曹操注解 孫子の兵法

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Oct 22, 2010
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公金の浪費だ。
私はこうした主張で、
小野晋也さんの最大のハコ物政治の記念碑
「秋葉原ロボコン・コロシアム構想」をつぶした。
秋葉原駅前の高層ビルを通るたびに、私は小野さんの悔しそうな渋い顔を思い出す。

小野さんの悔しさはわかる。
他のいろいろなムダな施設を見てみろ、小泉元総理の地元の横須賀なんかはお気に入りのXジャパンの記念館とか、くだらない施設であふれているじゃないか。

まあ、その通りだ。

大がかりな【公金横領システム】を堂々とつづけてきた。
いっぽうで地方自治体に配分された公共事業は、自民党政治の集票マシンとして地元経済を牽引し、支配する買収資金の役割をになってきた。

現金や商品を各戸配布したら選挙違反になるが、就職や事業をバラまくのは正当な政治活動だと、田中角栄は戦後経済成長路線の建設業優先の公共事業拡大政策をとってきた。
小沢一郎さんはその流れを汲んで、西松建設に関わった。
もし西松の幹部が「小沢事務所に献金を渡したら工事がやってくるから」とした証言が虚偽だとするならば、
小沢さんは名誉毀損と偽証の損害を西松建設本社に請求したらいい。民主党も同様だ。
なぜやらないのか。

それは時効になった古い問題がたくさんあるからだろう。
私も細川政権で、誰あろう平成の黄門さま、元副議長がさっそく建設業界の会合を開き、
「自民党時代と変更はありませんから、われわれを信頼していただきたい」と発言したのに、どっちらけた思い出がある。
いま、こういう風に書くと、黄門さまは「あんときゃスッカタねぇよ」と会津弁で苦笑するだろうが。


友人がやろうとしていたら、なおさらのことだ。
そんなことに関わるな、後世に恥晒しの記念碑を残すだけだぞ、と。

小野晋也さんの政治家としての業績は輝かしいものだ。
ソニーのアイボも、ホンダのアシモも、小野さんの政治的支援と、官庁の優遇政策がなければ誕生しなかったといえるだろう。
今日、日本がロボット先進国として多国間の宇宙開発に存在感をもっているのも、研究者たちと企業の開発技術者たちを結びつけた小野さんの尽力が欠かせなかった。

小野さんが政界引退し、いまは民主党政権になったが、小野さんほど科学技術振興に深い理解をもった与党政治家を私は知らない。

野党政治家だと、もう政治力を発揮できないから、大臣にはならなくても、いい潮時で小野さんは身を引いたんだと思う。

小野さんが政治の師匠とあおいだのは、森善朗元総理だった。
小野さんが初戦敗退して、浪人生活をしていたときも、いろいろ物心両面で面倒を見てもらっていた。
森先生は、私の父の早稲田大学商学部の二年後輩、父の同期が黄門さま、ゼミ同窓がリクルート事件で犠牲になった藤波孝生元官房長官。

私が近くで見た森さんは恰幅のいい、そして面倒見のいい本当の善人だった。
森さんが初当選したときは、岸伸介元総理が郷里にかけつけて応援演説した効果が大きかった。
「岸先生、来たる」というポスターを貼っても、誰も信用しなかったという。
その恩義に報いることは、岸派(福田派=安倍派)の議員数を増やすこと。

何とか議会で多数派を握りたいという派閥政治(ボリシェビキ)のメンタリティは、吉田茂の二人の弟子、池田隼人と佐藤栄作の対立でエスカレートしていった。
池田は大蔵官僚、佐藤は鉄道省(国土交通省)出身、ともに官僚OBだった。
佐藤栄作政権が長期化する中で、党人(官僚OBじゃない政治家)の田中角栄がニューリーダーとして独立運動を起こした。
とにかくバカでも、チョンでも、金さえあれば議員にしてやる。
金を使わせて、議員数を増やせという空気もあった。

逆にたたき上げの田中はそのような買収選挙は今後できないと考え、潤沢な政治資金を用意する一方で、候補者本人には貧乏暮らしと、街頭遊説三昧の政治スタイルを徹底させた。

山田宏さんは田中角栄と会ったとき、たまたま運転手を引き受けたが、パッと大金のチップを渡されて驚いたと述懐したことがある。

このようにして田中派は勢力を拡大していった。
森さんは党人、福田元総理は大蔵官僚だったが、安倍晋太郎(安倍元総理の父)は元新聞記者、仲間意識は強かった。
強引なボリシェビキ政治で田中角栄は政権をとり、自分が総辞職し、三木内閣で逮捕された後も、福田内閣を引きずりおろして、大平内閣に影響力を保った。

そのボリシェビキ政治の延長が小沢派。

森さんは若くして幹事長になった小沢のいいところ、悪いところを見ていた。

森さんの政治スタイルは面白かった。
「アメリカやヨーロッパの議員外交は頭のいい連中に独占されて、イス取りだけでも気を使う。西アジアやアフリカとの議員外交ならば、何も苦労がいらない」
思わず笑ってしまった。

森さんの若いころの政治活動を調べてみると。
いま各地に散在する【青年の家】という宿泊研修施設を創案して、各省庁にかけあい、実現したこと。

各地方、特に過疎地域で目立ちつつあった小学校などの木造の廃校などを改装して、研修宿泊施設に衣替えしたものだった。
なかなか大きな仕事だ。全国に「青年の家」はまたたくまに広まった。

しかし、研修施設というと、ご存知のように年金機構や郵便貯金など、公的基金が各地に建設した大規模施設ができたり、
われわれが一般に若いころに使った宿泊施設はユースホステルだったから、
「青年の家」の事業がどれだけ利用度の高い事業だったかは不明だ。
古い小学校の廃屋利用という、なるほど面白いアイデアは、森さんの個性が光っているが。

その「青年の家」が、福祉施設として文部省から厚生省に移管されていたら、私はもっと評価をあげただろう。
なぜなら、日本社会は高度経済成長末期、もう高齢化社会の試算が出ていて、50年後の青少年数より高齢者人口が上回ることは確実視されていたからだ。
これは今後の教訓として生かしたい。

では今から「青年の家」を福祉施設にすることはできないのか。
そこに省庁の壁がある。
小学校を建設したのは文部省の予算だ。だから厚生省にやすやすと見返りもなく譲渡できない。

「青年の家」の構想は、森さんのアイデアだったが、それを後押しした文部官僚たちの公然たる意図は既得権益の保全と拡充以外の何ものでもなかった。

その延長が、ベンチャー企業やNTTドコモなど新産業分野の未公開株に群がった政治家・現役官僚たちがリクルート事件という顛末になる。
森先生がリクルート事件と無縁だったのは、「目立つところは頭のいいやつが競争するから、一歩引いてみる」という人生哲学のおかげだろう。

しかし、その師匠の仕事ぶりが、小野晋也さんを「秋葉原ロボコン・コロシアム」構想という夢に駆り立てていったことは想像に難くない。





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Last updated  Oct 22, 2010 11:09:38 AM


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