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落語家の立川談四楼氏のお話です。落語家というのは、付き人見習い、付き人、前座、二つ目、真打と昇進していく。大まかにいうと、付き人は1年から2年、前座は5年、二つ目は8年から10年、真打は15年くらいかかる。なかには前座から2つ目に昇進できない人もいる。一人前の落語家として扱われるのは、二つ目からです。付き人見習い、付き人、前座はひたすら修行の毎日です。挨拶、掃除、片付け、お茶くみ、鞄持ち、車の手配などをこなす。談四楼氏は談志師匠から、着物のたたみ方、現場でのルール、談志の好みなど徹底して教え込まれた。落語の修行をしたくても、落語の稽古をつけてもらうことはない。師匠の側にいて、立ち振る舞いや気配り、芸を覚えるということになる。1年ほど経った頃、寄席に出入りする落語家やその他の芸人の世話をする仕事をするようになった。下足番、上着の着脱、受け取り、ハンガー掛け、お茶出し、高座返し、太鼓叩き、タバコを買いに行く・・・。寄席には落語家だけではなく、漫談師、漫才師、手品師、曲芸師などがやってきます。この人たちの名前を憶えて、それぞれの好みに合わせた的確な対応をする仕事です。たとえば、お茶出しでいうと、まず出すタイミングがある。そしておいしいお茶を入れることが求められる。お茶出しをついうっかりして、忘れていたというのでは話にならない。熱いお茶を好む師匠もいれば、ちょっと温めのお茶を好む師匠もいる。きちんとこなしていると、師匠から評価されるようになる。度重なると、「今度、ウチにいらっしゃい。稽古をつけてあげるから」と言ってもらえる。ここで「落語修行をしているのに、なぜお茶くみや雑事なんかをしなければならないのだ」という気持ちで取り組んでいると、いつまで経っても声はかからない。前座時代の落語修行ですが、基本と基礎を固める時期です。前座は決まった文句のマクラしかやってはいけないのです。古典落語もアレンジを加えてはいけない。基本を忠実にこなすしか道はない。才能があれば、個性を発揮して、お客様が喜ぶような噺をしてもよさそうに思うが、そこをぐっと我慢して基本を固めることに専念しないといけないのです。基本に徹して基礎を固めることで、初めて応用とステップアップが可能となるのです。(ほめる力 立川談四楼 学研参照)順調にいけば6年から7年ほどでプロの落語家である二つ目になれる。プロ野球でいえばドラフトで指名されてプロとしての第一歩をふみだすことができる。これをもとにして森田理論学習の進め方を考えてみましょう。私は基本と基礎固めに3年を見ています。1年目は森田理論学習のテキストに従って森田理論の基礎を固める。神経症とは何か、神経症の成り立ち、神経質性格の理解、感情の法則の学習、認識の誤りの学習、行動のポイントの学習、治るとはどういうことかの学習、森田の特殊用語の学習などである。基本と基礎が確立していないと型無しになってしまいます。2年目は森田理論の全体像の学習に進む。森田理論には4つの大きな柱がある。不安の役割・不安と欲望の関係、生の欲望の発揮、「かくあるべし」発生と弊害、事実本位の態度の養成である。それぞれの深耕と相互の関連性の学習です。3年目は森田理論の活用と応用です。自分に引き寄せて考えることです。その際集談会の学習仲間や先輩会員を大いに活用していく。このプロセスを踏んで森田に取り組めば約3年で立川談四楼氏のいうプロの二つ目になれる。オリンピックのマラソンでいえば、国内予選を勝ち抜いてスタート地点に立つようなものです。メダルが取れる可能性が出てきたということです。
2024.06.15
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人間には長所もあれば短所もあります。それらが同じ数だけあってバランスがとれていると考えるのが自然ではないでしょうか。生きるという事は、短所があることはイヤだけれども受け入れていく。でも長所はちょっとずうずうしいと思われるぐらいに前面に出して伸ばしていく。この生き方が自信につながり、生きる勇気がわいてくるのです。しかし多くの人は短所のみを気にかけて、短所を修正し、無くすることに勢力を注いでいます。そうすると、長所は見向きもしないようになります。長所を伸ばしてゆくという考えは放置されたままになります。自分の持っているもの、強みが宝の持ち腐れとなります。これは短所を治そうとして、長所をやすりをかけてすり減らしていくということになります。自分の持っているもの、強みを封殺していくという事です。これでは縮小再生産になり本末転倒となります。我々神経質な人はもともと素晴らしい長所を持っています。こまごまとした小さいことによく気がつく。するどい感受性を持っている。粘り強い。責任感がある。分析力がある。などです。これは神経質の性格特徴で学んだことです。神経質者はここに焦点をあてて、いかにすればその長所が活きてくるのかを考えて、実行に移していくことです。そうすれば、自信も出てくるし、人から信頼されるようになってきます。長所を十分に活かすことができるようになれば、欠点は急速に勢いをなくして気にならなくなります。その時点で長所と短所はやっとバランスがとれてきます。自分に備わっているものを見つけ出して、それを大事にして磨きをかけてやることを森田理論では唯我独尊といいます。ポイントの一つです。
2013.05.07
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青山学院大学陸上部監督の原晋さんは選手としてはそんなに華やかな実績を上げていたわけではないようです。実績としては、世羅高校時代キャプテンとして全国高校駅伝で準優勝したこと。中京大学3年の時、日本インカレで5000mで3位に入ったことくらいである。それ以上の成績は残っていない。箱根駅伝も走ったことはない。中京大学時代は、高校時代に厳しい寮生活を強いられた反動から、練習には身は入らなかったそうだ。コンパ、酒、パチンコで羽を伸ばしていた。遊びに夢中だった。特にパチンコにはまり、店から出入り禁止になるほどの腕前になっていたという。大学を卒業後、実業団からは見向きもされず、体育の教員を目指していたそうだ。そんな時、その年に発足することになっていた中国電力陸上競技部から誘いがあったそうだ。世羅高校の3年生の時、キャプテンとして全国高校駅伝で準優勝した実績を評価されたからである。中国電力は地元広島では優良企業なので、食いはぐれはないだろうと入社を決めた。中電には「中国駅伝」に出場してくれればよいからと言われ気楽な気持ちでの入社だった。ところが入社1年目で右足首を捻挫して思うような成績を出せなくなった。また、入社2年目に、後に監督となり、中国電力を全日本実業団駅伝の優勝に導いた坂口泰さんがやってきた。坂口さんは、世羅高校から早稲田大学、SB食品で瀬古選手とともに数々の実績を積み上げてきた陸上界のエリートであった。原さんは、主将とはいえ、向上心に乏しく、練習態度もいい加減で、これではチームの士気が上がってこない。伝統と歴史を築こうとやってきた坂口さんには、原さんは厄介者としか思われていなかったらしい。原さんは坂口さんに「おまえは何をしに中電にはいってきたんや。覚悟が足りんのじゃ、覚悟が」と絶えず非難されていたという。原さんは、私はそもそもそのような覚悟を求められて入ってきたのではないと反発していた。原さんはことあるごとに坂口監督と衝突し、感情的な対立は行く着くところまで行って、もはや修復不可能となった。5年目の1994年についに退部するしかなかつた。その後1999年中電陸上競技部の創立記念式典には招待状も来なかったという。第1期生とはいえ、中電陸上競技部の歴史から抹殺したい人物とみなされていたのである。原さんは、そこまでするかと憤慨していたという。原さんは、間違いなく27歳で人生のどん底に突き落とされたのだ。その気持ちは察するに余りあるものがあります。本来は陸上選手として入社したので、中国電力もお払い箱になっても仕方がないところだ。原さんは、何とか生き延びて、東広島の営業所に配置換えさせられ、高卒の社員と一緒になって、電気メーターの検針、電気料金の計算、顧客からの集金の仕事を与えられたという。原さんの場合、陸上競技部の1期生として華々しく入社しただけに、普通の社員として一からやり直すことは想像する以上に厳しいものがあった。こんな役立たずの穀潰し、さっさとクビにしてしまえばいいのにという視線を一身に感じていたという。夜はストレス発散のために、毎日のように飲み歩き、体重は60キロから93キロにまで増加した。普通こんな状態に追い込まれると、生きる意欲をなくし、投げやりになって、自暴自棄に陥ってもおかしくないと思う。そこから失意の人生が幕を開けるのである。しかし、原さんはそこから逆転人生が始まっている。ここが普通と違う。山あり谷折りの波乱万丈の人生であったが、あきらめないで前進している。まず営業で目覚ましい実績をたたき出している。伝説の営業マンとして復活している。その復活劇の過程は多くの人に勇気を与える。その活躍を見ていた青山学院大学陸上部のOBが監督候補として推薦してくれたのである。その時点では、今のような華やかな活躍は到底想像できない。何が支えなったのか、興味は尽きない。原さんの人間としての復活劇は明日の投稿課題としたい。(魔法をかける 原晋 講談社参照)
