全1154件 (1154件中 1-50件目)
【現品】オリーブ 古木 30号(2)【送料無料】【樹齢100年の古木オリーブ】【カッコイイ盆栽仕立て】【植物 インテリア おしゃれ 人気 引越し祝い 開店祝い 新築祝い お祝い 楽天 通販 鉢植え観葉 ギフト プレゼント】
2019.10.23
コメント(0)
子供の頃に「意地汚い」と言われたことを、私は多分すごく引きずっていたんだと思う。それだけじゃない、他にもいろんな小さな出来事や、世の中に満ち満ちる無言のメッセージから、いつの間にか「欲は汚いもの」「貪欲さは恥ずかしいもの」と思い込んでいたように思う。7年だか、8年だか前、ヒーラーさんに「セクシャリティを癒しなさい」「性器にヒーリングしなさい」と言われ、何のこっちゃ、私のセクシャリティに傷なんか見当たらないけど、と思いながらそれでも素直に何の気なしに性器にヒーリングをしたら体の底から「死んでしまえばいい、死んでしまえばいい、死んでしまえばいい」というたくさんの声とともに、真っ黒いドロドロの自己嫌悪、恥ずかしさ、自分は汚いという感覚が本当にマグマのように噴き出してきて私は泣き、叫び、転げまわり、布団を叩いて、でもその嵐が過ぎ去るとすっかり体の中が透明になっていてずっと長いこと大嫌いだった自分が、好きになってしまった。そのたった一回のセルフヒーリングで。ずっと自分は真っ黒でドロドロして汚れていると感じていた。でもそれが、透明な水の中にキラキラした金色の細かい細かいラメが入っているような、そんな体感に変わっていた。それは私そのもの、全体の体感であると同時に「私の性エネルギー」の感覚でもあってつまり私は私のいのちの根源である性のエネルギーを美しいと思えるようになったことで、私自身の存在を美しいと思えるようになった。という、あの体験は本当に劇的なものだったのだけどあれから随分遅れて、私は私の「食べることへの貪欲さ」もいつの間にか許せていることを、最近噛み締めている。意地汚いと思って嫌った、隠そうとしたはずの私の貪欲は、気付いたら執拗に私においしいものを作らせ、どうやら人様を喜ばせる力になっていた。あんなに食べて吐いて、食べて吐いて、食べることと折り合いのつかなかった長い年月を経て最初から、ギフトだったのだ。本当は。隠しておきたかった、汚いと思っていた、許せなかった私の強い力たち。血なまぐさい、ほかほか湯気の出るようなせいめいりょくが、今は喜んでそのまま世界に放たれている。私のたべものを喜んでくれる人たち、ありがとう。あなたたちが私の癒しでした。与えさせていただくことで、それ以上のものを受け取る毎日だったのだと思う。
2017.05.02
コメント(0)
魂のやりたいことを生きる、という道は全く平坦ではなく、何百回でも罠が用意されていて、何百回でも自ら笑顔でどぶんと罠に飛び込み、ここがどこだか分からなくなってはハッと気づいて這い上がってくるのである。あ、皆さんが絶対そうだとは言いません。でも私はそうです。罠は、解決しなければいけない問題、助けなければいけない人、引き止めようとする人、魂の目的よりもおいしそうに見えるもの、などの形で目の前に現れる。私は本当に素直にそのどれもに大はしゃぎで飛びついては順調に道に迷ってきたよ。そしていつも、その幻影たちは全て自分が創り出したものだったと後から気づく。あ、これはありがちな罠のパターンだ、とか、わけがわからなくなった時は大抵魂の目的を思い出せばいいだけ、とかを何百回もの経験からようやく理解して忘れなくなってから、ですら、私は分かっていながら罠に飛びついたり、まだしているよ。。そんな自分もかわいいけどね。
2017.04.28
コメント(0)
即興、の話を書いて寝たからだろう、こんな夢を見た。学校の何かイベントで、体育館の舞台で一人芝居をしなくてはいけないんだけど、台本をほとんど覚えてないことに当日気づく。ものすごく焦る。導入部分だけざっくり覚えて、そこから即興でどんどん違う話に持っていっちゃおうか、と考えている。即興どころか台本のある一人芝居すらやったことないんだけど、むしろ即興なら得意だよなーと何となく思い描いている。踊る時みたいに、ハートの真ん中にすぱんと入って、何百人の見てる前で自分を丸裸にすればいい。そしたら時間が止まって、私の生命が流れだすだろう。いろんなことを、叫んだり呟いたりするかもしれない。寝転んだり、ただじっと立っていたりするかもしれない。演技、したことないし、台本、覚えてないけど、たぶん大丈夫だ。観客を巻き込める。そう思ってるとこで目が覚めた。ちなみに昨日書いた料理の即興の話もさ、昔から行き先の決まってない料理をするタイプではあったんだけど、近年そのクオリティが全然ちがうんだよ。一人で店をやる、人に出せるクオリティの料理を出す、という責任感というか緊張感みたいなものが、私を育ててくれてると思う。前は、家で出す料理は「おいしければいい」だったの。おとこめし、みたいな。見栄えなんか気にせずドカンと盛るだけだったし、あんまり冒険もしなかった。今は見栄えも含めて、作品を創る感覚だし、真剣勝負感が全然違う。そして真剣に即興している時の自分の生命のキラキラしている感が全然違う。
2017.03.06
コメント(0)
冷蔵庫にあるものだけで、予め何も献立とか考えず、瞬間瞬間に思いつくままに次々と料理を作っていく時のスリルとサスペンスが大好きだ((((ovo))))ひたすら目の前だけに真剣勝負で、全体像は見えていない。子供に「今日のごはん何?」と聞かれても「分からない!」としか言いようがない。出来上がってから「こんなのできちゃった」みたいな感じだ。考えたら店を作る時もそうだった。出来上がってみて、へぇーこんな店なのか!って思った。アドリブが、即興が、好きなんですね。決まってると、もうつまんないの。。今日は、ナゾ和えと謎マリネがヒットだった。
2017.03.05
コメント(0)
思ったよりすごく反響があったこの投稿。何度も書いた話ではあるんだけど、私の中で変化が起きる度に、同じ話が響く相手が不思議と増えるんだな、と思う。何かクリアになっていくごとに、影響力とか、届ける力、みたいなものが増していくのかもしれないなぁ。こんな風にブチ切れて1週間座ったりしなくてもいいように、思考じゃない部分で日常生活をただ生きる方法を、あの頃よりだいぶ進化した今はダンスのレッスンで教えるようになったよ。えっ、ダンスのレッスンじゃないのかよ、って感じだけど、これ、ほんとにどう説明したらいいんだろうね。踊るという切り口から、自分のいのちの根っこに触れること、心と体の不一致をなくすこと、瞬間を深く深く感じること、他人にどう見られるかじゃなく自分という軸に深く根ざすこと、そこから他者とも触れ合うこと、、、いろーんなことをやってるよ。だから踊りや歌なんかのパフォーマンスをする人の、その質をぐぐっと深めるためにもすごくいいし、パフォーマンスなんか全然しないけどただ幸せに暮らしたい、という人にも受けてほしい。この、シェアした投稿にあるみたいに、頭じゃない部分で生き始めると不思議なことが起きるよ。願うことをやめたのに、叶っている。目的に向かうことをやめたのに、辿り着いている。何もしてないのに、人が集まってくる。。。。。。。。。。。。
2017.02.16
コメント(0)
自分が何がしたいのか分からず、ソースプログラムというのを受けて、自分にとって大切なものを幾つものキーワードで拾い上げていく作業をしていた頃。愛、美、エロス、生命の躍動、冒険、といったそれらしい言葉が並ぶ中、ひとつだけ「異国情緒」という自分でも首をひねるキーワードがあった。他の言葉は、そうねそうねそれは大切ね、とよーく分かる感じだったけど、はて、異国情緒だけなんか浮いてるぞ、、、でもこの言葉はなんか外せないみたいなんだよな。とひねった首は元に戻らないままそっとしといたんだけど。さっき店の取材で「どうしてセネガルとか、珍しい国の料理を出してるんですか?」と聞かれて「異国情緒がテーマなんですよね」と答えてる自分に気づいて鳥肌が立った。異国情緒、テーマだったんかい!てか、あの頃ナゾだった異国情緒はこんなところで登場することに、、!
2017.02.16
コメント(0)
って、ものを捨てるとか食べ物を残すことについてつらつら書いてたら、これって「自己犠牲」とも繋がってる話題かもしれないと思った。相手を思いやるあまり、自分が我慢してしまうとか、無理してしまうとか。誰しもゼロではないと思うけど、それって、やられる方も嬉しくないんだよね。私、それをされた時の悲しさをすごく体験してるので、自己犠牲、に少し敏感かもしれない。私のために誰かが苦しんでしまった。それってさ、何もしてないのに加害者にされちゃうような体験で。いやいや、だったら私のことはいいからあなたが幸せになる選択を、お願いだからしてー!って強く思うのです。相手がモノでも、食べ物でも、かわいそうだから自分の心地悪さを我慢するっていうのは、自己犠牲かもしれない。だとしたら、私は自分の心地よさを選択します、それがたとえ非情だとしても、っていう強さが時には必要かもしれないね。自分のパワーを貫くことと、他者への思いやり、これはバランスの問題だし正解はないけど、自己犠牲に傾きがちな人は非情になる練習、いいと思うー。
2017.02.16
コメント(0)
本当に気に入ってるものだけに囲まれて暮らすの大事、というのをこの前書いたら、ものを捨てるのが苦手という方からメッセージが。うん、多いよね、捨てられない人。情がうつっちゃったり、もったいないと思っちゃったり。私は、実はものを捨てるのが大好きなんです。うっはー、超スッキリ、気持ちいーーー!!って感じで捨てまくるので、たまに捨てない方が良かったものまで捨てすぎちゃって、後でまた買い直すこともあるw日々の生活の中の、普通のゴミをまとめて捨てる作業もすごいスッキリするから好き。。どうしたら捨てられるのか、と言われて私もうーんと考え込んだんだけど、やっぱりもったいなさとかより、捨ててスッキリする気持ちよさにフォーカスすることかなぁ。あとは、感謝して捨てるとかも思ったけど、逆に自分の非情さの部分全開で「ふはははは!捨てるぜ、ふはははは!」なノリの方がいい気もするしな。。ものを捨てるのと少しずれるけど、食べ物を残せない、というのが私も昔あってね。何かの本に書いてあったことを読んですごく納得して、以来残せるようになったんだけど、その書いてあったのがこういう文。「ゴミ箱に捨てるか、自分の体の中に捨てるか」これ、衝撃的でねー。もったいないと思って食べることで、食後のお腹は苦しくなり、体調は落ち、太ったり気が滅入ったりするなら、それは食べ物と自分の双方にとって全く幸せじゃない。食べ物の気持ちになってみて。○○さんのお腹の中に入ったけど、○○さんを幸せにしてあげるどころか、苦しめてしまった。。嬉しくないよね。それぐらいなら、ありがとうごめんねってゴミ箱に捨てる方がずっといいんだって、それから躊躇なく残せるようになりました。(もちろん後で食べられるようならそれも良し)てことは、あれだ。ものを捨てることに関しても同じだね。捨てずに取っておくことは、双方にとって幸せなのか?そこを考えたらすっぱり捨てられるかも、だよー。
2017.02.16
コメント(0)
過去にFacebookなどで書いた文章を、こちらのブログに少しずつ貼り付けていきます。過去の日時設定で投稿は、今年以前には遡れないみたいなので、とりあえず今年の1/1からの日付にどんどん貼っていきますよー。
2017.02.16
コメント(2)
定休日もしくは夜のふたこぶ食堂を間借りして、週1とか週2とかで定期的にお店をやりたい人、いないかなー?自分で店舗を借りて改装して、とかの初期費用なしでお試し的に店ができるの は、なかなか魅力的だと思うのよ。どれだけ抑えても数百万はかかるからね。。(というか、私も当初はそんな形でどこかで間借りできないかな、と思ってたらうっかりフルで店舗借りる流れにw自分の場所が欲しかったから、まあそれはそれで良かったんだけどね)私、怠け者なので週5も店やりたくないんです٩( ᐛ )و他にやりたいこといっぱいあるしwなので自分の営業は週3ぐらいにして、夜営業もイベント時だけにして、あとは他の人に使ってもらえたら理想かなーと思ってる。なので現在定休日じゃない曜日希望の人も、応相談です。料金とかも諸々相談しようぜっ。定期的じゃなく単発で借りたい人も、応相談。ただし定期的な方を優先します。とても狭い店で冷蔵庫のスペースもあまりないので、要冷蔵なメニューが多数、とかのやり方は向いてないです。単品をひたすら出すとか、せいぜい数品までだと、運び込みとかもラクかもねー。通りすがりの人がふらっと来る立地では全然ないけど、来たい人はどこからでも目がけて来てくれるので、ちゃんと告知すればそこは心配ないと思うよー。ふたこぶもそれで何とか続いてるし。ふたこぶの空間を気に入ってくれて、そこでやってみたいという人、ぜひ声かけてねー。あとお友達にお店やってみたいという人がいたら、この話を教えてあげて〜!写真はこちらのホームページにもあるので、見てみてね。※現在、日曜日はおかげさまで埋まったので、木曜日の丸一日と月火水の夜が空いてる感じです。定休日を増やすことも検討中なので、月火水のどこかで昼間やりたい方も募集中!上に書いたみたいにお店として営業するのとは別に、イベント用のスペースレンタルも今まで通りしているのでお問い合わせくださいな〜。(主な違いはキッチンを使用するかどうかです)二階もスペースレンタルしていて↓ こちらは時間料金制の貸し出し。小さくて落ち着いた空間で、マッサージやボディワークのセッションに最適。マッサージテーブルやお布団もあるので、ただ単にゴロゴロしたいとか、置いてある本を読みたいとかの使い方もOKですwその他、一階二階ともに撮影スタジオとしての利用もOK。窓が大きくて光が入るのと、漆喰の壁、木のテーブルなど色々味があって使いやすいです。スタジオ利用は1時間5000円。ふたこぶでやってみたいことがある人はとりあえず声かけてね٩( ᐛ )
2017.02.16
コメント(0)
