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大相撲 2007年3月号発売日・2月26日騒動「私はこう思う」:今回の八百長疑惑報道について、疑惑をもたれないために、相撲協会、力士はどうしたらよいのか――。識者に聞いた。潮丸:地獄を見た! 毎日泣いた!この表紙の意味は…。
February 26, 2007
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番付発表先場所から今場所まで、凄く長かったですぅ。もうネタ切れで、ひぃ~ひぃ~、言ってました。←番付発表前にこの雑誌が発売され、これを読むと、番付発表前にわかることがある、ってのはどうなんでしょう…、と毎回思うわけですが。先場所、負け越した上位をさっくり落としましたよね?ここまでさっくり落とす番付だと、気合も入るって感じです。gooの更新が今回は凄く早かったような…。いつもお昼過ぎなのに…。白鵬 西正大関初日⇒ 稀勢の里2日目⇒ 時天空になるのでしょうか?役力士に同部屋3人になったので、割りの組み方が変わるのかもしれないですが…。楽しみです。初日は白鵬の22回目の誕生日。自分の誕生日に取組みがあったのは、新幕下の場所のみですが、下手投げで白星でした。大阪場所と言えば、すっぽんですか。若の里、岩木山、玉乃島この3人がどの程度復活してくれるかで、かなり前半戦の取組みが変わってくると思います。栃煌山も把瑠都も前半ですし。楽しみです。時天空vs安馬 小結同士ですね。 By 愛子様 ←予想小結同士ですから、さすがに今場所は組まれますよね?これで組まれなかったら、抗議してしまうかも、ですよぉ~!審判部はあまりこの取組みに注目していないようですが…。中日に組んで欲しいなぁ。十両龍皇 東3枚目予想以上に上がっていました。どう解釈するべきか…。新入幕狙える位置ですよ!豊響 西8枚目優勝したのに、それほど上がりませんでした。考慮されなかった模様。幕下境澤 西2枚目てっきり西筆頭かと思っていたのですが…。5枚目までにいたら、そんなに変わらないと思うのでまあOK。大勇武 東13枚目予想より2枚も上でした。良かった?双大竜 東19枚目私的注目力士。朝陽丸 東22枚目私、計算、間違えたんでしょうか?こんなに下がってしまって。前田と北勝国も予想より下だったのですが、まだわからなくもない範囲。幕内マニア談:上がる方が優先。落ちる方は、場所ごとに差が出る。このあたりの地位だと、通常の想定範囲より5枚くらい下がっても、十分あり得る話。それ以上でもないわけではない。だそうです。大翔勇 東23枚目マービンもここまで来ましたかぁ。杉田 東28枚目予想の範囲でしたが、はやり杉田がここまで下がると、寂しいです。頑張れ杉田!拓錦 西31枚目地味だけれど、勝てる力士。目指せ十文字二世。嶋田 西39枚目元気な相撲をする力士。勢 東40枚目イケメン力士。三段目望櫻 東2枚目勝ち越して、幕下復帰を!心勇 西9枚目BSに取組みが映るかもしれないわ。幕内マニア談:三段目の9枚目なら、ほぼ映ると思います。7日目は、放送が1時半からなら、映らない可能性が高いです。だそうです。って、日にち指定ですかぁ。マニアすぎるわ。序二段青狼 東7枚目予想以上に時間が掛かっています…。
February 26, 2007
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AFP Asashoryu a été reçu jeudi à l'Elysée par le président français Jacques Chirac, un grand fan de sumo et qui connaît personnellement le champion mongol. Asashoryu est devenu en 2005 le premier combattant de l'histoire à remporter la même année les six grands tournois qui composent la saison professionnelle de sumo.木曜日に朝青龍が来た、くらいしかわかりません。フランス語わかりません。何故今頃フランス?
February 24, 2007
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ちゃんこ&かに 力士宮城野親方がプロデュースしたちゃんこ屋が、3月6日にオープンするそうです。場所:尼崎市南塚口町2-13-9 力士ビル1F・2F関西在住の友人が、チラシが入っていたと教えてくれたのですが…。「力士ビル」って本当にあるんでしょうか?凄い名前ですよね。なんか凄く大きくて頑丈そうなイメージのビル。検索すると「中華会館」って出てくるんですけど…。でもe-aidemにもバイト募集が出ていたので、この住所で間違いないと思われます。そのチラシですが…。「錦絵の横綱が“かに道楽”の蟹くらい大きな蟹を抱えている」絵が載っているそうです。ちょっと見てみたい。会員一般会員:入会金500円プレミアム会員:12000円会員特典力士の手形色紙飲食代の割引サービス相撲部屋激励パーティ招待券プレゼントプレミアム会員特典力士の手形色紙(プレミアム会員には名前入り) ←白鵬倶楽部より良いじゃないかぁ。年6回、番付表大相撲カレンダーバースデー割引大相撲観覧の予約引き受けサービス記念撮影を優先的に撮ってもらえる権利。 ←面白い。2月28日午後6時半から、白鵬による味見?とサイン会があるそうな。先着100名限り。チラシが見たい…。凄く見たいです。
February 24, 2007
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サンスポ 『美しい国』と『土俵の美』いわれて見ると、なるほどと思う。「(閣議で安倍首相が)入室したときに起立できない、私語を慎まない政治家は内閣、官邸から去らねばならない」という自民党・中川幹事長の苦言だ。あるテレビで、閣僚が一斉に起立した小泉首相時代の閣議と“頭撮り”を比較していたが、緊張感もなく首相を甘く見ているといわれても仕方ない。自民党幹部が公然と、閣僚の忠誠心や礼儀作法にまで物言いをつけたのは前代未聞だ。「幹事長は何様のつもり」との声もあるそうだが、安倍首相が若くて重みがないのなら、周りが立てることで初めて能力が生きてくるものだろう。基本的なマナーも守れない閣僚よりは、幹事長のいうことがもっともらしく聞こえる。それにしても「似てる」と苦笑してしまう。首相が真ん中に座った閣議控室の雰囲気は、最近の大相撲の緩んだ支度部屋そのものだ。大鵬、北の湖、千代の富士、最近では貴乃花と強い横綱が一番奥にどっかと座ってにらみをきかせ、ピリピリした雰囲気が充満していたころの支度部屋とは、えらい違いである。ある親方はいう。「昔は横綱とは、なるべく離れた所に明け荷を置いたものだ。私語など交わそうものなら横綱からにらまれた」。いつの間にかタガが緩み、私語はいうに及ばず、初場所は横綱朝青龍でさえテレビでラグビー観戦する日もあった。緩みは土俵上での礼儀や相撲内容にまでおよび、揚げ句は週刊誌に八百長報道でつけ込まれた。緊張感を欠いた内閣では、ベテラン閣僚から次々とボロが出てくる。『土俵の美』もそうだが、『美しい国』作りに携わる閣僚にも、礼儀など基本からやり直してもらうほかないようだ。(サンケイスポーツ・今村忠)支度部屋「あとだしじゃんけん」みたいな感じな記事。支度部屋での談笑は、今までにも記事なったり、相撲雑誌にも載ったりしていました。相撲記者さんが自ら、朝青龍にラグビーや野球の話題を振ったのかと思っていたんですが…。昔の横綱は談笑していなかったから、朝青龍も談笑するべきではない、ってのは違う気がします。ただ、私的には、本場所の支度部屋は、「殺気」漂う、刺すか刺されるかの危ない空間だと思っていたので、談笑している横綱なんてのは、想像外です。あまり知りたくない事実でもありました。女子供はすっこんでろ!の場所だとも思っていたので、相撲中継で、全取組みが終わってから女子供の姿を花道奥や支度部屋で見かけると、映さなくても良いものを…、と毎度思っていました。居る事が良くないのではなく、見たくはない、知りたくは無い、光景だと感じます。朝青龍が談笑している事を、殆どの人が宜しくないと思っていたのなら、どうして注意してあげなかったのでしょうか?稽古の記事がぜんぜんないんですけど…。大阪入りしてからしか、稽古記事はでないのでしょうか?
February 22, 2007
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スポーツ報知 日本相撲協会は20日、東京・両国国技館で理事会、評議委員会を開き、2006年度の決算を承認した。本場所や巡業の収入などからなる事業収入が、前年より約2億1000万円増の約97億4000万円となり、8年ぶりに増加に転じた。総収入は約129億円で、総支出が約122億円。約7億円の黒字となった。事業収入が増えたことについて、協会の担当者は「入場券の売れ行きが上がってきている。状況が好転していると理解しています」。満員御礼が前年の30日から38日に増え、約50億5800万円となった入場券収入が要因と分析。国内巡業も15か所から19か所と増えたのが大きいようだ。低迷していた相撲人気が、徐々に復活の兆しを見せている。相撲人気相撲人気を本場所観戦者数を目安にする事は、間違っているといつも思っているんです。生観戦する人が増えれば、相撲人気復活、って考え方は、違うと思うんです。1つの目安かもしれないですが、それだけじゃないですし…。それに、本場所のチケットを売ることと巡業、この2つが収入源のメインになっているのも、どうなのか?って思っています。大相撲ってもっと稼げる媒体なのに、勿体無くて仕方がないです。元力士の方々が運営する協会ですから、知恵も限られてしまっているとも思います。凄く見ていて歯痒いのぉ~!何を基準にするかにもよりますが、力士の給料って安いな、って私は思っています。もっと収入UPになるような事を協会には期待したいです。お金の話をするのは「イヤラシイ」かもしれませんが、横綱・大関になったら長者番付に名を連ねる、位の角界であっても良いんじゃないでしょうか?~追加~滑稽本様に突っ込まれました。放送権料なども、確かにメインの収入です。年間20億円強のようです。
February 21, 2007
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大鵬の稽古風景庄之助さんと大鵬さんの連載で、大鵬さんの現役時代の稽古がいかに凄かったのかは伝わってきたのですが、どうしてもその時の様子が見たかったのです。見たい、見たいとこのブログに書いていたら、なんとなんと、ある方が画像を送って来て下さいました!うれしいぃ~! 本当にありがとうございました。著作権の問題があるので、このブログには載せられません。残念です。1968年6月の画像です。画像からだけでもオーラがあります。どう説明したら良いのやら…。人気があったのも納得すると言うか…。強くないわけがないと言うか…。惚れ惚れします。大鵬の稽古風景Tシャツ欲しいなぁ。 ←あったら買います。白鵬が大鵬に似ているとか言われる事がありますが、この画像を見る限り、はっきり言ってそれは大鵬さんに失礼です! ちちちち違いすぎます。確かに膝から下は、白鵬も大鵬さんもあまり太くないので、なんとなくは似ているかもしれないですが、オーラが違いすぎます。白鵬まだまだぁ~!です。大鵬さんが活躍していた頃、生きていたら、間違いなく私は熱狂的なファンだったと思います。 毎日新聞 大相撲の八百長疑惑報道で日本相撲協会を所管する文部科学省が同協会から事情聴取していたことが20日、分かった。江田憲司衆院議員の質問主意書に対し、政府が答弁した。答弁書などによると、文科省は今月6日、同協会監察委員会委員長の友綱親方らを同省に呼び、事情を聴いた。協会側が「八百長は事実ではない」などと述べたことを受け、疑われることのないよう運営し疑惑報道には適切な対応を取るよう指導したという。疑われることのない ←ここが凄く重要。支度部屋に入ることが出来る記者を、以前のように限定したら良いのではないのか?と思いますが…。若貴時代の「ツケ」かもしれない…。
February 20, 2007
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世界の絶品ちゃんこ!年に一度のどすこい祭今頃ですが…。見ました。2006年10月7日に行われた社会福祉大相撲も組み込まれていて…。把瑠都に料理を作っていた女性の突込みがなかなか良かった事。閣下の白鵬vs朝青龍の取り組みに対する解説が、ちょっと疑問だった事。他は、特質する事もない気がします。白鵬vs朝青龍左四つがっぷりになって、2人の動きが止まった時に、閣下は、「ここで白鵬は攻めないといけない」と何度もコメントしているんですけど、私はそうは思わないませんでした。あそこで白鵬から仕掛けたら、朝青龍は待ってましたとばかりに、白鵬の攻めを利用する。現に、朝青龍の動きはそうでした。あそこで白鵬が攻めるのではなくて、あの形で止まってはいけない、と言うことではないのかと思うんです。閣下のコメントが白鵬側からのばかりだったのは何故?朝青龍側からしたら、朝青龍こそ攻めないと!じゃないのかと…。朝青龍得意の左四つなんですから。花相撲なのに、2人ともかなり負けん気発揮していました。白鵬が勝ったのですが、朝青龍ご不満。勝ち名乗りを受ける白鵬をずっと睨んでいました。そして白鵬は…。目を合わせない…。この時の白鵬の心境が知りたいなぁ。空気読まずに勝ってしまった…、なのか、勝ちは勝ちなんで、なのか…。案外白鵬も、心のうちでは闘志メラメラタイプ(だと思っている)なので、想像すると面白かったです。 第40回NHK福祉大相撲見ました。放送当日。稀勢の里が珍しく笑っていた。安美錦が毎度のボケ突っ込み。尾上親方と北桜の歌が上手いなぁ。などなど。あとは…。あぁ~、そうだぁ~。岩佐アナが稀勢の里に、金の弓矢を渡す時『来場所は「金星」を狙って…』みたいな事を言っていたのですが…。つまりは、そのぉ~、来場所三役…、って事ですか? それとも、岩佐アナらしからぬ、凡ミス?朝青龍の紹介の時…。相撲の得意技?を紹介していたアナ。「右四つからの…」って言ってましたけど、「左四つ」の間違いではないでしょうか?一番面白かったのは、露鵬が「正直ロシア人と初めて当るんで、ニキータ、頑張って!」ってコメントしていたところ。へぇ~、なんて思っていたのですが、実は違うそうですよ。序ノ口でロシア出身の阿夢露、と取組みがあったそうです。 BY saboko様 相撲甚句が聞きたかったですぅ。
February 19, 2007
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スポーツ報知 大相撲の幕内・旭天鵬と恵子夫人の結婚披露宴が17日、都内のホテルで行われた。横綱・朝青龍、大関・白鵬、歌手の野口五郎ら570人が出席。昨年5月23日に婚姻届を提出し、一緒に暮らしているが「今日になって初めて実感がわいた。笑ったり、けんかしたりしながら温かい家庭を築きたい」と、改めて幸せをかみしめた。05年6月にモンゴルから帰化しているため「日本にずっと住んでいきたいので、これからは相撲でも頑張りたい」と三役復帰に意気込みを見せた。確か今日、豪風の結婚式ですよね?違ったかな? 恭喜發財旧正月です。イノシシ年ではなくて、豚年なのです。赤ちゃん豚に衣装を着せ、その豚を小脇に抱え、司会の人が登場した香港の新年の番組を見て、大笑いしてしまいました。
February 18, 2007
