曹操注解 孫子の兵法

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Oct 22, 2010
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カテゴリ: カテゴリ未分類
どこの法律に地方議員の特権として、地方行政機関に「アドバイス」をする明文が存在するのか?

だから「三権分立」というのだ。

ところが、議会政治が盛んになると、地方自治体が「議会対策」に労力と時間を空費するという馬鹿馬鹿しい光景が起きる。
それはこれまでの地方議会政治が、行政機関への不文干渉、
あの新人議員が行使したような「アドバイス」という名目の越権行為が多いからである。
このような悪慣行は根絶しなければならない。

新人議員がやったことは明らかに越権行為、不法行為に間違いないのである。
それを当然のこととしているのは、赤信号で強引に渡れという議会慣行がまかり通っているからであろう。

ささいなこと、本人もそう考えるだろう。
大事だったら、ブログの上ではすまない。
警察に逮捕されることは間違いない。新人議員の政治生命はそれで終わりだ。

議員の越権だとわかっていても、どうして地方自治体の現場はコストや労力、その効果もはなはだ疑われるような郵送通知をしなければならなかったのか。
それは新人議員が「このトラブルを議員質問にとりあげる」と強迫したからである。

一人の市民に対する一人の職員のミスの疑惑、
つまり1対1の窓口トラブルを
市議会議員が市議会でとりあげるなどという行為はまさしく恐喝行為に等しい。
民間企業で、一人の社員のミスを、社外に宣伝するなどという暴言を吐くのは、総会屋や暴力団の恐喝行為ではないか。明らかに議会政治の許される常識を逸脱している。

市議会議員本人にもその自覚がない。
「役所が郵送通知をやったのは、私のアドバイスが妥当だと認めたから、勝手におやりになったのでしょうから、私の責任の及ぶところではありません」



以前にも同じような経験をしたことがある。

松下政経塾の1期生で最初に政治家(愛媛県議会議員)になった人物。
元衆議院議員の小野晋也さん。

最初に東京政経塾で会ったとき、小野さんは落選した直後で、ものすごく落ち込んでいた。
ここでは日本新党につながる政経塾出身者の新党の結成について、いろいろ話し合われていたが、


やっと衆議院議員に当選したら、自民党は野党。
細川内閣が成立。

小野さんは当選直後に、奥さんを急性ガンで早死にさせてしまった。
小野さんは政治家という自分の運命に疑問を持っていた。
奥さんに必ずしも好意的でなかった後援会も率先して解散して、勉強会のOAK・TREEという団体だけは維持した。

そんな中で、私は小野さんとの親密な関係を持っていった。
何度か選挙区の愛媛県新居浜も訪れた。
小野さんはいつも夜行バスの住友病院のバス停に立って、私を待ってくれていた。懐かしいなあ。

小野さんが前の選挙で、経済担当副大臣・文部科学副大臣のキャリアで政界引退を表明したのも、そうした人生観からではないか。

自民党が政権に復帰し、晴れて与党政治家になった小野さんは、東京大学工学部宇宙工学専攻の学歴から科学技術振興の旗振り役という立場に、衆議院議員としての役割をつくっていった。

その努力がかなって、同窓の友人から宇宙飛行士が出たとき、小野さんは幸福の絶頂だったと思う。

最初に衝突したのは、新居浜のケンカ神輿の事件。
新居浜は天領(幕府直轄の別子銅山の積み出し港)だったので、江戸時代から狭い地域に異なるコミュニティーが割拠。
それぞれの日ごろの鬱憤を神輿をぶつけ合うことで晴らしてきた。

現代になると、これは目的も性格も変化し、若者たちの「やってやろう」、「今年は復讐だ」という地域間の感情のぶつかり合いがエスカレートした。

それが過剰になり、ついに神輿のぶつかり合いで、見物客から死者が出た。
隣町からきた若い女性。

私は産経新聞にコラムを書き、「このような原則禁止と違犯暴走の悪循環はやめ、相撲の見合いのように、きちんとしたルールでやるべきではないか」と主張した。
それ以降、新居浜の神輿での死者は聞かない。
なぜ新聞に書いたかというと、小野さんが何もしなかったからだ。

小野さんは愛媛県から東京大学に国内留学した秀才で、地元のコミュニティー活動も希薄だった。
小野さんが仲裁したら、たちまち蜂を突ついた騒ぎになったであろう。
結局は産経新聞の私の記事を読んだ神社本庁幹部が各神社の仲裁に入り、
祭礼のルールを変更したらしい。

この事件で小野さんとは亀裂が入り、私は新居浜にいけなくなった。

決定的に対立したのは、秋葉原駅前の旧神田市場跡地に計画されたインテリジェントビル再開発。
あの秋葉原駅前の高層ビルのことである。

この再開発計画がでたとき、小野晋也さんはさっそく飛びついた。
宇宙開発促進のいっぽう、小野さんは全国高等工業学校のロボット対決、いわゆるロボコンの旗振り役として懸命になっていた。

最初はロボット学会を異業者交流会と結びつけ、その関係からソニーのアイボやホンダの先端ロボットなど、急速なロボット技術の進歩を促進していたので、それはすばらしい政治家の功績だと思っていたが。

小野さんは秋葉原の再開発に、広大な常設ロボコン競技場のプランを組み入れようとした。
とんでもない浪費である。

私は反対した。
「こんなことで金がとれるのか」
「ロボットの戦いを競輪や競馬みたいにしたいのか」

小野さんの会合には経済産業省の役人も、秋葉原の経営者たち(ヤマギワ、オノデン、ラオックスの代表)や秋葉原デパートの若いご主人も同席していたが。

みんな小野さんの大風呂敷な構想は実現できるのか疑問に思っていたと思う。

小野さんの気持ちはよくわかった。
このまま秋葉原を「萌え系」とか「メイド系」の町にしてしまっていいのか?
電気街の復権はどうするのか?

私の意見は明確だった。
ロボコン競技場をつくっても、秋葉原の変容はなすすべもない。
公金の浪費だ。
電気街の復権は、民間企業の問題だ。
インテリジェントビルの中に産業会館部分をつくり、製品展示と商談のチャンスを常設施設でおこなえばよろしい。

これで小野晋也さんの最大のハコ物政治の記念碑「秋葉原ロボコン・コロシアム構想」はつぶれた。
秋葉原駅前の高層ビルを通るたびに、私は小野さんの悔しそうな渋い顔を思い出す。

でも、これでよかったのだと私は信じている。














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Last updated  Oct 24, 2010 07:55:55 PM


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