27歳までずっと「病気と戦う」だけの人生だった後、やりたいことをやって生きようと決めたんだけど、早速やりたいことを100個書き出して片っ端からやってみても全然楽しくない。あまりに楽しくないので大激怒して、もう動かねー!本当に腹の底からやりたいことが湧かない限り、もう、オレ、ぜってー動かねー!と決めた。本気だった。だってものすごく怒っていたし絶望してたから。家事も放り出して、読書やネットや食事に逃げることもなく、ただただ座っていた。何かが「やりたいなー」と頭をよぎる度、それ、本当?と自分に注意深く問いかけた。もう、騙されたくなかったの。嘘のやりたいことに。もうたくさん。本当に絶望してた。問いかけてみると、本当にやりたいことなんてほとんどなかった。食事もほんの僅かになって、時折トイレに行く以外は、ずっと座って、ただ自分の体が息を吸って吐いてするのを感じていた。それは後から考えるといわゆる瞑想というやつ、そのものだ。だけどその時はそんなつもりじゃなかった。怒ったし絶望したから、もう思考に振り回される元気がなくなっていただけ。数日座っていても、本当にやりたい!なんてことは何も出てこなくて、その代わりにただ座って呼吸してることがどんどん至福になってきた。すぅー(きらきらきらきら)はぁー(きらきらきらきら)あれ、何もしなくても、私、幸せだった。ただ息してるだけでこんなに。その時初めて、私は私の内に元から備わった幸せを無視して、現状が充分ではないと考え続ける思考の、次々に差し出す「こうすれば楽しくなれるよ」「こうすれば幸せになれるよ」に騙され続けてきたんだと分かった。ハムスターが遊ぶ、くるくる回るあれみたいなやつ。自分の思考が作った幻の中で走り続けていた。本当にお疲れ様だった。もう私は安堵してただただ座ってた。なーんにも、しなくていい。あっはは。最初からこんなに満ち足りていた。あっはは。そうなってから更に数日だったか、もう「本当にやりたいこと」なんか求めてすらいない私に、初めて腹の底から湧いてきたのが「歌いたい」だったのだ。私は大いに歌った。そこからの年月、決して常にその座っていた時のように静かな深い状態でいるわけじゃない。相変わらず思考はいつもそこにあるし、どちらかと言うと忙しい日常にアワワアワワとなっている方だけど、でもね、そこからの7年ぐらいで、私はその頃思い描くことのできた夢を別に頑張ることなくほぼ全部叶え、思い描くことすらできなかったすごいこと、もたくさん受け取ることになった。明らかにあの時から何かが変わったのが分かる。頭が先回りして「あれをやりましょうか!」「こうやったらきっとうまく行く!」とか言うことに、今はもう全然騙されない。いつもただ、自分にとっての「ほんとう」を感じるようにしてる。そうしてハッとこの年月を振り返ると、びっくりするほど遠くに運ばれているんだよ。
2017.02.13
コメント(0)
お久しぶりの方も、初めましての方も、こんばんは。実は2014年7月にカフェをオープンしまして長いこと私の表現の場だったこのブログの名を取って「ふたこぶ食堂」と名付けました。ここ数年は専らFacebookで発信をしていたのですがせっかく役に立つことを(たまには)書いても、Facebookだと流れていってしまってもったいない!自分のカフェをふたこぶ食堂と名付けたのはこのブログを通して私を知ってくださった方々が「あ、あのふたこぶのお店ができたんだ!」と思ってくれたらいいなぁ、という気持ちからでした。今の私を形づくる大切なものだった、このブログ「ふたこぶ」を今日からまた再開しようと思います。
2017.02.04
コメント(0)
さっきの欲の話、追記してったらどんどん長くなったので、こっちに分ける。あのね、よく「自分を受け入れる」って言うけど、あれ、なんかちょっと違うと思うんだよ。さっきの話で言うとさ、自分の貪欲さを、受け入れる、だと、あんまり本当は喜ばしいと思ってないけど、仕方なく許した、って感じだよね。それだと、違うんだよなー。。今まで自分に劇的な変化が起きた時のことを思い出すと、その時に起きてたことって「受け入れた」んじゃないんだよ。完全に、向きが逆になってるの。積極的な肯定になってるの。否定してたものを、しょーがねーな、って受け入れたんじゃないの。ばんざーい!最高!これでよいのだ!ってね、積極、能動、なんだよ。受け入れよう、、とか思ってる時って、まだ怖がってるし否定してるんだと思うなぁ。
2017.02.02
コメント(0)
さっきの欲の話、追記してったらどんどん長くなったので、こっちに分ける。あのね、よく「自分を受け入れる」って言うけど、あれ、なんかちょっと違うと思うんだよ。さっきの話で言うとさ、自分の貪欲さを、受け入れる、だと、あんまり本当は喜ばしいと思ってないけど、仕方なく許した、って感じだよね。それだと、違うんだよなー。。今まで自分に劇的な変化が起きた時のことを思い出すと、その時に起きてたことって「受け入れた」んじゃないんだよ。完全に、向きが逆になってるの。積極的な肯定になってるの。否定してたものを、しょーがねーな、って受け入れたんじゃないの。ばんざーい!最高!これでよいのだ!ってね、積極、能動、なんだよ。受け入れよう、、とか思ってる時って、まだ怖がってるし否定してるんだと思うなぁ。
2017.02.02
コメント(0)
長いこと摂食障害だったから、食べることは怖いことで、食べたら太るし、食欲は恥ずかしいものだと思ってた。自分の貪欲さを恥ずかしいと思ってたの。隠さなきゃいけないって。意地汚いんだ、って。摂食障害が治ったのが2009年、29歳の時だから、もう8年経つのか。意識して取り組んだわけじゃないけど、気付いたらいつの間にか変わってたなーと思うのが、私、自分の貪欲さを、食への執着を、すっかり肯定しているなーということ。あんなに恥ずかしいと思ってたものは、実は長所だった。私がいかにもおいしそうな肉の写真とかを、いちいちみんなに見せびらかすのは、そんな背景があってなのです。私の、食べ物への執着、ほとんど変態とも言えるこだわり、ばんざい!って寿ぎたいのです。かつて呪っていたからこそ、祝福感がものすごい。同じ頃にそういえば自分の性エネルギーを否定していたことに気付いた、そしてそれが全肯定に転じた出来事があったけど、こっちは劇的だったんだよねー。性の方は劇的で、食の方はいつの間にかだったけど、自分の欲全般を美しいものとして肯定できるようになったことが、自分を好きになるカギだったなぁ。欲を肯定することは、自分の生命を肯定すること。欲を否定することは、無意識だとしても死の方向を向くことなんだ。そして世の中には、欲を煽るだけ煽る一方で、それを恥ずかしいものと思い込ませようとするメッセージがまだまだ溢れてると思うから、かつてそれに振り回された一人として、私は生命の肯定をしたい。じまんです!とかいって肉の写真をアップして、ほんとにただの自慢なんだけどwでもね、ふざけてるようで、本当にやりたいのは、欲ばんざい!生命ばんざい!の、肯定のエネルギーを伝えることなの。
2017.02.02
コメント(0)
できない理由を絶対に探さない習慣がついたんだ。別にストイックな意味じゃなく。そりゃ、もちろん、人間、不可能はいっぱいある。でも、だからやらない、って言ってたら死んでるのと同じで。やりたいことがすんごい壮大で無茶だったとしたら、いきなりそこを見ないんだ。そのゴールを目指すためにまずは何をすればいいか?と計画的に進めたりもしない。世界一周旅行に行きたいけどお金がないとするじゃない。じゃあ、まずやるべきことは貯金!ってやると、道のり遠いし、やる気でないし、楽しくないし。じゃなくて、世界一周旅行の、何が自分の欲しいエッセンスなのかな?って考えるの。異国情緒に触れたいなら、そういうお店を近場で巡るとか、できるじゃない?国際交流がしたいなら、そういう場も近くで探せるじゃない?最初からエッセンスをちゃんと満たすんだ。そしたら喜びを先延ばしにしないまま、そんな行動の中での出会いがいつの間にか自分を導いてくれて(たとえばだけど、世界一周旅行に連れてってくれるお金持ちに出会っちゃうとかね!すごい割のいい仕事紹介してもらえるとかね!)気付いたら夢が叶ってるんだよね。そういうやり方で、進んできたよ。どんなことも大抵、形式にこだわらなきゃ、エッセンスは今すぐ満たせるんだ。
2017.01.02
コメント(0)
意識がちょっとでも「快」からブレると、どーにもこーにもにっちもさっちも、うまく行かないのだなーと改めて実感。たとえば何となく体を動かす。その時「ここが痛いから伸ばそう」とか邪念(?)があると、痛いのはいつまで経っても痛いまま。何をどうしても痛いまま。ただ肩の動くのを、指先の空気に触れるのを、体の中のエネルギーが流れ拡がるのをひたすら、味わって楽しんでる時は、あっという間に全身調子良くなる。痛いとこあっても治っちゃう。カラダに限らず、ぜーんぶそうなんだけどさ。つい、目の前に問題らしきものがあると、解決したくなっちゃう癖が抜けないね。
2017.01.01
コメント(0)
そこにないものを取りに行かない。自分の心を置いて行かない。壊れていくことや閉じていくこと、もしかしたら死んでいく力にさえ、逆らわない。そうして初めてちゃんと生きることができる。かといって、波に乗ったら乗りっぱなしにならない。手足は沖に出ていくかもしれないけど、意識は流されてはいけない。どんなに溢れ出しても、意識はただ真ん中にとどまっている。
2017.01.01
コメント(0)
体の中のいろんな余計なもの防御とかを全部投げ捨てちゃって真ん中のきらきらした奔流を丸ごと世界にあげたい。ほんとにしたいのは、それだけなんだよな。私を、使ってほしい。私、がいなくなるまで。余計なものがまだまだ多すぎて、あーあー。時々ぶわあと溢れ出す奔流と、あっという間に閉じ込めようとするいろんな力を交互に見てる。でも、見えてるんだから、いつかできるんだ。
2011.10.08
コメント(14)
グラウンディングを意識し始めてから、 否応なしに体の声に耳を傾けるようになった。 「動きたい」「休みたい」の声は骨盤からやってくる。 基本的には、骨盤が締まっていく時は動きたいようで 緩んでいく時は休みたいみたい。 仙骨のあたりにきゅううっと力が集まるのを感じると あっ動きたい、という感覚になって だから目一杯、その時できること、やろうと思ってたことを 気持ちよく盛大にやる。動き回る。 やってるうちに心地よく骨盤の衝動が消化(昇華?)されていって そのうち「なんか少しダルいなー」「めんどくさいなー」 そんな感覚が来たら、遠慮なく目一杯、今度は休む。 やらなきゃ、とかそういうのは手放して、飽きるまで休む。 すると今度はまた、動きたくて仕方ない時が来る。 たったこれだけのシンプルな、毎日繰り返す体の周期にさえ 今までちゃんと従ってあげてなかったなー。 それぞれの欲求が積もり積もって「動けなく」なったり 逆に「爆発しそうに」なるまで溜め込んでいた。 意識の拡張と収縮は、そのまま骨盤の開閉でもあるように思う。 呼吸を、吸うだけにしよう!とか吐くだけにしよう!とか思わないのと同じに、 できる自分だけでいようとか 愛せる自分だけでいようとか つながりたい自分だけでいようとか しなくていいわけで、 愛に溢れて活動的で有能な自分がいたら同じだけ 閉じこもりたくてダラダラで何もできない自分がいる その当たり前のこと 片側だけに固執しない 学んでいます。
2011.10.08
コメント(14)
2009年のブログ記事 「がんばる」ということ 能動のヨロコビ ここらへん、いまだに気を抜くと忘れてしまって ドツボにはまる私。 ←のページの「信じ込みチェック」の話とも共通するけど 頭の「ねばならない」とか「○○のために」 じゃなくて 骨盤の「○○したい!」という感覚から動く能動性。 これほんとに大事なのよね。 これがないと、生きることが楽しくなくなってくる。 守りに入ると、死に向かってしまう。 ちゃんと狩りの態勢で動けてる時は、 骨盤が元気でお尻もぷりぷりするのです。 ほら、現代人ほっとくとサバイバルの必要薄いから なんかフヌケて生命力低下しちゃうのよ。たぶん。 食糧はありがたくも自分で確保しなくて済むので 楽しいことを狩りに行こう! そして良い尻を!
2011.10.08
コメント(10)
もう先月のことだけど、あむりた屋にて、ぱーちーをしました。mixiの方でばかり書いていたけど、実はこれで2回目。1回目は持ち寄りぱーちーにしたところ、たくさんの料理で溢れかえってしまい食べきれなかったので今回は持ち寄りたい人だけ持ち寄り。持ち寄らない人は参加費1000円という形で。うちで色々ごはんを用意するので、数人持ち寄っていただいたのと合わせてちょうどいい量、いただいた参加費はちょうど料理の材料費になって、いい感じでした昔からの友達も、はじめましての方も、最近できた友達もあっちこっちから集まってくれた、このぱーちー。みんな初対面でもいきなり濃厚な話で盛り上がっていたりして私のまわりは本当にすてきな人ばっかりだな~私、幸せ者だな~としみじみ味わってしまい。ハート全開の数時間になりました。後片付けの時まで、幸せでニマニマしてしまうほど。次回開催の時にはこちらのブログでも告知します。はじめましての方も、どうぞ遠慮なく!来てくださいなー。
2011.10.08
コメント(30)
グラウンディングのコースに行って 日々グラウンディングを意識して暮らすようになって コースの合間に出る宿題で 「グラウンディングして聴く」ということを試したとき 自分自身にしっかり根をおろしながら 相手の言うことに、何も意見しようとか、口出ししようとかせず ただただ受容的に聴いているだけで びっくりするほどハートが拡がって あまりにも愛おしさが込み上げてくることに驚いて それからは、宿題でなく、あらゆるところで この「グラウンディングして聴く」ことをしては ホクホクその喜びに満たされている。 自分が空っぽのまま、ただ受容的に聴くのでは きっと何か違ってしまって まずは自分自身がしっかりグラウンディングする その上で、ハートで聴く シンプルだけど、もう「愛さずにはいられない」みたいな 不思議なことになっております。 でね、もちろん、日常あらゆるところで、と言っても すっかり忘れて上の空で話してることだって多いし でも気付いた時には、このやり方で、人の話を聴くようにしてて 今朝。 ほんとに今頃なんだけど、 ねーほんとびっくり、超~今頃だよ!! 初めて、子供たちに対して、この「グラウンディングして聴く」をやってみたの。 身近なところほど、おろそかにしてしまいがちだよねぇ。。。 グラウンディングして接する ということは日々なるべく、子供たちにもやっていたんだけど グラウンディングした上で、ちゃんとハートで聴く これを試したのは本当に 今朝初めてのことで そうしたら、ああもうびっくりすることに こんなに、こんなに、こんなに話したかったのね? こんなに、話を聴いてもらいたかったのね? と呆然とするほど 汲めども尽きぬ泉のように、延々私にまとわりついて ウルトラマンの種類の話とか、ありとあらゆることを 話して話して話しまくる子供たち。 ごめんなさい。 今までずっと、面倒だからちょっとしか話は聞かないよオーラ、 を出してたと思います私。 決して余裕のある母ちゃんではないし 子供への愛情みたいなものはけっこう、淡白 と自認しているけど せめて一日に一回くらいは そうだなぁ寝る前とかかな 子供たちの話を、一人ずつしっかり 聴いてあげる時間を取りたいと思ったよ。 ただ、全部を受け止めて聴いてもらうこと。 それだけでどんなに満たされるか。 私も体験して、よく分かってるから。 そしてボイスで呟いたりもしたけど グラウンディングして話す、というのも これまた初めて意識的にやった時は衝撃の感覚で ハートと生命力につながって そこから話す時 アタマでは何も考えなくても 生き生きと脈動する何かが、ぶわあと自分の真ん中から溢れ出す感覚が 人前で踊ったりする時の、あの感覚とおんなじで ああ、グラウンディングしてそこから何かを発するとき それが踊りであれ歌であれ、ただのお喋りであれ 全てが本物の「表現」になるんだなと なるべくその場所からいつも表現していたいなと 思ったのでした。
2011.10.05
コメント(32)