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その6 のつづきです。 この回で終了です。元立行司 三十一代・木村庄之助さん*15*軍配五十年*庄之助襲名*結びの一番 仕切る喜び*16*軍配五十年*気迫の朝青龍*ウルフと重なる面構え(庄之助さんの夢)博物館に保管されている、ヒゲの伊之助さんの大切な軍配を使用しさばく事。その軍配は芸術性も高く、伊之助からも「この軍配だけは、特に大切に扱うように」と言われていた品。32代目式守伊之助として土俵に上がっていた、2002年初場所に実現するのですが…。2日目に事件が!土俵下の控えにいたとき、土俵から栃東と海鵬がもつれるように、私の上に落ちてきたのです。必死に左に身をかわし、軍配を守りました。力士が直撃することはありませんでしたが、体の振動が軍配に伝わって、青貝の細工が飛び散ったのです。しまった!と思ったものの、土俵に上がってさばかなくてはなりません。溜まりいたお客さんに拾ってください、と頼んだそうです。お客さんは四散した青貝を丁寧に拾い集めてくれていて、専門家に依頼し修復できたそうです。2日間だけでしたが夢を果たせたと、満足されてるご様子です。当時の映像を見てみました。初日:「琴光喜vs武双山」「魁皇vs旭天鵬」この2つの取組みは無事に終了します。2日目:栃東vs海鵬栃東が新大関として迎えた初場所でした。立ち合い頭から突っ込む栃東に対し、海鵬が左に動き後退。海鵬は栃東の頭を抱えるようにして引き、栃東はそのまま前進して寄り倒し。アナウンサーは刈屋さん行司は、木村咸喬でした。 向正面中央に控えていた庄之助さん(当時32代目式守伊之助)は、木村咸喬の影になって一瞬見えなかった感じがします。木村咸喬が動いて力士2人の様子が見えた時には、時すでに遅し。2人が土俵下に落ちてきて、海鵬の足が庄之助さんの右手に激突しています。庄之助さんは体を左に向け、本当に軍配を守っておれれました。右足まで空に向いてましたし…。ただ映像を見る限り、そんな一大事になっているとは想像もつきません。豪快に海鵬の足がぶつかっている感じでもないのです。でも壊れてしまったんですね…。この後、「千代大海vs朝青龍」「闘牙vs武双山」の2番をさばき、結びの一番「武蔵丸vs玉乃島」は向正面中央、西よりに控えるのですが…。立ち合いから右差しを狙った武蔵丸に対し、圧力負けして向正面側に後退した玉乃島。また向正面に倒れこむのか!とも見える角度。土俵下の庄之助さん(当時32代目式守伊之助)も、敏速に反応して、左に動こうとの体勢をされていました。対象的なのはその隣で審判をしていた親方。不動。庄之助さんのビクビク度が伺えます。裏話を知って、取組みを見直すと、また違う物が見えてきたりします。差し違い三役格以下は、特におとがめなしですが、立行司は審判部長に伴われて、理事長に「進退伺」を出します。形式的なことで、実際に辞めることはありませんが、北の湖理事長に会うのは気が重かったですね。三役格以下はおとがめなしとは知りませんでした。「差し違い」と「差し違え」。どっちで表記するのが正しいのでしょうか?庄之助は、横綱とともに土俵に上がり、結びの一番だけをさばきます。緊張もしますが、結びの一番の口上を述べるときの晴れ晴れしさは、何とも言えない喜びです。これはもう、立行司にしかわからない喜びでしょう。庄之助を襲名後は、朝青龍の一人横綱が続き、朝青龍の途中休場以外は、定年まで朝青龍の土俵だけを務めた事になります。庄之助の仕事庄之助には、結びの一番のさばきのほか、本場所前に土俵を清め場所の安全を祈る「土俵祭り」の神事の神主、横綱土俵入りの先導役、新しい部屋の土俵開き、そして引退興行の断髪式の介添え役などがあります。林真理子のエッセーに、庄之助さんは本場所で結びの一番をさばく他、何をしているんだろう?なんてのがありましたが…。実は私も知りたいのです。未だによくわかりません。「庄之助の1日」を特集して頂きたいです。朝青龍について一時、横綱の品格うんぬんを騒がれましたが、モンゴルと風習も違うし、まだ若いんですよ。周囲が言えば言うだけ、意固地になりますからね。最近は、言動も横綱らしくなってきたし、懸賞金も右手で受け取るように変わってきたじゃありませんか。私が知りたかった事が少々触れられています。懸賞をどちらの手で受け取るか…。言い出したのは内舘さんですよね?確かに細かい話です。ただ私的には、煩く言う人がいることも大切だと思っていましたし、内舘さんだけが悪者になるのもどうなのか?と思っていました。彼女の意見に対して「どちらの手で受け取るかの決まりはない」とよく言われていましたが、私はそんな決まりごとよりも、渡す行司さんはどんな印象を持っておられるのか、それが凄く知りたかったのです。「決まっていることではないなら、どちらでも良いじゃないか」なんて話だと、「変化はルールでダメだと言っているわけではないので、変化してもいいではないか!」と同じだと思っていました。つまり、決まりごとじゃないから良い悪いではなくて、渡している行司さんはどのように感じておられるのか?その部分にとても興味がありました。行司さんはどう思っていたのか?凄く知りたかったのです。この連載で、朝青龍の事を語った庄之助さんがこの件を持ち出したという事は、やはりそれなりの関心事だったのだと思われます。「右手で受け取るように変わってきた」とコメントされるという事は、少なくとも、左手で受け取る事に対しての違和感は感じておられたのだと思います。でなかければ、この話を持ち出さないでしょうし、「左手で受け取っても良い」ともコメントされたかもしれません。貴乃花についても載っていました。引退相撲の事。横綱土俵入りの露払いと太刀持ちが、想像していた2人ではなかった事と…。あの人気横綱の断髪に、はさみを入れたのがわずか五、六十人とあまりの少なさに驚きました。確かに…。この時点で既に後援会やタニマチとは、関係を持ち続けたくなかったのでしょうか?謎。行司は勝負は見ても、相撲は見ません。これからはゆっくりと大相撲を楽しみたいと思っています。サンデースポーツでも同じようなことをコメントされておられましたが、深い言葉で終了です。師匠の伊之助さんの話がとても多い連載でしたが、それほど師匠を尊敬し、最後の弟子である事を誇りに想い、学んだ事も多かったのだろうと想像します。そして、有名な師匠に恥じる事無く、立派に行司人生を終えられた庄之助さん。素晴らしいなぁ~!と思いました。今は相撲を楽しいで見ておられる事と思います。あっ、でも職業病で足元ばかり見てしまうのでしょうか?凄く長い連載だったのですが、きっともっと沢山、面白い話を知っておられるのだろうなと感じさせるものが行間にありました。相撲の本を出版して頂きたいなぁ~!と私的には思います。「相撲の生き字引」のような方なのではないかと、連載を読み終えて思いました。
February 16, 2007
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その5のつづきです。元立行司 三十一代・木村庄之助さん*13*軍配五十年*横綱双羽黒*惜しまれる突然の“破門”*14*軍配五十年*パリ公演*直前に火事、装束類焼失国技館の行司支度部屋意外にも「行司(支度)部屋が狭いな」と感じました。事実、使ってみると明け荷などに場所を占領され、決して使い勝手が良いとはいえませんでした。おぉ~。これはいけません。なんとかならないのでしょうか。勿論、北尾の事も書かれています。「綱打ち」などは、部屋を挙げてのお祭り騒ぎで、「間もなく双羽黒時代の到来だ」と喜んだものです。私が接した限りでは、甘やかされたせいか多少わがままでしたが、そんなに変わった若者には見えなかったし、言葉遣いもきちんとしていました。(中略)昭和六十二年(八七年)の大みそか、破門同然に引退させられました。相撲を続けていたら最低十回の優勝をしただろうと、私はみています。だれか、親身に話を聞いてやれる人がいなかったのだろうか、と惜しまれますね。北尾は時代に合わなかったと私は思っています。例えば、稀勢の里。時代が違えば、嫌われる力士になる事もあると思います。でも今の時代、稀勢の里の様な力士は少ない。だから理解され、期待を集めるのだと思うのです。私も稀勢の里応援している1人ですし。もし今の幕内に北尾がいたら…。凄い人気になっているかもしれないとたまに思います。学生相撲出身力士についてあっと言う間に関取になり、下積みの苦労を知らない人たちです。学生相撲出身者の多くは関取になっても、付け人との関係や言葉遣いがまるで友達のようです。私の世代には理解できないことです。特に行司として、私がどうしても好感がもてなかったのが、学生相撲出身力士の立ち合いです。本来、「負けてなるか」と気合を入れて仕切り、相手の目を見て呼吸を合わせ、同時に立ち合うものです。それが、勝ちを狙って立ち合いの駆け引きをするのです。少しでも自分に有利に、自分のペースで、と考えたらきれいな立ち合いにはなりっこありません。アマ時代にそういうけいこをしてきたからでしょうが、明らかにプロの「相撲道」とは違ったものですね。怒っておられます。かなりご立腹のようです。この長い連載の中で、怒っておられるのはこの部分のみです。ご不満なのでしょう。行司さんですら気づかれる事。親方も気づいておられると思うのですが、親方からの指導などはないのでしょうか?勝昭タンが最近親方衆に対しての苦言が多いのも、もしかするとこのあたりの指導力不足が含まれているのかもしれないです。ふと思ったのですが、学生出身?大卒?行司とかはいないんでしょうか?海外巡業に11回参加した庄之助さん。パリでの事件です。(魁皇の話ではありません)シャルル・ドゴール空港の運輸会社の倉庫が全焼し、「大相撲関係の品々すべてが焼失した」というのです。謎の火災。一体あれはなんだったのかと…。国際問題にもなりかねない凄い問題なんですよね。化粧まわしも焼け、土俵入り、明け荷も全焼。つづらを作っている方々も大変だったろうと想像します。全焼した荷の中に伊之助さんの形見の印篭と短刀があったそうです。土佐ノ海が誰かの締め込みで相撲を取ったと記憶しているのですが…。誰だったか思い出せません。
February 15, 2007
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その4のつづきです。 元立行司 三十一代・木村庄之助さん*11*軍配五十年*世紀の大誤審*迷いない見極めに感服*12*軍配五十年*地方巡業*列島あまねく1000カ所以上本場所の場内アナウンスも20歳から29歳まで担当されていたそうです。現在は全取組みが場内アナウンスで紹介されますが…。当時は今と違って、幕下以下は時折、「ただいま、三段目中ごろの取組が進行中であります」。そんな調子でした。うっそぉ~ん、と思うような本当の話。名前を覚えてもらいたければ上がれ、とかそういうことだったのでしょうか…。アナウンス時代。“世紀の大誤審”の目撃者の1人になります。大鵬と戸田の取組み。庄之助さんは、戸田(後の羽黒岩)と同じ立浪部屋所属です。私は、判定結果うんぬんよりも、迷うことなくさっと大鵬に軍配を上げた大先輩の立行司、伊之助(二十二代)さんの力量に感服しました。激しく動き、もつれ合った一番の勝負を見極めていたのですから。それでも、大相撲の記録には式守伊之助の「差し違い」が残るのです。なるほど。力士とはまた別の角度からの話ですが、興味深いです。行司の記録には、「差し違い」の記録は残る物の、審判の親方達には「誤審」記録は残りませんよね?不公平な気がします。しかも「差し違い」となれば、「進退伺い」をするわけですから…。納得いきません! 因みにアナウンス席から見ていた、庄之助さんは、戸田の勝ちに見えたそうです。若浪と一番気が合った庄之助さん。親方になってからも付き合いはあったそうです。きっぷが良く、歌はプロ並みで大酒豪。女性にもよくもてました。酒ですか? まあ、日本酒ならひと晩で二、三升は軽かったですね。一升瓶をあっという間に空けて、顔色ひとつ変えずに「さあ、次へ行くか」でしたから。まったく乱れませんでした。やはり並みの飲み方じゃないです。因みに、ひげの伊之助さん。肝硬変で亡くなられたのですが、なんとお酒もたばこもNOだったそうです。巡業で民泊した際のお礼師匠はお礼にご自分の色紙と一緒に、手の合う(仲の良い)一門の横綱吉葉山のサイン色紙をお世話になる家に贈りました。横綱の色紙を書いてもらいに行くのが私の役目です。「いいよ」と簡単に引き受けてくれるのですが、筆の墨汁を私の顔にいたずらして塗りたくるのには、本当に参りました。サイン等には全く興味のない私でしたが、何故か行司さんの色紙とやらに興味が沸いてきました。ひげの伊之助さん、そして庄之助さんの色紙が今非常に欲しいです。吉葉山と言えば…。はい、そうです。白鵬が所属する宮城野部屋を再興した人です。師匠が引退した後も地方場所や巡業で東京を離れるとき、帰京した際は自宅に伺って、あいさつを欠かしませんでした。行司としてではなくて、もう人間として凄すぎます。1966年12月。九州での巡業中。伊之助さんの訃報が届きます。許可を得て東京に戻ったそうです。悲しい出来事だったと思います。巡業。稚内から沖縄まで、軽く1000を超え場所に行かれた庄之助さん。美味しいものは…。西日本の海で揚がるアラ(クエ)ですね。体長一メートルを超す大きさで、刺し身でも鍋でも最高の魚だと思います。大乃国のスイーツ巡業に負けないくらい凄い本が出せそうです。お相撲さんが知っている美味しいもの、って本当に美味しいと思うんです。間違いない!って感じがします。誰か本出してくれないかなぁ~。料理本でも良いし、お店紹介本でも良いし…。お酒の本でも良いかも!結構売れると思うんですよねぇ~。
February 14, 2007
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その3のつづきです。 元立行司 三十一代・木村庄之助さん*9* 軍配五十年 *最強横綱*強烈 初代若乃花と大鵬*10* 軍配五十年 *十両格昇進*晴れ姿を見せて親孝行角界に入って以来、28人の横綱を見てきた庄之助さん。だれが一番強いかについて…。誰が最強かは分かりませんが、私が「強烈な強さ」を印象付けられたのは、土俵の鬼と呼ばれた初代若乃花さんと三十二回の最多優勝を誇る大鵬さんの二人です。理由は、「いずれも巡業先のけいこ土俵」なのだそうです。本割りではないところが、なんとも「通」な話です。若乃花の大関時代の巡業先の土俵。迫力と強さに目を見張り、大鵬は、横綱全盛期。柏戸はいなかったものの、佐田の山、栃ノ海、栃光、北葉山、豊山ら横綱と大関だけを相手の申し合い。土俵を譲らなかったそうです。大鵬さんの稽古の凄さについては、雑誌「相撲」で清国さんが対談中でも語っておられませしたし、いたるところで目にします。一体どんな稽古をしていたのか…。映像があったら見たいみたいです。大鵬に関しては強さもさることながら、このけいこ量は、ほかの横綱では見たことがありません。上記に述べた申し合いが、1時間も延々と続いたそうですから、それは凄い稽古だったと想像します。「ほかの横綱」との比較が出来るのは、庄之助さんだからこそだと思います。28人もの横綱を間近で見てきた方は、そんなにいないと思います。土俵態度土俵上のしこを踏む姿や仕切り、土俵態度の素晴らしさは、私の知る限り、栃錦と初代若乃花ではないでしょうか総合的に考えて、庄之助さんにとってベスト力士は、初代若乃花のようです。今なら豊真将?などと想像するのですが、庄之助さんレベルになると、また違う見方があるのかもしれないです。千代の富士が序二段の頃のエピソード私が用足しに行くと、ざんばら髪でやせて目ばかりぎらつかせた若い衆が、トイレの戸を激しくたたいて、「早く出ろ」と怒鳴っていました。中から出てきたのは、何とあの初代若乃花を育てた名伯楽の花籠親方です。普通なら真っ青になって謝るか、逃げ出すところですが、この若い衆は顔色ひとつ変えませんでした。良い根性している、と言うより、無礼者!かもしれないです…。ウルフ…。関取になる前までは、千代の富士のことを「みつぐちゃん」と呼んでおられたそうで、マージャンも一緒に打っておられたそうです。マージャンも相撲と同じで負けず嫌い…。ウルフ、北の湖、大鵬さん(打つのか知らないです)、と囲むってどんな感じなんでしょう。想像しただけで怖いんですけど。でも一度くらいなら囲ってみたいかも…。風速どれくらいで囲っているのやら。余談でした。1970年名古屋場所十両格に昇格幕下格までは、はだしにひざ下丈の装束は夏冬兼用です。それが、すそまでの装束になり、もちろん夏と冬で着分けられますし、白足袋が履けるようになるのです。関取と同じで自分の明け荷を持つことができて、付け人がつきます。立行司になったとき以上に嬉しかったそうです。1966年に伊之助さんは他界していたのですが、伊之助さんの奥さんは生きておられ、真っ先に奥さんの所に報告に行ったそうです。秋場所にはご両親を蔵前国技館に招き、晴れ姿を披露したとか…。既にご両親は他界されているのですが、「感謝すると同時に元気なうちに親孝行できてよかったと思っています」とコメントされています。行司名師匠は亡くなっていましたが、健在だったおかみさんの許しを得て昭和四十九年(七四年)名古屋場所から木村正三郎を名乗り、幕内格に昇格してから庄三郎に改めました。伊之助さんが付けてくれた式守正夫のまま十両格に昇格したので、改名を勧められたそうです。「木村庄三郎」はどうか?との案があったものの、伊之助さんが三役格の時「庄三郎」を使用されており、恐れ多く、「正三郎」にされたそうです。1974年名古屋場所から「木村正三郎」と改名。伊之助さんの奥さんに許しを得に行かれたそうです。律儀です。幕内格に昇格してから庄三郎に改めらました。番付の誤記により翌3月場所のみ旧名の木村正三郎を名乗ったそうです。BY Wikipedia 豆知識行司には「木村」と「式守」がありますが、単に名が違うだけではなく、軍配の握り方が違います。木村家は握りこぶしを上に向けます。これを「陰」と呼びます。式守家は逆で握りこぶしが下になり、「陽」となります。私は改名や襲名で、軍配の握り方が三度変わったわけです。行司マニアの方には、常識的な話かもしれないですが、知らない事だらけです…。
February 13, 2007
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日刊スポーツ 第40回NHK福祉大相撲が11日、両国国技館で行われた。4600人が集まり、収益金によって「福祉相撲号」10台が、全国の福祉施設に贈られる。また夕張市社会福祉協議会にも支援金を贈る。お楽しみ歌比べでは、初場所で12勝を挙げて技能、敢闘賞をダブル受賞した平幕豊ノ島(23=時津風)が「土俵より緊張します」といいながらも、アイドルグループの「Berrys工房」と「青春アミーゴ」(修二と彰)を熱唱するなど、盛り上げた。放送:NHKワールドプレミアム2月17日土曜日 16:00~17:30(日本時間) 午後3時からから4時30分(マレーシア時間)美樹様が指摘されていますが、確かに…。豊ノ島は「島唄」のはず…。豊ノ島「島唄」Berrys工房と「青春アミーゴ」豊真将「明日があるさ」天童よしみと「麦畑」北桜「桜」藤あや子と「チェコの海岸物語」安美錦「とんぼ」石原じゅん子と「カナダからの手紙」尾上親方「花の時・愛の時」坂本冬美と「なごり雪」のはず・・・。~追記~ソロとデュエットがあったそうです。幕内取組み白鵬vs千代大海 ⇒ 寄り切りで白鵬相撲甚句 撮影:John GunningさんUtubeにUPしてくださってます。歌っているのは、栃の山、旭光、誇山、琴成田、恵那司、仁王山。北桜が手を振ってます。
February 12, 2007
