GOAL通信

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2012.07.29
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カテゴリ: 教育全般



 親との接触も増え、勉強についてのぎくしゃくとした空気が生まれやすい。

 ヒントになるかは別として、

 親と勉強について幾つか書いておきたいと思う。

 (いずれも、以前の記事に修正を加えたものです)



・・・・・・・・

 『親は勉強にどう係わるべきか』


 塾という仕事をしていると、




 以前は、

 「こういう状況で、こう接しています。どうしたものでしょう」 と、

 《接し方》の相談が多かった。

 なかなか勉強をしない。

 仕向け方がいけないのだろうか。

 そんな中で、語りかけや、場の作り方に何かいいヒントはないかと、

 親の 「意識改革」 に目が向けられていることが多かった。


 だが今はちょっと違う。


 「本人のためにこうさせているのに、言うことをきかない」

 「いくら言ってもやらない」

 「どうやって勉強させたらいいのか」




 求めているものは、「どうしたらやらせることが出来るのか」という、

 《強制力》 の部分に集中している。


 「どうしたら勉強するようになるのか」 ではなく、

 「どうやって勉強させたらいいのか」 なのだ。

 この言い回しの違いは、深い意味を持っている。





 「こうしなさいと、何度言ってもやらない。いつも口論している」

 親の気持ちも言い分も分かるが、大切なものを忘れている。



 「動くのは子ども自身である」 ということだ。



 子どもが納得し自分から動かない限り、空回りは続く。

 今の親は、学歴もあり、少なからず 「こうすれば点が取れる」 という理論を持っている。

 それをそのまま子どもにぶつける。

 それは別に悪いことではない。

 問題なのは、それが絶対だという幻想を持ち、強制に走ることである。



 適不適を考えず「こうしなさい」と管理すれば、当然ひずみが生まれるだろう。

 こういう親の多くは、ひずみが生まれた時の対処の術を知らない。

 自分が絶対であり、接し方も決まっているから、中身を変えようとする。

 だが勉強の中身や方法をいじったところで、子供のやる気は芽生えやしない。

 子供がどうすれば動くかという根本を見失っているのである。


 親は、どうしたら子供が能動的になれるかを考えるべきだろう。

 方法というものは後からついてくるものであり、工夫も可能だ。


 だが子供の行動が「する」と「される」では、結果は180度変わってくる。


 どうしてそこまで我が子を管理しようとするのだろう。

 親が熱心になればなるほど、子供の心は乖離していくのに。



 試験の得点は本人の力であり、本人が受け止めるものである。

 親の力でも、親の努力の記録でもない。

 勉強しない子も、ある程度強制的に管理すれば、得点は上がるだろう。

 だが、管理には限界が必ず来る。


 親が真剣になればなるほど、子供は表面的な繕いに走っていく。

 親のジレンマは、やがて学びの崩壊につながっていく。


 「お母さんを悲しませないで!」

 「お母さんが勉強するんじゃないのよ。誰がするの!」

 言ってはいけない台詞だ。


 何も子供は、親を悲しませようとしているわけではない。

 勉強は自分がするものだということぐらい、当然知っているだろう。

 子供の学びの世界で、親がヤキモキしていてはだめだ。



 親は主役ではない。


 動くべきは子供なのである。


 どうすれば動くのかという、《接し方》 の工夫に、力を注がなくてはならない。

 まずそこをクリアして初めて、学習の方法論に発展していく。


 あれも食べなさい、これも食べなさい。

 常に目の前に用意された子供は、満腹で、味も分かっていない。

 食べ方もよく知らないから、いつも怒られている。

 そんな子供が独りになった時、自分の意思で食べようとするだろうか。



 良かれと思うことが、目に見えぬひずみになって残っていく。

 強制力の危険性は、親の気づかないところでシグナルもなく起きる点にある。

 親は、子供の勉強にどう接したらいいのだろうか。

 先に述べた、「どうやって勉強させたらいいのか」 という発想を、

 もう一度見つめ直して欲しい。



 勉強は親がお膳立てして 「させる」 ものではない。

 でも、親は言う。

 1点でも多く取って、成績を上げなくてはならない。

 確かにそうだろうが、点の価値を冷静に考えてみて欲しい。


 本人が勉強せず、試験で失敗した時、親は普通 「勉強しないからだ」 と叱る。

 では親が立ち会っても、それでも失敗した時、何と弁解するのだろう。

 「家でさんざんやったのに、どうして間違えるの!」

 とでも言うのだろうか。


 子供の頭脳は、親の頭脳ではない。

 親が受ける試験ではないのだ。




 気がついて欲しい。


 本物の力は、子供が自分で生産し、蓄えていくしかないのだ。


 その過程に、親の知恵と経験と、そしてサポートが存在するのである。


 親の知恵にしがみついていれば、子供は楽だ。

 だがその態勢で、今後も数々の試験を受験を乗り越えていくというのか。

 子供をどこまで突き放せるか。

 そして自力で進もうとする方向を、どこまで見守り、矯正してあげられるか。



 親の辛抱は、強ければ強いほど、子供の可能性を広げる。


 私はそう思う。



・・・・・・・・


 『勉強は誰がする』


 親御さんと面談すると必ず出る言葉がある。


 「部屋で何かやってるようだけど、効率のいい勉強をしてるんだか」

 「何をやったらいいのか、自分でもよく分かってないみたいなんです」

 「何をどうしたらいいか、先生からぜひ勉強のし方をアドバイスして欲しい」


