抜く。 片山は男を坐(すわ)らせ、その背を木の幹にもたれさせた。右手首の関節をはめてやり、 鉛筆を握らせる。その前に地図をひろげ、 「さあ、作戦本部と、中性子爆弾研究開発所にマークするんだ。字は読めるんだろう?」 と、言った。 男は考え考え、地図上の二か所に×印を書きこんだ。 片山は、作戦本部と中性子爆弾研究開発所の内部の様子を尋ねた。 「あそこには、高級幹部しか入れないんだ。俺たちインディアン・スカウトや戦闘部隊員は、 作戦本部から三マイルほど北の大きな洞窟のなかに住んでいる。武器弾薬庫もある。洞窟と いっても、原子力発電とかの電力で電気は使い放題だし、大きなホテルのようになっている。 慰安婦も百人以上いるんだ。さらに北に、雪上車の車庫や厩舎(きゅうしゃ)がある」 「原発炉はどこだ?」 「中性子爆弾研究開発所のさらに南方一マイルほどのところにある。湖の水で炉を冷却した時 の熱湯スチームで、俺たちが住んでいるところも暖房完備だ・・・・・・痛えな、畜生・・・・・・」 「いま、戦闘部隊員はどれくらいいる?」 「七百人といったところかな」 「インディアン・スカウトは?」 「二百人だ。百人ずつが二週間交代で、二人一組になって、馬で山をパトロールするんだ」 「そうすると、いま五十組が山々をパトロールしてるというわけだな?」 「ああ、貴様が俺の仲間に見つかるのは時間の問題だ」 「余計なお世話だ。雪上車で平地をパトロールしているのは戦闘部隊員か?」 「ああ、それに、ヘリや軽飛行機の格納庫やエア・ストリップも洞窟のなかにあるんだ。中性 子爆弾を開発するところから南に二マイルほど離れたところにな。今まで言ったいろんな施設 は、みんな山の腹のなかの地下道でつながっている。どうやっても、貴様の勝ち目はない」 「天国だか地獄だか知らんが、そのどっちかに行ったあんたの仲間が背負っている無線機だが ・・・・・・あんたの組のコード・ナンバーは?」 「それだけはしゃべれねえ。それを知ったら、俺を殺(や)る気だろう?」 「もう、こんなくだらない問答をしているのに飽きた。時間が惜しい。貴様の望み通り、楽に させてやる」 片山は薄い手袋をつけているためにかじかみはじめた右手で、甲から上が皮のソーレル・ マークVのフェルト・ライナーのスノー・パック・ブーツの内側に差してあったシースから、 ガーバー・マークI(ワン)の刺殺用ブーツ・ナイフを抜いた。 この寒さでは、素手で金属に触れたら皮膚がへばりつく。金属も冷寒脆弱性(ぜいじゃくせ い)を示して、荒く使うとポッキリ折れることがある。 「待ってくれ。SC一二だ。異常を発見した時には本部の司令室に連絡することになってい る。司令室のコードは、DR〇〇一(ダブル・オー・ワン)だ」 「あんたが居住区からパトロールに出発したのはいつだ?」 「五日前だ」 「戻るまでにまだ一週間以上あったわけだな? ほかのスカウトに見つからずに本部に近づけ る安全なルートを案内してくれないか?」 「無理だ、この体では」 「じゃあ、地図上でルートを示してくれよ」 「無理だ。俺たちスカウトは、あやしい気配を感じたら、どこにでも出没するから」 「分った。有難う」 片山はガーバーで男の耳の孔(あな)から脳を抉(えぐ)った。 二人の四頭の馬が積んでいるものを調べてみる。オレンジとキャンディー・バーやロール・ パンを見つけて貪(むさぼ)り食う。 二人の荷物や身につけていたものから必要なものだけを奪い、あとは死体と共に近くの雪の 吹き溜まりに埋めた。 彼等の馬は川下に連れていき、喉(のど)を掻き切って殺してから、リヴァー(レバー)だ けを切取り、あとはやはり吹き溜まりに埋めた。自分の足跡をバックしながらたどって雪洞に 戻った片山は、馬一頭分のリヴァーに塩とコショウとダバスコをなすりこんで生で平らげた。 奪ったコードレス無線機のスウィッチを入れて、インディアン・スカウトたちや雪上パトロー ル車と司令室の交信を傍聴する。片山が一組のスカウトを殺したことはまだ知られてない。』 (つづく) 大藪春彦 著『孤高の狙撃手』(エッセイ集)光文社文庫 2004/6/20