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幕下が8番取っていた疑問についてFebruary 7, 2007にエントリーした「大鵬幸喜さん*羽ばたけ高く その3」で、どうして幕下が8番相撲を取っているのか?と疑問を書いたところ、gans様 が教えてくださいました。当時の番付と、星取表つきで…。凄すぎます。感動的。 (現在)12日までに6番取り、最後の3日で1番。合計7番。人数の関係で「8番相撲」が発生する事もある。(大鵬さんの時代)1958年初日は幕下以下全員出場。残り14日間は、1勤1休。合計8番。人数の関係で「9番相撲」が発生した事もあった。(初代若乃花の時代)1949年初日は幕下以下全員出場。残り12日間中1休。合計12番。なるほどぉ。原則が存在していました。「アバウトすぎ」などと失言をしてしまい猛反省中。gans様がUPして下さった星取表が凄く面白いんです。「五分」とか「○十」「●二」とか…。横書きじゃなく縦書きとか…。どうもありがとうございました。
February 12, 2007
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その2 のつづきです。*7* 軍配五十年 *安念山と若羽黒*明暗を分けたライバル*8* 軍配五十年 *行司部屋*徹夜であて名書き以下抜粋若羽黒若羽黒は、私の親方の伊之助自らが立浪部屋に世話をした力士で、実家は横浜のクリーニング店でした。粘りのある力強い押し相撲で、大関昇進後は押しの横綱誕生か、と期待されながら、けいこ嫌いと体調を崩したことなどで、大関から陥落して引退。角界を去った後、三十四歳の若さで亡くなりました。良くない噂も多かった若羽黒ですが、伊之助さんの前では素直に話を聞いていたそうです。後援会の人から貰ったデソートを乗り回していたと、どこかで読んだ記憶があるのですが、この時代、力士は車を運転しても良かったのでしょうか?また疑問が…。 1959年の九州場所が伊之助さん最後の場所になります。(定年制導入の為)くしくも若羽黒が優勝を決めた一番が最後の軍配となりました。仕事に追われて、私は見ていませんが、伊之助親方は優勝パレードの車に同乗。「師弟」で感激の涙を流したそうです。なんちゅぅ~、良い話ですか!?この場所、若羽黒は、新大関の場所。そして最初で最後の優勝でした。優勝パレードに同乗した行司さんなんて、いないんじゃないですか!?誰が同乗するように言ったんでしょうか?粋な計らいですこと。一方、好敵手の安念山は立浪親方の娘さんと結婚。師匠で岳父のしこ名羽黒山をもらって、部屋を継承し、その後、多くの関取を育てました。若羽黒とは人生の明暗を分けることになります。うーん。角界はやはりなにやら複雑な気がします。どの力士の連載にも結婚の話題が出てきますし、名を上げれば上げるほど、相手によって随分変わってくる感じもします。一般社会でも配偶者によって左右される人生になる事は多々ありますが、角界ほど明白ではない気がします。勝昭タンの連載で少々出てきましたが、おかみさんは、やはり経営手腕もあり力士の心をつかめる人が最適なのではないかと…。勝昭タンの親方としての成功の秘訣の1つは、そこにあったかもしれません。思いで深い場所思い出深いのは名古屋です。会場は現在の愛知県体育館ではなく、老朽化した金山体育館でした。準本場所時代は二月の開催で、すきま風が吹き込んで寒さに凍えていたのが、本場所は真夏の七月に変わりました。準本場所の時、名古屋は寒かったと聞いた事はあったのですが、2月だったんですね。改革の時代昭和三十年代前半は、相撲協会の伝統ある制度が次々と変わる改革の時代でした。きっかけは国会で相撲協会の財団法人としてのあり方を追及されたからです。大鵬さんの連載その3 で書いた、幕下の番数。もしかしたら、このことが原因でしょうか?あて名書き後援者へ送る番付表のあて名書きも行司の仕事です。部屋が送る番付表は数千通もあるのですから。現在は、プリントされたシールなどを使う部屋も多いようですが、毛筆で書かれた宛名書きを拝見して事があります。今でも行司さんが書かいている部屋はあるそうで…。代筆横綱時代の大鵬さんの手紙を代筆したのも、思い出です。後援者への礼状で、巻紙に筆字で書きました。人づてに依頼されたとはいえ、大横綱の代筆、と思うと光栄この上なく、ていねいに筆を進めました。この種の依頼が、行司の副収入や小遣いになっていたそうですが、今はどうなんでしょう?筆で書かなくてはいけない状況は少ないでしょうし…。でも「相撲字」の練習での書き損じで良いから飾ってみたいなぁ、なんて人もいるでしょうから、需要がないわけでもないかもしれないです…。友人に日本に住んでいた事がある、ミッシェルと言うオーストラリア人がいるのですが、歌舞伎文字で「美○○麗」(○の部分の当て字わすれました)と書いてもらい、それで提灯を作り、部屋に飾ってありました。相撲字でも出来そうです。ここまでの庄之助さんの番付1957年。序二段格。1960年。三段目格。1961年。幕下格へ昇格されます。9年間。
February 12, 2007
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What's on Japan の Hiro Moritaさんが福井アナと似たようなメガネをしていました。相撲関係者の間ではあのメガネ流行っているんでしょうか?稽古まわしをつけたHiroMoritaさんが相撲教習所に行って、相撲の決まり手を紹介するミニコーナーがありました。朝赤龍が武雄山に決めた「腰投げ」が紹介された時、東の土俵下に細い白鵬が…。このコーナー続くそうです。その1 のつづきです。元立行司 三十一代・木村庄之助さん*5* 軍配五十年 *荒げいこ*失神、汗まみれ…息をのむ*6* 軍配五十年 *「涙の抗議」*伊之助、歴史に残る名さばき以下抜粋最初の頃序ノ口の取組を一日十数番ずつさばきました。前もって取組表を見ますが、三十数人もの力士の名前はとても覚えられません。呼び出しは力士名を書いたカンニングペーパーを見て、呼び上げるので、私は一番、一番それをなぞっていました。呼び出し「拓郎」の連載にもこのことは載っていたのですが、呼び出しには巻物のようにしたカンニングペーパーがあるそうです。どんなカンニングペーパーなのかじっくり見てみたいなぁ。新弟子たち入門した新弟子が「すかす」(逃げる)ことなど珍しくもありません。けいこを一度でもして部屋からいなくなるならまだしも、朝、来たのがその晩には姿を消してしまうのもいました。来て直ぐその夜に居なくなってしまうとは…。何をしに来たのでしょう?いや、何があったんでしょう?聞いてみたいです。庄之助さんは「関取衆や若い力士の鍛え抜いた大きな体に圧倒されて、怖さ半分で逃げ去る」とコメントされているのですが、果たしてそれだけかな?と…。力士だけではなく、行司の先輩や後輩もどれほど多くの人が辞めていったか。辛抱できなかったのでしょうね。少々意外でした。力士が稽古が辛くて逃げ出すのはわかるのですが、行司さんは何がどう大変なのでしょうか?もう少し詳しく知りたいです。1958年秋場所 栃錦VS北の洋 「ひげの伊之助涙の抗議」この歴史的な一番を私は土俵下で目の当たりにしています。今はありませんが、当時は向正面土俵下の行司だまり(控え)の横に「たまり小使い」の席がありました。私は師匠の軍配や土俵上で履く上草履の世話をする、付け人としてこの席にいました。「たまり小使い」はいつまであったのでしょうか?ざっと調べてみたんですけれど、まったく見当たりません。昔の映像を見ても、何処にその「たまり小使い」が居るのやらさっぱりわかりません…。こんな時に必要なのは岩佐アナ。きっと知っているはず。行司は審判に意見、説明はできますが、裁定には加われません。しかし、師匠はよほどさばきに自信があったのでしょう。十数分にも及ぶ長い協議の途中、自分の軍配が正しいと、土俵をたたいて説明しました。観衆の「うぉー、うぉー」のどよめきが館内に渦巻きました。私はいったいどうなるのかと、ハラハラでした。結果は行司差し違い。親方は、残る十四日間の出場停止処分を受けました。この取組みは、今でも話になりますし、たまに映像も流れます。翌朝の新聞に、伊之助の姿と、その取組みの様子が連続写真で載り、伊之助の軍配が正しかったと世間に波紋が…。協会には「どうして伊之助を処分したのか!」と抗議が殺到し、協会は伊之助さんを14日目から再出場させます。伊之助さんの気持ちはとてもわかるのですが、土俵を叩いてまで抗議をするあたり、とても強烈なキャラの持ち主かと想像します。平等に裁かなくてはいけない立場にある裁判官や行司、審判などは、キャラを殺す必要があるのですが、自然に出てくる強烈なキャラは、魅力的。親方が姿を現した国技館内は「伊之助」「名人」の歓声が飛び交いました。行司にあれほどの声援は、以後見たことがありません。取組みの映像は今でも流れますが、伊之助さんが再出場をした時の映像を見た記憶がありません。是非見てみたいです。因みに、この場所の14日目。結びの一番は、星取表から想像するに「若乃花vs大内山」だったであろうと思われます。若乃花の連載にこの取組みのエピソードは出ていませんでした。残念。審判の誤審?で黒星となった横綱栃錦は、この場所途中休場。慢性腎臓炎・右アキレス腱炎・腓腹筋リューマチ。そして翌場所全休です。運気が下がり気味だったのでしょうか?悪い時には悪い事が起こると、横綱栃錦は思ったかもしれません。ひげの伊之助さんの、勝ち名乗りの時の間違えエピソード横綱鏡里に勝ち名乗りを上げる時に「玉の海…」と言ってしまい、顔を見ると鏡里だったので「…に勝ったる鏡里」と、ピンチを切り抜けた、と聞いています。やはり間違える事もあるんですね。ひげの手入れのエピソードなども書かれていました。一緒に銭湯に行って、あのヒゲを卵パックしていたそうです。時代の先取りでしょうか?
February 11, 2007
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元立行司 三十一代・木村庄之助さん*1* 軍配五十年 *相撲中継*ラジオに夢中、番付を暗記*2* 軍配五十年 *運命の出会い*巡業の伊之助さんを案内北海道新聞夕刊全道 以下抜粋NHKのサンデースポーツなどでも取り上げられた31代目木村庄之助さん(以後、庄之助さんで書きます)です。2006/05/23から2006/06/09まで北海道新聞夕刊に16日間、インタビューが掲載されました。北海道新聞にも、少しインタビュー記事が載っています。ひげの伊之助(以後伊之助さんで書きます)が巡業にやってきた時、駅から宿舎までの道案内をしたことをきっかけに、庄之助さんと伊之助さんは文通をし、入門が決まったそうです。「相撲列車」が美瑛駅に到着するのを、見物に行ったときに伊之助さんと出会います。私は兄から借りた二眼レフのカメラを持って、列の前に出てお相撲さんが来るのを待っていました。力士たちと一緒に、映画で見た水戸黄門そっくりの小柄な老人が駅舎から出てきました。真っ白な立派なひげを蓄えたその人をひと目見て、私は「ひげの伊之助だ」と分かりました。 (中略) 伊之助さんは、私に歩み寄ると、その日泊まる旅館の場所を尋ねました。その宿は、駅の目と鼻の先です。「あそこです」と指をさすと、「案内しなさい」と言われ道案内しました。その途中に「坊や、相撲は好きか」「はい、大好きです」。「明日は見に来るのかい」などと短い会話を交わしました。私のカメラに気がついた伊之助さんは、「写真を撮っていいよ」と、立ち止まってくれました。サンデースポーツでは、この出会いを「赤い糸」とおっしゃっていました。庄之助さんは伊之助さんに手紙を書き、返事が来ます。そして文通が始まります。三、四度手紙のやりとりがありましたが、いつの間にか、「行司になる気はないか」という、勧誘の手紙になっていました。行司になるつもりはなかった庄之助さんでしたが、何故か親戚にまで「正夫(庄之助さん)は行司になりたがっている」と広まってしまい、父上は猛反対。周囲に反対された事によって、「やってみせる」と逆に思ったそうです。中学二年が終了して入門となりました。当時、角界に定年制はなく、伊之助さんは六十七歳でした。また、木村庄之助、式守伊之助の立行司二人は「親方」と呼ばれ、協会の親方の地位と待遇が与えられ、内弟子を持つことができたのです。庄之助さんもまた、特に行司にんりたかったわけではないようです。*3* 軍配五十年 *弟子入り*立浪部屋へ*4* 軍配五十年 *中学生行司*上京の翌月に初土俵以下抜粋父上と上京し、高円寺(杉並区)の伊之助さんの自宅を訪ねます。まず親方は「年配の人を敬うこと。かわいがられるためには、はきはきとしたあいさつと返事をすること。言い訳と口答えは決してしてはいけない」と話してくれました。相撲に限った事ではない話だと思いますが、このように教えてくれる大人はとても少なくなっているのだろうなと思います。はじめ、「親方」「おかみさん」と言えなくてね。まだ、私も子どもだったのか、何だか恥ずかしかったんですよ。なるほど…。今でも新弟子の中には同じように思う人もいるでしょう。「一枚違えば家来も同然、一段違えば虫けら同然」の角界です。名門の立浪一門を統率する親方からみれば、行司の新弟子など虫けら以下でしょうが、「頑張りなさい」と声を掛けてもらいました。あまりの緊張で、上の空でしたがね。番付社会は、力士だけではないと改めて思うのですが…。中学は、墨田区立竪川中の3年に転校。伊之助親方の家から、中央線と総武線を乗り継いで通学、越境通学です。当時は、まだ中学生の力士や行司が許された時代です。この制度は昭和四十六年(一九七一年)まで続き、北の湖理事長(元横綱北の湖、胆振管内壮瞥町出身)や伊勢ノ海親方(元関脇藤ノ川、十勝管内音更町出身)も両国中学に通いながら土俵に上がっています。北の湖も色々な最年少記録を持っていますが、始まりが今とは違うとなると、年齢でのランキングはあまり意味がない気もします。初土俵からの場所数も、付け出し制度があるので比較するのは難しいです。当時、本場所は東京が初、夏、秋の三場所と春の大阪の年四場所。場所中、中学生力士と行司は特別に学校を休ませてもらっていたそうです。師匠の家の二階の六畳が内弟子の部屋でした。朝、おかみさんが「まあちゃん、起きていますか」と声を掛けてくれて、朝食を食べ、弁当を持って通学しました。親方には、すべてに厳しく仕込まれましたが、おかみさんは家族の一員のように、分け隔てなく育ててくれました。親方夫婦とは50歳以上も年齢が離れていたので、親方夫婦にしたら、孫同然だったでしょう。にしても、おかみさんが優しくしてくれた事は大きな支えになった事だと思われます。親方がどんなに厳しくても、おかみさんが優しかったから…、と言うのはあると思うんです。親方と親交がある方の家に親方(伊之助さん)の名を染め抜いた手ぬぐいや湯飲みを届ける奥さんかお手伝いさんに、「ひげの伊之助の使いで参りました」とあいさつします。「ご苦労さま」と、よくお小遣いをいただきました。うれしかったですね。もちろん、親方には報告しました。一度、伝え忘れて厳しく注意されました。「お礼が言えない。私が恥をかくのだよ」と。この連載は、庄之助さんではなく、伊之助さんの物語か?と思うくらい沢山、伊之助さんの話が出てきます。最後まで読むとわかるのですが、庄之助さんは、伊之助さん最後の弟子であったと言う事を、とても誇りに思っておられますし、伊之助さんの事を尊敬すると同時に、本当に好きだったんだな、と思います。天国の伊之助さんも、きっと庄之助さんのことを誇りに思っておられると思います。この連載、長いのですが、28人もの横綱を見てきているの方なので、それはもう話題が豊富です。お楽しみに。
February 10, 2007
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スポーツ報知 八百長疑惑を報じた「週刊現代」の発売元・講談社などに民事訴訟を起こす日本相撲協会の決定を受け、大関・白鵬が9日、土俵の活躍で“無実”を証明すること誓った。東京・墨田区の宮城野部屋でのけいこ後、これまで疑惑に対して重かった口を開いた。「みんな一生懸命やっているんだし(八百長は)ない。相撲で頑張るよ」春場所(3月11日初日)の土俵で疑いを吹き飛ばす覚悟だ。協会は名誉棄損による損害賠償と謝罪広告の掲載を求める。白鵬も横綱・朝青龍(高砂)同様、法廷に立つ可能性もある。1審判決まで1~2年かかるため「長いな。相撲人気がどうなるか心配だよ。でも国技。大丈夫」と思いを口にした。相撲で頑張るよこの解答だと、65点の採点となります。まずは無理矢理にでも反省の言葉が欲しかったなぁ~。「そう受け取られた私の相撲内容が悪かったんだ」By 大鵬とか…。まずは無理矢理にでも、己を律する言葉からかと思います。あんな記事に反応するのも悔しいんですけどね。でもこれを機に、反省する所は反省するべきです。見つめなおす良いチャンスだと捉えるべき。いつまでも怒っていても仕方にゃい!誤解を招くような行動は、慎むべき。相撲人気がどうなるか心配だよここは厳しく。えーっ、心配する前に、綱を張れ! 話はそれからだ!と思います。相撲で頑張るよそれしかないですし、それ以外無いと思います。春場所だのしみだわぁ~。全力士気合入りまくりでしょうね。やっと稽古記事が出てきて、ホッとしておりまする。怪我の具合はどうなんでしょうか?次はそういう質問して欲しいなぁ。>記者さん正直もうこの八百長話、うんざりです。 スポーツ報知 北の湖理事長、貴乃花親方(ともに元横綱)ら親方衆5人が9日、後楽園ホールで行われたプロレスの「第4回上井ステーション」をVIPとして最前列で観戦。川田利明(43)やTAJIRI(36)ら一線級レスラーのファイトを楽しんだ。もっとも、興行が盛り上がりを欠いたため、プロデュースした上井文彦氏は「プロレスのいいところを見ていただきたかったけど難しかった」と反省していた。タイミング悪すぎ。なんだか両者、お気の毒です。
February 10, 2007