 こんな感じだ。



 こういう話題が出るのは、比較的意識の高い親御さんに多い。

 色々と試してみたが、どうもしっくりと来ない。

 しかも最近は、言えば言うほど反抗し、全然親の言うことなど聞こうとしない。

 先生からビシッと言ってくれないか。


 経緯はよく分かるのだが、さあ、どうコメントすればいいのだろう。



 勉強のし方が分からない。

 これは、いつの時代も共通の悩みだ。


 だがこの話題を語る時、絶対に外してはいけない視点がある。

 勉強のし方が分からなくて困っているのが、

 本人なのか、親なのかということだ。



 本人ならば、現状を聴き取り、改善のヒントを与えられるだろう。

 だが本人にやる気がなく、親だけがヤキモキしているのなら、

 欲しているのは子どもの勉強法ではなく、親の立ち合い方ではないのか。


 このいずれかを明確にし、対応しないと、

 大きなずれを生むことになる。




 私は色々な方法論を語る。


 こういう時はこうしたらいい。

 それならばこうしてみたらどうか。

 その一つ一つは、相談の内容と主格が誰かということで語り分けている。



 親御さんの悩みは切実だ。

 子どもの成績を青天井にしたい。

 クラスで30番を、1番にしたい。


 実際の面談ではせめて平均点ぐらいはと言うが、

 心の中では、間違いなくトップを望んでいる。



 では実際の子どもはどうかというと、

 全然やる気がない。

 そのギャップに悩みながら、家庭では勉強に立ち合い、

 常に好成績を目指し、勝負している。

 結果が思うように出ないとき、相談が来る。


 どうしたらいいかと。




 私はそういう親御さんに正直に語る。

 すべてを一度リセットしてみませんか?

 今までのやり方をすべて白紙にし、もう一度練り直してみましょう。


 白紙にタイトルから書き直すのです。

 そして目的を明確に、しっかり書き込む。

 誰が何のためにする取り組みなのか、

 その軸を太く中心に描き切る。



 勉強の中心には、子どもがいなくてはならない。

 家庭学習は、お母さんのための指導講座ではない。

 その基本を忠実に守るのです。


 家で立ち合うことが深くなればなるほど、

 結果に対する親のジレンマは飽和を迎えてしまう。

 主役は子ども。

 その学びに親の技術や視点は有用であっても、

 感情はまったく役に立たない。


 「勉強しなさい!」

 「何でこんなの分からないの!」

 「さんざん先週やったじゃない!」


 問い詰めるほど、子どもの得点は下がっていく。

 気付いて欲しいのです。

 誰が取り組み、誰が時間と闘うべきかを。



 子どもが30点を取ってきたら、どうするか。


 「何よこれ、あんた勉強しないからでしょ!」

 と語っても、100%成長はあり得ない。

 感情の入った感想は、子どもにとっては最低の雑音。


 そうではなく、

 「何でこうなったかよく考えてみ。そして間違いをもう一度調べてみな」

 と、一歩引いたアドバイスに徹するのである。

 そして、「こことここは出来たじゃん。やったね」と誉めてあげる。

 このプラスのストロークが大切なのだ。




 親が夢中になり過ぎると、子どものリズムが破壊されてしまう。

 そんな生徒、いや親子を何人か見てきた。


 家で毎日課題を与えられ、ずっと親が立ち合っている。

 出来ないと叱られる。

 その子は塾で泣いていた。


 その後、授業での集中を欠き、

 成績はどんどん落ち、やがて塾をやめたが、

 やめる時のお母さんの台詞が忘れられない。


 「お宅にいても成績が上がらないので」


 私は敢えて言わなかったが、今もその子のことが気になる。



 なぜ気付かないのだろう。

 誰が勉強し、誰が育とうとしているのかを。

 親がどんなに完璧なカリキュラムを組んでも、

 それは子どもにとっての道具でしかない。

 使うための課題でしかない。


 感情を吹き込み、力を持ってはいけないのだ。


 学びというものは、自分が苦しみ、発見し、

 その隙間から見えてくる光を頼りに、

 一歩ずつ築いていくもの。

 親はその工程における、アドバイザーであればいい。


 歩みが遅いからと縄をかけ、引っ張ってはいけないのである。

 自ら発見し、自信を持てるように、

 手の届く位置に道具を並べ、選ばせればいいのだ。



 そういう意識を持った親は、

 子どもの本質を素敵に成長させることが出来る。


 子どもを大切に思う心と、子どもに仕向ける行為は違う。

 大切に思うのなら、子どもが形成すべき軸を、

 一緒に磨き育ててあげよう。



 三者面談をすると、ここぞとばかりに語る親がいる。

 その内容は、勉強しないという否定的なものばかりだ。


 「やってるじゃん」

 と、口論する親子もいる。


 その場で勉強法が分からないから教えて欲しいと言われても、

 私は語れない。

 親の意識、子の意識をもう一度見直し、

 学習スタイルを立て直さなければならない。


 細かい勉強法の前に、まず打ち込むべき楔があるのだ。

 その大切さが理解でき、初めて方法論の枯渇が始まる。

 そう思っている。




 勉強のし方が分からない。

 勉強が出来るようになりたい。


 こういう言葉を、素直に子どもから聞きたい。


 だがそれがあるとしたら、

 その子の家庭は、きっと勉強に無関心であるような気がする。


 毎日神経をすり減らし、課題を与えられている子どもからは、

 決して出てこない言葉。


 そんな気がする。







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最終更新日  2012.07.29 11:49:40


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