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瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』(文春文庫)幼い頃に母親を亡くし、父とも海外赴任を機に別れ、継母を選んだ優子。その後も大人の都合に振り回され、高校生の今は二十歳しか離れていない“父”と暮らす。血の繋がらない親の間をリレーされながらも出逢う家族皆に愛情をいっぱい注がれてきた彼女自身が伴侶を持つとき―。大絶賛の本屋大賞受賞作。(「BOOK」データベースより)◎父親辞めたが崩壊のきっかけ瀬尾まいこは、『卵の緒』(新潮文庫)で2001年坊ちゃん文学賞を受賞し、文壇デビューしています。そのころは中学校の国語の講師をしており、教員試験に挑みつづけています。しかし大きな資格や経験がないため、なかなか二次試験に通りませんでした。そんなこともあり、坊ちゃん文学賞は教員への道をぐっとたぐりよせた資格となったようです。そのことをインタビュー記事で知り、著者が愛おしくなった記憶があります。小説家への道が拓けたという感想ではなく、先生の道が拓けたというのですから、なんとも愛らしいかぎりです。その後教師となりますが、身体を壊して退職します。そして結婚。途中育児に追われ、一時は休筆したこともありました。そんな経緯から生まれたのが、『幸福な食卓』(講談社文庫)でした。本書は、2005年吉川英治文学新人賞に輝きました。『幸福な食卓』は、普通の家族をテーマにした物語です。家族団らんの朝食の席で、当然父親が「父親辞めた」と宣言します。それをきっかけに、薄皮で包まれていた家族が崩壊し始めます。『そして、バトンは渡された』は崩壊した家族のなかの優子という子どもの、「その後」を描いた作品です。本書は圧倒的な支持で、2011年本屋大賞を受賞しています。◎ほっこりとした物語主人公・優子の母親は、彼女が3歳のときに事故死しています。物語は優子17歳のときから滑り出します。優子は37歳の森宮という、3人目の父親とくらしています。この間までのことは、回想として紹介されています。最初の優子は水戸という姓でした。その後、姓は田中と変わります。父親の水戸が外国赴任となり。新しい母親・梨花は日本に残ることになります。水戸と梨花は事実上離婚となり、優子は梨花のもとに残ります。この時点で優子の姓は、田中となったわけです。その後、梨花は泉ヶ原と再婚します。当然連れ子の優子の姓も泉ヶ原と変わります。やがて梨花は泉ヶ原と別れ、森宮と結婚することになります。こう紹介すると、梨花のことを尻軽女と錯覚してしまうかもしれません。それは違います。梨花が優子に注ぐ愛情は、とてつもなく深いものです。ここではあえて紹介しません。本文をご堪能ください。優子には3人の父親と2人の母親が存在します。しかし優子は一度たりとも、自分のことを不幸だと思ったことはありません。――困った。全然不幸ではないのだ。少しでも厄介なことや困難を抱えていればいいのだけど、適当なものは見当たらない。いつものことながら、この状況に申し訳なくなってしまう。(第1章冒頭より)本書の登場人物は誰もが善人であり、優子を特上の愛で包み込みます。本屋大賞に推した書店員たちのほとんどは、本書を「ほっこりとさせられた物語だった」とコメントしています。◎はるかに大きな未来『そして、バトンは渡された』の執筆動機となった、教師仲間とのやりとりです。著者のインタビュー記事をご覧ください。――中学校の教師時代、担任した生徒をわが子同様に可愛いと思っていました。でも周囲からは「わが子が生まれるともっと可愛いよ」と言われたんです。そして、わが子が生まれてみると「一緒だな」って。手のかかり方は当然違いますが、血がつながったわが子も、担任していた生徒も、同じくらい愛情を注げる相手だなと。(「私の時間デザイン」第27回)この言葉にあるように、瀬尾まいこはやさしく暖かい筆遣いで、優子とそれを取り巻く人間模様を書きつづってみせました。それは新しい父や母だけではなく、定食屋の主人にまでおよんでいます。新しい父や母は、一様に次のように思っています。次のインタビュー記事と同じ心境が吐露される場面が本文中にでてきます。――子どもが過ごす明日には、大人の自分の明日より、はるかに大きな未来があります。一緒にウキウキ、ワクワクするし、ドキドキできる。自分1人の明日にはそんなに特別なことがないけれど、子どもがいると、2倍、3倍の時間を一緒に過ごせている気がします。(「私の時間デザイン」第27回)ほっこりとした物語は、優子の結婚式で幕を閉じます。最終章は文体が変わり、嫁いだ娘を思う気持ちが噴き出ています。大きな事件がまったくない本書には、ポジティブな心遣いが満ちあふれています。山本藤光2021.09.13
2021年09月13日