8月から、3日間×3回に渡って、長野県の女神山にて本郷綜海さんの「グラウンディング・コーチ養成コース」初級~上級に参加してきました。昨日、上級を終えて晴れてコーチとなり、今後の活動にもグラウンディングのスキルをばんばん活かしていきますよー。数日中には、新しい活動の概要をこちらにも告知します。養成コース、上級の2日目での出来事。 予め行き先は言わない決めない、そみさんのリードで 私たちはそれぞれ深くグラウンディングして、体の動きたがるままに動く、ということをした。 ハートにつながって、骨盤につながって。 最初はいつものように、ただ自分のエネルギーと、周りの空気との官能的な接触を楽しみながら、ゆっくりと舞うような動きをしていた。 きっとそれぞれが、同じようにひとりを楽しんでいたと思う。 そのうち少しずつ、周りのみんなと、向き合ってゆるやかに踊ったり、ハグしたり。 みんな、ものすごく繊細に柔らかくなっている。 女同士のハグでもお構いなしに、溢れかえってしまうエクスタシー。 ああ、これタントラじゃん、とぼんやり思いながら、気付いたらみんな折り重なってダンゴみたいになって、ほのぼの柔らかく呼吸する一つの生命体と化していた。 時々沸き起こる、泣き声や笑い声。何が起きても、みんなで柔らかく受け止める。 (ひとりふたり、群れから外れてくつろいでる人もいたけどね) どれだけの時間、そうしてくつろいでいただろう。 それぞれが自分のいのちにつながって動くと、しまいにはみんな一体になってしまうのかもしれないなー。 その感覚を壊さないまま、外の自然を見てみて、とそみさんが言う。 テラスに出て、ざわめく木々を眺める。 あの時の感覚はなかなか忘れられない。 木々が、呼吸していた。 私たちと同じ柔らかさで、同じ官能の中で。 こんなに明らかに、生きてたんだ、木というものは! 今までどれだけ「ただの景色」として切り離してしまってたんだろう。 頭の中にある、記号としての「木」と、そこにある本当に生きている木は、まったく違う姿をしていた。 ひと呼吸ひと呼吸、吸って吐くたびに、木々と自分がつながっていることを感じる、まるで大きな一つの生命体であるような。。 そんな時間の後に、感じたことを絵にしてみて、と言われて描いたのが、冒頭の絵。 添えた言葉は「ここからつながる。世界と呼吸する」 柔らかい炎のようなものは、私の体の中にあるエネルギーで。 そこから柔らかく、世界とつながる。 つながって呼吸する。 5分くらいでささっと描いた絵では、うまく表現できなかったけど。 世界とのつながりは黄金色にきらきら輝く繊細なエネルギーと感じてて、うーん、絵だと黄色い線で微妙に描いてあるけどね。 さて、この経験をさっきぼんやりと思い返していて、いろんなことがつながってきた。 ここ最近、グラウンディングすることで自分に起きてきた変化、世界との関わり方が、あの時間にはより深く繊細に濃縮されていて、だから「こういうことだったんだ」と、ぼんやりしていたものが明確に言語化できてきた。 この数年、ベリーダンスやらあれこれの経験、出会った本なんかを通じて「性=生=聖」ということを強く意識していて。 性エネルギーの抑圧が、人間の、社会の歪みを生んでいる、ということに関しては、ほぼ確信していたんだけど。 じゃあ、どうするのが、どうなるのが望ましい形なのか?という部分が、うまく思い描けなかった。 性の抑圧を解放する、という時、いわゆるフリーセックス、もしくはそれに近い形で実現している人たちというのもいて、でも正直なところ、私にとってそれは心地よい選択とは思えないのね。 でも、じゃあどうするの? 抑圧か解放か、その2択しかないの? と考えると、何だか眉間にシワが寄ってしまう、イヤーな感じで。 でも、分かったよ。 やっと私の中で、はっきりした。 性というのは本来、現代人が一般的に捉えてる、いわゆるセックスという狭いところに押し込めてしまえるようなものじゃないんだ、たぶん。 生きてただ呼吸していることそのものが、世界のあらゆるものとの関わりが、本当は官能的で。 呼吸みたいに当たり前に、世界の全てと交歓する。それが本来のあり方で。 その広大で自然な性を抑圧して、セックスという狭い狭い部分にだけ押し込めてしまったことがきっと誤りで、セックスを抑圧したのが誤りだったわけじゃない。と思うわけ。 むしろセックスは、抑圧された性エネルギーの、ある意味はけ口みたいなものなんだろう。 あらゆるところに充満するべき官能をフタしてしまって、セックスでだけそれを許したら、それはもう、セックスが異様に特別な意味を持つのも不思議じゃないだろう。 まるで水の中でずっと息を止めた後に水面で必死に呼吸するみたいに、他で許されない官能を味わえるセックスに、みんなが執着するのも無理はない。 つまりハートや性エネルギーが、あらゆる瞬間に開くことを許すこと。それが本当の、性の解放なんだと、私は思うのよ。決して、セックスで暴走するのが、性の解放では、にゃい!(かなり声を大にしたい) そういえば古代マヤの性教育だって、まずは花の美しさを感じるところから始まるって言うじゃない。 その意味が、あの木々との時間の後だからこそ、本当によく分かる。 この2年くらい、一人でただ何もせずいる時でも、エクスタシーを感じる、という状態に時々なっていて。 どういう仕組みでそれが起きるのか、最初はよく分からなかったけど。 経験的に、深く呼吸して、体の感覚の中に繊細に入っている時、それは起きるな、と思っていた。 今回グラウンディングのコースに参加して、日常の全てを、グラウンディングして過ごす、ということを意識するようになって。 グラウンディング。 一般的な定義では、大地とのつながり、といった意味合いで使われることが多い言葉だけど。 そみさんが教えてくれるグラウンディングは、大地以前に、自分自身の肉体、自分自身のエネルギーとつながることだった。 そしてそれはまさに、私がこの2年ほどで時々経験するようになっていた「あの状態」のことでもあった。 あの状態が、最近では当たり前になって、最近の日記では「常時接続」なんて表現したりもしたけどさ。 官能をセックスだけに押し込めない。人生の全てに甘い喜びを広げていい。 そうあって初めて、セックスとの健全な関係も成り立つように感じている。ちょっとまだ、いろいろ実験段階な感じではあるけどね。 ふー。わりと渾身の日記でございました。読んでくれてありがとう!
2011.10.03
コメント(30)
※mixiで6/27に書いた日記です※歌ったり踊ったり 食べたり笑ったり セックスしたり の時間が楽しいのは それそのものの喜び、もあるが 頭の中の未来や過去じゃなくて 今ここのカラダの中にちゃんといるから だと思う 今という瞬間からしか受け取れない滋養がある と感じる ただの呼吸だって、 ちゃんと味わえば同じ喜び。
2011.09.04
コメント(7)
※mixiで5/27に書いた日記です※そみさんの「心の力」WSで、2人一組で尋ね合った。 向き合ってその問いに答える時、 なぜかものすごく躊躇して口ごもってしまった。 「つながってる感」 究極に欲しいのはこれだな、と最近ずっと思ってた。 ハートで深くつながる感覚。 それ一つ言うのがやっとだった。 他に欲しいものなんて、全部オマケみたいで それさえあれば、もう何もいらない気がしてて。 実は、そみさんがワークの説明をしてる時、一部分聞こえなくて 「えっなになに?」とか言いながらワークに突入した。 後から知ったけど、あれはハートから湧くままに答えるワークだったらしい。 それ知らなくて、一生懸命考えて答えちゃったよ。 交代して、相手の欲しいものを尋ねると 次々にポンポン、いろんなものが出てきて それが全部、ハートからの、本当に無邪気な言葉だったので (そりゃそうだよね、そういうワークだったんだもん) いちいち私のハートに響いて、涙が出た。 そしてほぼ全部、うんうん、それ私も欲しいよ、というものだったので その後しばらくもう、えぐえぐ泣きっぱなしだった。 特に、愛。愛ねー。 なんで私、愛って言えなかったんだろう。 なんで愛が欲しいって言えなかったんだろう。 「つながってる感」なんてわざわざ、無意識にややこしくしてた。 それ、愛じゃん。愛が欲しかったんじゃん。 それさえあれば、もう何もいらないのは「愛」だったんだ。 本当に、なんて素直じゃないんだろう、私。 そんなシンプルな言葉を、どっかで避けてたなんて。 愛だけじゃない、次々に出てきた言葉の その無邪気さ、素直さに、何かすごくハートが刺激された。 全然、そんなつもりなかったんだけど 私、欲しいものを素直に欲しいよーと言うこと、思うことすら どっかで抑えてたのかもしれないなー。 つながってるような、つながってないような、 やっぱりつながってるのかな。 去年の夏、初めてそみさんと対面した「魂の目的を知る」ワークショップで いろんなワークをして、最後の最後に深くグラウンディングして 自分に「魂の目的は?」と尋ねて 奥底から湧いてくる言葉を待ったら 「愛になる」 と返ってきたんだよね。 私はすごくびっくりして、本当にびっくりして、 だって愛なんて言葉が自分の中から出てくるなんて、予想してなかった。 もっとなんか、ヨロコビとか、生命力とか そういうのが私らしい言葉だと思ってた。 生命のヨロコビ、であることが私の目的だと思ってた。 愛なんて陳腐すぎて、なんかみんな言ってるし~、 なーんかよくいるふわふわした「いい人」みたいだし~、みたいな。 (実は魂の目的を知りたいと思っての参加じゃなかったんだ、 そみさんに会いたかっただけ。目的はもう知ってるって思ってた) 「愛になる」 最初すごい違和感だった。 一言で言うと「つまんない」と感じた。 なんか間違ってヘンな答えを拾っちゃったかと思って もう一度尋ね直そうかとも思った。 でも、愛になる。。。愛になる。。。 愛するでもなく、愛されるでもなく、愛になる、か~。 うーん、愛そのものに、なっちゃうんだ。 。。。 いいんじゃない? それ、いいよねぇ。そっかぁ。。。 と思うまでに3分くらい、かかったかなw それが目的で生まれてきたからには、 なれるんだと思うんだ。愛に。 今ここで、愛になる。練習を今してるところ。 最近またさぼってた、アティシャのハート瞑想で。 少し進化したのは、しっかりグラウンディングしてからやるようになったこと。
2011.09.04
コメント(4)
※mixiで4/25に書いた日記です※ずっと受けてみたかった、緒方さんのクラニオを受けてきた。 セッション前、カルテに記入していると、なぜか急に咳が出てきた。 けほけほ、けほけほ。 オプションで頼んだアロマは、ダウジングで選んでくれる。 ジャスミン、ライム、月桃、ユーカリ、ラベンダー。 すごくいい香り。 昔どこかでキネシで精油を選んでもらった時も、ジャスミンとライムだったので驚く。 ブレンドした精油を枕元に置いて、セッションスタート。 肩と膝に、ものすごくそーーっと、手を置かれた。 しばらくすると私の頭が、ぐぐぐぐ、、と横回りに動き始めた。 いや、頭は結果で、実際動いてたのは首か。 ものすごくゆっくりなんだけど、確実に動いている。 時々、連動するように、肩も巻き込むような動きをする。 制御できない不思議さに思わず声を出して笑っているうちに、首はこれ以上動かないとこまで捻れ、ストップ。 なんとなく、出産の時の動き?と思った。 頭を捻りながら出てくるよね、赤ちゃんて。 おまけに肩も巻き込んで。 あら、私、生まれるとこをやり直してる?と思ったら 「生まれたくない!生きることは痛くて苦しくて面倒だ」 みたいな感覚が体中に広がって、 うわぁぁ嫌だぁぁと思ってるうちに、緒方さんが手のポジションをチェンジ。 今度は後頭部に手が来た。 頭の中で、昨日恋に落ちたばかりの曲が流れだす。 郷愁のような感覚とともに、トルコかモロッコのような風景がどんどん出てくる。 踊る自分。たぶん過去生?その時も女性。 ふっと枕元から香るジャスミンやライム。 突然すごく胸が苦しい。 好きな男性と死別した光景が出てくる。 その後の人生をずっと「彼に会いたい」という思いから抜け出せないまま、ハートの痛みを踊りで表現しながら暮らしたようだった。 そして姿や顔ははっきり見えないものの、その男性が誰だったのかは、すごくよく分かるのだった。。。 緒方さんの手がハートに移動。 しばらく何も反応がないなーと思っていると、 急にすごく寒くなってきた。 単に寒いのか、いわゆる寒気なのか分からない。 緒方さんに言うと、毛布をもう一枚かけてくれた。 それでも寒かったので、寒気だなぁと思う。 胸が苦しくて、べったりと何かに圧迫されているようで でもそれが緒方さんの手ではないのが分かる。 手はごくごく軽く触れているだけ。 苦しい。苦しい。咳がまたたくさん出る。 その後は仙骨。 寝ていたような起きていたような、深い瞑想状態のような。 「今どんな感じでしたか?」と言われて「なんにも考えてませんでした」と答えた。 自分の中が全くの空白だった。 仙骨の下にあった手をどかされて初めて、そこに手があったことを思い出す。 完全に一体化していた。 セッションが終わると、全身がゆるゆるしている、だけど胸だけ苦しい。 でも「苦しくなった」というよりは、隠れていたものが浮上してきた感触。 こんなに胸がふさがったまま生きてたんだ、という感じ。 いろいろ雑談しつつ、どんな感じでしたか~と聞くと 出産で仙骨がかなりダメージを受けているようだ、とのこと。 くおん整体の時にげーしーさんに言われたのと同じだ。。。 年子での出産だったので、初回のダメージから回復しないまま次を産んでしまい エネルギーが枯渇したままになっているらしい。 帰り道、歩きながらその出産の話を思い出していたら 胸の苦しいところから急に「寂しかったよぉぉぉ!」という感じとともに 涙がいっぱい出てきておろおろした。 娘はとにかく全然寝ない、抱っこしていないと泣き続ける、 いわゆる超・「手のかかる子」だった。 私と夫は、かなりギリギリな精神状態になって、家庭内は荒れに荒れ。 そんな最中にまた、2人目を妊娠。 娘を妊娠していた時は、おなかに手を当てたり耳を当てたり、 話しかけたりして楽しみに誕生を待っていた夫。 が、息子の時は全くの無関心だった。 おなかに触ってみて、と言っても「そんな気分じゃない」と拒否。 私はそれがすごく寂しかった。 もうそんなことはとっくに忘れて、気にしてないつもりだったのに あの時の寂しさがぶわぁぁっと込み上げてきて、歩きながら涙が止まらない。 そうか、こんなに我慢してたのか、と思う。 私はまだどこか、夫を許してないのかもしれない、とも思う。 カフェに入ってコーヒーを飲みながら、 過去生らしきビジョンのことを思い出す。 あのビジョン、前にも出てきたことがあった。 1~2ヶ月前、やっぱりカフェにいた時。 突然「胸の、痛みが分かるか?」という言葉とともに あのトルコかモロッコのような風景がバァァ~と出てきて 何か分からないけど手の届かないものに焦がれるような、強烈な痛みを感じた。 何だろう?と思ってノートに書き留めた。 そーとー何か残ってるのかもね、怒りというか悲しみというか やりきれなさみたいなものが。 にしても、今回あのビジョンとともに、例の恋に落ちた曲、 が流れてたことで、今度江ノ島で踊るのはやっぱりあの曲にしようと思った。 何かこう、成仏してない思いがあるから、こんなにときめくんだと思うもん、あの曲に。 踊って供養だーーー。 ちなみにこの曲。Lat jaf。 (youtubeに飛びます)とてもこんな美しくは踊れないけど、ハートだけはどっぷりで。行くぜっ!