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スポーツ報知 大相撲の幕内・垣添(28)=武蔵川=が8日、都内で浅井美栄さん(25)=名古屋市在住の自営業・浅井龍馬さん長女=と7日に入籍したことを発表した。美栄さんは椙山女学園高と日大で、新相撲と呼ばれる女子相撲で7個のタイトルを獲得した“女横綱”。2人は垣添が日体大3年の時に知り合い、交際に発展。初場所の千秋楽にプロポーズした。現役の関取が女子相撲の選手と結婚するのは初めて。最強のパートナーを得た垣添は「これからが本当のスタートだと思って、気合を入れて頑張りたい」と話した。挙式披露宴は12月26日に都内のホテルで行う予定。浅井美栄さん奥さん凄いかもぉ~!体格も素晴らしいぃ~!普通に相撲とったら、どっちが強いんでしょうか?良い稽古相手だわぁ。朝青龍が稽古をしなくても、筋肉が落ちる事無く強いのは、秘密特訓をしているから。その秘密特訓とは…。奥さんのタミルさんが、実は最強で、朝青龍に稽古つけているのではないのか!?と前に冗談でコメント欄で盛り上がった事がありましたが…。カッキー改め品川の場合、冗談じゃなくなるかも!奥さん強そうですし。気になったのは…。力士お決まりの「お姫様抱っこ」じゃない!どの写真も、お姫様抱っこしてないの!軽々持ち上げられるような体重じゃないんでしょうか!?私の希望としては…こうなったら奥さんに垣添を軽々と抱っこして、逆お姫様抱っこをしていただきたい!出来ると思います!あっ、魁皇の時も同じようなことを思った記憶が…。でも魁皇はお姫様抱っこしてましたけど。 スポーツ報知 八百長疑惑一掃へ、協会と力士が一丸となって法廷で戦う。民事になれば力士が証言台に立ち、講談社側から質問を受けるリスクはある。しかし、法廷で堂々と当人が潔白を主張し、真っ向から争うことができる。「八百長報道は何年かに1回起こっている。こうした流れを止めるためにも協会は毅(き)然とした対応に出た」(同弁護士)。法廷での“ガチンコ対決”で争い白星をつかむことで、今後、一切、八百長報道を封じる狙いがある。朝青龍も覚悟は決めた。過去、八百長問題で力士が出廷した例はない。それでも自らの誇りと綱の威信を守るため立ち上がった。この日、高砂親方(元大関・朝潮)から受け取った訴訟への委任状にサイン。もちろん、白鵬ら5大関も同調。全員が証言台に立つ気持ちを固めた。訴状提出は準備に時間がかかるため3月中を予定。1審判決までに「1~2年はかかる」と伊佐次弁護士。注目の横綱が法廷に立つのは秋以降になる見込みで、長い長い戦いが今、始まった。力士出廷力士だろうが、裁判をする事になったら出廷する必要はあると思うんです。ただ、本場所中に出廷とかもあるわけで…。本場所中はやめてください、なんて意向は考慮される事があっても丸々受け入れられる事はないですよね?やだなぁ、いずれ本場所がこんな話題に飲み込まれてしまう事があると想像すると…。しかも最悪、「出廷により休場」なんてことあるんでしょうか?勘弁して欲しい。そうなった場合、被告の会社はそれに対しても損害賠償払うべき!もぉ~、凄くいやぁ~。原告17人朝青龍、白鵬、栃東、魁皇、千代大海、琴欧洲、琴光喜、雅山、稀勢の里、露鵬、琴奨菊、時天空、旭天鵬、把瑠都、安馬、黒海、旭天山、 いつのまにか、稀勢の里まで…。
February 9, 2007
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その5のつづきです。これで終了です。 *9* 羽ばたけ高く * 限界を知り引退 * 晴れ晴れと臨んだ断髪式 1998/06/25 以下抜粋1969年春場所初日を勝ち、連勝記録を45まで伸ばしていた2日目。対戸田。「ビデオで見ると明らかに戸田の右足が先に出ている。誤審だ」。戸田に負け支度部屋に戻ると、報道陣がそんなことを言っています。だが判定は出たのです。「横綱があんな相撲を取るのが悪い」と私は言ったものの、緊張の糸が切れて高熱を出し、途中休場してしまいました。色々思う事はあっても、「横綱があんな相撲を…」と言える大鵬さんはやはり凄いです。この一番がきっかけでビデオ判定が採用される事になるのですが…。最も思い出に残る一番だそうです。1969年夏場所。優勝30回日本相撲協会は一代年寄「大鵬」の名跡を新たに興し、贈ってくれることになりました。二所ノ関親方からは、部屋に何か事があれば戻って継ぐ、との条件で引退後の私の独立を許していただきました。一代年寄は、引退後に贈られる昨今ですが、大鵬の時は、現役時に貰っているんですね。69年名古屋場所で、柏戸は引退。70年夏場所、師匠に引退を申し出ましたが、「まだやれる」と言われ、頑張ります。「後輩横綱たちに全勝だけはさせまい」と気持ちを奮い立たせたそうです。1971年 5月13日 夏場所5日目 小結貴ノ花(故・二子山親方)よく食い下がられ、土俵際で私はしりから落ちました。しりから落ちるのはいけません。私は限界を知りました。翌朝、自分を納得させるかのように、娘たちに「父ちゃん、相撲辞めていいか」と聞くと、「うん」ということでした。三十一歳でした。この取組み goo で閲覧可能です。「巨人、大鵬、卵焼き」光栄なことではあるんですが、巨人と私を一緒にされたくはないという自負もあるんです。巨人はお金をかけてできあがったチームです。私は私一人なんですから。徹子の部屋でも同じ事をおっしゃっていましたが…。もう1説。全て子供が好きなものだから。子供は勝てば嬉しい。内容はどうでも良い。だから、大人は大鵬ではなく柏戸が好きなのだと…。*10* 羽ばたけ高く * 親方になり病気 * 力士育てたい一心で復活1998/06/26 以下抜粋1972年1月 大鵬部屋が正式に起動します。現役中、一足先に引退した元柏戸の鏡山親方から「力士を辞めたらみじめだぞ」と耳打ちされたものです。確かに親方になれば今まで他人任せだったことをすべて自分でやらねばなりません。一からの出発です大横綱でも、現役でなくなると、違うものなんですね…。部屋では問題も出てきました。力士たちが周囲から「あの大鵬の弟子」などとちやほやされ、弟子たちもそれに乗ってけいこに身が入らなくなったのです。私も悩みました。大横綱であるために、その名が邪魔をしていると言った感じでしょうか。そう考えると、一代年寄を貰っても、九重部屋を継いだ千代の富士はある意味良かったのかもしれないですし、北の湖のように、普通にやっている感じがする部屋もありますし…。あっ、でも「理事長の部屋」とか言われますよね。閣下も「北桜が理事長の部屋の力士だと言う事が面白い」とも言っていましたかぁ。うーん、難しいところです。境川親方(元横綱佐田の山)は協会の理事長にもなり、第二の人生では逆転されてしまったな、などとも考えてしまいます。この言葉がとても切なく聞こえるのは私だけでしょうか?勿論現役時代、色々楽しい話、普通では経験できない事も沢山あったと思うんです。でもそれと同じくらい、沢山の苦しい事もあり…。だからこそ、相撲についての哲学をお持ちだと想像します。だとしても、なんだか言葉が重いです。還暦土俵入り2000年 5月 国技館で露払い:九重(千代の富士) 太刀持ち:北の湖大横綱3人なんです。凄い絵図だと思います。一方勝昭タン2002年。国技館は使えませでした。露払い:八角(北勝海) 太刀持ち:九重(千代の富士)これまた凄い絵図ですが、露払い&太刀持ちの両元横綱は、勝昭タンの愛弟子なんです。う~ん。なんだか色々考えてしまいます。どちらが良いとか悪いとか、そんな単純な話ではなく…。現役時代の2人の話を比べると、私は絶対に大鵬さんのが好みのタイプです。因みに、送って頂いた連載の中には、初代若乃花の連載もあったのですが、初代若乃花が私の一番のタイプかも!現役時代の勝昭タンを知っていたら、嫌いな力士TOP3くらいに入っていたかもしれないと思います。初代若乃花>>大鵬さん>>>>>>>>>勝昭タンこんな感じです。でも現役を引退してからの3人を比較すると、私は勝昭タンが一番好きです。総合すると、結局皆同じなのかな?とも思います。ただ勝昭タンの人生は凄く楽しそうですに見えるのが、不思議です。65歳にもなって、素敵ぃ~!とか言われる人は、世界中探してもそんなにいないと思います。次は、31代目立行司:木村庄之助さんの連載(長編)を紹介する予定です。力士の稽古が本格化してきたら、呼び出し:拓郎さんの連載(短め)になるかもしれません。
February 9, 2007
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労働科学研究所 本当は知らない、力士の凄さ ~相撲社会のあれこれ~概要:第3弾は、力を抜いた話題で、楽しんでいただきます。相撲部屋において大関・白鵬関のトレーニングを指導している内藤講師(労働科学研究所)が、企業や家庭でも簡単にできる体力づくりの方法をご紹介します。国技の相撲……。知っているようでいて知らないことがたくさんあります。たとえば、「四股」。力士は軽々とやっていますが、本当はとてもキツイものです。だから効果も抜群です。大腿四頭筋や大殿筋ばかりではなく、身体のバランスや柔軟性向上に大いに貢献しています。ヒップアップも間違いなし! やってみますか――。また、「ちゃんこ」にまつわる話も紹介します。他方、産業社会にあっては、近年、技能伝承の問題や若者の社会への適応性が低いためにご苦労が多いものと思いますが、実は、相撲社会でも同じです。腕立て伏せが出来ない新弟子や、糖尿病に悩む力士も増えてきています。さて、どうしましょう。今回のセミナーではVTRをふんだんに使用して、力士の心身のトレーニング、技能の伝承、相撲社会での絆のつくり方などについて、講師でこそ語れる経験や実践成果を報告します。2月7日開催 午後2時から4時無事終了したみたいです。中が濃い水色、外が何色と言うんでしょう。えーっ、藁色?みたいのお着物で参上。記者さんがいたそうですから、明日記事になるかも。でもならない気がするなぁ。質問タイムもあったようですが、今巷で話題のあの話とかは出ず…。って当たり前ですが。真面目なセミナーだったようです。久々に白鵬の話題でした。
February 8, 2007
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その4のつづきです。 *7* 羽ばたけ高く * 最年少の横綱に * 他力士の“挑戦”はね返す 1998/06/23 以下抜粋1961年9月。21歳3ヶ月で、横綱に昇進します。柏戸と同時昇進です。後援会長宅に挨拶に行きます。日本画家の川合玉堂さん作の富士山の絵をいただき、「このように大きく、なだらかな横綱になってほしい」と言われました。横綱まで急激に上り詰めたのはいいが、短命に終わらず、富士山のすそ野のようにゆっくりとやめていけ、とのことです。その言葉はいつまでも鮮明に心に残りました。横綱に昇進した途端、「引退」が頭によぎるわけですよね。深いなぁ。翌九州場所、続く翌年初場所も優勝し、幸先の良いスタートとなります。が…。だが当然他の部屋の力士たちは総掛かりで打倒大鵬を目標にしてきます。出羽海部屋の当時大関佐田の山(元横綱、現境川親方)もその一人。春場所の優勝決定戦では一気の寄りに押し出され、次の夏場所でも佐田の山はじめ出羽海一門の力士に次々と負け、優勝戦線から脱落です。佐田の山の話はあまり現在では語られる事はありませんが、勝昭タンの連載にも出てきました。下から上がってくる者に対し「そうはさせんぞ」という意地でした。それは相手のためでもあり、相撲界全体のためでもあるんです。上に立つ者が簡単に負けていては下の者は力が付きませんから。考え方が違います。凄いですね、大鵬さんって。しかも、言っているだけではなく、大関陣を相手に申し合いをがんがんしていたそうですから、頭が下がります。口に水をふくんで大関陣を相手に申し合いをした話は有名ですが、見てみたいです。どんな稽古をしていたのか…。史上初の6連覇1962年名古屋場所から1963年夏場所。この連覇に関しては、特筆されていませんでした。何故でしょう?1963年秋場所千秋楽 八百長と書かれた一番について心外でした。負けようと思ったことなどありませんから。ただ、そう受け取られた私の相撲内容が悪かったんだ、と思うようにして自分を納得させました。今八百長問題が色々巷ではささやかれていますが、大鵬さんのように自分の相撲を律するコメントをする力士は、一人もいません。次から頑張る、も大切ですが、その前にそう思われてしまった事への反省が先かもしれないと、この連載を読んで思います。*8* 羽ばたけ高く * 定宿の娘と結婚 * 休場中の練習 妻が支え1998/06/24 以下抜粋1966年春場所から2度目の6連覇を成し遂げる始める66年春ごろ結婚話が持ち上がります。師匠の二所ノ関親方から「結婚を考えている女性はいるのか」という話がありました。「いいえ」と答えると、「うちの娘はどうだ」とのこと。「考えさせてください」と引き下がり、その場は終わりましたが、その時すでに、ある女性のことが気になっていたのかもしれません結局、師匠の娘さんとは結婚せず、現在の奥様と結婚するのですが、協会に残る大鵬にとって、もしかするとこれは大きな岐路だったのではなかったのか?とも思います。師匠に報告する前に、後援会の方に紹介し、スポーツ紙に載ってしまうのですが、それが良くなかったかもしれません。この頃から、師匠との関係が悪くなったような気がする、と大鵬さんは語っています。1968年 秋場所大関清国との稽古で左膝を痛め4場所休場。休場明けの場所です。初日の相手は栃東(のち関脇、現玉ノ井親方)。気負い過ぎたのか、立ち合いで一歩も踏み込めず、あっさり寄り切られてしまいました。初日負けた時。新聞には「大鵬引退か」などの文字が躍ったそうです。しかぁ~し、並みの人間ではない大鵬。初日に負けた以外は、黒星なしで優勝。翌九州場所は全勝優勝。続く1969年初場所も全勝優勝。ここまで44連勝です。そしてあの有名な1番の話になるわけです。
February 8, 2007
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撮影:John Gunningさん優勝パレードで使用する車です。先場所使用された物。外見は見たことありますが、中はみたことありませんでした。履物は脱いで乗るのかどうなのか。ちょっと気になったりしました。 普天王2007年02月06日(火) の普天王のブログです。最高に面白いぃ~!普天王はこうでなくちゃ!元祖ネタ力士!なかなか良いキャラしてるなぁ~、と私は思っています。へんな物頭につけて、かわいく写真におさまる事が出来るのは、普天王くらい。しかもなにやら、楽しそう…。唇が赤くなっています!調子がいいときの普天王は唇が赤い!春場所期待しましょぉ~。
February 7, 2007
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その3 のつづきです。*6* 羽ばたけ高く * 打倒柏戸目指し * 出げいこで先輩の技吸収1998/06/22 以下抜粋1959年秋ごろ。柏戸が出稽古にやってきます。出げいこに来た柏戸関は私にとっては雲の上の人です。師匠の二所ノ関親方は私に「行け」と言ってくれ、私は柏戸の胸を借りることができました。3~4番取りますが、歯が立ちません。悔しくて、「いつかあの鋭い出足を止めたい」と思ったそうです。十両時代の成績 4場所で通過 1959年夏場所 西20枚目 9-6○●○○●○○●●●○○●○□名古屋場所 東16枚目 9-6○○○●○○○●●○○○●●●秋場所 東10枚目 13-2 ←東12枚目宇田川が優勝14-1(その1敗は大鵬)○○○○○●●○○○○○○○○九州場所 東3枚目 13-2 ←十両優勝 (準優勝の双ツ龍に黒星きっちりすけてます)○○○○○○○○●○○○○●○1959九州場所で、十両優勝。こうして当時の星取表を見ていると、大鵬は勝てる相手ではなくて、勝たなくてはいけない相手にきっちり勝っています。秋場所などは、「力がある」存在感を見せ付ける事が出来た場所なのではないでしょうか。1960年初場所 新入幕 西13枚目先輩たちは新参者相手に力んでしまうのか、私は初日から十一連勝しました。謙虚な方です。12日目に小結柏戸と当たります。立ち合いでどうにか出足を止めることはできたのですが、そこは小結、私にそれ以上何もさせません。足が流れ体が伸びたところ、出し投げを打たれ、私は土俵にはわされてしまいました。やはり柏戸は強い、と思い知らされた一番でした。私は打倒柏戸を目標に前にも増してけいこに熱を入れるようになりました。悔しさをバネにする。目標を見つけ、それに突き進む。どの力士も同じでしょうけど、勝昭タンの時は、「負けた悔しさをバネに」は無かったような…。新入幕の場所は12勝3敗。歴代3位タイの好成績。何度も言いますが、白鵬もですよ。マスコミの関心もどんどん高まり、「大鵬の父は白系ロシア人」と書かれショックだったそうです。本人は知っておられたのですが、母上も師匠も隠していた事だったので、ショックだったのだと思われます。今は時代も違いますから、ミックスだろうが隠す必要ないんですけれど…。マービンのような力士だっているわけで…。当時は、色々偏見が今以上にあったんだろうと想像します。私の三人娘たちも幼稚園や学校で「あいのこ」呼ばわりされました。けど今では「もっとお父さんに似て格好良くなりたかった」と言ってくれます。私も今では父がロシア人であることを誇りに思っています。前は嫌だったんでしょうか?大鵬さん自身も隠したかったんでしょうか?この連載は1998年なのですが、この連載から数年後。ロシアから露鵬がやって来るとは想像もしていなかったでしょうね。しかも、親方としての最後の弟子。露鵬ぅ~、もう頑張りなさい!1960年夏場所。前頭6枚目。対横綱朝潮(4代目)もろ差しから下手投げを打つと横綱の体が傾きました。その時横綱が「ああー」と、なんとも悲痛な声を出したんです。それが今も耳にはっきり残っています。私は常々師匠から「お前は横綱になり部屋を背負って立つ人間だ」と言われていました。横綱になったとしても若い力に屈する時がいずれ私にも来る、と直感し、やるせなくなったのです。いつか自分が逆の立場になる、と直感したと言うことでしょう。なんとも切ない。毎日のように、師匠と一緒に出稽古に行ったそうですが、研究されるからと稽古を避ける力士もいたそうです。「大鵬は一晩寝ると強くなる」といわれた時期です。1960年九州場所。入幕6場所目。関脇で幕内初優勝を果たし大関昇進を決めた時は、喜びよりも、すでに大関だった柏戸にやっと追いついた、との感慨が込み上げました。普通の人とは何かが違う感じがします。喜びじゃないんですよ!1961年秋場所 東大関 13勝2敗優勝すれば横綱昇進という優勝決定戦で、柏戸のまわしを取りうっちゃることができました。これが「まわしを取れば」という自信になりました。目標だった人を破ったわけですから、自信になったんでしょうね。偶然勝った訳ではなくて、努力の結果なのです。大鵬さん21歳ですよ。凄いなぁ~、持って生まれてきた物が違う、って感じがします。この取組み goo で閲覧可能です。勝昭タンの取組みも見られますよ。