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宗田理『ぼくらの七日間戦争』(角川文庫)明日から夏休みという暑いある日のこと。東京下町にある中学校の1年2組の男子生徒が全員、姿を消した。彼らは河川敷にある工場跡に立てこもり、そこを解放区として、体面ばかりを気にする教師や親、大人たちへの“叛乱”を起こした!女子生徒たちとの奇想天外な大作戦に、本物の誘拐事件がからまって、大人たちは大混乱に陥るが―。何世代にもわたって読み継がれてきた、不朽のエンターテインメントシリーズ最高傑作。(「BOOK」データベースより)◎平凡な子どもたちの反乱今度中学生になる孫に紹介しようと、宗田理『ぼくらの七日間戦争』(角川文庫)を読んでみました。児童向け小説としては、長きにわたって読みつがれている傑作です。ちょっと非現実的な場面もありましたが、大人でも十分に楽しめました。宗田理は1928年生まれです。『ぼくらの七日間戦争』(角川文庫)は1985年、著者57歳の時に発表されています。本書は話題を呼び、「ぼくらシリーズ」として書きつながれることになります。シリーズは総計2000万部を超える大ベストセラーになっています。本書執筆の動機と著者の簡単なプロフィールを引いておきたいと思います。――昭和12年に日中戦争が勃発し第二次世界大戦になると、16歳の頃には工場で強制労働に駆り出された。昭和20年8月7日、工場が空襲をうけて2500人が犠牲となった。この8日後に終戦、宗田さんは大人たちを信用することができなかった。大学卒業後に出版社に勤務、悪い大人を子どもの想像力・勇気で懲らしめるとの思いを込めて「ぼくらの七日間戦争」を書いた。(角川公式サイト)角川から「子ども向けの小説を書いてもらいたい」と依頼された宗田理は、後日この第一作が「これほど長いシリーズになるとは思わなかった」と語っています。そして成功の秘密を、次のように述懐しています。――主人公の英治も、親友の相原も、みんな普通の子どもです。特別な才能があるわけじゃないし、とりわけ勉強ができるわけでもない。普通の子だから良かったのかもしれません。(「好書好日」2018.05.29)このように本書は平凡な子どもたちが、大人に向かって蜂起した物語です。それぞれ特技はありますが、傑出したものは出てきません。彼らは額を寄せ合い、さまざまな戦術を練り上げます。このあたりについて、著者は次のように語っています。――僕自身の少年時代は戦争中でしたから、遊ぶことはもちろん、いたずらなんてできなかった。だから大人になって、僕が中学生だったらこんなことやりたいな、といういたずらを書いています。(「好書好日」2018.05.29)このコメントに接して、私は大人の読者にも自分なりの物語をつむぎあげてもらいたいと思いました。行間からは宗田理が宙をあおぎ、楽しそうに昔を思い出している姿が浮かびます。◎大人イコール悪、子どもイコール善中学一年の一学期。終業式の日に、クラスの男子生徒全員が忽然と姿を消します。校則にがんじがらめにする教師や勉強を強要する親への反旗。彼らは郊外にある廃工場に籠城します。そしてそこを「解放区」と名づけます。「解放区」は高い塀で仕切られ、外部から容易に入ることはできません。籠城した男子生徒は、外の女子生徒とトランシーバーで情報交換をします。「解放区」には、柿沼という男子生徒が不在です。外からの情報で、柿沼が誘拐されていることが判明します。本書は何とか籠城を断念させようとする大人と、子どもたちとの七日間にわたる戦いが描かれています。そしてそこに、誘拐された柿沼の奪回物語が重なります。大人イコール悪。子どもイコール善。こうした極端な対立を、宗田理は実にユーモラスに描いてみせます。ただしこの対立構造に、三人の「例外」があります。この「例外」の存在が、物語を確固たるものにしています。解放区には先住者がいました。瀬川卓蔵という戦争を経験した老人は、廃工場の元従業員でした。子どもたちは彼に、どこから進入してきたのかと尋ねます。瀬川は工場と学校近くにある公園を結ぶ、マンフォールの存在を教えます。外部とつながる秘密のルートの存在は、子どもたちに大きな勇気を与えました。大人たちの無謀な突撃に対して、確実な退路ができたからです。瀬川の戦争体験も、大人たちとの闘争に役立つことがたくさんあります。二人目の例外は、養護教諭・西脇由布子の存在です。彼女は毎日子どもたちの健康を心配し、差し入れを持参して解放区を訪れます。子どもたちの憧れである美しい先生をめぐる、小さな物語もストーリーの支流として描かれています。三人目の例外は、柿沼を誘拐した田中という犯人です。この男も最終的には、解放区と関わる一人となります。宗田理は大人対子どもという対立図のなかに、三人の例外を据えることで、物語に膨らみをもたらしました。子どもたちが大人に仕掛けた悪さや、柿沼の救出劇については触れません。祖父母が孫と読み合わせて、大いに語り合うべき物語。そんなことを夢想させてくれる作品でした。山本藤光2020.03.23
2020年03月23日
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住野よる『君の膵臓をたべたい』(双葉文庫)ある日、高校生の僕は病院で一冊の文庫本を拾う。タイトルは「共病文庫」。それはクラスメイトである山内桜良が綴った、秘密の日記帳だった。そこには、彼女の余命が膵臓の病気により、もういくばくもないと書かれていて―。読後、きっとこのタイトルに涙する。「名前のない僕」と「日常のない彼女」が織りなす、大ベストセラー青春小説! (「BOOK」データベースより)◎ミステリー仕立て住野よるは、大阪在住の男性作家です。生年月日は明らかにされていません。本書は投稿サイトに応募された、著者のデビュー作です。青春と病。このテーマは、多くの読者の共感を呼びます。古くは、堀辰雄『風立ちぬ』(新潮文庫)や実話を物語にした河野實・大島みち子『愛と死をみつめて』(大和書房)などの話題作があります。住野よる『君の膵臓をたべたい』(双葉文庫)もその系譜の作品です。しかし、前記の作品と大きく異なるのは、二人の主人公のキャラクターの特異性です。病におかされている、女の子は明るく社交的です。一方、男の子は暗く非社交的です。