2011.09.03
コメント(7)
※mixiで4/15に書いた日記です※昨年末、合宿型のプログラムに無理を言って部分参加させてもらったインヤンダンス。 その時の興奮気味な日記はこちら。で、昨日はそのインヤンダンスの、ショートプログラムに参加してきました。 インヤンダンスと言えば、名前の通り陰と陽だったり 男性性と女性性を踊る、というのがハイライトな感じだけど 実は年末の部分参加では、絶妙にその部分をハズして参加してしまった感じで 未体験だったのです。。 今回がっつりそこを体験できちゃった 始まってすぐは、一人一人ばらばらに、拡がる陽の動きと、 縮まる陰の動きを、呼吸に合わせて静かに繰り返す。 ここでもう、動き始めて1分もした頃、 ハッという気付きとともに、ぶわぁぁと涙が込み上げてきた私。 陰の、縮まって丸まって内側にこもるような動きをしながら ああ、私は私自身のこういう性質を、どこかで許してなかったなーと。 背中を丸めて、ぎゅっと縮まって自分を守っていたい、 そんなモードの自分を何だか「ダメモード」みたいに感じていたけど 呼吸なんだよね、自然なことなんだ、陽があれば陰があるんだなと。 どこかで自分に「開け!」と強いていた微妙な圧力を知って 今まで少し許されていなかった私の「陰」が、初めてのびのびと深く息を吐いた。 私はどちらかと言うと、いやかなり、子供の頃から数年前まで この「陰」の性質がメインで生きてきた。 人見知りで、暗くて内にこもりがちで、怠惰で不活発で。。。 どこかでそんな自分を嫌っていたかもしれない。 この数年、主に歌やダンスを通して「外に開きたい自分」がどんどん目覚めて その変化は本当に劇的なものでね。 外見も中身も、だいぶ変わったと思う。 その変化が自分にとって好ましかったから余計に、 もともと強かった「陰」な自分を、萎縮させてしまったかもしれなかった。 こういうことが頭じゃなく、カラダの理解でやってきて 涙で溢れていくのがすごい、インヤンダンス。。。 その後、体中を慌しく動かしながら、速いスピードで歩き回るワーク。 全力で焦りまくる、って感じ。 あれもこれもしなきゃ!早く!早く!間に合わない!ぎゃああああ! 焦りモードが極まったところで、、、 今度は動いてるのか動いてないのか 分からないくらいにゆっくり、ゆったりと動く。きもちいい。 ゆーったりなモードを存分に味わったところで また忙しくシュタシュタ歩き回るのだけど、今度は 「体は素早く動かしながら、内側は落ち着いている」ということをする。 これねー私も数年前から、すごく意識してるの。 急いでる時、別に内側まで焦る必要はないんだよね。 内側が焦ると、すごく消耗してしまう。 体だけ素早く動かして、内側は落ち着いていれば、ダメージないの。 そしてまたゆーったりと動く。 このゆったりな動きで随分と、日々蓄積していたエネルギーの詰まり、 体の硬くなったところがほぐれて、気持ちよかった。 次は、ペアで背中合わせになって、相手のエネルギーを感じながら動くダンス。 これはね、きらくかんで整体を習ってた頃にやった、 自働運動してる人の体に触れながら一緒に動くワークにすごく似てた。 背中で感じる相手のエネルギーが、すごく気持ちいい。 その動きの波に乗るように、自分も動いていく。 お互いのエネルギーで混ざり合って、一つの生命体みたいにつながる。 しばらくやったら今度は向かい合わせに、少し離れて でもエネルギーは受け止め合いながら一緒に動く。 背中で一度つながっているせいか、すごく滑らかに動きがシンクロする。 そして今度はペアを組み替えて 向かい合って一人が動き、もう一人がただそれを見守って受け止める。 これはね、最初に動く側をやったのだけど 相手の目を見ていいのか、どこを見ていいのか分からなくて しばらくだいぶ目線が挙動不審になっちゃった。 片方が動きをやめる時、少しずつ収束していく動きに伴って 今度はもう片方がそれを受け取るように、少しずつ動きを大きくしていって交代。 この、滑らかにエネルギーを受け渡す感じが、すごーく気持ちよかった! これは長時間、延々受け渡しごっこをしても楽しいかもなーと思ったな。 2人の間に8の字みたいに、滑らかなエネルギーの流れができる感じ。 さてさて休憩を挟んで、いよいよ男性性と女性性のダンス。 まずはみんなバラバラでスタート。 力強い音楽に乗って「うー!はー!」とか野太く叫びながら 床を踏み鳴らして男性性を踊る。 超超超きもちいい。 いや、これ、一人でもよくやってるよな。。。 ちょっとこう、気合が足りない感じの時とか、家で「わしょーい!うらー!」 とか叫びながら、シコ踏んだりとかさ。。。 で今度は柔らかな曲線で、ふわふわと女性性のダンス。 これはもう、ベリーダンサー的には説明不要な感じで。。 一通り、個人個人で踊ったところで、リーナ&タバーンさんが ペアでのダンスのデモンストレーション。 みんなで輪になって囲んで眺める。 最初は2人とも男性性、力強く相手を威嚇しながら格闘技のように対峙する。 しばらくすると今度は2人とも女性性、 まるで別人のようにふわふわと乙女ちっくに柔らかく、微笑んで踊る2人。 そして今度は片方が男性性、もう片方が女性性。 ここで「威嚇する男性」と「無抵抗の女性」の感じに、 自分の中の男性恐怖の部分が反応して怯えるのを感じた。 たぶん小さい頃見た、両親の姿を重ね合わせていたと思う。 (リアルに男性が男性性を演じてる番だったので余計、かもしれない) 男女はまた入れ替わって、女性が男性性、男性が女性性に。。。 怯えたことで感情のスイッチが入ったのもあったんだけど それとは別に、男性性女性性、それぞれのエネルギーが美しすぎて その2つが向かい合い、絡まって、滑らかに流れていくさまが美しすぎて もうなんか、すごい込み上げてきちゃってさー。 ハンドタオル出して、じゅるじゅる、ちーん。。。 さてデモを見た後は、いよいよペアを組んで実際にやってみる番。 さっきそれぞれバラバラに、男性性も女性性も踊ったけれど それも充分楽しく気持ちよかったけど 相手がいて向かい合って踊ると、その良さは何倍にも増幅。 男性性同士で「うー!はー!」とやり合うのは、 そう、私の大好きなカポエイラと同じ、あの感じ。 威嚇し合ってるようで、ちゃんとエネルギーが交流している。 もう自分の中の男性性がめっちゃ喜んでるのが分かります。 打って変わって女性性同士、かなり2人してお花畑な感じ。 同じエネルギーの交流でも、柔らかいラブの感じ、うっとり系。 これまた女性性の自分が大喜び。。。 で、今度は男性性と女性性。 これはもう完全に、タントラだよねー。 何も言うことありません、て感じです。 途中で何度か男性性と女性性を交代する、その流れがまた美しい。 ペアを交代して、また同じ流れを繰り返して 終わった頃には結構な汗だく。 最後にハグしたら、息上がっちゃってるし心臓バクバクなんだけど 何とも言えない心地よい疲れ。。。 ちょっと順番違ったり、何か抜けたりしてるかもだけど だいたいこんな感じの、3時間のワークでした。 あれだけ充実した3時間ってなかなかないと思う。。。 もうとにかく体中のエネルギーの詰まりは抜けてるし 内側の男性、女性それぞれが大いに満足しちゃってるし 何だか色々な気付きはあったしで 楽しくて幸せで、うぉ~~~これ毎日やりたい!!!状態。 ほんとにほんとに良かったなぁ。 インヤンダンス、大好きです。 夏の合宿プログラム、何とか都合つけて行けないかなぁ。。。 そうそう、最近ずっと行ってないけど 私がカポエイラを始めたのはね。 ベリーダンスで女性性をとことん表現するようになったら 何だか男性性がウズウズしてきた感じで。 「オレも表現させてくれよ!」みたいな。 その、自分の中の男性性が喜んでくれるのが、カポエイラだったの。 男性的に動く、というのは一人でもできるけど カポエイラはやっぱり組んで向かい合って、エネルギーの交流が起きるのが楽しい。 自分がやっても楽しいし、人のやってるのを見てるだけでも、ほんとに美しい。 ベリーダンスは続けてるけど カポエイラもやっぱり私には必要だなー、 また通い始めよう、男性性喜ばせてあげよう、と思ったのでした。 ベリーダンスにカポエイラ、タントラだって好きだし この男性性と女性性というのは、私にとって大きなテーマなんだなーと実感。 そして私は女性だけど 内側は男性性も女性性も、同じように相当パワフルだな! というのも強く感じた今回なのでした。
2011.09.02
コメント(36)
※mixiで3/22に書いた日記です※ある方とのメールのやり取りで書いたことを、 そのまま日記に転載します。 ★ ★ ★ そこらへんはやっぱり、ネガティブへの抵抗が強いと、逆にネガティブにやられちゃうの法則かな? 感じやすいだけに、抵抗も強くなっちゃうのかも。 自分の中のネガティブを受け入れた分だけ、他人のネガティブに害されなくなるです。。 害されるっていう現象は、外側のものによって起きるんじゃなく、 自分がそれに抵抗してることによって起きるものなので。 (アレルギーで考えると分かりやすい。決して花粉とかそのものが悪いわけじゃないように。) 突き詰めてくと、ネガティブポジティブを区別してない時、 ネガティブを排除しよう、ポジティブに持っていこう (つまり治癒させようとか、より良くしようとか) としてない時に、逆説的だけどいちばん癒しが起きるんですよね。。 エネルギーをジャッジしないこと、 良いも悪いもない、ただのエネルギーと捉えることが、 自分がやられちゃわないためにも大事かもですー。 と、このへんの話は、野口整体を習ってた頃にも結構出てきて。 やっぱ治療家をやってる人だと、末期ガンだ何だと悲惨な病状の人が毎日わんさか来るわけで それをいちいち「これはひどい」とかネガティブに捉えてると それこそあっちゅー間に自分がやられて死んでしまう、と。 つまりいわゆる邪気は、自分が「邪」と判断した分だけ、自分にも「邪」な働きをするわけなんです。 意味付けさえしなければ、エネルギーはニュートラル。 そんなところでしょうか。。 まーでも人間なので、何だかんだ言っても多少のジャッジはしちゃうものなんだろうな、悟りの境地でもない限り。 潜在意識レベルとかまでは、自分じゃ把握しきれないし。 そんなわけで私の場合、くおん整体にしろ他のボディワークにしろ、 人に触れる時は何かを治そうとか良くしようとか思わず、 ただ無心に触れてます。 捉えようによっては「邪気」と呼ばれるもの、を感知することはあっても、排除しない抵抗しない。 ただただ触れる。感じる。味わう。 結果、いわゆる「もらっちゃう」的現象は起きてないです。(※たぶん) てゆーかあれだ、んなこと言ったら私こそ邪気のカタマリなんじゃ、って説もww あ、これ大事な話っぽいから、日記にも書こうかなぁ! ★ ★ ★ というわけで、早速日記にした次第でございます。。。 ここらへんの仕組みについて気付いたきっかけは (私のブログとかを読んでくれてる人は、飽きるほど読んだ話かも) ハタチ頃、電磁波過敏症になった時。 携帯やらパソコンでいちいち体調を崩すようになって だんだん日常生活がままならなくなるにつれ 「これってもしや、電磁波が悪いんじゃなくて、電磁波を悪いものと捉えてる私の意識が症状を呼んでるのでは?」とひらめいたわけです。 そこで何をしたかって、かなりおバカっぽいんだけど ノートパソコンをね、一人がしっと抱きしめたわけです。 そしてそこで湧き起こってくる抵抗感をどんどん手放した。 「今まで嫌ってごめんね、電磁波さん」とかブツブツ言いながら。 恐怖、抵抗を手放して、最大限ラブな感じで電磁波と向き合ったのよ。 電磁波を、受け入れた。愛してみた。 以来ピタリですよ。 電磁波過敏症、治っちゃった。 この経験で確信したんです、間違いない、自分を害するのは外側のものじゃない、自分の意識だ、と。。。 その後「砂糖アレルギー」とかでも似たような経験をして 砂糖との仲直り、みたいなことをしてみたり。 細かいことも含めたらいろんなジャンルで、 自分の中の抵抗感を発見次第、手放してく、みたいなことをしております。 敵とはとにかく仲良くなれというか、敵はほんとはいないんだぞ的な。 で、昨今の放射性物質だか、放射能だか放射線だか(ごめん区別がイマイチ、、) に関しても同じことを思うわけです。 恐れてる分だけ、害されるであろうと。 そのへんのことは、この日記にも少し書いてます。 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1690279305&owner_id=69178 でさ、この日記でも言ってるみたいに 「そうは言っても」 どんだけ「私は大丈夫」と思ってても、普通は炎に巻き込まれたり 水に呑まれたりしたら死んじゃうわけ。 というのは、集合意識とか潜在意識のレベルでしみついた恐怖、があるからだと思うんだよね。 何せ人類、先祖代々、火とか水を恐れて避けながら生き延びてきたわけだから。 そのインプットされ具合ときたら多分、遺伝子レベルで強烈。 たまにいるでしょ、ヨガの修行とか極めちゃって、 毒物飲んでも、地面に埋められても死なない人たち。 ああいう人って、集合意識レベルの恐怖まで超越に成功した人なんだと思う。 「食べなきゃ死ぬ」という恐怖を超越して、完全な不食で生きてる人もいるしね。 でさ、放射性物質?にしても、表面で「大丈夫でしょ」と思ってても 特に日本人なんかね、原爆の経験があるから、集合意識的な恐怖はすごく強いと思うの。 そういう意味じゃ、いくらのほほんとした人でも、どこかで多少害されちゃう部分はあるかもしれない。 基本的には、恐怖は受け入れて超越する方向が正解だと思うけど 実際のところ、いきなり受け入れられるレベルには限度があると思うわけ。 だからね、明らかに放射性物質、怖くてたまらないですって人は 無理しないで逃げた方が絶対手っ取り早い。 本人が安心できることが何より大事だから。 アレルギーなんかにしても、いくら大丈夫と思いたくたって アナフィラキシー起こして死んじゃったらどうしようもないわけで。 一時的な手段として「除去」もアリというか、それしかない場合も多いよね。 私も一時は完全な砂糖断ち、しましたから。。 向き合うには大きすぎる恐怖なら、まずは排除する。 でも最終的に向かうべき方向は排除ではない、そこは通過点、と思っております。。 ※補足※ 放射性物質だとか花粉、電磁波、卵アレルギーなら卵など 「症状の引き金になる物質」に対する恐怖は、実際は二次的なものだと思うの。 卵アレルギーの人は最初から卵が怖かったから、アレルギーになったわけじゃない。 大人ならそういうこともあり得るけど (知識として卵がアレルギーを引き起こしやすいことを知ってて、恐れてるうちに本当にアレルギーになっちゃうとかね) 何も知らない赤ちゃんが、卵に恐怖を抱いてアレルギーに、、とかはまずないよね。 根本的には、もっと根源的な恐怖、人として当たり前の、 死への恐怖、愛されないことへの恐怖、などなど。。。 そういったものが誰しも内側にあって、その度合は人によって違う。 恐怖を抱えたまま生きていくには、いろんなレベルで心身を緊張させることになる。 「警戒モード」というかね。戦闘体勢というか。 で、その緊張してる部分に、外側のものが「引っかかる」わけだ。 分かりやすく物質のレベルでもそうだし、 感情的にも他人の言動が引っかかって傷つく、とかもそうだよね。 本人に恐怖がなければ、外側のものは調和して、ただ通り過ぎてく。 恐怖があって緊張があると、そこに戦いが起きて、症状が起きる。 だからいくら頭で「放射性物質、ぜーんぜん大丈夫」と思ってても ふだん抑圧してる死への恐怖がとても強かったら、そこに放射性物質、引っかかってくるかもしれない。 それこそ放射性物質なんて知りもしない子供でも。 私の砂糖アレルギーなんかも、砂糖そのものへの恐怖もあったけど (砂糖は体に悪い、太る、などの恐怖) それはやっぱり二次的なもの。 根本的には、愛されないことへの恐怖と砂糖が結びついてたのね、私の場合。 だから砂糖そのものと仲直りを果たしても、 愛されないことへの恐怖が立ち上がってくるたび、何気に軽く再発はしてるの。 そこは根本を完全にクリアしない限り、仕方ないのかなーと思ってる。 ※補足の補足※ (w 面白いことにね、愛されないことへの恐怖をしっかり感じてる時は アレルギー症状、起きないの。 症状が起きるのは、感情にフタをしてる時。 もちろん無意識のうちにだけどね。 おっかしいなー調子悪いなーと思うと、感情にフタしてたことに気付く。 表層意識にのぼってくる前に、自動反応でブロックしてるんだよね。 つまり、肉体的な症状を引き起こすのは 「抑圧した恐怖」なんだと思う。 恐怖を恐怖としてちゃんと感じていれば、少なくとも肉体症状は出ない。 そういう意味じゃ、表面で自覚できてる恐怖感というのは、 まだかわいいもんなのかもね。
2011.09.01
コメント(34)