2021.10.06
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イスラエルの建国後、キブツと呼ばれる農業共同体で、ある革新的な子育てが試みられた。子供たちは子供の家で暮らし、専門のスタッフが昼も夜も交代で子供たちの世話をしたのだ。母親は授乳の時間にだけやってきて、それ以外は職場に戻って働いた。開墾や農作業などに多くの人手を必要としたため、女性の労働力が子供に奪われないように、子育ては効率化されたのだ。ところが、この試みは、思ってもみない副作用を生むことになる。愛着が不安定な子供が急増しただけではなく、大人になってからも同じ傾向が見られたのだ。愛着が不安定な人では、対人関係の問題を抱えやすく、情緒不安定な傾向や親密な関係を避ける傾向が見られた。専門の職員が交代で世話をするといった方式は、効率的ではあるが、子どもの側の事情を無視したものだった。子どもに必要なのは特別な存在との関わりだった。必ずしも親でなくてもいい。特別の存在が、その子が必要とするとき、いつでもそばにいて、その子の求めに愛情を持って答えてくれさえすればよいのだ。キブツの教訓は決して遠い国の話ではない。日本でも生活のため、あるいは何らかの理由で母親が働かざるを得なくなって、生まれてすぐに子供を保育園に預けるというケースが増えている。その結果、子供と一緒にいる時間が少なくなっていく。このことが子供達のその後の成長過程の中で、神経症を発症させたり、うつなどの神経障害、パーソナリティー障害、発達障害などの問題を生じさせている可能性がある。ハリー・ハーロウは愛着の形成が子供の成長や発達において、命にかかわるほど重要な問題だということを示した。アカゲザルの子供は、母親がいないとほとんど育たず死んでしまうしかし、母ザルの人形を作って与えると、子ザルはその人形に抱きついて、どうにか育つことができる。抱っこしてつかまれる存在が、生存のために栄養と同じくらい必要なのだ。ハーロウは、柔らかい布でできた人形(ソフトマザー)と、固い針金でできた人形(ハードマザー)を作り、どちらにでもつかまれるようにした。ハードマザーの方には、ミルクが飲めるように哺乳装置を取り付けた。にも関わらず、子ザルが圧倒的に長い時間を過ごしたのは、ソフトマザーの方だった。柔らかい感触を持った、居心地のいいスキンシップを必要としていたのだ。しかし、母ザルの人形に捕まってどうにか成長しても、母ザルに育てられなかった子ザルは、不安が強く、誰とも交わろうとせず、社会的行動を行うことができなかった。それでも、なんとか同年輩の子ザルと遊ばせることで、ある程度社会的行動を発達させることができたが、どうしてもうまく身につかないことがあった。それは、正常な異性愛や子育ての能力だったという。母親に育てられなかった子ザルは、成長して大人になっても性的な営みでつまずくか、万一子ザルが生まれても、育てようとしない。母親による養育は、単に心理的にとどまらず、生理的なレベルでも、子どもの発達に関わっており、それが欠けることは社会生活や子育てに必要な能力の発達を不十分なものにしてしまいやすい。(母親という十字架に苦しんでいる人へ 岡田尊司 ポプラ新書 82ページより引用)これらは、子供の成長にとって愛着の形成がいかに大事であるかということ示している。愛着の形成は0歳から1歳6ヶ月の間に形成されるといわれている。少なくともこの期間は母親は子供のそばにいて育児に専念するということが望ましいということである。子供ができれば、どこの家庭でもそうしているように思いがちであるが、最近は夫婦二人が働かないと生活が成り立たないという社会状況がある。1年も経たないうちに保育園に預けざるを得ないという家庭も増えているのではないか。そういう子供が青年期、大人になって、他人が信頼できず、情緒不安定で苦しまなければならないとしたら残念なことである。だからせめて子供と一緒の時は、精一杯一緒に過ごすことを心がける必要がある。しかし不幸にして愛着障害を抱えた人はどうすればよいのか。これについても岡田尊司氏が上記の本で説明されている。日を改めてご紹介していきたい。
2017.03.12
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森田先生は、 「神経症から解放されるための最も大事な条件は、とらわれから離れることである」と言われている。そのためにはどうすればよいのか。 1つには、常に目的物から目を離さないことである。もう一つは、自分の心がとらわれから離れられないときには、そのままにとらわれていることも、同時にとらわれから離れるところの1つの方法である。 (森田全集第5巻 244 ページ)この言葉は、もう少し説明しないとわかりにくい部分だと思う。まず、とらわれたときは、その不快感や恐怖などに対して、やりくりをしたり、逃げ出してはならない。不快感や恐怖をそのまま味わいつくすという態度になればよいのだ。苦しければ苦しいままに、恥ずかしければ恥ずかしいままに、イライラすればイライラするままに、沸き起こってきた感情をそのまま素直に感じていればよい。単純で簡単なことのように思えるが、これを実践すること大変に難しい。一般的には不十分な人が多い。仮に実践することができれば、神経症のアリ地獄の底に陥ることはない。普通の人は、不安や恐怖、不快感や違和感などに対して、その感情を十分に味わう前に、すぐにその感情と対決して取り除こうとしている。あるいは、目をそむけてその場からすぐに逃げようと考える。そうすれば、我々にもともと備わっていた自己内省力がマイナスに働いてくる。注意や意識が身体の震えなどのちょっとした心身の変化に向けられくる。また、自分の性格やふがいなさに向けられていく。森田理論では、注意や意識をとらわれに向けると、注意と感覚の相互作用が始まる。 一旦始まった相互作用は、坂道を転げ落ちる雪だるまのように加速がついてどんどん増悪していく。だから一旦始まった。不快感や恐怖などに対しては、とことんまで味わい尽くしてやろうという姿勢をとることが大変重要なのである。最悪なパターンは、十分に味わう過程を無視して、すぐに対策を立ててしまうことである。これが森田先生が言われている、 「とらわれたときはそのままにとらわれていること」という意味だと思う。しかし、とらわれた時にとらわれたままにしておくだけでは、神経症からの解放という意味では不十分である。一方で森田先生は、とらわれたときは決して目的物を見失ってはならないと言われている。これは、目の前にある仕事や家事や育児を簡単に放棄してはならないという事である。あるいは、問題点や課題、夢や目標を見失ってはならないという事である。森田理論ではこれらのことを幅広く、生の欲望の発揮といっている。私たちは、不安、恐怖、不快感、違和感などに襲われると、そちらのほうにばかり注意を集中させて、目的物はすぐに蚊帳の外になってしまう。しまいにはすっかり忘れてしまって、自分の気になる症状の解決に向かって全エネルギーを集中させてしまう。つまり不安と欲望のバランスが崩れ去っているのだ。症状に陥った時は、森田先生の言われていることとは反対のことばかり行っている。とらわれた時に、そのとらわれをなくそうとしたり逃げたりしている。そして目の前の仕事や日常茶飯事は無視している。こんなに苦しいのだから、他人は私に同情して、大目に見てくれるべきだと思っている。東京から新幹線に乗って大阪へ向かうはずのところを、列車を間違えて、仙台方面に向かっているようなものだ。いつまでたっても神経症から解放されるときはやってこないだろう。神経症から解放されるということは、このように口で言ってしまえば簡単なことだ。しかし実行は難しいことを肝に銘じて、森田理論の学習と実行で、ぜひ自分のものにしてもらいたいものである。
2017.08.29