二人は高校のクラスメートです。まったく真逆の性格の二人は、一冊の日記で結びつけられます。山内桜良は膵臓を病んでおり、余命いくばくもありません。そのことを彼女は、「共病文庫」というタイトルのノートに書き留め続けていました。その日記を偶然に、もう一人の主人公である「僕」が読んでしまいます。病院の待合室に置き忘れられていたのです。それから二人のぎこちない交際がはじまります。本書が優れているのは、登場人物のキャラクターがとがっていること。そして何よりも、ミステリー仕立ての構成の見事さにあります。本書は2016年本屋大賞の第2位に輝いており、映画化もされたようです。死を自覚した女子校生の明るさとネクラの男子高校生という対比も見事ですが、二人の日常に少しずつ深みが増す展開こそ本書の魅力です。◎草舟とは物語の冒頭は「クラスメートであった山内桜良の葬儀は」と、主人公の片割れが死んでしまっているところからつづられます。そして本稿「僕」と「山内桜良」との馴れ初め場面へとさかのぼります。ただし「僕」の姓名はあかされません。「僕」は、「【秘密を知ったクラスメートくん】」などと表記されます。この呼称は二人の関係が進化するにつれて、【地味なクラスメートくん】【仲良しくん】などと変わっていきます。その後「僕」の名前は、有名な小説家を二人合わせたよう、と描写されたりします。そして最後にフルネームで紹介されます。私はこの仕掛を高く評価しています。これだけでも十分に読者を引っ張る原動力になっています。さらに著者は、「草舟」なる単語をひんぱんに用います。最初に登場するのは21ページです。私はここで、活字を追うことを中断することになります。意味がわからなかったのです。――抵抗も空しく、気がつけば僕は本格的な七輪を挟んで彼女と向いあっていた。本当に草舟っぷりがいたについている。(P21)電子辞書に「くさぶね」や「そうしゅう」と入力しました。しかし「該当なし」と出ます。仕方がないので、ネット検索を試みました。すると同じ単語の意味を求める、読者の問いがありました。そして下記が回答者さんのコメントです。――「草舟」は草の葉っぱを折って作った舟のことだと思います。この文章では、軽い力で流されてしまう喩え(たとえ)として使っていますね。(tanishi_aさん)住野よるは、この単語を10回ほど用います。本書が秀逸なのは、前記の「僕」の呼称と「草舟」の意味に変化が生まれる点にあります。「草舟」の最後は、次のように説明されています。――誰も、僕すらも本当は草舟なんかじゃない。流されるのも流されないのも、僕らは選べる。(P249)◎病・死・青春『君の膵臓をたべたい』の読みどころのもう一つは、「共病文庫」にどんなことが書かれているか、にあります。死を覚悟している桜良の底抜けな明るさの裏に、いかなる内なる葛藤があるのか。「僕」が知りたいのは、その点でした。桜良の死後、「僕」はそのノートを受け取ります。そして号泣することになります。 これ以上、作品に深入りすることは避けます。本書は「病」と「死」という厚切りパンにはさまれた、具だくさんの青春小説です。この極上の食材をつくった、住野よるに拍手を贈りたいと思います。至極満足しました。 本書は少しでも多くの人に味わっていただきたいと思います山本藤光2020.01.13
2020年01月13日
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瀬名秀明『パラサイト・イヴ』(新潮文庫)事故で亡くなった愛妻の肝細胞を密かに培養する生化学者・利明。Eve1と名付けられたその細胞は、恐るべき未知の生命体へと変貌し、利明を求めて暴走をはじめる――。空前絶後の着想と圧倒的迫力に満ちた描写で、読書界を席巻したバイオ・ホラー小説の傑作。新装版刊行に際して、発表時に研究者でもあった著者から、科学者あるいは小説家を志す人達に贈る、熱いロングメッセージを収録。(内容紹介より)◎500番目の紹介作「山本藤光の文庫で読む500+α」は、瀬名秀明『パラサイト・イヴ』(新潮文庫)が500作品目の発信となります。ホラー小説は得意でないのですが、本書と貴志祐介『青の炎』(角川文庫。500+α紹介作)だけは別格です。『パラサイト・イヴ』は、20年ほど前に角川ホラー文庫で読んでいます。今回500+αに掲載しようと、書店に足を運びました。新潮文庫しかありませんでした。今回再読して、当時の興奮がよみがえってきました。とにかく面白くて、一気読みしてしまいました。ベストセラーになった作品ですので、ご存知の方は多いと思います。瀬名秀明は、国立大学薬剤部に席をおく現役の研究者です。マスコミはこぞって、この点を強調していました。これまでに安部公房やのちほど対談を引用させていただく石黒達昌など、医学部出身の作家はたくさんいます。しかし、薬剤師は希有な存在です。思い浮かぶのは第一次世界大戦中に薬剤師の助手だったアガサ・クリスティくらいです。理科系作家の特徴は、詳細な情景描写にあります。安部公房は、「百科事典」を思わせるような「砂」の描写をしました。石黒達昌は「論文」や「写真」を作品に挿入しました。そして瀬名秀明は先端科学にスポットをあてました。――肝細胞の初期継代培養は、現在世界中の研究室で行われている基本的な手法である。肝の多様な代謝機構を調べるには、その細胞を採取してきて培養し、それに薬物や基質を与えてやり、細胞が起こす変化を観察するのが一番わかりやすい。(本文より)◎「何者か」の操作 作品の性格上、物語の詳細について紹介はできません。