人前でのパフォーマンス、人前で自分を開いていくこと、が ものすごくテーマになってる感じの今日この頃。 ベリーダンスのハフラがあったり、ショーに飛び入り参加したり、に続いて ばっちりのタイミングで2度目の「魂うた」、参加してきました。 初参加の時は、もうとにかくみんなの前に立っただけで怖くて怖くて すくんで、震えて、怯えて、どうしようもない状態。 もう消えてしまいたいような感覚から、やっと何とかビビりつつも ともかくは「みんなの前で声を出す」というところまでは辿り着いたのでした。 そりゃーもう、消え入るような声だったけどね。 そう、あの時はすごく悔しかった。 本当はあんなもんじゃないのに。 私の中にもっと、燃え上がるような、表現したくてしたくてたまらないエネルギーがあるのに 全然それを開けなかった、不完全燃焼だったのが悔しくて。 さて今回。 立て続けのダンスの後だったので、もうあの時ほど緊張しないだろうな、と予想してたけど いざみんなの前に立ってみたら予想以上、ほとんど緊張してない自分に驚き。 みんながこっちを見ている、でもその視線が怖くない。 見てくれていることが嬉しくて、幸せで。 ちゃんと一人一人と目を合わせることができる。暖かいものを感じる。 が、しかーし、声を出してみると、あらーやっぱり、へなちょこな声しか出ない。 みんなの前で「そこにいる」ことはクリアしても、声となると、、、 まだまだ途端に萎縮している私。 そみさんが「シャウトで!ロックンロールで!」と横でけしかけてくれる。 私が歌ったのは「真夜中のギター」、全然シャウトでもロックンロールでもない曲なんだけど(笑) もうとにかくやけくそに全力で、シャウトでロックンロールしてみる。 人前で簡単にやけくそになれる程度には、タガが外れてきている私。 足を踏み鳴らして練り歩いたり、その場で踏ん張ったり とにかくぐぐっと下の方から絞り出した。 すぐに、声のタガも外れた。 途中、そみさんが何か不思議なことを言ったのを覚えてるんだけど 内容が何だったか思い出せない。 「そこの空間に、みんなの何とかを集めて、ほにゃらら、、、」とかだったような。。。 何だっけ、場を変容させて、とかそんな言葉だったかな? 「えっなになに?分からない」「分からなくていいから!」 というわけで、分からないなりに、そんな「つもり」で歌ってみた。 内にあるものを全力で投げかけて、そこにいる全員と、本気でつながる感じで。 すると、、、 全然、いい声とか上手い歌い方とかができたわけでもないのに ものすごく気持ちよかった。 初めて本当に、自分を開くことができた気がした。 そして見てくれている人が、うぇーんと泣きだす声。涙ぐんでいる顔も見える。 私も、震えた。 殻が破れて、何かが開いて、生まれ出る時、 それは本当に、リアルな出産の現場に似ている。 初めてそみさんのワークショップに参加した時に思った。 そみさんは名・助産婦なんだ。途方もない愛をもって、誕生の瞬間に立ちあって、サポートしてくれる。 そして何かが生まれる時の理屈じゃない迫力、 いのちの震えのようなものは、その場にいる全員を震わす。 魂うたって、そういう感動の瞬間が何度も何度も訪れる、ものすごいワークショップ。 そんなこんなで、当面は上手に歌うとか何とかは忘れて とにかくシャウトでロックンロールな感じで(笑)リミッターを外すことだけを 自分に課してみることにしました。 ここらへん、すごーく疑問だった部分なので、ほんとによかった。 「声」に関して、自分なりに数年間色々やって向き合ってきたけど 何をどうしたら先に進めるのか、よく分からなくなっててね。 とにかくまず「声を出す」ことそのものにブロックがある、 下の方に渦巻く巨大なエネルギーを、全開で出すことに抵抗がある。 だからそれを打ち破るようにひたすら全力でシャウトする、のも試みていた。 かと思えば囁くような小さい浅い声でも、すごく気持ちよく歌える時もあるし 声のコンディションというのはとにかく毎日違う。 そしてまた色んなモードの自分、優しかったりかわいかったり強かったり乱暴だったり、本当に色々な自分がいて。 それをどっちの方角からどういう風に、統合したり前進させたらいいのか分からなくて。 とにかくまずはブロックを打ち破るのが先なんだな、と分かったのが大きな収穫だった。 突き抜けて突き抜けてしまえば、あとは色々なモードの自分を統合していくこともできるかもしれない。 、、、と 自分の番はわりと早くに終わってしまって、 その後たくさん見た、他の参加者さんたちの数々のドラマが もう濃すぎて濃すぎて、実はこれでも自分の分の記憶はだいぶ飛んでます。 皆さんほんとにね、すごかったよ。 とてもじゃないけど書ききれません。ぶはー。 一つすごく印象に残ったのは、いつどんな状況で出てきたのか忘れちゃったけど そみさんが言った「歌うのは、自己耽溺だ」という言葉。 うわー、それだ!!!と思ったのよね。 人前で気持ちよくなってはいけない。 人前でコントロールを失ってはいけない。 という、強烈な抑圧があるなぁと。 歌ったり踊ったりすることへの抵抗は、大部分これかもなーという感触。 そうなのよ、歌ったり踊ったりって、すごく気持ちいいでしょ。 それを人前でするのって、えーと敢えてこんな表現しちゃうけど 「公開オ○ニー」みたいなもんじゃない? って考えると、そりゃ抵抗あるのも頷けるよね。。。 あらゆる表現って、根っこはセクシャルなエネルギーなのに その気持ちよさ、性的な側面は、社会的に「見せてはいけないもの」という 強烈なタブー感がある。 そこを抜きに表現することなんか、ほんとはできないのに。 性エネルギーの解放がテーマだからこそ、私もベリーダンスという すごくセクシャルな部分を前面に出したダンスに、心惹かれてるんだろうね。 何せやっぱり、ベリーダンスを初めて見た時の感動って 「性エネルギーは、出してもいいんだ!見せてもいいんだ!それは美しいもので、喜びなんだ!」 というところに尽きる気がするもの。 えーと今回の魂うたについては、ほっといたら3日くらい語れそうな気もするんだけど 結構いい時間になって参りましたので、本日はこのへんでー、おやすみなさーい! いやいやほんと、最高でした。 もうね、まずね、そみさんが最高よ。ほんと大好き!
2011.01.31
コメント(32)
1年ほど前に、mixiで書いた日記。【うめ組・まーれいじゅね】バレエを習い始めたばかりの私は、幼稚園のうめ組の朝のお歌が終わり「せんせーおはようございます、みなさんおはようございます」のお辞儀をする時、夢見心地でバレエ式の優雅なお辞儀をした。一番後ろの席で、誰も見てないと思って。 その瞬間、聖子ちゃんカットの、今で言うギャルな、超キレやすい担任T先生の怒声が飛んだ。「まーれいさん!今何の時間だと思ってんの!ここはバレエ教室じゃないんだよ!」 …がびーん。 一斉にこちらを振り向く園児たち。 ガヤガヤする教室。 固まる俺。 というのが、私の一番古い記憶かもしれない。いや、どっかの遊園地でオシッコ漏らした記憶の方が先かな? ともかく、当時の私にとってはかなり強烈だったようで、あの時の教室の匂い、先生の声、消えてなくなりたい気持ち、涙を我慢して顔がすっぱい感じ、全て鮮明に覚えている。 ここ最近よくあのシーンを思い出す。人前で踊ることが私にとってこんなに恐怖なのは、きっとあの時のあの子が私の中にまだいるから、でもあるんだろう。 あの子はまた、家ではかなり静かにオドオド暮らしている子でもあった。 足音を立てないように、大声を出さないように、泣かないように、目障りにならないように、怒られないように。でもそれが当たり前だったから、自分が怯えていたことに気付くのは随分と後になってからだ。 踊ることが大好きで踊りたくて仕方ないあの子は、でも踊ったらまた傷つくことになると思っている。誰も見てない時だけキョロキョロしながら出てきて、そーっと踊りだす。安全だと分かるとはじけたように踊る。全開の笑顔で。 私はあの子を安心させてあげたい、んだよねー。ほら大丈夫だったじゃん、誰も怒ってないよ、という体験を上書きしてあげたい。それは私にしかできない。 昨日リハーサルの一山越えて、やっと呼吸が深くなってきた。体がゆるんでるってどんな感じだったか久々に思い出したよ。この2~3ヶ月、何だかダンスのことしか頭にない感じになっている。どうもこの人前で踊るというのは、私にとってかなり重要な儀式らしい。リハーサルで頭が真っ白になった後、家に帰って「よくやったじゃん、とりあえず踊ったじゃん、何も覚えてないけど」と言ってみたら、あの子がうえーんと泣いた。あの子というか私が。これは初めてのハフラの直前に書いた日記。あれから約1年、私にとって3回目となるハフラが昨日でした。今回、超えたかも!?超えちゃったかもだよ!? もうね、へったくそなのはいいんです。しょうがないの。 急に魔法みたいに上手くなれるわけない。 それすらも、ほんと前日くらいまで、どっかで諦めきれなかったんだけどね。 こんな下手なの、人に見せられない、うぇーーん、って思ってたけどね。 やっと直前になると腹くくって、いかに楽しく踊るかだけを考えるっていう。 今までの2回は、表現したい、はじけたい、楽しみたい自分と 人の視線が怖い、固まっちゃう自分がせめぎ合ってせめぎ合って どうにも中途半端なまま、オドオドと踊ってたんだけど。 今回やっとね。初めてね。表現したい自分が勝ったの。圧勝。 もちろん緊張はしたよ。したけど。 人の視線をむしろヨロコビで受け止めて、ちゃんと呼応して 心底から笑って、曲を感じて、楽しんで踊れた。 なんかね、すごーーーーーーく嬉しい!楽しかった! 本当に楽しかったよーーーー 何だか、子供の成長を見守る母ちゃんのような気分です。 よかったねー、よくここまで来たね、って。
2011.01.24
コメント(11)
うまく言えないんだけど 最近、すごく「愛されてる」のを感じる。 私が何もしなくても、それどころか色々迷惑をかけたりしててさえ、 たくさんの人があちこちから、暖かい手を差し伸べてくれて 頼んでもいないのに、願ってもない情報をどんどん届けてくれたり 何の気なしにやったことに、びっくりするほど喜んでくれたり。 世界って、こんなに私に優しかったの?と思う。 慣れてないので、まだ少し戸惑う。 もしかして、最初から世界は優しいところで ただ私が勝手に難しくして、頑張って、空回りしてたのかもしれないなぁ。 もしかして、こうやってただ安心して、 わーいありがとうってパヤパヤ生きててもいいのかもしれないなぁ。。。
2011.01.15
コメント(7)
好きな音楽をかけて気持ちよく踊る。踊り、ですらないかもしれない。ただ気持ちよく動く。踊りみたいな時もあるしストレッチみたいな時もあるしただ揺れてるだけの時もある。どこか痛いところ、不快なところがあってもそれを治そうとしない。そこが動きたいように、動かせてあげる。あくまで「きもちよさ」にフォーカス。これだけで、すばらしく、調子よくなるんだよねぇ。。。どんなエクササイズよりも、毎日欠かせないのは、これ。どんなに「もうだめだー!」という時でも 絶対どうにかなっちゃうのが、これ。
2011.01.11
コメント(16)
先日初めて開催した、摂食障害WS。 参加者はなんと1人!だったんですが、まぁドンマイ 地味に毎月続けていこうと思ってます。 今までの経験を全力で詰め込んで、かっ飛ばしますよー というわけで、 来てくれたのは以前にもレインドロップを受けてくれたTさん。 mixi日記に感想を書いてくれたので、転載させていただきますありがとーう!! ★★★ あむりたさんのとこで、摂食障害ワークを受けて来ました。 高尾まで行くのに、紆余曲折あったけど、あむさんに「はぐはぐ~」ってはぐされたとき、全部どうでもよくなった!笑 やっぱりからだの触れ合いって素晴らしい。 あむさんの、アジア漂う素敵なお家で、いろいろ書いてある紙をいただく。 あぁ、摂食障害ってむしろありがとうって言わなきゃなんないものって、気づく。 そして摂食障害に囚われずに今を生きることが大切なんだ、って、気づく。 そのあと、ベッドでぐだぐだワーク。笑 自分の生い立ちや経験やこれからやもしもを、書いていく。 自分の思考が外面的になるだけで、全然違う。 とても濃密でいい感じの時間。 気づくところとか、気づけない、本質にたどり着けないところとか、いろいろ感じました。 そのあと、体の使い方、小顔マッサージ、愛情について、愛情が不足したらどうするか、わたしの経験、怒りの表し方などなど、ほんとに何時間も聞いたりアドバイスくださって、しやわせ~な時間でした。 ほんと、次も行きたい!体の使い方は、特に参考になったところで、なんでもノルマにしてしまうわたしが、「エネルギーの解放」だけを求めるようになりました! ほんとに嬉しい。 摂食障害が治るとか治らないとか、そんなんじゃない。 自分が気持ち良く生きられるかどうか。 そこに気づけただけで、行ってよかったと思います。 ★★★ そうそう、摂食障害は、治そうとして治るものじゃない。 治るのは「あくまで結果」なんです。 症状に捉われちゃうと、泥沼化します。。。 結果的に自然と治っちゃうような、そんな暮らし方のコツを 自宅でぐだぐだゴロンゴロンしながら話したり、 はたまた真面目にワークしたり、時には大声出してみたりする、 ゆるーい(でも濃~い)WSです次回の開催は2月4日。ご参加お待ちしてまーす!◆摂食障害克服ワークショップ◆ 少人数で和室でゴロゴロくつろぎながら(横になっていてもOKです!) 摂食障害の克服に役立つ色々なお話、ワークなどを行います。 今までカウンセリングで行っていたことを全て盛り込んだ内容です。 ・過食を生む心の仕組み ・症状との付き合い方 ・ラクになれる日常の過ごし方 ・人生の方向性を知るワーク ・感情を解放するワーク ・自分を好きになるカラダの使い方 などの他、その日その場で起こることを尊重し、自由に進めていきます。 主に過食の方向けの内容ですが、現在拒食の方、過食と拒食を繰り返している方にも もちろんご参加いただけます。 詳細はこちらをどうぞ→★
2011.01.10
コメント(16)
先日イオンモールに向かう車の中で わけもなくハートがぶわーと開いてて それを味わいながらふと、気付いたことには 私のハートは普段は女性的で 女性性の喜び、という感じで開くか、 もしくは性を超えた、ニュートラルな感じで開いているのに この時はどうもすごく、男性的な感覚で開いていた。 何だか新しい体験。 しばらくハートを味わっていると 長いまっすぐな髪の、若いネイティブアメリカンの男子が出てきて あぐらをかきながら、楽しそうに軽やかにお喋りしたり はじける笑顔で踊ったりし始めた。 うん。 この男子、私の中にずっといたな。 でもなんか今すごく、彼が元気みたい。 去年は今までにない驚異的な勢いで 私の中の女性性が引き出された1年だった。 久しぶりに会った人がみんな「女子になったねー!」と驚くほど。 その陰でひっそりしていたと思われる男性性、 どうしてるのかしら、とちょっと気にかかったりしていた。 あまりにも女性性が前面に出てしまって 男性性が息苦しくなってるような気がしてたの。 こないだがぶちゃんとやったワークでは 男性性、すごく萎縮して、砂漠で一人ぼっちだったし。 でも何だか、先日出てきた男子は元気で。 嬉しかったなぁ。 にしても、自分の中に本当にたくさんの人格が隠れてるんだなーと最近驚く。 それぞれの人格になりきって踊る、とか楽しいかもしれない。 超ネガティブなインナーチャイルドとかも込みで。。ネイティブアメリカンと言えば、これ買うか迷ってます。オリジナル味のは大きいパッケージで持ってるんだけどフレーバーつきのも試してみたい。。(これ便秘の時にかなり効きます、私の場合。あと肌にもいい!)【JWT】【ジェイソンウィンターズティー】【日本未発売】楽天ランキング入賞アイテム!【JWT】...価格:1,650円(税込、送料別)
2011.01.06
コメント(17)
グラウンディングの弱さには定評のある私ですが、、 何気にそこだけ改善すればかなり調子いいことに先日気付き、 日記にも書きましたが、、 グラウンディングってやっぱり、気持ちだけじゃだめね!!w 夫の実家に帰省の際とか、今みたいにお正月とか、 家でゴロゴロして何もすることなし、、という時。 決まって私、生ける屍くらいに無気力になって、ほんとダメダメになるですよ。 今日なんかもうね、洗濯機のスイッチ入れるのに数時間かかったし、 おしっこしに行くのも数時間かかったし(死んでるね、ほぼ! 普通の人なら数日の休みくらいでここまでにはならないんだろけど、 ほら私、たぶん元がヨワヨワだから、、 重症化が早いんじゃないかとw 第一チャクラを活性化するのに、 私の体感として、必要と思われるのは、、 ・歩く。まず物理的に、動かす! ・自分の意志と責任で行動する 歩くのはねー、ほんと侮れないというか、現代人が異常に歩かなすぎだよね。 んで、2番目のだけど、これは一人旅とか行くとすっごい元気になることで気付いた。 誰か一緒にいて、ボーッとしてても道に迷わずに済むとかじゃダメなのよ。 自分でちゃんと見て、感じて、調べて、自分がやらずに誰がやる、みたいな状況にあると、すっごい元気。 旅は旅でもなるべく知らない土地、海外だとなお良し、なのは、生存がかかってる度が高まるからだろね。 自分の力でサバイブする、感覚、なんだろなー。大事なのは。 ほっとくと私、すぐボケーとして、近くにいる人に何でもお任せしちゃうからな。。 というわけで、地面に埋まる感覚とか、ここにいていいんだよとか以前に、 まず歩こう! そして少しは生命を危機に晒そう! という教訓を得た正月なのでした。 まったく、現代病だよねぇ。。 ※追記※ この数日、歩いてないわけじゃないのよ。 車や電車でお出かけだけど、行った先ではそれなりに何時間も歩いてる。 でも、家族でお出かけ、なんだよねぇ! 子供のペースに合わせるでしょ。 あっちへちょろちょろ、こっちへうろうろ、ゆっくりのんびり、でしょ。 野口整体では妊娠中、「自分のペースで」お散歩することをすごく重視して 上の子がいる場合は誰かに預けて、あくまで一人で歩け、って言うんだよね。 あの意味がすごく分かる気がする。 自分のペース、自分のスピード。 自分のいのちのリズムで歩かないと、それは歩いたことにならない、 何だか体感として、そう感じる。 誰かに合わせてたらダメなのよね。。。 まさに「自分の意志と責任」 生き物として「こうしたい」という自発的な、主体的な動き、 これってすごく根源的な、大切なことのような気がする。 速い遅いとかじゃないのよ。 一緒に歩くのが、たとえ自分と同じくらいのスピードの人だとしても。 「歩調を合わせた」時点で失われるものが確実にある。 もちろん他人と協調する時間も絶対に必要なんだけど 「自分のいのちのリズム」「自ら湧き上がる意志」 これもこれで、確保が必要ね。
2011.01.03
コメント(39)
あけましておめでとう! って、mixiの方ばっかり日記書いてて、こちらを忘れてました 本当にたくさんの、濃くてすてきな出会いがあった2010年。 出会ってくれた皆様、関わってくれた皆様、 ほんとーーーにありがとう!! そして今年もよろしくね。 1年のシメにインヤンダンスに参加できたことが 本当に最高の区切りとなって、 また新しい年を生きる方向性がクリアになりました。 普段は新年の抱負とか目標とか、立てる人じゃないんだけどね。 あの瞑想で見た感動的なビジョン。 人格としての「私」を超えて、 地球のすべて、宇宙のすべて、 その本質であるところの生命の躍動を 余すところなく生きてみます。 みんなのいのちと、溶け合って、はじけ合えますように。 世界はやっぱり、すてきなところだなぁ。 うまれてきてよかった!いぇーい!
