ふつうの生活 ふつうのパラダイス

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2008年02月05日
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カテゴリ: 外国映画 は行


ジョディー・フォスター、アンソニー・ホプキンスの名演によって話題となった作品だが、製作は1990年とかなり古く、このてのホラーサスペンスで残虐な話はあまり好きではないのでいままでみなかった。けれど、年初のテレビ番組『ローマ1000年史』で「ハンニバル」が誰なのか知って、同じ名前の登場人物のでるこの映画にも興味がわいて今回初めて見てみました。

ただの、ホラーサスペンスとはいえない奥深さは、かならずしも、二人の名優による演技だけではなく、物語自体のテーマの深さと、多重構造のストーリー構成ゆえだろうと思う。

皮膚をはがされた女性死体事件の犯人バッファロー・ビルを追って、FBI訓練生のクラリス・スターリングは、人肉を食らうことで精神病院に収監されているもと精神医ハンニバル・レクターと、対面する。

この映画において、「羊」はとても象徴的だ。

この物語において、犯人はなぜ、何人もの女性を殺したのだろう。それは、女性を殺すこと自体が目的なのではなくて、女性の皮、皮膚がほしかったからだ。犯人ジェームズは女性たちの死体から皮をはいでそれを縫い合わせた。彼はそれを「着る」ことで女性に成り代わろう、変身しようとしたのだ。

ではなぜ彼は女性になりたかったのだろう。

かつて彼は幼年期において母親からひどい虐待を受けていた。死ぬことこそなかったものの、この虐待によって彼は精神的な傷をおった。その傷ゆえに彼は彼自身によって彼自身の存在を否定した。彼は死ぬ代わりに、他の人間になることで自分の人生をやり直したい、自分ではない人間になりたいと考えた。けれど、病院で性転換手術を拒否された彼は、自分自身で女性の皮をつくり、それを着ることで女性になれると思ったのだろう。彼を虐待した母親そのものになることで、彼は彼の人生を乗り越えることが出来ると考えたのかもしれない。

クラリスは、早くに母を失い、たったひとりの肉親である警察官の父も、10歳で失う。警察官である父を愛し、尊敬していた彼女は、そのあと、馬と羊を飼う牧場に引き取られる。ところがある日、クラリスは、義父が羊を堵殺する場を見てしまう。面倒を見て日々を一緒にすごし、かわいがっていた羊たちが殺される場面は、彼女には相当ショックだったろう。もともと牧場に生まれて幼い頃からそこで暮らし、育っていれば、牧場で飼う、馬や羊が食用のものであり、やがては殺されて食肉として売られていくのは当然のことと知っているはずだ。けれど、10歳になってから突然牧場にやってきたクラリスにとってはじめてみた堵殺のシーンは相当の衝撃だっただろう。まして、警察官を父に持つ正義感の強いまだ子供のクラリスにとっては。商売道具としての羊をにがされたら、牧場主である義父は困るはずなのだが、そんなことよりも、目の前で殺されていく羊たちにたえられない。クラリスは羊を逃がそうとする。

けれど、ゲートを開け放たれて、逃げられるようにしてもらっても、羊たちは逃げようとしない。自分たちが殺されることもしらないし、生まれた時から餌をもらって育てられた場所以外に行くところを羊たちは知らない。いまいる場所が怖いところだということも知らない。自分たちを面倒みている牧場主がやがて自分たちを殺すことも知らない。

逃げようとしない羊たちにがまんできず、せめて一匹でもいいから助けたいと思ったクラリスは、一匹の子羊を抱いて逃走する。けれど、たかだか10歳の少女が走って逃げたとしても、逃げ切れるはずもなく、あえなく、つかまってしまう。

その後、羊を逃がすような子供を置いておけないと義父が考えたからなのか、クラリス自身がそこにいたくなかったからなのか、クラリスは他のところにうつっていったらしい。
けれど、正義感の強い彼女にとって羊を助けることが出来なかったことは痛い後悔となってずっと心にのこることになったのだ。

人肉を食べるレクター博士にとって、彼の周りの普通の人間はただの食料なのだろうか。牧場にいる羊のようなものか。けれど、彼のまわりにいる人間たちは、自分たちが博士の目から見て羊に見えているなんて気がつかない。

彼は、飢えをしのぐために人肉を食べるのか。それは、肉体的な飢えなのか。それとも、精神的な飢えなのか。

人間が肉体的な飢えを満たすために食料を、肉を、羊をたべるように、殺人犯バッファロー・ビルもまた、精神的な飢えをみたすために、殺人をしたのだろうか。女性を殺し、その皮をはぎ、その皮で彼が女性になるための「服」をつくることで、彼の精神的な飢えをみたそうとしたのだろうか。

彼の目的は殺人ではなくて、女性の皮を集めることだった。殺人はその結果だ。

アメリカで当時多発した連続殺人がなぜ行われたのか。一人ひとり違うかもしれないけれど、この物語においては、児童虐待ゆえに精神的に病んでしまったことが原因だと語られている。

レクター博士が籠のような檻から脱走する時、彼が殺した警官の死体を檻のところに両手を伸ばして、吊り下げるようにしている。しかも、腹部の皮をはいで。影だけをみると、まるで羽のある天使にもにているが、十字架に貼り付けられたキリストにも似ている。

キリストは十字架にはりつける前の最後の晩餐で弟子たちに自分の血と肉を意味するものとして、ワインとパンを食することを薦めている。自分を食べることで、その心の飢えを満たすようにと。キリスト教において語られる「まよえる子羊」とは、人生に悩み、精神的な飢えに苦しむ人間を表している。キリストは語る。自分の肉を食して、精神的な飢えを満たせよと。自分の語ったたくさんの言葉と教えを糧として、心の飢えを満たせよと。

