全21件 (21件中 1-21件目)
1
堀江貴文さんのお話です。僕がインタビューを受けたとき、ほとんど話さないので、インタビューにならないという評判が立っている。しかし実際には、よくしゃべるときもある。でも全体的に見ると話さないことが多いということなのだ。それはひとえにインタビュアーの質問内容にかかっている。1割ぐらいの人はつい長話をするような質問をぶっつけてくる。ところが9割がた、話したくもないような質問をしてくるのだ。そういう人は、インタビューすることが何日も前から分かっているにもかかわらず、僕のことを調べていないのだ。いわゆる準備不足なのだ。だからしゃべる気が起こらない。普通インタビューする前には、僕の著作に目を通す。僕が発信している動画や記事を見ておく。SNSへの最近の投稿をチェックしてみる。これらは必要なことだと思う。相手のことが全く分からない白紙の状態で、インタビューさせてくださいというのは、相手に失礼ではないですか。分刻みで行動している自分にとって、準備不足で取材されることほど、大きな痛手はない。例えば、あなたが営業マンで何か商品を売り込もうとするとき、その会社のことをほとんど調べていない。競合他社の商品の知識が乏しい。商品に関するニュースを知らない。といった状態で臨むだろうか。もしそんな状態だったら、相手はそっぽを向くだろう。あきれ果てて、怒りだすに違いない。堀江さんは、「無駄な質問・3原則」について説明されている。「調べていない」「考えていない」「わかっていない」インタビューが不調に終わるのは、この3つが当てはまるときだ。(好きなことだけで生きていく 堀江貴文 ポプラ新書 152ページより要旨引用)これは集談会の自己紹介でも応用したいものだ。大体自己紹介でしゃべることは家で整理している人が多いと思う。そうしないと、みんながしゃべっているときに今日は何をしゃべろうかと考えないといけない。自分の順番が近づいてくると、不安や恐怖が襲ってくる。家での5分の準備はゆとりと不安をなくする。次に相手の話はメモしている人が多いと思う。これもちょっと工夫すれば、何回も参加している人はインデックスをつけて、ある程度の余白をとって、日付をつけて時系列で一目瞭然にしておく。これが積み重なっている効果は大きい。それを集談会当日に少しでも見て頭に入れておけば、適切な質問ができる。半年も前のことを覚えてくれたのかと、感激されることもある。例えば、「腰の痛みはその後少しは和らぎましたか」「奥さんとの夫婦仲は元に戻りましたか」などと質問すれば、相手と打ち解けやすくなる。事前準備は、自己紹介だけではない。体験交流で話す内容も、家で整理しておく。症状のことでもよい。日常生活のことでもよい。人間関係のことでもよい。生活の発見誌や単行本で印象に残った記事のことでもよい。森田理論の疑問点でもよい。学習ツールの話でもよい。森田理論の応用の話でもよい。ペットとの付き合い、趣味のことでもよい。とにかく最低1つはしゃべる内容を準備して参加することだ。集談会を実りあるものにするには、「家での準備に始まり、準備に終わる」を肝に銘じてほしい。みんながそれを心がけて実践したとき、すぐに集談会は活性化してくると思う。
2019.10.04
コメント(0)
読者のみなさん、新年あけましておめでとうございます。決意も新たに、新しい年を迎えられたのではないでしょうか。昨年で平成の時代は幕を閉じ、新たな元号がスタートいたします。皆様にとりまして、今年一年素晴らしい年となりますように祈念いたします。さて昨年1年間は大変お世話になりました。たくさんの励ましの言葉を頂き、何とかほぼ毎日投稿することができました。昨年は約37万人の方にアクセスいただき、またブログを始めて6年目で100万人アクセスを達成することができましたことは望外の喜びでした。今年は10年目標の7年目に突入します。7年目は、神経症克服のためのヒントのみならず、森田療法理論を基礎に置きながら、人間の生き方の問題、人間関係の問題、心や身体の健康の問題、環境問題、子育て・教育の問題、政治・社会の問題など幅広く取り上げてゆきたいと考えています。瀬戸内海だけで泳いでいた魚がいよいよ太平洋に出ていくような感覚です。ホップ・ステップ・ジャンプといったところを目指してゆきたいと考えています。それだけ森田療法理論は、奥が深く包容力があるように感じています。また私生活では、森田療法理論を存分に活かした生活が定着してきました。生活の中で森田理論を活用することがとても楽しいのです。折に触れて、森田理論を応用した、私の生活ぶりを公開していきたいと思っています。どうか、これからの1年間、宜しくお願い致します。
2019.01.01
コメント(0)
