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今週は定期通院で病院に行ってきました。前回入院してやった肝生検の結果を聞きました。結果は変わらず…でした。「慢性拒絶」。もっといい薬が開発されないかな~。どうなる、肝臓!? * * *(以下、前回の続き)お母さんがいたので泣いてることに気づかれたくなくて、あえて涙は拭かなかった。「そろそろ戻ろうか」お母さんは私が泣いていることに気づいていただろうか?そう声をかけてきたので私達は部屋に戻ることにした。流れっぱなしの涙を含んだマスクは冷たくて、早く外したかったが、部屋の外では外すことは厳禁だった。現実はこんなものだった。部屋の外ではマスクを外せない私が、いつになったらあの新宿のごちゃごちゃした雑踏の中を歩けるのだろう。それはとてつもなく遠いことのように思えた。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年09月28日
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一人では立つことすらできず、パジャマともこもこした上着に包まれてかっこ悪く着膨れ、車椅子から新宿を眺めるだけのみじめな私。会社の友人たちは私のことなんて忘れて、今も変わらずにあの場所を歩いているのだろうか?我慢していたものがこらえきれずに溢れ出てきた。はらり、はらり、と。涙は頬を伝って、マスクの細かい繊維の中に染み込んでいった。「またあそこを歩きたい」みんなと同じように普通の女の子に戻りたかった。「早く、早くあの街へ戻らなければ…」そう心に決めて、新宿のビル群をじっと見据えた。焦りと不安。そんなものがごっちゃに入り交じって、涙は止まるどころか次々と溢れてきた。誰も近くにいなかったら、声を上げて泣きたい気分だった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年09月21日
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「寒いっ」頬に当たった風は冷たかった。あの生暖かい夏の風とは明らかに違うひんやりと冷たい秋の風。(そうか、私が入院した時はまだ夏だったのに、もうそんなにたったんだ)病院にいるうちに季節はひとつ移り変わり、いつの間にか半袖は長袖になっていた。自分が病院にいた時間の長さがずしりとのしかかってきた。出入り口の、少し外を覗けるくらいのところに車椅子を止めてもらい、外の景色を眺めた。遠くの方に新宿の高層ビル群が霞んで見えた。以前は自分もあそこにいた。かわいい服を着て、しゃんと背筋を伸ばし、いっちょ前の東京人気取りで歩いていたあの場所。新宿は今も変わらずあの場所にあるのに、自分はなんて遠くに離れてしまったんだろう…。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年09月20日
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「せっかく車椅子に座ったんだから散歩でもしてきたら?」宇多川さんはそう言ってくれた。ここの病棟には屋上があった。お母さんはよくそこに洗濯物を干しに行っていた。私はかねてから行ってみたかった屋上に行きたい、と言ってみた。「いいよ。お母さん、一緒に行かれます?ただ、外は寒いからいっぱい着ていってね」宇多川さんの許可がおりた。病院の中は暖かかったのでそのままのかっこでもいいと思ったが、外はそんなに冷えるんだろうか?靴下をはかされ、パジャマの上にお母さんのシャツを羽織り、その上にガウンを着せられ、ひざかけまでかけられた。もちろんマスクも。そんなに着なくてもいいんじゃない?と思うくらい、厚着させられ、万全の態勢で屋上に向かった。車椅子が一台入るか入らないかの狭いエレベーターに乗り、一番上の階に着いた。エレベーターを降りるとすぐ、目の前に洗濯機コーナーがあった。お母さんは毎日ここで私の着替えなどを洗濯しているのだろう。洗濯機コーナーの手前の短い廊下を左に曲がると、そこに屋上への出入り口があった。屋上へのドアを開けると、風がびゅうっと吹き込んできた。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年09月19日
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たいていの移植患者は、徐々に病状が悪化して、移植が必要だと言われ、覚悟を決めて移植をする。病院側からは術前・術後の経過や入院期間、何日後に歩けるなど細かく説明を受けるのだろう。充分な準備をして移植手術にのぞむので、手術の直前までわりと普通に歩いたり食べたりしている。ところが私は、手術を受けた一週間前くらいから意識が朦朧としてきて、手術後目が覚めるまでに数日かかった。それでいて術後はICUにしばらくいて、肝臓がずれるから動くなと言われ、個室に移ってからも管をたくさんつけて、自分で自由に動ける体ではなかった。筋肉はあっという間に衰えた。知識も説明もなかったので「歩く」という基本的なことを忘れていた。その期間は、私の筋肉をそげ落とすには充分すぎる日数だった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年09月18日
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本来はもっと早く座ったり歩いたりできるようになるらしいが、何も知識がなく、個室からめったに出ることのなかった私は、こんなに体からたくさんの管がでているのに歩いたり動いたりできるわけない、と思い込んでいた。病院では食事の時間になると、「歩ける患者さんは自分で廊下まで取りに来てください」という放送が入った。私は、ここに入院しているのはみんな自分みたいなICUから出てきた重症患者ばかりで、歩ける患者さんなんかいるのかしら?と思っていた。しかし、後から知ったことだが、腎臓移植をした患者さんなんかはみんな管を体から出したまま歩き、尿やら体液やら、黄色や赤の何らかの液体が溜まっている袋をぶら下げ病院の廊下を歩いていたのだった。その光景は外部から来た人なら誰だって驚くだろう。私も初めてその光景を見たときは驚き、そして自分もその仲間だということを、しばらくは受け入れられないでいた。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年09月14日