2021年04月10日
Photo by Golden Ginkgo 大藪作品『傭兵たちの挽歌』U.S. GERBER Folding Sportsman II 用スキャバード製作企画第七章「煉獄の戦士」Vol.11 『(※前回からのつづき) 国境からブリティッシュ・コロンビアの北端までは約八百マイル、ノースウエスト・テリト リーのグリズリー・パウ湖までは千マイルもある。 一日に三十マイル進めると単純計算しても、グリズリー・パウ湖に近い赤い軍団の秘密基地 本部にたどり着くまでに一と月以上かかるが、その反面では、赤い軍団は片山がダヴィドを襲 うことを諦(あきら)めたと思いこむか、あるいはどこかでのたれ死にしたと思って油断する という利点もある。 それからも毎日、キャナディアン・ロッキーに沿って北上を続けた。 馬が参るごとに、元気が残っている馬二頭に片山とエレーンが乗って、山に放牧されている 馬を投げ縄で捕えて替え馬とする。キャナダの馬はモンタナの馬より登りに弱いようだ。役に 立たなくなった馬は、焼き印のあたりの皮を剥ぎ取ってから放してやる。 国境から百マイルほどのクーテネイのシングレア・パスから、さらにその先二百マイルの レッド・パスのあたりまでは、ロッキーの東側にバンフやジャスパーといった有名なリゾート 地帯を控えているせいで、数本のハイウェイが横切っている。 夜明け前の一番車が通らない時刻を択(えら)んで片山たちは道路を横断した。レッド・パ スを越えた頃には、モンタナから連れてきた馬はすべてキャナダの馬に替わっていた。乗馬中 はラッセルのブーツでは寒さを防ぎきれず、フェルトのインナー・ライナーを入れたソーレル のスノー・パック・ブーツをはいている。 キャナディアン・ロッキーには毎日のように風が吹き荒れていた。風に顔を向けると息が出 来ないほどだ。吹雪も激しい。小さなロッキー・マウンテン・メープルは、キャナダのシンボ ルである東部のカエデとちがって、葉の形も完全にちがい、幹からはうまいメープル・シロッ プも採(と)れない。 だが片山たちは、エレーンが罠(わな)で獲るスノーシュー兎(ヘア)などの小動物やフー ル・ヘンと呼ばれるブルー・グラウスやラッフルド・グラウス(エリマキ・ライチョウ)、冬 眠中のやつを岩から掘りだしたホーリー・マーモットやウッドチャック、それにヤナやヤスを 使って捕えるカマス(パイク)やさまざまな種類のマス、それに片山がクロスボウを使って禁 猟区で易々と射ちとめるビックホーン・シープやキャナディアン・ムースの肉や内臓で生きの びていた。 動物の内臓から取出した半消化の植物や、エレーンが採ってくるアルパイン・オニオン等の 食用の球根や野イチゴ類のせいで、二人ともビタミンCに不足しない。 ゴールデン・マントルド・スクイーレルのような地リスや赤リスなどの木リス(ツリー・ス クイーレル)、それにイエロー・パイン・チップマンクいった小さなシマリスが真冬にそなえ て木の空洞(くうどう)や根の下などにたくわえてあったブナやカシなどの木の実はデンプン 質の補給になった。 出発してから約一か月後、片山たちはウィリストン湖の北端で再び大陸分水嶺を越えてロッ キーの東側に移った。太平洋から時々吹く暖風(スヌーク)のせいか湖はまだ氷結してなかっ た。 