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諸富祥彦氏は「人生を半分あきらめて生きる」(幻冬舎新書)という本の中で、「脱同一化」について説明されている。これは一言でいえば、自分を否定する気持ちをただそのまま、認めて、眺めるということだそうだ。この方法は、元々、仏教の瞑想法、特にベトナム禅のマインドフルネス瞑想から生まれたものだといわれている。自分の中から生まれてくるすべての想念に対して、それがどんなものであれ、すべて「ただ、そのまま、認めて、眺める」姿勢を持ち続けることで、どんなにつらく激しい気持ちであれ、それは自分とイコールではなく、自分の一部でしかないことを自覚的に体得していく方法です。たとえば、「こんな私じゃ、だめ」「こんな私は、嫌い」という思いが湧いてきたら、「そうなんだね。わかったよ」とただそのまま、認めて、眺める。そう言われて、「こんな嫌な自分のことを認めるなんて、できない」という気持ちが湧いてきたら、その気持ちも、「そうなんだね。わかったよ」と、ただそのまま認めて眺める。こうやって、どんな自分が出てきても、「ただそのまま、認めて、眺める」のをたびたびひたすら繰返していると、このような落ち込む気持ちと、それを眺めている自分とは別であること(脱同一化)、それを眺めている自分こそ自分であり、落ち込んだ気持ちはどれほど強烈であれ、それは自分のごく一部にすぎないことがジワーッと自覚されてきます。すると、自分の気持ちと自分自身の間に自ずと「距離」(空間・スペース)が生まれてくるのです。これは腹立ち、イライラ、不安、恐怖、違和感、不快感などの感情の対応法の一つとして考えられたものだと思う。そういうイヤな感情を客観的に見て、距離を置いて眺めるということでしょうか。森田理論ではそれらは自然現象である。自然現象は人間の意思の自由は効かない。自然現象はそのままに受け入れる。好むと好まざるにかかわらずそれしか対応方法はないといいます。そんなことをしたら、押しつぶされることになるのではないかという強烈な不安が襲ってきます。それに対しては、すべての自然現象には必ず流れと動きがある。じっと留まっていればそれらに押しつぶされてしまうでしょう。でも動きと流れがあれば、次第に薄まってゆき、無意識の領域に押しやられてしまう。そのことは、たとえば方丈記で鴨長明が見事に説明している。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかた(泡)は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」客観視するというのは観念では理解できますが、実行は難しいのではないでしょうか。不安や不快感などに対しては、やりくりだけはしないという強い意志を持って、時間が経過するのを待つ。というのがよいのかなと思います。その間やるべきことはいくらでもあるわけですから、不安や不快感を抱えたまま、それらに取り組んでいく。という森田理論はスッキリと納得ができるように思います。
2016.10.13
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精神科医の高橋伸忠さんのお話です。Kさんという50代の独身の女性がおられました。3年ほど前から耳鳴りがひどくて、10か所以上の大学病院などで精密検査を受けられました。どこに行っても「耳や脳にはまったく異常がない」といわれました。でも本人はつらいのです。「耳鳴りは雪が降っても蝉が鳴く」というような苦しさがあるのです。心理的な影響を疑った耳鼻科の医師が、精神科医の高橋さんを紹介したのだそうです。心理療法のおかげで長い間治らなかった耳鳴りが、1週間前からすっかり解放されたそうです。しかし耳鳴りが治った途端にその女性は自殺されたというのです。普通に考えると耳鳴りが無くなったのだから、自由に生活を楽しむことが出来そうな気がします。この方は、耳鳴りを治すことが唯一最大の目標になっていたのではないでしょうか。ひょっとしたら耳鳴りはなくならないかもしれない。一生耳鳴りを抱えて生きていくなんて耐えられない。と思っておられたかもしれません。ところが心理療法のおかげで、思いもかけないことに完治してしまったのです。すると途端に生きる目標を失ってしまったのです。これは森田で言う手段の自己目的化が起きていたのです。神経症に陥っている人も同じようなことが言えます。私は対人恐怖でしたが、苦しんでいる時はとてもつらいものです。なんとか取り除きたいと思うのは当然のことです。そしてそれだけにとらわれて30年も40年も苦しんできたのです。それだけに注意を集中させて、精神交互作用でどんどん増悪させてきたのです。今は森田理論学習のおかげで、そのからくりと進むべき方向が分かります。つまり症状はある程度抱えたまま、日常茶飯事を丁寧に物そのものになりきってこなしていくこと。そして行動実践する中で見つけた、課題や夢や目標に向かって努力していくこと。人生においては症状をなくすることに集中していくよりも、その方がはるかに意義があるということでした。症状を抱えたままその方に舵を切っていくことができるようになると、一つの能力を身につけたということです。その能力はプロスポーツで注目される人と同じように、素晴らしい特殊技能の持ち主として人の役に立つ仕事ができます。今神経症で苦しんでいる人はその能力を身につけるようになるとよいのです。高橋医師は「何の症状もない百点満点の健康」を生きる目的にしてはいけないと言われています。気になる症状があったら、早めに医師の診断を受けることはごく当然なことです。しかし、複数の医師から異常なしと言われたら、それ以上こだわらないことが大切である。現代は「一病息災」ではなく、「二病息災」、「三病息災」の時代です。いくつもの病気を抱えながらも、前を向いて、人の役に立つ生き方をしてゆきたいものです。(幸せの見つけ方 高橋伸忠 PHP 175ページ参照)
2015.01.30
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形外会で坪井氏が森田先生に次のように質問している。私は物を買う時、あれこれと迷っているのもおかしいから、その時のファースト・インプレッションで買っている。やっぱり、研究して買った方がよいでしょうか。研究しても迷うことは同じだから、第一印象を取った方がよいでしょうか。これに答えて森田先生曰く。第一印象が、一番よく当たる事は、確かのようです。そしてそのうえを、選択研究して、再び元へもどった方が、正しい判断の仕方です。つまり第一印象は、これが学問上の仮説に当たる。そしていろいろ実験・研究してこれを証明する。しまいにその仮説が、真理であると断定されるようになると同様であります。ゲーテが、芸術は「実用に譲歩する」という事をいってある。まず物を買うにも、実用が第一である。その次が芸術であり、我々の好みである。好みを無視するのは殺風景であるから、これを捨てることはできない。(森田全集第5巻 293ページより引用)川原氏によると森田先生は最初の感じを大切にされていたことが分かる。先日、美術倶楽部へ先生におともした事があるが、その時に私が感心したのは、先生が軸物を買われるのに、その画家の名前や、偽筆かどうかなどという事には全く無頓着で、ただ自分の好き嫌いという事から決められることです。(森田全集第5巻 539ページより引用)これを見るとファースト・インプレッション、直観、好き嫌い、第一に湧き上がってきた感情を大切にされていたことが分かります。普通美術作品を買う場合、有名画家、絵師の作品かどうか。贋作ではないかを鑑定して買うのがセオリーのような気がします。森田先生はそれは順序が間違っているといわれているのです。自分がこの美術品に惹かれるものがあった。感動したということが先にこなくてはいけない。これを森田では「純な心」といいます。ここから出発して、この絵は世間からどのように評価されているのかを検討していくのである。絵は見ないで、最初から画家は誰か。その絵師は有名な人か。将来高値で売れるかなどを鑑定してはいけない。そういう態度は「かくあるべし」に振り回される生き方になります。自分の直観を大切に取り扱い、そのあとで理知で調整するという姿勢を崩してはならないといわれているのです。これば事実本位の生き方であり、葛藤や苦悩とは無縁の生き方につながります。
2020.06.06