森田理論学習で学んだ私の3つの生き方について考えてみたい。1 、私は苦しいことからすぐに逃げてしまう。嫌な事はしたくない。億劫な事は極力避けてきた。不快な気分に翻弄されて、為すべき事からずっと逃げてきた。そうすると、逃げた瞬間はほんの少しだけ楽になる。ところがその後、暇を持て余すようになり、後悔ばかりしてきた。森田理論学習で、不安、不快な気分は自然現象なので、どうすることもできない。不安や不快な気分は台風と同じなので、台風が来た時の柳の木のように枝を振り乱しているしかない。そのようにして、台風が通り過ぎるのを待つだけでよいと学んだ。不安や不快な気分に翻弄されてはいけない。気分本位な生き方をしてはいけない。気分本位と付き合っていると、後で後悔することがほとんどである。そんな時は、目の前のなすべき事に注意や意識を向ける。嫌々仕方なしに手をつけていくと弾みがついてくる。つまり、不快な気分に覆われていることと、自分がなすべき事は明確に区別することを学んだ。2 、私には強い「かくあるべし」があった。その「かくあるべし」で現実、現状、事実をことごとく否定してきた。自分という1人の人間の中に、現実でのたうちまわっている人間と、もう一方冷徹な目でその現実の自分を非難、否定している自分を抱えて、絶えず葛藤を繰り返していた。いつも主導権を持っていたのは、自分を非難、否定している自分の方だった。他人に対しても、完全主義、完璧主義を押し付けて、自分の思い通りに相手をコントロールしようとしてきた。いつも他人とは対立状態に陥り、人間関係がうまくいかないと悩んできた。森田理論学習で、 「かくあるべし」を少なくして、事実本位の生き方を身に付ける事が、そうした悩みや葛藤を少なくすることを学んだ。そのために「かくあるべし」を自分や他人に押し付けない。事実をよく観察する。事実に基づいて考える。行動する。純な心や私メッセージの体得をする。 「かくあるべし」は意識して取り組まないと、なかなか少なくすることはできない。これは一生、私にとって意識して取り組むべき課題であると思う。3 、私はいつも他人と比較して、自分の物差しで、是非善悪の価値判断をして劣等感に苦しんできた。私はいつも理想の状態を頭に描いて、自分の物差しで、是非善悪の価値判断をして、自分を否定して生きてきた。私はいつも昔のよかった時のことを考えて、自分の物差しで、是非善悪の価値判断をして、現実を否定して生きてきた。森田理論学習で分かった事は、他人と自分、理想と現実、昔と今を比較して、自分の現状を正しく理解することは大切なことである。自分の置かれた状況や問題点や課題が見えてくるからである。現実や事実がよくわかるようになる。これは外国に旅行して初めて、日本のよいところや、悪いところがわかるようになるようなものだ。ところが、私は違いが分かるようになると、すぐに自分のあやふやな物差しを持って、是非善悪の価値判断をしてきた。その結果、他人と比べて優れたところでは、優越感をを持ち、他人を軽蔑するようになった。そして、大半は、自分の弱みや欠点を過大視して劣等感で苦しむようになった。理想とは程遠い自分の姿を見て、自分で自分自身を否定するようになった。森田理論学習で、自分の物差しは自分勝手な考え方によるものであり、普遍的な価値のあるものではないことがわかった。その物差しを使って、是非善悪の価値判断をすることは、自分や他人を不幸に陥れることだということがわかった。比較して自分の立ち位置をしっかりと把握する事にとどめる。それから先の是非善悪の価値判断は、余計なことである。そんな事はやめよう。自分の立ち位置が把握できれば、そこから一方、目線を上げて行動する。他人の立ち位置が把握できれば、そっと側によって、相手の立場に立って考えてみよう。そのように考えるようになった。以上の3つを森田理論学習によって学び、私の人生の指針にしているのである。
2018.10.29
コメント(0)
生活の発見会の大先輩に、玉野井幹雄さんという方がおられる。この方は亡くなられる前に、 「いかにして神経症を克服するか」 「いかにして悩みを解決するか」という2冊の本を自費出版された。そして、希望者には無償で配布された。遺言のような形で、この本を神経症で悩んでいる人のために残されたのだと思う。その中に次のように書かれている。持って生まれた素質に反抗したり、それを変えようとする努力は一切無駄なことであり、早くそういった「はからい」ごとから足を洗って、与えられた素質の長所を生かすべく努力するようになれば、楽に生きられますし、それが人生を楽しくする秘訣でもあります。そういう私は、長い間自分の素質に反抗してきましたので、それまでの人生はあまり楽ではなかったように思います。私が森田理論を知ったのは23歳の頃です。その後の病歴としては、胃腸神経症で3年、対人恐怖症で30年、うつ病で10年間苦しみましたので、合計すると47年近く症状と格闘したことになります。現在では、それらの症状からすっかり開放されて幸せに生きています。「生きている」と言うよりも、 「生かされている」と言った方がぴったりしますが、だからといって別に社会的な地位や名誉があるわけではありません。ただ、主観的に自分でそう感じているというまでのことであります。現在の幸福は得られたのは、 「神経症」や「うつ病」のおかげであると思っています。それらのものに感謝しているのであります。私が「神経症」や「うつ病」にならなかったら、恐らく今の幸せは得られなかったであろうことが確信を持って言えるのであります。それは、今の幸せが、過去の苦しみや悲しみを埋めて、なおも余りあるものであると思っているからであります。それを教えてくれたのがほかならぬ森田理論であったわけです。(いかにして悩みを解決するか 玉野井幹雄 自費出版 40頁より要旨引用)私も対人恐怖症という神経症を発症したのは、中学生の頃です。中学や高校の頃は友達がいなかった。