このあたりの野生山岳シープは、もう褐色のビッグ・ホーンでなくて、灰黒色の体のストー ン・シープだ。 すでに二人のインディアン・テント(ティーピー)は、ここに来るまでにしばしば、蛋白 (たんぱく)質と脂肪に飢えきった冬眠前の灰色熊(グリズリー)に襲われ、テントのキャン ヴァスを鋭い爪(つめ)に引裂かれて食料の肉を奪われたり、馬を二頭殺されて内臓を食われ たりしていたが、その夜襲ってきたグリズリーは、飢えのために狂ったようになっていた。 片山はその日の夕暮近く、一歳仔のストーン・シープをクロスボウで射ち、ほとんどの肉を 五十メーターほどの高さのダグラス樅(ファー)の、地上から十メーターほどの枝に吊るして あった。 熟成させずにすぐ食っても固くない上にうまい、肋骨(リブ)のまわりの肉を片山とエレー ンが焚火(たきび)で炙(あぶ)っている時、そのグリズリーは枝に吊るされたラムの肉を手 に入れようと、太いダグラス・ファーの木に体当りしたり、立ち上がって樹皮を掻(か)き 剥(は)がしたり、苛立(いらだ)って幹に噛(か)みついたりする。唸(うな)り声もあげてい た。 三百キロぐらいの牡グマ(ボアー)であった。グリズリーは爪が長すぎて樹に登ることが出 来ないのだ。 ダグラス・ファーの木に八つ当りしていたそのグリズリーは、ブタのような目を血走らせ、 背中のコブのシルヴァー・チップの毛を逆立たせ、ティーピーに向けてまともに突っこんでき た。馬よりも早いダッシュだ。 片山とエレーンは、グリズリーが枝に吊るしたラム肉を奪おうとあせっている間に防禦(ぼ うぎょ)の手筈(てはず)をととのえていた。 燃える薪(まき)を外に放りだしてティーピーから跳びだした二人は左右に分れた。 片山は矢をつがえたクロスボウを構えた。エレーンは装塡(そうてん)した二六四マグナムの ライフルを肩付けして、矢の威力がグリズリーに対して不足した場合のバックアップ・ショッ トにそなえる。銃を支えた左手に懐中電灯を持って、その光をグリズリーに当てる。 Youtube - barnett commando 175lb crossbow by animal tendencieshttps://www.youtube.com/watch?v=6l_xg9oUdfI Shooting Barnett Commando Crossbow by xtremgrlhttps://www.youtube.com/watch?v=2-DzbMQytsg グリズリーが四十ヤードの距離に迫った時、片山はクロスボウの引金を絞り落した。すぐに 雪上に片膝をつき、クロスボウの銃床を折って弦を引く。 約三十五ヤードの距離で、グリズリーの顎(あご)の下をかすめた四枚刃の矢は、胸に深々と 射ちこまれた。 血も凍るような咆哮(ほうこう)をあげたグリズリーはマリのように転(ころ)がった。 しかし、グリズリーは射たれると、致命傷を負ってなくてもまず転がるクセがあるから、片 山は素早く二本目の矢をコマンドウ・クロスボウにつがえた。 果たしてそのグリズリーは、肺から逆流する血を口からこぼしながら四本足で起き上がり、 再び突っこんできた。 片山は再び矢を放った。クロスボウを放りだし、腰のホルスターのG・Iコルトを抜いて撃 鉄を起す。 二本目の矢を心臓と肺に射ちこまれたグリズリーは、突んのめると、勢いあまって雪上を 滑(すべ)ってくる。 片山とエレーンは、大きく左右に逃げた。 ティーピーの入口から五メーターほどのところで停(と)まったグリズリーは、断末魔の唸 りを漏らし、全身を痙攣(けいれん)させた。 片山はそのグリズリーの背骨を三本目の矢で砕いてトドメを刺す。