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人類の暴走が人類の終焉の原因に直結している。人類の暴走は、人類の終焉に直結する原因と思えるが、人類はそんなに愚かなのか?誰が気づいていないのか?誰が気づけばそれを止められるのか?極論すれば、「人は目前の利益の為に将来の不幸を無視出来る生物」と言う事なのですか?。2023年7月4日は過去12万5000年間で最も暑い日だったhttps://gigazine.net/news/20230706-world-hottest-day-since-records/地球の気温が3年連続で史上最高を記録したと明らかにhttps://gigazine.net/news/20170119-earth-temperature-constant-record/温暖化が一定以上進むと人間の手によって押しとどめることが不可能に、今後10年の動向が分岐点だと専門家https://gigazine.net/news/20180808-hothouse-earth-risk-apocalyptic-irreversible/猛暑に必須なエアコンを使うことで逆に地球は暖められているhttps://gigazine.net/news/20180723-how-prevent-cooling-warming-world/世界が温暖化していく本当の原因がビックリするぐらいよくわかるグラフhttps://gigazine.net/news/20150626-what-warming-the-world/地球の気候変動による「海のデッドゾーン」が拡大していることが判明https://gigazine.net/news/20150207-climate-change-dead-ocean/「今世紀中に数十億人が住む地域で暑さが人体の限界を超える」と気象学者が警告https://gigazine.net/news/20190731-human-thermal-limits/一般の人々の無関心さが原因と言えるのだろうか?それとも、危険を知るべき立場の人が強欲である為に対策が骨抜きにされてしまうのか?恐らくどちらも深刻な問題なのだと感じるが、人間と言う生物の持つ認知力と未来を予測する能力が不十分である。と言わざるを得ないのは「人類は意識レベルで、人類存続にとって重大な問題点がある事を共有できない」という、個々に独立した脳を発達させてきた弊害かも知れないので、これ迄の地球の生物の進化の仕方から考えるとやむを得ないものであると思えて来る。とするのであれば地球の今以上の温暖化を防ぐことは不可能であり、悲劇的結末からかろうじて生き延びた次世代の人類に期待する他ないのかも知れない・・・・。
2023.07.17
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一般市街地道路の幅は6.5m程であったと思うが、十字路等で右折する時はセンターラインに車輪を乗せるように右一杯に着いて対向車が無くなるまで待つことが常の私です・・・。何故そうするかと言えば後続の車が私の車の為に直進が出来ずに私の車が右折するまで待たねばならない状態を作らない為です。普通の信号機などがある十字路であれば、交差する道路幅も6.5m程あるから全長5m未満の私の車であれば交差点の真ん中より先で、しかもセンターラインに乗せるようにして停車すれば、後続車も右折で止まらない限り、直進車は私の脇を通り抜けて行けるようになる。ただそれだけだが、そのように振舞う車は非常に少ないと感じている・・・・。因みに私の運転はそうすることがデフォルトであり、何時も自然にそうしているだけだ・・・・。センターラインを踏んで迄、ぎりぎりにセンターに寄ると言うやり方は誰からか教わったことではないし、そのような教育を何処かで受けたわけでも無い。昨今、普通車の車幅はだんだんと広くなってきてしまったから、車幅は1.8m前後である場合も多いが、地方の道路では軽自動車の割合もかなり多い為、私の様に右折時の先頭の車が、センターラインに右車輪を乗せるように待てば殆ど直進車は私の脇をすり抜けて止まらずに通過できることが多いのだが、トラックが後続車である場合などは幾らそうしたところで、車は停車して、右折の車がそこからいなくなるまで赤信号になったように止まってしまう事は避けられない・・・・。日本の地方の一般道がもう少しだけ広い規格を採用して作られていれば、随分とスムーズに走れるのになあ・・、と感じる。私と同じように振舞って、なるべく止まらずに走り抜けられるようにしてくれる人を多くは見かけないのは仕方ない事だろうが、私が運転中それをボヤクと家内に怒られるのだ・・・・。私の言い分は「これは運転マナーの問題では無いだろう?」「普段の人との接し方そのもののはずでは無いのか?」普段から自分の行動が他人に対し無関心でも無く、自分勝手で無いならば、自分の為に通れなくなって貴重な時間を僅かにでも奪うことなど出来ないのが普通の人間と言えませんかね?・・・・と言う事になるからだが、家内は、運転に馴れていないとそこまで出来ない人も多いだろうし、仕方ないでしょうと言い、わたしのボヤキは聞き飽きたと言う・・・・。私もそれ以上は言わないが、センターラインに全く寄りもせずに右折の為に自分の後ろの車のことなど眼中に無いような車が枯れ葉マークの車だったりすると、キャリアが少なくてそれが出来ていない訳では無い筈と思えるから、やはり普段の「人となり」の問題なのだと思うけれど、そこで私は言葉を飲み込むことになる・・・・・。私のしていること(センターラインを踏んで迄右に寄る)は、若干リスクを引き受ける事になっているのは承知の上ですが、そうしないでいることは出来ないのです。
2023.07.17
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元祖くず餅、屋船橋屋社長、赤信号無視で自動車事故 「この野郎!」逆ギレ&ドア蹴る...会社は自社の社長の乱行を謝罪し、身内の社長の所業を「到底容認できない」と書いて、ネットに謝罪文を載せた。この事件は既に示談が成立しているそうだから、責任云々の話をしようと言うのでは無い・・・・が、あまりに品格の無い社長の態度がWebで広まってしまい、会社としてはやり切れない思いであろうか・・・。話は変わるが、ちょっと気になったことを書いておこう。車での事故の際、ドライブ・レコーダーに残った動画は証拠になるため、もし事故に遭った時の心構えとして、決してドライブ・レコーダーを誰か(事故のもう一方の当事者)に持ち去られることのないように注意して下さい。これまで、その類の事件は未だ起きてはいないかもしれませんが、今後不利と感じた加害者がドラレコの記録を証拠にされないように、ドラレコのカメラを強引にもぎ取って持ち去ると言った事件は起こり得ます。多分ですが今年か来年にはそんな事件が実際に起きて、そんな報道が有りそうな予感さえしますが如何ですか?他車同士の事故を撮影していた場合はとばっちりは受けにくいかもしれませんが、自分が当事者で被害者側の時には特に注意して下さい。今後そうしたケースが増えればメモリーカードはシートの下などの隠せる場所に設置すると言うタイプのドラレコも出てくると思いますが、未だそういうものは無いから、事故に遭って有力な証拠をカメラが撮影していても、それを加害者にその場で言う事も避けた方が無難です。知らぬふりをして、加害者には車に触れられないようにした上で警察を呼びましょう。不利と解った加害者が、更に窃盗犯や、傷害犯になって、メモリーを抜き取ったり、メモリー入りのカメラをもぎ取って逃げ去ろうとすることも充分考えられるからです。十分気をつけましょう・・・・・。
2022.09.29
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Webで拾った話題ではありますが、94光年のかなたに在るという我々の太陽によく似た恒星の付近から、非常に強い電波が観測されたという事です。高度な文明が存在する可能性もあるような電波であるそうですが、我々地球人の出す電波の強さからすれば比較できない程の強い電波であるそうで、もしそれが高度な文明を持つ生物が我々の太陽のある方向に向けて発射した電波であるとすれば、どのような意味を持つか?誰にも解っていません。只、電波の来た方向のさらに遠方からの自然現象による電波が恒星などの重力効果で増幅された可能性も排除できないという事で、確実に通信の為の電波かどうか未だ我々人類には判断は出来ないそうです・・・。もし通信目的の電波だとするとその強さから、文明の進捗過程を3段階に分けた指標からすれば第2段階まで進んだ文明であろうと言われていて、第1段階である地球の文明よりも遥かに優れた技術文明でないと成し得ない電波の強さであると考えれているそうです・・・・。(以下のリンク参照)https://www.cnn.co.jp/fringe/35088255.html?utm_source=livedoornews&utm_medium=news_distribution&utm_campaign=contents_distribution94光年と言う距離は宇宙的な距離感で言えば非常に近く、光の速度の1/4の速度が出せる宇宙船が有れば376年で到達できるわけで、もし光の速度が出せるなら94年で行けることになるため、もし、進んだ文明を持つ生物がそこに居るとした場合、他の生物の生存にとって危険な生物であれば、その方向に我々地球人が何らかの返事の電波を出す行為は決して安全とは言えなくなり、危ない訳です。我々地球人の時代としては、その強い電波が発射された時は1928年でありますから20世紀が始まって28年(昭和3年)と言う時代であり、やっとTVが発明され、ペニシリンが発見された頃ですから、その時代に我々が現在でも不可能な強さの指向性のある電波を宇宙に向けて発射できる技術文明を獲得しているという事を考えても、もしその生物に攻撃されたとすれば太刀打ち可能なレベルでは無いことになるだろうと想像できるわけです・・・・。只、よくよく考えて見ると、人類はその後、度々核実験を行ってきたので、そこにいるかもしれない他の星の生物の観測能力が我々地球人の技術より桁違いに高い場合は、我々の太陽の第3惑星の地球に核爆発を起こせるだけの知性のある生物が居るという事を知ってしまっているかもしれませんから、既に宇宙船を地球に向けて送り出しているかもしれません。そう考えると50年か60年前にそいうアクションを取った宇宙人が94光年離れた場所に存在し、今まさに地球への旅の途中である事も案外的外れな想像とは言えなのかもしれませんね?
2022.09.21
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人々の中には、人間の怨念や念力の様な力を否定出来ないでいる方もいるかもしれないが、今ロシアのプーチンは死なずに生きていることで、そうした人間の思念によって人の命を奪い得るような特殊な能力を持つ人間は居ないという事が言えるのではないだろうか?言ってしまえば思念でプーチンを殺せないのは「当たり前の事」なのだ。例え何千万人が思いを同じくして祈ったとしても、物理的な力を持ち得ないと解る。人間の祈りとか、信じる事と言うのはそういうものだと普通の人間なら解るはず。祈りや願う事は自分自身の脳内の変化を期待することは出来るが、自然現象や他人をその祈りのエネルギーで動かすことなど出来ないのです。だから、そのような「信じること」で直接物理的な何かが起こせるというような「宗教」は全て偽物でありペテンです。お金を積ませて、未だ信心が足りないとかは、「冗談もほどほどにしてくれ」と言うしか無いです。そう言う言葉に騙されたり、完全に否定出来ない人は居ます・・・。それは人間の愚かさそのものです。
2022.09.21
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10年以上前から、私がSolidworksと言う3D・CADを使ってモデリングした人体の多関節モデルを、無償で差し上げますという内容でこのBlogでアップロードしていたのですが、今回、多少顔などをアップグレードしたので、そのことをお知らせして、希望者に配布することにしました。3D・CADをお使いの方でしたら、持っていても邪魔になるわけでも無いと思いますので、希望者がもしいらっしゃいましたら、コメントでお知らせください。JPGキャプチャで撮った画像をサンプルとして貼っておきます。 配布ご希望の方は、メールアドレスをコメントに書いて、アットマークをカタカナで「アットマーク」と書き換えたアドレスを書いて下さい。禁止ワードにしてしている為それを書くとコメントが拒否されます。
2022.09.14
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世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に対する献金被害総額は35年間で約1237億円も「氷山の一角」でしか無いと言う・・・・。とうとう、そのことが原因と明言できるような元首相殺人事件までに発展してしまった。と捉えるべき事案だと感じる。そこで、わが国が憲法で認めている「信教の自由」について多少は考えて見る必要もあるのではないかと、私自身としては感じることになって来た。私は声を大にして言う「私は完全な無神論者です」と。ですから、そうでは無い方は、この後不愉快な表現が続くと思いますから、ここでこのBlogを読むことを中断してください。これ以降は、「無神論者のたわごと」でも、読んでみようか?と思う人だけが、「自己責任である」と、理解した上で読んでくださいね!完全な無神論者と言うのは、つまり神や仏といった言葉が示す心霊的な事柄を全く否定しているという事ですから、神の御加護と言う物は有り得ないですし、天罰なども実際は無いという考えです。宗教心を抱くことは、日本国民としての権利であると認めているのが信教の自由と言う法律でありますが、本来そこまでに留めるべき物であります。神を信じるという心情までは自由なのですが、自由という事は、それを信じず否定することもまた自由と言う意味なのです。そこで、今回の様な問題に対する対策はあるのか?と言えば、信教の自由は国民の権利と言う部分は仕方ないとしても、過大と言えるような集金行為を制限する法律が必要と思います。具体的には宗教は個人の宗教的心情が自由ではあるが、同じ考えがある者が複数いても団体として群れ集まることを制限し、個人的にも法人格としての金銭の授受も国税庁による完全な管理下に置いて厳密に制限するべきと感じます。宗教で飯を食う事は原則的に禁止すべきです。宗教って事実に基づかないことを「ああだの、こうだの」と言ってるだけで、利点が僅かにあるとすれば、人の倫理観を形成するための方便と、精神的なブリンカー(遮眼革)の役割しかないでしょうから、そうした宗教の普及を生業にすることを認めないでも良くありませんか?どうしても他人を巻き込んで行きたいならボランティアでやれば良いのでは?という事です。人が、殆ど金儲け目的のインチキな宗教もどきの団体に騙されることは、個人の心情的なものとして勝手にさせるしか無いですよ!確かに、愚かで情弱な人間に忖度した憲法に保障されていますからね。だから、路傍の石を崇めるのも自由な訳ですが、その代わり、それによって収益を上げる行為を法律で制限すれば良いのです。教祖も、それに関係する者も全て宗教以外から報酬を受けて生き、宗教とは無縁な所で生活の糧を得ることを義務付けるべきであって、貢がれた金で豪勢な生活をする等とんでも無い所業です。そんなことも見抜けずに貢いでしまう人間が居ることが私には全く信じられませんが・・・、トンデモな詐欺師の教祖が居ても貢いで従う人間が居なければ問題は起きないことも事実ですから、そこも考えなくてはなりません。架空のことで金銭を得ようという企てる側と、騙されて金銭を失う側のどちらをより強く規制すべきかと言えば、企てる側の数が圧倒的に少ないのだから、そちらを重視して規制すべきであるが、騙されて金銭を失う人を何とか救い出せない物かと普通人は考えるものだから、騙されない為に国は何かできることを探すべきであると思うのだ・・・。その様な策を行なった上で宗教団体として集金できる金額を無くすべきですし、信者同士が集まることも制限すべきと思うのは、そうすれば広い会場もいらないし、団体もそうした建物などを用意する必要も無くなって、その為と言う名目のお金も不要になるでしょう・・・。騙される側の問題を考えれば、そもそも、宗教に頼まずにも、死への恐怖を克服する術も、人間の世界に対する疑問に答えてくれる学問は幾らでもあるでは無いですか?宗教に依存してしまう人間に共通するのは、その信じてしまった宗教以外を排斥してしまう安易な選択に見られる愚かさであり、存在する数多の学問や歴史的思想遺産に対する不勉強さだけではありませんか?信教の自由を考える時、何かしかの宗教を信じようが信じまいが、本人の自由であると言う日本の憲法の理念をちょっとだけ考えてみても、「宗教が必須ではなく本人の自由な考えに任されるべきものである」ということに絶対に気付くべきであります。つまり、はっきりと言えば「宗教は信じる必要は無い」という意味なのであり、もし、それを信じる必要が有るとされるのであれば、信教は自由ではなくなるのです。さらに言うなら、概ねこの地球世界には幾つの宗教があるのか調べて見ては如何でしょう、実は全ての数は解ら無い程で、7000~8000種あると考えられている上、日本には18万を超える宗教法人が存在します。その事実を少しでも知っているなら、そして普通の知能と判断力を持っていれば、それは奇妙な話だと気づきますよね・・・?幾つもある事でそれがどう言うものかが解るはずです。しかし、それにしても人間とは、なんと哀しい奴らなのだろう・・・・。
2022.07.17
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ここ2日間、この「めざし」6匹が私の夕食のメインディッシュです!!この買って来たメザシを見れば、小ぶりの真イワシの僅かに黄色みがかって見える尻尾は脂の乗っている証で、アジなら黄金鯵のような状態です・・・・。あまりの旨さに、家内に「少しまとめて買ってきておいて」とお願いして、今日は4パック買ってきてもらいました・・・・笑。ガスレンジの魚焼きグリルで焼くだけで超絶な美味しさのおかずになるのです。値段を聞いて驚くことなかれ!!1パック143円です・・・・なんという幸せでしょうね!!この超絶な美味しさの真イワシのメザシが今どき6匹で143円ですよ!!軽油1リットルと丁度同じ価格なんです・・・6匹ですからね~懐にも優しい見事な食材です。家内に聞くと「あんまり人気無いみたいで、未だたくさん残っていた」そうな…何と罰当たりなことでしょう・・・、と言うか皆さん知らないのでしょうね!この美味しさ・・・。気が付いていないだけでしょうから、私のように一度食べて「なんじゃこれは」とその超絶な美味しさに気が付いてしまった家庭はリピーターになっている事でしょう・・・もしかして我が家だけ???今日で3日連続でメザシとアメーラをメインにしてご飯を頂きますが、当然頭からガブリと食べてしまい、僅かに黒く焦げたしっぽの先が残るだけであります・・・・幸せです!!イワシの食べ過ぎは悪いことありますかね?DHAとEPAのオメガ3系高度不飽和脂肪酸を多く含むイワシの脂が体に悪いという話は聞きませんよね?と言うよりこのオメガ3系高度不飽和脂肪酸は脳の働きを高めて頭が良くなる脂として有名ですよね・・・・。ま、今更頭良くなるわけねえだろ~・・・と言う声が・・・笑。思い出しました・・・、土光 敏夫さんがメザシの土光として有名でしたね!IHIや東芝を再建した有名な人ですね・・・、だからと言う訳では無く、美味しいから食べましょう・・・・本当に旨いから。
2022.06.25