大学を卒業して、農業関係の大手出版社に入った。雑誌の記者として、全国を飛び回るような仕事がしたかったが、訪問営業の仕事に回されて、症状のために挫折した。次に京都に本社がある繊維業界の会社に就職した。ここでは窓口営業の仕事であった。そのうち中間管理職になり、対人恐怖症がもろに出てきて苦しかった。その頃から生活の発見会に入会し、集談会の人たちに助けられながら、何とか定年近くにまで仕事を続けることができた。こうしてみると、私の一生は、対人恐怖症で苦しむために生まれてきたようなものだった。「症状を抱えたままに、なすべきをなす」という教えのもとに、なんとか頑張ってきたが、他人の叱責や批判が怖い。予期不安や予期恐怖が消えることはなかった。毎日雨降りが続いているような重い気分であった。しかしそういう口では言い表せない症状を持っていたおかげで、森田理論に出会うことができたのである。神様は自分で解決できない試練は与えないと言われる。神様は私に神経症を克服することを人生の課題として与えてくれているのではないかと思うようになった。神経症を克服した後は、神経質性格を活かした生き方を模索するという課題も与えてくださっているように思う。末広がりという言葉があるが、幼少、青年期、成人期は苦しみのどん底であっても、老年期になって、 「まあまあの人生だった」と言えるようになればそれで十分ではないかと思う。それは30代からずっと森田理論とその学習仲間とかかわってきたおかげである。図らずも、偉大な大先輩である玉野井幹雄さんと同じ心境に至っているのである。
2018.03.14
コメント(0)
先日の集談会で私の神経症との格闘について発表した。私は会社の中での人間関係が悪くなって、藁をつかむ思いで集談会に参加し始めた。早速先輩方のアドバイスに従って、実践課題から取り組んだ。次にそれを発展させて気づいたことをすぐにメモするようにした。小さな実践を丁寧にすることに取り組んだ。集談会では図書係をはじめとして与えられた役割を懸命にこなしていった。そのうち代表幹事、支部委員等も引き受けるようになった。当時私の参加していた集談会では毎年一泊学習会、野外学習会、集談会以外のレクリェーション、暑気払いや忘年会、新年会などの懇親会も盛んに行われていた。それらの企画や実施に携わってきた。特に一泊学習会の企画や実施はとても大きな経験だった。自分なりに神経質性格を活かして周到に準備すれば、みんなに喜んでもらえるようなイベントを開催できるという自信が出てきた。次第に会社でも仕事がうまく回転し始めた。次々と仕事の改善ができるようになったのだ。役職者にも昇進でき、多くの人をまとめていく仕事を任された。特に会社の移転の際には、責任者として重責も果たすことができた。それは給料や賞与にも反映された。ところが対人恐怖で人が恐ろしくて怯えてしまうという症状は全くよくなったとは思えない状態であった。このような状態で20年が経過していた。これが森田の限界かなと感じていた。この段階では森田正馬全集第5巻を読んで、森田先生の生活を真似てみようと思っていた。特に森田先生はいろんな芸を持っておられて、みんなの前で披露されたりして楽しんでおられた。私も好奇心があることにいろいろと手を出して取り組んでみた。確かに意識が外向きになるので没頭しているときは症状を忘れることはできた。でも症状を治すことを目的としていたので、依然として対人恐怖はよくならなかった。苦しいばかりだった。毎日どんよりとした雲が垂れさがっているようで憂うつであった。そんな時に新版森田理論学習の要点が出た。その時に気づいた。今まで森田理論では、「不安は横に置いてなすべきをなす」を絶対唯一のものとしてくり組んできた。それで一時はうまく切り抜けられたが、それだけの取り組みでは不十分であったのではないか。それまでの私は、他人から重要視されるような人間にならなければならない。非難される、軽蔑される、馬鹿にされる、無視される、からかわれることは絶対に受け入れることはできないと思っていた。そういう「かくあるべし」が自分を苦しめていたのだ。自分が自分を傷つけているのだから始末が悪いということに気づいた。この気づきは大きかった。このことは今まで何度も聞いていたが、自分自身で問題や課題を発見できたというのが大きかった。それからは今の自分の神経質性格、境遇、容姿、能力等弱みを持った人間を受け入れていこうと決めた。またミスや失敗を人目につかないで隠そうとしてきたが、まな板のコイのような気持ちで隠したり逃げたりしないで仕事に取り組もうと決めた。今までの習性からその実行は困難を極めたが、方向性だけは見失わないようにと思っていた。その方向で経験を蓄積していった。今では森田理論は不安と共存して、生の欲望の発揮を目指していくことが大切であること。そしてどんなに不快であっても感情の事実を受け入れて、事実に服従する生き方をすれば間違いないのだと思っている。このような気持ちで残り人生を生きて行ければ、末広がりに納得できる人生を送ることができるだろうと確信が持てるようになった。
2016.09.14
コメント(0)