エレーンは顔の産毛(う ぶげ)を総毛だたせて震えはじめた。 そのグリズリーからは、料理用の脂肪が大量にとれた。シカの脂肪はローソク臭くて料理に は向かないが、クマ類の脂(あぶら)は豚脂(ラード)や牛脂(ヘット)よりもうまいという 者もいる・・・・・・。 片山たちは渓谷と林とメドウの境をたどって、レッド・ウルフ一族の本拠地があるムスクワ 河の上流に一日一日と近づく。未明には気温は零下二十度Cぐらいに下がる。 かつてはストーン・シープ猟のメッカであったこのあたりは、ムースが異常なほど多い。ア ラスカン・ムースよりも少し小型だが、それでも牝(カウ)を連れているスプレッド六十イン チ以上のヘラ状の角を持ったレコード・クラスの牡(ブル)をしばしば見た。 仔(カーフ)を連れた牝(カウ)ムースなど、薄暗い夕暮だと十メーター近くをパック・ホース が通っても、近視眼を見開いて珍しそうに見つめている。一時間ほど馬に乗っているうちに、 そんな親子を二十組以上も見ることがある。 ちょうどサカリ(ラット)のシーズンなので、角が無い馬を牝(カウ)ムースと間違え、鼻 息荒く乗っかってくるブル・ムースもいる。 ある時は、灰色の森林狼(ティンバー・ウルフ)の一族が、年老いたためにひどく小さな角 しかその年は生やすことが出来なかった牡(ブル)ムースを深い雪の吹き溜りに追いつめ、自 由のきかない体で必死に反撃しようとするそのブルのハラワタを引きずりだしたり背や尻の肉 を食いちぎって丸呑みにしたりし、生きたまま貪(むさぼ)り食っている光景に出くわした。 林やメドウは独身のブル・ムースの、グーッ、グーッという威嚇音の響きに満ち、片山が 戯(たわむ)れにオンワー、オンワー・・・・・・と挑戦のコールをたててみせると、木の枝をバリ バリへし折りながら、目を血走らせたブルが迫ってくる。 エルクは少なかったが、時々、マウンテン・キャリブーの数百頭の大群を見る。キャリブー が移動する際のクルブシのカチカチ鳴る音は遠くからでも聞える。 グリズリーに殺されて食いちらかされたムースの残骸(ざんがい)もしばしば見る。この寒 さなのに物凄(ものすご)い悪臭を放ち、片山は、アフリカでライオンや豹(ひょう)を待射 ちするために仕掛けたインパラやウォーターバックやイボイノシシ(ワートホッグ)などの 囮(おとり)の死骸の腐敗臭を思いだした。 グリズリーは雑食獣だが、肉食性が強い。ライオンや豹と同じように腐った肉が大好きなの だ。 ビーヴァー・インディアンのレッド・ウルフ老人は、無愛想ながら、快く片山を客人として 迎えてくれた。エレーンと片山はウルヴェリンの生皮(なまがわ)三十枚ほどを進呈する。 集落の外れの天幕(ティーピー)がエレーンと片山のために提供され、片山はそこで三日間 休息をとった。エレーンと体を交えたあと、 「俺は明日一人で出発する。世話になったな。保安官補のチャーリー・ストーンヘッドのこと で君に助けてもらったことは忘れない。だが俺はもっと北に向わねばならんのだ。どうしても やりとげねばならぬことがあるんだ。俺の我儘(わがまま)を許してくれ」 と、暗い眼差しで言う。 「教えて、あなたの本当の目的を・・・・・・これまでも、何度か尋(き)こうと思ったの・・・・・・ でも、そのことを問いつめたら、あなたの心がわたしを離れるのでないかと思って黙っていた の」 エレーンは片山にしがみつきながら激しい声で言った。 「俺の女房と二人の子供は殺された。一年ほど前にパリで・・・・・・ある邪悪な組織がやった爆破 事件に捲きこまれたんだ。その邪悪な組織の、醜悪な野望を持つボスが、ここからもっと北に 隠れてるんだ。いや、俺を待伏せてるんだ。