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昔、私の車には常にラジュースとコッフェルが積んであって、コーヒーとか簡単な食事は自分でレース場の駐車場などだけでなく、林道脇でも、峠でも、どこでも作ってました。昨今、「バーベキュー禁止」の看板が様々な場所に立っていて、「バーベキュー」ってどういう行為を指すのか?と言う疑問が生じますが?私が昔からやっていたラジュースとコッフェルで作る食事も禁止対象なのかな~?・・・・となります。私の常識では、基本は河原の石を焼かない、流木も決して燃やさないし、落ち葉さえそのままにして、自然の中に人の痕跡は残さないことを最低限のマナーとし、自然界に何の変更も加えないことを理想とする・・・。それ故のラジュースとコッフェルなのでした。ましてゴミなんて出さないし、出たとしても家に持ち帰るのは当たり前すぎる話で、良く言う、「残して行って良いのは足跡だけ」と言う解釈に通じます。でも、もしかしたら・・・、今言うところのキャンプ場って、一般的には、そうしたことを学べる場所では無いのかも知れないですよね?山に登山する人にとってのそうしたキャンプ用具と装備でするビバークさえクレームの対象になってしまうのか?・・・当然、地面に穴を掘ってトイレにすることさえ非難の対象にされる時代になって来ていますから・・・、今の時代は登山中の避けがたい生理現象故の排泄物もポリ袋等に入れて持ち帰るのが最膳の道徳的なマナーとされる時代への途上であります・・・「え!?そうなの?」とお感じの方も多いかもしれませんね?。上高地を流れる美しく澄んだ梓川の水が長年飲用に適さないとされてきた理由を御存知ですか?上流の涸沢カール等の周辺でテントを張り、キャンプする多くの登山者が長年に亘って涸沢カール内のどこかに穴を掘って用を足していた名残りと考えられます・・・、今でもその時代に由来すると証明は出来ないものの、僅かではあっても大腸菌が夏季の梓川からは検出されるので、煮沸せずには飲用不適とされるのです。山に登る人たちは皆成熟した道徳観を持った人格者でしょうか?残念ながらそんなことは無くて、そう思うのは錯覚ですね、普通のマナーが守れない人も沢山登っていますし、トイレの無い場所での排泄は、登山道の脇から少しそれた場所で行い、埋めて済ますという考えが今でも主流と思われ、山の動物はトイレなど使わないからと人間と野生動物を同列に言う人さえ居て、大正池迄の美しい梓川が大腸菌による汚染で飲用不適になっている理由が人糞由来であることも「知らない振り」をしているのかもしれません。自分の排泄物をポリ袋に入れて持ち帰ることに付いても「自分だけが糞便を持ち帰っても意味が無い」と言うかも知れないし、そればかりでは無く、ティッシュペーパーは融けないから良くないが糞は自然に帰るから問題は無いという人も居ます・・・・。数人しか立てないピークで、タバコの煙を嗅がされた経験など1回や2回ではありませんし、沢の中や登山道わきに捨てられたアキカンを見つけるることだって、今でこそ減りましたが、それでもまだ偶にはあります・・・、苦しい山行を耐える山男は人間的に尊敬できるような人ばかりだと思ったら大間違いで、大きなリュックを担いで歩き、山々の連なりの美しさに感動する心を持ってはいても、その中身は普通の人なんです、当たり前ですね・・・笑。(山男が愛煙家である場合は有り得るでしょうが、空き缶や吸い殻を登山道脇にポイ捨てするとは、さすがに想像出来ません。)翻って、様々な形のキャンプ場に集まる人たちの自然への認識や倫理観は如何でしょうね?大きな期待など出来ませんでしょう?当然ですよね・・・・・そこも社会の縮図と言えばその通りなのです。人が自然の中で過ごす時に守るべきマナーと言うものをきちんと教えられていないのが原因でしょうか?、違いますよね?、主に親が子供に対し、社会の中で生きる為に人として持つべき礼節や、守るべき規範は何処から生まれて来るものなのか?そうした悟り知るべき文明人の心得を子供に教えないまま多くの子供達は育つのですよね?、まあ親が知らないことを子供に教えることなど不可能なのは当然です。森や自然の中で人間が生きて行くという事は何を意味するか、自然を含み、あらゆる事へ、人はどのように振舞うべきかと言う基本的な倫理観がいまだに十分なレベルに育っていないか?思い違いをしていると言うことに起因すると言えませんか?有史以来より、ほんの30年ほど前には、涸沢カールにはバイオ浄化システムを持つトイレなどは無く、登山者は岩やナナカマドの陰で用を足し埋めて帰ることは他に選択肢も無い故、当然悪行とはされなかったという事ですから、倫理観や常識までもが時代と共に変わって来たのは当たり前のことなのです。その結果が現在の上高地付近の梓川の水源の土壌に記憶されているという事で誤りでは無いのでしょう、理由は大腸菌は氷点下の土中でも死滅しない為、気温の上がる夏期には増殖して川に流れ込んでいると考えられますが、梓川だけの問題ではありません、山小屋のトイレがきちんと整備されなかった場合でも、また、どこの山でも人の歩く登山道付近の川でも、夏にはそうした水質になる可能性をきちんと防ぐ手立てはほぼ導入されてはいませんから・・・調べてしまえば不愉快な数字を目にすることが想像されます。どうですか?あの美しく輝くような川の流れが人糞由来の大腸菌に汚染されていて、現在でも、澄み切った雪解け水由来の沢の流れさえ、夏には飲用不適になってしまう清流が有り得るのです。少し脱線しますが、ここで糞便性大腸菌の濃度について少し触れておきます。梓川を例にとって生水を飲用とすることは避けるべきと言う判断は、「大腸菌が検出されないことが飲用水の条件となる」ことで言われるのですが、海や川、湖、プールで泳いだとすると、その水を誤って飲んでしまう事は普通にあり得るし、唇に着いたプールの水を全く飲みこまないでいる方が難しいのはどなたでも解ると思います。では、海水浴場やプールの水質は水道水と同じで、糞便性大腸菌が検出され無いことを条件としているでしょうか?管理されたプールでは塩素殺菌などの基準に従っているはずですから「大腸菌が検出されないこと」が条件になってはいますが・・・・。環境庁の海水浴場等の水質格付けでは最高位の「AA」は平均値として大腸菌の数は2個未満/100ccと定められているが、「A」では100個以下/100ccであり、「AA」及び「A」は「適」と言う表現で発表されます。次に、「B」の大腸菌数は400個以下/100ccと定められており、「C」では1000個以下/100ccと定められて居るそうで、共に遊泳「可」と位置付けているのだそうです。上高地の梓川の澄んだ水には夏では1~2個/100ccの大腸菌が検出されているので飲用不向きとされますが、海水浴などで誤って飲み込む場合と同様に考えれば環境庁の水質では「AA」となるので、実際にはほぼ無害に等しい量であると言えます。実際には私の住む千葉県を含む関東地方の海水浴場の水質は2019年度で見ると「A」若しくは「B」以内であり、最悪の場合大腸菌は400個以下/100ccですから、顔や唇に着いた水滴が口に入ってしまうとすれば数10個の大腸菌を飲み込んでしまう事は止むを得ない範囲となって、さほどの危険はないと言っているようなものなのです。これは私観ですが、遊泳「可」の地域においては「誤って飲むこと不可」と但し書きが本来必要だと感じますが、事実上それはほぼ無理な要求となります・・・・。つまり、上高地付近の梓川の水をコップに取って180cc程飲む行為と、海水浴場の水中でシュノーケルダイビングして少量の海水を知らず知らず飲み込んでしまう事を比べてみたとしても、概ね上高地で梓川の水を飲用として利用することの方がずっと危険は少ないと言える筈なのです・・・。してみると、腰下滅菌層が有る学校のプール管理程度の滅菌手順が厳しく確認されないような民間のプールの安全性ってどうなのだろうと感じるから、水流噴射洗浄器付き便座が一般化する以前を考えるとかなり恐ろしいものがあったのだなあ~・・・と。まあ、脱線はここまでにして、登山道脇で排泄することの是非に対しては、今後持ち帰るように世論が成熟して行くことになった上で一般的な水洗式トイレに流すなどが推奨されるのだろうと感じますが、現在はそこに完全に到達した訳ではありませんが、「雉打ち」などと揶揄された野糞がほぼ無くなって、涸沢カールには大規模なバイオトイレが設置された為か?梓川の大腸菌の量も徐々に減って来て、塩素の投入が無いにも拘らず水泳プールより安全になって来ていると思えるので、やがて夏季でも大腸菌は検出されない日がやって来ることも有り得ると思っています。上高地の河童橋の脇でも堂々と梓川の水を飲料水として補給することが出来る日がやって来ることを期待したいと思います。直接的関係は薄いかもしれないけれど、人間が登山を楽しみ、登山道の脇に排泄物を埋めて済ますという行為は、やはり自分勝手な安易な行為と言われても仕方無い物であろうから、流域の水質を汚染しない努力や自然界に人の痕跡を残すまいとする姿勢は、登山者が少ない場合なら無視できるレベルかも知れないが、多くの人がそこに行くようになるという現実を考えるのであれば、相応の対策を求められる事案であると認識しなくてはならず、同様に人が多く自然界に入って行くケースでは人間を優先する考えは捨てねばならないという事にも気づく必要があるのであり、そこに在る自然に対し足跡さえ残さないと言う配慮が人間には必要だと心に留めるべきであると感じるわけです。地球世界では人間が特権を持っているかのような振舞をせずに、総ての生物に対して敬意を払い共に生きる世界にして行くことが理想であろう、しかし、少し考えて見れば両立させられない生物がいる事にも気づくから、完全にすべての生物が天寿を全うできる日は決して来ないかもしれないが、人間だけでなく全ての生物は生きたいのであり、生きるためにここまで進化を遂げて来ていることにも目を向けなくてはならないだろう・・・。地球の生物は他の生物を犠牲にしないで生きて行ける種など殆ど居ないのだと言う事もきちんと理解しなくてはならないのだと思う・・・、そして、殺しまくって人間だけに都合の良い解釈をしながら生き続ける道と、出来るだけ他を殺さずに人が生きる道が有ると思うから、なるべく早く後者の道を選べる人類になることを期待したいと思う。ただ、人類全てがビーガンになれば良いとは微塵も思ってはいないので、どうか勘違いされませんようお願いします。そういう事では無いのです・・・。自分の気持ちの問題とは違うのです。
2022.06.22
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Web記事で読んだことだが、ドイツ人の筆者が言うには、はじめての「おつかい」と言う番組の成立は、日本なればこそであり、少なくともドイツでは到底考えられない事なのだそうだ。そしてそのドイツでは不可能と言わざるを得ない理由に、小児性愛者の多さが挙げられていて、その事は私を驚かすのに十分なことであった。(以下参照文) 小さな子どもを1人でおつかいに行かせられない最も深刻な理由は、「小児性愛者(ペドフィリア)」の存在です。前述のドイツ人のお母さんは、「ペドフィリアが怖くて、子どもを1人で外に出すなんてとてもできない」とも言います。 残念ながらペドフィリアの問題はどこの国にもありますが、日本よりもドイツの親のほうが子どもの被害について真剣に警戒している印象を受けます。ドイツの親は娘にテコンドーや柔道など格闘技を習わせることが多く、これは「女性として危険な目に遭ったとき、それに抵抗できるように」という防犯意識から習わせている側面もあります。 筆者の場合、習い事には通っていませんでしたが、子どもの頃からドイツ人の父親に「歩道を歩くときは建物側でもなく、路上駐車が多い車道側でもなく、道の真ん中を歩け」と口が酸っぱくなるほど言われました。不審者に建物や車中に引きずり込まれることを心配してのことだったようです。 そのほかにも、「子どもに愛想のいい男には要注意」「可愛い犬を連れた男は、その可愛い犬をもって、子どもの注意を引き、よからぬ行動に及ぶ可能性があるので信用しないこと」など、とにかく極端と言えるほど繰り返し言い聞かせられました。 当時はまだ町中での監視カメラが一般的でなかった時代で、ドイツでは地下駐車場でのレイプが多発していた時期でもあります。 筆者が思春期だった頃には、「地下駐車場には誰が潜んでいるかわからない。遠くから明らかに『女性がきた』とわかるような足音のするハイヒールを履くのは危ない」とまで言われました。そして筆者の方は最後にこう結んでいました。ドイツと日本の両国で生活をしてきて思うのは、「世界も早く日本のようになれ」ということです。子どもがひとりでおつかいに行けるのは、周囲の大人の優しい心があってこそ。これまで述べてきたように、そうした雰囲気はなかなか一朝一夕で作り出せるものではなく、文化として貴重なものだと思うのです。 もちろん欧米社会にも合理的で、日本よりよいところはたくさんあります。しかし、過去に「子どもをひとりでおつかいに行かせて、間違って店の物を壊したときに訴訟でも起こされたらどうするんだ」というドイツ人の懸念を聞いたときは、ちょっと悲しくなりました。だからやっぱり思うのです。世界も日本のようになればいいな、と。
2022.05.30
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このモデルは3D・CADの組立図にインポートすることで、装置のサイズを直感的に理解することが出来るので、そういう目的で利用されることが多いのですが、手足だけでなく頭部なども動かしてほぼ自由な姿勢を取らせることが出来ます。動画は4K画質で見られます。出来るだけ解像度の高い画面で見てください。昨日アップした動画が自分の都合の時間節約の為とは言え、余りにもモデルの能力を無視したものだったので、今日はこの人体モデルの出来る事を動きで表してみました。各部の関節がボールジョイントである為に、ほぼ自由な姿勢を取らせることが出来ます。現在背骨に柔軟性(モデルに基本的柔軟さは与えられない)が無い為、背骨を曲げる必要のある動作は出来ませんが、近日中にその点も改良したいと思います。(その場合は首から腰までのボディー部分を幾つかに分割して関節を追加することになります。)この人体モデルを利用したいと思って頂ける方がいらっしゃいましたら、是非コメント欄に書き込んで下さい。アッセンブリーと部品ファイルを無償で提供しようと思いますが、何時、誰がダウンロードしたか解らないのではやや寂しいので、とりあえず、ご要望があれば、メールなどでお送りいたしますので、フリーメールでも構いませんので、放棄しても良いアドレスを書き込んだコメントを入れてください。ただその際、アットマーク部分をカタカナやひらがなで、「アットマーク」などと表記してください。サイトへの迷惑コメントを防ぐ為にアットマークを禁止ワードにしているので、其れを書き込むとコメントできませんので注意してください。
2022.02.07
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これまでも何度かアップしている3D・CADで描いた人体だが、Webで日本以外のサイトも見てみたが、基本的なSolidworksの機能だけでリアルな人間の顔をモデリングしてあるデータはやはり皆無であった。プラグインソフトのサーフェース機能を使ったものは数点見ることが出来たが、手法としてはCGソフトのBlenderと同じ感じで描けている様であった。私が知らない内にだんだん便利になって、人の顔や体なども書きやすくなって行くのだ。そもそもソリッドモデラーと言うのは操作が簡単なので、機械工業製品の設計に使われてきたが、複雑な形状をモデリングすることをほぼ想定していないかのようなところもあって、自由曲面で構成される人体や顔などのモデリングには向いていないと世間では言われている。とは言っても、容易い訳では無くてもそうした機能が付与されていない訳では無いから、やる気とアイディアがあれば何処まで可能なのかを検証してみようという気が起きないわけでは無い。今日もそんな自由な3次曲面が苦手なはずのソリッドモデラーで描いた、「ほぼ自由曲面だけ」で構成するしかない人面の3Dモデルをアップしてみる。Solidworks等のポリゴン編集ができないソリッドモデラーでこれぐらいまで描けるのは、世界的に見ても私だけなのかもしれないのだけれど・・・、未だに他でソリッドモデラーの基本的な機能を使って描いた人面モデルを見かけないのは、さほどの需要は無いという事でもあろうし、機械設計が主な守備範囲のソリッドモデラーの3D・CADで、そこまで追及する人が殆ど居ないのが現実なのだろう・・・。ソリッドで描いたこういうモデルはSolidworksのようなソリッド系の3D・CADで簡単に使えるから、設計した装置や機械の傍らに立たせて大きさが直感的に解るように使われるのがこうした人体モデルの主な役割だ。しかし、リアル過ぎるとこれまた主張が強すぎる感も有るし、眼を描き過ぎることは、特定の表情を作るようなことにもなり易く、却って使いづらくなることも事実だ。そこを如何するかも含めて、なかなか難しいが、何しろモデリングが困難なものだから、これをやるには覚悟が必要になる。ただ、今回少しやってみて幾つか学びを得たことも有り、やはりチャレンジしない事にはスキルは上がらない事も痛感した・・・。
2022.02.04
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現在では米国やカナダ、英国などで展開が進んできた細胞培養肉だが、わが国でも順天堂大学での研究成果が発表されたりしている・・・。御存じの方も多いと思うが、現在の人類が、生きている牛や豚や鶏を殺して食肉としている現状は再生可能な社会秩序として成立し得ないことは理解されており、世界の人口のさらなる増大に地球は耐えられないと考えられていると言う訳です。そうした限界が後何年ほどでやって来るか?私には解りませんが、少なくとも現在の1.5~2倍まで人間が増える時代に見合った量の牛肉を生産することは困難になり、それ以前に穀物や牧草のための農地の不足も起きるはずだし、家畜の飼料の生産が追いつくのか?牛のゲップ由来のメタンガスが地球温暖化を壊滅的に進めてしてしまうのではないか?等も危惧されて来ています。私自身は、この細胞培養によって食肉を得る企業が多く設立されて、実際の生きた動物を殺さずに肉同等な食物を得ようという機運には賛成していて、更に無機物から食料を得る研究もやがて実現する日がやって来ると期待する者でもあります。牛や豚を殺さない畜産だけでなく、やがて植物由来の穀物さえ不足する時代がやって来ることは確実であり、人間のヒューマニズムは、生物全体に向けられる日がやってくるという事になる訳です。すでに細胞農業分野は発展を続けていて、ほぼ肉という食感や味は値段を考慮しなければ達成されつつあります。現在は食感や味の点で十分美味しい動物の細胞を人工的に培養した加工肉の値段は非常に高価であり、その価格を1/1000にまで出来れば、今の豚や牛に十分取って代われるところまで来ていると言われています。もちろん課題もまだ多いですが、100年を待つことなく細胞培養肉が普通にマーケットに並び、リアルな動物の肉は日陰者になるような日がやってくると考えられます。そうした細胞培養肉を研究し生産する企業は今後どんどんと増え、先行投資をする人も多くなって行くはずですから、加速的に食肉の培養化は進むと考えられるのです。順天堂大学の培養肉のニュースカナダの培養肉に関するニュース細胞培養で作られた豚バラとベーコン新たな産業としての動物細胞培養農業は今後様々な企業が手掛けて多くの富を生むと考えるのですが、その反面畜産業は衰退して行くことになるでしょうか?宗教的な立場やヒューマニズム思想は、いずれも生きている動物の命を奪う肉食習慣を止め得る細胞培養肉を普及させることに否定的な立場を取らないはずなので、やがて生きた動物を殺すことに対する非難を強める事となって行くと想像できますが、酪農や鶏卵事業は現状よりも隆盛になって行くと考えられ、食肉事業は時代と共に衰退することが予想されます。ただ細胞培養肉の生産は培養の元となる生きた動物の細胞が必要で、その動物の組織を採取することが不可欠であるため優秀な畜肉を提供できる種は改良されつつ生き残ることは明白です。つまり、食肉の味は組織を採取する元の動物の持つ遺伝子に依存すると考えられるため、それを提供できる優秀な和牛などの種は改良されるかもしれませんが激減するほどに数を減らすことは無いのかもしれません。恐らく、牛も豚も鶏も細胞組織を採取するための種母として大切に育てられて行くことは間違い無いはずです。例えば種母として少数を保護するようになるかと言えば、伝染病などで種が失われる危険を回避する必要性を考えれば、やはりある程度多様な種を数多く育てる必要もあると思えるのです。
2021.10.13
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コロナウイルスへの対策やワクチンの是非、その他の様々なコロナ関連のことに付いて沈黙している最中の私ですが、人々の行動に影響を与えないで済む、現状の解釈についてならまあ、良いかなと思うので、少し書いてみたい。デルタ株に依る第5波の急速な収束理由はその筋の専門家の間でも、いまだに解っていないのだそうですが、トーシローの私は、深く無く、浅~く考えて見たので、殆どジョークレベルの話として読んでいただきたいと思います・・・・笑。私の考えは、感染が頻繁に起き易い場所で時間を過ごす傾向にある人が一定数居たのは事実だろうと思いました・・・。どういう場所か?それはやはりマスクを外し飲食し、声を出すことがある場所で、しかも酒が自由に飲める環境が多かったのだろうと思われます。で、そういう場所に、こういう時でも出入りする人の特徴は、考え方にやや偏向があり、感染しても大したことではないとか?自然に感染して免疫を付けた方がむしろ良い、とか、真剣にコロナ感染症を恐れてはいない人だったという仮説です。その様な、危ないだろうと思われる、マスクを外す理由のある場所に平気で立ち入りを繰り返す人はデルタ株の感染し易さと相まって、素早く感染を受けたろうし、又そうした緩さを持って居る人は自分が感染した後も感染させる側に容易くなったはずと考えます。しかしそういう傾向のある人達は全体としてみればさほど多くはない為、直ぐに一巡し、ほとんどそういう方々は感染していまい、症状が出て検査しに行くはめになり、感染者の激増と言う第5波を作り出したうえ、入院や自宅待機などの隔離処置を受けることになったのではないでしょうか?つまり、若干無謀かもしれない人や大胆過ぎる人、或いはそういう人に引きずられてしまう人等が、或る一定数居るのは仕方ないことで、そういう傾向の人達は、飲食に際し神経質ではない為マスク無しでのおしゃべりをしてしまう等、デルタ株に感染し易かったとすれば、そういう人達は殆どあっという間に感染してしまい、市中からそんな人がどんどん消えていったという事や、マスク無しでしゃべくる場所も緊急事態宣言によって殆ど無くなったことも理由となって、急速にデルタ株に依る第5波は収束に向かったという事だと考えました。無神経と言われても仕方ないような或る一定数の人々はすでにアルファ株でも感染して徐々に減って来ていたと思いますが、ここにきて感染力の強いデルタ株に遭い、運良く未感染であった注意深くない人も、ついに概ね感染し終えた!。以上のような理由で急激に収束に向かったのでしょう・・・・・。違いますかね?追記:ただ、感染してしまった人は全員が無神経な訳では無く、仕事の同僚や取引先の人にそういう大胆な人が居て、とばっちりのように感染させられてしまった人もかなり大量に居たと思うので、感染者全てを無神経だと、偏見の眼で見ることは間違いでしょうね?