生化学者である永島敏明の妻・聖美は、ある日不可解な交通事故を起こします。聖美は植物状態になり、永島は腎臓を少女に提供し、彼女の肝細胞を培養しはじめます。 Eve1と命名された肝細胞は、異常なスピードで増殖します。一方腎臓を提供された少女の方にも異変が起こります。永島は肝細胞の異常な増殖も、少女の異変も「何者か」の操作によるものと思います。本書については、あまり深入りしないことにします。妻・聖美の死を受け入れられない夫。肝細胞を培養して、妻とともに生きようとする生化学者。しかし永島は、少しずつ異変に気づきます。そのあたりの展開は、化学音痴の私でも十分に理解できました。柳美里は本書を「官能的なラブ・ストーリーとして読んだ」(週刊文春編『傑作ミステリーベスト10』文春文庫+α)と書いています。郷原宏は「この怪物はドラキュラより怖い」(前掲書)と書いています。2つのコメントの落差は、本書を象徴していると思います。◎理路整然とした小説「ホラー小説時代・日本の小説が変わる」というテーマで、吉本隆明と石黒達昌が対談しています。また郷原宏が「恐怖小説(ホラー)の未来を拓く二人の作家」と題した文章を書いています。(ともに「本の旅人」1995年12月号)その二つをまとめてみたいと思います。 ――吉本「今まで漠然と、緻密なのは純文学で、少し乱暴だけど話が面白いというのが大衆文学だといわれていたものが、その範疇でとらえられない作品が出てきた」/石黒「瀬名さんはサイエンティストらしく、非常に理路整然とした小説を書かれている。破天荒にストーリーは展開していきますけど、それでも一貫したサイエンティフィックな小説です」――探偵小説が、推理小説と名を変えると同時に、従来の変革は最終的に推理小説と袂を分かって怪奇・恐怖小説などとして独立し、それぞれが独自の道を歩むことになる。この流れが現代のSFやモダンホラーにつながっている。(郷原)『パラサイト・イヴ』は、完成された作品です。ラブ・ストーリーでもあり、モダンホラー小説でもあり、SF小説でもあります。2017年最後の書評でもあり、500冊目の紹介作品でもある『パラサイト・イヴ』をご堪能ください。山本藤光2017.12.31
2017年12月31日
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大嵐で船が難破し、僕らは無人島に流れついた!明治31年、帆船・龍睡丸は太平洋上で座礁し、脱出した16人を乗せたボートは、珊瑚礁のちっちゃな島に漂着した。飲み水や火の確保、見張り櫓や海亀牧場作り、海鳥やあざらしとの交流など、助け合い、日々工夫する日本男児たちは、再び祖国の土を踏むことができるのだろうか?名作『十五少年漂流記』に勝る、感動の冒険実話。(「BOOK」データベースより)須川邦彦『無人島に生きる十六人』(新潮文庫)◎勇気と信念の実話『十五少年漂流記』に代表される、冒険小説が好きです。本書は日本版の「十六おじさん漂流記」です。時代は明治31年。暗礁に乗り上げた探検船・龍睡丸は、日本の南東の端にある「海賊島」へ向かっていました。しかし大嵐に遭遇し、龍睡丸は暗礁にうちあげられました。沈没を余儀なくされたとき、船長は全員を集めて申し渡します。――こんな場合の覚悟は、日ごろから、じゅうぶんにできているはずだ。この真のやみに、岩にくだけてくる大波の中を、およいで上陸するのは、むだに命をすてることだ。夜が明けたら上陸する。あと三時間ほどのしんぼうだ。この間に、これからさき、五年、十年の無人島生活に必要だとおもう品々を、めいめいで、なんでもあつめておけ。(本文P67より) 必要最小限のものを伝馬船に積みこみ、船長をふくめた16名の船乗りが脱出します。本書は高等商船学校の実習生だった須川邦彦が、同校の中川教官(物語の船長)が話してくれた体験談をまとめたものです。 著者の須川邦彦について、新潮社のプロフィールから引かせていただきます。――1880(明治13)年、東京生れ。1905年、商船学校航海科卒後、大阪商船に勤務。また、日露戦争に従軍し、水雷敷設隊として奮戦。第一次大戦では敵艦の出没する洋上に敢然、船長として乗り出し、日本海員魂を発揮した。その後、商船学校教授を経て、東京商船学校校長、海洋文化協会常務理事を歴任。1949(昭和24)年死去。 新潮文庫の「まえがき」は、中川船長が寄稿したものです。――この物語を読んで、私は龍睡丸の十五人の人たちは、ほんとうにりっぱな人たちであったと、つくづく昔のことを思いうかべるのです。そして、昔、練習船帆船琴ノ緒丸の実習学生時代の須川君のことを、思い出されます。(中川倉吉の「まえがき」より) 16人が漂着したのは、珊瑚礁でできた無人島です。全員の無事を確認した中川船長は「全員はだかになれ」と、最初の指示をくだします。長引く無人島生活を予測し、衣服がぼろぼろになることを避けたのでした。冷静沈着な長期的思考ができる船長は、つぎなる行動に移ります。 4人ずつを1グループにして、「座礁船から荷物を運んでくる」「井戸掘りをする」「島をめぐって役に立つものをさがす」役割をあたえます。早くに任務を終えたら、つぎは海水から蒸留水をつくる装置の製作をおこないます。 ところがどうしても、真水ができません。井戸堀りチームも、真水をくみ上げることができません。彼らはへとへとになりながらも、第2の井戸堀りに挑みます。座礁船からもどったチームも第3の井戸を掘ります。しかし真水はでませんでした。 空腹と喉の渇きに苦しみながら、長い1日が暮れてゆきます。翌朝、船長は全員を集めて、新たな約束ごとを発表します。