2013年夏休み・中東(トルコ・北キプロス・キプロス・ドバイ)遠征(3)
中東レポート(9)、8月15日(木)は再び朝からイスタンブール探索。この日はボスポラス海峡クルーズに行くことにしました。
事前に確認していたクルーズの時間に合わせてホテルからトラムに乗ってエミニョニュへ。またこのモスクを拝みます。
こちらがボスポラスクルーズの乗り場。10:35発のロングクルーズの切符を買いました。25トルコリラ(約750円)とこれは意外と安いです。
この船に乗るのかと思ったら別の船でした。このあたり、対岸などに渡る船が多数出ていて、普通に通勤で使っている人もたくさんいます。
波止場で船の到着を待ちます。ツアー客、個人客、一般客などが混在しているようです。
船がやってきて間もなく乗船。黒海の入口近くのアナドル・カヴァウというところまで片道1時間半、現地で3時間弱過ごして再びここに16:30ごろ戻ってくるという行程。
10:35、定刻どおりに出航。まずは2階席に陣取り周囲の景色を観察。
改めてみると、19世紀の建造だと、イスラムっぽくないですね。
ボスポラス海峡を北上中。こちらはたぶん右岸のアジア側。こんな感じで冗長な写真が続きます。
ボスポラス海峡にかかる橋はこのボスポラス大橋ともう一本の二本のみ。地図で見るととても細く見える海峡ですが、日本の関門橋に比べれば結構対岸まで距離があり、両側に山も迫っているので、必ずしも橋が作りやすい地形ではないのかもしれません。海峡にはロシアの黒海艦隊?とかきっと巨大船団も通過するでしょうしね。
通過しました。橋の厚さがとても薄っぺらくみえるのは気のせいでしょうか。橋の構造は違うのでしょうが、瀬戸大橋や明石海峡大橋を通ったときはもっと厚かったような気もしますが。
このあたりは高級住宅地、あるいは別荘なんでしょうか。
先ほど通過したボスポラス大橋もだいぶ遠ざかりました。。
二つ目の橋が見えてきました。メフメット大橋というそうです。左側の塔のようなものは15世紀にオスマン帝国が造ったルメリ・ヒサルという要塞。
半分をすぎると、終点近くの港を数か所立ち寄ります。このあたりではこの遊覧船も生活路線として利用している人がそれなりにいるようです。この先が黒海の方向。
黒海方向をアップ。黒海の向こう側はロシアやウクライナのクリミア半島。今度冬季五輪をやるロシアのソチなんかもこのずっと向こう側にあるわけです。
これが終点の小さなターミナル。ここは小さな海峡の街といったところですが、先の山の上に昔の要塞があるので、大半の旅行客はそこへ徒歩で向かっていきます。復路の船まで3時間くらいあるので、私もそうしようかと思いましたが、途中まで行って登り坂が結構きつそうな感じがしたので、要塞に行くのはやめにしてこの港でのんびり過ごすことにしました。
というわけで、港が見えるレストランの2Fでランチをとることにしました。
このあたりは魚介類の食材が豊富です。まずはイカリング。サワークリームのようなドレッシングとよく合っていました。
海峡をタンカーらしき大型船が頻繁に通過していくのがみえました。
メインディッシュの魚。名前忘れました。。白身であっさりした味でおいしかったです。
こちらは親と子猫。普段このように人を警戒しない猫は猫カフェ以外ではなかなか日本では会えないので、とてもなごみます。。
江の島なんかもそうですが、このような魚が豊富でのんびりした海の近くの街というのは、猫も人も丸くなるんですかね。
パンなどを投げ込むとこんな入れ食い状態になるようです。釣りをやっている人も周囲にたくさんいますし、ここのレストランは天然のいけすがすぐ横にあるっていう感じなんでしょうね。
14:40、まだ若干早いですが、復路のクルーズ船に乗船します。
アナドル・カヴァウを出発。あの山の上の要塞が行くのを断念した先のようです。行かなくてよかったかもしれません。。
大型船とクルーズ船が並走。天然ガスかなにかのタンカーでしょうか。
復路は撮る写真がだいぶ減りました。16:17、間もなくイスタンブール市内。こちらはマルマラ海方向に見えた灯台?要塞?でしょうか。この先が地中海になりますね。
この工事現場は欧州側旧市街の近くの方角なので、もしかすると大成建設のボスポラス海峡トンネルの現場なのかも。
