山本藤光の文庫で読む500+α

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2015年01月12日
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■黒岩比佐子『音のない記憶・ろうあの写真家・井上孝治』(角川ソフィア文庫)
くろ黒岩比佐子:音のない記憶.jpg


◎黒岩比佐子のこと

 八重洲ブックセンターで「追悼・黒岩比佐子」のコーナーに遭遇しました。思わず「嘘だろう」と叫んでしまいました。黒岩比佐子とはずっと、メールでのやりとりをしていた間柄です。会社の後輩の友人ということもあり、気安く日常のできごとを交換していました。それが突然の訃報。

 2010年52歳の若さで、すい臓がんのために世を去ってしまいました。その後遺作ともいえる『パンとペン・社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社文庫)で読売文学賞(評論・伝記部門)を没後受賞しています。

 黒岩比佐子について書いた、古い原稿を転載させてもらいます。
(PHP研究所メルマガ「ブックチェイス」1999年11月15日号)

(引用はじまり)

 黒岩比佐子の趣味(実益をかねているけれど)は、古書収集です。自ら「古書の森日記」というホームページを立ち上げています。毎回写真入で、ゲットした古書を紹介してくれます。


 杉森久英『天才と狂人の間・島田清次郎の生涯』(河出文庫)を読んでいて、島田清次郎『地上』を読みたくなっていました。古書店を探さなければ見つかりません。ネット検索してみました。ヒットしたのが、黒岩比佐子のページでした。


 黒岩比佐子は、島田清次郎『地上』をゲットしていました。写真つきで「安く手に入れた」と書いています。さっそくHPのメッセージ欄に書き込みをしました。しばらくメールをしていませんでした。「おひさぶりです」と返信が返ってきました。私と黒岩比佐子の出会いは、『伝書鳩・もうひとつのIT』(角川ソフィア文庫)の書評を書いて以来のことです。この本については「山本藤光の文庫で読む500+α」の番外(+α)でとりあげるつもりです。


 島田清次郎が、10年間のブランクを埋めてくれたのです。それ以来ひんぱんに古書のことや日常のことをメールしあうようになりました。

(引用おわり)

◎たった1冊、ひっそりと



 海を見ている2組のカップルを、背後から撮った写真には「1956年3月・福岡・西公園展望所」と書かれていました。ふたつのベンチに、カップルは均一な距離で坐っています。眼前には白い湾が広がっています。クレーンのそばからは、白い湯気が立ち上がっていました。

 音の存在しない沈黙の写真。船舶の音も、クレーンの音も、湯気が立ち上る音も、ましてや2組のカップルの会話も遮断してしまった写真。私は長いこと、そのスナップ写真に見入りました。そして心底すごいと思いました。




――言葉を操って、自分の思いを自由に語ることができない孝治は、そのもどかしさを常に心の中で感じていたに違いない。そんな時、彼は写真を通じて自分の感じたことや伝えたいことを表現できる、ということを発見したのだろう。(本文より)

 黒岩比佐子は、こうも書いています。要約してみます。
――写真は「目」で撮るのだから、「耳」が聞こえなくともハンディキャップはない、と考える人がいるかもしれない。静物写真ならそうかもしれない。しかし一般的には、風の音、会話の音、通りを走る車の音などを、写真のなかに写し取る。井上孝治の写真が衝撃的なのは、すべてが「その一瞬」で停まっているように見えることにある。

 たとえば、ソフトボールに興ずる投手と打者の写真があります。写真は打者の背後から撮られています。2人とも婦人です。投手がボールを放した瞬間に、シャッターが切られています。ピントは投手にあてられています。ボールは、打者と投手の間で「停まって」います。



 著者・黒岩比佐子は、フリーランスのライター。彼女が70歳になる井上孝治と出会ったのは10年前。そのとき井上孝治は、ただの年寄りでした。福岡の老舗の百貨店がキャンペーンのために、1950年半ばころの庶民の生活を撮った、写真を探していました。 

 報道写真は数多く存在していましたが、イメージに合うものは見つかりませんでした。そんなとき偶然にも、百貨店の広告写真を手がけていた井上一が、父親のことを思い出します。そして処分されかけていた、膨大なネガが甦りました。

 キャンペーンで使われた写真は、たちまち評判になりました。写真家・井上孝治の誕生です。井上孝治に魅せられた黒岩比佐子は、彼の生涯を実に丹念に描いています。また本文の間に挿入されている、スナップ写真も魅力に富んでいます。


 3歳のときに階段から落ちて、聴力を失った井上孝治。写真を唯一の自己表現手段として、挑戦し続けた生涯。私の書棚には、井上孝治の写真集が2冊ならんでいます。『想い出の街』と『こどものいた街』(ともに河出書房新社)です。黒岩比佐子も井上孝治もこの世にはいませんが、私の大切な記憶のなかでは生きています。

(山本藤光標茶六三:2009.05.29初稿、2014.09.03改稿)






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最終更新日  2018年02月06日 04時58分50秒
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