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2014.07.26
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   第二章 オリバーの伝記

 自分がクロムウェルの言を集めて整理してみると、次のことが次第に明らかになったように思われる。すなわちクロムウェルはピューリタン革命の中心人物であって、彼がいなかったならばピューリタン革命は世界史に一期を画する大事件にはならなかったであろうということ。もう一つは世間の人の考えと正反対であるが、クロムウェルは虚偽悪逆の人間ではなくて、真実の人間であり、その言は大いに意味があるということ。この二つのことである。実にその言によって見れば、彼は立派な大人物であるとしか思えない。
 善人か悪人かは別問題としても、とにかくオリバーの人格、その事業の性質は、その書簡・演説によって知ることができる。これらの言によって、彼は自分のうちにあるもの、自分の外にあるものを言いあらわそうと努めた。それゆえその言葉を知ることは彼の事件の精神を知るゆえんである。願わくは、この書が数人のまじめな読者に迎えられんことを。かのピューリタン事件がこの書によって少しなりとも明瞭になれば、後の著述家によってますます明瞭になることであろう。
 在来のクロムウェル伝について言うのはあまり利益がない。その多くは、偉人伝中において、その馬鹿馬鹿しさ加減において群を抜いているという代物(しろもの)である。忘れさってよい書物である。葬ってしまうのがむしろ慈善である。
マーク・ノーブルは「最初のクロムウェル伝記」を六つばかり挙げたが、その六つの伝はいずれも読む価値のないものである。クロムウェルを批難する伝はたくさんあるが、その拠り所はジェームズ・ヒースの「叛臣クロムウェルの生涯と死」という書である。これはつまらない書物である。このヒースという男はただ小冊子ばかり著していた憐れな文士であった。彼はまた「内乱の歴史」というものを著しているが、やはりくだらない書物である。
近世の伝記でマーク・ノーブルのものは独創的といえばいえようか。クロムウェルに関するいろいろの材料をごたごた集めてあり、くだらない考証のような所もだいぶあるが、少しは価値のあるものもあろう。しかし、ノーブルは判断力と洞察力に乏しく、多くの誤謬に陥っている。この書は伝記ではなくて、むしろクロムウェル事典である。何でもかんでも、ごたごた集めたものである。しかし、その後のクロムウェルに関する著述は、皆材料をここから引き出したのである。ノーブルはまた「レジサイズの伝」〔訳者注、レジサイズRegicidesとは弑逆者の義でチャールズ一世に死刑の宣告を与えた人々をいう〕を著しているが、これはますます拙劣な書物である。ノーブルの意見は中立であり、前後矛盾の所も多いが、まあクロムウェルをやや良く見たものといわれる。ノーブルの書は、一七八七年の出版であるが、これを一六六三年のヒースの書に比べると面白い。クロムウェルの真相が、次第、次第に一般人士に明らかになり来ったことがわかる。
一六九八年、ある無名の人が初めてクロムウェルを良く見る意見を発表し、その後バンクスという人が、さらに良く見る意見を発表した。しかしいずれも良い書物ではない。
クロムウェルの朝廷に仕えたジョン・メードソンの人に送った手紙はクロムウェルを知る材料になる。これは一六五九年の日付であって、一七四二年に印刷されたもので、この人は善人でクロムウェルに忠実であった。この手紙はかの十七世紀の事件に光を投じ、またクロムウェルの人物をよく描き出してある。また官内官吏のハーヴェーは一六五九年に小冊子を著したが、これはメードソンのよりも確実で趣きがある。右の二は断片ながらかえって堂々たる伝記に勝る。

 オリバー・クロムウェルを知るには従来の文書はすべて役に立たない。そこで私は彼の書簡と演説とを集めて、その人物を知ろうと企てる。その残っている最初の書簡の年代より以前の彼の生涯を少し記しておこう。
   第三章 クロムウェルの一族
 後年、英国共和政の守護官(プロテクター)となったオリバー・クロムウェルは、一五九九年四月二十五日ハンチンドンに生まれ、その二十九日に洗礼を受けた。
 その家は土地の農家である。父はロバート・クロムウェルと呼んでナイトの家から出た人、母はエリザベス・スチュワードと呼んでエライの農家の女で、その兄はナイトであった。エリザベスは、始めウィリアム・ラインという人に嫁して、寡婦となったのを、一五九一年ロバートがめとったのである。オリバーは夫妻の間の第五子で次男であった。兄弟は十人あったが七人だけ生育し、兄が死んでオリバーは独り息子となった。
 ノーブル先生の書物などによると、母のエリザベスはたしかにスチュアート王家の系統を引いているそうである。なんでも面倒臭い考証のようなことをたくさんしているが、このエリザベスは王チャールス・スチュアートとだいぶ遠い親戚になるという結論を下している。
この夫妻は土地を所有していて、農業に従事し、収入は年三百ポンドあった。今の千ポンドくらいに当る。まあ裕福な生計である。本家(父及び兄)は近くのヒンチンブルックに住んでいたが、そこに立派な邸宅を造った。この邸宅はオーズ河の左岸緑樹のうっそうとした間に立つ美しい建物で、今日もほとんど昔のままにのこっていて、クロムウェルの肖像等十九世紀及びそれ以後の史料たるべきものが保存してある。
 ハンチンドンはオーズ河の左岸に横たわっている都会で、真ん中に一つの立派な街路があるが、これが主たるものである。寺院は二つある。郊外には田畑沼地などが広く延びている。オリバーはここでその若い時代を過ごしたのである。
 その家は今もハンチンドンの住民は皆知っている。しかし既に二回建て直したもので、当時の遺跡は知る由もない。町の北部に立ち、街路の左側すなわちオーズ河へ近い方にある。ロバート・クロムウェルは酒の醸造をやったという伝説があるそうだが、よくはわからない。とにかく田畑を耕して穀物を刈ったことは事実で、それを麦のまま市場へ送ったか、モヤシとして送ったかは、どうでもよい話である。
ロバート・クロムウェルは田舎の紳士として相当に活動して、公共事業にも関係し、若い時は一度代議士にも選ばれた。とにかく賢い、信心深い、まじめな、しっかりした人で、謙遜な、男らしい生涯を送ったのである。
ハンチンドンブリックのナイトの外にも親戚がたくさんあり、皆、立派な生計(くらし)をしていた。だから、オリバーは貧窮であったという伝説は全く根もないことで、中流の生計を営んでいた一族に属していた





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最終更新日  2014.07.27 01:17:28


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