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私は宇多川さんに必死に抱きつき全体重をあずけた。宇多川さんはそのまま私を抱きかかえ、ベッド脇の車椅子に私を座らせてくれた。「宇多川さん、大変だったでしょう!」お母さんが言った。宇多川さんは、「いえいえ、慣れてますから。ふうこちゃんは軽い方ですよ。もっと大きい男の人だっているんですから」と答えた。お母さんは「私もやれるようにならなきゃ」と宇多川さんの抱え方をまねしていた。車椅子に座れたのはいいが、私は立てなかったことにびっくりしてショックを隠しきれなかった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年09月13日
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「立てない・・・」立てなかった。ふにゃりとなって足に力が入らなかった。頭がぼわんとして気持ち悪いから動けなかっただけで、立つことくらいは当然できると思っていた。ショックだった。いや、まさか立てなくなる事態が起こるなんて考えもしなかったので、できるとかできないとか、そんな風にすら考えたこともなかった。しかし、実際はどうだろう?力を入れる部分もないくらい筋肉が削げ落ちていた。足はただついているだけで、かくんとなり、何の役にも立たなかった。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年09月12日
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今日は「9.11」の日ですね。ICUのテレビで見た光景は、自分の当時の状況と重なっていまだに忘れられません。亡くなった方たちのご冥福をお祈り致します * * *それからさらに数分。やっとベッドから降りる決心がついて、足にスリッパを履かせてもらった。足に履物を履くのは約1カ月ぶりだろうか?ベッドに車椅子を横付けしてもらって、そこに移動するだけだ。それだけがなんと大変なことか・・・。「私が支えてあげるから、もたれかかっていいからね」看護師の宇多川さんがそう言ってくれた。まだお腹の管が残っていてボトルにつながっていたので、それをもう一人の看護師さんが持って一緒に移動させる係だった。「じゃあ、いち、に、さんで行くよ。いち、にの、さん!」私は足を床につけた。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年09月11日
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今日で移植して丸6年たちました「5年を過ぎると落ち着く」そんな先輩移植者の言葉を信じここまできましたが、本当にここ1年は落ち着いていて(肝機能値は正常より上ではありますが…)、入院するほど肝機能が悪化したことは一度もありませんでした。移植後数年は、入退院を繰り返し、好きな旅行の計画を立ててもキャンセルし、再移植の話まで出ていたことを思うと夢のようです。むしろ、あの辛い体験自体が夢のように思えてくるくらいです。体力の消耗を感じる夏がそんなに苦でなくなり、体力もついたなぁ、って実感できます。いつも思うのは「あの時移植していなければ、今私はここにはいない」ということ。こうやってブログを見に来てくれるみなさんとも出会うことがなかったわけです。再び命を授かったこの日、私にとっては「命の日」です。6年前のあの日から、今日まで、私を見守っていてくれた全ての人々に感謝しますP.S.のりっぺさん、息子さんの誕生日おめでとうございまーす ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年09月07日
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こちらは暴風域に入っていますが、雨風ともそんなに強くはないようです。みなさまのところはいかがでしょうか?充分お気をつけてお過ごしください * * *9月下旬、ベッドの上ではなんとか座っていられるようになったので車椅子に座る練習を始めた。まず、ベッドの上に座る。そして頭の血が下がって落ち着くまでに十数分。それから「ベッドの脇に腰掛けてごらん」と様子を見守っていた看護師さんに言われた。自分では動けなかったので足をベッドの脇の方に持ってきてもらった。「大丈夫?」心配そうに見守っていたお母さんが声をかけてきた。「大丈夫じゃない・・・」それだけ動くだけでかなり疲れたので、私は小さな声でそう答えるのがやっとだった。「ゆっくりでいいからね」看護師さんも根気よく付き合ってくれていた。ベッドの脇に腰掛けて、後ろに倒れないように背中側を枕で固めてもらい、私は起こしたベッドの頭側にもたれ掛かっていた。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年09月06日
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「うう~、なにか食べるものないの?」「カロリーメイトがあるよ」カロリーメイトならスナック菓子よりはよさそうだということでお母さんの許可が出た。私はカロリーメイトのグレープフルーツ味が好きだった。あのグレープフルーツのつぶつぶがカロリーメイトのくどさを和らげて食べやすくなっているかんじが好きだった。しかし、免疫抑制剤を飲んでいたので、もうグレープフルーツ味は食べることができないのだった。その日食べたのはチョコ味のカロリーメイトだった。洋画を見ながら真っ暗な中、テレビの明かりだけでコーラを飲みながらカロリーメイトを食べた。起き上がるのは面倒なので寝たまま食べた。入院中の身にしてはちょっと悪いことをしているようで、余計においしいような気がした。お母さんは「もう夜中なんだから1本にしときなさい」と言った。時計は3時を指していた。※このブログは私の過去の体験を綴ったものです。 ↑ ↑命について考えていただけたら・・・クリックは一人につき一日一回有効だそうです。どうぞよろしくお願いします!
2007年09月01日
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