森田療法の対象になる人は、自分独自の不安にとらわれて、苦しいので取り除こうとやりくりを始める。そのうち生活が後退してくる。日常生活に支障が出てくる。それとともに憂うつな気分が強まり、毎日生きていくのがつらい。最終的には蟻地獄に落ち込んだようになり、抜け道にめどが立たなくなる。というのが代表的な悩みだと思います。私はさらに神経質周辺の障害を自分と比較するなどして、分析することが欠かせないように考えています。その方が自分の現状をより深く認識することができる。自分の状況がより深く自覚できれば、対策も広がる。その際私自身が有効だと思うのは、回避性人格障害、自己愛性人格障害、新型うつ病(慢性うつ)、気分変調性障害などである。人格障害には境界性人格障害、依存性人格障害、強迫性人格障害など他にもいろいろある。対人恐怖の私のような場合には、回避性人格障害、自己愛性人格障害が特に強いようである。回避性人格障害は、もともと対人的に予期不安を抱えおり、問題に直面した場合、立ち向かってなんとか打開しようというのではなくすぐに逃げるという行動をとる。私の場合ほぼ80パーセントぐらいは逃げるのである。逃げたときは一瞬楽になるが、そのあと後悔の念が続き、自責感で悩むのである。森田療法の場合は、一般的には逃げるのではなく、その不安を取り除こうとしてやりくりをすると言われる。私の場合は、不安を解消するためにやりくりすることよりも、逃げる方法を選択してしまうので、極めて消極的な態度なのである。その点純粋な森田神経症とは違うのではないかと思う。自己愛性人格障害は、人の気持ちを思いやるという共感の気持ちを持つことができない。自己中心的で、プライドがとても高い。人と仲良く付き合いたいという気持ちはそれほど強いわけではない。それよりも、いつも人から一目置かれて、高評価されることを願っている。うぬぼれが強いのである。そのために人に役に立つことをするわけでもない。無条件に受け入れてもらい、ちやほやされることを願っている。逆に、自分を無視したり、非難したり、拒否したり、否定されることは我慢ができない。けんかを吹っ掛けたり、近づかないようにする。新型うつ病(慢性うつ)、気分変調性障害は、対人的に予期不安が続き、いつも憂うつで気が晴れないのである。本来の大うつ病、双極性障害1型の人のような、内因的なうつ症状とは違う。心因性のうつ状態という面の方が強いのである。人間関係や適応障害のようなストレスに対応することができなくなって、うつ状態になっているのである。私はうつ状態でつらいけれども、世間に理解があるうつ病を公言して、会社を休職してしまおうなどということは考えたことはない。またお酒、趣味、気分転換の方法をいくつか身につけており、大うつ病に発展することは考えづらい。つまり仕事や対人関係等のストレスが高まるとうつ状態に陥ってしまう。それはそれでつらい状態である。それで精神科に行って抗不安薬をもらってきて飲んでいたのである。だからストレスの耐性をつけて、ストレスの解消を進めればうつ状態はかなり軽減されていただろうと思う。また小さいころから困難な場面から逃避してきたので、社会体験が不足してきた。ノウハウを身につけないで大人になってきたので、対応方法が全く分からず右往左往しているのである。私はそういう人間だったのである。これらは森田周辺の学習の中ではっきりしてきた。ここまで分析ができたところで、どうすればよいのかということである。回避するという傾向が強いので、少しだけ改善する必要がある。まず職業選びには注意が必要である。耐性力がないので、営業等の対人関係がもろに出てくるところはすぐに挫折する。仕事はすべて対人関係が絡んでいるが、希薄な職業というのはいくらでもある。職業は確か2万種類ぐらいあるそうだ。その中からこれはと思う職業はきっと見つかるはずだと思う。好奇心が強いのであるから一人でいろいろと創意工夫して努力できるような仕事を探せばよいのである。一つのことを10年もコツコツと続けていけばその道の専門性はかなり高まる。そういう自信になるものを1つでも持っていると人間的に余裕が出てくる。人から無視されたりしても、それが後ろ盾となってパニックになることは少なくなるのである。また抑うつ状態はそういう生活の中で出てくるものである。そのからくりを森田理論学習によって自覚することが極めて重要である。神経質者が「生まれてきてよかった」と思えるような生き方をしようと思うならば、是非とも森田理論学習をして身につけることが必要である。
2015.08.25
コメント(0)
「一病息災」という言葉があります。人間は持病が一つぐらいあったほうが、健康に気を配るので長生きができるようになるという意味です。子供の時おたふくかぜになっておくと大人になってかかることはありません。抗体ができるからです。ところが大人になって発症する人は重症化します。抗体がないからです。私はかって痔の手術をしました。また尿道結石。痛風発作を起こしました。さらに最近は五十肩、帯状疱疹をやりました。それぞれにつらい症状ではありましたが、そのおかげでその病気の学習をしましたし、何より再発防止策をとれるようになりました。ところが世の中には元気いっぱいで、医者にはかかったことがない。生活習慣病検診なんて受診しなくても大丈夫だというような人がいます。私はどうかと思います。たまにそんな人が倒れてそのまま帰らぬ人となる人がいるからです。人それぞれの考え方があるので強制はしませんが、私は10年以上乗った車を、少しずつ部品を替えたり、メンテナンスや修理して長く大切に乗るというのが好きです。