2021.09.30
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平均寿命と言うのは全ての人が81歳まで生きるという意味ではないから、私が何歳まで生きられるか判らないが、現在71歳と9か月になるから、あと10年で自分がこの世に居ないことを想定することは概ね間違った予想とは言えないだろう。その平均寿命の誤差と言うか?個人差を考えるなら72歳になる来年にはあの世行きという事もあるだろうし、平均値を大きく越えて生き続ける可能性も無いわけでは無いはずだ。それに比して女性の平均寿命は87歳4か月だそうだが、これは男性の作る男性ホルモンが関与している為に起きる差と言われることが多いようだ・・・。今から75年前の昭和20年頃では男女ともに平均寿命は50歳以下であり、人生50年と一般的に言われていたので、私は20年も前に死んでいて普通という事ですから、それは大きな驚きです。この大幅な平均寿命の延びに最も貢献したかもしれないと言われているのが喫煙率の低下で、1966年がピークと言われ、男性の喫煙率は83%あったそうですが、2020年では27%程度に低下したのだそうです。そして日本人の男性の死因の1位は悪性新生物、2位は心臓疾患、3位は脳血管疾患だそうで、これらトップ3の全てが喫煙習慣との繋がりが大きいとされていて、それは無視できない関係性を持つのかも知れません。その他にも医学の進歩によってトップ3以外の死因に繋がる疾病が克服されつつあるという事もあると思いますが、83%の男性が喫煙していた時代は受動喫煙と言う状態も現在とは全く異なるレベルで発生していたと考えられますから嫌煙権が確立した現在はその影響は無視できるほどになったと言えるだろうか・・・。しかし各種の健康に関する調査では、医療レベルの向上、国民皆保険制度により医療費が安いこと、国民の健康意識の高まり、日本人の食文化のバランスの良さ、日本人の遺伝的なアルコールに対する脆弱性などがその理由として挙げられている。ただ、先進国の中では日本人の男性の喫煙率は平均よりも高く、塩分の摂取量は最も高いとも言われており、滋賀県の男性の非喫煙率が1位であり塩分の摂取率も日本の平均よりかなり低いという事実が同県の日本の男性長寿率がトップであることと無関係ではないと言えそうですから、日本人の平均寿命は今後更に改善されて、現在の男女ともに2位から、やがてホンコンの首位を奪うところまで行くかも知れないと感じます。さて・・・、禁煙家であり、酒類の摂取はかなり少ない私の寿命はあと何年有ると考えるべきでしょうか?これまで私の一番の問題点は、仕事で座ったっきりで数か月を過ごすという生活習慣にあったことは明白ですから、少しでも運動を心掛け、ストレスを減らし、ボケない様にBlogを書いて屁理屈などをこねつつ、健康寿命を延ばしたいと思いますね・・・笑。コロナで死ぬつもりは無いけれど、運が悪ければどうなるか全く判らないから、その日がやって来るまで、出来るだけ何かの役に立ち、柔軟な思考と意識で謙虚さを保ち、誰かに必要とされるような人間で在りたいと強く願うのであります。最近は1年がとっても短く感じていて、多分1年は100日程度で過ぎてゆく印象ですから、もし、あと10年生きるとしてもその実感は1000日程度しかないかもしれないので・・・、あと3年にも感じない程度の残りの人生なのかな~・・・?これはもう充分短いね・・・・・笑。
2021.09.09
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程度の低い見出しと言うのは「郷ひろみ、『1億円の別荘』をひっそり売却」という見出しのことだ・・・・。週刊女性PRIMEに載った記事の紹介文のようだが、この見出しを見て大方の見当はついたが、案の定・・・、郷ひろみの葉山の別荘が不動産投資会社に売却されたというだけの事である。「ひっそり売却」と言う修飾文はおよそ品の無い修飾で、読者の心理に「こそこそと隠れるように不動産を売りに出した」と言うような印象を与えることになる誘導的な修飾語に違いないのだ。私は郷ひろみのファンでは無いが、ファンが見れば不愉快極まりない表現で、ひっそりと、などと言われない為には、マスコミを集めて「葉山の別荘を売却しますのでどなたか買ってくれませんか」と、自身が言うべきとでも言うのだろうか?ただ、知らせる必要のない部外者には当然知らせずに売り払ったという事だけなのですがね、こういう書き方って低俗過ぎますね・・・、恥ずかしくないのか?これで記事にすること自体、貶めているのと変わらないだろう・・・。いくらマスメディアに取り上げられることで成り立つ芸能人を扱った記事でも、この見出し文の書き方は明かに悪意が有ると思うが、許されることなのだろうか?。くだらない週刊誌の見出し批判でしょうもないBlogを一本書きました・・・・・・。
2021.06.12
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期待の角田はQ1の最初のアタックラップでクラッシュ!残念ながら最後尾スタートが決まりました・・・・。Q2ではペレスがトップタイム、アストンマーチンのベッテルは脱落、マクラーレンのランド・ノリスがいい感じです。アルピーヌはアロンソが脱落もオコンはQ3進出、フェラーリのサインツも脱落。Q3の10分が始まりました。ハミルトンが現在トップ、0.091差でフェルスタッペン、続いてペレス、4位はノリス5位にルクレール、そしてボッタス、ガスリー、オコン、リカルド、ストロールの順。未だ後5分あるので、ここからが本番。最後のアタック、ボッタスが真っ先に出て行ったが、タイムは出てない。ルイス・ハミルトントップ・・・。レッドブルのペレスがフェルスタッペンの上に出た、2位セルジオ・ペレス、3位にマックス・フェルスタッペン!!マクラーレンのノリスはわずかにトラックリミットを超えてタイム抹消、それが無ければあわやポールタイムか?と言う僅差の2位の内容でした。レッドブルとメルセデスの互角の戦いと言う雰囲気です。
2021.04.18
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CX-30の純正ナビシステムで音声コマンドでの目的地設定が出来ました。やはりすべての機能を知らなかったことでマツコネナビも使いこなせていなかったのです。しかし使ってみた感想では、やや言葉の聞き取り認識能力が弱いかもしれませんね。例えば、先ず最初にトークボタンを押して、合図音が鳴ったら直ぐに、「住所で探す」と言って、反応を待ちます、「都道府県から・・・・・」とナビが言い終わったら合図音がするので、直ぐに「千葉県 市川市 菅野」などと言います。するとまた次の言葉を要求されるので、合図音の後に「2丁目 5番地」などと言うと、マツコネ側が正しく聞き取っていればその住所が画面に表示されるので、合図音の後に「設定する」などの言葉を言えば完了します。さらに「電話番号で探す」と言えば電話番号を言う事で目的地設定も出来ましたので旅行の時予約した宿や食事処などを目的地にするには便利です。住所録のようなものがスマホに入れてあったり、名刺が有れば、運転中でもその住所を読むことでハンズフリーの音声入力で純正カーナビに目的地設定が出来ることが解りました。(ただ運転中にスマホを操作すると法令違反となるので、そこの所での注意は必要です。)また「施設で探す」・・・「長野県」・・・「善光寺」などと進んでも設定は出来るのですが、登録されている施設が限られているらしく完了しない場合も多いようです。ただ、高速道路のランプなどは比較的登録されているようで、「神奈川県」・・・「浮島入口」などではヒットしました。そして、トークボタンを押して合図音の後に「自宅へ帰る」と言えば、設定中のルート案内がキャンセルされて自宅への案内が始まります。ただ、「ルートをキャンセル」とトークボタンの後に言ってもこれまで何度もやってみましたが受け入れられませんでした。その代わり「目的地削除」と言う文言でルート案内を中止出来ました。問題は言葉を正確に、ある程度大きめの声で発音出来ていれば正しく聞き取って貰えますが、声が弱かったり発音がクリアでない場合は「認識できませんでした」となって再度喋る必要があり、2度失敗するとヘルプを参照するように言われたりします。概ね使えることが解ったので、私のマツコネへの評価は一変することになりました。マツコネは目的地の音声設定が出来るので、優秀な部類に入ります。山の名前や峠の名前では検索できませんが、音声コマンドで操作可能であることを評価します。目的地入力の方法が使い勝手の悪いコマンドダイアル操作だけしかないと、バカナビ呼ばわりしたことを反省しています・・・。私が学習不足で無知なだけでした。「ごめんなさい」しかし、この最近のマツコネナビの音声操作機能についてユーザーは皆知っているのでしょうか?ディーラーの営業マンにも私は説明してもらってはいませんし、今日電話してみてもはっきりとした知識は乏しい様でした・・・何故だろう、上手く使えば本当に便利で良い機能なので、絶対に使いこなすべきだと思いました・・・・。まあ、私が知らなかったというだけなら問題はありませんが・・・・。ハンズフリー電話は同じ手順ですが、あらかじめスマホとの連帯を確立しておく必要がありました。(これはMy MAZDAでコネクトが完了していればスマホに触れずに電話可能になりますから、法的にも運転中の通話でも問題はありません。)トークボタンを押して「電話する」と言って、合図音の後で、スマホに登録されている相手の名前を言えば・・・例「山田・・」とか言えば候補が画面に出て、選択画面ならどれかを選べば、電話がコールされる。電話が終わったら、トークボタンの右のボタンを押せば電話は切られます。今後は、マツコネの音声認識での目的地設定と、My MAZDAよりも検索が強力なNaviConの機能でマツコネでは設定できないような目的地を指定し、転送することで純正カーナビを上手く使って行こうと思います。
2021.04.14
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先日、オープン戦の大谷の記録のことを書いたが、いよいよシーズンは開幕し、期待の大谷は昨日とうとうピッチャーで出場してDHを使わずに打席に入った。全米に全国ネットでTV放送されたエンゼルスの試合の目玉はまさにリアル二刀流でゲームに出る大谷だったのだ・・・・。結果は皆さんご存じの通り、初回の投球で早くも100マイルオーバーの速球を投げて無失点で抑えた後、2番の打順で迎えた1回の裏のバッターボックスで高め真ん中付近の初球を捉えて右中間へとてつもない当たりのホームランをたたき込みました。打球速度115.2マイル(約185.4キロ)はMLBの今年の現在までの最高記録だそうで、且つてエンゼルスのトラウトが記録した115マイルを破ってエンゼルス新記録なのでそうです。投げての最速101.1マイル(162.7キロ)も今シーズンMLBの最速球だそうです。5回の2アウトまでこぎつけていたものの、勝ち投手の権利がかかった3アウト目がすんなりと取れずに勝ち投手にはなれませんでしたが、スリーアウトが取れたはずの三振時にキャッチャーが後逸して振り逃げになってしまい、おまけに一塁への悪送球、更に一塁からホームへの送球も悪送球で2点を失ってこの回3失点(自責点は1)でジャンプして補給に行った大谷の足元に走者がスライディングして交錯・・・。大谷は足を少し痛めたようでここでピッチャー交代になりました・・・・。ピッチャー交代に至る経過は少し残念ではありましたが、それまでの4回2/3で7三振を奪い全米の野球ファンとMLB関係者の全てが賛辞を贈るという素晴らしい才能を見せたことは紛れもない事実で、メジャーリーグベースボールの記録にリアル二刀流でのデビュー戦でホームランを打つと言う素晴らしい足跡を残したと言えます。メジャーリーグベースボールをしてこれぞ完璧なベースボールアスリートと言わしめる選手は日本人の大谷翔平なのです・・・・素晴らしい事ですね!!今年1年だけでも・・・、いや、出来るだけ健康で長く活躍してくれることを祈らずにはいられません。
2021.04.07
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「1番・投手」での先発出場は日本時代の2016年7月3日のソフトバンク戦以来1722日ぶり。まず打撃では初回先頭で左腕スネルから中前打を放ち、5回1死では左中間フェンスに直撃する一打を放った。2試合ぶり5度目のマルチ安打。2打数2安打1四球でオープン戦は打率.636、OPS1.836に上げた。守備では投手として先発して米国に渡って以来の最速164km/hの豪速球を投げたそうです。言わずと知れたメジャーリーグ大谷翔平の2021年のオープン戦の今日までの成績です。未だオープン戦と言えばそれまでなのだろうが、それにしても嘘のような打撃成績です、これまで9試合に出場し、全試合で安打を放ち、更に5試合で複数安打を打っている・・・、打率0.636も規定打席にちょっとだけ足りないのですがMLBの隠れ首位だそうですし、OPS1.836という数字のことを言えば1.0なら超一流と言われるものなのだそうですが、なんとその1.8倍以上に達していますからそれはまさに有り得ない数値なのです。( OPS=出塁率 と 長打率 とを足し合わせた値で、出塁率が4割で2塁打以上の長打率が5割の時、0.4+0.5=0.9となる数値です。)NBLでの生涯OPS記録順位 選手名 OPS1 王貞治 1.0802 松井秀喜 .9963 アレックス・カブレラ .9904 落合博満 .9875 タフィ・ローズ .9406 張本勲 .93347 中西太 .93258 小笠原道大 .9299 ブーマー・ウェルズ .92710松中信彦 .925MBLでのOPS記録では順位 選手名 OPS 1 ベーブ・ルース 1.164 (1935年引退) 2 テッド・ウィリアムズ 1.116 (1960年引退) 3 ルー・ゲーリッグ 1.080 (1939年引退) 4 バリー・ボンズ 1.051 (2007年引退) 5 ジミー・フォックス 1.038 (1945年引退) 6 ハンク・グリーンバーグ 1.017 (1947年引退) 7 ロジャース・ホーンスビー 1.010 (1930年引退 ) 8 マイク・トラウト 1.000 (エンジェルス現役) 9 マニー・ラミレス .996 (2012年引退) 10 マーク・マグワイア .982 (2001年引退)大谷オープン戦のOPS 1.836 (エンジェルス現役)上の表を見ると、極短期間であり、しかもオープン戦であるから公式な記録にもなりませんが、現時点9試合での大谷のオープン戦の打撃がどれだけ驚異的なものかが解ると思います。・・・しかも彼は投手なのです。 MLB公式サイトでは「2つの任務を担ったオオタニが熱狂させた『彼はフリークだ』」との見出しで記事を掲載。「二刀流のスター、ショウヘイ・オオタニは、万全でありさえすればダイヤモンド上のどんなことでもできるのだと証明している」また、あらゆるスポーツを熱心に追う米老舗メディア『Sports Illustrated』が、「2021年にチームの命運を握る6人」という特集記事のなかで、「いまのオオタニの才能はMLBでも五指に入る」と絶賛した。「オオタニはここ数年、本領を発揮し切れずにいた。しかし、今年は違う。いまの彼はゲリット・コール(ヤンキース)並みの剛腕を誇り、アーロン・ジャッジ(ヤンキース)並みの強打者だ。春のオープン戦で本格開花の兆しを見せているオオタニ。マイク・トラウトをポストシーズンに導くうえで、彼以上に頼れる存在はいない」怪我をせずにシーズンを通して活躍できることを祈らずにはいられない・・・。彼は大げさでなく人類にとって「夢」なのです。
2021.03.22
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マツダが「最良の車を作るブランド」で首位に輝いたことの意味は大きいと思うのは、コンシューマー・レポート誌が以下のような厳密な公平性を常に維持しながら審査していることで解ると思うのだが、例えば日本にこれと同じシステムを実行する中立的な機関がない事でも解るだろう。(青字部分引用)集計にあたりCR誌は、4つの指標を判断基準とした。実際に車両を購入し50回以上の評価テストを実施して導き出した「ロードテスト・スコア」、類似モデルのオーナーから寄せられた故障報告数から算出した「予測信頼性スコア」、オーナーが将来また同じモデルを買いたいかをアンケート調査で訊ねた「オーナー満足度」、そして衝突テストの結果と全グレードに標準搭載された安全装備から判断した「安全性スコア」だ。これら4つの指標を組み合わせた総合スコアの順のランキングとなっている。 コンシューマー・レポート誌(2月18日。以下「CR誌」)が発表したランキングは以下の通り。かっこ内に前年からの順位の変動と、ブランドの総合スコアを示した。1位(↑3):マツダ(80)2位(↑6):BMW(78)3位(±0):スバル(76)4位(↓3):ポルシェ(76)5位(↑10):ホンダ(75)6位(↓1):レクサス(75)7位(↑5):トヨタ(74)8位(↑10):クライスラー(74)9位(↑10):ビュイック(72)10位(↓3):ヒュンダイ(71)10位以下のメーカーで知名度のあるものを挙げると11位:アウディ13位:日産16位:テスラ18位:フォルクスワーゲン21位:メルセデス・ベンツ25位:フォード29位:ジープ30位:三菱32位:アルファ・ロメオ(最下位)このランキングは、誰かの好き嫌いで選ばれていない事、性能の数値の良し悪しに大きすぎる焦点を当てていない事、美しいかどうかを主要な選別対象としていない事、10年単位の長期的な耐久力については調査が十分とまでは言えない事、等を織り込んで読む必要はあると思うが、冒頭に書いた様にこのコンシューマーズ・ユニオンが実際に車を購入して50回以上の評価テストを実施して導き出した「ロードテスト・スコア」を始め「予測信頼性スコア」、「オーナー満足度」、「安全性スコア」の4つの指標を組み合わせた総合スコアの順のランキングであるという事に注目していただきたいのです。(「オーナー満足度」の中には、「性能と美しさ」も、恐らく隠れて評価に含まれているはずですが)マツダの車は7車種がテストされたと書いてありましたから、その他のメーカーも恐らく同様に主要車種は購入され、数十回に及ぶ評価テストがなされたと思われます。(日本の自動車評論家のごとく、他人の褌で相撲を取るようにメーカーに貸与された車を、お世辞交じりに語って生計を立てる。そんな評価とは全く異なる次元と言えて、実際に車を購入して評価するので、遠慮無く悪いものは悪いと言える環境で評価が行なわれると言うことを意味します。) それを知れば知るほど、こうした分厚い評価テストを経てマツダが最も高得点をたたき出したことは真の評価に値すると言えると思うのです。私のような疑り深い人間は、メーカーのロビー活動は一切ないと言えるのか?テスト車両の納入に何の便宜も受けていないと証明できるのか?評価テストをするテストドライバーは本当に買収されてはいないのか?等の疑問が起きない訳ではありませんが、恐らくこのコンシューマーズ・ユニオンという組織にとってそこは不可侵の領域として維持しているところでもあるはずで、それがこの組織の生命線であると思えることから、もし、それを買収しようと試みたメーカーはどんな扱いを受けるかを想像すれば、恐らく「致命傷を受ける」と理解されているのではないだろうか?私としてはコンシューマーズ・ユニオンのその公平性の管理の仕方について詳しく知りたいと強く思うと同時に、日本人に大人気の有名なドイツのメーカーが10位に入った韓国のヒュンダイ以下の下位に名を連ねていることが驚きであり、その中でも特にメルセデスの21位が目を引きました。
2021.03.21
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F1プレシーズンテスト3日目最終セッションが始まりました。*25分経過しましたがラップタイムは午前中のタイムを未だ誰も更新していません。*1時間が経過しましたがこの時間帯は殆どの車がロングラン走行をしている様で、トップタイムを更新するような車は出てきていません。*残り2時間ですがダニエルリカルドがタイムアップして3位に入って来ました。*残り1時間50で、レッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンが1:29.942でトップタイムを出しました(タイヤはC3相当のプロトタイプ)。*いよいよタイムアタックが始まるかな?*1時間35分経過時点でマクラーレン・メルセデスのダニエル・リカルドが0.202差の2番手タイムを出しました(タイヤはC3)。*残り1時間29分の時点でアルファ・ロメオ・フェラーリのキミ・ライコネンがマックスから0.5秒差の4番手タイムを出しました。*残り1:23分でレッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンが更新して1:29.792(タイヤはC3相当のプロトタイプの新品)。*残り1時間13分でメルセデスのルイス・ハミルトンがC5タイヤを装着してこれからアタックする模様。*残り1時間18で分で角田裕毅はC4のユーズドタイヤで、9番手ガスリーのタイムに0.5秒遅れ。*残り1時間16分、アルピーヌ・ルノーのフェルナンド・アロンソがマックスから0.526遅れの4番手タイムを出しました。*残り1時間6分、角田裕毅はC4のタイヤで、2番手タイム、トップのマックスに0.244秒差!角田やるな~・・・。*残り1時間、メルセデスのルイス・ハミルトン、C5タイヤでトップから0.851秒遅れで8番手!どうしたメルセデス??*残り55分で角田裕毅はC4のタイヤで、トップタイムを出しました。フェルスタッペンを0.014上回った。しかし直後にアルファロメオのキミ・ライコネン(C5タイヤ)に0.011秒上回られで現在2番手。タイヤが一段角田よりも柔らかいから角田の方が実質は上)*残り45分、マックス・フェルスタッペンがトップタイム1:29.733しかもC3タイヤだ!!C5タイヤならあと1秒以上速くなる!!*残り43分、角田裕毅はC4のタイヤで、1:29.671でトップタイムをマーク。*残り36分、角田がC5タイヤで1:29.289でトップタイム!更新!*残り30分マックス・フェルスタッペン意地のC4タイヤで1:28.960でトップタイム!マックスと角田のHONDAエンジン同士のマッチレースの様相!!その直後角田が1:29.053で2番手タイム!!さすがマックス、1ランク固いタイヤだ!それでもアルファタウリとレッドブルのマシン差を考えれば互角か?これをモータージャーナリズムは何と書くのか?「スーパールーキーの誕生」というのでしょうか??F1でレースをしたことさえなかった日本の20歳の新人がマックスと互角に戦って1位と2位のタイムでプレシーズンテストを締めくくるとは・・・・・。Posted at 2021/03/14 21:26:02 | コメント(2) | トラックバック(0) | F1 | 日