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国民栄誉賞を授与された松井秀喜さんが、巨人からニューヨーク・ヤンキースに移籍したばかりの頃の話です。当時の松井選手は、極度のスランプに陥っていました。ホームランを期待されてヤンキースに入団したのに、試合ではいつもボテボテのゴロばかり。手厳しいことで知られるニューヨークのマスメディアは、そんな松井選手を「ゴロキング」と呼んで連日酷評しました。ある記者から「ゴロキングなどと叩かれて気にならないか」と聞かれた際に、松井選手は平然として次のように答えたのです。「まったく気になりません。記者さんたちが書くことは僕にはコントロールできません。僕は自分でコントロールできないことには興味を持たないようにしているのです」松井選手は「自分がコントロールできないこと」を気にしていると、自分のパフォーマンスを落とすだけだと熟知していたのでしょう。そして、練習で打撃技術を高める。筋トレで体を鍛えるといった「自分がコントロールできること」に注力して結果を出そうとしていたのではないでしょうか。(脳の老化を99%遅らせる方法 奥村歩 幻冬舎 155ページ)松井秀喜氏がこのような認識を持っていたことに驚きました。森田理論を学習している私たちもぜひ見習いたいところです。森田では不安などの感情は自然現象であり、人間の意思の自由は効かないと学びました。神経症的な不安は、強い欲望を持っているから生まれてくるのだというとらえ方をしています。逆に現実的な不安はコントロール可能です。これには積極的に取り組む必要があります。例えば、地震が来たらどうしようというような不安です。こういう不安を感じたら、家具などを固定する。非常食やミネラルウォーターや防災グッズを用意しておく。避難経路を確保して、地震訓練に参加してみる。地震保険を検討してみる。手をつけることはいくらでもあります。これ以外にも、現実的な不安は次々と待ち構えています。そちらの方に注意や意識を向けて、対策を立てて実行することが肝心です。特に日常茶飯事に手を抜かないで、真剣に向き合うことが大切です。「凡事徹底」は森田的な行動のポイントです。神経症に陥ると、現実的な不安に手を抜いて、コントロールできない不安と格闘しているのです。やることなすことが逆になっているのが大きな問題です。
2024.06.14
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「純な心」は、混じりけのない純粋な心のことではありません。物に接して最初に浮かんだ感情、直感、森田では初一念などと言います。でも私の場合、これだけだと「純な心」は十分に理解できませんでした。次の逸話でよく理解できました。「形外先生言行録」から片岡武雄さんの話。ある方がウサギの世話をしておられた。ウサギに餌をやりに小屋に入ったとき、突然猛犬が飛び込み、一頭のウサギをくわえて逃げ出し、噛み殺してしまった事件があった。この方は、これは入口の作り方が悪いからこんなことになってしまったと弁解された。途端にそこに居合わせた私たちもびっくりするほどの森田先生のお叱りの言葉。なぜ森田先生はそんなに叱られたのでしようか。ウサギの世話をしていた人の気持ちになってみましょう。きっとウサギが噛み殺されて一瞬背筋がぞっとするような、目をそむけたくなるような気持ちになられたことでしょう。誰でもそんな気持ちになります。でもそんな気持ちは一瞬で消えて、次にこれはまずいいことになった。森田先生にこっぴどく叱られるかもしれない。そうなったらまずい。その状況から逃れられたいと思われたのではないでしょうか。普通の人はそんな感情が自然に湧いてくるでしょう。そこでつい瞬間的に口をついて出た言葉が、「これは入口の作り方が悪い」と責任転嫁されたのです。これは森田先生の考えからみると見逃すことのできないゆゆしき問題です。そのお叱りの意味は、責任回避の表面的なことではなく、なぜかわいそうなことをしたと思わないのかと。なぜ感情の事実を無視したのかということです。ウサギが噛み殺されて一瞬背筋がぞっとするような、目をそむけたくなるような何ともいやな感情が湧き起ったという事実。もうひとつは、これはまずいいことになった。森田先生にこっぴどく叱られるかもしれない。そうなったらイヤだ。これは現実ではなく予期不安ですが、そういう感情が湧き起ったというのはまぎれもない事実だったのです。ここで森田先生の言いたいのは、その2つの感情の事実をごまかさないでなぜ認めて受け入れないのだということなのです。これが核心部分なのです。この方は、事実を認めないで、人に責任転嫁した。言い訳をした。自己弁護した。このことを叱っているのです。「純な心」とは、事実を無視して責任転嫁することではないのです。事実を正しく認識して受け入れることです。そして服従することなのです。私もかって仕事でミスをしたとき、ミスをしたという事実と、上司などに無能扱いされて自尊心が傷つけられることを恐れ感情の事実を認めることができませんでした。ミスを人のせいにする。事実を隠す、事実関係の報告を遅らせる。伝票操作してごまかす。ミスした商品を自費で買い戻しミスを帳消しにしようとした。そうゆう態度、行動は自分を生きづらくさせて、神経症を作り上げてきました。「純な心」とは、事実はどんなに受け入れがたいものであっても、決してごまかしたり、言い訳したり、責任転嫁したりすることではなかったのです。私は、これを「純な心」の相互学習から学びとりました。
2013.01.25
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森田先生は神経質同士の結婚はよくないと言われている。神経質者同士は、お互いに心持ちが分かり、心の底まで見通しているから、お互いにその欠点を挙げ合って、相手にばかりそれを改良させようとするぐじぐじといつまでも、しつこく言い争をする。また、ヒステリー同士でもいけない。喧嘩が早くて始末に負えない。およそ、結婚は気質の違った人が、うまく組み合わされるとよい。神経質な人は、気の軽い大まかな人と結婚するのがよい。するときの軽い人は、あの人はどうせ気難しいがり屋だからといって大目に許し、また神経質な方では、どうせあれには、難しいことを言ってもわからないといって、あまりやかましくはいわなくなる。お互いに許し合うから円満になる。結婚について最も大事な事は「調和」ということです。たまにいとこ同士で結婚している人がいる。この場合は、遺伝子がよく似通っているので、優性遺伝が強く現れるととてつもなく素晴らしい能力を持った子供が生まれることがある。私の知ってる人でも、夫婦は日雇いのような仕事をしている人だか、生まれた女の子供は最高学府の学校出ている。その話を聞いた人は誰でも嘘をついているのだろうと思うそうだ。だから自分の娘の卒業写真を常に携帯していた。語学に堪能で大きな会社に入り、世界中を飛び回っている。キャリアウーマンになった。その子供が結婚する時、そのお相手もまた経済力や能力のある人で、結婚式で相手の出席者は国会議員を始めとしたそうそうたるメンバーを揃えていたそうだ。自分のほうは、親族や2人の友人のみでとてもみすぼらしくて肩身の狭い思いをしたとと言っていた。いとこ同士の結婚で一番問題になるのは、劣勢遺伝が強く現れた場合である。この場合は先天的な身体や脳の機能の異常という場合がある。いとこ同士の結婚は、結果が極端によいか悪いかということになりやすい傾向があるということである。集談会でもよく集談会でお相手を見つけて結婚する人がいる。私はそれが必ずしも悪いとは思っていない。森田先生は、神経質気質同士は、性格がよく似通っているので、それがプラスに出ればお似合いのカップルとなる。反対にマイナスに出た場合は、収拾がつかなくなるということを言っているのだと思う。お互いに細かいことが気になり、自己内省性が強く、執念深いという特徴がある。また、一般的には「かくあるべし」が非常に強い。それが自分に向かった場合、神経症に陥りやすい。そして葛藤や苦悩で苦しむ。また相手に向かった場合、そのうち支配被支配の関係になりやすく、油の切れた機械を動かすような摩擦を生みやすい。もちろん、感受性が強いという面を生かして、お互いの思いやり絆を深めていけばよいのだが、ちょっとしたことをきっかけにして、それらがすぐに瓦解してしまうという危険性は持っている。神経質者同士の場合でも、強迫神経症の場合と不安神経症の人の組み合わせは比較的よいようだ。それは、強迫神経症の場合は、森田理論で言うところの自己中心性がとても強い。端から見ると自分のことしか考えていないように見える。活動は自己抑制的である。ところが、不安神経症の人は、基本的には自分の周囲の人の事を大切にする。それは自分がパニックに陥った時に、誰かに助けてもらえないと死んでしまうかもしれないという気持ちがあるからだろう。