2011.01.02
コメント(12)
今年の5月からずっと気になっていた「インヤンダンス」、念願叶って参加しました。台湾のデバラジという人が主催するワークショップ。詳しくはこちら。本当は3泊4日の合宿型ワークショップなのだけど、家庭もあるし年末年始だしで通し参加は難しく、初日の夜と3日目の昼間だけ、スポット参加してきました。これがねー、もう本当に、最高だった!部分参加でこれだけのものを持ち帰れるなら、通しで参加したらどうなっちゃうの!?と思うくらい。人生変わっちゃうんじゃないかしら?【まずは初日の夜】体の各パーツに先導させて踊るダンス、 動物や魚になって大自然を駆け抜け、洞窟で三賢者に質問する瞑想、 組んだ相手を父母に見立て、父母のエナジーの前に自分のダンスがどう変化するか見るワーク、 そして第一チャクラに呼吸を入れてのカタルシスの後、 両親に不満だったことを語り、今度は両親の立場から返答し、 最後は両親のエナジーを抱きしめる。。。 (カタルシスあたりからもう、号泣) どれもこれも良かった。最高でした。 デバラジ氏のトークも濃いこと濃いこと。当初はこの日だけの参加のつもりが、どうしてももっと出てみたくなり無理を言って3日目にも急遽合流させてもらうことに。【3日目昼間】両腕を二頭の龍に見立てて踊るダンス、 体の中に深く入って、細かいパーツにフォーカスするダンス、 横になって短時間のブリージング、カタルシス、 そしてその流れで出てくる感情を踊る、踊る、、 笑いながら泣きながら、叫びながら。 ひたすら踊った後、誘導瞑想。 潜在意識に深く入っていって、人生の色々なストーリーが映し出された100のスクリーンに向かい合う。 その向こうにいるのが、本当の自分。 「私は誰?」 全力で問いかけるたび、スクリーンが一つ壊れて向こう側が見えてくる。 叫んで叫んで、全てのスクリーンが壊れて、しーんとした空間の中、もう一度「私は誰?」と問うて静かに待っていると、、、 (もうこの時点で涙でぐちゃぐちゃ) 突然ばーーんと現れる壮大な夕陽、飛び交う鳥たち。 まるで映画でカメラがぐーんと空中を滑走していく時のように視界はどんどん展開し、 夜の闇、明け方の空、波打つ海、 深い森、走る動物たち、落ち葉でいっぱいの大地、 砂漠、赤ん坊、恋人たち、そして宇宙、星々。。 何かドラムのような鼓動のようなリズムとともに全ての景色が現れては消えて、 だけどそれは一瞬のうちに起きて。。 ああいうのを走馬灯と言うのかしら? 全く私のマインドが想像していなかったその映像に もう、ただただ号泣でした。 そうか。 私は「全て」なんだな。。。 なんとなく、頭では分かっていたような答えだけど、 もうあの映像の圧倒的な迫力は、そんな言葉を超えてた。 あの、生命の躍動。 まだ、思い出すとハートがぶわーとなって、涙が出てきます。 ほんとに、行けてよかった。 ありがとう。。。 なるべくいつでも、いのちを、「全て」を生きられますように。
2010.12.31
コメント(1)
レインドロップ、小顔、カラダの使い方、を受けてくださった皆さんからの感想です。 ありがとう~ まとめて3つ、ご紹介。 小顔は最初、横になってもらって私がマッサージしてたんだけど 鏡の前で一緒にやって、覚えて帰ってもらった方がいいよね?ということで 今はその方式にしております~。 ★★★ 一週間前の出来事であったなんて、なんだかもう信じられません。 とにかく前日から浮上してくるモノがありまして、 行きの電車の中でもとろとろと眠くて眠くて、 ここでももう何かが始まっている感じ。 あむりたさんは、とにかく懐深い感じの、野生のケモノのようなしなやかさを持つ人で、わたしはしばし見蕩れ気味。 (でもなぜかそこに、自身もお好きだという「小島よしお」がまぶされている) そのあむりたさんに、まずは身体の使い方から教わる。 ハートの開き方とグラウディング。 女性であることを楽しむような気持ちを、身体から植えつける。 そしてそして、レインドロップ。 まずは足元。 それから、シルクのような手触りで、背中を下から上へと撫で上げられ。 結構不思議な感覚。 仙骨、「きもちいーーーーー」 って言っていただき、自分では何も感じないのでテレくさい。 で、終了後のほうがなぜか、あむりたさんの存在がまぶしい。 (どうやら、わたしの仙骨パワーにうっとりしたあむりたさんが、エネルギーチャージしたせいだ) なんだか気恥ずかしくなって、お子さんたちのことも気にかかり(早くかかに会いたかろうと思い、)、そそくさと玄関へ。 そしたら、長い腕でハグ。 すごく照れくさいんだけど、温かな、ハハの力量のようなものに包まれて、しばし幸せ。 帰り、熟睡かな~なんて思ったけれど、案外、しゃっきり。 で、その後。 たまたまかも知れないけれど(ごめん)、他人からのネガティブなものに取り込まれなくなった。 以前は、他人の愚痴に共感して、怒ったり泣いたりすることがむしろ当たり前の行為、というか、他人の感情に同じように寄り添うことが義務とすら感じていたのに、そう出来なくなっていた。 少し離れて、目の前で泣いてる人が可愛いなあ、といとおしく思ったり、へたすると泣いてる原因の人まで、人間としてのおかしみがあっていいなあ、なんて思ったり。 ・・・泣いてる本人からすると、ちょいと人でなしのような立ち位置。 第二弾、お願いしたいと思っとります! ★★★ 樹音ちゃんの家におじゃまして、いろいろおしゃべりして、いろいろしてもらうのは、とっても楽しかったです。 最初にしてもらった顔のマッサージ、気持ちよかった。 そして、してもらった後は、顔の、皮膚ではなくて肉が、ぽわんぽわんと柔らかい感じ。 あの後、毎晩、湯船につかっている時に、樹音ちゃんにしてもらったのを思い出して、自分でやってます。 ぽわんぽわんが持続して、皮膚もふわふわ柔らかい気がする。 目もよく見えるし、音もよく聞こえる感じ。 姿勢のエクササイズも、勉強になった。 形状記憶筋肉と肩甲骨のエクササイズは、生活のリズムの中に取り込んで、毎日やってる。 おなか、引っ込むね! あと、肩こりが楽になってきたみたい。 姿勢は、ベリーダンスのレッスンで言われたりしてたこともあるけど、その違いを実感していなかったし、日常生活に活用するって考えがなかった。 その場でボディラインがきれいになるのにね。 まだ身についてないから、しょっちゅうチェックしてる。 気がついたんだけど、普段、変な姿勢を維持するために、腰や背中に変な力を入れ続けてたのね。 ちゃんと姿勢が維持できてると、腰の筋肉が楽なの。 座っている時も、ずいぶん腰を反らしていたんだなぁ。 レインドロップは、とっても気持ちよかった。 あの日、一日中、仙骨のあたりが気持ちよかったよ。 何か大きな変化は、特にはなかったみたい。 ただ、関係あるかわからないけど、受けた翌朝、起き抜けにいきなり、布団の中で、自分を抱きしめて、「○○ちゃん、好き。大~好き。」って言ってた。 そんなこと、言うのもするのも初めてで、何してるんだろって、我ながらびっくり。 でも、なんかしあわせな気分がしたので、あれから毎朝やってます。 モニターさせてもらってよかったなぁって思ってる。 自分の体のことが、前よりもわかるようになったと思う。 どうもありがとうございました!(^-^)/ ★★★ あむりたちゃんの自宅にて、小顔マッサージをレクチャーしてもらってきました。 初めてお邪魔したけど、実は子供の頃からずっと素敵だなと思っていたアパートだったので、私が一体どれだけウキウキしたか(笑) 念願のお家は中もとっても素敵で、あむりたちゃんの独特な空気で満ちていました。 美味しいチャイをいただきながら、あれやこれや話し、まずは優しく頭蓋骨を調整するクレニオを受けました。 仰向けに寝て、頭を優しく触られていると、手があったかくて気持ちいい。 うす紫色と水色のエネルギーがおでこの中でゆっくり廻っている感じ。 それはどんどん力強いエネルギーになって、出口がないのかくるくる廻ってる。 と思ってたら「(頭を触ってる)手が!汗かいてるー」と、あむりたちゃん。 「もしかしてエネルギー強い?笑」と言われたので、そうかも‥?と答える。 でもあむりたちゃんのエネルギーもかなり強いので、おでこの中でくるくる廻ってるエネルギーがどんどん強くなって かなり上の方に引っ張られそうな、頭の中が共鳴してわんわんこだましているような感覚で。 グラウンディングを意識しよう、と思い、まずはこの家と一体になるように意識を下へ向けていく。 エネルギーはまだまだ溢れているので、高尾の土地に「私」を広げていく。 高尾と一体化していく。 そして八王子いっぱいに私を広げ、おでこに溜まってたエネルギーが頭頂部から全部抜けていったところでちょうど「はい、おしまいです」 今まで、平和が一番と思ってはいても、外国の戦争のことはあんまりピンと来なかったんだけど、こうして自分の意識をどこまでも広げられるなら、そこでドンパチされたら嫌だな~と思えた。 地球のことは全部自分のこと、っていう意識を、初めてちゃんと持てた気がする。今までちょっと偽善だと思ってました、すんません。 小顔マッサージは、口に指を突っ込んでの、歯茎マッサージ! 鏡の前に並んで座って、口に指を突っ込みながらのレクチャーなのでかなり笑えた(笑) けど、終わったら顔面軽い!肩も軽い! 帰りに駅のトイレの鏡見たら、確かに顔が引き締まってはっきりクッキリしてる。 これ、化粧するより全然かわいくなる気がする!毎日実践しちゃお~。 次回はレインドロップを受けに、また憧れのアパート(笑)へ行きます。あむりたちゃんありがとう!