一つ、島で手にはいるもので、くらして行く。二つ、できない相談をいわないこと。三つ、規律正しい生活をすること。四つ、愉快な生活を心がけること。 4つの約束ごとに、私は違和感を覚えました。普通なら「力を合わせて」といった協調性をいちばんに求めるはずです。おそらく船長は、15人に全幅の信頼をおいているのでしょう。それゆえ命令調ではない、このようなモットーとして伝えたのだと思います。 もしも漂着したのが16人の船客だったら、こんな戒律にはなりません。まずは指導者が生まれ、その命令で統率をとるしか術はありません。探検船・龍睡丸には、中川船長という絶対の統率者がいて、3人のリーダーが存在していました。◎楽しみながらの仕事 翌朝船長は、運転士、漁業長、水夫長を集めます。そしてつぎのように心のうちを語ります。―― 一人でも、気がよわくなってはこまる。一人一人が、ばらばらの気もちではいけない。きょうからは、厳格な規律のもとに、十六人が、一つのかたまりになって、いつでも強い心で、しかも愉快に、ほんとうに男らしく、毎日毎日をはずかしくなくくらしていかなければならない。そして、りっぱな塾か、道場にいるような気もちで、生活しなければならない。(本文P106より) 船長がもっとも気をつかったのは、張りつめた希望のある毎日をすごさせることです。すこしでも気がゆるむと、弱気の虫が蔓延してしまいます。病気を引きおこし、仲間うちでのトラブルが生まれます。船長はみずからに、つぎのような戒めを課します。――どんなことがあっても、おこらないこと。そして、しかったり、こごとをいったりしないことにきめた。みんなが、いつでも気もちよくしているためには、こごとはじゃまになると思ったからだ。(本文P108より) 本書には地図やわかりやすいイラストが、はさみこまれています。たとえば砂で見張り台をつくる場面は、こんな具合です。ページ上には人の2倍ほどになった砂山があります。頂上で砂を固めている人がいます。砂山の下には、砂を手渡す人がいます。砂山に向かって砂を引く人が3組います。てんびん棒で砂を運んでいる1組がいます。大の字で寝転がっている人がいます。 寝転がっているのは最年長の小笠原老人で、ぼろぼろになって倒れこんでいるのです。砂を運ぶ4組のうち、てんびん棒をつかっているのは1組だけです。木材が足りない状況をイラストは、正確にしめしてくれます。 楽しみながら進める仕事は、どんどん広がりをみせます。見張りやぐらの当番、炊事、たきぎ拾い、まきわり、魚とり、かめ牧場当番、塩製造、宿舎掃除……。 祖国日本への生還を夢見て、男たちは力を合わせます。本書は非常に読みやすい文章であり、各章は短くまとまっています。ゆっくりと、しかも十分に楽しませてくれる構成です。イラストも存在感があります。 本作品の初出は、昭和23(1948)年10月。文庫化されたのは、平成15(2003)年のことです。ずいぶん昔の作品が復刻されました。ぜひ読んでいただきたいと思います。きっと勇気と信念の大切さを、思い出すことでしょう。 本書は2009年の「新潮文庫100冊」にはいっていました。ジュール・ヴェルヌ『十五少年漂流記』(集英社文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)よりも、おもしろかった。という友人もいたほどです。(山本藤光:2009.09.06初稿、2015.12.17改稿)
2015年12月18日
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空前絶後のアホバカ・トリックで話題の、第3回メフィスト賞受賞作がついに登場! 新作『五枚のとんかつ』も併録。またノベルス版ではあまりに下品だという理由でカットされた『オ**ー連盟』もあえて収録した、お得なディレクターズ・カット版。トリックがバレないように、必ず順番にお読みください。(文庫案内より)(注:**=ナニ)蘇部健一『六枚のとんかつ』(講談社文庫)◎ヘンなことを考える作家 40歳のころサラリーマンをしながらPHP研究所メルマガ「ブックチェイス」に、毎週書評を連載していました。読書は通勤電車のなかで、2日に1冊をノルマにしました。つまり毎週3冊を読んで、そのなかの1冊の書評を書くわけです。結構ハードでしたが、楽しい仕事でした。出版社から本を送っていただけるし、作家からもメールや手紙がとどきます。 書評は日本の現代作家と近代作家(戦前生まれの人)に区分して、交互に書きつらねることにしていました。ある日「本の雑誌」で北上次郎が『六枚のとんかつ』(初出は講談社ノベルズのちに講談社文庫)をとりあげていました。北上次郎は「まったくヘンなことを考える作家もいるものである。こういうばかばかしいことに真面目に取り組む稚気を愛したい」と書いています。知らない作家でした。北上次郎の推薦本はおおむね「あたり」なので、読んみることにしました。『六枚のとんかつ』は、千葉市の書店にはありませんでした。仕方なく八重洲ブックセンターへ行きました。新書本の棚の一番下に、かろうじて1冊あるのを発見しました。帯にはこんな推薦文がありました。 ――倉知淳氏激笑! なんたるおバカ! 呆れ返るのを通りこして大笑いしちゃいました。 また裏表紙には、「大笑いか激怒かっ!? 決して読む者の妥協を許さぬ超絶アホバカ・ミステリの決定版、遂に登場!」とあります。 読んでみました。とにかく宣伝通りに笑えました。本書が文庫化されたので、「山本藤光の文庫で読む500+α」候補作として再読することにしました。