活動は神経症が回復した時点では、人間が変わったように活動的で、リーダーシップをとったり、人を取りまとめたりする力を発揮することがある。そういう意味で、神経質の中身が多少違うのである。異質な特性を持った人が一緒になると、磁石で言えばマイナスとプラスを近づけるようなものになる。近づけるだけで自然にくっついていくようになる。ところがプラスとプラスを無理矢理引きつけようとしても反発するばかりである。マイナスとマイナスをつけようとする場合も同じである。だから、お互いの人間関係においては、異質な性格や能力を持った人同士が協力し合うというのが、自然の摂理にかなっているということだ。頭の中だけで考えると、性格や能力、趣味や目標が似通った人同士の方がうまくいくように考えられるが、事実は決してそうではないということだ。短い期間で見ていると気心もしれ対立することもないので、その方がよく見えるのだ。ストレスがなくて楽なような気がするのだ。趣味や考え方が似通っているので、この人とずっと死ぬまで相思相愛で争うこともなく楽しく生活できるはずだと思うのは、あまりにも短絡的な考えかたである。何十年という単位で考えてみると、自分の持っていない面で相手に助けてもらい、相手の持っていない面で相手を助けるという関係が理にかなっている。会社などの組織で考えても、同じような考え方、行動の仕方をする人よりも、考え方、行動の仕方、年齢も性別も違う人同士が集まっているほうが、長い目で見るとプラスに働くようである。確かに、いろんな人がいるとたえず摩擦が発生する。嫌な思いをすることも多い。しかし、その問題を話し合いによって乗り越えようとする努力が、結局自分たちの組織を強くしているのである。そういう意味では、我々の神経質者の自助組織においても、異質な傾向を持った人が多く関わりあうことが、組織の維持と発展には欠かせないものであると考える。
2017.11.19
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タレントの所ジョージさんは、毎朝起きた瞬間から、今日一日をいかに楽しく過ごすかばかりを考えているという。だって楽しむために起きているのだから。悩むことで解決することなら、いくら悩んでもよいと思うけど、解決しそうもないことなら悩まない方がいい。たとえば、好きな人ができて脈がない場合、自分ではどうしようもないでしょう。相手に嫌われてしまったら、自分も嫌いになったことにすればいい。あまり一人の人に執着しないほうがいい。失敗する人生も楽しいじゃないですか。人生は失敗に満ちている。だからこそ、楽しいわけで、失敗しない人生なんてそんなつまらないものはない。いろんなことが自分に降りかかってくるからこそ、生きている実感があると思う。今の世の中は便利になりすぎている。それが楽しさを奪っている気がします。便利なものを使うのはいいけれど、あまりにそれに頼り過ぎると生きる楽しさがどんどん減っていく。楽しみを見つけることにコツなんてないよ。身の回りを見渡せば、面白いことは一杯転がっているはず。お金をかければ楽しいというわけじゃない。要は自分自身が主人公にならなければ、楽しさは味わえないということ。受け身で他人から与えられた楽しさは、所詮他人の楽しさでしょ。そんなものはすぐに飽きてしまう。不便さや曖昧さを楽しみながら、自分の足元に落ちているものに目を向ける。楽しいものは最初から存在しているわけではない。いかに楽しく工夫するか。いかに楽しさを引き出すか。それに尽きると思う。(60代からもっと人生を楽しむ人、ムダに生きる人 PHP 71~75ページ要旨引用)森田に通じる話ですね。所さんの話を聞くと、宇野千代さんの次の言葉を思い出す。幸福のかけらは、幾つでもある。ただ、それを見つけ出すことが上手な人と、下手な人がいる。(宇野千代 幸せの言葉 海竜社 195ページ)問題を抱えることは、解決策を目指すかぎりにおいて、生きがいを作り出します。問題を抱えない人生はあり得ません。神経症の発症、仕事や人間関係の問題、心身の健康問題、経済問題、事故や自然災害、理不尽な仕打ちなど様々です。それは、神様からどう取り組むかという宿題を出されていると受け取るのは如何でしょうか。それぞれ、出される宿題は違いますが、要はそれらに真剣に向き合って生活しているかどうかが肝心です。死後の世界が存在するかどうかは分かりませんが、もし仮に存在するとなると、その点を厳しく査定されることになると思います。
2022.08.04
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以前プロジェクトXという番組がありました。高度経済成長期の時代に会社の命運をかけて新商品を開発した人たちが多数出ていました。また困難な事業に果敢に取り組んで完成させた人たちも数多く紹介されていました。今日はこの番組のテーマ曲について投稿してみます。オーブニング曲は「地上の星」で、エンディング曲は「ヘッドライト・テールライト」でした。2曲とも中島みゆきさんの作詞作曲です。そして伸びやかな歌声も中島みゆきさんです。ここではその一部を紹介します。「地上の星」名立たるものを追って 輝くものを追って人は氷ばかり掴む風の中のすばる砂の中の銀河みんな何処へ行った 見送られることもなくつばめよ高い空から教えてよ 地上の星をつばめよ地上の星は今 どこにあるのだろう「ヘッドライト・テールライト」行く先を照らすのはまだ咲かぬ見果てぬ夢遥か後ろを照らすのはあどけない夢ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらないヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらないこの二つの曲の歌詞は、目標や課題を持って生きることの大切さを訴えていると思います。人間の幸せ(地上の星)は、山の彼方の空遠くにあるのではない。日々の日常の生活や仕事に一生懸命に取り組むことの中にある。小さな成功体験を積み重ねて、小さな自信をつけていく。その数を増やしていく。目標が達成できたら、もう少し大きな目標に付け替えてまた努力していく。努力する過程そのものが、すなわち幸福な人生を送ることにつながる。森田でいうと「努力即幸福」ということだと思います。人間は誰でも過去を振り返って、「あのときあんなことをしなければよかった」と後悔と懺悔の気持ちで押しつぶされそうになります。自己嫌悪や自己否定でやり切れない気持ちになります。もう一回やり直しができるならば、今度はきっとうまくできるのにと思ってしまいます。でも悲しいかな1回きりの人生です。やり直しはききません。今後できることは、後悔や懺悔の気持ちを抱えたまま、これから先の人生を精いっぱい生き切ることだけです。「ヘッドライト・テールライト」という言葉は、そのことを表現しているのではないでしょうか。もし神様がいるとすれば、過去は問わないと言われるかもしれません。これは森田先生もそういわれています。一度きりの人生で、100%間違いのない選択をし続ける人間はいません。人間には、間違いや失敗、後悔はつきものと考えた方が自然です。ですから、数多くの失敗や間違いで、傷だらけ、後悔だらけの人生でもなんら問題はありません。でもそれに振り回されて、これからの人生を投げやりに過ごすことは問題です。後悔だらけの人生をこれからの人生で穴埋めをしていくという姿勢が求められているのではないでしょうか。「終わりよければすべてよし」という言葉があります。人生の最後に何とか帳尻を合わせることができたという人は、それだけで立派な人生を送ったということだと思います。神様はきっとそういう人を大きく評価されると思います。中島みゆきさんの歌はそういう人生の応援歌として聞いてみたいものです。もしこの歌詞がぴんと来ないという人は、「時代」という曲もあります。分かりやすい曲です。これも人生の応援歌です。一度聞いてみてください。人間は先の見えないつらい状況の中で、人生を投げ出してしまいたいと思うことが何度も訪れます。こんな時に自分に寄り添ってくれる人や癒してくれる音楽や趣味やペットを持っている人は何とか乗り越えていけるように思います。
2021.10.02