2021.03.15
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失業率が1%増えると自殺者は2339人増えると言われている。日本の就業人口は6700万人程。ここ1年間で約50万人の失業者が増えて完全失業者は220万人にも及ぶという。昨年末付近での50万人の失業者の増加は全就業者数6700万人の0.74%だが今年の2月の統計は未だ解らないが、更に失業者は増えているはずだから、67万人に達していれば1%となり、算術的には2020年度は2340人程の自殺者数に達するかもしれない。増えた自殺者は、COVID-19での死者が75歳以上に大きく偏っていることに反して、働ける年齢層にある人達である。昨年、日本人のCOVID-19に感染したことによる死者数は3118人であった。私は高齢者の仲間だからCOVID-19に感染すれば死ぬ確率は5%近くあるはずだが、既往症が少ないのでもう少し生き残れる可能性はあるかもしれない。しかし、失業がきっかけとなって自殺してしまうことになる人達は、未だ人生を楽しめる時間もあったろうし、ともに生きるべき家族もいることが多いとも思う。言うなれば、働き手が死ぬことで生活が苦しくなる扶養家族などの人数が我々の世代よりもはるかに多いのではないかと想像出来るから、不幸の連鎖が起きてしまうように感じる。更に私のような高齢者がCOVID-19に感染し重症化することで医療の逼迫に拍車を掛ければ、助かるべきより若い世代の医療機会を減らすことにもなりかねないから、私たち夫婦は外に出かけてもCOVID-19に感染しないための最大限に近い努力は怠らないようにしているし、出来るだけ家に居て、車で出た時には車外へ出る機会を出来るだけ減らすようにしてきた。私が、少しでも早く緊急事態宣言を解除して経済が回るようにすべきと考えるようになったのは、1%失業者が増えると2339人の自殺者が増えるという事を知ったからと言うだけではない・・・。私はすでに70年以上も生きて人生を楽しんだし、チャレンジ可能な時間とチャンスは充分与えられたと思う・・・。だから、せめて私が生き残ろうともがくことで、より若い人たちの可能性や命を奪う原因にはなりたくないのだ。それが故、私はCOVID-19に感染してはならないと思います。生き続けることは万人の願う事だから、私も当然生き続けていたいが、私が医療現場のリソースを逼迫させる原因にはなりたくないし、私のような高齢者を守るために経済を委縮させるような政策も決して選んでほしくない。それより、自分の命は自分で守るから、早く経済を回して失業者を減らし自殺する人を少なくして欲しいし、死ななくても良いより若い人に医療のリソースを振り向けて欲しいのだ・・・。「老兵は死なず、ただ、少しはわきまえていたいね・・・」
2021.02.27
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私は、今回のコロナ禍では感染しないことが最良の対策という見地から物を言ってきました。しかし、コロナウイルス(COVID-19)に感染したかもしれない症状がある時や、病院へ行くしかない様々な状況になっても、家に籠って重症化しないように幸運を祈り続けるべきとはさすがに思わない。コロナウイルス(COVID-19)が日本に上陸して約1年が経ちましたが、一般開業医や民間の病院の医師を束ねる日本医師会の代表者たちは、医療崩壊寸前であると言い、庶民に一層の自粛を求めるばかりであり、政府もそれに異論を唱えることも無い。今更ですが、実際問題としては医療が逼迫しているのは国立などの公的な病院のことであり、一部の病院を除く殆どの民間病院は新型コロナ感染患者を受け入れて居ないという事なのです。厚生労働省の調べによると、全国にある病院は約8900か所。(ここでいう病院とは医療法で、病床数20床以上の入院施設を持つ医療機関を指します。)そのうち公的病院は19.8% 民間病院は80.2%。つまり全国にある病院の約8割が民間病院ということになりますから・・・全国の医療機関の8割近くがコロナ患者を受け入れず、言うなれば「知らんぷりを決め込んでいる」という事になりますよね。(民間病院は全てコロナを受け入れていないという事では無いが、決して多くは無いのは事実)世界的な流行で、ヨーロッパ諸国やアメリカでの患者数の1/10~1/100程度の患者しか出ていない上に十分とも言える受け入れベッド数を誇る日本で、日本医師会を代表する人が何故日本の医療は崩壊寸前と言うのか?その意味が解りました。多くの民間の病院はCOVID-19患者をほぼ受け入れずにいるからで、それをさも当然のことのように言い、それを前提に逼迫していると言う訳です。悪く言えば、COVID-19患者について民間病院は知らんぷりでも良くて、公的病院が崩壊寸前であることを、あたかも日本中の病院のことのようにインタビューで答える日本医師会の代弁者が居るという事なんです。多分ですが、こんな国世界では日本だけじゃないでしょうか?確かに公的な病院だけでこのコロナ禍を切り抜けられれば、それはそれとして凄い事ではありますが、公的な病院に勤める医師や看護師には計り知れない負荷がのしかかっていても、民間病院の医師も看護師も他人事という事なのでしょうね?もしそうだとしたら、「それは可笑しい」と言いたくなります。そもそも、感染症を理由に病院は患者を拒否できるのですか?という疑問も当然湧いて来ます・・・。「医の倫理綱領」の前文には「医学および医療は、病める人の治療はもとより、人びとの健康の維持 もしくは増進を図るもので、医師は責任の重大性を認識し、人類愛を基にすべての人に奉仕するものである」と書かれているし、6項目の第4には「医師は医療関係者と協力して医療に尽くす」、第6には「医師は医業にあたって営利を目的としない」と書かれている。これを見る限り「医は仁術なり」と今も宣言しているが・・・。つまり日本医師会が率先して民間病院でもコロナ患者を受け入れるために努力して、方策を練り、一般のコロナ以外の患者のリスクを増やさないやり方を検討しなくてはならなかったのではないかと思うわけですよ。8割近い病院が「COVID-19に感染した患者は他の病院へ行ってください」と言えば、さすがにCOVID-19患者を受け入れている病院は逼迫して崩壊寸前になるでしょうよ。大阪市では十三市民病院をコロナ専用にしたら10人の医師が〝敵前逃亡″して辞めてしまったらしいし、全国の病院の看護師の離職が15%、重傷患者指定病院での離職は21%に上るという。自分が「感染するのが怖い」という事と、以前には経験しなかった過重勤務に嫌気がさしての離職だという。また、日本では、COVID-19対応に従事する現場のお医者さんに1時間1万5000円、8時間なら日当12万円つけるそうだが、ある開業医がTVで『そんな金額では行けない』とコメントしていたそうだ・・・。「医師は医業にあたって営利を目的としない」というのは「医の倫理綱領」に明文化されていることではなかったのでしょうか?敵前逃亡する医師も、ギャランティーによって態度を変える医師も、医師免許剥奪で良いと思いますが、どう思いますか?医師になるという事の大前提であると私は今も考えています。そんな国日本以外には無いのじゃないかと思うんですよ?どうした日本?何してるの日本の医者?可笑しいよ日本医師会!!日当12万円でもCOVID-19から逃げるなら、20万にしてでも引き留めるべきでしょうか?「医師は医業にあたって営利を目的としない」という「医の倫理綱領」を読み上げて差し上げましょうよね・・・。私はこの現代にあっても「医は仁術なり」と考える人だけが医師になる資格があると考えます。日本の医師の数は27万人前後でありますが、そのうちCOVID-19などの感染症と対峙することになる医師の数は内科、呼吸器科、循環器科等の9万人程度で、そのうち20床以上の入院病床のある病院に勤務する勤務医は約5.5万人程で、残りの3.5万人程は診療所等の開業医という事になります。つまり、日本では約5万人前後の勤務医がCOVID-19などの感染症などの病気に対応しますが、そのうちの20%が公的な病院勤務者という計算になり、その数はわずかに1.2~1.5万人程です。(COVID-19患者を受け入れている病院内では専門以外の医師も応援勤務していると想像されます。)日本に27万人以上いる医師の中のたったの1万人前後の医師がコロナウイルスと実際に対峙していることになりますが、病院の数1762に対したったの1.5万人ですから公的病院一ヶ所に対し僅7~8人で、突発的に増えたCOVID-19感染症の病人も診ていることになります・・・。その方たちの過重勤務状態を考えると、本当に頭が下がります。内科の開業医を含めれば日本にはまだ他に6万人以上の感染症と戦える力を持った医師が居るはずです。【病人を救うのは感染症と戦える力を持った者(医師免許を持つ者)の使命だ!と言ってはいけませんか?】そういう人たちの力を借りるような医師会の知恵が望まれるし、活躍していただける野戦病院のような臨時の特設病院が全国に展開されるべきでは無いでしょうか?日本のCOVID-19に対する医療は何かおかしいと感じます。
2021.02.15
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Qアノンと呼ばれるグループの発信した幾つかの真実ではないかもしれない情報は全世界を駆け巡り、とりわけそれはアメリカの大統領選挙の行方を左右するかもしれないと思わせた。(それが何時になればフェイクであったと結論付けられるのか皆目私には解らない)このことは、どちらが真実でどちらが虚偽であるかを見極めることが非常に困難になって来た21世紀初頭の情報信憑性の問題を象徴するものだと私は思う。どうして2020~2021年にそうしたことが露わになったかと言えば、情報端末機の世界的普及がその理由という事は誰にでも想像の付くことのように思うが如何だろう。一昔前ではTV・ラジオ・新聞などがメディアを代表する存在であったものが、少しずつ変化して、今やスマートフォンに代表される情報発信機能を持つ端末機に取って代わられようそしているのがその理由であると私は思っている。TV、ラジオ、新聞は、高い信頼感を持たれていた時代があったと言えるが、その信頼されていたはずのTVや新聞といったメディアがいつの間にか違う企業に買い取られたり乗っ取られたようになって、報道内容が偏向していると多くの人に見抜かれてしまったことも原因の一つかもしれない。日本でも、まさか新聞が嘘を書くはずは無いだろう?と多くの人々が思っていた時代は、朝日新聞の慰安婦関連の記事取り消し報道以前よりずっと早くに終わり始めており、朝日新聞社が吉田清治証言に関する記事を取り消した後、世界に向けて同様な取り消しを行っていないことなどがあって、さらに信頼の崩壊は速度を速めて進んで来たと感じています。その信用崩壊の原因でもある吉田清治の嘘の証言(後に吉田清治本人が虚言を認めた)を朝日新聞の記者や経営者達までが簡単に信じてしまったことと、朝日新聞社そのものがそうした話を信用して受け入れてしまい易い何らかの信条的背景を持つ者達が多く在籍している場所であったところにこの問題の出発点があると気づかねばならないのだと思います。つまり、現在の「双方向性のある情報端末機によって得られる人々の反応情報の方がTVや新聞からの情報よりも信じられるものだ」というふうに変化してきていることと同様に、朝日新聞が信用を失った根源に一人の人間の書いた小説と嘘の証言を信じた、或いは信じたかったという明確な過ちがあって、所詮人間の信じるという行為は、そもそも伝聞情報の状況認識に過ぎず、正誤判断に失敗することは簡単に起き得る。ということを示し見せてくれているのである。このことは、同じ文言での情報であってもそれを受け取る信条的なバックボーン如何によっては違う認識を生むという事であり、具体的には「信じる」「信じない」という正反対の結論に至り得ることを示すのです。翻って見て、アメリカ大統領選挙での様々な情報の氾濫では、現実離れしたようなことが今まさに起きようとしていると言った情報がネットワークに流れ出し、様々な現実をどう解釈するべきかという点で多様な解釈が生まれ、双方向機能を持つ情報端末機の劇的な普及によってネット上には真偽の判定が困難な膨大な情報が複製され、或いは加飾されて何重にも流布されました。当然の帰結として、多くのアメリカ人だけでなく世界中でその真偽の定かでない情報は読まれることになりましたから、その真偽不明の情報はそれを知った人間の信条的なバックボーンを反映することになって、自分にとって望ましい情報と感じた人を信じさせることになるのは防ぎようが無かったでしょう。膠着した世界で身動きが出来ないと感じる充分裕福でない者の多くは、自分の安全が見通せる状況であればほぼ間違いなく革命的なシャッフルが起きることを期待しているはずですから、エスタブリッシュメントによる世界支配を破壊するというシナリオは現状に不満を持つ、「私を含む多くの人々」に歓迎され、期待されたのです。このことは今後の地球世界を想像するうえで実に大きなヒントを与えていると思います。世界中の人々が制限なく双方向機能のある情報端末を持つ時代に近づくことで何が起きるか、何が起きやすいか、いや・・・、何を起こし易いかという事に気付かねばならないだろう。現実にアメリカでは十分に統制されたものとは言いがたいかもしれないがすでに起きたのだ・・・。Qアノンによる真偽不明の情報の流布は予想以上に力があったと思うので、今後のネットワーク情報社会の中で我々は何を信じ何をもってフェイクと判断するかによって社会が大きく変化することになって行く可能性があると解ったのです。しかし、残念ながらそのような真偽不明の情報の中から真実を選び出すという明確な指針や方法を持っている人など殆ど居ないのだろう、という事も同時に解ったように思えます。賢明な人であれば、真偽不明の情報が今後も大量に生産され、ネットワークに溢れる社会というものを予想しているでしょう。しかし個人が何を真実として認識すべきかという事に及ぶ時、伝聞情報の真偽を確実に見分ける手段は殆ど無いと気づくことになるはずです。真偽を確認できないのは絶対がこの世には無いという事の証明でもあるからで、絶対感が自己の存在だけでしかないことは今言われ始めたことではないけれど、情報が一瞬で世界を駆け巡る世界では情報の真偽を正しく見極めることが事実上不可能に近いことを覚悟して生きねばならないという事になるだろう。薄氷の張る池の上で重心を片足に全て載せてしまう事はリスクがあるのと同様に、一つの情報を完全に信じ切って次へと進むことは大きなリスクを伴うという事です。Webからの伝聞情報、映像情報はフェイクであると先ず疑ってみることです。それが21世紀のネットワーク社会の歩き方と私は思っています。そしてその上で自分が可能な行動半径の範囲内の小さなリスクの中で生きることをお勧めしたいと考えます。ネットワークの情報は貴方の持つ財産を奪おうとしていると考えるぐらいが丁度良いでしょう。どうか・・・、騙されたとしても、散財しないことに注意を払ってください。やがて社会を二分するような大きな判断を強いるフェイクがきっとネットワークに躍り出る日が来ることでしょう・・・・、「ご注意ください、伝聞情報が真実でない可能性は十分高いのです。」
2021.02.05
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コロナの話で恐縮です。私は学者でもなければ、医者でもない、まして私の発言はせいぜいこのblogを読んでくれた人に伝わるかどうかという微力なものでしかない。だから、基本的に言って、世の中の事をまことしやかに切って見せても、何の役にも立たないと思っています。なにか解っているなら解決法を言えば良いだけだ。誰に何を言われようが構わない、自分の名誉も関係ない、正しいかどうかもどこで決める?もし参考になるならそれで良い、受け取る人がそれで役に立つなら意味はある。野戦病院が必要だったと言う、べき論も今は私が言っても何の力にもなり得ないだろう、これは10万円を給付するよりも野戦病院を作るべきだという政府に対する私の意見ですが、幾らここで書いても政府に私の声など届かないだろう。本当は今からでもやるべき対策の一つなのですがね。それらすべてをひっくるめて、今、私が言えることは、高齢であれば特に「出来るだけ感染しないようにしましょう」という事だけです。その為に、私は、高性能なマスクを手に入れてくださいと言ってきました。そして飲み物はお茶を持ち歩いて、ウガイするように飲みましょうと言います。手指はエチルアルコールで良く消毒するのが簡単ですとも言いますが、手荒れの起きる人はハンドクリームをお忘れなくとも言います。その上で、出来るだけ家から出ないで過ごしましょう!どうしても外出するときは高性能なマスク(N95やKN95規格)を着けた上で人ごみはなるべく避けましょう。これが今私が言い得る解決方法です。残念ながらこれだけです。兎に角、確実なワクチン接種が完了するまで「自分の命を守れるのは自分だけ」と肝に銘じてください。他人の良識に期待する時ではありません。だって・・・、現実として言える事は、他人がどうであれ、自分自身が出来ることでしか自分を守れる確実な方法は無いでしょう?この際他力はあてにならないのです。もしコロナに感染したら自分の望むような治療は受けられるか?と言えばそれは無理かもしれないと覚悟しなくてはなりません。だから今!労を惜しまず感染しないで済むように最大限の努力をしましょう!それが最も有効だと思います。
2021.01.22
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1942年(昭和17年)4月18日にアメリカ軍のジミー・ドーリットルの率いる16機のB25爆撃機が東京・名古屋などを空襲した。突然の空襲に日本の政府は何の対策も出来ていないのか?という情けない思いが被害を受けた人達の胸には去来したのではないだろうか?初空襲を受けた日本側の被害は死者87名、重傷者151名(うち後日死亡1名)、軽傷者311名以上、家屋全壊・全焼112棟(180戸)以上、半壊・半焼53棟(106戸)以上であった。とされ、当時の大本営の発表では「9機を撃墜した」としているが実際は一機も撃墜などされておらず、また誰も墜落するB25を見ておらず、その発表を空襲を受けた人は信じはしなかったはずだ(参照:ウイキペディア)1941年の12月8日に日本軍が真珠湾を攻撃した4か月後でもあり、米軍の反撃が有り得ると考えていなくてはならない日本であったはずです。でも準備は何もできていなかったと言われても仕方ないほどでありました。日本の領空で一機も撃ち落とすことが出来ていなかった上に日本人549名の死傷者が出ました。非常事態になっても、国民を殆ど助けられない政府、対策は後手を踏み、その後のB29の爆撃でも撃墜などの戦果は延べ3万3千機の爆撃機会に対し2%前後しか迎撃に成功しては居ず、50万人以上の民間人が空爆で死亡しているのである。要するに、いくら戦争とは言っても日本国政府が国民を守れないのは80年近く前の大東亜戦争当時から変わっていない訳で、3.11東日本大震災に対し日本国政府があれだけ過去津波でやられている三陸であるにもかかわらず、十分な対策など出来てはいませんでしたし、今回のコロナ禍での政策が国民を守れるのか?と言えば御覧のとおりモタモタギクシャクなのは今始まったことではないなあ~と気づく。(それを考えれば、北条時宗と鎌倉武士には感謝してもし切れない程であり、素晴らしかったね・・・・。)大東亜戦争の当時、防空壕に入ってじっと耐えるしか我々庶民が助かる道はないという所も、ちょっと今と似ています。むしろ家に籠っていれば何とかなるなら、暗い洞穴の防空壕でないだけまだずっとマシと言えそうだ・・・。経済をロックダウンさせて、様々な企業を倒産に追い込んででも、リタイアした高齢者の命をコロナウイルスから守るのが政府のすべき優先順位でしょうか?コロナで死ぬ人は9割以上が60歳以上の殆ど生産しない世代人なのだからね!良く考えてみようではありませんか、自分が高齢者で無かったらリタイアした高齢者の命を守る為に経済をないがしろにして日本をダメにすべきではないと考えても不思議では無いでしょう?だから、空襲と同じです、あまり外出せずにじっと耐えるのが我々高齢者の務めだろう?うろうろ出歩いて感染してる場合かよ?そんな我々の世代が政府に特別に守ってもらえないのはむしろ当たり前!平等に扱っていただいているのが現在ですから、それでも圧倒的に高齢者に死者が多いのは加齢によって体が弱くなってしまっているからで、仕方ない事だと腹を括らないとね。感染し病院を圧迫して足を引っ張って日本をこれ以上ダメにしたくはないから、自分の命は自分の力で自衛して頑張る以外に道はない!!感染して病院に行っても多分満杯で入院も出来ないはずだからね!感染しないように最善を尽くす他に良い手立ては無いのじゃない?!。それが自分の為でもあるし、日本人全体の為でもあることは間違いないのではありませんか?
