GOAL通信

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2006.04.04
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カテゴリ: 教育全般

 人間は失敗を重ね恥をかくべきだと思う。

 何度も失敗する人間がいる。その度にいやな思いをし、苦しみ挫折する。だがそこには何故こうなるのかという学習が存在する。彼らは与えられた教訓を力にし、やがて自分にとっての本物の方向を模索し始める。人間が成長していくこの流れにおいては、恥というものがヒントになるはずだ。

 失敗を糧にできる人間は大いに恥をかく。悔しい思いをする。その度合いが大きければ大きいほど彼らは強く反動しようとし、能動的に考え活動し始める。再度失敗しても彼らは自ら考え、課題を取捨し進んでいくだろう。学習機能を持った人間は強いのだ。だが皆が皆そうであるわけがない。問題なのは、この恥をかくことを忘れた人間が多いということだ。

 失敗しても恥ずかしいと感じない。悔しいとも思わない。これはある意味、危険な感覚である。私の教室にもこれに近い生徒が何人かいる。単に無気力では片付けられない、異質な空気を放つ生徒。彼らの理論はこうだ。

 「だって解るわけないじゃん。頭わるいもん」「失敗? 知らないよー。住む世界違うし」。分かるやついるかと聞けば、「はーい、分かりません」と手を上げて答える。その間2秒。考えようともしない。周囲が真剣に取り組めば取り組むほど壁を築き、そこに自己の中心を置こうとする。彼らにはテストの点も意味をなさない。恥という概念以前の感覚の相違が根強く生きている。

 この生徒も、学習というものに価値を感じさえすれば、失敗を防ごうと努めるはずだ。生活の中で大切なものは一体何なのか。仮に塾で学ぶ時間がその末端であっても、特別扱いは本人のためではない。目標を作り、成功と失敗の意味を教え、恥の感覚が身に付くまで繰り返す。

 外界との壁を作り、自分だけのルールで妥協しているようではダメだ。みんなが出来ているのに自分だけ出来ない。この空気に恥を感じなければ次のステップには進めない。そして、努力し出来るようになった時の励ましと、努力しないゆえに出来ない時の非難を明確にしていく。根気のいる作業である。

 恥をかくという感覚は、年齢ごとに色々な形で体験していく。遠足で帽子を忘れた。体操着を忘れシャツで参加した。授業中居眠りをしてみんなに笑われた。上履きを忘れた。宿題を忘れ立たされた。自己紹介がうまくできずからかわれた。先生の悪口を言ってたら後ろにその先生がいた。リレーでバトンを落とし最下位になってしまった。保護者のいる発表会で自分だけ目立つ大失敗をしでかした。ラブレターが見つかった。



 私は子供たちによく汗をかけと言うが、それは思いっきり行動に出ろということだ。新しい何かに立ち向かう時、大切なのは体を押し動かす勇気であり、信念であろう。迷うならば前に出る。トライするための汗は、やがて必ず自分の財産に結びつく。失敗も恥も決して悪いことではない。

 一流のスポーツ選手が今の技や強さを出せるのは、山のような失敗と恥と挫折を、発想転換によって自分のものにしたからである。世の中はうまくできていて、簡単に成功した者は長く続かないという。奢れる者は久しからずか。それは何度も恥をかき、精神を太く鍛えてきた者だけに分かる感覚であろう。

 恥を知らない人間は脆(もろ)い。
 恥を避ける人間は視野が狭い。

 素直に恥を晒すことのできる人間は、失敗ばかりしていても実は頭がいいのである。頭がよくなりたかったら、冷や汗もんの恥を一杯かけ。特に成長期の子供たちにとっては、毎日がその真剣勝負の舞台なのだ。





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最終更新日  2006.04.04 13:54:30


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