そしてまた、このシーンによって、バッファロービルが人の肉体によってその心の飢えを満たしていることを示唆しているともいえる。さらにまた、レクター博士は、警察官を殺し、その腹と顔の皮をはぎ、掲示し、自分の顔にかぶって見せることで、自分もまたバッファロービルと同じなんだと、同じように親に虐待を受け心に傷をおった存在なんだと示しているようにもみえる。

児童の虐待死によって問題定義された児童虐待は、さらに、生き残ったかつての虐待された子供が大人となって、その精神的な飢えを殺人によって満たすようになってしまっているのだろうか。
これ以降アメリカのニュースで、児童虐待の話題は多くなったように思う。そして、最近では、非常にきびしい法規制も行われているようだ。

一方最近日本でも、虐待によって子供が死ぬ事件が増え始めている。それはやがてアメリカのように連続殺人へと変化していくのだろうか。


レクター博士はなぜクラリスに彼女の生い立ちをあれほど執拗に聞いたのだろうか。クラリスの語る彼女の幼少期の話によって、彼女が父親によってとても愛情をかけて育ててもらい、彼女が父親を敬愛していたことがわかる。警察官の父によって正義感の強い人間として育ったクラリスは、大人になった時、FBI捜査官という正義感の強い仕事を目指す。きちんと父親に育ててもらい、レクターに対しても礼儀正しく人として接するクラリスだからこそ、レクターは、捜査に強力する気になったのだろう。最初の対面から既にレクターはクラリスに対して友好的であり、友情に近いものを感じているようだ。それは、ラストシーンにおいても、脱獄後わざわざ彼女に「羊の悲鳴は聞こえなくなったか?」と、たずねてくるほど、彼女のことを気にかけているのだから。

そして、クラリスもまた、レクターの「外に出たい、水を見たい」という望みをきちんと聞き取って覚えていて、次の議員の子供の誘拐の事件の交渉の時に提案している。これは、うそではあるけれど、クラリスがきちんとレクターの気持ちを汲んで彼のいうことを聞き取っていなければ、出来ないことだ。クラリスは最後までレクターに対して、礼のある態度をとっているのだ。

クラリスは犯人をみつけて、議員の娘を助け出すことに成功した。一匹だけだけれど、羊を助けた。でも、羊が殺されないようにするには、飢えないようにするしかない。

レクターは、子供をさらわれた女性議員との会話の中で「自分の母乳で子供を育てたか」ときいている。これは決して、セクシャルハラスメントな意味でたずねたわけではない。お前はチャンと愛情をもって子供を育てたかと聞いているのだ。女性議員は母乳で愛情をもって育てたと答えた。だから、レクターは犯人をつかまえるためのヒントを答えているのだ。

わが子を誘拐された女性議員はテレビ放送で犯人に訴える。愛情をこめて育てた大切な子供であり、ものではなく、羊でもなく、あなたが今殺そうとしているのは、ちゃんとした人間なのですよと。そして、子供はちゃんと愛情を持って人として育てられたのだと。人として動物とは一線を画して人間として、人は人として遇されるべきなのだと。

物語の中盤で、クラリスが、遺体を発見した現場にクロフォード捜査官とともに行った時、そこに集まっていた男性警察官たちはクラリスに対して、女性として礼を失するような態度をとっている。クロフォード捜査官が相手に女性の前でそんな話はやめてほしいというくらい。そのあともクラリスは、一人警察官たちの中に残され、彼らに無言で「ココは女のお前なんかのくるところじゃないんだぞ」というような威圧感を受ける。その時、ふっと彼女は正義のために職務を全うして死んだ父を思い出す。そして、こんな屈辱になんか負けるものかと、思い、「ココから先の仕事は私がやりますから、どうぞもう、おかえりください。」と警察官たちに言う。
女性を蔑視する男性たちに対しての訴えのシーンだ。

人が人を人として遇する。それは、相手が子供であれ、女性であれ、犯罪者であれ、自分より劣る誰かであろうとも。人として敬意を持って接するべきものだ。ものすごく当たり前なことだけれど、現実には、つい忘れられ、なかなかそうはならないことの方が多い。

レクターを移送する時に、ドクターチルトンは、レクター博士を厳重にしばり、まるで猿轡のような仮面まで付けている。そして、かなりひどい接し方をしていると思う。だからラストで、脱走したレクターが、ドクターチルトンに対して、復讐しようとするシーンで終っているのだ。彼は言う。「これから、夕食だ」と。

レクター博士は、凶悪な殺人犯という設定だけれど、人としてきちんとした生き方をしているクラリスや女性議員に対しては、彼はチャンとした対応をしている。普段の雰囲気もふつうだ。彼は本当は、頭のいい、知性と教養のある普通の人間なのかもしれない。
だからこそ、弱みを見せられず、同性愛や女装にも逃げられず、そのプライドの高さゆえに、その苦悩は深いのかもしれない。

餌を与えられ面倒を見てもらっている羊たちは飼い主が自分たちを殺すなんて思いもしない。食事を与えられ、育てられている子供たちも、自分たちが親から虐待を受けていても、それが虐待とはなかなかわからない。

羊たちは、子供たちは、何も言わないけれど、何も感じていないわけではない。

声にならない声をクラリスだけは聴いている。

その声を誰もが聴き取れるようになった時、連続殺人はなくなるのかもしれない。









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最終更新日  2008年02月05日 21時09分39秒
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