そのほうが車に対しても愛着がわいてきます。そうすれば20年以上ももたせることが可能になります。車も大切にしてくれて喜んでいることでしょう。神経症になって苦しい思いもたくさんしてきました。今になって思うと、これがあったおかげで、森田理論に出会い、得難い人たちとの交流が始まり、人生の課題を持つことができるようになりました。そしてついに人生の処し方について望外の宝物を手にすることができました。さらに今ではそれを皆さんにおすそ分けするという目標もできました。神経症よ、ありがとうという気持ちです。人生で困難な問題、理不尽な出来事というのは、それを乗り越えられるからこそ、自分に降りかかってきたのだと聞きました。神経症で長く苦しんだというのはまさにそういうことだと思います。神経症の克服の道は、今や理路整然と確立しております。安心して生涯学習として取り組んでいただきたいと切に願っております。
2014.04.12
コメント(0)
最近帯状疱疹という病気になった。1週間前ぐらいに背中がかゆかった。孫の手でかいていた。ところがその後、腹や胸、わき腹がかゆくなった。そのうち針の先でつついたような痛みが出てきた。その痛さが24時間続くのである。以前痛風の発作が起きた時も痛かったが、今回の痛みはそれ以上だった。最初は皮膚がんだろうか。内臓に問題があるのではなかろうかと気をもんだ。急いで医者にかかりやっと原因が分かった。ウィルスの仕業らしい。人にうつることはないという。薬を飲んで、塗り薬を塗っていればそのうち治るという。あまり痛いときは鎮痛剤を飲んでくれと言われた。原因が分かってやっと安心した。ところが激痛はそのまま続いている。私はその時はっと思った。対人恐怖で会社で孤立していた時のことである。その時とおんなじだ。アリ地獄の底に落ちてもがいていた。自分ではどうしてよいかわからない。心は傷つき、誰でもよいから心の痛みを取ってほしい。なんとかしてほしい。急いで精神科にかかった。抗不安薬をもらって飲んでいた。そして思い切って集談会のベテラン会員に相談した。よく話を聞いてもらった。愚痴を聞いてもらった。相談できる人がいて、話をするだけで随分と楽になった。この人の存在が大きかった。その人のアドバイスに従って布団揚げ、下駄箱、本箱の整理、風呂掃除などに手を付けてみた。一挙に改善はしなかったが、対人恐怖を持ったまま行動できることが分かった。行動していると、新たな感情が湧いてきて、症状のことを忘れていたという経験もした。その時症状を持ったまま、行動できるという能力を身につけて、なんとか会社を辞めずに済んだのだと思う。帯状疱疹も、もう少しこの痛みに耐えながら、ぼちぼちと仕事をしてゆこうと思う。
2014.01.22
コメント(0)
考えてみると、私の人生の大半は対人恐怖との戦いだった。家では小さいころから親に指示、命令、強制、脅迫で育てられ、親の機嫌を悪くしないように気を使って育ちました。父親に叱られるということにいつもおびえていた。学校に入ると同級生に仲間外れにされないように、いつもその場の空気を読み、仲間の気に障るような言動は避けてきた。クラブ活動もしないで、学校が終わると急いで家に逃げ帰っていた。唯一大学ではクラブ活動で和気あいあいと楽しく過ごせた。ところが社会人となると途端に対人恐怖症で悩み始めた。上司や同僚、部下などの視線を気にして、一人浮き上がらないようにみんなに合わせてきました。途中たまらず1回転職した。転職した後は、森田に出会ったおかげで、なんとか定年までこぎつけたが、苦難の歴史だった。ギリギリの会社勤めだった。自分を押し殺し、他人の思惑に合わせてばかりだったため、いつも暗い雲が垂れ込めて、いつ雨が降り出すかわからないような心境だった。とにかく砂を噛んで生きているような苦しさだった。しかしそれも私の運命だったのだと思う。苦しかったけれども、そのおかげで森田理論に出会ったということはラッキーだった。すべて自然の流れだったように思う。対人恐怖が無かったら森田理論に出会うことはなかったはずだ。苦しむことがない代わりに、苦しみを乗り越えて一回り大きな人間に成長する機会も与えられなかったのだろうと思う。そういう課題をしっかりと認識できて、日々研鑽を重ねる機会を持てただけでも幸せな人生だと思うようになってきた。今では対人恐怖で悩んでいる人に、私の体験を伝えたい。参考にしてもらって早く克服してほしい。そういう生きがいも生まれてきた。苦しみを克服することは、ただ単に楽になるだけではない。困難を乗り越えるという貴重な体験が持てるということであるし、人生観が変わり、味わいのある人生を送る可能性が生まれるということである。このブログもその一環として考えている。
2014.01.17
コメント(0)