2021.01.17
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私が異常なのか?多くの人が現実を理解していないのか?今の都市圏のコロナ感染者の存在率は約1%~2%で、感染後5日で発病することが多いとされ、感染3日目と4日目が最も他人にウイルスを伝染す可能性が高いそうです。このことは大変重要で、自分が感染しても全く自覚症状もない3日目~4日目に最も多くウイルスを周囲にばらまくことになるそうです。それが理由で感染が増え続け、収束しづらいと言えます。私が今ここで言いたいことは、外出し、交通機関や駅、街路、スーパーマーケットで何人とすれちがったりするのか?という事です。2%の感染者が町に普通にいるという事は、1週間後には何倍かに増える可能性があるから、その増える一人に自分がならないために何が出来るか?である。普通に市販されているマスクは、自分の口から飛沫が勢いよく飛び出すのを防ぐだけで、空中を漂うウイルスを食い止める効果はほぼ無いですから至近距離でそうした感染者とすれ違えば感染する確率は有ると思えます。しかし、N95マスクであれば、普通のマスクの10倍程もウイルスの侵入を防げると思われますから、鼻の脇から無防備に吸い込む普通のマスクの性能と比較すれば100倍ほどもウイルスを瀬戸際で食い止めるかもしれません。少なく見積もっても普通のマスクで繁華街を歩くのと比べれば5倍~10倍ほど感染確率を下げられるのではないかという事です。10枚1000円~2000円でN95マスクやKN95マスクがWebショップで買えるので、高齢で感染したくない方はご一考いただいても良いかと思っています。私は普段からN95マスクを着用していますが、マーケットなどでも奇異の目で見られることもありませんし、走るわけでもないので息苦しくもありませんよ。もちろん何もしないでも感染しない確率も未だ相当高いですから、そんなものは必要ないと考えるのは個人の自由ですし、失敗しても自分の命のことですから、それで良いかもしれませんが、自分だけが死ぬなら自業自得という事ですが、自分が知らないうちに誰かに感染させることになるのも・・・個人の自由と言うのですかね?。大阪ではコロナでの死者の97%が60歳以上の人でした。そして60歳以上の感染者の6%は死に至りました。今後の状況次第では入院できない人が激増し60歳以上の死亡確率もさらに跳ね上がることもあり得ますね・・・。感染しても確実に治療が可能であれば問題はないですが、このコロナはそうはいきませんから、ワクチンの接種出来るようになるまでは感染しないことが生き残るということで言えば重要になります。60歳以上が罹患すると6%が死ぬ・・・、その数字をどう感じるか?人によって感覚は大きく違いますからね・・・・・何とも言えません・・・極若い世代の人たちが「いっそ老人が沢山死ねば有難い」と内心思ったとしても、あまり責められない事のように思うけれど積極的にスプレッダーになろうとすれば未必の故意殺人に近い行為だ・・・。なかなか難しいなあ・・・・。まあ、故意のスプレッダーが本当にいるかもしれないと思って、まだ死にたくない高齢者は最善を尽くして自衛すべきと思うけれどね!!
2021.01.15
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被害妄想と笑われても仕方ないようなBlog記事です。政府のコロナ対策を見ていると、外国人の入国を禁じないところなどからも、この政府は年金受給者がきれいさっぱり死ぬことを願っているのではないかと思えてきた。うすうす気づいてはいたけれどそうとしか思えなくなってきた・・・。例えばだけれど、70歳を過ぎて仕事の最前線で現役バリバリという人はたいへん少ないはずです。そこへ来てこのコロナウイルスで重症化し死んでゆくのは殆ど70歳以上の人が圧倒的で、80歳以上はもっと死亡率は高いです。死んでも日本のGDPは下がらないし、年金の支給額だけが減って行く・・・。死んでゆく人以外誰も困らないのです・・・・。というより年金庁は大喜びなのでは?だからなのか?完全ロックダウンをやらない・・・、中小の企業を守らねばと言いつつ中途半端な政策に終始して、結局高齢者の死者は増え続けるのかな・・・・。それでも死ぬのは70歳以上の世代が圧倒的多数で、政府は大助かり、だって税金を納めずに年金だけはしっかり貰っている世代だけがバタバタと死んでゆくわけなのだから・・・・。願ったり叶ったりなのではないか?違いますか?70歳以上がたくさん死ぬと日本はどうなりますか?異常な社会になってゆきますか?今より健全な社会になってゆくのでは無いですか?皆さん口に出して言わないだけで、みんなでそう思っているのですかね?そうなんですか?私可笑しいですか?精神遣られてますか?単なる被害妄想と言えますか?
2021.01.11
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明日あたりに非常事態宣言が再び出されるらしいのだが・・・・。正直に言えば、どうでもよい話だと思うし、菅総理の判断がどうのこうのと批判めいたことを言ったところで何も始まらないでしょ?最も知りたいことは今自分に何が出来るかという事だけではないですか?問題は自分(70歳以上)が感染した場合、重症化する可能性は非常に高く30歳代の10倍程、死亡に至る確率は30歳代の150倍ほど高いという事だろう・・・。非常事態宣言によって飲食店の営業が制限されるのが主な対策らしいが、これはマスク外さないと飲食ができない為、不特定多数の人間が飲食店で互いの吐く飛沫を含んだ息を吸い合うことを防ごうという事である。気が緩みがちな飲酒を伴う居酒屋での会合やカラオケなどが同様に危険視されるのはマスクを外して飛沫を多く吐き出す環境であるという事だからだ。本来、その効果を持ちつつ飲食店を休業に追い込まないためには、飲食店内での会話禁止という手法が有り得るのだが、いまだにクシャミ、咳、おしゃべり禁止という方針を打ち出している飲食店を見かけないのはどうしてだろう?まあ、当然のことなのだが、カラオケは声を出さなければ成立しない場所だし、居酒屋で通夜の如く全員が押し黙っていることは有り得ないことだと解るが・・・。つまり、どこに隠れ感染者が紛れているかが判らないから、とりあえず全員にマスクを義務付けて「ウイルスを含んだ飛沫をまき散らし放題にはさせまい」としているのが現在地であり、厳密な話で言えば、運悪くそうした隠れ感染者のごく近くに居れば、たとえその感染者がマスクをしていたとしても僅かずつウイルスを含んだ呼気を吸ってしまう可能性は排除できないのです。しかし、そのように、もし極近くに感染者がいたとしてもその感染者がクシャミも咳もせず口をつぐんだままの場合であれば、殆どウイルスを含んだ飛沫はマスクに防がれて殆ど大気中には出ず、呼気に少量含まれるウイルスがほんのすこしずつしか出ないはずである。今、私たち夫婦が週に一度程、スーパーマーケットに買い物に行き、DIYの店で買い物する時は、隠れ感染者が一人くらい同じフロアを歩いているかもしれないと思っていて間違いでは無いはずだから、その人の吐く息に含まれるはずのコロナウイルスを無防備に肺に吸い込まぬよう最後の砦的に私たち夫婦はN95マスクを使っているのです。私が少し前に書いた「N95マスクは現在ならWeb市場で豊富に売っている」と書いた意味は、もしスーパーマーケットのようにやや密に人が居る場所に行かねばならない時にも、止める事が出来ない自分の呼吸によってコロナウイルスを吸い込みそうになっても、かなりの確率でウイルスを吸い込まずに済む最後の手段である。という意味が込められているのです・・・・。あくまでも確率の問題ですからN95マスクを装着していれば完璧というわけではありませんが、普通の布製マスクや顔面との間に隙間ができやすいマスクに比べれば数十倍の遮断効果があると考えているので、今庶民にできる防御として1枚1万円では無いことだし、10枚1000円ほどで購入できるN95マスクやKN95マスクは現実的な対策として、家に籠って外に出ないで済ませられない場合にかなり有効なはずですと言っておこうと思います。というより、N95マスク以外では吸い込む空気からウイルスを概ね除去できる可能性はほぼ無いという事を再確認くださいという事です。追伸:私と同じ高齢者の仲間と言える60歳以上の方に一言、自分を守れるのは自分の判断だけです。もし、家に籠ってばかりは居られないのなら、防御効果のあるマスクを使いましょう!それは顔面とマスクの間に隙間がほとんどできないN95マスクが最も適したものです。まだ死にたくないのであればご一考ください。30歳以下の人は殆どコロナウイルスに感染しても発病もせず気づかずにスプレッダーになってしまいます。そう言う若い世代の方々は70歳や80歳の高齢者の命のことに気をかけて自分も感染しないように最大限の注意を払ってくれなくて当然です!だから、自分で自分を守るしか方法はありません!!
2021.01.06
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全てデイリー新潮の記事を鵜呑みにするのは正しい判断とは言い難いことかもしれないので、皆様自身でその記事を是非読んでみてください。以下は私が読んだWeb記事に冒頭部分です。リンクはここをクリック「学者の総意」が聞いて呆れる。日本学術会議が共産党に乗っ取られた政治的な運動体であることは、もう半世紀前に指摘され、警鐘が鳴らされていた。国内での軍事研究反対を声高に叫びながら、一方で中国の研究には協力する。こんな団体、今こそ廃止すべきではないか。(「週刊新潮」2020年12月31日・2021年1月7日号掲載の内容です)詳しくはリンクをクリックしてその記事を読んでみていただきたいのですが、菅さんの支持率が下がっている昨今、私は菅総理大臣の支持を続けようと思います。やや長い記事ですが最後にはこう結んでいます。今回の問題は、これ以上日本学術会議に国益を毀損させておくわけにはいかないという切羽詰まった状況に日本が立たされていることの表れである。1970年から半世紀も放置されてきたのは、自民党政府の怠慢でもある。今回の決断をした菅総理には、殺気が漂っていたと伝えられる。日本学術会議が空論を脱し、軍事研究に反対する決議を廃棄し、政府と協力して国益を追求する組織に生まれ変わらない限り、学術会議廃止論以外の答は存在しない。デイリー新潮、週刊新潮、よく書いてくれたね。
2021.01.04
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自分は71歳を過ぎたいわゆる高齢者に属する為、感染すれば若者に比べれば10倍以上の確率で重症化することが統計的に解っている。この世代間の感受性の差が言葉にしてあからさまに言えない問題を生んでいるかもしれない。それは日本の年金機構の過去の資金運用での失敗や杜撰で計画性の無い運営の問題点を浮き彫りにすることになるし、出生率の低下がもたらした若年層の人口の減少が、年金機構にとっては収支の悪化という形になって現れ、人口の減った今の若者が最大人口の団塊の世代の年金を支えるという大きな矛盾を抱えることになっていることがあり、それは日本国政府の失政に負うところが大きいと私は考えている。出生率の低下により少なくなった若者たちが、巨大な人口の団塊の世代の年金を支えなくてはならないとなれば、給料からの年金への支出が相対的に増えることになると誰でも考えることになるだろう。それは団塊の世代の我々の時代はたくさんの人口があり、大東亜戦争で戦死者も多く少ない人口の世代の年金を支える負担はさほど重く感じなかったのかもしれないが、出生率の低下で少なくなって行く若者にとっては寿命の延びた高齢社会のなかで数人で支えるべき年金受給者がだんだん1:1寄りに変化して行くという事を意味するから、そこに不公平感を抱いたとしても不思議ではないのです。そんな時代にあって、70歳代に達した団塊の世代と更に高齢者を狙い撃ちにするような新型コロナウイルスが出現したのです。日本では新型コロナウイルスでの死者は欧米諸国に比べれば1/100程度でしかないのですが、生産性の殆ど無い、仕事からリタイアした高齢者がたくさん死ぬことで社会的にどんな問題が起きるでしょうか?例えばウイルスの変異種がさらに猛威を振るって数百万人規模で高齢者が亡くなってしまったとしたら、どんなことが起きるのでしょう?多分ですが殆ど何も起きず、誰も困らないと思うのです。もう仕事をリタイヤした人ばかりが死ぬのですから、GDPもほとんど落ちません。日本全体の消費が高齢者の人口減に伴ってその分縮小するでしょうが、それは遅かれ早かれやって来る高齢者の死期が少し早めに来るというだけなのではありませんか?その代わり、年金機構は大助かりになるでしょう、そして若者たちへの年金負担は和らぐことになるのではないでしょうか?そう考えれば、新型コロナウイルスに感染しても重症化しない若者があえて無警戒に感染し無症状な状態でウイルスをばらまくことになれば70歳以上の年金受給者に多くの感染者が出て、重症化し、死者がどんどん増えると解った時に、そういう重症化しやすい高齢者を新型コロナウイルスから守って長生きして下さいと考える若者がどれだけ居るでしょうか?正直疑問になります。大ぴらに言えないことですが、欧米の各国の年金機構でも、今回の新型コロナウイルスによって多くの高齢者が狙い撃ちされたように亡くなって、結果的に年金財政は好転することが想像されます。働かない為に税金も殆ど納めず、年金という純粋な支出を余儀なくする高齢者の存在は若者や壮年の人々にとって疎ましいだけでなく、国にとっても喜ばしい存在とは言えないのでしょうね?我々の世代の人間が早々に死んでゆくのは既定の事実であり、新型コロナでそれが早まって行くことは残された若い世代の多くの人々にとってはむしろ望ましい事なのではありませんか・・・・?。日本国の出生率をここまで下げても尚改善させられない政府の無策は怠慢と言える失政ではありませんか?。人口を減らさずに維持して行ける社会を作ることが日本国の政府にとっては真剣に取り組まなくてはならない大きな問題だったのです。被害妄想かも知れませんが、私の世代の人間が「早く居なくなってくれ」と思われるのは嬉しい事ではありません。今の若者たちが高齢者となる時がやって来た時、それは身勝手な考えだったと必ず気づくでしょう。若者のためにこの地球が存在するわけではないのです。生きている人間すべてが天寿を全うすることで肩身の狭い思いをすることの無い社会でなくてはならないと思います。高齢者が早く居なくなって欲しいと、もし若者が思うなら、それは言わば姥捨て社会という事になると思うのです。国はそんな思いの若者を作らない為にも子供を2人産んで育てることに苦労が無い社会を作って行かねばなりません。3人目を産めばその家庭の生活は楽なるような仕組みを作って行かなくては出生率は上がらないでしょう。それは国民によって選ばれた政府が遂行しなくてはならない必須の仕事なのではありませんか・・・・。
2021.01.03
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上の画像は今も一日も欠かさずに皆勤賞で夕刻になると決まって我が家にやって来るトラ猫である・・・・・。お腹がすいているときは我々の気配を感じて、あまり大きな声ではないが鳴いて知らせる。排泄をよその家でしないように、我が家の庭は川砂を敷き詰めたような砂場になってしまった。まあ、我が家の庭は外出可能な飼い猫と、僅かながらいるノラ猫の公衆トイレなのである。このトラ猫だが・・、帰る家があるらしく、長居をしない。今日もやって来たがあまり空腹では無いようであった・・・・・、ウトロの友人が送ってくれた北海道産のオホーツクサーモンの2匹目を裁いたので、今日はその中落ちなどを焼いておすそ分けをあげたが少し残すくらいであった。一昨日は私が購入した小型クレーンを夕方組み立てている時も、近くでずっとその様子を見ていた。インパクトレンチの音にも反応せず怖がることもなかった。毎日来るのですっかり友ダチになったな~・・・。
2020.12.30