俺はそいつに報復する。君はレッド・ウルフか ら、ここから百二十マイルほど先から、四州にまたがった一般人立ち入り禁止の広大な地域が あることを聞いたことはないか?」 「聞いたわ。軍隊のようなパトロールが、狩猟のために入ったビーヴァー・インディアンを見 つけると、銃で嚇(おど)して追い返すそうよ。なかには、あのなかに入りこんだまま帰って こない仲間もいるそうよ。殺されたとしか考えられないって言ってたわ。何でも、あのなかで は、戦争ゴッコのようなことをやってるんですって」 「あそこは、邪悪な組織の、秘密軍事基地なのだ。それに、中性子爆弾の研究開発所もある。 君は信じないだろうが、あいつらはキャナダの都市や工場地帯を中性子爆弾で攻撃して、キャ ナダ全体を乗っ取ろうと企んでるんだ」 「都会や工場が潰(つぶ)されても、わたしたちは生きていけるわ」 「いや、中性子爆弾は、穀倉(こくそう)地帯や鉱山施設がある山岳地帯にも射ちこまれる。 中性子線の放射能によって人間だけでなく動物たちも殺される」 「・・・・・・・・・・!」 「もし君たちが生残れても、狩るべき獲物がいなくなったら、どうやって君たちは生きていく んだ? だが、俺はキャナダの全住民のためを思って北に向うのではない。あの狂人をなぶり 殺しにしないことには俺の気が済まないからだ」 「やめて! 自殺しに行くようなものよ」 「やってみないことには分らん。ともかく、俺は何としてでも生還する積りだ。生きて帰った ら、また一緒に猟をし、魚をとり、楽しい時を過ごそう。日本にも一緒に行こう」 「どうしても北に向うというのなら、わたしも連れていって!」 「いいかい、これまでは・・・・・・モンタナからここにたどり着いくまでは、楽しいヴァカンスの ようなものだった。だけど、これから先は本当の戦争、君の想像を絶する汚い戦争がはじまる んだ。これからは、はっきり言って、君が足手まといになる」 片山の表情が冷酷そのものになった。 「ひどいわ、そんな言いかた!」 「君に告白しておくことがある。エレーン。俺は君が大嫌(だいきら)いな筈のグリーン・ベ レーにいたことがある。准将にまで昇進したことがある。人殺しのプロなんだ」 「それでも、あなたを愛しているわ・・・・・・行かないで!・・・・・・もう何も言わないで!」 エレーンは片山の唇を自分の唇でふさいだ。 エレーンを説得するまでには未明近くまでかかった。その間、二度交わる。エレーンは二人 の天幕(ティーピー)を出てレッド・ウルフのティーピーに行き、夜が明けてから戻ってくる。 十時近くになって片山がレッド・ウルフに別れの挨拶(あいさつ)に行くと、パック・ホー スに替えて、極寒地向きの、集落内で最強の馬三頭を贈ってくれた。灰色の馬だ。しかもその 馬たちは、放牧しておいても口笛で呼び戻せるだけでなく、西部劇に出てくる馬のように、馬 上から発砲してもパニックにおちいらない、ということだ。普通の猟用の馬は、騎手が発砲し たりしたら恐怖で見さかいがつかなくなり、騎手を振り落として暴走する。 よく鞣(なめ)したアメリカ野牛(バイソン)の毛皮二枚とキャリヴーの毛皮四枚、それに 片山の食糧になるインディアン・ペミカン 粉末状にした干肉とブルーベリーと脂肪を混ぜ て固めたもの を百ポンドと、馬のための燕麦百五十ポンドも贈ってくれた。 エレーンは、集落があるメドウから片山が林のなかに消えるまで手を振っていた。』 (つづく) 大藪春彦 著『孤高の狙撃手』(エッセイ集)光文社文庫 2004/6/20
2021年04月03日
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