『六枚のとんかつ』(講談社文庫)は、16の短編から構成された連作集です。主人公は保険調査員。すべての作品が、保険詐欺殺人事件や盗難事件をあつかっています。主人公とその友人である古藤という推理作家が、なぞ解きをする構成です。 ネタのすべてが、タモリの番組や既存の推理小説からの借り物です。また主人公の小野由一という名前も、大好きなタモリの森田一義から借用し、一義を逆さまにして由一とするくらい凝っています。徹底しているのです。 アホバカでも推理小説なので、種あかしは避けたいと思います。ただし、種は別の作品からの借り物なのですから、ひとつくらいあかしてしまおうと思います。 最初の作品「音の気がかり」は、誘拐事件をあつかっています。犯人からの電話を録音してそれを分析すると、微かに4回もくりかえされている「ガッツ石松」という音が聞こえてきます。主人公と古藤は勇んでガッツ石松の事務所へ急行します。オチには、きっと笑ってしまうことでしょう。◎漫才のボケとツッコミのような 蘇部健一の著作には、賛否両論があります。食べ物をあつかった本で笑えるのは、東海林さだお(『偉いぞ立ち食いそば』文春文庫など)の著作は抜きんでています。また清水義範『蕎麦ときしめん』(講談社文庫)、原宏一『かつどん協議会』(集英社文庫)はおもしろさを保証します。ともに「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作としており秀逸です。 そして蘇部健一の表題作「六枚のとんかつ」をここに加えたいと思います。文庫版には下品すぎるとカットされていた「オ**ー」などもノベルズには収載になっています。(注:*=ナニ) 著者は途中から苦しまぎれに、早乙女という120キロの巨漢を、主人公の相棒として登場させます。そのことを著者は「あとがき」でつぎのように書いています。 ――早乙女は、トリックの必要上、しかたなく登場させたのだが、なかなかいい味をだしていたので、その後メイン・キャラクターにくわえたところ、いつのまにかホームズ役の古藤を食ってしまった。 推理小説の楽しみは、なぞ解きにあります。漫才のボケとツッコミのような、キャラクターのやりとりの楽しみもあります。清水義範の殺人事件シリーズの『H殺人事件』や『CM殺人事件』(ともに光文社文庫絶版)なども、探偵がそれぞれ躁病、うつ病という設定でおおいに楽しめました。 蘇部健一の作品は、著者自身が書いているように、早乙女の登場で色鮮やかになりました。文庫化にあたり作品も追加されましたし、大幅な加筆修正がなされています。「こんな作品はゴミだ」「誰にでも書ける」と酷評した人たちに復讐を誓ったようですが、あまり本質が変わっていないので安心しました。 ゴミでいいじゃないですか。ゴミを書く作家などいないのですから、稀有な物書きとしてさらにゴミを増殖させてもらいたいと思っています。ゴミ屋敷には、醗酵したネタがまだまだあるはずです。分別などしないで、どんどんゴミをさらけだしてもらいたいと思っています。(山本藤光:2010.07.04初稿、2015.09.02改稿)
2015年09月03日
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ヴェネツィアのフェニーチェ劇場からオペラアリアが聴こえた夜に亡き父を思い出す表題作、フランスに留学した時に同室だったドイツ人の友人と30年ぶりに再会する「カティアが歩いた道」。人生の途上に現われて、また消えていった人々と織りなした様々なエピソードを美しい名文で綴る、どこか懐かしい物語12篇。(「BOOK」データベースより)■須賀敦子『ヴェネツィアの宿』(文春文庫)◎美しい旋律のような文章 大学を卒業して入社したのは、日本ロシュというスイスの製薬会社でした。社内の公用語は英語でしたので、新入社員には英文タイプライターが支給されます。入社してしばらくは、タイプ打ちの練習をさせられました。黒いタイプライターには、金文字で「Olivetti」というロゴが刻まれていました。オリベッティはイタリアのタイプライター会社です。 須賀敦子はその会社の広報誌に、エッセイを連載していました。彼女が56歳(1985年)のときからです。エッセイの連載は多くの読者に評価され、須賀敦子が61歳のときに第1作品集『ミラノ 霧の風景』(白水Uブックス)が刊行されました。現在は『須賀敦子全集』(全8巻、河出文庫)が出ています。「ミラノ霧の風景」は「コルシア書店の仲間たち」とともに第1巻に所収されています。 須賀敦子は69歳で亡くなっています。『KAWADE夢ムック・追悼特集・須賀敦子』に、よしもとばなな(表記は吉本ばなな)が追悼文「美しい旋律」をよせています。――豊かで、力強く、品があり、激しさを秘め、静かに深みをたたえている。そういう美しい旋律のような文章を書くことができる稀有な人でした。須賀さんがその経験や才能を惜しげもなく私たちにさらしてくれたことも、その文章が年齢も性別も様々な多くの人に受け入れられたことも、すばらしいことだと思います。ご冥福をお祈りします。『KAWADE夢ムック・追悼特集・須賀敦子』のなかに、アントニオ・ダブッキの追悼文「深い絆」があります。ダブッキ作品は好きで、『インド夜想曲』『逆さまゲーム』『遠い水平線』(いずれも白水Uブックス)などを読んでいました。それらの作品の翻訳者が須賀敦子だったことを、ダブッキの追悼文ではじめて知りました。 私は迷いながら、『ヴェネツィアの宿』(文春文庫)を推薦作として選びました。『ヴェネツィアの宿』は3冊目のエッセイ集となります。