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2014.07.28
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「心の革命」199ページより

私はある出会いから『心』というものの偉大さを知りました。

盛岡に『竹芳』という和菓子屋さんがあります。
長沢良武さんという人がやっているのですが、彼の名刺には「創菓師」と刷ってあった。
盛岡のような地方でも京都のような創造的なお菓子をつくりたいという彼の志がそこにあらわれているのです。

私は宮沢賢治が好きなので、毎年『賢治祭』に行くのですが、時々この竹芳に寄ってお菓子を買います。
ところが、あるとき行ってみると、主人の長沢さんが出てこないのです。
奥さんがお菓子とお茶を出してくれましたが、主人はまかなか出てこない。
何か用事でもあって出かけているのだろうと思い、

奥さんが「主人に会ってやってくれませんか」といいます。
二階の社長室にいるというので上がっていくと、出てこない理由がすぐにわかりました。
「いやあ、お久しぶり」と手を差し出したのですが、
二人の手がぴたっと合わないのです。
見えていないのです。
彼は両目とも見えなくなってしまっていました。

私はものすごくショックを受けました。
彼に話を聞いてみると、彼がこの店をオープンした3年前にすでに片目ガ見えなくなっていたそうです。
それから3年間、朝起きるのが怖くて仕方がなかったといいます。
今日は見えるのだろうかと心配で、怖かったのです。
一方が見えていればまだお菓子はつくれますが、両目が見えなくなってしまえば、お菓子をつくることはできません。


彼は当初はやけくそになって死のうと思ったようです。
しかし、彼は目が見えなくなって逆に見えるものがあることに気づいて死ぬことをとどまったといいます。
何が見えるようになったのですかと私が尋ねると、彼は東京に行ったときの話をしてくれました。

彼が用があって東京に出向いたとき、人に道をたずねると相手は目が見えないから口でいっただけではわからないだろうと、手を引いてその場所まで連れていってくれたそうです。
またタクシーに乗ってあるビルに行きたいというと、運転手さんがちゃんとそのビルまで連れていってくれ、自分まで降りてビルの入り口まで手を引いてくれました。


目が見えていたときはそんなものを感じることはありませんでしたが、目がみえなくなって初めて人の親切、やさしさが見えてきたというのです。
目が見えていたときは、何もかも見えていたつもりだったが、実は目が見えているからこそ見えないこともあることに気づいたわけです。

この話をある人にしたところ、自分の兄貴も同じような境遇にあるからちょっと会っていってくれないかといわれたことがあります。
長崎県の諫早に行ったときのことです。
その人のお兄さんは、高校の体操の先生をしていましたが、交通事故で両目を失ってしまったといいます。
その事故のあと、そのまま学校に勤め続けることもできましたが、彼はまわりの人に迷惑をかけるのを嫌って盲学校に入り、鍼灸の先生になりました。
そして全世界盲人マラソン大会に出場し7位というすばらしい成績をおさめたそうです。
どうやって練習するのですかと聞いたところ、毎朝4時頃にラジカセを持って学校のグラウンドに行くといいます。
そしてスタート地点でラジカセを鳴らし、耳でその音をとらえながらグラウンドを周回するそうです。
一周だいたい100メートル。
それを本番前には420州するというのです。

それを聞いて、私は、この世に本当のハンディキャップはないと思いました。
『心』の持ち方ひとつによって、どんな逆境もプラスに転換できる、
そうやって生きる力、生きる勇気を持つことができるのは人間だけに授けられた能力だといっていいでしょう。
自己変革のポイントの一つは、本当にできない理由はひとつもないと確信しました。
できないのは無理なのではなく、自分の意識ができなくなってしているのではないか。
目が不自由でも、目が見えていたとき以上に活躍している二人に会って、私はそういうふうに感じたのです。



   神様からのメッセージby大野勝彦

それでも生きるんじゃ

それだから生きるんじゃ

何だ偉そうに

「格好悪い。ああ人生はおしまいだ」

なんて、一人前の口を叩くな



あのな、お前が手を切って

悲劇の主人公みたいな顔して

ベッドで、うなっていた時なー

家族みんな、誰も一言も

声が出なかったんだぞ

ご飯な、食卓に並べるのは並べるけど、

箸をつける者はだぁれもいなかったんだぞ

これまで一度も、神様に手なんか

合わせたことがない三人の子どもらナ

毎晩、じいさんと一緒に、正座して

神棚に手を合わせたんだぞ



バカが

そんな気持ちも分からんと

「なんも生きる夢がのうなった」

「他の人がバカにする」

そんなこと言うとるんだったら

早よ、死ね

こちらがおことわりじゃ

お前のそんな顔見とうもナイワイ

どっか行って、メソメソと

遺書でも書いて、早よ、死ね

なー体が欠けたんじゃ

それでも生きるんじゃ

それだから生きるんじゃ

考えてみい、お前の両親いくつと思う

腰曲がって、少々ボケて、もう年なんじゃ

一度くらい、こやつが、私の子どもで良かった

「ハイハイ、これは私達の自慢作です」って

人前でいばらしてやらんかい

もう時間がなかぞ



両手切って、手は宝物だった

持っているうちに、気づけば良かった

それに気づかんと、おしいことをした

それが分かったんだったら

腰の曲がった、親の後ろ姿よー見てみい

親孝行せにゃーと、お前が本気で思ったら

それは、両手を切ったお陰じゃないか・・・・

今度の事故はな

あの老いた二人には、こたえとるわい

親父な、無口な親父な

七キロもやせたんだぞ

「ありがとう」の一言も言うてみい

涙流して喜ぶぞ、それが出来て

初めて人ってもんだ



子ども達に、お前はこれまで何してやった

作りっぱなし、自分の気持ちでドナリッパナシ

思うようにならんと

子育てに失敗した、子育てに失敗した

あたり前じゃ

お前は、子育ての前に

自分づくりに失敗しているじゃなかか

あの三人は、いじらしいじゃないか

病室に入って来る時ニコニコしとったろが

お前は「子達は俺の痛みも分かっとらん」

と俺にグチ、こぼしとった

本当はな、病室の前で、涙を拭いて

「お父さんの前では楽しか話ばっかりするとよ」と、確認して

三人で頭でうなずき合ってからドアを開けたんだぞ

学校へ行ってなー

「俺のお父さんは手を切ってもすごいんだぞ。

何でも出来て、人前だって平気なんだぞ」

仲間に自慢しているっていうぞ

その姿思ってみい

先に逝った手が泣いて喜ぶぞ



しゃんとせにゃ

よし、俺が見届けてやろう

お前が死ぬ時な

「よーやった。お父さんすばらしかった。お父さんの子どもで良かった」

子どもが一人でも口走ったら俺の負けじゃ

分かったか

どうせまた、言い訳ばかりしてブツブツ言うんだろうが

かかってこんかい!

歯をくいしばって、度胸を決めて

ぶっつかってこんかい

死んだつもりでやらんかい

もう一遍言うぞ

大切な人の喜ぶことをするのが人生ぞ

大切な人の喜ぶことをするのが人生ぞ



時間がなかぞ・・・・・・・

時間がなかぞ・・・・・・・





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最終更新日  2014.07.28 14:16:42


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