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「純な心」は森田先生の造語です。聞きなれない言葉です。この言葉が理解できないと、森田の核心部分に近づくことは難しいです。一般的には自分の感情や気持ちに素直になることと捉えている人が多いようです。それは間違いではありませんが、なにかつかみどころがないような感じです。分かったようで実はよく分からないという人が多いようです。ということは日常生活の中で活用するための手掛かりがつかめない。「純な心」の理解は、2017年9月7日に「初一念という意味」で投稿しています。これを読めばすぐに理解していただけるものと思います。改めまして再度投稿してみます。「純な心」を理解しようと思えば、「初一念」から入った方がよいと思います。ここから入るのが「純な心」をより正確に理解できると思います。「初一念」も難しい言葉ですが、別の言葉に言い換えれば理解しやすいと思います。森田先生は、「初一念」について次のように説明されている。我々がものに驚き、あるいは喜ぶ時、その刹那には、我そのままであるが、ハッと我に返るとき、それが初一念である。同じく花もしくは恋人に対して、自分がそのうちに同化した時、我そのままであって、現在にハッと振り返るとき、初一念である。森田先生が言われている「初一念」とは、物事に接したとき、最初に湧き上がってくる感情のことを言われているのです。言い換えれば素直な感情、直感、最初に湧きあがってくる感情のことです。これは初期段階のほんの一瞬に湧き上がってくる感情です。意識して掴まえないとすぐに忘却の彼方へと消え去ってしまうという特徴があります。そしてすぐに、理屈、観念、理想、先入観を含んだ感情が湧き上がってくる。これは「初二念」「初三念」と言われています。人間は大脳が高度に発達したために、良くも悪くも、無意識的に理屈、観念、理想に重きを置く生き物に進化してきたのです。「かくあるべし」という観念の世界から現実の不安、恐怖、違和感、不快感などをコントロールしようとしているのです。それが人間に精神的な葛藤や苦悩を招き寄せているのですが、その自覚がないのがもどかしいところです。森田では「初一念」を意識して掴まえて、そこを出発点にして対応していきましょうと言っているのです。ここが理解できたら、実際の実例で裏付けをとるとよいと思います。問題が起きた時怒りの感情が湧いてくることがあります。例えば母親が子供に「早く風呂に入りなさい」と言ったとします。子どもは炬燵に入り込んで転寝をしていて親の指示に従おうとしません。時間が経つほど、親のイライラはどんどん膨れ上がり、そのうち怒りへと変わっていくでしょう。そして親子喧嘩を始めることになります。その時親が意識しているのは怒り、腹立ちだと思います。このとき怒りの前の「初一念」思い出すことができれば対応が変わります。このときの初一念は「悲しみ」「落胆」「無力感」のようなものだと思います。自分の思い通りにならない現実を目の前にして心の痛みが湧き上がってきたのです。もしその気持ちにきちんと向き合うことができれば、親子の対立は回避できるかもしれません。9月7日の投稿では中学生の女の子の帰宅の例で説明しています。父親が連絡もしないで帰宅した子どもに怒りを爆発させましたが、怒りの裏に隠れていた初一念は、「かわいい子どものことが心配で仕方がないというイライラ」でした。このことが意識できれば、子供を叱責することは抑えられたと思われます。森田先生は、皿を落として割った時のエピソード、野良犬に兎をかみ殺されたエピソードで「純な心」について説明されています。言わんとされていることは全て「初一念」の感情のことです。「初一念」から出発すると、隠蔽やごまかしや責任転嫁はなくなるはずだと言われています。「純な心」を理解して生活に応用できるようになると、人間関係はすぐに好転します。是非とも自分の体験で確かめてみて下さい。
2023.11.13
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神経症は不安をことさら意識化して、とらわれを強化、増悪している状態だと思います。意識化と無意識化について私の理解していることを書いてみたい。まず無意識化ということについて考察してみたい。ここでは2つの重要な側面があると思う。まず無意識化した行動はなにかという事です。例えば、自動車や自転車の運転、クロールの泳ぎ方、パソコンのキータッチ、箸の使い方、楽器の演奏などは、最初は失敗を繰り返しながら、意識して一つ一つ指や身体に覚え込ませていきます。最初は最大限の注意を向けて意識が前面に出た状態で取り組んでゆきます。練習をくり返すと、やがて自分のものになります。そうしたことが無意識にできる能力を獲得したのです。一旦身につけてしまうと、無意識的行動が可能になります。体得した無意識的行動は確実に脳に記憶されます。意識が指示を出さなくても事がスムーズに運んでいきます。こんな例もあります。酔っぱらって前後不覚になっても鞄をしっかりと抱えて、自宅に戻っていることもあります。これも意識の介入がないにもかかわらず、無意識に脳が働いてくれるおかげで事なきを得ているのだと思います。無意識というのは私たちの生活の中でより多くのことを迅速に処理することに役に立っています。しかし一旦無意識的行動の能力を身に付けたのにもかかわらず、何かのきっかけでとらわれて、意識がしゃしゃり出てきて、その行動の意味やよしあしの検討を始めてしまうと問題が起きます。無意識的行動は無意識に行っているからこそうまくいっているのです。そのままにしておく方が無難です。しかし厄介なことに意識化は常に無意識化の領域に入り込むことを狙っています。また意識化と無意識化の力関係を見ると意識化の方が力を持っています。無意識化というのは常に、意識化に介入されやすく、従属されやすいのです。よく不安に生活が乗っ取られてしまったといいますが、このことを言っているのです。次にもう一つ押さえておきたいことがあります。認知行動療法でよくいわれる自動思考という事です。自動思考というのは、ある出来事に遭遇したときに、その人にとってどのような感情が湧き起ってくるかという事です。人によっては全く正反対に受け取ることがよくあります。例えばのどが渇いているとします。目の前のコップに水が半分あります。ある人はまだ半分も残っていると楽観的に受け止めます。ところが物事を悲観的にみる習性の人は、もう半分しか残っていない。どうしようと思案します。このように同じ出来事を見ても人によって受け止め方は様々です。このように極端に片寄った考え方は問題を起こします。特に神経質な人は考えることが無茶でおおげさ、論理的に飛躍する。マイナス思考、ネガティブ思考に大きく片寄っている。事実をよく確認しないで、先入観や決めつけが多い。完全主義、完璧主義、理想主義的な思考方法をとりやすい。つまり認知の仕方に誤りや片寄りがあるのです。これは本人の持って生まれた性格、資質などもあるでしょう。また親、学校、社会などからの接し方、教育の影響もあるでしょう。でもそういうゆがんだ無意識的な考え方は、決断や実際の行動に大きな影響を及ぼしています。認知の仕方がゆがんでいると問題が発生しやすい。そういうゆがんだ無意識的な考え方は修正していく必要があると思います。まとめると、同じ無意識であっても無意識的行動は意識化しない方がよい。むしろ意識化を無意識化できるようになるとよい。ネガティブで悲観的な自動思考は意識化して修正した方がよいということになります。無意識化については以上の2点を抑えておくことが大切だと思います。意識化については明日考えてみたいと思います。
2015.09.12
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私は森田理論学習を続けている人にオススメしたいことがある。それは俳句や川柳、ユーモア小話、ダジャレ、カラオケ、替え歌、 一人一芸に取り組むことである。生活の発見誌では川柳の募集が始まった。私は毎年応募している。1年を通じてネタを探している。注意や意識が内向きから外向きになるのがよい。今年は次のような川柳を作った。半端ない 森田理論は 半端ないおめでたや 森田誕生 100年目柿食えば 梨も食べたい 里の秋新年会 一人一芸 花盛り発見会 発明展と 誤解受け抗ガン剤 飲んでないのに 髪がない不快感 放っておけと 無茶を言うユーモア小話作りも楽しい。すぐに思いつかない人は、収集から始めるとよい。昨日服用した「ハッキリA」は、いまいち効果がなかったので、今日は新しく「スッキリS錠」を試してみた。しかし、「 パッチリM 」に比べると、パンチが弱いので、 「シャッキリ」と混ぜて飲んだら少し効いた気がした。口あたりから言うと、「シッチャカ」と「メッチャカ」あたりが好みだか、かみしめたときの「プッツンAM錠」などは、ほのかな甘みが口の中に広がるので好感が持てる。これは、以前に生活の発見誌で紹介されたものだが、こんなユーモア小話をたくさん収集していると、症状が出たときに気分転換を図ることができる。