本書には父親と母親が登場します。須賀敦子の原点を知るうえでは、いちばん大切な著作だと思っています。「ミラノ霧の風景」「コルシア書店の仲間たち」「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」「ユルスナールの靴」「遠い朝の本たち」「地図のない道」など、どの作品もすてきです。◎誰もが去っていく イタリアへは行ったことがありません。しかし読みながら、なぜか懐かしさを感じました。『ヴェネツィアの宿』(文春文庫)には、表題作をふくめた12の著作が所収されています。1番目「ヴェネツィアの宿」と12番目「オリエント・エクスプレス」は、父親の話です。そして父親の話にはさまれるような形で、母親の思い出も描かれています。 ヴェネツィアのホテルの一室で、体調を崩した須賀敦子はベッドで横になっています。隣接するフェニーチェ劇場からは、歌劇の音楽が聞こえてきます。彼女はかつて父親がこの地のホテルに滞在していたことに思いをめぐらせます。遠い日の記憶をたぐりよせながら、彼女は外の喧騒とは別の世界を彷徨します。 フランスでの孤独な留学時代のことは、「大聖堂まで」に書かれています。美しく格調高い文章を引用させていただきます。――すぐそこに、といっていい距離に、白くかがやくパリの大聖堂ノートル・ダムが、まだ昼間の青が残った夜空を背に、溢れるような照明の光をあびて、ぽっかり宙に浮かんでいた。それも、セーヌ河沿いの花やかな南面を惜しげなくこちらに向けて、後陣にちかいトランセプト(袖廊)の突出部分の中央に位置した薔薇窓の円のなかには、白い石の繊細な枠ぐみにふちどられた幾何もようの花びらが、凍てついた花火のように、暗黒のガラスの部分を抱いたまま、静かにきらめいている。宇宙にむかって咲きほこる、神秘の白い薔薇。(本文P135-136より) 夫・ペッピーノのことは、追悼文として「アスフォデロの野をわたって」に書かれています。――死に抗って、死の手から彼をひきはなそうとして疲れはてている私を残して、あの初夏の夜、もっと疲れはてた彼は、声もかけないでひとり行ってしまった。/がらんとしてしまったムジェッロ街の部屋で朝、目がさめて、白さばかりが目立つ壁をぼんやりと眺めていると、暮れ果てたベストゥムの野でどこかに行ってしまったペッピーノを、石につまずきながら捜し歩いている自分が見えるような気のすることがあった。(本文P266より) 父と愛人のことは、最終章の「オリエント・エクスプレス」に描かれています。ここは引用を控えさせていただきます。夫の死、父の死とつづく最後の2作は、淡い色を基調とした渾身のエッセイです。最後に林真理子の文章で結ばせていただきます。――須賀さんのエッセイに出てくる人たちは、誰もが去っていく。たまには再会する人もいるが、つかの間のことでまたどこかへ行く。ミラノの風景もヴェネツィアの夜も、みんな現し世の一瞬通りすぎるもので、須賀さんの心はいつか人々がすうっと消えていく一点を向いていたような気がして仕方がない。死を軸にすると、風景や人々はこのように美しく描かるのだろうか。(林真理子『林真理子の名作読本』文春文庫P150より) なんだか引用だらけになってしまいました。須賀敦子については、美しい文章にふれていただきたい、との思いからのものです。手抜きをしたかったわけではありません。念のため。(山本藤光:2013.012.16初稿、2015.01.25改稿)
2015年02月02日
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瀬戸内寂聴『奇縁まんだら』(日経文芸文庫)◎瀬戸内寂聴の金字塔ついに文庫化されました。とりあえず『奇縁まんだら』(日経文芸文庫)が発売(2014年10月)され、以下『続・奇縁まんだら』『続の二・奇縁まんだら』『終り・奇縁まんだら』とつづきます。私は全4巻を単行本(日本経済新聞社)で読んでいます。文庫化されたので、「山本藤光の文庫で読む500+α」としてとりあげることができます。 本書は瀬戸内寂聴でなければ書けない、他に類のないものです。宇野千代に『私の文学的回想記』(中公文庫。500+α紹介本)という傑作があります。しかし『奇縁まんだら』はスケールがちがいます。あたかも「人物事典」のような、どっしりとした風格があるのです。文庫版『奇縁まんだら』の表紙は、谷崎潤一郎が飾っています。そして巻末には丸谷才一の「人間的関心」がおさめられています。丸谷の文章は、単行本にはありませんでした。文庫化されて楽しみが増えました。どのイラストが表紙を飾るのか。だれが解説を書くのか。待ち遠しいですし、なによりも軽くなったので、電車のなかにもちこめるようになりました。第1回配本ではつぎの21人が俎上(そじょう)に乗せられています。しかもそれぞれに、横尾忠則のカラーイラストがついています。文庫では小さなイラストになっていて、残念ですが。ついでに『奇縁まんだら・続』(第2回配本予定)のリストも紹介させていただきます。【『奇縁まんだら』で俎上に乗った人】島崎藤村、正宗白鳥、川端康成、三島由紀夫、谷崎潤一郎、佐藤春夫、舟橋聖一、丹羽文雄、稲垣足穂、宇野千代、今東光、松本清張、河盛好蔵、荒畑寒村、岡本太郎、壇一雄、平林たい子、平野謙、遠藤周作、水上勉。【『奇縁まんだら・続』で俎上に乗る予定の人】菊田一夫、開高健、城夏子、柴田錬三郎、草野心平、湯浅芳子、円地文子、久保田万太郎、木山捷平、江國滋、黒岩重吾、有吉佐和子、武田泰淳、高見順、藤原義江、福田恆存、中上健次、淡谷のり子、野間宏、フランソワーズ・サガン、森茉莉、萩原葉子、永井龍男、鈴木真砂、大庭みな子、島尾敏雄、井上光晴、小田仁二郎。