February 7, 2007
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その2の続きです *5* 羽ばたけ高く * 待望の十両昇進 * 毎日続いた鬼の荒げいこ 1998/06/19 以下抜粋入門半年後、師匠の命により十両の滝見山が大鵬さんの特訓係になります。そのけいこの厳しさたるや、すごかった。私だけが相撲場に残される。執拗(しつよう)に張り倒され、気を失いそうになっても「ばかやろう、おれがいいって言うまで続けるんだよ」と言われ、塩や砂を口に放り込まれる。それが毎日です。十両昇進まで続きました。師匠から一日しこ五百回、てっぽう二千回の日課も課せられました。大鵬さんは後にこの厳しさをこう表現しています。「私が伸びると師匠が見込んだため」「滝見山も大変でした。足の裏は人一倍すり減り、部屋のファンからは憎まれました。」「番付が上がるにつれ「滝さんのおかげ」と感謝できるようになりました」因みにこの滝見山とは、現役引退後も交流があり、1998年当時入院生活を送っていた滝見山を車椅子に乗せ一緒にお寿司を食べに行ったりしていたそうです。感謝していないと出来ない事だと思います。1日に四股500回 てっぽう2000回 これは「徹子の部屋」に大鵬さんが出演された時も言っておられましたが…。どうやら本当にやっておられたみたいですね。まあ回数はアバウトだとしても、稽古量は本当に凄かったようです。大鵬さんの連載紹介が終わったら、行司さんの連載を紹介する予定でいるのですが、その行司さんの連載にも大鵬さんの現役時代の稽古量についての話が出てきます。本人の口から聞くより、第三者の方が話される事の方が、後日談としては信憑性があると思うのです。ましてや立行司まで務められた行司さんとなれば…。お楽しみに。初土俵以来、6場所続けて勝ち越。1958年春場所。三段目筆頭。初優勝。優勝賞金(当時3万円)は全額母上に送金。その年の5月。おにぎり屋での出来事。店主が「伊勢ノ海部屋の富樫を知ってるか」と聞いてくる。私は「そんなの知らない」と答えると「将来横綱ものだ」と言う。友人が「何を言っている。ここにいる納谷だって負けない。二所に納谷ありだ」って言ってくれた。富樫とは、柏戸です。この出来事をきっかけに、大鵬さんは柏戸を意識し目標にし始めます。1958年名古屋場所。幕下9枚目。初日から6連勝。12日目、花田(横綱栃ノ海)に負け、十両昇進が無くなりました。悔しさから花田を研究する事がはじまりますが、対花田戦は5連敗。丸一年後の1959年名古屋場所で初めて勝ちました。相手を十分研究した上で取る私のやり方はこの時から始まったのかもしれません。研究熱心な大鵬は、この悔しさが元となっているようです。(幕下上位の成績) gans様のところで調べてみました。1958年 名古屋場所 東9枚目○○やや○や○○やや○●や○や 7-11958年 秋場所 西2枚目●や○や●○やや●○やや●や● 3-5 ←負け越し1958年 九州場所 東7枚目○○や●やや○○やや●○や○や 6-21959年 初場所 西4枚目 ←この場所で昇進できなかったのが信じられないです!●○やや●○や○○やや○や○や 6-21959年 春場所 東筆頭○や○や○や●や●や○や○や○ 6-2(メモ)大鵬さんの幕下上位の成績を調べていて、気づいたんです。8番取ってるんです、この時代。1960年名古屋場所から7番になっていました。成績が「4-4」の時は、どんな扱いになったんでしょう?それと、8番相撲の中、7番だけしか取っていない力士もいたりするんです。アバウトすぎ!かと思うと、1949年春場所。初代若乃花は、幕下6枚目で10勝2敗との成績記録があるんです。ますます謎。この件に関しては、また別の機会に調べてみようと思います。正確には、幕下マニアの方に聞いてみようと思います、です。~追記~February 12, 2007 のエントリーも参照ください。 原則がありました。当初「1948年春場所」と記しましたが「1949年春場所」でした。(訂正済)1959年 夏場所 十両昇進昇進に伴い、改名します。大鵬です。変な名前だな、というのが感想でした。それよりけいこして勝つことの方が大事、名前を生かすも殺すも本人次第、と思ったものです。この四股名の話もそうなのですが…。大鵬さんは、何かを自分でする人ではなくて、周りの状況の変化に上手く対応し成果が残せるタイプだと思うんです。そして決して自分に満足せず、前進を試みる方。この四股名。最も有望な弟子につけるつもりで、ずっと親方が取っていた四股名だとか…。大鵬さんは、「たいほう」を「大砲」と書くと思っていて、師匠に「おおづつ」と読むと言われ、横綱大砲の話をされたとか…。四股名についての逸話は色々あるようです。
February 7, 2007
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その1の続きです。 元横綱 大鵬幸喜さん *3* 羽ばたけ高く * 営林署のバイト * 山で草刈り 養われた筋力1998/06/17 以下抜粋1951年3月から川湯に住む大鵬さん。1953年、大鵬さんが川湯中学に入学する頃、母上は義父と離婚します。当時兄の幸治は網走管内斜里町宇登呂で漁師をやっていて、毎月仕送りをしてくれていました。漁師の親方から信用されるようになり、親方から十万円を借りることができたそうです。それで古い家とわずかな土地を買いました。兄と二人で簡単な改築をしてまあまあの家になりました。初めての自分たちの持ち家でした。初めての持ち家。さぞかし嬉しいのかな?と思ったのですが、そんなコメントは何処にも見当たらず…。中学を卒業する時、校長先生から「勤労奉仕表彰賞」というものを受けました。私は宿直室暮らしが長かったですから、休みの日に机やいすなどの学校の備品をよく修理していたんです。学校の先生たちは「一体だれがこんな上手に直したのだろう」とずっと不思議がっていたようです。結局私だと分かって、表彰されたというわけです。義父の商業柄、宿直室で生活をしていた為、色々教わっていたのだと思います。ただその教わった事を、こうして活かして密かに修理していた中学生の大鵬さんは、凄いと思います。連載の段落丸々載せてしまう事になってしまうのですが…。弟子屈高定時制に進むことになり、昼は営林署でアルバイトをしました。松や杉の苗を植え、雑草を刈る。苗を傷つけずに雑草だけを刈るのは神経を集中させねばなりません。重いかまで刈りながら山を登り、下る。大人たちが何日もかかるところを私は一日でやってしまう。その分多くお金がもらえました。身長はこのときすでに一八〇センチありましたが、この労働でずいぶん筋力も鍛えられました。草を刈る動作が、相撲取りになってからの投げなどに役立ったのではないでしょうか。 最近では、モンゴル出身力士のコメントに「小さい頃から馬に乗っていたから足腰が強い」なんてのがありますが、私はそれを聞くたびに「そうかなぁ?」と半信半疑なんです。何故なら自分も馬に乗っているからです。素乗りならまだしも、鞍を付けて乗るだけで、足腰が鍛えられるのかなぁ?と…。どちらかと言うと、その時に感じている集中力の方が、相撲には役立つと私は考えます。馬に乗っている時も、草を刈っている時も、集中しないと無理な状況。それが普通に出来るようになっている…。そっちのが実は役立つ事なのではないか?と…。1956年7月11日。私が高校一年の五六年七月十一日。営林署の事務所にトラックがやってきました。助手席に眼鏡をかけたお相撲さんが乗っていて、私を見ている。なんだろう二所ノ関部屋の元力士の紅葉山さんが川湯に居て、部屋に大鵬さんのことを連絡していたそうです。なので夏巡業の時に、部屋の世話人と宮ノ花(眼鏡の力士)とで、大鵬さんを見に来たわけです。そして家に帰ると、その世話人が母上と母方の叔父上を説得していたそうです。母上は反対しておられたそうで…。そして翌日、大鵬さんは巡業を見に行く事になるのです。展開が速すぎます!*4* 羽ばたけ高く * 二所ノ関部屋へ * 取り方も知らずに初土俵1998/06/18 以下抜粋1956年、16歳。訓子府に来ていた二所ノ関部屋の巡業を見に行きます。二所ノ関親方は学生服姿の私を見て「来たか。あんちゃん、上着、脱いでみろ」と言いました。やせた上半身を見せると「まあ、いいだろう。相撲でも見ていきなさい」ということになりました。幕下くらいの体ががっちりとした力士たちが汗をかいて、ふうふう言いながらやっている。こりゃすごいところだな、って正直思いましたよ。大鵬さんもまた、お相撲さんになりたかったわけではないようです。大鵬さんを連れて来た叔父上が、「お前はここに残れ」と言い残し、大鵬さんも「うん、分かった」と…。特に抵抗もなく、残ったようです。1956年7月12日の事でした。1965年9月場所。前相撲。相撲の取り方をまったく教わっていません。ただ「まわしをぽんぽんと二回たたいて相手に突っかかっていけ」と先輩に教えられただけで初めて国技館の土俵に上がりました。やせていた私はなかなか勝てず、最後の三番出世に入ることができました。1957年初場所。序ノ口23枚目。7勝1敗(この頃は8番取っていたようです)翌場所は、序二段。この頃は、相撲を取ることに夢中で、ホームシックなど無かったそうです。1957年、巡業で帰省します。その年の夏巡業の合間に一年ぶりに川湯の実家に立ち寄ることができました。川湯中で同級生だった友達が学校で歓迎会を開いてくれました。教室の黒板に「未来の横綱-二所ノ関部屋のホープ」と書いて励ましてくれました。この時の様子の写真が、連載の記事内に載っています。
February 6, 2007
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元横綱 大鵬幸喜さん * 羽ばたけ高く1998年6月、北海道新聞夕刊に10日間毎日連載されたです。書籍化されているのかな?と思って探したのですが、無く、連載を私に送ってくださった方が、わざわざ道新の出版局に問い合わせて下さったのです。本当にありがたやぁ~、なのでが、書籍化される事も書籍化する予定も無いそうです!万が一あったとしても、連載全部ではない!と…。という事は、夕刊に載っただけ…。それでお蔵入り。えーっ、勿体無い!図書館で新聞記事を読むしかないと言う事ですよね?しかも、何処の図書館にも道新が置いてあるわけではない!これは希少価値が増して参りました。長くなりますが、またお付き合いください。注意点としては、勝昭タンの連載の様に笑い所は全くありませんのであしからず。(感想) ←いきなりですが大横綱ですから、私は勝手に良い事ばかりを想像していたのですが、全く逆でした。大横綱だからこそ、苦労が人一倍多くて…。勝昭タンの連載を読んだ後に、この大鵬さんの連載を読んだせいか、あまりにも違う横綱像に軽く衝撃を受けました。*1* 羽ばたけ高く * 家族との思い出*ほとんどない父親の記憶1998/06/15 以下抜粋冒頭いきなり、こんな言葉で始まります。本当は、昔のことは話したくありません。力士生活は二十七年前に終わり、親方として新たに出発したわけですから。偉業を成し遂げたのをいいことに過去の遺産にあぐらをかいている人、よくいますよね。ああいうふうにはなりたくないんです。1998年のインタビューなので、2007年の今から計算すると、「二十七年前」は36年前、1971年になります。その年の春場所で引退しました。現役時代には話せなかったことを聞きいてみたいなぁ、とも思うのですが、大鵬さんには大鵬さんの思いがあるようです。「過去の遺産にあぐらをかかない」との信念をお持ちなのですから、聞くのは失礼。でも聞いてみたい…。連載を読み進めるとわかるのですが、凄く真面目で「シン」の強い方なのです。母上と父上大鵬さんの母上、(故)納谷キヨさんは、後志管内神恵内村の出身。お針子さん。20歳の頃、働く場を求めサハリンの敷香(ポロナイスク)に行きます。ロシア革命後サハリンに亡命してきた父上(故)ポリシコ・マリキャンさんと知り合い結婚。実は父上の消息は未だわからず、没日も母上の推測なのだそうです。~追加~この連載が載った1998年は、父上の消息はわからなかったようですが、その後色々進展があり、新しい連載にはその事が取り上げられています。また別の機会に紹介します。入門まで5人兄弟の末っ子の大鵬さん。男、男、女、女、大鵬さん。一番上のお姉さんとお兄さんは、小さい頃に亡くなられています。大鵬さんが3歳の時、父上は日本の憲兵に連れて行かれそれっきり。2番目のお兄さんは、家族を養う為に中学には行かず農家へ奉公。1946年、大鵬さん6歳の時に母上が再婚。東京と札幌の大学に通う、義理の兄が2人増えます。義父の職業柄(中学教師)、道内を転々とする生活が始まります。毎年転校です。住むのはいつも学校の宿直室でした。1953年、大鵬さん13歳の時、母上離婚。弟子屈高定時制に進み、昼は営林署でアルバイト。身長がすでに180センチの大鵬さん。1956年、16歳の時に、「川湯に納谷という背の高い子がいる」と、二所ノ関部屋に連絡が行き、入門が決まります。(ポイント)父上が連れて行かれてしまう前の生活について。牧場を経営していて、家も大きかったようですが、記憶はほとんどありません。家の近くに広い川があって、小舟に乗って遊んでいたら流され、姉に助けてもらった覚えがあります。この部分がこの連載&大鵬さんの性格のポイントの様な気がします。大鵬さんは、辛かった事や嫌な事など、どちらかと言うとマイナスな記憶を多くお持ちなのです。しかし、これら一般的にはマイナスな事を力に変える事が出来る方でもあるのです。*2* 羽ばたけ高く * 道内各地を転々 * グラブ買うため納豆売り1998/06/16 以下抜粋1945年8月21日。終戦から一週間後のことです。サハリンから小笠原丸に乗って北海道にやって来ます。目的地(小樽のはずです)はまだ先なのですが、稚内で母上がこんな事を言い出します。おふくろのキヨは「船はもういい」と、子供三人を連れて下船しました。なんとその次の日、小笠原丸は増毛沖で潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没しました。つまり、そのまま乗っていたら、全員死んでいたのです!この事件の記事がありました。朝日 小笠原丸、第二新興丸、泰東丸の3船が攻撃されました。小笠原丸は増毛沖、泰東丸は小平沖で沈没。第二新興丸は大破しながらも応戦し、留萌港に避難。1708人もが犠牲となったのです。母上の姉夫婦(大鵬さんの伯父&伯母)が後志管内岩内町に住んでいたので、山を越え徒歩で岩内町に行きます。間借り部屋一間での貧しい生活が始まりました。おふくろは引き揚げの際、ミシンを持ってきていたので、すぐ町内の授産施設に働きに出ることができました。女性たちに洋裁を教えたそうです。 お針子さんである母上は、ミシンを引き上げる際に持ってきておられたとの事。ミシンを持って山を越えたという事ですよね?凄すぎます。そして直ぐ働きに出る…。神業です。春の岩内はニシンが豊漁で、荷馬車がよく道路にニシンを落としていきました。荷台に積まれたニシンを棒きれで引っ掛けて取って家に持って帰ったこともありました。 兄上の奉公先にも行き、貰ったカボチャやイモを背負って帰ったりもしたり…。1946年夏。母上が再婚します。義父上が中学教師だった事から、道内を転々とする生活が始まります。47年 岩内西小学校48年 網走管内 訓子府小学校49年 知床半島 岩尾小学校50年 夕張市 若菜小学校51年 釧路管内弟子屈町 川湯小学校1984年に作られた、川湯相撲記念館にある大鵬さんの像は、川湯小学校にあったものだそうです。各々1年位しか居なかった地域でも、「大鵬 ○○」と地域名を入れ検索すると、出てくるんですよねぇ~。「大鵬が住んでいた事がある」や言い継がれている?逸話などが…。すごいなぁ~、と思いました。この回のサブタイトル「グラブ買うため納豆売り」納豆売りをしたのは夕張です。野球のグラブが欲しくてね。炭鉱の人たちは毎朝納豆を食べるので、朝三時ごろ起きて近くの納豆工場で納豆を仕入れ、それを「なっとー、なっとー」と言って、炭住街を売って歩くんです。これだけしか書かれていませんでした。岩尾別では、海から打ち上げられた魚が空中で瞬間冷凍され、凍った魚が次々と岸に飛んできて、拾っておかずにしたりして、苦労もされたようですが、それでも懐かしいそうです。
February 6, 2007