私はおかげで自分で作ったものと合わせて、 A4サイズで100ページぐらい持っている。時々取り出して見ているが、すぐに笑いで一杯になる。集談会で症状に陥っている人で、極端に顔つきが暗くなっている人がいる。そういう人は是非とも、ユーモア小話の収集から始めてみることをお勧めしたい。ユーモア小話を作るという目標を持つと、ネタを求めて自然に周囲をよく観察するようになる。みんなの前で発表すると、その場をなごやかにすることができる。次にカラオケや替え歌作りである。カラオケは仲間と一緒に大声を出すことができる。大声を出すというのが気分転換になる。音痴だと思っている人は、 YouTubeに合わせて練習をするとよい。その際、録画機を使って録音して後で聞いてみる。これだったら皆の前で歌えるという曲を1曲か2曲選んで練習しておく。そういう準備をして、カラオケの当日は朝から発声練習をしておく。そうすれば、なんとかカラオケを楽しむことができる。みんなと一緒にカラオケを楽しめるようになる。カラオケに行くと上手な人がいる。その人の歌声を聞いているだけでも心が癒される。替え歌作りも楽しいものである。替え歌は作ったら、模造紙に書いて懇親会などの場で披露する。そしてみんなで大合唱するのだ。みんなで楽しむことができる。一人一芸を身につけると、懇親会などの飲み会では重宝される。さらに、老人ホームや町内会などの慰問活動をするようになれば、それが生きがいにつながる。人脈も広がり、毎日忘れないように練習するので、生きる目標が持てるようになるのだ。現在、サックス、腹話術、高知のしばてん踊り、どじょう掬いはほぼ毎日練習している。神経症で苦しんでいる時に、川柳や俳句、ユーモア小話、カラオケや替え歌作り、一人一芸が神経症克服に役立つということを思い出してほしい。
2018.10.11
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相手に理不尽なことを言われたとき、「相手から一方的に暴言を浴びせられた」と思うことはよくあります。これに対して、相手が格下か、同程度の人と判断すると、反撃をすることが多くなります。強い相手には、さらに強い反撃をくわえられる可能性枷あるので、服従するしかない。しかし、その腹立たしい気持ちは怨念となり、きっかけがあれば仕返しをしようと考えます。これは、相手の暴言という事実に対して、被害者意識が湧きあがり、その感情に基づいて、臨戦態勢を整えて実際に戦うことにつながります。ここで注意したいのは、相手が自分の人格を否定するような暴言はいたというのは事実でしょうかということです。それは相手が自分に対して、人格を否定、拒否、無視、抑圧、脅迫するような暴言を吐いたように自分が感じましたということではないでしょうか。つまり、事実は違うかもしれないが、主観的にそのように感じたということです。事実に対して、ネガティブで否定的な感情が湧き上がってきましたということです。ここでは、事実として相手が自分を否定するような言動を吐いた。それに対して、私は不安になった。イライラした。腹が立った。つい反撃しないでは気持ちの収まりがつかないようになった。その感情に後押しされて、それらのマイナスの感情を吹き飛ばそうとした。つまり事実に対して、色眼鏡をかけてみているために、事実をネガティブに解釈しましたということなのです。目には目を、歯には歯をで、悪循環の始まりとなるのです。同じようなことを言われても、人によっては暴言とは思わない人もいます。第三者的な公平な立場から見て、あまりにも理不尽な言動だと思うような事でも、そうは受け取らないのです。貴重な忠告やアドバイスをしていただいた。私の行き過ぎた言動に対して、暴走を抑えてくれている。むしろ相手に感謝しているのです。相手のことをありがたい存在だと認識している。実に不思議な現象ですが、おおらかというか世にも珍しい人がいます。それは普段から信頼関係が出来上がっているからかもしれません。現象としては、同じ事実にもかかわらず、その事実の受け取り方と解釈によって、その後の経過が180度変わってしまうということです。カーネギーの書に、「極悪な犯人でも5分の理を認めよ」というのがあります。どんな凶悪犯人でも、「あの時はああするしかなかった」と言い訳をするそうです。ここで言いたいことは、相手には相手の言い分があるということです。暴言を吐く人にはそれなりの理由がある。その人の特徴かもしれない。成育過程で身につけた習性かも知れない。自分の将来のことを思ってのことかもしれない。その他、そう言わざるを得ないような理由があったのかもしれない。すぐに反撃する人は、事実を無視して自己中心的な面が強く出ている人かもしれません。そして格下の人に対しては、自分の「かくあるべし」を相手に押し付けてしまう人です。事実を先入観や思い込みで解釈しやすい人です。事実があいまいになり、事実とかけ離れたところで、言い争いをするようになります。腹を立てるのが悪いと言っているのではありません。その前に、相手の言動の真意を確かめるゆとりを持ちましょうと言っているのです。一旦相手の立場に立って、客観的に事実を見るようにする。つまり、事実に寄り添う時間を持ちましょうということです。これだけでその後の展開がよくなるとしたら、望外の喜びになるのではないでしょうか。
2020.09.25
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観念優先の態度を事実優先の生活に切り替えるために!その6、「あなたメッセージ」を「私メッセージ」に変更する相手と会話する時、「あなた」を主語にするのではなく、「私」を主語にして会話するということです。例えば、妻が夫に、「あなたはどうしてゴミを出してくれないの。結婚する時に、あなたは家事を分担してあげると言ってたじゃないの。あなたはきちんと約束を果たすべきよ」この言い方ですと、自分の頭で思い描いている夫像とは程遠い態度を批判、否定しています。これを「私」を主語にすると、「私はあなたがゴミ出しをしてくれると助かるのだけどね」という風な言い方になります。これだと言い争いになりません。夫はこれに対して、自分のことを非難、否定されないので、反発する態度には出ません。冬の寒いとき、子供が炬燵に潜り込んでいつまでも転寝をしていることがあります。そのとき、お母さんが「あなたはいつまで寝ているのよ。早く風呂に入りなさいよ。後から入る人がつかえているのよ」これでは、子供もつい反発をしたくなります。こんな時も「私メッセージ」応用したいものです。「お母さんは、すぐに風呂に入ってくれると、うれしいのだけどね」「あなたメッセージ」では、自分の考え(かくあるべし)を相手に押し付けることになります。非難、説教、命令、指示、禁止、叱責、怒りの言葉が多くなります。ちなみに、母親がよく使う「あなたメッセージ」は、「それは絶対ダメですよ」「すぐにあきらめないで、がんばりなさい」「もたもたしないで、早くしなさい」だそうです。上司が部下に使う「あなたメッセージ」は、「その考え方、やり方は間違っている」「言い訳しないでノルマをこなせ」「失敗したときに責任をとれるのか」などです。「私メッセージ」は、自分の素直な感情や考えたことを、そのまま「私」を主語にして話します。私はこう思います。私はこういう考えです。私はこう感じました。私にはこう見えます。私はこうしてくれたらうれしいです。最初の素直な感情は、恐怖、不安、心配、悲しさ、嬉しさ、嫉妬、驚き、イライラ、心細さなどでしょう。私メッセージは、相手に自分の考え方や行動を強制しません。私メッセージによって、相手がどう感じ、どう行動するかは相手に任せることになります。当然自分の思惑通りに行動してくれないことが多くなります。それが普通です。それはあらかじめ想定済みなのです。それから先どうしても自分の意見を通したいならば、相手と交渉することになります。その場合も、相手の意見を尊重しながら、ある程度のところで妥協に持ち込めればオッケーという気持ちで構えることです。「私メッセージ」を生活の中に取り入れてみてください。人間関係がよくなります。それは、他人に対して「○○してはいけない」「○○しなさい」「○○しなければならない」という「かくあるべし」を押し付けることが激減してくるからです。ただしこれは無自覚に連発していることですから、自分では気づきにくい。親しい人に頼んでおいて、「あなたメッセージ」を使った時は教えてくださいと頼んでおくことです。集談会はその訓練の場と捉えて切磋琢磨したいものです。
2021.07.18