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「昴」はヒット曲であり評価も高い楽曲で、谷村新司の代表作でもある・・・。目を閉じて 何も見えず 悲しくて目を開ければ荒野に向かう道より 他に見えるものはなしああ 砕け散る宿命の星たちよせめて密やかに この身を照らせよ我は行く 蒼白き頬のままで我は行く さらば昴よ呼吸をすれば胸の中 凩は吠き続けるされど我が胸は熱く 夢を追い続けるなりああ さんざめく 名も無き星たちよせめて鮮やかに その身を終われよ我も行く 心の命ずるままに我も行く さらば昴よああ いつの日か誰かがこの道をああ いつの日か誰かがこの道を我は行く 蒼白き頬のままで我は行く さらば昴よ我は行く さらば昴よこの「昴」に書かれた詩は一見謎な部分もあり、その曲の発表以来多くの解釈を皆さま見聞きしたかもしれませんね・・・。作詞作曲をした谷村新司氏によれば・・・、「プレアデスの意識ある存在からの啓示」・・・とか言うトンデモな発言もありますが、そんな作り話を真に受ける私ではない。(日本語の「昴」は地球から443光年離れたところに在るプレアデス開散星団を示す言葉)「さらば昴」と言うフレーズが先ず最初にインスピレーションとして突然浮かんできたと谷村氏言っていますが、まあそれはままあり得ることとしてもね・・・・。また、石川啄木の歌に酷似している部分については、谷村氏は啄木の歌は学生時代に読んだというより食べたとおっしゃる・・・・。そしてそれが消化されて詩や曲となって出てきたとか言ってます・・・じゃあこの「昴」という詩はウンコということでしょうか?・・・笑。呼吸(いき)すれば、胸の中(うち)にて鳴る音あり。凩(こがらし)よりもさびしきその音!― ― ― ― ― ― ― ―眼閉づれど、心にうかぶ何もなし。さびしくも、また、眼をあけるかな。上の歌は石川啄木が書いた最後の二首でありますから、死の直前の作品に外なりません・・・・。この「昴」と言う曲がヒットし、後になって、谷村氏はプレアデスからの意識在る存在からの語りかけのことや、更に20年も後に「蒼白き頬のままで」の意味について触れています。蒼白き頬はヒンドゥー教のシバ神の蒼い顔のことだとおっしゃる・・・orz。所詮後付けのお話ですから、取って付けたような話ですし、宇宙からの脳への直接の通信とかは何?・・・・笑。所で・・・、御存じの方も多いはずですが、石川啄木は「スバル」という文学雑誌の創刊号の発行人です。谷村新司氏の作詞になる「昴」の詩の中には啄木の辞世の歌ともいえる2首の歌が明らかに埋め込まれていて、更に啄木はそれらの歌を書いた直後にこの世を去っているわけで、言うなれば「さらばスバル」を地で行ったわけですよ。谷村氏が何を言おうと勝手ですが、そのことと無関係な説明をしても、「はあ?」と言う印象しか私には感じません。「なんだそりゃ?」と言う印象ですね。だから、「蒼白き頬のままで」と言うフレーズは、まさに死にゆく人間の顔色のイメージでしょう?ああ 砕け散る宿命の星たちよ せめて密やかに この身を照らせよこういう表現も、星を擬人化していて、死にゆく石川啄木の最後の二首の歌を示して、そこに光を当てようしている様ですが「この身」ならば「荒野に向かう道より 他に見えるものはなし」と言っている人のことを指し示すことになるから、プレアデス(スバル)よ、この私(啄木)をすこしだけその光で照らしておくれ、と言う意味になる。後に「その身を終われよ」と言っている名も無き星とスバルは違う星で、星々もまた死んでゆくことを示して人との共通点を歌っている。それだけではなく、この「昴」の詩全体を見てみれば、結核に倒れ、若くしてこの世を去ってゆく啄木の最後の輝きの様と宇宙の星々の運命とを対比的に捉えて、啄木の心持を想像して書かれた詩であると私は確信している。それなのに、なぜ谷村氏があえてバレバレの頓珍漢な出まかせを言うのか?詩は盗作では?と言う批判を否定したいのか?・・・まあ、「今、まさに死にゆく石川啄木をモチーフにした詩です。」なんて、恐れ多くて普通言えないわな~・・・、ストレートに言うには石川啄木が文芸人として巨人であり過ぎるという事もあるのでしょう・・・。追伸:私は「昴」と言う楽曲が嫌いではありせんし、アリスや谷村新司氏を特に嫌ってもいませんでした。「昴」は楽曲としてそれだけをみれば、大陸的な雰囲気を醸すメロディーと詩のマッチングも良いと思います。ですから、谷村新司氏は「昴」の詩が石川啄木の歌に影響を受けていると言う事を認めた上で、他に何も語るべきではなかったと思います・・・・。「言葉多ければ虚しさが増す。」(聖書より)・・・とか言いますね。石川啄木の最後の歌とその歌の書かれた状況に敬意を示すべきであり、作詞のヒントとして存在した事柄を、一度自分の中に知識として取り込んだものが出てくる場合は真似や盗作ではないと強弁する姿勢は石川啄木への敬意を著しく欠いている。更にプレアデスは財の星であり、つまり「昴」は物質文明を意味しているとか、「蒼白き頬」とはシバ神の顔の色であり、シバ神が破壊と再生の神であるところから、それらを合わせて「さらば昴」の意味は物質文明の呪縛を破壊し別れを告げるという意味だとか、等の発言もある。そもそもこの詩は、啓示的に頭の中に降りてきたものだと言い、何故か解らないけれど宇宙の何物かによるテレパシーでの通信があるとか、他でも、尤もらしく聞こえる理由を後付けして行こうという言い訳の手法そのものはたいそう見苦しいもので、それらを書いた本を発行してしまったという(「谷村新司の不思議すぎる話)」、そこまでの͡自己弁護を聞くと本当に悲しくなるから・・・「昴」と言う楽曲のファンである私にすれば、ぜひそういう心根を改めて、石川啄木への敬意を先ず表して欲しいと思う。「言葉多ければ尚墓穴を掘るがごとし」これ、私が今日作った言葉です・・・笑。
2020.12.15
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私も鼻の下の長い男の一人として、女性アスリートの見事な肉体について興味が無いわけではないのだが、競技スポーツとは言え、露出の多いユニフォームや薄すぎるウエアに疑問を持ったことがあることも事実だ。スポーツの中でもフィギュアアイススケートや体操、新体操、水泳、ビーチバレーなどのユニフォームは特に露出も多くきわどい感じもするが、昨今陸上競技のユニフォームも薄く体にピッタリとする素材や形状が多く用いられているように感じる。幾ら記録が1/100秒でも出やすくしよとすることが理由だとしても、下着とさして変わらない被覆面積であったりするその形状は、やや行き過ぎではないかと思えることもあった。そうしたスポーツで競う姿が撮影され拡散されて不愉快な思いをする側の問題を放置すべきでないという事は明かであるが、撮影してWebにアップする側の節度の問題だけではなく、商業的な思惑が現状を生んだという側面も考え直すべき問題のように感じるがどうだろう?この問題がニュースになった後に、「女性アスリートの画像」という文言で検索してみたが、様々な画像がアップされていて、中には盗撮的であったり、セクシーな画像を集めていたり、ハプニングのような画像ばかりをアップしているサイトもあって、確かに被害を受けている女性アスリートが少なからず居ることは事実であると解った。私が商業的側面を指摘する根拠は、女子ビーチバレーのユニフォームの規定があるからだ。・女子の水着は、サイドの深さ7cm以下のものを着用すること。つまり腰の部分の深さが7センチ以下のビキニショーツでなくてはならないという規則は、何のためか?と考えればもっともらしい理由をつけたところで見せることを意識した競技として生まれたものであると想像はつく、まあ、言ってみればビキニスタイルの女性アスリートが躍動する美しさを強くアピールするスポーツを意図的に作り出したものと言えるからで、他のスポーツのユニフォームデザインを決めたりする側も、そのように女性アスリートを美しくセクシーに見せることに意識が向いたことを否定することは出来ないのではないかという事だ。特に見せる対象を男性と決めつけるわけではないとしても、若く美しい肉体を持つ女性アスリートが露出の多いユニフォームで競技を行う事で、チケットの売れ行きは下がるでしょうか?と考えれば、競技用のユニフォームをよりビジュアルに優れ観客を多く集め、開催収益を多くする可能性の高いものにして行こうとする機運は商業的必然によって醸成されて来たのだと言えませんか?誰が主導したかとは問わないまでも、動きやすく、軽く、空気抵抗を少なくするという名目の元に、陸上競技の女性用ユニフォームなどは、小さく薄く、フィッタブルになってきたのでしょう。そしてプロやセミプロの陸上競技選手というものが生まれれば、注目を集めてマスコミに取り上げられる機会を増やすことも重要なことになって、自分の着るユニフォームをより露出度の高い注目されやすいものを選ぶ選手も現れたと考えても強ち間違いでは無いでしょう・・・。そのようにして、陸上競技のユニフォームもメーカーは躊躇なく小さく、薄く、女性アスリートのボディーシルエットを浮き立たせてしまうような方向に進んで来たと言えるのだと思う。大学や実業団の陸上部出ユニフォームを選定する責任者が誰なのか?誰の意思でどんなユニフォームが選ばれるのか私には知ることができないし、そもそもメーカーが試作したりサンプルとして持ち込むユニフォームがどれも、薄く小さい物しかないという可能性もあって、それを身にまとう女性アスリートには選択肢があまり残されていないのではないかとさえ想像されます。そうした趨勢の中で、現在の多少行き過ぎではないかと思えるようなユニフォームがウエアメーカーによって多く作られるだけでなく、学校や実業団の陸上部員が進んで露出の多いウエアを選んでいるかもしれないのですが、そこは部外者の私には全く解りません。メーカー主導のトレンドに流されるようにそれを選ぶしかない環境が出来ているかもしれませんが、例えばウエアメーカーはキャメルトウのような食い込み方を抑制出来るパーツなどは開発していないのでしょうか?それがもし選手側の努力や工夫だけに委ねられているとしたら、それも問題だと感じる。TV放送などを考えれば、番組を作る側では露出の多いユニフォームであることが視聴率をより得られると考えるだろうし、雑誌などもそうすることで客離れが起きるなどとは考えられないことであろうから、マスコミは小さく薄くフィッタブルな素材のユニフォームにむしろ賛成だろうし、競技会を主催する側も観客が増えて収益が増えるのならその方が望ましいと考えたはずだ・・・。しかしそうしたユニフォームばかりになった今、結果的に何が起きたかと言えば、私が検索して解ったように、静止画では選手に羞恥心を起こさせる瞬間を切り取ってアップロードする者も現れたし、そうした動画をアップすることも規制されていないから女性アスリートの尊厳は際限なく踏みにじられていると言っても言い過ぎではないだろう。私の個人的な意見を書くなら、スポーツウエアのメーカーは女性アスリートのボディーシルエットをあまりにもくっきりと浮き立たせるような素材の使用を避けるべきところが有ることにも留意して、たとえ意図したものではないとしても女性のアスリートに恥ずかしい思いをさせないような製品を開発する必要と責任があると思うのです。そしてそうした画像や動画を規制するボーダーはそのコンテンツに登場する人物の許可を得ているかどうかで判断するのが適当だと思えます。つまり羞恥心を与える画像のように見えても、もし本人がそれを投稿しアップロードするのであれば何ら問題は無くそれを禁ずる必要はないと思うが、許可が得られていない肖像が出ていれば、サイトスペースの管理者が独断でそこを判断して削除できる法制を敷いても良いのではないかと思うのです。とにかく、現在はほぼ野放しの状況ですからそれは酷い状態なのです。
2020.11.03
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昔から「ペンは銃よりも強し」とも言われ、文章や言葉は時として大きな影響力を持つことは良く知られたことと言えるだろう。その、いわゆるペンに代表される事柄は、言論であり、主張であり、批判もその中の一つだ・・・・。銃よりも強いと比喩されるペンの力とは、言葉や文章が人の精神に訴えかける力が大きいという事を示している。昨今マスコミやネット上で誹謗中傷には厳罰も必要ではないか?と言う意見が聞かれるのも、その傍若無人な誹謗中傷に対してであって、言論を規制しようという事とは本質的な違いがある。「攻撃したつもりはない」とか、「そんなに深刻になられても」などと言い訳のように言い逃れることもありそうな、いわば殺意の否定に似た「まさかそれほど傷ついてしまうとは考えもしなかった」という事も確かにあり得る事とは思うが、ネット上での書き込みと言うアクションを起こす側の責任として、他者の気持ちを慮ることは人間として生きる我々の義務でもあろう。言い過ぎてしまうことはままあり得ることだが、誹謗中傷や皮肉を言ったりイヤミなセリフを語りたがる人の心理を思う時、「何のためにそれを言うのか?」と問いかけてみたくもなる・・・・。簡単なことなのだが、人が反応として悲鳴を上げる時や驚いて声を出す時でない場合の言葉と言うのは全て自分の持つ何らかの目的遂行のためであり、自己の不利益を回避し利得に繋がると少なくとも感じている場合に発するものであると断言できる。また、何らかの文や言葉、或いは画像や映像に対し、強い言葉で非難する時を考えてみると、「それはひどいやり方じゃないのか」と言う時の発言圧力の源は一体何だろう、「自分の常識や正義感に照らして許しがたい」と感じているのだろうが、許しがたいような怒りとは、やがてそれが自分にも向けられる可能性や、自分がそれを体験すること自体の不愉快さを解消しようという反応と言えるのではないか?さらに、間違っていると感じたことがらを指摘し、正しいと思っていることを伝える目的で書き込みをすることもあるだろうが、その場合では何が書き込むことのモチベーションになっているだろうか?間違った知見が社会に広まることを阻止したいのだろうか?それともそうして誤りを指摘し、訂正させることに意義を感じているのだろうか?その場合はそうする自分がどう見られるかと言う点で利得を感じていなければ行動は起こさないかもしれない・・・・。そうしてそれらの事柄に対して声を上げるという事は、そのことによって現状を変えようと試みることであり、影響力を行使して自分の不快感を減らし、或いは何らかの快感を得ることを目的としているという事を示していると言えるはずだ。早い話が、人の行動とは自分のより良い生存感とその布石のためと言う限界を超えることは無いと言って差し支え無いものではないのか?ちょっと言い方を変えれば、自分の快感のために誰かに皮肉を言ったり、イヤミを言うという事だから、その行為の意味するところは自分の満足感のために他人の感情を考慮しないという姿勢に違いは無いのである。困ったことにそういうことをしがちな人の多くは、自分が正しいと思えば間違っていると思われる誰かに強く言ったり、上から目線でたしなめたりしても良いと感じていたり、その行為は社会的に許されると勘違いをしている節がある。正義故の行動であれば言葉の暴力も時には許されるという思い違いが根底にあるのだろう・・・。だから私は常々、「正しいと思う事は自分に力を生むかもしれないが、正しさとはほぼ相対的な価値観であるから、自分は正しいなどと思い込むべきではない」と主張している。イヤミを言われた人はそれが快感であることはほぼ有り得ず、不愉快で腹立たしかったりするのが一般的であるし、皮肉やイヤミな言葉を言う方も、それを聞いた相手が嬉しがることは無いことぐらいは解っているのである。不愉快にさせるであろうことを解っているのに皮肉を言うのは何のため?言った自分はそれで何を得るのか?・・・僅かな優越感かもしれないし、小さな正義の行使と感じているのかもしれない・・・もしかしたら親切だと嘯く人さえいるだろう。いずれにせよ自分の感情的な利得への行為であり、自分本位なものには変わりはないはずで、もし愛ゆえであれば皮肉やイヤミとは違った方法を採ることになるはずだ・・・。自らアクションを起こす場合だけでなく、思慮と言う物は自分の行動や言動が他者に与える影響を考えて行うという事を示すのであるから、独りよがりな発言や行動は成熟していない人の証と言っても良いのかもしれない・・・・。つまり誹謗中傷など、そういう事が出来る人は自分本位な未熟な人間と解るが、野放しにしておくのも良くは無いから、私のできる範囲で言えば、関わらないようにするか?あまり傷つけないようにそれとなく知らせるしかないのだろう・・・・。そんな自分本位な人に対しても、傷つけても良いという事ではないのでそこで間違わぬことが肝心であろう・・・。今日、此処に書いておくべきことは、人間のすべての行動に本質的規制は無く物理的に可能なことであれば、やろうとして行えば何でもできてしまうものだが、それは自分一人で回りに人がいない場合だけでは無いだろうか?。社会に暮らす人間には言論だけでなくあらゆることが事実上可能ではあるが、加害することまでを自由の範囲に組み入れて、何の処罰も加えないという社会制度は何処にも存在していないはずなのです。人は他人の人格や人間性について物申すことが禁じられている訳ではないが、その言い方ひとつで加害行為と判断されてしまうこともある為、対面して話していない他人である場合は更に注意をして臨まねば、相手の気分を害することになるのが普通のことだから、そこには十分な配慮が必要だと思うのです。社会生活上では、人は人を傷つける権利を有していないだけでなく、人の生き方を尊重するという義務を負っていると心得なくてはならないと思うのであります・・・。ただ・・・、「目には目を歯には歯を」と言う言葉もあるし、人を傷つけても正当防衛と判断されることもありますね。殴り掛かれば殴り返されるという事は地球上では普通のことでもあります。傍若無人な人は自分がそういう扱いを受けた時には自業自得と言えますから、覚悟していてくださいね・・・。まあ、くれぐれも分別のある物静かな人に対して殴り掛からぬようにしてほしいものです・・・・殴り返されないと思って調子に乗る輩も居るのでね。
2020.06.07
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新型コロナウイルスには3つの型があり、感染力が強く毒性のあるG型が世界で猛威を振るっているのだが、日本は中国からの旅行者を遮断した時期が遅く、その間に150万人以上の中国人によってもたらされたK型と言う新型コロナウイルスの蔓延が起きたそうだ。その時期に中国から入って来たK型コロナウイルスに感染した日本人は多く50%以上になるそうです。このK型ウイルスが日本人の間に流行したがほぼ症状が無く、感染しても毒性が少ないK型ですが、K型に感染すると危険なG型に感染しなくなって、いわばワクチンを受けたようになるそうです。しかし初期にヨーロッパなどへも感染が広がったS型のコロナウイルスにはその後にG型に感染すると抗体依存性免疫増強(ADE)効果を起こす可能性があるとされます。(ADE効果とは抗体の助けを得てウイルスが爆発的に細胞に感染していく現象のことです)その結果突然劇症化して短期間で患者を死なせることが起きたのが、ヨーロッパでありアメリカであったと言えるでしょう。S型は初期のコロナウイルスで危険なG型に対する免疫を生まず、ADE効果を起こすのですが、日本では中国からの旅行者を遮断するのが他国に比べ遅かったために幸運にも、S型の後に生まれたK型のコロナウイルスがたくさん入って来て、日本人に集団免疫をもたらしたという事です。不運にもイタリアなどのヨーロッパ諸国には、K型が流行する前に中国からの入国遮断を行っていたことで、S型が流行った状態の後でK型コロナは殆ど入らずにG型のコロナが入ってきてしまった格好になったようです。(もしかすると志村けんさんは運悪く初期型のS型コロナウイルスに感染していた後にG型に感染した可能性もありますね・・・・。)日本が中国人旅行者を遮断するまでの時間が長く、政府が批判されていた大きな原因でしたが、図らずもその判断のもたつきと優柔不断がK型のコロナウイルスを日本中に広めて、日本人の間に集団免疫を生んだという事だそうです。もしかして結果論的に「ナイスジョブ?」何という幸運でしょうね!日本政府の対中国人の流入制限の遅れがK型ウイルスの蔓延を呼び込み、それが危険なG型ウイルスのワクチンのように作用したのです・・・・。日本のコロナ対策が優れていたとかと言うレベルの話ではないですね!運良くK型コロナウイルスに感染していたことで日本の死者が少なかったというだけですかね?これで、中国本土での新型コロナウイルスの蔓延が起きていないことも納得がいきますね。K型が中国にもG型の前に蔓延したのでしょう。そしてK型が生まれた場所は武漢ではない中国のどこかであった・・・と言う事なのでしょうね。ソースはこちらという事は・・・、ワクチン開発もいいけど、K型コロナウイルスを培養して日本中に配った方が良くないですか?・・・・シロート考えですが!・・・笑!!そして検査ができるならS型にだけ感染してK型に感染していない人を探し、見つけたらK型に感染させることが最も良い対策に思えますね。