2010.12.28
コメント(14)
グラウンディング旋風(?)が吹き荒れた後は、 やっぱりお馴染みの課題に戻ってくる。 何度でも何度でも戻ってくるのはここ、やっぱりここ。 100万回でも戻ってきては、100万回でも忘れる。 「愛」なんだよねー。。。 摂食障害というハードな、生命を脅かすほどのやり方は卒業しても 相変わらず大小さまざまな色々の形で、 愛への渇望を埋めようとしては失敗している自分に気付く。 そして世の中を見渡せば、ほとんど誰もが同じ渇望を抱えていて あらゆる娯楽をはじめ、世に溢れるほとんど全てのもの・事柄が 「愛の代償品」として存在していることに気付く。 みんな、そうなんだ。 みんな愛が欲しくて、でも愛を諦めてて、ハートに蓋をしてて、 一生懸命仕事したり、一生懸命買い物したり、一生懸命テレビを見たり 一生懸命引きこもったり、一生懸命セラピーを受けたり、一生懸命ケンカしたり 一生懸命子育てしたり、一生懸命クロスワードパズルしたり、一生懸命悩んだり 一生懸命歌ったり、一生懸命病気になったり、、、ありとあらゆることをして 何とかそのことを忘れようとしてる。 一体、みんながその渇望をストレートに感じて ストレートに満たすことを考え始めたら 今ある社会とか経済はどうなっちゃうんだろう、と思うくらい 世の中は本当に「愛の代償品」で成り立っているんだと思う。 何度でも忘れて、何度でもあさっての方向に走り 何かがおかしい、と立ち止まっては戻ってくるんだけど、 「わたしは愛を必要としている、弱い存在です」 この立ち位置を忘れないことが大切なんだと思う。 自分の弱さをきっちりオープンにして、素直に愛を求めたとき そこに必ず受け取れるだけの充分な愛はあるように思うし その弱い弱い自分でいる時しかまた、人に何かを本当に与えることもできない、 本当の強さも出てこない、ように思う。 何かでごまかして、一時的に満たされているような気になって 実はハートは閉じている、 そういう状態でやることは全て、うそっぱちでハリボテで ニセモノの強さだから、いつかぽっきり折れる。 どこまでもどこまでも弱い自分を、忘れないことだなぁ。 何かでごまかしてもいい、ごまかさないなんてそうそう簡単なことじゃない、 でもごまかしている自分に何度でも気付くことだ。 大丈夫じゃない自分を全開にすることだ。 大丈夫じゃないけど、大丈夫じゃない自分で大丈夫なんだよ、って。
2010.12.24
コメント(13)
一つ前の日記の続きだけど、 この一連の流れ、 あんなに弱点だったグラウンディングが定着し始めたこと。。。 サイマスグランドの説明にあった「何かが間違っているという感覚」 まさにここに作用して、こうなったんじゃない!? つまり私はどこか、自分の存在が間違っていると感じていた。 意識されることもなければ言語化されることもない、 深いところにいつもあって当たり前だった感覚。 ここにいてはいけない、というのがベースにあるから どうしたら許されるんだろう、どうしたら私は「間違っていない人」になれるんだろう と常に無意識に探っていたのだと思う。 この数日、「ここにいていいんだよ」と自分に言い聞かせている、と書いたけど それは全く、無理やり説得するような感じではなく 「あ、いいんだった」と思い出すだけのような感覚。 今まで強固な癖だったはずの「間違ってる感」は、必死で打ち消さなくても 気付くだけでポロッと落ちるくらいにヤワになっている。 そして、それにしても、 私はここにいていい、何も間違っていない、という感覚は なんてなんて気持ちがいいんだろう!!! 本当に全く意識したことがなかったけど 今までどこか根底にあったらしい自己否定が、いかに大きかったか分かる。 思わず笑い出してしまうくらいに楽しい。 何だかね、急に自信に満ちている。 急に大人になったような感覚。 こんな頼りない人なのに子供の親なんかやっちゃってるよ~、 みたいな違和感も少し持ってたんだけど 今はどっしり、子供たちを抱きとめるだけの器が自分にあると感じる。 ああ、すごいね、きっとサイマスグランド効果なんだねー。 がぶちゃん、ありがとう! あと、魂うた参加を決意させてくれたT氏も!※あ、改めてサイマスグランドの説明、見直したら 「何か間違ってる」じゃなくて「何か悪いことをした」感覚、でした(笑)まー同じことってことで☆
2010.12.24
コメント(5)
本郷綜海(そみ)さんの「魂と繋がる歌の唄い方」ワークショップに、2度目の参加をすることにした。 それを決めた時から、どうも何かがぐんぐん動き始めている感触。 歌うことや踊ることが、私の魂にとってどうやらとても大切らしい、 と気付き始めてから数年経つ。 どんなにブレても翻弄されても、歌ったり踊ったりすることで 私は私の真ん中に戻ってくることができる。 そこには外側の何にも依存しない、内から湧き出すヨロコビがあって 私はそのヨロコビと、もっと強くもっと深くつながりたいと感じている。 ここ数年、自分ひとりで歌ったり踊ったりは、随分深めてきた。 人と一緒にごちゃ混ぜになって歌ったり踊ったりも、大丈夫。 ただね「人前で」つまり自分ひとりでみんなの前に立つと、注目されると、 悲惨なくらい怯えてしまって、どうにもこうにもならないんだよね。。 本当はすごく、表現したいのに、伝えたいのに。 強い衝動と、同じくらいの強さでそれを抑える恐怖の、葛藤。 初めてのベリーダンスのハフラが、最初のヤマだったと思う。 体中ぶるぶる震えて、完全に記憶が飛んで、それはそれは悲惨だったけど それでも、怖くてもちゃんとやりきった!というそれだけの事実が すごく私にとって励みになった。 その後ハフラはもう1回あったり、苦手な友達とのカラオケも何度か挑戦したり。 その度にやっぱり、かわいそうなくらい萎縮してガクガク震える私。 そして今年の夏、初めての魂うた。。。やっぱり悲惨だった。 緊張するだろうなーとは思っていたけど、想像を遥かに上回る緊張。 もう、消えてしまいたいと思った。ほんとに怖かった。 歌い出すことすらできずに立ち尽くす私を、 そみさんが挑発して、怒りをぶつけさせてくれた。 歌うこと、声を出すことを許さなかった親への怒りを ハラに力を込めて、全力で雄叫びを上げて、そみさんにぶつける私。。。 それでフタが開いた。 普段、一人っきりで歌う時の50分の1(笑)くらいのパワーではあったけど みんなが注目する中で一人で歌うということを、 ともかくは成し遂げられた、それだけでもう奇跡的な大進歩だった。 そして大嫌いだった私の声を、参加者のみんなが褒めてくれて それは私にとってあまりにも予想外の、あまりにも嬉しすぎることで 何だかとっても幸せになってしまった。 でもねーやっぱりね。。。 もっと本気出したいって思うじゃない? あんな表面だけのカスカスのヨレヨレじゃなくて このヨロコビを、本当にみんなの前でも開いてみたいって思うじゃない? いつかはそうなれたらいいなぁ。。 なんてのんびり構えてたんだけど。 ここ最近、立て続けにいろいろ起きてきた。 サイマスグランドのレメディを飲んで、歌いたい気持ちが高まったり。 ここに書いたような、グラウンディングに関する気付きがあったり。 前回の魂うたでの気付きは、人前に立った時 「私はここにいちゃいけない」という感覚が出てくることだった。 存在が許されていない、というような。 ふっとつながったんだけど、 それってつまりグラウンディングできないこととイコール、だよね。 しっかり「そこにいる」ことがグラウンディングなんだもの。 ああ、そうか、私のあの人前での異様な緊張は 「グラウンディングぶっ飛び状態」だったのねー、と分かったことが 何だかとてつもなく大きかったの、私にとって。 歌うこと、踊ること、それだけじゃなく私の生活の全て、 あらゆる方面でうまくいっていないことのほとんどが たった一つ「グラウンディング」を意識する、強化するだけで あっさり解決してしまうかもしれない、という感触。 この数日、今までだったら動揺してしまうシーンで 「私はここにいていい、大丈夫」と言い聞かせることで、 そして体感的にも地面に深くつながっていることで、 別人のように落ち着いていられることが何度もあった。 歌が、ダンスが、瞬く間に変わった。 これを奇跡と言わずして何と言う、くらいに。 もちろんうまくグラウンディングできないことも、ある。 特に昨日起きた、でっかいインナーチャイルドが暴れ出す出来事なんかは もう全くぶっ飛びまくりのヨレヨレにょろにょろ~状態だったし。 それでもそれでも。なんのなんの。 あまりにいろんなことが、一気に変わってるんだもの。 変われない部分なんて大したことじゃなく。 あのね、そみさんって、私の一番の憧れの女性なんだよね。 今までリアルに出会った人の中で、一番すごいと感じてるの。 表面のあれこれじゃなく、もうその存在の美しさ、神々しさ。 そみさんの何があんなにすてきなんだろう、と考えると多分、 愛に溢れていることと「グラウンディング感」なんだよね。 ああ、あんなすてきな女性になりたいなぁ、と思った時、 そうか、グラウンディングだな~、としみじみ感じたのも この一連の流れには相当大きかった。 そしてまた、グラウンディングするって超きもちいいことなのね、 という発見も。 今まで一瞬は意識しても、何だか続かなかったグラウンディング。 やっとやっと私の生活に根付いていきそうで、 そしてここから、歌や踊りが大きく変わっていきそうで。 既に変わり始めていて。 すんごいワクワクしてるんだなー!!
2010.12.24
コメント(1)
グラウンディングが弱い、という自覚は、ずいぶん前からあったのよ。。。 何せ、きらくかんの整体講座の時 クラスで堂々「丹田スカスカNo.1」に輝いたほど。 遅刻癖、 忘れ物癖、 先延ばし癖、 緊張しやすい、 アップダウンが激しい、 などなど全て、グラウンディングの弱さによるものだろうなー とは思いつつ、あんまり熱心に意識してこなかったの。 「ああ、グラウンディングね」とたまに思い出して よっこいしょ、と一瞬意識するくらいで。 しかーし毎度のひどい先延ばし癖により ベリーの個人レッスンまでに振付を完成できなかったこと、 レッスン直前に焦る私の、その尋常でない「気が上がっちゃってる」ぶり、 自信なく緊張して踊る自分の情けない姿、 などなどに嫌気が差したというのか、 もうこれ、いい加減グラウンディングでしょ、と思ったというか。 昨日ごはん作りながら歌った時も、 やっぱりグラウンディングを意識したら格段にいい声出たしねー。 そんなわけで今朝から、下半身が地面に埋まってるくらいのつもりで過ごしている。 呼吸も全て下の方に流し込む感覚で とにかく下に下に、全てを下に。 まず、その状態で踊ってみて、別人のように迫力が出たことに驚いた。 下半身ばかりじゃなく、腕なんかもねっとりと 地面に磁石で吸い寄せられているかのように重たく動かすと 「おお!これぞベリー!」という感じ。。。 へたくそなのは相変わらずながら、何だか雰囲気だけは10倍くらい上手くなった気分! そして何だろう、普通に過ごしていても この揺るぎない自信と安心の感覚。。。 今まで「たまーに」グラウンディングを意識すると 天と地にどーんとつながるその感覚に「わお、私って女神」 みたいな気分になってたんだけど、 なーんだ、いつでも女神でいられるんじゃんね? 引き続き「埋まって」過ごそうと思います。。。 「Obsid. オブシディアン200C 小ビン」ホメオパシーレメディー...価格:689円(税込、送料別)↑グラウンディングのレメディ、オブシディアン(黒曜石)
2010.12.24
コメント(37)
ずっと暖めていた、摂食障害克服のためのワークショップですが 暖めすぎて腐ってしまう前に、そろそろ現実にしたいと思います ワークショップ開始に伴い、個人カウンセリングは終了します。 (もちろん今までの継続の方は、終了までそのままOKです) というわけで、第1回の開催は年明け、1月7日。 当面、毎月第一金曜日に行います。 参加ご希望の方はメッセージもしくは gggmu☆hotmail.com(☆をアットマークに変えて)までメールでお願いします。 ◆摂食障害克服ワークショップ◆ (なんかもっとカワイイ名前はないかしら ●日時 毎月第一金曜日 11時~15時(終了時間は前後する可能性があります) 当面の予定:1月7日 2月4日 3月4日 ※その他にもリクエストがあれば、2名様から随時開催します。 お友達をお誘いの上、どうぞ。 ●料金 10000円(お申込みの方に振込先をお知らせします) 2回目以降の方、以前カウンセリングを受けた方は7000円 ●場所 八王子市内、高尾駅すぐの自宅(お申込みの方に詳細お知らせします) 少人数で和室でゴロゴロくつろぎながら(横になっていてもOKです☆) 摂食障害の克服に役立つ色々なお話、ワークなどを行います。 今までカウンセリングで行っていたことを全て盛り込んだ内容です。 ・過食を生む心の仕組み ・症状との付き合い方 ・ラクになれる日常の過ごし方 ・人生の方向性を知るワーク ・感情を解放するワーク ・自分を好きになるカラダの使い方 などの他、その日その場で起こることを尊重し、自由に進めていきます。 主に過食の方向けの内容ですが、現在拒食の方、過食と拒食を繰り返している方にも もちろんご参加いただけます。
2010.12.22
コメント(1)
きらくかんの整体習得講座で一緒だったnamiさん(今は西荻で整体のサロンはぴねすをされてます)が、レインドロップ+体の使い方+小顔を受けにきてくれました。お喋りしてたら時間がなくなっちゃって、小顔はできなかったんだけど。。。namiさんが日記に書いてくれた感想が、すごーく面白い!☆ ☆ ☆火曜に続き、水曜も高尾へ お友達で整体習得クラスをともにしたじゅねちゃんちに行くために 前に遊びに行ったのは・・・あれは・・・まだ○○くん(※お子さん)が赤ちゃんの頃かな? 会っていない割には、ツイッターなんかで最近のじゅねちゃんを見ているので、ドア開けて「うぎゃ~久しぶり~~」なんて言った割には久しぶりじゃない二人であった いや、でも、じゅねちゃんすっきりしていた からだもすっきりしていたんだけど、なんていうかな・・・ まとっていた重たいものをドサッと脱いじゃったかんじ じゅねちゃんのまわりの空気が澄んでるんだよね~ 今回、『わたしお疲れ様!そろそろ脱ごう、ぬいぐるみ!』企画として じゅねちゃんの編み出したボディーワークもぽっちゃり枠として手を挙げさせてもらったの んが、あふれだすトークに次ぐトーク しっばらく話してから「んじゃ、そろそろやろう!」と取り掛かる(笑) 骨盤と肩甲骨のワーク じゅねちゃんがいろんな体験や体感をもとに実践して実感したワーク 「うんうん!なるほど! お!これ、似たようなことしていたよ~」 って話しながら、グオーっと肩甲骨を動かしたらり、クネクネと骨盤を動かしたり なのに、なぜこんなにおらとじゅねちゃんのからだが違うのか!! それは、じゅねちゃんは自分の中の女子っぷりをガッツリ感じて 潜在意識を書き換えて書き換えて そうやってできていったBODYなんだよね わたしは「◎◎だといいなぁ~」って、なぁ~。しちゃって 自分の中の女子っぷりを感じることを拒否しちゃっていたんだよね はい。もっと鏡見ます。 んで、潜在意識書き換えます~~ だって、楽しかったもん。教えてもらいながら体動かしてね 一息お茶して いよいよレインドロップ これもまたちょいちょい気になっていつつ、一歩を踏み出せなかった世界 いいタイミングでやってもらえたことに感謝 鼻水垂れていたので、湿布のようなにおいは鼻をかんだ時に感じるくらいだったんだけど 不思議なトリートメント(?)だね 精油を直接 ポトポトと垂らしていって 優しく撫でていく・・・ 初めに足の裏から始まったんだけど ドーンと力が抜けていく感じ 背中に移って、しばらく話しながらやってたんだけど もう・・・頭を使いたくないの・・・・ って状態になって 触ってもらっているからだを感じる、ひたすら感じる・・・ たくさんじゅねちゃんに褒めてもらって♪ 自分のからだをかわいがってもらうのって、幸せだね わたしもだけど、やっぱトリートメントしてるときには 「おっさん」になるよね~~ 気持ちいい女の子のからだを味わう為におっさんモード発令しちゃう(笑) 最後に温湿布をしてもらってお着替え あれだけゆるむことしたのに、からだや意識がしゃっきりしていて不思議だったなぁ そうそう レインドロップの最中、前日買ったラビラビさんの『ベイビィ・ブーム」をBGMにしていたの 行ってきたんだ~ っていうと 「ええええええ!!行きたかったのおおおおおおおお」 と、じゅねちゃん ライブみたいでね、声のワークショップみたいでね♪♪ と、その日の様子を話すと、最高に行きたかった~~と繰り替えすじゅねちゃん わたしも、じゅねちゃんとあの空間を楽しみたいな~ でも、きっとまた機会はあるさ!! ふふふ(悪魔のほほえみ)駅でハグしてギリギリの電車に乗り込む きっと、電車に乗ったらすぐ寝ちゃうんだろうな なんて思ってたけど、気分爽快、頭シャッキリ!! 人によって、いろんなことが起こるみたい。起きない人もいるみたいだけど って言ってたな とかうっつら思いつつ就寝 夜中にトイレで起きて戻ると・・・・ 寝らんない 仙骨のあたりがグルグルしていて 大転子(っつーの?脚の付け根の関節ね)がドドドーーーんと重くて、動き出すような 決して気持ちがいい感じじゃない うわーーーーこれかあーーーー これからどうなるんだあああああーーーー と、体勢をいろいろと変えてみる変えてみる しばらくもがいていたら・・・また寝ていたの そうしたら、不思議な夢 ○○くんが火でやけどしちゃう夢 わーって泣きながら意識が夢うつつ行ったり来たりして 大丈夫、夢だから ああ、こんな夢見るなんて、エネルギー余ってんなぁ (なでなで)つるつるだ、よかった。大丈夫だった もう生きてるだけ本当にすげえことだよ 子どもを自分の命にしちゃいけないよ(BYみちるさん) いろんな言葉が自分の中で渦巻いて ふっと気が付いたら、なんだかあったかい、ほっとしたような 一瞬なんだけどハートがポっ!っとあったかくなって 自然に微笑んでいた えええ??なんだろう??さっきまであんなにグルグルに渦巻いていた空が急にすっきり晴れたようなこの感覚?? グルグル仙骨ちゃんもドドーン大転子ちゃんもスッキリ さっきのはなんだったの??っていうくらいのスッキリぶりそうしたら、また寝落ちておりました 朝からまだ大量の鼻水は出ておりますが 気分は至っていい感じです また変化があったら書きまする じゅねちゃんは「精油がすごいことに」って言ってたけどね わたしは「その精油を、じゅねちゃんがわたしに使ってくれたこと」っていう3点セットがなかったらまた別のことになっちゃうと思ったよ じゅねちゃんありがとう!! またやってね★ ☆ ☆ ☆namiさんありがとう~!!そう、レインドロップって、体の中に眠っていて、解き放たれるのを待っていた余分なエネルギーに「着火」するような働きがあるみたいなんです、どうやら。眠っている時はそれなりの場所に落ち着いて静かだったのが、動きだすと一時的に嵐のような状態になることもある。。。namiさんの場合も、私が初めて受けた時も、そんな例だった感じが。もちろん個人差はあって、特に大きな反応は出ず「なんかスッキリしたな~」くらいで終わる方もいるかと思えば数日悶え苦しんだり、スッコーンといきなりシフトを迎えてしまう方も。何が起きるのか、私も毎回「へぇ~」なんちて楽しみにしている感じです。体の使い方と小顔に関しては、正直私よりずっとカラダのことに詳しいと思われるnamiさん、しかも久しぶりに対面したら、じゅーぶんすぎるほど小顔!私が教えられることなんてあるのかしら~~と躊躇したりもしたのだけどそれでも受けに来てくれて、嬉しかったなぁ~。体の使い方はエクササイズとともに、意識についてのお話もするんだけどもしかしたら実際、何より大きく作用するのは意識なのかも。。。いや多分、間違いなくそうです。現状の体に、ここが嫌だな~、あそこが嫌だな~とNGを出してしまって「もっとこうなったらいいのに」と思うと、変わらないんだよね。。それより今ある美しさを発見して意識に刻み込むこと、美しいカタチを体に形状記憶させちゃうこと。そこがポイントなんだと思います。ダンスを始めて、そこらへんが変わったことで一気に体型も変わったのでそのへんのコツをお伝えしたいと思ってまーす!