船は間もなくイスタンブール・エミニョニュに到着。船尾から見たボスポラス大橋。
別の豪華客船も。3年前にヘルシンキからエストニアのタリンに行くのに2時間ほど乗ったフェリーもあんな感じでした。
戻って来ました。ボスポラスクルーズ終了。
8月15日のレポート続き。ボスポラスクルーズから戻って来ました。
16:33、エミニョニュの港に到着。このモスクで毎回位置確認している感じです。
一度ホテルに戻り休憩することにしました。途中にあるケータイの店。
そのとなりにはインターネットカフェも。Turkcellはトルコ第一のケータイキャリアだったかと思います。
ホテルに向かう途中の坂の上にある大成建設の地下鉄&ボスポラス海峡トンネル工事現場。「地図に残る仕事」という日本語がとても印象的でした。
19:30、トルコでの最後の晩餐を食べに再びエミニョニュへ。エミニョニュから新市街にかかる橋はガラタ橋という名前でしたが、その下にたくさんシーフードレストランが並んでいます。まだトルコ名物・サバサンドを食べていなかったのですが、「サバ」を示すトルコ語「Balik」(バルク。トルコ語ではiの上の点はないiは日本語の「ウ」の音)がどの店の看板にもあったので適当な店に入ってみました。
店の人は「Balik」というのは「Fish」の意味だと言ってました。そんなことで、高めの魚を勧められました。まあ、最終日なのでお勧めの魚を選ぶことにしました。
この写真は、橋の上からぶらさがる釣り人の浮きやエサを写しました。。
こちらはメインのシーバスという魚を焼いたもの。ちょっと量が多すぎでしたが、美味しかったです。値段は××。
最後はトルコティーでしめます。このあと店のにいちゃんが日本人の男性旅行客を引っ張りこんで私の席に連れてきました。30歳代前半くらいの男性でしょうか、私と同じように一人で夏休み旅行中とのこと。カッパドキアの気球ツアーに行ってきたそうです。店のにいちゃんに私の食べたものがダシにされて高いメニューを頼まされてしまったようでちょっと申し訳なかったです。。
前の晩、空港からホテルに戻る途中、きれいにライトアップされたブルーモスク周辺がとても印象的だったので、トラムに乗って行ってみることにしました。
ライトアップを堪能させていただきました。イスタンブール最後の夜にふさわしいひとときとなりました。
ヨーグルトを用意してイスタンブール最終日へ。。
夏休み中東レポート(12)、8月16日(金)イスタンブール最終日です。イスタンブールからの出発便は夜7時半ごろなので、ホテルに荷物を預け、まだ行っていない近場の観光スポットをめぐることとしました。
到着翌日に行こうとしたものの、入場券待ちの長蛇の列を見て後回しにしたアヤソフィア博物館からスタート。
アヤソフィア博物館はもともとは5世紀ごろ、ビザンツ帝国時代に建てられたギリシャ正教の総本山・ハギア・ソフィア大聖堂。15世紀にオスマン帝国がコンスタンチノープルを征服し、この大聖堂をイスラムのモスク・アヤソフィアに作り替えたもの。
大聖堂の周囲に尖塔を立てるとキリスト教の大聖堂がイスラムのモスクに変身するというのが今回分かりました。もともとキリスト教とイスラム教は近い関係にあったことに改めて気づかされます。
中はやや薄暗いですが、窓から差し込む光がそのせいでかえって美しいです。
これをみると、イスラムのモスクだということが分かります。アラビア語はわかりませんが、コーランの一節でしょうか。ガイドブックをみると、アラーやカリフの名前なども書いてあるとのころ。
これはハギア・ソフィア時代の壁画でしょうね。イスラムでは偶像崇拝はNGですし。
アヤソフィアを出て次へ。南側の出口からはブルーモスクが再び。
ブルーモスクよ、さらば。
このあとはアヤソフィアの北側にある国立考古学博物館へ。ちなみにそのあとは下の表示のトプカプ宮殿に行きます。
トルコ周辺は古代の遺跡がとても多いですが、19世紀半ばころまでは英仏が発掘物を大量に自国へ持って行ってしまったそうです。大英博物館とかルーブルとかですよね。19世紀終盤以降の発掘はこの博物館をはじめトルコ内に保存されているとのこと。
北メソポタミア、紀元前13~9世紀。よく木製のものが残ってますね。
昔の棺の壁面。歴史の古さとこの地域で起きた興亡に改めて思いを馳せます。。