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サンスポ ファンの目はますます厳しくなるとくに奮起が望まれる大関陣は、場所前だけの通り一遍のけいこではなく、ファンを納得させるけいこを普段から積んでほしい。大相撲の真価が問われるといっても過言でない春場所。協会が一丸となって臨むしかない。(サンケイスポーツ・今村忠)この方の記事、私正直嫌いです。いつもつまらないのぉ~!アンチテーゼのつもりの記事が多いと思うんですけれど、矛盾が多いのぉ~。でも、唯一立派なのは、どんな矛盾記事でも名前を出しておられる事。これだけは評価します。 ←まあ私が認める事ではないですが。美樹様も書かれておられますが、大関の稽古不足じゃないと思うんですけど…。何故に、こういうENDINGの記事なんでしょうか…。ファンを納得させるけいこを普段から積んでほしいこれは朝青龍のことではないのでしょうか!?結果が出てるから…、って変な援護をしてしまった高砂親方のことではないのでしょうか?今年の稽古初め。顔さえ見せなかったのは朝青龍だけなんですけど…。こんなENDINGの記事、おかしいと思うんです。もっと言ってしまえば、朝青龍が胸を貸して稽古をつけないから、他が伸びない!そうとも言えるんじゃないですか!?って私は思うんですけれどね。協会が一丸となって臨むしかないでしょうよ、でしょうよ。ただその一番頭に立つ者が、稽古しなくても優勝している。これだけ稽古しているんだから、優勝できる。古い考えなのかもしれないですが、私はそれを望んでいます。 あの記事を書いた記者さん週末初めて見たのですが…。やくみつるかと思ったり…。生理的に受け付けない容姿でした。←申し訳ないんですけど。髪型がなんか…。天パ? それとも失敗パーマ?わざと跳ねをだしているのか、寝癖なのか…。ヒゲも…。 おしゃれヒゲ? なのか、無精ひげなのか…。記事同様胡散臭い髪型とヒゲが異常に気になりましたぁ。「ファンの目はますます厳しくなる」これは力士に対してではなく記者さんに対してでしょうよ。
February 5, 2007
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第31回 大相撲トーナメント花相撲なので「ながら見」。白鵬の取組みより、武蔵丸が気になって気になって…。武蔵丸は、体を絞るとかあんまり関係ないんでしょうか?心配。テレビでは映っていませんでしたが、友人が送ってきてくれた画像に、白鵬と黒海が土俵に立っている物がありました。きっと取組みがあったんだと推測します。因みにその画像の1つの白鵬。行司さんにまわし締めてもらっているんですよぉ~。まわし待った!いつもに増してユルフンだった模様です。はぁ。いかんなぁ~。まわしは、「青緑?」の締め込み。去年の名古屋場所まで本場所で使っていたもの。テロップ白鵬の紹介の時「綱獲り失敗後は16時間爆睡」と出ていましたが、これ間違い。July 25, 2006にエントリーしましたが、正解は「15時間」です。まあ15でも16でも、凄い時間には変わりないんですけれど。気になるんです。A型なので。白鵬vs朝赤龍悔しいぃ~。何が悔しいって、白鵬が負けた事ではなくて、朝赤龍がとった戦法。私、白鵬と相撲をする事があったら、絶対に「足取り」に行くって決めてたんです。ってまあ、白鵬と相撲をする事は絶対に無いんですけれど。朝赤龍は白鵬の右足を取りましたが、私は左足を狙うつもりだったんですぅ~。「とったり」も考えたりしたんですけど、白鵬は落ちないので、「足取り」って思ってたんです!もうこれで白鵬は「足取り」対策しちゃうじゃないかぁ~。かぁ~~っ、本当に悔しい。新たな戦法を考えなくては。 ←結構本気か?>自分岩佐アナ東の花道近くに居ましたよね?メモ取っておられましたしぃ~。他の局のテレビに映った岩佐アナでした。勝った方を左に書きます。(三回戦)朝青龍vs豊ノ島 ⇒寄り切り朝赤龍vs時天空 ⇒寄り切り垣添vs出島 ⇒寄り切り雅山vs安馬 ⇒引き落とし豊桜vs千代大海 ⇒押し出し白鵬vs春日王 ⇒寄り切り栃東vs春日錦 ⇒肩透かし旭天鵬vs稀勢の里 ⇒上手投げ(準々決勝)朝青龍vs垣添 ⇒上手投げ栃東vs豊桜 ⇒突き落とし朝赤龍vs雅山 ⇒寄り切り白鵬vs旭天鵬 ⇒寄り切り(準決勝)朝青龍vs栃東 ⇒吊り出し朝赤龍vs白鵬 ⇒足取り(決勝)朝青龍vs朝赤龍 ⇒寄り切り朝赤龍と白鵬になった時点で、朝赤龍が勝って同部屋対決になると思ったのは私だけじゃないはず…。
February 5, 2007
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佐渡ヶ嶽部屋の春今年の1月4日、山形のNHKのみで放送された「佐渡ヶ嶽部屋の春」を見ました。「ありがとう 琴ノ若」の録画を以前送ってくれた友人が送ってくれたのですが…。「ありがとう 琴ノ若」 其の壱 、 其の弐 、 其の三 で「おこす」作業がいかに大変な事なのか、身にしみているのでつらつらと…。佐渡ヶ嶽部屋ファンの人ごめんなさい。宮城野部屋や錣山部屋特集なら、無理してでもおこしたんですけれど。山形上陸!?若様、おかみさん、琴光喜、琴欧洲、琴奨菊などなどが山形を訪問。駅の階段を降りる所から撮影がスタートしていたのにはびっくり。激励会滝の湯ホテルで行われていた励会の様子を紹介。凄い人数が集まっていました。気軽にサインや握手に応じる関取衆。そんな中メインは若様。若様に群がるファンの多い事!山形出身の新弟子も紹介されて、舞台に上がり、挨拶していました。高校進学と角界入りで悩んだそうですが、「早く親孝行が出来る」との事から、角界入りを決めたそうです。若様も山形出身の力士を育てたいとずっと言っていたので、本当に嬉しそうでした。会場のお客さんも、山形からの新弟子と言う事で、嬉しそう…。地元スーパーなどを訪問地元スーパーおーばんには、若様の応援ページもあり、この番組のメインスポンサーでもありました。平屋立てというのか、なんと言うのかわからにのですが、よく土地がそんなに高値ではない所にあるような感じの凄い敷地面積のスーパーで、そこにご一行様登場。琴奨菊が「なにこれ」と言っていたように見える口の動きをしていたのが気になりましたが…。普通に買い物に来ていた人達も沢山居て、地元密着型なファンサービスとの感じでした。でも琴奨菊はなにやらご不満の様子(そう見えただけかも)。他のスーパーにもご一行様は行っていましたが、少人数のお客さんながら、和やかな感じでした。老夫婦の方が「相撲しか楽しみがないのよねぇ~」と言っておられたのがなんとも…。そして、若様へ会場から「息子さんの、まさとし君は、角界に入るんですか?」の様な質問が出ました。私は何に驚いたかって、息子さんの名前を知っておられた事と、まさとし君、と言っただけで、もう説明無く通じてしまっているその「様」。これが地元ってもんだよねぇ~、と本当に思いました。若様も「6年後には琴ノ若でデビューさせます」と言っていました。個室でのインタビュー若様が選んだ、それぞれ3人の「ベスト取組み2006」が紹介されていました。どの取組みだったのか、忘れてしまいました。琴光喜は、いつものように意地悪コメント「最近は琴奨菊も生意気になってきて、全然言う事を聞かない」と…。琴光喜はもうこういうキャラで良いと思います。ちゃんと話をする時は真面目に話していましたから、これで良いのではないかと私的には思います。感想山形だけあって、若様メインの番組内容でした。番組自体、ローカルならではの構成で、地元の人にとってはとても親しみやすい内容なんだろうなと思いました。特に何か新しい発見がある番組内容ではなかったですが、地元の人達を大切にすることって、凄く重要だなぁ~、と思いました。いっその事、各都道府県に相撲部屋引越しした方が、相撲人気復活するかも!です。豆知識番組の中で山形の人が「おっつけ、おっつけ」って言った時、テロップが入って「押すこと」と書かれていました。相撲用語の説明を何故?と思ったら、山形弁で「おっつけ」は別の意味があるからだそうです。“おっつけ”は“おしつける”“おっつけんなずぅ”(押し付けないで)などもしくは“おっつけ~する”(すぐあとに~する)のこと友人談でした。
February 5, 2007
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その6 のつづきです。 これで終了になります。 *力のサムライ伝 * 北勝海の汗 * 血にじむけいこで横綱に13日目○ 2005/07/28 以下抜粋次は北勝海(八角親方)のお話。小学校の頃に声を掛けておきながら、忘れてしまっていた親方勝昭。そうしたら広尾中で柔道が強くなって、よその相撲部屋からスカウトが来てる、というんだな。広尾のお母さんから電話がかかって来た。でも本人は「最初に来てくれたあの部屋に行きたい」と言うんで慌てて飛んで行ったよ、広尾に。入門秘話などを読むと、今でも、最初に来てくれた部屋に行きたかった、とのコメントはありますよね。やはり、そういうものなのでしょうか。他の八角秘話は、この本にいくつか載っています。これまたいい話ですよ。当時のうちの部屋のけいこは、質量ともに間違いなく角界一だった。ほかの部屋なら十時ごろ終わる朝げいこを昼近くまでやっていたんだから。出げいこに来たほかの部屋の幕内力士が激しいけいこに音を上げ救急車で運ばれた、なんてこともあった。親方勝昭は、かなり厳しかった模様です。やはり凄い稽古量だったようです。強くならない方がおかしい、とでも表現するのが的確かもしれないです。2人の横綱の誕生。九重部屋10連覇。部屋に2年近くも賜杯があり続ける。凄い事だと思います。そしてその感想は…。師弟ともども本当にうまい酒を飲んだのを覚えている。酒でした。素直です。60歳の誕生日。赤い横綱を締めて、還暦の土俵入りを披露した。太刀持ち千代の富士、露払い北勝海という豪華なキャストで。こんなに幸せな師匠もいない。 本当にそう思います。しかもその2人は親方として、今も活躍していますしね。だからこそ、その弟子、つまり孫弟子(特に千代大海と北勝力)の不甲斐無さを見ると、バッサリ斬りたくなるんでしょう。* かばい手 * しぶとい貴ノ花との一番14日目● 2005/07/29 以下抜粋思い出の一番は、あの「かばい手」の一番。この回では、二子山親方との現役時代の思い出を色々語っています。それにしても、亡くなった後の二子山親方の二人の息子たちの騒動は何なのだろう。余計、かわいそうになってくる。本当に惜しい人を亡くした。あんなにいい相撲を取っていたのに。と締めくくられています。* 協会改革 * 原点回帰へ国技見守る千秋楽○ 2005/08/01 以下抜粋現在の相撲の状況にご不満の勝昭タン。相撲に魅力がないんだろうな。苦労の割には収入が安定していない。このままだと、北海道から相撲の火が消えるよ。相撲の不毛地帯になる。土俵を作っても子供たちが相撲をやらない。指導者もいないんだから。北海道から相撲が消える事が、勝昭タンにとっては一番辛い事のようです。勝昭タンは、北海道で相撲をしたい子供たちの指導に当たったりする事は今後あるのでしょうか?親方衆も悪い。日本人を探さないで安易に外国人に頼っている。最近特に親方衆への苦言が増えている勝昭タンですが…。相撲協会も、若貴人気にあぐらをかいて努力をしなかった。たとえば巡業。力士がホテルの個室に泊まり、ガードマンが花道で警備する。お相撲さんに触ってはいけません、とね。ばかやろうだよ。お相撲さんの背中をたたいて、サインをもらって身近に感じる。前の晩飲んだ居酒屋のおやじやスナックの女性が応援してくれる。そんな触れ合いがなくなった。うーん、これは非常に難しい問題かも。背中を叩かれて、嫌な思いをした琴欧洲の件もありましたし…。でもお相撲さんが居たら、触ってみたくなる気持ちもわかりますし…。ちょっとまった。スナックの女性が応援に来る…。そんな触れ合い…。えっ!?私が言っている触れ合いとは別の事ですか!?混乱してきました。NHKの専属解説はもう八年目になるけれど、今はこの仕事の方が面白くなったね。大相撲の原点に戻るべきだ。もっと親方衆が協会とファンのことを考えるべきだろう。直接、協会改革に口を挟む立場ではなくなったが、相撲解説を通して国技を見守っていきたい。相撲中継での解説。どうやら勝昭タン気に入っているご様子です。その日の体調、ご機嫌、によって、口数が著しく違う勝昭タンですが、1場所でも多く解説を続けて欲しいな、と思います。勝昭タンの後釜なんて、そんじょそこらの人には勤まらないと思いますし。解説にはどんどん専門用語を使うようにしている。変な相撲を取る力士には厳しいさ。アナウンサーも気を使って、おれにマイクを振らないことがある。しゃべると自然と厳しくなるから「おれにマイクを振らない」じゃなくて、その前に、聞いてないじゃないですか!全然人の話聞いてないじゃないの!以上でおしまいです。この連載、本当に良かったですよ。勝昭タンが好きな人も、そうでない人も、是非読んでみてください。相撲の良い話が沢山載っています。勝昭最高ぅ~! あっ、そうそう勝昭タンのお気に入りが白鵬であることは、中継を聞いていたらわかるわけですが…。勝昭タンの片思いなのかなぁ~、と思っていたら!遂に白鵬も勝昭タンの事を「カワイイ大相撲」でコメントしていて…。いつの間にやら両想いですよこの御両人。美樹様 も saboko-nord様 もブログにエントリーされているのですが…。いつの間にやら相思相愛。白鵬の着流し(後ろの上部に白い鵬が描かれている青紺)を見て、確かに勝昭タンは「白鵬の着流しいいねぇ~」と言いました。でもねぇ~、「白鵬が着物を一番キレイに着てる力士だ」って言ったなんて知りません。2人でデートでもしたんですか!?白鵬が誰と両想いになろうが私には関係ないですが、勝昭タンだけは許さない!取らないで!?勝昭タンを…。 白鵬の着物の着方…。白鵬は自分に似合う色を選んで着ているとは思います。着たい物ではなくて、似合う物を選んで着ているとは思います。ただ、胸板がないので、胸がハダケルんですよ!がばっ!って開いている事が多いんですよぉ~。それを直して欲しいなぁ、とはいつも思っています。そして良い着物が少にゃい!一番の衣装持ちは、栃東。カッコイイ着物が多いのは魁皇。若手で良い着物を一番持っているのは稀勢の里。豪快な絵柄を着ているのは朝赤龍。良い物着てるのに目立たないのは朝青龍。こんな印象です。次は、大鵬さんの連載を紹介する予定でいますが、2人(勝昭タンと大鵬さん)の連載を読み比べると、果たしてどちらの人生が良いのか?とても考えさせられます。お楽しみに。
February 5, 2007
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Eesti Paevalehtに載った把瑠都のインタビュー記事をYuriyama Renさんが英語に訳してくださいました。その記事に載っているこの画像の犬。目が怖い!のと、把瑠都の身長から考えると、かなり大きいと思うんです。About his life:In the beginning the sumo lifestyle was quite difficult. Each sumo club has a fixed hierarchy; eventhough everyone is like a family member he must know his place. I've considered returning home several times. Right now it's quite alright but I doubt I can keep this up for another 10 years. The average age when a sumotori finishes his career is around 31-32. One thing is certain: I won't stay in Japan.Plans:After retirement I'd like to travel. But large European/American cities don't really interest me. Tokyo is a huge city as well. First of all I'd like to see Siberia. I want to enjoy the sense of freedom that a distant horizon and being in the nature gives. I'd like to visit Brazil as well but there I'm more interested in the carnivals than the rain forest.Opponents:Both on and off the dohyo I consider my opponents as rivals not as enemies. Some guys are very private. Me, I'd like to communicate with everybody. The sumotoris do talk to each other but I don't have trusting relations with anyone.Friends and fans:There are two people in Japan who I do trust completely and who have aided me several times. One of them is Yamaguchi Kosak? (the newspaper probably misspelled this), who has visited Estonia several times. I have a small fan club in Japan and we've dined together a few times. But dealing with the fans is quite delicate. You need to keep your distance.When showing up in public people come and talk about themselves and their health etc. The Japanese are polite though, they do inquire about my health as well.Partying:A sumotori is not allowed