日野原重明さんの話です。私が尊敬している人物の一人に、精神医学者のV・E・フランクルというユダヤ系オーストリア人がいます。第二次大戦中、300万人の人命が絶たれたアウシュヴィッツ収容所にユダヤ人としてとらわれ、奇跡的に生還した人です。この医師が、人間が人間らしく生きるために必要なことが3つあるといっている。1、 人間はクリエイティブに何かを創る、生産することで生きがいをもって生きられる。2、 人間は他の動物とはちがい、何かを愛することによっていきいきとする。3、 逆境に耐えることによって、より人間らしくなる。これは森田理論に通じるところがあります。まず1番目。森田理論は「生の欲望の発揮」ということを言います。自分の生まれた境遇の中で持って生まれた能力を活かして、人のため、将来を今よりもよりよくしていくために常に心身を働かせて運命を切り開いていく。森田理論の土台となる考えです。2番目。自分、他人、物、お金、時間などを大切に扱う。そのものの存在価値を見つけ出して、できるだけそのものの持っている存在価値が発揮できるようにしていく。唯我独尊、物の性をつくすという考え方です。3番目。不安、恐怖、ストレスはイヤなものですが、それに目をそむけないでぶつかっていくことは、その人の人間としての成長につながります。また生きがいにもなります。但し、森田では、不安には積極的に手を出さなければいけないものと、手を出してはいけないものがあるといいます。まずそれを区別することが大切です。そのうえで、手を出してはいけないものは不安を抱えたまま、なすべきことやるべきことに手をつけましょう。そうしたことができる能力を獲得しましょうと教えてくれています。不安常住という考え方です。これらはいずれも森田理論の核となる考え方です。
2013.10.31
コメント(0)
昨日集談会があった。記念集談会ということで、普段は参加されることのない人が多数参加された。その中で85歳、83歳の人がいた。二人とも現在病院にもかからず、元気いっぱいであった。もちろん認知症の気は全然ない。85歳の人。77歳まで現役で働いていた。現役のころは駅前にある大きなホテルの構造設計を担当したそうです。対人恐怖で苦労したが、今となってはそのおかげで成長させてもらったといわれていました。孫が東大の大学院に行っておられるそうだが、この孫が「おじいちゃんの神経質性格を引き継いでいたのがよかった」と言ってくれたそうです。40年前の幹事の頃、一泊学習会の企画書を見せていただいたが、設計者らしく細かいところにも十分に配慮が行き届き、これだけでも森田の学習になると思いました。83歳の人。小学校教師。その後公認会計士資格取得。会計業務ののち、また教師生活。不登校の子供と関わる。現在森田認定指導員であるという。本は3冊書きあげられた。三聖病院2回、啓心寮に2回、計4回の入院経験をお持ちの方であった。人に歴史あり。どんな人でも人生の足跡をたどって、真摯に耳を傾ければ、味わいのある話を聴くことができる。
2013.10.14
コメント(0)
私は生きていく上で大切なことが2つあると思っている。一つは自分にとって自分が最大の理解者であること。味方になってあげること。どんなに劣等感があっても、どんなに弱みを持っていても、ミスや失敗をしても常にバックアップ体制をとってあげること。決して後ろから石を投げつけたりしない。最前線で戦っている自分に対して、できるだけしっかりと援護射撃ができること。そんなことは当たり前だという人もいるかもしれない。私の場合は、自分という一人の人間の中に二人の自分がいた。片方の自分が、現実でのたうちまわっている別の自分を、常に厳しく監視していて、是非善悪の判定をおこなっていたのである。こんな不幸なことはない。この世の地獄である。人からはどんなに批判的に見られてもいい。でも自分だけはどんなに厳しい状況になっても総力を挙げて自分の味方になってみよう。いたわり励まして、支えていこうと決めたのです。もう一つは、私は対人恐怖症になって仕事で躓いた。どうしても人間関係をうまく築くことができないで苦しんできた。でも今考えれば、これは神様が自分に対して与えた課題、宿題だったのではないかと思う。神様はそうした問題を自分に与えて、どのように対応するのだろうかじっと見ておられるのではなかろうか。これは人間に生まれてきたからには誰にでも与えられていると思う。例外はありえない。私の場合、人生の大半は苦しみの連続であったが、やっと森田理論に出会い解決の糸口を見つけ出した。まだまだ完全に解決したとは思えない。さらに修養を積んでいく必要がある。でも未来には明るい光が見えてきた感じがする。森田でやっと、神様が自分に課した課題や宿題を解決する道筋が見えてきたのです。これが私にとっての生きる意味だったのではなかったのかと思えるのです。このことに気がついたというのがうれしいのです。
2013.09.02
コメント(4)
最初、「これで納得、実践的森田理論学習」を作りました。半年ぐらい経って、回りくどいところや説明不十分なところがとても気になりました。最初の本を半分ぐらい書きなおし、ほぼ自分としては納得できる本がやっとできました。これは手直ししたいところもありますが、もうこれで完結したいと思っています。その段階で今度は、それをもっと発展させたものを作りたいと思う気持ちが強くなりました。内容としては、森田理論のどこをどのようにを実生活に活かしていけばよいのか。そして森田理論で生活の様々な問題を考えてみる。つぎに世の中の様々な問題を森田理論の視点でもって考えてみる。ということです。これはまだまだ構想を練っている段階ですが、ほぼめどが立ちました。7月、8月で原稿をあげて9月印刷してゆきたいと思っています。弾みがついたのだと思います。このプログを続けていることが思わぬ副産物を生んでくれたと思っています。ブログのほうは、とりあえず5年ぐらいで3500の原稿アップ。10万アクセスの目標を掲げたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。自分でも、自分がどんなに変化していくのか今から楽しみにしています。
