♪ガッツぱんだ家♪
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仕事が終わって戻ったら、お義母さんに七草粥を持って行く予定だった。お正月明けて昨夜単身赴任先へ戻っていった主人から、今朝仕事中に着信が3回も入っていた。勤務中にスマホの携帯は禁止なので、お昼あがってからしか見れない。電話が来ることは珍しいことでもないが、私は仕事を終え、勤務先の店内でのんびり買い物をしていて着信に気付いたけど、(あれ?3回もかけてる?何か急ぎの連絡かな?)と折り返した。主人『母ちゃんが倒れて、救急車で運ばれたって!市役所の人から連絡が来た』私『は?』元旦に会ったばかりだった。みんなでお義母さんのお料理を食べながら正月を過ごしたばかりだ。『なんで?どうしたの?』『分からないけど、◯◯兄ちゃん(義叔父)が母ちゃんと電話していたら、急に途中で応答が無くなったらしくて、心配になって◯◯伯父ちゃんに連絡して、管理人さんと警察と救急車に連絡して部屋を開けたら倒れてたって』4年前、母は職場で突然倒れ、難病の関質性肺炎と診断され、数ヵ月入院したあと、我が家で呼吸器を装着しながら同居生活を送っていた。ずっと同居も考えていたけれど、だいぶ体調も良くなったので、お互い生活の時間帯にズレがあった為(子供たちの部活や塾通いなどで食事や就寝時間がかなり違うので)、気を使ってくださり、近所のマンションを借りて住んでいた。その後、車ですぐ行ける距離の市営住宅を借りることが出来たので、そこで一人暮らしをしていた。搬送先は、我が家からも勤務先からも徒歩10分で行ける医療センターだった。勤務先から直行し、受け付けに聞いたら、到着済みで、待合室へ行くと、長男の伯父さんが居てくださった。発見時から一部始終を見てくれていたし、救急車にも同乗してくれていた。伯父『あぁ、ぱんださん、来てくれたの。ごめんなぁ。』私『いいえ、すみません。私がお母さん家の鍵を持っていたのに』何だか恐くて容態を聞けなかった。看護師さんが、今、検査をしていると言っていたから、一先ずは大丈夫なんだろうと思っていた。10分ほど経った頃、看護師さんがやって来て『今、検査をしていますので、しばらくお待ちくださいね』と言われた。(検査中か。よかった)とホッとしたのも束の間、伯父が一言『時間が経ちすぎてた。もう着いたときはだめだった。』(え?だめだった?でも検査中って…?)あぁそうか…そういうことか…死亡原因を検査しているってことなんだ…ぼーっとしてきた。主人になんて連絡しよう。蘇生処置中だと言われたけど、発見からもう時間が経ちすぎていた。義弟が職場から駆け付けてやっと到着した。兄たちは県外。この状況では長時間意識も無いので間に合わない。原因は、高血圧からの大動脈解離だったらしく、搬送されてから二時間経過していた。三人で説明を受けて、蘇生装置を施しても反応が無いことを説明され、義弟が決断して蘇生装置を外すことにした。辛かっただろう。移動や仕事中で連絡の取れない兄たちとは話し合えず、母の装置を外す決断をしなければいけなかったのだから。立ち会った私たちは、今までお母さんをお世話する責任を担っていただけに、何とも言えない感情が込み上げてきたけれど、為す術もなく、医師の言葉に頷くだけだった。義弟『もう外してください。長い時間有り難うございました』何だか実感が沸かなかった。主人に連絡。電話の向こうで大号泣していた。とにかく安全に。気を付けて帰ってきてと伝えるしかなかった。お義母さん、元気だったじゃん。毎日、散歩してスーパーに孫たちの分まで卵買いに並びに行ったり、病院での検査結果も順調だって話してたし、お友だちや兄弟に畑に連れていってもらったり、年末年始もお歳暮くださったり、ご飯一緒に食べたじゃない?人の死ってほんとあっけない。若い頃から貧乏して、とてもとても苦労された人生だったから、今やっとのんびり幸せに暮らせていたのに。まだ実感がないから、いつも通りの生活となってしまう。でもお義母さん、今まで本当にお疲れ様でした、有り難うございました。
2025年01月07日
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