to be seen in casual clothing, except in the same block as his club. So sometimes I disguise myself. I got this heavy black wig and sunglasses that I use to sneak into a night club to get a break sometimes. I haven't dated any Japanese girls. The girls are after sumotoris not the other way around.. Privileges:As I advanced on the banzuke, I got my own room at the heya, approx 5 square meters. Well, this room was not large enough to fit both me and my clothes. As we moved to the new heya I was permitted to get myself a two room apartment which is quite a rare privilege. It costs about $1000 a month which is the average for the neighborhood. Tsukebito comes to clean and wash my clothes. He also arranges the public appearances and interviews, so I got a little privacy there.The heavyweight shindeshi:The two of us weigh 410 kilos. Usually we wrestle. We don't do much bodybuilding, There is barely enough room to fit a few simple training machines.Training and knee:The most important muscle groups while training are abdominal and lateral muscles. When a large man falls on you these need to be strong. I need to become more careful because of the knee. The doctors in Estonia recommended to skip Haru-basho but it's not that easy. It would mean I fall back to Juryo. Another failed tournament would put me back in Makushita which means that my income would drop ten times. Athlete needs to get his act together for the most important event of the year, I need to be able to compete all year long. We get to rest one week after every basho and that's it.Food:I don't think that I eat too much. Well maybe as much as two grown men... The food needs to be balanced, but the choice is based on sumo traditions not some scientific research. The food consists of meat, lots of fish, diffrent sauces, soups and vegetables. I've tried to roast some meat in my apartment to supplement all the unseasoned rice but I can't get it to taste like here in Estonia. The soul longs for some variation to the sumotori diet though.エストニア語の文章を英語に訳し、それを日本語にすると、把瑠都が本当に言いたかった事とかけ離れる部分があるかもしれないので、英語も参照してください。部分的に訳してみます。(About his life) 人生(生活)お相撲さんはだいたい31か32にで現役引退する。今は大丈夫だけれど、あと10年この生活を続けられるのかわからない。(Plans) 予定引退したら…。ブラジルにも行ってみたい。熱帯雨林よりカーニバルに興味がある。(Opponents) 対戦相手土俵の上でも外でも、敵ではなくライバルだと思っている。(Friends and fans) 友達とファン日本で、信頼しお世話になっている人が、2人いる。1人はエストニアにも何度か来てくれた山口さん。(因みにもう1人の方の名前はでていませんでした。)小さな後援会(ファンクラブ)もあるけれど、後々問題が起きないとも限らないので、仲良くしすぎるのもあまり良くないと思う。<この部分は、Yuriyama Renさん直々に、エストニア語から日本語解釈を教えてくださいました。>(Partying) パーティー部屋界隈での私服は禁止されているので、黒髪のかつら(ウイッグ)とサングラスを着用してクラブに出掛けたりした。日本の女の子とデートはした事は無い。女の子達がお相撲さんを追っかける事はあっても、お相撲さんが女の子達を追っかける事は無い。(Privileges) 特権番付があがって、個室をもらったけれど広くないので、新しい部屋に移ってから2部屋あるアパートを借りそこに住んでいる。(Training and knee) 稽古と膝自分の体の上に力士が倒れこんでくる事もあるので、腹部とその内側の筋肉を鍛える事が一番大切。エストニアの医師達は、春場所を休場する事を薦めてきたけれど、休場したら十両に陥落する。その次の場所(夏場所)、成績が振るわなかったら幕下に陥落する。そうなると収入が10分の1になる。春場所を休場をする事は容易な決断ではない。(Food) 食べ物バランスよく摂取する必要があるけれど、科学的ではなく伝統のちゃんこからしか選べないので、アパートで肉を焼いて食べたりする。エストニアで食べる様な味がだせない。<感想>そんな事言ってしまって良いのかぁ~、なんて事まで言っている様な気がします。把瑠都らしいと言えばそれまでかもしれないですが…。カーニバルに興味があるのはなんとなくわかります。はい。
February 4, 2007
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スポニチ 横綱・朝青龍が3日、大関・千代大海、白鵬らと千葉・成田山新勝寺で行われた「節分会」の豆まきに参加。去年同様、成田山新勝寺、不動ヶ岡不動尊總願寺、西新井大師の3箇所で白鵬は豆まきをしたようですが…。 成田さんでのピンクの上着?紋付袴の上から着るあのピンク。白鵬は似合ってますね。白鵬は肌が白いのでピンクが似合うのはわかるのですが、肌の白いキセノンがイマイチでした。うーん、どうしてでしょう。ほっぺが赤いからでしょうか。日刊スポーツ 潮丸は初場所幕内で26場所ぶりの勝ち越しを決め「やっと幕内で勝てた。幕内に定着し、3役目指して頑張ります」。今日4日に行われる日本大相撲トーナメントのため、足早に東京に引き返した。納豆事件が記憶に新しいうっしぃ~ですが…。豆を撒いた心境やいかに…。日刊スポーツ 体操の水鳥3兄弟。似すぎです。ワタクシも3姉妹なのですが、よく3人が似ていると言われます。でも本人達は、似ていると思った事はありません。きっと水鳥3兄弟も自覚なしだと想像します。 豆まきで心配なのは…。実は、普天王。去年の節分の日、親方に「お前は豆まきに行かないのか!?」「かーーー。。。どこも行かないのか!!!」と言われていたようなのですが。ブログを見る限り、どうやら今年も…。~追加~普天王、今年は豆まきできたみたいです。ブログに後日掲載されていました。よかった。
February 4, 2007
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その5のつづきです。 *力のサムライ伝 * ハワイ事件 * 新聞に載り大目玉食らう11日目○ 2005/07/26 以下抜粋玉ちゃんがいなくなり、気が抜けてしまった横綱勝昭。前代未聞の「不眠症による休場届」を出した場所後、なんとハワイに行ってしまいます!ワイキキの浜辺でサングラスをしたところで、マゲはあるし、すぐに北の富士と分かってしまう。運の悪いことに、日本からのツアー客に写真を撮られて、翌日現地の日系新聞に載った。すぐに日本にも伝わったんだな。また協会から大目玉よ。部屋にいても仕方がないからと言ってハワイに行ってしまうあたり…、問題児だったかと思われます。ハワイで巡業がありますが、はたして勝昭タン、中国巡業の時のように、何か面白い物を見せてくれるでしょうか。ちょっと楽しみです。その後、3度目の全勝優所をしたりもしますが、もうやる気がなかったようです。次の目標がなくなってしまったんでしょうね。玉ちゃんが居なくなってしまった事が、やはり勝昭タンにとっては大きかったと思います。昭和49年名古屋場所、引退を決意します。協会に素直に残るのかと思っていたら…一応年寄株は持っていたけど、北海道に帰ってちゃんこ屋でもやろうかな、と思っていた。発想について行けないぃ~!でも残るんです。断髪式国技館での断髪式が終わって、再度土俵に上がったときは、白いタキシード姿。司会のNHKの山川静夫アナウンサーのアイデアだったんだ。そこでサービスのつもりで持ち歌の「ネオン無情」を歌ったものだから協会幹部はまた、渋い顔だった。この断髪式、参加した方おられませんでしょうか?勝昭タンのタキシード姿でのネオン無情の様子を拝見したいのです。勝昭タンの奥様井筒親方を襲名し、新しい部屋を持つことになった。あとはおかみさんだけ。ところが一度目は失敗、二度目の結婚は、銀座のクラブのママさんで経営者。(中略)真理は弟子たちのハートを実によくつかんでくれた。この後、勝昭タン、3度目、4度目はしてないですよね?イメージ的には、凄い回数している気がするんです。「ちゃんこ北の富士」を札幌と名古屋で経営。キャバレー「月世界」を名古屋で共同経営。札幌は故郷なのでわかるんですけど、何故名古屋?今は名古屋に両方無いんです。名古屋に行く口実が欲しかったと推測。つまりそういう事で、その…。きっと居たんでしょうよ!親方勝昭時代の幕開けです。* ウルフの涙 * 全力尽くした男の美しさ12日目○ 2005/07/27 以下抜粋九重親方(千代の山)にスカウトされ、九重部屋にウルフが入門したのは、横綱勝昭時代の事。ご両親は相撲界に入るのは反対だったらしいが、九重親方の「東京見物をしよう。飛行機に乗せてやるぞ」の言葉に興味を示して上京したんだな。昔は、そうやって北海道からいい弟子を入門させたもんだ。人攫だぁ。小さかったよ。だけど、物おじしないで平気な顔で部屋に来たのを覚えている。「おれのこと知ってるか」と聞いたら、「知らない。大鵬なら知ってるけど」。それが初めての会話だった。ウルフもなかなかですな!大鵬なら知ってるなんて、本当の話だとしても大人を前に言える言葉ではないと思います。自分の事を知っているかどうかをたずねるのは、どうやら勝昭タンの癖のようです。「おじさんのこと知ってるぅ~?」の原型がこれでしたか。けいこで胸を貸すと、鋭い目が、らんらんと輝いてね。とっさにオオカミに似ているな、と思ったんだ。オオカミじゃ言いにくいので「ウルフ」というあだ名になった。われながら傑作だな。命名したのは、勝昭タンだったんですね。知りませんでした。自画自賛する事も忘れない勝昭タン。勝昭タンは色々な力士にあだ名をつけますが、かなり良いセンスだと思います。酒を飲んでは門限を破り、勝昭タンを困らせていたウルフですが、相撲が変わります。昭和55年大阪場所 技能賞を受賞すばやく左の前まわしを取り、頭を付けて前に出る。これだ、とね。ここから色々ウルフとの話はあるのですが、そこはこの本でどうぞ。良い話が載ってます。休場明けに一人横綱の苦しみに耐えて賜杯を抱いた昭和五十六年九州場所。生まれたばかりの三女愛ちゃんを突然失ったときは、見ていられないほどだった。ウフル側からのこの話はあまりにも有名ですが、勝昭タンにも色々な思いはあったようです。
February 4, 2007
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節分なので、豆を食べなくては…、と意識していた訳ではないですが、気づいたらメキシコの豆食べてました。メキシコ豆でもご利益あるのだろうか…?その4のつづきです。 *力のサムライ伝 * 横綱昇進 * 締めて感じた綱の重み9日目○ 2005/07/22 以下抜粋目標が定かでなくなってしまった勝昭タン。腐り始めます。大関に上がって、そして初優勝。そこでおれは自信過剰になったんだ。やる気になれば、こんなものさ、とね。相撲を甘く見た。前半で取りこぼして、優勝争いに加われないと思うと、やる気をなくした。力もないくせに優勝したものだから、そのうちにこのまま大関でいいや-と思うようになった。横綱になる意味がわからなくなってしまったんでしょうね。「横綱の苦労をそばで見ていたから、とても自分には務まらない、とも思った」ともコメントしています。ただねぇ~、これは逃げ口上っちゅぅ~んじゃないでしょうか!九重親方(千代の山)は横綱昇進後、成績が振るわず、悩んだ末に昭和二十八年(一九五三年)三月、前代未聞の「横綱返上」を協会に申し入れ慰留されている大鵬も横綱に昇進した時、喜びよりも大変な事になったと思ったと言っていました。柏戸は、引退の事を考えたとか…。横綱とはやはり大変な地位なのだと思います。大関にになって3年。ぐだぐだしていた勝昭タンですが、昭和44年名古屋場所で清国が初優勝。秋場所では玉乃島が優勝。玉乃島とどちらが先に横綱になるかと世間が騒ぎ始め、柏戸引退。大鵬も力が衰えてきた。チャンスだと思ったようで、またまた奮起します。勝昭タンには、いつもいつも起爆剤が必要なのです。そしてやる気になったら、早いのがこれまた勝昭タン!昭和44年九州場所で優勝。翌場所、昭和45年初場所。大鵬休場。千秋楽を迎えておれだけが一敗、玉乃島は二敗。本割で玉乃島につり出されて負けて、優勝決定戦に持ち込まれる。優勝決定戦では、勝昭タンが外掛けで破り優勝。2場所連続3度目の優勝で、昇進が決定的。同時に玉乃島も昇進の条件を満たします。しかし…。吉報はなかなか勝昭タンの所には届きません!こりゃ、島ちゃんでもめているんだな、と思った。後から聞いたらおれのことでもめていたんだな。レコードを吹き込んだり、ボウリングやゴルフをやったり、今までの「国技大相撲の力士」のイメージとは相当違っていたから、果たして横綱が務まるのだろうかという意見もあったらしい。(玉乃島)秋場所 ⇒ 優勝九州場所 ⇒ 10勝5敗初場所 ⇒ 準優勝うーん、確かに今の基準からは、横綱になれる成績ではないかもしれないです。なので、勝昭タンが、玉乃島の事で揉めていると思ったのもわかる気がします。ボーリング、ゴルフ…。今では普通に力士はやっていますが、勝昭タンの時代はダメだったんですね。でも私思うんですけど、原因はそういう事じゃない気がします。夜の街でなんかあったんじゃないんですか!と推測しておきます。1月28日 番付編成会議で玉乃島との同時昇進が決まり使者を向かえ、午後には綱打ち。綱打ちって、その日にするんでしたっけ?実際に綱を締めて師匠に雲竜型の土俵入りを習います。師匠から「せり上がりのときは、地球を持ち上げるような気持ちでな」と言われて、なるほどと思いながら繰り返した。なるほど、と私も思いました。新弟子の頃から、横綱土俵入りを仲間とマネして遊んでいた勝昭タン。今の新弟子は、土俵入りではなく、テレビのインタビューのまねごとをしているんだから、時代は変わったもんだ。 と言っておられます。確かに…。あっ、でもわんぱく相撲の横綱。前にテレビ見ましたけど、横綱土俵入りのマネしてました。* 玉の海の死 * ライバルとの悲しい別れ10日目● 2005/07/25 以下抜粋横綱としての勝昭タンに色々なあだ名がつきます。四十五年秋場所から次の年の大阪場所まで四場所続けて十一勝四敗。「イレブン横綱」なんていうありがたくないニックネームをちょうだいした。まあ、おれほどいろんな呼ばれ方をされた横綱はいなかったんじゃないかな。「現代っ子横綱」はまだしも、「夜の帝王」と呼ばれては、飲まないわけにはいかない。現役を引退してから新聞記者と付き合うようになって「おれは銀座で三、四億円は使った」なんて話を冗談でしたら、ぱっと広まってね。そこまでいかなくても、飲んだのは事実だけど。「夜の帝王」と呼ばれて、飲まないわけにはいかない、って発想がそもそもどうかと思うんです。まあ、楽しく過ごしたんでしょうから、それはそれとして…。「金の話は言わない!」とか言っておきながら、結構言ってるじゃないですか!まあそういう所も面白かったりするんですけどね。そりゃ、「しょっぱい横綱」と言われるより「切れる」と言われた方がいいに決まってる。「切れる夜の横綱」と言うことで…。一方、親友の横綱玉乃島。おれとは正反対の堅実型。あんなに親孝行な男がどうして先に逝ってしまったのだろう。玉乃島は盲腸がもとで、逝ってしまった事は知っていたのですが、詳しくは全然知りませんでした。詳細は、この本でどうぞ。勝昭タンが人目を気にする事無く、泣いた気持ちがよくわかります。横綱の責任感から、玉乃島は命を縮めてしまったのかもしれないです。じ~ん、と来ました。