2013.07.12
コメント(0)
私は小さいときから人見知りや人の思惑が気になるたちであった。社会人になってからは最悪であった。訪問営業の仕事なのに、人に会うことができない。人より実績をあげたいのに、足が仕事先に向かないのだからとても苦しい。自分に大きな問題があると思っていた。最近、かっての同僚たちが、次々に定年を迎えている。私は、驚きでいっぱいである。どうしてあのくるしい、訪問営業の仕事を約40年も続けてこられたのだろうか。自尊心を傷つけられるような日日をどうして乗り越えたのだろうか。不思議である。断られて苦しいながらも、なぜ次の訪問先に足を向けることができたのか。私は9年で退職しました。でも、私は神経症で苦しんだおかげで森田理論に出会った。これはとても幸運であった。神経症に苦しまなかったとしたら、森田は知らずに死んでいったことだろう。森田で出会ったおかげで、人生の半分以上は、死んだも同然の人生であったが、人生の後半はこの上ない至福の時間を過ごさせていただいている。また、このプログで自分のように長く苦しまなくて、早く充実した生き方を身につけてもらいたくて、森田の考えを多くの人に伝えたいという強い意欲も出てきた。考えてみると、大きな壁にぶっかって、それを乗り越えようとするプロセスが、後で振り返ると人生の醍醐味なのかもしれません。葛藤や苦しみを抱えることは決して悪いことではありません。そこから縁が生まれるのです。森田を学習している人は素晴らしい人がたくさんいますので、ぜひお近づきになって、おこぼれをいただく姿勢がよいと思います。
2013.06.11
コメント(1)
1日より本日まで葬式が立て続けに2件ありました。投稿を楽しみにされていた方にはすみませんでした。亡くなった人は二人とも90代の方でした。二人とも老人ホームや病院に入院されていました。ここ4、5年は寝たきりの植物人間のような状態でした。介護する家族も本人も大変きつかっただろうと思います。平均寿命が伸びたといっても、こんな人が多くてはとても喜ぶことはできません。私はこんな死に方はしたくないと思いました。精神的にも肉体的にも健康で、3日患ってぽっくりと亡くなることを目指そうと思いました。患ったときは、点滴で栄養剤の補給は絶対にやめてもらうように言っておこうと思います。これは患者にとって、苦痛を与えるものです。病院に見舞いに行った時も栄養剤の点滴が行われていました。さて精神的には何と言っても脳の活性化です。森田理論学習を行ったので、いつも好奇心旺盛です。いろいろ手を出してゆけば、自然に脳は活性化するのではないかと思っています。それと日常茶飯事を丁寧にこなしてゆこうと思います。体の健康は、いつか白血球の顆粒球とリンパ球のバランスということで投稿しましたが、免疫学の権威である安保徹先生、それと石原結實先生の考え方を生活の中に取り入れて、病気になりにくい体づくりを実践しようと思っています。対症療法ではなく、予防医学というのは、森田の考え方そのものだと思っています。
2013.05.04
コメント(0)
私の症状は対人恐怖症です。特に人の思惑が気になるタイプです。人から非難されたり、無視されたり、からかわれるといったことが我慢なりませんでした。反面、人から褒められる、称賛される、一目置かれるといった「生の欲望」が人一倍強いタイプです。今考えると、その欲望を達成するために、細かいことによく気がつくという神経質性格を活かして人のためになることを積み重ねてゆけばよかったと思います。また粘り強いといった性格も持っていますから、仕事で他の追随を許さないほどのエキスパートを目指して精進してゆけば、神経症にならなくて、目的を達成できたかもしれないと思います。私がその方向に行かず、途中で努力することを放棄して、人から理不尽な扱いを受け、不愉快になるその気分と格闘し続けたのが誤りだったのです。今考えると貴重な人生の大部分を廃人寸前で過ごしたような気がして、取り返しのつかない後悔の念が湧いてきます。ただ今は充実した生活をおくらせてもらっています。終わりよければすべてよしといいますから、良しとしておきます。今悩んでおられる方は、森田理論を早くものにして味わい深い人生にしていただきたいと思います。
2013.01.07
コメント(0)
私は生活の発見会の集談会で森田理論学習を続けています。メリットがありました。よく話を聞いてくれる仲間がいました。同じ神経症に悩んでいる仲間です。また、何人かはしっかりとした人生観を確立した方もおられ、そうした人に接するだけでも得難い体験をさせていただいています。またこの会は入るのも退会するのも自由というのが安心感がありました。また、ここでいろいろと世話役をさせてもらいました。困難から逃げてばかりで、社会体験が不足していた自分にとって格好の体験になりました。そして少し自信がついて、会社でも宴会やイベントなどの世話ができるようになりました。また神経症に陥るにあたっては、私は多くの認識の誤りを持っていました。仮に1人で森田関連の本を読んでいたとしても、神経症から解放されたとは思えません。それは間違った認識の上に森田学習をすると観念的になり、むしろ神経症に陥る前よりも状態が悪化していることがあるからです。本当は森田理論は順序だてて学習してゆけばまちがいなく神経症を治し、これからの人生を楽に生きてゆけると思います。