2020.05.28
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日本や台湾などの感染爆発を起こさずに新型コロナウイルスの封じ込めに成功した国の国民は、免疫をほぼ持たないという事になるが、感染爆発が起きたヨーロッパ諸国やアメリカ、ブラジルなどの多くの国では、感染が多くなって行くことで、その国の人々はたくさんの死者と引き換えに、多くの人々が免疫を獲得することになる。 そしてその免疫獲得者が20%~40%に達するとその国や地域では感染は下火となって収束に向かうことになる。 例えばアメリカが感染爆発にロックダウンする効果がほとんどなかったことや、経済は疲弊してしまう事から、これだけ増えた感染を経済性を犠牲にして防ごうとするのは国としての経済損失の立場から選び得なくなる日が近づいている。 スウェーデンのとった方法のように、多くの国では感染を防ぐ手立てを放棄することが予想されるようになってきたと言えるかもしれません。 感染爆発を封じ込めた国の人々の1%~2%の人が免疫を獲得しているとしても、殆どの国民は、感染に対する免疫がないために、国同士の交流が始まればたちまち感染が再び始まるという事になる・・・。 世界的に「封じ込めが失敗である」という事になれば、封じ込めに成功した国の国民は今後もコロナウイルスに感染する感受性を持って居るから世界の大多数の国で封じ込めが失敗するとすれば、逆に日本等感染の封じ込めに成功した国は無菌室の中に入っているように、汚染された世界の中で取り残されてしまうことになるのです。 そんな日本のとるべき道はワクチンの早期の完成であり、罹患しても治せる新薬の完成を急ぐべきであると言えるわけです・・・・。 日本も台湾も、ニュージーランドや韓国もそうした対策が必須になるという事を意味していて、新型コロナウイルスのパンデミックを制圧できずに多くの死者を出した国の経済優先政策が顕著になるにつれ、よけいに大きな第二波に見舞われることになる可能性は大きく、いつまで鎖国状態が続けられるかと言う面を考えれば、国際的な経済復興の波に乗り遅れることにもなりかねません・・・・。 今日本に必要なことはワクチンの完成であり、良く効く新薬の開発なのです。 気づいていないかもしれませんが、我々はその瀬戸際に立たされて居るかも知れないのです。 コロナのパンデミックを封じたと言って喜んでいる場合ではないのです・・・・。
2020.05.27
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35年ほど前、日本はPC98シリーズのパソコンが主流であった。 そんな時代からPCでCADを使って仕事をしてきた私だが、現在のようにインターネットが発達していないこともあって、企業の情報保護と管理は主に記憶媒体の管理と盗難防止だけで済む時代であったと思う。 近年そうした情報セキュリティーでは先進国と思われていたアメリカの官庁や軍需産業のネットワークや端末PCがハッキングされて多くの機密情報が中国に盗まれたというような報道を目にしていたが、日本は大丈夫なのか?と思っていたところ、三菱電機が大規模なハッキングを長期間受けていたことが開示された。その首謀者は中国の機関であることが判っているそうだ・・・・。 そんな昨今だが、此処へ来てその中国が発生源のコンピューターウイルスならぬ本物の新型コロナウイルスが世界に蔓延した。アメリカ政府が名指しで中国科学院武漢ウイルス研究所がその震源地ではないかと公言するほどなのは、それまでコンピューターウイルスによって米国の軍需産業や国防省が痛手をこうむって来た経緯を考えると、むしろ当然すぎる反応と言えるかもしれない。現状を俯瞰的に、歴史を見るように考えてみると、一連の流れの中で見ることが出来ようと思うがどうだろう?つまり、武漢での新型コロナウイルスの発生そのものが中国共産党の仕掛けた世界戦略の大きなドミノ倒しの一局面であるという可能性のことだ・・・。 理由は、中国はこれまで多くの先端技術を含む企業秘密や国防に関するトップシークレットを中国共産党によって特別に訓練された選りすぐりのハッカー集団によってほぼ自由に情報を盗んで来ていたが、アメリカがそのことを公にし、より厳しいネットワークセキュリティー技術によって機密情報の保護に力を入れだしたことから、情報の盗み出しが難しくなってきていたことが前提に在ると考えられる。 しかし彼らは簡単にそれを諦め、そこからの撤退などは全く考えず、どうしたらインターネットを使って自由に敵対する国の機密情報や先端技術情報nの盗み出しを続けられるかを考え、或る方法が候補に挙がり、そして実行に及んだと私は想像した。(想像ですから無責任なものです) それが新型コロナウイルスを世界にばらまくことだったとする考えです。 これまで全世界の企業の秘密も国家防衛に関する情報も大企業や国防省等のサーバーの外部接続へのセキュリティーを徹底的に強化することで効果を高められていたはずですが、もし中国がこの新型コロナウイルスの特徴を理解し、自国から出る死者に目をつぶり、もしウイルスの出所がバレても、それは事故で流出したものと最後まで白を切ることが準備された上で、武漢の生鮮市場にウイルスに汚染された野生動物を陳列したとしたらどうですか? 結果的に・・・ではなく!中国共産党の目論見通り、全世界に新型コロナウイルスは拡散し、すべての国家でステイホームを発令する他なくなったのです。 企業に属する多くの人々が在宅でホームワークをすることで企業の停滞を防ぎ事業経営被害を最小限に止める努力は自由主義経済では他に選択肢がない程です。もうお気づきのことと思いますが、大企業の厳重な社内ネットワークセキュティーで守られていた企業秘密も従業員のPCに同じ強度のセキュリティーを完全に施すことができたでしょうか?たとえ可能な限りのセキュリティー対策をしたとしても、数百万~数千万台以上に増えた一般のローカルネットワークに繋がれたPCのセキュリティーを完璧に守ることができるとは想像ができないのです。 世界中がステイホームに傾き、そしてホームワークが爆発的に増えるタイミングを数千人の訓練されれたスパイハッカーが手ぐすねを引いて待ち構えていたのではないかと言う想像を止められません。 そしてこの新型コロナウイルス禍が終焉したとしても、ウイルスが蔓延した状況下でセキュリティーホールを見つけ出されて、従業員の端末PC経由で保護されるべき秘匿の情報が盗みやすくされていたとしたら・・・・・。それでも多くの大企業は賢明に秘密保持のためにネットワークセキュリティーを再点検し、さらなる企業秘密の盗難を防止すべく努力するでしょう、しかしながら従業員のちょっとした不注意などが原因となって企業のネットワークが誰の目にも平穏に見える状況の中で密かにハッキングされ続けるようなる可能性はゼロにはならないのではないのか? 正に世界的なパンデミックを隠れ蓑に使う計画的なスパイ行為と継続的なハッキングのための基礎作りが、国家レベルで企画されそしてそれが実行に移されたという流れに見えてくるのです。 したがってこれは中国によって企てられた巧妙で残酷な第3次世界大戦と考えられるとは思いませんか? 確かに私の想像ではありますが、単なる高齢者の妄想と笑って否定できるでしょうか?・・・真実は小説より奇なりと言いますからね・・・・。私がそこまで中国共産党を疑う理由の一つにウイグル人弾圧があります。 1946年、東トルキスタン共和国(新疆ウイグル自治区の前の呼び名)は、政府要人閣僚たちが中国共産党との会議のために北京に向かう際、閣僚たちが搭乗した飛行機が中共軍に撃墜され、東トルキスタン共和国の政府首脳たちの多くが死亡してしまいます。 そしてその混乱に乗じるかのように侵略を開始し中国共産党軍により東トルキスタン共和国は滅亡、中国共産党は東トルキスタン共和国を、 「新疆ウイグル自治区」と、中国の一部であるかのような名前に変えさせてしまったのです。 中国共産党軍は、識者や高い教育を受けた者、指導的立場にあった人々を次々と 反乱分子もしくはその疑いがある者だとして拘束し始めます。 その数100万人以上と言われ、元東トルキスタン共和国の人達は、司法手続きを経ずに拷問にかけられ虐殺され、その惨状を国外に知られないために、すべての外国人のその地域への立ち入りを禁止して秘密裏に今も人種を減らすような迫害が続けられているのです。 また、日中戦争の初めの頃には、日本軍の攻撃を遅らせる目的で蒋介石一派の国民軍は、黄河の堤防を爆破し大洪水を起こさせます。事件当時は黄河決潰事件と表記された。中国語では花园口决堤事件(花園口決堤事件)と呼ばれますが、犠牲者は数十万人に達し、農作物に与えた被害も住民を苦しめた。 軍事目的の環境破壊として史上最大とされるが、その時に国民党の自作自演であったことは、1976年になってからやっと関係者が暴露した。 しかも爆破直後に「これを日本軍の仕業として宣伝する」ことまで事前に決められていたのだそうです。 国民軍は共産党の軍ではありませんが中国人の考えというものがよく表れているやり方で、同胞であるはずの同じ中国人を数十万人溺死させ、それを日本軍の仕業にしようとしていたという事なのですよ。そういう事をためらいもなく実行する人達が作っている国ですからね・・・。 彼ら中国政府と共産党にとって武漢での死者など取るに足らないと考えていると思えるような中国人の暴虐ぶりがまさにそこにあり、それは今も全く変わりがないのです。 奴らならそれは朝飯前ではないかとさえ思うのです・・・・。
2020.05.12
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去年、埋設されたガス管のチェックがあった時に下水管と並んでいるガス管の状態を確認するため、派遣された業者は排水桝付近を掘り返した。サビの進行もなく、漏れても居ないことが確認され、ガス会社から来た工事人は埋め戻して帰ったが、その約2か月後から、道路と同じ高さの門扉が据えてあるコンクリート面に壁から水が染み出るようになった。玄関門扉のレベルから階段で7段ほど登ったところが我が家のグランドレベルなので、排水桝は道路レベルよりも1m以上も高いところに据え付けられていることになるわけです。排水桝から横へ出ている塩ビ管の排水パイプとの継ぎ目の下側に隙間が出来ていたことが元々の原因としてあったのだろうけれど、付近の土が掘り返されたことで緩んでしまい、緩んだ地面の中を伝って玄関門扉のコンクリートのたたきに染み出てきたものと想像された。そのことの主たる原因は、掘り返したことであろうとすぐに想像できたが、業者にクレームを言うには60日以上経っているし、その責任を受け入れて修理してくれるかどうか疑問であったため、自分で排水桝と横への排水管の継ぎ目を桝の内側から急結コンクリートを張り付けて塞いでみたところ、漏れはすぐに止まって、それから半年以上漏水は起こらなかったのだが、3月ほど前から再び水が染み出るようになってしまった・・・。やはりずさんな修理で漏水は止められないのだ・・・。仕事も未だ忙しく自分でやるには時間が・・・、と思ってネットで探した業者に電話すると2時間後に一人の若者が車でやって来た。状況を説明して排水桝と染み出したコンクリートのたたきと壁を見てもらうと、モルタル修理で治る可能性もあるが、完全に治すにはコンクリート製の桝と入口の塩ビ管と出側の塩ビ管を交換する方が良いと言って、その場で見積書を印刷して置いて行った・・・・。モルタルでの修理は3.5万円、排水桝と排水配管の交換の方は2人で半日の工事費を含み15万円という事だった・・・・。自分でもう一度やるか?15万円払ってプロにきちんと直してもらうか考えたが、自力で修理出来る可能性が強いことに15万円払うのが惜しくなって、DIYで修理することにしたのです。昨日のうちにそれを決断し、夕方には、排水桝の出側の配管側の地面を45センチほどの深さまで掘って、横配管の継ぎ目が完全に露出するようにして、今朝10時に近くのDIYホームセンターに急結型のモルタルや、打設コンクリート接着補強エマルジョンなどを購入に行き、昨日掘った排水桝の外側を水圧をかけて水で洗い流し、ヘアードライヤーを使って乾燥させて、接着エマルジョンをハケで塗布してドライヤーで乾かし、もう一度エマルジョンを塗布して再びドライヤで乾燥・・・。そして午後になって、雨が降りそうになってどうしようかと迷ったが、もう少しと言うところまで来ているので、10kgの砂入りモルタルに2.2リットルの水を入れて練り、掘った穴に流し込んだ・・・・。モルタルは10kgで足ると思ったが、排水パイプの下までには達したが排水パイプが半分沈む程度にはしたかったので、掘った土と石などを桝の遠い部分に投入してカサ上げしたのが効いて塩ビ管の中心付近までモルタルのスラリ面が来たので、パイプの周囲にも手でモルタルを張り付けそのまましばらく放置・・・。約60分で硬化する急結モルタルはほどなく固まった・・・。今回の修理はコンクリート製の排水桝の外側へのモルタルが密着して、施工したモルタルと桝のコンクリートの隙間に水が染み出ないか?と言うところと塩ビ管とモルタルの密着性が得られたかという2点が重要なところでした。念のため今日は水を流さずに置こうという事になって、家内は炊事ができない為お弁当を買いに出ています・・・。モルタルなどにかかった費用は¥1660!さて漏水は止められているでしょうか?結果を言うには1年~2年かかるでしょうか?完全に修理できたかはすぐには解りませんね・・・、恐らくすぐに漏水が再開することは無いでしょう。
2020.05.09
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日本人は、花粉症で苦しむ人が多いせいか?普段からマスクを使用する人は多い。 今回、新型コロナウイルスの蔓延が起きて、都市部でマスクをしない人は減り、かなり少数派となった感がある。 しかし、残念なことに、殆どの人たちが使用するマスクには新型コロナウイルスを防ぐ能力は殆ど無いことが判っている。 それを思うと、N95規格で作られたマスクがパンデミックに備えて大量に備蓄されていたとしたらどうだろう? N95規格のマスクであれば完全に防げるとまでは言えないですが、皆さんが買い占めたり、順番待ちでやっと購入するマスクはサージカルマスクと言うもので、ウイルスの大きさに対してほぼ無力なだけでなく、顔面へのフィット性能と言う点でもN95規格のマスクと比べると貧弱なものでしかないのです。 新型コロナウイルスにも有効な感染防止策や予想と準備は事実上不可能と政治家は言いたいかもしれないが、私は12年も前からN95マスクを100個以上備蓄して、鳥インフルエンザのような感染症のパンデミックに備えていた。 きちんと密封されて保管していたので、ゴムバンドを含み全くの新品として完全に機能しているから、二人の子供や、ケアハウスで働く友人に分けてあげたりしてもまだ十分に数は残っているので、たとえ1年この状況が続いてもマスは足りるだろう・・・・。 アベノマスクなどとからかわれるような、小さくてウイルスを防げないことが一目瞭然のガーゼマスクを百億円以上もかけて配布しているのは一体何のつもりなのか?訳が分からない。かろうじてくしゃみや咳で飛び散る唾液などを少なくするだけの機能しかないのだ・・・。 私のとった対策と同じレベルで国が備蓄するという事は出来ないことでしょうか?私が個人でできたのですし、その時かかった費用は今回給付される金額一人当たり10万円に比べれば1/10程度で一人100個以上のN95マスクが国民のために備蓄できたのです。 まさか1億人分を一か所に備蓄できないでしょうから、他の緊急災害用の物資と共に、傷んでしまわないマスクなら全国の自治体に分散して保管できたでしょう・・・。 そしてこういう事態となった時に、我々国民のほとんど全員がN95マスクを使うことができれば、市中感染は大幅に減らし得ると思えます。 他人に移さないだけでなくウイルスの侵入を防げるマスクを何故政府は備蓄できなかったのでしょうか? 多分、それは危機管理に疎い政治家や官僚、役人達の貧弱な想像力が原因ではないのかと思うのです・・・。 私はアベノマスクの情けない小さな実物を、安倍総理が使用していることで見ますが、大地震の後、津波がやってくることも予想できずに、校庭で待機させた大川小学校の教員たちの無知と想像力の無さ、あれだけ津波に何度も被害を経験していた三陸の川岸に在りながらまるで準備していない事、過去の歴史に学ばない愚かな人間の姿がダブって見えます。 安倍総理への悪口ではありません・・・。 安倍首相を支えるべき官僚たちが平和ボケしていて感染症への危機感の無さ、想像力の無さが原因なのかなと思います。 想像してみてください・・・。厳格な外出禁止令が確実な感染症への唯一の対抗手段と思われている現在ですが、もし日本国民に一人100枚のN95マスクが備蓄されていたとしたなら、その支給されるマスクの着用義務を発令するだけで経済活動をここまで止めずに、はるかに少ない感染数に止められたと想像出来ませんか?その予算は一人当たり1万円でお釣りが来ますね! 経済が回っていれば一人10万円ばら撒くなんて必要ないし、僅かな経済活動の落ち込みはあったかもしれませんが、ほぼ普通に経済は回っていた可能性もあります。 だから、何故日本はそれが出来なかったのか?感染死を防ぐために日本の経済を殺してしまうのですか?死なないとしても深手を負う企業も数知れないでしょう・・・、結果的に職を失い生活苦に苛まれるのは主権者たる国民ですよ。 その主権者たる国民の生命と財産を守ることが政府の最も大きな使命ではありませんか? そのために日本人の英知を集め、世界の未来を予測して、あらかじめ手を打つことが国会や政治家、官僚、政権政党に求められている事ではないのですか?・・・それが高給を受け取る彼らの果たすべき責務なのです。 職務怠慢と言われても仕方ないのではありませんかね?だって・・・私ごときが予想出来たことなのです!感染防護マスクの有用性を認識し、そのための準備を私はしていたのです。 つまり、未知の感染症も、軽んぜずにきちんと考えてさえいれば、N95マスクの備蓄のように、事前の小さな予算で済むような対策はあったと言えませんか?。 なのに何故政府はそれができなかったのか?日本のリーダー達は死ななきゃ治らないレベルの馬鹿な私よりもさらに想像力が貧弱な大馬鹿野郎なのですか?