2010.12.20
コメント(5)
昨日はお友達の「がぶちゃん」とデートだった。 きらくかんの整体講座で同期だったのが始まりで、 同じヒーラーさんにお世話になったり、一緒にボディワークを習ったり、 魂のシフトとでも言うべきものを同時期に経験していたり、、 何かとつながっている感じのがぶちゃん。 絵描きさんでもあり、ホメオパスでもあり、 マッサージの腕も半端じゃないというスゴイ人なのだけど 今回はそんな彼女に、ホメオパシーのレメディをリクエストしていた。 ずっと私のテーマで、特に最近浮上していた「依存」「自立」に関する問題。 依存と言えばコレ、みたいなポースティーラというレメディがあるのだけど 市販されている低いポーテンシーでは私は反応しづらくて 高いポーテンシーのものはホメオパスの処方でないと手に入らない。 というわけで、がぶちゃんにお願いしてみた。 するとそれ以外にも、ピンと来たレメディがあるので 一緒に持っていくね、とのこと。 前にもがぶちゃんの見立てのレメディがヒットしたことがあるので 何が来るんだろう~と楽しみにしていた。 そして今日、手渡されたレメディは。。。 ポースティーラにシーピア、そしてサイマスグランド!! これがもうね、びっくりだったのよ。。。 先日レインドロップに来てくれたお客さんに、 手持ちのフラワーエッセンスやホメオパシーをブレンドしつつ、 とあるホメオパシーの本を広げて「これ!これ気になりますよね~」 「あああ私もこれ気になってたんです!でもうちには無いんだなー」 とか話していたレメディ、それがサイマスグランドだったの。 その本に載っているレメディはほとんど持っていて、 ほんの数点持っていない、その中でも妙に気になるサイマスグランド。 お客さんと話した日、一瞬「これもがぶちゃんにリクエストしようかな?」 なんて思ったものの、そのまますっかり忘れていた。 それがそれが、まさに彼女の見立てたものだったなんて~! さてここで、サイマスグランドの説明をば。 「胸腺」のレメディなんだけど、がぶちゃんが書いてくれた説明をそのまま転載。 ハートチャクラ。自我の境界線。自己と非自己の分離。年に似合わず頭の良い子供。大人びたことへ興味を示す。=発達段階で何か大事なものを失くしている。 ファミリーの感情的負荷を負う。現実の接点から離れたような感じ。人生の変化期(歯の抜け替わり、思春期、妊娠、更年期)に大変苦しみ怒りっぽくなる。 チャレンジを恐れる。自分自身の中にある闇と闘う。のりこえて成功する=独立する=誰にも依存できなくなる。野心、意志の欠如。痛みに大変敏感or感じない。劣等感、もの悲しさ、表現が苦手。母乳欠如。トラウマ、フラストレーション、無感動無感覚。 ※胸腺は心臓を守っている。人生の山場は胸腺に記憶される。「あなたは誰か?」頭の強打、ケガ・事故に遭いやすい。ケガ以降性格が変わった。呼吸器、粘膜、肝臓、腸の問題。いつも「何か悪いことをした」感覚、罪悪感。「自分は何も持っていない」お金に対する不安。 もう、、、もう、、、 「これ私のことですよね?」としか言いようがないレメディ。 まさに大人びた子供だったし、頭良かったし、 子供時代の記憶は一部分すっぽり抜けてるし、 妊娠中はものすごく怒りっぽくなって苦しんだし、 チャレンジめっちゃ怖いし自立するの怖いし、 母乳からは7ヶ月で離脱したし、 呼吸器と肝臓と腸が弱点だし、 いつももの悲しいし表現が苦手だし、 痛みにひどく敏感になったかと思えばバッサリ感じないモードにもなるし、 まさに最近、いつも「何か悪いことをした」感覚があることに気付いたばかり。。。 完全にヒットでしょこれ!! で、受け取ったその場で、せっかくだから今飲んじゃおう~!と一粒口に。 そしてその後もお喋りしたり、買い物したり、カラオケしたり。 してたんだけど。 一人カラオケは大好きだけど、人と一緒に行くと緊張して緊張して。。 ちょっとかわいそうなくらい緊張しまくってしまう私。 声もろくに出ないか、搾り出すように頑張って歌うか、というのが常なんだけど 今日はがぶちゃんと一緒でも、わりとリラックスして歌えていた。 先日本郷そみさんの魂うたワークショップに行って以来、 人前で歌うことへの抵抗は少~し薄れたのを感じていたので、 ああ、それでかなーなんて思いながら、ぼへぼへ~と歌っていた。 そしてがぶちゃんとハグハグして別れ、ダイエーで買い物をし。。。 ん? なんかあたし、歌いたい!まだ歌いたい!もっと歌いたい! 急いでカラオケに舞い戻る。 胸のところ、ハートチャクラより少し上のところが、疼いている。 歌いたいよ!声を出したいよ! 時々ある、下から突き上げるような歌いたい衝動とは少し違った。 胸にある氷のかたまりが溶け出しているような、 やさしく包み込むように、大事に何かを表現したいような、 何かいつも抱えていた(でも当たり前すぎて気付かなかった)不安が消えてるような、 あったかい、満たされた、不思議な感覚。 iPhoneで録音しながら歌ってみた。 明らかにいつもの私と違う、力の抜けたラク~な声で歌っている。。。 その後も子供のお迎えに行きながら、ついつい一人で路上で鼻歌。 人に聞かれても、何だか気にならない。 胸のところは、やっぱりポワポワしている。 何かすごく安心なんだけど、でも「表現したい!声を出したい!」が じわじわと湧き出すように溢れてくるような、そんな感じ。 幼稚園に着いて遠くから子供を呼ぶ声も、いつもよりすごく通っていることに気付く。 たった一粒飲んだだけで、この効果。 一瓶飲み続けてみるつもりだけど、これからどうなっちゃうんだろう? すごーく何かが大きく変わりそうな、そんな予感!
2010.12.18
コメント(17)
カラダの使い方を、人様に教えようと思うと意識的になるもので その結果、一日にして早くも、すっかりボディラインが変わってきた。 昔よりだいぶ変わったとはいえ、まだまだ改善の余地ありなのねー。 日頃だいぶ気ー抜いてるもんね。。。 がんばるのが苦手、というか正直ぜんぜん「がんばれない」タイプなので 苦しいことは続かない。まったく続けられない。 私のやり方は「気持ちいい」のがポイント。 上半身下半身、それぞれに色々あるんだけど 上半身は主に肩甲骨を動かすことで、ハートを開いていくのが特徴。 だからすっごい気持ちよくて、しやわせ~になります。 そして、しやわせだと、ムダ食いもしなくなるんだよね。 そんなこともあって、自然と痩せます。ムフフ。 摂食障害のワークショップにも、このカラダの使い方は取り入れるつもり。 他にも色々やるけどね。 というわけで、しやわせ~なうよ
2010.12.12
コメント(40)
現在レインドロップと、摂食障害のカウンセリングで活動してますが、本日急に思い立って一気に盛り上がり、ツイッターなんかでも反響が大きいので、新メニューを始めてみようと思います。◆まずは顔のマッサージ。これ、何と名付けようかな?元はと言えば、整体に行った時に教えてもらった歯茎のマッサージがあったんです。これがかなーり効果抜群で、でも口に指を突っ込むので、人前じゃやりづらい。んで、お手軽に顔の表面から、外出時なんかにもやったりしてたんだけど、クラニオやなんかの知識も絡めて、顔の上半分やら頭なんかもマッサージするうち独自の進化形に発展してきたというわけ。これがもうね、すごいんです。ほーんと。顔、変わっちゃうの。小顔になるし、リフトアップするし、目元ぱっちり口元すっきり、表情も明るくなって、視界も明るくなって、精神状態も前向きになり、首や胸や肩もゆるみ、骨盤もゆるみ、女子度までアップ、、、ってこれどうよ!?ほんとにほんとに、おすすめなんです。ただ、まだ自分自身にしか施術したことないので(笑)他の方々にも同じくらい効果が出るのかは未知数。私自身は夏前くらいから、気付いた時にちょこっとやってるんだけどだいぶ人相が変わってきたと思います。というか、もうその場で変わるのよ。一目瞭然。「あたしってこんなにカワイかった?」って思っちゃうよ。んで、続けるうちに定着してくる感じです。昨日からちょっとまじめに念入りにやってみてたら、やっぱりこれ、すごいよ!と思って。シェアしたくなっちゃったわけです。◆そしてもう一つ、カラダの使い方。まあいわゆる姿勢なんだけど、それを体に覚え込ませるためのエクササイズも含め。これはね、私が主にベリーダンスや整体を通して学んだり、あとカラダおたくなので超~いろんなボディワークを受けたり、あれこれ本を読んだりしながら探求した中で、実際やってみて別人級に体型が変わった「これは!」というものの集大成です。これは特に「おばちゃん体型」「ぽっちゃり体型」の人にオススメしたい。お腹ぽっこり、猫背、背肉ごっそり、全体的にモサ~~~。。。みたいなタイプの人に、即効です。その場でも変化が分かるし、正しい体の使い方が習慣になるとあれよあれよと体型が変わってきます。ほんと、ダイエットとか何だったの?って思っちゃうよ。脂肪の層なんてせいぜい数ミリとか、多くて数センチ。ほんとは脂肪の問題じゃないんです。骨格でメリハリを!!(でもね、結果的に脂肪も減ってくるんだけどね、使い方変わると)主に骨盤と、肩甲骨周辺の使い方をレクチャーする感じです。さて、この2つ、まずはモニターさんを募集しようと思うんだけど。。。料金なんかはブログの規約上、ここに書けないので、またどこかにアップします。とりあえず、こんなこと考えてるよーというお知らせだけでも!(わりとコーフンしてます・笑)あー、あとね、レイキのアチューンメントと、 摂食障害に関するワークショップも始めようと思ってます。 これはちょっと準備に時間がかかるので、いずれまた。。。 それより何より一番やりたいのはボイスワークなんだけど、 これが一番、実現まで遠そう。 時間かけて、納得いくように組み立ててみまーす。◆◆◆早速【こちら】に詳細アップしました。そしてそして。。。どどーん!小顔マッサージの方、捨て身で私自身のビフォーアフターを掲載します。 ちょ、ビフォーの方、まじこのオバちゃん誰。。。泣きたい。。。w (もちろん左がビフォーです) 光の加減とか、角度とか表情とか違うからアレだけど でもこの写真、全然誇張じゃないです。 左の方、わざとブサイクに写ったりしてないですw ほんの5分くらいマッサージした、前後の写真。 実物は、写真よりもっと変わる印象だなー、自分では。。
2010.12.10
コメント(18)
昨夜から今朝にかけての、ツイッターの呟きから。 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆息子は野垂れ寝するまでほっとこう。。と思いながら掃除してたけど「一緒にベッドに行ってぇぇぇぇ」が止まらないので、コエーリョの「11分間」を手に、寝かしつけ。いい本を読んでると、呼吸が深くなる。息子は寝て、私はちょっと帰ってこれなくなって、もっと読むために、お茶いれた。 コエーリョとよしもとばななは、定期的に読みたくなる。何か言葉を超えたものと交信する感じで、その時に必要なものをとっぷり受け取る。 。。。。。。。。。(鳥肌 この手が、私のものでなかったとき。この部屋が、私のものでなかったとき。このコップが、私のものでなかったとき。いつでもそこにあって、いつでも触れるのが、当たり前でなかったとき。(ぐらぐらぐら 本当はそれが本当のことなのに。ハッとするその本当が見える瞬間は、とても少ない。 夫が、私のものでなかったとき。(ぐらぐらぐらぐら コエーリョで、ぐらんぐらんになっております。 「本当」を見えなくしている変な壁、私のまわりに大抵あるやつ、を、ただの本のくせにバッサーと持ってっちゃうとは、とんでもないやつだ! ぶわわわー!! 鳥肌総立ちのまま、さー、チーズケーキ焼いてこよっと。(2時半ですけどー 肺に空気が入ってくるのが、体に服が触れているのが、雨の音が聞こえるのが、ものすごい歓喜で、からだじゅうで火花が散って、背中から胸に、胸から首に頭に、何かがごうごう立ちのぼってるんだけど、こんなことを起こせる本って一体ナニモノなんだって、まじ不思議。 チーズケーキが、静かに焼けていますなう。 何も失うことはないし、何も得ることもないし、あれとこれは何の違いもないし、全てが本当に大丈夫なんだって、こういう時はよーく分かるのに、どうしていつも思い出せなくなるんだろうなぁ。何度でも忘れるんだよなぁ。。 11分間
2010.12.08
コメント(15)
全1154件 (1154件中 1-50件目)