2013.01.06
コメント(0)
私は「森田式精神健康法」で森田を知りました。27年前です。転職した会社で、人間関係につまずき、どん底でもがき苦しんでいた時です。生活の発見会のことを紹介してあり、電話をしてすぐに集談会に参加して学習をはじめました。アドバイスとしては、「症状はそのままして、とにかく日常生活に目を向けてなすべきことをやってゆく」ということでした。当初藁をもつかむ思いで集談会に参加したのに、そういわれてがっかりしました。布団あげ、靴磨き、風呂掃除、部屋の掃除、洗車などです。布団あげや靴磨きでこの苦しみがとれるとはどうしても思えませんでした。腹立たしくさえ思いました。ただ、他に頼るところもなく、仕方なく先輩の言われることを実践してみました。すると不思議なことに、退職の瀬戸際にいた状態から割と早く脱出することができました。大出血を止めることができたのです。その後紆余曲折ありましたが同じ会社にとどまることができました。ですからこの方法は効果大だったのです。今振り返ってみると、これは森田理論の入口ですが、家でいえば土台のようなものですから、それから先の段階に進んでも、土台がぐらぐら揺らいでいるようでは症状は解放されることはありません。
2013.01.06
コメント(0)
私の症状は対人恐怖症です。32歳の時事務の仕事に転職しました。得意先から電話やFAXで注文を受けてそれを端末に打ち込むような仕事をしていました。100ぐらいの注文の処理をすれば2、3回ぐらいの割合で間違った処理をしてしまいます。これぐらいのことは普通に注意深く仕事をする人でも間違いはあります。彼らは仕事をしているとミスはつきものと考えているようです。私はそのようにはどうしても考えられませんでした。私のミスによって何十万単位で会社に損害を与えたこともあります。そうなると始末書を書かされたり、上司から叱責を受けたり、担当営業マンからあからさまに嫌みを言われます。そして得意先からも無能力者扱いされます。だから私は仕事上の間違いは1つでもあってはならないし、絶対に許されるものではないと考えていました。私と彼らとの違いは、そのことを気にしすぎて「とらわれ」てしまったことです。そしてそれ以外のことには全く無頓着になってしまいました。1つのミスもしてはならないという背景には、社会的に認められ、会社で人よりもよい評価を得て注目されたいという強い欲求がありました。価値観の多くが、人から賞賛を浴び、尊敬され、羨望のまなざしでみられる人間になりたいというところに集約されていたのです。そのためには完全無欠でなくてはなりません。容姿、勉強、仕事、経済的状況などすべてにおいて人の上をいっていなければ満足できなかったのです。人に劣る部分や弱い部分、頼りない部分は目の敵にして取り繕って、人に弱みを見せないようにと最大限の努力を払ってきたのです。自分に劣等な部分があると人から嫌われると思い、何とか隠そうとしてきたのです。結果としてバリアをはり、人を寄せ付けないオーラをかもしだすことになってしまいました。
2013.01.06
コメント(0)
私は、大学卒業後専門書の飛び込みセールスの仕事をしておりました。なかなか注文がとれず苦しい経験をしました。飛び込みというのは、ほとんど断られるのです。そのきびしい断りの言葉に耐え続けなければならないのです。自尊心を粉々にまで否定されます。私は、また断られるのではなかろうかと、いつも予期不安に悩んでいました。私は、転職したわけですから最終的には耐えられなかったわけです。私は、セールス理論を完全にマスターして、理論を頭の中で理解しないと仕事にいけないと思っていたのです。喫茶店などにいりびたり、実際の仕事をしないで、どうしたら断られずに、スムーズに注文をとれるだろうかとセールス理論ばかり考えていました。キーマンへの面談方法、話のきりだし、相手の欲求のつかみかた、相手の欲求と自社商品の結び付け、クロージング等等いろいろ本も読みながら勉強をしていたのです。しかし、たまたま注文が取れるときは理論通りにピタッと決まるものではありませんでした。成約は決まるときは意外と簡単に決まるのです。本を手にとってすぐ買う人もいれば、紹介者の名前を聞いただけで買う人もいました。理論通りのセールスは自己満足以外のなにものでもなかったのです。だから、理論武装を完全にするよりも、足を使ってたくさんの人と面会することが必要だったのです。失敗の中からさまざまなセールスを体で覚えることが必要だったのです。予期不安の中で仕事から逃げてばかりの生活が、なんとも苦しくて仕方のない状況でした。
2013.01.06
コメント(0)
私は生活の発見会の会員で27年目になります。集談会には毎月参加しています。森田理論の学習は、神経質性格を持った人には、とても役に立つと思いますので、このプログでいろいろと森田先生の言葉などを紹介してみたいと思っています。
2013.01.05
コメント(0)
全21件 (21件中 1-21件目)
1