February 4, 2007
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とくだわら呼び出し拓郎さんの連載に、「受け身の力士が得をするので「徳俵」と呼ばれる。」と書いてありました。これを読んで私は、「?」となりました。力士が「得」するなら「得俵」ではないのかと…。「徳俵」と「得俵」どちらが正しいのでしょうか?呼び出しさんの連載ですから、私は早速「徳俵」を辞書登録しておきましたけれど…。今までずっと「得俵」と書いていたので、少々恥ずかしいです。そして徳俵の由来ですが、二重俵の名残ではなくて、「野天相撲のころ、雨水の排出口としてつくられたもの」なのだそうです。 二字口 二字口ってどの部分を二字口と言うかご存知ですか?私はてっきり「二字口=徳俵」だと思っていたのですが、厳密には違うんです!「相撲が楽しくなる本」によると…。力士が土俵に上がるときに足をかけるため、東西の上がり口に埋められている俵のこと。「二」の字の形に見えるところから(この名が)きた。踏み俵は合計10俵あるが、東西中央の踏み俵に限って「二字口」という。「踏み俵」は、東西南に3つずつ。北には中央のみ、合計10あります。その東西の「踏み俵」(図の赤い部分)を「二字口」と言うようです。徳俵を二字口とは言わないのです!東西の「踏み俵」と「徳俵」で「二」に見える事から東西の踏み俵を「二字口」と呼ぶということです。南北も「二」に見えますが、力士は上がらないので、二字口とは言わないのだと推測。つまり…。「二字口を使って残します!」なんて事は、あり得ないのです!こっそり今までの投稿を編集しておこうと思います。因みに、広辞苑。二字口(にじぐち)相撲の土俵の東西の力士の上がり口。徳俵と平行して俵が埋めてあり「二」の字の形になっているのでいう。この広辞苑の説明だと、徳俵と踏み俵で二字口とも取れなくも無いです…。はぁ、岩佐アナの豆知識が欲しい。~追加~調べれば調べるほどわからなくなってきました。相撲中継を聞いている限り、東西の力士が上り下りする周辺一帯を「二字口」と言っている様な気がするので、結論保留。ただ絶対に言える事は、二字口が徳俵だけを指しているのではないと言うことです。「踏み俵は合計10俵あるが、東西中央の踏み俵に限って「二字口」という。」この文をどう解釈するか…。踏み俵だけを指しているのか、二字口の一部だと言っているのか…。
February 3, 2007
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その3のつづきです。 *力のサムライ伝 * 破門・独立 * 廃業覚悟のつらい決断7日目● 2005/07/20 以下抜粋勝昭タン、24歳、大関2場所目。昭和四十一年九州場所。博多の夜のマチを楽しんでいたら、とんでもないことを九重親方(元横綱千代の山)の後援会の人から耳打ちされる。「中州で遊んでいた」事の方に注意が行ってしまう様な文章なのですが…。この「とんでもないこと」は、九重親方(元横綱千代の山)の独立の話です。広く知られている話なので、割愛します。ただ私が知らなかった事は、勝昭タンがついて来るなら独立の意思を固めるつもりだとの九重親方(元横綱千代の山)の気持ち。これは知りませんでした。人生のなかで、これほど迷ったことはなかったね。もともと千代の山を頼って旭川を出てきたんだから原点は千代の山にある。だけど協会を首になるかもしれない。つらいつらい、決断だったよ。いろいろ相談もした。でも最後は自分で決めた。もし廃業を言い渡されたら、北海道に帰ればいい、とね。腹が決まったのは初場所の中日あたりだと記憶している。今でも部屋の独立問題は色々ありますが、今なら大関が廃業になる事は無いと思うんです。世間にも波紋が広がるでしょうし…。でも当時は、廃業になってもおかしくない状況だったんだろうと想像します。ただこの勝昭タン。腹が決まってから、男気を発揮します!少々うるうる来る話が続きます。初場所が終わって2日後。九重親方は破門を言い渡されます。実際にその場にいたわけではない。でも新聞で見た九重親方は、親方衆や新聞記者がいるなかで一人、正座してね。ひざが悪いものだから座布団をひざにはさんでかしこまっている。どんな心境だったのかな、と思う。おれたちは親方衆に罵倒された。「裏切り者」とね。 辛い日々が続きます。お世話になったおかみさんに、おれと松前山の二人であいさつに行くと、「わかっています。どこの部屋に行っても強くなりなさい。さあ握手しましょう」と言ってくれた。涙がとめどもなく流れた。師匠・出羽海親方に借金があった。当時の金で百万円くらいかな。返しに行ったら「餞別だ」と、言われてね。腹の据わったおかみさんだと思います。ただ、どうして勝昭タンは、師匠に借金していたんでしょうか…。酒代?この年の2月5日に独立となるわけですが、勝昭タン、喜びよりも気が重かったそうです。* 初優勝 * 「親方を男に」と意地中日○ 2005/07/21 以下抜粋昭和42年大阪場所。 高砂一門の九重部屋力士として土俵に上がります。自分と幕内の禊鳳(みそぎどり)(渡島管内木古内町出身)、それから十両の松前山(同管内松前町出身)の三人で「なんとしてもおやじを男にしよう」と誓い合った。現役生活は十八年間で終わったけれど、あれほど気合が入ったことはないと思う。「なんとしてもおやじを男にしよう」なんて、凄い話だと思います!かっこ良過ぎて、惚れ直しました。こんな気持ちを持てる勝昭タンだからこそ、65歳になる今でも素敵なんでしょう。そして、この3人の誓いが凄い結果をもたらします。先場所まで同じ釜の飯を食べていた力士とも対戦したりする中、なんと勝昭タン初日から12連勝。優勝争いのTOPに立ちます。13日目は大鵬に掬い投げで負け、翌14日目は、元兄弟子、佐田の山と。マスコミは「因縁の対決」と報じたそうです。佐田の山との取り組みについて勝昭タンは・・・尊敬していた人だったので敵意はなかったけれど、どうしても師匠のために負けられない、と思った。土俵で仕切りを始めると「なんで、兄弟子と対決しなきゃならんのか」と不思議な気持ちになったのを覚えている。立ち上がったら、体が動いた、自然にね。土俵際でうっちゃって物言い。取り直しの一番で今度はすんなりと寄り切った。意地が勝った。こう振り返っています。とてつもない取組みだったと想像します。そして13勝1敗で迎えた千秋楽。相手は柏戸。肩透かしで勝ち、14勝1敗で、なんと初優勝!しかも、誓いを立てた3人のうちの1人。十両の松前山は十両優勝!これは凄いです!かっこよすぎ!優勝について勝昭タンは…優勝を決めて支度部屋へ戻り、賜杯を手にして記念撮影をしていると、師匠が来た。右手を差し出されたので握手すると、師匠もおれも涙が止まらなかった。優勝する力なんかなかったのかもしれない。今、考えると、燃えたんだな。破門になって親方衆に囲まれた満座の前で頭を下げさせられた九重親方を男にすることができた。それだけがうれしかった。すごくいい話だと思います。千代の富士が初優勝したときも大騒ぎになったけど、あのときの方がすごかったんじゃないかな。とにかく飲んだ。勝利の美酒があれほどうまいとは思わなかった。お祭りがお好きなようです…。そして勝昭タン。目標を達成するのも早いですが、目標を見失うと崩れるのも早いようで…。「このときの優勝がおれの中で眠っていた遊び心を呼び起こした。」翌場所 ⇒ 5勝10敗名古屋場所 ⇒ 7勝 8敗当時は3場所連続して負け越さないと大関から陥落しないから良かったようなものの…。こんなぼろぼろの成績の中、11月5日には、「ネオン無情」まで販売してしまいました。
February 2, 2007
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その2のつづきです。 *力のサムライ伝 * 香車 * 悔しさバネに十両昇進5日目○ 2005/07/15 以下抜粋昭和三十二年 1957年夏場所は序二段131枚目で三勝五敗と負け越し。本当なら翌場所の番付は大きく落ちるはずなのに次の場所、なぜか八枚上がって序二段123枚目になっていた。五月に協会の事実上の人員削減となる力士整理案が実施されて、大量の廃業者が出たためだ。本当についてるよね。中継で番付の話になると、「番付っちゅーのは、運もありますんでね」と勝昭タンはよく言いますが、自分の体験もあっての事かと、この記事を読んでしみじみ思いました。序二段から三段目を通過するまでに丸4年かかった勝昭青年。この頃のあだ名は「香車」だったそうです。容姿だけでなく、一直線に前に出る相撲しか取れなかったからだそうです。伸び悩んでいました。精彩を欠く勝昭青年。おまけに千代の山の付け人から外されて行司の式守鬼一郎の付け人に回された。ぬっ。白鵬も一時、部屋の行司さんの明荷を担いでいましたが…。似ている。行司に付くというのはサラリーマン社会なら出世コースを外れたのと同じ。がっかりしながらあいさつに行くと鬼一郎さんは「おまえか、竹沢というのは。おれに付くのが最後だと思えよ」。ここで努力しなければもう相撲界から足を洗えよ、と言っているようなものだった。挫折感でいっぱいだったなあ。ちょっとした、挫折を味わう勝昭青年に追い討ちをかけるかのように大変なことが続きます。既にお酒を覚えていた勝昭青年。18才。夏の北海道巡業で事件が!朝帰りした勝昭青年。横綱千代の山も、面倒見てくれていた兄弟子も不在の中…。土俵で引っ張りまわされた。(中略)半殺しの目に遭った。(中略)けられた場所が悪く、その晩、急性虫垂炎になり、腹膜炎も併発して入院、危うく命を落とすところだった。そしてなんと、秋場所を全休。50日間も病院で療養生活。細木数子で言うところの“大殺界”でしょうか!?因みに、白鵬も幕下時代、朝帰りをして熊ヶ谷親方に大目玉喰らっています!BY 雑誌「相撲」苦しい状況の勝昭青年の元に、入門の時に世話をしてくれた村上精一郎さんが登場!四股名を変更する事になりました。「北の冨士」 ←「ふ」は「冨」。点の無い方。退院して部屋に帰ると、「辞めてなかったのか」との兄弟子達の冷たい目!ここから、勝昭青年がんばります!九州場所は6勝1敗。3場所連続勝ち越し幕下に上がります。改名してから2年ちょっとで関取に手が届くところまで番付を上げました。そして昭和三十八年初場所。20歳の勝昭タン。幕下4枚目で6勝1敗。十両昇進を決めました!初土俵から35場所目。ようやく関取として土俵に上がります。やる気になったら、出来る勝昭タン!相撲の世界では取り口が急に良くなったり、成績が上がるのを「化ける」という。「香車」のおれはいつしか「成り金」に化ける夢を見始めた。 きたわぁ~~。勝昭タン、本気モードになってきましたぁ~。*力のサムライ伝 * 大関昇進 * 「足袋がない」遅れた儀式6日目● 2005/07/19 以下抜粋番付編成会議に出席していた九重親方(元横綱千代の山)が部屋に帰って来て「おめでとう」と差し出された右手を固く握り締めたことを覚えている。やはり、十両に上がる、関取になる、大銀杏を結えるという事は、どの力士にとっても夢であり、思い出深いことなんですね。おれは相撲雑誌なんかに「有望力士」と書かれてすっかりその気になった。やはり、素直なようです。やる気にさせてくれたのは、当時の出羽海親方(元出羽ノ花)の指導方針によるところも大きかった。朝、けいこ場でかばんを開き、お札を数えて「何人抜き、いくら」と言ってけいこが始まり、勝ち抜くと、五千円くらいくれた。当時の大卒の月給が一、二万円のころだから、みんな必死になって頑張るんだ。「お金の話はしない!」って吉田アナに一喝していた勝昭タンだったのに…。でもこの稽古方法良いと思いますよ。今もやったらいいのに…。おかみさんもいい人だった。場所が終わると勝ち越した連中だけ飲みに連れて行ってくれる。その日は大手を振って朝帰り。向島や銀座で遊ぶことを覚えたね。おかみさんが、教えてしまったようです…。そして勝昭タンの夜の人生が華咲き始めたわけです。師匠の言葉で忘れられないのが「酒は自分の金で飲め。それも一級酒ではなく特級酒」。マゲをつけていれば、「ごっちゃんです」と言って、ただ酒をごちそうになるのは簡単だったが、師匠はあまり快く思っていなかったらしい。自分の金で、と言うのは、つまり強くなければならない。それでなければ「力のサムライ(士)」になれないということよ。なんか、凄くかっこいいんですけど。相撲とは関係ないんですけど、とんねるずの貴さんも、同じような事言っていました。十両5場所目。勝昭タン21才。昭和三十八年九州場所で十両全勝優勝。史上3人目。翌年初場所に新入幕。緊張なんかひとつもしなかったな。やる気満々でね。やることなすことすべてうまくいった。毎晩飲み歩いた。朝まで飲んでそのままけいこしても平気。そのころ、のちの出羽海親方となる佐田の山さんらと一日百番もけいこしたこともあった。今なら午前十時でけいこが終わる部屋もあるのに、当時は正午近くまでやっていた。毎晩飲み歩いていた勝昭タンは容易に想像がつくのですが、1日100番の勝昭タンはなかなか想像がつきません。<新入幕 昭和39年初場所 東前10枚目 13勝2敗>新入幕力士最多勝の新記録。1場所15日制になってからは、勝昭タンの13勝は、陸奥嵐と並んでTOPの記録です。因みに、12勝は、大鵬、白鵬、栃乃花、他7名。そして次の場所。入幕2場所目で、勝昭タン小結になったんです!しかし4勝11敗。5枚目まで番付が落ちます。それからは、三役と平幕上位を行き来して…。昭和40年九州場所。東関脇になり、5場所、東関脇を続けます。昭和41年初場所から3場所続けて、三賞を受賞。殊勲賞2回。技能賞1回。昭和41年名古屋場所。三賞は貰えませんでしたが、10勝。大関挑戦の権利だけは確保したな、と思っていたら、七月二十日の朝、「大関に推薦されました」という付け人の声にたたき起こされた。8-10-10ですからねぇ。大関が1人豊山だけだったからでしょうか?ちょっとどうなんだ、って話ですよね。ただこれも、勝昭タンが持っている「運」の強さだと思うんです。さあ、大変だ。何から準備していいのやら。とにかく髪を結ってもらい佐田の山関に紋付き、はかまを借りた。使者を迎える口上を習い、やれやれ、と思った瞬間、白足袋がないのに気付いた。足がでかくて合う足袋がない。すったもんだして、名古屋市内のうちの宿舎・長栄寺に近い伊勢ノ海部屋の柏戸関の足袋を借りることになった。この話は結構有名ですよね?40分送れて伝達式は始まったそうです。
February 2, 2007
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日刊スポーツ 日本相撲協会は1日、1月22、29日に報じられた一部週刊誌の八百長疑惑報道を受け、2日に大関白鵬、旭天鵬、稀勢の里の3力士を呼んで事情聴取することを決めた。同記事によると「白鵬と旭天鵬は初場所で横綱朝青龍の八百長にかかわっており、稀勢の里はガチンコ力士」とされているが、両方から詳しい話を聴く予定。同協会の顧問弁護士の伊佐次啓二氏(50)は「雑誌に名前が載った力士はこれで最後。力士の話を聴いて、記事の法的評価をしたい」と話した。監察委員長の友綱親方主導で聴取し、来週中には、法的手段を含めた対処法を決める。白鵬も事情聴取九州場所休場していて、この件は蚊帳の外だった白鵬。遂に仲間入り!?どうせなら、最初から事情聴取してもらえば良かったと私は思いますよ。協会って、対応が遅すぎるんですよぉ~。先手打たないと…。今更、って感じです。事情聴取後に白鵬のコメントが載るでしょうか?興奮してマスコミを訴えるとかそういう話はよして欲しい物です。疑われるような相撲を取っていなかったのか。疑われるような行動をしていなかったのか。自分を見つめなおすチャンスとして捕らえ、プラスにして欲しいなと思います。こんなに話題になったなら、春場所のチケット、うまくやれば、販売数上げられるのに…。協会ってさぁ、ホントお人よしだと思います。もたもた私もしていたら、既に聴取後の記事が出ていました。毎日新聞 白鵬は九州場所を休場したが、報道では初場所の朝青龍との対戦を「疑惑相撲」と指摘された。白鵬は疑惑に関し「ない、と答えた」と報道陣に説明した。敗退行為を持ちかけたと報じられた幕下・旭天山を付け人として遣った旭天鵬は「付け人を管理する不手際を謝罪した」という。両力士とも旭天山が「東西の支度部屋を行き来する場面まで見ていなかった」と述べた。稀勢の里は敗退行為をしない力士の代表と報じられたことを受けて呼ばれたという。稀勢の里は「支度部屋も真剣勝負の場。周りを見る余裕はない」と話し、敗退行為を「持ちかけられたことは一切ないし、誰かがやったという話も聞いたことがない」と語った。白鵬「ない」短い。他には何も言ってなかったんでしょうか?旭天山が支度部屋を行き来する場面を見ていなかった…。←寝てたかも…。でももともと旭天山は、旭鷲山の付け人でした。白鵬も、東西の支度部屋を行き来しないようにと、注意するべきだったかもしれないです。例え相手は同郷の年上でも、誤解を招くような事は避けるべき。あっ、来場所、番付が上がる春日王。白鵬と当たる可能性ありますよね。白鵬と取組みがある前後は、春日国を付け人から外すべきかも!小部屋って大変…。旭天鵬「付け人を管理する不手際を謝罪した」偉い! 自分がそんなことをしていないとか言う前に、誤解を招くような付け人の行動を謝罪するとは…。今までコメントを出した力士の中で、一番偉い!稀勢の里「支度部屋も真剣勝負の場。周りを見る余裕はない」稀勢の里が真剣にやっているのは、よくわかるんです。余裕が無いと言われると、余裕持つくらいになって欲しいとも思うくらいです。
February 2, 2007
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