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山本周五郎氏の言葉です。毒草から薬を作り出したように、悪い人間の中からも善きものをひきだす努力をしなければならない、人間は人間なんだ。(山本周五郎のことば 清原康正 新潮社 77ページ)世間にゃあ表と裏がある、どんなきれい事にみえる物だって、裏を返せばいやらしい仕掛けのないものは稀だ、それが世間ていうものだし、その世間で生きてゆく以上、眼をつぶるものには眼をつぶるくらいの、おとなの肚がなくちゃあならねえ。(同書 79ページ)人間は弱いものだ、知らないうちに罪なこともしよう、悲しければ泣き、はらが立てば怒り、不徳と知りながら不徳なことをする、それが人間なんだ。(同書 80ページ)人間である以上、誰でも弱点や欠点を持っている。劣等感も持っていれば、優越感も持っている。成功した人も、過去にミスや失敗もたくさん経験している。他人に役に立つこともしてきたが、思い出すのは、他人に不義理なことをしてきたことばかりである。取り返すものなら取り返したいと思ってもどうにもならない。悪夢にうなされるような後悔もたくさん持っている。過酷な運命に翻弄されて、自暴自棄になったこともある。突然不幸のどん底に落ちたこともあった。命に係わるような病気もした。あわや大惨事という事故に遭遇したこともある。平成5年6月号の生活の発見誌に、前理事長の斉藤光人氏は、どんな人にでも、人格者だといわれる人も、内面には猥雑なもの、醜いもの汚いもの、好色なもの、意外と稚拙なもの、狡猾なものを持っていると言われている。人格の高潔な人はすべからく清廉潔白と考えるのは認識間違いと言えるかもしれない。もしそうならば、ことさら目くじらを立てて責める必要はない。欠点を10個持っていれば、長所も10個持っている。弱みを10個持っていれば、強みも10個持っている。醜い面を10個持っていれば、美しい面を10個持っている。つまり人間はどんな人でも清濁併せ持っているということです。それが生身の人間の実態です。見るからに善意に満ちあふれた人でも、反面見るに堪えない醜悪な面も併せ持っていると思っていたほうが間違いが少ない。そういう人間の真実を理解すれば、自分にも他人にも問題点や悪い点を許すことができるようになるのではなかろうか。目くじらを立てて喧嘩を売るよりも、笑ってお互いを許し合う方が人間関係はうまくいく。問題が表面化したときは、今は悪い面が出てきているが、時と環境が変わればきっとよい面が出てくるはずだと考えることだ。それまでしばらく待ってあげることにしよう。何しろこの自然界はバランスや調和が崩れると、必ずより戻しが起きています。そうしないとすべてのものが存在意義を失って崩壊してしまうのです。森田理論はバランス感覚、調和を身につける理論と言えるかもしれません。集談会では傾聴、共感、受容という話をよく聞きますが、それに加えて許容力も身に着けたいものです。
2023.04.24
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2024年2月17日、国産H3ロケットの打ち上げに成功した。これは第一回目の打ち上げ失敗から実に348日ぶりの快挙であった。第1回目は第2エンジンに点火しなかったため失敗に終わっている。この間、なぜ第2エンジンに点火しなかったのか、その原因をゼロベースで洗い直した。そして7つの原因に絞り込んで何回も実験を繰り返した。その中に点火装置に過電流が流れると、点火装置がオンにならないと指摘した人がいた。指摘した人は研究チームの外部の人で、電気回路の専門家であったという。この指摘は、過去H2A、H2Bの打ち上げのときに、全く問題視されることはなかったので、うっかり見過ごされるところでした。もしかしたらという気づきをもとに1000回ほど実験を繰り返したという。その結果、これは原因の一つとして排除できないという結論に達し、改善に取り組むことになった。失敗を真摯に反省して、改良・改善に取り組んだ結果、第2回目は第2エンジンに無事点火した。またそれ以外のすべてのミッションも成功した。JAXAのH3プロジェクト電気班責任者の小林泰明氏は次のように語っている。失敗するとめちゃくちゃ勉強になる。そういう勉強の機会を与えるために、失敗があるのかと思う。失敗することによって、蓄積される経験は、ただただ成功しているよりも、はるかにかけがえのないものをもたらす。ここで肝心なことは、失敗を失敗で終わらせないことです。JAXAのH3プロジェクトマネージャーの岡田匡史氏は次のように語っている。神様でない以上100%はありえない。確率の問題なのか、としか言いようがない。大きなどん底から、未来に向かって一歩一歩進んでいくことが大事です。迷っても仕方ないことには迷わない。自分は迷いなくシンプルにこの道を歩いてきた。目標が明確になれば、途中で厳しい状況に出会っても乗り越えることができる。これでロケット打ち上げ分野で世界と勝負できる基礎作りができたという。この話は神経質者にとってとても参考になる話だと思いますが如何でしょうか。
2024.06.11
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柏木哲夫医師はホスピスで多くの患者さんを看取られました。今までの人生の中で、数多くの小さなミスや失敗を経験した方は穏やかな死を迎えることができると言われている。興味深い話です。それはなぜなのか。柏木哲夫医師曰く。いわゆる庶民と言われるような人々は、辛いことを何回も乗り越えてきている。言い換えると、庶民は「小さな死」の体験者なのである。小さな死というのは、例えば、手に入れようと思った何かが手に入らなかったりしたということです。失恋、失業、倒産、病気、仕事上の問題、家族の問題、会社の人間関係なども「小さな死」と考えれば、人間は「小さな死」をたくさん経験しながら、「本当の死」を迎えるのである。ずっとこの「小さな死」を体験してきた人、つまり「小さな死」で訓練を積んできた人は、自分にとって一番不都合な「大きな死」である「本当の死」をそれなりに受けいれられる。「小さな死」を体験したことがない人は、「大きな死」も受け入れにくい。ずっとエリートコースを生きてきた上場企業の企画部長さんを看取ったことがあるが、大変だった。行きたい学校へ行き、地位と名誉と財産を築きながらも、初めてうまくいかなかったのが、自分の命が57歳くらいの若さで亡くなるということだったのです。普通の人も死を受けいれることは大変ですが、挫折の経験がほとんどない人は、それ以上に大変なことになるのです。(人生の実力 柏木哲夫 幻冬舎)私は対人恐怖症で苦しみました。劣等感で苦しみました。仕事でも躓きました。管理職としての職責を果たせませんでした。子育てに失敗しました。良好な人間関係とは無縁の生活を送ってきました。それは嫌なこと、辛そうなこと、面倒なこと、失敗が予想されることから逃げ回ってきたからです。社会体験不足のまま大人になってしまった。気分本位の生活は逃げ回ると一時的には楽なります。ところがその後暇を持て余すようになりました。そのむなしさを埋めるために刹那的な快楽を追い求めてしまう。気持ちが内向きになり、自己嫌悪、自己否定で苦しむようになりました。そのときは、高良武久先生のいわれる適応不安で苦しむことになるとは夢にも思いませんでした。砂を噛むような味気ない人生に甘んじるようなことになってしまいました。集談会で、人間は3000回の失敗の体験を積み重ねて、まともな大人に成長するという話を聞きました。ミスや失敗を目の敵にする人が多いのですが、それは憎むべき相手ではなく、自分という人間の器を大きくしてくれるものだと気づきました。ミスや失敗を忌み嫌っているといずれ後悔するようになります。歳をとって悪夢で苦しむようになります。逆にミスや失敗を今後の反省材料として活用できるようになれば、こんなに役に立つものはありません。同じようなミスや失敗をしなくなるからです。また成功するためのコツやノウハウを身に着けることができます。ミスや失敗の経験が少ない人は、今後の生活で取り戻すしかないと思います。ミスや失敗が予想されることにもあえて挑戦してみる。そしてミスや失敗の数をどんどん増やしていく。1ヶ月に10個経験できれば、1年で120個、10年で1200個、25年で3000個の目標が達成できます。日記に書いて集計していくというのは如何でしょうか。ミスや失敗を大いに喜ぶ人間になることを目指したいものです。
2024.06.12
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