2020.05.05
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最近、車を買い替えることにしたのだが、思えば車に求めるものがだんだんと若い頃と違ってしまった・・・・。 車に乗り始めの頃はアルバイト先の会社で乗ったパブリカバン(パブリカと言う空冷水平対向800ccの2気筒エンジンを積むトヨタの商用車)であったのですが、その後、ホンダのN360の商用車型にやはりバイトで良く乗っていた。 運転技術という点では、よく富士スピードウエイなどにもバイトの車を借りて行っていて、そのころはかなり練習して、兎に角人より速く走ることを良しとしていたので、ヒールアンドトウなどは直ちにこなし、ホンダのN360の常時噛合い式のトランスミッションはクラッチを踏まずにも簡単に回転を合わせるだけでシフトチェンジができたので、左足ブレーキでクラッチを踏まずにシフトダウンするような走り方をしていた・・・。(KGC10-TKでもそれをやっていたが、当時はWRCのラリー車のような、コーナーへの進入でテールを流してエイペックスへアプローチする走り方が理想と感じていたことがあると思う・・・、ハコスカではブレーキングによる慣性ドリフトでした) パワーがない車を使っていたことで、深い突っ込みとブレーキング、そしてコーナーリング速度を上げる事で他車との差埋める運転になっていたわけです。(ハコスカではLSDがついていなかったのでインリフトで駆動輪が空転し脱出加速が悪いので、やはり突っ込み重視になっていました。) バイトに明け暮れた日々でしたが、自分の車が欲しくてたまらずにそういう生活になっていました・・・。 ハコスカ、47トレノGTそんな時代には自分で手に入れられる範囲でなるべく速い車を求めていたことになりますが、愛車紹介の中に書いたような遍歴になってます。 その後、結婚し子供も生まれた後は多少変化もあったけれど、プレリュードにした時は「子供が二人いるのに何で?」と言われもしましたが未だ速く走りたい自分と美しい車体へのあこがれは譲れない・・・という二つの要素が自分を縛っていたかもしれません。実際にはプレリュードはほぼ通勤用であり、朝晩の裏道通勤で、コーナリングマシンとして使っていました・・・・笑。 そこから次のセンティアエクスクルーシブに乗り換えた時は、サラリーマンから独立して突然経済状態が変化したこともあり、値段をあまり意識せずにデザインが気に入った車を選んだ結果でした。( 32GT-Rが余裕で買えた金額だったが、その時はすでに速さをさほど必要としなくなっていたのかもしれない・・・。) このころからだんだん車の純粋な速さを求めなくなってゆくことになりましたかね?それでも走り方はあまり変わらず、一人で仕事で走る時などはジャンクションなどで速く走る車を見つけては勝手にターゲットにして走ったり(愛車紹介にも書いた、良くない趣味もありました・・・・。) 17年乗るとは思わなかったセンティアに別れを告げたのは、すべてのカーメーカーが排出ガス規制を強化する中で排気がクリーンではない古い車を使い続けることに対する自省意識から有害な排気ガスを出し続けること止めなくてはならないと考えたからで、センティアでMAZDAの車に対する信頼が出来ていたため、MAZDAで最もローエミッションな燃費の良い車は何か?という事になって一気に小さなデミオ13CVに乗ることにしたけれど(こんなに走る車がなんて安いんだろうと感じたものでした。)・・・。 ロードノイズの大きさに最初はたまげたが、走りはCVTの良さで登りの峠道なら無敵と感じた程でした。実際に無敵ではないものの、パワーバンドで常に走れることでかなり速く走れたのは事実でした。 そして今乗っているデミオXD-6MTはリッター30km/Lという事で購入を決めたのです。(ほぼその額面通りの燃費を今も記録し続けているが、ガソリン代に換算すれば32km/L以上にも達している。) 比較的少ない私の車遍歴ですが、今でも一人で峠を走れば自然と限界を探るようになって行くのは止められないのかもしれませんから・・・全くアホなジジイです。 デミオでどんなに速く走っても、例えば前を走る高性能車のドライバーが仮に私だったら追いつけないのは当たり前です。しかし、これまでどうしても追いつけなかったという経験はわずかに3度だけです。 一度は25歳の時、草津の付近から軽井沢まで全面新雪が積もった状態の早朝でフェアレディーZを追った時、200m先のZに離されなかったけれど、差を詰めることもできなかった・・・アベレージはここには書けない程の高さでした。自分は同じエンジンを積むハコスカGTXだったが、中軽井沢の18号線へ出る交差点の信号待ちで追いついた時思わずZのタイヤを見ました・・・、私はダンロップのスノーでZはBSのスタッド付きでした。(条件的にはスタッドはあまり影響はないような十分踏み固まっていない雪道でしたから、Zのドライバーの腕と度胸があったればという事です。) 2度目は、真冬に友人を訪ねてウトロへ行き、流氷ウオーキングなどをした時ですが、網走空港で借りたレンタカーで凍てついた道を走りました。、借りた車が何故かハンドリング不安定で、地元のおばちゃんの運転するホンダの水色の軽自動車に置いて行かれました・・・、恐るべし北海道のオバチャンドライバー・・・・笑。 3度目は、2年程前かな国道一号線沼津から箱根越えの旧道での登り、濃いブルーの車体でキセノンランプが輝くスバルレガシーだったかな・・・他車を追い抜きながらだから・・・なかなか難しいケースで、追い越し車線がある下の方は良いが、頂上に近づくと追い越しは不可能になる道で、その片側2車線の道での速さではやはり追い抜き加速のキレがデミオXDとは圧倒的な差が有ったので、追従できなかったのだ・・・一体あのスバルはどんなスペックの車両だったのだろう・・・速かった。まあ、箱根越えで旧道を選ぶ人であったわけだからワインディングロードを全く苦にしないというレベルではなく、ワインディングでの運転に自信のあるドライバーだったのだろう・・・・。 パフォーマンスに大差がある車同士でドライバーのやる気と能力が同等の場合おおむね勝負にはなりませんが、拮抗している場合はどちらがどれだけバカになれるかによって状況は変わりますよね・・・・笑。(経験上外国車の高級スポーツカーで山岳路で敵わないと感じたことは在りませんが、私見ですが本気で速く走ろうと思っている人はいませんね、日本の細い山岳路でデミオなどとのバトルに付き合う奇特な輸入スポーツカー乗りなどまず居ないはずですからね・・・例えばデミオXDを負かしたとても全く自慢にもならないから、何の意味もないでしょうし、もし食いつかれでもしたら赤恥ものだしね・・・笑。) というわけでして正に「バカは死ななきゃ・・・」のレベルですが、CX-30のディーゼルAWDを選んだ時に、「もう速く走る事を忘れよう」と思って決めた自分を思い出してます・・・・。(それでもTDIのサブコン着けてしまうかもですが・・・・) 実際デミオXDでも存分に走ったのは98000km走行のうちの300km未満だろうから、「もういい加減いいのじゃない?」とも思ったわけです。 いくら人里離れた山岳路であっても、殆ど車が走っていない道路でも反社会的な走行は止めるべきなのです・・・・。 70歳超えたしね・・・・・。 まあ、手の届く価格帯の中で、ではありますが、「気に入ったデザインの車」と言うだけで、ほぼ十分になってきたのかな・・・?(でも・・・非力な車で高性能車を突っつくのが面白いから、と言う潜在意識があるからかもしれない?・・・・笑)
2020.05.03
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数日前に衝動的に落札したCX-30用の純正外しホイールが今日到着した。新車に標準で付いてくるホールを使わずに、納車前のディーラーで交換して残った純正ホイールをヤフオクに出品してあったものを、私が落札したのだが、今日送られてきたホイールの段ボール箱を見て、出品者が、MAZDA純正オプションのホイールに取り換え、それで余ったホイールをオークションに出したと判った。MAZDAのオプションホイールというのは結構いい値段で1本4万円以上もするものだった・・・・。送られてきたホイールは本当に全くの新品とほぼ変わりないもので、傷一つありませんでした。このまま使うのも芸がないので、塗装し直すなどして、そこらでは見かけないものにしてやろうかなどと考えているところです。それと今日ディーラーへちょっと寄って、下取り査定してもらって、同時にCX-30の見積もり書を作ってもらったのですが、下取りは距離を結構走っているので(96800km)・・・・という事であまり良い値段は難しいと言われたんです・・・・笑。本当に安くてビックリ!!デミオXDのマニュアル車はそのディーラーでは結局私の1台しか売れなかったそうで、後は全てATなんですよ。中古車市場でもMTはどうなんでしょうか?やっぱり売り憎いのでしょうね・・・・と思っていたことは事実である程度安いことは予想していたんですが・・・。それで、契約は後日という事にして、その足で中古車買い取りの大手の店へ行って乗って行ったデミオXDを査定してもらったところ、MAZDAさんよりさらに低い価格を最初に言われて2度ビックリ!!それは買取屋さんの常套手段であろうと読めたので、慌てずに少しこちらも、じわっとプレッシャーをかけながら話してきましたが、結局MAZDAさんの提示価格の5万円アップなら何とかしますという事になったんですよ。そういう話になったので、その場でMAZDAの担当営業さんに電話して、下取りより高く売れたら他で売ってしまっても問題ないですよね?と聞いたんです。そしたら、担当営業さんいきなり弱気になって、もう少し下取り価格を何とかしますから、下取りさせてくださいと言い出しました・・・・笑。私は駆け引きなんて姑息な真似は大嫌いなので、担当営業さんの意外な変貌ぶりに、・・・なんだこいつらみんな駆け引きの世界で生きてるやつらなのかと気づいたわけですよ(今更ですが)・・・・笑。私は平成3年にセンティアを買ったときも一銭も値切らずに納車になりましたが、そこで店長が私にもじもじと値引きの話を持ち掛けてきたんですね・・・、私は、ああそうなのと言って「安くしてくれるなら有難いです」と申し出を受けたのでした・・・。そしてセンティアで30万km走って次に乗り換えたデミオ13CVのときはセンティアは廃車していただいたので下取りは無く、値引きだけしてもらいましたが、その次にデミオXD-MTを買ったときも特に値切ることもなく推移したのですが、契約の段になって店長決済で値引きをしたいというので「それは有難い」と申し出を受けたんですがその時は13CVはネットで買い取り屋さんを探して5社ほどが家に来てくれたので一番良い値段をつけてくれた業者に売りました。今回下取り査定を初めてやってもらったことになるんですね・・・・。とくに私としては駆け引きなどしてないからダイレクトに提示された金額で商談を進めていましたが、下取り金額がやけに低いので、そんなものかと確認の意味を込めて買取屋さんに寄ってみた結果でしたが、先ほどもMAZDAさんから電話が入って、「下取りは頑張らせていただきますのでよろしくお願いします」という事になって、一言、言ってみるだけでずいぶんと変わるものだと、これまたビックリな今日のお話でした・・・・笑。
2020.04.04
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60歳以上になれば年金を受け取る資格が生じ、受け取り開始を遅らせることで受け取れる金額が増えるという・・・。今回の新型コロナウイルスは、60歳以上、更に70歳以上の感染死亡率は10%を超えるから、年金を支払う側の年金庁関係者はそのことにどんな印象を受けるか想像してみて欲しい・・・・。「せっかく働いて収めてきた年金をロクにもらわずに新型コロナウイルスで亡くなって行くなんて、可哀そう過ぎるから、兎に角生き延びて出来るだけ年金をもらって残りの人生を有意義に過ごしていただきたい。」という風に心の中で思っていてくれるでしょうか?私は彼ら役人がそんな風に思っているとは考えられないのですが皆さんはどう思いますか?60歳以上の年金受給者がこのウイルスで沢山死んでくれたら年金機構は天の助けと歓迎するのではないかとさえ思うのですよ、いかがでしょうか?更に若者の行動を見ていると自分たちは運悪く感染しても死ぬ確率はかなり低いから、どんどんと出歩いてウイルスを蔓延させてたくさんの高齢者が死ねば自分達にのしかかる年金への負担金が減るかもしれないし、そうはならなくても少なくとも高齢者が受け取るための物で無く自分のための積み立てと実感できそうで良い。と思っているのではないだろうか?・・・・どうです?。「出生率が下がったのは生んだ親の世代に問題があったという事でしょ?」「まさか俺たちの責任じゃないしね」、「なのに少なくなった俺たちの世代の年金負担が重くなるなんて可笑しいでしょ?」、「親やそのまた親の世代の政策の失敗が出生率を下げたのにね」、「それで俺たちが年金負担で苦しむなんて真っ平御免だね!」、「年寄りは責任取って早く死ね!」・・・・そう思われているかな?皆さん・・・、そういう私をだだの被害妄想と笑えますか・・・・・??新型コロナウイルスはそんなタイミングで高齢者を狙い撃ちにするように登場したのですよ・・・なんという事でしょうね・・・・。姥捨てウイルスとでも呼ぶべきでしょうか???
2020.04.02
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「新車に入れ替えようか?」などという話が不謹慎に思えるようなヨーロッパやアメリカの惨状だが・・・・。 イタリアの北部の病院では医療崩壊が起きていて久しく、重症の新型コロナウイルスによる肺炎で、老人が処置を受けられずに病院の廊下で死んで行くのだそうだ・・・。 「被害が集中するベルガモの病院の中には、70才以上の患者の集中治療室受け入れをほぼすべて断っている病院もあります。現地の医療従事者の間では、“高齢者は死んでもらうしかない”が暗黙の了解なのです」 イタリア国立衛生研究所によると、ウイルス感染で亡くなる患者の約9割が70才以上だ。スペインの状況も同じで「患者の選別」が進んでいる。 70歳以上の感染死亡率は8%に達し、80歳以上では14%になるという・・・・。 問題はこの日本がいつまでこらえていられるのかだ・・・、感染爆発が起きればイタリア以上に老人が多い日本は大惨事になってしまうが、政府は強い手を打たずにここまで来た。 つまり、もっと悪くなるのではないかと考えていないことになる。 なぜならもっと悪くなってから都市封鎖などの強い外出禁止令を出するのなら一日も早くそれを決めた方が結果的に被害は少なくなるからだ・・・・。 つまり今の政府の判断は、これ以上悪くならないことに、はかない希望を持っていて、このままやり過ごすことが理想という事になる。 何度も言うが、もう少し悪い状態になったら都市封鎖を含めたフランス並みの政令で外出を禁止する気があるなら、早くやった方が効果はずっと高く、判断をせずに遅らせているのは一体誰のためなのか?という疑問に直面するのだ。 安倍さん誰に気を使っているのでしょうか?貴方は患者数の増加曲線から、1週間後の患者数を推定できない人なのでしょうか? 冷静になって考えてください、「覆水盆に返らず 」という諺を思い出して下さい。考え過ぎでは?やり過ぎではないかという批判を恐れてはいけません。 そう言われるほど早く手を打って、少しオーバーだったとしても被害を食い止めることを思えばその方が良い結果を生みます。 多くの日本人は外出禁止令など出さなくても事の重大さを理解して外出などしてないのですが、情弱な人や、現実を良く咀嚼できない薄弱な人も中には居るので、そういう人には政令で外出を止めさせるしか手はないのです。 私は、迷っている場合ではないと思いますよ。
2020.04.02
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「レッドドット賞」は、ドイツの「ノルトライン・ヴェストファーレン・デザインセンター」が主催しており、およそ60年の歴史を持つ世界で最も権威のあるデザイン賞のひとつだそうだ・・・。私がデザインを気に入っているCX-30だが、こうした賞を受けたことは、自分の感性が間違っていなかったのかな?と・・・。こうして世界に認められるものであったという点でとても嬉しい気持ちにさせてくれた。多分8月のデミオの車検を前に買い替えてしまうと思っている・・・・。せっかくタイヤを新品にしたのだが・・・、そして純正ホイールがスタッドレス用と合わせて2セットもあるのだが・・・、まあ、惚れた弱みとでも言いますか、入れ替えるでしょう・・・・。で、スカイアクティブ-Xは止めてディーゼルにしようと思っている。先日の試乗でスカイアクティブ-Xの良さは解ったけれど、高回転域を常用する運転をすることも多いとは言えないし、普段使うことが多い低速域のトルクはディーゼルの方がはるかに力強いとも感じたので、乗りやすさを考えればディーゼルに軍配を上げたわけだ。MAZDAのAWDが非常に優れていると感じていることもCX-30を選びたい大きな理由でもある・・・。問題はオートマを選ぶべきか?やはりマニュアルにすべきか?なのですが、当然SUVだからAWDを選ぶこともあり、ぬかるんだ山道の悪路でクラッチ操作で極低速域カバーする困難さを思えば、ATでハンドリングに集中する方が踏破性は良いのかもしれないと感じてもいる・・・・。悩むところだ・・・・。しかし・・・、今しがた(2日0:45)ヤフオクで新車外し(走行2km納車前外し)という純正ホイール4本を運賃別¥28000でスタッドレス用に落札してしまった・・・・車の契約前だが・・・・。
2020.04.02
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猫が好きという人は結構多いと思うが、自分の家で飼っている猫以外の猫がやってきて庭に排泄物をしてゆく時、それを如何感じ如何しているかで、猫好きの度合いが測れるかもしれない・・・。当然のことだが、猫が嫌いと言う人の中には、見知らぬ猫(お隣さんの飼っている猫であることも多い?)が夜間に忍者のごとく庭に忍び入って排泄物を置いてゆくことで猫が嫌いになるという人も多いと感じる。我が家の場合は、そうした猫がやってきて排泄を行い易いよう砂場を数か所に作っている。つまりノラ猫やどこかの家で飼われている猫が深夜にやってきて排泄物を残こして帰っても、3日に一度程度はネコ用トイレを掃除して、排泄物を取り除いているという事になる。そして、夫婦の会話の中に「最近たくさん糞があるけれど、どこの猫かな?・・・とか、この間見かけた赤トラかな~・・・」などと話すのである。我が家に同居していた猫が2013年と2018年に亡くなってから、自分たちの年齢を思い、猫より自分たちが早くあの世に行くことも考えられない訳ではないから、飼い主の責任を全う出来ない時のことを考えて、新たな若い猫を迎え入れることは出来ないという判断に至っています。しかし、触れることもできず、姿さえ見えない見知らぬ猫が、深夜に我が家で用を足すことは受け入れることにして、庭や家の軒下数か所に猫用の砂場トイレを作ってあるのです。これは猫好きであるという人では普通のことと思っていますが・・・、実際皆さんはどう思いますか?我が家のお隣さんが「庭で猫が糞をして行く」とご立腹のようで、我が家に猫が居るときから我が家のの猫に疑いがかけれれていましたから、お隣さんの庭に行かずにトイレはこっちでするようにという意味も込めて設置しています。野良猫が町からいなくなる世界は受け入れがたいことですから・・・・。
2020.04.01
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新品購入後未だ1か月程度にもかかわらず、Jドライブが消滅しているのに気づきました・・・。最近は後から導入した、より高速なM.2接続の内臓SSDを仕事に使っていたのですが、気が付けばJドライブの1TBが何処にも無い???データケーブルを挿し直したり電源ケーブルも違うものを使ってみたり、SATAのポートも残っているもう一つに変えてみたりしましたが…どうやら逝っているようでした・・・・。CRUCIAL製のMX5001TBでしたが、ダメでした・・・・・。以前使っていたSUNDISK製のSSDがここ数年壊れたことが無かったので、まさかという印象ですね・・・・・。ま、そういうこともあるという事ですね・・・・。殆どデータは入っていないから良いようなものだが・・・・、早すぎ…というか壊れる奴ってそういう物かもね?完全な商品は無いのだ!!
2020.04.01
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今朝方の午前6時ころ床に就いた私だったが、9:30頃に目が覚めてしまって眠れなかったので、10:00には起きてしまった・・・。不思議なことに目覚めそうな時に、志村けんと、石野陽子のからむコントの夢を見ていた・・・。まあ、新型コロナウイルスに感染して、肺炎が重篤な状態と聞いていたことで、意識の中に志村けんがあったからだろう・・・。それにしても、志村けんは生還できないのでは?と感じていたので、「やはり!」という気持ちでニュースを見ていた・・・。彼の収入額のことを思えば、恐らく最も手厚い医療を受けられたと思うし・・・、喫煙習慣を早期に止めてさえいれば命を落とす所までには至らなかったのではないかと感じる・・・・。最後の切り札ともいわれるECMO(人工肺)は肺が機能しない状態でも酸素を血液に供給できる心臓と肺の両方の機能がある。そんな装置を使っても救えなかったと言う事は、肺が酸素を取り込めないこと以上に悪化して,、免疫機能が暴走するサイトカインストームに見舞われ肺細胞そのものが自分の免疫細胞によって攻撃され、壊れて死んでしまったという風に思える・・・。これまで喫煙をしていた人は今禁煙を始めても非喫煙者と同じ健康な肺レベルに改善させるにはおよそ7年はかかると言われていて、今タバコを止めようと言っても新型コロナウイルス対策にはならないからか?TVなどでは喫煙者の危険度についてあまり触れられていないようだ・・・。それを問題にしても、今止めてももう手遅れだし、それを言えばダメ押しの上塗りだけになるからだろうか?「だいじょぶだ~」とはいかなかった・・・・。成功した同年齢のタレント(コメディアン)志村けんの冥福を祈るしかない・・・・。
2020.04.01
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日本では結核の予防目的でBCG注射を行っているが、世界ではすでにやめている国も多く、イタリアとアメリカはそもそもそう言うプログラムが無い。以下のサイトでそれが解ります。https://blogos.com/article/446483/未だ確実に因果関係があると証明されてはいませんが、もしかするとあり得ることですね・・・。結核で死ぬということは肺をやられて死ぬわけで、BCG予防接種は結核を防ぐため我が国では今も全ての人に接種されます。しかし、イタリア、アメリカ、はそうした義務のような接種は行われず、スペインやフランス、ドイツなどの国々も今はBCGを止めていたりします。確定ではないけれど、それらの欧州諸国の人々と日本人ではわずかな感受性の違いがあるのかもしれませんし、感染しても劇症化しにくい、やや軽く済むなどは有るかもしれませんね・・・・。まあ、そうならそうでありがたいことですが・・・。
2020.04.01
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