(これは単行本でとりあげられた28人の顔ぶれです)――今や歴史上に名を止めた偉大な作家たちと逢えたということは、宝物のように有難い。その人達の記憶を、老い呆けてしまわない前に、書き遺すチャンスに恵まれたことも、また望外の喜びであった。(本書「はじめに」より)瀬戸内寂聴は84歳のときに、「日経新聞」朝刊への連載をはじめています。本来ならとうに呆けてしまっているか、気力を喪失してしまっている年齢です。頭がさがります。本書は瀬戸内寂聴の、記念碑的な著作と断言できます。◎瀬戸内寂聴ができるまで瀬戸内寂聴は1922(大正11)年に、徳島市の三谷仏壇店の次女として生まれました。東京女子大学在学中の1943年に21歳で見合い結婚し、翌年に女の子を出産しています。その後夫の任地北京に同行。1946年に帰国し、夫の教え子と恋に落ちます。夫と3歳の長女を残し、家を出て京都で生活します。1950年に正式な離婚をし、東京へ行き本格的に小説家を目指します。そして三谷晴美のペンネームで、少女小説を書きはじめます。『奇縁まんだら』の「島崎藤村」の章に、瀬戸内寂聴が女子大生のころのエピソードが記されています。先輩に誘われて能楽堂へいったときのことです。先輩が突然声をあげます。――「ほら、大変! 島崎藤村がきてる。ほら、ほら、あそこ」/興奮して、声も上ずっている大塚さんの横で、私はキョロキョロ目ばかりをうごかしていた。女性の多い見物人の中で、一人際だって目に立つ男性が私の目にも捕えられた。(中略)いずれにしても、私は美しいナマの小説家をこの目で見た瞬間から、心秘かに念じていた「小説家になろう」という意志を、ゆるぎないものとしたのであった。あの時、藤村でない別の小説家に遭っていたら、どうなっていたことか。(文庫本文P19-20より) 瀬戸内寂聴の生涯については、齋藤愼爾『寂聴伝・良夜玲子』(新潮文庫)にくわしく書かれています。本書のガイドを紹介させてもらいます。――田村俊子、岡本かの子、智照尼、伊藤野枝、管野須賀子ら苛烈な生き方を選んだ女を書き綴ってきた瀬戸内寂聴。自身の人生もまた、その作品に劣らず波乱に満ちたものだった。夫以外の男を愛して破綻させた結婚生活、もつれた四角関係、作家としての苦闘、51歳での出家、捨てた娘との再会……。 尾崎真理子には、『瀬戸内寂聴に聞く寂聴文学史』(中央公論新社)という著作があります。文学的な足跡に興味があれば、こちらをお読みください。◎岡本かの子が登場しない『奇縁まんだら』シリーズ全4巻で、不思議だなと思っていることがあります。瀬戸内寂聴には『かの子撩乱』『かの子撩乱その後』(ともに講談社文庫)という2作品があります。波乱万丈の岡本かの子の生涯を描いた力作です。ところが『奇縁まんだら』シリーズには、岡本かの子は最後まで登場しません。かわりに、息子の岡本太郎を『奇縁まんだら』に、さらに岡本太郎の養女(実質的な秘書兼パートナー)の岡本敏子を『奇縁まんだら・続の二』に登場させているのです。岡本かの子については書きつくしたので、短いレビューなど書きたくないとの思いがあったのでしょう。『奇縁まんだら』の「岡本太郎」のページには、つぎのような記述があります。『かの子撩乱』執筆にあたって、岡本太郎と初対面したときの場面です。岡本かの子のことを書きたいと申しでる瀬戸内寂聴と、岡本太郎とのやりとりを引用します。(補:岡本太郎)「かの子のことなんか、もう世間じゃすっかり忘れてるよ。本もさっぱり売れない。書くなら岡本太郎だよ」/「はい、でもかの子さんが好きなんです」/「どこが」/「並みじゃないところ……すべての点で、はみ出したところ」/「ふぅん、ま、やってみな。何を訊いてもいいよ。一応親子となってるが、うちじゃ、それぞれが個々に人格を認めあった芸術家どうしだから、互いに干渉しない」(文庫本文P193より) 文春文庫に『青春の一冊』(文藝春秋編)があります。各界の著名人93人がせつなく甘い、青春の1冊をふりかえっています。「山本藤光の文庫で読む500+α」を執筆するときの必読書です。瀬戸内寂聴がとりあげているのは、アベ・プレヴォー『マノン・レスコー』(岩波文庫。500+α紹介作)です。ちょっとだけ引用しておきます。――マノンこそは、わが憧れの不良少女の典型であった。/可憐で女らしく、無邪気で多感で情熱的でその一面、底なしに快活で、狡猾で、淫乱で多情で、人を裏切ることは平気で、残酷で大嘘つきという人物である。(本文P143より) なんとなく若いころの寂聴と、かさなるような気がします。いまは京都嵯峨野の寂聴庵で、1日千人もの観光客のお相手をしています(この部分は、阿川佐和子『あんな作家こんな作家どんな作家』ちくま文庫を参考にしました)。高校の修学旅行以来訪れていない京都に、行ってみたいところがもうひとつ増えました。◎追記(2017.10.03)どうしたのでしょうか? 『奇縁まんだら』の続刊が文庫化されません。◎追記(2014.11.07)ぱーぷる著『あしたの虹』の著者はだれ? アマゾンで取り寄せました。瀬戸内寂聴がケータイ小説にチャレンジしたものです。ぱーぷるは紫式部を意識したものでしょう。ずっと気になっていました。まだ読んでいませんが、毎日新聞社(2008年)がだした横組みの本です。この人の挑戦欲には頭がさがります。(山本藤光:2014.11.01)
2014年11月04日
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